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とある住宅街の一角に小さく店を構えている美容院があった。友人紹介による完全予約制のその美容院は美形揃いであり口コミで評判になっていた。その名は「Servant」。召使いという意味も含まれているその店ではホストクラブ顔負けの美形がおり指名制度と言うものが存在している。セイバー・アーチャー・ランサー・ライダー・キャスター・バーサーカー・アサシンの七人のスタッフの中から自分に合った人物を指名するものである。 「ランサー、7日の午後に一名入れても平気か？」 「少し待ってくれ…７日…は大丈夫だ、セイバー」 セイバーと呼ばれる金髪蒼眼の美少年が子機を持ちフロアで掃除をしていた緩くウェーブのかかった黒髪に金眼のランサーという美丈夫に声をかけた。ランサーはジャケットから手帳を出し言われた日程の時間を確認しセイバーに伝える。するとセイバーは子機のボタンを押し話し始めた。 「ふん、雑種がまた客を増やしたか？」 「相変わらず人気者だな」 「アーチャー…バーサーカーも、君たちも予定がいっぱいだろう」 セイバーと入れ替わりでフロアにやってきたのは金髪を立てて紅目のアーチャーという青年と長い紫髪を首元で縛るバーサーカーという男性だった。その二人もランサーに負け時劣らず美形であった。ちなみにこの美容院では指名する美容師を顔だけで選ぶことも可能ではあるが一応各自に得意な分野がある。セイバーはカット、ランサーはヘアカラー、バーサーカーはパーマ、アーチャーはヘアケア…等である。 「７日の我はフリーだ」 「フリー？ボードにはいっぱい入っていた気がするが」 ふと、アーチャーが放った言葉にランサーは今まで話していたが止めることはなかった箒の動きを止めた。予約客については個人的に管理するものではあるが万が一、休養や急病で休んでしまう場合のためにスタッフルームにあるホワイトボードに斜線などが入れられるマスが用意されており裏表で今週と来週の予約人数が確認できるようになっている。 ランサーが確認した時にアーチャーのマスは全てチェックが入っていたことを記憶しており首をかしげるとアーチャーは鼻を鳴らし、バーサーカーが苦笑して口を開いた。 「スタジオのほうに行くそうだ」 「あぁ、例のモデルのね」 全てを理解したランサーはバーサーカーと同じく苦笑しアーチャーを見た。 「珍しく飽きないものだな、アーチャー」 「アレは我のためにある様なものだからな!飽きるはずがない」 「先月まで遠坂さんの髪がお気に入りだっただろう」 「飽きた!」 美容師という仕事をしているに当たって各自が好みの髪質や髪色などがある。ランサーやバーサーカーにもあるが今回アーチャーが自分の好みにドストライクの髪を見つけたようでその髪に触れる時間を伸ばそうと必死になっていた。 「あのモデル風情が…あの雑な手入れをしている髪を我の手で…待っていろ、言峰綺礼…」 「キャラが変わってるぞ、アーチャー」 「仕方ない、ほっておこう…手伝うぞランサー」 「すまない」 一人燃えるアーチャーを尻目に二人はフロアの掃除を始めた。掃除といっても白いタイルの輝くこの部屋にシミや汚れなどは一切ない。ベルの音が鳴り三人は扉を向くとそこには大柄の男が立っていた。 「おう、朝から精が出ているな」 「ライダー、スタッフは裏から入ってこい」 ため息をつくランサー達の目の前に現れたのはライダーであった。熊のような大柄で赤茶色の髪とのばされた髭の中年の男性はどうもこの白い空間とミスマッチなようだ。しかし、よくよく見れば髭はきちんと整えられたものであった。ライダーは店内を見渡しアーチャーの姿を見ると目を大きく開けた。 「アーチャー、それは新しいスタイリング剤か？」 「ほう、熊の癖によく気づいたものだな…先日発売したものがなかなか使い勝手が…」 「アップルミントの香りと言っていたが、これは…」 顎に手を置き髭を弄りながらアーチャーの髪を見ているライダーもセイバーと同じくカットが専門であるがセイバーは長髪のカットを得意にするのと比べ短髪のカットを得意とする男だった。短髪にする人間の多くにその人に合ったスタイリング剤を進めることが多いライダーはアーチャーの使うスタイリング剤に興味深々だった。 「おはようございます」 そこに現れたのは蒼い長髪を高い位置でくくる女性であり、顔の上部を仮面で覆っていた。彼女はアサシンという名称で呼ばれており美容師の免許は持ってはいるがどちらかといえばメイク専門であり、髪型を変えた後のメイクのポイントや来店した客にメイクの相談を受けたりすることが多い。ちなみに仮面を付けている理由は人と対面すると赤面してしまうというメイク専門としては少々厄介な体質のせいである。 「おはようございます、アサシン」 「おはよう」 「バーサーカー、ランサー…キャスターを見ませんでしたか？」 「いや、まだ来てはいないようだよ。何かあったのか？」 「えぇ、明後日の雑誌の件で打ち合わせがあったのですが」 「あ、女子高生向けのメイクとネイルの特集だったな」 ここに来ていない唯一の人物はキャスターと言い、彼もアサシンと同じく美容師ではあるが特化していることはネイルアートだった。そんな二人はメイクとネイルということで良く雑誌の特集などで組む事がありお互いに綿密な話し合いをしている。 「遅れました」 そこに空気を読んだようにキャスターが現れた。黒い髪を後ろへと流し金魚のように大きな目が特徴的なキャスターはおそらく初対面の人間に恐れられるだろうがフロアの人間は慣れたように彼を見ていた。 「キャスター、さっそくで悪いのですが…」 「…明後日の件ですね、小悪魔ファッションでしたか」 そして、アサシンとキャスターは数枚の写真を片手に話し始めた。 「みなさん、時間です」 スタッフルームに引きこもっていたセイバーがやってきて声を出した。すると、それまでのバラバラだった動きが止まった。 「本日も、我らがマスターに良い時間をお届しましょう」 こうして、今日も美容院「Servant」が開店する。 楽しかった。ただ、それだけだ。

タイトル長っ!先日美容院に行ってそこで考えた話し。既出かもしれなけどサーヴァントたちが美容師さん。なにそれ行きたい。そんな話。■11月29日付の小説デイリーランキング 58 位ありがとうございます!■続きという名のバーサーカー組み→(<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=651532">novel/651532</a></strong>)

もしも、サーヴァントたちが美容師だったら胸熱過ぎて爆発しちゃう。

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　カチ、コチ、カチ、コチ……。 　時計の秒針が順調に時を進めていく中、私たちの時は停滞していた。心臓の音はやけに響いているくせに、身体はピクリとも動かせない。 　もしかしたら、私は彼女に金縛りでもかけられているのかもしれない。そんな気分になるような感覚だった。 「……」 「……」 　あれからどれくらいの間、こうして無言のまま抱き合っていたのだろう。少しだけ体勢が辛くなってきた頃、その金縛りから解放されて、深く静かに息を吐いた。 　壊れそうなくらい高鳴っていた心臓も、やけどしそうなくらい熱くなっていた顔も落ち着きを取り戻していたが、現状は何一つ変わっていなかった。 　彼女は変わらず腕の中にいる。いくら落ち着いてきたとはいえ、ずっとこのままの状態でいられないということは明白だった。私の理性が仕事をしているうちに、どうにかしないといけない……けど、先に解決しないといけない問題がある。 「…希さん」 「ぅん？」 　私の肩口に顔をうずめたまま、小さな返事が返ってくる。 「…大丈夫、ですか？」 「………ぅん。大丈夫よ」 　その大丈夫に、私を安心させてくれる材料は何一つ入っていなかった。どんなに彼女のことを知らない人が、今の言葉を聞いたとしても「絶対、大丈夫じゃないでしょ」と思うくらいのレベルだ。 「全然、大丈夫そうじゃないです」 「……そう？」 「はい。……さっき、私に甘えてくれるって、言ったじゃないですか。それならちゃんと…」 「絵里ちゃん」 　不意に人差し指で唇を塞がれると、解けかかった金縛りが、再びかかった。 「うちは、もう十分甘えさせてもらっとるよ」 「…で、も……」 「それなのに、もっと絵里ちゃんに甘えちゃったら、バチが当たってしまうわ」 「……でも…」 「…ね？」 　―――お願い、これ以上は聞かないで。そう言われている気がした。 「とにかく、うちはこうやってぎゅーってしてもらえるだけで、大満足なんよ」 「わっぷ…」 「ふふ、欲しがりな絵里ちゃんのために、ちょっとだけ時間延長な？」 「ほ、欲しがり…!?」 「だって、うちにもっと甘えてほしいんやろ？」 　 　そういうつもりで言ったわけではないのだが…。一通り私をいじり倒して満足したのか、彼女は再び私の肩口に顔をうずめている。 　ハァ…と心の中でため息をついて「結局こうなるのよね」と落胆する。そこ、結果オーライとか言わないで。私は自分の無力さに、本気で落ち込んでるんだから。……本当よ？延長時間分の料金いりますか、なんてふざけたことは考えてないんだからね。 　とにかく！甘えてくださいなんて言っておいて、ただ言われるがまま抱きしめるだけなんて、カッコ悪すぎるでしょ、私。 　いくら年上のお姉さまだからって、言いなりになるのは柄じゃないのよ。 　無駄に色んな経験をしてきたわけじゃないんだから、何かできることがああるでしょ。過去にどうやってこういう状況を乗り越えてきたのか、よく考えてみなさい。 　えっと、こういう時は、ええっと………あ。 　要は、相手が落ち込んでる時ってことよね？まあ、そういう場面は確かにあったのよ。でもそういう時、私ってば……『嫌な事なんて忘れさせてあげる』とか言って、好き勝手に抱いてた……気がするのよね。うん、そうね、そうに違いないのよ。うん。 　って、ぜんっぜん参考にならないじゃない！参考どころか最悪よ！そんなことしてみなさいよ、もう二度と希さんと会えなくなるどころか、連絡だってとれなくなるじゃない！あ～、もう…。 「…う～ん、よしっ！」 「へっ？」 　私が密かに頭を抱えていると、彼女が突然がばりと上体を起こし、伸びをした。急に離れていってしまった体温のせいで、体の前側がやけに寒く感じる。 「絵里ちゃんのパワー、いーっぱいもらっちゃった！ありがとうなぁ」 　あっけにとられている私をよそに、にっこりと笑って立ち上がる彼女。その顔に、落ち込んだ様子は欠片も残っていない。つさっきの出来事が、まるで嘘のようだった。 「い、え……そんなこと。それより本当に…」 「さーて、ちょっと早いけどお昼の準備しよか？うち５時くらいにご飯食べたから、お腹空いてきちゃった」 「えっ？５時ですか!?」 「そっ。あの人、今日はゴルフやから朝早かったんよ。それに合わせて、うちもご飯食べちゃったから」 　あっさりと言葉を遮られ、そのままお昼ご飯の話題へともっていかれる。流れるようにしてキッチンへ向かう彼女の姿に、私は口を開くことができなかった。 「絵里ちゃん、エプロンとかってあるかな？」 「あ、あります！ちょっと待っててください」 　独り暮らしを始める時に、にこからもらったエプロンがあったことを思い出す。まだ一度も使ったことはないけど、確か寝室のタンスにしまい込んだはずだ。 「…あった」 　タンスにしまっていた洋服をひっくり返して、一番奥から出てきたそれ。少しは女子力を磨きなさいという言葉と一緒にもらった、水色のエプロン。まさか、最初に使うのが私じゃなかったなんて知ったら、にこは怒るだろうか。 　でもそんなことよりも……あんな大口を叩いておいて、彼女のために何一つできていない私の方が問題か。それこそ、この現状がにこに知れたらどう思うのかしら。呆れる？怒る？そんなもので済まされれば、まだましよね。 「………」 　エプロンを握りしめて、悔しさで視界がにじんでくるのを、必死に我慢する。 　いつも考えが脱線してしまったりするど、あれは別にふざけているわけではないのだ。ああしていないと、私はすぐにこうやって耐え切れなくなってしまう。本能、寂しさ、無力さ、色んな感情を真正面から受け止めて、抑え込む力は私にはないのだ。 　だから、こうやって魔が差すと、どうしても色々なことを考えてしまう。ネガティブな考えが溢れだしてしまう。 　まだ恋愛対象として見られていなくてもいい。彼女と過ごせる時間が短くてもいい。そんなもの、いつかはきっと覆すことができるから…そう思っていた。自信もあった。 　でも、その「いつか」って、いつなの？ 　恋愛ゲームみたいに分岐点でセーブをして、正しい選択肢でやり直すことなんてもちろんできない。それに、２人の関係を変えるほど大きなイベントなんて、簡単には起きてくれない。 　失敗して、遠回りして、またそのイベントが起きるまで待つ。そんなことをしていたら、その「いつか」は永遠に来ないかもしれない。もちろん、そんなことにならないように最善は尽くす。 　だけど、時間は有限であり一過性のもの……だから、焦ってはいけないと思ってはいても、焦らずにはいられない。 　何せ〝その日〟は突然やってくるのだから。もしかしたら、もう手遅れという可能性だってある。私にとって最悪であり、彼女にとっては最高であるであろう、その日。 ―――子どもが、彼女のお腹に宿ってしまう日。 　もしそんなことになったら、それこそゲームオーバー。 　私は彼女にとって永遠に旦那さんの部下、もしくは年下の友達で終わり。まあ、彼女はその関係でもいいと思うだろう。むしろ、それは当然の感覚だ。しかし、その関係は私にとって苦痛でしかない。 　自分では生み出すことができない絶対的な存在を見せつけられ、幸せそうな彼女の顔を見て…果たして私は、心から祝福することができるのだろうか。 　いや、できるはずがない。 　だから、私は……彼女に関するフラグを一つも落とさずに、最短ルートで彼女を攻略しなければならなかった。 　それなのに、私は最初の分岐点で、ただ黙っていることしかできなかった。本当に、情けないことに。でもきっと、あの時は…ああするしかなかった。自分が思っていたほど、彼女は私に心を許してくれてはいなかったのだから。 「…っ」 　完璧主義者で臆病者なんて、どう考えてもバットエンドルートがお似合いだ。 　正直、自分でもかなり無茶をしている自覚はある。例えるなら、(また恋愛ゲームの話だけど)全ルートクリアしないと出てこないヒロインを、最初から攻略しにいこうとしてるくらい無茶なことをしていると思う。 「ほんと、バカね……私って」 　十八番だったはずのリスク回避スキルも、希さん相手では簡単に無効化されてしまう。それならいっそのこと、当たって砕けろというか、ごちゃごちゃ考える前に行動に移してしまった方がいいのだろうか。少なくとも、何もできないまま時間が過ぎるよりはマシだろう。 　でも、そんなことをして彼女に引かれてしまったら……いや、だけど何も出来ないのも……。 「ハァ……」 　無限にループし続ける思考回路を、長い長いため息で無理やり終わらせる。 　ゆっくりと立ち上がった足元には、珍しくちょこの姿があった。 [newpage] 「でーきたっ！」 「うわぁ…！美味しそうです」 「ふっふ～ん。特製のポークカレーとアボカドとマグロのサラダやで」 　テーブルに並んだカレーとサラダを見て、キラキラと目を輝かせる絵里ちゃん。もともと可愛いところはあるけど、今は３割増しくらいで可愛い＆幼く見える。高校生はちょっと無理があるかもしれないけど、２０歳って言っても十分通じるんじゃないだろうか。 「何だか、急にお腹空いてきちゃいました…」 「じゃあ食べよっか」 「はい！」 　ソファーを背もたれにして、２人でテーブルの正面に座り込む。すると、ちょこちゃんが寄ってきて、ニャァとひと鳴き。 「あっ、ごめんなさい、ちょこ。ちょっと待ってて」 　うちにも、少し待っててくださいと言いの残し、他の部屋へと消えていく絵里ちゃん。ちょこちゃんは、そんな彼女の後をつけるでもなく、その場で彼女の行方を見つめている。 「お待たせ」 「ニャア」 　間もなくして絵里ちゃんはキャットフードを手にリビングに戻ってきた。そして、ちょこちゃん用と思われるお皿にエサを入れると、ちょこちゃんはそのエサをすぐに食べだした。 「へぇ、すごいなぁ」 「何がですか？」 「だって絵里ちゃんは、ちょこちゃんがご飯欲しがってるって分かったんやろ？」 「ああ、この子はお腹が空いた時くらいしか、私の方に寄ってきませんからね」 　あはは…、と苦笑いを浮かべながら、そう言う彼女。何年も飼っているのに、そんなことってあるのだろうかと思うけど……そういえば、うちがちょこちゃんを抱っこしてる時も、何だか羨ましそうに見てたし……。 　もしかして彼女は、動物が好きなのに動物から嫌われちゃうタイプの人なのかもしれない。人間からはとっても好かれそうなタイプなのに、残念ながら動物にはその魅力が伝わらないのだろうか。 　そうだとしたら、ちょっと可哀想やな。 「お待たせしました。今度こそ、食べましょう」 「せやね。それじゃ……」 「「いただきます」」 　ご飯を食べる前に言うおなじみのフレーズ。何に変哲もない普通のあいさつなのに、なぜかとっても特別に感じた。 　あ、そうか… 　誰かと一緒に「いただきます」を言うなんて、久しぶりなんだ…。 「ん～っ！すっごく美味しいです！………希さん？」 「へっ？あ、えっと、そんなに喜んでもらえて良かったわぁ」 　あかん、また……。 　気を抜いてしまうと、すぐこれだ。さっきだって、あまりにも彼女の体温が心地よくかったから思わず……。 　久しぶりっていうだけで、こんなに違うものなんかな…。 　最初は本当に軽い気持ちだった。少しからかって、彼女があたふたするのを見て楽しもうかなって…そのついでに、彼女がぽろっと弱音を話してくれたらなって、そう思っていた。 　でも、実際は違った。 　彼女を甘やかせる存在になってあげたかったのに、甘えてしまったのは自分の方だった。 　体格なんてほとんど変わらないのに、抱きしめられてる時は彼女がすごく大きく感じて、その温もりが信じられないくらいの安心感を与えてくれた。 　しかし、それと同時に…うちは、あの人のことも思い出していた。 　彼は、こんなふうにうちを抱きしめてくれたこと…あったっけ？ 　ふいに浮かんだ疑問。それは、うちの心を一瞬で濁らせた。 　別に、暴力をふるわれているとか、毎日ケンカをしているとか、そういうわけではない。 　ただ彼は、うちに興味がないのだ。そこにあるのは、東條希という人は自分の妻であるという事実だけ。俺の女だとか、生涯の伴侶だとか、守りたいだとか、そういう特別な感情はないと思う。 　まぁ、本人に確認したわけやないし、全く優しくしてくれないわけでもないから、何とも言えないんやけどね。 　 　だけど、妻として…あまり触れてもらえないことは、やっぱり不満ではある。 　結婚してから、そういう行為が一回もなかったわけではない。頻度的には３カ月に１回あればいい方というところだろうか。 　全く気持ち良くないわけではないけど、必要最低限の準備が整ったら、あとはあっちが勝手に挿入して果てて終わり。うちが達したことは、一度もない。 　これが性行為であることに違いはないが、そこに愛情があるかと問われれば、疑問が残る。ただ、それでも行為自体は成立してしまうのだから、おかしなものだ。 　快感を得るという意味では、一人でした方がよっぽどいい。だけど、一人で果てるのは……虚しい。 　積りに積もった寂しさと虚しさは、想像以上にうちの心に滞積していた。 　それを明らかにしたのは、絵里ちゃんの温もり。たぶん、誰でも良かったわけではなかったんだと思う。 　最初に出会った時から感じていた、不思議な繋がり。 　途切れることのない、連絡のやりとり。 　日を追うごとに増していく、会いたい気持ち。 　学生時代は転校ばかりで、まともな友達なんて作ったことがなかったけど……もしかしてこれが、親友というものなのだろうか。 「……希、さん？」 「えっ？あ、あれっ？うち、またぼーっとしてた？」 「はい。スプーンを持ったまま、固まってたので……もしかして体調が悪いとか…」 「ううん！そんなんやないんよ。ただ、晩ご飯どうしよっかなぁって考えてて」 「…今、お昼ご飯食べてる最中ですけど…」 「うち、めっちゃ食いしん坊やから。……へへ」 「っ、……そう、なんですか…」 　こうやって笑って誤魔化せば、彼女はそれ以上何も聞いてこない。彼女の分かりやすい性格と、その優しさを利用した最悪の逃げ方。 　彼女にならきっといつか、今までうちが抱えてきたものや、汚い感情をさらけ出せる日が来るのだろう。 　だけどまだ、その時じゃない。まだ彼女には、そんなに深いところまで見せられない。……まだ、その勇気はない。 　彼女が本当に心を開いてくれて、ちゃんとうちを頼ってくれて、ぐずぐずになるまで彼女を甘やかしたら、その時はうちも……。 「ほらほら、普段たいした物食べてないんやから、たーくさん食べてなぁ」 「は、はい！」 　言われるがまま、一生懸命にカレーを頬張る彼女を見て、思わず頬が緩む。その姿を見ていると、やっぱり自分とは違って、すごく素直で良い子だなと思う。 　こんな子が家族にいて、美味しそうにご飯を食べてくれたら、どんなに幸せだろう。そんな妄想が頭の中をよぎる。 　だけど、所詮は妄想。その妄想が現実になるわけではない。そんなもの考えるだけ無駄だし、余計に自分を苦しめる結果になるのは目に見えている。 　だから、ない物ねだりはしない。時折こうして、彼女と一緒に過ごすことができればそれでいい。うちにとっては、それが十分すぎるほどのご褒美になる。 「ご飯食べ終わったら、とりあえずお昼寝やね」 「お昼寝!?」 「そっ。うち、お昼寝も大好きなん。それに、絵里ちゃんの目の下にクマちゃんおるし」 「クマちゃんって……え、そんなに目立ちますか？」 「うーん、それなりに？なぁん～もしかして、楽しみ過ぎて昨日眠れなかったとか？」 「…ぅっ……わ、悪いですか」 　ムスッとした表情で、目を逸らす彼女。遠足に行く前の子供じゃあるまいし、なんてツッコミを入れたいところだけど、その可愛さに免じてこの場は見逃してあげよう。 「誰かを家に招くなんて久しぶりでしたし、しかも希さんですし……緊張しないわけ、ないじゃないですか」 「もぉ、そんなに緊張する必要ないって、何回も言ってるやん。…あ、もしかして、まだ緊張してるとか？」 「……」 「あれっ？……図星やった？」 「…っ、もう、希さんなんて知りません！」 　ああ、もう。ホント、かわええなぁ。うちに連れて帰ってもええかな？この子。 「ごめんて～。添い寝してあげるから、許し…」 「拒否します！」 「まったまたぁ、照れちゃって」 「照れてません！」 　誤魔化すようにカレーをかきこむ彼女。そんな彼女を眺めながら、カレーをひとくち口に含む。 　その後からは、いつものやりとりと変わらない。うちが彼女をからかって、彼女が真っ赤になって照れて、時々お互いの趣味の話なんかもして…。 　特別何かをするわけでもなく、ただおしゃべりして、たまにちょこちゃんに癒やされて…そんな心地よい時間が、ゆっくりと／あっという間に過ぎていった。 [newpage] 「ん～！今日はほんっとに楽しかったわぁ」 「何もお構いできず、すみません。料理までしていただいて…」 「ううん。うちが好きでやったことやから。それに、今日はうちにとって最高の休日やったよ？」 「それなら、いいんですが…」 　ああ、駄目だ。ちゃんと笑顔でお見送りしようと思ってたのに…やっぱり、どうしようもなく寂しい。 　これから彼女は家に帰って、旦那さんにご飯を作って、お風呂に入って、夜はもしかしたら……。って、自分の妄想で傷つくなんて、世話ないわね。 「なぁん？寂しくなっちゃった？」 　ブーツを履き終わり、ひょいっと立ち上がる希さん。私を見上げる角度が、悩ましいほど完璧だ。 「っ、そんなこと、ない……です」 　そして、もはや毎度おなじみのときめき。さらに、ばかばかしいほどの強がり。案の定、彼女はそんな私を見てくすくすと笑っている。 　ほんと私、今日からかわれっぱなしなんですけど(今日だけじゃない気がする)。 　そりゃ、彼女にからかわれるのは嫌いじゃない。でも、このままじゃやっぱり納得いかないのだ。 　抱きしめられるより、抱きしめたい！ 　触られるより、触りたい！ 　攻められるより、攻めたい！ 　もう何か、自分でも何言ってるかよく分からなくなってきたし、何なら落ち込みまくってたはずなのに、もうどうでも良くなってきたし、とにかく希さん可愛いし(何のこっちゃ)！ 　ただね、一瞬だけ真面目な話をすると、あの時の希さんって落ち込んでたわけじゃなくて、ただ寂しかったのかなって思うの。 　最初は、抱き合ったことで何か嫌なことを思い出して、気分が沈んでしまったのだと思った。でも、それならさっさと離れてしまえばよかったのだ。だけど、彼女はそうしなかった。 　私に体重を預けて、顔をうずめて、そこでじっとしていた。もしかしたら、嫌な気持ちも少しはあったのかもしれない。でもそれ以上に……彼女は寂しかったんだと思う。でなければ、しばらくこのままで…なんてこと、言うはずがない。 　まぁ、結局は私の憶測でしかないんだけどね。 「また近いうちに遊ぼ？そうやなぁ、今度はショッピングもとか。とりあえず、また連絡するわ。それじゃ、ばいばい…」 　彼女が、玄関のドアに手を掛ける。ゆっくりとドアノブが回り、ガチャリという音と一緒にドアが開いた。まるでスローモーションのように流れていく光景。自分の心臓までもが、ゆっくりと動いているような感覚。頭の中は、静かな水面のように落ち着いている。 　彼女が一歩ドアの方へ近づき、隙間が広がっていく。そこから差し込んでくる夕日が、やけに綺麗だと思った。 　彼女がもう一歩ドアの方へ近づき、ついに隙間は人が通れるくらいの広さになった。ああ、彼女は本当に帰ってしまうんだと実感した。そして…… 「えっ……」 　彼女の戸惑いの声の後に、ガシャンと勢いよくドアが閉まる。夕日に照らされていた玄関は、再び薄暗い空間に戻った。 「え、り…ちゃん…？」 「……」 　右肩から聞こえてくる声、全身に伝わる温かくて柔らかな感触。後から押し寄せてくる幸福感。 　そして、彼女を抱きしめていると理解した途端にやってくる、混乱。 「……」 　私と同じように混乱しているのか、ただ純粋に驚きすぎているのかは分からないが、彼女は珍しく黙り込んでいた。 　ここで私が「あ、ごめんなさい。ちょっと寂しくなっちゃって」なんて笑って誤魔化せたら、きっと彼女も笑って「ロシアは表現がストレートなんやね」なんて言ってくれたかもしれない。 　でも実際に私には、そんな余裕なんてなかった。 　初めて体験した、言葉よりも先に身体が動くという感覚。当たり前のように彼女を腕の中に閉じ込めている自分は、一体何がしたかったのか。必死になって理由を探した。 　最後に一つくらい、彼女の中に爪痕を残したいという気持ちが抑えきれなかったから？ 　それとも、私にもちゃんとカッコいいところあるのよってところを見せたかったから？ 　はたまた、ただ彼女に帰って欲しくないという我がまま？ 　数秒考えをめぐらせても、納得する答えにはたどり着かなかった。 　だけど不思議なことに、後悔はしていなかった。 　確かに混乱はしているけど、なぜか「まずい」とか「やってしまった」とか、そういう気持ちはこみ上げてこなかった。むしろ、これが本来の私のやり方ではないかと納得している自分がいた。 「ぇり…ちゃん、あの……」 「……」 　少しだけ身じろぎをする彼女を、さらにぎゅっと力を込めて抱きしめる。すると、彼女はきゅっと私のシャツをつかんで口を閉じた。 　ああ、やっと……私に主導権が回ってきた。 　今まで、彼女を大切に思うばかり、必要以上に臆病になっていた。彼女を優先するあまり、自分のあり方を見失っていた。 　彼女が傷つかないように、彼女が違和感を感じないように、彼女のペースで距離を縮めていこうと考えていた。だから、自分の気持ちを押し殺して、彼女の望む「可愛い絵里ちゃん」であろうとしていたのだ。 　だけど、それは違う。私は、彼女の友達になりたいわけでも、妹みたいな存在になりたいわけでもない。私がなりたいのは……彼女の恋人だ。 　それなら、私のやるべきことは彼女に気に入られることじゃない。彼女と対等な関係になることだ。 「希さん」 　手を彼女の背中から肩に移動させる。そして、少しだけ距離を空けるて、彼女を真っ直ぐに見つめた。 「…なに…？」 「私にとっても今日は、最高の休日でした。今まで過ごしてきたどの休日よりも、楽しかったです」 「そんな、大げさやなぁ…」 　困った笑顔で誤魔化す彼女。今日、この笑顔は何度も見た。 　この半日あまりで気づいたことがある。それは、彼女が人の好意を素直に受け取ってくれないということ。それが彼女なりの謙虚さなのだろうが、私にとってはそれが非常にもどかしい。 　１０で伝えたものが、７か５くらいしか彼女に届いていないような感覚。これが唯一、彼女の嫌いなところ。 「大げさじゃないですよ。私だけじゃない…たぶん、ちょこだって同じ気持ちです」 「ふふ、そうやったら嬉しいなぁ」 　だから『私が甘える代わりに、希さんは私に甘えてください』なんて遠まわしな言葉だと、結局は「希さんに甘えたい」と言っているようにとらえられてしまう。 「きっと…いいえ、間違いなくそうです。希さん、私、ちょこ…２人と１匹にとって、今日という日は間違いなく最高の休日だったんです」 「っ、…さ、さすがロシア。表現がストレートやね」 「ありがとうございます」 「…褒めてないんやけど」 　 　１０の想いが５しか伝わらないなら、今度は２０の想いを伝えればいい。そうすれば、伝わる想いは１０になる。答えは、単純明快だった。あとは、それをどう実行するかだけ。 「希さん」 　もう一度、彼女を優しくゆっくりと抱きしめ直す。すると、彼女は抵抗することなく私の腕の中に収まってくれた。 「あの…私が甘える代わりに、希さんは私に甘えてくださいってやつ、撤回します」 「えっ？」 　彼女が驚いて身体を離そうとするが、ぐいっと前に出てそれを阻止する。 　狭い玄関では、その一歩があっという間にドアとの距離を縮め、半ば壁ドンのような状態になった。 「私が甘えなくても、希さんは私に甘えてください」 「ぇ…っ、」 「２４時間３６５日、いつでもどこでもいいです。寂しくなったとき、悲しくなったとき……あ、スーパーの袋が重いから手伝いに来て、なんていうのもありです」 「な、に……それ」 　いつもの彼女なら、ここはふわりと笑いながら「じゃあお願いしちゃおっかな～」くらい言いそうな場面。しかし、今の彼女にその余裕は見当たらない。 　彼女に余裕があるかはかるために、最後に冗談を混ぜた私もわるいのだが、彼女は見事に私の手中にはまってくれていた。 「希さんって専業主婦だし、友達もそんなにいないって言ってましたから。私なんかよりも、よっぽどストレス溜まってるんじゃないかなって思ったんです」 「そういう…ことじゃ、なくて…」 　手で口元を隠し、目線はうろうろとさまよっている。彼女に余裕がないということは、明らかだった。 　そして、その彼女の余裕を奪った私は、今とても余裕がある。彼女と一緒にいると何かと脱線してしまいがちだったが、どうやらその気配もない。ドキドキはしているけど、思考がショートしてしまうほどではなかった。 「なんで…そんなこと、言うの…」 「何ででしょうね。まだきちんと言葉にすることはできませんが、強いて言うなら……希さんだから、ですかね」 「えっ……」 「それに、私はまだまだ満足してませんよ。次に会ったと時、今日よりも最高な日だって思ってもらえるようにしたいし、その先もずっとずっと……毎回、最高って言ってもらえるように、頑張ります」 「っ……」 「希さんに喜んでもらえるなら…私、何でもしますから」 「………」 　私の言葉を聞いた瞬間、顔を想いっきり背けて黙り込む彼女。ぎゅっと握り締められた拳が視界に入り、ハッとした。 　あれ？もしかして私…やりすぎた？ちょっと思い通りになったからって、いきなりアクセル全開はまずかったかしら…。 「…」 「…」 　しばらく２人で黙ったままでいると、彼女がゆっくりと拳を緩め始めた。そして、ふぅっと息を吐くと、バッと顔を上げて私にこう言った。 「絵里ちゃん、大人をからかっちゃいけません。心臓に悪いやろ？」 「えっ？」 「そういうことは、将来お嫁さんにもらってくれる人に言ってあげて。それじゃ、またね」 　私に返事をさせる間を与えないまま、一気にさよならの挨拶まで言い切った彼女。その勢いに押されてしまった私は、バタンと閉まるドアを眺めることしかできなかった。 「これって、もしかして……失敗？」 「ニャァ」 「……。」 「…」 「ちょこぉーーー！！」 「ニャア゛ー！」 　ちょこの猫パンチが、いつもより痛く感じた。 [newpage] 「ハァ、ハァ…」 　エレベーターを使わずに、あえて階段で降りる。しかも、駆け足で。だから、１階に到着する頃には、すっかり息が上がりきっていた。 「さすがに…５階から階段は、きついなぁ…ハァ」 　誰もいないのをいいことに、壁にみっともなく手をついて息を整えた。 「……びっくり、したなぁ」 　初めてみた、大人びた目つき。初めてしてきた、彼女からのスキンシップ。初めて聞いた、彼女の真っ直ぐな言葉。 「……でも、嬉しかったなぁ」 　あんな友達が最初からいてくれたら、自分の人生は大きく変わっていたのだろうか。そもそも、その最初というのは、どこからなのだろう。 　どちらにせよ、これは無駄な妄想だということも、今さら過去を変えることなんてできないということも分かっている。 　だけど、今はとりあえず…絢瀬絵里という素敵な友達に巡り会えたという事実を喜んでおこう。 「…よし、帰ろ…」 　階段を駆け下りたせいで上がった心拍数と体温は、まだ下がらないままだった。

のぞえりオンリーに行けなかった悔しさを、SSにぶつけました。笑<br />社畜万歳！！！<br /><br />今回、ポンコツ度は低めです。<br />希ちゃんの背景が、少し明らかになります。

上司の妻と、その部下。4

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その夜及川が選んだのは、珍しくバーだった。 テーブル席に着くかと思いきや、カウンターだ。酒の強い及川は、アルコール度数を気にすることなく綺麗な色のカクテルを頼んでいく。もう何杯めか。 飲みの席でアルコール度数を気にする癖、何杯目なのかをチェックする癖がついてしまっている事に堂上は苦笑いしつつウイスキーのロックを口に運び、及川の話に付き合っていた。 隣にはアルコールでうっすらと頰を染めた美人がいて、場所は薄暗いバーカウンター。及川の私服はいつも女らしくて、大胆にではないが肌を晒す部分もあり、そこだけ白く浮き上がる。 女日照りの身に、一体何の罠か。 なんて考えていたからか、及川が急にこちらを振り向いてぐっと身を乗り出してきたのに必要以上に驚いて、思わず身を引いた。 その反応に、及川は不満気だ。 「取って食ったりしないわよ」 「…すまん」 邪な思考の事もあり、堂上は素直に謝る。 「私、真剣なんだけどなぁ」 何が、とは聞くまでもない。 「堂上くんと香が付き合い始めた時は、仕方がないなぁって思ったの。私の中に香に勝てそうなところなかったし、堂上くんが香しか見てないのもわかったし。二人を見ているのも辛いかな？って思ったけど、そうでもなくて…好きな二人が幸せならそれでいいっていう愛の形なのかしら？なんてドラマみたいなこと考えちゃったり」 そこまで言うとカクテルを一口飲んだ。 「でもあんな事で別れちゃって…香はまだ好きなくせに、もういいのなんて言っちゃって、その後何にもなかったかのように別の人と結婚しちゃうし。幸せそうだからそれでいいんだろうけど、私が勝手にモヤモヤしちゃってて…で、その頃私」 ちらっと堂上を見て、 「同期の長谷川くんと付き合ってたの。ほら、よく堂上くんに突っかかってた」 「ああ、あいつも関西だったか」 「流石に覚えてたわね。勝手にライバル扱いされてたものね～全然敵わないのに」 「お前ひどいな」 「フフッ彼と付き合ってたからかな？何年たっても堂上くんの事は彼とは別のところにあった感じだったわ」 自分の左胸を軽く叩いた。 「長谷川くんと別れてしばらくしてから、関東に出張に来てたの。何度か来ていて、訓練したり巡回してる堂上くんを見てたわよ」 「こっちは気付かなかったぞ」 「そうでしょうね。仕事中はバカみたいに真面目で、見つめてるこっちの事なんて見やしない。脇目も振らずって言葉は堂上くんのためにあるんじゃないかって思ったわ」 「昼休憩や寮でだって会わなかったろ」 「ぜんっぜん気付かないから、休憩もずらしたし寮も使わずホテルにいたのよ！悔しいったら！」 「す、すまん…？」 「いいわよ。こっちが勝手に意地張ってたの！しかもそんな意地張ったことに今更後悔してるの！やっぱりどうしても忘れられないって思っているところに今回の関東行きの話が来たから、今度こそはと思って来たのに……」 うっすらと涙で潤ませた瞳で堂上を見つめ、額を堂上の左肩にもたせかけた。 「…酔いが回ったか？」 及川の行動がアルコールのせいではない事はわかっていた。しかし、飲むペースがいつもよりも断然速かったことも認識していた。 この先どんな話になるとしても、この場でない方が良いことも。 そろそろ行くか、と言うと及川は小さく頷いた。 及川の足取りは、多少フラつく程度だった。 いい感じで酔っている、というところか。これが迂闊な部下だったら…確実に背負っている。 いつの間にか自分の仕事になった飲み帰りのおんぶが、酔いも手伝ってか良い気分の帰り道になり始めたのはいつ頃からか。 人間背負っておいて気分が良いとは、俺はちょっとおかしいのか。マゾ気質にも程がある。 ふっと苦笑したのを見逃さず、及川は問いかけた。 「なに考えてるの？」 「…ちょっと思い出した事があっただけだ」 「思い出し笑い？…エッチね」 「男だからな」 迂闊な部下が相手ならアホウで済ます返答に、そんな応え方をした。 及川と話していると、男としての受け答えが普通にできる。香と付き合っていた間に男の自分をこいつの前でも出していたからか。男を匂わせても引かれないとわかっているからか。 同じ会話をしてこんな返答をしたら、アイツだったら真っ赤になって何も言えなくなるだろうな。そしてしばらくギクシャクするんだ。…俺が男だって事に引け目を感じてしまう程に。 「堂上くん」 呼ばれて気付くと、そこは小さな公園の入り口だった。街頭からは微妙に外れていて、暗い。 「…男だったら、こんな美人が好きだって言ってるんだから…キスくらいしてよ」 そう言って及川は、堂上の横腹に両手を差し込んでギュッと抱きしめた。キスして、と言うくせに顔は堂上の胸に押し付けたままだ。 何かがふわりと香ったので、 「いい匂いだな」 つい口走る。 「何もつけてないわよ。香水とか、嫌いなの」 「じゃあ何なんだろうな」 「…きっと恋の匂いよ。私が恋してるから」 そんな事を言うとは、目の前のデキる同期も少女のようなところがあるんだな。こういう思考は…あの柴崎曰く純情乙女の特性だと思っていたのだが。 「堂上くん。返事が欲しいわ」 及川が顔を上げた。少し顔を下げて近寄らせれば、唇同士が触れ合える位置だ。 手を伸ばせば申し分のない恋人ができる。 素の自分で話せるし、酒も楽しく飲み交わせる。がーーー。 「及川、……すまん」 土壇場でやっとわかった。 俺の中にはもう二人をいるんだ。顔もわからない清廉な少女と、山猿と言われながら純情乙女を保っている目を離せない部下と。 二人いる事すら問題だが、一人はもう会うこともないだろうから許してもらおう。 そしてそこには、もう一人増やすような場所はないのだ。 「すまん」 もう一度謝罪すると、及川は一度、ギュッと堂上を抱きしめてから離れた。 「私って本当、タイミングを見逃してばっかりで嫌になっちゃう。香の時は親友だし諦めもついたけど…。出張で来てた時に意地張らないで声をかけておけば間に合ったのかな。でもあの子が入隊してくるんじゃ、結局ダメだったのかしらね」 顔を上げた及川は自嘲気味に微笑んでいた。 「おい…」 あの子、が指している人物は一人しか思いつかない。堂上は思わず息を飲んだ。 「まだイケるかなーって、もしかしたらって思ったんだけどなぁ。全然そういう雰囲気を感じなかったし。でも仕方がないわね、あの子はお姫さまなんだものね」 悪戯っぽく笑った顔は、もういつもの及川だ。 堂上はそうしてくれた及川に深く感謝する。たとえそれが及川のなけなしの強がりだとしても。 「姫…ってなんだ？」 「朴念仁男には明日ヒントをあげるわ」 だから今夜は帰りましょう。 そう言って、寮へ向けて歩き出した。

捏造してます。オリキャラ出張ってます。お嫌いな方はスルーでお願いします。<br /><br />やっとここまで来ました。あと一話で終わります。お付き合いくださっている方、本当入隊感謝しています！

瞳の奥に 9

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　虎徹がばにばにを得て一週間後の朝、バーナビー宅。 　いつも目覚ましより先に目を覚ますバーナビーが、今日は中々ベッドから出てこようとしない。既に十分前に目は覚めたが、起きようとしないのだ。 　理由は。 『ばーなびー、おきろー！　あさだぞー、がおおおーっ』 　本人（本ロボット？）曰くワイルドに吠えているらしい、可愛らしい鳴き声に堪えきれずくすくすと笑いが零れてしまう。それによってバーナビーが起きていることを理解したミニロイドは、両腕を組んで枕元で仁王立ちになる。 『おきたか？　ちびとら、あさのしごとはじめだ！』 　えっへん、と胸をそらすミニロイド。バーナビーの相棒、虎徹をモデルにした通称『ちびとら』だ。いつものシャツにベスト、ズボンとハンチング帽もそっくりそのまま。しっかりとアイパッチまでつけてある。仕事が細かい。 「ふふ、おはようございます、ちびとら」 『おー！　おはよう、ばーなびー』 　バーナビーがにっこり笑ってちびとらの頭を撫でると、ハンチングの脇から飛び出した虎耳と、お尻の虎尻尾が嬉しそうにぴくぴくと動いた。 「朝食にしましょう。ちびとらはどうします？」 『ちびとらはよるのうちにいっぱいたべたぞ！　すけじゅーるのかくにん、するのか？』 「そうですね。食べながら聞きます。テーブルにいきましょう」 『おー！』 　夜中のうちに充電をすませていたちびとらを手のひらにのせてベッドを降り、そのまま一旦リビングに向かってテーブルの上にちびとらを降ろすと、頭をすっきりさせるためにシャワーへと足を向かわせた。 　鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌なバーナビーを見送って、ちびとらはテーブルの上でころんと寝転がった。 　これが、本日のバーナビーの朝の風景。 「おはよーバニーちゃんっ」 『おはようございます、ばにーちゃん』 　何時も通り遅刻寸前で飛び込んできた虎徹に、バーナビーは呆れた顔を隠さない。どうしてこう、毎日毎日同じ事を繰り返せるのか、理解できないしできることなら一生理解したくない。 　眉間に皺を寄せておはようございます、と返すとほぼ同時に、デスクの上のちびとらが片手を上げて『よーっ』と挨拶した。昨日の帰りに斉藤から預かったため、虎徹、ばにばにと会わせるのはこれが初めてだというのに、全く物怖じする様子を見せないのは、流石元が元だと言わねばならないだろう。ばにばにの方は、初めて見るちびとらにおっかなびっくりな様子を隠せないというのに。 「あれ、バニーちゃん、これ……？」 「昨日、斉藤さんから預かった試作品の第二弾ですよ。あなたがまともなモニターをしないから、さっぱり仕事が進まないってぼやいてました」 　何せ虎徹ときたら、モニター結果の全てを「ばにばには可愛い」で埋め尽くしたのだ。それをどう役立てろというのか。昨日それを聞いたとき、がっくりと項垂れたのは言うまでもない。というかそもそも商品のモニターなどということを、この男に頼むことのほうが間違っているんだ、と思わないでもない。 　とにかく、これでは何のチェックにもならない、ということで同じく試作段階の虎徹バージョンを渡されたのだ。 　今のところ、特に問題はない。ちびとらはきちんとスケジュールを教えてくれるし、当然朝も起こしてくれる。可愛らしいモーションも、気に入っている。往年のファンなどからすれば一家言ありそうなところだが、主なターゲットはロボット好きの子供からせいぜい中高生くらいだというから、設定としては十分ではないだろうか。 　ただ一つ気になるのは…… 「自分の管理すらできないあなたに、スケジュール管理されるというのがどうも馴染めないというか……」 「だっ！　俺だってやればできるんだぞ！」 「そうですか？　では今日のスケジュールはどうなってますか？」 「へ？　今日？　今日は……えーっと……」 　……………。 　数秒の間をおいて、小さなため息。 　これだから、おじさんは。 　これみよがしな態度が気に障ったのか、むうと唇を尖らせて拗ねた表情を見せたあと、そーだ！　と手を叩いてデスクの上で未だちびとらを睨んでいるばにばにと向き合う。 「ばにばに、今日の俺のスケジュールは？」 『すけじゅーる、ありません』 「はえ？」 　あっさりと言い切られて変な声を出す虎徹を、バーナビーは更に冷たい目で見る。バーナビーのデスクの上では、ちびとらが首を傾げていた。当然だ、今日は虎徹と共にやらねばならない仕事が二件あって、ちびとらにはその予定を入力してある。それなのに、相手のほうにその予定がないと言われれば首のひとつも傾げずにはいられないだろう。 「虎徹さん？」 「あ、いや、そのー」 『きのう、おじさんはばにばににすけじゅーるにゅうりょく、しませんでした。だから、きょうのよていはありません』 「あー……」 　こりこりと頬を掻いてあさっての方向を見やる姿は、歳相応の大人には見えない。バーナビーは深く大きなため息をついて虎徹のパソコンを立ち上げ、会社から送られていたスケジュールのメールを開く。月初めにおおまかなスケジュール表が送られ、仕事の前日には細かい時間などを記したメールがくることになっている。自分でスケジュール管理をしない虎徹のために、この社内メールを開いて確認のはバーナビーの仕事になっていて、おそらく虎徹はスケジュール表すらまともに見たことはないだろうと思われる。 　少し甘やかしすぎたかな、と過去の自分を苦々しく思いつつ、虎徹からばにばにを借り受けてパソコンとつなぎスケジュールをばにばにに流す。のだが。 「なーんか卑猥だよなー、これ」 「はあ？」 「だってさあ、見ろよ」 　と指差した先には、正座したばにばに。ただし、口いっぱいにUSBの端子を含んでいるが。手乗りサイズの彼らは、当然表面積が小さい。ゆえに、充電用のコンセントタップは背中に、スイッチ類は耳や腕などにつけられ、パソコンなどと繋ぐ際のUSB端子の接続は、口内に作られている。 　だからどうしたのだ、と眉を顰めているとにやにやと悪戯っこのような顔をして耳へ顔を寄せ、睦言のように囁く。 「口いっぱいにおっきなの咥えてんの、やらしくねえ？　バニーちゃんだしさあ」 「?!?!　な、なに言ってるんですかあなた！　ばかじゃないんですか！　信じられませんっ」 　顔を真っ赤にしたバーナビーを両腕の中にとらえ、笑いの余韻を残したまま軽くキスをする。 　直後、ばにばにがUSBを口から抜いて、『すけじゅーるにゅうりょくかんりょーですっ』と立ち上がったので、バーナビーを片手に抱いたまま、ひょいと持ち上げて肩に座らせてやった。なにやら羨ましそうな視線を感じたバーナビーが視線を降ろすと、ちびとらが気づいて『おれも！』と手を伸ばしてくる。小さく笑って手を差し伸べると、ぴょこんと飛び乗ってそのまま腕を伝って肩まで駆け上がると、そこに腰を落ち着けて満足そうに笑う。 『ばにばにっていうんだな。ちびとらはちびとらだ。よろしくな！』 　にっこーと眩しいくらいの笑顔で告げて手を伸ばすちびとらに、ばにばには顔を赤くしてふいとそっぽを向いてしまう。 『どーしたんだー？』 　ちびとらはきょとんを首を傾げると、バーナビーの肩から虎徹の肩へといとも簡単に飛び移り、ばにばにと至近距離で向き合った。ばにばには咄嗟に距離をとろうとしたが、人の肩の上だ、逃げ場があるわけでもない。観念したのか、むっつりしたままちびとらと顔をあわせる。 『……ちょ、ちょっとだけなら、よろしくしてもいいです』 『ちょっとだけなのか？』 『ちょっとだけですっ』 『そっかー』 　ぷるぷると、まんま小動物のように身体を震わせるばにばにを眺め、ちびとらが手を伸ばして優しく頭を撫でる。 『これはちょっとか？』 『…………これは、ちょっとです。だから、いいです』 『そっかー』 　満足げに頷いて、ちびとらが笑う。ばにばにも強張った身体から力を抜いて、撫でられるままに任せていた。 　なにやらむず痒くなるようなほわほわした雰囲気を見せ付けられたマスター二人は、顔を見合わせて苦笑する。 「なんつーか」 「妙に恥ずかしい、ですね……」 　ふわふわ、ぽわぽわ。 　ピンクいろのわたあめみたいな空気を醸しだす二人と二体は、ここがオフィスだということを、すっかり忘れきっていた。 　そのため、一部始終を目撃するはめになった経理のおばちゃんが、「リア充爆発しろ」と呟いたかどうかは、定かではない。 ＜END＞

虎兎。ミニマムロボットが好評だったので、第二弾でございます。やっぱり相棒はつけるべきだよね、ということで設定だけは作ってあったミニロボ虎徹ver.　を出してみました。

ちびとら　が　あらわれた！　ばにー　は　きゅんきゅん　だ！

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キリよく昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。 「お腹、空いちゃったね」 弁当も食べずに外に出てきたことを思い出し、多少の空腹を覚えた。城廻先輩もそれは同じだったようだ。 「お話、聞かせていただいてありがとうございます」 いいえ、と彼女には若干不似合いな、どこか陰のある笑顔を浮かべた。 ５限目は古典だった。先生の淡々とした声をＢＧＭに、私は考え事をしていた。 半年前、というと。 今は四月の頭だ。ということは二月辺り？そのころ姉に変化はあったろうか……。 （…普段あまり話さないもの、分かるわけなかったわ） 私は姉のことが嫌いではないが、苦手意識は持っている。社交的で明るい姉と、お世辞にも社交的とは言えない自分。雪ノ下家の跡継ぎとして、一体どちらが優れているのかなど誰の目に見ても明らかだった。私は家の跡を継ぐことにさして興味がなかったので、そこらへんの事情に家族でありながらも明るくない。 だからといって姉が嫌いなわけではない。劣等感こそあれ、雪ノ下家という大きな看板を私の代わりに背負っていくという人生を歩んでいるあの人を、嫌いになれるはずもない。 だから、見落としてしまったのだ。 （私はきっと、姉さんをガラスの向こうから見ていたんだわ） 姉という身近な存在だからこそ、ついつい大きく見えてしまっていたのだろうか。 雪ノ下陽乃という人を知っているが、私は陽乃という姉のことを何も知らないのかもしれない。 それはきっと的を射ているのだと、私は確信めいたものを抱いた。 「ガハマちゃん、大丈夫なの？」 休み時間、ふと折本さんがお菓子をかじりながら尋ねてきた。 「…わからないわ」 この前由比ヶ浜さんとあったことを折本さんにも話してみる。どうしてかは分からないけど、こうして誰かに聞いた方がいい気がしたのだ。 「ふーん…そんなことが」 「私、気になっているの。由比ヶ浜さんがあの時何を言おうとしたのか。なぜ今になって、その、私たちが友達かなんて確認しに来たのか……」 あの時の由比ヶ浜さんの顔を思い出す。何かをこらえるような、泣きそうな顔。私が彼女にそんな顔をさせたのかと考えると、自分で自分が嫌になるのだ。 「ガハマちゃんは、なにかをゆっきーに伝えたかったんだね」 再確認するように、彼女は言った。私なんかよりずっと人の感情に聡い折本さんのことだ。由比ヶ浜さんの様子について前々から思う所はあったのかもしれない。 「その何かが、私にはわからないの。由比ヶ浜さんはなにか悩んでいる様子だったのに…」 中学校の頃を思い出す。 私がいじめを受けていたとき、優しく寄り添ってくれた彼女を。 それに救われた自分を。 「いんじゃない？わかんなくて」 折本さんはあっけらかんとそう言った。 「何故…かしら」 「人の気持ちなんてどうせわからないでしょ？あたしだってゆっきーが今考えてることわかんないし」 「あなたは、単純ね…」 ふっ、と肩の力が抜けていく感覚があった。 「ガハマちゃんの考えてることはガハマちゃんにしかわかんないさ」 だから、無理にわかろうとしないでいいよ。 そう折本さんは、くすぐったいくらい優しい声色で言った。 「でも、ゆっきーがもうちょい経験豊富だったら、ちょっとは変わってたかもだね」 「……何の経験、かしら」 折本さんは目をギラギラと輝かせて、 「れ、ん、あ、い！だよ〜♪ウケる！」 至極楽しそうな様子でそう言った。 恋愛。 男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい 広辞苑でそう定義されているそれ。 「ゆっきーは、誰かを好きになったことある？」 「……わからないけれど、男女間の間の恋愛感情と言うことなら、まだないと思うわ」 まわりくどいし、ウケる。と笑う折本さん。 「それが由比ヶ浜さんと何の関係があるのかしら」 「やっぱゆっきーはまだまだですなぁ〜……。」 やれやれ、と肩をすくめる。 「ガハマちゃんはね、ゆっきーのこと嫌いになったりしてないよ」 折本さんのその言葉に、私はどうしてそう言いきれるのか、と返しそうになった。 けど、やめた。 私が信じないと。 人の心は読めないけど、わからないけど、信じることはできるから。 「そうね…信じるわ」 [newpage] ２年Ｆ組。由比ヶ浜さんのクラスだ。 「由比ヶ浜さん」 私がそのクラスのドアを開けると、一斉に私の方に一斉に視線が集まった。 これだから他のクラスは苦手なのだ……。 「ゆきのん！」 ぱぁっと明るい笑顔を向けてくる由比ヶ浜さん。 「今、大丈夫かしら」 「ん？ちょっと待ってて」 そう言うと由比ヶ浜さんは周りにいた金髪縦ロールの目立つ容貌の女子と赤メガネの可愛らしい女子に何かを告げて、こちらへとやってきた。……あの金髪縦ロールからなにか敵意めいたものをひしひしと感じるのだけど。気のせいかしら……。 「どしたん？」 教室を出、廊下をしばらく歩いたところで由比ヶ浜さんから話を切り出された。教室で見たのとは違い、どこか緊張した顔つきだ。 「この前、あなたは私の前で何か言いかけた。けれど、それは口には出されなかったわ」 「……そうだったね」 由比ヶ浜さんは否定しない。私はそのまま続けた。 「けれど、私も言いたいことがあったの」 びくっ、と由比ヶ浜さんの肩が震えたのを見た。 「私は、由比ヶ浜さんと出会う前は友達と呼べる人なんていなかったから、だから、こういうときどうすればいいのかよくわからないの」 「……」 「……私、あなたを怒らせるようなことをしたかしら？」 「…えっ？」 うつむき加減で立っていた由比ヶ浜さんが、顔を上げた。驚きの色を浮かべ、私を見つめている。 「き、聞き返されるとこちらも困るのだけれど」 「ご、ごめん」 お互いどもってうまく話が進まない。 「私がなにかしたのであれば、話を聞いて私に非があれば改めるわ。それ以外の原因であなたが悩んでいるのであれば、私は、その、あなたの力になりたいの。そう、思っているのだけど」 心臓がうるさい。なんせ十何年間生きてきて、こんなことを友人にいうのは初めてなのだから。 「ゆ、ゆきのんは悪くないの！あたしはゆきのんのこと、嫌いになったりしないしっ！」 由比ヶ浜さんが私の手をギュッと握ってきた。少し汗ばんだ手、私の手はどうなのかしら。由比ヶ浜さんと同じ体温を共有できていたらと思う。 「ええ、わかったわ」 では何が彼女の感情を振り回しているのだろう。 『れ、ん、あ、い！だよ〜！』 折本さんの能天気な声が脳内で再生される。 ……ま、まさか。 「由比ヶ浜さん、その、恋愛事。だったりするの？」 その瞬間。 火山が爆発した。 いや、比喩である。富士山が爆発とかそんな縁起の悪いことではなく。 由比ヶ浜さんの顔は真っ赤なトマトのようになり、煙が出ているような勢いだ。人間ここまで頭に血流が回ったら臓器の活動に支障をきたすのではなかろうか。とかなんとか、よくわからない方向に思考が働く。 「ゆきっ、ゆ、ゆきのっん、え！？そんなわけないじゃぁぁぁぁん！！」 じゃぁぁぁぁんじゃぁぁぁん……と、廊下中に由比ヶ浜さんの声が響きわたった。 「……」 「と、ともかくっ、ちがうから！絶対違うんだから！」 整理しよう。 由比ヶ浜さんは、どこぞの馬の骨に恋をしていて（確定）、それを私に知られたくなかったから、態度が変わっていた。ということかしら。 ……妙に腑に落ちないが。恋愛というものに疎い私にはまだ由比ヶ浜さんの行動は理解できないものなのかもしれない。 「よ、よくわからないけれど、頑張りなさい？」 「……違うんだよぉ…」 由比ヶ浜さんが泣きそうな顔をしていたが、きっと恋の悩みというのはそういうものなのだろう。 * ゆきのんはあたしが変な態度をとってしまっていたこと、気付いてて。 いや、あんだけ変だったら誰でも気付くよね…。ウケないよぅ……。 「でも、ゆきのんが勘違いしてくれて、よかった、のかな？」 勘違いなのかどうかわからないけどね。 あたしのつまらない、ばかみたいな気持ち、ゆきのんに見破られなくてよかった。 見破られてたら、あたし、ゆきのんの友達じゃいられないよ…。 なんで話したこともない人にこんなに惹かれてるんだろ。 そのひとは、かっこよくて、なんでもできて、でもすっごく怖くて。あたしなんかじゃ釣り合わないんだろうな。 ゆきのんがあんなに人に興味を示してるのは初めて見た。 それが恋愛感情だっ！って決め付けるのはおかしいんだけど、わかるんだ。女の子だから。女の子であってしまうから。 「どうしよう……っ」 こんな優柔不断な人間、どうしようもない。

由比ヶ浜結衣は、決められない。……このうじうじした感じが、ガハマさんの本来の性格でもあり、変えていかなければいけないところなんだろうと思います。

生徒会長比企谷くん⑪

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Scene：泣いている 「簡単な足し算の問題なんです」 　ほたるちゃんはそう言って、ぎゅっとつよくまばたきをした。せっかくまぶたの端っこに引っかかって零れずにいてくれた雫が、とうとう押し出されてすっかり道のできてしまった頬の上をぽたりとたどり、落ちる。まあるくてあたたかな水滴がこの子の名前そのままみたいにきらりと光った瞬間を愛してしまうのは、けれど、きっととても悪辣なことなのだろう。それがどんなにうつくしくてもだ。しょっちゅう自分を揶揄してしまうこの子は以前にそんなことだって口にしていたけれど、貴女の垂れてしまったきりなおらない眉は、それでもやっぱり悲しむためだけには形作られていないのだから。 　ところで涙はどこからが涙なのだろうと、ふと考えた。ただ瞳にまとわりついているだけのものを、ひとは涙とは呼ばないだろう。そうだとすれば身体の構造上生きているかぎり瞳が乾くことのない人間は、いつだって泣いているということになってしまう。ひとが涙をそう呼ぶのは、きっとまぶたがそれを雫として押し出してしまってからだ。だとすれば、かなしくできているのは雫ではなくまぶただろうか。次々と涙をつくってしまっているのが、ぱちりとふるえるあなたのその部分なのだとすれば。 　つくりかえてしまえばいいのは、そこなのでしょうか。 「簡単なんです。私にだってわかります。……数学、あんまり得意じゃないですけど」 　しゃくりあげながら口にされたその言葉は、厳密にいうと正しくない。ほたるちゃんの理解力自体にはまったく問題がないのだと、しばしば勉強を見てあげることもある私はようく知っている。 　ほたるちゃんは元来真面目で勤勉な子だ。範囲をまるごと間違えていたり提出日が早まった連絡を何故かほたるちゃんだけ聞き逃していたりといったようなことが頻繁に起こるだけで、宿題にだってとても真摯に取り組んでいる（それこそ、忙しい中学生さんを呼び出しておいてなんだけれど宿題してばっかりだなんてさみしいですよぅ、なんて大の大人である私が唇をとんがらせたくなるくらいには）。 　自分が抱えるあまりよくない性質についてとてもよく理解してしまっているほたるちゃんは、だからこそ自分の力が及ぶ範囲のことは懸命に努力しようとする傾向にある。だからほたるちゃんは真面目だ。だからほたるちゃんは勤勉だ。だからほたるちゃんは、ときどき眩しくて、そういうところが、とても美しい。 　ただ、割合しょっちゅうその努力を飛び越すような出来事が身に降りかかってしまうというだけなのだ。問題用紙と解答用紙が分かれているタイプの試験で、ほたるちゃんの解答用紙だけ印刷ミスで解答枠が大問三つ分まるまる見当たらず、しかもその三つともが高配点で答えることすらできずに追試を喰らった――なんていうのは本当に、ほたるちゃん自身の数学能力とは関係がない。 　それでもほたるちゃんは、簡単な足し算なのだと言って、またまばたきしてはほろほろ泣く。 「マイナス五十に百を足せば、五十になれます。でも、それは、マイナス五十が五十になれたわけじゃないんです。ただ、百から五十だけ奪ったんです。これは、そういう足し算の問題なんです」 　ほたるちゃん、私のことプラス百くらいには思っていてくれたんですねえ。のんびりとそんなことを喜んでいる場合ではないのだけれど、なんだかのんびりと嬉しい。目の前でかわいいかわいい子がどんなにかうつくしく泣いていたのだとしても、心のどこかでは呑気な自分がかわいいなぁ、かわいいなぁとぼやいていることがある。わりとしょっちゅうある。 　そんなのんびりな私のことを、知っているか知らないかでいうときっとこれっぽっちも知らないであろうほたるちゃんが、ひどく潤んだ瞳でこっちを見つめた。 「うばいたく、ないんです」 「……ほたるちゃん」 「茄子さんがすきです」 　うぅ、ん。 　こういうときに、そんなことを言うのは、私を黙らせるため――だなんて狡賢い考え到底ないでしょうけど、でもやっぱり、ちょっとずるいですよ、ほたるちゃん。 「茄子さんがすきです。だから、……だから、私は、茄子さんから五十も、うばいたくない」 「私はあなたより数学が得意ですよ、ほたるちゃん」 　だから私も、ちょっとずるい言いかたをしましょう。 　それはまあ、これでも私、あなたより七年長く生きていますから。中学生の教科書はちゃんと修了しましたし、数Ⅰだって数Ｂだってやりましたし、ケーニヒスベルクの橋の問題ですとか、そういうのもちょっとくらいなら聞いたことはあるのです。えへん。 　でも私は、前述のとおりほたるちゃんが、とても努力家で勤勉で、ちょっとまぶしいくらいにうつくしいあなたが数学のできない子などではないと、よく知っていて。 「だから、教えてあげますね。人間の足し算のしかた」 　それでもこういう言いかたを選ぶから、今の私は、小狡い。 　ほたるちゃんのまぶたに、別の方向から力がかかる。これまではずっとぎゅっと瞑られては涙をつくりだすばかりであった瞳が、大きく大きく見開かれている。私の言葉に驚いて、両目をきゅっと大きく開けているほたるちゃん。 　つくりかわってしまえばいい。 「人間はね。マイナス五十に百を足すと、たとえば、百五十になるんですよ」 　つくりかわってしまえばいい。 「いえ、二百でも構いません。なんなら千でも一万でもいいでしょう。那由多なんて、響きがかっこよくてすてきじゃないですか？　どこまでいきましょうか、ほたるちゃん」 「茄子、さん」 「どこまでも、いけますよ」 　足すのではなく塗り替えるのだと、二人で塗り替わるのだと、那由多ほどの時間をかけても、私が教えてあげましょう。 [newpage] Scene：早朝の路上 　夜明けの身体が内部から泡立っているような、奇妙な疲労感を私が覚えたのは、間違いなく最近になってからだ。 　なにしろそれまでは、深夜から通して明け方まで稼働し続けるほど特別なイベントもない、言ってみればとても平和で面白みのない人生を過ごしてきたのが私という人間だ。それがまさかこんなことになるだなんて。気の置けない友人たちと一緒に、年甲斐もなく朝まで飲み明かすなんてことをするようになるとは、特に何も入れていないのに謎の悲鳴をくうぅと上げる（今上げた。はずかしい）胃だって思いもしなかったろう。 　最近になってから、というのを人物名を用いて言い換えることも可能といえば可能なのだけれど、それを行った際の副作用を現在の私が受け止めきれるかは甚だ疑問といったところなので、ここは最近、という便利な言葉に逃げさせてもらう。そういえば「この歳になると『最近』の範囲がすっかり広くなっちゃってね」と、瑞樹さんが零していたような気もする。「おかしいのよねぇ。つい最近見たばかりだと思っていた映画やなんかが、ツタヤに行くと色褪せぬ名作！　とかいうコーナーに並べられてるのよ。……おかしいわねぇ」「瑞樹ちゃんそのへんにしといたら」「早苗ちゃんお代わり」「飲み過ぎよくないわよ瑞樹ちゃん」 　常々瑞樹さんからは年下扱いを受けてしまうし、実際落ち着きぶりや思考の成熟ぶりといった点で平素からまだまだ追いつけそうにないと思っている私だけれど、それでもいい加減二十六歳だ。最近、という言葉を便利に使ったっていいと思う。いいはずだ。いいに違いない。――なんて、思考が多少なりとも適当になってしまっているのは、まだ体内にアルコールが残っているからか。そんなものを残している場合ではなさそうなのにな、少なくとも私は。 　と思いながら、左肩に寄りかかってご機嫌そうにうふうふと笑う人を横目に、思う。 「みーゆーさん」 「……なんでしょう」 「道が四本に分かれているときは、なんと呼ぶのでしょう？　四叉路？」 「目の前の道は二本にしか分かれていませんよ、楓さん」 　隣人がこれほど酔っ払っているのに、私がお酒を残しているわけにもいかないでしょう、だって。 　その脇ですっかり潰れていたあげく瑞樹さんからタクシーに積まれていった早苗さん共々、いったい何時まで飲んでいたのだろう。今度こそ絶対に朝まで飲み明かす！　という謎の気合いで以て、ゆうに三ヵ月ほどかけてのスケジュール調整の挙句四人揃って仕事早上がりからのオフ、という奇跡の日程を組み上げたまでは良かったのだろうけれど、きっと身体には何も良くなかった。 　そもそも通常の飲み会でもペースを間違えるとだいぶ早い段階で机につっぷする羽目になる私だとか、お肌の健康を守るためたとえどんな場であっても睡眠時間は確保してみせるという気概を持っている瑞樹さんだとかはまだいい。結局途中で寝てしまったし。しかし飲み明かすといったら飲み明かす！　といって聞かない早苗さんに友紀ちゃん、そして楓さんははたして座敷を追い出される時間であるところの朝方五時まで、いったいどれほどの損害をお店に齎したのだろう。また、どのくらいの後遺症を引きずる羽目になるのだろう。さすがに若いだけあって友紀ちゃんはほとんど疲れも見せずに機嫌よく歩いて帰っていたけれど、早苗さんはあの調子だったし、そして楓さんはこの調子だ。 　まあ、真っ青な顔で座り込んでしまう、なんて事態にはなっていないだけまし、なのだろうか。そうだったらいよいよ私もお手上げだ。それでも油断していたら肩から滑り落ちていきそうな楓さんを支え直して、ちょっとためらったけれど腰をしっかり抱き寄せて身体の安定をはかることにする。そうしないと足取りもおぼつかないのだから仕方ない。ないのだ。ないったらない。――楓さん、腰、ほそいなぁ。 「ふっ、ふふ、……ふふ、あはっ！　くすぐったいですよぉ、美優さん」 「くすぐってるつもりはありませんよ……楓さんが動くからくすぐったいんです」 「でも、じいっとしているよりは動いているほうが、美優さんの手をよく感じられるんですよねぇ」 「……くすぐったがるくせに」 「そうなんですよ。……というわけで、美優さんの手のほうをこう、わしわしーっと動かして頂くというのはどうでしょうか！」 「高らかに提案しないでください」 「えー……っ、んふっ、ふふっ、ひゃぁ、あはははは！　くすぐったいくすぐったい、あはっ、くすぐったいです、美優さん！」 　そして高らかに提案したくせに、私が言う通りにしてみると身をよじってぴょんぴょん跳ね回らんばかりにくすぐったがる、楓さんだ。外はすずめだかカラスだか鳩だかの鳴き声がのどかに聞こえるくらい仄明るく、早朝と生ごみとうすく湿ったコンクリートの匂いがする世界に、楓さんのきゃあきゃあした笑い声が響き渡る。身をよじる彼女のハイヒールが、鳥のフンの白くこびりついたマンホールをこぉんと叩く。奇妙に澄んだ音だった。だから私も少し、笑えた。 　早朝、五時半、路上で楓さんが踊るように身をよじらせる。もう両手をつかってくすぐってしまえ。腰、細い。脇も細い。あばら、ちょっと浮いてる。「ひゃあ、あははは！　あはっ、ち、ちょっと苦しいです美優さん、かんべん、かんべんしてください、あははははっ！」楓さんが踊る、踊る。「はははは！　……はぁ、……はー、美優さんの手、いいですねぇ」 「え？」 「いいです。美優さんの手、とてもいいです。感じていたいですね、ずっと」 　そう言って私の手をきゅっと、五本の指がへたくそに絡み合うまできゅうっと握った楓さんは、ねえ四叉路を越えて越えて、ずうっとあの向こうに見える高いビルまで歩きましょうよ、と、くすくす笑いながら言った。まだ目覚めていない街に薄青い雲を突き抜けそびえる高層ビルは、少しだけ幻想的な建物に見えなくもない。きっと明るい昼間の日差しの中でみれば、ぎらぎら反射して光る窓なんか、ただの都会のそれに見えるだろうけど。どうしようもなく不健康な早朝は、きっとそれだからこそひとの感覚を非日常まで研ぎ澄ますこともあるのだろう。 　私たちのものだ、と、ふと思った。きっと酔っている。朝方まで飲んで、どうしようもなく酔っている。だから全部、私たちのものみたいだ。道路もビルも鳥の鳴き声も、生ごみの匂いもマンホールも全部。 　世界が今、私たちのものみたいだ。 「そうだ、美優さん、そっちに立ってくださいよ」 「……車道なのですが」 「ずっと歩いてたじゃないですか」 　右車線に立った楓さんが、私を左車線までとんと追いやる。とんと追いやられたわりに、向かい合わせで腰を抱かれ、距離はぐっと近くなる。橙色のセンターライン、は、どういう意味だったか。免許を取るときには覚えてたのに。もう忘れてしまった。ただ一つ分かるのは、今の私と楓さんが目も当てられぬ大事故であるということくらいだ。抱き寄せられた腰が熱い。センターラインを踏み越えて、楓さんと唇が触れ合う。大事故だった。 「美優さんは」 「……はい？」 「けっこう、ロマンチストなところがおありですよね」 　それはあなたもでしょう、と、答える代わりに、私も私で早苗さんに内心ごめんなさいをしながら道交法を飛び越えて、楓さんにキスをする。案外嬉しそうな顔が目に入って、まぶたの向こうに消えていく。ほらやっぱり、好きじゃないですか、こういうの。 　ただもう寒いし疲れたしお酒くさいし、早く家に帰ってお風呂で汗を流して、ひと眠りしたら、――このひととセックスがしたい。世界が全部このひとで塗り潰されてしまうくらいの、どろどろしたやつ。 　そんな、ロマンチストとは程遠そうなことを、ふと、思った。 [newpage] Scene：ケーキを食べる 　あたしがガレージに戻ると、地面に置かれた銀皿の上にはケーキが並んでいた。 　ケーキだ。ケーキ。シュガーとクリームとスポンジとフルーツとマロンペーストなんかの匂いがごちゃ混ぜになるくらいぎゅぎゅっと、全部で七つも。苺のショートケーキにモンブラン、真っ赤なチェリーのタルト、てっぺんにブルーベリーがのったマフィン。ミルフィーユにエクレア、そして最後にガレット・デ・ロワ。誰がここに置いていったかはわかっていた。昨日あたりから明確なことである。 　ケーキ。ぴかぴかに磨かれた銀皿に並べられた七つのケーキ。料理写真を撮るにあたってもっとも大切なのは光の当て方なのだだと、これは何の本で読んだのだったか。じゃあこれらのケーキがあまり美味しそうでないのは、あたしのガレージの蛍光灯が半分切れかけているからなのだろうか。覚えてないしどうでもいい。どうでもいいから覚えてない。知識だけがどうしようもない残り滓になって、よそのどこかに降り積もっている。それらは台所あたりによくこびりついている、油っぽい埃ともなんだか似ていた。塩素の匂いがどぎついスクラブシートでごしごしこすったら、ちゃんと剥がれ落ちていたんだろうか。 　そういえば年末も年始も三が日も、なんなら節分もバレンタインデーも雛祭も、ついでに言うとキング牧師のお誕生日もグランドホッグデーも聖パトリックの緑色の祝日も過ぎたあたりになって唐突に大掃除というものの存在を思い出したらしいフレちゃんと、百均で掃除用具を買い漁ったっけ。でもキャーキャー言いながら「窓の桟を磨くためだけのブラシ」だの「精密機械の画面を拭うためだけの布」だの一瞬にして必要から不要が切り替えられそうなアイテムばかりをきゃあきゃあ言いながら買いまくって、洗面台の水回りと鏡をぴかぴかに磨き上げたところであたしたちはすっかり満足してしまって、復活祭前に復活したのはその部分の美しさくらいだった。 　住むなら２ＤＫＫＫＫの部屋がいいなぁと零して紹介業者をぎょっとさせたフレちゃんに爆笑しながら、結局２ＤＫの部屋に越してきたばかりの時は、あちこちもっとこざっぱりとしていたはずだったんだけど。フレちゃんはものを増やすことが好きな子だし、あたしはものを散らすことが好きだった。そんな二人が同じ部屋を共有してしまえばどうなるかは火を見るより明らかだったし実際ことは予測通りの手順を踏んで予測通りに崩壊していったのだけれど、ただあたしたちは崩れたお城も気に入っていた。それも含めて、予測通りだった。あたしが好き勝手散らかす紙束を繋いでこれまた勝手に星座を作るのはフレちゃんのお気に入りだったし、どんなにどんなにカラフルになってさらに新しい色を迎え入れてもなお不思議な調和を保ち続けるフレちゃんの小物棚を観察するのは、あたしにとってシャーレの中で育つ細菌を眺めるよりもよほど楽しいことだった。 　ケーキ。そう、ケーキが並んでいる。ケーキは概ね食べられるために存在しているものだ。ふた月ほど前に見た映画よろしく、フォークもスプーンもチョップスティックも使わずにあたしはとりあえずショートケーキを片手でつかんだ。生クリームは混合物なので融点は存在しない。あたしの指先に触れた部分だけ、脂肪分が解けて白くどろりとまとわりつく。ふと見ると、少し前にサーモンピンクに塗ってもらった爪には――「おいしそうなオシャレ」が、そのときのフレちゃんのブームだったんだ――白い線にも似たひびが入っていた。 　やっぱり映画よろしく、掴んだケーキにもそりと被りつく。あの映画の主人公も、実に美味しくなさそうな顔をしてケーキを食べていた。実際この食べ方はちっとも美味しくない。カフェで食べるケーキの値段が常に高めに設定されているのは、いわゆる空間料金を含むからだ。人間は常に五感をフルで働かせて世界を捉えている。心をロマンチックな非存在として考えるのでなく、オートポイエティックな反応のシステムだと捉えるのなら、ものを最高に美味しく食べるには味覚以外の働きも必要だ。持ち手に花の装飾が入った金メッキの小さなフォークの輝きも、淹れたてのアッサムティーからゆらゆら立ち上る淡い香りも、レコード調にわざと音質をおとしたＢＧＭもものを美味しく食べるには全部必要なことなのだ。 　フレちゃんは、そういうことを知っている女の子だった。そういうことが大切なんだって、丁寧に丁寧に織り上げられた心でよく知っている女の子だった。フレちゃんは映画を観るのが好きで、でもあの時すっかり退屈していたあたしの頭を膝に乗っけてアップルグリーンの瞳をきらきらさせていたフレちゃんが見ていたのは、きっとあのくそつまらなそうにケーキを食べる主人公の顔なんかではなかった。だってフレちゃんの目は、大切なことだけをきちんと見落とさないようにできている。フレちゃんは映画を観るのが好きで、映画を観るのが上手だった。あたしはものの数秒でつまらないと断じたらそれ以上まったく興味がわかなくなるのに、フレちゃんはそうじゃない。たった一点だけでいい。「あのねえ、トルテって名前の犬が出てきたでしょ？　あの子がね、きっと眠たかったんだろうね、カフェのシーンでずうっとあくびをがまんした顔してるの。かわいかったー！」そのたった一点だけをフレちゃんは笑顔の理由にできる。そういう子だった。 　苺のショートケーキにモンブラン、真っ赤なチェリーのタルト。そこまで食べた時点で、胃が甘味を拒絶し始めた。うえっ、という声が自分でも知らないうちに漏れ出てしまう。「うぇっ、……おえ」とうとう我慢できなくなってトイレに駆け込む。ぴっかぴかの洗面台が眩暈に揺れる視界に一瞬だけ映った。次の瞬間にはもう便器だった。それこそ胃がひっくり返りそうなくらい嫌な臭いの物体が喉から勝手に滑り出てくる。やけにカラフルで、花みたいな色合いの、ただの吐瀉物。さっきまですてきだったものがあっというまにこんなふうになる。 　ほんとうはどんな名前だったんだろうって、便器の縁に手を突きながらふと思った。ほんとうはどんな名前だったんだろう。苺のショートケーキ？　モンブラン？　真っ赤なチェリーのタルト？　きっとそんなつまらない名前じゃなかったはずだ。六月土曜の降りやまない雨音をして「お空の泣き言第二十七楽章～へそを曲げた太陽の口説き方について～」とかいうわけのわからない曲を作りだしたフレちゃんだ。きっと、もっとわくわくするような名前をこのケーキひとつひとつにつけていたに違いない。 　ねえフレちゃん、ほんとうは、どんな名前だったの。 　ねえ、――どうして、おしえてくれないの。 「なんでいなくなっちゃったの、フレちゃん」 [newpage] Scene：子守唄をうたう 　このまま時間が止まってしまえばいいなんていうのは陳腐なドラマや小説の一節でよく目にするものだけれど、どちらかというとその時私の頭を過ったのは、このまま時間を止めねばならない、という義務にも似た思いをあらわす一文だった。無理な話であることは変わりないし、前者は夢想しているという点で愚かであり、後者は不可能なことをやろうとしているという点で愚かだった。つまるところ、どっちにしたって愚かであったことには変わりない。それでも、そう考えてしまったという事実だけがいつまでも私の頭にこびりつく。 　だって初めて見たのだ。だから驚いたし、それと同時に、なにがなんでも大事にしなければならない瞬間だとすぐ気づかされた。稀少なものは稀少であるというだけで価値があるし、速水奏さんという方の人柄も考慮に入れればこの瞬間が大事であることはもはや疑いようがない。 　速水奏さんがソファですうすう眠っているというこの状況は、それこそ時間を止めてでも大事にせねばならないものであるということくらい、まったくもって自明の理である。 　そもそも奏さんはめったとこういう隙を見せない。もっといえば、力を抜いてしまうということをあまりしない。ただでさえ連日フレデリカさんだの周子さんだの志希さんだののお世話を焼いて、その合間で本を読んだきりすべてを放棄してしまう文香さんに生活を思い出させ、そのまたさらに合間で真面目だけどぶきっちょらしい美波さんやアナスタシアさんだのの面倒までみているのが奏さんだ。どう考えても「合間」という言葉の遣いかたが間違っていることくらいなら、辞書を引かなくたってわかる。なにかとなにかの間にあるものであるならば、そのまたさらに間、なんて使い方はふつうしないものだ。――と、私がいくら誤用を主張したところで、「でもこれは私が好きでやっているのよ」なんて微笑まれてしまうのが関の山なのだけれど。 　きっとくたびれていたんだと思う。レッスンでなのかイベントの準備でなのか、それとも高校のことでなのかは正直わからない。私と奏さんのあいだには、たとえば二十一センチぶんの差があって、そうなると二十一センチぶん奏さんの視界は私よりも高く、そして二十一センチぶん奏さんの世界は私よりも広い。先日あった体位測定でまたもや背の順が二つ前になってしまった私には見えないけれど、すらっとヒールの高い靴を履くとときどき男性スタッフの方より背の高くなる奏さんには見えているものが、きっと私の思っている以上にたくさんある。楽しいものも痛いものも苦しいものも、それから疲れるものも、たくさん。だから私は、今ここで奏さんがめずらしく眠ってしまっている理由をちっとも知らない、けれど。 　事務所のソファはふかふかだ。調度品にきちんとお金を回せる程度には、美城プロダクションの懐は潤っている。何か必要なものがあったら遠慮なく言いなさいと常務、じゃありませんでした専務は私にお話しして下さったし、そういうところにきちんと財を割くのが案外大切なことなのだとあの人はきっときちんと知っていた。 　もっともこのソファがふかふかなせいで、どうしてだかいつも睡眠の足りていないらしい志希さんがしょっちゅうお昼寝に来るからもしかするとソファがふかふかなのはよくないんだろうかと思いもしたのだけれど、その考えはたった今撤回することにした。ほっそりとした身体をふかふかの背もたれに埋めて、かるく右斜めに身体を倒して、奏さんはすうすう眠っている。奏さんがゆっくり眠れるんだったら、ソファはもっとふかふかでもいい。もっとふんわり、いちごのケーキのスポンジみたいに、奏さんの身体を包んでくれたらしい。でもあんまり柔らかいと腰に悪いのだったでしょうか。奏さんが腰を痛めてしまったらいやだな、と思った。奏さんはいつでも、背筋をぴんと伸ばして腰をきゅっと揺らす、かっこいい歩き方をするひとだ。あれが崩れてしまうのは、とてつもなくよくないことのように思えてならなかった。よくない。ぜったいよくない。 　それに、エコノミークラス症候群というおそろしい病気もあることだし。私が奏さんを起こさないまま奏さんの身体を横たえてあげるという一大プロジェクトを開始したのは、つまりそういった経緯があったからだ。しつれいします、と唇だけでも告げておそるおそる奏さんの傍らに膝をつき、案外ぎょっとするほど細い肩に手を掛けて、ゆっくり、ゆっくり倒していく。ずいぶんゆるいシャツの襟からぽこっときれいに浮いた鎖骨が見えて、なんだかへんに喉がひゅっとして、へんだな、と思った。それにしてもどうして奏さんは、こんなに細いのにいつも衿のゆるいシャツを着るのだろう。タンクトップも重ね着する人だから、見えちゃう、みたいな心配はないのだけれど。そういえば、「首回りがきついと、くすぐったい人なのかもしれませんね」と文香さんは言っていた。 　くすぐったがりかもしれない奏さん。首をさわったら、「ありすちゃん、くすぐったいわ」って笑ってくれるんだろうか。 　――なんてことを考えていたのが、きっとよくなかったんだと思う。集中してゆっくり身体を倒してあげなければいけなかったのに、一瞬でもへんな方向に気を逸らしたのがだめだった。 　結論から言えば、私の打ち立てた例の一大プロジェクトは、一応の成功を納めはしたのだ。 　ただ一点、思うような結果にはならなかった。 「ど、……しよ」 　ただ一点。 　ソファの肘掛けか、傍に置いてあったクッションに着地するはずだった奏さんの頭が、うっかり私の膝に着地してしまったというだけで。 　思わず言葉が漏れてしまったけれど、絶対に起こすわけにはいかないのだったと思いだし、慌てて唇をかむ。けれど、まるで「おてあげ」のポーズみたいに固まっている私の、残念ながら奏さんの頭を受け止めるにはちょっとせまい膝の上で、奏さんは少し居心地が悪そうに眉をひそめてしまっていた。まずい。状況を見る力くらいなら、まだぎりぎり残されている。このままでは一大プロジェクトの成功を喜ぶどころか、最初の目的であるところの「奏さんにちゃんと休んでもらおう」すら破綻してしまいそうだ。なにか対策を打たなければならない。対策を。対策、対策。 「……――わっと・あー・りとるぼーいず・めいど・おふ、めいど・おふ……」 　あなたに、もうすこしだけ、眠っていてもらうには。 　びっくりするほどきれいで長い睫毛を、くしゃっとつぶしたままで、いてもらうには。 「わっと・あー・りとるぼーいず・めいど・おふ……ふろっぐす・えん・すねいるず、えん・ぱぴー・どっぐす・ているず……」 　マザーグースっていうんだよ、と、志希さんはにへらっと笑いながら教えてくれた。 　映画音楽の好きな奏さんがよく洋楽を聴いているのを見て、私も聴いてみたいと思ったのだ。ただ一応勉強は進めているけれど私の英語知識はまだまだで、奏さんが聴いているのだとメロディを追うので精一杯になってしまうのが悔しかった。だからもう少し簡単なところから、ヒアリングの耳を慣らしていこう、と思って。簡単な洋楽について調べていたところで、まさに猫のように神出鬼没な志希さんがふらっと現れ、私の手からタブレットを奪い去り、すいすいと勝手に曲名を入力してしまった。いつから見ていたのか、私が何をしていたのかまですっかりわかっていたらしい。 　その志希さんが教えてくれたのが、「What are little boys made of?」だった。これならありすちゃんでもわかるよ、超有名なマザーグースだもん、と言っていた志希さん。――調べてみたら、マザーグースとは海外でいう子守唄のことだった、意地悪な志希さん。 　でも今はちょっとだけ、感謝してあげなくもない。 「わっと・あー・りとるがーるず・めいど・おふ……しゅがー・えん・すぱいす、えん・おーる・しんぐす・ないす」 　英語の歌が好きな奏さんは、私の歌うマザーグースで、ゆっくりゆっくり、眉のあいだの力を抜いてくれた。 　私の歌う砂糖やスパイス、すてきなことがらで、奏さんがまた夢の世界に落ちてくれる。 「わっと・あー・りとるがーるず・めいど・おふ、めいど・おふ……」 　時間について、止まるか止めるかでいうなら、流れていてもいい、と思う。 　奏さんの夢がやさしく流れてくれるなら、それでもいい。 　ただ、このソファの上以外の時間については、氷砂糖みたいにかちんと固まってしまえばいい。 　すん、とちいさく鼻をうごかした奏さんを見つめながら、私は少しだけ、そう願った。 [newpage] Scene：料理中 「菜々先輩、なんか最近キレーになってね？」 　冷蔵庫に寄りかかってコンビニサイズのモヒート瓶を傾けていた心ちゃんが、なんの前触れもなくそんなことを言った。 　言わせてもらえば、最悪のタイミングだった。なにしろこっちはケチャップの酸味が爽やかに香るほかほかのチキンライスの上へ、ちょっと今までにないくらい上手にできたふわんふわんのオムレツをのっけようとしていたところだったのだ。歳とかはさすがに関係なくもともと非力なので若干辛いながら頑張って片手でフライパンを持ち上げ、菜箸で慎重かつスピーディにオムレツを追いやって――なんて慎重な作業をしていたところに、これである。 「あっ、つ！」じゅっと音のしそうなくらい勢いよく、そして強めに右手の指をあつあつのフライパンへ押しつけてしまった。思わず放り出してしまった菜箸が台所の床に転がり、さらには微妙な状態でフライパンの隅に引っかかっていたオムレツがついに破れてべっちゃりと潰れてしまう。 　ああ、カフェでバイトしてた時にだってここまでのものはできなかったぞって思うくらいいい出来だったのに。ナナもまだまだいけますねってなんとなくこんなところでいい気分になっていたところだったのに。ああ。残念な気持ちでいっぱいになりながらいったんフライパンをコンロに戻し、火を消してから手を水道で冷やす。けっこうしっかり火傷を負ってしまったみたいだ。皮膚はじんわり赤いし、流水が触れるだけでもちょっとひりひりする。やだな、水ぶくれとかになっちゃうかな。綺麗に治すように気を付けなくちゃ。痕になったら大変だもの。 「なに一人でハプニングしてんの、先輩」 「っ、心ちゃんが急に変なこと言うからでしょ！」 　なんて、こっちは案外ピンチなのに心ちゃんがあんまりのんきだから、思わず怒鳴るような調子で言い返してしまった。でも私がそれについてあ、と思うより早く、心ちゃんは一瞬だけちょっと大きく見開いた目をくしゃっといたずらっぽく細めてしまう。瓶の中で爽やかな薄緑に泡立つモヒートをくぴりと傾け、「おーこわ」なんてタンクトップから剥き出しなまあるい肩をすくめて笑う心ちゃん。 　ちょっと、ううん、だいぶなまいきな笑いかた。――でもなんだかかわいく見えちゃうのが、心ちゃんのずるいところ。 「んー」と、なにやら考え込むふうに唸りながら心ちゃんが顔を寄せてくる。思わず後ずさるけど、私と比べるとなんと二十センチも身長のある心ちゃんから、しかも１K家賃格安アパートの狭い台所で逃げ切れるはずもない。上から覆い被さるように覗きこまれちゃったら、もうどんなに顔を逸らしても意味がないわけだ。当然のように追いつめられて、いいように見つめられる。 　きゅっと真摯に細められた瞳が見透かすように覗きこんできて、なんだかぎくりとさせられてしまう。取り繕ってるのかそれともほんとに真剣なのか、実はとっても真面目にアイドルやってて演技の練習だって欠かさない心ちゃんの表情は、意外と真偽が見分け辛い。ていうか近い、あの、近いんですけど。ハーブっぽい匂いがふわふわ香るのは心ちゃんが今も手放していないモヒートの匂いだろう。多分うちに来るときコンビニで買ってきたんだ。ごみを持ち帰れとはさすがに言わないですけども、お酒の瓶なんて捨ててるとこ見つかっちゃったらどうするんですか終わりですよ私、キャラ的に。「終わるほどのキャラもねーだろ☆」って、さすがにお鼻つまんじゃいますよ心ちゃんたら。めっ。 「んんんー……うん、やっぱし」 　とかなんとか、やや逃避気味な思考を展開させてるあいだもずっと私のことを見つめていた心ちゃんが、神妙な顔でうなずく「なん、……え、なん、ですか」 「菜々先輩、キレーになったよ。肌とかなんかツヤ増してんぞ☆」 　それから、にぱっと笑って私の鼻先をつつき、言う。つつくというかそこをつまんでやりたいのは私の方なのに、つんつんしながら心ちゃんは「なんだよ～いいケア用品見つけたんならケチケチしないで教えろよ～」とか続けている。ああ。――ああ、もう。 　例えばこれを言ってくれたのがスタッフさんとかプロデューサーさんとか、はたまた瑞樹さんとか早苗さんとかだったら、多分素直に喜べたのかもなぁなんて思う。「まだまだイケるわね私たち！　限界は突破するものよ、アンチエイジング！」なんて盛り上がる瑞樹さんと一緒にグラスを持ち上げかけ、「ってナナは十七歳ですからまだ飲めませんけどね!?」なんて突っ込むところまでセットで。いやそんな持ちネタになんてしてるつもりはないけど、なんとなくお約束をちゃんと踏みたくなってしまうのは、アイドルの性なんだろうか。芸人アイドルじゃないです、正統派歌って踊れる声優アイドルです。まだ頭には目指せ、がついてますけど。 　でもそれを言ったのが心ちゃんだから、私は、とてもじゃないけど「えへへ、ありがとうございます！　まあ当然ですよね、ナナはまだピッチピチの十七歳ですから！　十七歳っ！」なんて切り返す気にはなれない。心ちゃんが既に私へなんの躊躇いもなくお酒を勧めてくるような人であるから、ではなくて。彼女が私のキャラクターに関しての諸々を知っているからとか、そういう意味ではなくて。 「てかお腹空いてるんだけど。せんぱぁい、火傷ツラいならはぁとが作ってやろっか☆」 「……心ちゃんの料理はちょっと豪快すぎるんですよね」 「おうコラ野菜の切り方でけーのそんなにイヤか？　前に作ってやった肉じゃがそんな気に入らなかったか☆」 「肉じゃがっていう選択は女子力メニュー的な意味では大正解だと思いますけど、あのじゃがいもの切り方はちょっと……ナナ、食べる前に箸で四つくらいに切りましたよ？」 「ええ～、いっしょけんめお口開けて食べてる菜々先輩可愛かったのに☆　ほら、もっと大きく開けるんだゾ☆」 「ナナはそういう方向では売り出さないですっ！」 　そうではなくて。 「先輩はみょ～なところでエロいからなぁ」とか失礼なこと言ってけらけら笑うあなただから、野菜の切り方がちょっと豪快すぎるあなただから、言っても言ってもお酒を買ってうちにひょっこりやってくるあなただから、二十センチ上からかぶさるように見つめてくるあなただから。 　最近台所でお酒を飲むのが好きになったんだって麻理菜さんに零してて、理由を訊ねられたら「ちっこい背中がちょろちょろしてるの見ながら飲む酒は、なーんかウマいんだこれが☆」とか、私の知らないところで答えてたらしい、そんなあなただから。 　私は、あなたの言葉に上手な切り返しなんか、できなくなる。 「ねーねー、なーんでそんなキレーになってんのせんぱーい。おーしーえーろーよー」 「……頑張ってるんですよ、アンチエイジング」 　ええいもう、なんならあなたのオムライスに、ケチャップででかいハートマークでもかいてあげましょうか。あれって案外難しいですけどこっちは年季が入ってますからね、完璧なバランスとサイズ感でかけることうけあいなんですよ。それなら伝わりますか、それならなまいきなあなたも少しは、慌てたりとか、照れくさがったりとか、してくれますか。 　恋をしたら女の子は綺麗になるっていうでしょ、なんて答えたとして、「ぶはっ、少女マンガかよ！　歳考えろよ先輩！」とか下品な吹き出しかたしちゃいそうな、あなたは。 [newpage] Scene：置き手紙 　テーブルの上にちょこんと置かれていたメモ用紙からは、桃の花みたいな匂いがした。 　瑞樹ちゃんは結構小物に気を使うほうだ。そういうところが、なんていうかすごく「女の子」って感じ。――というのを本人の前で口に出すと目をキラキラというかギラギラさせて「ええ！　ミズキ二十八ちゃい、まだまだ女の子です！」とか頑張っちゃうので、あんまり言わない。瑞樹ちゃんはそんなふうに頑張らなくてもまだまだ十分かわいい女の子だし、多分それは年齢がどうとかいう部分じゃないところでひっそりと花開いてるような魅力だから消えることもそうはないし、きっと川島瑞樹のことをかわいいと思っているひとのたいていはそれに気づいているのだけれど、本人であるところの瑞樹ちゃんだけが案外それに気づいていない。頭が悪い方でもないくせに、教えてもなぜか理解しない。だから瑞樹ちゃんをかわいがるときは、しばしば黙ってそうするときが多い。 　今も、目の前にいたならそうしただろう。メモ用紙は四隅に花のプリントがしてあって、どうやらそのあたりに香りが仕込まれているみたいだった。凝った小物だ。ロフトとかに並べてある、値が張ってお洒落ででも意外と使いどころが難しくて、案外買うだけ買ったら満足しちゃそうなやつ。ちなみにあたしの場合だとそのへんにほったらかすに違いないという確信があるので、お金が有限であることを考慮して多分最初から買わない、を選択する。でも瑞樹ちゃんは、そういうものを持ち歩いてきちんと使うべきときにポーチから取り出すことができる。だからやたらめったら鞄が重くて、あたしが戯れに肩を揉んでやるとあーそこそこ、なんておじちゃんみたいな声を出す、瑞樹ちゃん。 　メモ用紙は縁が淡いピンク色に染めてあって、罫線の引かれている中央に向かってグラデーションで白へと変わっていた。おしゃれだった。「だってねえ、かわいかったのよ」なんてほっこり笑うだろうか。これかわいいわねえ、なんてもしあたしが投げかけたとしたらの話。きっとその笑みは本当にきらきらしている乙女みたいだろうから、この場に瑞樹ちゃんがいたとしたら、あたしはなにも言わないだろう。言わずにそれをひっそりと見つめているだろう。 「……かーわいいでやんの」 　でも今彼女はここにいないから、あたしは、遠慮なくそう口にしてやった。 　メモを残していった彼女は今どこにいるかっていうと、――どこにいるんだろう。仕事へ行くには間違いなく早すぎる。別にどっかの元スーパーモデル現ウルトラアイドルじゃないんだから、広大な人脈と情報源を躊躇いなく利用してスケジュールを調べ上げているってわけではない（被害者の美優ちゃんに黙祷）。でもしょっちゅう飲みにも行くし仕事で顔を合わせることも多いしなんて間柄になると、翌日の予定くらいはまあ耳に入ってくるものだ。 　今日の彼女がアイドルミズキに変身するのは、確か十四時に入っているアー写の撮影からだったはずである。今度出すブルーナポレオンの新規ＣＤのジャケットになるやつ。「ユニット全員若いからね……負けてられないのよ……」とか『一週間でできる！　お肌十歳若返り術』なんて銘打たれた雑誌をやや虚ろな目でぺらぺら捲りながら言ってたあれだ。現在時刻はまだ十時前、川島瑞樹が基本現場入りの早い時間にきっちりしたタイプであったとしてもいくらなんだって早すぎる。 　じゃ、どこにいるかっていうと、いやほんと、どこ行ったのかしらねあの子。ここが彼女の家であることも考慮に入れるとまさにこのメモ用紙が置いてある机でのんびり珈琲でも飲んでたっておかしくないのだけど、台所にも居間にもトイレにもついでにあたしがさっきまでいた寝室にも彼女の姿はないし、玄関先からはお気に入りのパンプスが一足無くなっている。確かにこの１ＬＤＫの部屋からは瑞樹ちゃん本人の気配が消え去っていて、だけどきっちり取っ手の位置までそろえて並べられた乾燥棚のカップとか花模様のマグネットで冷蔵庫に止めてあるゴミ出し日の案内とかを見てるとなんだか「瑞樹ちゃん」って感じで、ちょっと不思議な心地になるのだった。ここにはもういないのに、まるですぐそこに隠れているかのような。 　それでいくと彼女の残滓がもっとも色濃く残っているのは、まあ間違いなくこのテーブルに置かれたメモ用紙ってことになるんだろう。それは今あたしが手に取っているけれど、ちなみに置いてあるときはあひるの箸置きが文鎮代わりにちょこんとのせられていた。なかなかに間抜けなツラをしているそのあひるの箸置きは、残念ながらあたしからのプレゼントらしい。贈っておいてらしいとか言っているのは、よく覚えていないからだ。多分酔っ払って頭がぱっぱらぱーになってるときにでも買ったんだろう。それで瑞樹ちゃんちに転がり込むかなにかして、「やっほーおみやげよぉ！」とかいうテンションで渡したものに違いない。酔っ払いってほんと迷惑。おかげでちゃんと瑞樹ちゃんらしくおしゃれでかわいいもので統一された中に、唯一あほヅラのあひるが混ざってしまっている。捨ててもいいのに、いや捨てはしなくたってこんなテーブルにいつも並べておくような使い方しなくていいのに、瑞樹ちゃんてば、ほんと。――そういうとこ、ほんと。 　ひとつ息をついて、いつまででもつまんでばかりいるわけにもいかないので、そこであたしはようやくメモ用紙に目を通した。朝も早くからいなくなってしまったあの子は、あひるに守らせた置手紙に、一体何を書いていったんただろう。いつもよりふた回りほど小さく見える、でも瑞樹ちゃんらしくすっきり整った、はらいの部分がちょっと長くて綺麗な字に目を落とす。ことさら甘ったるかったようでもある桃の花の匂いが、ぷんと鼻先をくすぐる。 　彼女はいったい何を書いて、部屋を出て行ってしまったんだろう。 「……〈困らせたのなら　ごめんなさい〉」 　うそだ、困ったような顔をしたのは間違いなく瑞樹ちゃんのほうだった。 　昨日の夜、お酒が一滴も入っていない、一滴たりとも言い訳のできないあの状況で距離を詰めてしまった、吐息を混ぜてしまった、身体の内側をなぞってしまったあのとき、困ったような光を目の奥でちらちらさせていたのは、ぜったい瑞樹ちゃんのほうだった。 　まあ確かに、「まだ戻れるかもよ」って訊ねたあたしの首に、まるで錠でもかけるみたく両腕巻き付けてきて、「もう戻れないわよ」って、熱っぽく囁いたのは。――「戻れなくて、いいわよ」って掠れた声で続けたのは、瑞樹ちゃんのほう、だったけど。 「〈いやだったのなら　もっとごめんなさい〉。」 　二行。メモ用紙の内容はそれで終わりだった。 　あたしは終わりまできっちり読んで、裏返して他に隠されたメッセージがなにもないことを確認して、――それから、申し訳ないけど桃の花の香りがするおしゃれでかわいくてきっとだいぶ値が張るであろうそれを、くしゃくしゃにしてポケットに突っ込んだ。 　ふっと吐息を飲みこんでから、小柄な癖に足音がどすんどすんいうくらいの大股で歩き玄関を目指す。昨日自分が履いてたヒールだとやりづらいので、勝手にではあるけど瑞樹ちゃんのトレーニング用のシューズを借りる。ちょっとばかりぶかっとしていたので、ここはひと手間かけてでも一旦紐を解きぎりっと強く結び直してから、つま先を数回地面に叩きつける。うん、いい感じ。これなら走れる。大捕物だってどんとこいよ。元警官なめんじゃないわよ。 　とりあえず彼女を見つけたら、手錠代わりにまずこのくしゃくしゃになってしまった置手紙を投げつけるところから始めよう。ごめんなさいなんて死んでも受け取ってあげないわよって、怒鳴りつけてやるところから始めよう。どこにいるのかしらねって、どこだか知らないけど、どこでもかまいやしないわよ。 「ん、……よし、と!!」 　かわいいかわいい指名手配犯さん、捕まる準備はよろしくて？ [newpage] Scene：寝る前 　胸の、心臓のあたりに手を置いて眠ると、悪夢が見られるんだって。 　そういう噂を集めるのが、昔から好きだった。きっかけは、よく覚えてない。小さい頃の記憶は、薄いほうだ。だからいつかなのらか、きっかけがなんだったか、最初がどれだったか、それはわからない。でも好きだな、と思った瞬間なら、いくつか思い出せる。ママはきっと覚えてない。忘れてしまったんだろうし、忘れたかったのかもしれない。ただの憶測、だけど。 　たとえば、絵本をもらったときとか。もうずいぶん、昔の話になる。小学校に上がる前、くらいかな。もらいものだから、って、ママが持って帰ってきた。綺麗な包みに入ってた。覚えてる。水色と、白いチェックの紙包み。私にって、贈ってくれたもの。ママが持って帰ってきた、もらいものの絵本。 　でもママは、誰からもらったのか、思い出せないんだって。今も。 「え、なんだそれ？　親戚とかからもらったんじゃなかったのか？」 「う、ううん。し、仕事先で、会った人から、もらったんだって……途中で、子どもがいる、みたいな、話になって」 「相手の名前、ど忘れしちゃったってこと？」 「そう……そ、それに……周りの人に聞いても、誰も……み、みんな、思い出せなかったんだって。その人の、名前」 「……へ、へえ？」 　その時はまだ、ママは、絵本を喜んでた。素敵なプレゼント、だって。開けてごらんって、言ってくれた。包みを破くと、押し入れの絵だった。男の子が、押し入れを開けて、こっちを覗きこんでる絵。視点が押入れ側だったから、男の子が何を見ているのかは、わからない。わからないように描かれた、絵。男の子の目は、黒いクレヨンでぐりぐり、ぐりぐり、塗り潰されていた。 　最初は、ママと一緒に読んだ。ソファに並んで座って、ママがページをめくりながら、一行ずつ、読み上げてくれた。マンションに住む、男の子のお話。冒険好きで、いたずらっ子で、元気いっぱい。だめって言われているのに、押し入れでかくれんぼして、お母さんに叱られる。小梅とは真逆ね、と、ママは少し笑ってた。 　その男の子は、ある日、また押し入れで遊んで、眠る前、ぴったり閉めずにおいてしまった。男の子が、悪い夢を見たのは、その日の夜。両足が冷たくて、重くて、すごく苦しくなる夢。あんまり苦しくて、男の子は寝ている途中で目を醒ました。その時ひゅう、と、冷たい風が吹いた――隙間の開いていた、押し入れから。男の子は、押し入れに、なにか悪いものがいる、と思った。 　その日の夜は、こわくなって、押し入れをぴしゃりと閉めて、また眠ってしまったけれど。その子は冒険好きで、いたずらっ子で、元気いっぱいだったから、次の日の夜も、その次の次の日の夜も、押し入れを少しだけ開けて、寝た。きっと押し入れから出てきているその「なにか」を、つかまえてしまうために。 　だけど男の子が目を醒ますと、「なにか」はいつも、押し入れの中に隠れてしまう。痺れを切らして、男の子は、押し入れの中を覗きこんだ。そして、 「そして……？」 「えっと……お、おしまい、なの。文がついてない、朝の……か、からっぽのベッドの絵が、あって……それで、おしまい」 　もちろんママは、その絵本を、いたく嫌った。 　なにこれ、って、青い顔をしてた。だけど私は、わくわくした。このお話、好きだって思った。手が届かない本棚の一番上にママがしまいこんでしまったそれを、脚立まで持ってきてこっそり手元に隠して、何度も読み返した。何度も。何度も。――何度も。空っぽのベッド、いなくなった男の子、どこに行ったのかなって、どんな場所につながったのかなって、想像したらわくわくした。もっと詳しく想像するために、いろいろ調べた。いろいろ。こわい絵とか、あのころ、いっぱい漁ってたっけ。 　ここじゃない、どこか。 　どこにもいない、なにか。 　だれもしらない、だれか。 　そういうものに触れることが、昔から好きだった。こわい絵本、ホラー映画、すきまに吹く風、薄汚れた隅っこ。触れていると、落ち着く。あの子とも、出会えた。――出遭えた？　かな。ささやく声、ちりっと揺れる明かり、理由のないフラッシュ、寒気。みんながきらいなものが、私は昔から、好きだった。みんながきらいだから、好きだったのかな。わからない、そうだったのかも、ちがうかも。 　でも昔から、みんなが好きなものは、私、あんまり好きじゃなかったから。ざわざわさわがしいし、ぞくっとしないのに怖いし、へんに生ぬるいし。苦手。出ていきたくない。いや。 　だから、いやなもののないどこかに触れることが好きだったんだ、と思う、たぶん。 「小梅、それ、押し入れ開けて寝たことあるだろ」 「う、……うん」 「やっぱなぁ」 　そうだと思ったよ、って笑った涼さんから、頭、くしゃくしゃ撫でられた。 　ベッドの上、動いたから、スプリングがちょっときしっと鳴った。そこらへん、足元とか、枕元とか、ほったらかしになったブルーレイのケースが、揺れて、かたかたいう。ちょうど、骨人間がたくさん出てくる映画、だったから、骨人間っぽい音だな、と思った。ホラー映画祭り、二人だけ、たくさん見て、次はゾンビのやつ見ようなって、約束してもらった。三本、うーん、はずればっかり。たまにはそういうことも、ある。そういうことがあると、涼さんはいつも、次はゾンビのやつなって、約束してくれる。 　撫でられると、首のとこまでぐらんぐらんしちゃう。涼さんの手は、おっきい。小梅の頭がちっちゃいんだよって、言われたけど、私は、涼さんの手がおっきいんだと思ってる。おっきいから、私の頭、まんべんなく、くしゃくしゃしてもらえる。くしゃくしゃされると、くすぐったくて、気持ちいい。 　気持ちいいのは、涼さんの手のおかげがいい。だから私は、私の頭がちいさいんじゃなくて、涼さんの手がおっきいんだって、思うことにしてる。 「どうだった？　いい悪夢は見れたか？」私の頭、くしゃくしゃしてから、ほっぺたに触って、涼さんが聞いてくれた。ほっぺたの皮膚が、こつん、と叩かれる。涼さんの指先は、ちょっとかたい。ずっとボーカリストで、ギターはかじるだけだった、らしいのに、今は、夏樹さんとよくセッションするそうだ、から。ギター、いっぱい練習するみたいで、涼さんの指先は、前よりもだいぶ、固くなった。「だ、だめ、だった……あ、でも」 「でも？」 「えっと……押し入れに、棲みついた子、できた……あ、新しい、友だち」 「……なるほど、出てきたんじゃなくて入ってきちまったってか」 　だから、ほんのしばらく、涼さんから、触られなくなったことが、ある。 　かたいから、触られるのいやかもって、思われてた、みたい。固くなった皮膚、皮、かりっと引っかかって、びっくりしたとき、ごめんなっていっぱい謝られながら、言われた。 　だから、触ってくださいって、お願い、した。袖、いつも隠してる手、引っ張り出して、涼さんの手、つかんだ。だって、いやじゃなかったから。「あっち」は好き、でも「こっち」はいやなものいっぱい、いっぱい、だったけど。 　――涼さんは、いやだったこと、なかったから。 「それってさ、自分の手じゃなきゃダメなのか？」 「え？」 　突然、ふいっと話が別のとこにいって、ちょっとびっくりする。 　涼さん、ずっと考えててくれてたんだ、って気づいたのは、その直後だ。 「最初のやつ。心臓のとこに手置いて寝ると、っていうの」 「んん……ど、どう、かな」 　自分の手じゃなきゃダメ、とは、どこにも書いてなかった、と思う。ただ、自分の手でやってみました、っていう報告しか、見たこともない。 　すると涼さんは、布団に埋まってた私の手――今は、涼さんに借りたスウェットの、長い袖に隠してもらってる手――を引っ張りだして、自分の胸のとこに、当てた。左胸の下に、心臓の上に、ちゃんと触るように。とくっ、て、涼さんの、身体のなかのふるえが、袖の中で曲げてた人差し指のあたり、つっついて、びっくりする。とくっ、とくっ、と、涼さんの音に、触っていた。 　私がびっくりしてる間に、涼さんが、目を閉じた。 「こうやって眠ったら、アタシ、悪夢を見ちまうのかな」 「そ、そうかも。見ちゃうかも、しれない、よ」 　だから。と、思って、慌てて、手を引っ込めようとした。涼さんは、ホラーも、スプラッタも、映画とかなら、一緒に観てくれるけど。お墓に行ったり、とか、そういうウワサのあるところに行ったり、とかは、ちょっと勘弁、って言ってた。ほんとのホラーは、涼さんもちょっと、苦手。だから。 「そうなんだよ。正直、ガチの悪夢とかはごめんだからさ」 　でも涼さんは、引っ込めようとした私の手、よけい引っ張って、もっとぐって、ぎゅって、胸のとこ、当てた。 「ちゃんと入っといでよ、小梅」 「はい、る」 「そ。アンタが横でうきうきしてなきゃ、アタシ一人でビビる羽目になっちまうよ」 　だからちゃんと、入っておいで。 　私の手、上から、やさしく押さえるようにぎゅっと握って、涼さんが、言う。おっきな手、こつこつかたい指先。どくどく、指先から聞こえる、涼さんの音。とく、とく、聞こえる、ここにある音。 　ここにある、いやじゃないものたち。 　ここにある、私の好きなものたち。 「……あーでも、どんなん見ちまうのかなって思ったらちょっと緊張してきたな……なあ小梅、ちゃんと頑張ってゾンビいっぱい出る夢見ような。元気に走るゾンビが多めのやつ」 「う、うん……頑張って、みる」 　片目を薄く開けて、くすっと笑った涼さんが、目を閉じる。 　私は、布団の中、もそもそ動いて、涼さんの額に、自分の額をくっつけた。夢、頭が見せるものなら、こうしてたほうが、もっと一緒に見られるかな、って。 「ん、……よーし、一緒に見るぞー、小梅」 「お、おー……」 　うん、一緒、いっしょに見たい、けど、ね、涼さん。 　悪夢じゃなくても、いい、よ。 [newpage] Scene：捕まっている 「どうしたらいいのでしょうか」と、背後で文香が呟いた。 　果たしてその台詞は、この場において適切かどうか。最初に私の頭を掠めたのは、概ねそういった問いであった。問題というのはアプローチの角度によっていくらでも姿を変えてしまう。それは世界というものが三次元に存在している以上どうやっても逃れられないことだ。円錐形を見て二等辺三角形だと思う人もいれば円形だと思う人もいるし、この世の中には全く違う形を見出す誰かもいるのだろう。悲劇なのだろうか。幸福を知らない人間は自らのことを不幸だとは思わない。全く同一の景色を共有し合ったことのない私たちは、それを悲しいことだとも寂しいことだとも思えないのだろう。因みに私は、「それが悲劇と気付けないことこそまさに悲劇なのである」という落としどころはあまり好まない。好みに合わないのだ。物語への没入を求めているから、たとえ匂わせる程度であっても神の視点、或いは観衆の視点など組み込まないで欲しい。――なんの好みって、つまり、映画の話なのだけれど。 　いや、映画の話ではなかった。問いを立てたのだった。つまり、つまりそう、今、私の首の後ろ、ちょうど大きな骨が一つ浮いているであろうあたりに額や鼻先を押しつけて、なんだか困り果てたようにふすり、と息をついている彼女の言葉について。私の腰骨に引っかかるか引っかからないかのところにおずおずと、だけどどうやら離してもらえないらしいという稀薄なのだか強固なのだかもやや判然としない意思を持った腕を回している彼女の吐いた言葉について、私は問いを立てたのだった。そう。そうだったっけ。 「どう、したら、いいのでしょうか」 　奏さん、と、彼女がもう一度、訊ねる。 　たたた、たたっ、たた、というなんだか二度ほど突っかかったような足音が近づいてくるのを耳にしたのは、レッスンを終えたあと、ルームの傍にある自動販売機の前で何を飲もうか考えていた時のことだった。振り返ることこそしなかったものの、まだ人がいたのね、と微かに驚いたことなら覚えている。もうずいぶん遅い時間だったから。私が受けたダンスレッスンはそれこそ成人済みのお姉様がたのために用意されていると言っても過言ではない最後のコマにあたるもので、その時間にしか駆けつけられないくらい今日は仕事でスケジュールが埋まっていたことと、でも今日のうちに絶対に確認しておかなければならない振りつけがあったことの二つが重ならなければ、私だって流石にこの時間は女子寮でお風呂にでも入っているような時間だ。 　なお本日のスケジューリングに関しては、専務の方から担当者に雷が落とされる予定が既に立っている。忙しいことは嫌いではないし、有り難いことに「アイドル」速水奏としての活動を求めてくれる人も最近は増えてきた。だから、仕事が重なったことも急に変わった振りが今日以外確認できる時間がないことも私にとってはむしろ喜ばしいことだったのかもしれないけれど、専務にとってはそうでなかったようだ。時間を問わず大変に忙しい人であることは変わりないのに、本日最後の仕事であったフライヤー用写真の撮影現場まで来て迫力のある表情を振り撒いていたときには驚いた。「意外と過保護だよねえ」なんてことを周子たちがくすくす言えるようになったのは、彼女に忙しくしてもらえたからであるともいえるのだけれど。触れられない部分に触れてしまうくらいには、私たちの生活は変わっていた。 　ともあれそんな、専務も雷を落とす時間であったから、私は青白く光る自動販売機から目を離しはしなかったものの、誰かしらね、とぼんやり考えてはいたのだ。何を買うか悩んでいたのは、小腹が空いていたから。時間が時間であるし、恥ずかしい話をしてしまえば未だ成長期を抜け出しきっていなかったので、ちょっと胃の中が心許なかった。だからすこし甘味のあるものを買うか、それともこの時間に糖分を摂ってしまう危険性を考えて我慢するべきか、ほんの少しばかり悩んでいたのだった。 　それで、――そんな心許ない空虚さを抱えるお腹目がけてぽすっと腕が伸びていたのが、直後のことである。 「っ、え？」 　悲鳴らしいものを上げずにいられたのは、多分に慣れていたからだろう。フレちゃんに周子に志希にと、悪戯を仕掛けるタイミングを虎視眈々と狙っているタイプの子が私の周りには割合沢山る。だからこんなところで叫んでうっかり警備員さんを駆けつけさせてしまう羽目になった、なんてことは、まあ、なかったのだけれど。 「え、っと……あれ？　文香？」 　それとは別種の驚きに混乱しかけたのは、言うまでもない。 　背後にいる人物が鷺沢文香その人であると断じられた理由は整然としていた。後ろから抱きすくめられている、という姿勢であったにせよ、懸命に首を回せば頭部くらいは見える。なんの手も加わっていなさそうな、けれどだからこそ澄み渡った美しさをさらさらと放つ黒髪は間違いなく彼女のものであったし、ヘアバンドや髪形にもちゃんと見覚えがあった。それにお腹の前で組もうかどうしようか悩んでいるかのような格好であわあわしている手には彼女お気に入りのストールが引っかかっていたし、あとは志希ではないけれどふわっと香った落ち着いた匂いも、文香の纏うそれだった。 　そう、だから、今背後にいるのは鷺沢文香だ、と、どこかではきちんと、理解していたのだけれど。 「……どうしたの？」 　ものごとはいつも無数の面を持って襲いかかってくる。――『背後にいるのは鷺沢文香だ』。『背後の人物は現在私に抱きついて来ている』。『お腹に腕が回っている』。『とうとう腰のあたりで、手が握り合わされた』。『温度が肩甲骨のあたりを包んできた。多分、身を寄せられている』。――『しかし背後にいるのは、鷺沢文香だ』。 　なんだかあまりにも繋がらない事柄が、それこそ四次元立方体か何か――目ではとらえきれない何かみたいに目の前に差し出されて、正直大混乱なのだ、けれど。 「どう、……どうしたら、いいのでしょうか」 　そんな私に対して、文香は答えた。いや、答えたというよりも、問うた。かくして話は、元のところに戻ってくる。 　彼女のその問いは、適切か。どうしたらいいかと、彼女は訊ねた。二度も。或る面で見れば、それはまったくナンセンスな問いであるといえる。なにしろこの行為を仕掛けてきたのは彼女であるから、どうしたらよいかという問いに対する答えなど、未だ彼女の中にしかないであろう。しかしまた別の面で見れば、確かにそう訊ねるほかないであろうという気もする。なにしろ私は現在文香に捕まっていて、身動き一つとれない状態だ。（振り解くという選択肢はこの場合除外する。）だから何か行動を起こすならもうあとは文香しかいない、ということになるのだけれど。けれど、――ああ。 　ごめんなさい、そろそろ勘弁して、文香。 　私、あのね、――ちょっと、あまりに急なことで、卒倒しそうなのだけれど。 「……文香。何かあったの？」 　びくっと震えたのも構わずお腹の前でこわごわ組まれていた手に指を這わせたのは、正直促すというよりも急かす意味の方が強かった。彼女にとって前者の意味で伝わってくれることを祈るばかりだ。突っ立っていたのが自ら明かりを放っている自動販売機で良かったと思う。鏡代わりになってしまう夜の硝子面なんかでなくて、本当に。今自分がどんな顔をしてしまっているかだなんて考えたくもないし、このまま彼女が何も話さずに先ほどから無駄な暴走回転を繰り返していた私の頭がオーバーヒートしてしまう瞬間など、さらに考えたくもない。 「文香、ねえ」文香。だから文香、せめて話すか、それとも離すかしてくれると、嬉しいのだけれど。ねえ、私がそういうふうにばかり意地を張るからあなたは気がついていないのだろうし、きっと恥ずかしくて死んでしまうだろうから気づかないままでいてほしいとも切に願っているけれど、ただこういうときばかりは、どうしてこんなにも弱くてみっともない私のことをあなたはちいとも知らないでいてしまうのだと、無責任にも悲鳴を上げそうになる。 「ＣＤショップに、足を運びました」 「え？」 「ありすちゃんに、連れて行ってもらいました。ああいった賑やかな場所には、あまり、馴染がなかったので。案内を、して頂いて」 　しかし。 　問いに答えが与えられる、ということが必ずしも平らかであるかというと、それもまた事実ではない。 「広告を見ました。いえ、見に、行きました。すみません、飾られる予定を、耳に挟んだので。見に、行きました、……貴方を」 　もっと素直に言ってしまえば。もっと私らしく、弱くてみっともない言いかたを、してしまえば。 　答えてもらえたからといって混乱が落ち着くなど、まったく限らなかったのである。 「店内に入ってすぐの、目に、……目につく、大きな柱が、塗り替わっていて……奏さんの写真が、その、大きく出ていて」 「……うん」 「皆さん、見ていました。見に来られた方も、多かったと、思います。指さしたり、写真を撮ったり、賑やかで……とても、賑やかで、ありすちゃんもその様子に喜んでいて、奏さんはすごいですね、と」 「うん」 「私も、すごいなと感心して、……か、かんしん、して、いたのですけれど、いたと、思うのですけれど、あの」 「ん、」 「急に、奏さんに会いたくなって」 　混乱は加速する。 　饒舌な方ではなかったはずの彼女が、ぶつ切りだけれど止め処なく溢れさせていくその言葉で、いちいち驚くべき烈しさのエンジン点火を繰り返していく。加速する。加速する。熱が上がる。足並みを揃えるように、鼓動も、加速する。「急に、こんな、……あの、かなで、さん」 「……なあに、文香」 「どうしたら、いいのでしょうか、私は」 　加速して加速して、混乱して混乱して、――とうとう、ぎりぎりのところで保っていたそれがぷつん、と切れてしまうと。 「そうね。……どうしたらいいかは、正直私にもわからないわ」 　多分後に残るのは、小難しい問いも必死な見栄も何もかも取り払われてしまった、できれば隠しておきたかった、できれば見ないでおきたかった、だいぶ見苦しくて扱いに困るものが、ころんとひとつだけ。 「ただ、どうしてほしいかはわかるのよね、この上なく」 「……奏、さん？」 「放して、文香」 「あ……っ、す、すみませ」 「放して、今すぐあなたの顔を見させて」 　あなたが好きで、好きで、ただたまらない気持ち、ひとつだけ。 「お願い、文香。今、とにかく今、あなたにキスがしたくてしたくて倒れそうなのよ、私」

リク募集したワンシーンSSのまとめです。　1p:かこほた　2p:かえみゆ　3p:しきフレ　4p:かなあり　5p:シュガミン　6p:さなみず　7p:りょううめ　8p:かなふみ

どっちも正解にしてあげるよ

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6452852#1

この本丸の離れは普通の本丸と違う、と教えられたのは、政府の担当者が変わって少し経ってからのことだった。 見た目は普通の本丸で、瓦の屋根と漆喰の壁でできている。ところどころに松や竹、けやきなどが育ち、春には庭に広がる桜が花をつける。石畳と簾、縁側に障子、襖、穏やかな陽の差す部屋は木でできているし、床の間にはいつも花が添えられる。 言われてみれば、と思うのだ。確かに、この離れだけ本丸の外装に似合わない。大正、あるいはその先の明治、着物を着る人間が少なくなり、洋装のタイやシャツが見られるようになった、あの時代の空気によく似ている。自分の纏う戦装束があまりにも現代じみていたせいか、山姥切は言われるまでその違和感に気がつかなかった。 縦に長いその建物は、天井に豪奢なシャンデリアをぶらさげており、その一つ一つが水晶でできている。中に翡翠を閉じ込めた水晶なので、光りを灯せば緑色に淡く輝く。円柱構造の内部、ぐるぐると螺旋階段が這い、その螺旋階段にそって等幅に開き窓がついている。白いカーテンがとりつけられた窓を開け放てば、よく風の吹く本丸だから、中から天井に向かって勢いよく風が吹き抜ける。ぶわりと舞うカーテンは白い蝶のようにまとまって翻り、真下から見ると何か見知らぬ神霊の手のようだった。 白い壁、柱の木材は亜麻色で、飾り気がほとんどない。ここだけ洋風の一間にした主の意図は、あまりよくわかっていないが、おそらく彼のことだからなんとなくこうしただけなのだろう。 この離れの建物の真ん中に、相棒がいる。一日に一度は中に入り、その相棒に触れている。 聞けば、自分と同じ分霊が、こうして誰ともわからないものを相棒にするのは、例があまりないらしい。よほど審神者の心に残ったのだろう、と言ったのは、この部屋を見て言葉を失っていた、かの政府担当者の近侍だった。ツクモガミである俺たちが、他の何か道具を使って、己の神気を放出するケースは初めて見た、と。 山姥切は、この本丸にて初期刀、そして、主にとっての守り刀であれ、との令を受けている。 常ならばかぶっていたであろう布を頭から落とすのも、こうして神気を放出し、本丸中に己の神気を行き渡らせるのも、この令のためだった。主は風を纏う狼だ。人の姿ではあるが、魂の形がそこから少しだけずれている。翡翠という鉱石との相性がよかったため、これを媒体に霊力を操る主は、山姥切の眼を見てすぐに守り刀として己のそばにいるように、と主命を言い渡した。以来、眼の色が主の力となるのであれば、と、頭から布をかぶるのは、ごくごく自然にやめている。 守り刀としてそばにあれ、と言われた時点で、凄まじい他己肯定が成り立ってしまったのだ。写しだなんだとひねくれている場合ではない。まだそれに引きずられることはあるのだけれど、役割があるということはいいことだ、と山姥切は思う。 主は風を纏う狼だ。その声は嵐となり、その歌は突風となる。口ずさむ祝詞は涼風に、所作で動く空気は癒しになる。そういう主の守り刀になったから、山姥切は風を纏う。歌うことを知らない身体に、どうして音の知識があったのかは知らないが、山姥切はピアノを弾く。 離れの真ん中にあるのは、山姥切の相棒であるピアノだ。調律も自分で行う。毎日音を鳴らして、丁寧に埃を払い、朝にくればおはよう、去る時には明日な、挨拶もかかさない。時には語らぬと知っていながら、日常の話をほつほつと呟くこともある。時々花を持っていって、近くにおいて、奏でることもある。花を近くに置くと良い声で啼くのだ。 今日も今日とて早朝から、おはよう、と誰もいない部屋に向かって声をあげる。窓から差し込む朝日は少し冷たく、シャンデリアにあたって、床にちらちらと翡翠色をこぼした。少しひんやりとした空気、喉に染みるような風は至極美味だ。 「冷えるな……外は雪だぞ」 ひぃん、と、何か硬いものを張りつめたような、冷たいピアノに手をかける。ひらけば、濃い赤のびろうどが横に広がっていて、端をつまんでするするとたためば、真っ白な鍵盤、艶やかな黒の鍵盤、いつもと変わらずに鎮座する美しい楽器。 そろり、と指先で撫でれば、硬質、けれどあまやかに、つるりと気持ちがいい。 「お前の白は雪の白とは違って、丸いな」 さあ、今日もよろしくな。少しだけ微笑んで、椅子に腰掛けた。何を弾こうか。ショパン。ドビュッシー。バッハ。楽譜はあるけれどあまり見ない。このあいだ担当の役人が持ち込んでくれた楽譜を広げてみようか。 はらり、と、近くに置いてあったファイルを手にとる。はらはらとめくっていく手元に、清々しい朝の日差し。金色に反射して、少し眩しかった。影になるように身体を移動させた瞬間に、ちらり、と見えた、赤。 「…………？」 ふと、顔をあげる。 きれいなきれいな翡翠色と眼があった。 ふうわりと肩を泳ぐ金色の髪、きらきらと朝日に流れる髪先は二の腕まで覆い、ふっくらとしたシルエットは甘い砂糖菓子を思い起こさせた。きちんとそろえられた赤い小さな靴にはリボン。白い服に、翡翠色の大きなリボンが胸元とスカートの裾に。 にっこり微笑んだ少女は、そのままこくりとかわいらしく首をかしげる。 「…………」 黙ってしまった。 本丸には当然見かけない。刀、ではないのだろう。あれは男のその象徴のようなものだ。鞘、だろうか。こんな色合いの鞘は見たことがない。苺色のくちびるに、ましゅまろのような頬。長いまつげまできれいに金色だ。 「……ぴあの、か？」 呆然としたまま呟けば、ぱっと眼を見開いて、うんうん、と、何度も嬉しそうに頷く。きゅうと胸元で組んだ指、やんわりと染まった頬、声もなく何度も頷いて、ねえ、と指差す鍵盤。弾いて、とねだる眼差しは、喜びに色づいている。 宿ったのだ。 途方に暮れていた心に、じわり、とにじむ、何か。 宿ったのだ。 「降りたのか」 うん、と大きく一つ頷く仕草に、ぶわり、と、込みあげたものがある。 ものにいのちが宿るというのは、こんなにも優しい喜びになるのか。 「……そうか」 ふわり、と、自然に笑みが浮いた。手を伸ばして小さな頭を撫でてやると、ねこのように眼を細めて気持ち良さそうにされるがままだ。何がいい？　静かに尋ねると、くるくると首をかしげかしげ、持っていたファイルを覗き込む。 まるで自分の色をそのまま吸ったような少女を、ただただ愛おしいと思った。 [newpage] 山姥切の布が、たまに、風も吹いていないのに引き攣れている時がある。 どうしてだろう、と、首を傾げていたのだが、刀剣たちが代わる代わる山姥切に声をかけ、去り際に小さく手をふっていくのを見て、ようやっと気がついた。そこに誰かいるのだ。 さっきも光忠が丁寧にしゃがみこんで、にっこり笑っていた。何をしているのだろうと思ってじっと見ていれば、そのまま手を伸ばしてことさらやわらかく空間を撫でるような仕草をする。ふわりと山姥切の引き攣れがなくなって、代わりに光忠の襟元がきゅっと小さくよれた。やっぱりそこに誰かいるのだ。 「切国」 「……ああ、主」 「誰がいるんだ？」 「見えないのか？」 はつり、と驚いたように一つ瞬くと、そっとしゃがみ込んで、何かを抱きかかえるような仕草をする。そのままこちらに向かって歩を進めると、ここに、と、山姥切は何でもないことのように言った。 「いるんだが」 「……あやかしの類いか。まぎれこんだのか…………？」 稀に、現世に置ける妖怪や、出陣した際にゲートに迷いこんでしまうあやかしがいる。そういった「異物」を妨げるために、自分は守り刀として山姥切を任命したのだが、いったいどういうことなのだろう。 毎日欠かさず本丸に結界を展開する彼の、その強固な結界が容易くかいくぐれるのは、相当強い物の怪だけだ。 「そうじゃない」 「じゃあなんだ」 「降りたんだ」 きゅ、と、首元の布がよれる。そっと白い指で何かをすくうような仕草をすると、そうか、見えないか、と、少し残念そうに山姥切は笑った。 「ぴあのだ」 「…………ぴあの」 「離れの、グランドピアノだ。毎日弾いていたら、降りたらしい」 一ヶ月ほど前からここにいる。最近ようやく外を歩けるようになった。簡単に言葉を選ぶと、山姥切は抱えていた誰かをそっと降ろした。見えない指が絡むように、手が握りしめられる。 本当にいるのか、と、瞬いた。 「…………百年生きて、ようやく宿るもの、と思っていたんだが、ここではその限りではないらしい」 「ピアノの、ツクモガミ、ということか」 「ああ」 「お前が、降ろしたのか？」 「そうなんだと思う」 刀剣男士の誰もが彼女を見れること、ものを食べることはできないが、霊力の混じった花や空気、道具を好むこと、言葉はなく、ピアノを奏でるとその音で歌うことなどをかいつまんで説明する。 「…………驚いた。そんな例があったとは」 「……確かに、あのピアノは大切にしてきた。守り刀として令を受け、その在り方を補佐してくれる大事な相棒だったからな」 なあ、と隣に向かって柔らかく笑む表情は、常からは見られない。 「道具を大切に使うと、本当に降りるのだということが、自分で実践してわかった」 「…………」 「かわいくてな」 はにかむようにそう言うと、山姥切はそろりと空間を撫でる。 さらり、と何か、崩れるようによい音がした。髪を撫でて、質の良いそれがほろりと崩れる音だ。 「もう少し時間が経って、ピアノを弾いている時間が長引けば、主にも見えるかもしれないな」 「……そうか」 「身体は、俺の神気では編んでやれないから。……食べたり、話したり、そういうことはできないかもしれないけれど」 ぴあのはここにいるぞ。 やんわりと言う山姥切の声は、やっぱり優しい。 「…………主も、俺たちを降ろしたとき、こんな感じだったのか」 おそらく、自分は無意識に黙って頷いた。 ふうわりと、いつもの卑屈さや無頓着さなど全く感じられないような笑みを浮かべて、山姥切は一つ頷く。 「刀が降りるたび、あんたがあれほど柔らかく眼を細める理由が、この子のおかげでわかった気がする」 「…………そうか」 「この子は、これからも、何もかもが終わるまで、ここにいる。あんたの刀ではないけれど、俺の音だから、あんたの音だ」 「……そうか」 「いずれ、抱いてやってほしい」 「ああ」 しゃがみ込んで、何もいない空間に向かって、慣れない柔らかさを心がけて、笑ってみせた。きゅう、と、山姥切の指が動いて、彼女が彼の指を握ったのだとわかる。脅えられたのだろうか。表情が見えないと、どうにもやりにくい。 「よろしくな、ぴあの」 ほろん、と、甘い高い、苺のようなかわいらしさで、ピアノの音が聞こえた気がした。

おにいちゃんやってるまんばちゃんさいこうじゃね？<br /><br />翡翠の声【<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5408548">novel/5408548</a></strong>】ここの審神者と初期刀山姥切国広のお話。<br /><br />※今回審神者は狼系コワモテ審神者ハルヤくん。

ピアノ

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すまない 幸せをなれ、サスケ君はうつむいて一言そういって去っていった。贖罪の旅を終え、次なる旅についていきたい、サスケ君のそばにいたいと言った自分の言葉に対する拒絶だった。 思わずその場に立ち尽くし、気が付いたら明るかった空が真っ黒に染まり、月だけがかがやいていた。ゆっくりとした歩みで自宅へと向かう。 自分の生涯をかけた恋が終わった。なぜか涙はでなかった。もともと一方的すぎる思いだったこともあり、勝ち目のない賭けのようなものだと知っていたからか、それともあきらめきれない思いがまだ泣くことを許してくれないからか。 贖罪の旅を終えた彼にサクラは自分のアパートの一室を提供した。最初はどこかぎこちなく過ごしていた彼も、だんだんと自分に対し打ち解けてくれていた。 彼と生活をこなす日々は、サクラにとって幸せに満ちていた。腕によりをかけて作った手料理をうまいと一言ほめてくれたこと、彼の洋服を洗濯したこと、並んで座っているときに優しく、ついばむようなキスをしてくれたこと・・・そのあと、たった一度だけだが一夜をともにしたこともあった。 あれだけ魅力的なサスケのことだ、自分のような関係の女性が複数いてもおかしくはない。現に行為の際、サスケは一度もサクラに好意を伝えてはくれなかった。自分はサスケにとってかけがえのない女性になれたのかもしれないと、うぬぼれていた自分を思い出しただけで嫌気がさす。 「これから、どうしようかなぁ」 新しく恋を始めるにしても、いまいちピンと来る人はいないし、そもそもサクラの一生分の恋をサスケは一人で持って行ってしまったのだ。 「もう、いいかなぁ」 彼以外を望めないであろう自分は、愛以外に生きるしかないのだ。サスケの戯れで過ごした日々だけを胸にだいて。 自宅につくと、サスケの姿どころか、彼のいた形跡すら全く残ってはいなかった。 なにげなく自身の書斎の資料に目をやる。今季は子供診療室の資金も増やしてもらえるようになった。また、新薬の開発も有効な成分が里の外にさく薬草から見つかり、すこぶる順調だ。 自分の中で浮かぶサスケの顔を消し、その夜はひたすら書類に向き合った。 次の朝も普段と同じようにに病院へと向かった。いつも通り今日の手術予定を確認し、子供診療室へと向かう。途中、目の下のクマについてイノにとがめられるが深追いはされなかった。 難なく仕事を終え、自分の席で昼食をとる。 何気なく外に目をやれば今一番目にしたくない人物がいた。病院の入り口でかわいらしい女の子に囲まれ、黄色い声をあげられていた。 今サスケは里内で様々な評価を受けている。罪人ととがめる人もいれば、ナルトとともに世界を救った英雄と褒めたたえる人も多い。後者は主に若い世代だ。うちはという悲劇の物語と、整った外見、ナルトに並ぶ強さからか彼はまた里内での女性人気ナンバー１に返り咲いてしまっていた。遠目で見ても彼はやはりほかの男とは一区をなす美青年だ。 女性だけでなく、彼の忍術をみて弟子になりたいと慕う子供も多くいる。任務途中でサスケに助けられ、その姿にあこがれを抱く若者も多くいる。 窓の外で、ナルトがサスケぇと叫びながらどこからともなく現れた。サスケにむらがる女子をかき分けサスケの腕をつかみ、一緒に昼にラーメン食う約束だったよなぁとわざとらしく声をあららげ、サスケを引っ張ってどこかへ行ってしまった。ナルトに引っ張られる彼はどこか安心した顔をしていた。 今、彼は一人ではない。彼を必要としている人、彼をまっすぐに見てくれるひとは多くいるのだ。自分はそのうちの一人だったにすぎないのだ。 「サクラ先生！！」 後ろからいきなり同僚にこえをかけられ現実に帰った。 「どっどうしたの？？」 「明日は薬草の採取をしに里外へ遠征する日ですよ。その予定表が昨日までだったんですけど」 「あっすっかりわすれてた・・・」 むっとしかめっ面の同僚に慌てて書類作成に取り掛かる。 「そんなに遠い場所でもないですし、日帰りでかえってこれると思うんで、サスケさんを見つめるのは後にしてくださいね！」 とくぎをさされてしまった。彼との恋は終わったと宣言できない自分に腹がたった。 [newpage] ＊＊＊＊＊＊ 「はぁ・・・」 サクラは大きくため息をついた。単純に薬草を摘みに里外に出ている際、雨にふられてしまったのだ。 急いで見つけた洞穴でとりあえずの待機だよていが大きく狂う。今日中には帰れるはずが、明日になるという旨の連絡を里へととばす。 月が顔を出しても一向にやみそうにない雨を見て、ほらあなで野宿の準備をするように小隊に指示を出す。 すると班員の一人が、洞窟の奥に小さな祠を見つけたという報告をしてきた。おそらく道行く旅人の安全を願うためにたてられたものだろう。気に留める必要もないことだが、雨に触れれ暇を持て余していることだしすこしおがんでいこうかな、なんて思いながら祠の前に座り手を合わせる。 両親やナルトが無茶ばかりしませんように、カカシ先生の仕事が少しでも減りますように 身近な人のことを思いつつ、サスケにたいして何を祈ればいいのか戸惑う。 今までならば、振り向いてもらえますように、彼の笑顔が少しでも見られますようにとでも懇願しているところだ。その望みはすべて消えた今となっては、自分がサスケを思って祈るのはずうずうしくかんじられた。彼の旅道が平穏であるように、とそれくらならよいかと思いふたたび心で念じる。 祈りに夢中になって、自分の周囲に対して警戒を怠ってしまっていた。 サクラの足元に黒い影が伸びて小さめな印が結ばれていく。薄暗い洞窟の中でその些細な変化に気が付けるものはなかった。 サクラ先生、準備完了しました、と班員がサクラにこえをかけるため振り返った瞬間、サクラの姿はそこにはなかった。 [newpage] ＊＊＊＊＊ 「残念だったな」 と控えめな音量でサスケのコーチ、はたけカカシは言った。 木の葉大学陸上競技部きってのエース、うちはサスケは大学生活最後の大会である春季大会を目の前に控えた二月、左足を全治六か月の剥離骨折した。 理由は単純、7歳ほどの小さな女の子が車にひかれそうになったところを、持ち前の俊足を生かしぎりぎり滑り込みで助けたところ、受け身の取り方を失敗し足を思い切りぶつけ、本来曲がるはずのない方向にまがってしまったのだ。 ナルトのやつ、ほんとに悔しがってるってさ、と自分の陸上のライバルといえる親友の名前が挙がる。先ほどからLINEの着信音が止まらないのは、ナルトからのからの苦情だろう。 大事な時期だということはわかっていたつもりだが、つい体がうごいてしまった、少女の姿がどうしても亡くなった幼馴染、サクラに重なってしまったのだ。 シュツエーションが似すぎていたのもいけない。春を目の前に控えた肌寒い時期に信号無視の車が突っ込んできたのだ。 当時小学生だった自分には何もできず、ただ小さなサクラの体が空をまい、吹っ飛んでいくのをみるだけだった。その時の無力さを今でもかみしめることがある。 だからか、少女をを助けるため、気が付いたら無我夢中で走っていた。あの時助けられなかったサクラを救える気がしたのだ。しかし現実に彼女はもう死んでいて、少女は助かり、自分は骨折という結果だけが残った。 カカシについて退院手続きをおこない、スマホを取り出す。サスケには両親がいないため唯一の肉親ともいえる兄、イタチに連絡を入れなければならない。 「兄さん、なんていうかな」 イタチはサスケが走ることを心から応援していた兄が悲しむ顔を思い浮かべると心が痛んだ。イタチも元々は陸上をしていて、サスケは兄が走る姿にあこがれて陸上をはじめたのだ。 しかし日本でも有数の大グループ、うちはグループをまとめていた両親が亡くなったことを皮切りに、イタチは陸上をさっぱりやめて、仕事人間になってしまった。今では世界をまたにかけ、忙しく飛び回っている。 イタチばかりに会社のことを任せるわけにはいかないので、自分も部活を辞め、家業を少しでも手伝いたいという旨を伝えると、イタチは静かに首を横にふったのだった。 いわく、サスケが走っている姿を見ると、自分も走っているような気がするんと。だから大学生活中は、じぶんのために思いっきり走ってほしいと。多忙過ぎる生活で、家にかえることすらままならないのに、次の大会は必ず見に来ると、約束までしてくれた。 「うだうだ考えてもしょうがない」 自分自身に言い聞かせるも、骨折を兄に伝える勇気がなく、スマホをポケットに突っ込み、誰もいない自宅への帰路である、川辺を一人とぼとぼ歩く。 川辺の原っぱで遊ぶ子供たちがだんだんとちりじりになっていく。幼いころサクラとよくここで日が暮れるまであそんだな、なんて昔の記憶を掘り出しながら、ふっと川辺に目をやった。 「・・・・・サクラ・・・？」 そこには昔のサクラを大人にしたような、桜色の髪の少女がたっていた。 [newpage] ***** サクラは祠への祈りを終え、瞼をあげると、そこには全く見覚えのない風景がひろがっていた。変に高さのあるたてもの、ブンブン音を立てながら動く鉄の塊、やけに固い灰色の地面がサクラの視界にはいってきた。 一瞬敵襲による幻術かと思ったが、いくら幻術を解いても目の前の風景が変わらないことを確認し、途方にくれる。 「ここ、どこなのぉ」 半ば涙目になりながら、自分のまわりを適当にあるいてみるも、この土地には全くこころあたりがない。ベンチで休憩するおばあさんにここはどこですか、と尋ねると「東京」とぶっきらぼうに聞いたこともないような土地の名前をあげられてしまった。また、買い物帰り風の奥さんに、木の葉の里について尋ねると、しかめっ面をされてそんな里きいたこともないいわれてしまった 「もしかして、時空間忍術の類かしら・・・」 ふらふらと小一時間ほど歩き、サクラはもう一つの可能性にたどり着く。この土地は明らかにサクラの知る世界のものではない。 原因は間違いなくあの祠だ。もし祠に術が仕掛けてあり、異次元にとばされてしまったと考えると、すべてがうまくいく。 その考えが正しいのなら、いまのサクラにはどうすることもできない。里がこの事態を察知し、紫水晶のような左目をもつ彼が助けに来てくれるのをねがうだけだ。 「今思えば、胡散臭そうなほこらだったもんね・・・」 まだ希望は捨てていない。もしかしたら土の国とか、遠い国の小さな集落とかにとばされただけという可能性もある。 サクラなりに考えをまとめていると、背後からサクラ、と聞き覚えのある声がした。ふりかえるとそこには、松葉づえをついたサスケが呆然と立っていた。 「サスケ君！！助けに来てくれたんだね！！」 急いでサスケに近寄ると、安堵感からかフラれたことがすっぽり頭から抜けていた。サスケも、本当にサクラなのか・・・？とつぶやきながらサクラに駆け寄ろうとすると、思い切り顔をしかめ、左足を抱え込みながらしゃがみ込んだ。包帯がまかれた左足がめにに映った。 「！？足、けがしたのね。待ってて、今助けるから！！」 サクラはチャクラを右手に集中させると、その手は緑いろの優しい光に包まれサスケの左足を優しく癒す。 「サクラ？！お前、何を・・・」 「詳しいことは後にしましょう。今はけがの治療が先！」 サクラはそうサスケの言葉をさえぎり、治療をし始めるとともに、サスケの姿に違和感を抱く。あるはずのない左腕があるのだ。 「・・・左腕、つけたの？？いつの間に？？？」 「？左腕？？」 左腕だけではない。左目にあるはずの、輪廻眼もない上に、サクラのよく知るサスケより、体格が小さめだ。 サクラの頭の中でたくさんの疑問符が浮かんだ。なんで？どうして？などと考えを巡らせていた刹那、急激にサクラの意識は遠のいた。サクラ、おいどうした、と叫びながら、気を失ったサクラをサスケが受け止めた。

キャプション必読！！<br />現パロ要素がかなり強いです。<br />そしてサスケがサスケであってサスケじゃありません<br />完全なる作者の妄想の産物です<br />それでもオッケーな方のみ、どうぞ！！

始まり

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僕はいま最高に満たされている。 ほくほくした気持ちでスマートフォンに表示されている、無料で通話やチャットができる緑に白い吹き出しがトレードマークなSNSのアイコンをタップした。未読を知らせる数字がぽこぽこ増えていて慌ててトーク画面を開けば、なんてことはない内容の文字列が並んでいて、あまりの意味のなさにふっと笑ってしまった。お気に入りのスタンプを送ればすぐにいくつも既読マークがついてそれがさらに笑いが込み上げてきた。どんだけ見てんだよ、というか画面開きっぱなしなんだよ、なんてね。 はじめの内はオタ仲間とするやり取りとは全く違うノリについていけなかったけれど、周りのメンツがとても優しかったこともありこんな僕でも馴染めていてすごく居心地がよく楽しい。兄弟がいる前では無表情を努めていてもひとりだとどうしてもほっぺがゆるんでにやにやしちゃうから怪しさと気持ち悪さ満点だ。 なぜ僕に友人がもりもり増えたかというと、ひとつきちょっと前おそ松兄さんとトド松に(最終的には)独立します宣言をして何も得ることができなかったナンパを終えてから、これで最後にしようとフリーハグをしてみようと再び街に出たのがきっかけだ。別に誰も反応しなかったらしなかったでまあいっかなんて軽い気持ちでFREE HUGSと書いたスケッチブックを持って立っていること数時間、そろそろ引き上げようとしたところであのー、と２人組の女性に声をかけられた。 自他共に認める女性相手だとポンコツな僕はそれにピシッと固まり次いであわあわ慌ててしまう。あわわわかわいくてきれいなおんなのひとがはなしかけてきた…！やばい！まじで！僕の脳内はてんやわんやしていた。 ｢フリーハグズの活動されてるんですよね？｣ ｢えっ いや、あの、｣ ｢私たちでよければなんですけど、いいですか？｣ ｢へっ？｣ そこで一瞬思考が停止する。かくんと頭が傾いたのを頷いたととった女性２人が眩しいほどの笑みを浮かべてそれじゃあと近づいてきた。待って待って待って全然心の準備出来てないんですけど？！ていうか活動っていうほど大層なことはしてないねコレ！！激しく打つ鼓動と熱いほど真っ赤になっているだろう顔面をどうにかしたいのにどうすることもできない。僕の心境など知るよしもない女性はそのままぎゅっと抱きついてきてもう失神寸前だというのにさらに続いてもうひとりの方にもハグをされ、一周回って落ち着いてきたような気がする。やわらかかったとか、いいにおいがしたとか後からじわじわきて顔が爆発しそうだ。でもこうして僕がここに立っていることに気づき、あまつさえ反応してくれたことが嬉しくて自然と笑みがこぼれた。こんな僕を見てくれている人がいる。そう思うと恥ずかしさなんてどっかに飛んでいっちゃって、なんだかとてもたまらなくなった。ちょっと泣きそう…。ほんのちょっとだけね！ ｢あっ、ありがとうございます！｣ ｢いえこちらこそー｣ ｢お兄さんかわいいですね。特に反応が｣ ｢え！？｣ ｢それ思った！｣ あわあわしてるのバレバレだった…。そりゃそうだよな。楽しそうに笑っている女性たちにすごく申し訳なくて謝ろうと口を開こうとしたら背後からまた声をかけられ振り向けば爽やかーな、大学生ぐらいのイケメン５人が立っていた。どいつもこいつも顔面偏差値高すぎだろ…なにこれ。もしかしてこのひとたちにナンパか？と思い(なにかあったらすぐ助けられるように)身構えていると、イケメンその１が俺らもハグいいですか？と訊いてきた。なんでもさっきの光景を見て気になって来てくれたらしい。なんだ、そういうことかと安堵する。了承すればその他のイケメンたちがハイタッチしていた。テンション高すぎか。 ｢こういうの経験したことなくて。できるんならさせてもらいたいなってこいつらと話してたんです｣ ｢そうだったんだ…僕なんかでよかったらぜひ｣ なんだよ、見た目だけじゃなく性格まで爽やかくんかよくっそ羨ましい。歯軋りしそうになるのを抑えて控えめながら両手を広げるとイケメンその１から順番に抱きしめてきた。身長も高いとか神はこのひとたちに二物も三物も与えすぎだろうよ…。あとハグしてるとき横からきゃあなんてさっきの女性たちから悲鳴？があがったんだけど冴えない僕がイケメンに抱きしめられてる絵面がまずかったのかな？すみませんねほんと。 それから、続々といろんな人とハグをさせてもらったんだけどあれだな。行列できてるお店に自分も並びたくなるっていう感じのノリだよなきっと。なにはともあれ思ってた以上の収穫で感動した。フリーハグってすごい！これで僕もちょっとはコミュ力上がったんじゃないか？その証拠に初めてハグしてくれた女性たちとイケメン５人組、それに超絶美人なお姉さんにこれまた男前なお兄さんと連絡先を交換したのである。いままでの僕じゃ考えられないことばかりで頭がパンクしそうだったけれど、それ以上に楽しくて嬉して、とにもかくにも最高だった。いまではここで出会ったのもなにかの縁だからとグループを作成してみんなで話したり、もちろん個人個人でもやり取りをして時間が合えばわいわい遊んでいる。 ちなみに、初めにハグしたショートヘアーの人がアスカちゃん、次のロングヘアーの人がメグちゃん。イケメン５人組のその１爽やかくんがリョーヘイ、その２テンション高めくんがハルト、その３インテリ眼鏡くんがアオイ、その４チャラ男くんがタクミ、その５細マッチョくんがシュンで。美人なお姉さんがルイさんに、男前なお兄さんがトールさんだ。ものの見事に顔が整ってる人たちに囲まれて完全アウェイな感じがするけど、ほんとにみんな優しくていっしょにいて全然気を遣わないでいられる。 そしてなんと、就活で悩んでいる僕にウチに来ないか？と実家で喫茶店を営んでいるトールさんが雇ってくれることになって数分ほど都合のいい夢を見てるんじゃないかと自分を疑った。神様なのかな？なんて本気で思ったしトールさんから後光が差してるように見えたからね。ほんとに。 オーナーであるトールさんのご両親もとてもいい人でこんな素敵なところで働けるなんてどんだけ贅沢なんだ罰があたるんじゃないかとちょっとだけビビっていたけどいまのところなんの問題もなく過ごせているからきっと大丈夫なはず…。 ただたくさんの友達ができてさらに仕事まで決まり目に見えて浮かれている僕を兄弟たちは茶化してきたりして鬱陶し、いや、めんどくさいのが残念かな。ほぼほぼスルーしてるけれど。 遊びに行くときだって誰とどこでなにをするのかって毎回訊いてくるし、仕事に行く前だって誰かしらがごねてきたりしてどんだけ僕の邪魔をしたら気が済むんだろうか？ひとつき経ったいまでは頻度は減ったけどそれでもまだ絡んでくるのだから根気強いというかしつこいというか。 ｢うおっ？！｣ ようやく落ち着いたトーク画面を消して顔を上げると目の前に一松がいてこれでもかというぐらいのけ反ってしまった。びっっっくりしたー！いつの間にいたんだこいつ。全く気配感じなかったよこわいこわい！それでなんでのけ反った分だけ近づいてくんの一松？お兄ちゃんお前の考えてること全然分かんないよ。 ｢一松さん？｣ ｢…｣ ｢おーい｣ ｢いいねいまのさん付け。すげー嫁っぽかった｣ ｢は？｣ 嫁っぽいってなんだよ。時々ほんとなに言ってるのか理解できないことがあるからこれもそうだろう。相手にせずやたら近い距離にいる一松を押しのけて一息吐く。身長とか僕と変わらないはずなのにくっそ重いんだよな…こいつだけじゃなくてみんな。トド松はそうでもないけど――とか言ったら怒るだろうなあいつ。 ｢チョロ松兄さん顔ゆるみっぱなしなんだけど｣ ｢えっ｣ ｢なに、またあいつらと話してたの｣ ｢う、うん。まじか…にやにやしないように気をつけてたんだけどな｣ うわー兄弟に見られるとか恥ずかしい。赤くなってるだろう顔を隠したくてさっと目を逸らすとんﾞんﾞっ！って聞こえたんだけど何事だ。ちら、と一松を見れば猫がするごめん寝のように丸くなってて首を傾げた。なにやってんだろう。かわいすぎとかぶつぶつ言ってるから猫の画像でも見たのかもしれない。かわいい動物の画像や動画見たら悶えちゃうもんな、わかるよその気持ち。そういう思いで一松の背中をとんとんたたくと同時にメールの通知音が鳴って見てみると、差出人はトールさんでいまから店に来れないかっていう内容だった。今日は休店日なのに呼び出されるなんて珍しいなと思いつつすぐに行きますと返信した。なんだろう、ま、まさかクビとか？ネガティブな考えが浮かんで血の気が引く。ばっと立ち上がろうとしたら、ちょうどなんでかまた近寄ってきてたらしい一松の顎に僕の頭が思いっきりぶち当たって２人して悶絶した。いってー！ ｢ごっごめん一松｣ ｢…や、こっちこそごめん｣ ｢ほんとごめん！ちょっと出かけてくるな！｣ ｢は、？｣ ジンジンする頭を軽く擦りながら、なんか言いたげな一松には悪いけど財布とスマートフォンを持って玄関へ急いだ。ていうかさっきちょっと嬉しそうだったんだけどそこは触れないほうがいいよな…、うん。とりあえず店に向かおう。 家からさほど遠くない職場である喫茶店には20分ぐらいあれば着くことができる。内側から掛けられている、closeと書かれた札を気にせずドアを開ければ、トールさんとオーナーが出迎えてくれた。 ｢ごめんなチョロくん。急に呼び出して｣ ｢いえいえ。あの、どうかしたんですか？｣ まあ座ってとカウンター席に誘導されスツールに腰かけると、隣にトールさん、カウンター越しにオーナーと、奥からにこやかに出てきた奥さんと向き合った。なんの話をするんだろうとドキドキしてきた。 ｢チョロくん｣ ｢は、はい｣ ｢君に訊きたいことがあるんだけどいいかな？｣ ｢どどどどうぞ！｣ とても真剣な表情をしているマスターに思わず背筋がぴんと伸びる。盛大にどもった僕をトールさんが笑っているけどもそれにツッコめるような余裕はない。 ｢実は隣街にもう一軒店を構えることを決めてね。そこをトールに任せようと思ってるんだけど｣ ｢へええすごいですね！｣ ｢チョロくんに一緒に来てもらいたいんだ｣ ｢へ、｣ ｢いや何度も言ってるけどうちに残ってもらうから｣ ｢そうよー。私たちにとって２人目の息子のようなものだしこんなに愛想のいい子手離したくないもの！｣ ｢え、あの｣ ｢それにチョロくん目当てで来てくれてるお客さんもいるしね｣ ｢それはそうだけど新しいところでチョロくんと頑張りたいんだよ。きっとそこでもチョロくんに惹かれて来るお客さんも出てくるって｣ わーわーと口論しだしたマスターたちにどうすればいいのか分からずおろおろする僕。というか息子みたいとか僕目当てのお客さんがいるとか初めて聞いた！なにこれ嬉しいけどすげー照れる！ 熱いほっぺを押さえている僕に、３人はぴたっと言い合いを止め顔を向けて苦笑いを浮かべた。んん？ ｢最近この話になると絶対こうやって喧嘩しちゃうんだよね｣ ｢だからチョロちゃんに決めてもらおうと思って｣ ｢チョロくんはどっちがいい？｣ いや、どっちがいい？って訊かれましても。超展開すぎてついていけてないよ！？再び慌てる僕をじっと見つめる３人。僕ごときがどちらかを選ぶ権利なんてあるんだろうか。オーナーも奥さんも好きだしトールさんとも一緒に働くの楽しいしっていうかこのお店自体も大好きだしえー！どうしたらいいんだ！ ｢チョロくんだって慣れたこの店で働くのが勝手が分かってるし良いわよね？｣ ｢うんうん｣ ｢は、｣ ｢新しいところでなんて不安になるかもだけど俺もそうだから一緒に頑張ろうよ。なによりチョロくんがいたら心強いし、ね｣ ｢えっと｣ ｢やだやだチョロくんと仕事したいー！｣ ｢いい歳したおっさんが駄々こねるなよ…チョロくん聞いて｣ ｢はいっ｣ ｢いまはバイト扱いだけど向こうに行ったら正社員としてお願いしたいんだ。給料だってできるだけ上げるしどうかな？｣ ｢トールさんに着いていきます｣ あﾞー！考えるよりも先に口に出しちゃったー！これじゃあがめつい人間丸出しじゃねーか！ ＊ ＊ ＊ あれからどうにか弁明しようとしたけれど、普段温厚で冷静なトールさんがめちゃくちゃ喜んでたし(っしゃおらー！っていままでにないほど大きい声だった)、オーナーも奥さんも抱き合って悲しんでいた(けど、声は笑ってたから本気じゃなかったみたいでよかった…)のでなにも言えなかった。 とりあえずもう少し先のことだからまだここで働いてね、ということで話し合い？は終わり家に帰ってきてさあなにをしようかなと思ったところでぴこぴことスマートフォンから音が鳴った。ロック画面に表示されている文字を見るとトールさんが画像を送信しましたとなっていて、グループのトーク画面を開けばトールさんが僕の肩を抱いてピースしている自撮りの写メが添付されていて、次いで下にチョロくんゲットだぜと親指をたてている絵文字つきで送られてきた。だからさっき写メ撮ろうって言われたんだな…。 すぐにハルトとアスカちゃんからメッセージが来たんだけど、そのどっちもが全く同じいいなー！というもので面白かった。次にリョーヘイがチョロ松くん今度俺らとも写メ撮ってね！と来て他のメンバーからも似たような感じのものが次々トーク画面に浮かんでくる。僕とよりもトールさんと撮るほうが見栄え的にも華やかなんじゃないのかな？みんなかっこいいしかわいいし。そんなことを考えながらOKのスタンプを送信するとどんなタイミングか、僕以外の兄弟がそろって帰ってきた。ちょうどよかった。今日お店であったことを報告しよう。 ｢おかえり。みんなで出かけてたのか？｣ ｢ただいまー。んにゃ、偶然近くで会っただけ｣ ｢ただいまブラザー。俺がいなくて寂しくはなかったか？｣ ｢うるせえクソ松。…チョロ松兄さん用事は終わったんだね｣ ｢たっだい満塁ホームラン！｣ ｢チョロ松兄さんまた携帯いじってる！最近いじりすぎじゃない？！｣ ほぼ同時に好き勝手言う兄弟たちそれぞれに適当に返事をして全員座ってとお願いする。みんなが居住まいを正したのを確認してさっきトールさんたちに言われたことをそのまま伝えた。いま働いているお店が隣街にできること、そこで正社員として働くようになること、それからそうなったら通勤するのが難しくなるから一人暮らししようと考えていること。最初に思い描いていた計画(留学やらなんやらのこと)とは違ったけれど最終的に概ね叶っているから満足していること。テンションが高めの僕とは裏腹に兄弟たちの顔がだんだん強張っていっていることに気づいてあれ？と思う。一気に話しすぎて訳分かんなくなってんのかな。 ｢僕の言ってる意味分かった？｣ ｢……｣ ｢え、なにみんな黙って…｣ ｢チョロ松くんや｣ ｢な、なんだよ｣ ｢急にそんなこと言われて馬鹿でクズな俺らには理解できねえなあ？｣ ｢そーそー。一人暮らしってなに？｣ ｢や、それはまだ先の話だから急って訳じゃないだろ｣ ｢そういうことじゃないんだよなあ｣ ｢ちょっちょっと待てって。みんな顔怖すぎだよ。一旦落ち着けって｣ ｢はあ？どっからどう見ても落ち着いてるんですけどー｣ ｢そうだよチョロ松兄さん！僕らオチツイテルヨー｣ 怖くなんかないよなあ？なんて笑ってるけど目はマジだから。人殺しそうな勢いの怖さだから。やばい、なんか知らないけど地雷踏んだっぽい。だらだら嫌な汗が流れてきて後ずさる。 ｢オトモダチたくさん増えたのだって仕事見つけてきたのだって嫌でしょーがなかったのにその上一人暮らしって｣ ｢俺らから離れようとするなんてひどいね兄さん｣ ｢ブラザー。お前のことは愛しているしできるだけ甘やかしたいがそれはダメだ｣ ｢チョロ松兄さんが僕の傍からいなくなるなんていやだ！｣ ｢十四松兄さんだってこう言ってるんだし考え改めようよ？ね？｣ じりじり近づいてくるおそ松兄さんたちに思わず悲鳴が漏れる。なにがいけなかったんだ。僕が一足先にリアルが充実してる人になったからか。所謂リア充だからか？(とか実際に言ったらマジで殺されそう！)温度が数度は下がったように感じる中、ぴこぴこ、なんてこの時ばかりは間抜けすぎだろと思う音が存外大きく鳴り響いてうっかり泣きそうになった。 もうこの際誰でも良いから助けてくれ―――！

前回はたくさんの閲覧、ブクマ、評価をありがとうございました！<br />続きというかシリーズとして書いてみたいですね…書けたらですけど…。<br /><br />このタイトルももしもとついてますが前回とは全く関係ないです。<br />例の19話を見て思いついたif話ですので深くは触れていないつもりですが未視聴の方はご注意ください。<br />今回も名のあるモブが割ともりもり出てきますので一応モブチョロと、一松くんをちょこっとだけ贔屓にしているので一チョロ、やっぱりそのつもりで書いているのでチョロ松総受け、チョロ松愛されタグをつけさせていただいてます。<br />それと、作中に出てくるフリーハグズの活動についてですが知識が皆無なのでいろいろ間違っているかとは思いますがご容赦ください(´;ω;｀)<br /><br /><span style="color:#7f7f7f;">19話ほんと最後の最後まで衝撃的でしたね…。一瞬これは公式に殺されるなって思いました。</span><br /><br />もしネタ被り等あれば即刻消しますのでその時はご一報くださればありがたいです。<br /><br />【追記】たくさんの閲覧・ブクマ・評価にusersタグ・コメントありがとうございます！デイリーと女子に人気ランキング入りも前回同様ありがたや…ありがたや…(五体投地)

もしも三男がフリーハグをしてなんやかんやでリア充になったら

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■ご注意 ・この小説はカラ一が中心です。 ・まだ付き合ってはいないものの、両片思いです。 ・カラ→→→→→→←←一くらいの差があります。 ・カラ松が一松を好きすぎて、ヤンデレ、サイコパスのような描写があります。 ・カラ松と一松が会話をする場面はありません。 ・上3人と下3人の会話で分かれています。 ・特に、上3人の会話がメインとなっています。 ・この時点で嫌な予感がした方は、早急に回れ右をして振り向かずに逃げてください。 ・以上のことが大丈夫な方のみ、次のページに進んでください。[newpage] 松野カラ松。松野家の次男で静寂と孤独を愛する、ナルシストで痛い男。しかし、心根は優しく、ここぞというときは頼りになる家族思いの憎めないやつ。それが世間一般から見た松野カラ松という男のイメージである。 つまるところ、多くの人間から松野カラ松という男は――――”人畜無害のいい奴”と評されることが多いのだ。 だが、それは本当なのだろうか。 彼のことをよく知る松野家の長男、松野おそ松は言う。 「確かにあいつはナルシストだし痛いけどさ、人畜無害なわけじゃねえよ。普通に俺たちと喧嘩するし、ウソだってつく。パチンコに勝っても誤魔化そうとするんだぜ？どこが人畜無害だよ。いや、確かに優しいんだよ？でもさ、その優しさって、基本はあいつにしか発動しないんだよね。周りが見ているカラ松の優しさは”ナルシスト”からくる優しさ。”優しい俺はかっこいい”、ただそれだけ。でも、あいつが心から優しくしたいと思っているやつはいるんだよ。そう、それがさっきも言ってたやつ。それも本人曰く、昔から変わってないらしい。まぁ、それも、ある目的のためなんだけどさ。何が言いたいかっていうと、つまりね、カラ松はただの”一松バカ”なの。分かった？」 今回は、そんな一松バカな男の物語である。[newpage] ＊＊＊ それは、ある晴れた昼下がりのことだった。今日は朝からトド松が張り切っており、一松と十四松だけを連れてどこかに出かけてしまった。実は、先日トド松は友達からスイーツ食べ放題のタダ券をもらっており、せっかくなら弟だけで行こうと前々から計画していたのだ。もちろん、兄たちには一切知らされることはなく、一松と十四松をのぞいた三人は家に残されることとなった。 そういうわけで今この家にはおそ松、カラ松、チョロ松の三人しかいない。三人しかいないが、いつも通りおそ松は居間でごろごろとし、カラ松は手鏡で自分の顔を眺めている。チョロ松も今日ばかりは、アイドルのコンサートや求人情報を探すこともなく、久しぶりにのんびりとテレビを見ていた。チョロ松が、今日は珍しく平和だなぁ、と思いを馳せていると、突然、松野カラ松が手鏡をテーブルに置きながら呟いた。 「………はぁ…一松が可愛すぎてつらい。一松をこの腕で抱きしめたい。俺の腕の中に閉じ込めておきたい。あわよくば襲いたい。なぁ、おそ松にチョロ松、俺はどうすればいいのだろうか」 「は？」 「別に、抱きしめればいいんじゃね？」 今まで平和に過ごしていたというのに、この男たちは唐突に訳の分からないことを言いだし始めた。カラ松が自分の弟でもある一松のことが好きだという衝撃の事実、それも特に聞きたかったわけでもなければ知りたくもなかったことだ。チョロ松が戸惑うのは当然のことである。 しかし、それに反応したおそ松の言葉もかなりまずかった。後半のセリフをなかったことにしていることもそうだが、返事そのものがおかしい。この言葉のせいでチョロ松は一気に正気に戻るはめになり、いつものようにつっこまざるを得なくなった。さすがに、このままにしておくのはまずい、そう直感したのだ。 「何でお前はいきなりサイコパス発動させてんだ！！！！可愛いとかは仕方ないとしても、後半明らかにおかしいだろ！！！っていうか、カラ松って一松のこと好きだったの！？そういう意味で！？！？ウソだろ！？！？だいたい、おそ松兄さんも何で普通に受け流してんだよ！！！！襲いたいとかおかしいだろうが！！！だいたい成人男性に何言ってんの！？！？閉じ込めておきたいとかヤンデレ予備軍かよ！！！！」 さすがに大声で叫ぶという行為は疲れるもので、チョロ松は、はあはあと息を整える。すると、おそ松が信じられないといわんばかりの顔をしていることに気付いた。 「えっ、チョロ松知らなかったの！？こいつ、ガキの時から一松のことが好きだったよ！？」 「マジかよ！！！僕、20年弱一緒に暮らしてきたけど知らなかったよ！？！？！？」 「ウソだろ！？！？こいつ、昔から一松のことだけ贔屓にしてただろ！？！？喧嘩には巻き込まないし、逆に一松が喧嘩うられるとカラ松が積極的にボコってただろ！？！？テスト勉強するときも一松の隣陣取って、何かと十四松に対抗してたぞ！？何より、俺が一松と仲良くしてるとカラ松が睨んできてヤバかったんだからな！？！？」 「いやいやいやいや、それだけじゃ分からないから！！！あと、お前が睨まれてるなんて初めて知ったわ！！！」 「そっちの方がマジかよ！！」 どうやら、チョロ松が知らないところで過去にいろいろとあったようだ。しかし、だからといって、後半の「襲いたい」発言をスル―していい理由にはならない。さすがに止めるだろ。そう思ったチョロ松は更におそ松を問い詰めようとした。しかし、それを遮るようにカラ松が話に加わってきたので、問い詰めることはできなかった。 「そういえば、おそ松にしか言っていなかったかもしれない。一松には何度も伝えてはいるんだが……ふっ、鈍感なところも可愛いが、あんなに可愛いのだからどこかに閉じ込めないといけないよな」 「何からつっこめばいいんだよ！！！そもそも、おそ松は何で普通に受け止めた！？！？」 「えっ！？！？い、いや……っていうか、俺のことはいいから！カラ松の発言の方が問題だろ！！」 「……っあーーー！！！本当に何なんだよ！！！カラ松！！とにかくお前はそのヤンデレやめろ！！！」 「まぁまぁ、落ち着いて。俺も最初はそんな感じだったから、気持ちは分かる。だけど、落ち着け。これ、治んないから」 おそ松が言うには、中学あたりからカラ松に一松のことを相談されていたようだ。それから今に至るまでずっと相談され続けた結果、おそ松は、『カラ松はどうにもならない』と分かり諦めたようだ。自分にできることは、カラ松が暴走しないように一松をこちら側に引き込むことだと悟ったらしい。 「いや、ちょっと待て！！おかしいだろ！！！一松を巻き込むなよ！！！何とかして止めろよ！！！」 「今のを聞いて止められると思うか！？！？！？こいつ中学生の段階でこれだぞ！？！？」 「あっ………ご、ごめん。……おそ松兄さんも中学生だったもんな………」 「いや、いいんだ。俺ももっと頑張ればよかったんだ……」 「……今は、過去を悔いても仕方ない……で、お前はなんで今カミングアウトをしたんだよ。」 「カミングアウトも何も、一松のことを思い出していたら、あまりの可愛いさに抱きしめたくなった。それだけだが？しかし、付き合っていないからどうしたものかと…」 「付き合ってないのかよ！！！！！」 これだけのことを言っておきながら、一松の恋人でない事実にチョロ松は目が飛び出るかと思うくらいに驚いた。それはそうだろう。なんせカラ松の口からでる言葉は全て恋人でなければ出ないような言葉ばかりだったのだから。”抱きしめたい”など、いくら仲の良い兄弟でもそうそう口には出ない。チョロ松の心からの叫びはしかるべきものであった。 すると、“付き合っていないのか”というチョロ松の言葉を受けて、カラ松の顔つきはやけに深刻そうなものになった…………チョロ松は思った。 （そうだ……なんだかんだでスル―してきたけど、カラ松も男兄弟同士での関係に悩んで……それで） しかし、カラ松という男はただの一松バカなのだ。それを忘れてはいけない。ヤンデレ、サイコパスの前に、一松バカ…………つまり、チョロ松の心配は無駄骨だったのだ…… 「付き合ってないのかだって？…………当たり前だろ！？付き合えるなら付き合っている！！！でもな…………あいつは………………………お前が思っているよりも、すっげぇ鈍感なんだよ！！確かに可愛い！！！可愛いんだ！！！！だがな、俺が何回告白をスル―されたと思っているんだ！？！？そろそろ気づいてほしい！！！！さすがに限界だ！！！！このままだと襲う！！！！」 「……えっ……えっ！？今、シリアスになりかけてたよね！？は！？何、どういうこと！？」 「…一松に好きだといっても、『……あんたもネコが好きなの？』とか『……尾崎が？』とか『…………あ、ごめん。聞いてなかった。』とか………告白にすら気づかれず、ましてや聞いてなかったとか普通にあるんだ……そのくせ、最近は頻繁に俺の近くにいるし、無防備な姿をさらしてくるし、俺のことをぽわぽわしながら見てくるし、俺が話しかけたときネコ耳出してピコピコさせてるし、本当に可愛いんだよ……」 「………………………」 「分かるか？俺が付き合ってほしいといっても、昭和の漫画みたいに『……どこに付き合えばいいの？』とか『今日はネコの集会にいくからいけない』とか言ってくるんだよ。何なんだよ可愛すぎだろ……風邪をひいたら看病してくれるし、料理も洗濯も得意だし、帰ってきたら『カラ松…おかえり』って言ってほしいし、もう嫁にするしかない。告白とばしてプロポーズすれば気づいてくれるか？他の奴に盗られる前に俺のものにしたいんだ。婚約指輪なら買ってやるから、早々と結婚式を挙げて、どこかのアパートでも借りて二人で暮らそう。一松との生活……きっと幸せだろうな……」 「………………僕は、もう何も触れない。触れないからな。だいたいさ、そんだけ言うなら、何回くらい一松に告白したんだよ。10回くらい？」 「178回」 「…………は？」 「いや、だから178回だ。」 「…い…一松！！！！！！！ウソだろ！？！？！？！？！？」 ここにきて、驚異の事実が露見した。カラ松が一松に告白した回数はなんと三ケタにもわたっていたのだ。彼はいったい、いつから告白をし続けたのか。いや、そんなことよりも、それら全てを好きな人からはスル―されてきたことの方が問題である。これでは、どちらに同情していいのか分からない。 さすがに一松も気づいていてわざと退けているのはないかと考えざるを得ない……が、あの不器用で兄弟が大好きで、なんだかんだカラ松に甘えている弟に、そんなことができるわけがない。つまり、本当に気付いていなのだ。178回も告白されているのに。 いや、もしかしたらカラ松独特の言葉で告白されたのかもしれない…しかし、それなら言葉の意味なんて分からないはず……そうしてチョロ松が深く考え始めると、先ほどからずっとスマホをいじっていたおそ松が顔をこちらに向けてくる。 「……カラ松、お前、数が違うぞー」 「そうだったか？」 「おそ松兄さん！！！そうだよな！！三ケタもいくわけないよな！！！！」 「248回だろー？」 「そうだったか？」 「………………」 チョロ松は一瞬、意識がとんだ。まともに話が進んでいないというのに、この倦怠感は何なのか。これは、いったいどういうことなのだろう。 自分の兄はやはりサイコパスだったんだ…………そう、心の奥底で確信付けた。そして、なおも今まで無言だったおそ松の言葉はチョロ松に追い打ちをかける。 あまりの疲労感に、ここにはいない弟たちに助けを求めたくなった。しかし、そんな現実逃避をしたところで、ここには彼が求める安息の地はないのだ………チョロ松しか、この狂った状況につっこみを入れることができないのだから。 「お前、意識してると178くらいなんだろうけど、無意識だとそんくらいは言ってるよ？少なくとも俺が偶然見た限りでは」 「偶然！？！？！？無意識！？！？！？」 「チョロ松驚きすぎだよ？こいつの愛の重たさをなめるなよ？これを普通に受け止めてくれるやつなんて一松くらいだぞ？」 「いや、それ一松が気付いてないだけだよ！？！？！？って、それで一松、最近寝つきが悪いって言ってたのか！！原因はお前かよ！！！！」 どうやら、チョロ松の話を聞く限り、最近の一松は眠りが浅いようだ。しかし、そのことを知っているのが自分ではないということにカラ松は嫉妬した。好きな人には頼ってほしいのが男心というもの……チョロ松は無意識とはいえ、カラ松の対抗心に火をつけてしまったのだ。 「どうしてチョロ松が一松のことを知っているんだ？俺だって一松が教えてくれないから毎晩見つめて愛を囁くことしかできなかったというのに。何故だ？」 「真顔をやめろ！！サイコパス！！！！」 「俺のことはいいんだ。何故、お前が、一松の寝つきが浅いことを、知っているんだ？」 「うわああああああああ！！！！！一松逃げて！！！！今すぐ逃げて！！！！というか、このクソ長男！！！！どうして止めなかった！！！！！！！」 怒りや困惑といった感情は、カラ松に相談されていたおそ松に向かった。話が通じない相手よりも通じる相手に訴えた方が原因の解決が早いのだからチョロ松の判断は正しかったであろう――――通常のケースならば。 中学生からのカラ松の言動を悟ることとなり、止めること自体を諦めたおそ松が何かをできるというわけがなかった。 「俺だって、止めたかった！！！でも……」 「でも？」 「一万円くれたから」 「バッカじゃねえの！？！？！？」 「口が悪い！！！」 「うるせぇ！！！！！！」 「それで、チョロ松、なぜ、知っているんだ？」 「ああああああああ、もう何なんだ！！！！！相談受けてたんだよ！！！一松に！！！最近寝つきが悪いからいい安眠方法はないか、って！！！！！」 「…そうだったのか……では、なぜ俺に相談してくれないのだろうか…こんなにも俺が愛しているというのに」 「付き合ってもいないくせに彼氏面か！！！いい加減にしろよ！？！？」 「やばい、チョロ松かっこいいわ。惚れるわ。」 「うっせぇ！！！お前は早くこのサイコパスを何とかしろ！！！！」 「さっきから騒いでいるが、何が問題なんだ？」 「は、はあ！？！？何って」 ――――お前の愛が重たすぎるのが問題なんだよ チョロ松はそう続けようとしたが、カラ松がそれよりも早くに話しはじめた。それも、あたかも普通のことを話しているような素振りで…………真顔で話しているのだ。 「俺は一松を愛している。それも物心ついたときから。誰よりも繊細で傷つきやすいあいつを守ってやりたい。誰かを悲しませたくないという優しさ、決して無意味な暴力を振るわない強さ、それら全てが愛しい。器用なくせに変なところで不器用で、頭が良いくせに肝心なところでポンコツになる、そういうところも凄くいじらしくて可愛い。ネコと触れあっているときのあいつの笑顔は本当に魅力的だ。もちろん、俺たち兄弟といるときの方がもっと魅力的なんだがな。あぁ、そうだ。兄弟に依存しているところも可愛いな。きっと、幼いままでいたら俺たちの中であいつが一番に自立して俺たちから離れていってしまうだろう。一松には、それだけのことができるんだ。お前たちも知ってるだろ？一松は変なところで要領がいいからな。いつからか、今みたいに自身のことを卑下するようになってしまったが、俺は正直言って今の性格になってくれて嬉しいんだ。だって、そうだろ？今のあいつだから、俺は必要とされる、甘えてもらえる、そして……依存してもらえる。それに、一松が外の世界よりも俺たち家族を選んでくれたから、俺が付け入る隙ができたんだぞ？これを幸福と言わずして何と言う。仮に俺たちを置いて外へ行くつもりだとしても、そんなことはさせないさ。一松の優しさや慈しみ、愛、それら全てが向けられているのが家族だから我慢できているんだ。それが他人に向けられるなんて耐えられるわけがない。きっと、俺は外に出さないように一松を閉じ込めてしまうだろうな。俺はな、過去の真面目だった一松も、今みたいに素直になれずに悪ぶっている一松も、全部、全部が好きなんだ。誰よりも愛しているんだ。だから俺を頼ってほしい。俺のために笑ってほしい。俺のために泣いてほしい。もっと言ってしまえば、俺だけに…俺がいないと生きていけないくらい依存してほしい。他のやつなんか見てほしくない。一松の感情の全てが俺だけに向けられる、とても素敵なことだよな。一松を俺から奪うやつは誰であろうと許しはしないし、絶対に離してなんかやらない。これまでも、そして、これからも、一松は俺だけのものだ。なぁ、お前たちもそう思うだろ？」 「…………こ…………怖いわ！！！！！！！！！！！！！」 チョロ松は叫んだ。心の底から叫んだ。 これまでのことで、カラ松は一松に対して特別な感情を抱いていることも、サイコパスに近い何かがあることも勘付いてはいた……しかし、これは、さすがに恐怖しか感じない。完全なヤンデレである。予備軍ではない。監禁系のヤンデレだ。 「チョロ松」 「なにあれ、なにあれ、なにあれ！！！！！！カラ松なの！？！？！？サイコパスというかヤンデレだよ！？！？！？！？！？さっきから言ってはいたけどガチだ！！！！！！！！！！怖い！！！！！！！」 「チョロ松、落ち着けって」 「えええええええええええええ、絶対に無理！！！！！何でおそ松兄さんは落ち着いてんだよ！！！！！」 「中学生からの経験？」 「なんかごめん！！！！！！！！」 「いや、いいよ。俺も最初はチョロ松と同じようなことになってたもん」 「ん？いや、おそ松は、わりと」 「なんでもないよな！！！カラ松！！あ！！！そうだ！！！一松を抱きしめたいんだよな！！！！」 どうやら、おそ松はそこまでではなかったようだが………何かを隠しているようだ……何かがばれることを恐れるかのように、チョロ松をチラチラとみている。しかし、今はそんなおそ松の不可解な行動に構っている場合ではない。とにかく、このヤンデレを何とかしなくては。 「あ、ああ、そうだが……何か良い案でもあるのか？」 「とくにはないけど………一松が寝ているときにそっと抱きしめればいいんじゃないか？」 「それなら、とっくにやっている」 「っ！？！？！？」 「あー、マジかー」 「は！？！？！？」 チョロ松は思った。もう関わってはいけない。一松には悪いが、僕にはもう何もできない……本当にごめん……そう思いながらチョロ松の意識はそこで途絶えた。 「できれば起きているときに抱きしめたい」 「じゃあさ、王様ゲームでもやれば罰ゲーム感覚で抱きしめられんじゃね？」 「いや……罰ゲーム感覚だと…複雑だな…俺は、一松と愛し合う形で抱きしめたいんだ」 「えー？難しいよー。チョロ松はどう思う？………チョロ松？……あちゃー……気絶しちゃったか……じゃあ、もういいか。なぁ、カラ松……もう一度、一言で一松への思いを言ってみてくんない？」 「いきなりどうしたんだ？」 気絶してしまったチョロ松に毛布をかけつつ、おそ松は器用にスマホを再び操作する。こんなときにいったい何をするつもりなのだろう。 「ん？……ほら、一松のことが大切なんだろ？抱きしめたいんだろ？抱きつぶしたいんだろ？だったら、今、この場で俺らにその気持ちを言ってみろよ。今、言えないくらいの気持ちなんて、しょせんそれだけのもの」 「ふざけるなよ。俺の一松への思いが、しょせんその程度？笑わせるな。俺はな、一松さえいれば他には何もいらないくらい、あいつのことを愛しているんだ。あの笑顔を他の誰にも渡したくない。俺だけのために笑ってほしい。俺だけのために生きてほしい、そう思うくらい、俺は一松が好きだ。一松がいない世界なんて俺はいらない。たとえ兄弟であろうと、一松は渡さない。一松は俺のものだ」 「わーお……かっこいいねー……そんで、カラ松……今の言葉にウソはないよな？」 「もちろんだ。偽りなどない、俺の本心だ」 「そう……………だってさ…………――――、一松」 「は？」 「お兄ちゃんに感謝してよー？」[newpage] ＊＊＊＊ チョロ松が気絶する少し前、トド松たちは色とりどりのスイーツに目を輝かせ、女子顔負けの女子力で各々が楽しんでいた。それぞれ好みのケーキを食べていると、トド松が一松に改めて向かいなおす。そう、今日は一松の相談ごとに乗るためにここまで来たのだ。ちょうどいいカモフラージュができ、トド松は内心ほくそえんでいた。なぜなら、兄たち…特にカラ松には勘付かれてはいけなかったからだ。 実際のところ、一松の悩みにカラ松が関係しているのだが、さすがに本人に言うわけにもいかない。それに、あとは、一松の背中を押すだけなのだ。肝心なところで邪魔をされては仕方ない。本当は、あのサイコパス野郎に渡すのはおしいが、これも大事な兄のためだ。 「ねぇ、一松兄さん。早く素直になりなよ？」 「……分かってるけど……俺、あいつに嫌われてるし……」 「もう、何でそうなるの。」 「だって、俺のこと本気じゃないくせに……好きとか…愛してるとか…どうせ皆にも同じこと言ってるくせに……」 （本当にカラ松兄さんも報われない………一松兄さんもカラ松兄さんのことが好きなのになぁ……） 一松の悩み事とは…カラ松への恋心についてだった。驚くことに、一松もカラ松のことが好きだったのだ。 いつからかなんてわからない。気づけば好きだった。しかし、カラ松に告白されていたにも関わらず肝心なところでウソだと思ってしまっていたらしい。これには、さしものトド松だってお手上げだ。ここまでネガティブだと逆に清々しいレベルである。だが、こんなことトド松と十四松からすれば日常茶飯事のことだ。どうすればいいのかなんて誰よりも分かっている。 「……俺みたいなクズじゃ…あいつを幸せにできないんだから、さっさとこんな気持ち捨てないといけないのに」 「一松兄さん！僕は一松さんじゃないとカラ松兄さんは幸せにならないと思う！」 「十四松……そんな慰めは」 「だって、カラ松兄さん、一松兄さんのことだけは特別に大切にしてるよ？僕たちが何かすると、カラ松兄さんは些細なことでも怒ったり、仕返ししたりするのに！でも、一松兄さんにはそういうことなかったでしょ？」 「確かに！！カラ松兄さん、僕たちに関しては容赦がないよね！！そりゃあ、僕たちは弟だから、そこまでじゃないけどさ」 「それは…俺だけが嫌いだから…」 「違うよ！……それだけは違う。一松兄さんのことが大切だから、傷つけたくないんだよ」 「……ウソだ」 「僕も十四松兄さんの意見に賛成するよ。だって、思い出してみてよ、一松兄さんの前でのカラ松兄さんのこと。たぶんね、カラ松兄さんが素で話してるのって、一松兄さんくらいだよ？それって、嫌われてるどころか、安心できるっていうことなの。大好きってことなの。誰よりも愛してるんだよ、一松兄さんのこと」 「………そうだとしても、いつかは嫌われる」 「大丈夫！！カラ松兄さんは一松兄さんのこと嫌いにならないよ！！ね！トド松！！」 「ふふ、そうだね。あのね、カラ松兄さんは…っと、ごめん。おそ松兄さんからラインが……え」 トド松が何かを伝えようとした矢先に、おそ松からラインが送られてきた。二人が心配しているのを横目に、トド松は早々とラインのメッセージを流し読んだ。 「……どうした？」 「トド松どうしたの！？！？」 「あー……、電話するからスピーカーにして、一松兄さんに聞かせろ、だって。何かな？」 「おそ松兄さんが、そんなこと頼むなんて珍しいね！！」 「……何で俺なの……」 「さぁ？どうせくだらないことだろうけど、既読も付けちゃったし、無視したら面倒だしなぁ……あ、電話だ。じゃあ、いい？いくよー」 『一松のことが大切なんだろ？抱きしめたいんだろ？抱きつぶしたいんだろ？だったら、今、この場で俺らにその気持ちを言ってみろよ。今、言えないくらいの気持ちなんて、しょせんそれだけのもの』 『ふざけるなよ。俺の一松への思いが、しょせんその程度？笑わせるな。俺はな、一松さえいれば他には何もいらないくらい、あいつのことを愛しているんだ。あの笑顔を他の誰にも渡したくない。俺だけのために笑ってほしい。俺だけのために生きてほしい、そう思うくらい、俺は一松が好きだ。一松がいない世界なんて俺はいらない。たとえ兄弟であろうと、一松は渡さない。一松は俺のものだ』 『わーお……かっこいいねー……そんで、カラ松……今の言葉にウソはないよな？』 『もちろんだ。偽りなどない、俺の本心だ』 『そう……………だってさ…………――――、一松』 「………………」 「………………一松兄さん、顔真っ赤だよ？」 「なっ、そ、そんなんじゃない！！！」 「一松兄さん、よかったね！！！両思いだよ！！！！」 「ば、ばかじゃないの！？！？どうせ、からかわれてるだけだ！！！」 「またまたー」 「素直になりなよー。」 「ち、違う！！！だから、あー………もう、そんなにニヤニヤするな！！！」 「よかったね、一松兄さん！……まぁ、どことなく漂うヤンデレ臭は置いておこう」 十四松とトド松は、いきなりのことで対応ができなかったのか、顔を真っ赤に染め上げている一松をニヤニヤしながら見ていた。十四松はそのまま一松に抱きつき嬉しそうに笑っている。それを一松も咎めることなく十四松の頭を撫でていた。だから、トド松が最後に言った言葉は二人の耳には届いていなかったのだ。 たくさんじゃれあって満足したのか、十四松はいきなり一松を担ぎ始めた。どうやら、一松をカラ松のもとに連れて行こうとしているらしい。 「一松兄さん！！早く伝えないと！！カラ松兄さん、きっと待ってるよ！！！」 「えっ！！！い、いや待って、待って！！！！」 「いっくよー！！！！！！びゅーん！！！！！」 「うわああああああああああああああ！？！？？！？？！？！」 「頑張ってねー…………………だけど、あのサイコパス兄さんがあれですむはずが……………って、うーわー…………一松兄さん、これ絶対に逃げられない感じだ…………ヤンデレにサイコパスとか………まぁ、一松兄さんは史上最強の鈍感野郎だし、大丈夫だよね！」 嫌がって叫びだす一松など気にも留めず、十四松は一松を担いだままどこかへ走っていってしまった。取り残されたトド松はニコニコしながら二人を送り出す。だから、これから言うことはトド松の独り言にすぎないのだ。 本当、一松兄さんは優しいよなぁ…あと、すごく無防備。近くにいるオオカミ……いや、虎かな？まぁ、それはいいや。傍にいた獣に全く気付いてないんだもん。夜とか、こっちは凄く気まずいっていうのにさ。 だって、一松兄さんさ、毎晩耳元で愛の言葉を囁かれてるんだよ？それも抱きしめられながら。それに気づかないくらい、カラ松兄さんの傍が安心するんだろうけど……流石に無防備すぎる。 あと、僕たちに対してとは違う話し方とか行動とか視線とか、他にもいろいろあるけど、自分だけが贔屓されてることにも全く気付いてない。 まぁ、あのサイコパス兄さんは昔から一松兄さんのことしか見てなかったし、用意周到だったから仕方ないことなんだけどね。 カラ松兄さんは、一松兄さんが自分のところに落ちてくるように長い間をかけて罠をしかけた。そして、愛する人が罠からでようともがいている間に、決して逃げ出すことのできない檻までをも作り上げた。一松兄さんの方から、自分を求めるように、そして逃げ出さないように……。 そんなことにも気づかずに一松兄さんはカラ松兄さんのことを好きになるし………カラ松兄さんの思惑通りになっちゃったよ………応援してた僕が言えたことじゃないけど、今回のこともどこまでが偶然で計算なんだか。 ほんっと、イッタイよねー！！！！[newpage] ＊＊＊ やっと俺だけのものになってくれた。ここまで本当に長かったなぁ。お前を好きになってから、もう何年になるだろうか……いや、そんなことは、もうどうでもいい。 俺のもとに落ちてきてくれたのだから、俺が何年待ち続けたのかなんて些細なことだ。俺の腕の中にお前がいる。顔を赤らめて好きだと言ってくれる。愛してくれる。他の誰でもない俺を。それだけで俺は胸が高鳴り、これから訪れる幸せな未来に歓喜の声をあげるのだ。 もう離さない。離すもんか。お前が嫌だって泣きわめいても、逃げ出したくなっても、絶対にこの檻の中からだしてなんかやらない。だって、今までも、これからもお前は、俺だけのものなのだから…………俺以外は必要ないだろう？ ――――なぁ、一松 これは、一松のことを愛しすぎている男の物語である。

前作では多くの評価やブクマありがとうございます。夢のタグももらって、しばらく舞いあがっていました。<br /><br />それはさておき、今日もやっぱりカラ一が尊いですね。二人がいるだけで幸せな日々です。<br />巷で噂の例のあれ、もう皆さんは見ましたか？やっぱりカラ一は結婚してましたよ。なんだ、一緒の布団に二人で寝てるとか、明らかに共有しているぬいぐるみとか、目線の理由とか、薔薇の花びらとか、ただの新婚のいちゃいちゃ夫婦じゃないか！！いいぞ、もっとやれ！！！<br />あまりの新婚オーラに、私の中のカラ一がとうとう、例の行為を致すしかなくなったのですが、わけがわからないよ。それに伴って、私の書くカラ松は一松が好きすぎるし、一松もカラ松が好きすぎるしで、もうここだけ別世界なのかな？<br /><br />※小説を読む際は、注意書きの必読をお願いします。<br /><br />※※※追記<br />実に驚きですね。なんと、このたび2016年02月16日～2016年02月22日付の[小説]ルーキーランキング2位にランクインしました！！夢ですか？夢なんですか？何度見てもランクインしているということは現実ですか？現実なんですね！！！リアルで声が出るとか初めての経験でしたね。本当にありがとうございます！！！死ぬほど嬉しいです！！！<br />※※※追記２<br />本日、初の2016年02月23日付の[小説]デイリーランキングに97位としてランクインしました！！本当に嬉しすぎて、一周まわって冷静になって三度見しましたね、はい。とにかく、ありがとうございます！！<br /><br />追記3<br />8/4 細かい箇所ですが、文章の修正を行いました。

次男が四男を愛しすぎている件について

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453354#1

彼が顕在してすぐに、審神者はいつも通り出陣を申し渡した。もちろんいつも通りなので、いつも通り刀装なしだ。刀を保護するという発想がごっそり抜け落ちているあの審神者は、それでもそれなりに成果をあげているらしく、政府からその所行をとがめ立てるような通知もなければ、たまの視察でも抜け目ない。本日何度目になるかもわからないため息を一つついて、燭台切は周囲を見渡す。 顕在した彼は無事だろうか、と一応眼で探す。もう何度目になるかも数えるのもばかばかしいが、彼が生き残れたためしがない。最初こそ胸に暗く痛みを抱えたが、それにさえ慣れてきてしまったのか、もう何とも思わなかった。おい、いるか、と声をかけられ、ああ、と答える。 「今回もダメだったか」 「そのようだね」 長谷部は足が速いから生き残れる確率が高い。一期一振も鶴丸も、太刀だからこそ生き残れた、という面が強いのだが、長谷部だけは例外的に打刀で生き残っていた。やられる前にやれ、が身にしみている彼は、遺憾なくそれを発揮し、刀装なしでも充分に戦うことができるようになっている。蜻蛉切が向こうで深くため息をついているのが見える。彼並のタフさがなければ、希少価値の低い刀は生き残れないだろう。現に、短刀、脇差は軒並み全滅状態だ。顕在してからもすぐに、こうして最初の戦闘で破壊されてしまっている。 「帰りましょうか」 一期一振の冴えない声が響いて、戦場に背を向ける。ひっそりと手入れ部屋を使っていることはまだ審神者にはばれていない。幸いにこの戦闘でも、練度が少しずつあがってきた自分たちには影響がないようだった。多少の切り傷、擦り傷だけを確認し、自己治癒で充分だと判断する。口々にこの後の算段を会話しつつ、移転方陣に向かった。足音が聞こえてきたのは予想外だった。 「……大倶利伽羅」 「…………ほう。今回はダメじゃなかったのか」 鶴丸の驚いた声は乾いていた。知っている。ここで折れないのもそれはそれで不幸なのだ。あーあ、と子どもじみた嘆息を漏らすと、肩をすくめて鶴丸は大倶利伽羅へと歩み寄る。 「まさか生き残るとは。ようこそ、修羅の道へ」 「…………」 いぶかしげに眉をひそめた大倶利伽羅に、もはやなけなし、とも言えるような明るい声で、鶴丸は両手を広げる。 「お前は俺たちと同じで、降りる場所を間違えたんだよ」 ＊ さて、世間様で言われているところのブラック本丸というものの話をしよう。 重傷での出陣を始めとし、疲労状態を回復しない、手入れをしない、食事睡眠娯楽の禁止、人で言うところの「基本的人権」を損なった状態で運営される本丸のことと定義されている。明確な定義はない。あくまで一般的に言われている範囲の話だ。くわえて、力の強い審神者がそこの主ともなれば、呪で刀たちの在り方を縛ったり、服従を強いたりすることもあるという。 この本丸の主は、そういった愚かなことはしなかった。あまり政府の視察が入らない、刀装部屋に一つの呪をかけただけだ。 おかげさまでできる刀装は常に軒並み真っ黒で、使い物にならない。手入れ部屋は拡張がなされず、大概が死んだ刀の治療にあてられている。鍛刀部屋のみが恐ろしく正常に活動していて、蔵は常に刀でいっぱいだった。資源をそこに費やしているのだ。 遠征を回るのは、やはり生存率の高い太刀、大太刀が多く、打刀以下はこの本丸には長く顕在できない。まだ出陣危険度の低い場所をぐるぐると回り続ける審神者のもとで、もともと力の強い彼らが出陣や遠征を失敗することも少なかった。 本当にうまく隠している、と、いっそ感嘆するような心地で、長谷部はその主の手腕を見ている。 政府の視察が入る時、主は青白い化粧をする。げっそりとこけた頬で相見えて、役人の前でさめざめと泣く。刀装がうまく作れない。手入れに異様な程の時間がかかる。これは私の霊力が欠損している故なのでしょうか。折れた刀の墓をたて、その墓の前に花を飾り、簡易な呪を刀剣にほどこせば準備は万端だ。どうにかしていきましょうね、と優しい声をかける役人の背を、長谷部は何度冷たい眼で見送っただろう。 死んだ刀の手入れなど無意味だ、と、燭台切がひっそりと手入れ部屋をこじ開け、仲間の手入れを行うことなど頻繁だ。山となっている手伝い札を容赦なく使って、回復させる。ただし出陣の際に折れてしまっては、もうそれも意味がない。 主はそうやってどうやら、間引きをしているようなのだ。 「不運もいいところです。大倶利伽羅どの。折れてしまったらよかったのに」 ほそり、と一期一振が呟くが、大倶利伽羅は無言で眼を閉じたままだ。窓際、景色ばかりは美しい庭に面した場所で、質素な着流しの状態だ。戦装束の他には何も用意されなかったので、あらかじめ用意されていたのだろう敷布を破り、それを繕って鶴丸が作ったという。君が来たからまた敷布がなくなるなぁ、と乾いた声で笑ったのを、一期はひどく寂しい思いで聞いていた。彼の器用さをこんなところで使いたくなかった。 「……言ってやるな、一期。顕在すれば肉体は惜しい」 「私は今だって、折れるものなら折れてしまいたい」 「けれど自ら炉に入る勇気はないだろう、君」 「鶴丸殿」 たしなめるような蜻蛉切の声に、鶴丸は肩をすくめた。しゅるり、と障子が開いて、燭台切が顔を出す。ちらりと窓の前で眼を閉じたままの大倶利伽羅を見やると、持っていた風呂敷を部屋の真ん中に広げた。ふわりと広がる甘い香り。 「……お前、まんじゅうなんか、どこで」 「いや、作っただけだよ。出陣後に審神者が外へ出るのを運良く知れたから、ちょっとこもってきた」 「ありがたい」 「ほら、大倶利伽羅も」 ぽん、と投げられたまんじゅうを、大倶利伽羅は片手で受け取った。次々に手が伸ばされ、その上にぽんぽんと丸いまんじゅうを乗せてやりながら、燭台切も無造作に口に入れる。こしあんを作ったのは太郎太刀だ。今日、出陣を見送られ、ひっそりと蛍丸と二人で、豆をふかしておいてくれたらしい。 久しぶりの甘物で、やんわりと部屋の空気は和らぐ。 「……今日の鍛刀ではどれくらいの時間がかかったんだ？」 「さほどの時間は出なかったようで、鼻を鳴らしていたよ。また早朝に二振り、かなぁ」 「どうするか」 「まあ、折れるだろうなぁ」 もふもふとまんじゅうを頬張りながら、長谷部は会話の対象である燭台切を見やる。そういえばこいつは伊達で大倶利伽羅と面識があったんじゃないだろうか。むしろ鶴丸もそうなんじゃないのか。けれどそれを感じさせないほど乾ききった二人の態度は、いつも通りで、まあそうなる、と長谷部は思う。自分だって宗三が来た時、折れると知っていたから、さほど親しく話しかけなどしなかった。嫌悪を出すわけでもなく、好意を示すわけでもなく、ただ淡々と、適当に接していた。 「……しかし、残ったか……明日の部隊はどうなるかな」 「今までの傾向だと、もう二、三回は同じことになるんじゃないか。さーて、大倶利伽羅、君はどこまで生き残れるんだろうな」 「…………」 「はは、相変わらず無口なやつだ。変わらんなぁ」 なるほど、持て余すとはこのことだ、と蜻蛉切はぼんやりと大倶利伽羅を見やる。片手でもふもふとまんじゅうを齧りながら、本体を離さず、こちらを見るともなく眺めている若い体躯は、お世辞にもここにいる全員と比べても生存が高そうだとは思えない。水の満たされた器は、蜻蛉切が手ずから庭の石を削って作ったものだが、さほど底が深くないためにたくさんをそこに入れておけない。 人数が増えるなら、また暇を見て削る他ないだろうか、と思う。いや、その必要もなくなるだろうか。 寝よう、と誰ともなく言い出して、薄っぺらい布団を無造作に畳に放っていく。まじまじとその光景を眺めている大倶利伽羅に、事情を説明してやろうという者は一人もいなかった。燭台切がさして興味のなさそうな顔で、大倶利伽羅の前にも布団を放り出す。 「慣れないだろうけど、それ使って」 「…………」 「僕らは寝るよ。君も疲れているなら横になりな」 はちり、と長谷部が行灯の火を消して、静かになった部屋の中、ゆるり、と大倶利伽羅はため息をつく。かしゃり、本体を持ち直すと、ちらと庭の上にのぼる月を見つめた。半月が少しふくらんだ形。あと一週間もすれば満月だろうか。 「こいつは重傷だ…………」 ほそり、と呟いた声は、あっさりと眠りに落ちた刀たちには届かなかった。 [newpage] 驚いたことに、大倶利伽羅は二回目の出陣も、三回目の出陣も生き残った。しかも大した怪我もなく、だ。これには燭台切も驚いた。今まで顕在した大倶利伽羅は、少なくとも二度目まで生き残っているケースが稀だった。 「君は特別製なのかな。よく保つね」 「ああ。レアケースなんだろうな」 「……なんだ、慣れあうつもりはないと言っていたから、そのつもりだったのに」 しかも自分が怪我をして彼がしていない、なんて状態も予想外だった。怪我をすること自体は何とも思っていない。よくある話だ。誰も彼もが仕事をあてがわれ、自分で自分を手入れ部屋に突っ込む他ないかな、と思っていた燭台切の手を引いたのは、驚くべきことに慣れあうつもりも群れるつもりもないと、顕在当初から言い放った大倶利伽羅だった。 そも慣れあうような仲も、群れるような数もいないこの本丸に、彼の発言はまるで見当違いだ、と苦笑を禁じ得なかったのも覚えている。 「しかし自分をレアケースと言い切るとは……不遜なところは変わらないね。いやぁまいった。君じゃなくて僕がヘマをするとは」 預けた右腕、丁寧に包帯が巻かれていく。傷口を洗われ、消毒され、この包帯は簡易な血止めだ。手伝い札を使ったためか、本体にはもう傷一つない。ゆっくりと進む身体の治癒は、おそらく三時間後には終了しているだろう。それまでのつなぎのようなもので、簡易には違いなかった。 「しかし、君が本当に生き残ると、いろいろまた考え直さなきゃならないなぁ……。食料の調達もラクじゃないんだよ？」 「…………」 「まぁ審神者がいないときを見計らって……なんとかするかぁ……」 「おい」 これは本当に重症だな。ふと顔をあげて、大倶利伽羅はまっすぐに燭台切を見やった。倦怠的な空気を纏いながらも、その美貌は衰えない。だが、いつも気にしている髪型も身なりも、どこかおざなりであけすけだ。 「一つ聞いておきたいことがある」 「なんだい？」 昔のよしみだからね、答えるよ。にこり、と、邪気のない笑みはいつも通りなのに、どこか疲労で満たされていて、諦観がにじんでいる。無気力。そうだ、今の彼を言い表すなら、その言葉が一番似合う。 「お前はこの状況をどう思っている」 「……は？」 「昔とは比べ物にならないくらいぞんざいに扱われて、どう思っているかと聞いている」 少し沈黙した後、は、と、声をあげて燭台切は笑った。 嘲笑だった。 「何を。人なんてこんなものだろう。刀は道具だ。そういうものだ。……口惜しくはあるけれどね。特に僕は、だいたいどこにいても丁重に扱われていたものだから、こんなのは初めてだよ」 「………………」 「どの人もそう、とは言わないよ。元の主や、僕を手にとった多くの人がそうあったように。むしろここの審神者は例外だ。……そんなものにね、いちいち心を荒立てていては疲れるんだよ。もともとあったかどうかもわからないのに、人の器にされてからというもの、心とは本当に面倒なことばかりさ」 お役目が終わる日が来るまでは、ゆるゆるとこのまま在るのも一興だろう。肩をすくめてみせると、大倶利伽羅は、そうか、と抜けた声で一つため息をついた。ぱちり、見たことのない銀色の留め具で包帯が止められ、しゅるしゅると上着の袖が降ろされる。丁寧な所作は変わらないな、と遠く思うが、今の違和感は何だろう。 「好んでもいないが拒絶もしていない、と」 「もとより、拒絶する権利が刀にあるとは思っていないね」 「呪おうだとか、祟ろうだとかは？」 「あれに呪う価値があるのかい？　祟る意味は？　君も面白いことを言うね。僕らは彼女に肉体を与えられた。その対価に刀を振るう。それ以上も以下もないだろう。向こうもそう思っているから、こそこそ盗人のように食料をかっさらっても眼をつぶってくれるんだ」 「肉体がそれほど惜しいか」 「惜しい、というか、ねぇ。これ、どうしたら手放せるのかわからないし。しかもこの肉の器、無駄に死を恐れるだろう？　どうにもうまくいかなくてね。誰かに介錯してもらうにも、何故だか胸が痛む。そういう情やらなんやらが邪魔をして、死ぬに死ねない者どもがだらだら生き残っているのが現状さ」 「つまり、目に見えるような不満はないと？」 「……まあないっちゃないね。……君はどうしてそんなことを聞くのかな？」 現状が不満なら、戦場で折れるが吉だよ。さらりと燭台切は言い放った。死ね、と言っていることと大差ないのに、あまりそれに動くものはないようで、笑みさえ浮かべて、自分だってそうできるならしたいし、なんて言っている。 思わず大倶利伽羅は腕を組んだ。ここまで仕上げるとは、ある意味本当に神がかっている。 「見事な社畜製造本丸だな……」 「……何言ってんの、君」 人が希望を失う時、はびこるものは絶望ではなく無気力なのだ、と主は語った。 あれをしたい、これをしたい、とにかく欲がついえる。どうなりたい、こうなりたい、願望は想像する前に脳がシャットダウンする。現状で満足。現状維持が何より。新しい要素は可能な限り排除して、よくなる望みなんか片っ端から捨てるのだ。そうなったら最後、無気力のなかに並べられた 事象をただひたすらに繰り返すだけの、見事な人形ができあがる。息ができたらそれでいい、という、最低限のラインができあがる。 時間も疲労も関係ない。自分が生きる上で、必要最低限、のレベルにインプットされたその事象は、どれだけハードになろうとも必要最低限なのだ。繰り返し繰り返し、無気力のなかで繰り返す。延々と繰り返す。徐々に肉体や魂が悲鳴をあげていくけれど、精神はそれに気付かない。それが当たり前なのだから、こなすしか選択肢がないのだ。 やがてぷつんと切れるときまで、延々と死んだように繰り返す。 この燭台切の状態は、その無気力状態にそのまま当てはまるだろう。 きらびやかで華やかだったはずの燭台切光忠は、斬れ味も在り方もそのままに、一定のラインで呼吸を続けている。なまくらでは決してない。けれど、これでは死んでいるのと大差ない。 大差ないと本人自身わかっているから、死んだって別に、のような台詞が出てくるのだ。 見事だった。ここまで仕上げるとは、ある意味本当に神がかっている。 見事なのはいいが、こういう状態の刀剣男士には、何を言ったって無駄だ、ということも、経験上わかっている。 おいしい食事も、豊かな睡眠も、確かな手入れも、道具として慈しまれることも、全てが全て、もう望む範囲外のものになってしまっている。必要最低限以上を望まない心への呼びかけは、非常に難しい。 もう楽しい、だとか、嬉しい、だとか、そういうものを感じる心が枯渇しきっているのだ。 「……まいったな」 「…………？」 「……こっちの話だ」 どうにもここの刀剣男士に協力を求めるのは無茶が過ぎるような気がする。 しばらく眼を閉じて考える。するり、と眼を開くと、大倶利伽羅はふと、外に顔を向けて、らしくもなく指を鳴らした。 「……大倶利伽羅？」 「なんでもない」 そのまま彼は外に出て、旧知をもう一人、探し始める。 どっちかと言えば、この男よりもあっちのほうがまだ希望が見いだせる。 ＊ 「現状？」 「ああ」 「そりゃあもう、退屈さ。驚きなんかありゃしない。……だがな、ここなら仕方がないだろう。もう幾ばくにも、何かがどうなる見込みなんざないんだ」 鶴丸国永は屋根の上に寝転がって、非常に気持ち良さそうに眼を細めていた。今日は日差しが心地よい。雑草にまみれた庭も畑も、誰が踏み入れるわけでもなく放置されている。畑の隅に、ごくごく少量の野菜が育てられており、それだけだ。屋根のふち、はしごに足をかけたまま鶴丸を覗き込む形で、大倶利伽羅は眼を細める。 陽を受ける鶴丸は、いつも遠慮なくまぶしい。 「……お前も光忠と同じ無気力派か」 「……無気力派？　冗談……ちょっと墓に戻った気がするだけだ。あの審神者が死ぬまでの間だ。何、さほど長くはないだろう」 「ああ、そういう考え方……」 「……君、少し柔らかくなったか？　前は君から話しかけてくること自体が稀だったというのに」 にこ、と、儚げな美貌を惜しみなく晒しながら、鶴丸は笑う。大倶利伽羅は、くしゃり、と前髪を撫でる手を払うそぶりも見せない。 「何度かここに大倶利伽羅は顕在したが、君みたいに生き残ったケースは初めてだなぁ……何かに守られているんだろうか。話もほとんどしないままみんな折れちまったが、今ではそれでよかったとすら思うよ。お前も、はやく心づもりだけはしておけな」 「俺は、そう簡単には折れないぞ」 「はは、そういう言葉は俺の練度を超えてから言うんだな！」 「なら言おう。俺は、そう簡単には折れないぞ」 声を出して笑って、鶴丸はくしゃくしゃと大倶利伽羅の頭を撫でる。なーにを言っているんだこのクソガキが。心底愛おしそうに眼を細めてくれるから、大倶利伽羅はほっとして、そのまま少しだけ笑い返した。鶴丸はそれに、驚いたようだった。 「鶴丸国永」 「なんだ」 「顕在した大倶利伽羅は折れた。俺はここの大倶利伽羅ではない」 一瞬、笑みが止まって、ゆっくりと真顔になっていく。その様が本当に驚いているようでおかしかった。身を起こし、大倶利伽羅の顔をまじまじと見つめなおす。何を言っているんだ、と言わんばかりのその表情に、するりと本体を突き出した。 触れたらわかるだろう。その練度、いかほどか。 「…………なんだ、君……どういう、」 「練度が低いふりをするのも、霊力のごまかしも割と骨が折れる。気が向くのであれば、協力願いたい」 きゅう、と唇を噛んだ白い美丈夫は、密やかな声で、断ったらどうなる、と呟く。大倶利伽羅は瞬いた。そんなことはしないだろう、と確信した上で、軽く鯉口を切ってみせる。 いずれにせよ、知られた上で断られたら、そうせざるを得ないのだからしかたがない。 「待て待て待て。物騒だな……。しかし、君、いったいどこの誰だ。野良の大倶利伽羅なんて聞いたことないぞ」 「奇遇だな。俺も野良倶利伽羅には会ったことがない。……政府の管轄だ。詳しい話は、協力してくれるのなら話すが。そうでないのなら、そのまま横になってくれ。痛まないように首を落としてやる」 「俺がそんな面白そうなことに首を突っ込まないとでも思ったのか？」 聞かせてくれ、大倶利伽羅。 にい、と、よく見る、まぶしいけれど楽しさを隠さない顔で、鶴丸は笑う。 よかった、とらしくもなく思った。やはり鶴丸国永、その性質はどこまでも変わらないでいてくれたようだ。 もっとも、人間ごときに影響される鶴丸など、大倶利伽羅には想像もできないのだけれど。 [newpage] とある審神者がいた。彼女はひたすら懸命に任務に取り組んでいるが、一向に成果が現れない。刀装がうまくつくれないことを筆頭に、手入れにも政府が平均値をとった以上の時間がかかる。本人自身はそれに酷く劣等感を感じているのか、政府への相談も頻繁に行い、改善を試みている。刀装で消費しているせいか、資材の貯蓄も芳しくないらしい。 だが、そうやって書面上に現れた事実を、大倶利伽羅の主は疑った。審神者でありながら政府の役人を兼任する彼は、そういった方面での眼が鋭く、よく鼻が利く。あまりにも資源の消費が早い、というのが言い分だった。 よくよく確認してみれば、遠征の成功率は平均を上回っている。刀装生産を成功させようと、かなりの割合でそっちに資源を消費しているらしいが、それでもこの遠征成功率でこの資源消費率は異常だ。もっとも、それは彼の眼からしたら、のことであって、彼女を担当していた役人はそう思わなかったらしい。あの人は本当に頑張っていらっしゃるんですよ、と健気に審神者をかばっていた。 この状態で、第一部隊の申請に稀少度の高い太刀が二振りもいるのは、おかしい、と彼は言う。 鍛刀の報告はごくごく少ない。件の審神者は、まだ武家の記憶のエリアが解放されていなかった。運がよかった、と言えばそれまでだけれど、それにしたって蜻蛉切まで顕在しているのが腑に落ちない、と主は言う。霊力に優れているのなら鍛刀で稀少度の高い刀を招くことは、さほど苦ではないだろう。ならばどうして、刀装で失敗するのか。 原因追及を怠っていたわけではないのだろうが、担当の役人はそれを明確には説明できなかった。主はさらに、その役人に追求した。演練にここまで出ないのは何故なのか。刀装がないにしたって、その原因を探るために他審神者との会合をするべきだろう。避ける理由としては薄すぎる。 だが、それでも疑いが薄いのは明白だった。件の審神者は、あまりにもきれいに理由付けができる状態で本丸を運営している。疑う余地がない。その疑う余地がない部分にも、主は疑問を持っていたらしい。こんなに不具合が出ているのに、それら全てに理由が付けられてしまっているのだ。だのに、根本的にはまったく解決していない状態が、本丸稼働時から続いている。 大倶利伽羅、ちょっと見てきて。 言われて来たのが自分だ。彼らの出陣先で息を潜め、部隊の状態を見つめ、あまりにも無造作な戦い方にあっけにとられた。本質的に、あんな自分の命をどうでもいいかのように扱う刀たちではないことは、自分もよく知っていた。何度かそうやって見つめ、これはほとんど黒だな、と思っていたおり、まさか自分の分霊がその部隊に混じろうとは思っていなかった。 おそらく、顕在したての大倶利伽羅だったのだろう。彼はあっけなくパキリと折れた。 もう一人の自分には後ろめたかったが、これは好機、と、そのまま部隊に紛れ込んだ。異なる主の霊力で編まれた身体だったので、バレる可能性は十分見ていたが、本丸内に忍び込めて、彼らの日常生活が一瞬でも覗けるだけで十分だった。結果的に審神者は彼らへほとんど接触していなかったし、彼らも彼らでまったく気付かなかった。顕在したての刀が食を普通に行えるものだろうか。当たり前のように眠れるだろうか。包帯の留め具の存在なんて知っているだろうか。彼らは顕在したての刀がどういう状況かも忘れるくらい、新入りに慣れていなかった。 「夜に、鍛刀のことで話をしていただろう」 「ああ。毎日十二振り。朝起きて二振り。それが終わって四振り、午後にまた四振り、夜に二振り鍛刀にぶち込んで、朝に前の日の二振りを回収するのが日課だ。太刀であった場合は部隊に入れられ、折れたらそこで終わり。稀少度の高いものがどうなっているかは知らん。俺や一期は、割と初期にやってきた刀でな。もっとも、最古参は光忠だが」 「……ものすごい数だな。そいつらはどうするんだ」 「知らん。鍛刀部屋への出入りは審神者しか行わない。稀に顕在させられた刀がぽつんと庭先に放り出されている。だいたい光忠が連れてくる」 「俺もそうやって？」 「ああ。一人でも二人でも四人でも変わらん。慣れたものだったよ」 そうやってすぐに出陣の達しが来て、大概がその初戦で、折れる。 「露払い、のようなものなのだろうなとは思っている。まあ、そんなものだ。人は人の命さえごみのように扱うことがある。人の身をとったところで刀は刀、扱いはそう変わらんよ」 「…………光忠は、鍛刀された刀がどうなっているのか、知らないか」 「興味がなかったから聞いたことがないなぁ……。たぶん尋ねられても答えなかっただろうよ」 「そういえば初期刀は？」 「さあ……俺が来たときはもうすでにいなかった」 なるほどなぁ、と首をひねる。いったいそんなに鍛刀して、どうすると言うのだろう。よくあるコレクター気質を出してしまって、三日月宗近でも鍛刀しようとしているのだろうか。稀少度の高い刀を求めて鍛刀を繰り返す審神者の心理を、大倶利伽羅はまったく理解できなかった。刀は切れたらそれでいい。より切れたらもっといい。だのに、どうして稀少度、という点に関して固執するのか。 「光忠が協力してくれたらな……」 「やはり縁があると話しやすいのか？」 「それもあるがな。光忠でなければ初期刀だ。古参であればあるほどいい。……よく知っているからな、本丸を」 最古参が燭台切光忠であることは、幸か不幸か、大倶利伽羅にとってはまだわからない。ああなってしまった光忠が厄介だということは承知しているし、だがそれでも明晰であることには変わりない。 できれば、もう少し何かに執着を持っていてほしかった。あそこまで底抜けに全てをどうでもいいと見なしている燭台切光忠は、非常に珍しい。 「……もう一度話してみるか…………」 「なら俺は、その鍛刀された刀の行方を追ってみるか。立ち入りが禁止されている場所は無数にある」 「そんなにか」 「大概のところはな。おそらく保管場所は蔵なんだろうが、審神者が結界を張っている可能性がある。あまり俺たちは立ち寄らんよ」 「どうにかできるのか、その結界」 「少々骨は折れるが、できないことはないだろう。所詮人の結界だ……幸い俺たちに暴力を震えるほど力のある審神者じゃない。いくらなんでも女の腕に折られるような刀じゃないぞ」 「呪で縛られるなよ」 「何のための稀少度だ？　神格は高めだぜ、俺は」 さて、光忠なら厨か部屋だろう。鶴丸はすとんと屋根から落ちると、ひらりと手をふり、のんびりとした足取りで蔵の方へと向かっていく。本当に行動の早い男だ。するするとはしごを下りると、ぽんと地に足をつける。 「さて……もう一度いってみるか……」 ＊ 俺はここの大倶利伽羅ではない、というのは、割と自分の中では常套句だ。他の本丸に行く機会が多かったからそうなったのだろう。おおよそ大半の刀がそれに眼を剥いた。何言ってんだこいつ、という表情も割と慣れていた。だが、今回の、ああ、そう、と端的に答えられたのは初めてだったのではないか、とふと思う。 「そうか。あの違和感はそういうことか……なるほど」 「…………あんまり驚かないんだな」 「驚かないというより、どうでもいい、が近いかな。君がどこの大倶利伽羅であれ、僕にさほど関係あることとは思えないし」 ひょいと干し芋を並べた風呂敷の包みをテーブルの上に置くと、おいでよ、と燭台切はにこやかに笑って手招いた。なんだ、と顔をあげると、いいから、と背を向けられる。佇まいは、いつも見慣れている自分のところの燭台切とは異なり、多少見窄らしかったが、その背には達観に似た爽やかな軽さが見受けられた。傷跡の残る腕、包帯はまだとっていないらしい。 導かれた先は、本丸の裏手。畑とは逆に位置する、年中影で覆われているであろう、広い広い雑多な裏庭だった。 幾多にも石が転がり、見渡す限り、と言うと語弊があるが、それでも閑散とした風景なのは変わらない。すぐ近くに大きな穴があって、ここからではその中を改めることはできない。 「これ、何だと思う」 「…………」 「墓だよ。見よう見まねで最初は作っていたんだけど。……あっちの中庭できれいにされている墓の下には、実は何も埋まっていない。あとから面倒になって、あの穴の中に放り込むようになっちゃったんだけどね」 黙ってしまった大倶利伽羅に、燭台切はただ唇の端を持ちあげるだけの笑みを見せた。陽だまりのような、と感じる彼特有のあの笑みではない。どこか白々しさを湛えた、けれどさっぱりと何もかもを切り捨てた、いっそ潔い笑みだった。 「君が来た、ということは、ここの審神者はもう終わりかな」 「……だと思うぞ」 「重畳だ。ドラマチックな展開もないんだろうね。……あっけないな」 「…………」 「僕はね、大倶利伽羅。演練にも顔を出したことがないから、別のところの自分がどういうふうなのかは知らないんだけど、昔のことを思うと、こんなふうではなかったな、と思うんだ。君もそう思う？」 「……ああ」 「そうか。ならきっと僕は変わったんだろう。……そうだな、話しておこうか」 ばかばかしくなったんだよ。吐き出すようでもなく、嗤うようでもなく、燭台切はそれだけのことのように言い切った。 「扱いが悪い主のもとに顕在してしまったのは、不運だったのかもしれない。でも、人の身になるとどうにも納得するところがある。……使えない道具には苛立つんだ。切れない包丁にはあきれるし、すぐに取っ手がとれる工具もいただけない。主は顕在させては刀を捨て置くけれど、彼女にとって僕らはきっと、そういうものなんだろうと思ったんだ。使い捨て、ってやつだね。……後で捨てるとわかっているのに、大事にしたって意味がないだろう？」 懐紙と一緒だ。少なくとも燭台切はそう確信している。彼女にとって自分たちは、刀以上のものではないし、刀という存在は彼女にとってさほど大切なものではない。湯水のように出てきては消えていく、それこそシャボン玉と同じものだ。 人の身で何かに相対する時、必ず損得で他者を計るようになったのはいつからだっただろう。 「それはたぶん、人も一緒だ」 「…………」 「主は君が来たから捨てられるんだろう。多くの僕らを捨てて来たあの人が、同じように捨てられるのはちょっと笑えるけどね。役立たずは捨てられる。利益にならない者は縁を切られる。その人に有効でないと判断された瞬間、人であれモノであれ、捨てられることは変わらないんだ。役割を持たないということは、役割を果たせないということは、意味がないということだ。……誰しも、自分にとって有効なもの、必要なものしか選ばない」 それは当然のことだ、と、燭台切は思っている。誰かは誰かにとって何かの役割を持たなければならない。父、母、姉、兄、弟、妹、叔父、叔母、友、恋人、上司、部下、それはもうなんだっていいのだ。そういう役割がないと、必要とされないのだ。 誰かの何かになりたいと願うなら、誰かの何かにならなければならないのだ。 役割がなければ演じることさえできないのだ。 「主は自分の刀なんて欲していなかった。僕らは刀以外の何かになることはできないから、もうその時点で関係が破綻しているんだよ」 「…………」 「刀を欲する人のところに降りたのだと思っていた。確かに必要とはされていたよ。何かを斬るためのものではなく、収集のためにね」 「集めていたのか」 「ああ。どこに流していたのかは知らないけれど」 大倶利伽羅が先を促すように見つめてくるが、その先は燭台切も知らない。鍛刀した刀の本体を大量に持って、主がどこかに出かけていくのを知っているだけだ。その刀たちの末路は知らないし、もはや興味もない。 哀れだとも思わない。顕在しなかった分、彼らは所詮、ただの鋼だ。それだけは幸福だろう。 「最初から僕らには役がなかった。まあ、現状は戦場で刀探しをする、っていう役目は与えられているのかな？　鍛刀できればそれでいい、って節もあるけれど、何より僕らは政府に対するカムフラージュのように扱われているんだろう。あれだよ、食事をするに必要なのは箸なのに、どうしてか並べられているのは折り紙でした、ってそんな感じ。似たようなものならまだしも、それじゃ食事はできないだろう？」 「そこまで言うか」 「道具は適材適所に使われてこそ、だろ。戦うのではなく集めるために審神者をやっている人に、人の身で顕在させられた僕らなんかあってもなくても同じものさ。……ここにいることは、僕らにとっては意味がない。主にとっては、リサイクルみたいなものにすぎない」 エコだよね。後で捨てるとわかっているから今は有効活用する。そのためにある程度目をつぶる。 折り合いを付けたわけではない。今だってもやもやしたものは抱えている。けれど疲れ果てたこの心が、新たに何かを求めることは、億劫でならなかった。 今更自分を使ってほしいと願うことは、ここではあんまりにも無意味すぎた。 「……僕は、刀解がいいなぁ」 「…………」 「今さら愛されたいだなんて望むのは、至極面倒くさいな。道具なら、刀なら、当然その動機があってこそ、なんだろうけれど。あ。ちなみに初期刀は加州くんでね。そうそうに折れたよ。わかるだろう？」 「…………」 「道具から捧げられる無償の愛なんてね、本来ありえないものなんだと思うんだ。所詮些末な無機物だ。情も何も、正直疲れちゃったよ。この身体も。刀剣男士としての顕在も！」 他の人にはそれぞれちゃんと聞いてあげてね。ふと身を翻したその手を思わずとった。なんだい、とこちらを見る顔は、平素と変わりない。にこり、とやっぱりきれいに微笑むと、燭台切は、ぽん、と気軽に大倶利伽羅の肩を叩いた。 「人は恨んでないよ。運が悪かっただけだ。僕を生んでくれた人も、君と同じ元の主も、僕を慈しんでくれたし愛してくれた。でも……ちょっとばかりもう、人の姿は疲れたから、眠りたい」 「………………」 「君のところに燭台切光忠は？」 「いる」 「幸せそう？」 「そこそこ」 「ならいいじゃないか。僕にもそういう安寧が欲しいものだね」 そんな寂しそうな眼をしないで。 ひらりと黒い手が離れて、思わずその背を視線で追うけれど、その背にはやっぱり達観に似た爽やかな軽さが見受けられた。彼は振り返らないだろう。そして、決して前に歩もうともしないだろう。停滞を選んだ彼の覚悟は、彼にして恐ろしいほど鋭かった。 [newpage] 「光忠はちょっと、長いことここにいすぎたなぁ……」 折ってやればよかった、と鶴丸は申し訳なさそうに口角をあげた。それはそれで恐ろしい台詞だな、とは思うけれど、自分がそこにいてもきっと同じことを思っただろう、と大倶利伽羅は思う。 結局審神者は、大倶利伽羅が忍び込んだことにも気がつかず、鶴丸の口車にころころと転がされて、あれやこれやと本丸内を存分に舐め回すほど調べ尽くされたことにも気付かず、お縄になった。本当に、燭台切が言ったとおり、あっけない最後だった。 ただ、刀の流出先は最後までわからなかった。審神者が口を割らなかったわけではない。彼女自身、相手が誰だかわからずに刀を譲渡していた。 刀剣男士を使った違法実験を行う研究所か、はたまた検非違使のような第三勢力か。確かなことはわからない。彼女はそこで秘密裏に稼いだ金を、ほとんど全て、実家の仕送りにあてていた。 彼女にとっては何の役にも立たない鋼の塊より、家族の方が大切だった。それだけの話だ。 「まあ人には優先事項があるし、それは刀にもあるからなぁ……。とやかく言うのはそれこそ無意味、か」 「刀を必要としている本丸への譲渡も検討された」 「やはり否と答えたか」 「ああ」 「あいつらしい。……それがあいつにとっての矜持ではあったからなぁ」 自分の決めたことに対して誠実であること。決めるまでも誠実であること。それがあの燭台切光忠の「結果」だった。鶴丸は眼を細めて、解体予定の寂れた本丸を見渡す。残っていた刀たちは、一度すべて政府の預かるところとなったが、燭台切はそれを拒否し、是非すぐに刀解してほしい云々を笑顔で申し出た。 堕ちもせず、正すことも望まない刀は珍しいらしく、政府の役人たちは総じて妙な顔をした。 「いっそ清々しいまでにさらっと死んでいったな、あの男」 「憎むも呪うも格好悪い、ということなんだろうか」 「だろうな。刀の巡りとしては、お姫さんが多いからな。大切にされて、戦場には出されるが、杜撰に扱われた経験があるものはそう多くないだろう。同田貫あたりだったら、これくらいで、と笑ったかもしれないがな。生きる死ぬという前に矜持に重きを置かれた刀たちが、これ以上行くのは無理がある」 お前たちに付き合ってられるか、ってことなんだろうね。主は言った。燭台切の刀解を請け負ったのは彼だった。丁寧に服を整えて、髪を整えて、特に取り立てて言葉もなかったが、最後、燭台切はやんわりと主に向かって微笑んでいるようだった。 君のような主のもとなら、少し違った考え方になったかもしれないね。それは願望でもなく、憐憫でもなく、ただ淡々とした事実であるようだった。主はそれに、申し訳ないです、と、一言添えた。燭台切は首をふって、君は悪くないだろう、と笑った。 幸せそうな笑みだった。と思う。 「あんたはよく保ったな」 「保った、と言えるのかね、これは……。俺たち道具に、人を憎め人を呪え、と言うのは、本来とても難しいことなんじゃないかと、俺は思うよ」 曲がりなりにもツクモガミだ。数多の主の手に渡り、慈しまれ、手入れされ、愛されて、それ故に今の今まで形として残っている刀なのだ。これほど人に大切にされながら、ただ一度、人の肉を与えられた程度で、その揺るぎないものがくずれるわけがない。歴史に名さえ残さない人ごときに、その矜持が根元から踏みつけられるわけがない。そこまで矮小な存在じゃない、そんな程度ならそもツクモガミとして顕在できるわけがない。 人の憎しみや悪意で顕在したツクモガミならともかくも、自分たちは刀剣男士として呼ばれた立場だ。 やっぱり必要ありませんでした、なんて展開は想像もしなかったけれど。 「俺たちは総じて人に愛されて形をとる。無論、審神者によって無理に顕在させられている部分もあるのだろうが、根本はそうだ。それが狂っていようがいまいが、愛されていれば俺たちは形をとれる。……必要とされなくなる経験は、そりゃあるさ。特に、俺のように長くを生きている刀ならなおさら」 「光忠は違ったか」 「あれは人が大好きな刀だからな。今回その思いがまったくといっていいほど掬われなかった、と言ったところじゃないか。己を好いてくれない相手を、無条件で好きで居続けるのは難しい。光忠としては、そうやって何も主に対して感じなくなった自分こそが、不誠実だったのだろうさ。自ら折れる理由はないが、折れない理由もなかったというだけのこと。あとそこにいる理由も、かな」 「…………」 「……必要とされない刀は、地獄だろう。それこそ、折れる折れない以前の話だ」 さあ、俺はどうなるんだ、大倶利伽羅。冴えた冷たいまなざしで、鶴丸は笑う。 刀解ではなく譲渡を求めたこの鶴丸は、現状はまだ政府の管轄の下にある。もうしばらく本丸を探して、そうやって譲渡先が見つかるのだろう。何せ彼は稀少度が高い。 そんな寂しそうな眼をしないで。 最後、自分に言った眼を思い出す。 あんな空虚な眼はもう見たくないな、と、思いながら、ゆっくりと眼を伏せた。 無気力になった燭台切の眼は、まるで深淵のようで、美しかった。

利己的な上司の下で健気に尽くしたって無駄だし新しく入ってくる部下はすぐいなくなるし同期だって無気力だし己に関心はなくなるし。<br /><br />※審神者います。政府のお役人さんと審神者を兼業している社畜。<br />※うちの倶利伽羅はよくしゃべって割と社交的です。<br />※最後、刀解表現があります。ご注意ください。

報われない者たちへ

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453477#1

　私は、子供だ。 　それはわかっている。 　実年齢的な話をすれば、１２歳というのは間違いなく子供だ。 　精神的な視点からも、負けず嫌いなところとか、他にもいろいろとコドモっぽい部分がいくつも思い浮かぶ。 　でも。 　自分が子供だということに気付いた分だけ大人になれたような気がしてしまうのは、考えが甘いだろうか。 　私は、子供だ。 　でも、大人になりたいと常々思っている。そういうところが子供だというのもわかった上で。 　だから私は、指摘したりしない。 　バレンタインデーが製菓会社の陰謀だ、なんて空気の読めないことを言ったりはしないのだ。 　文化という土壌に根付いてしまった習慣を、今更になってどうこういうのは、何というか……滑稽だ。勢いに任せてのバカ騒ぎは好きではないけれど、きっかけにしようという勇気を与えてくれる日であることに間違いはないはず。 　さて。 　プレゼントするチョコには、いろいろな種類があるらしい。 　本命とか、ギリとか。あと、友チョコとか。 　……なんだかなぁ。 　実は、少しでも気を抜くと、陰謀論の側を支持したくなってしまう。私は大人だから口にはしないけど。 　仕事先でお世話になっているスタッフさんたちには、「美城プロダクション所属アイドル一同より」という形で、プロダクションからチョコが配られたらしい。お中元とかお歳暮とか、そういう感覚なんだろう。だから、迷ったけど、私個人からはスタッフさんにチョコは渡していない。いろいろと面倒なことになっても困るし。どういう「面倒」なことになるか、私はまだ子供だからよくわからないけど。 　学校のクラスメイトは、何というか、論外だ。いや、いろいろと勘違いさせたり、されたりしても大変だし。うん。こっちはなんとなくわかる。これでも私はアイドルなのだ。 　というわけでバレンタイン当日、私が用意したチョコは三つだった。 　一つは父に。 　一つはプロデューサーに。 　日頃の感謝を込めたチョコレート。一応、カテゴリとしては「義理」。お給料は母に管理してもらっているから、おこづかいの中から予算は工面した。一応、アイドルとしてのお給料をもらえるようになってから、毎月のおこづかいは少し増えたわけだし。 　そして、もう一つ。包装も、中身も、少しだけグレードが上。赤と青のリボンでラッピングされた、私の価値観ではちょっとだけ豪華なバレンタイン・チョコレート。 　私の手元に残ったままの、渡せなかったチョコレート。 　今日は２月２１日。 　バレンタインデーから一週間たって、世間から甘ったるいムードも消え失せた、そんな日曜日。 「………………はぁ」 　私、橘ありすは、撮影を前にした控え室で、今日何度目になるかわからないため息をついた。 　　　○『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS』二次創作ＳＳ 　　　　「ビタースウィート・マーチ」 「ため息ついたら、シアワセ的なヤツが逃げちゃうらしーよ？」 「わぁぁあぁぁっ！？」 　誰しも、部屋に一人でいるつもりのところに頭の横から声をかけられたら、絶対にこうなると思う。 　むしろ、椅子から転げ落ちなかったところを褒めてもらってもいいくらいだ。 「ありすちゃん、どうしたのー？　耳に、ふぅっ、てされるドッキリのためにリアクションの練習？」 「状況が狭すぎますっ！　だいたい、そんなのドッキリになりません。手段が直接的すぎます」 「でも、どっきりするでしょ？　だったらドッキリだよー。フレちゃんてんさーい♪」 「……もう、それでいいです」 　私は諦めた。この人を相手に変な意地を張って言い合うのは無駄だと知っているからだ。 　宮本フレデリカさん。私と同じ、プロジェクトクローネの一員だ。 「でも、あまりびっくりさせないでください」 「びっくりじゃないよ、どっきりだよ」 「どっちでもいいですから。フレデリカさん、いつの間に入ってきたんですか」 「ニンジャだから」 「フレデリカさんはニンジャではありません。アイドルです」 「あやめちゃんは？」 「……それで、フレデリカさん。何かご用ですか？」 「逃げたー」 　フレデリカさんとの会話において大切なのは、とにかく主導権を握ることだ。 　そんなのは理想論、実際には無理なことが多いけど。この人を相手にしてリードできるはずがない。 　……そもそも話し合いで、クローネのメンバーの中に私が勝てる相手なんていないけど。 「何か重要な用事があるんじゃないですか？」 「重要な用事がなかったら、ありすちゃんの楽屋に遊びにきちゃダメ？」 「別にそうは言いませんが……なら、特にご用があるわけではないんですね？」 「そうだとも。えっへん」 　胸を張るフレデリカさんは、相変わらずフリーダムだ。 「はぁ……」 「ため息、禁止ー」 「今のはフレデリカさんがいきなり楽屋に乗り込んできた分のため息なんですけど」 「でもアタシ、ノックしたよ？」 「え？」 「いっぱいノックした」 「それは……すいません、気が付きませんでした。少し考え事をしていたので」 　本当に気付かなかった。 　フレデリカさんなら、「触れるか触れないかギリギリのライン」でドアをタッチしておいて「ノックした」とかいうトンデモ理論を振りかざしてくる可能性もある。だけど、幸いにして今はそんな気配はなかった。 「でも、中から返事がないのに勝手に楽屋に入るのは、あまりよくないと思いますけど」 「ありすちゃんの許可がなかったら、ありすちゃんの楽屋に入っちゃダメ？」 「え……っと、できれば、控えてほしいです」 　あまりにも堂々と言うものだから、間違っているのが私の方かと錯覚してしまいそうになる。いけないいけない。常識は私の方にあるはずだ。 　これが年齢の差だろうか。 「あはは、だいじょぶだいじょぶ。他の子の楽屋だったら、ちゃんとするから」 「私が相手でもちゃんとしてください」 「返事がないから、ちょっとだけドア開けて、そしたら、ありすちゃんが難しそーな顔してたからさ。つい、からかいたくなっちゃって」 「そういう本音は隠しておいてください……」 　まだカップラーメンも作れないほどの時間しかたってないはずなのに、なんだかすごく疲れた。フレデリカさんのパワーを感じる。 「それで、ありすちゃん。どうしたの？」 　それからフレデリカさんは、何の脈絡もなしに話題を切り替えた。 「何がですか？」 　きっと、本当は頭の回転が速い、聡明な人なんだと思う。普段のちゃらんぽらんな印象が強すぎて、想像するのが難しいけど。 　つまり、私には誤魔化すとかそんな意図はなく、単純にわからなかったから聞き返しただけなのだ。 「悩んでるんでしょ？　フレちゃんでよかったら、相談、乗るよ？」 　更には、心を読む眼力まで備えているらしい。ずばり言い当てられて驚く私。 　フレデリカさん、本当に敵に回したくない人だ。 「今だけ特別！　初回特典でサービス利用料は全額アタシが負担しちゃうよー」 「……どうして私が悩んでいると思うんですか？」 　この期に及んで、まだ負けを認めたくないという子供の部分が顔を出してしまう。 　だって、悔しいじゃないですか。 「うーん……さっきありすちゃん、自分で言ってたからかな。ほら、考え事してたって」 　ぐうの音も出ない。 　フレデリカさんパニックで正気じゃなかったせいか、そんなことを口走った記憶もない。でも、フレデリカさんに適当に語っている気配はない。 「……忘れてください」 　少しぶっきらぼうな言い方になってしまったのが自覚できた。 「忘れる？」 「はい。別に悩んでなんていませんから」 「……そうなの？」 「父が出張中で母も家に帰るのが遅くなるそうですから、晩ごはんは何を買って帰ろうか考えていただけです」 　前半は真実。 　ごはんのことも、今すぐ決断が必要なわけではないけど、間違ってはいない。 　なんとかこれで嘘はついていないということにしてほしい。 「……本当に？」 　プロダクション全体で見ればまだ下はいるが、クローネの中では私が最年少。しかも、次に若い人でも高校生だから、それなりに離れている。 　そして、こう見えてもフレデリカさんは、意外と面倒見のいい、そして、優しいお姉さんなのだ。 　悩んでいた私の様子がどう映ったか知らないが、ある意味では心配になるのも当然だろう。 　フレデリカさんの気遣い。わかっていても、私は自分が「イライラ」しているのがわかってしまった。 　きっと、こういうところも子供。でも、今は一人で考えたかった。 「あの、フレデリカさん」 「うん？」 「今からもう一度、じっくりと撮影の進行表を読み返したいんです。集中したいので、申し訳ありませんが出ていってもらえませんか」 　割り込めないよう、一気に言い切る。 「そっか」 　フレデリカさんは一瞬、力なく笑った。 　すぐに、いつもの笑顔に戻った。 「ありすちゃんは、マジメだねぇ」 「昨日、あまりチェックに時間を割けなかったんです。お願いします」 「うん。わかったよ」 　フレデリカさんは隣の椅子から手を伸ばし、私の頭を一度、撫でてくれた。 「ジャマしちゃってゴメンね。バイバイ、ありすちゃん」 　立ち上がる姿を見ると、もしかしたら怒らせてしまったかもしれない、と後悔の念がよぎる。 　でも、見慣れたあっけらかんとした笑顔を見せてくれたフレデリカさんは、素直にドアに向かってくれた。 「………………はぁ」 　嫌な人間だ、私。 　でも、今はあの人のカオスっぷりについていけるようなテンションじゃないのだ。 　今度会ったときに謝ろう。「え？　なんのこと？　フレちゃんわかんなーい」とか言ってくれるだろうけど、これはけじめだ。 　私のことを心配してくれただけなのに。本当にごめんなさい。 「ありすちゃーん」 「わぁぁああぁぁぁぁっ！？！？」 　ドアを開けたままの後ろ姿から声が飛んできた。 「おこさまランチとかどうかな？」 「ふぇ……？」 「ボリューム満点、栄養バランスもバッチリだし。ほら、イチゴのデザートがついてきたらサイコーだよねー、おこさまランチ」 「出てってくださいー！」 　カラカラと笑いながら、フレデリカさんは逃げていった。 　怒鳴ってから、あの人なりに「今日の晩ごはん」をアドバイスしてくれたんだって気付いた。 「……ごはんのことなんて、言い訳だってわかってるくせに」 　事実にしてくれようとしたんだろう。そんな気遣い、今はいらないのに。 　あと、おこさまランチは野菜が少なくてバランスは悪いと思います。お店によるんでしょうか。 　　　　　○ 　時計で確認していないから体感の話になってしまうが。 　フレデリカさんが退散してくれてから、おおよそ十分後。 『ありすちゃん、いる？　入って構わないかしら』 　ノックの後、入室の許可を求める声。今度は考え事に没頭することなく、察知することができた。 　常識的に進めてくれた手続きに安堵。 「はい、大丈夫ですよ。どうぞ」 　ドアの向こうまで届くように、私も少しだけ声のボリュームを上げる。 「失礼するわね」 　姿を見せたのは、速水奏さん。 　説明の必要もないと思うけど、私やフレデリカさんと同じ、クローネのメンバー。 「こんにちは、ありすちゃん……業界的には、おはよう、の方がいいのかしら」 「どちらでも構いませんよ。お仕事前の待ち時間なので、オンともオフとも言えると思いますから」 　たとえば学校で先生や友達に挨拶するとき、朝でもないのに「おはようございます」と、つい言ってしまうことがある。学生タレントあるあるだと勝手に思っているけど、そういえば他の人はどうなんだろう。今度聞いてみよう。 「それで奏さん、何かご用ですか？」 　しかし、今日は本当に来客の多い（二人ですが）日だ。 　発足当時とは違って、最近ではメンバー個人だったり、プロジェクトの中のユニット単位での活動の方が多い。前に進んでいるということだから、間違いなくいいことだ。 　でも、毎日のようにクローネで顔を合わせていた日々から比べれば、ほんの少しだけ寂しい気持ちにもなったりする。 　子供じゃないから、口にはしないけど。 「用事がなかったら、ありすちゃんの楽屋に遊びにきちゃダメかしら？」 　どこかで聞いたセリフだ。 「こら、そんな顔しないの。アイドルなんでしょう？」 「……この顔は、生まれつきです」 　不機嫌になったのが自分でもわかってしまったから、子供みたいな言い訳が口をつく。 　仕方ないじゃないですか、まだまだ子供なんですから。そんな都合のいい切り替えを脳内で展開してしまったり。 「ふふ。冗談よ。少しからかいたくなっちゃっただけ」 「子供扱いしないでください」 「何の疑問もなしに子供の特権を使えるのなんて今だけよ？　その特権に甘えてしまうことって、そんなに悪いことかしら」 「……奏さんの物言いは、難しいです。私は子供ですから、よくわかりません」 「あら、言うわね。そういうの、好きよ」 　奏さんが思わせぶりにウインク。 　私ではこんな雰囲気、出せない。比べるのもおこがましいレベルだ。これが小学生と高校生の歴然たる差。 　まぁ、奏さんはＯＬに間違えられたりもするそうなので、少しトクベツかもしれないけど。 　 「フレちゃんにね。『ありすちゃんが困ってるみたいだから、相談に乗ってあげて』って、お願いされちゃって」 　そんな気はしていた。 　誰かと連れ立ってというのならともかく、奏さんが一人で楽屋に顔を出してくれたというのは、珍しいというか記憶にない。私より付き合いの深い人が相手なら、そういうこともあるのかもしれないけど。 　とにかく。 　珍しいゲストには、何か理由があるはずだ。そう感じていた。 「あ。これ、ヒミツにしておいてね、って言われていたような気もするわね」 　ついうっかり、みたいな表情を作ってみせる奏さん。 　もちろん、奏さんが「ついうっかり」でこんなミスするはずがない。 　つまり、わざとだ。 「……フレデリカさんは」 「ええ」 「怒って、いませんでしたか？」 　聞くつもりはなかったのに、不安が口をついてしまった。 「隣」 「え？」 「座ってもいいかしら」 「あ、は、はいっ。どうぞ」 　フレデリカさんを追い払ったのに奏さんは歓迎するというのは、少し筋が通らない気がする。 　でも、唐突に聞かれたことと、わずかに開いたままのドアの前に腕を組んで立ったままの奏さんの姿を見て、私は考えることなく首を縦に振っていた。 　素早く手の中のそれをテーブルの上に置いたバッグにしまい、更に端の方によけてスペースを確保。 「緊張しなくてもいいわよ」 　まるで「音もなく」、部屋の隅から私の隣に移動した奏さん。 　その目には、そう映ったようだ。私としては、緊張しているつもりはないけど。 　でも、ミステリアスな雰囲気を見せる奏さんとフリーダムなフレデリカさんでは、私のメンタルに差が生まれてしまうのも当然だと思う。言い訳だろうか。 「ねぇ、ありすちゃん」 「はい」 「フレちゃんが、あれくらいで怒ったりするような、そんな子だと思う？」 「……思いません」 　確信がある。 　それでも私は、不安になってしまった。 　これでは、フレデリカさんを信用していない、と言われても仕方がないと思う。ある意味では冒涜だ。 　正直なところ――フレデリカさんはどういう風に思われても、一切、気にしなさそうですが。 「……ごめんなさい」 「素直な子は好きよ。でも、謝る相手は私じゃないわ」 「そう……ですね。そうですよね」 　私が言うことではないだろうけど、フレデリカさんだってそもそも、そんなに深刻に考えてもらいたくないはずだ。 　気持ちに甘えよう。軽く一回だけ「ごめんなさい」して、あとは今までのように振舞おう。それが一番だ。 「ふふ、私こそごめんなさいね。別にお説教、しにきたわけじゃないの」 　奏さんの言葉を思い出す。 　つまり、相談に乗りにきてくれたわけだ。 「……あの、別に私、何かを悩んでいるわけでは」 　とりあえず、言ってみた。 　本当にとりあえず。この程度でどうこうできる相手じゃない。 「そう？　フレちゃんよりは私の方が相談しやすい、シリアスな悩みなのかとも思ったのだけれど」 「それは……まぁ、はい。人には得手不得手というものがありますから。適材適所ですね。別にフレデリカさんが悪いというわけではなく」 「もちろんよ。フレちゃんが悪いわけじゃなくて、誰か別の人に話を聞いてほしい、ということはあるわ」 「で、ですよね。フレデリカさんが悪いわけではなく」 「フレちゃんなら、晩ごはんの相談とかがいいわね。おこさまランチとかどうかしら」 「……おこさまランチはもういいです」 「話題によっては、もっとしっかりした大人の相手がいい、とかね。例えば、文香とか」 　――こんなことなら、フレデリカさんにドッキリのレッスンを受けておくべきだった。 　その名前を耳にする準備ができていなかったから、心臓が止まるような思いをする羽目になってしまった。 　あと、文香さんとフレデリカさんは同い年だ。 「な、なんで――」 「どうしたの？」 「――いえ、なんでもありません。なんでもないですから」 　二度繰り返して否定。 　文香さんは関係ない、そうアピールしておかないと。奏さんは鋭い人だから、本当に悩んでいることを悟られてしまっては大変だ。 「……ふふっ」 　奏さんは間を置いた。 　もう、手遅れかもしれない。いろいろと。 「ありすちゃんの『悩み』っていうのは……」 「別に悩んでいませんけど、もうそれでいいです」 「今、バッグの中に隠したモノが関係しているのかしら？」 　見られていた。 　完敗だ。 　完膚なきまでの、歴史的大敗だ。 　初めから勝算があったかどうかはともかく。 「あはは。ゴメンね。あんまり遊んじゃかわいそうだけど、ありすちゃん、楽しくて」 「……できれば手加減してほしいです」 「素直な子にはサービスしてあげるわよ」 　別に言われたからというわけでもないけど、私は咄嗟に隠蔽してしまったそれを取り出した。 「オシャレなラッピングね」 　奏さんのシンプルな評価。 　バレンタインデーに渡しそびれた、ちょっとだけ豪華なチョコレート。 「プレゼントかしら？　まぁ、自分のものを自分で買ったなら、こんなキレイなリボンはつけないか」 「はい」 「贈る側？　もらった側？」 「……一応、前者です」 「一応、ね」 　奏さんは触れようと伸ばした手を、直前でストップさせた。 　プレゼントに私以外の気持ちが混ざってしまわないように、という配慮なのかもしれない。ロマンチックなところがある人だから。 「答えられなかったら、答えなくていいから」 「はい？」 「中身は何か、聞いても平気かしら。純粋に興味があるから」 「チョコレートです」 「あら……」 　確かに意外だったのかもしれないけど、奏さんが浮かべた不思議そうな表情の意味が、私にはわからなかった。 「……何か、おかしいですか」 「ああ、そういう意味じゃないの。でも、チョコレートっていうのは――」 「………………はい。一週間前に、渡せませんでした」 　改めて言葉にすると、何というか、負け犬感がすごい。 「あら」 「笑ってください。臆病者だと」 「別に笑ったりはしないわ。難しいものね、そういうのって」 「……奏さんも、そういう経験があるんですか？」 「ノーコメント」 　ぴしゃり、と遮られてしまう。 　余裕たっぷりの奏さんの仕草は、本心を隠しているのか、冗談なのか、まるで見当が付かなかった。 「まぁ、いつかは二人でそういう話をするのも楽しそうね。でも、今はありすちゃんの話が聞きたいわ。無理に、とは言わないけれど」 「……わかりました」 　このまま悩んでいても、前に進めそうにない。 　奏さんに聞いてもらえば、解決とはいかなくても、気分が楽になるかもしれない。 　私はゆっくりと口を開いた。 「チョコを渡す相手は……伏せさせてください。構いませんか？」 「プライベートだものね。それでオーケーよ」 「ありがとうございます」 　伝える情報の取捨選択を、軽く頭の中で済ませる。 　奏さんは強敵だ。失敗は許されない。 「これを渡そうと思った相手は、えっと……仕事の関係者なんです」 　嘘はついていない。 「１４日は私、バレンタインイベントの現場でその人と一緒になって」 「チャンス、かしら」 「そうですね。それで、出番が終わってから、改めて渡そうと考えていました」 「ええ」 「ですが、その人はその後も別の仕事が入っていて、すぐに移動しなければなかったんです」 「あら……そのせいで渡せなかったの？」 「……言い訳に使っているだけです。結局、勇気が出なかっただけで……終わってからでも、始まる前でも、時間は十分に作れたはずですから」 　忙しいから、邪魔しちゃいけない。 　そうやって、自己弁護の理由にしているだけだ。我ながら情けない。 「それに……これは勝手なイメージなんですけど」 「ええ」 「その相手は、バレンタインだとか、そういう浮ついたイベントが嫌い……というか、苦手なんじゃないかと思うんです。だから、チョコを渡すのも尻込みしてしまって」 「苦手、ねぇ。文香がそう言ったの？」 「いえ、聞いたわけではありません。でも、文香さん、なんだか古風で落ち着いたイメージがありますから、あまりバレンタインという雰囲気が得意ではないのかなって」 「まぁ、イメージの話なら、わからなくもないけど」 「だから結局、渡せなくて」 「――相手」 「はい？」 「やっぱり、文香なんだ」 「あ」 　これまでの私の短い人生の中で、最高に情けない「あ」だった。 「わかりやすい子は好きよ。私」 「……どうして、わかったんですか」 「貴女がチョコを贈りたい相手が文香だ、ってこと？」 「～～っ！　そうですっ、そうですからっ！」 　改めて口にされると恥ずかしい。 　いや、文香さんに贈れなかったことではなくて、それを簡単に見抜かれてしまったことが。 「そんな説明口調で、しかも、わざわざ声をちょっとだけ大きくしなくてもいいじゃないですかぁ！」 「ふふっ。安心して、誰にも言わないから」 「まぁ……そこは、信用してますけど」 「それで、どうしてわかったのか、だったかしら」 「……はい」 　間抜けな自爆を披露してしまったけど、あれは奏さんからのキラーパス、ひっかけがあったからだ。どういうルートで文香さんの名前に行きついたんだろう。奏さんの言葉を借りるわけじゃないけど、純粋に興味があった、 　やっぱり、先に相談相手に文香さんの名前を出されて動揺してしまったのがまずかったのだろうか。 「消去法、になるのかしらね」 「しょうきょほう？」 「仕事の関係者、って言ったわよね？　それが事実だとして、申し訳ないけど、ありすちゃんが特別に懇意にしているスタッフさんはいないと感じたわ。それこそ、こんな素敵なチョコを贈りたくなるくらいの相手は」 「……わからないじゃないですか。優しくしてくれた方にお礼の気持ちを込めて、っていう可能性もあるはずです」 　プロダクション内外を問わず、本当に親切な人ばかりだ。芸能界についてあまりよくない噂を聞いたこともあるから、初めは不安もあったけど、杞憂だった。 「だから、印象、インスピレーションよ。そう感じた、っていうだけの話。スタッフさんたちと仲良くやってるっていうなら、喜ばしい話だわ」 「……私、そんなに人付き合いが悪く思われているんですか」 「そうじゃないわよ。ありすちゃんはその辺、しっかりしてるわ。ただ、本命の相手にチョコ一つ渡せない女の子が、はたして感謝の気持ちを配って回るかって思っただけ」 　やっぱり、勝てない。 　反論を挟まない方が、傷は浅く済みそうだ。 「話を進めてもいいかしら」 「どうぞ」 「そういうどうのこうのを抜きにしても、これだけ包装に凝ったチョコをありすちゃんが贈る相手なんて、プロデューサーさんか文香くらいしかいないわよね、結局――」 「……はぁ」 「――というのが、表向きの理由かしら」 　額にかかる髪を右手でかきあげる奏さん。 　無意識なんだろうか。色っぽい、大人っぽい仕草。 「あの……表向き、ですか？」 「それよりありすちゃん、聞かせてくれる？」 「え？」 「さっき言ってたことなんだけど」 「はぁ……」 　なんだろう。トークも上手な奏さんにしては珍しい、ぶつ切りの展開。 「なんだか、面白くて。文香とバレンタインのイメージの話」 「面白い……ですか？」 　正直、ピンとこない。 　これが、普段の文香さんのイメージとは真逆の話、みたいなことだったら食いつく理由もわかるんだけど。文香さんと私はユニットを組ませてもらっているから、奏さんや他のクローネメンバーが知らない素顔だって知っているし。そう思うと、なんだか誇らしい気分になる。 「文香はチョコレートが嫌い？」 「嫌いというわけではなくてですね……きっと、実際に渡されたら、喜んで受け取ってもらえると思いますし。ただ、あまりそういうイベントが好きな印象はなくて」 「というと？」 「ですから……そういう俗世的なイベントに興味がなくて、喧騒から離れて静かに読書してる方が好きなのかな、って思うんです。うまく言えませんけど」 「なるほどね。続けて」 「私は文香さんのことが大好きですし、本当にお世話になっています。でも、その気持ちをバレンタインを利用して伝えるのは、私の勝手な押し付けなのかな……とも思うんです」 「ええ」 「もしも文香さんがあまりバレンタインにいい印象を持っていないなら、私のチョコレートで嫌な気持ちになってしまうなら。だったら最初から贈らないほうがいいのかな、って。結局、勇気が出ない言い訳ですけどね。さっきも言いましたけど」 　奏さんは、大きく一度うなずいた。 「………………だそうよ、文香」 　そして、楽屋の外にまで届くくらいに声を張り上げた。 「え！？　な、なんですかこの展開！？」 　いわゆるご本人さん登場のパターンじゃないですか！？ 　ドッキリ仕掛けられるなんて聞いてません！ 　そもそも、ドッキリというのは事前に聞かされるものでもない気もしますが。いえ、わかった上でリアクションしてる方もいらっしゃるでしょうけど。って、そんなの今はどうでもいいんです！ 「全部聞かれていたんですか！？」 「私がいつもより声大きめで話してたのも、ドアを完全に閉めなかったのにも気付かなかった？」 　そういえばドアを閉める音もなかったし、今日の奏さんは説明的な口調が多かった気がする。でも、そんなの気付くわけないじゃないですか。 　奏さんの言葉を裏付けるように、楽屋のドアがノブを回す音もなく開いた。きっと初めから少し隙間があったんだろう。中の声がよく聞こえるように。 「じゃーん！」 　そして、フレデリカさんが登場した。 「………………はぁ」 「ありすちゃーん、ため息禁止だよー」 　騙されっぱなしだ。 　やっぱりこの二人には勝てる気がしない。 「もうお二人とも帰ってください！」 「あら、そのつもりよ？」 「あとは若い人に任せて、ってヤツだねー」 「………………っ！？」 　疲れ果てた私だけど、幻覚を見るほどではないはずだ。 　フレデリカさんが繋いだ右手。 　引っ張られた先には、文香さんの姿があった。 「全部聞いた？」 「バッチリ」 「まぁ、ありすちゃんより先に、文香に話を聞いてたのよ。これが裏向きの理由ね」 「アタシは先にありすちゃんに会ったんだよー。その後で悩める文香ちゃんを発見してしまったのだ」 　二人のネタばらしが、全然頭に入ってこない。 　私の視線は、文香さんに釘づけ。 「ほら文香ちゃん、ありすちゃんも、ふぁいとー」 「あ、あの」 「私たちにできるのはここまでかしら。お邪魔したわね」 　そう言い残して、（おそらく）この一件の首謀者二人は、本当に去っていったのだ。 　奏さんが部屋から出て、ドアが完全に閉まる音も確認した。 　残されたのは、文香さんと私。 「……あ、ありすちゃん」 「……な、なんですか、文香さん」 「………………本日は、お日柄もよく……」 　お見合いか。 　　　　　○ 「文香さん、お茶、飲みます？」 「はい。いただけますか？」 　文香さんは特別にお茶を飲みたかったわけではないだろうし、私も特別にお茶を準備したかったわけではない。 　ただ、空気を落ち着けるための、普段通りの儀式だ。楽屋に備え付けのポットでお茶を二人分準備してから、私は元の席、文香さんの隣に座った。 「ありがとうございます。いただきます」 　湯気の立つお茶を二人ですする。 　味はよくわからないけど、温かい感触が少しだけ気持ちを落ち着けてくれる。そんな気がする。 「……何から話せばいいでしょうか」 　一息ついた後。 　口火を切ってくれたのは文香さんの方だ。 「では、私から」 「お願いします、ありすちゃん」 　こほん、と一つ咳払い。 「さっきの奏さんとの会話、本当に聞いていたんですか？」 「……ごめんなさい。盗み聞きのようで、よくないとは思ったのですが」 「きっとフレデリカさんと奏さんが悪いんです。文香さんは気にしないでください」 　かばうわけにもいかず、文香さんは口元を苦笑いの形に歪めた。 「……文香さんは」 　さすがに、聞かないわけにはいかない。 「バレンタインデーについて、どう考えていますか？」 　イメージと実像のピントを合わせる作業。 「肯定でも否定でも構いませんから、本音で答えてほしいです」 「そう言われると、合わせているようで少し言いにくいですが……私は好きですよ。バレンタインデー」 　ここには私たち二人だけしかいないから、文香さんは嘘をついたりしない。だからこれは、気遣いとかじゃなくて、本心だ。 「少しだけ勇気が足りない女の子の背中をそっと押してくれる、そんな幸せな日だと思っています」 　私の考えと同じだったから、驚いてしまった。 「……私は、むしろありすちゃんの方が、バレンタインを嫌っていると思っていました」 「え？　どうしてですか？」 「その……聖ウァレンティヌスの殉職に由来する日でチョコレートは関係ないとか、製菓会社の陰謀だとか、そういうことを考えていそうなイメージだったので……」 「……そこまで空気が読めないつもりはありません」 「ご、ごめんなさい」 「大丈夫ですよ。文香さんに悪気がないことくらいわかっていますから。そんなに子供だと思われているのは、ほんの少しだけショックだったりもしますけど」 「……私だって、ありすちゃんに騒がしいイベントは苦手で古風な人間、なんて勘違いされていたのはショックでしたよ？」 「あ、あれはたとえ話というか……ごめんなさい」 　こらえきれず、二人で同時に噴き出した。 　少なくとも、文香さんがこんな風にわかりやすく笑ってくれるのは私の前だけだから、嬉しい。 「では改めて、文香さん」 　ひとしきり笑ってから、私は二色のリボンで彩られたプレゼントを手に取った。 「いつも文香さんには助けてもらっていて、その感謝の気持ちです。一週間ほど遅れてしまいましたが……ハッピーバレンタイン、です」 「ありがとうございます、ありすちゃん。本当に嬉しいです」 　断られることはないと思っていたけど、実際に受け取ってもらえてほっとした。下手すれば、初めての現場での仕事よりも緊張していたかもしれない。 「……あの」 　油断していた。 　文香さんの方には、まだ、続きがあった。 「私の方が年上なのに、先にありすちゃんに大変な役目を担わせてしまいましたね」 「え……？」 「……これ」 　文香さんがバッグから取り出したのは、英字新聞そのものか、そういうデザインの包装紙なのかはわからないけど、大人のラッピングが施された一品だった。 　はっきり言おう。その中身が何かわからないほど、私は子供じゃない。 「思えば今日だけではありません。ありすちゃんはいつも、頼りない私を引っ張ってくれます。おかげで私も、アイドルを続けていられます」 「そんな……頼りなくなんてありません！　私だって、文香さんがいてくれるからっ」 「ふふ、ありがとうございます。とにかく、そんな日頃の感謝の気持ちです。ハッピーバレンタイン。受け取ってもらえますか？」 「……ありがとうございます。嬉しいです！」 　出番まではまだ時間がある。 　緑茶にチョコという少しトリッキーな組み合わせだけど、見ているだけではガマンできない。即席のお茶会を始めることにした。 　丁寧にラッピングを剥がしていく。 「実は、手作りにも挑戦してみようかとも思ったんですが……来年以降の課題です」 「私もです。えへへ」 　腕前の問題なのか、時間的な都合なのか。文香さんの事情はわからないけど、そう思ってくれるのは嬉しい。 　もちろん、手作りが市販のチョコレートに勝っている、というわけでもないけど。 「……あ。クッキー、ですね」 　開封は文香さんの方が早かった。 　クッキー生地にチョコレートがかかったもの。デパートで買ったとき、一つ試食させてもらった。甘さ控えめのビターな味わいで、文香さんにも気に入ってもらえるはず。 「はい。指先が汚れないようにと思って。これなら本を読むときにつまむこともできますから」 「ありがとうございます。でも……本当に、驚きました」 　私の心遣いが、という意味ではない。 　文香さんのチョコを実際に見たところで、驚いた理由がわかった。 「……クッキー、ですね」 「タブレットでゲームしたり、読書したり、そんなときでも気軽につまんでほしいという考えだったんですが……まさか、一緒になるとは思いませんでした」 　同じような、クリームのかかったクッキーだ。 　見た目ではっきりと違う点が一つ。 「かかっているのはイチゴチョコです。私も一枚いただいたんですが、イチゴの甘酸っぱさがとても強く感じられて、とてもおいしかったです。きっとありすちゃんも気に入ってくださるかと」 　文香さんが私のために選んでくれた。 　きっと慣れない作業だったに違いない。そんな中でも、しっかりと考えて、決めてくれたのだ。 　それだけでも嬉しくて、気持ちが通じていたのももちろん嬉しくて、熱いものが溢れてしまいそうになった。 「っ……待ちきれません！　早くいただきましょう」 　子供っぽさで誤魔化す。 　まぁ、待てないというのも本心だけど。 「ふふっ。そうですね、いただきましょうか」 「はいっ」 　口に運ぶ。 　比べるのも失礼だけど、一口で、コンビニで買うような安物のチョコレートとは全然違うのがわかった。いや、バレンタインのチョコの価値は値段が全て、なんて言わないけど。 「おいしいです。本当に、イチゴの風味が口全体に広がって……クッキーの部分もサクサクで合っていて」 「なんだかグルメレポーターみたいですね」 「え？　あ、そんなつもりじゃないんですが」 「私はそういうのが苦手で……本当においしいです。語彙が貧弱で申し訳ありません」 「いえ、おいしいって言って食べてもらえるのが一番ですから。文香さん、甘いのは大丈夫なんですか？」 「嫌いではありません。けど、ありすちゃんがくれたこのチョコのように、少しほろ苦いくらいの方が好みですね」 「よかった……文香さんが気に入ってくれるように、とがんばって選んだ甲斐がありました」 　撮影前に食べ過ぎるのもよくない。残りは家に帰ってからゆっくりと味わうことに決めた。 　二人で交換したバレンタインのプレゼントを、大切に片付ける。まだ仕事の前だからこう言うのもどうかと思うけど、家に帰るのが楽しみだ。 「ふぅ、ごちそうさまでした。ありがとうございます、ありすちゃん」 「私も、ありがとうございます。あと、これからもよろしくお願いします」 「こちらこそ、よろしくお願いしますね」 　最後に口の中に残ったチョコの味わいを、お茶で洗い流して気持ちの切り替え。ここからは仕事の時間だ。 「撮影のこと、少し話しておきます？」 「そうですね……ああ、その前に一つだけ」 「はい？」 　文香さんが、少しだけ意地悪そうに笑った。 「お互いに来月の１４日は、遅れないようにしましょうね」 「……そうですね。二人とも、一週間も遅刻しちゃいましたから」 　３月１４日はホワイトデー。バレンタインデーのお返しをする日。 　こんな素敵なプレゼントをもらったのだ。お返しに何を贈ろうか。 　考えるだけで頬がだらしなく緩んでしまうのを、私ははっきりと感じていた。 　それはそうと。 「文香さん」 「なんですか？」 「今日の撮影が終わったら、一緒に晩ごはんを食べにいきませんか」 「いいですよ。ありすちゃん、何か食べたいものはありますか？」 「おこさまランチを食べたい気分です」 「おこさまランチ……ですか？　それは……はい、わかりました。どこかファミレスにでも寄ることにしましょう」 　今回のような相互の誤解が二度と起こらないように、今日は文香さんとたっぷり話したい気分だった。 　２月２１日、日曜日。 　世間一般からすれば一週間遅れでも、私にとっては最高のバレンタインデー。

アイドルマスターシンデレラガールズ。橘ありすさんにとってのバレンタインデー。<br />一応アニメ終了後のおはなし。ありすの一人称視点。<br /><br />追記：おかげさまで16年2月22日付の小説部門・男子に人気ランキング48位にランクインしました。読んでくださった方々に感謝です。

ビタースウィート・マーチ

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453492#1

あてんしょん ＊イッチとヤンホモ除いた４人のLINEとそのときのイッチとヤンホモ、おまけで長兄松のLINE ＊カラ→→→→→→→→いち ＊おそ兄さんのラスボス感ハンパない ＊十四松が唯一の癒し おけ？？？ [newpage] ［長男様］が［シコまっちゃん］さん、［とってぃ］さん、［やきう］さんを招待しました。 ［シコまっちゃん］さん、［とってぃ］さん、［やきう］さんが参加しました。 とってぃ:何これ とってぃ:何でカラ松兄さんと一松兄さんはいないの？？ シコまっちゃん:こういうときだけ仕事早いな やきう:野球すんの？！河川敷来る？！ 長男様:カラ松がボールで野球しような 長男様:後でだけど とってぃ:カラ松兄さん何かしたの？！ とってぃ:おそ松兄さん恐いんだけど！！！ とってぃ:どういうことなのチェリー松兄さん！！ シコまっちゃん:誰がチェリー松だ シコまっちゃん:お前らもチェリー松だろ とってぃ:反応してる時点で自分だってわかってるよね とってぃ:それで？何があったの？？ 長男様:【悲報】一松がカラ松に連れ去られた 長男様:カラ松は監禁犯へと成り下がりました とってぃ:……え？ とってぃ:え？は…？ とってぃ:はあ？！ シコまっちゃん:やっぱそういう反応するよね とってぃ:いやいや！！ とってぃ:何のほほんと言ってんの？！ とってぃ:犯罪だけど？！ とってぃ:立派な犯罪だからね監禁は！！！ やきう:一松にーさんどこ行ったの？ とってぃ:十四松兄さん覚醒の悲劇 とってぃ:カラ松兄さん逃げて！！？ 長男様:逃げられたら困るだろ 長男様:一松の居場所吐かせないと とってぃ:ダメだ とってぃ:おそ松兄さんもおこじゃん とってぃ:てか、何で監禁？？ シコまっちゃん:簡単に言うと、 シコまっちゃん:一松大好きなサイコなヤンホモになったカラ松がノンケの一松の罰ゲームの告白のLINEを本気にして攻めてる とってぃ:それ一松兄さんの自業自得じゃないの？？ とってぃ:カラ松兄さんヤンデレかよ 長男様:あいつにデレはない 長男様:ヤンでるホモだからな とってぃ:何なの？？ とってぃ:サイコパスを超えるとヤンホモにでもなるの？？ シコまっちゃん:今そんなこと言ってる場合じゃないから シコまっちゃん:で、誰かカラ松見てない？ シコまっちゃん:一松でもいいけど やきう:一松にーさんならみたよ！ やきう:なんか急いでた！！ 長男様:まじ？ 長男様:どこで見た？ やきう:んーとね やきう:河川敷！トト子ちゃんのほうに向かって行ってたよ！ シコまっちゃん:まじか シコまっちゃん:十四松ナイス！！ 長男様:取り敢えず手分けして探すぞ とってぃ:一応、トト子ちゃんにも聞いておいた方がいいんじゃないの？ とってぃ:トト子ちゃんの家に行ってた途中ならLINEか何かしてるだろうし 長男様:トド松よろしくな とってぃ:何で僕？！ シコまっちゃん:言い出しっぺの法則 やきう:言い出しっぺー！ とってぃ:ああもう！！ とってぃ:わかったよ！！ とってぃ:SNSでも拡散希望にしておくね 長男様:さすが 長男様:ネット内の友達は多いだけあるな とってぃ:それ褒めてるの貶してるの？ シコまっちゃん:確かトド松のところにもカラ松からLINEきてたと思うんだけど シコまっちゃん:一松が言ってたし とってぃ:ああ、うん とってぃ:きてたよ とってぃ:なんか、一松兄さんの居場所知らないか、って とってぃ:僕てっきり、一松兄さんが何かしてカラ松兄さんが珍しく怒ってるのかなって思ってたのに 長男様:臨戦状態(意味深)だったことは確かだけどな シコまっちゃん:意味深やめろ シコまっちゃん:洒落にならないから 長男様:んじゃ俺 長男様:北の方探すから 長男様:チョロ松は西、十四松は南、トド松は東な やきう:南ってどっち？！ とってぃ:その河川敷から家の方だよ、十四松兄さん！ やきう:わかったー！ やきう:トド松セクロス！ やきう:間違えた！サンクス！！ シコまっちゃん:十四松、今その間違いはかなりクるからやめて とってぃ:一松兄さん今頃 とってぃ:アッー♂ とってぃ:なのかな シコまっちゃん:おいこら シコまっちゃん:ドライモンスター とってぃ:チョロ松兄さんだって思ったでしょ？！ とってぃ:ぶっちゃけ 長男様:他に監禁する理由なくね シコまっちゃん:潔いな逆に！ シコまっちゃん:弟が弟を犯しているかもしれないのに 長男様:もう俺悟りの窮地だから 長男様:悟り開いたから 長男様:監禁されたらもう一松は処女じゃいられないよね 長男様:間違いなくヤられてる とってぃ:殺られる方がマシかもね とってぃ:どうしよ とってぃ:これからあの家に強姦魔がいると思うと…… シコまっちゃん:カラ松追い出そう シコまっちゃん:そうしよう やきう:カラ松にーさんどーてい捨てるの？！ とってぃ:そうだよ十四松兄さん とってぃ:あの人、一松兄さんで童貞捨てるんだよ やきう:えっ、だめ！ やきう:おれもすてたい！！ シコまっちゃん:みんな捨てたいよ童貞なんて やきう:おれも一松にーさんですてる！ シコまっちゃん:おいまて シコまっちゃん:十四松、一回考え直そう やきう:なにを？？ シコまっちゃん:お前には可愛い彼女がいるだろ？？ シコまっちゃん:今は遠くにいるけど、また会えるんだし シコまっちゃん:その子に童貞は取っておこう？？ 長男様:チョロちゃん必死wwwwwww 長男様:十四松は帰って正座な とってぃ:この家ロクなのいないなホント シコまっちゃん:お前もだからなドライモンスター 長男様:そろそろお前ら移動しろよ？ 長男様:なんかこっち、建物ばっかなんだけど シコまっちゃん:廃工場とかは中まで見てよ シコまっちゃん:そこにいる可能性あるんだから 長男様:へーへー とってぃ:あ、トト子ちゃんからLINE返ってきた とってぃ:一松兄さん、やっぱりLINEしてたよ！ シコまっちゃん:何て？ とってぃ:ちょっと匿ってほしい とってぃ:って内容だったみたい とってぃ:いいよって返したらその後は既読無視だって シコまっちゃん:やっぱトト子ちゃん家に行ってる途中でカラ松に攫われたのか… とってぃ:ねぇこれさ、 とってぃ:帰ってきてからカラ松兄さんに問い質せばよくない？ とってぃ:全員で詰めたらさすがに話すでしょ 長男様:あいつにLINE全部無視されるつらみ 長男様:場所関連は全部無視だなこいつ 長男様:一松の様子聞けば、よく眠ってるんだと シコまっちゃん:カラ松警察通報決定 シコまっちゃん:今すぐしてやりたいけど場所がなぁ… シコまっちゃん:そんな簡単にゲロらないか やきう:ろじうらいないよ！ やきう:猫はいるのに やきう:家ついた！ シコまっちゃん:十四松はもしもの為に家にいて シコまっちゃん:カラ松が帰ってくるかもしれないし やきう:あいあい！！ やきう:プリン食ってイイっすか？！ とってぃ:それカラ松兄さんのだよね とってぃ:いいよ、食べて やきう:やった！！！ やきう:うま！プリンうま！！ とってぃ:十四松兄さんに癒されてる… 長男様:お前らちゃんと探せよなぁ！ 長男様:俺が頑張ってるって言うのにさぁー！！ シコまっちゃん:わかってるよ シコまっちゃん:僕も友達に聞いてみるし とってぃ:友達って とってぃ:どうせドルオタでしょ シコまっちゃん:ドルオタ馬鹿にすんな シコまっちゃん:それなりの情報通なんだからな 長男様:ここで喧嘩すんな 長男様:するなら一松見つかってから シコまっちゃん:……わかってるよ シコまっちゃん:早く見つけないとね とってぃ:さっさと見つけて とってぃ:カラ松兄さんに制裁加えないとね！ ふと、意識が覚醒する。ずっと同じ姿勢でいたらしく、身体が思うように動かない。…理由は、それだけではないらしいのだが。 おそらく、睡眠薬でも嗅がされたのだろう。頭が未だにクラクラする。頭を振って混濁する意識をはっきりさせる。辺りには何もなく、自分が今寝かせられている簡素なベッドがあるだけだ。そのベッドもぎしぎしと古いスプリング音を鳴らすだけである。目隠しも猿轡もされていない。大声を出そうと思えば出せる。でも、ここからは逃げられない。 手は手錠をされており、簡素ベッドへと繋がれている。玩具のようなそれはガチャガチャと音を鳴らすだけで一向に取れる様子はない。 すると、閉じられたドアの向こうからコツコツと小さいがよく響く靴の音がした。助けか、カラ松か。どうか前者であるようにと願いながら手錠を鳴らす。外れてくれ、とは思うものの外れない。 「ああ、起きたのか。一松」 ギィ、と錆びた蝶番の音が嫌に部屋に響いた。声をかけてきたのは、嫌と言うほど聞き慣れた兄の声。そう、兄だ。自分を追いかけここに連れてきて自分を拘束しているのは血を分けている同じ顔をした兄弟である。 「悲しいな一松。お前の声が聞けないのは」 その言葉は暗に俺にカラ松の名前を呼べと言っているかのようだった。 「…カラ松」 「何だ？一松」 名前を呼んだだけだというのにこいつは嬉しそうに俺に近寄ってくる。 来るな、とは言えなかった。 「……これ、外せ」 手を出す代わりにガチャリと手錠を鳴らす。 カラ松はきょとりと不思議そうな顔をして首を傾げた。 「何でだ？」 「……は、？」 その言い方はまるでつけているのが当たり前かのようであった。 やはりこいつは、どこかおかしい。 俺を好きだとほざき挙句ヤろうと言い出すのだらか相当なのは確かなのだが。まさかこんなことをされるとは思ってもいなかった。当たり前だ。 「一松、一松、一松。一松一松一松一松いちまつ、いちまつ」 「っ…」 俺の名前を呼んで抱き締めてきた。普段見せない馬鹿力で離さないとでも言うようにギリギリと力を込められる。骨が折れてしまいそうだった。 「一松、やっと、やっと両思いになれたんだ。なのに何故お前は俺から逃げようとするんだ？一松、なぁ、どうして、どうしてなんだ。何故俺ではなく、チョロ松と楽しそうに話すんだ？一松、いちまつ」 何を言っているんだと思った。 両思い？誰と誰が。 こいつはまだ、俺が罰ゲームで送ったLINEを本気にしているのだ。あのとき言った、ヤッてしまえば嘘にはならないと言う言葉をこいつは、有言実行しようとしているのだ。ふざけるな。俺は男だ。抱かれる側ではない。抱く側なのだ。抱く側に移ればいいってものでもない。 「一松、これで一松は俺のものだ。髪の毛一本、誰にも渡さない。一松、俺の可愛い可愛い一松。ああ、早くお前を抱きつぶしたい」 髪や耳、顔中にキスの雨を降らすカラ松に俺は狂ってるとしか思えなかった。 「…出せ、ここから」 「どうしてだ？2人きりになれたのに」 「俺は帰る。お前は一人でここでオナっとけ」 ギロリといつものように睨んでみても無駄だった。照れ屋だな、と笑われそのまま服に手をかけた。 「なにすっ…？！」 ビリ、と音を出しながら俺のパーカーは破られた。こんな簡単に破れてしまうものなのかと少しばかりの現実逃避をしたものの状況は変わらない。寧ろ悪い方へと行っている。このままでは本当にヤられてしまう。 「おいっ…このボケが…！！離せっての…っ！ふっざけんなよ、てめぇ！」 「大丈夫だ、一松。慣れてしまえばどうってことないからな」 会話をしようとしないこいつに俺は蹴りでも入れてしまおうかと考えた。 すると、また最初のときのようにドアの向こうから靴の音とくぐもった声が聞こえた。 「おーーーい、カラ松ぅ〜？一松ぅ？いるぅ？？」 助けに来たのだと、わかった。こんな狂った空間を俺はすぐに抜けられる。そんな安堵感が俺の中に生まれた。 カラ松はおそ松兄さんの声が聞こえているのかいないのか、ただ聞こえていないフリをしているだけなのかわからなかった。 やがてまた蝶番が嫌な音を立てながらドアが開けられた。 「あーりゃりゃ、お取り込みちゅー？」 俺邪魔しちゃったぁ？と普段と変わらない声色でおそ松兄さんはカラ松に聞いた。カラ松は無言でおそ松兄さんへ視線を向ける。 「…なぜ、いる？」 一瞬グルなのかと考えたけれど、カラ松の言葉で違うことがわかった。おそ松兄さんは楽しそうにニヤニヤと笑いながらカラ松に言った。 「あれあれぇ？そんな態度取っていいのかな、カラ松くぅーん。俺がここらを探すって言わなきゃチョロ松とか来てたのにさぁ」 そしたらお前、一松のこと奪われてたよ？とこれまた楽しそうに言った。 俺はただただ黙って目の前で行われている会話を聞いているしかなかった。この人は、一体何がしたいのだろうか。 「……邪魔は、しないんじゃなかったのか？」 「だぁーから、一松のこと助けに来てるわけじゃないデショ？」 あ、ごめんな一松。そう笑う顔は、いつもであれば安心を与えてくれるものであるはずだった。 しかし今では、その笑顔は恐怖でしかない。 「…な、んで……」 「何でって言われてもねー。俺だって弟が犯罪者なんて嫌よ？でも、だからって弟の恋路邪魔するほど鬼じゃねーし？ まあ、それにカラ松に約束したからさ。 カラ松の邪魔もしなけりゃ、お前を助けもしない、ってな！」 笑い合う二人の姿は俺の目には、悪魔のように映った。 [newpage] おまけ 【長兄松】 おそにい:カラ松 おそにい:お前ホモだったのかよwww カラ松:どうしてわかった？ おそにい:長男なめんな おそにい:さすがにあれはない カラ松:あれ、とは？ おそにい:お前わかってて言ってる？ おそにい:盗聴器とGPS カラ松:ああ… カラ松:あいつはすぐに何処か行ってしまうからな カラ松:心配なんだ おそにい:心配、ねぇ おそにい:でもそんなのすんの一松だけだろ？ カラ松:当たり前だ カラ松:他の奴にやるのはさすがに気持ち悪いな カラ松:一松のことは何でも知っていて当然だろう？ カラ松:一松の兄なんだから おそにい:兄はそんな邪な感情持たねぇよ おそにい:ま、こっちに被害なけりゃいいんだけどね カラ松:邪魔するなら、いくらおそ松でも許さないからな おそにい:おお、怖い怖い おそにい:んなことしねーよ おそにい:かといって協力も応援もしないけど カラ松:ならいい カラ松:兄弟を殺すのはさすがに抵抗があるからな おそにい:お前ね… おそにい:ま、いいや おそにい:お前に協力はしてやらないけど邪魔もしないよ カラ松:…本当か？ おそにい:ホントだっての カラ松:……約束、してくれるか？ おそにい:いーよ おそにい:お前の邪魔はしない おそにい:それに一松に何があっても俺は助けないからね おそにい:助言はするかもだけど カラ松:構わない カラ松:破ったら、 カラ松:指切り、拳万、針千本飲ます カラ松:からな おそにい:ああ、怖いねえ おそにい:わぁーてるよ

▼おや… おそ松の 様子が…… ？？<br /><br />これが最後だと信じて続いたヤンホモカラ松とノンケ一松と全てを知っていたおそ松兄さんと巻き込まれた他の松たちです。<br /><br />前回までの不憫でマジ兄さんなおそ松兄さんはいません。もう一度言います。兄さんなおそ松兄さんはいません。<br />これを読んでからまた最初から読み返すとまた違った面白さになるかもしれません。知らんけど。<br /><br />もはやおそ松兄さんがコ○ンで言う犯人でもいい気がしてきた。<br /><br />スクロールバーには休みがないらしいです。ブラックなところで働いてるね！頑張れ！(他人事

トド松「サイコをやめたヤンホモ兄がノンケ兄を監禁する話」

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453555#1

　母親が念願叶っての娘ということもあってか、母親と妹はとても仲がよかった。 　休日に二人で出かけることなんてしょっちゅうだった。父親は気分でついていったり、別に仕事仲間と出かけたりすることもあった。 　一人でいる時間が多くなったのがいつぐらいからだったのかはもう定かではない。別に誰が悪いというわけでもない。ただ母娘の仲が異常によく、兄である真緒は放っておいても心配ないぐらいしっかりと育ち、父親はじぶんの好きなように動く人間だった。 　今日は二人で女児向けのアニメ映画を見に行くらしい。父親は朝早くから職場の同僚と釣りに出かけていた。妹が靴の紐を間違えてかた結びしてしまったらしく、母親はもう、と窘めながらも解いて結び直していた。 「行くの？」 　別にいまさら止めるつもりはなかった。そろそろ出かけるのか、夕飯の頃には帰ってくるのか、という意味で訊いたのだ。昼下がりのドアの向こうに垣間見える空は晴天で、絶好のお出かけ日和だ。 「やっぱり真緒も来る？」 　こちらを見向きもせず、靴ひもを結びながら母親が訊ねてくる。幼い妹の短いそれに思いのほか苦戦しているらしかった。 「ううん。漫画読んでる」 「そう。真緒なら大丈夫なんでしょうけど、何かあったら連絡するのよ」 「わかってる。夕飯はどうするの？」 「買い物次第かしらねぇ。食べてくることになったら帰りに何か買ってくるわ」 「あるもので適当に作るから平気だよ」 「あら。すごいわねぇ、真緒は。あの人とは大違い。誰に似たのかしら」 　きゅ、と靴ひもが締まる音が真緒にも聞こえた。 「ママぁ、映画に遅れちゃうよぉ」 「はいはい。それじゃ行ってくるから」 「おにいちゃん、いってきまぁす」 「うん、いってらっしゃい」 　ぱたんとドアが閉まる。昼下がりの晴れ晴れとしたひかりは閉ざされ、暗がりに真緒だけが残る。さっきから、ぎゅうと拳を握りしめたまま話し続けていた。握らないと、引き留めて、何か余計なことを言ってしまいそうだったから。 　学校の友達から借りた未読の漫画があってよかった。階段を上りながら思う。 　夕方になる前に外に干してある洗濯物が乾くだろうから仕舞って、その時に夕飯の準備も済ませてしまおう。米を研いで炊飯器の予約をしておこう。冷蔵庫にあるもので簡単におかずを作れば腹は膨れる。今までの経験から言って、間違いなく二人は夕飯まですませて帰ってくるに違いなかった。わざわざ確かめる必要なんて、ほんとうはなかったのだ。 　―――こうやって、どんどんひとりに慣れていくのかな。 　ベッドに横になり漫画のページを捲っていく。とても静かで自由な、よくある日曜日の午後だった。 　高校を卒業してすぐ、三月の半ばに、真緒は凛月と同居を始めた。 　とは言っても本当に決まったのは卒業した後になってからで、実際は凛月が勝手に同居するのを想定して借りたマンションに事後報告で鍵を渡された真緒が観念するような流れだった。芸能活動をするには実家からはだと距離が厳しいものがあった。大学にも通うから、生活に慣れてから夏休みあたりにでも物件を探すつもりでいたのに、とんだ誤算だった。 　息子が十日後には家を出るというのに、両親はすんなりと許可した。真緒はしっかりしているから一人暮らしでも大丈夫だろうとの見解だった。幼馴染の凛月との同居になるのは、説明が長くなるので伏せて話してしまったいたが、この反応を見る限りいずれ話してしまっても問題なさそうだ。住所決まったら教えてね、と母親が微笑みかけてくるのに、うん、と返す。真緒がいなくなったこの家はどうなるのだろうきっとなにも変わらないのだろうな、と目を細めながら。 　案の定凛月はベッドと、じぶんが料理をするからとキッチン周りのものはきちんと用意していたが、その他の家具に関してはさっぱり手をつけていなかった。それが発覚したのは数日前で、凛月を叱りつけながらも不動産屋から貰ったマンションの部屋の間取りを見つけだし、通販サイトや店を巡りまわってなんとか最低限生活が出来そうなものを揃えた。あとは足りないものが判明しても随時買いにいけばいいだろう。 　家具を買うにあたって、凛月はま～くんに任せるだとか言って基本寝ているだけだったけれど、ひとつだけ断固譲らないことがあった。 「ベッドは買わなくていいからね。もうキングサイズの俺の部屋に頼んであるから。ちょうふかふかできもちいやつ。ま～くんもきっと気に入るよ」 「まあ、昔から一緒に寝てたからわざわざふたつ買う必要ないってのもわかるし、俺の部屋は漫画置きたいからスペース空くのは助かるけど。一応、リビングに置くソファも寝れるやつにしておいていいよな？」 「なんで」 　凛月は思い切り眉を顰めた。 「どっちかが風邪ひいたりしたらどうする？　お互い仕事があるしさすがに別々に寝なきゃだろ」 「……そういうことならしょうがないかなあ、」 「あと、たぶん寝る時間帯だって俺と凛月は違うだろうし。凛月に迷惑かけるかも」 「迷惑、ねぇ。………―――いいんだけどねぇ、俺は」 「え？」 「なんでも。ほら、そこのサイト決済まで済ませなくていいの？」 「あ、やべ」 　カートの入れたのみにしていたのを決済まで終わらせる。これで間違いなく一通り準備は終わったはずだ。あとは最初にある真緒個人としての仕事を無事に始められるよう準備しなければならなかった。まさかＴｒｉｃｋｓｔａｒよりピンでの仕事が先に入る―――しかもメンバー内で真緒が一番早く―――なんて思ってもみなかった。スバルも北斗も真も、口を揃えてそれが当然のように祝ってくれるけれど、たまたまうまく立ち回って生徒会長をしていたから、回ってきただけのことなのだ。ほんとうは三人のほうが、ずっとずっとアイドルとしての才能とカリスマ性を秘めているのだから。 　卒業したばかりの生徒会に携わっていた元生徒がラジオパーソナリティを一年務める枠が、夢ノ咲には昔から用意されている。夢ノ咲が提供を行っているのもあって、メインはＯＢをゲストに呼んでのトークや特に将来が期待される在校生の紹介だ。英智から生徒会長を引き継ぎ無事一年務め終えた真緒に、一番に来た仕事だった。 　従来は生徒会長だった卒業生に一任されることがほとんどなのだが、週一で夜に生放送で行うこともあって前の代はからだの弱い英智の代理で敬人が行っていた。真緒も毎週欠かさず聴いていたが、敬人らしい厳格さがありながらもどこか穏やかな運び方で、一年上の先輩達がしばしばゲストに来るのを楽しみにしていた。あの場所に立つのだと思うと、緊張もあるのだが、同時にわくわくするようなきもちもあった。 　そうした打ち合わせやレッスンが始まった最中で引っ越しをした。ドタバタはしたが、ちゃんと予定通りに事が運んで、当日でもそれなりに暮らしやすい部屋にできたとおもう。凛月は早速見た目が怪しいお菓子を機嫌よさそうに作っている。時計はもう零時を回っていた。 　幼い頃、両親と家は絶対でなくてはならないものだったのに。いまはあんなにあっさり家を出て、そんなに知らない街に凛月といる。 「……なんか、知らないうちに大人になっちゃったな？」 「まだ大人じゃないんじゃない？　それにま～くん。俺の前では子どもでもいいんだよ。いっぱい甘やかしてあげる」 「言ってろ。あ、こら凛月、使い終わった調理器具そのへんに放置するなって」 「料理は楽しいけど片付けはめんどいんだよねぇ……？」 「だめだろそれ……。俺も手伝うから、ほら」 　なんだかまだあまり実感がない。知らない部屋に泊まって台所を使っているだけ。そういう旅行みたいなのが続くみたいな感覚で、同居、ということばがいまいち胸に浸透してくれない。一ヶ月も経てば変わるのだろうか。その頃はもう、凛月と住んでいるのが当たり前になっている？　あの家よりも馴染んでいる？　真緒にはまったく想像できなかった。 　春になって大学の入学式を迎えると、すぐさま怒涛のように多忙な日々が続いた。 　当初は入らないつもりだったサークルも、新入生歓迎がうまくいかずに狼狽えている二年生に思わず声をかけてしまって、ずるずると流されて、結局週一程度のバスケのサークルに入ることになってしまった。半分ぐらいは呑みサークルのようなものらしく、芸能活動のことを話せばとりあえず籍だけ置いて好きなときに来ればいいとのことだったのでよかったが。 　Ｔｒｉｃｋｓｔａｒの活動も本格的に始動した。ＳＳにも出場して実績のあるユニットだったのと、夢ノ咲学院出身という強いパイプもあって、新人とはとても思えないぐらいの仕事量で、それも夏まで続くことが確定していた。大学に入ったのは北斗と真緒だけだったので、マネージャーも配慮してスバルと真よりは多少仕事をセーブしてくれてはいるようだが、本格的に人気に火がつきはじめたら覚悟はしてね、とはあらかじめ宣言されている。 　授業、レッスン、仕事、たまのサークル。泉や嵐と同じ事務所に所属した凛月はモデルの仕事が多く拘束時間が長いらしい。業界柄朝に仕事がないのが凛月にとって幸いだったが、それでも真昼間に仕事があるときは前日から睡眠時間を調整して向かって、帰ってきたら夜でも仮眠といって寝てしまうことがある。一応同じ部屋に住んではいるし、ベッドで隣には寝ている。でも片方があらかじめ寝ていることがほとんどだ。ここのところ凛月とまともに会話したのはいつだったっけ。……もう三月の最後だったかな。 　凛月とまともに会話できていないのに、凛月はこうして目の前ですこやかに眠っている。朝の六時。アラームが鳴り目を覚ました真緒の目の前に飛び込んできた凛月の寝顔は無防備そのものだった。真緒が昨日寝るときにはいなかった。撮影が長引いて深夜になりそうとあらかじめ報せは受けていた。だから待つのを辞めて、大人しく寝ることにしたのだった。 「りーつ」 　真緒が凛月といないあいだ、きっと泉や嵐が凛月の世話をしているのだろう。朝真緒が髪をセットしてやれなくても、夜にはきれいに梳いてセットしてもらった髪型で帰ってくる。誰から、なんて聞いたことはない。それでも高校の頃は唯一真緒だけの役目だったそれを、不特定多数が行っているのかとおもうと、ちくりと胸が痛んだ。 　この時間の凛月はいちばん眠りが深い。まず目を覚ますことはないだろう。広い額の前髪をかきあげ、ちゅ、とキスをする。もぞもぞと近づいて、凛月の心臓のところに顔を持ってくる。目を閉じて耳を澄ませば聞こえてくる、凛月の心臓の音。 　むかしから年寄りやら吸血鬼やら、凛月は真緒にはよく理解できないものを自称した。ばかにできるような雰囲気ではなかったから、否定もしなかったし、でも肯定もしなかった。そうなんだ、と聞き入れるだけに留めていた。 　確かに凛月が纏う雰囲気はどこか他のみんなとは違っていた。世俗めいていない、人形のように白くて中低的な顔立ち。だからたまに不安になって、凛月が泊まりにきたときよくこれをやった。ちゃんとここに心臓があって鳴っている。生きている。真緒の隣にいる吸血鬼でおじいちゃんを自称するこれは、生きている。それさえわかれば、あとは些細なことだった。人間でなかろうが、誰だろうが、真緒の隣にいてくれるというのなら、それだけで充分だったから。 　以前はそれだけでよかったのに、今日はだめだった。真緒の不安は拭えない。どろどろと、じぶんのどこかからどす黒くて汚いなにかが、そのうち出てきてしまうのではないだろうか。なにがだめなのかなんとなく予想はついているし、きっとそれで間違いはないのだろう。けれども、そこからどうすればいいのかがよくわからなかった。 　真緒ははぁと重い溜息を吐いて起き上がり、ベッドから出る。冷蔵庫に貼ってある共同カレンダーを見れば、明日は四月に入って初めて二人のオフが重なる予定になっていた。 　今日は授業に出てからのダンスレッスンだ。仕事でもないし、遅くなることもないだろう。早めに家に帰って、なにかご飯ても作っておこうか。凛月は遅くまで仕事だと書いてあるが、明日たがいに休みなのだから起きて待っておくぐらい問題ないだろう。真緒は自身で作った朝食を平らげて、大学へと向かった。 　誰にだって想定できなかっただろう。まさか事務所の先輩が急病で、代理として収録に呼ばれることになるなんて。まだまだアイドルとしては新人だからと一人分の代理として真と真緒が二人で任されることになり、ダンスレッスンを途中で二人だけ抜けて出演することとなった。 　昼間の情報番組内での十分程度の不定期なコーナーだった。駅を歩きながら、その駅の紹介や周辺にあるおすすめスポットの紹介を行う。真も真緒も緊張していたが、周りが代理だと把握していることもあって場の雰囲気を和ませてくれたので大分助かった。緊張していても割と本番でも普段通りできるほうだった真緒は、台本通りに事を運び、がちがちに緊張してドジを踏んだ真をうまく広いつつもなんとか収録を無事に終えることができたが、終わったときにはもう夜の十時を回っていた。 「衣更くん……。ごめんね、僕、足引っ張っちゃって」 「そんなことないって。実際、真のおかげで話が弾んだことも何回かあったし助かったよ。真、実家だよな」 「うん。でも、やっぱり僕も引っ越そうか最近悩んでて」 「そうだったのか？」 「やっぱりちょっと不便なんだよね。衣更くんはどうやって物件決めたの？」 　真緒が凛月と同居していることは、Ｔｒｉｃｋｓｔａｒの誰にも言っていない。わざわざ報告するようなことでもないとおもったからだった。事務所には、同居人がいると報告している。彼女か、と訊かれたので違うと答えるとそれ以上詮索はされなかった。寛容な事務所でよかったとおもう。 「俺……は、……えーと、知りあいが物件探してくれてさ。とりあえず住んでみるかってあんま考えずに決めちゃったけど、不便はしてないな」 「いいなあ。僕、不動産屋に一人で行くのちょっと怖くって……」 「マネージャーに相談するか。なんなら俺もついていくし」 「ほんと？　ありがとう衣更くん……！」 　真は高校時代から変わらずまだ引っ込み事案なところがある。けれど以前のような一人だけ足を引っ張っている、と一人で抱え込んでしまうようなことは少なくなったような気がする。最近では実家の母親とも少しずつだが会話が増えてぎこちなさが抜けてきていると聞いた。真も少しずつ、確かに変わってきているのだ。 　真を下りのホームで見送ったあと、上りで数駅行けば真緒の最寄駅だ。駅自体は大きいものの、すこし歩けば閑散な住宅街になる。 　家はしんと静まり帰っている。凛月はまだ帰ってきていないらしい。収録中に夕飯は済ませてしまっていたので、帰宅するなり真緒はシャワーを浴びた。予想外の出来事が起こったせいもあってがいつもより疲れている。髪を乾かして、いますぐ眠ってしまいたかった。 　ベッドに入ってスマートフォンを開けば、Ｔｒｉｃｋｓｔａｒのメンバーや仕事仲間からＬＩＮＥのチャットメッセージが来ていた。返信してたわいもない会話を楽しんでいる途中で急激に瞼が重くなって―――そこで意識は途切れた。 　髪に触れる知らない温度の感触。その冷たさに真緒の意識はゆっくりと浮上する。 「あ、ま～くん、おはよう」 　楽しそうに真緒の髪の毛を触っている。茫然とする真緒に、凛月はいたずらが成功したみたいな子どものカオをする。 「朝なのに、俺よりま～くんのが起きるの遅いなんてね」 　凛月はスマートフォンをこちらに向けてくる。表示された時間は十時で、アラームに設定していた時間より二時間も遅い。 「凛月、おまえな……」 「ばれた？　アラーム止めちゃった。いいじゃない、休日でしょ」 「おまえだって休日だろ？　こんな朝早くから起きてるなんて珍しいな」 「うーん、ちょっとセッちゃんたちに呼ばれてて。もうちょっとしたら出るんだよねぇ」 「えっ」 　思わずぎょっとした声が出てしまった。だって、今日は、二人揃ってのオフだ。だからと勝手に想定していたが、思い返せば今日一緒に過ごすような約束はしていなかった。先約が入るのは当然といえば当然だ。 「……どうしたの、そんなおっきなこえ出して」 「や、べつに、なんでも……。夕飯には帰ってくるか？」 「どうだろ。セッちゃんたち次第じゃないかなぁ」 　凛月は眠そうにくぁ、とあくびをしながら答える。リビングのほうからはなにやらあまくて香ばしいにおいがした。「ホットケーキ作ったから食べてよねぇ」凛月は朝から料理ができたせいか眠そうではあるがご機嫌だ。 　凛月の作ったホットケーキはおいしかった。シンプルにメイプルシロップをかけたものだったが、生地がふわふわだった。相変わらず見た目は歪でよくわからない果物も入っているが、もう慣れているしからだに害はないとわかっていれば怖くはない。凛月が用意した多めの量もすべて平らげて、作ってもらったお礼に片付けは真緒がおこなった。 　久しぶりに凛月の着替えとスタイリングを手伝っていると、スマートフォンが震えた。泉から早く来いと言われているらしい。セッちゃんは無駄に時間に厳しくてさあ、と億劫そうに凛月が愚痴をこぼす。とは言えもうそろそろ出ないと待ち合わせに遅れてしないそうな時間だった。 「じゃあ、夕飯には帰ってくるようにするね」 「おう。いってらっしゃい」 「うん、いってきます」 　そのまま玄関のドアを開いて出ていくとおもわれた凛月は、しかしこちらを向いたままいっこうに出ていこうとしない。 「凛月？　早くしないといけないんだろ？」 「まぁ、そうなんだけどねぇ……」 「なんだよ？」 「……気づいてない？」 「だから、なんだよ？」 「俺の服の裾、見て」 「え……」 　凛月の零したことばの通り、凛月の服の裾に視線をやれば、そこにはがっちりと裾を掴んだ真緒の手がある。完全に無意識のことに頭が真っ白になる。引っ込めて、おもわず後ずさる。 「ま～くん」 　裾を掴んでいた手が熱い。どうして握りしめておかなかったのだろう。もっと幼い時分にはできていたことなのに。こんな、今更子どもじみたわがままみたいなことを、どうして。 「凛月、その……困らせてごめん。俺のことは、……気にしなくて、いいから」 　それ以上その場にいるのが嫌で、なにかいいたそうな凛月から逃げるように寝室に飛び込んだ。ついさっきまで二人で寝ていた布団のなかは、もうすっかり冷たい。 　やばい、死にたいかも知れない。耳の裏まで真っ赤になっているのがわかる。こんなことになるなんておもわなかった。確かに凛月が出かけるのを残念がってはいた。それでも二人のオフが重なるのは何も今日だけではないのだから、次回は約束をとりつけておけばいいだけの話なのだ。それなのにこんな子どもみたやり方で、凛月を困惑させてしまった。 　控えめなノックの音が響いたが、返事をする余裕はない。そもそも元々はここは凛月の部屋なのだから、真緒の許可などわざわざとる必要はないのだ。ゆっくりとドアが開いて、凛月が入ってくる。 　真緒が枕に顔を埋めているすぐそばに凛月は入ってくる。 「ま～くん、こっち向いて」 「むり。おまえは早く瀬名先輩たちのとこ行けよ」 「行かないよ。さっきキャンセルの連絡入れたし」 　びくりと肩が震える。 「あ、じぶんのせいとか考えてる？　ぜんぜん違うから気にしないでよね。ただセッちゃんとナッちゃんの純喫茶めぐりにつき合わされようとしてただけだし。……あの二人とは、仕事で嫌でも会えるぐらいだし。いいんだよ、これで」 　だからね、とぐい、と顔をあげられる。朝の時間でこれほど活発で愉快そうな凛月は滅多に見れたものではないから、違和感が拭えない。それぐらい凛月は元気で、満足そうだった。 「ご無沙汰だったしねぇ、俺も」 　からだに触れてくる凛月のゆびが、少しずつ、不安を取り除いていくのがわかる。やっぱりそうか。わかってしまった。あの不安の正体。けれど同時に、認めたくなかったことでもあった。 「ま～くん、俺にどうしてほしい？」 　なんでも言って、と凛月はわらっている。 　むかし、ひとりきりで日曜の午後を過ごした日に、どんどんひとりに慣れていくのかなと途方もなくおもったことがあった。実際その後、あっという間にひとりに慣れてしまったけれど。いま、もしかしたら少しずつ、ひとりではいられなくなっているのかも知れない。 「……凛月、」 「うん」 「…………、いっしょにいて」 　いいこ、とどびきりあまくてやさしい声が降りてくる。そうして真緒をひらこうとするてのひらを受容することにして、真緒は凛月に手を伸ばした。

同棲してるりつまおの話です。<br />ゆめシンで出した本の続きなのですがこれだけでも読めます。<br />ひとりきりじゃいられなくなりはじめた春のはなし。<br /><br />あとゆめシンの本についてはただいま通販中ですので、よろしければご利用ください。詳細は以下URLを参照ください、宜しくお願いします→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6171554">novel/6171554</a></strong>

【りつまお】砂糖の城

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「あ、御幸一也！」 　いきなり背後からフルネームを呼ばれて、思わず足を止めてしまう。聞き覚えのある声に、俺はため息をつきながらゆっくり振り返った。 　ピークを一旦過ぎた地下の食品売り場、いわゆるデパ地下には人影はまばらだ。特に和総菜や弁当を取り扱うこちら側は、洋菓子を取り扱う正面入り口付近と違って人気が少ない。 　そんな中で、不釣り合いなほど健康的な雰囲気を放つ青年がこちらを見ている。今時の若者にしては珍しいほど爽やかな印象の短い髪と、一重のくせに猫のように大きな目。黙っていれば大層可愛い顔立ちをしているのに、口を開けばその魅力は半減してしまう。 「今からお昼っスか？」 　人なつっこく笑いながら近寄ってこられて、思わず犬猫にするようにシッシと手を振ってしまった。 「仕事中だろ。店離れてていいのかよ、さっさと戻れ」 「なにおぉ!?　サボってるわけじゃねーぞ！　今休憩から戻ってきたとこなんスよ。これから仕事戻ります」 　イーッと歯を剥き出しにして噛みついてくる顔を見てると、こいつほんと子供だなって苦笑いしてしまう。まあ十九歳の大学生なんて、俺から見れば間違いなく子供なんだけど。 「そっちは今日はずいぶん遅い休憩すね」 　感情を剥き出しにして向かってきたくせに、立ち去りもせず会話を続けようとする。切り替えの早さは大人を思わせるし、つかみ所のない奴だ。 「あー……ここんとこ忙しくてさ」 　昼休憩には遅すぎる午後三時。今日は平日だというのに、開店から目の回るような忙しさに見舞われた。ようやく売り場の混雑が緩和して休憩がもらえたけど、これじゃ昼と言うよりはおやつだ。 　紳士服売り場に店を構える『メンズアップ・サロン』は、今年大改装が終わった五階のフロアでトップの売り上げを誇る、パターンオーダースーツの店だ。バイヤーの手腕のおかげで、高級ヴィンテージ生地を低価格で仕入れることに成功し、それによって販売価格を抑えることができるようになった。だからなのか、これまでターゲットとされていた四十代から、三十代の男性客もじわじわと来店が増えている。 　そのおかげで忙しくなり、今や完全に人手が足りていない。補充してくれるつもりはあるみたいだけど、店の傾向からいって気軽にバイトを入れるのも無理なので、すぐに人員を増やすわけにもいかないようだ。 　つまり、まだしばらくはこの忙しさが続くというわけだ。 　ため息をつきながら、通行人の邪魔にならない程度に肩を回す。 　働き始めて四年目となるにも関わらず、相変わらずスーツには慣れない。学生時代スポーツに打ち込んだおかげで体格はいいから、スーツ姿はとても見栄えがすると褒めてもらえる。客引きに利用されているのはわかっているけど、それも仕事だと思えば割り切れる。 　ただ、今日のこれは俺に似合ってないんじゃないか？ 　控えめなチェックの柄が入ったジャケットに白いシャツ。紺地のネクタイには大きめの白いドットが入っていて、大胆な印象でメリハリをつけている。プライベートなら絶対に着ないようなスーツだ。俺と白のドットって、雰囲気違いすぎじゃねえか。 　困惑しながら袖を通してネクタイを締めているからか、いつも以上に落ち着かない。 　そんな姿を上から下まで視線を動かして、沢村がしみじみと言った。 「アンタほんとにスーツ似合いますね」 「そうかぁ？　今日のこれも？」 「んー、いつもと雰囲気違うけど、ちょっと柔らかい感じがして俺は好きっす」 　へらっと笑顔を向けてそう言われれば、そうかなって気になってしまうから人間不思議なものだ。うるさい奴だと思ってるような、七つも年下の大学生に褒められて、ちょっと気分が良くなってしまうなんて。 　言った方には、それほど深い意味合いなんてなかったんだろう。またすぐに話題が変わる。ったく、落ち着きないなこいつ。 「もう昼飯決めました？」 「まだ。めんどくせーから適当に弁当買おうと思ってるけど」 　今日の感じだと、昼休憩を早めに切り上げて売り場に戻った方が良さそうだ。五階は他のフロアと違って女性客が少ないからか、雰囲気が落ち着いている。さらにパターンオーダーという性質上、客が長居する傾向にあるのだ。店全体として考えると、どうしても手薄になりがちだ。そのせいで客を逃している感があるのは否めない。 　きょろきょろ辺りを見渡し、近場の店で弁当を買うために品定めをする俺を見て、沢村が大きな声を上げた。 「まあまあそう言わず！　ちょっとうちの店に寄ってくだせえっ！」 「あっ、コラ」 　腕を掴んでぐいぐい引っ張ると、沢村は自分がバイトしている店に強引に俺を連れて行った。こんな風にしなくても来いと言われれば、多少の移動くらい拒否したりしないのに。いちいち動作の激しい男だ。 「ただいま戻りました！」 「あら～栄ちゃんおかえり」 　パートのおばちゃんともすっかり打ち解けて、まるで親子のように和やかな雰囲気を醸し出している。こいつがバイトを始めてたった一週間なのに、どんだけコミョ力あるんだよ。逆に怖い。 　呆れながらずらりと並ぶ総菜を眺めていると、忘れていた空腹を思い出す。やべ、腹鳴りそう。 　何種類も総菜を組み合わせておにぎりを買って食べるのも良いけど、それだと割高になってしまう。ここはやっぱり手軽に弁当ですませるかと、隅の方に並んでいる弁当と睨めっこしていた俺の目の前に、小さなトレーが差し出された。 「なにこれ」 　弁当によく使われる小さなカップの中に、何種類かの総菜がちょこんと入ってる。さらには試食用の小さなフォーク。 「うちの新商品！　ぜひぜひ味見をばっ」 「いいって。別に」 「遠慮なんてしなくていいんすよ！　ほら!!」 　いや遠慮してるわけじゃねーんだけど。 　そんなことよりさっさと弁当を決めて買って帰りたい。そう思ってるのに、にこにこ笑顔を向けられてしまえば断り切れなくて、俺はトレーに手を伸ばした。 　色とりどりの総菜は、ひじきの煮物とポテトサラダときんぴらごぼう。全然目新しくないのに、なんでこいつはこんなものを。 　首を傾げながら口に放り込んでみて目を瞠る。 「うまいでしょ？」 　ニシシッと笑った沢村が、一つずつどこが新しくなったのかを解説してくれる。ここの総菜は元々好きで良く買っていたけど、確かに今までとは味が違う。具材には特に変更がないようだから、味付けが変わったんだろう。 　調味料がどうとか野菜がどうとか、きっとバイト前に暗記させられたんだろう。よどみなく口上を述べるこいつには、接客業をするために生まれてきたんじゃないだろうかと思わせるものがある。俺とは大違いだ。 「あっ、あっ、あれも！」 　いきなり声をあげ、大慌てで沢村がしゃがみ込んだ。なにやらごそごそやったあと、左手を突き出してきた。 「これ、御幸さんにだけ特別。ナイショっすよ！」 　大まじめな顔で人差し指を唇に当て、シーッなんて言うから何かと思えば、つまようじに突き刺さったからあげだ。大きなそれは、確かに試食と呼ぶにはサービスが過ぎる。 　けどこれ、どうせ誰にでもやってるんだろ？ 　沢村が働くようになってから、この店の売り上げが少しずつ右肩上がりになってるみたいだけど、この『ナイショ』がきいてるんだろうか。自分だけ特別扱いされてるみたいで、確かにちょっとだけ気分が良い。 　俺は騙されねえけど。 　固く心に誓いながら、差し出されたつまようじを受け取る。からあげに罪はない。 「うん、うまい」 　ばくっと一口で食べて素早く咀嚼する。じわっと口の中に広がる油と肉に染みこんだタレの味が、どうしようもなく胃袋を刺激する。あー腹減る。 「じゃあ、からあげ弁当。あとみそ汁とお茶も」 「へへっ、まいどあり！」 　沢村は周囲に響くような声で言うと、素早い手つきで弁当を掴んだ。次にみそ汁のカップを手に持ち首を傾げる。 「何味にします？　ちなみに俺のオススメはなめこ！」 「あーそれでいいよ。お前の好きにして」 「はい！」 　弾むような良い返事をしたあと、ペットボトルのお茶は訊かずに俺の好きな緑茶を掴んだ。沢村がバイトを初めてこの店で昼飯を買うのはまだ三回目なんだけど、それで客の好みを覚えられてるのなら大した記憶力だ。 「お待たせしました。千五十三円です！」 　ビニール袋を受け取りながら、カウンターの上に千百円を乗せる。 「四十七円のお返しです。ありがとうございます！」 「おー。からあげごちそうさん」 「あっ、こら。ナイショだって言っただろ」 　ちょっと焦った顔が面白くて、笑いながらひらひらと手を振る。そのまま背中を向けて歩き出そうとして、忘れていたことを思い出す。 「なあ、総菜って取り置き頼める？」 「え、どうだろ。おばちゃん！　総菜の取り置きって大丈夫っすか？」 　沢村はくるっと振り返ると、斜め後ろに立っているパートのおばちゃんに尋ねる。 「大丈夫よ～。何時頃にいらっしゃるかだけ訊いておいてね」 　にこにこ笑いながら答えてくれたその笑顔に引きずられたのか、こっちに向き直った沢村の顔も満面の笑みだ。影響受けやすいなこいつ。 「だそうです」 「今日は早番だから、七時すぎには来れると思うわ」 「あ、じゃあ俺遅番なんで大丈夫っす！　どれ置いときます？」 「選んでる時間ねーから、お前が食いたいと思う晩飯のおかずチョイスしといて」 「えっ、そんなんでいいんすか？」 「いいよ。じゃあ頼むな」 　手を振ると今度こそ、俺は休憩室へと足早に戻った。さっとさとエネルギー補給をして残りの時間を乗り切らねば。 　誰もいない休憩室で弁当を広げ、みそ汁を作って手を合わせる。備え付けのレンジで温めたからあげを口いっぱい頬張ると、同時に沢村の笑顔がぽんと思い浮かんだ。 　ふっと笑いが込み上げてくる。あいつ目は猫っぽいのに、犬みたいに人なつっこいよなあ。 　疲弊していた心が、からあげ弁当のおかげで回復していく。 　沢村はうるさいけど、ほんとあの店の味は自分の好みに合うなと、しみじみ再認識したのだった。 　仕事が終わってから引き取りに行った総菜もやっぱり美味くて、疲れた胃袋に優しかった。昼間と同じく会計をしてくれた沢村はウザくまとわりついてきたけど、『おつかれっす』と笑ってくれた顔は可愛かった。あくまで顔だけな。 　沢村と初めて会ったのは、あいつのバイト初日のこと。今から二週間前だ。 　普段の昼飯は外に食いに行くんだけど、移動時間を惜しんで地下で弁当を買ってすませようとした時のこと。 『この近くでお勤めなんすか？』 　適当な弁当を買って差し出した俺に、沢村は満面の笑みを向けてきた。 『そうだけど』 　このデパートの五階で働いてますなんて、どこからどう見てもただのバイトの青年に話すわけがない。 『ビシッとスーツ着たイケメンが歩いてるな～って思ってたんすよ。あ、これよかったら試食どうぞ！』 『……サンキュー』 　ずらりと陳列されている総菜の一つなんだろう。小さなトレーに入ったそれを差し出され、いらないと突っぱねることもできずに食べてしまう。俺もう会計する直前なんだから、試食なんてさせなくていいんじゃねーの？ 『あ、うまい』 『ですよね!?』 　思わず呟いた言葉に、沢村はこっちがびっくりする勢いで食いついてきた。 『俺今日からここでバイト始めたんすけど、さっきちょっと味見させてもらってびっくりしたんすよ～。ほんとうまいですよね!?　だからお兄さんにもぜひ食べてもらいたくて』 　俺に食べてもらいたいってどういうことだ？ 　首を傾げたことで疑問が顔に出てしまったのか。沢村は自分の眉間を人差し指でさすと、ちょっとだけ唇を尖らせた。 『こーんな顔して歩いてましたよ！　疲れてるんだろうな～って思って。何か美味しい物食べて元気出してもらいたくて！』 　屈託なく言われて、そんな顔しながら歩いてたのか。いくら休憩中だからって、お客様がいる職場で険しい表情をするなんて言語道断。どこで見られているかわからないっていうのに。 　反省しながら軽くうなずけば、ぺこっとおじきが返ってきた。 『あ、俺。沢村栄純と申します！』 　いや、名前訊いてるわけじゃねーんだけど。 　警戒心なんてないんだろう。人見知りしたことだってないんだろうな。バカ丸出しだって思うけど、全くの赤の他人にこんな風に気づかわれたことなんてなかったから、すっかり毒気を抜かれてしまった。 『この弁当食べて元気出して下せえ！　お兄さん！』 『……御幸一也』 『へ？』 『俺の名前。ここの五階で働いてる』 　気づけばぽろりと個人情報を漏らしていた。そんな必要これっぽっちもなかったのに。 『みゆきかずや……。かっこいい名前っすね！　漢字は？』 　パッと弾けるような笑顔を見せられて言葉に詰まる。 　我に返って漢字を一つずつ教えてやれば、おおっと感心されてしまった。名字はともかく名前は平凡なんだけど、どこにそんな感心する要素があったんだか。 　これ以上話しているといつまでもこの場にいることになりそうだ。さっさと切り上げよう。弁当も受け取ったことだし。 　そう決意して、軽く手を振って歩き出す。 『じゃあな』 『あざましたー！』 　デパートの店員にしては少々品のない声を、それでも愛想だけは誰よりも振りまいて頭を下げてくれた沢村は、俺なんかよりよっぽど接客業に向いてるなって、あの時そう思ったんだ。 　初めて会った時のことをぼんやり思い返しながら、今日もまた仕事に追われて地下に昼飯を買いに来てしまった。何となくここ数日外に足が向かないのは、時間が勿体ないから。ただそれだけだと思いたい。他に理由なんてないはずだ。 　少し時間が早いからか、まだ人の多い地下一階をぐるりと回って、結局沢村のいる店に足を向けてしまう。明るい笑顔と大きな声に惹かれたのか、三人の女性客と一人の男性客が総菜の前に立っていた。 「これもこれもすっげーうまいっすよ！　からあげもオススメっす」 「あらそうなの？　じゃあお兄さんのオススメもらおうかしら」 「じゃあ私も」 「へへっ、毎度ありーっす！」 　人なつっこい犬のような態度がそうさせているのか、いとも簡単に総菜を買わせてしまう。すごいなこいつ。単価が安いとはいえ、主婦の財布の紐はなかなか緩まないっていうのに。 　女性客の会計をすませると、次はスーツの男性客だ。少し疲れたような表情をしている。多分俺もあんな雰囲気だったんだろう。大分落ち着いてきたけど、一週間前の忙しさを思い出すとげんなりしてしまうほど忙しかったからな。 「お兄さんお疲れみたいっすね。この弁当食べて元気出してください！　うまいっすよ」 　あれ？ 　全開の笑顔で笑って声をかけてやるのは俺の時とかわらないけど、試食させてやってる気配はない。そういえば女性客にもなにも差し出してなかったような気がする。 　てっきりこいつのやり口は、店側から薦めるように言われている試食を『ナイショですよ』と言って客の優越感をくすぐることだと思ってたのに。そしてまんまと乗せられた客が、ついつい総菜や弁当を買ってしまう。けどそうじゃなかったんだろうか。 「あっ！　御幸さん」 「デケー声で叫ぶな、バカ！」 　店の前に誰もいなくなったからって、ぶんぶん手を振ってくる奴があるか。 　物怖じせず人見知りせず、誰にでもなつっこく話せるのはこいつの長所だけど、周囲を気にもとめずデカイ声を出してしまうのはマイナスポイントだ。 「今日もうちの弁当買ってくだせぇ！」 「毎日お前んとこの弁当ばっか食ってらんねーよ」 「まあまあ！　そう言わず！　ほら、これなんかどうすか？　小松菜としめじの煮浸しなんすけど、これがまた！　あっさりしてて美味しいんすよ」 「いいって。じゃあな」 「ちょっと待てええぇ！　あ、じゃあ、試食だけ！　ね？」 　カウンターの中から飛び出してきた沢村が、俺の腕を掴んでくる。おいこら、職場放棄してんじゃねえよ。 「ほんと美味いから！　後悔させないから！」 「……何でそんな必死なんだよ」 「だってどうせここで弁当買うなら、うちの弁当買ってもらいたいじゃねーすか」 「だから。何で？」 「なんで……？」 　腕を組んで首を傾げて、うーんと唸って三秒後。 「わっかんねえ！　けどまあ、試食だけなら損しねーだろ？　ね！」 　わけのわからない押しの強さに負けて、俺はしぶしぶカウンターの前まで歩いて行った。 　いそいそと試食の用意をする沢村の横顔はとても楽しそうで、ふっと疑問をぶつけてしまう。 「おまえさー」 「なんすか？　もう一種類くらい試食する？」 「何で俺にだけ試食させてくれんの？」 　そんなに深い意味があって訊いたんじゃない。ただちょっと、ほんのちょっと不思議だっただけだ。 　けど沢村はぽかんと口を開けると、そーっと俺から視線を外した。その目が猫目になってる。 「そ、れは、っすね」 「うん」 「……なんでだろ」 　がくっと、コントみたいにコケてしまいそうになる。期待を持たせておきながらそれかよ。 　って待て、期待って何だよ。 「御幸さんが不健康そうだからかな……。何か運動とかしてるんすか？　身体動かした方がいいすよ」 「ナメてんじゃねーよ。大学まで野球やってたし、今でも野球チーム作って休みの日に試合やってんだよ」 「――――野球!?」 　ちょっと動揺してしまったからか、いつもなら自分のプライベートに関することなんて言ったりしないのに、つい口からポロッと飛び出してしまった。だからどうして俺は、こいつが相手だとこんなに口が軽くなってしまうんだ。 　それに大げさに反応したのは沢村だ。大きな目をさらに大きく見開いている。おい、落ちそうだから。それ。 「アンタ野球やってたの？　すっげーいいガタイだなって思ってたんだ！　え、ポジションどこ？　俺ピッチャーなんだけど！」 　興奮しすぎて敬語がすっかり抜け落ちてしまった沢村の声は、周囲に響き渡っている。 「うるせーって！」 「だって！」 「あーもう、わかったから。今度な今度」 「あっ、ちょっ、待て御幸一也ぁ!!」 　それ以上視線を浴びていることに耐えかねて、俺は昼飯の調達も忘れてその場を立ち去ってしまった。キラキラした目で俺を見つめてくる沢村を、一刻も早く視界から追い出したかった。 　理由はわからないけど、とにかくものすごく焦ったのは確かだ。このままこの場所にいたら、とんでもないことになってしまう気がして。 　自分の中にある危機感についてじっくり考えるために、それから三日は地下に行かずに外で昼飯を食った。 　けど答えは見つからず、毎日ため息ばっかりついてしまう。同僚には『疲れてんの？』と言われてしまう始末だ。ほんと情けない。 　一週間ぶりの休日の今日は、久しぶりに料理でもして心を落ち着かせようと、滅多に行かないスーパーへと足を踏み入れた。料理は好きなんだけど、一人暮らしで自炊しようとすると、わりとコストがかさむんだよな。あと仕事で忙しいときはわざわざ料理しようっていう気になれない。食わせる相手でもいれば話は別なのかもしれないけど。 「あ。御幸一也？」 　献立を考えながら肉コーナーを覗いていたら、背後から名前を呼ばれた。嫌な予感しかしない。 　恐る恐る振り返れば、やっぱりそこに立っていたのは沢村だ。バイト中の制服とは違う、いかにも学生ですという感じのパーカーにジーンズ。足下は薄汚れたスニーカー。 「え、なんで御幸さんがこんなとこにいんの？」 「それはこっちの台詞だろ」 「だってここ、俺んちの最寄りスーパーだから」 　うわっ、それ俺もなんだけど。マジかよ、じゃあわりと近くに住んでるってことか。 　勤め先のデパートはここからそう遠くないとは言っても、こんな偶然が起こるなんて。神様のイタズラにしてもやりすぎだ。 「それより！　この前の続きちゃんと聞かせてくれよ！　アンタあれから地下来てねーだろ」 「……お前の店に行ってねーだけだよ」 「嘘だ！　バイト始めてから、出勤日は絶対アンタのこと見かけた」 　どこから見てたんだって思うと同時に、何でそんなに俺のこと見てるわけって疑問が込み上げてくる。じわっと胸に込み上げてきた感情に、慌てて蓋をして苦笑を作る。 「あーはいはい嘘でした。忙しくて行けなかったんだよ」 「ほんとに？」 「……ほんと」 「じゃあ信じる。で？　ポジションは？」 　こくんとうなずくとそれだけで本当に信じてしまったらしい沢村は、目を輝かせながら俺の腕を掴んでくる。パーソナルスペースが狭すぎるし、スキンシップ過多。それなのに、ちっとも嫌な気がしないのはなぜなんだろう。こういうタイプ、俺が一番苦手とする人種なのに。 「こんなとこでする話じゃねーだろ。迷惑になるし」 　圧倒的に女性客が多いスーパーの肉売り場で、ガタイの良い男が二人並んで立ち話をするなんて迷惑すぎる。 　それを理由にまた話を先延ばしにしようとした俺に、沢村は逃亡の気配を感じ取ったのか。しっかり腕を掴むと、怖いくらいまっすぐ見つめてきた。 「じゃあさっさと買い物終わらせてウチ行きやしょう」 「は!?　何で！」 「ここのすぐ裏手なんで。俺のアパート」 　逃がさないと言いたげに迫られて、はいはいと観念するしかなかった。話を終わらせて素早く退散するしかないだろうと、その時は本気でそう思ってたんだ。 　結論として、素早く退散なんてまったくできなかった。 　あいつの部屋に入った途端、腹が減ったとわめく沢村があまりにもうるさすぎて、じゃあ水炊きでもするかと台所に立ってしまったのが悪かったのか。水炊きが美味すぎたのが悪かったのか。はたまた野球トークに熱が入りすぎたのが悪かったのか。 　気づけば三時間が経過していた。 　中学の頃にスカウトされて、高校入学と同時に東京に野球留学して来たのだという沢村は、高校も大学も俺の後輩だった。しかもこいつは俺のことを知ってたんだ。最初は気づかなかったらしいけど、打ち明けるタイミングを見計らってたんだって。 　俺が高校の頃に甲子園に出た試合を知ってて、この人に受けてもらいたいと思って野球留学を決意したらしい。けど東京に行ったからって年の離れた俺と野球できるわけがなく、それを知って落ち込んだこと。最初は地元に帰ろうかと思ったけど、よきライバルと良き仲間に出会って高校では野球に打ち込めたこと。スカウトの目にとまって、今の大学に拾ってもらったこと。 　美味い美味いと言って鍋をつつきながら、沢村はこっちが訊いてもいないのに自分の短い人生を語ってくれた。 　俺もまた誰にも言ったことのない自分の生い立ちを、ぽろりと話してしまった。実家の町工場のことや、大学で終わらせた野球人生のこと、けど今では草野球よりは本格的にチームを作って野球をやっていること。そして何より、今の仕事にも誇りを持って毎日勤めていること。 　自分の買い物袋の中にチューハイやらビールが入っていたことも悪かった。気づけば三缶を飲み終わり、四缶目に手が伸びていた。あまり酒に強い方じゃないから、いつもはこんなに飲んだりしないのに。 　次から次へと話題を振ってくる沢村との食事は楽しくて、時間がたつのも忘れて話し続けていた。しまいには箸を置いて、どちらも缶を片手に喋り続けるだけになっていたほどだ。 「初めて見たときから、ほんっとイケメンだな、って思ってたんすよぉ」 　鍋が熱かったからか、沢村の頬は赤くて目がとろんとしている。そういえばまだガスコンロつけたままだった。もう食わないから良いだろうとスイッチをオフにして、ふーんと言いながらビールをあおる。 「そりゃどうも」 「あー！　ちゃんと話きいてるんすかぁ？」 　胸ぐらを掴んでぐらぐら揺さぶられるけど、力が入ってないから全然身体は揺れない。俺の体幹ナメんなよ、って思いながら沢村を引きはがそうと手首を掴んだ。 　……やたらと熱いな。 「おまえ……」 「なんれすか？」 「――――それチューハイだろ！」 　しまった。こいつ未成年だろ。 　ふわふわとほろ酔いだった頭が一気に醒める。これが自宅で良かった。外に出なければ飲酒がバレることはないだろう。未成年の野球部員が飲酒なんて、うっかり知られたらやばいことになる。 「水持ってきてやるから待ってろ」 「えーもっと話したい！」 「ちょっと水取りに行くだけだって」 「帰るなー御幸一也―」 「帰るわけじゃねーって。コラ！　ちょっ……」 　引き止めようというのか、のしかかってくる沢村を適当に追い払おうとしたら、形勢が逆転してしまった。そのままもつれ込むように床に転がってしまう。 「……んー」 　床に沢村を押し倒す体勢。 　アルコールが回っているからか、鎖骨まで赤くなった肌。とろんとした大きな目。ちょっとつき出された唇はつやつやとしてて、まるでキスされるのを待ってるみたいだ。 「みゆきさん……」 　ほうっと熱い息を吐き出しながら、名前を呼ばれる。 　ことんと首を傾げた沢村が、俺の手首の内側をそっと撫でてきた。 「さわむら」 　みっともないほど声が掠れている。喉がカラカラでやけにひりつく。 　じっと見つめてくる顔は、黙っていればやっぱり大層可愛い。成人を目前に控えた青年にそんなことを思うのは間違っているのかもしれないけど、初めて見たときから可愛いと思っていたことは認めざるをえない。 　俺を見つけてうれしそうに笑う顔、名前を呼んでくる声。ナイショだと言いながら俺にだけ試食を差し出してくる行為。そのどれもが可愛くて、可愛くてたまらない。 　ごくんと唾を飲み込んで、ふーっと息を吐き出す。落ち着け。酒のせいで思考回路が混乱しているだけだ。必死に言い聞かせるけど、やっぱりどう考えても可愛くて。 　深呼吸を繰り返す俺の身体の下で、沢村がゆっくり口を開いた。 「きもちわるい……」 「は？」 「はきそう」 「――――待て！　ちょっと我慢しろ。今すぐトイレ連れてってやるから」 「うっ……」 「我慢しろ！」 　いつの間にか真っ青な顔をして口元を押さえている沢村の肩を抱えて、引きずるようにしてトイレに駆け込む。 「うえぇ……」 「あーもう、吐け吐け。全部綺麗に出しちまえ」 「もったいなぃぃ」 「しょうがねーだろ。お前がチューハイなんて飲むのが悪いんだから」 「あれじゅーすじゃないんすかぁ」 　涙声になってるから相当苦しいんだろう。この様子じゃ酒飲んだの初めてなんだろうな。 　便器に顔を突っ込んで吐き続ける背中をさすってやりながら、内心で胸を撫で下ろす。 　あそこで沢村が気持ち悪いって言い出さなければ俺は。 　その先の可能性に思い当たって、ざっと血の気が引く。なんだ、俺は何をしようとしていた？　こんな子供相手に。しかも相手は同じ男だっていうのに。 　自覚してみれば、背中を撫でている手からじんわり、体温以上のものが伝わってくる気がする。俺が感じているこの気持ちさえも、こいつに悟られてしまいそうで。 「沢村。悪い。帰るわ」 「ふぇ？」 　すっくと立ちあがると、勝手に冷蔵庫を開ける。中に入っていたミネラルウォーターを取り出すと、トイレの前の床に置いてやった。 「全部吐いたらうがいして、水分取れ。これ一本全部飲むんだぞ。いいな？　風呂入るならシャワーですませろ」 「え？　みゆきさん？」 　振り返ってこっちを見上げてくる沢村の目が、涙で潤んでる。 　顔は白くて苦しさに眉間の皺が深いのに、俺の頭が沸騰しているせいかどうしようもない衝動が込み上げてくる。 　意志の力でそれをねじ伏せると、荷物をひっつかんで玄関へと向かう。 「じゃあな」 　勢いよくドアを開けると、バタンと音を立てて閉める。 　カンカンと音を鳴らしながら階段を一気に駆け下りて、身体の中に籠もった熱を吐き出すようにはーっと深い息を吐く。夜の空気の中に拡散されていく息が白い。 　普段なら首をすくめるような寒さが、今日はこんなにもありがたい。 　上着に腕を通さずに夜道を歩き出しながら、どうか家にたどり着くまでにこの熱が冷えますようにと、心の底から祈る。 　いや、家に着くまでじゃなくてもいい。明日の朝起きて、昨夜のことは酒が見せた幻だったのだと思えればそれでいい。 　だからどうか。あのままじゃうっかり沢村にキスしていた事実は、何かの間違いだったと言ってくれ！

デパ地下のお総菜売り場でバイトしている沢村（19歳）と、五階の紳士服売り場に勤務する御幸（26歳）の年の差パラレルです。スーツでビシッと決めて働いている御幸さんが、笑顔の可愛い沢村くんに落ちていく話。<br />申し訳程度に野球が絡んでいます。<br /><br /><strong>お酒は二十歳になってから！！</strong><br /><br />素材お借りしました。<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/49227799">illust/49227799</a></strong>

【御沢】お総菜行進曲

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おそ松兄さんが、煙草を灰皿にぐりぐりと押し付ける。かと思えば、また新しい煙草を取り出して、火を点けた。灰皿には、短くなった吸い殻が溜まっている。 いつもならば、居間で煙草を吸うな、早く換気しろ、と怒鳴っていたところだろう。だがチョロ松は怒鳴りたくなるのをじっと堪え、求人誌のページを捲った。 雑誌の隙間からそっと長男を窺う。赤いパーカーを着た彼は煙草を人差し指と中指で挟み、イライラしたように人差し指と親指を擦り合せていた。ちら、とおそ松が顔を上げる。 「・・・カラ松、」 おそ松が口を開く。それは事情を知らない者が聞けば、いつものおそ松の口調となんら変わりないように聞こえただろう。 だがチョロ松にはその言葉に含まれた彼らしくもない緊張を感じ取った。自然、チョロ松も息を詰める。 「なんだ？おそ松」 窓の外に向けていた顔をこちらに向けたカラ松が言葉を返す。 おそ松が息を吸い込む。 「俺と、付き合ってくんない？」 カラ松を首を傾げて、頷いた。 「いいぞ」 [chapter:スタバァのブラックコーヒーは甘ったるい] 「どこに行くんだ？」 そう言ったカラ松に、チョロ松は思わずがっくりと項垂れた。 「っえ・・・、あ、じゃあコンビニ・・」 狼狽えながらもそう言ったおそ松に心の中で同情と労いの言葉をかける。 しょんぼりと玄関に向かう長男の後ろ姿は、チョロ松の胸に確かに哀愁を与えたのだった。 カラ松は鈍い。 そして馬鹿だ。 しかも中二病である。 だがそんな弟のことが、長男は好きらしい。 チョロ松には全く信じられない、どころか、全く納得できないことなのだが、おそ松にとってはそういう鈍く馬鹿で中二病なところも全て『可愛い』に変換されるらしかった。 全く持って不可解であることこの上ないが、本人がそう言っているのだから、実際そうなのであろう。チョロ松には全く理解出来ない未知の領域だが。 この長男、次男に片想いしているのだ。 その事を知ったのは二年程前であろうか。 自分の棚にこっそりしまっていたヘソクリを長男に勝手にパチンコで消費され、挙げ句の果てに『親切心で増やしてあげようとしただけだろ〜』と悪びれもせず言われブチ切れたチョロ松は長男の棚の中身を勝手に物色していた。もし金になりそうなものがあったらさっさと売っぱらって自分の奪われた金を少しでも返して貰うつもりだったのだ。それが無理でも、何かあの普段飄々とした馬鹿の弱みでも握れればと思っていた。 棚の奥底に封筒を見つけたときはしめたと思ってチョロ松はにんまりした。厚みもけっこうあるから、へそくりかも知れない。封筒を手に取り、そっと中身を取り出す。 「・・・・え」 それはチョロ松の予想したものではなかった。つまり札束ではない。 じゃあ一体なんなのかと問われれば、それはまさに大量に写真だった。 「俺たちの写真・・？」 １枚、２枚、と捲っていく。そこでチョロ松はあることに気が付いた。確かにそれは一見自分たち兄弟の写真なのだが、あからさまに全ての写真に写っているやつがいたのだ。 そう、カラ松である。 アップで写っているのは勿論カラ松ばかり。 「なっ・・・なんだこれっ・・・」 悲劇である。実の兄弟でありしかも元相棒がホモだったなんて。しかも近親相姦。リバが許せるチョロ松でもさすがにそれは受け入れられない。だって兄弟だもの。同じ顔だもの。 だけどもしかしたらこれはチョロ松の早とちりかもしれない。おそ松がホモでは無い可能性もほんの少しだけ、辛うじて１ミクロンくらいはあるかもしれない。なんやかんや兄弟が大好きなおそ松であるから、その中で兄弟大好きランキング１位にカラ松がいるだけ・・、そうだ。そうに違いない。 チョロ松か封筒を握りしめたまま一階に下りると、ちょうどよく居間にはおそ松が一人寝転びマンガを読みふけっている最中だった。ナイスタイミングである。 チョロ松はおそ松の後ろに立つと、封筒の口をおそ松の上で逆さにした。カラ松の写った大量の写真が、バラバラとおそ松の上に落ちる。 唖然としてこちらを見上げるおそ松に、チョロ松は能面のような顔をして言った。 「絶対違うと思うけど、100パー有り得ないと思うけど、まさかおそ松兄さんって、ホモじゃないよね？」 するとおそ松は泣きそうな顔をして蚊の鳴くような声で「ごめん」と言ったので、チョロ松はその場に崩れ落ちた。 おお、神よ。僕が何をしたというのですか。 兄（しかも元相棒）がホモだなんて。 それからは迷惑極まりないことにおそ松はチョロ松に対してだけはオープンホモになったらしく、カラ松がこんなに可愛い、あんなにカッコイイ、という事をことあるごとに報告され、チョロ松の精神を心置きなく抉ることにしたようだった。チョロ松はごくたまに話を聞いてやり、殆どは適当に相槌を打ちながら聞き流した。チョロ松は自分の１つ上の兄がどんなふうに可愛かろうと全く興味は無いのである。 しかしながらある日突然神は気が狂ったらしい。 おそ松とカラ松が付き合うことになったのである。 興奮したおそ松に話を聞きながら、あーはいはい妄想乙、とやはり聞き流していたチョロ松だったのだけれど、どうやらそれはおそ松の妄想などではなく現実で起こった出来事だったらしかった。 一体神様はどうしたのだろう。近親相姦ホモが両想いだなんて神の精神状態がおかしくなったとしか思えない、この世は大丈夫なのかな、と考えたチョロ松だったのだが、長男と次男の付き合い始めた事実は意外と普段の生活に大きな変化をもたらすことは無かった。 まあそれも一手に二人の態度があまり変わらなかったことが大きいだろう。 付き合いだしたことを公言する気はないらしく、おそ松とカラ松は弟達にそれを伝えることなく平然と日常を送っていた。おそ松はなにかあってもそれを隠すのが上手いのは元から知っていたが、カラ松もそういう演技が上手いとは知らなかった。いくら演劇部だったと言っても、別の役になりきるのが上手いだけで、本人が嘘をついたりなんでもない風を装うのは苦手なタイプだと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。 トド松は彼らが付き合い始めたことにすぐに気が付いたようだったが、それも意外なことにおそ松の方を見て気が付いたようだった。 「おそ松兄さん、カラ松兄さんのことチラ見し過ぎでしょー」 とトド松がにやにやしてチョロ松に言う。 「え、そう？」 そんなにおそ松兄さんカラ松にこと見てたっけ。前とあんまり変わらない気がする。 「まあ、前からけっこーカラ松兄さんのことチラチラ見てたけど、今はなんか恋する乙女みたいな目で見てんだよねー」 恋する乙女ってなんだよ、俺たち二十歳とっくに過ぎた男だぞ、と呆れて言うと「これだから童貞松兄さんはモテないんだよ」と逆にトド松から呆れたように溜め息をつかれ、少しイラッとした。 「逆にカラ松兄さんは尻尾出さないよねー」 「でも、カラ松から告白したんだってさ」 「え、カラ松兄さんに恋愛感情なんてあったの」 トド松がびっくりしたように目を剥くので「いや、お前は兄をなんだと思ってんだ」とたしなめる。 「だってさ、あの人愛してるっていう言葉よく使う割に恋愛脳全然ないでしょ。カラ松兄さんが流されたのかと思ってたよ」 おそ松はああ見えて１０年もカラ松に片想いしてたんだぜ。 意外に奥手なんだよ。 自分から告白なんて出来るタマじゃねーから。 「なあチョロ松〜。構えよ〜」 おそ松兄さんが腰に抱きついて構え構えと強請ってきた。 恋人に構ってもらえよ、と思いながら無視していると、おそ松兄さんが「無視すんなって」と抱きつく腕に力を込める。 鬱陶しくなって件の恋人の方を見れば、トド松と小声で何かを話していた。 「・・なあ、アイツら何喋ってんのかな」 耳元でおそ松兄さんの囁き声がしたので、チョロ松は顔を顰めて「ヤキモチ焼くくらいなら話かけに行けばいいだろーが」と囁き返すと、おそ松は俯いて「無理・・・」と呟いた。 えええええ。コイツ本当にあのおそ松兄さん？平然と人のオナニーをネタにするデリカシー皆無野郎だろ。なんでカラ松に声をかけるだけでそんなに恥ずかしそうにしてんの。恋は人を変えるって、もはや別人になってんだろ。 呆れて眺めていると、チラ、と遠慮気味に目線を上げたおそ松が、丁度こちらを向いたカラ松と目が合った。 途端おそ松がパッとカラ松から顔を背けてチョロ松の背に顔を埋める。おそ松の髪の間から覗く耳が赤く染まっている。 おい、その反応なんなんだよ。成人男性がやってると思うとかなり気持ち悪いんですけど。目が合っただけで顔赤くして目を背けるってそれ今時少女マンガの主人公でもしねーよ。みんなもっと男気あるわ。 呆れて立ち上がると、おそ松兄さんにガッと手首を掴まれた。「逃げてんじゃねーぞ」とちょっと涙目で言うおそ松に、「お前がな」と囁き返して、「トイレ行くだけ」とにっこりする。そのままおそ松の頭をぐしゃぐしゃとかき回せば、おそ松は黙ってされるがままになっていた。 素直になーれ、素直になーれ。そう念じながらおそ松の頭を撫でる。お前、すぐ目を逸らしちゃったから分かんないだろうけどね。カラ松、ちょっとだけ僕のこと羨ましそうな目で見てたよ。カラ松に甘えてあげなよ。恋人なんだろ。 「僕だってよく分かんないけど、デートって言ったら映画だ」 そう言うとおそ松兄さんはこくこくと頷き、トド松は「さすがチョロ松兄さん、超王道いくね。童貞の考えることなんて王道過ぎてつまんないよ」と言った。 「じゃあトド松他にいい案出せよ！！！」 「恋愛映画とかいいんじゃない？」 「同じだろーが！！」 「いい？恋愛映画とかで見栄を張るな。おそ松兄さんのことだから途中で寝落ちする可能性がある。下手なことするより自分もカラ松も楽しめそうなものを選べ。そして映画の後にカフェかレストランに入るなりして映画の話をして盛り上がった方がいい」 「童貞松兄さんにしては的を射たことを・・・」 「トド松お前、僕のこと普段どんだけ馬鹿にしてんの？」 「ちなみにカラ松は映画は割と全般的に好きだけど、特に好きなのはアクションとかだよ」 「なんでチョロ松がそんなこと知ってんの？」 「兄さん僕にヤキモチ焼くのやめてくれない？これお前のためにイヤイヤやってんだからね。」 「映画ねえ・・・。今なんかいいのやってる？」 トド松のスマホを３人で覗き込む。 大の男３人でデートで見る映画を真剣に選んでる光景なんてシュールだな、と自分の頭の冷静な部分が溜め息をついたが、それでおそ松兄さんが喜ぶならいいじゃないか、と自分を一生懸命慰める。 「あ、このアクションよくない？」 「確かに。これならおそ松兄さんとカラ松兄さんの空っぽの頭でも理解出来そう」 「トド松、お前今日すごい辛口じゃね？」 デート当日、わざとカラ松に嘘をついて家を離れた僕とトド松は、電柱の影からおそ松兄さんとカラ松が家から出て来るのを確認した。 これから二人のデートの後をつける予定である。 勿論二人のデートが上手く行くかどうか心配故だ。 カラ松はいつものイタい格好で、おそ松兄さんは赤いパーカー姿だ。 「デートの時くらいお洒落すればいいのに・・・」とトド松がぼやく。 「カラ松はお洒落してるじゃん」 「あれは方向性間違ってるから」 でもおそ松に告白をした運命の日もカラ松はあの格好であったらしい。 サングラスがいつもと違ってた、勝負サングラスだったのかも、と顔を赤らめてはにかんで言うおそ松をチョロ松は心底気持ち悪いと思った覚えがある。 お前普段どんだけカラ松見てんだよ。サングラスとか全部一緒だろーが。つーか勝負サングラスってなんだよ。 おそ松兄さんとカラ松は付かず離れず、実に微妙な距離で歩いていた。 おそ松兄さんは手を繋ぎたいのか、そっとカラ松の手に手を伸ばし、掠めると手を引っ込める、というのを繰り返していた。カラ松の方も手が掠めるためにぴくりと反応しながら、まるで気付いていないように振る舞うものだから、非常にヤキモキした。隣でトド松が「ナニこのもやもやした感じ！！さっさと手ぇつなげよ！！まどろっこしいんだよおお！！胸がもやもやするううう！！！」と身悶えていた。 二人が映画館に入っていったので、チョロ松とトド松は二人で映画館の近くのスタバァで待つことにした。 トド松が新作らしいシェイクを頼み、チョロ松はブラックコーヒーを頼んだ。 「チョロ松兄さんってブラック好きだよね〜」 「甘いの苦手なんだよ」 「あー、そうだったね。そういえば知ってる？カラ松兄さんがおそ松兄さんに告白した時、このシェイク飲んでたんだって〜」 「あ、そう・・」 なんで今そういうこと言うかな。新作気になってたけど飲む気失せるだろ。こころなしかブラックな筈のコーヒーが甘く感じるし。 「告白して〜、それでこのシェイクで間接キスしちゃったんだってぇ〜」 「ゴフッ」 「うわ、きたなっっ」 思わずコーヒーを吹くとトド松が悲鳴を上げて飛び退いた。 「なにしてんの、こっちまで飛んできたんだけど！」 「お前が気色悪いこと言うからだろ！」 「間接キスくらいでなに動揺してんの！？これだからチェリー松兄さんは！！あの二人のことだからどうせいつもベッドでぐっちょんぐっちょんだよ！？そんな間接キスごときでビビってどうすんの！？」 「ぐっちょんぐっちょん！？！？！？」 「そうだよお、もうコーヒーが服に散っちゃったじゃんー！」 「イヤイヤイヤ、ないって。だってあいつら手を繋ぐのであんなに照れてんだよ？ありえねーって、ねーよ、それはねーよ」 するとトド松が呆れたような顔をして「あのね、チョロ松兄さん」と妙に優しい口調で言った。 「おそ松兄さんとカラ松兄さんだってさあ、もういい大人なの。そりゃチョロ松兄さんからしたら頼りない子供に見えるかもしんないけどさ。二人ともいい大人で、恋人同士なんだよ？そりゃあしてるでしょ、色んな事」 ・・・そうか、いつまでも子供の頃の気分のまま、おそ松もカラ松も昔と変わらないなんて思っていたのは自分だけだったってことか。 なんだかおそ松兄さんを遠く感じる。僕だけおいて大人の階段登っちゃったんだね。ちょっと寂しい。 コーヒーを飲んだら、ブラックの筈なのになぜかしょっぱく感じた。 映画館から出て来た二人が仲良く手を繋いでいるのを確認して、「もう砂吐きそうだから僕帰るね」とトド松が帰っていった。 それからおそ松兄さんとカラ松はカフェに行くことにしたようだ。二人は仲睦まじそうに話をしていて、おそ松兄さんは僕のアドバイスにきちんと従っているようだった。 ケータイが音を鳴らして、見下ろすとLINEでおそ松兄さんから「映画館でカラ松が手を握ってきて超緊張した。寝たフリしたけど起きてたのバレてるかも」というメッセージが送られてきた。上手くいってんじゃん、とちょっと安心して、「大丈夫でしょ、カラ松だし」と返して画面を閉じる。 視線を戻すとカラ松が笑いながら紅茶を飲んでいるところだった。おそ松兄さんが顔を赤くして何かを一生懸命カラ松に話している。 あーあ、そんな夢中になって。お前ってけっこう一途で、好きな人には一生懸命なタイプだったんだね。僕ずっと一緒にいたのに知らなかったなあ。 妙にしんみりした気持ちになりながらチョロ松は本屋に向かった。あの調子なら残りのデートも上手くいくだろう。 本屋でアイドル図鑑を眺めているとしんみりしていたチョロ松もだんだん元気になってきた。 にゃーちゃん特集とかないかな、と探す頃にはおそ松のことなどすっかり頭から消え失せていた。アイドルって可愛い。その中でもにゃーちゃんは超絶可愛い。 そういえば兄弟にホモがいた気がしたけど、やっぱ理解出来ねーわ〜つーか思い出せないわ〜そんなやついたっけ？ 「チョロ松兄さん、何してんの」 「あ”あ”ん！？」 至福の時間を邪魔されて不機嫌そうに振り返ると一松が恐れおののいたような表情で立っていた。 「なんだ、一松か。珍しいね、本屋にいるなんて」 「・・まあね・・」 たまには行くよ、とぼそぼそ言う一松の手には猫の写真集が握られていた。 いや、分かるよ。可愛いと写真集欲しくなるよね。 弟の寝顔の写真をこっそり棚にしまう兄が思い浮かんだが高速で消去する。 僕もにゃーちゃんの写真とか超欲しいし。 二人で帰っていると途中でおそ松兄さんとカラ松と出くわした。うわ、タイミング悪っ。カラ松のじっとりした視線が怖いんですけど。しかもおそ松兄さんと目が合った途端、もの凄い勢いで兄さんがタックルをかましてきた。 「チョロ松ううううう！！」 「うぉおえ！！！」 びっくりした避けようとしたがあえなく捕まる。 そのままがしりと腕を掴まれ、おそ松兄さんが僕の腕を引いてずんずんと歩き出す。 おそ松兄さんが何をしてたんだとか早口に聞いてきたが、お前いい加減カラ松から逃げるために僕使うのやめてくれない？面倒くさいから。 しかし後ろで一松とカラ松が並んで歩き出してしまい、僕はおそ松兄さんと一緒に歩くしかなくなった。 「おそ松兄さん、さっさとカラ松の隣戻れよ」 「いや、もう無理。心臓がもたねえ」 そういってフルフル首を振るおそ松兄さん。 後ろからカラ松の視線が僕のうなじにビシバシ突き刺さっている気がする。 もう嫌なんですけどこのカップル。 「ねえ、おそ松兄さん、今どこまでいってんの？」 居間で急にトド松が言い出した。 一瞬何の話だ？と疑問が浮かんだがそれもトド松のニヤニヤした悪そうな顔ですぐに掻き消えた。やめろおおおおなんてこと居間で言い出すんだこの末弟は！ ぐっちょんぐっちょんとか言ってたのはお前だろ！ この歩く長男の姿をした下ネタ男性器にそんなこと言ってみろ、真っ昼間の居間だってのにどんな卑猥な言葉が出てくるか・・・。 トド松を睨みつけると、案の定楽しげにウインクされた。 完全に楽しんでやがるな・・・。 「ざんね～ん。超プラトニックです～。」 おそ松兄さんがそう言ったのを聞いて、思わず驚いてカラ松を見てしまう。 おそ松兄さんの言葉にびくりとカラ松の肩が動くが、それから何の反応も示さなかった。 お前、こんな話題出されて平然としていられるなんてすごいな。ちょっと見直したよ。 カラ松をちらっと見たおそ松兄さんが不満そうに口を尖らせた。多分カラ松の反応が無かったのが不服なのだろう。 でもクリスマスあたりに予定はしてんだよねえ〜、とおそ松兄さんが言い出したところでカラ松が部屋を出て行った。 「あんまりカラ松からかうのやめろよ・・・」と溜め息をつけば、おそ松兄さんがトド松と一緒ににやにやする。 「お前もなにほっとした顔してんだよ、チェリー松ぅ。安心しろよ、クリスマス後にはしっかり兄弟初の脱童貞クリアしといてやっから」 「はいはい、出来るといいね」 いまだに見つめ合うだけで真っ赤になるくせになに言ってんだか、と僕はもう一度溜め息をついた。 赤いネクタイをきゅっと結ぶ。 パン、と肩の埃を払った。 「完璧じゃん」 にっ、と笑いかければ、目の前の長男はへへへと照れたように笑って鼻の下を擦った。 今日はクリスマスである。 おそ松はカラ松とホテルの最上階にある高級レストランのクリスマスディナーへ行くことになっていた。 昼を過ぎたころ、おそ松とチョロ松はスーツを買いに服屋まで足を運んでいた。 今日のカラ松とのデートの為に、チョロ松はおそ松の身なりを整えに、つまりスーツやらを見繕いに店までやって来たというわけだ。 ああでもないこうでもない、とチョロ松が何度も店員に服を取り替えさせ、納得のいく仕上がりになる頃には、既に数時間は経過していておそ松は疲れきった顔になっていた。 そんなおそ松を見て「なに疲れた顔してんだよ、お前の晴れ舞台だろ」とチョロ松は呆れた顔でおそ松の背中をバシリと叩く。 そもそもの話、そのクリスマスディナーの券をひょいっとおそ松に渡したのもチョロ松だった。 商店街の福引きで当たったものである。チョロ松は最初それを手にした時、多いに天を恨んだ。欲しい景品はそれこそいくらでもあったというのに（例えば商品券とか、）よりによってリア充から最も縁遠いチョロ松にクリスマスディナーのペアチケット。これは喧嘩売られてるのかな？と憤慨したチョロ松だが、破り捨てるのも忍びない。売って金にかえてしまおうか。 それか親に渡すのも手だな、と思った。なんせ６人もニートを抱えた両親である。いつも迷惑を掛けているし、少しばかりのお礼としてディナーをプレゼントするのも悪くない。 と、そこでチョロ松の頭に思い浮かんだのは二人のクズ馬鹿兄だった。 最近付き合い始めたホモ兄さんたち。 顔を下げ、じっと手元の券を見つめる。 男同士の道は、険しいだろう。それこそ、自分たちには血の繋がりすらあるというのに。 後ろ指を指されることもあるだろう。 これから辛いことも、悩むこともたくさんあるだろう。 ・・・でも、だからこそ。 一人ぐらい、二人の幸せを心の底から祝福する人間がいたっていいんじゃないだろうか。 あんな金にがめついクズな兄でも、困った時は影でこっそり助けてくれた。 あんな中二病で空気の読めない兄でも、悩んでる時は真剣に話を聞いてくれたのだ。 その道は険しくて、常識では考えられない、許されない道なのだとしても。 少なくとも一人はお前達のことを応援してる人間がいるってこと。・・伝えたっていいんじゃないだろうか。 いつの間にか握りしめていた手の力を抜く。券の皺をそっと伸ばした。 あの二人が幸せになればいい。 心の底から、そう思った。 そして、クリスマスの夜はやってくる。 おそ松が来る前、ホテルの物陰で一服していたチョロ松は（二人が心配で見に来た）急に腕を引っ張られ無理矢理ホテルの正面玄関の前まで連れてこられた。 驚いて腕を掴んだ奴を見るとそれはカラ松だった。 「えっ。お前なにしてんの？」 「心配して見に来たら、お前一体なにやってんだチョロ松」 いやお前の方こそなにやってんの？ ぽかんとしている間に無理矢理何かを押し付けられる。見下ろすとそれは真っ赤な薔薇の花束だった。 「うぉえっ・・・すげえな・・」 「そうだろう。買ってきたんだ」 「へえ〜」 やっぱこういうの憧れてたんだ、ちょっと引いたわ。 ジト目で見ていたら、カラ松が真剣な目でこちらを見て、「これをおそ松に渡すんだ」と言った。 ああ、はいはい。おそ松兄さんに渡すのね。いや見たら分かるわ。僕はどん引きだけどおそ松兄さんはお前からこれ貰ったんだから喜ぶんじゃねーの。 そう思って手渡された薔薇を眺めた。わあ、花びらがふわふわしてる。一本いくらすんだろ。 「チョロ松」 顔を上げると、真剣な表情のカラ松がいた。カラ松は目を細めて考え込むように僕のことを眺め、唇をひとなめした。 やがてカラ松が、意を決したようにぽつりと言った。 「最後に一言、いいだろうか」 「ああ、うん。なに？」 「おそ松兄さんを、幸せにしてやってくれ」 ・・・・いやそれ僕のセリフ。 何言ってんのこの人？と混乱するチョロ松をそのままにカラ松は言葉を続ける。 「俺は・・おそ松兄さんのことが好きだ。その想いは、お前にも負けない自信がある」 何故か悲痛そうな顔だ。お前がおそ松兄さんのこと好きなのは知ってるよ。僕もおそ松兄さん好きだけどお前ほどじゃねーよ。 「だが、・・おそ松兄さんが選んだのは、お前だ。」 ・・・・・・・うん？ 耳が悪くなったのかな。 いま、なにか幻聴が聞こえた気が・・・ 「恋人を悲しませる真似はするなよ、ブラザー」 ・・・・・・・・・。 そしてカラ松は悲しげに微笑んだ。その切なげな表情に心が揺さぶれる。 ・・・・でもね、ちょっと待って。意味わかんない。 「・・僕恋人なんていないんだけど」 「何言ってる。今更しらばっくれなくていいぞ。お前達が愛し合っているのは知っている」 「いや、だから誰と誰が？なにコレ嫌味なの？ホモ兄さんに僕までホモ扱いされてんの？」 「だってホモだろう」 「いやちげーし。ホモはお前らホモップルだけだから」 「おそ松と付き合ってるじゃないか」 「うんそうだね、カラ松がね」 「なに言ってるんだ。おそ松と付き合ってるのはチョロ松だろ」 「・・・カラ松でしょ？」 ぱちぱちと瞬きをして見つめ合った。 いやいやいやいやいやいや。ちょっと待って。 「何言ってんの？僕とおそ松兄さんが付き合ってるって、なんでそうなんの？冗談だよね？」 「それこそ俺とおそ松がどうして付き合ってることになるんだ？」 「え？でも付き合ってるよね？」 「お前達がな」 「いや・・いやいやいやいや」 冗談じゃないの？いや冗談にしたってタチが悪すぎるけれども。でもカラ松の顔は、・・・まるで嘘や冗談を言っているようには見えない。 「とにかくだ。おそ松が・・・」 カラ松の真剣味を帯びた眼差しが、真っすぐに僕の目を射抜く。 「一番愛しているのはお前なんだ、チョロ松」 「・・・・・え」 掠れたような声がして、振り向くと、呆然と立ち尽くすおそ松兄さんがいた。 「一番愛してるって・・・、カラ松、お前本当はチョロ松のこと・・」 その目線はしっかりと僕の握る薔薇の花束に注がれている。 じわりと目に涙を浮かべて、おそ松兄さんが後退する。 「おい・・・待って・・・おい・・」チョロ松も今にも泣きそうである。 「・・・・・ごめん」 おそ松兄さんの悲痛な声が、ぽつりと落とされる。 おそ松兄さんがバッと僕らに背を向け、僕たちから逃げるように走り出す。 僕はおそ松兄さんの方向に震える手を伸ばし、もう片方の手で頭を抱えて叫んだ。 [chapter:「おねがああああああああああい！！！！！！ちょっと待ってええええええええ！！！！！！！！！」]

チョロ松「一松殺す」スタバァのシェイクは恋の味（<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6407876">novel/6407876</a></strong>）続き？というか、チョロ松視点です。<br /><br />チョロ松はなんだかんだ言っておそ松の恋を応援し隊です。<br /><br />表紙はこちらからお借りいたしました（<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/54128905">illust/54128905</a></strong>）<br /><br />※追記<br />2016年02月23日付の[小説] デイリーランキング 3 位に入りました！<br />皆様たくさんのコメント・ブクマ・評価ありがとうございます！嬉しいです。<br />タグに笑いました。

スタバァのブラックコーヒーは甘ったるい

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453782#1

ドラコ・マルフォイには唯一このホグワーツにて尊敬する人物がいる。 父親とは又別種の憧れの対象の名前はケイネス・エルメロイ・アーチボルト。 　スリザリンに相応しい完璧な血統、そしてマルフォイ家よりも長く続くアーチボルト家の嫡男たるケイネスは正にスリザリンの至宝とも言えた。 　冷たい怜悧な眼差しや他者と迎合せず己を貫く孤高な姿にドラコは一目見たときから憧れと感服せざるをえなかった。 この髪形だって、その憧れの方を真似た結果である。 そんなスリザリンに完璧なる人物であるケイネスにも残念ながら欠点があった。 その唯一の欠点と言えばケイネスに侍る下僕にあるだろう。 ディルムッド・オディナ グリフィンドールに所属するこの人間が何故か自寮ではなく、スリザリン寮内で目撃されるのはケイネスの傍にずっと、付きっ切りで侍っているからだ。 聞けば自室にも帰らずケイネスの自室に押し掛けているらしい。 何と忌々しい事だろう！ この僕でさえケイネス先輩の自室に招かれるなんて事は無いというのに、あんな何処の馬の骨ともしれない下賤の輩がスリザリンの至宝の自室に毎日入り浸っているなんて・・・！ ドラコは爪を噛み締めたくなる思いを抑え、ケイネスを思う。 あんな何処の家柄ともわからない馬の骨が憧れのケイネスの傍に常に侍っているという現実がドラコは気に食わなくてしょうがない。 スリザリンの談話室でケイネスとその傍に侍るディルムッドを見つけるたびにカッとなり何回なじってやろうとしただろうか。 だが憧れのケイネスに見咎められあの冷たい視線だけで文句ごと飲み込まれてしまっては何も言えないままその光景を指をくわえて見つめるしかなかったのだ。 あぁ、御茶が飲みたいのなら僕が、実家から送られてきた秘蔵の茶葉ごとお出しするというのに・・・！ 茶菓子だって、そこらの貧乏人所か、ちょっとした金持ちレベルじゃ買い付けないような品だってあるのに・・・！ そんな男の用意したお茶やお茶菓子等、出所不明の物を食べさせるなんて、あの男はなんて傲岸なんだ！ そんな物ケイネス殿の口に合うはずがない！ だがケイネスは慣れ合わない。 入学してから何年か経つというのにケイネスは周りとは最低限の付き合いしかしない。 授業でグループを作らなければいけない時だけしか周りに干渉しないのだ。 ホグズミートへだって、数回しか赴いたことが無いと聞いた。 其処が又孤高でかっこいいと思うのだが、その唯一の例外であるディルムッドが疎ましい。 この気高いスリザリンの生徒達には目もくれず、何故あんな対立しているグリフィンドール生である生意気なディルムッド・オディナには侍る事を許すというのか・・・！ そうディルムッドに嫉妬しているドラコでは有ったが、ホッグワーツでも指折りの益荒男でもある男をいとも簡単に自分の支配下に置いているケイネスを褒め称えているのだから、とどのつまり憎いグリフィンドール生を認めているという事にも繋がるのが又一層嫉妬を煽るのだった。 ケイネスは凄い。 でもそんな凄いケイネスが唯の男を傍に侍らせるわけがない。 だがそれでは自分の存在価値はどうなる？ ケイネスと同じく至高の存在であるこのドラコ・マルフォイが、グリフィンドール生ごときに後れを取る訳はない。そんな訳いかない。 ・・・まぁ、年齢の差を考えれば、多少奴の方が優勢なのは仕方ないだろう。 だからケイネスはあんな奴を侍らせるくらいなら、僕を傍に置けばいいのに・・・！ 嫉妬と憧れがグチャグチャと思考の中で暴れまわり、ドラコの頭を掻きまわす。 憧れの君がにっくきグリフィンドールを傍に置いている事実を受け入れたくないのだ。 そんなドラコの様子を不思議がりながらもクラッブとゴイルは何時もの事なので気にせず菓子を貪る。 「相変わらずドラコはケイネス先輩大好きだよなぁ」 「確かに格好いいけどさ、あそこまで大好きになるかなぁ・・・」 「お前たちにはケイネス先輩の素晴らしさが分からないのか！！？」 ヤバイ、聞かれた・・・！ ケイネス先輩の事に関して、ドラコの反応はハリー・ポッターの話題よりも食いついてくるし、しつこいんだった・・・！ 失念していた自分達の迂闊さを呪うクラッブとゴイルに気付かないまま、ドラコは永遠とケイネスの素晴らしさ、高貴さ、気高さを語っていた。 ※※※ 「・・・フム、あの子供は中々見所がありますね・・・我が主の至高さ、そして素晴らしさを知っている」 「・・・お前も大概脳にフィルターを張っているな・・・」 熱弁を放つドラコの所為でスリザリンの談話室は最早談話というレベルではなくなっている。 こんな所にノコノコと出て行けるほどケイネスは能天気でも、無謀でもなかったので、ウンザリとした気分のまま誰にも気付かれない内にパタンと談話室の扉を閉めた。 なのに、この己に忠実な下僕はうんうんと熱弁を放つドラコ・マルフォイに同意しきっている。 ・・・お前、自分の事はいいのか・・・？ 結構なレベルで貶されているんだが・・・ ケイネスにしか関心がないディルムッドは己の評価さえどうでも良いらしい。 只々ケイネスへの美辞麗句にだけ聞き入っている。 「あの無礼なるポッターと違ってマルフォイなる者は良く分かっていますね」 「・・・だから、お前は阿呆で考えなしの馬鹿者なんだ・・・！」 あぁ、本当にこいつは分かって居なくて腹立たしい。 眉間に又険しい皺が出来るのを自覚する。 自寮の自監督のように癖づいてしまったらどうするつもりだ？ 前世の様に常にしかめっ面をするつもりはほとほとないのだが、今世も既に癖になってしまいそうだ。 「お前を愚弄すると言う事は、私も愚弄するという事なのだ！」 「・・・それは、俺への愛の告白と捉えても・・・？」 「何処をどう聞いたらそうなる！？このバカサーヴァント！！！」 「全てが全てを聞いたらそうなりましたが？！」 「こっの私のサーヴァントは阿呆でバカでエロくて・・・どうしたらいいのか私はもう分からん・・・！」 「あぁ主！こんな所に倒れ込んでは・・・！」 「でぇええいっ！！抱き上げるな！！顔を近付けるな！！匂いを嗅ぐなぁあああっっ！！！」 人が珍しく庇ってやれば調子に乗り、スンスンと私の匂いを嗅いでいる己の従僕に呆れかえる。 ・・・変態にしか見えないのだが、貌がいいと得だな。 何をしてもサマになる。 「私だって、他者の評価等どうでもいいのです。唯、貴方の信頼と、愛だけが欲しい・・・！」 ふざけた様子から一変して甘く、熱く、劣情を持って囁きかけるディルムッドに危うく絆されそうになるが、此処は談話室の前であって、今の所人の気配はしないが何時だって人が溢れかえる可能性のある危険な場所だ。 「わ、分かったから此処では・・・！」 「えぇ、分かっております。ケイネス殿は人に見られながらは御嫌になられる・・・」 ちゅぅ・・・っと耳元付近をきつく吸われれば、ディルムッドに慣らされた身体はソレだけでも腰が抜けそうになる。 「あ、んっ！」 「そんな可愛らしい声をお出しにならないでください・・・俺の理性を試しておられるのですか？」 「お、お前の理性等、紙切れの様に薄っぺらではないか・・・！」 「それは仕方ありません。我が主が・・・ケイネス殿が可愛らしいのがいけない・・・！」 これでも俺だって自重しているのですよ？ と囁きかけてくるが、何時だってコイツとの情事は激しいではないか・・・！ それとも、加減してアレなのか？ そう思うと恐ろしくもなるが、加減させずに、ディルムッドの思うまま手加減など無くていいからディルムッドの望むことを望むままにさせてやりたいと思う気持ちが無きにしも有らずで・・・ えぇい！何を言わすか！！！ 「俺は貴方のサーヴァントですよ？人の気配など息をするより容易く感じられます・・・そして俺の感覚は大丈夫だと告げている・・・！」 「・・・バカめ・・・！」 あぁ・・・バカは私だ・・・！ 私は、談話室の前で口付を強請るこの厚かましくも愛しい下僕を跳ね除けられないままソッとその口付を受けるしかなかった。 談話室の中からは、まだまだ私讃歌が聞こえてくる。 下僕にこんな真似を許す私を見たら、あのドラコ・マルフォイは何を思うのだろうと、益にも立たないことを考えていたら、どうやらこの下僕の悋気を買った様だ。 「だいぶ余裕がおありの様ですねマイマスター、でしたらもっと激しくしても大丈夫ですね」 「へ？あ、んむっ！？あむっ！！ん、んぅん・・・！あっ、んっ！」 ぐちゅ、くちゅ、っと自由に我が口内を荒ぶる舌で蹂躙するディルムッドに流されそうになる。 「あ、んふぅっ・・・！」 「はぁ・・・主・・・」 ディルムッドの舌の動きに翻弄され快楽に流されそうになる。 だが、犬が粗相をしたらその場で叱らねば効果は無いのだ。 この前読んだ犬の躾の本にそう書いてあった！ だからコレは懲罰である！ 手袋に包まれた己の手を思いっきり握り込め、寮内外、しまいには学校外にすら人気の有るその輝かしい貌に裏拳を勢い良く叩きつける。 「んぶっ！」 「ツッ！」 ・・・流石、腐っても前世は英霊・・・ 叩き入れた拳の方が痛いってのはどういう事だ？ い、いやコレは決して私がひ弱だからではなく、この逞しすぎる程に逞しい美貌の下僕が悪いのであって・・・！ 「大丈夫ですかケイネス殿！」 顔面の痛みは無いらしいディルムッドが私の拳の心配をしてくる。 ・・・今後、身体の鍛錬を取り入れよう・・・ そうひっそりと心に誓った。 「あぁ・・・ケイネス殿の繊手が・・・捻ってはおりませんか？痛みは？」 「・・・貴様の顔面の強固さを舐めていた・・・！」 「舐めて頂くのは嬉しいですが・・・！」 「そうではないだろう！」 手袋を口で脱がし、怪我の有無を確かめる愛しの下僕の胸元に隠れるように顔を押し付ける。 「・・・もういいから、部屋に行くぞ・・・！」 談話室は相変わらず白熱しているし、このまま廊下などで盛られても堪らない。 日の高いうちに肌を許す気はないが、この体制は気に入っている。 ・・・人目が無い、という前提はあるが。 これ以上外にいては人目に晒される事も有るだろう、ならばこのバカの暴挙を少しばかり譲って、すぐさま部屋に移動してもらった方がマシだ。 嬉しそうにデレデレと笑うディルムッドは頬を摺り寄せ先程までの悋気を忘れているようだ。 ・・・だから早く、二人っきりになろう、という言葉は飲み込んだ。 これ以上この輝ける美貌がにやにやといやらしく笑い崩れるサマを見たくは無かったからな！

自重しようとした。でも無理だった・・・どんどんパロ妄想が酷くなるんですけど、どうしたらいいですか？戦車男でソラウにあまりにも冷たくされててソコに付け込んだ息子が襲ってなし崩しにズルズルと関係を持っちゃうガチで肉体関係がある子×父とか、アイドルパロで外面キラキラ王子様でも実は我儘アイドル(又はモデル)とそのアイドルにマジ惚れされてるマネージャーケイネス先生で問題起こして撮影ぽしゃるディルを釣るために乳首ちゅっちゅのご褒美あげるとかそんな日々に嫌気がさしてやけ酒してたら五次ランサーに慰められて親交深くしてディルに嫉妬されるとか妄想してたら日々が楽しくってしょうがない・・・！嗚呼、生きるって素晴らしい・・・！もっとディルケイはやれ・・・！寧ろケイネス先生の可愛らしさに人類よ目覚めろ・・・！タイトルセンスが無さ過ぎて申し訳ない・・・毎回タイトルで時間取る(泣)後ダブル黒主従楽しいです・・・！■うｐしたので前の消しますねーディルムッドは魔法世界においては無敵ですよね、素手で！前回途中であるにもかかわらず閲覧タグ評価ありがとうございました。えっと・・・女体ガチレズ先生が、がんばります・・・

二人の為に世界はあるの

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早朝、都内某所ビルの会議室に呼ばれた男女。 冬の夜明けはまだのようで、外は朝というより夜という方がしっくりくるほどに暗い。 蛍光灯が眩しい部屋の中、大きな机に向かい合うように座っている二人。 女はふるふると肩を震わせうつむき、男は何やら眠そうに目をこすっている。 「さん、にい、いち……」 突然聞こえたカウントダウン、一瞬静かになったかと思うと女は突然立ち上がり声を上げた。 「第一回！チキチキお兄ちゃんの威厳を取り戻してやろう選手権大会～！パチパチパチ！！！」 「え…なに、これ…？」 タンバリン、クラッカーが盛大に鳴らされると流石に目が覚めたのか赤毛の男ー松野おそ松は目を瞬かせた。 力強く拍手をするのは今をときめく売れっ子アイドル、にゃーちゃんこと橋本にゃーである。 「さ！というわけで始まりました、今夜もえふろく反省会！皆様おはようございますこんばんは、本日の司会を努めさせていただきます橋本にゃーです。よろしくお願いしま～すっ！」 にゃんっ、と可愛らしく猫のポーズを取る橋本をきょとんとしながら見つめるおそ松。 状況が全くもってわかっていないらしい。 「おはようございます、おそ松さん。今の気分はどうですか？」 「え、だからこれ…えっと、眠い？です」 「眠いですか？じゃあ起きてくださいね」 高く可愛らしい声、朝早くからバッチリ決めたメイクの橋本は張り切っている。 片やおそ松はキョロキョロと室内を見渡し撮影スタッフの顔を見るなり、やっと普段との違いに気がついたようで。 「カラ松たちは？」 「今気がついたんですか？」 「いや、皆遅いな～って思ってたらカメラ回り始めっちゃったから」 マイペースに目の前に置かれたお茶を飲みながら言うおそ松は、普段のリーダーらしさには少し欠けている。 「今日は、五人にどっきりを仕掛けようと思います！」 「…はぁ」 ガタガタと椅子を移動させ橋本はおそ松の隣に座ると、カメラも移動し二人をフレーム内に収める。 「この番組では、色々なことに挑戦してきましたよね？」 「まぁ、だいぶ無理なこともしましたね」 『今夜もえふろく反省会！』は土曜のゴールデンタイムに放送されているＦ６の冠番組。 視聴率も安定して高く、老若男女問わず見ているものも多いという。 料理にアクロバットに農業、多少無理な企画でも何だかんだこなしてしまう為、かっこいいからおもしろいまで全て詰まっている番組と話題だ。 「そして今回は今までにないものに挑戦しようということになりました」 「僕らは聞いてないんですが…」 「言ってませんからね」 果たしてこの子はこんなキャラだったのだろうかとおそ松が疑うほどに、普段の橋本より数倍テンションが高い。 スタッフにしてみれば眠さも相まってテンションが低いおそ松と並んでいるため、その差がより顕著になっている。 「時に、先日のツイッター事件。皆さん覚えていらっしゃいますか？」 「やめてください、ほんと……」 耳まで真っ赤になって机に突っ伏したおそ松を他所に、橋本の声が少しずつ高くなる。 ツイッター事件とは、数週間ほど前に末弟のトド松が投稿した驚くべき動画である。 「これまで爽やかジャスティス、スーパーダーリン度ぶっちぎりナンバーワンだったおそ松さん人気が、トド松さんのあの投稿以来急激に変わったようで！」 「あのほんともういいですから…」 耳をふさぎ顔を横にふるおそ松の声はとても小さい。放送時の字幕は薄く小さい文字出てる程度だろう。 それまでおそ松といえば六子の長男でありＦ６のリーダー、どんな事があっても爽やかな笑顔で対応する姿は圧倒的でカッコいいと言われていた。 ところが実のところそうではなかったことが発覚。 酔っていたとはいえ日頃の悲しみや辛さなど心の中を涙ながらに吐露したのだ。 それも、次男であるカラ松に抱っこされながら。 世間の主に女子たちは震えおののき、新たな扉を開いた者も多かった。 「可愛い！ギャップ萌え！幼女！甘えたがりの寂しんぼ！スーパーハニー度ぶっちぎり！と言われるようになってるようですね！」 「あ～！やめてって～～～！！！」 ジタバタと暴れだしたおそ松をよそに橋本のテンションは更に上る。 「これではリーダーかつ六子の長男としての威厳が保たれないわけです！」 「そう、だね」 「ということで今回はお兄ちゃんの威厳を取り戻していただくため！女装してデートしていただきます！」 「いやいやいや！なんで！？」 それまでの小声が嘘のように声を張り上げたおそ松は立ち上がり橋本を見やった。 赤く染まっていた顔は普通に戻っており、その代わり青くなり目を見開いている。 「圧倒的演技力で弟達を騙して「やっぱお兄ちゃんはすごいだろ？」的なところを披露してやりましょう！おそ松さん！」 「まってまってまって！だったら女装する必要ないよね！？」 テンションが最高潮に達した橋本は立ち上がり、両手でガッツポーズを取り満面の笑みを浮かべている。 もはやおそ松の言うことには反応せず耳を通り抜けているようだ。 「ミュージカルのお稽古もだいぶ終盤とのことで、公演初日が楽しみですね」 「うん、うん…ありがとう？」 脈絡のない発言に律儀に返事をしながらも一体何この先に何を言わるのだろうと首をかしげる。 末弟であるトド松はどちらかと言わずとも自分の可愛らしさをわかってやっているところがあるが、おそ松はそうではない。 考えなく自然とこのようなことをやってのけるのだ。 そもそもスーパーダーリン度などなかったのではないかと言われ始めている。 「ミュージカルの主役に抜擢されるほどの演技力を持っている長男様の凄さを見せれば、最近扱いの変わってきたみなさんもきっと以前のように頼るはずです！」 まあまあ座ってください、と橋本に促され座ったおそ松は考えた。 確かにあの日以来弟達は自分に対しての接し方が変わったのだ。 例えば普通に買い物にでかけた時に重い荷物を率先して持ってくれたり、好きな食べ物を分けてくれたり。 それから、ちょっとした怪我でもすぐに治療してくれるし、何より就寝時には抱きしめられたり挙句の果てには誰かが必ず一緒に寝ようとしてくる始末。 それはまるで幼い子に接するかのようで、嫌ではないがむず痒い気持ちになってしまうのだ。 「……マジ？」 訝しげに周囲に視線を巡らせたおそ松を見て、橋本は一気に畳み掛けた。 「マジです！やっぱり兄さんにはかなわないな、俺達騙されたよ、さすが俺らのリーダーはカッコいいしカリスマだよ…ってなります！」 完全になぜ女装するのだという論点がすり替えられている気がしないでもないが、おそ松は納得してしまった。 「じゃあ、やろうかな…。っていうか俺がやるって言わないとこの企画進まないよね？」 「そうとも言いますね。そして今日のために強力な助っ人をお呼びしております。どうぞ！」 勢いの良い声とともに開けられたドアから入ってきたのはおそ松のよく知る人物。 「トト子ちゃん？！」 「初めまして、おはようございますこんばんは？弱井トト子です。よろしくお願いします」 カツカツとヒールの音を響かせながらトト子はおそ松と同じ高校出身で現在は若手女優として活躍している。 大人っぽくそれでいてどこか少女らしさの残っている彼女も今日はどこか興奮しているのが見て取れる。 「今日はメイクさんと衣装さんもいるのですが、基本的には私達がコーディネートさせていただきます」 「よろしくね、おそ松くん」 美少女と美女にニッコリと微笑まれたおそ松は、震え上がることしかできなかった。 「ということでこれから別室で変身してきまーす！」 「え？ほんとに？ほんとに女装しちゃうの？女装する必要ある？？？ねえ…！？」 おそ松よりも一回り小さいはずのトト子がガシっと襟首を掴み引きずっていく。 ねえ！おかしくない！？と、未だ納得していないおそ松の声はフェードアウトして消えた。 「さて！お着替えが終わりました～！」 「もう朝ですね、すごくいいお天気ですね」 それから数時間、時刻は朝八時を回ったばかり。 青空のもとで眩しいくらいに微笑む二人は、駅前に移動していた。 「絶好のデート日和ですね！」 「これからの一日がと～っても楽しみです」 「ちなみに今日ですね、実はＦ６の皆さんには生き別れの妹がいてその妹がこれから同居することになる為一緒に暮らす前に一旦お互いを知ろう！デートしましょう！という設定となっております」 「なんか、ねえ…？」 つい笑ってしまいそうになるくらいありえない設定である。 「そして名前はおそ子という名前だとあまりにもひねりがないため、れいかちゃんにしております」 「どうしてれいかちゃんなの？」 「おそ松さん必ず私の事れいかって呼ぶんですよ、本名とも全然違うのに」 初対面の時に「君ってレイカって感じだね」と言い放ったおそ松は、それからずっと橋本のことを裏ではレイカと呼んでいた。 「それでは早速お呼びしましょうか」 「「れいかちゃーん！」」 「………はーい」 全く可愛らしくない声とともに現れたのは、美女だった。 少し釣り目がちなその目は細く引かれたアイライン、カールされたまつげが一本一本が太く長く広がり、ブラウン系のアイシャドウがまぶたに広がっている。 チークは薄く、ローズピンクの口紅。 地毛と同じ赤いロングヘアはゆるくカールされ前髪をかきあげワンサイドに流れている。 ライトグレーのニットワンピースに黒いロングコート、そしてややヒールの高めのオーバーニーブーツ。 ワンピースは丈が短く、腰にはワンポイントとして赤の細いベルトが巻かれている。 もちろん、素足だ。 「きゃ～！おそ松さんめっちゃ美人です！」 「ありがとうござまーーーす！」 「どういたしまして～…」 数時間前にもましてテンションの上がっている二人とは反比例するようにおそ松のテンションは低い。 「ヒールは七センチとちょっと高めなんですけど、結構みなさんとは身長差があると聞いたので大丈夫でしょう」 「良いのか悪いのか、なんかあんまり褒められてる気がしないね」 へへっと苦笑いをする姿はＦ６リーダーのおそ松とは思えない。 りっぱな『松野家の生き別れの妹れいか』と言えよう。 もともと弟達とは最低七センチ、最高十センチという身長差だ。 ヒールを履いたところで同じくらいだしモデル体型にも見えるため問題はない。 「その脚線美…、羨ましい」 トト子の発言によりカメラは舐めるようにつま先からおそ松を映す。 「ちなみに、足と腕の毛は剃っていただきました」 とんだ爆弾発言である。 完璧な女装を施したおそ松は腹をくくり、これはドラマの撮影でそういう役なんだと思い込むことにした。 「もう、はい。いいです…。松野れいかです、がんばりまーす！」 少し高めの声でニッコリと微笑むと、スタッフの一部から感嘆の声が漏れた。 「かわっ…ぐふっ！」 「トト子ちゃん！？」 突然鼻を抑えたおそ松はすかさず大きめのトートバックからティッシュを取り出し差し出す。 さすがはスーパーハニー松野おそ松。 「本日の予定ですが、一人二時間半から三時間。順番は、トド松さん十四松さん一松さんチョロ松さん、そして最後にカラ松さんとなっております」 「夜までじゃん…？」 「あたりまえじゃないですかぁ、デートですもん！ちなみにコースは皆さんにお任せのため私達も知りません」 最初のトド松は九時の待ち合わせらしい。なんとも健康的すぎるデートだ。 「今日は女の子になりきって、身を任せ」 「ぜひともカラ松君たちを騙しちゃってね」 ウィンクと共にそう言い残すと二人はロケバスの中で見守るからとスタッフとともに去って行ってしまった。 おそ松、もとい松野れいかの長い長い一日の始まりだ。 [newpage] 指定された待ち合わせ場所に行くとまだトド松は来ておらず、休日の早い時間帯ということもあってさほど混雑はしていなかった。 行き交う人の中で少し不安そうにしながらも佇むおそ松は女装した成人男子とは到底思えない。 足元が落ち着かないのかなにやらもじもじとしている。 （あぁ～、すげー脚がスースーするなぁ。女の子は大変だな。ヒールも衣装で履きなれてるとはいえこういう風に履いたことないからなぁ…） ロケバスの二人はもはや実況を忘れ、車体が揺れるほどにジタバタ暴れている。 かろうじて橋本が状況を伝えているものの、トト子に至ってはもはや日本語さえ話していない。 すると早速予期せぬ自体が起こった。 明らかに一般人であろう男性二人組がおそ松に声をかけたのだ。 「大変です！早速おそ松さんがナンパされてしまいましたぁ！」 「これスタッフさんとかじゃないですよね？」 慌てて確認を取るとどうやら本当に一般人らしい。 しかしここで出て行くと企画は終了するため、おそ松自身になんとかしてもらうしかなかった。 「ねえねえねえ、お姉さんもしかしてモデルとか？」 「めっちゃスタイルいいし可愛いね～、撮影？」 「いえ、ちょっと待ち合わせをしてて」 そもそもナンパされる方などありえないおそ松はどう断っていいか分からないようで、しどろもどろになっている。 「あ～！だめ！それはより可愛さを際だたせるだけですよぉ！」 「その不安そうな顔つきがたまりません～～～！！！」 心配してやれよと言いたくなるほどに暴れる女子二人を止めるスタッフはいない。 「でもここじゃ寒くない？駅中のほうが暖かいし行こうよ、風邪引いちゃうよ」 一人がおそ松の方に手を回そうとした瞬間、見計らっていたかのように別の男の声が聞こえてきた。 「ちょっとぉ、人の妹になんてことしてんの？」 ひょこっと顔を出したのは、本日最初のお相手のトド松。 「ナンパなんてぜ～ったい駄目だからね！」 ぷくっと頬をふくらませる姿はキューティーフェアリーと呼ばれるだけある。 しかしながら目は笑っていないし、どことなく冷たく怖い雰囲気を出している。 まさかトド松が現れると思っていなかった二人は慌てて走り去っていってしまった。 「れいかちゃん、おはよう！あと初めましてだね」 ニコッと笑う姿におそ松は少しだけ驚いていた。 （トド松…意外と男らしいところあるんだな） 普段甘えたがりなはずの末弟は女の子の前ではしっかり男らしくなることを知った。 「あの、初めましてれいかです。えっと、トド松……」 と、ここでおそ松は悩んだ。妹という設定上、お兄ちゃんと呼ばねばならぬ。 だが弟、しかも末っ子をお兄ちゃんと呼ぶなど躊躇しかない。 うぐぐと小さく唸っていると見透かしたトド松はクスクスと笑いながら「無理にお兄ちゃんって呼ばなくてもいいよ」と言ってきた。 驚いて目を合わせると営業スマイルではなく、普段自分に向けるような優しい笑みを浮かべている。 「今日はじめて会うでしょ？さすがにいきなりお兄ちゃんとは呼びづらいと思うんだ。僕も兄さんたちも今日は呼び捨てでいいよ」 なんと気の利く弟なのだろうと思いながらこくりと頷いた。 「じゃあ行こうか！」 トド松は当たり前のように手を繋ぐとどうやら目的の場所があるらしく歩き出す。 「朝ご飯食べた？」 「まだです」 「よかった！あのねパンケーキが美味しいお店があって、限定でモーニングもやっててそこに行こうかな～って」 すでに起きてから四時間以上は経過しているおそ松はお腹が空いていたためとてもありがたかった。 それにしてもパンケーキというチョイスがなんともトド松らしい。 向かう道すがら、目に止まったものや天気、どんなことが好きなのかと話題に欠くことはなく、日頃の癖もあっておそ松は妹というより兄のように相槌を打ちながら聞いていた。 案内された店は小ぢんまりとしていて十人も入れるかどうかといった広さ。 店主と顔見知りらしいトド松は軽く言葉をかわすと窓際の席へと座った。 「ここのパンケーキね、ふわふわしてすごく美味しいんだ。朝はスイーツって言うよりちゃんとご飯っぽくて美味しいの」 ニコニコと笑う姿が可愛らしくて、つい自分の頬も緩んでしまうおそ松。 「～っ！」 「？トド松どうしたの…？」 急に真っ赤になり俯いたトド松を心配し手を伸ばすと、パシッと握られた。 「もう～ほんっと可愛い！可愛い！すっごい可愛い！ほんと可愛くて大好き！」 くりっとした目を更に広げ、力強く言われたのは称賛の言葉。 もちろん自分ではなく妹のれいかに対してだと分かっているが、ついおそ松自身が可愛いと褒められているような気がして照れてしまう。 「………あ、ありがとう……ございます、」 今度は真っ赤になったおそ松が俯いた。 「くぁｗせｄｒｆｔｇｙ６ふじこｌｐ；＠：」 「トト子さん息をして！！！息してください！！！！」 店内に設置してある小型カメラで様子を見ていたロケバスの中は大騒ぎ。 生娘のような反応のおそ松にとうとうトト子は鼻血を出しながら、倒れこんだ。 「おそ松くんおそ松くんおそ松くん！！！あ～～～！！！お兄ちゃんやばい！！！尊い！！！」 語彙力などあってないもの。 清純派で売っているはずのトト子は、清純派のせの字が見当たらないほどになっていた。 放送後、このトト子の姿が一部女子の姿そのものだと話題になる。 お待たせしました、という店員の声ととも運ばれてきたのは出来立ての少し大きめのワンプレートだった。 ふっくらとした小さめのパンケーキは二段重ねになっており、スクランブルエッグにベビーリーフのサラダ、カップには具だくさんの野菜スープが入っている。 早速フォークを手にしたおそ松はパクリとパンケーキを頬張る。 「はむっ……ん！おいひい！！！」 それほど甘くない生地は見た目通りにふわふわしていて、程よく溶けたバターと相性が抜群だ。 お腹が空いていたことはもちろんだがその美味しさにおそ松の手は止まらない。 スープはコンソメベースで暖かさが体中に広がり、サラダはお手製であろうドレッシングが爽やかで口の中をリセットしてくれる。 夢中で食べていると突然トド松の手が伸びてきた。 「おーい、れいかちゃーん」 「…ふぇ？」 もきゅもきゅと動く口を一旦止めると指が唇のそばを拭った。 「れいかちゃんって、お口ゆるいのかな？」 色っぽくにやりと笑いながら舐めとるトド松は、どことなく雄の顔をしている。 朝の空気には、ちょっと似合わないと思いつつ急いで謝った。 「ふぁっ、…ごっ、ごめん…」 どうやら口の周りにドレッシングがついていたらしい。 日頃からおそ松はポロポロと食べ物をこぼしたり口の周りにつけたりと、弟達から「口がゆるい」と言われている。 「なんだか、おそ松兄さんみたい…」 一瞬バレたのかと思ったがトド松は機嫌良さそうに笑っている。 「えっと、」 「今日は会えないんだったよね。あのね、僕らの長男」 会えないのは当たり前だって俺だし、とおそ松は心のなかでつっこんだ。 「カッコいいんだよ～、いっつも僕達を引っ張ってくれて、あと運動神経よくて勉強もできて！歌もうまいんだよ～」 ニコニコとまるで自身のことを話すかのように嬉しそうにするトド松を見るおそ松は、もっと嬉しそうだ。 もっと褒めて、もっともっと褒めて！と表情に出ている。 真正面から見ているトド松はキラキラとした表情がたまらなく愛おしいと感じた。 「いつも強くてかっこ良くて、でもたまに泣いちゃうところは……」 そこまで言うと一旦間をあける。 何を言われるのかとそわそわしていると蕩けるような笑みで言った。 「可愛くてしょうがないんだ」 効果音をつけるとするなら、ボンッ！と音が出るほどにおそ松の顔は真っ赤になった。 （なんだよそれ！トド松のほうがずっと可愛いし、トッティとか言われて、可愛いし…可愛いし！！！） 「…そう、なんだ」 気の利いたことを言えないおそ松は残りのご飯をむぎゅむぎゅと口の中に押し込めた。 それからは食べることに必死でトド松の顔を直視できずにいた。 プレートの上のご飯は綺麗に二人の胃袋に収まり、食後の飲み物を飲みほっと一息ついた後店を後にし、今度は近くの公園へと訪れる。 「何かあるの？」 「うん、こっち」 言われるがまま着いて行くとそこには大きな噴水があった。 （うわ～！初めて知った！） 初めて見る噴水に見惚れていると、ピピッとシャッター音が聞こえ横を向くとトド松がデジカメを向けている。 「なぁに？」 「僕ね写真を取るのも好きなんだ～」 そう言うと再びピピっとシャッターをきる。 「えっ、は…恥ずかしいし！」 慌てて両手で顔を隠すもそれさえも撮られた。 「もう～！だめだって！」 「お兄ちゃんの言うことは聞くんだよ～」 何やら楽しそうにしている弟はつかの間のお兄ちゃんを楽しんでいるのだろうか。 普段弟でしかないトド松は、こうして兄になることに憧れているのかもしれないと考えた。 「じゃぁ…可愛く撮ってね？」 小首を傾げ、ハニカミながら笑うおそ松。 弟のためと演技をしているようだが、威厳は全く無い。 「ん”っ！！！！！！！！！…………尊い」 「リーダーやばくないですか…？」 橋本は倒れたトト子を気にすることなく、自分も新たな扉を開きそうだなと感じ始めた。 それから二人は公園をぷらぷらと散歩し、トド松はひたすらデジカメのシャッターを切り続けた。 噴水を見つめる姿、カメラに向かって笑う姿、途中で現れた野良猫と遊ぶ姿に散歩中の犬を撫でる姿などなど。 傍から見れば仲の良いカップルが散歩をしていて、彼氏が彼女の写真を撮りまくっているようにしか見えない。 次の人と交代するため待ち合わせ場所であるベンチに座ると、トド松は「あっ」と声を上げた。 「どうしたの？」 「まつげついてる、取るから目閉じて～」 「はーい」 最初こそ、多少緊張していたおそ松もトド松の癒やし効果もあってか今となっては肩の力が抜けていた。 言われるがままに目を閉じると、ふにっと額に何かが押し当てられる感触がする。 「……～っ！？」 それが唇だということに気がついたのは数秒後で、驚いておでこを両手で抑え目を開けるとまたシャッター音がした。 こんな彼女にするような甘い顔、見ているこっちが恥ずかしくなるわ！と心のなかで叫ぶも、弟にキスされたという事実が恥ずかしくてたまらないおそ松は涙目になりながら頬を赤く染めた。 「うん、一番かわいい顔が撮れた」 「もうっ！」 文句をいうよりもデータごと消去してやろうと手を伸ばしたところで、トド松ではない男の手に掴まれる。 「はーい、次は僕だよ。お姫様」 甘ったるい声の元を辿って正面を見ると、十四松が微笑みながら立っていた。 [newpage] おそ松と十四松が訪れたのは、デートの定番遊園地。 「遊園地なんて久しぶりだよ！十四松は？」 「僕も久しぶりかなぁ、撮影とかだとあるんだけどね」 入園ゲートをくぐり抜け十四松に手を引かれるまま最初に向かったのは、サービスセンター。 「どうかしたの？」 「せっかくなら、ゆっくりデートしたいからね！」 そう言うとスタッフの人に声をかけアナウンス室へと入っていく。 一体何ごとかと思っていると十四松はマイクをオンにして突然喋り出した。 「やっほ～みんなぁ、十四松だよ。今日は僕も遊びに来てるんだ」 何わざわざ名乗ってんだよ！と驚いて身を乗り出すと口元にそっと人差し指を添えられる。 本当に何をするつもりなんだと焦っていると、ぱちんとウィンクをされた。 「今日は妹と一緒に来てて、可愛い子猫ちゃんたちともデートしたい気持ちはあるんだけどできればそっとしておいて欲しいんだ…僕からのお願い、守ってねセクロス！」 いやいやセクロス関係ないよね？と思うおそ松。 マイクを切る直前で、ちゅっと可愛らしくリップ音を立てると外から様々な叫び声が聞こえてきた。 「これで心置きなくデートできるね！行こう！」 先程より力強く手を惹かれパーク内に戻ると痛いくらいの視線を感じる。 が、十四松がウィンクするとバタバタと倒れ鼻血を吹き出しさながら地獄絵図だ。 本人のアナウンスもあってか寄ってくるファンもおらず、おそ松も少しホッとしてぎゅっと手を握り返した。 「どうしたの？」 「うぅん、いっぱい遊ぼう！十四松っ！」 大人っぽい風貌とは正反対にぱっと笑う姿はまるで少女のようだ。 しかし中身は成人男性である。 「…ほんと、僕だけのお姫様になってくれたら良いのに」 「なんか言った？」 「ううん、行こう！たくさん遊ぼう～」 ふわふわと笑い合う二人は、兄妹というよりまるで恋人同士のようでハートマークが見えたのは言うまでもない。 「あぁ～…え？なに？あぁ～…幼女？プリキュアにでもなっちゃう？」 「トト子さんそれ放送局違うのでせめてかしこま！にしましょ…」 まだ二人目だと言うにすでに悟りの境地に達した二人を見ているだけでもスタッフの腹はよじれそうなくらいであった。 「ん～！叫んだぁ～、めっちゃ楽しかった！」 「絶叫マシーンとか好きなんだねぇ」 空中ブランコにフリーフォール、ジェットコースターと叫び尽くしたおそ松はぐっと伸びる。 「こんなふうに叫ぶことって普段ないからさ、もう目一杯叫んだ！」 「れいかちゃんに喜んでもらえて何よりだよ」 ほんの数センチ高い目の位置が今日はほぼ同じだ。 王子様スマイル全開で頭をぽんぽんと撫でられると、普段されることのないその行為に照れくさくなってしまう。 「十四松は、楽しい？」 いたたまれなくなってその手から逃げ話題を振ると「もちろん」と返ってくる。 一息つくためベンチに座るとひんやりとした風が吹き抜け肩をすくめる。 「何か飲み物買ってくるよ」 「じゃあ温かいものがいいな」 「了解、待っててね姫」 まるでお伽話に出てくる王子様のように手の甲にキスをする十四松。 （うわ～…ほんと、なんなの恥ずかしいやつ…！） 普段面倒を見ている弟に年下扱いをされるとそれはそれで嬉しくなるようで、幸せそうにきゅっと両手を握った。 「はいどうぞ」 「わーい！ありがとう」 戻ってきた十四松はカフェオレを二つと、何やらトレーに飲み物以外も乗せている。 「わぁ～！」 イチゴや白桃、バナナが綺麗に並べられ生クリームたっぷりのクレープだった。 甘いモノが大好きなおそ松はすぐさま目を輝かせる。 「甘いもの好きでしょ？」 「うん！……ってなんで知ってるの？」 「あっ…ん～、そんな気がしたから。運命ってやつかな？」 一瞬焦ったような表情を見せた十四松だがすぐさま笑みを浮かべると「はい、あーん」と差し出してきた。 日頃からこうして食べさせ合っている為おそ松も十四松も何の迷いもない。 ぱくっと口いっぱいに頬張ると「うまー！」っと満面の笑みを向けた。 「幸せそうに食べるねぇ、おそ松兄さんにそっくり」 「おほまふにいはん…？」 「うん、僕の一番上のお兄ちゃん。れいかちゃんに本当に似てるんだよ」 女に対して異常なほどに鼻の効く十四松を警戒しつつも話を聞く。 似てるっていうか、俺そのものだし。 「おそ松兄さんはね、いっつも爽やかで大人っぽいって言われてて、僕の憧れなんだ」 （へぇ～そうだったんだ、初めて知った） 二十数年間一緒に育ってきたが、自分に憧れていることなど初めて知ったおそ松。 空をまっすぐ見つめながら話す十四松は、しっかりした大人の顔をしている。 「でもね、すっごく可愛いんだ」 「っ！？んぐっ……！」 大人になったもんだと感心していたのに急に振り向いて、五番目の弟は爆弾を落とした。 （だから！可愛くねえって！！！） 喉に詰まったクレープを必死で飲み込むおそ松を見ながら十四松はなおも続ける。 「嬉しい時はね目をキラキラさせて喜ぶし、楽しい時は体中で楽しいって表現するんだ。悲しい時には必死に我慢して無理して笑ってて、そういう姿が健気で可愛いなあって思うんだ」 前半はまあ良いとしよう、確かに喜びを体中で表現することはあるが後半についてはどうだろうか。 どう考えたって可愛くはないだろうと固まってしまったおそ松の手を奪い、自分もクレープを頬張る十四松。 ペロッと口の端を舐めとると上目遣いでにやりと笑う。 「あと、照れるとそんな風に真っ赤になって目をうるうるさせちゃうところもそっくり。食べちゃいたいくらい、可愛い…」 最後に耳元で低い声でつぶやかれると身体中にゾワゾワとした何かが駆け抜けた。 呟かれた耳を押さえながら立ち上がったおそ松はほぼ食べていないクレープを十四松に押し付ける。 「もっ、もうお腹いっぱいだから良い！早く次の乗り物いこう！！！」 完全なる照れ隠しだということは明白だ。 無理やり押し付けられたにも関わらず十四松は満足そうに笑う。 周囲の客はやはり鼻血を吹き出しながら倒れている。 「あぁ～～！？！？次はツンデレとか！？？！？！？！？ん～～～～！！！！ん”っ！！！！」 「もうだめ…長男リーダーつよい……うっ…」 悶えるトト子の隣でとうとう橋本までもが呻きだし、若手女芸人のような絵面になってしまっている。 「最後はこれに乗ろう」 「えっ……これは…」 キラキラと輝く馬が何匹も円を描いているそれは、メリーゴーランドと言われる乗り物。 立ち止まろうとするおそ松を更に強い力で引っ張っていく十四松は、なかなかの筋肉バカでもある。 「ちょっと、これはさすがに…」 「まあまあいいじゃん？ほらっ！」 「わわっ、ちょっと！」 あれよあれよというまに乗り物の目の前まで連れられると、持ち上げられ馬に乗せられてしまった。 （っていうか俺を持ち上げるってどういうこと…！？） 十四松と一緒にいるのは女装をした成人男性であってそれなりに重いはずなのに、軽々と持ち上げられてしまったことに少なからずともショックを受けるおそ松。 「動き出すからしっかり捕まってて」 そう言うと十四松も一緒の馬に座り込んでくる。 おもちゃのような可愛らしい音楽が鳴り始めるとゆっくりと回転しだした。 横座りになっているおそ松はバランスを崩さないように手すりを掴み、十四松は腰回りに腕を回してきた。 「ん～なんかすごく視線を感じるね」 「当たり前じゃん…ただでさえ目立ってるのにメリーゴーランドとか、もう」 まるで動物園のパンダにでもなったのだろうかというくらいに視線を感じる。 恥ずかしくてたまらないおそ松とは対照的に十四松はそれはそれは嬉しそうに笑っている。 夜ではないのに光っているライトや電飾のおかげでここだけが異世界のような錯覚に陥ってしまう。 早く止まれと念じていたのが通じたのか気が付けば速度がゆるくなり停止した。 やっと降りられると思ったおそ松は自分で降りようとするが十四松に静止される。 「自分で降りられるよ」 「足でも捻ったら危ないから、だぁめ」 「平気だよ、それに重いでしょ？」 行動に移される前に降りてしまえと動くおそ松より先に十四松は降りると先ほどと同じように持ち上げた。 「ねえ、だからっ！」 「れいかは軽いね、まるで羽根が生えてるみたい」 「～っ……ほんと、お前…」 羞恥が最高潮に達したおそ松は確実に赤くなった顔を見せまいとそのままぎゅうっと抱きついた。 十四松は最初『妹と来ている』と言っていたが、やはりどう見ても仲の良いカップルにしか見えていなかった。 「無理、だめ…辛い……手乗りサイズの妖精さんが見えるんだけど…辛い…」 「チェック・メイトされました…」 当初ドタバタと騒いでいたロケバスの中の二人は今、手を組み合わせ天を仰ぎ、神に感謝していた。 そもそもの仕事を忘れている。 [newpage] 手を繋いだまま次の待ち合わせ場所である遊園地の出口へと行くと見慣れた紫頭が気だるそうに立っていた。パタパタと一松の元へ駆け寄る。 「ごめんなさい、お待たせしました」 「良いよ別に。むしろ時間前だし」 ダークブラウンのダッフルコートに黒い細身のパンツスタイルは一松の細さを強調している。 「松野れいかです、よろしくお願いします」 「ん、一松。よろしく」 決して愛想が良いとはいえない四男はいつもの通り。 ポッケに手を突っ込んだまま歩き出す一松を慌てて追いかける。 「どこに行くんですか？」 「とりあえず飯。電車乗るけどいい？」 「うん、大丈夫」 どうやら少し離れた場所に向かうらしく近くの駅から電車に乗った。 基本的に車で移動するおそ松たちにしてみれば電車は何年ぶりに乗ったか分からないくらい。 休日の昼過ぎともなればそれなりに人も多く、超満員とまではいかないが満員で押し込められる。 「うわわっ…」 ドア付近の角まで追いやられると人の波に押しつぶされそうになる。 こんなに苦しい思いをして電車に乗るてみんなすごいなぁ、とぽけっとしていると顔の横に一松が両手をついてきた。 さっきの苦しさから少しだけ開放され目の前を見ると一松が自分を覆うように立っているではないか。 （あぁ～…噂によく聞く、壁ドン…ね） ほんの少しだけ上にある目を見つめると、一瞬目を見開いてふっと視線を逸らした。 「いや苦しいんじゃないかって、思って…」 ぼそぼそと話す声はともすれば騒音と話し声でかき消されそうな小声も、十センチ程度しかない距離でならはっきりと聞こえる。 「ありがとう、一松」 女の子にはちゃんと紳士的なんだなと感心し頭を撫でると一松の頬がぽっと赤くなった。 その瞬間電車が大きく揺れ、唇がかすめられる。 「あのっ、今のはその…」 「うっ、うん、不可抗力だもんね…えっと…」 「あ～マジでごめん…」 一瞬にして耳まで真っ赤になった一松に釣られおそ松までも無言になり、一松はうなだれて肩に頭を乗せてくる。 ふわふわと頬や耳をかすめる髪の毛が擽ったくて身を捩る。 「ふふっ、くすぐったいよ…」 「しょうが無いじゃん、我慢して」 「えぇ～…」 忘れてしまいそうになるがここは公共の乗物。 いくら騒音激しいとはいえ周囲の人間には会話が丸聞こえになっているわけで、まさか大人気Ｆ６のおそ松と一松とは思っていない乗客が思うことはただ一つ。 （いちゃついてんじゃねえよ………） と。 その頃ロケバス。 「あぁ～！！電車は無理だわ～～～なんで電車乗っちゃう～～～？？？」 「しかも今は満員の時間じゃないですかぁ…！！！」 悟りを開いた聖人から、欲深い人間へと戻っていた。 「ふぅっ、腕疲れてないですか？大丈夫？」 「平気。そんなやわじゃないし」 数分ほど乗ってついた駅は少し小さめで、人の乗り降りもそう多くはなかった。 一松の斜め後ろを歩くようについていくおそ松。 決してそう意識しているわけではないのだが隣に並ぼうとするとどうにも一松が前に出ててしまう。 一松がこのような性格であることに慣れているおそ松は問題ないが、これが本当意中の女性にするような態度であれば問題だ。 更生せねばと思うおそ松だが、多分その必要はない。 「あ…」 「あ？」 突然立ち止まった一松の視線をたどると野良猫がいた。 そっと隣りに並んで横顔見るとそわそわとしていて今すぐにでも遊びたそうにしている。 猫が好きなことは十分すぎるほどに知っているおそ松はつい声をかけてしまう。 「猫と遊びます？」 「………いや、いい。後で猫カフェ行くし」 「じゃあ今は我慢して先を急ぎましょ？」 素直にこくんと頷く一松が可愛くて、ないはずの母性本能とやらが疼いた。 隣に並ぶことなくついていった場所は、ラーメン屋さん。 「「らっしゃやせ～！！」」 扉を開けると数名の店員が迎え、食欲をそそる香りが漂っている。 カウンター席に着く。 「オススメってありますか？」 「ラーメン」 「じゃあ、ラーメン二つお願いします」 カウンター越しに注文すると威勢の良い返事が返ってくる。 おそ松は初めて訪れるが、さっきの感じからして一松は何度か訪れているようで。 「よく来るの？」 「うん、結構来る」 「一人で？」 「そう」 兄弟の中でも不思議でつかみどころのない一松がミステリアスクールと呼ばれるのがわかる。 仲が悪いわけではない。普通に会話もするしでかけたりもするが、気がつけば一人でふらっと何処かへでかけていることもある。 「皆さんとは来ないんですか？」 「ん～、うん」 今まで聞くことのなかった理由をなんとなく聞いてみる。 「なんで誘わないの？」 「だって…断られたら嫌じゃん…」 俯いてため息とともに言われたのは思いもよらぬ内容。 「えっと～」 どういうことかと聞こうとすると頬杖をつきながらダルそうにおそ松を見てきた。 「だーかーら、行こうって誘ってやだって断られたら俺寂しくて死んじゃうから嫌なの」 じっと見つめられるとやっぱりないはずの母性本能が疼いてついつい抱きしめそうになってしまう。 きゅんとする胸をおさえそっと紫の頭を撫でる。 「大丈夫、絶対断ったりしないよ」 「なんで分かるの…？」 「だって、可愛い可愛い弟のお願いをお兄ちゃんが断るわけ無いじゃん」 それは本当の気持で、可愛い弟の頼みを断るなどおそ松にはありえない。 ましてや普段からあまりわがままを言おうとしない一松の頼みとあらば喜んで引き受けるに決まっている。 今自分が『れいか』になっていることなど頭からすっぽり抜けたおそ松はふにゃっと笑いながら頭を撫でる。 「あのさっ…」 「ラーメン二つお待ちどう様でーす！」 タイミングよくテーブルに出されたのは大きなチャーシューの乗ったラーメン。 「よし！じゃあ食べよう～」 「あ～…まぁ、いいや。いただきます」 行儀よく挨拶を済ませズルズルと勢い良くラーメンを食べる。 「姉ちゃん良い食いっぷりだねぇ！」 白髪の店主が豪快な笑みを浮かべおそ松を褒めるとチャーシューをぽいっと数枚入れてれた。 「おじさん、いいの！？」 「あぁ！良い食いっぷりの美人にはおまけだよ」 おまけで貰ったチャーシューまできっちり食べ終えると美味しさと満腹感で最高に満たされる。 先に店を出た一松が振り返ると「今度また二人で来ようね」と珍しく笑いながら誘ってきた。 「もちろん！」 れいかとして、というよりおそ松として返事をした。 一松が通いつめてるらしい猫カフェは駅の近くにあった。 なれた手際で店内に入るとたくさんの猫がいる。 「ん、これ」 「ねこじゃらし？」 普段からよく使っているらしい猫じゃらしを手渡され、ゆらゆらと左右に振ればあっという間に数匹の猫が寄ってくる。 家ではペットを飼っていないしあまり動物に触れることのないおそ松は消極的で、ぴったりと一松の横にくっついている。 「猫嫌いなの？」 「嫌いじゃないけど、引っ掻いたりしない…？」 その横に座る一松は手馴れていて、少し小さめの猫を腕に抱き優しく撫でている。 ゆっくりと頭を撫で首を擦れば子猫は気持ちよさそうに目を細め寝る態勢をとりはじめた。 「大丈夫だよ。ん、こっち抱っこして」 「どうやって持てばいいの？」 せっかく抱かせようとしてくれたのにどうやって抱っこすればいいかわからないおそ松はあわあわと慌ててしまう。 見かねた一松はため息をつきながら、こっちにおいでと自分の足の間へ呼び込んだ。 言われるがままに一松の胸に背を預けるように座れば後ろから抱きかかえられるような姿勢になる。 「腕はこうやって…」 「こう？」 「そうそう、そのまま動かさないで片手で撫でて…」 周りの目などない。あるが、二人にとってはない。 一松の言うとおりに抱きかかえ撫でると子猫は気持ち良そさそうに「にゃあ」と小さく鳴くとあくびをする。 「かわいい～…ちっちゃぁい…」 ついつい小声になるおそ松。一松はというとそのまま腹に手を回し後ろから抱きしめたまま。 「可愛いね」 「うん、可愛い…！」 果たして一松の言葉はどちらに向けて言ったのか分からないが、明らかに人間に向けてのものだろう。 その声色は今までに聞いたことがないくらい優しく甘い。 背後から言われたおそ松は先程の電車の中を思い出し、再びゾワゾワとした何かが背中を走る感じがした。 「あれれ～～～～？おっかしいなぁ！？アレは男の子かな～～～！？」 「トト子さん落ち着いてくださ、この難事件はきっとかの有名な探偵でも解けません」 「なんやて工藤！」 「せやかて工藤あれは～～～～！！！あ～～～！！！」 つい先程まで暴れて髪や服が乱れていたのはきっちりと直され、メイク直しもバッチリ決まっている二人ではあるが、脳内も発言も乱れたままである。 「もうなにあれ…なに？え？？？トト子さん、ご注文はお兄ちゃんですか」 「いえすおふこーす…」 橋本にゃーと弱井トト子はなんとも幅広いジャンルに精通しているようだ。 [newpage] 人気のない場所でさっと化粧を直し、チョロ松との待ち合わせ場所へ向かう。 残りは二人。時計は午後四時を回ったくらい。 思ったよりも時間は進んでおらず、なんとも濃い時間を過ごしたもんだとおそ松は思った。 さて、次はどこへ案内されるのかと立っていると耳に残る落ち着いた声が今の自分の名を呼んだ。 「お待たせしました、れいかさん」 「チョロ松っ！……さん」 今までのノリでつい呼び捨てにしてしまったが、チョロ松は一松たちとは雰囲気が違う。 取り繕ったように敬称をつけると首を横に振りながら「呼び捨てでいいですよ」と微笑まれた。 どうやらチョロ松は車で迎えに来たらしく、助手席へとエスコートされる。 チョロ松の運転にドキドキする、ことはありえない。 というのも普段からおそ松はチョロ松と出かけることも多く、運転はだいたいチョロ松だからだ。 一人一台とまではいかないが数台あるうち今日乗ってきたのはチョロ松のお気に入りの乗用車。 もちろん高級外車で、おそ松自身も気に入っている。ふわっと香るのはチョロ松愛用の香水。 気に入っているのは乗り心地と香りだけじゃない。 チョロ松には言っていないが、運転するときにギアをチェンジする動作が綺麗で好きなのだ。 もちろん兄弟全員運転がうまいが、この動きだけはチョロ松が別格だ。 ちらっと横目で見るといつも同じ滑らかなギアチェンが映る。 いつもと同じその感じになんだか急に肩の力が抜け、ふぅっと大きな息を吐く。 「今日は疲れましたか？」 気を使ったであろうチョロ松が運転しながら問いかける。 「ん～、ちょっとだけ。でもすっごい楽しいです！」 れいかとしてはもちろんだがおそ松自身も普段余り見ることのない弟達の姿が新鮮で面白くてたまらない。 興奮気味に言うと「それはよかった」といつもどおりの落ち着いた声が返ってくる。 数分ほど車を走らせると、少し大きな書店へと着いた。 「買い物…？」 「ここは書店でもあるのですが、カフェも併設されているんです。疲れてるでしょうから、ここでゆっくりしましょう？」 公園、遊園地、猫カフェ。思い返せば結構動き回ったんだよなと感じるおそ松はこうして相手をいたわって休む時間を作るあたりがさすがチョロ松だと感心せざるを得なかった。 予想していたのは美術館や博物館などのどちらかと言えば堅い場所だと思っていたが、いい意味で裏切られたのだが。 「いいんですか？その、私に合わせなくても…」 そう。今日は特に彼女とのデートというわけでもない。 打ち解けるという意味であれば一つの場所で落ち着くよりも買い物をしたり行動するほうが相手を探ることができる。 「いいんです。これから一緒に住むとなれば時間をかけてゆっくり知っていけますし、なにより私はここで本を読みながら静かな時間を過ごしたいのです。私のわがままには付き合っていただけませんか？」 あくまでもチョロ松は自身がここに来たいからわがままに付き合ってくれ、と言う。 （なんというか、できた男だよなぁ…） おそ松はきっと慣れないブーツで歩きまわった俺が変な歩き方をしていることにでも気がついたのだろうか、と思案した。 とはいえ、こうしてゆっくり休める時間ができたのは正直ありがたく「それなら仕方ないね」とそのわがままをのみこむしかないのだ。 店内に入ると二階建ての作りになっており、本当に図書館の中にカフェがあった。 街中から外れた場所にあったため広さの割には混雑しておらず、もちろんだが店内はとても静かだった。 二階に上がるとさらに人は少なく、二人がけのソファが幾つも空いている。 窓辺の日当たりの良い場所を選び座ると、ゆっくりと沈み身体を包み込む。 「何か飲みますか？」 「じゃあ温かいものを」 「わかりました、ここで待っていてくださいね」 そういうとチョロ松はコートを脱ぎカフェの方へと向かっていく。 自身もコートを脱ぐと急に身体が軽くなった。 寒くて身が縮こまる上にコートを着ていると結構重くて疲れがたまるのだ。 ましてや普段なら絶対に着ることのないワンピースにブーツ、精神的にもいろいろすり減ったおそ松はそのままウトウトとし始める。 すでに起きてから十二時間は経過していた。 膝に温かい感触を感じて目を開けるとちょうどチョロ松がブランケットを掛けてくれたところだった。 「ありがとう、ございます…。というかすいません、私寝ちゃって…」 「いいんですよ。僕は本を読んでいますから寝てください」 「でもっ」 思ったより大きな声が出てしまい喋った本人が驚いていると口に人差し指をあてられ「しー、静かに」と言われてしまった。 「休憩も必要です。私の前では肩の力を抜いて身を預けてくれても構いませんよ。さぁ」 そう言うならやんわりとおそ松の頭を引き寄せ自分の方へと預けさせた。 「でも、そしたらチョロ松が…」 「大丈夫ですよ。こうしてあなたと過ごす時間が私にとっては重要なのですから」 そのまま優しくとんとんと頭を撫でられると気持よくてつい目を細めてしまう。 まるでさっき一松に抱かれていた猫のようだなと思った。 「へへっ、じゃあもうちょっとくっついてもいい？」 チョロ松の付ける香水が好きなおそ松はすりすりと更に身を寄せた。 「…っ、もちろん。おいで」 隙間をピタリと埋めればチョロ松の暖かさがじんわりと身体に広がってくる。 ペラペラとめくる本の内容が気になって視線を巡らせるが、おそ松には全く持ってわからない。 そもそも、日本語ではない。 「何を読んでるの？」 「シェイクスピアの真夏の夜の夢ですよ」 「おもしろいの？」 「えぇ。シェイクスピアといえば四代悲劇が有名ですが、この喜劇は雰囲気が違っていてなかなかに楽しめます」 「えいご？」 「そうですよ、翻訳されたのは以前何冊か読みましたからね」 「じゃあもう何回も読んでるの？」 「そういうことです」 まるで小さい子が母親に何かを問うような、それくらい短絡的な質問がなげかけられる。 受け答えする間もチョロ松は撫でる手を止めず、本を読むのも止めない。 「なんで同じないようなのに何回も読むの？」 「翻訳はその人によってニュアンスが変わってくるんです。大筋は同じでも一つの言葉の言い回しが全然違いますから」 「ふぅん…」 「例えば、そうですねぇ。夏目漱石はアイ・ラブ・ユーを月が綺麗ですねと訳したのはご存じですか？」 「うん」 半分夢見心地なおそ松の返事は単語的だ。 こくりこくりと頭が動いているあたり、そろそろ眠気の限界に達しているのだろう。 それを知っていてチョロ松はあえて優しくゆっくりとした口調で話しかける。 子守唄を聞いているような、そんな心地よさを感じるおそ松の意識はどんどん遠のいていく。 「同じアイ・ラブ・ユーをただ愛していますという人もいれば、そういう風に訳す人もいるということです」 「……そう、なんだぁ？」 「さぁ、もう眠いでしょう？おやすみなさい、れいかさん」 「おやすみ、なさい…」 意識が完全に飛ぶ直前まで、おそ松はチョロ松の手の心地よさを感じていた。 「あーーーー！もうっ！あーーーーー！ジャスティスどういうことです？？？？？？？？もう…幼女、幼女……？？？？」 「兄弟？えっ、ちょっとちょっとちょっと待ってください、兄弟ってなに？兄弟の定義ってなんですか、アスラン・ザラ…」 「ジャスティス…」 「…でるっ」 今日一日にして橋本とトト子の距離は恐ろしいほどに縮まったのは確かだが、実況は全くと言っていいほどされていない。 「…さ、ん……い……さん」 「んぅ～…」 「れいかさん、そろそろ起きてください」 「ふぁ…？」 おそ松は目を開けると、いつの間に世界は夜になり九十度回転したのかと寝ぼけた頭で考え始めた。 「おはようございます。硬い枕だったと思いますが、寝心地はどうでしたか？」 ころんと頭を上にするとチョロ松が嬉しそうにこちらを見ている。 「硬い……まくらっ！？ごめんっ！！！」 それが膝枕だということに気が付き慌てて起きると「気にしていませんよ」と微笑みながら乱れた髪の毛を整えてくれる。 「ぐっすり眠れましたか？」 「……うん、はい」 照れくさくもチョロ松ならばいいかなと思い、ふにゃんと笑うとチョロ松も釣られたように破顔した。 「あなたの寝顔もその笑みも、私の兄にそっくりなんですよ」 「もしかして、おそ松お兄さん？」 「はい」 髪を整えていたはずの手はいつの間にか頬を撫でている。 少し冷たい手がひんやりとしていて気持よくうっとりとするおそ松。 「気まぐれで、でも私の前で見せてくれる寝顔はとても愛らしいんですよ。気の抜けたように笑う姿も魅力的で、いろいろあってもつい絆されてしまうんです」 こいつもだ、と思った。まるで愛しい女性に向けるような笑みと声で、長男のことを語る。 お前ら初対面の妹に向かってそんなこと言っちゃったら確実に誤解されちゃうよ？と言わざるを得ないような内容。 でもその口調も笑みも全てが本当のように思えて、おそ松は何も言えなくなってしまった。 「さて、少しドライブをしてから目的地へ向かいましょうか」 「はーい…」 後を追うように外に出ると空はオレンジから濃紺へと移り変わり、街並みは光り輝いている。 「っくしゅんっ！」 寒さに負けてくしゃみをしてしまうと、ふわりと首元にマフラーが巻かれた。 それは今の今までチョロ松が身に着けていたもので少しだけ温い。 「これっ、」 「いいんです。女性が体を冷やしてはいけませんよ」 どこまでも紳士的なチョロ松におそ松は感心し、憧れた。 次の目的地は確か新たに都内のシンボルとなった高層タワーだ。 車に乗り込み時計を確認すると午後七時。 （やば…だいぶ寝てたんだなぁ） 朝早くから動き回っていて、思いの外疲れたようだった。 夜景を横目に今日あったことをあれこれと話している内にあっという間に待ち合わせ場所のタワーに到着。 「ほんとにありがとうございました。むしろ寝ちゃってごめんなさい…」 「良いんですよ。大丈夫これから長い付き合いになるんですから、ゆっくりお互いを分かっていけばいいんですよ。ね？」 少ししょげてしまったおそ松を優しくなだめる。 「うん、ありがとう」 「こちらこそ、どうもありがとうございました」 最後にチョロ松から頬にキスをされたおそ松は、なんとも思っていなかった。 明らかに下三人と違うのはそれくらい日常的にしている証拠であろう。 「もうだめ、もうだめ……桃源郷はこの世だったんだ…」 「橋本ちゃん！気を確かに！！！まだここからやばいのが来るわよ！！！」 「……はっ！そうでした…！！！」 放送後、この二人は一部の女子からの人気がうなぎのぼりとなることをこの時はまだ誰も知らない。 [newpage] さて、なんだかよくわからないままに始まった女装デートもこれで最後だ。 ロビーに入るとまっさきに見つけたサングラスの元へと急ぐ。 ヒールで走るのもなれたものだ。 カラ松の前で立ち止まると、ヒールがあってもなお少し見上げる形になる。 （俺、こんなにカラ松と身長差あったんだ…） 改めて思い知らされた違いに落胆するおそ松。 「お前がれいか、か？」 さっとサングラスを取るカラ松は、キメ顔をしている。 「はい、松野れいかです。よろしくおねがいします、カラ松さん」 「おう、よろしくな」 そのままエレベーターへ乗り込むと最上階のレストランへと案内された。 席数はそう多くはなく、連れられたのは窓際の夜景がよく見えるテーブル。 冬の夜は空気が住んでいることもあって夜景が一層輝いている。 「わぁ～！すっごい綺麗っ……！」 思わず窓にひっついて遠くや下を見つめるとキラキラと輝いていて、ありきたりではあるが宝石箱をひっくり返したような街並みが目に映る。 「ここは俺自慢のレストランだからな…、お前を連れて来たかったんだぜ。れいか」 「ご飯がおいしいの？」 「それもそうだが、この夜景をどうしてもお前に見せたくてな」 相変わらずキザなカラ松は、初対面の妹にさえもそれを発揮させたかったらしい。 端に設置してあるグランドピアノとフルート奏者の生演奏が上品で、この空間をより一層美しい場所に仕上げている。 運ばれてきたシャンパーニュで乾杯をし口に含むと、少し辛口でさっぱりとしている。 「俺の弟達はどうだった？」 カラ松はどうやらマティーニを頼んだらしく、グラスにはオリーブが添えられている。 「みんなとっても優しくて、おもしろかった」 本当に弟達のいろんな一面を知ることができたと思う。 トド松はああ見えて男らしくてオスっぽいところがあるし、十四松は王子様そのままで歯が浮くようなセリフも本気で言えるらしい。 一松は甘えた声とかが色っぽいし、チョロ松はどこまでも紳士。 そして何より。 「あと皆さん、おそ松兄さんがすごく大切なんですね」 自分で言うのもおかしいが、と思いつつもつい言ってしまった。 きっと第三者的な妹にだからこそ言えるのかもしれない本音だろう。 本当にみんなが自分のことを大切に思っていてくれるのが嬉しくてしょうがなかったおそ松は酔いとは別に頬を染めながら言った。 「なかなか個性の強い弟達だが、仲良くしてやってくれよな」 そういうカラ松は自分と同じ兄の顔をしている。 ちょくちょくこうして長男と次男で食事をすることはあった。 何かとセットにされやすいのはおそ松とカラ松、おそ松とチョロ松という兄同士の組み合わせ。 カラ松と呑んでいる時に話すのは仕事のことはもちろん弟達のことも話す。 「カラ松は、本当にみなさんが可愛くって仕方ないんですね」 日頃から何度も聞いている「俺の弟達は世界一かわいい」自慢。 おそ松からしてみればお前も可愛い弟だと思うのだが。 「そうだな、俺の弟達は世界一可愛いぜ。それから」 「それから？」 「俺の唯一の兄貴は、世界一愛らしいのさ」 「…………」 おそ松は呆気にとられた。 （いやいやいや、初めて聞いたけどなにそれ、愛らしいって…なに？） これまで幾度と無くカラ松と二人きりで呑んだことはあるが、愛らしいなどと言われたのは初めてだ。 だからお前は初対面の妹になんてことを言うんだ、まあ妹なんて存在しないけど。 「ふっ、可愛い妹のために…俺が歌を披露してこよう」 「ふぇ？」 引き止めるまもなくカラ松は近くにいたウェイターと一言二言話すと演奏者たちの元へと向かう。 驚きはしたが、カラ松自体ギターを弾けるし何より歌がうまい。 グループの曲としてはアップテンポのものが多いが、おそ松が一番好きなのはバラードなどのメロウなナンバーのほうが好きだった。 運ばれてくる料理を食べていると小さな拍手が沸き起こり、カラ松がギターを弾きながら歌い始めた。 それはおそ松の大好きな洋楽だった。 もし明日世界が滅亡するとするなら、この曲を聞きながら死にたいと思うほど。 おそ松の大好きなカラ松の低く艶のある歌声がフロア内に響き渡る。 ほんとうに自分が妹だったとするならなんと贅沢な空間だろうか。 眼下には宝箱に収めたくなるほどの夜景、空を見れば月が輝き星が瞬いている。 優雅な歌はゆったりとした時間の流れを演出し、運ばれてくる料理はどれも美味しくてワインも上等のもの。 歌を耳にしながらだんだんと酔いが回るのを感じる。 （今度、カラ松に子守唄でも歌ってもらおうかな～…） 聴き入ってしまう歌は一、二曲ほど歌ったところで終わった。 先程よりも大きな拍手が響き渡ると、歌いきった本人は堂々と戻ってくる。 「おかえりなさい」 「俺の歌はどうだったかな？ハニー」 「素敵、最高だったわ。ダーリン」 ほろ酔いというよりもはや完全に酔ってしまいそうなおそ松は、お酒だけではなくこの贅沢な空間にも酔いしれていた。 食べ終わると再びエレベーターに案内される。 「今度は？」 「もっと上へ、な」 チンッと到着の合図とともに手を引かれる。どうやら更に上の展望台のようだ。 周りにお客は一人もいない。 「入っても大丈夫なの…？」 「心配ない、ハニーのために貸し切りにしたからな」 なんと抜かりのない。一般の女性であれば完全に落ちる。 正直おそ松自身も、落ちかけた。 窓辺に向かうと当たり前だがさっきよりも高く、より遠くまで夜景が見える。 「あっ！」 「ん？」 「あの遊園地十四松と一緒に行ったんだ。とっても楽しかった～」 「他にはどこに行ったんだ？」 今日一日で言ったところがすべて見渡せる。 朝無理やり起こされて連れられたビルも、暗くてよく見えないがきっとあの辺にはトド松といった公園があって。 電車の光を辿るときっと一松といったラーメン屋さんと猫カフェがあって、チョロ松と休憩した書店は大きく見つけやすかった。 「楽しかったなぁ～…こんな風に一日遊ぶことなんてなかったから」 つい窓に両手をついてガラスに額を押し付けると、ひんやりとして一気に身体が冷えた。 カラ松が後ろから腰を抱き、片方の手をおそ松の手に重ねる。 「妬けるな、俺はどこにも連れて行っていないんだが…」 「でもご飯も夜景もサイコーだよ、それに歌が、好きで、サイコーだった」 弟達とめぐった場所も素敵だったが、こうして落ち着いた空間でしっとりと過ごすのも好きだった。 カラ松の意外な一面はわからなかったが、大好きな歌声が聞けたのだから良いとしようと思っていると、首筋を舐められる感触がした。 「ちょっ……」 「そんなこと言われたら、期待に答えないわけにはいかねえな…」 どこをどう切り取れば何を期待させたのか、全く分からないが脳みそが正常な働きをしていないおそ松はカラ松の行為を受け入れるしかなかった。 首筋を舐められたかと思えば、軽く吸われ噛まれ。 ちゅっと口付ける音が聞こえるたびに体中が震えた。 「やぁっ…だめ…」 「震えてる、本当に愛らしい…んっ」 耳元で囁かれると脳みそが麻痺して、それまで以上に正常な判断を失う。 「……ひゃっ！…みみ…やッ…」 「だめだ、逃がさない…」 ビクビクと腰が震え崩れ落ちそうになる。 いつの間にかカラ松の片足が足の間に置かれ、運悪くもおそ松の中心を刺激してしまう。 「アッ、いや……あし、うごかさなっ…！」 身体を動かそうにも腰を抱かれ、両手はいつの間にか一括りにされているため抵抗できない。 「ハニー、うそはいっちゃいけないぜ…？」 カラ松の行為は更にエスカレートし、耳を舌で舐め取りながら腰に回していた腕を太ももに這わす。 どうして丈の短いワンピースにしたんだよ！となけなしの理性が叫ぶもそんなもの今のおそ松には何の効果もない。 内ももをなでられるとつま先から頭の天辺まで甘い電流が走り渡る。 これ以上は駄目だと警鐘を鳴らしているのに、耳からダイレクトに聞こえる音はおそ松をおかしくさせていく。 「んぅッ……からま、つ……ッ！」 「ほんとに愛らしいな、おそ松……」 [newpage] もう無くなりそうな理性と冷静さが囁かれたその名前に反応した。 「あんッ…いま、おそまつって…」 一体どういうことかとガラス越しに次男を見ようとした瞬間、軽い衝撃とともに後ろのカラ松が吹っ飛んだ。 足元がよろけたおそ松はそのまま後ろに転びそうになるが、ぽすっと誰かに抱きかかえられた。この香りは…。 「……チョロ松？へ？ふぇ？」 くるりと後ろを向くと案の定チョロ松で、なにやらとても不機嫌そうな顔をしている。 今の一瞬で何が起こったのか、状況が全く理解できないおそ松。 「～ってぇな…蹴飛ばすことねえだろ？」 いてててと言いながら立ち上がるカラ松の近くにはこれまた不機嫌そうな顔をしたトド松と一松がいるではないか。 「もう！カラ松兄さんさいってい！信じらんない！」 「これだから肉食系肉は困るんだよ…」 「あぁ？仕方ねだろ、おそ松が可愛いのが悪いんだよ」 何やらよくわからないが、どうやら自分が悪いのか？とはてなを浮かべるおそ松の前にニッコリと笑いながら十四松が現れた。 「大丈夫？おそ松兄さん！」 「…う？うん、平気…、なのかな？」 「足とか捻ってない？」 自分を抱きかかえたままのチョロ松はきちんと立たせてくれると、ぽんっと肩をたたいてきた。 「平気、チョロ松が…受け止めてくれたから……って、これなに？どういうこと？」 確かついさっきまでこのフロアにいたのはおそ松とカラ松だけだったはずが、いつの間にか弟達全員とカメラマン、その他大勢のスタッフが居る。 （これ、もしかして…） おそ松が思うと同時に、チンッとエレベーターの到着する音が聞こえ鼻に大量のティッシュを詰め込んだ女性二人が出てきた。 「「ババーン！逆ドッキリ、大成功～～～～！かーらーのー……！ありがとうございまーーーーす！！！」」 言葉の通り『大成功！逆ドッキリ』と書かれた看板とともに、なにやら感謝の言葉を叫ぶと大量の鼻血を吹き出しながらぶっ倒れた。 「…は？………え？？？」 ようやく酔いが冷めてきたおそ松はやっと状況を理解し始めた。 つまり、自分が女装して弟達にドッキリを仕掛ける側だったはずがドッキリを仕掛けられる側だったということ。 「えぇ～！！！！！！！」 大声を出したおそ松はその叫び声と同時に、恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にした。 ツイッター事件の時のように。 「ちょ、ちょっと！え！？なに、おっ、……え！？」 それまでカラ松と言い争っていたトド松がパタパタと駆け寄り両手をきゅっと握りしめてきた。 「大丈夫！？おそ松兄さん、カラ松兄さんってばあんなことして…！」 「うんうん、僕だってセクロスは我慢したのに～」 「………当たり前だ、十四松」 「いや、だから俺は悪くねえって。兄貴が」 「黙れカラ松、時と場を考えろ」 わらわらとおそ松の周りに集まってくる弟達はずっとカラ松のことを責め続けている。 「……松野れいかちゃんは」 「おそ松兄さんだって知ってたよ！」 悪びれた様子もなくキュルン！っと答えるトド松。 「トト子ちゃんと橋本さんは…」 「僕らと同じ仕掛ける側だった、ってことかな」 あははっと王子様スマイルつきで教えてくれる十四松。 「俺が女装してるって…」 「…知ってた」 必要最低限の答えだけをいう一松。 「……今日一日の俺の行動、」 「僕たちは更に別のロケバスで見てたよ。朝のスタジオのところから」 メガネのブリッジを押し上げながら、淡々と答えるチョロ松。 「じゃあ、お兄ちゃんの威厳を取り戻そうとかいうのは……」 「もともとなかったってことだな。どちらかと言えば可愛さ披露大会？みてーな」 痛え～と未だ首や肩を抑えながら言うカラ松。 「俺、騙されたってこと？」 「「「「「そういうこと」」」」」 五人が口をそろえて肯定すると、おそ松は今日一番の大声を出した。 「えぇ～～～～～～～～～～～～～～～～～！！！！！！！！！」 カラ松のラストシーンはなかなかに際どかったが、放送するにあたってはそういうドラマだと思えば問題ないという判断でノーカットで流された。 放送後、さらにＦ６の人気は急上昇。 それまでは女性ファンが主だったが男性ファンも増え、特におそ松が人気だという。 ちなみに収録から半月はおそ松がいじけてしまい、だれとも口を利かなかった。 とはいえ、結果的に高視聴率を獲得、ファンも増えたのだからいいじゃないかと絆され弟達を許してしまうおそ松だった。 余談だが、この収録後某イラスト小説投稿サイトにて超大手と呼ばれる絵師が二人誕生した。 Ｆ６メンバーの長男受けのみで即売会などには一切顔を出さないが、イラストや漫画はもちろん小説も臨場感たっぷりで大人気となっている。 噂によれば、その業界の人らしいく裏サイトなるものを作って年齢制限作品はそっちに投稿してあるとか何とか。 サークル名は『偉大なる長男とその弟たる兄弟に栄えあれああ世界の全ては長男から始まったのだということを忘れてはならないノンケたちをも打ち倒した美貌と萌えと勇気をもって長男受けの繁栄は永遠なるものなり王国』 略して長王国と言うらしい。

Ｆ６長男総受け・愛さればなし。<br />だって長男だし（<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6348468">novel/6348468</a></strong>）の続き<br />さんのお兄ちゃんは非処女ビッチだけど、F6のお兄ちゃんは処女聖女だといいな。<br />トト子ちゃんとにゃーちゃんの性格が崩壊しています。<br />ムダに長い。<br /><br />※2/24<br />　ランクインありがとうございます！<br />　ブクマ・コメントとても励みになります(●´ω｀●)<br />　また気が向いたらなにか書きたいな～と思っております:D

長男様の逆襲

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6453976#1

[chapter:※注意] 　この話はキャプションの通り、この作品には未実装刀剣の創作刀剣男士。創作刀剣女士（今回は出てきません）。成り代わり。勘違い。ブラック本丸要素（刀剣破壊。夜伽。暴力表現）。ブラック政府要素。独自設定が出てきます。二回もすみません。 　正直ネタバレになりますが、作中に出てくる姫が本霊様です。姫は女性なので、創作刀剣女士が出てきます。 　この話は創作刀剣女士の本霊様。姫鶴一文字が作った分霊の、創作刀剣男士に成り代わった男性の話です。 　簡単に言うと、本当は女の体なんだけど男の体を作ったよ！　作った男の体にある男性の魂が入ったよ！　です。 　作者がギャグ大好き、シリアス苦手なので変な方向に迷走するかもしれません。 　見切り発車だった事もあり、ご都合主義になると思います。 　誤字脱字が多々あります。見つけ次第直してはいますが。 　そして大事な事ですが、作者は刀剣未プレイです。 　なので、ここおかしくない？　このキャラはこんな性格じゃないし、言わない！　が多発するかもしれませんが、出来れば生暖かい目で見ていただけるとありがたいです。 　成り主の原作キャラにする対応は、嫌いだからそういう事を言ったり。行動したりするのではありません。ですので、あしからず。 　なお、この話に出て来る人物が偏るのは、林檎飴がキャラの事をまだ把握していない。書きやすい、という理由もあります。 　以上を読み、何も問題ない！　と言ってくださる方はお読みください。 [newpage]   　俺は姫の分霊な訳じゃん？　コレってどういう事か分かる？　 　例え姫に、この体を好きに使って生きていいですよ。と言われたとしても、外見は姫なんだよ。だからさ、下手な事出来ないんだよね。俺の評価。つまり、姫の評判になる訳！　 　姫は基本誰にでも丁寧口調で、穏やかに。落ち着いて対応するんだよ。まぁ、裏で違う事考えていたりする時もあるけど。見た目で判断すると、痛い目にあうよ。一度姫に敵認定されると、手加減しないから。 　――で、ここからが本題。俺が穏やかに。落ち着いて行動出来と思う？　はい、無理。即答しちゃうよ！　 　幸い。本当に幸い、言葉は姫語翻訳でなんとかなる。だけど姫の仕草。姿勢は俺の行動次第なんだよ。だから、よく考えよう！　例えどんなに動作。受け答えが遅くなっても絶対に‼　胡坐はダメだからな。姫は正座！ 　穏やかは――――うん。中が俺だから、どうにもならないよ！　でも、出来る限りは頑張ります。 　俺が起きた事を審神者に知らせ、戻ってきた五虎。なんでも体調に問題がないなら、話がしたいらしい。 　いいぜ、会ってやるよ！　だが、それが貴様の最後だ！　と、天誅する気満々の俺は、出てきた姫鶴一文字の正装。綺麗になった服を見詰めていた。 　服が破損した場合。手入れされれば体の怪我と一緒に服も。どんなに破けて、酷い状態でも戻るみたいだよ？　ただ、汚れは洗わないと駄目らしい。全部審神者パワーでどうにかしてくれればいいのにね……。 　黒の打掛を手に取り、広げて確認してみる。 　見てください、あの真っ二つに引き裂かれた打掛が見事。美しい姿を取り戻しました！　金糸で刺繍されていた鶴も、ちゃんと居るよ。君も引き裂かれた時に、分裂したもんね。 　例えブラックだったとしても、服と手入れをしてくれた事。だ、け！　は、お礼を言わないと駄目だね。なんたって、あの！　襤褸切れだった打掛。破けた小袖に袴と――か――――ハッ!?　……ちょい待ち。ちょい待ち！　今更だけど、超大事な事思い出した。 　――あの時の俺の格好、とんでもなかったよね？　後さ、もしかして……。あの虫刺されの痕。見られた？　…………―――――っ!!??　 「ど、どうしたんですか!?　姫鶴さん‼‼」 「何があったのですか!?」 　五虎の声に反応したのか、大きな音を立てて襖が開かれる。タイミングいいなとか若干思ったが、今はそれどころではない。何故なら、 「――いかがされたのですか、姫鶴殿！」 　羞恥心で死にそうだからだ！　だから、放って置いてくれ。今は駄目だ。無理なんだ！　 　顔を見られないように蹲る、俺なんか放って置いて‼　後で、持ち直すから！　ごめん姫、最初からやらかしてた！ 「姫鶴さん！　――どうしよう、鳴狐叔父さん。お供さん!?」 「一旦落ち着かせましょう。でなければ、他の方を呼ぶしかありません」 　――えっ!?　この姿を晒せと!?　姫のイメージ崩壊を誰かに見せる？　鬼畜だな、君！　だけどそんな事、させるか！　姫の評判は俺にかかってるんだ‼‼ 「だい、じょぶ。大丈夫ですから」 　だからコレ以上大事にしないで！　そう、二人に訴える。もちろん目でね！　自分で言って更に、ダメージ受けるとかヤダ！　 　でもアレだよね。あんな反応に困る姿を見せたんだから、謝らないといけないね。 「……見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありません」 　だからそんな顔しないで。そんな見ちゃいけないモノを目撃した、みたいな顔。そんなの俺が一番分かってる！　咄嗟の行動だったんだよ!!　 　……てか、嫌な予感がしてならないんだけどさ。もしかしてここに居る皆。知ってるんじゃね？　俺の黒歴史。虫に全身刺される……を。 　血の気が引くとは、まさにこの事だね！　冷や汗が凄い事になってるよ！ 「何も言わなくていい。分かってる」 　そう静かな声で言ってくれた、ちょっと変わったマスク？　いや、頬面？　を付けた青年。 　良い人だな、君。分かっていて、触れないでいてくれるのか。俺なら無理だ。どうすればあんなに虫に刺されるんだ？　て、普通に気になる！　めっちゃ気になる！　答え聞くまで、しつこく付きまとうよ！　そして聞いた後に、指差して爆笑！　……他人事だから出来るんだよ。ありがとう青年！　君は本当に、良い人だ！ 　後さ、全然話が違うけど。今は青年の後ろに移動した狐。さっき喋ってたの、狐の方だったよね？　腹話術ですか？　……虎くん達もだけどあの毛並み、絶対触り心地いいよ。もふっもふっしたい！ 　狐と虎くん達が、五虎の周りに集まって行くのを凝視していると、襖の方から物音が聞こえた。 「邪魔するぜ」 　そう言って部屋に入ってきたのは、 「起きたって聞いたから、来たんだが。問題ないか？」 　あの時に居た、菫色の将来有望なイケメン少年。そう言えば俺、君に失礼な事したんだよな。 　傍まで来て、豪快に座った少年の頬に手を伸ばす。 「――痛む所はないですか？」 　うん、見た感じ怪我は大丈夫そうだし、俺が付けた血は落ちてるね。良かった。呆気に取られたように、口を半開きにして固まった少年に笑みが溺れる。 　それにしても触り心地いいな、少年。 「なんで、そこまで気にかけてくれるんだ、俺は――――」 　――えっ？　いやいや、俺が血を付けたんだから気に掛けるよ。他人の血を擦り付けられるとか、嫌だろ？　正直あんまり聞いてなかった。決して、頬の触り心地を楽しんでたからじゃないよ！ 「それより、姫鶴の姉さん」 「……姉さん？」 「姉さんだろ？　アンタは」 　確かに見た目こんなお姫様だけど、俺は立派な男ですけど？　服装は女物だけど、胸はないし。下は付いてるよ。皆、知ってるでしょ？　服剥いたんだし!?　 　ハハッ……だからこそ、俺の黒歴史が知られているんだけどね。――ダメだ、思い出すな！　……一度深呼吸しようか。落ち着け、俺。大丈夫、問題ない！　よし‼　 　一旦気持ちを切り替え。そして俺は頑張って、引きつる頬を無理矢理笑顔にする。 「私は女性ではないので「姉さん」は、適切ではありませんね」 　大事な事だから、強調するよ。姫本人なら問題ないけど、中身は俺。そして、男だからな！　あの服が、姫鶴一文字の正装なんだからな！　男も女も関係ない、共通の格好なんだよ！ 「そうか、じゃあ。姫鶴の旦那でいいか？」 「えぇ、問題ありません」 　自分で言っておいてアレだけど、姫の顔に旦那は似合わないな。でも、姉さんはヤダ。俺男だもん！ 　――ん？　どうした青年。あぁ～～いいよ、御礼なんて。当然の事をやったまでだ。 　ただ一つ気になるのが、俺。いつ五虎の事助けたんだ？　危ない目にあっているのを見たら助けに行くよ、絶対。でも実物の五虎を見たのはこの本丸で、なんだけど？　う～～ん？ 　取りあえずアレだ。困った時は黙って笑う。――うん、納得したみたいだ！　今度から困った時は、笑っておこう！　大抵の事は誤魔化せる気がする！ [newpage]   　事の発端は、目が覚めたと知らせに来た五虎退。その後を追って、姫鶴の目が覚めたら言いたかった事を伝える為に部屋の前まで来たのだけど。 「大丈夫です鳴狐。このまま参りましょう！」 　お供の狐は僕の考えている事が分かるから、せかすように言う。だけどその場の勢いで来てしまってた僕は、部屋に入るタイミングが分からない。さて、どうしようか。 　その時、部屋の中から聞こえてきた。何かが倒れる鈍い音。その次には五虎退の声。急な展開に、慌てて襖を開くとそこには布団の上で蹲り、怯えるように体を震える姫鶴の姿。 　訳が分からず、問いかけても返ってこない返事に、自分達では手におえないかもしれない。そう思い誰か。精神的な負担にならないであろう人物を、頭に思い浮かべていると、 「だい、じょぶ。大丈夫ですから」 　そう、か細い声が聞こえてきた。 　見えたのは、小刻みに震えながらもしっかりと僕達の事を見る。紅と黄金色。あの戦闘があって以来の色を再び、見る事が出来て安心したのだが。 「……見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありません」 　悲しげに伏せられた目に、息を呑む。――それはもしかして、さっきの事？　確かに驚いたけど、姫鶴が悪い訳じゃない。 　見るからに取り乱していたのは、嫌な事を思い出したからではないか。現に姫鶴の腕の中には、発見した時から身に着けていた打掛があった。たぶんそれが切っ掛けになったんだと思う。力任せに引き千切られたような、酷いモノだったから。 　だから少しでも姫鶴を安心させる為に、嫌な事をコレ以上思い出させない為に口を開く。 「何も言わなくていい。分かってる」 　その言葉を聞いて、目を見開き固まってしまったが。徐々に頬を緩めて笑顔を浮かべた。僕は言葉が少ないから伝わるか自信がなかったけど、この様子なら大丈夫だろう。 　少し経ってから薬研もやって来て、姫鶴も心配していたのか。薬研の頬に手を添えて、様子を確認するように顔を見詰めている。その顔は、どこにも異常がない事を確認する為に、とても真剣だった。 　薬研はそんな姫鶴に、沈痛な表情を浮かべた。 「なんで、そこまで気にかけてくれるんだ、俺はアンタの――――いや、なんでもねぇ」 　姫鶴が目を覚ますまで、五虎退の次に心配していたのが薬研だ。不自然に途切れた言葉は、前の本丸の事を気にしてのモノだろう。あの予測。自分を犠牲に仲間達を守っていた。を聞いた後では、そう思っても仕方がない。それにしても。 　一度何かを振り切るように、深く息を吸って、吐いた姫鶴。 「私は女性ではないので「姉さん」は、適切ではありませんね」 　このやり取りはどういう事なんだろう？　本来ならば、本霊の分霊である刀剣男士は。本霊の写しという事もあり、見た目。性格。思考も、ただ顕現する審神者によって、個体差はあるけどほぼ共通だ。当然性別も。本霊の姫鶴一文字は女性のはず。 　取り繕う事が出来なかったからか、無理矢理作っただろう笑みに、聞くタイミングの逃してしまった。 「そうか、じゃあ。姫鶴の旦那でいいか？」 「えぇ、問題ありません」 　向こうの話し合いが終わった。だったら、言うなら今だろう。元々この事を伝える為に、僕はここまで来たのだから。 「五虎退と薬研。二人を助けてくれてありがとう。ずっとお礼が言いたかった」 「危ない目にあっているのです。助けに行きますのは当然の事ですよ」 「……そっか」 　一瞬だけだが、どこか遠くを見た姫鶴。もしかしたら、例の本丸の事を思い出していたのかもしれない。 [newpage]   　菫色のイケメン少年の名前は薬研藤四郎。と言うらしい。藤四郎という事は五虎の兄弟か！　ならば五虎同様に可愛がってやろう！　薬研君！ 　なんで薬研君なのかって？　それは姫が短刀達を相手にする時は、君付で呼んでいるからだよ。短刀以外は、さん付けだね。 　そして狐を肩に乗せている青年は、鳴狐さん。肩に居るのは、お供の狐さんらしいです。この場合、名前はお供の狐さんでいいのか？　 　大広間と言う場所の前。そこに連れてこられ、襖の前に待機。話によるとこの先に、審神者が居るとこの事だ。 　それじゃあ行こう。と覚悟を決めて襖に手を伸ばすが、大事な事に気が付いた。 　急に固まった俺に、皆が訝しむように見てくるのが分かる。が、ちょっとだけ待ってね。 　初日以降、ずっと後ろやっていた。髪飾りに付いている布を前に持ってきて、顔にかける。そうすると顔は半分以上隠れて、見えるのは口元だけになった。 「……姫鶴さん？　大丈夫です、主様は良い方ですよ」 「そうだぜ、姫鶴の旦那。だから心配すんな」 「大丈夫ですぞ。姫鶴殿。わたくし達が付いております！」 「大丈夫」 　……なんか、勘違いされてる？　いや、審神者が怖くて隠してる訳じゃないんだ。もう顔を見られてるから、そこはどうでもいい！ 　ただ単に。手入れで俺の黒歴史を、イケメン集団に知られてるだろうから精神衛生上の為。凄く気まずいから、顔を見せたくないんだよ！　 　でも、五虎と薬研君。鳴狐さん、お供の狐さんに心配されるのはいいね。君達癒し要員だよ。荒んだ心が癒される！　それに鳴狐さんの手が作った、狐ポーズ可愛いね。俺も真似するように、狐を作って手首を少し傾ける。 　遊びだした俺の姿に、五虎達が笑った。……姫らしくなかったか、コレ。 「それじゃあ、開けるぜ」 　薬研君と鳴狐さんが襖の両脇に立って、開けてくれる。 　その先に広がっていた光景は、正直言って。うん、布被っておいて良かった。だった。イケメン集団に囲まれるとか、恐ろしい……。 　上座に座る狩衣姿の……少年？　いや、見た感じは青年に漸く届いた。という感じかな？　居る場所的に青年が、審神者なのだろう。 「姫鶴さん？」 　いつまで経っても動かない俺を心配したのか。現れた審神者が怖いのか、五虎が不安そうに首を傾げる。大丈夫。そんな顔するな。五虎を虐める奴は、この俺が見事天誅してやるよ！　 　安心させる為に、五虎の頭を撫でようと――思ったが無理だった。クリッとした目で、俺を見る虎くんが居たから。可愛いな！　取りあえず頬を撫でておく。……柔らかいぜ。 　名残惜しいが手を放し、広間を歩く。壁際に寄って座るイケメン。刀剣男士達が、俺の一挙一動に注目しているのか、前に進む度に視線が動く。イケメンの真面目顔、正直怖い！　 　なんとか広間の真ん中まで辿り着き、漸く審神者の顔を真正面からご拝聴。 　――うん。一言、平凡な顔。可もなく不可もなく。周りがイケメンばかりだったから正直、落ち着く。でも平凡と言っても、穏やかな雰囲気だし。笑ったら凄い愛嬌あるんだろうな。童顔みたいだし。大人のお姉さんが、思わず甘やかしたくなるような感じで――――危ない。コレが演技だった場合どうするんだ。分からないぞ！　表情なんていくらでも取り繕えるんだからな！　 　下手したら姫が、とんでもない目に合うんだぞ！　中身俺だけど。とんでもない目に合うの、俺だけど！　とにかく、用心するに越した事はない‼ 「――――えっ!?　そんな――！」 　先手必勝！　不審に思われないように、下手に出る。だいたいこんな美人に傅かれているんだ。ブラックなら絶対ボロが出るだろう！　そして見事、尻尾を出したその時は、やってやるよ！　 　……でもさ、あの審神者に見られたんだよね？　虫に刺された痕。……駄目だ、黒歴史は思い出すな。今はその時じゃない。だけどヤバイ、泣きたくなってきた！　泣くな、俺！　正直泣きたいのは姫の方だぞ!?　同じ顔の奴が、醜態曝したんだからな！　だから頑張って震えを抑えるんだ！　このままじゃ怪しすぎる‼ 　ほら、刀剣男士の皆さん何か言ってるよ。よく聞こえないけど。なんとなく聞き取れるのが――――酷い？　どうして？　あんな姿？　等々……。 　コレは虫に刺されて、服がボロボロだった奴が急に、土下座で震えだしたぞ！　という事ですか？　またもや不審者扱いですかね？　……確かに今までを思い返してみると、不審者だけど。 　――でもな！　失礼だぞ、こんな美人を相手に！　中身は俺だから仕方がないけどさ！　コレでも一生懸命、体裁を取り繕ったんだ！　諦めろ‼ 「――顔を上げてください！」 　不満か。こんな美人なのに、不満なのか？　土下座以上を求めるのか？　でも本当に、無理だ。 　まぁ、頭は上げよう。震えは治まったし、何より顔は見えないからな！　ちなみに今の俺、涙目です！　黒歴史の事は、しばらく引きずるな。ふとした瞬間に、嫌な記憶は蘇るから……。 　渋々頭を上げると上座に座る審神者の頭が見えた。頭？　 「――主！」 　審神者の隣に居る、布を被ったイケメンが焦った様子だった。それもそのはず、なんせ彼らの主である審神者が俺に、土下座しているのだから。 　……コレは、俺の方が上手いだろ。こうやるんだぜ！　という事ですかね？　――いや、流石にそれはないか。ブラック審神者は自尊心が高い俺様。何様！　らしいしいから、こんな事はやらないだろう。 　まぁ、そもそも。ブラック本丸じゃないなら、審神者の事を慕う刀剣男士の皆さんが、黙ってる訳ないよね。なんせ自分の主が不審者に、頭下げるんだから…………黙ってないね？　刀剣男士の皆さん。離れた所の左右、そして後ろからどよめきが聞こえてくるよ？　 　……いやいや、そんな訳ない。凄い嫌な予感がしてならないけど、そんな訳ない！　なら審神者が今やっているのは――――趣味か!?　そうだろ！　 「審神者がそのような事をする必要はありません」 　とにかく、疑問は横において置く。 　一応ブラック審神者？　は、偉い人なんだろ？　刀剣男士達を束ねる立場の人なんだから、土下座やったら駄目だろ？　 　俺にやる事を求めるなら、まだ分かるけど。自分がやっちゃ駄目でしょ。例え趣味でも、ブラック審神者？　が。 「全ては私の落ち度ですから、頭を下げる必要はないのですよ」 　そう。俺のやり方が駄目だったんだろう？　だからお手本なんか見せないでいいから。後で俺が練習して、完璧な土下座を披露してあげるからね？　 　そしてふんぞり返って、セクハラするんだ！　……セクハラは嫌だけど。でも、そうじゃないと、色々とおかしいから！　だからもう止めて。ほら、刀剣男士の皆さんの視線が痛いから、だからもう止めて。俺悪くないはず？　なのに……だんだん自信が無くなってきたんだけど。 　俺の声に、顔を徐々に上げる審神者。だけどその顔を見て、更に募る嫌な予感。 　審神者の目は潤んでいて、目尻が赤くなっていた。 「ですが、貴方はそのような目にあう為に呼び出された訳ではないのに！　俺の同業者が行った――――」 　なんでそんなに声、振るえてるのかな？　笑って――……いや、違う。どう見ても違うだろ、あの顔は！　 　――なんで!?　俺やらかした!?　嫌な予感大当たりですか!?　どうするよ!?　 「――――ッ!?」 　し、視線が！　更に強くなった！ 　まさかコレは。お前、何俺達の主泣かせてるんだ！　ヤっちまうぞ！　とか!?　 　全然虐げられてないじゃん！　普通に慕われてるよ！　ブラックじゃなくて、ホワイト審神者じゃないか！　誰だ、ブラック言ったの!?　――はい、俺だね！　 　止めて！　悪かったから、もう疑わない。そうだよ、ブラックなら早々に手を出されてるよね！　俺が寝てる間にでも！　出されてないとか、おかしいよね!?　 　そもそも姫が黙ってないだろ。超過保護だし！　ブラックとか嫌いそうだもん！　話してくれた時、忌々しそうな顔してた！ 　元々、おかしいな？　とは思ってたんだ。本丸に満ちてる気も清々しくて、清涼な気配だし。五虎と薬研君。鳴狐さん達も、審神者は良い人だ。言ってた！　 　そして何より、上座でブラック審神者が土下座を披露しないから。審神者じゃなく。審神者さんと呼ぶから、勘弁して‼　天誅するつもりでごめんなさい‼‼　 「貴方の所為ではありません。ですから審神者さんはそのような御顔を、なさらないでください」 　ね？　だからもう泣かないで？　そして俺をこの視線達から救ってくれ。そう願いを込めて、子供を相手にするように、優しく声をかけて微笑む。 　するとどうだ。鼻を鳴らし。揺らめく目で、俯いていた顔を上げる審神者。改め審神者さん。うん、母性を擽られるような顔してますね。こんな審神者さんを泣かせたから、刀剣男士の皆さん怒ったんですね。本当、とんだ勘違いでした。ごめんなさい。 「それよりも私は、貴方に御礼を言わなければなりません。この傷付いた体を癒してくださり、ありがとうございます」 「それは、当然の事です」 「……それでも、ありがとうございます。助かりました」 　本当に助かりました。服も直していただき、感謝しています。全部審神者パワーでどうにかしろよとか、文句言ってすいませんでした。 「――それなら私の方こそ、貴方のお蔭で仲間が助かりました。本当にありがとうございます」 「それこそ、当然の事ですよ」 　鳴狐さんに続き、審神者さんも律儀だな。気にしなくていいぞ。俺がやりたくてやったんだからな。……でも本当に、五虎を助けた覚えがないんだけど？　うん、困った時は笑う！ 　取りあえず、この件は一件落着。だけどここで一つ、疑問が浮上する。五虎が泣いていた理由だ。審神者さんが原因じゃないなら、他に何かがあったて事……消去法でいくと。俺の所為だよね？　 　運び込まれた。姉のように慕う人が。あんな姿だったんだから、いたたまれなくて泣いたのか？　謝罪は慕う人なのに、泣いてしまった事への自己嫌悪。とか？　正直あり得る。……天誅されるの、俺じゃん!?　――――あっ、聞いてなかった。ごめんなさい審神者さん。 　話の途中で意識飛ばすの、いい加減止めた方がいいな。もう何回話、聞き逃してるんだ。 　それにしても、それだけ？　元々折れるつもりはないよ。まだ分霊生活、始めたばかりだからね。刀を返してくれるのも、ここに置いてくれる事も助かるよ。でも本契約言わないの？　俺って今の所、一点物の超レアだよ？　 　……それとも、アレか？ 「――このような紛い物では、価値などありませんか」 　全身虫に刺された姫鶴一文字なんて、偽物だろ！　という事ですかね？　もしくは、 「やはり、女性の方がよろしいのですね……」 　まぁ、それは俺も納得する。どんなに美人でも、女性の方がいい。 　でもね、虫刺されは仕方ないじゃないか‼　俺だって、好きで刺されたんじゃないだよ！　でも冷静に考えるとそうだよね、俺もそんな分霊ヤダもん。いくら美人でも、全身虫に刺される奴は、ね？　……本契約できないとなると、俺はニートか。 　――慰めてくれるのか。うん、嬉しいよ。ありがとう。……頭を下げてまで言ってくれる審神者さんを疑ってたとか、本当にすみませんでした！　 「もし、本契約を交わすのでしたら、貴方のような方がいいですね」 　本当、このまま審神者さんと本契約しても良いような気がする。超優良物件じゃね？　そう思ったから、正直に言ったんだけど。顔を上げた審神者さんの、口を半開きにした顔。……正直見てて面白い。表情豊かだな。 　それとコレが、一番の理由なんだけど。審神者さんを逃したら、面倒な事になる！　そんな予感がするんだよ。 　でもこんな黒歴史抱えてる俺が、姫の分霊として本契約しても迷惑かけそう。というか、確実に姫の評判落としそうだから、色々と勉強してからでいいかな？　仕草とか！　姿勢とか‼ 「私に時間を下さい。いずれ御返事いたします」 　本当、その時まで気長に待ってて欲しい。 　そしてある程度、姫らしく振る舞えるようになったら。俺と本契約して、主様になってくれると嬉しいな！　 「――はい、待っています」 　よっしゃ！　予約してたからな、忘れたら駄目だぞ！　審神者さん！ 　内心喜びの嵐だったが、ここで表情に出したら駄目だ。姫に為りきるつもりなら、ここは静かに微笑んで、挨拶だ！　 「私を助けてくださった皆様を、傷付けるような行為。恩を仇で返すなどという、義に反する愚行は決していたしません。この名に懸けて、約束しましょう」 　そう言えばさ、今更だけど超大事な事思い出した。 　姫から分霊の体を使うからには、名前に誓って。とか、約束。とか簡単に交わしてはいけませんよ。て笑顔で言われたんだけど。普通に名に懸けて言っちゃったよ。……思い出すの、遅いだろ。 　こっそり審神者さん達の様子を見るが、言い出しにくい。さっきのなしで！　なんて……。 [newpage]  　広間へと入って来たその姿に、思わず息を呑んだ。 　始めてその姿を見た時と違う。凛とした、気品のある。姫鶴と付けられた名前に相応しい姿だった。 　だけど今、姫鶴さんの顔を見る事は叶わない。まるでそれは審神者である俺から身を守る為の手段とでもいうように、始めて会った時に見た。端麗な顔には、髪飾りに付いていた布が被っている。 　気にならないと言い切れないが、コレばかりはしょうがない。話し合いをしてくれるだけ、いいに決まってる。 　姫鶴さんは五虎退と繋いでいた手を放し、安心させるように頬を優しく撫でる。そしてそのまま流れるように、自然な動作で俺が居る場所から離れた位置。刀剣男士達の視線が注目する広間の真ん中に歩み出て、床にその体を沈めた。――――沈めた？ 「――――えっ!?　そんな――！」 　思わず口から零れ落ちた。だってそうだろ!?　目の前で俺に傅くように頭を下げ、微かに振るえる体。その姿に慌てて立ち上がろうとしたが、ふと大事な事を思い出す。 　傷だらけで運ばれてきた姿。見るからに人為的に破けた服。どう考えても乱暴に扱われただろう状態。そしてその行為をやったのは、審神者だ。 　例え俺じゃないとしても、審神者が。人間が怖くない訳がない。だけど傍に居た。大切に思っているだろう五虎退を心配させない為、今まで気丈に振る舞っていた。そんな簡単な事にも気が付かないなんて‼ 「――顔を上げてください！」 　姫鶴さんは何も悪くないのに、こんな真似をさせてしまった。だから俺は、姫鶴さんに向って頭を下げる。 　――だから山切り、そんな声出すな。コレは俺がやらなくちゃいけない事だ。同業者で同じ人間の俺が、姫鶴さんに謝罪しないといけない。許されないとしても。 　それなのに、 「審神者がそのような事をする必要はありません」 　俺を諭すように言ってくれた。 　自分が。大切な同胞が、大勢傷付いたはずなのに。 「全ては私の落ち度ですから、頭を下げる必要はないのですよ」 　俺は関係ないから、謝罪は必要ない。ただ自分が悪いのだからという言葉に、悲しみで胸が苦しくなる。 　それこそ姫鶴さんは何も悪くない。姫鶴さんは傷付きながらも、頑張っていたのだから。 「ですが、貴方はそのような目にあう為に、ここに呼び出された訳じゃないのに！　私の同業者が行った非道の所為で、傷付けられた！　謝罪した所で、許されるモノではありません」 　こんな優しい神様であり、刀剣である姫鶴さんが。体を無理矢理暴かれ。暴行され。挙句、折る為。練度に見合わない場所に単騎出陣させられたなんて、あんまりだ！　 　きっと仲間に被害がいかないように、審神者に取り入ったりしたのだろう。だからあんなに体が傷だらけだった。でも、それでも同胞を救おうとする。そんな人を。 　今の俺はみっともないだろうな。声が震えて、目の奥が熱くなっていく。泣きたいのは姫鶴さんの方なのに。 「貴方の所為ではありません。ですから審神者さんはそのような御顔を、なさらないでください」 　言葉に釣られて顔を上げるとそこには、目は布に隠れて見えない。だけど確かに緩く、弧を描いている口元が見えた。 　それに纏う雰囲気も変わったように思える。刺々しかったモノが、今は落ち着いていて穏やかだったから。何より、さっきまでは審神者。と呼んでいたのに、審神者さん。と呼び名が変わったから。 　俺が危害を加えようとしていないと、分かってくれた。そう都合良く思ってもいいのかな？　 「それよりも私は、貴方に御礼を言わなければなりません。この傷付いた体を癒してくださり、ありがとうございます」 「それは、当然の事です」 「……それでも、ありがとうございます。助かりました」 　感慨深げに言われた言葉。もしかしたら、今まで一度も手入れを受けていないのではないか？　嫌な予感、でもあり得なくない事。気になったが今、口に出すのに躊躇いがあった。 「――それなら私の方こそ、貴方のお蔭で仲間が助かりました。本当にありがとうございます」 「それこそ、当然の事ですよ」 　ふふっと、袂で口を隠して笑う姫鶴さん。その穏やかな姿に、荒んでいた心が落ち着く。冷静になる為に、一度深呼吸する。 　今、この時だろう。この機会を逃せばいつ言ったらいいのか分からない。例え性急だとしても、大事な事だから覚悟を決める。 「三つ程、お知らせしなければならない事があります」 　ここからでは、弧を描く口しか見えない。 「まず一つ目、貴方の居た本丸は摘発されて閉鎖されました。そして、審神者は資格を剥奪され、処罰せられました……今はすみませんが、コレしかお教えできません」 　本当の事を、目覚めたばかりで言うのは憚られた。でも嘘だけは吐きたくなかったから、卑怯かもしれないけど今は言わないでおこう。そう皆と決めた。いずれはちゃんと、姫鶴さんに話す。そう誓って。 　本丸に残した刀剣達の事を思っているのか。それとも何かに感付いているのに、黙っているのか。一瞬だが、確かに体を震わせた姫鶴さん。そんな様子を不安に思いながらも、話を続ける。 「二つ目に、政府に貴方の事を伝えた所。貴方は現状では唯一の。姫鶴一文字の分霊。その為、どのような事があろうと、その身が失われる事はあってはいけない。刀解、折るなどしてはならない、そう厳命されています」 　唯一の分霊。その存在は現時点で、最高位のレア度を誇る三日月宗近よりも希少価値が高い。だから何があっても、その貴重な存在が失われる事があってはならない。 　もし失われるような事があれば、過失がなくても罰するとの事を通達された。 　コレについては俺自身、姫鶴さんをこのまま刀解したくないと思っていたから、問題はない。ただ刀解を望まれても、その願いを叶える事は出来ないので、心苦しくはある。 「もし、貴方がその体を破壊しようとすれば、顕現を解き。刀剣の状態に戻して、封印措置が行われます」 　だから勝手に自害しないよう、政府から刀剣に戻した時に使用する札を渡された。ただの紙に字が書かれただけの札が、とても重い鎖に思えた。 「貴方の本体ですが。折らないと約束してくださるのなら、刀はお返しします。ただ私の仕事部屋に保管してあるので、今すぐにとはいかないのですが」 　刀については一部の仲間は否定的だったが、なんとか納得させた。ブラック本丸では本体を取り上げて、抵抗出来ないようにする事が多いと聞いたから。この本丸に居るのだから、いつ折られるのか。そう考えなくていいようにとの思いで。 　姫鶴さんはその事には何も触れず、黙って聞いている。 「三つ目になりますが、政府からの了承も得られていますので。貴方にはこの本丸に留まっていて欲しいのです。顕現する為の霊力は、勝手にですが貴方の手入れをする時に、仮契約を結んでいるので問題ありません」 「元より、折れるつもりも。刀解されるつもりもありませんでした。この場所に置いていただけるのでしたら、私の方としても助かります。刀は今すぐでなくても、構いませんので」 　よろしくお願いいたします。と頭を下げる姫鶴さん。 　もしここで拒否されたらどうしようかと思っていたが、了承を返してくれた姫鶴さんに一安心出来た。だからこそ、油断していた。 「……本契約を交わさなくて、よろしいのですか？」 「――――えっ？」 「政府の話しからすれば、私は貴重なのでしょう？　そのような者が目の前に居るのに、何もなさらないのですか？」 「た、確かにそうですが――――」 「それとも」 　不自然に途切れた言葉。 「――このような紛い物では、価値などありませんか」 　一瞬何を言われたのか、理解できなかった。 「やはり、女性の方がよろしいのですね……」 　自嘲気味に歪んだ口元が見える。 「違います‼‼」 [newpage] 　本当は政府から、姫鶴一文字が目を覚まし次第。すぐにでも本契約を結べ。そうこんのすけから伝えられていた。 　正直、そんな馬鹿な事を言う奴らを罵ってやりたかった。 　どう見ても傷付いている事が分かる姫鶴さんに、本契約を結ぶよう強要するなんて。だから政府がブラックと言われるんだ！　という言葉が身に染みて実感出来た。 　だから政府の通達に拒否を伝えると、ならば今すぐ姫鶴一文字を引き渡せ。こちらで用意した審神者と契約させる、と伝えられた。 　そんな事、当然認められなくて。なんとか交渉して、今すぐではないがいずれ本契約を結ぶ。とは言ったが、正直気が進まない。その時に問題が起こり次第。すぐに引き渡すように言われた事もあるが。もう一つ理由がある。 　政府の思惑としては、未だ交渉の進まない一文字派との取っ掛かりが欲しいのかもしれない。と言ったのは誰だったか。現にこんのすけから聞いた話によると、一文字派との交渉は難航しているそうだ。その事を考えると、簡単に本契約を交わしていいのか分からない。だけど躊躇すれば、姫鶴さんは連れていかれる。 　戦争に勝つ為には仕方ないのかもしれない。それは俺でも分かる。だけど体を傷付けられ。そして未だ心に傷を抱えているだろう姫鶴さんを、利用しようとする政府には渡せない。本丸の皆にはそう話し、賛同はもらえた。 　そして姫鶴さんを守るなら。政府が簡単に手を出せないように、本契約を結んだ方が良い事は分かっている。でもそれは今じゃない。せめて姫鶴さんが俺と、本契約を結びたいと望んでくれた時だと思っている。 「そんな事ありません！　他の審神者がそう言ったとしても、俺はそうは思いません」 　例の審神者はそんな事を言ったのか。刀剣男士の役割から外れた事。受けなくていい仕打ちを、与えていただけでなく。自分を紛い物と言う程、追い詰めたのか。穏やかに笑う人を。俺と同じ人間が！　 「姫鶴一文字。俺は貴方と、出来る事ならば本契約を結びたいです。でも今すぐにとは言いません！　貴方が俺と本契約を望んでくれた時でいいんです。それまで仮契約のままで構いませんから！」 　気を付けていた言葉遣いが崩れてしまったが。今はそれよりも、本契約を交わさない理由を。姫鶴さんを紛い物だと思っていると、誤解される事だけは嫌だった。 「お願いします。もう一度、チャンスをください！」 　俺を。俺達人間を、もう一度信じて欲しい。 　頭を深く下げる。どうか俺の思いが通じてくれますように、そう一心に願いを込めて。 「もし、本契約を交わすのでしたら、貴方のような方がいいですね」 　小さく聞こえてきた声に、耳を疑って顔を上げる。 　和やかな雰囲気を纏う姫鶴さんに、動揺を隠しきれず。呆けていると、小さく笑う声が聞こえた。 「ですが今はまだ、その時ではありません」 　それはやっぱり、前の本丸を気にしているから？　 　摘発されて審神者は、表向きには罰せられた。そう姫鶴さんには言った。 　そして摘発されたからには、前の本丸に居た刀剣達に何かある。そう分かっているのだろう。 　ほとんどの刀剣が刀解を望むだろうけど、気にかけていた短刀達はどうしているのか？　と思うと、まだ契約を結びたくない。そう姫鶴さんは思ったのかもしれない。……だとしたらその本丸も。仲間はもちろん、 「私に時間を下さい。いずれ御返事いたします」 　短刀達も、もういないのに……。 「――はい、待っています」 　だけどそんな事は言えなかった。言ってしまえば姫鶴さんが、どうなってしまうのか分からなかったから。せめて心の傷が少しでも癒えた、その時に。辛い事だけど、真実を必ず言います。 「私を助けてくださった皆様を、傷付けるような行為。恩を仇で返すなどという、義に反する愚行は決していたしません。この名に懸けて、約束しましょう」 「――――はいっ！」 　ここに居る俺達皆に、その名を懸けて約束してくれた。 　神様との約束は絶対。そして神前で交わした約束だ、その効力は格段に向上する。それを分かっていて口に出した姫鶴さんは、少なくともここに居る俺達を信用してくれた。そう思っても、いいよな？　 　五虎退が姫鶴さんを連れて、部屋から出て行った後。そこに漂う空気は、どんよりとした重苦しいモノだった。 「姫鶴の旦那。俺を見て「もう痛くない？」て、言ったんだ。本当に怪我がないか。確認するように、見詰めて」 　ぽつりとこぼれた言葉。それに続くように、 「五虎退と薬研の事で御礼を言ったら、どこか遠い目をしてた」 「わたくしめも、そこは気がかりです。もしや前の本丸を思い出していたのやもしれません」 　鳴狐と、お供の狐が言う。 　五虎退と、薬研を助けたのは。前の本丸に居た彼らと、その姿を重ねたから。そして自分の事を顧みずに、仲間を。短刀達を常に庇っていたのでは？　そう予測していた事を、裏付けるような言葉。 　ついさっきまで、姫鶴さんが居た場所を見る。 　ただ静かに、抵抗する事なくそこに居た。下手な事をすれば、短刀達に危害がいくのでは？　という不安があったから、だからただ大人しく身を任せていた？　 「それと、さっきの事もだが。本霊は女だろうとしても、男として扱ってやった方がいいかもしれねぇ」 「何かあったのか？」 「いや、姉さん言ったら「私は女性ではないので「姉さん」は、適切ではありませんね」 そう言われちまった」 　思い出すのはあの言葉。姫鶴さんが自分自身に対し、嘲るように「やはり、女性の方がよろしいのですね……」と言っていたモノ。 「……例の審神者に、何か言われていたのかもしれないね」 　聞こえてきた声に、手を強く握りしめる。 　女性の付喪神として有名な姫鶴一文字だ。そんな存在がいざ顕現してみたら、実際は女性と見紛う程の美しさを持った男性。その事について散々何かを言われ、心を傷付けられたのだとしたら。 　こんのすけによると、姫鶴一文字が男性として顕現した理由は、政府の術式の所為だという事が分かった。 　元々刀剣の付喪神は男性の割合が多いらしく、女性はほとんどいないらしい。 　そして術式を構築した当初。協力してくれる刀剣の付喪神は、男性ばかりだった。という事があり、人の体を持つ時に男性の姿になるよう最初から、術式に組み込まれている。女性の姿を持つ、刀剣の付喪神を念頭に置いてなかったから。だから姫鶴一文字は、男性の姿で顕現したそうだ。 　姫鶴さんの体にあった痕を思えば、女性として顕現しなくて良かったのかもしれないけれど。だからと言って、男性として顕現して良かったのか俺には分からなかった。結局はあんなに震えて怯える程、傷付けられたのだから。 「分かった。じゃあ皆、姫鶴さんの事を女の人扱いしない事。だからって、デリカシーのない真似は駄目だからな？　体は男でも本当は、女の人なんだから」 　悪意のある言動にどれだけ傷付いたのか。俺には分からない。だけど本丸に居る皆、同じ思いだろう。だからこそ、 「絶対に守るぞ、皆」 　ここに居る以上、もう辛い思いなんてさせない。 [newpage]   　大広間から出て、先導してくれる五虎の後を追う。 　その小さな後ろ姿を見詰めながら、審神者さんとの会話で思い至った事実。同時に黒歴史が頭をよぎったが、今は無視！　これからする質問の返答次第で、俺の今後が決まるんだ！ 「私は――」 「姫鶴さん？」 　俺の声に反応して立ち止まり、振り返った五虎が首を傾げる。 「貴方の事を、五虎と呼んでもいいんでしょうか？」 「……どうしたんですか、急に？」 「先程も言いましたが。私は昔とは違います」 　中身が全然違うんだよ！　見た目は姫なんだけどね。 　五虎が泣いていた原因が審神者さんじゃない。となると必然的に戦犯は、俺な訳ですよ。――そんな奴に、愛称で呼ばれたくないよね？　俺の癒しが……憂鬱だ。 「僕にとって、姫鶴さんは。姫鶴さんです！　例え何があろうと、それだけは変わりません！」 　五虎らしからぬ強い語調に、驚いて体が跳ねる。様子をうかがうと眉を吊り上げて、真っ直ぐに俺を見詰めている黄金色が視界に入った。 　でも、それよりも！　だ、そんな声も出せるようになったんだね。姫、きっと喜んでるよ！　上杉に居た頃は、どこに行くのも一緒。五虎が泣いたら姫は、すかさず駆け付けるぐらい気にかけてたもん。ちなみに、五虎を虐めようとした奴は……ね？　 　――とにかく！　誤魔化して言ってくれてるけど、例え何があろうとって黒歴史の事だよね。やっぱりそれか、五虎が泣いていた原因！　 「姫鶴さんが僕の事を。……そう呼びたくないなら、何も言いません。でも、僕は昔みたいに呼んで欲しいです！」 　きっぱりと言い切った五虎。なんか感動した。姫の記憶でしか知らないけど、成長したな五虎。お兄ちゃんは嬉しいよ。 「そう言ってくださるのなら、もう迷いません。ありがとうございます、五虎」 　今の俺、内心狂喜乱舞だよ！　だって、五虎と呼べるからね。本人の了承もらったぜ！　 　そんな俺の喜びを表すかのように、ピンク色の花びらが舞い散っていた。 　……幻覚見るとか、どれだけ嬉しいんだよ。ヤバいな、俺。 [newpage]   「姫鶴さんが僕の事を。そう呼びたくないなら、何も言いません。でも、僕は昔みたいに呼んで欲しいです！」 　前の本丸に居た僕を気にせずに呼んで欲しい。ただそれだけ。でもそれが姫鶴さんの負担になるのなら、我慢します。……だけど、それでもやっぱり。せめて、今までのように接して欲しい。 　姫鶴さんが今、どんな顔をしているのか。布に隠れて分からないけれど、僕の思いが伝わるように、ただ見詰め続けた。だから、 「そう言ってくださるのなら、もう迷いません。ありがとうございます、五虎」 　そう言って、口元だけしか見えないけれど。笑ってくれた姫鶴さんに、嬉しくて。僕も笑顔を見せようとした時。ひらひらと舞う、ピンクの花びらが視界に入った。 　よく見るとピンクの花びらは、桜だった。それが意味するのは一つだけ。 「誉桜……」 　誉桜が舞うのは、僕達刀剣男士の――――。 [newpage]   [chapter:あとがき] 　審神者さんと話し合いが出来ました！　 　ちなみに本丸勢の皆は、体は男性だけど中身は女性だと思っています。実際は体も中身も男性ですが。 　理由としては本霊が女性なので。その本霊から分離したのだから、体が男性だろうが中身は女性だと思っています。 　時々成り主視点で、相手の会話が途切れる理由は。相手の言葉が、成り主の耳に入っていないからです。だから勘違いします。話しを聞かないで、自分の世界に突入してます。 　更に混乱状態だと話は全然耳に入りませんので、何故審神者さんが謝罪していたのかも分かっていません。というか、聞いてなかったです。 　基本成り主は、話半分で聞いています。姫はそれが分かっているので、聞き返します。そして聞いていなければ、もう一度話し始めます。 　五羽目はこの続きです。まだ続くんです！　次は御飯を食べて。風呂に入って。寝ます。それで一日目終了です。……長い。 　御飯描写が書けないから、手抜きですけどね！ 　次はいつも通りの設定＋補足です [newpage] [chapter:設定] ・成り主 　漸く審神者さんと対面を果たし、勝手な誤解も解消。もうこの人が主でいいと思っている。が、今のまま本契約すると確実に、姫の評判が悪くなると思っているから。ある程度姫をリスペクト出来たら、本契約してください！　と申し込むつもりではある。 　ちなみにもし、姫の評価を落とした！　失敗した！　と思ったら……。 　審神者さんの事は、見ていて面白いな。良い人だな。と思っている。 ・本丸勢 　ひとまず、本丸に留まってくれる事を了承してくれてほっと一息。 　何人か、姫鶴（成り主）の事を疑っていたが。涙もろい主が泣きだしたのを見て、狼狽えている姿。名前に誓って危害は加えない。と約束したので、警戒心は解いている。 ・審神者さん 　不名誉な事に、疑われていた人。でも、泣き顔。刀剣男士に慕われているのを見た成り主が、勘違いだと気が付いたので無事誤解は解けた。 　結構涙もろく、表情が豊か。オマケに童顔なので、周りからは未成年だと勘違いされたりする。 　審神者さんは未成年に間違われる事を、正直納得していないが。そのお蔭で姫鶴（成り主）の警戒（＋誤解）が解けたと刀剣男士達に教えてもらい、微妙な気持ち。喜べばいいのか。嘆けばいいのか分からない。 ・五虎退（五虎） 　姫鶴（成り主）に「五虎と呼んでもいい？」と言われて、凄い泣きたくなったけど。前の本丸を思うと、呼び辛いんだろうな。と思ったが、でも呼んで欲しい！　という思いもあったから、「五虎」と呼んでもらえて嬉しかった。 　通常の五虎退より、しっかりしてる。初鍛刀だし、姫鶴（成り主）の事が心配だから。 ・鳴狐＋お供の狐 　一期一振りが居ないので、粟田口の薬研に次ぐ保護者的位置に居る。だから、二人を助けてくれた姫鶴（成り主）に、感謝している一人と一匹。 　今後姫鶴（成り主）が困った時は助けてくれる。 [newpage] [chapter:補足] 　どうして術式を使って分霊を作るのか。一羽目に書いていなかったので、ここに。 　神様と言っても、神格の低い付喪神。ある程度の力がないと、大量の分霊を作る事が出来ない。だから政府の開発した術式を使って、大量の分霊を審神者の元に送り出している。 　正直、術式を使わなくても付喪神は分霊を作る事は出来る。ただ作れて一体。神格の高い者（三日月さん格）で二、三体ぐらいは。 　本霊が直接作り上げた分霊は。術式を介して作られた分霊と力の差がある。 　術式産分霊（術式使って作った分霊） ・審神者に制御出来るように練度の上限が設定されている。 ・経験を積まないと強くなれない。 ・少ない霊力で顕現。維持出来る。 　初心者の審神者が、最初っから最高練度の分霊を維持。制御する事なんて出来る訳ない。なので、徐々に慣れさせる為の必要な措置。経験を積んでいる審神者なら、一応問題はない。 ※ちなみに術式産分霊は、顕現した人間によって個性が出る。 　本霊産分霊（本霊が直接作った分霊） ・練度なんてそもそもない。 ・最初っから本霊と同格の強さ。 ・顕現出来ない可能性の方が高い。出来ても維持出来ない。 　本霊が直接作った分霊＝余計な手が加えられていない、もう一人の自分。そんな存在が、簡単に顕現。まして人に制御出来る訳がない。 　そして本霊産分霊は術式産分霊より、維持する力が必要。なんたって、本霊そのモノな訳だから。審神者一人の霊力で一瞬か、もって数秒顕現出来ればいい方。下手したら、霊力のみならず、生命力すべて吸い尽くされる。つまり、御臨終です。 ※ただ顕現に必要な条件が揃えば、可能です。

　いつもブックマーク。スタンプありがとうございます！　そして、一羽目にタグの追加ありがとうございます！　ただまだ300の単位なので、修正してしまいました。すいません。<br /><br />　せっかく今まで二週間で上げてきたのに、無理でした。<br />　成り主視点だけならすぐに出来るのですが、本丸視点の真面目な話は難しいですね。特に、まだ把握出来ていないキャラで冒険したから余計です。<br />　そして今回、今までで一番長いです。正直こんなに長くするつもりはなかった。でも読み返す度に、どんどん増えていく……。<br />　次は短くします。じゃないと林檎飴が途中で力尽きる。絶対！　でもそんな事言って、結局長くなるんですよ……。<br />　自分で書いていてなんですが、本丸側が不憫でしょうがない。今日この頃です。<br /><br />　全然話が違いますけど、新しい天下五剣の人。正直見た目が好みです。あんな美人に成り主のような人が成り変わったら、面白いな……とか思いました。<br />　ギャップが良いですよ！　林檎飴はギャップ萌えなんで。だから真っ白な人。ヤニキ。源氏の緑さん達が特に好きです。<br /><br /><span style="color:#fe3a20;">※この作品には未実装刀剣の創作刀剣男士。創作刀剣女士（今回は出てきません）。成り代わり。勘違い。ブラック本丸要素（刀剣破壊。夜伽。暴力表現）。グラック政府要素。独自設定が出てきます。</span><br /><br />　タグの使い方が正解なのか分からないので、間違っていたらご一報頂けるとありがたいです。<br /><br />追記<br />　アンケートにお答え頂きありがとうございました。<br />　そろそろ番外編を上げてもいいんじゃね？　とか思いつつも、本編の方がいいのかな？　と迷っていたので、設置していたのです。<br />　結果。次の更新は本編の五羽目になりました。番外編はその内上げます。<br />　ただ地味に忙しくて、今ちまちま書いています。一応三月中には上げるつもりなので、気長に待っていてくださると嬉しいです。<br />　相変わらず本丸側視点で困ってます。本当、ギャグなら簡単なのに……。<br /><br />更に追記<br />　誠に申し訳ありません。後ちょっとなのです。それまでお待ちいただけたらと思います。<br />　待っていてくださった皆様には本当に、申し訳ありませんでした。

泡沫の夢　四羽目

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あのあと赤城にめちゃくちゃ慰められた俺は心を折らず立ち直った……のだが！慰められてる時はずっと下を向いていたからわからなかったのだが前を向いた瞬間皆さんすごい睨んできていました…… アーニャ「ハチマンさんは……ロリコン？」 美波「ちょっアーニャちゃんそんな言葉どこから覚えてきたんですか！」 アーニャ「ミカが教えてくれました」 美嘉「ちょっ美波さんなんでそんな睨んできてるですか！」 美波「これ以上アーニャちゃんに変な単語教えたら許しませんよ」 美嘉「す、すみません」 あのー話が済んだのはいいんだが………俺は決してロリコンじゃねぇよ！！ 莉嘉「ハーくんは年下の方が好みなの？」 八幡「？……んまぁ年下の方が気楽ってのはあるな」 莉嘉「ってことは莉嘉達が好みってことかな？」 八幡「いや、まったく」 莉嘉「えぇ！なんでよ！莉嘉達可愛いじゃん！」 アーニャ「ハチマンさんは私達のこと……キライなんですか？」うるうる 蘭子「は、八幡さん本当なんですか？(我が半身よそれはまことか？)」うるうる おいー！なぜそんな悲しそうな顔をする2人！！っていうか神崎逆逆！ みりあ「え！そーなんですか！」ショボーン 楓「うふふ(私は年上だからセーフですね)」 もうやだこの子達勘違いのスピードがはやい……あと楓さん？なぜ嬉しそうなの？ 八幡「はぁ…あのn」 杏「それは違うよ」 何かぶせてきてんだよ！もう実家戻った時膝乗っけて面倒見てやんないからな！諸星のやつが面倒見そうだな… 杏「八幡はね変に理屈っぽいの、だから仕事って割り切ってる部分もあるの」 みく「杏ちゃんが語りだりだしたにゃ！」 杏「だまらっしゃい…ごほん………まぁ要するに意識しないようにしてるってことだよ、心の中ではドッキドキだよー」ニヤニヤ うっわ途中まで良かったのになんで最後に変なの付け足しちゃうのかな？ アーニャ「そう…だったのですか」ニコ 蘭子「良かったです！もし八幡さんに嫌われてしまったら私立ち直れませんでした…」ニコ 眩しい！眩しすぎる！神崎はまだもどらんのね 。てか2人とも純粋すぎるだろ… 莉嘉「杏ちゃんはハーくんのことよく見てるね！好きなのかな？」 なーにいっちゃってんの？杏が俺のこと好きなわけないのに……だが城ヶ崎(妹)の発言により杏は持っていたぬいぐるみに顔を埋めた 杏「好き………なわけないじゃん、ばっかじゃないの」 　 何そのテンプレ、何？好きなの？…………俺きもいな… きらり「2人は昔から仲良しだもんね！」 八幡「んまぁ、家族だしな」 杏「う、うん……….」埋め このあと何故かみんな沈黙した………だがその沈黙はある人二よって壊された……ないす武内さん！ 武内「皆さん揃ったようですね」 アイドル「「「「プロデューサー(さん)(Pくん)」」」」 八幡「やっとか…」 武内「早速ですが説明と色々手違いがあったので話させてもらいます」 このあと色々説明された…まず１つ目が手違いのこと、始めたての俺にこんなに一気にアイドルをつけることだ。ここにいる全員ではなくまずつくのはラブライカ、つまり新田とアナスタシアだ。それ以外のはつかないわけではなく、徐々につけていくつもりだったらしい……それを聞かされたあとのあいつらはすこし顔が落ち込んでいた………なんでだ？そんなやり取りがあった後ラブライカ以外の人はすこし席を外してもらい今後の仕事の説明をしてもらった… 武内「んまぁこのぐらいですね」 八幡「はい……あの……」 武内「はい？」 八幡「あいつらどうすんですか？」 ラブライカ以外のアイドル達が扉を少し開けこちらを見ている…城ヶ崎(妹)と神崎と赤城に関しては少し涙目だ…… 武内「比企谷さんが慣れてきたら徐々につけていきます、順番は決まってませんが……」 バタン 美嘉「ならジャンケンだね！」 そしてジャンケン大会が開かれた… 美嘉「いっくよー☆」 アイドル達「「「最初はグージャンケンぽん」」」 そしてつく順番が決まったのだが、 みく「つく順番は楽しみにしてにゃ！」 っといわれ知ることができなかった……ちなみに増えるタイミングは武内さんが決めるらしい… 武内「それでは説明も終わりましたし、これが今日のラブライカのスケジュールです。明日からは比企谷くん、君がまとめて下さい」 武内さんにそう言われると手帳をもらった……うん武内さん字綺麗だな 八幡「はい、わかりました、では2人とも行くぞ」 アーニャ「よろしくお願いします」にこ 美波「しっかりしてくださいね！」 つづく？ 　 [newpage] [chapter:あとがき！] 適当になったのは申し訳ございません…… こうしないと思いつかないものがあるんですよ！仕事するよりも日常をメインに書こうと思ってます！ 八幡と杏の絡みやみりあちゃんや城ヶ崎姉妹や楓さんとの絡みは事務所や八幡ホームでやります。で、武内さんと千尋さんと八幡との飲み会………何故か隣の席からは「結婚したい…」とつぶやき不貞腐れてる女性がひとり………っていう展開を考えています………正直案でてないです………ゆえに適当になるかもしれませんが……ご了承くださいね

にょわぁぁあああ！<br /><br />お眠ん

最初はラブライカ

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[chapter:【戦い（闘い）】飛んだ豚編] 心優しい聖上は八柱将ならびに両近衛大将への労いのため、時折宴の席を設ける事があった。所謂無礼講の内輪の会である。今回はハクが八柱将に加わってから初めて催された宴の会であり、正直浮足立っていた自覚はある。 けれど、後はお前達だけで楽しめと帝が早めに退席した直後を狙い、デコポンポに態とらしく酒をぶっ掛けられるとは思ってもみなかった。茫然とするハクを鼻で笑って嫌味ったらしく言う。 「全くこれだから成り上がりの田舎者は。酒の席で碌な振る舞いも出来んにゃも」 八柱将として公の場に立つようになってから処世術として身に付けた微笑みの仮面の裏でハクは静かに青い焔を灯す。何事かと此方を伺うミカヅチとムネチカ、デコポンポに詰め寄ろうとするオシュトルの心遣いは嬉しいが、これは自分に売られた喧嘩だ。 折角この日の為に兄貴が選んでくれた服を台無しにしやがって…。 ブラコンは兄関連だと沸点が異常に低くなる。絶対に許さん！！ 「ふふ。仰る通りの不作法者故、和やかな雰囲気に水を差してしまって申し訳ございません」 ですが折角聖上より賜った衣が台無しに。衣装も碌に持たない田舎者を哀れに思い御下賜くださいましたのに。 強烈な当て擦りにデコポンポの顔はみるみる赤く、そして青くなっていく。帝から賜った品を無碍にしたというその一点でもってヴライが不届き者を射殺さんばかりに睨み付けたからだ。そして他の者からも冷たい視線が降り注ぐ。 暫し中座しますが、どうぞご歓談をお続けくださいと軽やかにハクが去ってから後、戦犯の心境は針の筵だった。ライコウは面白がって未だ宴の閉会を告げずにいる。 それから暫くして通常の三割露出を増やした格好でハクが戻って来た。何時もなら絶対に身に付けない紅い肌襦袢が大きく開かれた襟刳りから覗いて艶めかしい。 「デコポンポ様、至らぬ所ばかりですが、どうかこの新参者を宜しくお導きくださいませ」 さあ、ご一献。 こうまで言われてしまっては受けない訳にはいかない。 それにデコポンポとて、美しく従順な女にしな垂れかかられ満更でもなかった。 常日頃同僚達から爪弾きにされている身としては、大人しくしているなら可愛がってやろうかという完全に下に見た認識のまま上機嫌に杯を空ける。 ---------------------------------------------------------------------------- おかしい。何時まで経っても徳利の中身が減らない。そしてやけに酒の回りが早い。 限界を感じて酌を拒むも、まあ、でもせめてこれくらいはと軽く徳利が振られ、一合も飲み干せない下戸と思われるが癪で杯を空けるといった遣り取りを先程から延々と繰り返しをしている。実はウルゥルとサラァナが術を用いて徳利と酒樽の中身を繋いでいるのだが、ハク以外の者は知る由もない。 周りも完全に引いていたが、何時にないハクの剣幕に誰も手出し出来ず、自身の平穏と引き換えに供物は見殺しにされた。正直良い薬と思われている。目の前の女の紅い唇が一層弧を描いたのを見届けた後、デコポンポの意識は闇に沈んだ。 ---------------------------------------------------------------------------- 波乱の宴が漸く終わり、各々聖廟を後にし出した頃、これと帝がハクを呼び留めた。 どうやら色々お見通しらしい。 「お前、程々にしておけよ」 「分かったよ。三ヶ月くらいで「一ヶ月だ」 巻き添えを喰らう周りの人間が災難だろうがという兄の諭しに、妹は渋々ながら頷く。 てっきりあれで仕返しは済んだと思っていたのだが…。 哀れなデコポンポの地獄は始まったばかりらしい。 「…其方、一体何をした」 「大丈夫、大丈夫。命に関わるような薬じゃないから」 職業上、重犯罪を見逃す訳には行かず、念の為聞いてみるが、さらっと躱された。 何処が大丈夫なのだろうか。 でも一ヶ月か。もっと苦しませたかったのに。 ぽつりと真顔で溢された呟きに、オシュトルは戦慄した。 [newpage] 宴の席から数週間後、げっそりと痩せ衰えたデコポンポがボコイナンテに手を引かれ兵部省を訪れた。高慢さがすっかり形を顰め、一時は見下した女性に縋り付く姿は憐憫さえ感じさせる。 「…頼むから、治して、欲しい…にゃも」 「何を仰るのか存じませんが、貴方の行動次第で神仏が御加護を授け、病状も快癒に向かうのではありませんか」 業務中の兵部省長官はどこまでも冷たく、暫し室内は筆を走らせる音が響く程の静寂に包まれる。 逡巡は長く続かなかった。暫くしてその目に絶望を宿したデコポンポが膝を折り、矜持をかなぐり捨てて地に額を擦りつけようとしたその時。 「帝はお父上様の忠義に報い、貴方を八柱将に召し立てたと伺いました」 デコポンポの両手はその白く細い指に包まれた。冷酷だった眼差しには温かみが戻り、全てを許す優しげな微笑みはさながら天女の様で。 「貴方様には忠臣の誉れ高きお父上様の血が流れているのです」 優秀な父はしかし夭折したため、直接教えを請うことのないまま、ただただ高い壁として立ちはだかるだけだった。あの御仁の御子息ならと勝手に期待され、その都度失望され、どんなに努力しても届かないこの身が情けなく、絶望の涙を溢した夜は数えきれない。何時しか心を閉ざし、諫言する代々の忠臣を次々と罷免しては、気付けば望んだ方向とはかけ離れた泥沼に嵌まり、最早抜け出す事等叶わなくなっていたのだ。 けれど。吐息が掛かる程の距離で不思議な虹彩に見詰められ、彼は大切なものを取り戻しつつあった。彼女はこの身体に流れる父と同じ血を信じるという。それは誰よりも父の子と認められたかったデコポンポにとって正しく天啓であった。今からでもやり直せるだろうか。 ちらりと目の前の尊い人を仰ぎ見ると、優しい頷きが返って来る。まるで帝を前にしたような神々しさと、加えて溢れんばかりの慈愛を受けて、全身の血液が沸騰する感覚が走った。 「共に力を併せ帝とヤマトのために忠義を尽くそうではありませんか」 頬を一撫でされ、そう耳元で囁かれ、遠ざかるハクの足音が聞こえなくなってからデコポンポはその場に崩れ落ちた。 狂おしい程に身を焦がす熱、たおやかに触れた指の動き、耳に残る美しい響き。 これが、恋なのか…。 暫くしてボコイナンテは打ち拉がれる主を助け起こし、デコポンポの戸惑いの視線に大きく頷いて優しく微笑んだ。今からでもきっとやり直せます。私が付いておりますから。そう目で語り、涙を流して無言で抱擁し合う主従。余談だがその晩からデコポンポの病は劇的に回復した。 哀れなのはこの雰囲気の中仕事を続けなければならない兵部省の面々である。当初、今度は八柱将を誑し込んでるよと軽く流していたが、悪乗りし出した元凶と何処までも混沌に突き進む空気に彼等の腹筋は限界寸前だった。一足先にとんずらこいた薄情な上司は今頃一人で大爆笑している事だろう。その予想は大当たりである。部下達は長官を詰りながら只管時が過ぎるのを待つしかなかった。 ---------------------------------------------------------------------------- プライドが粉々になるまで追い詰めて、折れそうになったら引き上げる。このタイミングが重要だ。追い詰め過ぎると、捨て身で向かって来るからな。 一頻り笑った彼女は、人気の無い書庫で懐かしい記憶に想いを馳せていた。 厄介な相手なら取り込んでしまえばいい。 味方にすればそれなりの遣い道はあるものだ。 それは若き日の帝が、並みいる先輩達を差し置いて研究所の所長となり、人間関係で苦労した経験から編み出した処世術であった。 まず嫌みを浴びせ掛ける目上の研究者には、己の研究成果で持って致命傷を与え戦意を喪失させる。その上で若き頃の著書を読んで如何に自分が励まされたのか、同じ道を志す者として手を取り共に人類の発展の為に尽くして行こうと、あくまで上に立つ者としての威厳は忘れず、不自然でない程度に歩み寄る。相手の純真な部分（若き日の志や家族への想い）に上手く訴えかけるのがポイントだ。 研究所に着替えと差し入れを持ってやって来た妹はその対応の一部始終をばっちり目撃した。そして丁度良い機会だからと大人の世界の立ち回りを教える兄と、兄ちゃん本当に格好良いと絶好調にブラコンを拗らせてうっとりと聞き入る妹。これは身内と言え、人気がある研究室内で実際に行われた出来事である。 兄の部下となって日が浅い新参連中は研究室で突然始まった教育論にドン引きしていたが、付き合いの長い古参からよくあることだと甘い茶菓子を進められ、苦いものと一緒に呑み込むしかなかった。 そういった訳でハクはデコポンポの対処にあたって、兄の言い付けに倣い、多少のアレンジを加えて実行した。 これで少しはオシュトルも仕事が遣り易くなればいいんだがな。 今度マロロと飲む時に何か変化があったか聞いてみるか。 早くも友人との飲みに想いを馳せているハクは知らない。今日のこの日を境にデコポンポが（仏の）七光のデコポンポに生まれ変わったことを。親の代からの忠臣を呼び戻し、采配師の言葉にも謙虚に耳を傾けるようになったため、次回の酒の席でハクは語尾を何処かへやったマロロに一体何をしたと凄まじい剣幕で問い詰められる事になる。 [newpage] そうそう、この間デコポンポの奴締めといたから、少しは動き易くなると思うぞ。 和平交渉で他国へ旅立つ前にと軽く告げられたのが昨日のこと。今度は一体何をしでかしたのかと軽く身構えていたところ、朝議後人目を避けて声を掛けられた。 「オシュトル…殿、その…にゃも…」 これまでの謝罪でもしたいのか、頬を染めて躊躇いがちに話しかけられ気色悪いことこの上なかった。下手に慣れ合うよりは召し捕って後腐れなくおさらばしたかったが、改心によって今後帝都で悪事に手を染めぬというのであれば致し方ない。表面上涼しい顔で如何されたと続きを促すと。 婚約者殿は、どのようなものをお好みにゃもか。 言葉の意味を認識した瞬間、オシュトルの視界は真っ赤に染まった。 気が付いた時、何故かミカヅチに羽交い絞めにされ、右手には血が滴り、顔の形がぼこぼこに変わったデコポンポが床に転がっている状況だった。 すわ右近衛大将乱心と大事になり掛けたが、人が疎らであったこと、何より（一応の）被害者であるデコポンポが「右近衛大将に武芸の手解きを受けていただけ」と取り成した事により、その場は収まった。 ---------------------------------------------------------------------------- 「お前が宮中で殴り掛かるなんて余程だよな。よし、もう一回締めとくか」 「やめろ！！喜ばせるだけだ」 「はあっ？？」 無事交渉を終えて帰国したハクはミカヅチ辺りから顛末を聞いたのか、深刻な顔をして慰めてくれたが、オシュトルとしては頼むから何もしてくれるなという気持ちで一杯である。 宣戦布告の後、自身の兄との仲を熱心に取り持つようになった左近衛大将。兵部省の情報操作によりミカヅチ側に靡きつつある姫殿下と鎮守のムネチカ。挙句妻（予定）に懸想というより妙な崇拝を寄せる豚。事態を面白がって傍観者を決め込む大宮司と大老格。そして公人である時は別人の様に仕事に励む想い人（大体の元凶）。 いっそ八柱将を辞任して家庭に入ってくれたらとも思うが、国の為を思えばそれも儘ならない。 政とは違った方面でオシュトルは全く気が気でなかった。 [newpage] [chapter:【戦い（闘い）】初めての家出編] 後日、流石にオシュトルに同情した義兄が変装して街に降り、市井の飲み屋でウコンを慰めていたところ、事件は起こった。 「え、二人とも何で此処に…」 お前、今日仕事で遅くなるって。兄貴も…。今度街に出る時は自分が店を紹介するからって、約束…したのに。 予約していた酒を受け取りに来たらしいハクが、信じてたのに裏切られたと言わんばかりの顔でこちらを見ていた。ちなみに受け取った筈の酒瓶は今はその欠片が無残に床に散らばるばかりである。 まさかの遭遇に店内は一転して修羅場となった。お前こそどうしてこの店に、忙しかったんじゃないかと恐る恐る二人が問い掛けると、漸く自分の仕事が一段落したから、疲労の色が濃いオシュトルを労おうと、兄貴にも差し入れしようと酒と食材の買い出しに来たのだと、男達にとって良心を抉られるカウンターが炸裂する。 こら、嘘は良くないだろうオシュ…ウコン。聖…義兄上こそ約束を破るとはいかがなものでしょう。仲良く責任の擦り付け合いをする義兄弟の姿に幼い頃からのトラウマを刺激され、ハクの涙腺は決壊した。 やっぱり、自分なんてどうでも良いんだ。オシュトルはこの国に身を捧げているし、そりゃあ帝を第一優先するよな。何時もそうだ。結局兄貴さえいれば自分なんて…。 いやそれは誤解だとオシュトルが弁明を試みようとするも、鋭い矛先が次は兄へと向かう。 それに兄貴も弟が欲しかったんだよな。別に隠さなくったっていいだろ。昔、妹の扱いはよく分からないとか仕事仲間に愚痴ってたの実は聞いてたし。 寝耳に水とはこの事だった。数百年以上も前の、両親の事故死を機に妹と同居し始めた頃の何気ない話を蒸し返され、かつ懐いてからはいつもべったり甘えてくる妹がそんな悩みを抱えていたとは露知らず、兄はただただ慌てふためくばかりで…。結果もういい、嘘付きと泣きながら駆け出すハクを二人して見送る始末。店にいる全員の咎める視線が突き刺さり、暮れ六つの鐘の音が重々しく響くのだった。 ------------------------------------------------------------------------------------- 実家（聖廟）にも、白楼閣（殴り込みを掛けそうな保護者がいる）にも帰れないハクが向かった先はライコウとミカヅチの実家である。只事でない娘の様子にそれでも母は動じず、温かく迎え入れ、辛抱強く話を聞いてくれた。兄は父代わりでもあったがそれでも母親にはなれず、可愛がってくれるこの年配の女性はハクにとっていつしか理想の母となり、優しい香りに包まれると安心するのだった。 仲睦まじい母娘の様子に父が相好を崩し、急遽呼び付けられたライコウが人騒がせなと帰ろうとしたその時、屋敷に勅使がやって来た。ハクを引き渡すようとの勅命である。らしくない強引なやり方だが、反抗期の無かった妹の突然の家出に兄は兄で動転し、形振り構っていられなかったらしい。 第三者に話を聞いてもらい、幾許かの落ち着きを取り戻したハクは迷惑を掛けて申し訳ないと急ぎ外の使者に合流しようとしたのだが…。 ハクのこれまでの言動から帝との関係性を察していたこの敏い女性は、無粋なやり方に憤慨した。常の控えめな所作は何処へやら、怒りに肩をわなわなと震わせている。 突然の変貌に唖然とする一同を余所に、ハクには大人しくしているよう微笑んで有無を言わさず部屋へ押し込め、続いてようく諭してやりなさいと長男（職場の上司）をぺいと部屋に放り込む。そして。 「いやお前相手は帝」 「かつて左近衛大将を務めた御方が何と気弱な仰り様、娘一人守れなくてどうします！」 「…はい」 「ミカヅチ、其方も身体を張って姉を守るくらい出来ないのですか！！」 「…はい」 夫と次男を一喝。 それに、誰であろうと娘を泣かせた罰は受けていただきませんとね。 長男そっくりの悪い笑顔で何やら活き活きと画策する母を恍惚として眺める父。 血って凄いなとミカヅチは自身の起源を知り遠い目をするしかなかった。 ------------------------------------------------------------------------------------- 帝都を騒がせた罪の重さに堪えかねて、ハクは自害せんと刃物を持って部屋に立て籠もっており、斯くなる上は聖上のお力でもって原因を作った彼女の兄と婚約者を説得にあたらせていただきたいと。 居ても立ってもいられず聖廟内をうろうろ歩きまわっていた帝と右近衛大将だったが、言い包められて取って返した勅使からの報告を受けるやいなやミトとウコンとなって現場に急行した。 [newpage] その頃ライコウとハクは…。 「話は分かった。俺に謝れ」 「本当に迷惑掛けて悪かった」 「莫迦か」 何故お前がそこまでの劣等感を持っているかは知らんが、その悩みはお前を推挙した俺への侮辱だ。俺は使えん者は切り捨てる。 何処までもライコウらしい言い回しだったが、あれ慰められてる？と理解してハクは目をぱちくりさせた。 「お前、自己中で血も涙もない冷血漢だと思ってたけど、意外に優しい所があるんだな」 「借りは必ず返してもらう。俺が更なる権力を掴むため、お前は只管成果を上げ続けろ」 以前、真剣な顔でミカヅチに問い詰められた事があった。 俺の兄じゃ駄目なのか。 お前の好みだろうと。 その時は、どこがだよ。あんな性悪はごめんだと一笑に付していたが…。 よくよく考えれば言動が似てないこともない。 「お兄ちゃんって呼んでやろうか？」 「頭でも打ったのか」 襖一枚挟んだ向こうでミカヅチは歯軋りしていた。どうしてオシュトルより先に！！ そしてミトはあの時あの店でのハクの気持ちを実感していた。あんな性悪と一緒にするな！！ お前にだけは妹はやらん。 ハクの兄として先代左近衛大将夫人のお説教を受けながら、相手がオシュトルで本当に良かったと、隣で正座する義弟と目配せし合うのだった。 「聞いているのですかっ！」 「「…はい」」 ------------------------------------------------------------------------------------- 後年、オシュトルとハクの娘は小さい頃から大好きだったライコウお兄様と祝言を挙げる。 ―ブラサーコンプレックス！！ END― ------------------------------------------------------------------------------------- 非常に珍しいだろう、ウチでは仲が良い帝とオシュトルの義兄弟（予定）。 [chapter:【修正箇所】] 【戦い（闘い）】：初めての家出編に最後の二文を加えました。 以下、該当箇所の抜粋と、これだけご確認いただくのもあんまりなので、ちょろっと設定らしきものも載せておきます。 「後年、オシュトルとハクの娘は小さい頃から大好きだったライコウお兄様と祝言を挙げる。 　―ブラサーコンプレックス！！ END―」 捏造まみれのオシュトルとハクの娘設定 顔はハクそっくりだが、雰囲気や気性は全く似てない。品行方正でおっとりしており、純粋無垢な世間知らず。お兄様程素敵な方はこの世にいらっしゃいませんが持論。 父親（オシュトル）を筆頭に周囲から長年に渡り説得、妨害を受けるが、「きっと私が至らないから御心配をお掛けしているのですね。いつかお兄様の傍に侍るのを許されるよう頑張ります」とか真顔で言って益々頑張る。 一途に想って「お兄ちゃんと結婚する」を実現させた。 ライコウを「お兄様」呼びする一方で、ミカヅチのことは「おじ様」呼びだが、当の本人は寧ろこう呼ばれるのが好きだったりする。 基本甘い親族（ハク（普通）を除く）、知人達の中で、別に甘くもないライコウに判り易く懐いており、三歳くらいからハクにはなんとなく将来の予感があったため、ただ一人こっそり応援してくれた。 [newpage] [chapter:【冒険】没ネタ：ハクとアンジュのぶらり帝都散策（社会勉強）編] 以下は俺達の冒険で没にしたハクとアンジュの帝都散策（社会勉強）の内容です。 当初は段階を踏んでアンジュの成長を描くと共に、ハクがどうしてオシュトル（ウコン）に惹かれたかを会話に盛り込もうと企んでいたのですが、会話文が延々と続くだけで、いかに絵コンテ小説としてもこれはあんまりだろうと思い、試しに後のネコネとの問答でアンジュに要点を語らせたら三行で済んだのでお蔵入り。 理論と実践の話も結局上手く行かなかったなあ。 ハクとアンジュの掛け合いが好きな方向けです。 ------------------------------------------------------------------------------------- 「バカだなー。我儘だと思われるから反対されるんだぞ」 狂言事件以来、何故かハクはアンジュに懐かれた。そしてそれ幸いとクオン達はアンジュの世話を押し付け、それじゃあ買い物があるからと出掛けてしまう。全く薄情な奴等だ。 そして、街へ連れて行けとごねるアンジュにハクは一計を案じた。今度こそ慎重に。 市井を見るのが政務に役立つ事を証明する。 やりたいことがあっても我儘だけじゃ通らん。だから、周りを納得させる方法を考えるんだ。アンジュは首を傾げている。将来帝になるには民の暮らしってもんを知らなきゃいけないだろ。でないと民を無視したおかしな政策をするようになる。皇女さんも帝王学とかで色々勉強していることがあるんだろ？ そうじゃ。勉強等つまらんという言葉は分からなくもなかった。 自分だって働かずに楽できるならそうしたい！アンジュが話に引き込まれたのを見て続ける。 だったらその中から使えそうな理論や政策とか法律とかを抜き出して、市井の現状と合致してるかを調べればいい。理論と実践という奴だ。それで実際見てどうだったか、違いや改善策とか気になった事をムネチカに言ってやれば、立派な社会勉強だ。 「ムネチカの許可が取れたらこっちのもんだ」 「ほお、お主も悪よのう」 それじゃあ聖廟に帰ってムネチカを納得させて来いと、丁重にお帰りいただこうと思ったのだが。実践とやらが良く分からんから市井に出て教えてくれときた。…まあ、これくらいの年の子に言っても分からないよな。しょうがない。 今日一日くらいは付き合ってやろうと手を伸ばすと不思議そうな顔をされた。逸れると困るから手を繋ぐぞというと、恐る恐る握り返してくる。 もしかしたら親に甘えることが少なかったのかも知れない。ハクはその手に力を込めた。 一通りの店を回った頃、遠くに帝都を巡回しているオシュトルの姿が見えた。喜んで駆け出そうとするアンジュを何とか掴まえて、建物の陰に隠れ通り過ぎるのを待つ。腕の中の皇女はしぶとく暴れており、何とか気を逸らさなくては。 「そう言えば、お前はどうしてオシュトルが好きなんだ？」 「よくぞ聞いてくれた！！」 凄い食い付きだった。出来ればもう少し声は抑えて欲しいのだが。 聞けば、聖廟から一歩も出たことの無かったアンジュに外の世界の広さや楽しさを教えてくれたのがオシュトルだったという。籠から連れ出してくれた物語の王子様のような存在なのだろう。それは惚れるなと適当に相槌を打つと、そうじゃろう。そうじゃろうと話せたことが嬉しいようでご機嫌だ。 「して、其方はどうなのじゃ？」 よし、このまま白楼閣、または聖廟へ連れて行こうとしたら何故か質問された。どうって？意味が分からず首を傾げると、相手も首を傾げて再び訊ねてくる。お主もオシュトルが好きなのじゃろう？ハクは固まった。 オシュトル達一行は此方を見付けることなく、去ったのだろうか。今見付かったら自分は羞恥で死ぬ。 そして、違うのかと問いの形を取ってはいるが、此方の心情を見透かした目で悪戯そうに見上げて、逃がすまいとハクの両手を握ってくるのだから…。追い詰められたハクは降参するしかなかった。 いや…まあ、その…違わないがなとしどろもどろに肯定すると、恋敵の出現に何が面白いのか、手が熱いぞ。純情じゃなと揶揄われた。 イイ性格してる！親の顔が見てみたい。それにしても、まさか自分が恋話をする日が来ようとは…。 「その、最初はな。全然意識してなかったんだ。自分はどっちかって言うと、うんと年上で研究…学士の様な人が好みだし…」 記憶が無い筈なのに、確固たる理想像を思い浮かべて言うと、変わった趣味をじゃなと即行で突っ込まれた。やかましいッ！お前だって年上好きの癖に。人の趣味をとやかく言えるかっての。 「でも、オシュトルは…なんかこう、一緒に呑んで騒いで莫迦やるのが楽しい男友達って感じでな…」 「オシュトルがか？全く想像つかんのだが…」 無視して続けたら難しい顔でまた突っ込みが入った。やば、皇女さんはウコンと同一人物だって知らないんだったか…。まあ、あいつも色々あるんだと適当に誤魔化す。それだけじゃなくてなあ！ 「あいつは「民と苦楽を共に」って志を持って、どんな小さな民の声にも耳を傾けるんだ」 最初は溝浚いとか屋根の修理とか回されて勘弁してくれって思ってたんだが…。随分小さなことをやっておるのう。やかましい。こういう小さな事が実は大切だったりするんだ。聖廟での上からの政策だけじゃ、行き届かない部分だからな。これがオシュトルなりの実践ってやつだ。 それに本来の仕事だけでも忙しいのに、空いた時間にまでそんなことをやってる。自分にはとても真似出来ないって、最初は単純に凄い奴だなって思った。 でもな。 帝都を歩いてると、屋根が直って良かったとか、溝浚いしてくれて助かったとかいう声が聞こえてくるんだ。 「皇女さんは今日帝都を過ごしてどう思った」 「ん～。皆楽しそうじゃったな」 だろ。感謝の言葉とか、皆の楽しそうな顔とか見てたら、オシュトルがこの帝都の平和を守ってるんだって実感して堪らなくなってな。これからもあいつの下で働くのも悪くないなとか。志に協力したいとか。頑張り過ぎるから支えてやりたいなとか思ってしまってだな。 「気付いたら惚れてたんだ」 「成程、理想の相手と実際に好きになった相手は違ったというやつじゃな」 間違ってないけど…。何を聞いていたんだお前は。 まあ、確かに言われてみれば、余はオシュトルが具体的にどんな仕事をしておるかは知らんかったの。お主はオシュトルの偉大さを実感して惚れたということじゃな。 …その通りです。お主の言う実践とやらが少しわかったぞというアンジュにそれは何よりだと思う。揶揄われた甲斐があった。 「まあ、偉大さにかけてはお前の父親には敵わんだろうがな」 責任重大だぞと言うと、アンジュは途端に威勢をなくす。自分に足りないものは自覚しているのだろうが、民を思い遣る心は持っているのだ。後は周りに助けられながら少しずつ成長して行けばいい。大丈夫だ。 「お前が好きなオシュトルと同じように、常に民を思いやる心を忘れなければ、大抵のことは間違わないだろう」 ぽんと背中を叩いて再び歩き出す。難しいの、とまだしょんぼりしている様子に、じゃあしっかり勉強しないというと益々項垂れたが。 まずは民に人気の食べ物を調べに行くかと戯けて言うと、徐々に目に輝きが戻り、またあの珍味が食べたいと言い、急ぐように手を引っ張ってきた。切り替えの早いことだ。 その後、白楼閣で待ち構えていたクオンとムネチカに揃って仲良くお説教されたのだが。 今では良い思い出だ。聞えよがしなアトゥイとルルティエの会話も。 「なあなあ、あの二人って似た者同士なんかなあ。後ろ姿がそっくりえ」 「本当ですね。まるで家族みたい」 周りは良く見ているものだ。あの時ハクは知らなかったが、アンジュとは血の繋がりがある。勿論ちーちゃんとは別人だけど、あんなに放っておけなかったのは、家族だからなのかも知れない。 ------------------------------------------------------------------------------------- ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。 アニメがシリアス展開まっしぐらで、三月にはとてもアップできる心境と内容じゃないと思い、急拵えになってしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。 [newpage] [chapter:【戦い（闘い）】疑惑の兄妹編（2016.6.14）] 恋に恋するアトゥイ姫は何時もの如く運命の相手を探しに街へと繰り出していた。今日日の女性は赤い糸（獲物）を自ら獲りに行く逞しさもなければ恋という名の戦争に敗れる。というのが狂い姫の持論かどうかはさて置き。 頼むから悪い男には引っ掛かってくれるなと隠密衆の先代顔役に散々苦言を呈されていたが、しかし今日の彼女には心強い味方があった。先程妖しい露天商で入手したとびきりの代物である。先代顔役が聞いたらすぐに返して来いといわれるのはまず間違いない。 もう何度も読み返した恋愛指南書には、街角で出会い頭にぶつかった男女は運命の相手であるという金言がある。継続は力なりで同じ区画を三周したところで、彼女は漸く手応えを感じた。とどのつまり、要検非違使出動な程に全力で哀れな被害者とぶつかった訳である。 どんっ。 「あやや～。まさかお姉さんがウチの運命なのけ？」 「思い切り打つかってきておいてその態度は何だ！？」 吹っ飛ばされた相手はまさかの先代顔役であった。相手は少々ご立腹であり、アトゥイはそんなに怒らんといてなと助け起こすが、珍しくお粧ししているのが気になって仕方がない。 「もしかしてこれからでえとなん？」 「……………まあな」 着物に付いた土埃を払いながら素っ気なく渋々と、だが確りと返されたまさかの肯定にアトゥイの心は躍った。今のこの出会いこそが運命だと！色んな意味で障害の多いオシュトルとハクが漸くでえとに漕ぎ着けたとなれば、此処は一肌脱がねばなるまい。妙な使命感に突き動かされたアトゥイは、ぶつかった拍子に多少乱れたハクの後れ毛を整える素振りで手元の小瓶から吹き付けた液体を項に吹きかけ、頑張ってなあと朗らかに見送った。絶対に根掘り葉掘り聞かれて面倒なことになると踏んでいたハクは若干拍子抜けしながら、気が変わらない内にとそそくさとその場を後にする。 勿論アトゥイは尾行する気満々である。クラリンに白楼閣の皆を可及的速やかに連れてくるよう手紙を託し、物影に隠れながらハクの気配を辿っていく。そして優秀過ぎる隠密衆はクラリンを伴って、一刻も立たぬ間にアトゥイの下へ緊急集合した。 可愛い被保護者の嫁入り姿を見届けるまではと、帰国を先延ばしにして白楼閣住まいを続けている顧問役のクオン。まるで当事者の様に先程からそわそわしっ放しのルルティエ。お目付役に任命されたオウギという異色の面子に観察されながら、ハクは待ち合わせ先と思われる茶屋の軒先で呑気に茶を啜っていた。正に嵐の前の静けさだった。 完全なるとばっちりを喰らったのは新顔役のヤクトワルトである。決定権がないのは最早伝統なのか、ほぼ全員に出払われ急遽入った仕事の対応に追われていた。ノスリはシノノンの守役として留守番を引き受けている。さり気無い面倒見の良さは流石のイイ女である。そして朝早くから割り振られた仕事に出掛けて行ったキウルに至っては、事の次第すら知らないが、彼の胃の平穏のためには寧ろ幸運だったのかも知れない。 「で、二人に進展があるかもっていうのはどういうことかな？」 「それがやね～」 一刻程前、彼女は妖しげな路地裏で妖しげな露天商に出会った。何でも小瓶の中の液体を吹きかければ、相手は己の感情が増幅し、本音を語ってしまうという。これを使えばもう悪い男に引っ掛かる事はないという売り込み文句は実に魅力的だった。しかも値段は只。だが彼女だって莫迦じゃない。きちんと効果は確かめなければ。 「お兄はんは何でこんな儲けのないもんを売っとるん？」 「お国の為です。この薬の効果が認められれば、間者や敵国の捕虜から弄せず情報を引き出すことが出来、ヤマトは更なる発展を…」 シュッ。 「気になる女性の本命を知りたいんです！どうか被験者になってください！！」 ―薬は本物だった。よくよく聞けば効果はたったの一日。散々自分と呪術に詳しいマロ…開発仲間とで試したが副作用もないとのことで、同じく恋に悩む気の弱そうな青年に絆されつつあったアトゥイは最終的に協力を約束してしまった。そんな時にでぇと前のハクと出喰わしたのである。試さない訳がなかった。 以上で回想終了。 こういった経緯で素直になる薬を被ったハクがオシュトルと会ったらどうなるのか。 皆いけない事だと思いつつ正直興味津々である。じれったい二人は周りを大層やきもきさせていた。 「ですが、本日オシュトル様はお屋敷でお勤めに励まれていると伺いましたが…」 ルルティエの証言に一同は固まる。ではハクの相手は一体誰なのか？ 「お姉さん、お一人ですか？宜しければ一緒にお茶でも…」 気が付けば、ハクが決まり切った誘い文句で分かり易く誘われていた。しかし良く分かっていない当人はきょとんとしている。思わず天誅を下そうと保護者が懐に手を忍ばせたが、それより良く通る低い声が響くのが先だった。 「俺の連れに何か用か」 割り込むようにどっかりと茶屋の椅子に座り込み、更に間近で睨め付けられると声を掛けた男は潔く退散した。 「お、ミカヅチ。今日はよろしくな～」 「気安く名を呼ぶな。変装の意味がなくなるだろうが」 [newpage] まさかの近衛大将違いに観察する側は大いに戸惑った。 本日のミカヅチは市中にありながらサコンの格好でも、いつもの仮面すら身に付けていない。変装と称された通り、足元は臙脂の裁付袴で動き易く、薄墨色の半着の上には黒の羽織と橙の襟巻が靡いている。露出を抑えてゆったりとした衣を纏うだけでも大分着痩せして見えた。何より彼を象徴する鬣の如き白髪は、短髪ながらもふわふわとした黒い鬄に覆われ、降ろされた前髪が目元の険しさと和らがせているため若干幼い印象を受ける。意外と目鼻立ちの似ている兄弟なのだと隠密衆は新たな発見をした。 しかし相手がオシュトルでないとすればこのまま放っておいて良いものか…。右近衛大将と婚約中の兵部省長官が左近衛大将と白昼堂々逢い引き。そんな瓦版の見出しが頭を駆け巡る。そもそもハクはミカヅチをどう思っているのか。ミカヅチはハクを決して憎からず想っているのが窺えるのだが…。 「悪い悪い。先刻は助けてくれてありがとな。格好良かったぞ～」 わっしゃわっしゃと頭を撫でるハクと、面食らいながらも満更でも無さそうに心もち屈んで甘受するミカヅチ。完全に姉と弟のじゃれ合いである。放っておいても実害はないと満場一致で速やかに判断が下された。皆が慈愛に満ちた頬笑みを向けたその時、台風の目はやって来た。何時の日も本命は遅れて登場するものである。 「待たせたな」 噂のハクの実兄登場に、一同はこの上なく納得した。ミカヅチを護衛に付けてお忍びでえとですかそうですか。そして兄の呼び掛けに振り返ったハクは、まるで魔法に掛けられたかのごとく一瞬時を止めた後、頬を赤く染め上げて力一杯応じた。 「お兄ちゃん！！」 さながらウマに乗って市中を見廻るオシュトルを見付けたネコネの如し。ぱああっと効果音が付き、周囲に花を散らす勢いで満面の笑みを浮かべている。薬の効果と分かっている周囲でさえ引いた。これではオシュトルが悋気を起こしても無理もない。 どちらかと言えば身内に構われ過ぎて持て余し気味の三人としては、ハクの変化に全く共感出来ず、ネコネの様に拗らせ過ぎた者がいれば少しは違ったのだろうが、生憎と此処には…。 「―何ですか」 珍しく不機嫌を露わにしたオウギに睨まれ、三人は一斉に目を逸らした。 そして兄もまた妹の変化に困惑していた。 さっ。（首筋の体温確認）ささっ。（脈拍確認） 「熱はないようだが、そうなると頭でも打ったか、悪いものでも摂取したか…」 突然のデレをかます妹に対して真っ先に正気を疑う兄。薄情というべきか、ある意味冷静で愛情深いというべきか。念の為ステルスで待機させた双子に原因を探らせ、一応然したる問題もないことを確認した後、隠れた隠密衆四人にしっかり目線で釘を刺す。次はただではおかんぞ。無言でこくこく頷く隠密衆。 そして暫しの間放って置かれた妹は御立腹だ。 「何処も悪くないから此処まで来てドタキャンなんてのはなしだぞ！」 此の日を楽しみにしてたんだからなと、少し口を尖らせながら言うものの、目には大きな不安を湛え、行っちゃ嫌だというように腕を捉えて撓垂れ掛かってくる。 瞬間、ハクを中心に時が止まった。何気なく目立つ遣り取りに耳を凝らしていた道行く若い男達は、帝都の男性に聞いた「恋中の女性にやってもらいたい仕草」堂々一位の光景が目の前で繰り広げられていることに動揺し、思わず振り返ってガン見したが誰もそれを責められはしない。勿論先代顔役のあんな甘えた姿を見た事がない年下の面々は口をぽかんと開き、ミカヅチに至っては自身の頬を抓っている。 「そんな顔をするな。今日は先日の詫びにお前の好きな所何処へでも付き合おう」 ぽんと頭に優しく手を置き、微笑みながら動揺の欠片もなしに対応する様は正に圧倒的包容力の権化だった。手を置かれた方は幼子の様に、にこーと無防備で安心しきった笑みを見せ、仕舞いには腕を組みながら目当ての場所へと歩いて行く二人。リア充のイチャ付きっぷりに帝都の男達は泣きながら走り去って言った。あの様子を見せ付けられて、二人が正真正銘の実の兄妹と言っても誰も信じはしまいし、きっと何の慰めにもならない。 「何をしておるミカヅチ。供をせい」 ―夢じゃなかった。振り向いた主君からの声掛けで夢から醒めたように二人の後を追うミカヅチと、慌ててそれに続く面々。これだけ周囲に混乱に巻き込んで置きながら、悲しいことに兄妹の逢瀬は始まったばかりである。 ------------------------------------------------------------ さて、辿り着いたのは都で有名な袋物屋だった。 「これから市井に赴く機会が増えるんだから財布くらい揃えなくちゃな」 これまで貯めた給料で何か形に残るものをと、ハクは予め目を付けていた品物を奥から出してもらい身に付ける当人に感想を聞いている。服等の装飾品一式は既に最高級の物を揃えているだろうからと、紙入やら根付やらに的を絞った目の付け所は間違ってない筈だ。自分が気に入ったものを贈っても良いのだが、兄は頑固な所があり、自らの趣味でない物は決して身に付けない。本人に選ばせるのが一番なのだ。結局、鳳凰があしらわれた印伝の紐留紙入と流水紋が描かれた柳左根付をお買い上げとなった。結構な出費ではあったが、兄が気に入って笑ってくれればそれだけで嬉しい。思えば、以前は仕事といっても兄の手伝いが主だったので、小遣いでなく自分で稼いで貯めた金で贈り物と言うのは初めての経験であり、夢だった。願いが叶ってハクは実に満足だった。加えて、店員から男性の売れ筋を聞き、こっそりオシュトル用の小物も購入済みなので、あいつもこんな風に笑ってくれるかなと期待に胸を膨らせていたりもした。 買い物が一段落すると、ふと手持ち無沙汰なミカヅチと目が合う。そういや自分達の所為で休みの所を付き合わせちゃったもんな。ハクは急に申し訳ない気持ちで一杯になった。 「ミカヅチも欲しいものがあったら言えよ」 今日の御礼に買ってやるからなと姉貴面するハクだったが、当然のことながら金を出すのは年長者の役割である。弱り顔で主君に視線を向けるも、そうだな。何でも好きな物を選べと機嫌良く鷹揚に頷かれて、選ばない訳には行かなくなった。最終的にミカヅチはオシュトルのために選んだ品と同じものを選び、やっぱり男子に人気あるんだなとハクは選択肢が間違っていなかったと喜んだが、ミカヅチとお揃いとなったこの品な予想通り後日軽い諍いの原因となる。 良いから貰っとけよと、実妹だけあって主君を財布扱いすることに微塵の躊躇いもない様子にミカヅチは若干呆れた。しかし、今日は世話になるからなと当の主君から勿体ない言葉を掛けられ、目頭が熱くなる。一応自身の兄が普通でない自覚はあったのだが、こんなに出来た兄御もいらっしゃるのだなとしみじみ思った。 一方、見付かることを恐れて袋物屋に入らずにいた隠密衆は別の店で時間を潰していたのだが、思わず品定めに熱中してしまい、オウギの掛け声がなければ危うく尾行対象を見失うところだった。急いで後を追う女性陣だが、何故こんなに早く買い物が済んだのかと心の中で揃って首を傾げていたりする。 [newpage] 昼九ツを過ぎ、帝都の中心街を外れてから暫くした所で、彼等は庭園に辿り着いた。すると訪問を待ち侘びていたかのように庭師の男が現れ、恭しく頭を下げて彼等を先導していく。どうやら張り巡らされた水路に沿って歩いて行けば良いらしいが、道端の多用な花々に目を奪われたり、高い所からの鳥の囀りに耳を傾けたりと女性陣には中々に誘惑が多い。特に貴重な薬草に心奪われていたクオンだったが、はっとして後を追い、背の高い木々の緑を抜けると、其処には黄金のツヅミバナが広がっていた。トゥスクルでは良く根を煎じて使っており、美しい光景に郷愁が込み上げる。 「これって…。もしかしてタンポポか？」 「ああ、儂からお前への贈り物だ」 一面の花畑を前に目を輝かせるハクとその様子に、意外と女の子らしい所もあったんだなと微笑ましく見守る一同。けれども。 「何で花畑で語り合う男女が恋人同士やないんやろな」 「まあオシュトルは仕事一筋なところがあるから…」 「というよりお二人は花より酒ですかね」 「（禁断の兄妹愛…何て尊い）」 ------------------------------------------------------------ 「くしゅん」 「！兄様お風邪ですか？すぐに薬湯をお持ちするのです」 書類と格闘中のオシュトルは首を傾げた。 ------------------------------------------------------------ その頃彼女達の期待を裏切り当人達は別の話題で盛り上がっていた。 「この根が遥か昔に代用珈琲の原料になったんだな…」 「まあ、ちと味は違うが雰囲気は楽しめる。焙煎方法を工夫するなり、他の植物とブレンドするなり存分に実験してみると良かろう」 珈琲と言う名の失われた嗜好品に餓えていたハクは気軽に飲みたいと兄に溢していた。このヤマトで家庭でも気軽に楽しめるという条件の下、優秀な兄の頭脳が導き出したのが、その根を乾燥させて焙煎した由緒ある代用品、タンポポ珈琲である。勿論特注で作らせた手回し式の焙煎機、手挽きミル、サイフォンといった三種の神器も既に揃えており抜かりない。 充実した道具と材料に囲まれての実験にハクの心は躍った。面倒は嫌いだが、至高の一杯のための手順探しは何だがわくわくする。珈琲の苦み成分の殆どは焙煎時の化学反応だから…。そうだクオンにも協力してもらって苦味のある薬用の実なんかも試してみるかとやたらハイテンションで喧しい。 兄はそんな妹の喰い付きを横目で見遣ってにやにやしていた。予想通りの反応を返してくれる妹は相変わらず可愛い。 「…珍しく凄いやる気かな」 「…何を企んではるんやろね」 「…ネコネ様がいらっしゃらなくて良かったです」 「…全くですね」 ------------------------------------------------------------ 「くちゅん」 「！ネコネ、お前の方こそ安静にしていろ」 「…兄様ぁ」 ------------------------------------------------------------ 清く正しく美しく。正に兄妹の理想が此処にあった。 それに比べてこいつ等ときたら…。 「ふっ、可愛い奴め。お前が望むならこの世を丸ごとくれてやると言うのに」 「ううん、お兄ちゃんがいれば他には何も要らない」 傲慢な愛の言葉を囁きながら花畑の中固く抱き合う二人。 「「「「　　　　　　　　　　　　」」」」 「いや、突っ込めよ！」 「はっはっは。乗りの悪い連中だな」 尾行していた負い目を差し引いたとしても、明らかな被害者は此方の筈なのに何故一方的に責められているのか、まるで訳が分からない。何て傍迷惑な兄妹だろう。温かな筈の陽気の中で、彼等だけが極寒に震えていた。 そして半ば空気と化しているミカヅチだが、意外にもその胸は温かく幸せな気持ちで包まれていた。そもそも彼は従来年下が好みだったのだ。ハクの魔性に惑われて年上属性に目覚めつつあったのだが、目の前の二人を見て彼は唐突に悟りを開く。 最早実家では本当の娘の様に扱われている彼女だが、兄ライコウにとってのハクは妹、弟ミカヅチにとってのハクは姉。同じ人物の二つの顔を愛でられるとは正に僥倖。どっちもイケる。二人の仲睦まじい様子は無限の可能性を与えてくれた。 流石幼い頃からあの兄に鍛えられて来たのは伊達じゃない。根が真面目で時に融通の利かないオシュトルよりも、実はミカヅチはずっと柔軟で世を楽しむ術を知っている。 その後一行は庭園の突き当りに佇む料亭に入り、何時の間にか姿を現した双子も加えて彩り豊かで豪華な料理に舌づつみを打ちながら楽しい一時を過ごした。…約四名を除いて。色んな感情でお腹一杯胸一杯な彼女達に、お前等本当にこれで足りたのかと再三食事量を気にしてきたハクの気遣いが逆に恨めしい。ちなみにミカヅチは元気良くお代りをしていた。おまけに最後に出て来た飲み物は非常に苦く、甘いお茶に慣れた彼女達にとっては散々な締め括りとなる。兄妹だけが未知の飲み物にああでもない、こうでもないと謎の議論を交わし、はしゃいでいた。 隠密衆は興味本位で知人を尾行する事がどんなに愚かしいかを知り、二度とこの兄妹の邪魔をしないと誓い合って、とぼとぼと解散した。青年少女達はちょっぴり大人になり、ヤクトワルトの尊い犠牲は報われた。 [newpage] あれからウルサラの亜空間転送術で聖廟地下へ直行した兄妹だったが、一頻り実験を繰り返した結果予想外に時間が経過したことに気付き、表には戻らずこのまま地下で夜を明かすことを決めた。明日も早いからと割り当てられた部屋に向かったハクはしかし、懐かしくも見慣れた筈の調度品に囲まれて何処か落ち着かなかった。今日はどうしてか色々な事が頭を過ぎる。オシュトルとの結婚が現実味を帯びてきて、不安を感じているのだろうか。何時もなら遣り過ごせる感情の波が大きく畝って心を掻き乱す。まあ、例の薬の影響なのだが。 もし朝目覚めて全てが夢だったとしたら…。ハクは堪らなくなって駆け出した。 ------------------------------------------------------------ 扉越しに躊躇する足音を感じて、兄は入って来るよう来訪者を声で招いた。枕を抱えながら不安に見上げる様は幼い頃の姿と重なり、庇護欲をそそる。 「今日は随分と甘えただな。…ほら、おいで」 寝台に滑り込んで来た身体は、特に末端が冷たく強張っている。 「家族って…何だろうな」 「……オシュトルとの結婚が現実味を帯びて来て不安になったか？」 無言の肯定に、妹の頭を抱き込みあやす様に告げる。思えばお前を引き取ってから色々なことがあった。正直殆ど会った事もない妹に始めはどう接していいか分からなかった。…俺も若かったからな。 だが、日に日に成長するお前を見守り、時にはやんちゃを叱ったこともあったが、仕事帰りにお前の笑顔や料理に癒されて、どんなに幸せを感じていたか。血の繋がりがあっても上手くいかない例はいくらでもある。結局、家族の絆はそうあろうとする努力と互いを想う気持ちでしかない。 「現に、あのまま引き籠って自堕落な生活を続ける様なら、兄妹の縁を切るところだった」 「…………」 ごくり。 兄はやると言ったら必ずやる。ハクは自分が首の皮一枚で繋がっていたことを知って身震いした。まあ、半分は冗談だがなという兄なりのフォローはいまいち信用ならない。 後ろ盾のないお前にとって宮中での勤めはさぞ苦労も多かったろうに、良く自力で八柱将にまで上り詰めたな。お前は俺の自慢だ。確かに種族も育った環境も常識も違うお前達二人だが、共にあろうという気持ちが強ければ大概のことは何とかなる。俺とほのかがそうだったように、お前もそうやってオシュトルと家族になっていくんだろう。…全く、娘を嫁にやる父親の気分だ。ならもう少し家の子でいようかな。何言ってるんだ。いつでも戻って来て構わんがな。 「愛してるよ。妹」 「私もだよ。お兄ちゃん」 互いの額を合わせて熱を分け合う仕草は、哀しみや不安を掻き消してくれる儀式の様なものだった。幼く頃には幾度も繰り返し、長じるに連れて行われなくなった行為は懐かしさと気恥ずかしさを齎し、二人はふざけて笑い合う。ぎゅっと手を握り合えば冷たい不安が解けてゆき、幸福の温かさが沁み渡る。次に目覚めた時、きっと新しい気持ちで朝を迎えられるだろうとハクは思った。 こうして絆を確かめ合った兄と妹は幸せな一夜を過ごし、翌日二人して盛大に寝坊したのであった。 [newpage] ここで想像いただきたい。 さも先刻起きましたという風体で刻限ぎりぎりに朝議の場へ参内し、義兄の移り香を色濃く漂わせた婚約者を目の当たりにした男の心境が如何程のものかを。 ―控えめに言っても相当来ている。 らしくなく右近衛大将がぴりぴりとした空気を纏ったまま、刻限を僅かに過ぎてその日の朝議は開始された。 余計な物音一つでも立てようものなら命はないとばかりの異常な緊張感は、ここ最近の協調路線への転換によって平和呆けしていた官吏達の精神値を容赦なく削っていく。管轄案件を報告中の兵部省長官も流石に罰が悪いのだろう、気が漫ろで発言に常の鋭さがない。ちなみに例の薬の効果は一日。寝たらリセットされる訳もなく、二十四時間続くため、つまり効果は持続していた。 「あ、お兄ちゃん」 「「何だ？」」 うっかり補足事項をし忘れたまま、案件が次の担当へ移ろうとするのを遮ろうとしてハクは最大の誤爆をし、次いで誘爆が起こった。薬の影響もあるのだろうが、兄と愛を確かめ合い、色んな箍が外れて緩み切っていたところから一転してこの針の筵。極度の緊張感に思わず零れた発言は抜群の破壊力を見せた。 静まりかえっていた場所だからこそ、皆は同時に発せられた御簾越しの声と新たに大老となった聖賢の声をはっきりと区別して認識出来てしまった。おい、兄って…。臣下一同の視線は互いを見詰めあう二人の兄候補と元凶の妹との間を戸惑いながら彷徨い、そして間違っても右近衛大将とは目線を合わせないように必死だった。目が合ったら殺される。膨れ上がる右近衛大将の殺気と絶対君主から溢れる絶対零度の凍気を前に誰もが竦み上がっている。死地を経験したことのない多くの文官達だったが、今日のこの場で命の尊さを思い知った。 「うわああああああああああ」 そして羞恥に堪え切れなくなった妹は顔を真っ赤にして逃げ出した。 責任放棄とも取れる逃亡に全員が絶望した。 ------------------------------------------------------------ この年になって職場の衆目の前で「お兄ちゃん」とか…。ライコウの奴も何当たり前に反応してるんだ。ふざけて1回呼んだだけなのに、揶揄うでもなくさらりと兄貴面するとか。 「…ときめいてなんかないんだからなッ」 逃げながら虚空に向かって言い訳を喚くハク。やはり彼女は年上兄属性に弱かった。 [newpage] 元凶の逃亡により、誰もが言葉を発することのないまま一触即発の雰囲気だけが重苦しく圧し掛かる国の中枢機関において、事態の収束は困難を極めるかと思われた。しかし程なくして思い掛けない人物により、事態は思わぬ方へ動く。 「お久し振りですね。先程外でばったり出会ったので下手人を連れてきましたよ」 かつての影光…もといラウラウ先生の登場である。彼は病を理由に隠居の身であったが、その見識を東宮アンジュに請われ、月に数回教師役として聖廟を訪れているのだった。 現役の頃は公私共に散々な目に遭わされていた面々も多かったが、この時ばかりは天の助と、平伏して拝み倒したくなる程だった。その後光射す穏やかな笑顔はさながら衆生を救う地蔵菩薩の如し。その傍で逃げ出さぬ様にかっちりと脇を固められた彼女は最早死んだ目をしている。 「で、どちらが兄君なのですか？」 それこの場で聞いちゃう！！？ 天国から地獄。蜘蛛の糸は垂らされた本人により容赦なく断ち切られた。分かってた。こういう人だって分かり切ってた筈じゃないか。彼等は期待した自分達の甘さを呪った。 そして、どちらを選んでも血の雨が降りそうなこの場面で進み出たのが右近衛大将である。 「ここは間を取って某が兄役を…」 「黙れッ」（激昂） 「下がれ」（冷徹） 「お前…」（呆れ） どれが誰の科白かは推して知るべし。混乱する場を収めようという気持ち半分、嘘偽ざる本心半分で特攻した身は、それぞれの返答に為す術なく一刀両断にされ、その場に蹲る他なかった。 正直な所、少しばかり期待していた。自分だってネコネの兄だ。兄力は高いと自負している。俺はそんなに頼りないと言うのか。ハクは甘える相手でなく、対等に支え合う関係になろうと頑張っているのでオシュトルに頼り甲斐がない訳では決してないのだが。如何せん周りの兄力が高過ぎた。此処最近ハクがオシュトルに対して年下の可愛さを見出していることも敗因の一つである。二人は何処までも擦れ違っていた。 しかしその身を投げ打ってこの場を収めた右近衛大将の多大なる功績は深く皆の心へ刻まれる事となる。オシュトルの献身によって膠着した空気は和らぎ、がりがり削られた彼等の寿命と精神は救われた。この日を境にオシュトルの宮中生活は一変、畏怖と尊敬と慈愛と同情という方向性は異なるものの、概ね好意で括られる感情が寄せられ、少なくとも下らない苛めは一切無くなった。胃ばかり痛む宮中で、それだけが救いだった。 「まあこの中なら…」 思いの他衝撃を受けているオシュトルに流石に罪悪感を覚えつつ、それでもこの流れを逃すまいと「間を取って」発言に全力で乗っかり、他の兄候補を目線で探し始めるハクと巻き込まれて堪るかとばかりに全力で目を背ける八柱将+α。 果たしてこの国は大丈夫なのだろうか。疑惑を持った臣下達は実に正しい。 そして…。 ×ウォシス（ラウラウ）←本能的に無理。 ×ソヤンケクル←アトゥイの父親認識。 ×オーゼン←ルルティエの父親認識。 ×ムネチカ←どちらかというと妹。 ×ミカヅチ←不器用な弟。 ×デコポンポ←熱い目で見んな。 ×トキフサ←そう言えばいたな…。 「…強いて言えばヴライだな」 まさかの指名に、名指しされた生贄は産まれたての子羊の様にただただ震えた。どんな敵が立ちはだかろうと、その剛力で粉砕してきたヴライだったが、敬愛しその身を捧げた主君からの憎しみの眼差しには一溜まりもなかった。強面に似合わず根は実直、意外に繊細で傷付き易い性質なのである。否定も肯定も出来ぬ儘立ち尽くす剛腕。兄は家出騒動での「お兄ちゃん」事件を地味に気にしていた。 この日、ヴライは二度とこのような惨劇に巻き込まれぬ様、謂れなき火の粉を払うだけの弁論術も身に付けようと強く誓った。時に武力を凌駕する言葉の恐ろしさを彼はその身を以って思い知ったのだから。 生粋の武人が震える一方で、策略家は自由気儘に思いを巡らせる。現人神の動揺を冷静に観察しながら、聖賢の人はいざという時はハクを人質に国家転覆を謀ろうと抜かりなく青写真を描いていた。使える材料は何であろうと躊躇なく、最大限活用するのがこの男の強みである。 悪巧み時特有の非常にイイ笑顔で見詰めてくるライコウを、ハクはコイツまた碌でもない事考えてんなと思いながら見返すのだった。 「離れんか！」 「見詰め合うな！」 「…………はーい」 幕引きを見計らったかのように、朝四つを知らせる鐘が高らかに響く。これを合図に重要な案件を何一つ消化せず、ぐだぐだのまま朝議は終了した。その音色はまるで生きる喜びを謳う歓喜の調べの様だったと、後に宮廷人達は語る。 ハクが帝の妹である事実は明らかとなったが、触らぬ神に崇なしと公然の秘密扱いとなり、以来誰もこの件に触れようとしなかった。ハクはちょっとだけがっかりしてしまい、反省のない様子は燻っていたオシュトルの怒りにニトロを注いだ。 [newpage] 「お前本当にライコウ様とは何でもないんだろうな」 「ある訳ないだろ！疑り深い奴だな」 「（かちん）惚れた女が上役と噂になるわ、手強い兄が二人も出てくるわ、こっちばかり右往左往して気に喰わねえ」 「（むかっ）お前は自分の兄になりたいのか？相応しい伴侶になろうと頑張ってる自分が莫迦みたいじゃないか」 「だったら普段から態度で示せよ！どうせ義兄上の方が大切なんだろ」 「そりゃあ兄貴は大切だが、自分はお前を選んだんだ！！」 常のオシュトルならばハクのこの言葉で折れた。しかしこれまで只管耐え忍んできた心の傷は深かった。 「…どうだか。どうせ俺は頼りない年下だからな！（つーん）」 「お前その顔で拗ねるとか卑怯だぞ！狙ってんのか！？」 ------------------------------------------------------------ 何時になく長い夫婦（予定）喧嘩と頑として原因の黙秘を続ける二人に痺れを切らした保護者は重要参考人としてミカヅチを白楼閣へ召喚した。そして何だかんだ女の頼みに弱い彼は嫌々ながらも呼び掛けに応じ、有りの侭の事実を素直にゲロってくれた。断じてネコネに頼られたのが嬉しかった訳でも、況してやお兄ちゃん呼びに応えたライコウの姿にいいぞと応援したのが後ろめたかった訳でもない。決して。 そして語られた余りにも下らない内容にオシュトルのこれまで苦労が偲ばれて、批難はハクへ集中した。七人の陪審員を完全な見方に付けて、判官役のミカヅチがオシュトルの完全勝訴を告げようとしたその時、番狂わせが起きた。 「正直兄様を悲しませた罪は許せませんが、ハクさんの気持ちも分からなくもないのです」 あのネコネが、ハク側に付いたのである。息を飲む一同。活路を見出す被疑者。 何故なら不覚にもネコネは被疑者が自己弁護の席で語った兄への深い愛情に胸を打たれてしまったのだ。ガツンと打たれた共感はそのままネコネの心を鷲掴んで放してくれないのだから仕方がない。 「長い間離れ離れで漸く会えたんだ！気軽に兄妹らしく出来ないんだから少しくらい甘えたっていいだろ！」 格好良い兄。尊敬する兄。出来るなら国中の皆に自慢してやりたい。兄はこんなにも凄いんだってと。なのに偉くなり過ぎると立場や状況と言った柵が邪魔をして妹として気軽に傍に立つことさえ許されなくなってしまった。 その辛さ、苦しさはネコネにとって馴染のある、幾度となく飲み込んで来た感情だったのだから。 「ネコネッ」 「ハクさんッ」 ひしと抱き合い、妹達は分かり合った。今この場でなければ麗しい光景の筈なのだが…。 いやハクは雪山で寝てただけかな。宮中で思い切り兄妹関係ばらしてますよね。何処が「少し」じゃない等の至極尤もな観衆の突っ込みは空気を読んで各々の心の裡にそっと仕舞われた。 兄への思慕も此処まで来ると罪だな。ミカヅチは唐突に思い至り、どうやったら此奴等を取り締まれるんだろうと職務に忠実に現実逃避した。男兄弟にとっての実兄等恐怖の対象でしかないので彼女達の想いはミカヅチの理解の範囲外である。恋が罪悪とはよく言ったものだが、愛は更に適用範囲が広く、罪深い。 「だがな、ブラコンも程々にしておけよ」 一頻りの抱擁が済んだ後、ハクは優しくネコネに告げた。今世紀最大のお前が言うな発言である。 「さもないと将来、添い遂げると決めた愛しい男に恨まれることになるからな」 「ハク…」 えっ、それってもしかして。突然始まった恋物語に時めく現金な女性陣。 「―って何美談に仕立てて綺麗に纏めようとしてやがる！誤魔化されんからな俺はッ」 「…乗りの悪い男だな。ここは空気読めよ！」 「喧しいわ！！」 全員がこれ以上付き合うのも莫迦らしくなって来たその時、ハクは強引に煩い男の口を塞いだ。 「これで分かったか！自分はお前が好きなんだっつーの！！」 「…おう」 いやいや逆、逆。物語と男女の立場が入れ替わった展開に茫然とする一同だったが。 「熱いなあ」 「流石に兄妹では口付けしないものだからな」 まあこの二人らしいかもと、丸く収めるために無理矢理自分達を納得しに掛かかった時。 「え？」 「「「「「「「「「…え？」」」」」」」」」 「は…破廉恥な！！」 一拍遅れで場違いに響いたミカヅチの純情な叫びに、ネコネはブラコンも程々にしようと決意するのだった。 兄がラスボスかと思いきや、まさかのヒロインが真ボス。彼等の結婚への道のりは遥か遠く、そして険しい。 ------------------------------------------------------------ 今もなおこのシリーズ作品を閲覧くださる方々がいらっしゃると知り、大変嬉しくかつ光栄に思っています。中には評価やブックマークをくださる方もいらして、恐れ多いったらありません。そんな中新作も上げられていないこの体たらく…。 というわけで、終わった筈のこのシリーズですが、少しだけネタがあったので、オマケ的な意味で追加してみました。ギャグにくすっと笑っていただく、とんでも展開に何考えてんだ！と突っ込みいただく等、皆様の生活に少しでも刺激を与えられたなら、書いた時間が報われるというものです。 あと突然始まった兄妹のシリアス展開に面食らった方々がいらっしゃったら済みません。メリハリを利かせ過ぎました。 それから、タンポポ珈琲について念の為補足します。 作中に登場させたタンポポは「セイヨウタンポポ」のイメージです。「モウコタンポポ」や「ケイリンシロタンポポ」も候補だったのですが、クローン増殖+環境適性が強いセイヨウタンポポなら地殻変動後のヤマトへも勢力を広げて強く根付いているかなと。ちなみにトゥスクル付近では在来種が逞しく咲いていると信じてます。 そして珈琲という名前は付いていますが、どちらかというと麦茶を限界まで煮詰めた味に近く、またカフェインも含有されていないため、珈琲と思って飲むと違和感があるかと思います。しかし、珈琲好きのドイツ人が代用珈琲として親しんだ歴史に敬意を表して作中に登場させました。うた偽の世界のタンポポは一味違うかも知れませんしね…。何より此処は一つ、未成熟なモノを自分好み（の味）に育てる楽しさに浪漫を感じ取っていただければ。 個人的にはネルドリップが好きですがサイフォンの方が化学実験らしいかと採用しました。 「さて次回（以降の作品）は… 『ライハクについて本気出して考えてみたら』 ＊死ネタ、酷い倫理観、ドシリアスの三重苦作品。 ＊オシュ（ウコ）ハクファンに蛸殴りにあっても文句を言えないレベルの作品ですので、閲覧の際はご注意ください。 『ラブコメなライハクが読みたくて』 ＊もしもライハクがオシュトルより先に出会っていたら…。現パロもどきの世界で妄想を形にした作品。それぞれの家族が矢鱈に出張ります。ミカヅチが割と良い思いをするかも。＊オシュトルは出ません。 『時をかけるコハク』 ＊オシュハクの娘がソードマスターばりに悲劇フラグを薙ぎ倒してくドタバタ劇。 ＊愛は全てを救う。 の三本です」 ………すいません、言ってみただけです。 [newpage] [chapter: 【戦い（闘い）】：ライハクについて本気出して考えてみたら…（2016.8.13）] この章をお読みいただく前の注意書きです。 予告通りの、死ネタ、酷い倫理観（特に生殖に関する著しい倫理観の欠如あり）、ドシリアスの三重苦作品です。 同じく予告ではオシュ（ウコ）ハクファンに蛸殴りレベルと書きましたが、よくよく考えたらライハクファンにもぶん殴られる恐れ大の内容でした。 いつもの事ながら捏造甚だしく、かつ今回は二人のオリジナルキャラがかなり話に絡む上、何ちゃって戦闘にとんでも展開の嵐となっておりますので、苦手な方はくれぐれもご注意ください。 ------------------------------------------------------------ 翌日の晴天を約束する赤く染まった夕日が差し込む部屋で、花嫁は出発の時を待っていた。 「ハク、とっても綺麗かな」 「有難う、クオン」 女性陣が総出で準備した純白の婚礼衣装に身を包み、幸福の笑みを浮かべるハクは楚々として、紅い光に映えて尚一層美しい。クオンは雪山で出逢ってからの日々を思い起こし、嬉しさと一抹の寂しさが混じり合った不思議な感情を堪え切れず、思わず涙を漏らした。トゥスクル皇女という出自を仲間達へ明かした彼女は、この輿入れを見届けた後は己の責務を果たすべく国元へ帰還することになっている。アトゥイもこれを機に故郷へ戻る手筈で、ルルティエは帝都で修学の予定だが、その準備の為にも一度国元へ戻るため、今日で隠密衆は解散となる。皆と別れるのは何だか寂しいと、思わず溢された花嫁の言葉に、笑って見送ろうと決めた筈の面々も心が揺らぎそうになるが。 「こら、良い女は目出度い席に涙を流すものではないぞ」 笑ってオシュトルの元へ嫁いでやれと、わざと戯けて皆を励ますノスリは本当に良い女に成長したのだろう。いや、此処にいる誰もが皆、出会ったことで成長し、だからこそ各々が選んだ新しい道を歩き出すのだ。 「そろそろ出立だ。支度は出来たか？」 別室で待機していた兄が出発時間を告げる為に入室してきた。感慨深げに妹の白無垢綿帽子姿を見遣る兄と、黒い紋付き袴という兄の正装に暫し見惚れる妹。 「こうしてお前を嫁に出す日が来るとはな…。―良く似合っているぞ」 「…兄ちゃんこそ。凄く、格好良い」 そう言って照れ隠しの様に抱き付いてきた妹を兄は優しく抱き締めた。 大切な、娘の様に育てて来た妹が、共に歩む相手を出会い、新しい家族の絆を作っていくのは喜ばしいが、やはり少し寂しいものだな。胸に去来する過去の記憶と様々な感情を飲み込みながら、耳元で告げる。 ―オシュトルを余り困らせるなよ。 ―うん。ありがとう。 出来る事なら、もう一人の娘の門出も祝ってやりたかった…。娘の成長した姿を妹に重ね、兄であり、父である男は永遠に失われてしまったその時を遣る瀬なく想うのだった。 ------------------------------------------------------------ 昼と夜の境界が眩む黄昏時、先頭に掲げられた提灯の中で蝋燭の火がゆらゆらと揺れ、縮緬問屋からオシュトル邸へと向かう花嫁行列が始まった。花嫁行列を一目見ようと通りには帝都中と言っても過言でない人数が集まり、皆が口々に祝いの言葉を述べている。多くの民が右近衛大将オシュトルと八柱将のハクの婚礼を我が事の様に喜び、二人の門出を祝福しているのだった。 花嫁一行はオシュトル邸の篝火に厳かに迎え入れ、庭から輿が担ぎ込まれると、兄に手を引かれたハク、補佐としての介添え人を務めるクオン、アトゥイ、ルルティエが祝言の間へ向かう。程なくしてオシュトルとネコネが揃ったところで式三献となり、盃を交わすためにオシュトルが綿帽子を少し持ち上げると、隠れていた琥珀色の瞳が露わになった。しかし、目元を紅潮させ、幸福を湛えた瞳はとろりと甘い蜜を溶かし込んだかの様に柔らかく。初めて見るその色合いの美しさにオシュトルは暫し見惚れ、ハクもまたそんなオシュトルの姿を虹彩に映して更に目を細める。 その後に三種の盃を交わし、晴れて二人は夫婦となった。 「何だか改まって言うのも恥ずかしいが、これからも宜しくな」 「ああ、こちらこそ末長く宜しく頼む」 二人は正座で向き合ってお辞儀をし合うと可笑しそうに笑った。湧き上がって溢れる程の幸福感が身体の隅々までを満たし、じわじわと高鳴る鼓動が落ち着かない。少し余裕が出来て横のネコネを見遣ると、彼女もまた落ち着かぬ様子であり、それを見止めたハクが声を掛ける。 「ん？どうしたネコネ？」 「私も、これからもよろしくなのです。ハ、…ハク義姉様」 「―ああ！よろしくな」 まだ正面からは気恥ずかしいのだろう。顔を赤く染めながらも名を呼ぶ時だけ横を向き、その癖その後に恐る恐ると見上げてくる義妹が大変可愛らしく、ハクは思わず抱き締めた。初めはぎこちなくても、ゆっくりゆっくり、家族になっていけばいいんだから。 盃の儀式を終え、艶やかな紅い衣装に着替えたハクと外套を藍色の物へと替えたオシュトル達は、ウルゥルとサラァナに道を繋いで貰い、白楼閣へと向かった。近しい者だけの祝いの席と言うには身内の顔触れが帝に天子と豪華過ぎたが、この日はただ花嫁の兄と姪としてあり、その意を汲んだ出席者も大仰に畏まることはせずに其々の言葉で夫婦の門出を喜び、笑顔に包まれた祝宴は穏やかに続く。 沢山手紙を書きますから。近くに来たら絶対に遊びに来てな。暫しの別れとなっても変わらぬ縁の約束をルルティエ、アトゥイと交わしていると、自分の保護者がやって来て大切そうに何かの包みを渡してくれた。 「絶対に幸せになってね」 「ああ、約束する。これは…勾玉？」 「ハクにウィツァルネミテアのご加護がありますように、かな」 あの時彼女に起こされなければ、自分は今頃どうなっていたのか。恐らく今も眠りに着いたまま、オシュトルと出逢うことはなかっただろう。クオンは運命の神様だったのかも知れないな、なんてらしくないことを思いながら感極まって抱き付く。 ―ありがとうクオン。お前に会えて本当に良かった。 ------------------------------------------------------------ 宴の賑やかさに終わりを告げ、静かな夜の帳が下りた頃、二人は再びオシュトル邸に戻って来た。いや、今日から此処はハクの家でもある。気の休まる場所で、これからは愛しい人が常に傍らに居てくれる日常。オシュトルにはそれが堪らなく嬉しい。 軽い入浴を済ませ、床入りとなる。ぎゅっと縋り付いてくる腕を愛しく感じながら、唇を啄み、僅かに体温の低いハクへ熱を分け合う様に肌を重ねていくが、どうにも途中からハクの様子がおかしい。初めての行為への恐れというより、何か戸惑いの様なものを感じてしまう。一体如何したのかと己が口を開くより先に相手の疑問が音になった。 「…なあ、どうしてそんな所を触るんだ？」 その問いは無垢さに由来しない純粋な疑問だった。 [newpage] オシュトル達にとってはずっとずっと昔、ハク達、多くの人類が地下に隠れて生活していた時の頃。汚染されたまま芳しい成果が見えぬ外環境に対し、最早滅菌された空間でしか生きていけなくなった人類は免疫力と共に生殖能力も大きく低下、自然妊娠どころか性行為すら命の危険を伴うようになっていた。物資も居住空間も限られた環境も相俟って、数世紀前から子を望む者は統治機構の適性試験や一定の基準を満たした場合のみ、人工子宮で子を成すということが許される。それがハク達の常識だったのだ。 俺達は滅びゆく定めの種なのかもしれないな。何時だったか、研究に打ち込みながらも寂しげに呟いた兄の顔を覚えている。 しかし、自分がこうして生きているからには、あの頃よりも免疫は大幅に強化された筈である。退化した子宮であっても痛みにさえ堪えられたなら、オシュトルの子を授かることが出来るのではないかと。兄に協力を求めるも、種族の隔たりが邪魔をして上手く受精まで至らない。ハクは今更ながらに自分がオシュトル達と違う存在であることを実感し、涙した。 清廉潔白と謳われようと、オシュトルとて若い男である。況してやすぐ近くに愛して止まない妻がいる状況で、肉欲を完全に切り離すことは難しい。一方のハクも、夫に不条理な忍耐を強いている罪悪感なのか、大丈夫だからと健気に受け入れようとしてくれる。しかし幾度試しても快楽の兆しすら拾えず、その度に血を流しながら時には痛みに気を失いさえする様は痛ましく、辛かった。そんな顔をさせたい訳ではないのに。 目を覚ますや、涙を滲ませ謝罪するハクをオシュトルは抱き締め、こうしてお前といられるだけで十分に幸せだと辛抱強く言い聞かせた。その言葉は真実の全てではないだろうが、紛れもない本心なのだろう。この夜に謝罪と哀しみを全て流し尽そうと決めて、ハクはオシュトルの胸に縋った。 その日、ハクは夢を見た。彼女には無い筈の耳と尾が当たり前の様に生えており、真っ白いそれらをオシュトルが愛しそうに撫でている。次の場面では、自身とそっくりな耳と尾のある幼児がむずかるのを必死であやしていると、オシュトルが貸してみろと堂に入った手付きで宥め、途端にその子がすうすうと寝付くものだから少しばかり面白くない。態とらしく膨れて見せたら、ぱちりと瞬きした後に破顔し、機嫌を直せよとからかってくる。決して現実では有り得ない、何処か懐かしく、幸せで残酷なお伽噺だ。 ああ、懐かしい筈だ。だって自分はこんな光景を何回も見て来たじゃないか。兄貴と義姉さんと可愛い小さなちーちゃんの、憧れた今はもう遠い家族の夢。 ------------------------------------------------------------ 無理に身体を繋げることを止めてから、二人は互いを一層思いやり、穏やかで温かな愛を育んでいった。公人としてオシュトルとハクはそれぞれの立場で国の為、民の為に尽くし、家庭においては、仕事を持ち込むきらいのある夫を妻が上手く息抜きをさせ、時にさせ過ぎて二人してしこたま酔ってネコネに怒られるというお約束の展開になることもしばしばだったが。趣味と実益とストレス解消を兼ねてハクが手料理を振る舞うことも多くあり、素朴で優しい家庭料理を夫婦とその妹で囲む夕餉は仕事を終えた後の楽しみで、大切な時間だった。 大きな捕物前や事件が立て込んで数日右近衛府に詰めなければならない時は、いつもどう見計らっているのか煮詰まった時や部屋の空気が硬直する頃合いに非番のハクが間延びした口調で差し入れ持って来たぞとひょっこり訪ねてくることがある。クジュウリのアンちゃん時代からの顔馴染である部下達は途端にやる気を出し、書類を裁く速度が上がるのだが、一方で右近衛府に配属されて間もない新兵は、愛妻家で知られるオシュトルとやけに砕けた口調で親しく接する男装のご婦人の登場に混乱を来たす。事情を知る部下が耳打ちすると、大抵は、ええっ、嘘だろと暫し茫然とする。オシュトルの妻であり公式の場では凛と美しいと称される八柱将のハクと素のハクがどうしても同一人物と結び付けられないらしい。中には八柱将のハクに仄かな憧れを抱く者もおり、理想像を張本人に打ち砕かれてその場に崩れ落ちる者も若干数存在するのだが…。結局は差し入れの甘味や料理、そして飾らない笑顔に色んな物を一緒くたに掴まれ、彼女の新たな一面に魅せられたりして更なる深みに嵌まっていくのだった。 数日消沈した部下を慮り、夕餉の席でこういうこともあるから程々になと差し入れ騒動の顛末を語ったら、お前が言うなと真顔でぴしゃりと返された。右近衛府の新入りは、止めに風来坊ウコンの姿を目の当たりにして、本当にお似合いのご夫婦なんですねと悟った様に呟くまでが通過儀礼であることをハクは知っている。 隣のネコネもが無言で頷き、義姉に強く同意した。最近の妹はどうにも妻に賛同することが増えて来て、少しだけ寂しい。しゅんとした雰囲気を察してか、お前って実は天然入ってるよな、と知らない言い回しでハクが笑う。明らかに揶揄を含んだ物言いに、どんな意味かと訊ねると、お前が愛おしいってことだよと余裕の澄まし顔。そんな言葉でいつまでも誤魔化されると思うなよ！ からかわれたり、ふざけ合ったり、ハクが傍にいるだけで陽だまりの中に居る様に温かい。こんな風に穏やかに恋慕う夫婦の在り方をオシュトルは初めて知った。褥を共にし、ただ抱擁を交わすだけで互いの幸福を確信できる。この幸せが永遠に続けば良いと二人は願っていた。 [newpage] 最初の兆候は山に生息する動物達が少なくなったという狩猟者の呟きだった。 天候が優れぬ日が長く続いて作物が上手く育たず、餌が少ない所為なのか首を傾げながらもこんな年もあるだろうと思っていた矢先、山菜摘みに夢中になった子供達が揃って行方を晦ましたことが決定打となる。晴天から突然の雨に見舞われた状況もあり、ぬかるんだ地面に足を滑らせ崖下へ転落したのではという見方が濃厚で、村人ほぼ総出の山狩りとなったのだが、子供達の手掛かりすら見付けられず、仕舞いには捜索隊の一部までが忽然と姿を消してしまう。 神隠しにまで発展したこの事件のあらましは即座に帝都に齎され、調査隊としてハクがその地へ向かうこととなった。一先ず村長や捜索隊に話を聞いてみると、神隠しがあったのはいずれも雨の日で、特に山狩りの日は定期的に報告をしながらの捜索であったにも関わらず、大きな音も立てずに数名が消えたこと。更には、勿論崖下も隈なく探したが、手掛かり一つ無かったと言うのだ。 幾ら視界が悪いとはいえ、大の大人数名が何がしかの事件に巻き込まれたのに、雨音に掻き消される程の物音しかしないというのは有り得るのだろうか？ 事件の鍵を見付けられないまま、更なる情報を掴むべく捜索隊の男達が消えたという場所へ部下を伴い検証に当たる。数名で担当分けして調べを進める中で、何時の間にか雨が降り出していた。日を改めるようと、集合の合図を指示仕掛けたハクだったが、不意に何かに呼ばれた気がして、声のした方へと足を向ける。 もう少しだけ、せめて手掛かりを掴むまでと言い訳しながら、用心のため武装した数十名と共に更に森へと分け入っていく。生い茂る背の高い草木に隠されて一見すると分からなかったが、樹齢数百年といった大木の根で覆われた天然の洞が広がっていた。 取り敢えず何かありそうな洞を見付けたという収穫は出来たからと、深追いせずに撤退を告げた所で、視界に蠢くものがいた。 ―神隠しの元凶たるタタリである。 「早く閃光弾を！他は出口に向かって走れ」 どうもこのまま見逃してはくれないらしい。明らかなハクの失態だった。こちらを標的と定めて這い寄る相手に閃光弾を投げる指示を飛ばすも、運悪く水溜りに落ちて不発に終わる。しかも他の者には目もくれず、明らかにハクだけを狙っている。そうだ、もしかして毒なら少しでも動きを…。そう思い腰の鉄扇を広げた所で、身体が背後から粘液に包まれる。 ハクを助け出そうと弓矢や剣を構える兵士の姿が目に入り、早く逃げろと伝えようとするが、触手が口元までもを覆って息さえ出来ない。 ―あれ、自分はこのまま死ぬのか？…嫌だ。オシュトル！！ （（（（（（　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　）））））） 最後に残った、鉄扇を持つ自身の右手が飲み込まれるのを諦めの境地で眺めていると、言葉に表せない断末魔が身体中に響く。急に触手から解放され、咳き込みながらも何が起こったのかタタリを見上げると、目の前に複数の人の形を成すものが苦しげに蠢いている。そして無数の手がハクを襲おうするも、降り注いだ矢が身体を貫き、仕舞いには白い結晶となって消えた。 不死と恐れられていた化け物を滅ぼしたことに周囲は歓声を上げた。化け物の弱点がハクの持つ毒と知れたのだ。神隠しだけでなく、これで諸々の問題も解決すると口々に安堵を言い合っている。その喜びの声を、助け起こされながらハクは茫然と聞いていた。怪我はないかと外傷を診断され、指摘されて漸く右手の指から血が滴っているのに気付く。恐らく木々を掻き分けた時に出来た傷だった。 言葉少なにいるハクに対し、異常な事態と殺され掛けた恐怖からだろうと周囲は気遣わしさを見せたが、その瞳の奥の怯えに気付く者は誰もいなかった。 麓に戻った調査隊は歓待をもって迎えられたが、ハクは急ぎ聖上へご報告しなければと祝いの席を辞し、その足で帝都の聖廟へ向かった。一体何が起きたのか、気持ちの整理が付かぬままに只管ウマを走らせる。 [newpage] 「―ハク？」 深夜、捜索隊の指揮を取っていた妹が、聖廟での報告もせずに地下経由で戻って来たことから、異常事態だということはすぐに察せられた。無言で縋り付いてくる身体を抱き留めるが、全身を雨に打たれたためか身体は冷え切っており、歯の音が合っていない。落ち着かせるためにどうしたと声を掛けると、絶望と怯えが混ざった目で見上げてくる。 「タタリが…。人間が、自分の血が触れた所から…苦しみ出して……崩れていったんだ」 地下へ地下へと伸びた樹木の根は何時しか遺跡と呼ばれる旧人類の住居へと達し、雨で地盤が歪んだ事で隙間が出来、図らずも彼等を地上へと誘ってしまったのだろう。もしかしたら地下が土砂で埋もれて住処を追われたのかも知れない。 （（（（（（　どうしてお前だけが…　）））））） 断末魔の叫びと共に、彼等の声がはっきりと聞こえた。複数の声が重なり合い、禍々しく自身の身体に響いた声は今もハクを捕えて離さない。まるで呪詛の様に…。 「―こわい。…怖いよ。兄貴、助けて…」 実のところ、神隠し騒動の原因の一つとしてタタリと呼ばれる人類の存在を想定してはいた。自身を絶望に落とし、一方で何時の日か必ず救済をと願って止まない存在。妻と子を救うため、長きに渡り薬物投与や呪法等、思い付くあらん限りの方法を試し尽したが、何の成果も得られるまま、その姿に何ら変化はなく今日まで来てしまった事実は半ば諦めと懺悔を齎していた。しかし、その均衡が今崩れるというのか…。 ------------------------------------------------------------ 成分解析の結果、ハクが持ち帰った白い粒子は塩として沈殿されたDNAであることが分かった。複数の遺伝子情報が混在していたが、それは間違いなくヒトDNAを構成する塩基で、過去にタタリと化した細胞の一部を採取した際、それは少なくともヒトではない遺伝子構造をしていたというのに…。ハクの血を以って細胞の再構築が行われたらしい。 ただし、“タタリ”の時には細胞の生命活動が活発だったにも関わらず、ヒト遺伝子情報としては、数百年前に生命活動を終えたこともまた分かってしまった。そう、認めたくはないが、死者が別のモノとして生命活動を行っていたのだと―。これが禁忌を侵した人間への裁きだとでも言うのか。 「兄貴は…どうしたいんだ」 「………ずっと、ほのかと、ちとせを救いたかった。元の姿へ戻してやって、あの頃の様にまた家族で…」 笑い合う日々を取り戻したかったという続きは言葉にならなかった。泣き顔を見せまいと額に手をやり、嗚咽をかみ殺す兄の姿に堪らなくなって、ハクは背中から腕を回した。せめて少しでも悲しみを分け合える様に。 互いの心に蟠りながらも、これまで意図的にこの話題を避けていたのは、頭を過る可能性の一端を認めたくなかったからだ。タタリとなった時点で既に元の人々はヒトとして死んでおり、仮に元の姿を取り戻してもその時点で再びの死が待っているに過ぎないということを。この分野の権威である兄には、ハク以上に残酷な真実が分かっていた筈だった。ただ、原因が分からない内の仮説には何の意味もない。何度も何度も繰り返し、原因不明という事実に絶望しながら安堵する。 絶望を与える現状も、決して助からないという事実を突き付けられない限りは、一縷の希望に縋ってしまう。しかしその糸はハクによって、断ち切られてしまったのだ。 「助けよう。二人を…いや、出来るなら他の人達もせめて人間として眠らせてやろう」 もしかしたら、長い時を経てコールドスリープから目を覚ましたのはこのためだったのかもしれない。そう、ハクは思う。きっとこれが人類最後の二人として生き残ったことも含めて、触れてはいけないアイスマンの領域を侵した兄妹に科せられた業なのだろう。 「―そうだな。せめて…」 二人はタタリ討伐の秘薬開発の名目で、表の政務を調整し、暫し地下施設での研究に打ち込んだ。専門外のハクは兄の手助けとして研究データをまとめたりサンプルを提供したりと僅かな戦力にしかなれなかったが、それでも兄に寄り添っていたかった。皮肉にも呪われたタタリを倒せと叫ぶ兵士と民の士気は高く、そして不死の化け物を滅する術を持つ聖上への畏怖の念は益々高まってゆく。 培養した採血成分を低温状態で保管したカプセルを矢尻に括り、矢を放つ。タタリに取り込まれると外側のコーティング剤が溶け出し、中の血液が体内に取り込まれるという極単純な仕組みだが、問題は血液成分である。 数か所へ討伐隊を派遣した結果、一定以上に酸化した血液では効果がないこと、若返りのためにハクの細胞を取り込んだ影響か、兄の血液もまた有効であること。そして捧げられる血は体内から直に採血したもので、かつ量が多い程、タタリの断末魔が大人しかったということが判明した。 [newpage] 目撃証言があった粗方のタタリを討伐した頃、兄妹はウルゥルとサラァナの転送の術により、クジュウリの雪山を訪れていた。聖上直々の討伐に当然ながら八柱将は難色を示したが、元より絶対の聖上の命である。ヴライと鎖の巫が伴われることを妥協点に、臣下は出立を見送るしかなかった。 ------------------------------------------------------------ 「―点灯」 ハクの声により、打ち捨てられた施設に明かりが燈る。あの時はボロギギリから逃れるのに必死で見渡す余裕がなかったが、確かに此処は懐かしい研究所だった。何体かのタタリを屠り、目的の居住空間へ差し掛かった所で兵達を押し留める。 「お前達にはこれから先の立ち入りを禁ずる」 「―御意」 兵士達の動揺はあったものの、ヴライの答えが波を静めた。彼は主の言葉に忠実に、微動だにせずその場に佇むだけだ。 予感とでも言うのだろうか。何の確証がある訳でもないが確かに、その部屋で待っていることが分かっていた。まだ機能している生体キーを認証して扉を開ける。 「「認証シマシタ。解錠シマス」」 何百年振りかの家族の再会。そして幕引き。 ―どうしてこんな形でしか許されないのだろう？ 兄が震える手で自身の血液を込めた矢を放つ。どうしても己の手でと譲らなかったのだ。 矢が届た瞬間断末魔の叫びが木霊する。痛い、苦しい。 「ほのか、ちとせ！！」 義姉さんとちーちゃんの顔が浮かび上がり、縋る様に手が伸ばされ、堪え切れなくなった兄は触れた個所から手が爛れていくのも構わず二人を抱き締める。辛かったな。苦しかったなと笑みさえ浮かべて。 ―兄は二人と共に逝くつもりなのだ。 あんまりだ。 数百年を絶望と孤独の中で生きた兄。そして何の罪もないまま、突然タタリと化し同じく数百年苦しんで来た姉と姪。絶対にこのままで終わらせてたまるか。 「やめろっ」 「ハク！何故お前まで…早く離れろ」 「嫌だ、自分の血でも何でも持っていって構わないから」 クオンから貰った勾玉を握り締めて祈る。この世界の神様、どうか家族を助けて。 ------------------------------------------------------------ 気が付くとハク達は光の中に居た。その中心では勾玉が光を放ち、優しい光がハク達の傷を癒していく。 人の姿を取り戻したほのかさんとちーちゃんが微笑み、兄に抱き付いて何事かを囁いているが、ハクには聞こえない。勾玉の光が消え掛けるのと同時に、二人の姿も粒子になって消えようとしている。 待って。せめてちゃんと二人に謝いたい。苦しめてごめん。自分があんなデータを取って来た所為で…。 消え逝く間際に振り向いたちーちゃんが笑った。幸せになってねと言ってくれた気がした。 そして光の絶えた元の空間で、二人きり。 「あにき…」 「帰ろう。きっと皆が待っている」 「―うん」 これでもう、思い残すことはない。 ともすれば音にもならない独白をハクは聞かなかった振りをして遣り過ごす。これで本当に良かったのか。もっと違う道があったのではないか。妹の不安を察して、紛らわす様に兄が手を差し伸べてくる。二人は手を繋ぎながら地上へと続く道を進み、決して振り返らなかった。 その後、遺跡は帝の命により仮面の力を解放したヴライの手によって雪山諸共跡形もなく消滅した。今は剥き出しの大地に穴が開いているだけだが、冬になれば白い雪が覆い尽くし、春には鳥が種を運んでとこの地は何事も無かったかのように季節を巡らせて行くのだろう。旧人類の足跡などまるでなかったかのように。 「ヴライよ。大儀であった」 帝の顔をした兄が部下を労う。兄はどうしてこんなに強くいられるのだろうか。兄貴の方こそ辛い筈なのに、慰める様に頭に軽く手を置かれると、折角抑え込んでいた涙が零れてしまいそうになる。 ------------------------------------------------------------ 聖廟へと戻ったその日、兄は体調を崩して数日間床に付いた。専属の薬師が病状を看ても一向に原因が分からぬまま、ホノカとハクが交代で看病に当たり、漸く床を出られるようになってからもめっきり身体が弱り、伏せることが多くなる。 病に伏せる兄を思ってか、塞ぎ込むことの増えたハクをオシュトルは殊更気遣い、一層優しく接した。それでなくともここ数カ月のタタリ討伐で昼夜の別なく働き通しで、彼女の方こそ倒れてしまいそうな程に顔色が悪い。俺に出来る事はあるかと問うオシュトルにハクはぽつりと溢す。 ―子供が、欲しいんだ。 お前に辛い思いをさせておいて虫の好い話だと思う。でも、どうしてもお前との子が欲しいんだ。そう言って涙を湛えた眼で見上げてくる愛しい妻を誰が拒むことが出来るというのだろう。勿論、オシュトルとて子を望む気持ちはあった。けれど、それ以上に負担を掛けてしまうハクの身体のことが心配だった。唯一の血縁者である義兄上が病床の身となり、不安に駆られているのだろう。オシュトルは出来る限り痛みを伴わぬ様に配慮することを決め、その日彼等は数年振りに身体を繋げた。 ------------------------------------------------------------ 数ヵ月後、ハクの腹部は膨らみを見せ始め、懐妊が発覚した。オシュトルは元より、目出度い知らせに帝都中が湧き立ち、喜びに包まれている。オシュトルの屋敷には連日祝いの贈り物が届けられ、屋敷は華やぎ、皆が新たな命の誕生を心待ちにしているのを象徴していた。意外なことにハクは悪阻や体調不良もなく。折に触れ愛おしむ様に腹を撫でる様子は見る者を和ませ、穏やかな日々が続いた。兄である帝の元にも足繁く通っては成長の様子を報告している様で、伏せがちとなった御方にとっては何よりの薬となっているだろう。 「なあ、オシュトル。いま幸せか」 「何を言うかと思えば…。当たり前だろう。お前がいて、この子がいて、これ以上の幸せがあるものか」 その夜、ぽつりと呟かれた言葉に、オシュトルは努めて明るい声で答えた。恐らく初めてのお産を前に不安が大きいのだろう。 男でも女でも、生まれてきたら沢山愛情を注いで可愛がってやろうな。ネコネなんか張り切り過ぎて育児書を買い漁っていたから、大抵の事には対処してくれる筈だぞ。 お産は何時の世も命懸けの行為で、こんな時どれだけ力を持とうと男に出来ること等多寡が知れている。精々励まして気持ちを寄り添わせる位だ。遣る瀬ない気持ちを抑えて明るく振る舞う夫の姿はそれでも妻には十分だったらしく、有難う。その言葉だけで頑張れると心底安堵した様に微笑んでくれる。オシュトルは思い切り抱き締めたくなる衝動を何とか堪え、代わりに手を固く握り締めた。愛しい人と生まれてくる子を、何があろうと守り抜けるだけの男になろうと決意を新たにした瞬間だった。今はまだ全てを語るには及ばなくとも、いつかきっと。 恐れ多くも生まれてくる子は大宮司ホノカ様が直々に取り上げてくださるとのことで、翌日ハクは聖廟へと住まいを移した。 [newpage] こぽりこぽり。 羊水に限りなく近い培養液の中をたゆたいながら、ハクは兄の説明を意識の片隅で聞いていた。大丈夫だ。何も恐れず今はただゆっくり休め。兄の優しい声を子守唄にハクは目を閉じる。オシュトルやネコネ、周囲の優しさを裏切っていることへの罪悪感から逃れる様に夢の世界へ。 クジュウリから帰還して間も無く、兄の容体が落ち着いたのを見計らい、ハクは子供が欲しいと告げた。種族の違うハクとオシュトルでは自然のままに子は出来ない。喩え人為的に授精を試みても、ハクの退化した子宮では十月十日子供を育むことも叶わない。人工子宮を移植しても受精卵を異物として排除してしまう。では身体が異物と認識しなければ？ ハクは自身のクローンをオシュトルとの子と偽り産み育てることを望んだ。 勿論兄も始めは頑なに反対した。よくオシュトルと話し合え、お前のエゴを子に押し付けるなとも。幾度となく諭しても、妹の決意は固く崩れない。それに兄もまた、自分同様に生き残った旧人類として永い時を生きなければならない妹の孤独を予想し、最終的には折れて共犯者となる道を選んだ。かつての自分がそうした様に、寂しがり屋の妹が家族としてオシュトルとの縁を作り、それに縋ろうとするのを止められる筈もない。況してや自身はもう間もなく死を迎えるのだから。 次第に大きくなる赤ん坊の泣き声に意識を引き戻され、ハクは目を覚ました。 寝台に寝かされ、傍らには赤子を抱いた兄が椅子に腰掛けている。当然ながら赤子にオシュトル達の様な耳と尾はない。 「忘れるなよ。この子はお前でない。お前の子だ」 「―分かってる」 生まれたばかりの赤ん坊は壊れてしまいそうな程に柔らかくて小さくて、それでも尊い命の重さを確りと伝えてくる。遠い昔に抱かせてもらったちーちゃんの姿と重なり、急に込み上げて来た罪悪感にハクは嗚咽を漏らすしかなかった。ごめん。ごめんなさい。絶対に幸せにするから。だからこんな自分をどうか許して。 ------------------------------------------------------------ その子は母の名を継ぎ、且つ瞳の色にも因んでコハクと名付けられた。長じてからも身体が弱く、季節の変わり目には必ず熱を出し、同世代の頑丈さに比べて手の掛かる子ではあったが、だからこそ周囲は余計に可愛がり、正しく真綿で包み込むように大切に育てられている。 特にクオンは一体どうやったのか、ハクが聖廟から戻り、コハクの誕生を手紙で知らせた次の日にはオシュトル邸にやって来た。恐らくカルラが一枚噛んでいるのだろうが、自国の情報がこうまで他国に駄々漏れとは如何なものか。 「ハクそっくりかな」 クオンはコハクの一挙手一投足に目を輝かせる実の親以上の親莫迦振りを発揮し、白楼閣に宿を取りながら、オシュトル邸に通い詰めるという生活を続けた。 ------------------------------------------------------------ 「お、お帰りー」 「おかえりかな」 「おかえり…」 「お邪魔してまーす！」 「………………ああ、今帰った。ええと、其方の方々は？」 帰って来る度に我が家に他国の重鎮が増えている。 クオンを引き取りに来た筈のアルルゥとカミュの姉二人は当然の如く幼子に夢中になり、結局侍大将とその腹心がやって来るまで彼女達のオシュトル邸通いは続いた。帝を差し置いて他国と交流を深めてしまったことに生真面目な右近衛大将は大層困惑していたが、一応兄貴にも挨拶しとくか？ついでに友好条約とかも結んどく？という緊張感のない妻の提案と帝との直接通話により事は早急に進められ、恙無く国交は樹立した。ついでって何だ！ なお、アルルゥ達の後にウルトリィも責任を持って連れ戻しに行くと名乗りを上げたのだが、彼女の意見は全会一致で却下された。フミルィルの件があったので当然の結果である。 [newpage] そしてトゥスクル勢以上にオシュトルを悩ませたのが左近衛大将邸の面々である。当初、初めての我が子に大いに感動したオシュトルはこれまで以上に仕事に精を出し、娘が長じた時にこのヤマトがより良くなるよう非常に頑張った。家に帰って娘の成長を聞き、寝顔を眺めてああ、また明日も頑張ろうという日々の繰り返しに、とうとう妻はジト目で仕事人間の夫に物申した。仕事を頑張るのは良いけど、せめてコハクが起きている時間帯には帰って来るようにしろよ。じゃないとお前が泣きをみるぞと。 この頃になるとハクは八柱将として職場復帰していたのだが、彼女は兵部省において徹底した効率化を図り、己のみならず部下達にも残業はさせなかった。もっとも事件が起きると駆り出される近衛府とは事情が違うことは同じく宮中で働くハクとて重々承知していたが、それにしても度が過ぎている。何度言っても改まらない夫の仕事中毒っぷりに、先達たる先代左近衛大将夫人に縋ることになるのだが、これが更なる悲劇を生んだ。 ------------------------------------------------------------ その日、珍しくいつもより早い時間にオシュトルが屋敷へ戻ると、出迎えてくれる筈の妻子は家に居なかった。家人に聞くと、どうやら左近衛大将邸に居るらしく、かつこの様な外出は珍しいことではないと言う。久々に帰ったらこの仕打ち。オシュトルは少しむっとした。 苛立ちを隠せぬ儘左近衛大将邸を訪うと、何やら賑やかな笑い声がするものだから猶の事癪に障る。 「あれ、お前どうしたの？」 どうしたもこうしたも。案内された先にはお茶菓子を摘まみながら会話をしていたのか、勝手知ったる風に寛ぐ妻と先代左近衛大将夫妻。恐らく夫人に子育ての相談事でもしていたのだろうと当たりは付くから、そこまでは許せる。しかし、我が子の隣で緩み切った顔で添い寝をする同僚と、服の裾を掴まれて身動きが取れぬのを諦めたのか書物を読み耽る聖賢の姿に針が振り切れた。何故に他人の屋敷で微笑ましい家族の団欒を見せ付けられねばならぬのか。 「―帰るぞ」 「あっ、莫迦」 「わあああああああああああああんん」 病弱な筈がこんな声も出せたのかと驚く程の声量が響き渡る。無理矢理起こされた機嫌の悪さだけでなく、どう見ても怯えた表情をされていることにオシュトルは絶望した。認めたくはないが、顔を忘れられているということなのか…。この時、仮面を脱ぐという発想がオシュトルにはなかった。勿論誰もその事を指摘してやらない。 「何をやってるんだ、貸せ」 茫然とする実の父親を差し置いてミカヅチが我が子を抱き上げると、声量は大分マシになったが、怯えが止まないのかこちらを決して見ようとせずミカヅチに必死で縋り付きながら、しゃくり上げるような声が続く。やれやれと母親が重い腰を上げ、我が子を受け取る。と、そのまま隣に託す。 「ほら抱いてやれよ、おにいさま」 「何故俺が…」 口ではそういうものの、中々堂に入った抱き方をする上司の姿にオシュトルは目を疑った。しかも娘はライコウの腕に収まった途端ぴたりと泣き止み、先程の癇癪が嘘の様ににこにことご機嫌この上ない。何でも初めて左近衛大将邸を訪れた際、偶然鉢会ったライコウに異常な程懐いた娘は、この家に来ると高確率で出逢えると学習したらしく、想い人の姿が見えないと体力がない癖に覚えたての這い這いで探し周り、何処にも居ないと分かるとそれは悲壮な声で泣き始めるのだそうだ。早速夫人が手を回し、ライコウの都合の付く日に合わせて毎月の訪問日が決められるようになったという。 妻だけでなく、娘までもが違和感なく他人の家に溶け込んでいる光景は、オシュトルを疎外感で打ちのめすのに十分過ぎた。しかも、我が家以上に充実した子守道具の多くはミカヅチがせっせと買い与えていると来たもんだ。最近飴屋の姿を見ないと思ったら、この野郎。何が「大事な仕事」で忙しいだ。 （おのれミカヅチ、謀ったな） （悪いがこの件に関しては引かんぞ、オシュトル） 視線だけで会話しながら程度の低い次元でいがみ合う天下の近衛大将達。傍からみれば莫迦莫迦しいことこの上ないのだが、譲れない大事なもののために本人達は大真面目である。 成り行きで賑やかな夕餉を囲み、（お前は帰っていいがハクとコハクは）泊って行け合唱を何とか振り切って親子が右近衛大将邸への帰路へ付いたのは、夜も大分更けた頃だった。 「だから言ったろ？」 「……そう言うお前も、あまり仕事以外で家を空けて余所へ行くな」 意地悪そうな顔と声で告げる妻がこの時ばかりは憎らしく、どうせ口では勝てないだろうと苦し紛れで反撃をしたのだが、思いがけずハクの歩みがぴたりと止まる。何事かと思い振り向くと。 「………だって、家に帰ってもお前居ないし」 「俺が悪かった。出来る限り早く帰るようにするから、な」 前言撤回。怒ってるんだからな！と表現しようとしつつ喜びを隠しきれない表情で、絶対だぞと念押しする様は堪らなく可愛い。 宣言通り、オシュトルはこの日を境に程々にして切り上げるという仕事術を実践するようになった。しかも緊急でない場合を除いては翌日処理した方が効率も良く、かつ部下にも仕事を任せるようになった為、やっと大将に認められたんだ、頑張って期待に応えるぞとオシュトルに憧れを抱く部下達はこぞって張り切り、右近衛府は著しく成果を上げたという。一方早まったオシュトルの帰宅時間と反比例するように少なくなる滞在時間に不満を鳴らす左近衛大将邸の面々は、夫人の指揮の下ライコウを餌にコハクの訪れを仕向けたり、同じく滞在時間の減った聖廟では帝と天子と大宮司が大人気なく権力を使って策略を廻らせたりと、まあ色々なことが起きるのだが、そんな事はまだ遠く、平和な、月の綺麗な夜だった。 「あー幸せだ」 「…どうした。急に」 背負った娘の重みを愛しく感じながら、オシュトルはしみじみと呟いた。 [newpage] 聖廟の一室にて、天子アンジュは幾通りもの筋道を考えた末に駒を動かすが、対する相手はひらりとかわして即座に急所を攻めてくる。 「もし帝たる条件があるならば、きっと姫殿下に求められるのは求心力でしょうね」 あくまで私個人の見解ですがと、教師役のウォシスはそう言って盤上にあるアンジュの王を攫う。この男に師事して七年近く。近頃の師は、知識を与えるより王としての心構えを問う事が多くなった。恐らく病床にある父の寿命と関係しているのだろう。 父の庇護下で甘えて居ただけの過去の自分より少しは成長したと自負しているが、未だに男の言葉には理解が追い付かないことが多い。ずっと若いままの容姿を保っているが、見た目以上の歳月を過ごし、幾度となく死地を潜り抜けてきたであろう時折覗く老獪さがアンジュは正直苦手だった。 「聖上が身罷られた後、ヤマトでは必ずや大きな反乱が起きるでしょう。反乱を鎮圧して民の心を一つにまとめられるか、それともその機に乗じて更なる混乱を呼び込んでしまうか」 全てはアンジュの器に掛かっているのだ。勿論、この年で偉大なる先帝に比肩出来よう等と自惚れてはいない。しかし、まもなく乱世を迎えるヤマトにあって、己が目指す国の在り方を指し示し、民を導く力量を誇示せねば民と国は守れない。無能な王は国を割り、民を戦禍に巻き込んだ挙句に討取られるのを待つ事しか出来ないのだと、盤上の駒を使って幾度となく思い知らされて来た。 君主として己が何を為すべきか。まずはこの手強い相手を説き伏せねばならない。 「お父上様はそのご意向でヤマトを支配し、絶対的な庇護下にあって民はその平和な暮らしを享受するだけで良かった。幼かった頃の余の様にな。しかし、永遠なもの等この世には存在しない。余は将達の意見だけでなく、民の声を吸い上げて国作りとしたい。行く行くは民にもまたこの国の在り方を問うていきたいのだ。それが本当の意味でこの国と民の繁栄に繋がると思うておる」 「民と苦楽を共に…。何処ぞの右近衛大将の信条の様ですね。忠臣の言葉に流されているだけではありませんか？」 アンジュはウォシスを見据えて言ったが、返って来る目は冷ややかだ。この目に射竦められて何度言葉を濁しただろう。 「結果だけ見ればそうなるの。だが、民と共に歩む政道も間違いではあるまい。―ただ、悔しい事に未熟な余ではまだ効果的な施策が思い浮かばぬがな」 アンジュが示したのは、支配でなく民に寄り添う国の在り方だ。最終的に国政への参加までを求めるならば、民に相当な教育水準が求められるが、まずは、国として民の声を聞き届ける仕組みを作りたいと言ったところか。 「ふふっ。何もアンジュ様が全てをお考えになる必要はございません。この盤上とは違って、貴女には手足となって働く生きた将が存在するのですから」 将をどう配置して動かすかではない。王が目指す国作りのために、どう彼等自身に動いてもらうかが重要なのだ。ヒトは駒ではないのだから。 「そうじゃな。この国にはライコウにハク、それに其方という三人の賢人がおる。これからもヤマトの為、余に力を貸してくれるか」 「―御心のままに」 聖上、アンジュ様は貴方様とは違う道を行くと仰いました。全く、隠居したこの老体に密かに姫殿下の教師役を請われる等、一体何の嫌がらせかと思いましたが…。同じく貴方様の手で産み落とされた存在が、自らの意志で考え、次代の担い手として成長していく姿を見届ける事が出来たのだ。冥途の土産としては悪くない。 ------------------------------------------------------------ アンジュが十六となるその日、帝都では生誕祭でなく戴冠の儀式が執り行われた。位を退かれた帝は後見として、まだ年若い新帝を支えられるとのことだったが、即位にあたって新しい国作りの在り方を民に示す様は君主の威厳を兼ね備えた堂々たるものであり、民は新しい君主による益々の繁栄を予感して万歳を唱えるのだった。 新帝が取り掛かったのは、人民の戸籍管理と国境の出入りの管理強化であった。表向きの理由は適性な租税の把握と教育の充実化のための施設数の見積もりだったが、実際の目的は他国民の入出と所在の把握である。間者を炙り出そうとするライコウの進言であった。 同時に帝都の区画を区切った小規模な自治組織が作られ、人々はいずれかの組織に属して戸籍に登録されることになる。始めの内は些細な揉め事や厄介事まで国の介在を必要としたが、教育の充実化と共に自治の手法を学んだ彼等は、自分達の裁量で己の組織を改善していった。最終的には、彼等の手で余る問題だけが持ち回りの代表者による定例の報告会に議題として上げられ、国の指導の下、管理、改善されてゆくことになる。尤もここまで制度が浸透するのはアンジュの次の世代の後半になってからなのだが、芽吹く為の種蒔きはここで為されたのだ。このため、後年アンジュは教育改革に注力した賢帝として、ヤマトの歴史に名を残すことになる。 [newpage] 大国ヤマトを建国した偉大なる帝は今、臨終の時を迎えていた。病に蝕まれた身体は痩せ衰え、ここ数日は危篤状態となり、一日の内で意識のない時間が長く続いていた。数か月前に無事アンジュへ譲位し、憂いがなくなったことも影響しているのだろう。 「ハク、其処にいるのか…」 「ああ。いるよ」 めっきり老け込んでしまった兄の手を取るが、かつての様に力強く握り返されることはない。最早目が見えていないのか、視線は宙を向いたままだ。 「随分と、長く生きてしまった。…タタリのことも、アンジュの成長も見届けた今、お前を残して逝くことだけが、気懸りでならない。―オシュトル、…妹を頼んだぞ」 「はっ。必ずや」 心の準備は出来ていた筈なのに…。ハクは嗚咽を堪えて兄の手を両手で包み、ただただ頷いた。オシュトルはハクの肩を抱きながら、重ねる様にその手に触れて誓う。 「アンジュ。お前はまだ若く、未熟だ。忠臣達の声を良く聞き、精進を忘れるな」 「…はい。承知しております」 覚悟は出来ていたのだろう。内心はどうあれ、アンジュは少しも取り乱さす、落ち着いて父の遺言を心に刻む。娘の受け答えに父は口の端を少し上げた。 「ライコウ、………後のことは頼んだぞ」 「…はっ」 ライコウは虚を付かれた様な顔をした後、短く頷いた。二人にしか分からぬ、何らかの駆け引きがあったのだろう。 「………今まで済まなかった。ホノカ……ありがとう」 最後に空中に伸ばされた手は、端に寄っていたホノカが掴む間もなく崩れ落ち、二度と動くことはなかった。 ------------------------------------------------------------ 物思いに沈んでいたホノカはしかし、人の気配を感じて廊下に出ると、今まさに扉に手を掛けようとするハクと出くわした。こんなに近くにいらっしゃるまで気付かないとは。彼女は自身が思うよりずっと心乱されていたらしい。 「ハク様、…こんな夜更けにどうしてこの様な所へ」 「貴女の様子が気になって…」 少しお邪魔しても良いですかという問いを断れず筈もなく、ホノカは予期せぬ夜の訪問者を自室へ招き入れた。琥珀色の瞳に宿る感情の波は静かに凪いでおり、意図が読み取れない。思えばハクとホノカが二人きりになる機会は滅多にないことだった。 「………聖上は、何故最期にあのような事を仰ったのでしょうか」 妹であるこの方なら、何か答えをくれるのだろうか。普段なら決してしない問いだった。 「そうですね。―早いもので、コハクは来月四つになります。…こんないい加減な自分が親になるなんて昔なら考えられなかったけど、周りに助けられて何とか育っています。兄貴にも、アンジュにも、そして貴女にも可愛がってもらって、まるで本当の家族の…」 「やめて！」 一体何を言い出すのか。意図して出されたのであろう、家族という言葉が彼女の心を千々に乱す。これは何もかも見透かした上での復讐なのかとホノカは思った。 「私は…ずっと代わりの存在でしかなかった。ただ、恐れ多くもお傍に侍り、あの御方の孤独に寄り添えたらと…。それだけを願って生きてきたのにっ」 共に過ごした時間は誰より長く、愛された奥方瓜二つの器を持っているというのに。どうして貴方様は絶望の眼差ししか向けてくださらないのですか。血の繋がったハク様の前では幸せなお顔をなさるのに。それなら一体どうして。 「偽物を造ったりなどされたのですか」 なんと、身勝手な…。 崩れ落ちたホノカの慟哭はハクへの断罪だった。ハクは確かに娘としてコハクを愛している。だがそれは、オシュトルが父として愛情を注ぎ、周囲もコハクをハクの娘として、大切な存在と認めたからこそ。出生の秘密を隠した罪悪感に苛まれながら、ハク自身も幸福を享受出来ているのだ。ハク一人であったならきっと、自分が生み出した罪の重さに耐えきれなかっただろう。 「コハクを囲んだ兄貴とアンジュと貴女は…。笑い合い、幸せそうで、自分の目には本当の家族の様に見えました」 まるで兄貴が取り戻したがっていた昔の光景が蘇ったかの様に。 ―それでも、貴女にとっては辛いだけの記憶でしたか？ 「………いいえ」 「…幸せでした。幸せと、思ってしまったのです。でも……だからこそ、堪え切れなかった！！」 それが彼女の答えだった。 終わりのない孤独と絶望の中で、精神的に不安定となった兄が詰りながら彼女に出生の秘密を告げたであろうことは想像に難くない。愛しい妻の姿で微笑まれる度に、今尚苦しむ妻子を救えない己の無力さと禁忌を犯した業の深さに兄が打ちひしがれていただろうことも。彼女は兄の身勝手さの犠牲者であり、兄こそが加害者なのだから、彼女の苦しみも憎しみも、当然の結果だった。―憎しみだけなら良かったのだ。 彼女にとって二度目の悲劇は、数年前に始まった。満足な形ではなかったが、悲願を遂げた兄はこれまでの振る舞いを悔いる様にホノカとアンジュを労わるようになった。それは純粋な親愛感からの行動だったが、当の本人にとっては甘い毒だった。 長年虐げられた精神は、期待するなと差し伸べられた愛情を信じ切れない。あれ程望んだ幸せが彼女を苦しめても、それでも縋らずにはいられない。束の間の幸福に浸っても、いつか訪れる終わりに怯える日々。 何故なら、彼女自身は何も変わっていないのだから。 いつまた地獄に落とされないと言えるのか？ 憎悪と愛情と。相反する感情に揺さ振られ続けた彼女の精神は限界だったのだろう。誰も彼女を責められない。 ハクは対面の席にのみ置かれた手付かずの湯呑に手を伸ばし、虚ろだったホノカが次第に血相を変えて止める間もなく一気に飲み干す。 「何ということを…。今すぐに、早く吐き出してっ」 彼女の手は間に合わず、空になった湯呑が弾かれ無残に砕け散る。泣きそうな顔で懇願する彼女の、こんなにも必死な姿を見るのは初めてだった。 「大丈夫。こんな毒じゃ、自分も兄貴も死ねない」 安心させるよう努めて穏やかに言うと彼女は目を見開いた。そしてなぜ、と震える唇だけで呟く。 「兄貴は…本当はずっと死にたかったんだ」 異物を排除しようと身体の中の抗体が盛んに活動を始め、体温が上昇するのが分かる。この一杯で致死量となる液体を解毒するには流石に時間が掛かり、多少体調を崩すことはあるだろうが、恐らく兄に渡されていた茶には気付かれるように、もっと弱い毒が仕込まれていただろう。その程度であれば免疫強化が施された自分達の体内で速やかに分解され、どうということもない筈だった。 そして恐らく、兄は彼女の手で毒が混入されていることも知っていた。その上で飲み続けたのだ。だから。 「…だから、貴女がこれ以上苦しむ必要はないんです」 言い訳をするならば、ハクがこの状況を気付いたのは数カ月前のことだった。容体が急変した兄の様子に不審を抱き、密かに調べたところ、人為的にとしか説明が付かぬ程細胞の老化が進み、生物としての寿命を迎えようとしているのが判明した。そんな真似が出来るのは唯一人。 ―兄は自ら死を望んでいる。その事実はハクを打ちのめした。 毒物を検知したのは調査の副産物だった。しかし兄には気付いている節があり、また享受している風でもある。もしやと思っていた矢先、兄が伸ばした手に怯えるホノカを見て確信した。彼女もまた、自分自身で嫌という程に見慣れた、罪に苦しむ目をしていたのだから。 のろりと立ち上がり、覚束無い足取りで部屋を後にしようとする彼女を、引き留める様に声を掛ける。 「出来るなら、貴女を母の様に慕うアンジュをこれからも支えてやって欲しい。けど、何より貴女には幸せになって欲しい」 ―ずっと兄貴を支えてくれてありがとう。もう一人の義姉さん。 恐らく呼び掛けは届いていただろう。けれど彼女が振り返ることはなかった。 ------------------------------------------------------------ 哀しみに暮れる双子達を抱き締めながら、ハクは二人に告げた。 今後は自分でなく、アンジュの傍を離れずにずっと守ってやって欲しいと。 [newpage] マルルハ急襲の報せを受け、ヤマトは即座に援軍を送ることを決めた。 少数民族による小競り合いの一環であったが、新帝への代替わり以降もヤマトの戦力を近隣諸国へ知らしめる為、ライコウとヴライが赴いて最大戦力で鎮圧し、早期に反乱の目を挫く意図があった。しかし。 「デコポンポが勝手に挙兵しただと…」 「少しはマシになったかと思えば、矢張り豚は豚だったということか」 「―作戦を変更する。ハク、ヴライと共にマルルハへ向かい、お前がこの戦の指揮を取れ」 急遽再編された討伐隊で、指揮官を任されたのは未だ戦を知らぬ八柱将である。彼女にとっては初陣であるが、同時に八柱将として有事での真価を問われる機会ともなった。 「慎んで拝命します」 「とうとう仕掛けて来たか…」 他の八柱将達が退席し、二人きりとなった部屋でハクは呟く。 マルルハは囮。恐らくヤマトの戦力を分断するため、各地で同様の反乱が相次いで起こるだろう。 「この期に及んで交渉等と生温いことは考えるなよ。速やかに殲滅して来い」 「分かっている。―アンジュと、ヤマトを頼んだぞ」 少しでも弱さを見せたらすかさず付け入れられる。ライコウの言い分は一分の隙もなく正しい。自国を守るため、敵に情けを掛ける甘さは命取りであることはハクとて十二分に理解している。ただ、感情が追い付いて来ないのだ。覚悟の無さを見透かされぬよう、ハクは足早にその場を後にした。 ------------------------------------------------------------ 出立を前にと、そっと娘の部屋を覗く。発熱の為か呼気は荒く、しかし表情は青白い。 元々病弱であったが、数か月前から伏せがちとなり、起き上がれない日が多くなった。成長期に差し掛かった故の一時的なものと思っていたが、如何にも様子がおかしい。将来もしもの為にと兄が残してくれた薬を処方してみるも、返って体調が悪化してしまいぐったりとした娘の姿に生きた心地がしなかった。一体娘の身に何が起きているのか、血液を採取し分析してみると、ハクをベースにした筈なのに塩基配列のパターンが違う。しかも日々日々そのパターンが変わって行ってしまうのだ。 嘗て己に投与された薬の成分を兄に訊ねたことがある。タタリ化された人類を救済する研究の中で、何故自分達はタタリにならないのかが不思議だったからだ。免疫力を強化する何らかの成分と思っていたのだが、返って来たのはアイスマンのゲノム構造を模したものだというから酷く驚いた。兄自身、汚染環境に堪え得るだけの免疫力の強化を狙っての試みだったようだが、アイスマンのゲノムの真価はその恐ろしいまでの環境への適応力にあった。免疫に限らず、自身の身体を恐るべき速度で変えていくそれは最早進化と呼ぶ方が相応しい。 成長期を終え、一人の人間として完成された後にゲノムを投与されたハクと違い、コハクは誕生の時からそのゲノムを持ち合わせていた。そのため、遺伝子情報に基づいて成長しようとする旧人類の因子と、環境に適用するため亜人の姿へ変化しようとする因子が成長期になって大きく鬩ぎ合い、本人を苦しめているのだろう。 こんな時に兄が居てくれたら…。 何か手立てはないかと、ハクは兄の遺した研究所を片端から読み漁った。しかし、兄が自分とは及びもつかぬ天才であることを再認識させられただけで、己の無力さを噛み締めることしか出来ない。また身体に合わない薬を投与して取り返しの付かないことになってしまったらと考えると、恐ろしくて迂闊に手を出せずにいる。 クオンに助けを求めるとすぐに薬を処方してくれた。それを飲ませると不思議と容体が安定するのだ。後はもう、コハクの回復力に賭けるしかない。 本が好きな子で、昔は寝物語にとよく読み聞かせをせがまれたものだったな。病床の気の紛らわしにと、枕元に積み上げられた本を見遣ってそんなことを思い出す。寂しい思いをさせてしまっている精神的な負荷も大きいのかも知れない。折悪く、他国の動きがきな臭いというのもある。帝都を中心に起こるであろう反乱を鎮圧することが出来たなら、その先はずっと傍に付いていてやれるのに。 「ごめんな。…お前をこんなに苦しませて」 娘の身体を治してやることが出来ない己の無知と、莫迦な望みを抱いた過去の自分を何度呪ったことだろう。温くなった手拭いを絞り、額に掛けてやると目を覚ましてしまったのか、コハクがぼんやりと目を開けた。 「ごめんなさい、お母様。…出立前のお忙しい時に、ご迷惑ばかりお掛けして」 「何言ってるんだ。苦しいだろうに起こして悪かったな。お前の顔が見れたから安心だ。少しの間留守にするけど、何も心配することはない。ゆっくり休んで早く良くなれよ」 ―私、本当に元気になれるのでしょうか？ 見上げてくる自分と同じ琥珀色の瞳に何もかも見透かされている様で。 ハクは咄嗟に答える事が出来なかった。 「……ごめんなさい。熱で気弱になってるんです。クオンお母様も、苦いけれど良く効く薬をあんなに送って下さるんですもの。お薬を呑んで安静にしてれば、きっと…良くなりますよね…。行ってらっしゃい、お母様。…どうか、お気をつけて」 「ああ、すぐに帰ってくるからな。…良い夢を」 額に唇を寄せた時、震えを気付かれなかっただろうか。 力尽きた様に眠りに付く前に、涙が零れてしまわなかっただろうか。 ハクの中でまた呪いの声が木霊し、昏い思念を振り払うように駆け出す。 オシュトルと家族になりたかった。新しい家族が欲しかった。ずっと独りで生きていたくなかった。 ただ幸せになりたかったという自分のエゴが、あの子をこんなにも苦しめている。 「オシュトル、オシュトルッ！」 「ハク…、どうし」 オシュトルの私室に入るや否や、ハクは堪らず夫に抱き付き、彼の人は妻を無言で抱き締め返す。ごめんなさいと、幾度も幾度も謝罪を繰り返し、己の胸に縋って泣く妻の姿は初めてではない。娘が寝込む様になってから、妻は殊更自分を責め、涙を見せまいと隠れて静かに泣くことが増えたのも知っている。オシュトルは覚悟を決めた。 「なあ。この戦が終わって落ち着いたら、三人でエンナカムイへ行かないか」 生まれ故郷は帝都のような便利さはないが、自然が溢れ穏やかな気候だ。きっと娘にとって良い療養となるだろう。文では元気にやってる様だが、キウルに嫁いだネコネの様子も気になるしな。ハクは頬を涙で濡らしたままの顔を上げて困惑した様に呟く。だって、と。お前の目指す志はどうするんだ？ 「…俺は随分自惚れていたんだと、此処最近ようやく気付いたんだ。―民と苦楽を共に。そうあるように、そうならなければならないと、昔はそれこそお前達隠密衆を召し抱えてウコンをやったりと自分なりに頑張っていたつもりだ。だが今はどうだ？俺一人が何をせずとも、アンジュ陛下が民と共に国を動かし、民もまた己で考え、国を変えて行こうとしている。…俺の役目は終わったんだ。それに、後進達も随分逞しくなった。誰に右近衛大将を任せても何の憂いもないくらいにな」 嘘偽りのない、眩いまでの煌めきを湛える、強い意志の宿った目だった。 嘗て己の志を語ってくれた時より尚、力強さに満ちた言葉が響く。 「なあ、お前がどんな秘密を抱えていようが、お前を大切に思う気持ちは変わらないし、コハクは大事で愛しい俺達の娘だ。昔はこの国と民のために死ぬことが本望と思っていたんだがな…。今は…今は、大切なお前達を守るために生きていたいと思うようになった」 ―こんなにもお前が大切で愛しい。 ずっと悩んでいるお前の苦しみを一緒に背負ってやりたい。 そう言って仮面を外すと、いとおしむ様に頬を包み込み、額を寄せられた。そうして、俺も、大分頼れる男になったと思うんだが、まだ足りないかと緊張を解す様に笑ってさえみせる。 「ばか…。お前以上の男なんて、いる訳ないだろう。…お前だけだ」 自分は何て愚かだったのだろう。信じて、全部話せば良かったんだ。 「…帰って来たら全部話すよ。エンナカムイを色々案内してくれよな。三人で色々な所を回ろう」 「ああ、任せておけ。…気を付けて、必ず無事で帰って来いよ」 「うん。お前も、コハクも気を付けて」 大丈夫だ、きっと上手くいく。ハクはそう信じて、その晩帝都を後にした。 [newpage] 翌朝、イズルハ及びエンナカムイ国境付近、そしてナユクにおいて一斉蜂起が始まった。先帝崩御から十年、そして実に十六年振りの戦に乗じようとする他国の明け透けな敵意に、協調路線への方向転換はやはり失策だったなとライコウは断じた。 所詮戦とは己が利を得る為の争いでしかない。強大な力を有する内は阿っていても、衰えたと見るや一斉に襲い掛かって来るのだから。 「だが、随分見縊られたものだな」 この俺が、ただ手を拱いているだけとでも思ったか。 他国の間者には倍の金を握らせ、逐一状況を報告すると共に、相手方には偽の情報を流すよう仕向けてあるのだ。前以て蜂起の情報を掴んでいたため、各国へは既に十分な兵力と迎撃する態勢が整っている。今回の作戦変更で、間者達の位置付けや情報の流れも把握した。後々の憂いを無くすためにも、鼠の炙り出しは一斉にせねば意味がない。無論金で靡かぬ者もいたのだが、得てしてそういった人間程、重要な情報を握っているものだ。 「まだ口を割らぬとは…。傷め付け方が足らぬようだな」 更なる責め苦を前に、地下の牢獄に繋がれた囚人は黙したまま。 ------------------------------------------------------------ 「…皆の者には苦労を掛けるにゃも」 命令違反を犯した一行がマルルハの地に先んじて辿り着いた頃、国境を見下ろす小高い丘で、八柱将のデコポンポは己の部下に詫びていた。 今更汚れ役を引き受けたところで、これまでの罪滅ぼしにもならぬことは分かっている。ただ、これまで付き従ってくれた有能な者達を命令違反の形で戦へ駆り出し、命の危険に曝すことが忍びない。 「何を仰います。先陣は戦の誉れ。見事務め上げて見せようではありませんか」 「ハク殿とライコウ殿は各国の不穏な動きを警戒しておったのでおじゃ。何処に間者がいるか分からない状況の裏をかくには、一度命令を出し、相手が動き始めたところで、相手を撹乱する想外の動きをする駒がどうしても必要だった。―そういう筋書きでおじゃろ」 自棄となった主を見捨てずにずっと付き従ってくれた側近、そして貧乏くじと分かり切っているだろうに離れることを選ばなかった人の良い采配士。振り返れば配下の者達は皆大きく頷き、笑みさえ湛えてくれている。 「其方達のような忠臣達がいてくれたことを誇りに思うにゃも」 必ず生還せよとの号令の下、彼等は戦場へと下り立って行った。 ------------------------------------------------------------ 「またクジュウリの姫からのクオン充ての手紙ですか？」 「…ああ。だが、この文の宛先は俺達だ」 侍大将ベナウィは、書簡でなく文を難しい顔で見詰めるオボロ皇に問い掛け、予想と異なる返答に僅かに眉根を寄せた。ヤマトに対して各国が反乱の兆しを見せていることはカルラからの報告で聞いている。ここ数日で事態が大きく動くであろうことも。 確かにトゥスクルとヤマトは友好条約を結んでいるが、意味するところは不可侵条約だ。何より、遠く離れたヤマトへ軍を派遣してしまったら、トゥスクルこそ攻め込まれる絶好の機会を他国に与えてしまう。そんな危険を冒してまでヤマトを助ける義理はない。だが、クオン達が内情を知れば、間違いなく駆け付けようとするだろう。故にヤマトの混乱が綴られた文は彼女らの目に触れぬよう、オボロが内容を確認した後処分をしていた筈だ。 矛先をクオンから一国の皇へ変更したということか。それなら施政者として猶の事承諾できないが…。 「クオン様を大切に想っている皆様か―。クジュウリの姫は随分と痛い所を付いてくるな」 愛しい者達の忘れ形見として、そして己の娘として皆がクオンを大切に想っている。況してや次期皇となる身の娘だ。私心で他国の諍い関わるようなことがあってはならない。 しかし彼女にもまた大切に思う親子がいることを知ってしまった。守りたい存在を守れなかった辛さは痛い程に知っている。 「状況さえ知らずに大切な者が傷付いたとなれば、クオンの心は壊れてしまうだろうから、せめて伝えて欲しいとある」 「それは………中々手強いですね。何せ貴方もクオンも情に篤いのですから」 もう白状することを決めてしまったのでしょう。ベナウィの言葉に、オボロは無言の肯定を返したのだった。 ------------------------------------------------------------ イズルハでは帰還したトキフサが陣頭指揮を取り、エンナカムイでは若き皇とその伴侶が直々に戦に加わり、早期に決着をつけていた。そして、ナユクでの反乱もまた、狂い姫と呼ばれたアトゥイが活躍を見せ、事態は収束に向かっていた。だが。 「…何だか、あんまりにも呆気ない気がするえ」 いくら事前に情報を得ていたとはいえ、一斉蜂起というには余りにも呆気無いような…。 アトゥイが一抹の不安を抱いていたのとほぼ同時刻、ヤマトの大老の下へは各地での反乱が無事鎮圧されたとの知らせが寄せられていた。 「―勝敗は決したか」 後はマルルハを残すのみ。ライコウが地下牢を後にしようとしたその時。 「ははははははははッ！！」 「……何が可笑しい？」 これまで死人の如く口を噤んでいた男が、突然目をぎらつかせて狂い嗤う。落ち窪み、世の全てを呪わんばかりに昏く沈んだ瞳を向けられ、ライコウは薄ら寒いものを感じてしまった。ひたひたと胸に込み上げてくるこの感情は何だ。 「さぞ惨めだろうと思ってな！他人を掌で転がした気になって、その実踊らされていた道化の気分は」 俺達は他国の間者等ではない。俺達こそが、他国を利用していたのだ。この千載一遇の機を作る、隠れ蓑にするためにな。お前の様な者には想像もつかぬだろう。親しい者と故郷の国を無残に焼かれ、復讐するためだけに生きて来た者達を。何代にも渡ってその憎しみを教えこまれ、そのためだけに生きて来た者達の存在等！ 瞬間、大地が大きく揺れた。何だ。一体何が起こっているというのか。 「…状況を報告せよ」 「はっ！…帝都を覆い囲むように巨大な五つの柱が出現し…！？駄目です、通信が途絶えました！！」 背中を冷たい汗が伝う。この感情は…―紛れもない恐怖だ。 最大の誤算は敵の正体を見誤ったこと。倒すべきは他国でなく、間者を装って数世代から機会を窺っていた怨念だったのだ。 聖賢のライコウとヤマトに呪いあれ。急ぎ聖廟へと向かうライコウの背にそう叫んで男は事切れた。 [newpage] 地鳴りが響いてから、何故か力が入らず、身体が思う様に動かない。他国で一斉に起きた反乱さえも囮だったということか…。 「アンジュ陛下…」 「大事ない、ノスリ。それより外がどうなっておるかが気懸りじゃ。其方達、済まぬが様子を見て来てはくれぬか？」 「しかし…」 「心配は要らぬ。此処にはムネチカも近衛兵もおる。ライコウも近衛府から此方へ向かっておる筈じゃ。まずは状況を見極めねば次の手立ても打てまい」 隠し通路から外へと向かったノスリとオウギを見送って暫し、けたたましい足音が近づいてきた。ムネチカはアンジュを庇うように立ち、臨戦態勢に入る。 「陛下。こちらにいらっしゃいましたか」 「聖廟は既に敵兵に囲まれております。一刻も早くお逃げください」 現れたのは年若い二人の近衛兵だった。確か先々代から仕えてくれる家の兄弟であった筈だ。我々がお供しますと入出しようとする彼等に、しかしムネチカが阻む様に立ち塞がって仮面の力を解放する。 「何故、其方達だけが自由に動けるのじゃ？」 アンジュの指摘に襲い掛かってくる二人に対し、仮面の力が思うように発動しない！動揺した一瞬の隙を付いて振り下ろされた斬撃を受け切れず、ムネチカの身体は壁に叩き付けられた。 ------------------------------------------------------------ 一所に捕えられ、刃を付きたてられている民の姿を前に、オシュトルと麾下の者達は身動きを封じられていた。 「民を盾にするとは卑劣な…」 「―ヤマトが他国を蹂躙するのはそうではなかったとでも？…都合の良い詭弁を！」 纏め役であろう男が、右近衛大将オシュトルの首を刎ねんと刀身を閃めかせたその刹那。 「莫迦な…」 耳をつんざく轟音に何事かと背後を振り返れば、柱の一つが破壊され、且つその余波で帝都の一部が薙ぎ倒されていた。仲間達も人質のヤマトの民も区別なく諸共に吹き飛ばされている。人質は、決して手を出されぬからこそ利用価値があるのだ。しかしこれでは― 何故、お前が此処にいるのだと、刎ねられた男の首が続いてその問いを口に出すことはなかった。 身体の重みが僅かに軽くなったことを確かめ、オシュトルもまた別の柱の破壊に向かう。 ------------------------------------------------------------ マルルハ国境付近においても帝都急襲の報は通信兵を通して直ちに伝えられ、そう告げて以降完全に消息を断った。 本陣でデコポンポの部隊と合流し、作戦を告げた直後の出来事だった。異常事態に指揮官が下すのは進軍か、それとも撤退か。沈思の後、その口から出たのはそのどちらでもなかった。 「単刀直入に聞こう。何故、お前は先帝のいないヤマトに今尚仕えているんだ？」 お前が今上帝に忠誠を誓っているとはとても思えんと。崖下の戦局でなく、別の何かを見通す、強い意志を宿す眼が問う。 「聖上が御隠れになり、今やこの国は危うい均衡の中にある。―だが、あの御方が築かれたヤマトは常勝無敗。我はただ武を以って聖上の御心に仕えるのみ」 死して尚、唯一無二の主に捧げられる絶対の忠義心。彼もまたこの日が来ることを予感し、主君の築いた覇道に一点の曇りもないことを示す、ただそのためだけに生きて来たのだ。ヴライの覚悟を読み取り、彼女は決断する。 「ヴライ、お前は帝都へ戻りその仮面の力で柱と敵を蹴散らして来い。――そしてヤマトを、出来る限り一人でも多くの民を救ってやって欲しい」 「承知した」 「ウルゥル、サラァナ。ヴライを送り届けた後は、アンジュの護衛に付いてくれ。聖廟の地を経由すれば、結界の封印も少しは効果が薄まっているかも知れん」 「了解」 「畏まりました」 「頼んだぞ」 そうしてヴライは鎖の巫と共に空間を超え、この地へ舞い戻って来たのだ。 「早く！あの仮面の力さえ封じてしまえば…」 ―我等の勝利だ。 何世代という長きに渡ってヤマトの国家転覆を謀ってきた我等の戦略に穴はない。ヤマトに仕掛けるならば仮面の力への対策が最重要課題となる。五芒星による能力の封じ込めも成功し、この不測の事態に備えた術士も呪符も強力な力を有している筈だ。それなのに。 「何故だ…。何故、その姿を保っていられる！？―ありったけの呪符で抑え込め」 「仮面よ、我が魂魄を喰らい尽くせ！」 宣言通り、ヴライの四方を術師が取り囲んだ事で相当の負荷が掛かっているのだろう。人型と異形の姿を交互に繰り返し、歩みを進める度に足が大きくめり込み地に縫い付けられそうになっているが、歩みは止まらない。しかし柱まで残り僅かというところで力尽きたのか、終に人の姿へ戻り動きが止まった。 「今だ。矢を放て！！」 止めとばかりに、複数の矢が容赦なく突き刺さる。 いや、ヴライは敢えて避けなかったのだ。ただ、この拳に渾身の力を籠めるため。 「うおおおおおおおおおおおおおおおッ」 その拳は柱を砕き、その風圧は術者達を蹴散らした。 [newpage] 伝わって来る振動で、ミカヅチは二本目の柱が破壊されたことを知った。 （奴なりの忠義に殉じたか…。―見事だ） 己も早くこの結界の外へ出なければ…。さすれば仮面の力を揮うことができる。勿論、敵に囲まれたこの圧倒的に不利な状況を首尾良く切り抜けられたらの話だが。数の利はあっても殆どの者がまともに動けぬ状況下で、打破する策は全く浮かんでこない。 「ミカヅチ様、ここは我等にお任せください。まともに遣り合って勝てないのなら、石のように奴等に齧り付いて動きを封じれば良いのです」 部下の提案は耳を疑うものだった。他の者も肯定するように同じ眼を向けてくるが、そんなものを受け入れられる訳がない。 「お前達を捨て石にして、俺だけこの場から逃げろと言うのか？」 「そうです。ヤマトと民を救うため、貴方は此処で死んではならない」 「さあ早く」 重い足を引き摺り、敵に背を見せて無様に撤退する。それは己が唾棄してきた姿に他ならない。情けなさも悔しさも今は飲み込めと言い聞かせて進む。 だが部下を振り切ったのか、此方に近付いてくるものがいる。万事休すか…。 「振り返るな、ミカヅチ！」 矢が空を切る音がした。 ノスリが狙いを定めて敵の頭を射抜いて行く。そうだ。そのまま動きを抑えていてくれ。 「姉上に任せて急ぎますよ、ミカヅチさん」 後ろは任せてくださいだと、こいつだってふらふらの癖に良く言う。オウギに背中を預け、ミカヅチは只管に結界の外を目指す。 もうすぐ、あと、もう少しだ。 ------------------------------------------------------------ 曲者二人を前にして、アンジュは少しも臆することなく告げる。 「―目的を聞こうか」 「先祖の国を滅ぼし、屈辱を与えたヤマトを滅ぼすこと。それこそ長年に渡る我等の悲願」 貴方にはここで死んでいただく。そう二人の目が語っていた。 「余の首を望むか…。解せんな。其方等に直接恨まれる覚えはないし、他国の間者でもないとするなら、其方達自身の、本当の望みはなんなのじゃ？」 支配を第一としたヤマトの時代は終わった。この国は民と共に歩み、そして他国ともまた手を取り合う道を模索している。 「仮初とはいえ長年この国で暮らし、ヤマトや民が変わって行く様を見ても其方達は何も感じなかったのか？―いや、先程言い淀んだ其方等の心には確かに迷いがある。今を生きる其方等が見知らぬ祖先の怨念に惑わされるな！！」 今この国を統べる帝の叫びに、彼等は確かにたじろいだ。何も感じない訳がない。兄は方針転換の詔が発せられた年に生を受けたのだから。だが、積年の恨みを教えこまれた一族達は収まらなかった。そして事は起こってしまったのだ。此処へ来て引き返せよう筈もない。兄は最期に弟に目を向けた。 「―覚悟！！」 「アンジュー！！」 ------------------------------------------------------------ 絶対に此処は死守しなければ。この国境線が突破されれば、ヤマトへ多くの敵兵が傾れ込むだろう。しかし、ヴライの抜けた戦力差は如何ともし難い。 それは全くの偶然だった。 雲間から太陽が顔を覗かせ、視界の端に反射光が過ったからこそ一度目は対処出来た。 「ぐぅッ」 肉を抉る鈍い音が内部から響き、次の瞬間身を焼く熱と痛みが襲う。 数発、別方向から僅かに間を置いて放たれた矢の一撃は何とか鉄扇で防いでも、崩れた体勢を狙ったであろう追撃を避けられず、肩を深く射られる結果となった。尤も矢尻が反射しなければ、そのまま首を貫かれて絶命していただろうが、絶望的な状況に変わりはない。 「放て！」 抜け道でもあったのだろう。何時の間にか敵の遊撃隊が背後を取り囲み、弓を構えている。そして目の前は険しい崖。万事休すか？ 「ハク様！！」 懐かしい声がした。後方に翻える旗は確かに自軍のもの。そして間違えよう筈もない。あの可愛らしい声と、その友である世界一勇敢な鳥を。勝利を確信した筈の急襲隊は、全く予期せぬままに後方と側面を取り囲まれ、完全に浮足立ったところから崩れ落ちていく。 「ハク殿、助けるのが遅くなって申し訳ないでおじゃ。先程ルルティエ殿が連れて来られた友軍と合流したので、もう大丈夫でおじゃよ」 「大丈夫ですか？すぐに手当てを…」 「………ルルティエ、どうして此処に。…それに、あんた達も」 身に纏う衣装から、援軍を頼んで断られた筈の国の者達と知れた。自国の利を第一とするのは当然のこと。敵として立ち塞がらぬだけでも十分だと思っていたのに、どうして？ 「まあ、中々国としては動けない事情があったんだがね…。でも恩人のアンタの身に危険が迫っていると聞いちゃあ、駆け付けない訳にはいかないだろ」 全く、一人で乗り込んで来るとは。本当にヤマトの女達は逞しいな。 そう言って笑いながら、山岳民族の衣装をはためかせる青年の耳には見覚えがあった。餓えに苦しんでいたあの頃とは比べ物にならない程に逞しく成長し、窪んで沈んでいた瞳には活き活きと輝きが宿っている。そしてあの頃は下ろしていた髪を高い位置で括り、闊達活発な印象の増したルルティエもつられて照れたように笑う。 ―あの時のことは、無駄ではなかったのだ。 [newpage] 「何故、今更戻って来られたのです？」 アンジュの背後にある隠し通路から現れ、庇うように間に入ったのはホノカだった。 逃げ出した貴女がと、ホノカの治療を受けながらもムネチカの言葉は鋭い。 「…アンジュを、愛しているから…」 ヤマトを揺るがす大事に、真っ先に浮かんだのはアンジュの、そして娘達の顔だった。せめて無事を確かめたいと、そう思ったら居ても立っても居られず、気付いたら此処にいた。愛しい者の傍にいたい。葛藤も何もかも吹き飛ばして、残ったのはただそれだけだったのだ。 凶刃はホノカにも、そしてアンジュにも届くことはなかった。弟が兄を手に掛けたからだ。凶行を止めたことで、弟の助命を請う命ながらの嘆願なのだろう。事切れた兄は満足そうな顔をしていた。しかし残された弟はそれを潔しとせず、二度と悲劇を繰り返さぬ様に。そう言い残して兄の後を追った。 「―約束しよう」 国を背負う重責に押し潰されそうになりながらも、アンジュは誓う。この兄弟に、そして自分自身へ。ホノカはアンジュを抱き締め、抱き締められた方もまた強く抱き締め返し、行方知れずとなっていた大切な人との再会を静かに喜び合う。ムネチカにとってその姿は母子の様に見えた 「お主も無事であったか」 漸く辿り着いたライコウをアンジュは穏やかな顔で出迎えた。同士討ちとなったであろう室内の惨劇と失踪中であった大宮司の姿を認め、大凡の経緯を知るに至った彼はそして己の完全なる敗北を悟った。自身が目指す所とは全く異なる思想と価値観。だが、認めない訳にはいかない。 「聖上も、ご無事の様で何よりにございます」 久方振りの大敗だった。 ------------------------------------------------------------ 四本目となる柱には奇妙な組み合わせが揃うことになる。 「…厄介な柱じゃない」 「父ちゃん…もう一回だ！」 剣豪ヤクトワルトは先程から数度、柱の破壊に挑戦していた。立って剣を握るのもやっとの有様の上に、柱に近付くだけで生気が抜けて行く。亀裂は入るものの崩壊にまでは至らない。長引く程不利になる。 「お困りの様ですわね」 「…我らが、助太刀致す」 振り返れば、何時ぞや白楼閣で世話になった女将と女子衆が、各々の得物を手に勇ましい姿で立っていた。 「有り難い」 ヤクトワルトが再度剣を振るい、間髪入れずトウカが同じ場所を狙う。柱はぐらつくもまだ足らない。 「―いいえ。これで…十分ですわ」 宣言通り柱は見事に倒された。切った、というより薙ぎ倒すという表現が適切だろう。相当出来るなとは思っていたが…。ここでは味方として再会出来たのは僥倖だった。 そして遠くでも異形の姿が出現し、柱が砕かれると、途端に身体が軽くなる。 これで残るは後一つ…。 そう安堵も束の間、あちこちで火の手が上がった。敵方は形勢不利と見て、心中する気か…。 ------------------------------------------------------------ ルルティエの文に同封されていたアトゥイの船往来手形を使い、上陸まで間も無くといった所でクオンの目に飛び込んで来たのは、燃え盛る帝都の街並みだった。 そんな…。何もかも、手遅れだったというのか…。 「ハク―――！！！」 「………クオン？」 お守りとして首から下げていた勾玉が淡い光を放って宙に浮き、粉々に砕け散る。光を感じた瞬間、脳裏に過ったのは泣いているクオンの姿と、炎に包まれた帝都。 嫌な…とても嫌な予感がする。 「…済まない。ルルティエ、ココポ。急いでくれ…」 「はい。ココポ、お願い！」 あれから自分達は最低限の処理をし、急ぎ帝都を目指してずっと走り続けている。 どうか、どうか間に合ってくれ。 ------------------------------------------------------------ 帝都が燃えている。恐らく油も巻かれていたのだろう、火の回りは速く、勢いも激しい。このままでは…。 ―力が欲しい。愛しい者達を守れる力が。 その願った刹那、眩い光がオシュトルを包み込む。 そして最後に残った柱が砕け散り、失われた筈の力が蘇るのを感じた。 「仮面よ、扉となりて根源への道を開け放て！」 姿を変えて巨大な水の球を作り出し、天空へと放つ。降り注ぐ豪雨により火は瞬く間に消えて行く。 鎮火の後、反乱軍の捕縛は容易かった。元より数の上ではこちらが圧倒的に有利だったが、その多くは捕える前に死を選び、生き残りはなきに等しい。初めから死ぬ気であったのだろう。守るもののない戦に、オシュトルは苦々しい、遣り切れなさを感じていた。 ------------------------------------------------------------ 「ハク様、お気を確かに。帝都が見えてきました！」 ルルティエの声に朦朧とする意識を何とか縫い付ける。抉られた肩の傷が腫れ、熱も出て来たらしい。そうだ。ようやく帰ってきたのだ。オシュトルとの約束を果たさなければならない。 「オシュトルー！！」 上体のみを起こしたオシュトルを見付けると、傷の痛みも忘れて駆け寄る。 あいつも怪我をしたのだろうか。人のことは言えないけど、無茶する奴だから、無事で本当に良かった。今後こそ絶対に、この手を…。 伸ばされた手は何故か擦り抜け、瞬間オシュトルの身体が崩れ落ちた。 「―え……？」 仮面も、服も確かにそこにあるのに、ただオシュトルだけがいない。力を使い過ぎたなというミカヅチの声がやけに遠くから聞こえる。目の前の現実を認識出来ぬまま、忍び寄る絶望に絡め取られる様にハクは意識を手放す。引き込まれた暗闇の中で、誰かが嗤った気がした。 [newpage] 気が付くと、目の前には心配そうな顔の義妹がいた。十年前に若きエンナカムイの皇の元へ嫁ぎ、共に国を治める多忙な彼女とは文の遣り取りだけで久しく会っていなかったが、何故此処にいるのだろう。辺りを見回すが、答えてくれる人はいない。 「………オシュトルはどこにいるんだ？」 「―ハクさん」 「もしかして、あいつも怪我をしてるのか？なあ、何処にいるのか教えてくれ」 「…ッ、はくさん」 身体に障るからと落ち着かせようと試みるネコネだったが。どうしても話さなきゃならないことがあるんだ。頼むから、あいつの所に連れて行ってくれと。頑なに主張を曲げぬ様子に遂に諦め、オシュトルの元へ連れて行くことを承諾してくれた。 そうして。 ネコネに支えながら向かった先、其処には真新しい、右近衛大将オシュトルの墓があった。 自分はあれから十日近くも意識を失っていたらしく、知らぬ間に戦の後始末も、夫の葬儀も恙無く終わっていたと言うのだから、とんだ間抜けだ。 納める亡骸がないのはあまりに不憫だと、忠臣を悼むアンジュ陛下の意向により、墓には彼を象徴した仮面が代わりに葬られたのだという。続く、帝都を守って立派な最期を遂げたという説明もただただ虚しいままに心を通り過ぎていく。 「…仮面の所為で、オシュトルは死んだのか？」 「―確かに、仮面の力を行使し過ぎたことは否定出来ません。けれど、聖上より仮面を賜ってから兄様は常に覚悟の上だと言っていました」 そうか。自分が情報を入手し、そうして兄が作った仮面の所為で、オシュトルは死んだのか。何も遺せぬまま、約束も果たせぬまま、どんなに無念だったことか。 なんて、愚かだったのだろう。オシュトルの優しさに甘えてばかりで、勝手に許された様な気持ちになって、目を背けてばかりで…。自分達は、こんなにも罪深い生き物なのに。 ネコネが何やら必死で訴えてくるが、耳鳴りが酷くてよく聞こえない。そうだ。早く、謝らなくちゃ。 「済まない、ネコネ。…全部、自分の所為なんだ。自分が、オシュトルを、そしてお前を不幸にしたんだ！」 「…よくも」 一体何が起こったのか。急に反転した視界の先には見た事ない程に激高し、此方を睨み付けるネコネが居た。美しく成長し、オシュトルに良く似た眼差しが自分を責める。 …よくもそんなことを。―よりにもよって、貴女が！ 「ハクさんなんて、大嫌いなのです！！」 去って行く姿を眺めながら、なんだか左頬が痛いな、なんて今更ながらにぼんやりと思う。 ああ、叩かれたのか。当たり前だ。彼女の大切な兄を、あんなに苦しめて…。 自業自得の結末に、泣く資格等ないと分かっていても込み上げる涙を抑えきれない。降り出した大粒の雨を言い訳に、泣いて、泣いて― ------------------------------------------------------------ 「やっと、目が覚めたかな」 懐かしい声に顔を向けると、クオンとそして己の手をしっかりと握り締めるコハクと目が合った。相変わらず具合の悪そうな様子に、寝てなきゃだめだろうと言おうとして、口の中がからからに乾いて声を発せないことに気付く。すぐに察した娘が水差しを口に寄せてくれるので、場違いにも何時もと逆だなと思ってしまう。 クオンはあれからずっとヤマトに留まり、看病してくれていたらしい。彼女の見立てでは、肺が蝕まれ、高熱が続き、更に五日程伏せっていたということだ。 「もう、目を開けてくださらないかと…。早く良くなってくださいね。お母様」 「ああ、約束する」 自分とは似ても似つかない強い子だと思った。この子だけは、絶対に幸せにしてみせる。 オシュトルと別れてから既に一月も経過しており、起き上がって気付けばハクの髪は真っ白になっていた。 [newpage] 嘗てない打撃を受けたヤマトが立ち直るのには、相当の年数が予想された。大半が焼け落ちた帝都の惨状に、遷都を叫ぶ声も少なくなかったが、アンジュ帝は二度とこのような悲劇を繰り返さぬ戒めとして、そしてこの地に今まで以上の発展を齎すことを約束し、昼夜を問わず精力的に復興の指揮を取り続けた。己も窮屈な生活を続けながら民に寄り添う姿は彼等の心の支えとなり、皆が互いに助け合い、励まし合って、己が為すべき事に従事した結果、街は瞬く間に再生していく。人々が自国に誇りを持ち、希望に満ちて日々を生きる。新しいヤマトの時代が始まろうとしていた。 あれから、ハク達母子は辛くも戦禍を逃れた左近衛大将邸の離れに身を寄せていた。生きる為に政務にがむしゃらに取り組む一方で、ハクは何とか時間を捻出して娘との語らいの場を持ち、体調を崩した際は付きっ切りで看護にあたる等、親子で過ごす時間を殊の外大切にした。嘗ての怠惰なハクを知るものが見たら大層驚いたことだろう。それ程目まぐるしい日々の中にあって、ハクは娘に指摘されるまで庭の樹が蕾を付けたことにも気付かない有様だった。開花の時を待ち望む芽は、柔らかで瑞々しく、国が破れても木々達は素知らぬ顔で逞しい。ようやく算段が付いた戦後処理を思い返し、屋敷に来て二度目の春はゆっくり花見ができそうだと笑う。―そうなる筈だった。 「…どうして、お前がこんな目に」 今朝方、コハクは大量の血を吐いてそのまま意識を失った。突然の事態にうろたえていたハクだが、薬師を待つ間に女中から娘が長い間ずっと血を吐いていたこと、頑なに口止めされていたことを告げられ愕然とする。家の事を何くれなく整えてくれるこの老齢の女性とは先代左近衛大将夫妻が存命の頃からの顔馴染で、離れに越して来たハクと、それこそ赤ん坊の頃から知っているコハクを気に掛け、とても良くしてもらっていた。彼女は黙っていたことを涙ながらに詫び、そして続く言葉でハクを詰った。母親である貴女が何故もっと早くに気付いてやれなかったのかと。到着した薬師もまた、最早助かる見込みはないことと、付け加える様に数年前から相当な苦しみがあった筈だと、苦々しい様子で無情に告げた。 娘は身体が弱く大人しい反面、決めた事は最後まで貫き通す頑固な一面もある。二年前、クオンは憔悴しきったハクとコハクの病状を見兼ねてトゥスクルへ来るよう強く勧めてくれた。勿論薬師としてのクオンの腕を知るハクであるから、戦後の処理を投げ出したと言われようとも、娘のためにと決心を固めたところに、誰あろうコハクが申し出を断った。力ずくをも厭わぬクオンの様子にコハクは一歩も引かない。お父様が命を賭けて守ったこのヤマトが私の生きる国、それに出来る限り大切な方の傍にいたいからと。告げる表情は凛として美しく、クオンが仕方ないかなと目を細め、泣き笑ったのが今でも鮮明に蘇る。 ―やっぱりコハクは、オシュトルの娘なんだね。 ------------------------------------------------------------ 額に感じる冷たさが心地良くて、熱の浮遊感から次第に意識が輪郭を取り戻していく。目を開けるのも辛くて視界は利かないけれど、音と動作から訪ね人の見当が付いて嬉しい気持ちが押し寄せる。特に復興体制においてはヤマトの万事を取り仕切り、殆ど聖廟住まいとなっていたため、滅多に会う事が叶わなくなってしまったその人が、―お兄様が来てくれた。 「全く、お前まで倒れてどうする」 その独白に、母がずっと傍に付いていてくれた事を知る。心配させないようにと、上手く隠していたつもりなのに、結局は失敗してしまった。これ以上私の所為で、嘆き悲しむ姿を見ているのが辛いから、出来るならどうか昔みたいにまた笑ってほしい。 時を止めてしまったかのように、いつまでも若く美しく、時に子供の様に無邪気で、それでいて聡明な母は私の憧れだ。幼い頃から外見だけはそっくりと言われて育ってきたけれど、最近では益々母の容姿に近付き、お見舞いに通ってくださるミカヅチおじ様からはまるで姉妹のようだと評された。でも。 「…トル、オシュトル」 力を振り絞って薄く目を開ける。抱き上げて寝所に運ぶ腕を夢現に勘違いしたのか、母は哀しげに父の名を呼びながらその胸に縋った。母は父を愛している。あんな別れをしたからこそ一層深く。 ------------------------------------------------------------ 「凄く、綺麗だぞ。…ほら」 白無垢姿の娘に手鏡を渡してやりながらハクは心の底から告げた。自らの死期を悟ったのだろう、花嫁衣装を着てみたいとせがんだコハクは、初めて化粧を施され、軽く髪を結い上げた姿をし、穏やかな笑みを浮かべている。しかし、体力の無い身には身支度すら堪えたとみえ、呼気は荒く弱々しい。 程無くして別室で待機していたライコウが現れると、コハクは安堵して顔を花の様に綻ばせた。 「おにいさま…大好き。…どうか。どうか、わたしのことを忘れないで」 私は、お兄様が本当は優しい方だって知っている。だって小さい頃からずっと見て来たのだもの。ほんの一瞬、けれどいつもは冷たい眼差しが、時折人目を避けるようにして柔らかな表情を湛える、その優しい瞳に恋をした。叶わないと知りつつ、どうしても諦めきれない恋だった。 昔は、内面もお母様のようになれたらと思ったことさえあったけれど、今は違う。母とは違うコハクという存在を、その一番美しい時を、ずっと覚えていて、忘れないで欲しいと願う。そして。 「…おかあさま。わがままを…叶えてくださって、ありがとう」 どうか泣かないで。貴女の愛はちゃんと届いている。貴女に、父に、そして大勢の方々に愛されて本当に幸せだった。 わたし、生まれて来てよかった― 白い花嫁衣装はそのまま死装束となり、娘は十六の短い生涯を終えた。 [newpage] 薄紅色の花弁が舞い散る中、ハクは見送りに来たミカヅチと別れの会合を果たしていた。今日を限りで彼女は帝都を離れる。隠居し、別荘へと下るライコウに着いて行くためだ。 以前図鑑で見たこの花の名は確か桜と言ったか。美しいこの景色を、一年前に世を去った娘にも見せてやりたかったと、ハクは想う。 「本当にもう大丈夫なのか」 「ああ。お前達にも迷惑かけたな」 もう大丈夫だと笑うハクを、ミカヅチは完全に信用した訳ではない。娘の葬儀を終わらせた後、簡単な書き置き一つを残して長らく行方を晦ましたかと思えば、今の様に老け込んだ姿で戻ってきたのだから、周りはこぞって心配したものだ。何時ぞやの先帝の様に、このまま儚くなってしまわれるのかと。本人は、これで漸く年相応だろと至って元気で満足そうだったが。 ―否、兄と、そして聖上と大宮司ホノカ様だけは何か事情をご存知のようだった。俺には分からぬ何かがあったのだろう。 「…少し、安心した。以前よりふっきれた顔をしている」 「そうだな…。見ようとしてこなかったものが、少しだけ見えた気がするんだ」 躊躇いの残る口振りは過去への後悔か。この十数年は、互いに多くの事があり過ぎた。 沈黙に浸っていると別れを惜しむ遣り取りを見兼ねた兄から、早くしろ。日が暮れると叱責が飛ぶ。兄に同行する理由を訊ねた際、あいつには返し切れない借りがあるからなと憎まれ口を叩いていたが、きっとそれだけが理由ではあるまい。 「達者でな」 「お前も。またな、ミカヅチ」 そう言って笑った顔が何時かの光景と重なる。しかし二十年前と違い、今彼女の隣に座するのは己の兄だ。放って置くと何をしでかすか分からぬ奴だから、兄の様な厳しいお目付役がすぐ傍に居た方が良いのだろう。そう結論付けると車が動き出したのを見計らい、彼は左近衛府へ向かった。 この翌年、最後の仮面の者であった左近衛大将ミカヅチは役目を次代へ譲り、その後は後進の育成に専念することとなる。 ------------------------------------------------------------ 遠くなる帝都の街並みを車窓から眺めながらハクは回想する。 娘の葬儀を終えた夜、双子を伴い秘密裏にアンジュが訪れた。立場上参列することは叶わなかったが、彼女もまた可愛がっていた姪の早過ぎる死を嘆き、その上でハクの心労を気遣ってくれた。そして暫しの逡巡の後に、日誌の様な書き付けを手渡して来た。ホノカが先帝から託されたもので、今はまだ会えないからと代理で預かってきたという。果たしてそれは兄の研究日誌だった。思い付いたアイデア等を紙媒体に書き込む癖のあるアナログな一面のある人だったが、今頃になって何故これを…。覚悟を決めて頁を捲る。 ―ずっと、兄は死にたがっているのだと思っていた。 けれどただ死を望むなら、後のことを考えなければ他に方法はいくらでもあった筈なのだ。 其処には、伸び過ぎた寿命を削り、亜人達と同じ時の流れで老いてゆく方法を模索する術が綴られていた。結果として、兄はこの実験を失敗と結論付け、それ故、ハクには何も告げずに逝ってしまったのだろう。細胞を一度若返らせた身には急激な老化を引き起こしてしまったのだろうから。 兄の最期の言葉が、今また意味合いを変えて蘇る。最期の最期まで、隣を歩かせてくれなかったなと、追い付けぬ背に縋ってばかりだった過去を思い返すけれどそれは仕方のない事なのだろう。きっと父代わりでもあった兄にとっては譲れぬ矜持だったのだ。娘を育てた今なら分かる。それは伴侶である義姉だけに許された権利だったのだと。 理論的には成功の見込みが高く、しかし兄の身体では上手くいかなかった試験薬だが、ハクは試してみることを決めた。伊達に兄の遺したデータを読み漁って来た訳ではない。複数回に分けて段階的に行う必要はあるだろうが、己の生体データを元に成分を調整するくらいなら何とかなるだろう。 兄が自分のために命懸けで遺してくれた実験データを無駄にしたくない。そして何より。待っていてやると傲慢に言い放った、この世界での歳の近い兄の様に思える男に長年の借りを返さなくてはならない。これまで随分と甘えてしまったから、後が怖いなんて思いつつ、これからの生を望んでいる自分に驚く。 オシュトルとコハクを死なせてしまい、絶望しかないと思っていたのに…。兄も、アンジュもホノカも、葬儀でハクを気に掛けてくれた沢山の仲間がハクにはいてくれた。ただハクが自分一人で抱え込み、指し伸ばされる手を無い物と決め付けていただけなのだ。 それから約一年、数度の眠りを繰り返し、無事に実験を成功させたハクは最後の仕上げとして地下施設の制御装置から現在アクセス可能な他のシステムにウィルスを拡散させ、全てのデータを消去した。いつか―例えばクオンの様に、好奇心に駆られた後世の人々がこの地を訪れても其処には朽ちた機械があるだけ。今を生きる人々に自分達の痕跡は不要だ。彼らなりの速度で歩み、生きてゆくべきなのだ。万一過去の文明を見付けてしまったら、愚かさ故に滅んだ人類がいたと教訓にしてくれれば良い。 地下施設を廃棄して、再びこの地を踏み締める。 ハクは旧人類でなくこの世界の住人として、ずっとずっと生きて行くのだ。 ------------------------------------------------------------ 「うわっ！！」 「―何事だ」 事前の声掛けもなく、急遽大きく揺れた車体に不機嫌なライコウの声が響く。どうやら予期せぬ障害物が道を防いでいる様だが、御者によるとなんとその正体は子供らしい。 近くに寄ってみると、確かに子供が倒れている。襤褸を纏い、目立った外傷はないようだが衰弱著しく危険な状態だった。急いで水を含ませると、意識が戻ったのか、弱々しく目を開く。その眼も、顔立ちも、何だか見知った誰かを彷彿とさせる。 「なあ、この子もお前の屋敷に連れて行ってくれないか」 「お前…何を言っているか分かっているのか」 気付けば思わず懇願が口を付いていた。 「厚かましいって分かってる。…けど、誰かが死ぬのを見るのは、もう嫌なんだ」 元気になって行く当てが見付かるまでだ。頼むよ。そうこうしている間にも子供は再び人事不省に陥る。 [newpage] 出迎えた奉公人は、当然のことながら行き成り増えた謎の子供に戸惑った。しかし、代々家に仕えてきた彼は動揺をおくびにも出さずに長旅を終えた一行をにこやかに持て成す。積荷降ろしにと手配した下男に速やかに子供の身の回り品を整える様指示を出し、不測の事態に対しても迅速だった。若君が女性を伴ってお越しになるという知らせに比べれば…。長生きした甲斐があったと老人は目尻の涙をそっと拭う。薬師を呼び、当分の間は通いの者を日参させる手筈まで出してから漸く、とうに隠居した老人は家へと帰って行った。 子供は丸一日眠っていたが、目を覚ますや腹の虫が空腹を訴え、ハクが差し出した粥を鍋ごと平らげる食欲を見せた。 「誰も取らないから、もっとゆっくり喰えよー」 お約束通り噎せた子の背を擦りながら注意する。小さく薄い背だが、想像よりもずっと元気そうだ。十分に腹も膨れたところで、全身を丸ごとごしごし洗い、腰まで伸びた髪を切り揃えてから漸く人心地付いたようだった。 「さて、お前、名前は何て言うんだ？自分はハクで、こっちはライコウだ」 「………名前は、わからない。…何にも覚えてないんだ」 ―何処かで聞いた事のある科白だ。ふむ。 「よし、じゃあお前は今日から「タケル」って名乗れ。伝説の英雄から取った名前だ」 嘗てと逆の立場で自分が名付け親になる日が来ようとは…。まあ、由来は一つだけじゃあないんだがな。 ふわふわと纏まりが無く彼方此方に飛び跳ねる髪が、黒でなく金であったならよりあいつに似ていただろう。不機嫌そうな伏目がちの目元も金の虹彩も似通っており、幼い頃の姿を想像させる。ライコウも心なし興味を引かれたようだった。 記憶がなく、読み書きも覚束無いため、タケルは無事暫くの間この屋敷を住処とすることを許された。 ------------------------------------------------------------ 縁側に腰掛けて月を睨む子供に声を掛ける。宛がった部屋に居ないと思ったら、こんな所で何をしているのか。 「そんな所で何やってるんだ？」 「…頑張って起きてるんだ。朝になって、夢だったってわかるのが嫌だから」 単純な疑問から問い掛けると、ぽつりと呟いた後に、どうせアンタもまた俺の夢なんだろと敵意で挑まれる。こんなに上手くいく筈ないってわかってるんだ…。これまでだって誰かが助けてくれる夢を見た事がある。でも！でもやっぱり朝になって目が覚めたらいつもの辛い一日が始まるんだ。殴られて、痛くて、人を騙して、惨めで…。あんな毎日はもう嫌だ！！だったら、ずっとずっと夢の中にいたい。朝なんて来なければいいんだ。 記憶がないという親告が嘘であることは何となく気付いていた。戦争で身寄りをなくした子供が物乞いだけで生き延びれたとは思えない。大方、路頭に迷った所を窃盗団の手先にされ、必死の思いで逃げて来たのだろうとあたりは付く。きっと突然変わった環境に理解が追い付いていないのだろう。そしてもし目覚めることがなかったらという仮定は、ハクも何度か組み立ててみたことがあった。 「確かに、自分もずっと眠ってたら幸せだったのかなって思ったこともある。現実は中々に厳しいしな。でもお前は、これから漸く自分の人生を好きに始められるんだから、楽しまないと損だぞ」 「ウルサイ！なんだよ夢のくせにエラそうに」 「…お前結構強情だな。―よし！じゃあ嫌なものを追い払うとっておきのおまじないをしてやろう」 そういって有無を言わさず痩せっぽっちの幼子の手を引き、自室の布団へ引き擦り込むが、 温かい筈の子供の体温は冷たくて思わず身震いする。一体どれだけあそこに居たんだか…。 こうやってな、横向きになってぎゅっとくっついて手を握るんだ。心音を聞くと安心するだろう。そしたら目を瞑って。―うん。良い子だ。 予想外の展開にされるがままだったが、優しい声とぽかぽかとあったかい体温に逆らえなくて目を閉じてしまいそうになる。 俺、悪い子だけど追い出したりしない？ 心配すんなって。拾ったからにはちゃんと責任持ってやるから。 名前がないのは嘘じゃないんだ。炎の中で泣いてる前のことが、全然思い出せなくて…。 記憶がないならしょうがないだろ。これから楽しい記憶を増やしていけばいい。 ―おやすみ、良い夢を。 おでこがくすぐったい。変なの。夢の中でもまた夢を見るのかな………。 なんだが、まぶしい？ 「おはよう！お前良く寝てたなー。もう昼だぞ」 「！！え、なんで」 目の前には昨日の女の人。そして手はまだ握ったままだった。言われたことが本当かどうかを確かめたくて、素足のまま急いで外に出ると、確かに太陽は真上にいた。ほっぺたをつねってみても痛い。 ―昨日のことは本当に夢じゃなかったんだ。 「な、嫌なこと何て全部どこか行っちゃっただろ」 見上げる太陽はいつもと同じはずなのに、まるで全く違う世界にいるようで―。 さて早く着替えてご飯にするぞと、そう言って引かれた手を絶対に離したくなくて、縋り付いてわんわん泣いた。困った奴だなって、あんまり困ってない風に笑われたけど、ずっと堰き止めて来た何年分もの涙だから、もう少しだけ許してほしいな。 [newpage] 隠居生活は期せずして賑やかなものとなった。 引き取った当初は感情を表に出すのが下手な子供だったが、次第に活発さと明るさを見せ始め、幼子の相手をしていると一日一日が慌しく、季節はあっという間に廻っていく。 お前が全て面倒を見ろと素っ気なかった癖に、ヤマト男児が剣も振るえずにどうすると早朝から稽古を付けている様子を見た時は単純に驚いた。なんだかんだコハクの世話を焼いてくれたので、身内の面倒見が良いのは知っていたが…。それに加え、今では言葉使いや礼儀、行儀作法もライコウが受け持って厳しく指導にあたっている。まずは成長期に栄養付けさせようと、呑気に食育しながら空いた時間でのんびり読み書き、算術の手解きをしていたハクより余程教える割合が多いのだから不思議だ。 勿論、慣れないことや出来ないことへの苛立ちが募り、癇癪を起こすこともあった。 「俺には出来っこない。何でも出来る二人には俺の気持ちなんてわからない！」 そんな時のライコウは、やりたくないなら勝手にしろ。そんな心持ちでは先が見えていると膠も無い。一方のハクは、何せ本人が生来勤勉でないので、こんな小さい内からそんな詰め込まなくたってと、ライコウのスパルタ指導に同情気味である。よし、ここは一つ気持ちを軽くしてやろうと、今にも泣き出しそうな教え子に助け船を出すことにした。 「…なあ、お前いくつだ？」 「え…多分、十ぐらいだと思うけど…」 唐突な話題転換にタケルは身構えた。十にもなってこんなことも出来ないなんてと呆れられるんだろうか。しかし、彼の呆れは別の方向へ向けられる。 「実は自分は二十七で初めてこの国の字を勉強したんだ。最初は記号か何かだと思ってたからなー。それが今じゃ教える立場なんだ。お前はそれより十数年も早く勉強始めるんだから、焦らずゆっくりやっていけばいいんじゃないか？」 タケルは心底驚いた様子で、俺を安心させるための嘘じゃないのかと尚も食い下がったが、嘘で安心させても仕方ないだろとあっさりと返され余計に困惑した。 「…何だ、それは？」 そしてハクの経歴にライコウが喰い付いた。そう言えば、こいつの報告書は字が汚く、間違いが多いと思っていたが…。タケルとしては、いやどうして長年連れ添ったアンタまで驚くんだと逆にびっくりである。 「―そもそも、お前はその年まで何をしていた？」 「いや、兄貴の得体の知れない薬の人体実験で眠りに就いたんだが、その間に運悪く事故や天変地異があったみたいでな。行方知れずとなってクジュウリの雪山で数百年の冬眠生活だよ。しかも変な起こし方をされたから記憶はぶっ飛ぶし、自分達の種族は滅びて別の文明社会が築かれてるから全く常識が通用しなとか…。いやー、改めて言葉にすると笑っちゃうな。目が覚めて行き成りボロギギリに襲われた時は、あ、自分死んだなって思ったけど、クオンに拾われたり、丁度人手を探してたオシュトルに隠密として雇われて取り敢えず衣食住には困らなくなったり。まあ、人生何とかなるもんだよなー」 重い過去の筈なのに、告白者にまるで悲壮感がないのが問題だった。聞き役の方が寧ろ気不味い。 「…初耳だが」 「え、だって別に聞かれなかったし」 一体こいつは何を言っているのか。彼の優秀な頭脳をもってしても、ハクの話は理解の範疇外らしい。珍しく絶句して何かに堪える様に米神を抑える師の姿にタケルは決意した。 「…俺、もう泣き言吐かずにがんばるよ」 「…そうしろ」 「いや、頑張り過ぎず適当で良いんだって」 「お前は黙っていろ！」 「……はい」 宣言通り、それからのタケルは泣き言一つ吐くことなく鬼教官の無茶振りにも耐え、時間は掛けつつも遣り遂げるという根性を見せた。結果、口には出さずともライコウに気に入られ、タケルもライコウを師と仰ぎ、敬愛して一層懐くようになるのだが、取り残されてしまったハクは若干嫉妬を感じていた。 こいつ、懐かれるとことん懐かれるよな。最近は風呂も布団も一緒に入ってくれなくなったし。偶にこそこそとライコウになんか相談してるみたいだし。…ちょっと悔しい。 [newpage] 「お、坊主、今日は何のお使いだ？」 「…ん」 総菜屋の旦那にハクから渡された書き付けをそのまま渡すと、品物が入った袋と別に、出来立ての饅頭を一つ差し出されたので、首を傾げる。 「お釣りで美味しい物を渡してやれってよ」 御礼を言って早速齧り付く。まず火傷しそうに熱い汁が口に飛び出したのを飲み込んでから、弾力を残した肉の塊を噛み締める。所々に隠された、シャッキリした野菜と木の実の香ばしさが一層美味しい。最後に一口残ったふわふわの皮の部分も勿論好きだ。これだけでも、もう二つ三つ食べたいくらいだが、そうするとハク先生のご飯全部を食べられなくなる。我慢だ。 俺ぁよ。結構心配してたんだ。頑丈そうな体躯のこの店の主人はどっこいとしゃがみ込んでタケルと目線を合わせながらしみじみと言う。数年前は戦の影響で、多くの流民がここへ逃げ延びてきたり、町に身寄りのない子が溢れたりしたもんだが、ようやく帝都も復興し始めたってんで、殆どが帰っちまった。そんな中、今更お貴族様が別荘にやって来たって聞いて、かあちゃんとどんなものかと話してたんだよ。しかもお前は愛想ねえし、やせっぽっちだし。 旨そうに喰いやがってと、わしわしと乱暴に撫でてくれる手は温かくて嫌いじゃない。ちゃんと可愛がられてるようで、安心したぜ。 アンタ、いつまでおしゃべりしてんだい！おお怖…。店の奥から顔を覗かせた恰幅の良いおかみさんの声に急き立てられ、仕事に戻っていく主人はこそっと耳打ちしてくれた。お前に渡してやんなって、特別にこのでっかい饅頭こさえてくれたのはかあちゃんなんだぜ。旨い飯作ってくれる女は愛情深いんだ。大事にしてやれよ。 ------------------------------------------------------------ 「ライコウー。ちょっとこれ開けてくれ」 「これくらいの事も出来んのか、お前は」 「はいはい、悪かったな」 じぃーっと。お手伝い待機中のタケルは、厨での二人の遣り取りを無表情、無言で見詰めていたが、徐に口を開いた。 「ライコウ先生。その言い方はあんまりです」 確かに、ハク先生はびっくりするくらい非力ですが、毎日美味しいご飯を作ってくれます。そんな言い方をしては奥さんのハク先生が可哀そうですと畳み掛けられ、二人は絶句した。ええっと…？ 「…色々有り得ない誤解があるみたいだが、まず自分達は夫婦じゃない。こうして一緒に暮らしているのは、昔色々あって行く充てがなくなった自分を、口実を作って傍に置いてくれてるからなんだ」 「そうだったんですか！？」 「………おい」 先に回復したハクが誤解を解くべくタケルを諭すと、生徒は素直に頷く。眉間の皺を通常の五割増しで顰めたライコウが割って入ろうとするが、二人はお構いなしに続ける。 「それにああいうのはライコウ特有の言い回しであって、本心から邪険に扱われている訳じゃない。本当にそう思ってたら開けたりしない奴だからな。何だかんだ結構大切にされているんだぞ」 「ライコウ先生もお優しい方なんですね！」 ふわふわと能天気に浮付いた会話がこれ程の殺傷能力を秘めていようとは。 「―おい。頭でも何でも下げてやるから今すぐその口を閉じろ」 「なんだよ。照れんなよー」 地獄の鬼も斯くやと言わんばかりのライコウの形相も何のその。 ハク先生のしたたかさをタケルは改めて尊敬した。 ------------------------------------------------------------ 恒例の市が立ったので、日頃の学びを実践に活かす機会にと師弟は連れ立ってやって来た。今日は年に一度の大規模な開催日であり、旅の行商人が遠くから仕入れた物珍しく高価な品も時折見掛けられる。生まれて初めての市に興奮気味のタケルは提案した。 「ハク先生に何か買って帰りましょう！」 お駄賃を貯めていたんですと、得意顔で小銭袋を取り出すが、合計は雀の涙だ。市場価値が良く分かっていないのだろう。早速目に付いた装飾細工を手に取るも、額の多さに耳を戦慄かせている。 「物には相応しい対価があり、お前は見極める目を養う必要があるな。―それは大した細工でない。選ぶならもっとましなものにしろ」 途中まで良い事言ってたのに…。事実だとしても声を顰めるべきところを、店の人間を前にして憚りないのがこの男である。当然品物を売る、実は製作者でもあった若い男はカチンときた。ちょっと待ってろと言い置き、奥から何やら取り出してくる。 「これならどうだ！俺の、最高傑作だ」 それは、不思議な櫛だった。漆塗りの黒地に細かな蒔絵が何層にも描かれ、所々には瑠璃や螺鈿細工があしらわれており、光の当たる加減で色を変える姿はひらりと舞う蝶の翅に似ている。ただただ美しいと、その色に魅せられて声も出せず、自身の作に感動しているらしい子供の姿に、若い男は満更でもない。 「ほう…。中々に見事な細工ではないか」 幾らだと買い求めようとするライコウの姿にぎょっとして、取り敢えず有り得ない額を吹っ掛けた。櫛一つには考えられない高額である。売る気は毛頭なかったが、このお高く止まった客を困らせてみたくなったのだ。しかし相手はそうかと頷き、懐から紙幣と足りない分は金で賄って提示した金額を平然と揃えてしまった。おいおい、何でそんな大金持ち歩いてるんだよ。物騒だろう。 「待ってください！俺もお金を出します」 はっとして小銭袋を差し出し、これならきっとハク先生も喜んでくれますと瞳を輝かせる子供を前にして売らないという選択肢は閉ざされる。そうして手放す気の無かった櫛は客の手に渡ってしまった。 只のひやかしだと思ってたんだがな…。 確かに細工に使った宝石は質の良いものだが、親方の工房で余った寄せ集めの欠片に過ぎない。駆け出しで、金も技術もなかったけれど、大事な女に身に付けて欲しい一心で、魂を注いだ渾身の作。結局渡すことは叶わなかったけれど、大切に思う別の誰かの許へ行くならそういう廻り合わせも悪くない。―もう一度、足掻いてみるじゃんよ。今なら過去の葛藤も乗り越えられる気がした。 「初めての市はどうだった？」 帰って来て尚興奮醒めやらないタケルは滅多にない程饒舌で、その日の夕餉は何時になく会話が弾んだ。人が大勢いて賑やかで、あと珍しい物も一杯で凄く楽しかったですと終始笑顔で語る教え子にそうかそうかと鷹揚に頷きながら、心の内で今度は絶対自分が連れて行くんだからな。抜け駆けすんなよと、素知らぬ顔で茶を啜る男へ恨み節を送る。 「―実はハク先生にお土産があるんです！」 「お、何をくれるんだ？」 どうやら家事が一段落するのを待っていたらしい。勿体ぶって渡された包みを開けてぎょっとする。何やかんやと宮中生活の長かったハクには、とんでもなく高価な代物であることが一目で分かってしまった。 「………どうしたんだ、これ？」 恐る恐る問い掛けるハクにタケルは元気一杯答える。 「ライコウ先生が選ばれ、俺から渡すようにと申し付かりました」 嬉しいですかと期待を込めて訊ねるが、肝心のハクは手元の櫛を繁々と見詰めた後、半ば放心した状態でああ、うん、だとか全く心の籠っていない応えを返すのみ。喜ばれる以外の反応を想定しておらず甚く困惑したタケルに気付きもしないまま、ハクは早々に寝所に引き籠ってしまった。恐る恐るライコウを見上げると溜息混じりの言葉が返って来る。どうやら怒ってはいないらしい。 「…お前から渡せと言った意図をもう少し汲み取れ」 「………すみません」 絶対に喜んでくれると思ったのに。何がいけなかったんだろう。 ------------------------------------------------------------ 「おはよう」 早朝けいこから戻った俺たちを迎えたのは、髪を結い上げ、クシをさしたハク先生だった。朝は弱い筈なのに、あからさまにきげんが良く、鼻歌さえ聞こえてくる。しかも朝にしては品数も多くびっくりするくらいに豪華だった。夜の内に何が起こったか分からず、ライコウ先生に正解を求めるよう顔を向けてみても、先生もまた珍しく面食らっている。 おいしいはずなのに混乱のせいで味のしない料理をなんとか収め、落ち着いた所で事情を聞いてみた結果、返ってきたのは、ハク先生らしいがあんまりな答えだった。いや、最初は何企んでるんだろうっていうのと、夢でも見てるのかと思ったんだ。一晩経ってようやく実感が湧いて来たんだと言う。俺は日頃の行いは大切なんだなって改めて思った。いざという時の信用度合に響いてくる。感謝の気持ちは思った時に伝えなければいけないんだな。 「有難うライコウ、タケル。遅くなったけど、凄く嬉しい。…似合うか？」 ライコウ先生は返答もせず、ずっとしかめ面をして無言だったけど、反対にハク先生は終始ごきげんで、ライコウ先生の不きげんさなんてお構いなしに満面の笑顔を振りまいている。ハク先生が笑うと見てるこちらも何だか楽しくなってくるから不思議だ。金以上の価値があるのも大いにうなづける。 その日も、その次も、そして次の日も食卓にはライコウ先生の好物が並び、あれから装飾品を好まない筈のハク先生はずっと櫛を愛用しているし、偶に自室で手に取って眺めてはにやにやしているのを何度か見かけたから、よっぽど嬉しかったんだなと思う。ただ数日後、居たたまれなくなったライコウ先生がぼそりと似合うぞと言ったら、熱でもあるのかと返したのはいただけない。案の定ライコウ先生に叱られていたけど、男心の繊細なきびをまるで理解しないのがハク先生の駄目なところだ。二人とも素直になれば良いのに。タケル。 ------------------------------------------------------------ 「…書き直せ」 「え？」 「四の伍の言わずに書き直せ！」 市場で見聞きした体験を報告書として書き付けるよう指示されたので、力作と自負する課題を提出したら有無を言わさず該当の箇所を破られ、書き直しを命じられてしまった。折角一生懸命に書いたのに…。此方の反論を聞きもしないライコウ先生らしからぬ理不尽さに腹が立ち、ハク先生の弁護を期待して事のあらましと件の破られた部分を見せたのだが。初めはどれどれと面白そうに眺めていたハク先生だったが、次第に顔を真っ赤にして、あろうことかくしゃくしゃに握り潰してゆく。余りの暴挙に取り戻そうと手を伸ばすが、揉み合う内に水場に落ち、判読不明の無残な姿になってしまった。偶然か故意か。ちなみにタケルは五分五分と踏んでいる。詫びの心算なのか、夕飯には打って変って俺の好物が並んだが、こんなものでは誤魔化されてはやらない。 だから、ごめんってば。心無い謝罪に少しも怒りが収まらず、むっつりしたまま食事を平らげて行く。まあ、お前が悪いな。ライコウ先生も味方する気はないらしいが、元凶は貴方です！全く以って世の中は理不尽だ。 [newpage] 「男児たるもの、その身一つで成り上がる気概を見せろ」 一通りの教育を終えたタケルに対し、ライコウはこんな田舎で燻ったままでどうすると帝都での奉公を仄めかした。元より、行く当てが出来るまでの約束だったから、三年の猶予期間は長過ぎたとも言える。そして、情が湧くにも十分過ぎる年月でもあった。ずっとこのまま三人で暮らせばいいじゃないか。ハクは辛うじてその言葉を飲み込んだ。ライコウなりにタケルを可愛がっていることも、広い世界を見せたいという親心のようなものを抱いていることもまた、理解していたからだ。 「分かりました。外に出て、自分が何をしたいのか、何をすべきかを見極めてきます」 しかし、告げられた本人は至って冷静だった。一人前と認められたことが誇らしそうですらある。タケルの帝都行きはあっさりと決まり、ハクは信頼できる奉公先へ長い長い紹介状を認める事になった。 タケルが帝都へ立つ日の前夜、中々眠れずに寝返りを繰り返していたハクは、水でも飲むかと起き出した所で、廊下で枕を抱えたタケルと鉢合わせる。 「あの、一緒に寝ても良いですか？………出来れば、三人で」 「なんだ、まだまだ子供だな」 いい年して情けないと口先だけで渋るライコウを説き伏せ、その日はタケルを真ん中に川の字となり、手を繋いで眠りに就いた。ゆっくりでいいから。そんなにすぐに大きくならないでくれ。まだもうちょっと、お前を甘やかしてやりたいんだから。 「何かあれば何時でも…いや、何もなくても顔見せにちょくちょく帰って来いよ」 「生半可な覚悟で戻って来ることは許さん」 「余計なこと言って、ほんとに帰って来なかったらどーすんだよ！」 「…頻繁に文を送りますから」 見送りの時くらい喧嘩しないでください。全く、お二人を残していくのが心配です。 こうしてタケルは己の見聞を広める為、帝都へと旅立って行った。 なんか…静かだな。 この屋敷はこんなに広くて寂しかっただろうか。タケルが奉公に出て行った後の屋敷で、ハクは溜息を溢すことが増えた。これじゃあ自分の方こそ子離れ出来てないじゃないかと自嘲するが、寂しい気持ちは募るばかり。 そんな時、珍しくライコウから少し付き合えと誘われた。思えば、酒を飲むのは数年振りかも知れない。 酒を持って縁側に出ると、お誂え向きに夜空にはまあるい月。何時の間に手配していたのか、数本の菊が飾られた花瓶まで用意する周到ぶりだ。育ちの所為か、意外と物静かで風流なところがあるのだ。夜の暗がりで印象の強い苛烈さが形を顰め、静かに杯を傾ける姿に思わず目を奪われる。 そう言えば、こいつと出逢ってから、もう二十年を過ぎたんだな。長い、色々な事があり過ぎた二十年だった。互いに口を利かずにいるが、この静寂が寧ろ心地良い。 耳を澄ませば虫が翅を振るわす音が聞こえてくる。鳴いているのは草雲雀、それとも鈴虫。月を飲み干したなら、今度は花弁を散らしてみようか。 こんな賑やかで贅沢な夜も偶には悪くない。 ------------------------------------------------------------ 昼食の支度をしている最中、何やら物音を感じて手を止めた。 振り向こうとした瞬間を見計らい、背後から抑え込む様に抱きすくめられ、恐怖に固まる。腰に絡みつくのは日に焼けた、若い男の太い腕だった。身を捩り、逃れようと声無く藻掻くと縺れ合って床に転がる。が、体重を掛けて圧し掛かられ余計に身動きが取れなくなってしまった。怖い。嫌だ。 「何だ。騒々し…」 不審を察して駆け付けて来たライコウに縋ろうと、怯え切った泣き顔を見上げると―。 「ライコウ先生！」 ライコウもまた、その若い男に勢い良く抱き付かれていた。 …ん、ライコウ先生？もしや…。 「………お前、もしかしてタケルか？」 「はい、ハク先生。ただいま戻りました！」 大慌てで涙を拭って問い掛けると、悪びれることなく眩しい笑顔を見せてくるのは確かに自分達の大切な教え子だった。別人と思ったのも無理はない。やせっぽっちだった身体はたった数年で逞しく、のろのろと起き上がれば、少し見上げる程に上背が伸び、声も低いものへと変わっている。その姿は益々ミカヅチを彷彿とさせたが、爽やかな笑顔だけが似ていない。随分と表情が豊かになったものだ。 乱れた着物の袷を正し、ぐちゃぐちゃに絡まった髪を一度解くと、ハクの白い毛先が腰までさらりと揺れる。櫛が無事なことに安堵した彼女は荒ぶる感情を上手く押し込められないまま、取り敢えず身形を整え、頭を冷やす為にも一度自室に戻っていった。 さて、不法侵入者の正体が知れて落ち着いた所で、ライコウによる説教が始まった。だが容赦のない叱責にも、この感じ、久し振りですと余裕を見せてにこにこ笑う様子は大変手強く。責めあぐねていた所に戻ったハクは反省の見られない様子を見咎め、叱り手に回る。普段怒らない人を怒らせると凄まじいことになるのだと、タケルはこの一件でようく骨身に染みた。 遅い昼食を終えたところで、タケルは漸く今回の帰郷の目的を告げた。 「俺は自分の進む道を決めました。宮中で働きたいのです」 帝都に上がって驚きました。数年前の戦争で大きな被害を受けた帝都では、自分と同じく多くの戦災孤児がいたのでしょうが、なんと彼等は私財を投じて作られた施設に集められ、衣食住だけでなく、その中の私塾で教育まで受けているというのです。聞く所によると、それは嘗て八柱将ならびに大蔵省長官を務められていたデコポンポ様が基礎を築かれ、今はご子息のデコポンタ様がお役目の傍らに運営されていると言うではないですか。俺は大蔵省に入り、その様な方の下で働きたいのです。皆が平和に生きるだけでなく、教育の機会を与えられ、己の生き様を自分自身で決められるように。 初めは身を乗り出して聞いていた二人にこれはいけると熱弁を揮ったタケルだったが、話終えると二人は何とも形容し難い、複雑な表情となっていた。現実を知らぬ世迷言と反対されるのだろうか。 「…何の身分も後ろ盾も持たないお前が昇殿を許されると思うのか？」 「難関ですが、殿試という道があると聞きました」 「数年間まともな教育を受けて来なかった代償は甘いものではない。お前が殿試を突破するのに何年掛かるか分からぬぞ」 「それでも、諦めず弛まぬ努力を続ければ何とかなります！」 「…たとえ殿試に受かったとしても、宮中は生易しい場所じゃない。身分のない成り上がりに対する周囲の蔑みや嫌がらせは日常茶飯事だし。性格の悪い上司の所為で職場の雰囲気が最悪だったり、些細な書類の漏れで「緊張感が足らん」とか言って数倍の仕事を言い渡されたり、挙句、泣く泣くこなしたら今後はその量を基準に仕事を振られて馬車馬の様に働かせられるんだからな！能力だけでなく精神的な頑強さや立ち回りの良さがないと到底やっていけない辛い世界なんだ。そこら辺を十分に分かっているのか！？」 ライコウ先生の指摘は予想済みのものだったが、ハク先生は昔宮中で相当嫌な目にあったらしい…。妙に具体的で説得力がある。それでも、此処で引く訳にはいかない。 「辛い道である事は分かっています。それでも、俺は選んだことを遣り遂げたい。そして自分が生きた証を残したい。己の生涯を、胸を張って誇れるように」 暫しの沈黙があった。ライコウは腕を組み、ハクは弾かれた様な顔をした後、俯いてしまう。 「―男子が一度口に出した事だ。生半可な覚悟で曲げるなよ」 「承知しています。ハク先生も…」 ライコウの賛同を得て、もう一人の説得に当たろうとして戸惑う。ハクが静かに泣いていた。笑った顔や困った顔、極稀に怒った顔と表情豊かに様々な顔を見て来たけれど、泣き顔は初めてだった。 「…そうか。自分で選んだ道、か」 「あの、ハク先生…」 「お前の気持ちは分かった。だが、今日一日考える時間をくれ。―勿論泊って行けるんだろ？」 「はい！勿論です」 涙を払い一転して笑ったその顔は、返事を忘れて呆けてしまう程に。 とても、とても美しかった。 その日は罰として下男の代わりに薪割りや水汲み等の労働が課されたが、それすらも楽しくて懐かしい。夕餉にはハクの手料理を思い切り堪能し、夜には思い掛けず初めて三人で酒を飲み交わす事となった。何だか二人に認められたようでくすぐったい。初めて口にした酒は苦く、正直口を付けるだけで十分だったけれども、これが大人の味かと頑張って杯を空けると途端に眠くなってしまう。 中身はまだまだお子様だなという笑い声と、次いでもう少し子供のままでいてくれという子守唄の様な優しい響きと頭を撫でられる心地良さに逆らわず、幸せな眠りに落ちる。 [newpage] 翌朝の朝食を終えた席で、ハクが昨日の話題の続きを切り出した。 「…あのさ。タケルを養子にしたら、色々解決すると思うんだけど、どうかな？」 「別に構わんのではないか。お前の息子となればある程度の融通も利こう」 矢鱈緊張した面持ちのハクに何事かと構えていたライコウだったが、ある程度予測していた話題に拍子抜けして返すと、ゆっくりお茶を含む。 「…いや、あのな…」 「！もしかしてハク先生はライコウ先生に遠回しに結婚を申し込まれているのですか？」 ごほっ。 「！？違うぞ。お前と夫婦になりたいとか、そんな意味じゃないんだからなっ！」 気管に入ったのか大きく噎せ込むライコウを気に掛け、水を持って来ながらもハクは即座に否定する。なんだ違うのかとタケルは非常にがっかりした。 でも、自分はタケルを本当の息子だと思っているし、お前のことも…か、家族だと思ってるから…。タケルの夢を応援したいし、これを機に正式な父親と母親と息子になれたらって、思う。 「…お前が、嫌じゃなければだけど。………駄目か？」 「………別に、構わんが」 「本当か！！なら、早速結婚の届け出と養子縁組の手続きを進めなきゃな。折角だから三人で帝都に行ってみるか？」 お前も兵部省になんか冊子を届けるとか言ってたよな。やる事が山積みだと言いながらも、嬉しそうにはしゃぐハクに急き立てられ、間も無く到着したハクが昨日の内に手配しておいたという馬に乗り込み、慌しく三人は帝都へ向かう。 早朝から出発したお陰で、帝都には昼を少し過ぎた頃に着くことが出来た。 まずは行儀見習い先の屋敷へ挨拶に伺うと、話を聞き付けた先代当主が感極まってハクに抱き付いて焦るが、抱き付かれた本人は慣れた様にあやしている。マロロも元気そうだなと仲が良いようだ。次いで役所に出向き、書類上の手続きも滞りなく済んだ。職員全員が直立不動なことは謎だったが…。 そして、ライコウの弟に挨拶に行くぞと言われ、向かった先が数年前まで左近衛大将を務めていたミカヅチ様の屋敷で驚愕した。 「久し振りだな、ミカヅチ。実は俺達先刻結婚したんだ。で、これが息子」 「………は？………はああああああああああ！！？？」 ハク先生、面倒臭いのは分かりますが、簡潔過ぎる報告は混乱の元です。というか育ての親二人ともが歴史に名高い元八柱将、しかもハクに至っては世間には伏せているものの先帝の実妹だとかいうとんでもない経歴は正直理解を超え過ぎていて、事の重大さが今一実感出来ずにいる。出逢って五年目にして発覚した重過ぎる真実だった。 「だから、聞かれてないから答えないとか本当に止めてください！ハク先生の悪い癖です」 意図して語気を強めると、じいっと見詰められてたじろぐ。 「先生じゃなくてさ。「母上」って呼んでくれていいんだぞ」 そう言って少し意地の悪い顔でにやりと笑う。この人は…。普段はどちらかと言えば可愛らしいのに、揶揄い甲斐のある相手の前だと途端に性悪な一面を見せるのか。現役時代はさぞかし周囲が苦労したことだろう。 「何だ、二人して真っ赤になって！やっぱり顔といい、反応といい、似てるよな、お前等」 「この性悪が！！」 「煩いですよ、母上！！」 父上と母上に囲まれて、きっと苦労したんだろうなあ。雲の上の筈であった方が叔父上と知れ、弄ばれる様子に何だか親近感が湧いてしまう。叔父上とは上手くやっていけそうだ。頑張って二人に対抗しましょう。 自分は少し寄る所があるからと、別行動を告げたハクに残された二人は帝都を散策し、待ち合わせの甘味屋で時間を潰していた。ライコウもタケルも甘味は嫌いではない。しかも、この店の名物はハクが考案したというのだから驚きだ。 「何処へ行かれたんでしょう」 「どうせ墓参りだろう」 確信を持ったその響きに、詳細を聞いてはいけない気がして、タケルはさり気無い話題転換に掛かった。誰にだって秘密はある。暴かぬ優しさも、教えぬ配慮もまた必要なのだろう。ルルの甘さが優しく口の中で溶けていく。幸せの味だと思った。 ------------------------------------------------------------ 数年振りに足を向けたその場所はひっそりと、しかし多くの人の訪れを示す様に瑞々しい数種の花が手向けられている。死して尚帝都の民に寄り添う様は彼の志そのものだった。 「今まで、来られなくてごめんな。―オシュトル」 白百合の花を墓前に添えながら詫びる。己の罪に向き合うのが怖くて、合わせる顔がなくて、躊躇っている内に今日になってしまった。 「コハクもきっと傍にいるんだろ？俺達の娘は最期まで凛として生き抜いた。思い切り褒めてやってくれ」 芯の強い、お前に良く似た自慢の娘だ。 「―オシュトル。お前を愛している」 今までも、これからも、ずっと。 お前に会えて、コハクと過ごした時間は、本当に幸せだった。 「…お前も、幸せだったと。そう、思ってもいいか？」 「―当たり前だろ」 返って来る筈のない返事は、すぐ近くから聞こえた。穏やかで力強い声だった。 驚いて振り返る。 「兄様なら、間違いなくそう仰るのです」 白百合の花を抱えたネコネがいた。兄様、どんなに貴女を想って、幸せだったか。そんな簡単なことも分からなかったなんて、本当に…ハク姉様は駄目駄目なのです。 ああ、本当に自分は駄目駄目だな。 その後、ネコネと二人で近況をオシュトル達へ近況を報告し合う。正直ネコネがいてくれて助かった。形だけとは言えライコウと結婚した等、オシュトルの悋気が容易に想像出来てしまうので、自分一人だけでは怖くてとても口に出せなかったに違いない。 折角仲直りしたのに、また仲違いするのは御免だと、義妹の反応を恐る恐る様子を窺うと予想外に呆れた顔で返された。ライコウ様も苦労するのですって、そんなことはないぞ。 [newpage] 珍しくライコウが体調を崩したのは、雨の日が続く様になって間も無くの事だった。 初めの内は鬼の撹乱とからかって遊んでいたハクも、嫌みの一つも返さない大人しさに次第に不安が募り、遂には養い子へ帰省を促す文を認める事態となる。 「ずっと伏せってると気持ち悪いだろ」 そう言って身体を拭こうとするハクを頑なに拒絶していたライコウだったが。抵抗力が落ちてるんだから、病気の時こそ清潔にしてないと回復が遅くなる一方だろ。変な意地張るなと聊か強い口調で窘められ、同時に手が届かない背中だけにするからと譲歩し、涙ながらに看護を懇願する姿にとうとう折れた。渋々寝巻の袷を緩め、上半身を肌蹴させると、背後で息を飲む音が聞こえる。 「お前、…この傷」 「…十にも満たない頃の古傷だ」 背に斜め十字に走る大きな傷跡は、それだけの月日を経て尚引き攣った皮膚の色が生々しく、当時は生死に関わるような大参事であったことが窺える。思えば、彼の家は代々の左近衛大将を多く輩出した家系であった。こいつも、ままならない現実に挫折を味わった過去があるのだろうか。 湯に浸した手拭いを緩く絞り、恐る恐る傷口に当てると、肩を竦ませる反応が返って来て途端に怖くなる。 「悪い！…やっぱり痛むのか」 「……雨の日は、少し疼くだけだ」 この男の言う少し程当てにならないものはない。漸く思い至った不調の原因に、自然と涙が零れる。莫迦な男だ。自身の体調を最優先するなら、雨季のあるこの地へ下ることはなかったのに。 頼むから…。お願いだから、意地を張り過ぎるな。お前にまで先立たれたら…。 背を拭きながら弱々しく囁かれたハクの言葉はしかし強くなった雨音に掻き消されたのか、ライコウが答えを返すことはなかった。己の涙を掻き消す勢いに救われながら、早く止めば良いと願う。相反する心情の乱れに呼応するかの如く、憎らしくも雨は更に数日降り続いた。 ------------------------------------------------------------ 近年にない河川の氾濫を招く程の大雨が落ち着いてからやっと、タケルは帰郷の途に着いた。混乱により文が止まっていたため、受取人の元へ届いたのは認められた日付から半月も経ってのことだった。あの父に限ってまさかとは思うがそれでも気持ちが逸る。 懐かしの我が家だが、中の様子を知るのが怖くて目の前の戸を開ける踏ん切りが付かないでいると。 「―遅いぞ、何やってたんだ」 「これしきのことで帰ってくる等自覚が足らぬ」 「………お元気そうですね」 二人揃っての思いの外賑やかな出迎えに拍子抜けして、思わず嫌味の様な言葉が漏れてしまうのも仕方がないだろう。こいつが大袈裟に騒いだだけだ。何だよ、こっちは心配したっていうのに、感じ悪いな。続く二人の掛け合いを見て、兎も角安堵した。 しかし、ライコウが書斎に引っ込んだのを見届けてから、ハクはタケルに駆け寄って内緒話のように囁く。本当は結構危ない所だったんだけど、持ち直したんだ。お前が来るって聞いたのもあると思う。見栄っ張りな奴だからな。…お前が忙しいのも分かるけど、出来るなら数日留まってくれないか。文句を言おうとして、意外な事実を前に飲み込む。 「遅くなったけど、お帰り。また背が伸びたな」 そう言って優しく微笑まれ、抱き締められてしまえば、最早抗えよう筈もない。全く、ハク先生は狡い人だ。 その夜はハクのたっての希望で、親子三人川の字で寝ることとなった。この年になってとタケルが照れ混じりに訴えた所為で、今回はハクが中心となり、隣の二人の手を繋ぐ。 「少し見ない間に、手も随分大きくなったんだな…」 もう立派な大人の男だなと褒められたのが気恥ずかしくも嬉しい。そう言えばお前と布団を並べて寝るなんて初めてだなというライコウに向けたハクの呟きに、思わずぎょっとして首を向けると、げんなりした、諦めに近い表情を浮かべる父と呑気に首を傾げてどうしたと訊ねてくる母がいる。お二人は仮にも夫婦ではないのか…。意外と苦労しているらしいライコウの姿に、こんなことにも小さい頃は気付きもしなかったと可笑しくなって笑う。思えば自分達は何と不思議な縁で結ばれた家族なのだろう。 「どうしたんだ？急に笑ったりして…」 「いえ、ただ幸せだなと思っただけです。―お休みなさい。父上、母上」 「そうだな。自分もお前達がいてくれて、この上なく幸せだ。―おやすみ、タケル、ライコウ」 良い夢をという優しい声音と手の温もりに何時しか意識はまどろみ、幸福な眠りに誘われる。 ------------------------------------------------------------ 明くる朝、起きろという重苦しい呼び掛けに目を覚ます。瞼を開けると既に身形を整えたライコウがいた。この家でいつもの起こし主と異なる声に珍しいと思ったところで、妙に右手が硬く、冷たいことに漸く気付く。込み上げる嫌な予感が裏切られる様願って横を向くが―。 呼吸も、心の鼓動もなく、ハクは何度揺さ振っても眼を開ける事はなかった。 この突然の事実を受け入れられず、茫然とするタケルにライコウは早馬を出して帝都のミカヅチを呼び寄せる様指示を出した。そうだ。今は何も考えずに動こう。 「…分かりました。すぐに戻ります」 「―頼んだぞ」 急ぎ身支度をして宿場へ向かい、戸を叩いて帝都への早馬を依頼する。 「義理の姉上が亡くなられたと…」 己の発した言葉で頭が急激に冷えて行き、思い至った事実にタケルは狼狽した。ハクの逝去を彼の人に知らせをやるのは何ら不思議なことではない。けれどライコウの性格ならば、エンナカムイを治めるハクの義妹夫婦の名が真っ先に出てくる筈。思えば、頼むだなんて言葉をもらったのは初めてだった。まさか………。 「安らかな顔で逝きおって…」 眠っているだけと。言われれば騙されてしまいそうな程、その顔は微笑みすら浮かべて、美しい。ただ、頬に這わせた掌から伝わる体温は彼女が常世へ旅立ったことを知らしめている。 全く、最期まで本当に手の掛かる奴だ。 急ぎ家へと駆け戻ったタケルを出迎えたのは、物言わず眠る両親の姿だった。ライコウは、生前は終ぞ見る事のなかった穏やかな顔をしている。漸く、もう二人が永遠に目覚めることはないのだと実感し、自然と涙が零れ落ちた。悲しさだけでない、込み上げてくる言い表せぬ感情を今は飲み下し、叫びたい気持ちを堪えて家を駆け出す。 日差しを浴びて生い茂る緑の葉を掻き分け、小川がせせらぐ砂利道を抜けて―。幼い頃、ハクに手を引かれて幾度となく訪れた思い出の地に辿り着いた頃には、情けなくも息が切れて、全身がしっとりと汗ばんでいた。吹き抜ける風で返って心地良い。昔は見上げるばかりだった背の高い黄金の花を、何時の間にか追い越していたんだな…。野原に背中から倒れ込むと視界の大部分が青に染められ、蒼穹に向かって獣の様に叫び声を上げた。溜った空気を全て吐き出しても世界は変わることなく、遠くから聞こえてくる風鈴の音は涼やかに、雲一つない空に溶けて消えていく。 ------------------------------------------------------------ 随分と、懐かしい夢を見た。 あれから、二人に縁のある大勢の方が葬儀に訪れてくれた。そして一人残されたタケルを気遣い、中には養子にと声を掛けて下さる方も居たが、丁重にお断りをした。今生で父と母と呼ぶのはただお二人だけ。嘗ては血の繋がりがないことを気に病んだこともあったが、血の繋がりがないからこそ本当の家族であろうと互いを大切に想っていたのだ。もしも生まれた時から当たり前の親子関係であったなら、きっとあんなにも深く注いで下さった愛情に気付くことはなかっただろう。 「襖を…開けてくれないか」 傍で付き添う子供達に請うて、空を覗けるようにしてもらう。 振り返れば仕事に明け暮れてばかりで終に誰かと連れ添うこともなかったが、悔いはない。 大蔵省へ入省後、アンジュ陛下の掲げる教育政策の一環として、式部省との合同計画に携わることが出来た。それにより、経済力がなくとも意欲のある者へは生活基盤を整える金銭を貸付され、長じて職に付き安定した経済力を得た後に金銭を返済するという制度を今では多くの者が活用している。ただ与えられるだけでなく、あくまでも自立するための一時的な支援であり、国庫と別の財源で運用されるこの制度は、多くの人々の善意や、制度を利用し成功を収めた者達の寄付により継続され、今年で丁度二十年目を迎える。 お仕えしたアンジュ陛下が退位後、後継者がヤマトを更に強く富ませた様に、母の作った菓子が帝都で愛されているように、父ライコウが著した兵法書が兵部省で教材として伝えられている様に。この国の中に、そして先生と呼び慕ってくれる子供達の中に、俺の生きた証もまた受け継がれていくのだろう。 東の方から段々と光が差し込み、空は夜から朝へと変わっていく。 ああ、この世はこんなにも美しい。 己の人生は誇れるものであったと確信して、タケルは幸福のまま、静かに目を閉じた。 [newpage] ライハクについて本気出して考えてみたら…。 オシュハクが先に出逢った場合はどうしたって恋愛のライハクにはならないけれど、家族愛なら有りなのでは、という妄想の産物です。とはいえ、それでも二人だけでは上手くいかないので、オリキャラに頑張っていただきました。 この作品を書いたことについて、ぐだぐだと言い訳は致しません。頭の中に次々と浮かんでくる物語をどうしても形にしたかった。ただそれだけです。 お叱りを受けるのは覚悟の上ですので、慎んでサンドバックになる所存です。 苦情等ございましたら遠慮なくどうぞ。出来ましたらアンケートにご協力いただけますと大変有り難いです。 最後になりましたが、ここまでお読み下さった方々は私にとって心からの感謝を捧げたい存在です。読んでくださる方がいらっしゃれば、きっとこの話も報われることでしょう。本当に有難うございました。心よりの感謝を込めて。 ■■アンケートご協力のお願い■■ 今回更新した大問題作「ライハクについて本気出して考えてみたら…」について、ご覧になった皆様がどのように感じられたのかを把握したく、アンケートを設置しました。 今後の為にも出来る限り多くの方々のご意見を賜りたく、アンケートへのご協力の程、何卒お願申し上げます。 [newpage] [chapter:【戦い（闘い）】時をかけるコハク←NEW（2016.9.23）] 「暴れウマだー！！」 なんじゃい、騒がしいと声のする方に目をやれば、運命の相手を見付けたウマが恋路の先の障害物を蹴飛ばして通常の三倍の速さで駆けてゆく。その目的地に見えるは、ああまたかと串焼き片手にげんなりとした表情のハク。割と帝都で馴染みとなった光景が広がっていた。初めこそ訳が分からず逃げ惑い、無駄に周囲に被害を拡大してくれた元凶も今では鉄扇一つであしらい、最小限の被害で納められるようになったのだから、時は偉大である。 一応手を貸すかと視線だけで問うてみるも、いらんいらんと首を横に振って返してくる。それでは御手並み拝見と飴屋店主に扮したミカヅチが見物を決め込み、ハクが対象との間合いを測りながら腰の扇に手を掛けたその次の瞬間。 「ヒトが吹っ飛ばされたぞー！」 「早くこのウマを取り押さえろ！！」 「誰か、薬師はいないかー！？」 …ハクの身体が放物線を描いて宙を舞った。信じて任せたらこの様である。 だが衝突の刹那、持ち手に掛かった指が不意に脱力し、次いで眼前の事象に為す術なく立ち竦んだ様子が妙に引っ掛かる。一先ずミカヅチは細心の注意を払って彼女を抱き上げると、此処から程近い、腕の立つ薬師が居を構える白楼閣へと足早に向かった。 ------------------------------------------------------------ 不運にも詰所には二代目顔役を筆頭とする男衆と幼児しかいなかったが、慌しく訪れたミカヅチとその腕で眠る土埃の付いたハクを見て事の重大さを察したヤクトワルトの行動は迅速かつ的確だった。オウギに急ぎクオンを呼びに行かせ、キウルを右近衛府へ使いに出し、その足で呪法を使えるネコネを連れて戻るよう言い含めると、女子衆には着替え他大凡看病に必要な道具一式を頼んで揃えてもらう。流石剣豪にして一児の父、状況把握はお手の物といったところか。 「ぅ…ん」 無暗に動かさない方が良いという判断の下、布団に寝かせ終えて様子見となった所で、彼女が意識を取り戻そうとしているのが知れ、一同は安堵した。しかし、目覚めたばかりで何処か焦点が定まらない琥珀の双眸に不安を煽られ、思わず駆け寄り手を握り締めるミカヅチに対し。 「確りしろ。身体に不快感やおかしなところはないか？」 「―はい、大丈夫です」 ぱちりと瞬きをして生気を取り戻したハクは花の零れる様な微笑みで肯定した。 んん！？？その場にいた全員の思考に多大なる違和感が生じたのは言うまでもない。遅れて駆け付けた保護者にとっては況やをや。 「ハク、ウマの恋路を邪魔するウマに蹴られたって聞いたけど…」 何が何だか。伝言の軽い行き違いを踏まえても彼女は大分混乱していた。 「あの、それが私の名前なのですか？」 記憶をなくすと人格まで変わってしまうのか…。 どうして此処にいるのでしょうと、不安げに布団の端を握り締める様は確かに庇護欲をそそる。だがしかし、通常運転のハクを知る皆にとっては無暗矢鱈と可愛らしい一挙手一投足の精神攻撃が地味に痛い。 「本当に何も覚えていないの？」 私達のことも忘れてしまったの？という言葉をクオンは飲み込んだ。 「いっそ、記憶を失くした時と同じ場面を再現してはどうだろう？」 「やってみます！」 A.雪山に素足でボロギギリと追いかけっこ（タタリもいるよ） B.暴れウマに体当たりされてからの空中浮遊体験（オプションでミカヅチの姫だっこ付き） 読み本にそうすれば治ると書いてあった…様な気がする？とうろ覚えのまま純然たる善意で致死率の高い提案をする姉を、今回ばかりは流石の弟も悪乗りせずに諌めてくれた。姉上、それはちょっと…と。おいおい、もっと強く引き留めろというのが全員の心の叫びである。 そして姉弟のやりとりを興味深げに眺めては「…お二人は姉弟なのですか？」と呟きながらしきりに首を傾げる元凶。もしかして…。 「何か思い出し掛けたのか！？」 「―ええ。ぼんやりと、ですが、私には…お兄様がいらした気がします」 「そういえば兄ちゃんがいるって聞いたぞ。どんなヒトなんだ？」 無邪気なシノノンの問い掛けに彼女は頬を染めながら答えた。 「遍く全ての事象を見通し、比類なき叡智で万民を統べる偉大な施政者であり、統治者故の冷酷さが強調されて誤解されがちですが、本当はとても優しい御方。お兄様と同じ世に生を受けた。それだけで私この上なく幸せです」 兄を神の如く崇め奉り、陶酔した様に語るその姿を単なる兄妹愛で済ませて良いのか、という記憶喪失以上に重過ぎる難問はさて置き。 誰か聖廟へ行って帝を連れて来い！そうすりゃ万事解決だ。皆の期待の眼差しを一身に受けたミカヅチは顔を引き攣らせた。公私の区分を厳密にされている御方だが、国の最高権力者よりも時折覗かせるハクの兄としての顔の方が感情の揺れ幅が大きい分恐ろしい。すぐ傍に居ながら事態を防げなかった責任は負おうとミカヅチが渋々ながら腹を決めたその時。 「………もう帰って仕舞われるのですか？」 くいっと。 地獄へ向かう袖を引き留められ、潤んだ瞳で寂しげに縋られ、ミカヅチがあんぐりと口を開けた時に漸くオシュトルがやって来た。 「おい、ウマに蹴られて市中を引き摺り回されたって聞いたが大丈夫なのか？」 心配が先立ってしまっているのだろう。オシュトルはすぱんと襖を開き、ずかずがと上がり込み一直線でハクの手を取ったが。 「きゃああっ」 なに今の可愛い悲鳴！？ 「だって、見知らぬ殿方がこんな近くにいるなんて、恥ずかしいですし…」 それに…ちょっと怖い。そう言って隣にいるミカヅチの背に隠れる様に引っ込んでしまう。 「…お前、俺のことは怖くないのか？」 「？ミカヅチ様は私を助けてくださった恩人ですもの。それに、何だかミカヅチ様は懐かしい雰囲気があって一緒にいてくださるととても落ち着きます」 いや、そんな安心しきった笑顔を向けないで欲しい。膨れ上がった同僚の殺気が過去最大値を突破しようとしている。やめろ、仮面の力を解放しようとするんじゃあない。 「…取り敢えず、何があったか説明してもらおうか」 ―なあ、さっちゃん。口元は弧を描いているというのに、オシュトルの目は全く笑っていない。 「俺こそこの状況を説明して欲しいわ！！！」 謂れなき殺気を浴びせ掛ける同僚に対してミカヅチは正当にキレた。 [newpage] 而して、この日の午後から翌日まで非番であり、元々白楼閣へ泊る予定だったハクの当初の予定を考慮して、明日一日だけ様子を見ようという結論で落ち着き、与えられた束の間の一時を「ハク」は女性陣と共に帝都散策に出掛けることに決めた。主にクオンが。 馴染み深い風景を見れば何か思い出すかも知れない、という建前と久し振りにハクと過ごしたいという本音の見え隠れする大規模な外出で、ウコンに扮したオシュトルは用心棒として付き従っている。ミカヅチはハクが記憶な失くした事で各方面への根回しに忙しい。 変装だと言って女性陣の着せ替え人形にされていたが、本人はにこにこと楽し気で。裾の広がった女性らしい服装に身を包み、極め付けに長い黒髪の鬄を付けると無邪気な表情と相俟って一気に幼く見える。物珍しそうにあちこちを見てあれはなに、これはなにと尋ね、挙句道端の小さな花でさえ、貴重な宝石の様に目を奪われる様子は世界から隔離され屋敷の奥に閉じ込められた物語の姫君のようだ。姫殿下のわんぱくさを見習って欲しい。流石に串焼きの食べ方すら分からないと言った時は何処の箱入りだと疑ったが、本来の身分を鑑みれば寧ろ当然のことのようにも思われる。それでも、思い切って肉に被り付き、食べ方が下手で頬にたれを付けてしまう姿は非常に可愛いらしい。 一方オシュトルは不思議な気持ちに捉われていた。己は確かに婚約者たる目の前の相手を心から恋慕っている。周囲は気を揉んで、もしもこのまま記憶が戻らなかったらとオシュトルの心情を慮ってくれているのだが、不思議と焦りはない。 何故なら、彼女の瞳の奥の色が僅かに違う。まるで魂それ自体が取り違えられたかのように、姿形は同じでも全く別の存在、それでいて恋慕でなく無償の愛を注いで優しく愛しんで庇護すべき対象なのだと本能が知っている。 記憶が戻らなければ国に連れ帰って大切に育てよう。―娘として。 手放す気は微塵もない。 オシュトルの脳裏では本人の了承も得ずに非常に物騒且つ綿密な将来設計が練られていたが、初めての食べ歩きに夢中な彼女が気付きもしなかったのは幸運と言えよう。何かを察したクオンの尻尾だけが不穏に唸って得物を仕留める瞬間を待ち構えていたが。 「あの行列は何ですか？」 「あれはー…」 尋ねられたクオンはぎょっとして口を噤んだ。何故此処ヤマトに過保護な姉達がいるのか。手紙で大切な娘が嫁に行くまでは猶予を欲しい旨を何度も認めて、当然のことながら別の疑惑を醸し出して大いに揉め、最終的には渋々と言った父の承諾も得た筈なのに。 遠目ながら、向こうもクオンの存在に気付いたらしい姉達は視線を寄こし…。 張り詰めた糸を弾く様に空気が振るえ、カミュの姿が別の存在へと揺らぐ。 そしてクオンもまた、己の身に巣食う力が膨れ上がり、呼応するかの様に首から下げたお守りの勾玉が宙に浮いて光を放ち出す。 「こら」 其処へ裏通りから一行を呼び止める様に不機嫌な声が響いた。満を持して兄（帝）の登場である。 「記憶喪失と聞いたが、何を呑気に出歩いておる？」 感情を排した琥珀の瞳は冷ややかで、正面から受けたオシュトルは勿論、後ろに控えるミカヅチも血の気が引いている。 ふとした拍子に記憶が戻るかも知れないから、今日一日は様子見で！と内々の根回しに奔走していた筈の同僚がラスボスと共に現れたものだから、予想外の事態にオシュトル達は顔を引き攣らせた。勿論ミカヅチにだって言い分はある。己の兄にそれとなく事の次第を語ったら、その足でまさかの直談判。しかも、矢鱈に長い謁見時間に別室で待機の間は気が気じゃなかった。 ちなみに後ろのもう一人はなんとライコウだった。常の装束は印象操作の面もあるのだろう。特に変装をしている訳はないのだろうが、仕立ての良い黒一色の着物姿から聖賢の君を即座に連想するのは難しい。 近衛大将を怯ませる程の視線にされられたハク（記憶なし）は…。 「きゃああああああああッ。お兄様！！」 真っ赤な顔で絶叫して失神した。オシュトルが慌てて抱き留めなければ危うく二次災害が出ていたに違いない豪快な倒れっぷり。 「―何があったかじっくり説明してもらおうか」 包み隠さずな。見返り帝の冷たい瞳に晒されて、今、二人の心は一つになる。 だからこっちが聞きてえよ！！両近衛大将は心の中だけで盛大にハモった。 ------------------------------------------------------------ 目の前の茶番を見ない振りで、今の歪みは何だったのだろうとクオンは考える。 何時の間にか異変は収まり、ぶれたカミュの姿も勾玉も常の状態に戻っている。しかしクオンは、身の内に巣食い、目覚めつつある力の片鱗を確かに感じていた。 [newpage] 彼女が熱で朦朧とする頭で聞いたのは、敬愛する兄と母の会話だった。 「お前への膨大な貸しが、これしきの事で帳消しにされる等とは思わぬ事だな」 「…お前にそんなの期待する訳ないだろ。………手が必要なら言えよ」 孤高であるお兄様が、母にだけは信頼を寄せ、対等の存在のように扱い、母もそれを享受している。そうなれないこの身が堪らなく寂しくて、羨ましかった。 ――私も、お母様みたいになれたら……。 そう願った瞬間、気が付いたら目の前に暴れウマがいたのは流石にとってもびっくりしました。 でも、意図せず記憶を失ってしまったことで、思いがけずお父様や、クオンお母様達と昔の帝都の街並みを回れて本当に楽しかった。いつも話にだけ聞いて憧れていた外の世界！ この国でずっと、大切な人達と生きて行きたい。 夢の中で追体験した記憶が神様のものであるならば、トゥスクルのお母様達がヤマトにいらしたこの時へ遣って来たのも、運命の采配なのでしょう。 長い時の旅を終わらせること。 それが私の使命だというのなら………。 ------------------------------------------------------------ 伸ばした手を確りと握られたことで意識は覚醒した。ふわふわと覚束なかった精神が根を下ろし、身体を取り戻した様な感覚。 見渡せばなんと懐かしい、大切な人々の若かりし頃の顔がこちらを心配気に覗き込んでいるのが見える。 「―ハク殿…いや、其方は一体何者なのだ？」 「私は…オンヴィタイカヤンの生き残り」 「ヤマトの滅びの定めを変えるため、そしてトゥスクルのハクオロ皇を…ウィツァルネミテア様を長き因縁から解き放つために、これより先の世から参りました」 「お願いです。どうか私を、オンカミヤムカイまで連れて行って」 [newpage] 詰所と別に用意された一室で、しんと痛い程にこの場の空気を支配する沈黙を破ったのはヤマトの最高権力者だった。 「―随分と莫迦げた話だ。信じる方がどうかしている」 冷酷な響きに、否定された先の発言者は震えた。けれども、繋いだままの手が励ます様に握り込まれるのを感じて、顔を上げる。 「お待ちください、聖上。確かに荒唐無稽な内容かも知れません。しかしながら、某にはこの者が偽りを申しているとは思えぬのです。慎重な調査が必要かと…」 「誰が発言を許した？余に逆らう気か」 オシュトルは躊躇わなかった。公人でなく、ハクの兄という私人の立場に甘えての発言でもない。 「臣下としての忠誠に変わりはございません。しかし義兄上！俺にはこの娘がハクと無関係とは思えない。単身乗り込んでまでヤマトを救おうとするこいつを信じて、共に願いを叶えてやりたい」 同じくハクに振り回される者として場末の酒場で慰められた時の優しさや、妹を筆頭に気に入った者をやんわりと揶揄う傍迷惑な悪癖、稀に横暴なまでの頑固さ、そして大切な家族を語る時に細められる琥珀色の双眸の柔らかさ。それらを知る度、主君としてでなく義兄に対する敬愛が増していった。 オシュトルは確信している。本心から否定されることはないと。 「私からもお願い申し上げます。ハクオロ皇も救ってくださるというのなら、トゥスクルの皇女として、娘として、出来る限りの協力は惜しみません」 「―トゥスクルの姫よ。何故そうまで容易く他人を信じられる？」 続け様にオシュトルを肯定するクオンの申し出を、一旦保留する形で帝が問い掛ける。 「…正直混乱していないと言えば嘘になるかな。でも、この子の魂はハクにとても良く似ている。―私はハクの保護者だから、この子ごと大切な存在を信じるの」 「勿論、裏付けもありますわ」 突然の乱入者に一同は驚くが、当のカルラは大切な主様に関する事とあらば黙って居られませんのと悪びれずに微笑み、この方々も同じ気持ちでしょうと言いながら襖を全開にすれば、聞き耳を立てていた者達がべちゃっと部屋に雪崩れ込む。部屋に結界を張っていた筈の双子も説得に応じてしまったらしい。 うっかり雪崩れに巻き込まれて強か顔を打ち付けたトウカはこほんと咳払いをして、カルラの言を引き継ぐ。 「昨日よりオンカミヤムカイの地に異変があるとウルトリィ殿から連絡をいただいていたのだが……。つい先程、聖上の封印が解け掛かっていると急報があった。今頃オボロ殿達は大急ぎで彼の地へ向かっているだろう」 計ったかのように遠くから響く地鳴りが、事態の信憑性を押し上げる。 「全く、仕方がないな。…信じてみるか」 「ありがとうございます！！」 三十八の瞳に無言で見詰められ、やれやれという風に呟く姿はハクにそっくりだった。いや、きっと妹が兄に似たのだろう。 「……意外に柔軟ですわね？」 「ほんの少し前に想像すらしなかった事態に遭遇したからな。それより小さい案件は割とあっさり受け入れられるものだ」 妹が突然自称未来から来た未知の存在に乗っ取られ、滅びの運命やら諸々のネタバレをぶちかまされた以上の案件についての興味は尽きないが、全員が等しく空気を読んでこの場は口を噤んだ。全てが終わった後に聞いてみようと心に留めて。 「そうすると、当面の問題は交通手段か？」 「問題ない。私がお父様の所まで連れて行く」 実は先程から居たアルルゥとカミュの二人。ムツミが颯爽とカミュの意識を乗っ取るやいなや、茫然とする周囲を置き去りに、さあ一刻も早くお父様の元へとハクを連れて姿を消した。当然、手を握ったままのオシュトルも、逃がすものかと寸でのところで尻尾を巻き付けたクオンも一緒に。 「………しまった！！ウルゥル、サラァナ。急いで後を追うぞ」 「承知」 「お任せください」 最終決戦に向けて巻き巻きの展開に、お兄ちゃんは必死だ。 「アルルゥも行く」 「抜け駆けは良くありませんわ」 「…私も…連れてってくださいなのです！」 助走を付けて飛び込んだネコネを最後に光の道は消えた。長距離移動に対して明らかなる定員オーバーであり、誰かの首が変な方向へ曲がる鈍い音が聞こえた気がするが、まあ何とかなる筈だ。 「あやや～。ウチら置いてきぼりけ」 「ど…どうやって追い掛けましょう？」 「いざという時のために、カルラが地下に準備した船やら隠し水路やらはあるが…」 申請もせず勝手に何やってんだと言う左近衛大将の疑惑の眼差しを受けて、うっかり侍は目を泳がせた。トゥスクルと事を構える時は誘導尋問でこいつから情報を引き出そうとヤマト一厄介な男に目を付けられたのは、多分一生知らない方が幸せだろう。 「―下らん、俺は聖廟へ戻る。聖上より留守中の国事を託された身であるからな」 そう言って踵を返すヤマトの大老の姿に一同は胸を打たれた。私心を捨て去り役目を全うせんとするのが正しい臣下の在り方で、その背は各人に己の為すべきことをせよと無言で語っていた。 「そうだな。帰りを信じて待つのが良い女の役目というものだ」 「私、私は…疲れて帰って来る皆さんをご馳走で出迎えます！」 「オレも手伝うぞ！」 「人手ががくっと減った分、依頼を頑張ってやっつけんとなぁ」 「そ、某もカルラの分まで働かねば…」 実は船酔いを回避できてほっと一安心のノスリと逃げを打つトウカは兎も角。それぞれの役目のために銘々に去って行く女達を見送った男達の残る部屋で、ミカヅチは感動に裡震えていた。幼き日に憧れた揺ぎ無い兄の背が成長した今の姿に重なる。矢張り兄上は兄上のまま― 「万が一戻られなかった場合も含めて、な」 「………………は？」 余りにも堂々とした簒奪発言にミカヅチは我を忘れた。聖廟一直線に進む足取りは迷いがなくこの上なく軽やかに。畜生！刺し違えても止めるのが弟の務めだとでも言うのか。俺のときめきを返せ！！聞き違いを肯定して欲しくて男衆に縋ると。 「が…頑張るじゃない、ミカヅチの大将！」 「これ、痛んだ胃にとても良く効くお薬です」 「骨はちゃんと拾いますから」 おい、やめろ。不可能を前提とした励ましを寄こすな。 「何を愚図愚図している」 ミカヅチは戻って来たライコウに首根っこをひょいっと引っ掴まれ、そのままずるずると連行されていく。こっちはこっちで大変な戦いが幕を開けようとしていた。 ------------------------------------------------------------ 先発隊に僅かに遅れて辿り着いたこの地こそ―。 「…此処が、オンカミヤムカイ」 己の繰り出した華麗なるドロップキックが命中した所為でいと貴き御方が悶絶しているとは露知らず、ネコネは感慨深げに呟いた。 [newpage] 「連れてきました、お父様」 地上の祠を擦り抜けて、大神の眠る地下深くへと導かれた三人は其処で神と対峙していた。生き物を住まわせぬ剥き出しの大地に灼熱の溶岩流が吹き荒れる様は地獄と呼ぶに相応しい。仮面を付けた異形のモノは、封印なのであろう石化が下半身を覆ったままでも凄まじい力が畝っているのが感じられる。オシュトルは本能で、仮面と契約した力の源流を悟った。 探し求めた存在を歓迎する様に、しかし威厳をもって神は言葉を発した。 「進化の果てに、よくぞ我と同じ高みまで上り詰めた。さあ、共に永遠を歩もう」 その手がハクへと伸ばされ― 「ちょっっと待ったあ！！！！仮令神と言えど惚れた女は渡さねえ」 「良く言ったかな、オシュトル！！実のお父様であろうと、私の大切な娘を嫁に貰うのならその御命賭けてもらう！！！」 ―ることはなかった。オシュトルの斬撃とクオンの苦無によって。共通の敵を前に頷き合って手を組んだ最強コンビは大神を前にして一歩も引かず、戦う気満々だった。 ………なんで嫁候補以外を連れて来ちゃうかな？勝手に付いて来たんです。振り落とそうとしても、梃子でも離れなかった。こそこそと念波で交わされる親子の対話。体面を取り繕う必要の無い会話だと神様は結構気安かった。 「もー！！！どうして暴力で解決しようとするんですか！？話し合いによる相互理解や交渉、譲歩がなければ血塗られた歴史は繰り返すばかり。真の平和なんて永久に訪れません」 頬をぷうっと膨らませて展開される場にそぐわない正論にばつの悪い思いをする約四名。このヒロイン、侮り難し。 「だが、それではどうすればいい？共に歩む伴侶を得られねば、私は何度でも繰り返すだろう。…それにこのまま目覚めれば、きっと衝動のままに望まぬ破壊や呪いを撒き散らす」 かつての妻を無残に殺した人類、オンヴィタイカヤン全てをタタリへと変えた様に。 付け加えられた言葉に、オシュトルとクオンははっとした。ハクが、過去を語りたがらない理由はこれだったのかと。 己の望みを叶えられない神という存在は孤独だ。大いなる力は代償に自身を制約で縛る。 悠久の孤独に耐え切れず、ずっと共に居てくれる存在を願っても叶えられぬと制約を知った時から、彼の長い旅は始まった。間接的に歴史へ介入し、誰かの願いを叶えながら、種全体の進化を促し続ける。駄目なら何度も初めから遣り直し、今度こそと繰り返して…。 「私は、貴方の本当の望みを知っています。」 幼子の様に、独りは寂しいと心で泣く神様を、少女は進み出て抱き締める。 怖い夢から守る様に。 「……夢でずっと見て来たんですもの。望んだ形が初めと変わってしまった所為で、戸惑って気付いていないだけ」 永い歴史を繰り返す中で、貴方も変わっていった。ゲンジマル様を友と呼び、愛するヒトと共に過ごす未来を願ったのはきっと、貴方が神でなくヒトとしての愛を知ったから。 「しかし、そんな願いが叶う筈がない」 「大丈夫。こう見えても私だって神様なんですから」 偽物の私にも神の力が宿ったのは、きっとこの時の為だったと思うのです。それに。 「私、とっても我儘なんです。誰かを犠牲にするのでなく、皆で一緒に幸せにならなきゃ嫌なの。さあ」 全てを許して受け入れる包容力、決して諦めない芯の強さ、立ち開かる運命に立ち向かう勇気。きりっとした顔で宣言した瞬間、ヒロインは勇者に昇格した。ウィツァルネミテアもオシュトルもクオンもムツミでさえ、うっかり惚れ掛ける漢っぷりだった。 二人の神が両手を繋いだ瞬間、互いの心は一つとなり、中心から大きな光が生み出される。 「私は願います。ウィツァルネミテアがヒトとして愛した者と寄り添える新たな生を」 「我も望もう。全てのオンヴィタイカヤンへの救いを」 世の理全てを変えてしまう程の大きな光の洪水はしかし、ハクの方に力が足りないのか、暴走する光の渦が彼女を襲う。よろけそうになる彼女を支えたのは、仲間達だ。 「半神の私も、願うかな」 「某も、仮面の契約者である故」 「お父様の願いは私の願い」 クオンが首から下げる勾玉が呼応する様に砕け散り、オシュトルが胸にしまった仮面も光の粒子となって消える。 その時、眩い光は地上へと解き放たれこの星を覆った。トゥスクル、ヤマトだけでなく地表の全てを照らす大いなる光に人々は祈りを捧げ、愛する者達の無事を願う。 「契約は為された！さあ、それぞれの有るべき場所へと戻るが良い」 其方達に心よりの感謝を。残った力でクオン達五人を光の球体で包み込み、最期にそう言って神であった存在は消えた。いや、今まで神の姿に隠れて見えていなかった男の中に入って行ったのかも知れない。追い掛ける様に、ムツミ達の魂が入り込むのが見えたからきっとそうなのだろう。クオンは意識を失ったカミュを慌てて抱き留めた。そして…。 ハクの身体が無数の光に包まれて消えようとしていた。行かせはしないと身体を抱き寄せるオシュトルの胸の中で彼女は笑う。 「私の名前は…コハクです。大丈夫、きっと未来でまた会える」 いつか、この世界の私にも帝都を案内してくださいね。今度はお母様も一緒に三人で。 [newpage] 一昼夜ぶっ通しでウマを走らせたトゥスクル一行がこの地に辿り着いたのは、ヤマトの後発部隊が到着してからすぐの事だった。何でお前等が此処にいるんだと因縁付ける間もカルラが事情を説明する間もなく、問答無用で光に包まれ、気付いたら祠がほぼ全壊していた。 「そんなっ！ウィツァルネミテア様もカミュの気配も感じられない。…間に合わなかったということなの？」 膝を付き項垂れるウルトリィの言葉に、それでも諦めず中の者達の無事を確かめようと、ヤマトの帝とトゥスクルの皇が弾かれる様に駆け出したその時、ふわふわと光の膜に包まれた球体が空中に現れ、弾け飛んだ。当然中に居た者達は宙に投げ出される。―空からヒトが落ちて来た！という奴である。ただし空飛ぶ石は当然ないので、結構な落下速度で。 「うなあああああああああああッ！！！」 ネコネの絶叫も無理からぬことである。 衝撃に備えていたクオンは優しく抱き留める腕に包まれていた。正確にはクロウに抱き留められた男の胸の中な訳だが。 「あの…貴方はもしかして私の「兄者―」 空気を読まない義弟、現トゥスクル皇の呼び掛けによって、男の正体は明かされた。何よりずっと帰りを待ち侘びていた周りが彼を放っておく筈もなく。彼は一瞬で間合いを詰めた面々に囲まれ、もみくちゃにされた。何時の間にか意識を取り戻したカミュもその輪に加わっている。 初めての父との対面が非常に騒がしいのが、なんともトゥスクルらしくてクオンは笑った。 そして一頻りの挨拶が済んだ後。 「お帰りなさい、ハクオロさん。…初めてお顔が見れました」 「ああ。ただいま、エルルゥ。遅くなって悪かった」 その日、歴史にうたわれしトゥスクル皇ハクオロが帰還した。ただし、その顔に決して外せなかった仮面はもうない。 「ハク、しっかりしろ。目を…」 「……トル、オシュトル？…良かった！オシュトルが生きてるッ」 意識を取り戻すや否や首元に飛び付き泣きじゃくるハクの様子に、全く心配掛けさせやがってと確り抱き留めてみせる。不意を付かれ意外な瞬発力に若干大勢を崩し掛けたことも、ん？何で俺が死んだことにされてるんだ！？と内心の動揺は億尾にも出さない。何かと問題を引き起こす妻を持つと、自ずと夫力は上がっていくものである。 そして実は光の球はもう一つあった。 「此処は一体…」 「おじちゃん達はだあれ？」 「お前達は、俺の、大切な家族だ」 記憶を失っていても構わない。多少姿が変わっても、生きていてさえくれればまた始められる。千年の時を隔てた再会に男は妻子をきつく抱き締めた。もう二度と失うことのないように。 後に判明したことだが、不死の怪物と恐れられたタタリはいつしか忽然と姿を消し、二度と現れることはなかった。代わりに、遺跡近くの村で記憶を失くした多数のヒトが発見され世を賑わせることとなる。ヤマトは彼等の受け入れを各国へ表明し、帝は協力した国々への支援も併せて発せられた。 賢帝の帰還を機にトゥスクルに連なる国々とヤマトは同盟を結び、多くの国が同盟に参加したことで、長く戦争の起きぬ世が続くこととなる。 ------------------------------------------------------------ 眩しい。目を開けて飛び込んで来た懐かしい自室の天井を見詰めてコハクは思う。 私、戻って来たんだ。 別の世界だけれど、皆を助ける事ができて本当に良かった。 「お、やっと起きたか」 珍しいなお前が寝坊なんて。早く身支度を整えないと愛しのお兄様に置いて行かれるぞ。そう揶揄う様に遣って来た母には、何故か丸い耳とクオンに似たしなやかな白い尻尾が生えていた！？ 「どうしたんだ、急に耳と尻尾を押さえて…。具合でも悪いのか？」 突然に出来事にがばりと起き上がり、恐る恐る自身の姿を確かめると母と同じ耳と尻尾がある。 「具合が悪いなら、今日は大事を取って一日休めば良い。……ライコウ殿には某から上手く伝えておこう。一両日中にはクオン殿達もやって来られるのだからな」 「こら、自分が非番だからってずるいぞ！それに何時までも娘の恋路を邪魔してやるな。全く、お前といい、兄貴といい…」 コハクは両親の会話でこの世界もまた改変されたことを知った。大切なヒト達が笑顔で笑っている。 「お父様、お母様、大好き！！」 泣きながら抱き付いてくる愛しい娘に、オシュトルとハクは顔を見合わせた後、力一杯抱きしめた。怖い夢でも見たのか？という父の問い掛けに涙で言葉が詰まるから代わりに必死で首を振る。きっと夢なんかじゃない。それに涙が出るのは嬉しいからだ。 時を超えた世界すら変えてしまう力。 ―ありがとう、ウィツァルネミテア様 生まれ変わった私の、希望に満ちた一日が始まる。 [newpage] ――幾度も。 幾度も時を遡った。時を遡り、しくじったと思う度に違う世へと渡った。 ヤマトの滅びを定め運命を変えるため。 一度目は帝都に巣食う不穏分子の粛清を徹底した。 帝都が火に包まれることはなかったが、代わりに戦力を集結されたマルルハが陥落し、指揮官が敵国の手に落ちた。救出は間に合わず、拷問に耐えきれなかった身体が目の前で崩れ落ちたことで通信兵からオシュトルとトゥスクルの娘の暴走状態を伝えられた後、世界は崩壊した。 二度目は一度目と同様の粛清を行ったにも関わらず、上手く擦り抜けた者達により帝都で反乱が起きた。今度は初陣となる新参の八柱将には聖廟内の守りを固めるよう命じておいたが、彼女はアンジュ帝を向けられた逆進の刃から庇って絶命し、後から駆け付けた己にもその刃が振り下ろされた。 三度目にはこれまでで尤も規模の大きい反乱となった。この頃にはある者を捕えても、今度は別の者がその役割を担い、出来事の大筋を変えられない理を口惜しくも理解し始めていた。ならばとあれをオシュトルの傍に付けてみたが、結局一番悲壮な末路を辿る。 妻と帝都の民を秤に掛けられ躊躇したオシュトルは隙をつかれて重傷を負い、そして彼の妻は犠牲になった。反逆者は過去にヴライの炎で妻を焼かれたといい、その再現をしたという。 ―そうして… 「ライコウ？」 お前がぼうっとしてるなんて珍しい。明日は槍が降るな。 そう言って、笑う顔を見るのが随分と久し振りであると場違いにもライコウは思った。 初めは右近衛大将の密偵かと警戒していた。 次いで、可笑しな奴だと思った。権力を求める訳でもなく、かといってオシュトルの様にヤマトと民の為に身を捧げている訳でもない。 慎みも無く無遠慮で、だが媚びの無い気安さが不快ではなかったのだと、この時に初めて気付かされた。 「おい、本当に大丈夫か？」 無理言ってコハクの見舞いに呼び付けて悪かったよ。仕事が忙しいなら……面倒臭いけど、少しなら手伝ってやれるぞ。これで貸し借り無しだからなと戯ける姿に、つられてライコウも微かに口元を緩める。何年振りかの笑みだった。 「お前への膨大な貸しが、これしきの事で帳消しにされる等とは思わぬ事だな」 「…お前にそんなの期待する訳ないだろ。………手が必要なら言えよ」 さて、代わりと言っちゃあ何だが、お茶でも飲んでけ。ついつい新作の菓子を買い過ぎてな。オシュトルは喰わんから一緒に消費してくれると嬉しいと一方的に言い置いて、準備のために彼女は部屋を出て行った。 己も客室へ移動しようとしたその時、寝返りでも打ったのか、布団に落ちた手拭いを盥に張られた水に付け、額に載せてやったのは単なる気まぐれの筈だった。しかし、意図せず指先がコハクの額に触れたことで、不思議な光に導かれるまま、ライコウは遡った先で更に時をかけることとなったのだ。 ヤマトの帝が存命の時にまで遡ったのは、初めてのことだった。程無く訪れたミカヅチからの情報を元に、コハクもまた時を越えたと知ったライコウは動き出す。今度こそ未来を変える為に。 その後、この世が光に包まれたと同時に魂を引き摺られる感覚がして、ライコウは再び戻って来た。目の前には夢に魘されるコハクが見える。 「…オシュトル。……兄ちゃん？」 いや、こいつは…。夢現に指し伸ばされた”ハク”の手を掴むと、安心した様に笑った。 そうか。そういうことだったのか。 「　　　　、　　　　　」 “ハク”が頷いたのを見届けた後、ライコウは今度こそ己の意志で時をかけた。 己の魂が過ごした過去の、そしてこれからハク達が辿る新しい道筋と決して交わることのない未来の世へ。 意識を取り戻した先では、仮面の力を解放したオシュトルによって、燃え盛っていた炎が掻き消されているところだった。 「ライコウ様、通信兵との連絡手段が回復しました。ハク様はマルルハの鎮圧に成功。…急ぎ此方に向かわれているとのことです」 「そうか。では、動ける者は二手に分かれ、反乱者の捕縛と生存者の救出にあたれ」 …無駄ではなかったということか。 これ以降、彼が時をかけることはなかった。 ------------------------------------------------------------ 実はライコウも未来を変える為に時をかけてたんだよ、というお話でした。 唐突ですが、私は東京BABYLON（X）の星史郎と昴流の関係が大好きです。 互いの世界を構成する要素が違うから、同じ言葉がそれぞれ別の響きを持つという仕掛けに思い切り嵌まりました。 個人的にXでの星史郎の最期の言葉は「（貴方を）次の桜塚護にしたかった」かなと勝手に思っています。そういう訳でライコウがハクに向けた空白の科白の中身はお好きにご想像ください。 ちなみに、ライコウが時をかける原因について。 帝都に火が付けられた時、コハクが「お願いお兄様、ヤマトを…皆を助けて」と願い、丁度その時「こんな筈ではなかった」と思ってしまった所為で、ライコウは時を飛ばされます。ただし、あくまでライコウは救う立場で救われる立場ではないので、分岐の世界には行けず、元の世界に戻される。 分岐世界へ行けないのはお兄ちゃんも一緒。だってオンヴィタイカヤンでもないが、ウィツァルネミテアにもなりきれていないから、救われる対象者に入っていない。コハクと過ごした時を夢の話と捉えていたが、己の死期を悟って一人残すハクの未来に怯えており、臨終の言葉とライコウとの妙な間のやりとりはこの所為。ただし、元の時間軸でお兄ちゃんｓの献身がハクをタタリに掛けられた呪いから解き放ったという分かり難い裏設定です。 Q.結局二人は幸せになってねえのかよ！！？ A.…ええ、まあ。 一応ライコウには「ラブコメ～」を用意しましたが、お兄ちゃんへの救いは何巡か後の並行世界である筈です、きっと。 あんな予告とフラグ立てまくったので、オチなんて丸わかりだと思いますし、何より「本気出して、時かけ、ラブコメ」で3点セットなんだから根性出して同時に上げろよって話なんですが、自分には無理でした。しかも遅くとも「二人の白皇」発売までに書き上げるつもりだったのですが、全然間に合わなくてすみません。これでも結構頑張ったんですが…。 ただ、本気出して～の反応が物凄く知りたくなったので、中途半端になりましたが、アンケートを設置出来て良かったと思います。有り難い事に、Bookマークや評価もいただけたようで、特にこの話をアップする2016年9月22日までにご協力いただいた6名の方に心よりの感謝を捧げます。正直あんなエグイ話だったので、反応ゼロを覚悟していました。アンケートにご回答いただいたということは、即ち「本気出して～」を最後まで読んでくださったということと思いますので。 一度決めた事柄方事は何が何でも遣り通す主義ですが、今回はこの6名の方に反応をいただけたお陰でなんとか作品をアップすることができました！！ 許せんとお答え下さったお二方。率直な御意見をありがとうございます。 正直自分もオシュ（ウコ）ハクタグがついた作品であんなもの見せられたら、ふざけんな！！って暴れる自信があります。 そして許容できるとお答え下さった四名の方々。感謝の菓子折りをお渡し出来ないのが心より悔やまれます。 皆様からの反響によりいただく力は本当に凄い！反響をいただく度に、私の世界は活き活きと、色付いて変わって行き、作品を生み出す力になったことを感謝と共に心からお伝えしたいと思います。 次の「ラブコメ～」にオシュトルは出ませんが、興味のある方はどうぞお付き合いください。 [newpage] [chapter:【戦い（闘い）】ラブコメなライハクが読みたくて←NEW（2016.9.23）] ライハクがいちゃいちゃ…はしてないけど、ミカヅチを加えた三人でわちゃわちゃしてるお話です。現パロで幸せな桜庭一家（左近の桜より）が見たいという己の欲望の忠実な僕となった結果できました。偽りの仮面のような死と隣り合わせの世界でないため、精神年齢が原作-10歳くらいのライコウがでます。そうでもしないとくっつかないんですもん、こいつら。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 真っ先に飛び込んで来たのは見知らぬ天井だった… なんて、これまでの28年間で初めてと言える大惨事に一気に覚醒する。 皺だらけのスーツでも着ていただけましと言えるのだろうが、タイミング良く鳴らされたノックに音のする方を見遣ると昨日知り合ったばかりの女が扉に凭れているのが見えた。 「…………………」 「今日は金曜日、今は朝の7時30分だ。…お前、今日仕事じゃないのか？」 何だお前は。ここは何処だと問い詰めたい事は山程あったが、現在時刻を聞いて青褪める。今日は紛うことなき出勤日であり、おまけに朝一で会議のある日だ。こんな下らない事でこれまでの評判を落として堪るか！ 「取り敢えず、大急ぎでシャワー浴びて来い。仕事に遅れるぞ」 はい着替えとタオル。浴室の中にある者は自由に使っていいから。ああコートは脱いでいけ。 勝手の分からない他人の家でよく分からないままに浴室に押し込まれた。しかも命令口調なのが忌々しい。人生初めての失態に頭を抱えたくなるが、出社時刻は刻一刻と迫っている。幸い昨日酔い潰れたこいつを送り届けた記憶では大通りがすぐ近くにあった筈なのでタクシーは簡単に捉まえられるだろうが、時間としてはぎりぎりだ。 髪は生乾きだが、髭を剃り、最低限の身嗜みを整えて扉を開けると、女が切羽詰まった顔で駆け寄って来た。今お前に構っている暇はないと言い掛けて。 「下にタクシー呼んであるから、後は車の中でやれ」 腕を引かれて玄関まで連行され、揃えられた靴を履こうとしたタイミングで靴べらを渡され、履き終わり床に置かれた鞄を手に玄関を出ようとしたら大きな紙袋とコンビニ袋を渡された。問い質そうとしたら急げと怒鳴られたので、階段を駆け抜け待機していたタクシーに滑り込む。 「目的地はですよね。15分程で着きますが、なるべく急ぎますよ」 行き先を告げようとしたら、先回りの回答が返ってきて戸惑う。奥さんが仰ってましたよと運転手は続けて愛されてますねと微笑んでくるから茫然とするしかない。まだ上手く働かない頭で取り敢えず持たされた袋の中身を確かめると、大きな紙袋には皺が伸ばされ畳まれたコート、着替えのスラックスと揃いのジャケット、そしてネクタイが、コンビニ袋にはミネラルウォーターとゼリー飲料、そして二日酔いに効果覿面とポップの書かれた使い掛けのシジミのサプリメント、そして「昨日のタクシー代」と殴り書きされた封筒が入っていた。中を開けると一万円札とあいつの自宅だろう住所と共に、着替えはなるべく早く郵送で返せというメモが同封されている。 ……昨今の女というのはここまで忠実忠実しいものなのだろうか。あまり女と付き合った経験のないライコウだが、大雑把に見えた女の意外な気配りに、ネクタイを締めながら頭を悩ませるのだった。 あの女との出会いは昨日。社内の基幹システム一新のプロジェクトに情報システム部の部長として、あちらは外注の先の担当者としての参加で、初顔合わせだった。細かい部分は忘れたが、ウォシスの仕切りで設けられた飲み会の一席で納期やら仕様変更やらの話で議論が白熱し、言い合いになったのが全ての発端だった。呆れて帰る周りを余所に、黙った方が負けとばかりに何時までもぐだぐだと話していた記憶が微かにある。 翌週、仕切り直しとしてプロジェクトの会合が再び持たれた。参加者全員が普段は理知的な担当責任者のいがみ合いを知っているので、空気は異常なまでに重かったが、よく話し合い、それぞれの妥協点に折り合いを見付けながら進めて行こうという統括責任者のウォシスの一言により、プロジェクトは恙無く開始された。 会合後、ライコウは周りに人気がないのを確認し、ハクを呼び止めた。 「おい」 「…何だよ」 忌々しそうな顔をされるが、こちらこそ声を掛けるのは屈辱だ。 「借りを作ったままでは気が済まん。何か望みを言え」 「お前なあ。ありがとうとか、助かったとかないのかよ」 代償に魂でも取られる様な顔で凄みやがって…。 「……細かな気配りには一応礼を言っておこう。見た目通りのがさつな人間だと思っていたが、意外だった」 「何だそれ。詫びるどころか喧嘩売ってるのか！？」 はあっと溜息一つ。 「…こっちとしてはプロジェクトの納期スケジュールに妥協してくれるのが一番有り難いんだが」 「それとこれとは話が別だ」 公私混同甚だしいと言ってやろうとしたが、きょとんとして何故か笑われた。何だこいつは。 「流石に冗談だよ。お互い雇われ身分で会社の方針背負っているから引けない所があるのも判ってるって」 別に欲しいものとかないし。お前と食事っていうのもヒトに見られて誤解されるのも嫌だし。でも…、そうだな。 にやりと悪い笑顔を浮かべてのたまう。 「それじゃあお前の家でお持て成しでもしてもらおうかな」 「…俺の家でか？」 「そうだ。ガサツな自分をライコウ部長がどうやって持て成してくれるのか楽しみだな」 「だが…」 「無理なら無理って言ってくれて構わないんだぞ。お前そういうことに慣れてなさそうだもんな」 「………良いだろう。二言はない。精々首を洗って待っていろ」 「ふふん。望むところだ」 ------------------------------------------------------------ そうして迎えた決戦の金曜日に。 「で、今日はどうやって持て成してくれるんだ」 「…母が思いの外手を奮っていたからな。早々に解放されるとは思わんことだな」 「………ん？母親？おい、何でお前の親が出てくるんだよ！！」 「お前が俺の家でと指定したからだろうが。俺がどんな思いをしたと思っている！！」 ―まさかの実家暮らし。 「お前それなら最初に断われよ！！」 「あそこまで挑発されて断れるか！！」 「…帰る。運転手さん、駅に、駅に向かってください！！」 「ふざけるな！この土壇場でキャンセル等されたらどんな不名誉なことを言われるか…。最後まで付き合ってもらうぞ」 「うぅ～。じゃあせめて花屋に！お宅訪問に手土産なしとかどんな非常識だよ！運転手さん急いで近くの花屋に！！」 「逃げるつもりじゃないだろうな。それに寄り道したら約束の時間に間に合わんだろうが。これ以上恥を掻かせるな」 「やかましいっ！これじゃ自分への罰ゲームだろう。お前がどう思われようと知った事か」 「あの…お客さん達、もう少し静かに…」 リア充爆発しろとか思ってホントすいませんでした。謝るんで、誰か俺を助けてください。 運転手の心の叫びは誰にも届かなかった。 ------------------------------------------------------------ とまあこんな出会いから始まり、唐突に家族になる桜庭一家のお話です。 [newpage] ■酔うとキス魔になります なでなでなで 「ミカヅチー。お前はほんとにかわいいなー」 別にそこまで酒に弱い訳でもないのだが、ちゃんぽんの所為でべろんべろんに酔ったハクがミカヅチの膝に乗り上げて頭を撫で廻し、顔中にキスの雨を降らせてご満悦だ。ミカヅチもまあ満更でない。そして自分を差し置いてイチャ付く場面に出喰わした男は当然面白くない。 「何をしている。はしたない」 ばっちーん 「「あ…」」 物凄い音がして、気不味い静寂が訪れた。 一応名誉の為に付け加えておくと、本人としては正気付かせる為に頬を軽く叩く心算だったのだ。しかし彼の莫迦力+認めたくないが嫉妬も相俟って思いの外手首がしなった。 「お…おい、わｒ「何だよ、ぶたなくったっていいだろ！ばかあッ」 脳幹を揺さ振る衝撃に、ハクは一瞬にして泣き上戸へ属性転換する。 家中に響いた泣き声に何事かと現れた両親を見付けるや否や、ハクは即行で告げ口した。 「お父さん、お母さーん、ライコウが意地悪するんです。懲らしめてやってください！」 「―ライコウ、来なさい」 「あらあら」 「くっ、卑怯な」 「べーだ」 「―ミカヅチ、お前もだ」 「…はい」 当然逃げられる訳もなく、責任の一端ありと見做された弟も連行され、数十年振りに兄弟揃って正座で頭を垂れ、父親に雷を落とされる結果となった。 しかし、事の本題はハクの手当てを終えた夫人が戻って来たことによって明らかとなる。 ------------------------------------------------------------ ■愛の告白 「んーと、お母さんに突然「本当の家族になろう」って、プロポーズされたんだ。兄ちゃんが結婚して家を出てから随分経ったし、一人暮らしは自由気侭で楽だから、ずっとこのままでいいやって思ってた筈だったのに。…この家が優しくて、あったかくて、あんまり居心地が良いもんだから、自分が本当はずっと寂しかったんだって気付いた。だから迷わず頷いたんだ。 「はい！この家の子になります」って」 「どっちと結婚する？って100人に聞いたら全員がミカヅチを選ぶって確証がある。当たり前だよな。アイツ性格悪いし、意地悪するし、友達いないし。まあ、自分は年下のミカヅチを弟以上に思えないから仕方ないけどな…。そう！確か何でか結婚の話題になった時、兄ちゃん発信の義姉さん経由でアイツの見てくれに騙された大企業の令嬢が見合いするとか聞いてさ。なんか…凄くむかついたんだよな。政略結婚なら仕方ないから自分で手を打っとけよって！！」 「別に…自分だってずっとこの家に居たいからアイツを利用してるだけだし。全然想像付かないけど、将来更生して本当に好きな相手が出来たなら潔く別れる覚悟で籍入れたんだ。実は身内の面倒見が良いとことか、意外に努力してるとことかアイツの内面に惹かれる人もいないとは言い切れんしな。まあ、全然想像付かないけど！」 「それで、先程ミカヅチが酔い潰して聞き出した結果がこの録音な訳ですけれど？」 「…………………………」 ------------------------------------------------------------ 後日、人目を避ける様に佇む地下の珈琲店にミカヅチは呼び付けられた。 「最近妙にライコウが優しくて気持ち悪いんだが」 人を呼び付けて早々これである。我が兄ながら散々な言われ様に流石に同情する。 「せめて其処は「気味が悪い」程度に留めておけ」 「…何か違いでもあるのか？」 幼少時は海外暮らしだったという弊害なのか、こいつの日本語は偶に誤った用法で使われ、その気もないくせに向けられた人の心を斜め内側に抉ってくる。 「いや、まあ、兎に角。気になる事は手っ取り早く本人に聞け」 「莫迦野郎！行き成り聞いて予想外の爆弾落とされたら怖いからお前に探りを入れてるんだろ。最近身の回りで何か変わったこととかなかったか？」 「―そうだな…」 ------------------------------------------------------------ 「………電気も付けずに何をしている」 水を飲もうと台所へ向かった先、午前零時のダイニングでの鉢合わせ。 両手を額で組みながら微動だにしない姿に、流石のライコウも一瞬焦った。 「……………お前、最近妙に優しいよな。―何か疾しいことでもあるのか」 こいつ…。 己の所業を悔いて行動で示そうと思ったらこれである。 がっ 「たとえお前が不治の病に侵されてたとしても、傍に居てずっと支えるから」 だから独りで抱え込まないで頼ってくれ！！ あ、そうくるのか…。 不治の病に侵された（設定にされた）夫の手を力強く握り、献身的な看護を約束する妻の姿を覗き見しながらミカヅチは思った。昼間ハクを変な方向へ焚きつけてしまった自覚と反省からの行動で決して他意はない。 きゅっ。 ライコウは思わずハクを抱き締めた。大事にしてやろう。 意図せず思い切り凹ませてからのデレの急上昇は効果絶大だった。 ミカヅチの背後で気配を消しながら聞き耳を立てていた両親もほっと胸を撫で下ろして自室へ帰っていく。良かった、良かった。 「お前がこんな行動に出るなんて…。余命3ヶ月とか差し迫った状況なのか？どうなんだ！？」 ハクだけが、益々困惑して腕の中でじたばたしていた。 ------------------------------------------------------------ ■彼女の条件 そうだな。多くは望まないが…。 さばさばしていて、着飾り過ぎない自然体で。 互いの時間を尊重して、あまり拘束しない位の距離感が丁度良い。 両親とも良好な関係を築いて…ああ、同居してくれると有り難いな。 料理上手で、家の味を受け継いでくれる柔軟性もあった方がいい。 家族全員が酒好きだから酒もいける口だと。 後は逆に家族が機械系に疎いからそちらの方面に強くて…。 「付き合うならお前みたいなタイプが良いと言ったら、何故か会社の女子社員からは非難轟々だったんだが…」 「莫ッ迦だなー。自分みたいな女を引き合いに出したらそりゃあ怒られるだろ」 後で菓子でも配って謝っとけよーと持たされた焼菓子を莫迦正直にハクの手製と言って、彼女いるんじゃないですか！！と益々キレられるミカヅチの姿があったとかなかったとか。 ------------------------------------------------------------ ■こだわり 実は今日、前から良さそうだなと目を付けてた店に、あいつと行って来たんだ 高い店だけあって味も接客も最高なのに、あいつときたら何時もより明らかにペースが遅いし、流石に顔に出してはいなかったけどなんか不満げなんだよ 店を出てから、何が気に喰わないんだって言ってやったらぼそっと お前の作る料理の方が旨いって… 多分口に出してた自覚ないんだろうなあ 驚きのあまり気の利いた返しどころが全然言葉が出て来なかったんだけど どういう反応するのが正解だったと思う？ 俺が知るか！ なんだこれは。残業中の俺への当てつけか！？ キレんなよ… まあそういう訳で、週末は誕生日のやり直しで腕を揮うから、お前もリクエストがあったら受け付けるぞ ビーフシチューでお願いします(　･`ω･´)ｷﾘｯ (･ω´-ゞ)^了―解☆ 「よし、さっさと終わらせるか」 （奥さんからの早く帰って来てメールか…） （本当、ミカヅチ部長のとこは仲良いよな…） （俺も早く結婚したいよ…） 当然ミカヅチは独身なのだが、毎日ハク手製の弁当を持参し（愛妻弁当と思われている）、デスクの引き出しやら定期券裏やらに妻子（ハクとタケル）の写真を忍ばせているのは誰もが知っているので、皆が騙されていた。 ------------------------------------------------------------ ■良いとこ見せたい！ 爽やかな秋晴れ。今日は絶好の運動会日和である。 こんな日も予想して大きめのワンボックスカーを購入し、意気揚々と家族の荷物を積み込んでいるミカヅチは、主役のタケルを差し置いて一番はしゃいでいた。学校に向けて出発進行と意気込んだその時、ライコウの携帯が仕事様の着信を奏でた。 「大変です！我が社の主幹事証券会社にインサイダーの疑いありとの報告が…」 この瞬間、人知れず行われたライコウの3ヶ月に渡る努力は木端微塵に砕け散った。 流石のライコウも予想出来なかった完全なるとばっちり。出社前に毎日通ったジムでの2kmのジョギングも、理想的な走行フォームの研究も、入浴後30分掛けた入念なストレッチも、何もかも。 ちろりと視線を向けると。 「此方の事は何も気にされず、お勤めを果たして来てください。父上の背負われている責任の重さは重々承知しています。大丈夫、親子リレーはミカヅチ叔父上が何とかしてくださいます。ね？」 「おう、任せとけ！！」 息子の物分かりの良過ぎる発言と空気を読まない弟の存在がトドメとなった。 結局、ミカヅチは怒涛の3人抜きをして、タケルのチームを逆転優勝に導き、「タケルの父ちゃんスゲーな！！」と全ての父が憧れる英雄扱いを受けた。 ------------------------------------------------------------ コンコンコン 「…ライコウー、入るぞ？」 一応フォローの一つでもしてやるかと、実はライコウの努力を知っていたハクが入室すると、意気消沈したライコウは枕を抱き込み、壁を向いた体勢で分かり易く不貞寝していた。部屋着の裾から覗く短い尻尾がふるふると頼りなげに揺れているのがまた拍車を掛ける。 キュウン！！ （こいつを可愛いと思う日がくるなんて…） 傲慢で見栄っ張りで完璧を目指すプライドの高い男の初めて見る情けない姿にハクはときめいた。 ------------------------------------------------------------ ■仁義なき授業参観 悲劇は一通の手紙から始まった。 「え…よりにもよってこの日、だと！？」 親が呼ばれる学校行事は交互で参加しようという取り決めの元、今回の授業参観はハクの番である筈だった。彼女にどうしても外せない出張予定がスケジュールに書き込まれていなければ。 「ほう。どうやら代わりの利かない仕事とかちあったようだな」 それであれば仕方がない。俺が代わってやろう。 相手の弱みに付け入る時のこいつの活き活きしてること！ 「うぅ～。今回だけだからな！順番を入れ替えるだけだからな！！」 「当初の計画に変更はない。不測の事態に備えたスケジュール管理が出来ていないお前の怠慢だ」 「はああああああああ！？それじゃあお前が美味しい思いをするだけだろうが！！！」 「莫迦め。恨むなら己のスケジュール管理の甘さを恨むのだな」 「言わせておけば、この野郎！」 楽しい授業参観のお知らせが両親の修羅場を引き起こすとは誰が予想できたろう。タケルは暫し茫然としていたが、最早自身の力で仲裁は不可能と判断し、戦略的撤退を決めた。実に冷静適確な判断である。そして。 「ライコウ、ハク！！」 何ですか。いい歳の大人が子供の前でみっともない。 喧嘩するくらいなら二人とも行かなくて宜しい！それに、保護者であるなら私にも権利はある筈ですものね。 「え…お祖母様が来てくださるのですか！？」 共働き故に祖父母っ子の嫌いがあるタケルは非常に良い笑顔を浮かべ、両親は危機感を覚えた。此処で母の参戦を許せば間違いなく他の二人だって権利を主張して来るのが目に見えている。それだけは避けなければ。 「何卒そればかりはご容赦いただきたく…」 「ごめんなさい。海より深く反省してますので、どうか許してください」 共通の敵がいる時にしか心を一つにして協力し合わない二人だった。 ------------------------------------------------------------ そして授業参観当日。 息子の教室に入ったら当然の様に弟（タケルの叔父）がいた。出鼻を挫かれたライコウは弟に詰め寄る。 「何故此処にいる？」 「別に参加人数に上限はないだろう」 「お前はこの間の親子リレーで父親面しておきながら、まだ足りないとでもいうのか」 「そこ、煩いぞ。迷惑行為は慎まんか」 「「…社長！？」」 ハクの兄（タケルの伯父）もしれっといた。教室で鉢会わせる実父と叔父と伯父。 良い事言った！と教室内の親御さん達が心の中で喝采を送ったらその人物もまさかの身内。しかも新聞かテレビでで見た事あるような…。 「それじゃあ皆さん、ちょっくら別室に来ていただきやしょうか！」 担任のトウカ先生がこの騒動を治められる訳も無く、結局ぎゃあぎゃあ煩い三人は、授業進行の妨害者と見做され、ベナウィ教頭と学年主任のクロウ先生（体育担当）に面談室へ連行されていった。 余談だが、タケルの授業参観は給食着を届けに来たとの名目で参加した母（タケルの祖母）により無事に終了した。 ------------------------------------------------------------ ■ミカヅチの（兄）嫁！ ハクとの買い物（という名の荷物持ち*）中、ミカヅチは会社の部下達と遭遇した。 （*食事の優先リクエスト権が付いているので割とミカヅチは率先して付いてくる） 「ミカヅチがいつもお世話になってます」 「そんな、俺達はいつも部長に頼ってばかりで…」 「帰宅時間が遅いのは、俺達の仕事を手伝って下さってるからなんですよ」 「部長、写真で見るよりずっと綺麗な奥さまですね」 「…え、奥様って？」 「「「…え？」」」 「………」 ------------------------------------------------------------ 「………今日もないのか？」 「当たり前だろ！お前はもう少し彼女を作る努力をしろ！」 玄関先で昨日と同じ問答を繰り返すミカヅチとハク。別にいってらっしゃいのキスを強請っているとかでは決してない。これまで普通に持たされていた弁当を突然作らないからな宣言をされてからもミカヅチは往生際悪く食い下がり続けている。ちなみに混雑を嫌うライコウは1時間近く前に家を出た。迫りくる出社時刻に渋々扉に手を掛けたミカヅチだったが、未練がましく振り返ってハクをじっと見詰める。 「うっ。そ…そんな顔しても駄目なものは駄目だ」 なんだよ、その捨てられた大型犬の様な瞳は…。可哀そうだが、これもミカヅチの将来のため。我慢だ。無口な男の哀愁を漂う姿は地味に良心に突き刺さるが、ハクは頑張って堪えた。表彰レベルの頑張りだったと自負している。 ------------------------------------------------------------ ひそひそひそひそひそ （まさかまだ同棲中で、結婚してなかったとはな…） （彼女さん、凄い目で部長を睨んでたけど…） （あれからずっと弁当じゃないしな…） （あんなに項垂れてる部長初めて見たよ…） （ミカヅチ部長はライコウ室長とは違って口下手だから…） 数日後、敬愛する上司のため、部下達はポロポーズ大作戦を決行した。 ------------------------------------------------------------ 「………この薔薇はなんだ」 「なんかミカヅチがくれた。一生弁当を作って欲しいんだと」 「………」 「なあ、お前も弁当作って欲しい？（にやにや）」 「職場に手製の弁当など持って行けるか（ぷい）」 「…あっそ」 玄関先に飾られた108本の薔薇は、その存在感から瞬く間に話題となり、枯れるまでの数日間ミカヅチは揶揄われたり、嫌味を言われたり、純粋な好奇の目で見られたりしたが、弁当復活の代償なら安いものと何処吹く風だった。 拗らせた次男の結婚はこの様子では絶望的である。長男こそ絶対に結婚出来ないと踏んでいたのに…。全く世の中何が起こるか分からない。 両親は思考を逆転させてみた。 「そうだ、兄弟2人にハクが嫁いできたと考えればどうだろう？」 「あら、それなら全て丸く収まりますね」 もうこれでいいやと彼等は現実を放棄した。本人達が幸せなら全ては些細なことだ。 ------------------------------------------------------------ ■おかしな二人 その日、ハクは朝から弁当作りに気合が入っていた。 本日タケルは、県主催の作文コンクールに学年代表として参加するため、弁当持参で開催場所のホールへ向かうことになっている。上がり症なところがある息子なので、リラックス出来るよう、好物やハーブティー入りの水筒、応援メッセージ等、ハクなりに様々な工夫を凝らしたと自負している。頑張っている姿を見たら応援したくなるのが親心というものだ。 そして、残念な事にミカヅチは数日前から東京出張でいないのだが、準備された弁当箱はもう一つある。ここ数日プロジェクトが佳境だとかで、珍しくぴりぴりしているライコウのため、心を込めて白米に海苔文字の「愛してる」と桜田夫のハートマークを刻み込む。中々の完成度に、朝5時起きして頑張った甲斐があるなとハクは満足げだ。 混じりッ気なし。純度100％の悪意に満ちた犯行である。ふふん、育ちの良いライコウなら絶対に食べ物を無駄にできない筈。トドメに弁当を可愛らしいキャラの巾着で包んで完成だ。奴の鞄に常備されている折り畳み傘と500mlのミネラルウォーターを取り出し、増えた重量分を相殺することも忘れない。別に楽出来るから作らなくていいのは歓迎だけど、言い方ってもんがあるだろ！精々、職場で恥ずかしい思いをするんだな。 一緒に暮らすと夫婦は似てくるというが。ライコウの心無い一言を受けて復讐の機会を窺っていたハクは陰湿な嫌がらせに走った。 ------------------------------------------------------------ 「お、おかえりー。皆の前でちゃんと作文読めたか？」 夕飯の支度が終わり鍋類を洗っていたところで、帰って来たらしいタケルが挨拶もそこそこに玄関から一直線で足元に纏わり付いてきた。顔をぐいぐいと押し付けてくるから余程嬉しいことがあったらしい。晴れの舞台は大成功だったとみえる。 「―俺も愛してます（照れ）」 「んん！？」 その夜、何時になく遅い時間にライコウは帰宅した。長い長い、らしくない言い訳付きで、某洋菓子店の箱を差し出しながら。それは行列必至の有名店のもので、中身は以前ハクがテレビを見て食べたいと溢していた2種類のケーキが1ずつ。 「…ありがと。珍しく残業だったんなら夕飯まだだろ？軽めにして温め直すからその間に風呂でも入って来い」 「…そうする」 空になった弁当箱を水に浸しながら、ハクはなんだか幸せを噛み締めた。うん、まあ、結果オーライって奴だな。 甘い物好きの夫婦は、食後に仲良く半分こにしてケーキを平らげた。 ------------------------------------------------------------ 現パロのこいつ等は本当にくだらないことで喧嘩するけど、衝突や仲直りを繰り返す度に絆を深めていくのがポイント。口には出さないけど互いにベタ惚れ。一生喧嘩しながら無自覚にイチャついててくれると書いてる私が楽しい。 あ、ちなみにライコウとハクには「本気出して～」の記憶はありません。 なんでシリーズ扱いかっていうと、己の選んだ道に後悔はないけど「もっと親孝行したかったな」ってタケル（ハクから名前を与えられた契約者）が最期の時に望み、次の世で叶えられるという設定だから。 これで本当の本当にこのシリーズはお終いです。ここまで書ききれて本当に良かった。 ご覧いただきましてありがとうございました！！ もしまた何処かでお会いすることがありましたら、よろしくお願いします。

■2016年9月23日<br />残りの『時をかけるコハク』、『ラブコメなライハクが読みたくて』をアップしました！9月20日までに上げられなかった駄目な私を許してください。<br />諸事情でゲームには手を出さない主義のため、「二人の白皇」どころから「偽りの仮面」のゲームすらPlayしておりませんので、作中のあれやこれやは当然捏造です（「二人の白皇」がアニメ化された時、見当違いな解釈に悶絶する自分が目に浮かぶようです）。<br /><br />そして「本気出して～」に反応してくださった皆様、本当にありがとうございます！！<br />最期までご覧いただいた方々、評価いただいた方々、アンケートにご協力いただいた方々、心から御礼申し上げます！<br /><br />あんなもの上げて皆様の心にトラウマを与えていないかそれだけが心配でした。一応「時かけ」が救済？編ではありますが…。<br /><br />なお、「本気出して～」のアンケートは継続致します。<br />「時かけ」を見た後でも構いませんので、ご協力いただけると大変嬉しいです。特にライハクファンの方々のご意見に非常に興味がありますので。<br /><br />これで本当の本当にこのシリーズはお終いです。<br />これまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。<br /><br />さー、これでUPするまで読めないでいた皆様の素敵作品が心置きなく読むぞー！！<br />最大の問題は、「二人の白皇」関連の作品や情報を読みたい誘惑に耐えて、ネタバレを回避出来るかかどうか…。<br />「二人の白皇」がアニメ化する日を頑張って待ちたいと思います！<br /><br />■2016年8月13日<br />予告で少し呟いた「ライハクについて本気出して考えてみたら…」を漸くアップしました。<br /><br />ふざけたタイトルとは裏腹に、死ネタ、酷い倫理観（特に生殖に関する著しい倫理観の欠如あり）、ドシリアスの三重苦の物凄い問題作品で、同じく予告ではオシュ（ウコ）ハクファンに蛸殴りレベルと書きましたが、よくよく考えたらライハクファンにもぶん殴られる恐れ大の内容でした。<br />いつもの事ながら捏造甚だしく、かつ今回は二人のオリジナルキャラがかなり話に絡む上、何ちゃって戦闘にとんでも展開の嵐となっておりますので、苦手な方はくれぐれもご注意ください。<br /><br />閲覧くださる方は、目次からどうぞ。<br />何だかやたら長くなってしまい、読みづらくて申し訳ないです。<br /><br />また、今回更新した作品用にアンケートを設置しましたので、ご協力の程、何卒お願い申し上げます。<br /><br />なお、大変今更ですが、「飛んだ豚編」で「ボコイナンテ」を「デコイナンテ」と誤って記していたため、修正しました。<br />…ごめんね、ボコちゃん。<br /><br />■2016年6月14日<br />初めての方も、そして今尚読んで下さっている方も本当にありがとうございます。<br />終わったシリーズの癖にちょこっと更新しました。ギャグところによりシリアスな「疑惑の兄妹編」をお届けします。<br />更新個所は目次からどうぞ！<br />皆様にありったけの感謝を籠めて。<br /><br />■2/23追記■<br />まさかのオチの書き忘れという痛恨のミス。ほんと急いであげるもんじゃないですね…。<br />二文だけですが、修正箇所を左の章に載せましたので、このシリーズの幕引きにお付き合いいただけると嬉しいです。<br /><br />これまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました！！<br />----------------------------------------------------------------------------<br /><br />まずは前回、前々回の拙作をお読みいただき本当にありがとうございました。<br />ささやかながら皆様にお返しができればと思い、番外編やら何やらを纏めてみましたので、楽しんでいただけたら幸いです。アンケートの結果、戦い（闘い）の方が人気でしたので、そちらのネタが殆どです。アンケートにご協力いただいた皆様、とても参考になり、かつご回答いただけて感激でした！<br /><br />また、物凄く下手で汚いですが、オマケの漫画もどきもアップしましたので、興味ある方は以下のリンクからどうぞ。<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/55418728">illust/55418728</a></strong><br /><br /><strong>―注意：この作品には以下の要素が含まれます―</strong><br />ネタばれ、ウコハク、オシュハク、オリキャラ、キャラ崩壊、捏造設定<br /><span style="color:#fe3a20;">＊情報源はアニメとWebのネタばれのみ。ゲームは未プレイのため、色々おかしい個所もあるかと思いますが、ご容赦ください。</span><br /><br />＊一体どのタグを付ければ詐欺にならないのか…。ライハクは情状酌量の余地有りだけど、ハクデコタグを付けてもなあ。

【9/23ほんとに完結】ブラザーコンプレックス！！―御礼作品集―

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6454307#1

　後ろ手を縛られたリヴァイは、処刑台の上から女を探していた。 　処刑台が設置された王都の広場は、『世紀の反逆者』リヴァイ・アッカーマンの斬首刑を見ようと集まった野次馬であふれかえっている。しかし、すぐにリヴァイは女の姿を見つけることができた。 （よかった。ここからなら、あいつがよく見える） 　調査兵団第十四代団長である彼女――ハンジ・ゾエは、凛とした佇まいで処刑台正面に用意された席に座っていた。彼と目が合ったハンジは、恋人に出会えたかのような嬉しげな笑みを浮かべる。 （ああ、相変わらずいい女だ） 　リヴァイはハンジを見据えながら思った。 　罪状が読み上げられ、彼は跪かされる。そして、超硬質ブレードによって、その首は一瞬にして切り落とされた。 　リヴァイの双眸は、最後までハンジの姿を捉えていたという。 [chapter:『骨の記憶』] [chapter: Levi’s side 1（現代）] 　ローゼ市は片田舎だが、鉄道の開通によって[[rb:首都圏 > シーナ]]へのアクセスが良くなり、ベッドタウン化が進んでいる。近年増加した開発に伴い、この地に眠る遺跡の発掘調査数も増えてきた。 　冬のある日のことだった。 　工事中に古い時代の遺物が見つかったと、俺の勤務先であるローゼ市文化財課に連絡が入った。 　現代では文化財保護法というものがあり、土木工事などの開発事業者が遺跡を掘り当ててしまった場合、法に基づいて開発届けを出さなければならない。その後、所轄の自治体等によって発掘調査が行われることが多い。 　今回の連絡は、同じローゼ市の土木課が行っていた防災用道路工事で遺物が出土したというものだった。 　遺物の出土地は、市街地のはずれにある丘の上に位置していた。見晴しのとても良い高台で、春には桜の名所として市民に親しまれている。 　公用車のハイエースで現場に向かうと、[[rb:重機 > ユンボ]]の横でタバコをくゆらせているミケ・サガリアスの姿があった。 「よう、リヴァイ。土の中から、お前好みの古い土器が出てきたんでな。すぐに重機を止めておいたぜ」 　工事担当者であった土木課のミケは、得意気な顔で後ろを指差す。 「当然だ。飲み会の度に、俺が[[rb:土木課> お前ら]]に遺物包含層の見分け方をレクチャーしているのは、こういう時のためだ」 　俺はミケの指さす方向に目線を向ける。表土の薄皮一枚を剥いで、遺物包含層が見えたところで掘削はストップされていた。まあ、上出来だ。 　人が生活していた地層には、使用されていた土器や石器などの人工物が含まれることが多い。そういった遺物包含層の存在が、遺跡かどうか判断する基準の一つとなる。同じ地面を掘る生業の土木課の野郎どもにも、日頃から俺は遺物包含層に気をつけて仕事をしろと小姑の様に言い続けてきた。 　ミケは、その教えを殊勝にも守っていた訳だ。地方公務員の財布事情は苦しいが、この呑んべえに感謝の意を込めて酒でも奢ってやろう。こう見えて、俺は他部署の人間とも仲が良い。 　そんな事を考えていた俺は、重機の側に置かれていたバケツに、ふと目を留めた。 「オイ、そのバケツは……」 「ああ、その中に土器を入れといた。磁器だか陶器だか知らんが、お前が前に見せてくれた落書きに似てる気がしてな」 「落書きじゃなくて実測図だ」 　言い返しながら俺はしゃがみ込み、バケツの中を覗く。そこには、泥の付いた白磁の破片が幾つか入っていた。 　手に取ってよく見ると、口縁部の形状から、今から約二千年前にあたるウォールマリア時代のティーカップだと分かる。表面に細やかな線彫りが施された見覚えのあるカップの破片を前に、俺は声も出ない。 　そのティーカップは、死ぬ前に俺がハンジに渡したものだった。 「重機で掘り出した土の中も探したんだが、カップの取っ手は見つからなかったんだ」 　ミケは悔しそうにスン、と鼻を鳴らす。 「まあ、そうだろうな。……取っ手は捨てちまったからな」 　俺のつぶやきを聞いたミケは怪訝な顔をしている。彼は『記憶』を持たない。 　肌を切るような冷たい風が吹き抜けた。 　天気予報によると、週末には初雪が降るらしい。 [chapter: Hansi’s side 1（ウォールマリア時代）] 　政府への反逆罪を犯したリヴァイが捕まり、半年が経った。 　腐っても人類最強と呼ばれた男だ。リヴァイの逃亡を恐れた政府は、幾人もの警備兵を幽閉先の塔に配置させた。しかし、彼は一度も反抗することはなく、審議所へ赴く以外に外へ出ることは無かった。 　わたしは幽閉塔の階段を一気に駆けのぼり、最上階にある小部屋のドアを勢いよく開ける。天窓からの明るい日差しが届くその部屋の中では、湧かしたお湯でポットとティーカップを温めているリヴァイの姿があった。彼は糊の効いた白いシャツと黒のスラックスという出で立ちだ。一方のわたしは翼のエンブレムが付いた兵団服だった。 「やあ、リヴァイ！　元気にしていたかい？　フレーゲルからもらった紅茶葉を持ってきたんだ。いっしょに飲もう！」 　息を切らしつつ、わたしはジャケットのポケットから小さな紙袋を取り出した。袋からカサカサと細かい茶葉の擦れる音が聞こえる。茶葉は、商会の仕事で兵団へ立ち寄ったフレーゲルがリヴァイへの差し入れにしてくれと言って寄こしたものだ。フレーゲルは、わたしが監視という名目で、毎日リヴァイを見舞っていると知っている。 「クソメガネ、お前はいつになればノックという行為を覚えるんだ？ 曲がりなりにも調査兵団の団長だろうが」 「さっき、リヴァイが窓からわたしの姿を確認していたのが見えたからね。わたしのために急いでティーセットを用意しているあなたに早く会いたかったんだよ」 　わたしは、ふふふと笑う。 「それに、団長は団長でも、壁の外に出なくなった調査兵団の団長だしね」 　せっかくの笑顔が卑屈なものに変わらない様、感情を抑えならが、わたしは土産の茶葉をリヴァイに渡した。 　王権が真の王であったレイス家に移り、政府は壁外調査を禁じた。壁の中の世界を堅固たるものにするため、調査兵団の主要任務は壁内の治安の維持に方向転換させられたのだ。初めは反対していた調査兵団だったが、次第に高まる壁内での安寧を求める世論にも押され、兵団の主要任務から壁外調査は外された。 　椅子に座ったわたしは、目の前でリヴァイが紅茶を淹れる様子を眺めている。紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。 「オイ、茶が入ったぞ」 　リヴァイは紅茶をわたしの前にそっと置く。白磁のティーカップに紅茶の深い色が映える。細かい線彫りが釉薬の濃淡をうつし出しているカップは、シンプルながらもリヴァイ好みの品の良い品だ。彼が調査兵団に入団後、初めての給料で買ったものだと聞いたことがある。 　兵卒の時代から、わたしはこのカップで彼の紅茶を何度も飲んできた。 「ありがとう」 　カップを両手で包みこむように持ち、わたしは口をつける。少し渋めだが、後味がとても柔らかい。温かい紅茶は胸に染み渡り、わたしを落ち着かせる。 　それからは、いつものようにリヴァイと世間話をしはじめた。 　市井で流行っている歌や、元気な新兵の様子、樹々の芽も膨らみだして春の準備をしている事など、わたしはたわいもない話を続ける。リヴァイは穏やかに相槌を打ちながら聞いている。 　初めは、幽閉されているリヴァイに外の世界のことを話すのもためらわれたのだが、彼は壁の中の平和な様子を聞いて安心している節があった。 　わたしが一方的に喋った後、リヴァイが口を開いた。 「執行日が決まったのか？」 　相変わらず、勘の良い男だ。 「ああ、十日後の三月二十三日だ」 　と、わたしは出来る限り平然とした口調で答えた。 「そうか」 　リヴァイも別段表情を変えることは無い。 　彼が淹れる紅茶を飲める機会も、あと数える程だ。 　政府へのテロを起こしたリヴァイに、審議所は斬首刑を言い渡していた。 「ねえ、何かやりたいことは無いかい？　ある程度の望みなら叶えられるんだよ。新女王のご配慮だ」 　今でこそ『世紀の反逆者』と呼ばれるリヴァイは、かつては調査兵団の兵士長を務め、人類の英雄とまで呼ばれていた。兵士長としての輝かしい功績を鑑み、新しく王となったヒストリア・レイスがリヴァイに与えたせめてもの恩恵だった。 「そうだな、一回くらい、お前を抱いておけば良かったな」 　わたしは驚きのあまり、上手く返事が出来なかった。 「冗談だ」 　からかうような微笑みをリヴァイは浮かべている。 　彼は、壁外で巨人と戦っていた頃には見せなかった気負いのない表情をよく見せるようになっていた。 『カチャン』 　知らないうちに力が入っていたのだろうか。わたしの手から、カップが滑るように落ちて甲高い音が部屋に響いた。取っ手が割れたカップから、飲み残していた紅茶がテーブルに拡がりだす。 「ああ、ごめんッ！」 　慌てて割れたカップを持ち上げようとすると、リヴァイの手がわたしを制した。 「よせ。破片で怪我をする」 　彼の顔が思いのほか近づく。日に当たることが少なくなったからか、彼のキメ細やかな肌が青白く見えた。 「気にするな。お前のせいじゃねえ」 　向けられる視線に気付いたリヴァイは、その手をわたしの頭に優しく乗せる。それ以上は何もせず、壊れたカップを静かに片付けだした。 「……ねえ、そのカップ、わたしにくれないかい？」 　やるせない思いを抱えるわたしは、取っ手が欠けたカップを持つリヴァイに頼んだ。 「壊れちまった。もう使えねえぞ」 「取っ手は壊れてしまったけれど、カップの胴体は無事だよ。まだ、使えるはずだ」 　言いながら、わたしはリヴァイの手からカップを取り上げた。 「尖ったところはヤスリをかけて滑らかにしたら怪我もしない。これからはあなたのようにカップを持って、紅茶を飲むことにするよ」 　壊れてしまっているのに、まだ共にあろうとするなんて、わたしはティーカップにまで貪欲だった。 [newpage] 　馬を乗り放したハンジ・ゾエは、麻袋を抱えながら夜通し走り続けていた。 　王都から離れた山道に入った所で、ハンジの頬に大粒の雨があたり始める。 （よかった。この雨なら、足あとも消してくれる） 　足元は悪くなるが、追っ手をまくことができると、ハンジは文字通り天に感謝した。 　彼女が目指す先は、今は使われていない[[rb:狼煙 > のろし]]台の見張り小屋だ。上手くいけば、夜明け前にたどり着ける距離にある。そこで身を潜める算段だった。 （ああ、随分と軽くなっちゃったね） 　ハンジは麻袋をしっかりと抱きしめながら思った。麻袋の中には、斬首刑に処されたリヴァイ・アッカーマンの首が入っている。 　王都の広場に晒されていたリヴァイの首を、ハンジは盗み出したのだ。 雨は徐々に強くなってゆく。 息を切らして走るハンジの頬には、涙のような雨粒が流れていた。 [chapter: Levi’s side 2（現代）] 　ミケが掘り当てた遺跡の開発届けは受理され、我が文化財課による緊急発掘調査が実施されることが決まった。年度末の忙しい時期になるが、俺は、調査担当に名乗りをあげた。 　自ら名乗りをあげた理由は二つある。 　一つは、俺は長年、ウォールマリア時代の研究を続けていたからだ。今回発見された磁器片から、遺跡の年代はドンピシャでウォールマリア時代であると分かっていた。 　今から約二千年前にあたるウォールマリア時代は、別名『消えた文明』と呼ばれるほど文献も考古資料も少ない。未だ解明されていない時代で、研究者も多くない。とある大学教授には、ウォールマリア時代の研究はおすすめできないと進言されたこともあった。しかし、俺は、この時代の『歴史』を少しでも知りたかった。 　ウォールマリア時代は、前世の俺が生きていた時代だった。 　幼いころから、俺は前世の記憶を持ち合わせていた。 　母と暮らしていた地下街、当時から好きだった紅茶、俺にナイフの使い方を教えた男、空を飛んで巨人と闘っている仲間たち。 　断片的にだが、古いフィルムのように当時の出来事が頭の中に残っている。 　俺が再び生を受けたこの世界には、巨人はいない。巨人の存在は古い歴史書にわずかに記載されているだけで、現代では『おとぎ話』の一つとされている。 　過去に依存する気はないが、俺はあの時代に何が起っていたのかを知りたいがため、考古学の道に進み、ウォールマリア時代の研究を始めた。 「出土したティーカップ、取っ手が無かったんですね」 　発掘現場脇のコンテナハウスの中で、調査補助員の男子学生が言った。机の上には、俺が接着剤で破片を接合したカップが置かれている。 「よく見てみろ。取っ手の欠損部にヤスリがかけられているだろう。取っ手が欠けてからも使い続けていた痕だ」 　滑らかに整えられた部分を俺は示した。学生は素直に感嘆の声をあげながら、ティーカップを観察している。 　今回の発掘調査の担当になりたかった二つ目の理由は、このティーカップの存在だ。 　俺とハンジはただの同僚だった。同僚といっても、共に巨人との戦いをくぐり抜けた間柄だ。ミケやゲルガー達と同じ様に、戦友という言葉が当てはまるのかもしれない。 　男女の関係になった事は、ただの一度も無かったが、何かにつけ一緒にいる事が多かった。白磁のティーカップで紅茶を美味そうに飲むハンジの姿を、俺は今もよく思い出す。 　いつの頃からか、あいつは紅茶が飲みたくなると俺の部屋に来て、巨人の事だけでなく、壁外で見た動植物、禁書に載っている海の話など、様々な事を好きなだけ話していた。殺伐とした時代だったが、ハンジと過ごした時間は、穏やかで温かかった。 　そして今、ハンジが使っていたティーカップが出土したのだ。正直、俺が生きている内にハンジの痕跡を見つけられるとは思っていなかった。 　しかし、どうして彼女がいたはずの王都ではなく、こんな[[rb:辺鄙 > へんぴ]]な土地でこのカップが出土したのか。……俺が処刑された後、ハンジはどこで何をしていたのか。 　発掘調査でその理由が明らかになるかもしれないし、ならないかもしれない。ただ、今は目の前の調査に取り組む以外の選択肢は俺にはなかった。 　俺はストーブの火を消し、深緑色のドカジャンを羽織りながら、カップを見続けている学生の名を呼んだ。 「アルミン。まずは[[rb:試掘抗 > トレンチ]]掘るから、巻尺とトランシットを持ってこい」 　アルミンは「ハイ！」と元気よく返事をして、急いで測量機器を用意し始めた。 「……測量の仕方、分かるか？」 　俺は、彼の専攻は考古学ではないことを思い出した。考古専攻の学生は、学校で発掘調査の実習を受ける機会もあるが、学ぶ機会のない学生も少なくない。 「大丈夫です、リヴァイさん！　僕、大学の考古サークルで測量経験ありますから」 　勘のいい少年は、俺の懸念を察したのだろう。朗らかに笑って答えた。 アルミンは文献史学専攻の学生だったが、考古資料も併せて歴史を研究したいと意気込んでいる学生だった。向学心旺盛なアルミンをおもんばかった指導教授の推薦もあって、今回この発掘調査に補助員として参加している。 　俺は現場に出て、測量用の三脚の石突きを地面に踏み込む。溶け切らなかった朝の霜柱が崩れる感触があった。 　寒空の下、いよいよ発掘調査が始まった。 ＊ 　遺構や遺物の出土状況を図面に記録し、新しい時代の地層から、古い時代の地層へと、スコップや手ガリを使って掘り下げていく。 　地道な作業を幾日も続けて、積み上げられた過去の事象を俺たちはなぞっていく。 「リヴァイさん！　すみません、こっちに来てください！」 　土抗を精査していたアルミンが、大声で俺を呼んでいる。 　呼ばれた先に行くと、土の中から白い木片のようなものが見えていた。それは、なだらかな球面を描いている。 「骨だな。形からみると、頭の部分かもしれないな」 　俺とアルミンは、刷毛と竹べらを使って、注意して土を払っていった。 　予想通り頭蓋骨が地中から現れた。骨の周囲には炭化した有機物の痕跡がわずかに見られたが、首から下の骨はどこにも無かった。 　二千年前の首だけの骨。 　歴史には名も残っていないが、俺は斬首刑となった『世紀の反逆者』リヴァイ・アッカーマンの首を思い浮かべる。 　しかし、俺が処刑されたのは、ここからかなり離れた王都の処刑台だ。斬首刑の場合、見せしめのために首を晒されることが常だった。つまり、誰かが俺の首をここに持って来たことになる。 　同じ地層からは、ハンジに渡したティーカップが出土している。 　この首を運んだ人間がハンジだとすると――。 　俺は、錆びたナイフで臓腑を抉られる感覚に襲われた。 [chapter: Hansi’s side 2（ウォールマリア時代）] 　ヒストリア・レイスを新しい王として擁立した政府は、壁の中の治安の維持を最優先事項に掲げ、調査兵団の壁外調査の中止の決定を下した。 　この政策転換を受け、壁外調査継続に強い意思を持っていたリヴァイ・アッカーマンがテロを起こした。リヴァイは政府との交渉材料にラカゴ村の村人全員を誘拐したのだ。誘拐犯となった彼を捕獲しようとした同胞の調査兵も次々と殺害された。 　兵士からの人望も厚く、市民からも英雄視されていたリヴァイが起こした、重大な反逆罪だった。 　逃亡を続けるリヴァイがマリア南東の山小屋に潜伏しているという情報を掴み、わたしは腹心の部下たちと共に向かった。 　山小屋の中で、リヴァイはボロ切れのようにうずくまっていた。部下たちはライフル銃を構え、すぐさま彼を囲む。 「……ハンジか」 　ギラギラと飢えた獣のような目を見せていたリヴァイは、わたしの姿に気づくと、ふっと表情を緩めた。彼の確保に動こうとする金髪の副官を、わたしは制する。 「やあ、リヴァイ。元気、とは言えない状況だね。少し、二人だけで話をしようか」 　手負いの獣のようなリヴァイに静かに声をかける。そして、彼と二人きりになりたいと副官を説き伏せ、小屋の外で待つように指示を与えた。 「今じゃ『人類の英雄』は『世紀の反逆者』って呼ばれているそうだよ」 　わたしは、銃を肩から降ろしながら、世間話でもするように言った。 「ハッ……。俺は元々英雄なんかじゃねえ」 「政府は、リヴァイ・アッカーマンをテロリストとして指名手配している」 「それで、ハンジ団長直々に捕まえに来られたってわけか」 　前団長のエルヴィンからの指名を受け、わたしは調査兵団の新団長に就任したばかりだった。 「そうさ。テロリストを出してしまった兵団として、その責任を果たさなければならない。あなたの確保は、我々調査兵団の使命だと言って過言ではない」 「俺を捕まえたら、調査兵団は存続できるとでも言われたのか？」 　勘の良い男だ。確かに、リヴァイの身柄を確保したならば、反逆者を出した調査兵団の責任は不問とするお達しが上層部から出ている。 「まあね。それに近いことは言われている。けれど……」 「けれど？」 「あなたがテロを起こした物証が見つからない」 　今回の事件は、どうしても納得できない部分があった。 　テロの実行犯はリヴァイたった一人であるのに、ラカゴ村の村民全員が誘拐されたという。政府への交渉カードとして誘拐するのなら、村民全員である必要はない。そして、渦中の村民は誰一人発見されていない。 　さらに、リヴァイを捕獲しようとして返り討ちに遭ったニファやケイジたちの遺体には、銃創があった。街中でリヴァイが銃を持って戦っていた目撃情報もあったのだが、にわかには信じられなかった。彼ほどの立体機動術のレベルならば、銃撃より立体機動で応戦するはずだ。そして報告にあがってくるのは、第三者による証言のみで、彼がテロを行ったという物証は確認できなかった。 　そこで、わたしは、リヴァイの存在を恐れた者による事実のねじ伏せという仮説をたてた。仮説が正しければ、リヴァイに罪は無い。 「兵団の仲間を裏切ったあなたのことを、わたしは許すことができない。……だけど、あなたは本当に人を殺したのかい？」 　わたしの問いに、リヴァイは答えない。ただ、哀れむような視線をこちらに向ける。 「もし、その事実が違うと言うのならば、今すぐ裏口から逃げろ！」 　まるで懇願するように、わたしは叫んだ。 　ここでリヴァイを逃せば、わたし個人の過失だけでは済まないだろう。それこそ、調査兵団の解散につながりかねない失態だ。 　彼が無実である仮説は立証されていない。けれども、わたしは彼に『事実と違う』と言って欲しかったのだ。 　リヴァイは驚いたような表情を浮かべ、目を細めた。 「お前も、来るか？」 　わたしは、言葉に詰まった。団長として調査兵団を率いるわたしには、彼と共に逃げ出す未来は想像できなかった。 　少し間を置き、目を伏せたリヴァイは静かにつぶやいた。 「……疲れたな」 　そのセリフは、何かを諦めたようにも聞こえた。このまま逃げとおさなければ、彼は死刑を免れないだろう。 「俺を捕まえろ、ハンジ。調査兵団を守ると決めたなら、半端な覚悟でいるんじゃねえ」 　彼は諦めたのではなく、覚悟を決めたのかもしれない。 　こうして、『世紀の反逆者』リヴァイ・アッカーマンの身柄は調査兵団によって拘束された。 ＊ 　拘束されたリヴァイの幽閉先は、調査兵団本部近くの幽閉塔だった。彼は逃亡の素振りも見せず、本や新聞を読んで過ごしていた。 　そして、日を空けずに彼に会いに来るわたしに紅茶を淹れ、たわいもない話を聞いていた。壁外で巨人と闘っていた頃の鋭利な刃物のような彼とは異なり、静かな水面をたたえる湖のようだ。 　死を前にした状況がそうさせるのかもしれないが、わたしは、彼の本質がそこにあるのだと感じていた。 　口は悪いけれど、従来の彼は穏やかでとても優しい。きっと、平和な時代を彼は誰よりも望んでいる。 「何の本を読んでいたんだい？」 　テーブルの上に置かれていた本は、訓練兵団の教材として使われているものだった。人類が壁の中に閉じ込められた百年の歴史が書かれている本だ。訓練兵時代、わたしはこの本を何度も読み返していた。 「あなた、こういうのに興味があったんだ」 「なあ、ハンジ。歴史というのは、誰が作っているのだと思う？」 「いつになく哲学的だね。為政者とでも言いたいのかい」 「ハッ、笑えねえな」 　リヴァイは、吐き捨てるように言った。我ながら、意地の悪い返事だった。 「歴史自体はただの事象だ。その解釈は後世の人間が下すのだろうね。あなたが死ぬことを、笑う人間もいれば、泣く人間もいるよ」 　彼の質問に、わたしは改めて答えた。 「お前は、最後まで笑っていろよ」 「それがあなたの望みならね」 　何も出来ないわたしは、せめて彼の前では笑顔でいようと思っていた。 　窓からの明るい日差しが、リヴァイとわたしを包む。 　この部屋の日当たりの良さだけは、特上だった。 　翌日、王都の広場でリヴァイの斬首刑が執行された。 　彼の首が切り落とされる時だって、わたしはとびきりの笑顔を彼に見せた。 　けれど、もう限界だった。 　副官であったアルミン・アルレルトを次期団長に推薦すると共に、わたしは兵団から姿を消した。 　広場で野晒しにされていたリヴァイの首と共に。 [newpage] 　目つきの鋭い黒髪の男性が、シーナ大のハンジ教授のもとを訪れたのは初雪のちらつく日だった。教授は講義中で不在だったので、僕は男性と一緒に、研究室で教授の戻りを待つことになった。 　男性はローゼ市文化財課の者だと名乗り、鞄の中から小さな桐箱をおもむろに取り出した。緩衝材としての薄紙が詰められた箱の中には、古そうな磁器片が幾つか入っていた。磁器片はウォールマリア時代のもので、その出土地の発掘調査がこれから行われるそうだ。男性は、国内でも有数のウォールマリア時代を専門とする歴史学者であるハンジ教授の知見を聞くため、ここにやって来たと言った。 　しばらくすると、廊下から軽やかな足音が近づいてきて、ドアが勢いよく開かれた。 「ただいま、アルミン！　雪、本降りになって来たよ。今年は暖冬だっていうけど、積もりそうな勢いだ！」 　元気な声と共に、黄土色のコートの肩に積もった雪を払いながらハンジ教授が研究室に入ってきた。彼女を見つめている客人の姿に気付いた教授は、息を飲む。黒縁メガネの奥にある琥珀色の目は大きく見開かれている。 「……やあ、[[rb:はじめまして > ・・・・・・]]」 　少し逡巡する様子を見せたハンジ教授だったが、愛しい恋人に出会えたかのような微笑みを浮かべた。 [chapter: Levi’s side 3（現代）] 　ハンジは、前世の記憶がない[[rb:体 > てい]]で接してきて、俺とは面識のない素振りを貫いた。 　自分が使っていたティーカップの破片を目の前にしても、眉一つ動かさなかった。ティーカップがローゼ市の高台で発見された理由について俺が尋ねても、知らぬ存ぜぬを押し通した。 　あまつさえ、俺に向かって「ウォールマリア時代の研究はおすすめできない」と言い出しやがった。ただ、彼女の教え子であるアルミンを発掘調査に参加させてやって欲しいと頼んできた。こちらとしても人手も欲しかったところで、アルミンの参加を断る理由も無かった。 「雪で電車がストップする前に、帰った方がいいよ！　うん、皆、帰ろう！」 　と、この日は半ば強引に帰らされ、ハンジからは何も聞きだすことはできなかった。 ＊ 　アルミンも加わった発掘調査は順調に進み、ウォールマリア時代の人骨を初めとする貴重な資料の発見があった。調査も終盤に差し掛かった三月上旬、ローゼ市文化財課は調査成果を市民にも伝えるため、現地説明会を開いた。 『高台に位置する当遺跡からは、ウォールマリア時代の土坑墓が見つかった。墓からは、成人男性（歯の形状から三十代前半と推定）の頭蓋骨が出土し、その胴体は発見されなかった。首の部分にあたる骨には鋭利な刃物で切断された痕跡が確認でき、謎多きウォールマリア時代において、処刑行為があった可能性を示している。頭蓋骨の周囲で出土した有機物は、花粉分析からバラ科の植物と同定された。男性の首は花を添えて埋葬されていたことになり、彼の死を悼んでいた人間の存在がうかがえる。また、土坑墓と同じ地層からは、白磁のティーカップが出土している。このカップの持ち主と、埋葬者との関係は不明であるが、同時代の出土品であることは間違いない』 　ハンジが発掘現場に現れたのは、現地説明会が行われた日の夕方だった。説明会はとっくに終わっている時間で、遺跡には養生の為、ブルーシートがかけられている。 　今、その上に立っているのは、俺とハンジの二人だけだった。 「この現説資料の『彼の死を悼んでいた人間』って表現、私情が入りすぎじゃない？」 　黄土色のコートを着たハンジは、発掘の要旨が書かれた現地説明会資料に目を通しながら言った。寒さで吐いた息は白くなり、彼女の形の良いわし鼻は少し赤くなっている。 「クソメガネ。クレームをつける気か？」 「クレームとは失敬な。貴重な市民の意見だよ。学問に私的見解を入れるのはどうかと言っているのさ」 「この前、お前が『ウォールマリア時の研究はやめた方がいい』と言ったセリフの方が、よっぽど私情を交えているように思えるがな。……なあ、お前、前世の記憶があるだろう。どうして初対面の振りをした？」 　あの時代から転生した人間は他にもいる。記憶を持つ者もいるが、ミケやアルミンのように記憶を持たない者もいる。 　しかし、俺に出会ったときのハンジの驚いた顔は、前世の記憶を持っているようにしか見えなかった。 「ああ、そうだよ。わたしも前世の記憶を持っている。だけど転生ってやつは環境も変われば人間だって変わる。今のわたしは昔とは違う人間として育っているし、あなたとは初対面になるのさ」 　ハンジの瞳は昔と同じ琥珀色だったが、メガネのフレームはあの頃には無い黒縁メガネだ。 「あなた、今更どうして会いに来たんだよ？」 　その瞳は、射抜くように俺に向けられている。 「俺が処刑された後、お前が……いや、前世のハンジがどう生きたのか知りかったんだ」 　団長として上手くやっていけたのか、 　ちゃんと睡眠はとっていたのか、 　飯は欠かさず食っていたのか、 　部屋は片づけていたのか、 　好きな奴はできたのか、 　結婚はしたのか、 　子はいたのか、 　……幸せだったのか。 　俺は、ずいぶん前にハンジが転生していることを知っていた。 　会いに行きたいと思った。 　けれど、会いには行けなかった。新しい人生を歩んでいるハンジには、過去に囚われずに自由に生きて欲しいと思ったんだ。 　しかし、こんな[[rb:辺鄙 > へんぴ]]な場所で出土したティーカップを見て、俺が死んだ後のハンジのことが気にかかった。そして、この時代のハンジに会いたいという想いを止めることができなくなった。 「それで、あなたの知りたいことは分かったの？」 　ハンジはコートのポケットに両手を突っ込み、沈みゆく夕日に目を向けている。 「これは多分に私情が含まれるんだが、ハンジが俺の首に花を添えて埋葬したんだと思う」 　俺は夕日に照らされるハンジの顔を見ながら答える。ハンジは苦く笑った。 「まさに私情だね。リヴァイの首を埋めたのがハンジだとしたら、あなたは何がしたいんだい？」 「俺は、ハンジが幸せだったのかどうか知りたいんだ」 「幸せだったのならいいけど、そうでなかったなら、どうするの？」 　吹き抜ける北風にも微動だにせず、女は言った。俺は言葉を失う。 「ふふ、安心しなよ。ハンジはあなたの望み通り、最後まで笑って生きていたよ。あなたが気に病む必要はない。あなたの首を埋めたのはハンジかもしれないが、彼女は感傷的に花を手向ける事はしない」 　目の前の女は、他人事のように言った。 「転生ってさ、もう一度生きるチャンスがあるってことなんだよ。今度こそ自由に生きられるんだ。わたしは、あなたに[[rb: も > ・]]過去に縛られない生き方をして欲しいと思っているんだ」 「ハンジ、俺は……」 「転生してまで腐れ縁が続くなんて呪いみたいじゃないか！　だから、わたしはあなたに会わないつもりだった。でも、最後に、骨になっちゃったリヴァイを見たくなってねえ」 　俺の言葉を遮るように、ハンジは明るく言い放った。 　俺は、重石代わりにしていた土嚢を退けて、ブルーシートをめくる。出土状況を保ったままの頭蓋骨が夕日に照らされた。 　ハンジは絞り出すような笑顔を見せて、骨に向かってつぶやいた。 「また会えて嬉しいよ、リヴァイ」 　初めて聞くような、鈴を転がすような声だった。 　彼女にとっての「リヴァイ」は今の俺ではないのだろう。 　俺は、足元の頭蓋骨を思わず睨んだ。 　腹の底が、疼くように痛み出す。 　立春は過ぎたが、まだ日は短い。 　沈みゆく太陽は、空を燃えるような赤色に染めていた。 [chapter: Hansi’s side 3（現代）] 　リヴァイの想像通りだった。 　二千年前、この高台でリヴァイの首を埋めたのはわたしだ。 　追っ手に捕まることなく、夜が白む頃にこの地に辿り着いたわたしは、彼の墓を作ろうと決めた。シャベルなんて持っていなかったから、自らの手と木の枝を使って掘り続ける。雨水がしみ込んだ服は泥だらけになり、爪の間には土が入り込み、ところどころ血が滲んでいた。 　首一つ分が入る穴を掘り終えたわたしは、傍らに置いていた麻袋を引き寄せる。袋からリヴァイの首を取り出すと、元々色白だった彼の顔は浅黒くなり、切られた首の断面には血がこびりついて固まっていた。けれど、その表情はどことなく穏やかに見える。 「こんなことなら、一度くらい抱かれておけばよかったかな」 　泥のついた手で、冷たい彼の首を抱きしめ、わたしは自嘲気味に薄く笑う。 　ふと、視線を上げると、止んでいた雨がまた落ちてきたのか、何か降って来たのに気付いた。よく見ると、それは雨ではなく、風で散り始めた桜の花びらだった。 　わたしは、ヤマザクラの根元にリヴァイの墓を掘っていた。 　彼の墓標ともなる桜の木は、薄紅色の花弁を絶え間なく降らす。クルクルと回りながら、墓穴に幾つも落ちていく。彼の立体機動も、駒のようにクルクルと回り、巨人を削いでいたことを思い出した。彼が自由に飛ぶ姿は、もう二度と見ることはできない。 　次は、誰かを殺すことも、殺されることもない平和な時代に生まれて来れるように、と祈りながら、わたしはリヴァイの首を墓穴にそっと置いた。 　首を埋め終えたときには、夕暮れ時になっていた。夕日は血のような赤色のまま、遠くの山すそに落ちていく。 　沈みゆく夕日は二千年前と変わらない。 　桜の花も、毎年同じように咲いてきた。 　けれど、人の世は変わる。 　新しく起こった文明も、消えた文明もある。ウォールマリア時代は、まさに後者の文明だった。巨人はいなくなったけれどその理由は分からないままだ。調査兵団の存在も語り継がれていない。『世紀の反逆者』とされたリヴァイ・アッカーマンの名前だって残っていなかった。 　わたしは前世の記憶を持って転生したけれど、巨人がいなくなった理由も知らない。二千年前の歴史を紐解きたいと研究の道に進んだのは、わたしにとって必然だった。だって、心臓を捧げて戦ってきた仲間たちがいなかったことになるなんて、あんまりじゃないか。 　数少ない当時の文献を手にしたわたしは、「王の力」で人々の記憶が捻じ曲げられていたことを読み解いた。王は記憶操作が効かないアッカーマン一族を恐れていた。リヴァイが犯したとされる反逆罪は、王によってなすりつけられた冤罪だったと推測した。 　転生したリヴァイの存在を知ったのはその頃だった。学術雑誌で彼が書いたウォールマリア時代の遺跡の研究論文を目にしたのだ。 　わたしは、リヴァイに会いたいと思った。 　けれども、今更、会ってどうすれば良いか分からなかった。 　記憶が無いなら、そ知らぬふりで傍にいようというのか。 　記憶を持っているなら、思い出話でもしようというのか。 　彼を見殺しにしたことを謝ろうというのか。 　彼の自由の翼を折ったのは、わたしだというのに！ 「転生してまで腐れ縁が続くなんて呪いみたいじゃないか。だから、わたしはあなたに会わない」 　リヴァイに会えて嬉しかったけれど、これで最後だ。彼には、今度こそ自由に生きてほしかった。 　わたしは精一杯の笑顔を作る。 「教授！　ハンジ教授！」 　アルミンの声で、ハッと我にかえる。現地説明会の日から半月が経ち、大学の研究室でゼミ生の研究発表を聞く日だった。 「大丈夫ですか？」 「ああ、大丈夫。ちょっとぼうっとしていたよ。今日は君の研究発表だね。テーマは……」 「『ローゼ市出土の人骨と文献からみるウォールマリア時代の墓制について』です。ハンジ教授の紹介で参加したローゼ市の発掘調査の報告も兼ねて準備をしてきました」 　はつらつと話し出したアルミンだったが、急に神妙な表情を浮かべた。 「実は、リヴァイさんが発掘中の事故で意識不明になったんです。試掘坑に落ちて……」 　総毛立つ感覚が全身を駆け巡る。 　わたしは取る物も取りあえず、リヴァイが入院しているというローゼ市の市民病院へ向かった。 　勢いよく開けたドアの先には、病室のベッドで横になっているリヴァイの姿があった。薄いブルーの病院着を着せられたリヴァイの目は固く閉じられ、顔色は青白い。瞬時に、処刑されたリヴァイの姿を思い出す。 「リヴァイー！せっかく生まれ変わったのに、なんで死んじゃうんだよ！」 　わたしは取り乱しながら、彼の肩を掴んで叫んだ。ガクガクとその首を揺らすと、彼の瞼が鬱陶しそうにゆっくり開き、青灰色の瞳がこちらを見る。 「……うるせえ、クソメガネ。お前はいつになればノックという行為を覚えるんだ？」 　彼の声に驚いて、わたしは思わず後ずさった。 「リ、リヴァイ、生きていたの？　あなたが試掘坑に落ちて、ベルトコンベヤーの電気に感電したところをユンボに轢かれたってアルミンに聞いて……」 「お前、それ、アルミンに完全に担がれてるぞ」 「わたし、あなたがまた死んだと思って……」 「この通り、俺は生きている。最近、腹の具合がよくなくて検査をしたら結石が見つかってな。発掘調査が終了したら元々手術を受ける予定だったんだ」 「だ、大丈夫なのかい？」 「ああ。内視鏡の手術だったしな。明日には退院だ。退院したらお前に会いに行こうと思っていたところだ」 　わたしは、彼が生きていることへの安堵と共に、顔の穴という穴から、涙と鼻水を垂れ流し出す。 　それを見たリヴァイは、少し困ったように眉根を寄せた。 「悪かったな、ハンジ」 「あなたが謝る必要はないだろう。勝手に騒いでいたのはわたしだ」 　わたしはメガネをはずして袖口でごしごしとあふれる涙を拭く。 「そのことじゃない。昔、俺がお前に言った事だ」 「昔？」 「俺はお前に最後まで笑えと言っちまった。お前、笑いたくなくても笑ってたろう？」 　確かに、処刑台のリヴァイを前にしたとき、わたしは身が引き裂かれそうな思いで笑顔を見せた。 「すまなかった」 　リヴァイのその整った顔が少し歪められたのは、手術した傷のせいではなさそうだ。 「なんだよ、それ。あなた、わたしに見殺しにされたんだよ？」 　どうして、リヴァイが謝っているんだ。謝るのはこっちだろう。どこまでこの男はお人好しなんだ。 「わたしは、自分の意思で笑ったんだ。あなたに謝られる筋合いはない！」 　何とも言えない怒りが湧き上がってきて、わたしの口調は強くなる。 「なあ、ハンジ。山小屋で俺を捕まえに来た時、お前は俺に逃げろと言っただろう？」 　半身を起こしながら、リヴァイは話題を変えた。 「うん」 　気持ちを落ち着かせながら、わたしは返事をする。 「俺が逃げなかった理由は、それが兵団の利になると判断したからだ」 　逃亡中のリヴァイを捕獲した結果、反逆者を出して窮地に立たされていた調査兵団はその存続が約束された。彼が兵団の為に犠牲になる事を選んだのは明白だった。 「だが、もう一つ理由があった。逃げちまったらお前に二度と会えないと思ったからだ。お前と過ごす時間は悪くなかった。お前が笑っているのを眺めているのもな」 「わ、わたしだって、あなたと一緒にいる時間が好きだったんだ。あなたと紅茶を飲む時間が一番幸せだった」 　彼の真摯な言葉を聞き、わたしも正直な気持ちを伝えてしまった。 　リヴァイとは、ただの同僚という関係だった。けれど一緒に過ごして、この優しい男の事を好きにならない訳がなかった。 　二千年越しの告白に、思わず頬が熱くなる。 「そうか」 　リヴァイはわたしの気持ちを見透かしたようにニヤリと笑った。 　前世で、彼はこんな風に笑ったことはあっただろうか。けれど、何だか彼らしい表情だと思えた。 「お前が言うように、俺たちは前世とは違う人間なのかもしれない。前世の記憶はあるが、育ってきた環境も時代も違う。俺たちは初対面になるのだろう。だがな、ハンジ。初めて出会ったのなら、そこから知り合えばいい。前世とは違う人間同士、上手くいくかもしれねえだろ。生まれ変わって自由に生きられるなら、俺は今のお前を知りたい」 　パタパタと、わたしの両目から再び涙がこぼれ落ちる。さっきとは違う種類の涙だ。 「ハンジ、もう無理に笑わなくてもいいが、泣かなくてもいい。今は多少病人だが、俺は元気だ」 「げ、元気な病人ってどういうことだよ」 　リヴァイのセリフが可笑しくて、わたしは泣きながら笑い出す。 「なあ、ハンジ。今の俺は、あの頭蓋骨じゃねえ。胴体もあるし足も手もある。前世でできなかったことだってできる。壁だって無い世界だ。これからお前とどこにだって行ける」 「うん、そうだね。あの頃は禁書でしか知らなかった海にだって行ける」 「ああ。退院したら連れて行ってやる。他にも前世でできなかったことがある。俺にとってはかなりの重要事項だ」 「どんなこと？」 　聞くや否や、ベッドに座るリヴァイに引き寄せられる。 「前世では抱けなかったからな」 　わたしの首は、リヴァイに強く抱きしめられた。 　リヴァイの厚い胸板からは、確かな心臓の音が聞こえくる。 　わたし達は、これから生きていく。 [chapter: 花の下にて] 　拗れた大人の尻拭いは、もうしたくないと思っていたんだけどなあ。 　先日まで発掘調査が行われていた区画のすぐ隣にある公園のベンチに座り、僕は深いため息をついた。 　前世で、兵長の首を持って失踪したハンジさんを守るために暗躍したり、団長になったりと、モブリットさんも驚くほどの働きを見せたと自負しているのだが、転生後のサポートまでする自分を自分で褒めてやりたい。 「あんた、疲れているようだけど、もう帰るかい？」 　口調はぶっきら棒だが、僕を心配してくれる声が隣から聞こえる。 「疲れてなんかないよ。君にこの満開の桜を見せたいと連れてきたのは僕だしね」 　横に座る金髪の彼女に向かって、僕は微笑む。今日はハンジ教授の急用でゼミが休講になったので、彼女とローゼ市までやって来たのだ。 　目の前には満開の桜が咲き誇っている。この丘一面が紅色に染まるほど、桜の木々で覆い尽くされている。 「アルミンが参加していた発掘現場が、花見の名所とは知らなかったよ。……きれいだね」 　彼女は、柔らかな眼差しで桜を見ている。春風に乗って飛んできた薄紅色の花びらが、彼女の髪に付いた。 「この場所には、ある女性が亡くなった想い人の為に、桜を植樹し続けたって話があるんだよ。この丘が桜でいっぱいになった後、女性は旅に出たとか、この地で亡くなったとか、諸説あるんだ」 「へえ。それも、いつも読んでいる本から知ったのかい？」 「いや、昔、この地に住んでいた村人に聞いた話だよ」 　あの時代はつらい時代だったかもしれない。 　志半ばで死んでいった仲間も大勢いる。共に生きたいと願っても叶わなかった人間も大勢いたはずだ。けれど、ハンジさんも、兵長も、誰もが、己の信念のもとに懸命に生きていた。 　前世の記憶があるのが幸せなのか、無い方が幸せなのか僕には分からない。けれど、今を僕たちは生きているんだ。 「どうしたんだい？　ニヤニヤして……」 　彼女が怪訝な顔をしてこちらを見ている。 「いや、僕は幸せだと思ってさ。君とこうして出会えて！」 　僕は、彼女の髪に付いた花びらをそっとつまみながら言った。彼女の透き通るような白い頬が、赤く染まる。 　指先から、ふわりと花びらが舞い上がった。桜の木々からも、無数の花びらが空へ自由に舞い上がる。 　まるで、立体機動で空を飛んでいた僕たちのように。 　季節はもう、春だった。

後ろ手を縛られたリヴァイは、処刑台の上から女を探していた。<br />（よかった。ここからなら、あいつがよく見える）<br />調査兵団第十四代団長である彼女――ハンジ・ゾエは、凛とした佇まいで処刑台正面に用意された席に座っていた<br />・・・・・<br />革命編IF設定で、転生モノです。<br />個人的にハッピーな感じな幕引きと思います。<br />首がでますが、それほどグロい描写はないと思い…ます。<br /><br />主催者様、首アンソロの素敵企画、ありがとうございます！<br /><br />以下、ネタバレ含む設定など。<br /><span style="color:#bfbfbf;">↓<br />↓<br />↓<br />↓<br />↓<br />・二千年越しの両片思い。<br />・革命が失敗して、『レイス家』主導の王権で、人々の記憶がねつ造されてる設定です。<br />・王権に恐れられたアッカーマン一族であるリヴァイ兵長が処刑されます。<br />・転生したリヴァイさんが遺跡発掘してます。<br />・文中にはあまり出ませんが、田舎だから機材も十分に揃ってないし人手不足…でも凄腕の発掘技師な設定です。<br />・専門用語とか法律とか含めてフィクションです。<br /><br />n番煎じすみません。<br /><br /></span>

骨の記憶

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俺たちが村に帰って半日少女はまだ起きていない。 アスナ「まだ起きないね。」 ハチマン「まあ疲れも出ているんだろう。」 俺とアスナは寝ている少女を見ながら話していた。ちなみにキリトは隣の部屋で寝ている。少女が起きたら起こしてくれと言っていた。と、そのとき ？「……ん」 アスナ「ハチマン君、起きたよ！」 ？「ここは？」 ハチマン「ここは俺たちが泊まっている宿屋だ。」 ？「ボクは生きてるの？」 少女がぼうっとしながら聞いてきた。 ハチマン「ああ生きてる。」 ？「本当に？」 アスナ「そうだよ！生きてるよ！」 そうアスナが言うと少女は泣き出してしまった。あれだけのことがあったんだ、無理もあるまい。俺は黙って少女を撫でていた。 ・・・ その後泣き止んだところでアスナにキリトを呼びにいってもらって全員そろった。 ユウキ「ボクはユウキ！助けてくれてありがとう！」 ハチマン「俺はハチマンだ。」 キリト「俺はキリト。」 アスナ「アスナよ。よろしくねユウキ。」 そこでキリトはユウキに聞いてきた。 キリト「そういえばユウキどうしてああなったのか教えてくれないか？」 ユウキ「実はね…」 それからユウキは話してくれた。 話によると1人であのクエストを受けていたがその途中で出会ったプレイヤーが一緒にやろうと持ちかけてきたらしい。それでしばらく一緒にやっていたがいきなりその人が実を割って… その後は俺たちが見たとおりだ。 ユウキ「ボク、死んぢゃうんかと思った…」ポロポロ そこまで言うとユウキはポロポロと泣き出した。俺は無意識でユウキの頭を撫でていた。 ユウキ「え？」ポロポロ ハチマン「大丈夫だ。お前は今生きてるんだ。だから大丈夫だ。」 ユウキ「うん、うん。」ポロポロ しばらくするとユウキは落ち着いた。 ユウキ「えへへ、ありがとう。なんかハチマンお兄ちゃんみたいだね！ハチ兄って呼んでいいかな？」 ハチマン「お、おう。構わないが…」 ユウキ「うん！じゃあこれからよろしくねハチ兄！」 キリト「まあとりあえず胚珠もあるしクエストをクリアしにいくか。ほらユウキの分とあるぞ。」 ユウキ「本当！？」 キリト「いいよなハチマン。」 ハチマン「特に使わないしな。」 キリト「相変わらず捻くれてるな。」 ハチマン「ほっとけ。」 こうして俺たちは無事アニールブレードのクエストはクリアした。 キリト「これからはユウキはどうする？俺たちと一緒に来るか？」 ユウキ「いいの！？アスナもハチ兄もボクが一緒にいっていいのかな？」 ハチマン「俺は別にいいぞ。」 アスナ「私もいいよ！これからよろしくねユウキ。」 ユウキ「うん！」 こうして俺たちのパーティにユウキが加わった。 ・・・・ その後俺たちはアスナの細剣のクエストをクリアした。そんなこんなで1ヶ月が経っていた。ユウキは初心者らしいがセンスが良くβテスターに負けないくらいの腕だった。1人でやっていたのでスイッチは教えたが…。 俺とアスナ、キリト、ユウキの4人は現在トールバーナの広場にいる。なぜならこれからここで第一層のボス攻略会議が行われるからである。 このデスゲームが始まり1ヶ月。ようやく第一層のボス部屋が発見された。ボス部屋が発見されるまでに死んでいったプレイヤーの数は約2000人。この中の大半は現状に絶望した自殺者だと聞いている(アルゴ情報)。2000人の中の2割程度はβテスターらしい。おそらくβ時代の情報を過信して正規版での変更点に対処できずに死んだってところだろう。 ユウキ「結構いっぱいいるね。もっと少ないと思ってた。」 ユウキは広場に集まった人々を見て感想を述べた。 ハチマン「あー、アレだろ。どうせここにいる奴らの大半は置いていかれるのが怖いだけだろ。」 2人「「どーゆーこと？」」 コテンと首を傾げて聞いてくる2人可愛い。 ハチマン「ここにいる奴らの大半は自分の知らない間にボスが倒されて現状に置いていかれるのが怖いんだ。だから死ぬかもしれないのに覚悟もなくここに集まってるんだ。ほら、証拠に周りを見てみろ。お遊び気分で談笑してる奴らがほとんどだ。そういう奴は自分が死ぬかもしれないなんてこれっぽっちも思っちゃいない。」 俺にそう言われて3人は周りを見渡し、なるほど、といって納得した。 そんな話をしていると周囲のざわめきが少し強くなった。 ？「はーい！それじゃあ、5分遅れだけど始めさせてもらいます！」 何事かと思い耳を傾けていると水色の髪色をした片手剣使いだと思われるイケメンが声を発した。イケメン死ね。 ディアベル「今日は俺の呼びかけに応じてくれてありがとう！先ずは自己紹介だ！俺の名前はディアベル！気持ち的に《ナイト》やってます！」 ディアベルと名乗ったイケメンがそう言うと周囲の観客が沸いた。 え？今の笑うところ？何が面白かったの？ そう思って隣のアスナを見ると苦笑いしていた。その隣のキリトも苦笑いだ。ユウキに至っては頭に？を出している。 ディアベル「先日、俺達のパーティーが第一層のボス部屋を発見した！ボス部屋を発見した俺達はボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームもいつかきっとクリア出来る事を、はじまりの街で待っている皆に伝えなきゃならない！それが、今この場所にいる俺達の義務なんだ！そうだろ、皆！」 ディアベルのその発言に周囲の観客は沸き上がる。義務。義務ねえ……。ボス討伐なんて強制されてやる事じゃねえだろうに。 ああ、働きたくないな。 ディアベル「それじゃあ最初に6人パーティーを組んでくれ！」 なん……だと…………⁉︎そんなものぼっちの俺には無理だ！と1ヶ月前の俺なら言っていただろう。だがしかし！今の俺には愛すべき幼馴染アスナがいる！さらに！キリトとユウキもいる！そう！今の俺にはパーティーを組む"仲間"がいるのだ！だけど自分から誘うなんて恥ずかしくて出来ない！だからキリト君頼んだ！！ キリト「ハチマン、アスナ、ユウキ。パーティー組もうぜ。」 さすがキリト。ナイスタイミングだ。 ハチマン「いいぜ。」 アスナ「いいよ！」 ユウキ「うん！」 キリト「他はどうする？」 ハチマン「別にこの４人でいいだろ。ここには46人集まってんだから4人パーティーが一つ出来ちまうんだからちょうどいいだろ。」 キリト「そうだな。」 俺たちのパーティーリーダーはキリトがやる事になった。最初は俺がやらなきゃいけないみたいな空気になっていたがなんとか回避した。 ディアベル「パーティーも組めたようだしそろそろ会議にうつろうか。」 ？「ちょお待ってんか！」 ディアベルが会議を始めようとしたがそれをモヤットボールのような奇抜な髪型をした小さいおっさんが遮った。 ディアベル「えーっと。なにかな？」 キバオウ「ワイはキバオウってもんや！こん中にこれまで死んでいった2000人に謝らなあかん奴がおるはずや！」 はあ、あのモヤットボール。なにを言い出すかと思ったらそんな事か。バカなの？アホなの？ ディアベル「キバオウさん。その人たちってのはどんな人たちだい？」 キバオウ「決まってるやろが！β上がりのクソどもや！βテスターどもはこんクソゲームが始まってからビギナー達見捨ててうまいクエストや狩場を独占しとったんや！そんなβテスター達から謝罪と独占しとったクエストなんかで稼いだ金やらアイテムやらをもらわな納得いかへん！」 キバオウの発言を聞いて観客の中に何人か顔をしかめたり青ざめさせたりしているものがいる。おそらく元βテスター達だろう。隣にいるキリトも顔を俯かせていた。クラインのことを思い出しているのだろう。 しかしこの状況はまずいな。βテスター達はこの中で主力となる力を持っているだろう。俺とキリトがいい例だ。アルゴ状況によると俺とキリトのレベルは全プレイヤートップらしい。そんなテスター達がこのレイドから抜ければ攻略の成功率は格段に下がる。そうなるとアスナとユウキの死亡率も上がりかねない。それにβテスターである俺とキリトにも実害が出る。 働きたくないのに… ハチマン「発言いいか？」 キバオウ「なんや！」 ハチマン「俺の名前はハチマンだ。そこのキバオウって奴にちょっと言いたいことがある。……お前バカなの？アホなの？そんなに死にたいの？」 キバオウ「なっ⁉︎そんなわけあらへんやろ！」 ハチマン「いいや、お前は現状が全く理解できてない死にたがりの大バカだな。お前の嫌うβテスター達は現状、貴重な戦力だろ。そんな主力達から装備とアイテムを奪って、わざわざ戦力を落としてこれから始まるボス戦に挑むっていうのか？そんなのただの自殺だろ。そんなものは他所でやってくれ。」 キバオウ「ぐっ……。」 ハチマン「それに仮にお前がβテスターだったとして、お前は自分の命がかかっている状況で1人で9人ものビギナーの面倒を見れたのか？俺は無理だ。耐え切れない。そこまで責任持てない。」 キバオウ「……無理や。」 ですよね。 ハチマン「自分で出来ないような事を他人に求めるな。もうちょい考えてからものを言え。」 ハチマン「そして最後に言わせてもらうが狩場やクエストの独占をしていたのはβテスターだけじゃないだろ？この中にもビギナーでそういう事をやっていた奴はいるはずだ。βテスターの肩を持つ訳じゃないがテスター全てが悪だと決めつけるな。中にはこんな風に攻略本を出してくれるようないい奴もいるんだ。集団としてではなく、個を見て判断しろ。」 キバオウ「ぐっ、ぐぅ……。……わかったわ。」 キバオウは俺の事を恨めしそうに睨みながら席に戻り、それを見たディアベルは会議を進め始めた。はぁー疲れた。働きたくなくないのに。 キリト「ハチマン、助かったよ。ありがとな。」 ハチマン「おう。」 アスナ「ハチマン君かっこよかったよ///」 ユウキ「さすがハチ兄だね！」 その後の会議は滞りなく進行された。 俺たちの班の役割としては他隊が取り零したボスの取り巻き潰しだ。やったね、あんまり働かなくて済むよ！ その後に俺たちは数時間狩った後宿屋に向かった。部屋割りは俺とアスナ、キリト、ユウキだ。なんか一緒に寝て以降それが普通になりつつある。まあ嬉しいからいいんだけどね。 この宿屋はアルゴが教えてくれて風呂があるらしい。アスナとユウキは風呂と聞いて盛り上がっていた。女子だし風呂は入りたいのかな。 今俺たちは４人でまったりしていた。 そのときコンコンとノックの音が聞こえていた。 アスナ「誰だろうハチマン君？」 ハチマン「一応警戒していてくれ。」 アスナ「わかった。」 俺はゆっくりとドアを引き開けた。 ハチマン「なんだアルゴか。どうした？」 とりあえず俺は5つのグラスにミルクを注ぐ。 アルゴ「ハチ公にしては気が利くナ。熱でもあるのカ？ 」 ハチマン「気まぐれだ。」 キリト「で、本題はなんだ？」 キリトがアルゴに聞いた。 アルゴ「クライアントが、キー坊の片手剣『アニールブレード＋6』を買いたいそうダ」 キリト「……いくらだ」 アルゴ「3万9千8百、だそうダ」 キリト「微妙な金額だな、おい！ 今の『アニールブレード』の相場は1万5千、2万あれば強化に必要な材料買えるぞ。 だから俺と同じ＋6までは、安全に出来るはずだ。 まぁ、鍛冶料金もプラスされるが」 アルゴ「オレッちも、これならあんまりかわらないゾト。 何回も言ったんダゾ」 キリト「クライアントの名前って教えてくれるのか？」 アルゴ「教えて構わないそーダ」 キリト「誰だ？」 アルゴ「キー坊もよく知っていル人サ……。 今日の攻略会議で暴れたやつサ」 キリト「まっまさか……。 キバオウ、か？」 アルゴ「どうすル。 キー坊？」 ハチマン「やめとけキリト。あんなやつに売る価値がない。」 アスナ「そうだよ！」 ユウキ「ボクもそう思う。」 キリト「だな。」 アルゴ「 不成立でいいんダナ？」 キリト「ああ。」 アルゴ「わかっタ。」 ハチマン「てかキリトの戦闘力を落とす事が目的だろ。」 キリト「そうかもな」 そもそもあいつがキリトの戦闘力を落としてなんの得になる？まさか… ハチマン「もしかしたらキバオウは誰かに依頼されてるかもしれん。」 アスナ「どういうこと？」 ハチマン「誰かがキバオウに頼んでキリトの剣を買おうとしているってことだ。まあたぶんあいつだげどな。」 キリト「誰かわかるのかハチマン！？」 ハチマン「ああ、たぶんディアベルだ。あいつもたぶんβテスターだ。」 4人「「「「え？」」」」 俺以外の４人が言った。 ハチマン「だってビギナーがあんな指揮とれるか？いや取れない。キリトの武器を買って戦力を落としLAを取るつもりだろう。」 キリト「なるほどな。」 ハチマン「だからディアベルには注意してくれ。」 4人「「「「ああ！（うん！）」」」」 その後アルゴは帰っていきキリトとユウキはそれぞれの部屋にかえっていた。 そして俺たちはベッドで寝た。 そういえばアスナが風呂に入るときに アスナ「覗かないでね？でもハチマン君ならいいかな///」 ハチマン「バカなこと言ってないで早く入ってこい///」 こんなやりとりをしていた。

どうもアルスDQです！<br />今回からユウキ登場！<br />ではどうぞー！<br /><br />他のシリーズは↓<br /><br />「はるのんとはちまんくん」<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6200037">novel/6200037</a></strong><br /><br />「ぼっちとあざとい幼なじみ」<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6173175">novel/6173175</a></strong><br /><br />「傷つきすぎた八幡」<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6804386">novel/6804386</a></strong>

少女の名前はユウキ！そして第1層攻略会議

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郁がＡカップの高鳴りを必死に抑えていたその時、 コンコン ドアをノックする音が響いた。すぐにガチャガチャとノブを回す音もする。 ビクッと二人が肩を跳ねて固まっていると 「どーじょー開けてー」 お馴染みの小牧の声がした。 「ま、まずい、笠原っ と、とりあえずどうしよう、えっと…」 「どどど、どうしましょうっ こんなとこにあたしがいたら…」 アワアワと顔を青ざめる郁の腕を掴むと、とりあえず一人部屋の小さめなクローゼットに押し込めた。 ──なんだこの定番の展開は…いや定番ではないんだが。自分がクローゼットに誰かを匿う日が来るとは思わなかった。 「いいと言うまで出てくるな」 無声音で声をかけると、慌ててドアに向かった。 「ど、どうした小牧」 「遅いよ堂上～どしたの？」 「ん…ね、寝ててな…もうそりゃ爆睡しててな…そうだ、まだ眠いな。お前帰れ」 「えー!?何それ入れてよ。何か疚しいことでもあるの？」 「いや、…ない。何もない」 「じゃあいいでしょ。お邪魔しまーす♪」 チッ 思わず舌打ちしてしまった正直な自分を許してほしい。 背中にはもう冷や汗がダラダラと流れ、小牧の目を見ることも難しくなっていた。 小牧は室内をキョロキョロと見回す。 「あれ？猫ちゃんは？」 ──おまっいい歳した男が猫に“ちゃん„を付けるな“ちゃん„を！ 堂上は心の中で突っ込むものの、今はどう誤魔化したもんか頭がパンクしそうである。 ──堂上、お前顔に『しまったー！』って書いてあるぞ…くくっ 小牧が笑い出しそうなのを堪えていると、それに気付かない堂上は視線を軽く上に向けて泳がせながら声を出した。 「か、飼い主が見つかってな…」 「えーお前あれから部屋一歩も出てないだろ？」 「っ‼」 ──俺はお前が恐ろしいよ小牧…ずっと俺の部屋を見張ってたとでも言うのか。 「で、猫ちゃんは？俺、牛乳持ってきてやったのに」 「あ、あーサンキューな。うん、貰っておくよ。お前帰れ」 「は？」 明らかに小牧の空気が変わった。 この冷え込みは…ま、まずい。 堂上の血の気がサーッと引いていく。すると 「くしゅんっ」 男子寮では到底聞けない、確実に女子であろうそれが聞こえた。 この魔王の冷気にあてられては仕方のないことだろうが、こいつに冷気を出させてしまうような迂闊を犯した自分を嫌悪した。 「へぇーこの部屋では女の子でも飼ってるのかなぁ？今白状するなら見逃してあげなくもないけどー」 「わ、わかった！話すから！何があっても驚かないでくれ」 堂上はクローゼットに近付くと、ソッとそこを開けた。 クローゼットの中には大きな女が器用に隙間に収まっており、目を泳がせながら「お、おはよ…ござ…ます」と小さく呟いた。 「えー？堂上と笠原さんてそういう関係!?」 「ちがっ」 「違うわアホ‼」 慌てて否定する堂上に郁の胸は何故かツキンと痛んだ。 それからは３人でテーブルを囲むと、堂上が小牧に状況を説明し始める。 郁はその間正座で小さく縮こまり、時々「はい」とか「いえ」とか短く答えていた。 一通り聞き終わると、小牧は納得したようなしないような表情で 「とりあえずどうする？この時間に笠原さんを男子寮から連れ出すのは不可能だし、夜中までここで匿う？」 と現実的な問題が提起される。 そうだった、それもとてつもなく問題だ。 いくら笠原が通常女子よりデカイからと言って、男子寮を闊歩出来るような身形はしていない。 「ま、とにかく今は出れないんだし、時間無駄にしないためにも今はどうしてそんなことになったか検証しようか。笠原さん、変身前になんか変なもの食べたりしなかった？」 「いえ…今朝起きてから何も口にしてません。あ、でもさっき教官から鮭缶いただきました…」 「ぶっ今はそれは関係ないだろっ！」 「す、すみません！」 真っ赤になる堂上と、真っ青の郁を見比べて、頬杖をついた小牧は 「いちゃつくなら俺おいとましようかな」 よっこらしょっと腰をあげた。 「いちゃついてない！」 「小牧教官…行かないでください…」 郁に上目遣いでお願いされると小牧も嫌とは言えない。また腰を落ち着けた。 ──ま、こんな面白そうな状況から退散するなんてそもそもごめんだけどね。 「じゃあさ、何かしたりは？今朝の状況を細かく思い出してみようよ」 「今朝はー、走ろうと思って、寮の外で軽くストレッチして…そういえば走る前に気合い入れました」 「気合い？」 「はい、こう、両頬をパンッと」 「お前っ仮にも女が顔を張るな！」 堂上が途端噛みつくと、郁は益々肩を竦めた。 「ねぇ、笠原さん、今両頬触ってみて？」 「え？はい…」 ペタ 「何も起きんな」 「そうだね、パンッてやらなきゃ変身しないとか？笠原さん申し訳ないけど叩いてみてくれない？」 「はい…」 パンッ 「な、何も起きんな…」 「違うみたいだね。ねぇ、その他には？何か考えてたとか？」 「何も思い当たることは…あっ」 「なんだ？」 「いえ！なんでも」 「笠原さん、重要なことなんだ。どんな些細なことでも言ってみてよ。これからもこういう風に同じことが起きないとも言えないし」 小牧が優しく笑いかけると、郁はホゥッと息を吐いた。 「あ、あの、ど、堂上教官を…見ました……」 「俺？あぁ、走りに出ようとしてたからな」 「堂上なら今も見てたよね？」 「そ、その……怒らないでくれますか？」 郁はチラリと堂上を窺う。 堂上は腕を組んだ状態で無言で続きを促す。 「堂上教官の顔見たらギクリとしました。休みの朝から会うなんて気まずいなーって…会いたくないなと…その……」 「貴様……」 堂上の気圧が下がるのがわかる。 「だから…怒らないでって言いました…」 シュンとする郁が、先程耳をペタリと下げた子猫に重なる。 「い、いや！すまん、いいから続けろっ」 堂上はぷいと、顔を逸らしてしまった。 「ふーん、なるほどねー」 小牧は含み笑いを浮かべていた。 「変身したキッカケは後で試すとして、元に戻ったキッカケは？堂上くん」 「なっ！」 途端顔を赤くして口をぱくぱくとする堂上を面白がるように、小牧は続ける。 「じゃあ笠原さんに聞こうか。戻る時は何かしたの？」 「あ、あ、あの！その……私からは言えません‼」 キャーと言いながら真っ赤に染まる顔を郁が両手で押さえた時だった。 ポスン 「みゃあ…」 「「あ」」 本当に猫に変わってしまった。 [newpage] 「みゃうー…(教官…)」 小さな郁猫の見上げてくる瞳は潤んでいてなんとも言えずに可愛い。 ──可愛い…まずい…すりすりしたい… 「ぶふぉっ！ど、堂上！その顔っ！あははははは！」 「な、なんだよ！俺の顔がどうした！」 「お前って猫好きなのな、ぶくくくっ！ 目がもうトローンとしてるよっあははははは！」 「っ‼‼」 堂上は盛大にブスくれた顔をしていたが、手は正直で… 自然と郁猫を引寄せ、すでに膝の上で撫で付けていた。 「おまっ何を自然に…っ！あははははは！ど、堂上…も、もう無理っ」 そう言うと小牧はしばらく床を転がっていた。 郁猫はというと、堂上の膝の上で撫で付けられてゴロゴロと喉を鳴らしている。 「みゃーん(気持ちいー)」 こちらもトローンとまた眠りそうな勢いだ。これは猫の性か。 堂上の撫でる手も留まる気配はない。 ──ダメだ。手が吸い付いて離れん。このふわふわは麻薬のようだ。可愛すぎる… 散々笑ってヒィヒィ言っていた小牧はなんとか現世に戻ってくると、二人の様子から目を逸らしながら話し始めた。 「でさ、また変身しちゃったけどどう戻すの？てかこれ柴崎さんにも相談したほうがいいよね？」 「うっそうだな…」 堂上はあの魔性の笑みを思い浮かべて溜め息を吐いた。 ──あいつも盛大に揶揄ってくれるんだろうな…。 「で、『堂上のこと考えて動揺してる時に両頬を触る』と変身するってのがわかったところで」 「なっ！」 「にゃっ！」 「ぷくくっ事実でしょ。目の前で見ちゃったし。さぁ、今度は戻った時を再現してよ」 「～～～っ‼」 心底嫌そうな顔を浮かべた堂上の肩に小牧が手を乗せる。 「このまま飼っちゃう？笠原さんのこと♡それもいいんじゃなーい？」 「な！にを！」 もう赤すぎてりんごかポストかといった堂上だが、しばらくして意を決したように呟いた。 「小牧、見てくれるな」 「えーどうしよっかなー」 「見るな！こいつ、服着てないだろ…その、変身解けるとだな…」 「あぁ、なるほどね、さすが紳士だね～」 「るさいっ！いいから見るな！」 「はいはーい、ちゃんと同じことを、しかもゆっくり再現してね。どの行動がキッカケだかわからなくなるから」 小牧が後ろを向く。 堂上は郁猫を持ち上げて自分の顔の位置まで持ってくると 「笠原…ちょっと我慢してくれよ」 そう言って顔を近づけてきた。 「みゃぅー…(教官ー…)」 郁の心臓が高鳴る。 ──教官の顔近いっ！ ドキドキドキドキ ──あたし、これ心臓保つの!? それから、堂上の頬擦りから始まり、ゆっくりと堂上の鼻が首筋へ…最後に鼻が郁猫の鼻とくっついた。 ボフンッ 「これか…」 堂上は呟き、郁は慌ててウェアを引寄せた。 後ろを向いてくれた堂上に感謝しつつ急いでウェアを着込むと、真っ赤になった堂上と、それを見てニヤニヤしている小牧が目に映る。 「で、何だった？キッカケ」 「そ、それは…その……俺達がわかってんだからいいだろ！」 「二人の秘密なわけ？」 尚もニヤつきの止まらない小牧に 「そうだ！悪いか！」 堂上が宣言し、郁はボンっと頭から煙が出るのを感じた。 真っ赤になって目を合わせない二人を見ていた小牧は 「乙女が！乙女がここにいます軍曹～‼」 叫んで堂上から拳骨をもらっていた。 つづく

前作にたくさんの反応ありがとうございます‼<br /><br />思いの外好評でビックリ&amp;ウハウハしています(* ´ ▽ ` *)<br /><br />奇しくも今日は猫の日ですね！<br />めざましテレビを見るまで気付かなかった(笑)<br /><br />郁猫ちゃん、どうなるんでしょう？<br />続きお楽しみください♪<br /><br />ちなみに今日は怪談トリオの川野くんの誕生日ですね～(* ´ ▽ ` *)<br />川野くん好きだったなぁ。タッキーでも翼くんでもなく川野くん！ドラムしてる姿がカッコ良かった✨<br />(あたくし怪談トリオと同い年であります)<br /><br />表紙を素敵絵師かおにゃんこさん<strong><a href="https://www.pixiv.net/users/17001202">user/17001202</a></strong>に描いてもらいました♡素敵～!!(2016/5/10）<br /><br />2016年02月22日付の[小説] 女子に人気ランキング 52 位入り<br />2016年02月22日付の[小説] デイリーランキング 84 位入りありがとうございます!

笠原郁…時々“いく„　その２

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その日、堂上班は班長によって全員が小会議室に集められた。 「前にも一度話したと思うが、来週から一週間、新設される図書館の防衛計画に関する会議に出てくる」 「立川だっけ。玄田隊長の補佐でいくやつね」 「補佐なんて名ばかりでどうせこき使われまくるんだろうけどな」 堂上は、心底うんざりした顔で言った。 「どんな会議なんですか？」 いまいちピンと来てないのは郁だ。 「主には防護室等の防衛設備の提案だな。あとは防衛部の配備の仕方や警備マニュアルなんかを玄田隊長がうちをもとに作成したものをプレゼンする」 「堂上二正はそのサポートをされるんですね」 手塚の目は尊敬の眼差しでキラキラしている。 「手塚、同じことを二度言わすな。そんな立派なもんじゃない。まあそんなわけでしばらく留守にする。その間の業務の内容を割り振って表にまとめてきたから目を通してくれ」 「一週間一回もこっちに顔出さないんですか？」 "寂しい"が駄々漏れの郁をあえて直視しないで堂上は続けた。 「さすがに一週間デスクを放置したら恐ろしい状態になるだろうからな。朝出る前に事務室で書類を少しでも片付けてから行くつもりだ。朝早くに行ってやるからお前らとは会わんと思うがな」 「そっかぁ。。」 「もうダメっ！笠原さん、色々顔に出過ぎっ」 「へ？」 「笠原、小牧の言葉に耳を貸すな。俺がいない間の指揮権は小牧に置いて行く。お前ら二人の日報も小牧に提出な」 「「はい！」」 堂上の宣言通り、本当に顔を合わせることがなくなって三日目。郁が朝出勤すると手塚が既にデスクに向かって仕事をしていた。 「おはよー。早くない？なんか急ぎの仕事？」 「いや、堂上二正に回してもらったやつ」 「え！？なにそれ！どゆことよ！？」 「朝から耳元で騒ぐな。今朝早めに来たら堂上二正が積み上がった書類をさばいてたんだ。ほら。まだあんなにある」 手塚は指で堂上のデスクを指差した。 「えー？！堂上教官に会えたの！？」 「そうだと言ってるだろうが！それで！少しでも手伝えたらと思って回してもらった」 「手塚、できんの！？」 「さすがに上の階級の権限がいる仕事はできないがな。データ処理とか取りまとめくらいは手伝える」 「すごっ！」 「なんかすげー疲れてたぞ。堂上二正」 「そうなんだ。。」 いーなー手塚。教官に会えたんだ。 あたしもなんかできることないかな。。 かといって、手塚みたいに仕事を手伝うのは無理だし。。 「あ、そだ!!」 郁は机の引出しにしまってあるお菓子ボックスからチョコやアメなどをガバッと掴んだ。 そしてくるっと椅子ごと回り、堂上のデスクまで座ったまま移動し、そっと置いた。 疲れてる時は甘いものだよね。 郁は満足そうに笑った。 次の日、早く行けば堂上に会えるとかも！と早起きをする予定だった。のにできなかった郁はいつもの時間に出勤した。 「あ、お菓子なくなってる！」 堂上のデスクには昨日置いておいたお菓子がなくなっており、いくつか食べたであろう痕跡が近くのゴミ箱にあった。 ほくほくと自分の席に着くと、小牧が話しかけてきた。 「おはよう笠原さん、何かいいことあったの？」 「いえ！大したことじゃ。あ、小牧教官は夜堂上教官に会ったりするんですか？」 小牧は少し困ったように笑った。 「昨日風呂から帰ってくる堂上に会ったんだけどね。かなりへろへろだったよ。会議だけでもしんどそうなのに毎日玄田隊長に遅くまで付き合わされてるみたい」 「え！？毎日飲んでるんですか！？」 「不本意ながらね。堂上としては一刻も早く帰って寝たいはずだから。まあでも隊長も久しぶりに堂上を独り占めできるのが嬉しいんだろうな」 「独り占め？」 「や、こっちの話。なんか朝ご飯も食べられずに基地を出てるみたいだよ。堂上が事務室来る前って食堂まだ開いてないからさ」 「。。。そうなんですか」 よし！！ 郁は気合を入れた。 [newpage] 「ん。。何よこんな時間に。緊急召集？」 「わっ！ごめん柴崎。起こさないように気をつけてたんだけど」 時刻は朝五時。外はまだ暗い。 「ちょっとコンビニ行ってくる」 「。。朝ごはんの前に??」 「。。。ちょーっとお腹空きまして」 「ふぅーん。まぁ気をつけて行ってらっしゃい」 「うん！すぐ戻るから！」 「ブラックコーヒーでもつけてあげれば？シャキッとするから喜ばれるんじゃない？」 「ひぃっ！？なんで。。」 振り返ると柴崎はすでに二度寝の姿勢に入っていた。 赤くなった顔を叩きながら郁はコンビニへ走った。 サンドイッチとコーヒーを買って向かう先は事務室だ。そっと覗くが堂上はまだ来ていない。 中に入り、堂上のデスクに袋ごと置き、なんとなく堂上の椅子に座った。 「ここに座るとこんな景色が見えるんだ」 郁と堂上は背中合わせの席なので見える景色が違う。それを体験したところで。 「すっ、好きな人の席に座るとか中学生か！恥ずかしっ」 勢いよく立ち上がり、郁はそのまま部屋へ走って帰ってしまった。 あんなに会いたかったのに。早起きまでしたのに。でもあのまま顔を合わせていたら絶対挙動不審になって怪しまれてただろうな。。 郁は静かにベッドに入り、もう一眠りすることに決めた。 「堂上、入るよ」 「ああ、開いてる」 堂上が立川に通うようになってから六日目の夜。小牧が缶ビールを持参して堂上の部屋を訪れた。 「今日は早かったね」 「あのおっさんの気まぐれだ。今日は飲む気分じゃないんだと」 「振り回されてるね。だいぶ寝付きはよくなった？なんか眠りが浅いって言ってたじゃん」 「変わらずだ」 「ホントだ。クマできてる。で、今朝の差し入れはなんだったの？」 「。。。おにぎりとお茶とコーヒー」 「ははっ！今日は和食だったんだ。でもコーヒーはつくんだ。いじらしいなあもう」 「誰からの差し入れかは知らん！」 「うわ。堂上それはさすがに痛すぎるよ」 「うるさい！姿はないし書き置きもなんもないんだから知らなくてもおかしくないだろう」 「わかってるくせに」 堂上はそっぽを向いたまま黙った。 「ごんぎつねみたいだね。毎日正体明かさずに差し入れするなんて」 「最後撃たれちまうやつか」 「お前はどうするのさ。正体わかんないんだろ？撃っちゃうの？」 「知るか！」 「手塚は手塚で必死に新しい仕事覚えようと聞いてくるしホント可愛い部下をもったね」 「同期は決して可愛くないがな」 お互い様だよと小牧は目を細めながら携帯に手を伸ばした。 その頃女子寮では柴崎の悪魔の囁きに郁が混乱していた。 「堂上教官、ちゃんと眠れてないらしいわよ」 「そうなの？朝は早いみたいだけど夜は門限までに帰ってきてるはずだよ」 「バカね、人はね、過労や睡眠不足が続くと夜目が冴えて寝れなくなったりするの！」 「へぇー。で、なんであんたがそんなこと知ってんの」 「ふふ。妬かない妬かない。心配しなくても教官からの直の情報じゃないわよ」 「別に妬いてなんか。。」 「で、明日の朝の差し入れ何にすんの？最終日でしょ」 柴崎は完全に面白がっている。郁ももう隠す気はない。 「んー。まだ決めてない」 「睡眠導入グッズとかどうよ？」 「そんなの持ってないし明日の朝までに用意できない」 「そ。まぁあんたのない知恵絞った結果報告楽しみにしてるわよ。おやすみ」 そう言って柴崎はベッドに入ってしまった。 こいつ、他人事だと思って。。 今朝も郁はおにぎりとお茶とコーヒーを置いてすぐに部屋に戻ってきてしまった。 こっそり差し入れをし続けていることが今さら恥ずかしくなってきたのだ。 ここまで来たら最後までバレないようにして何事もなかったかのようにしようと決めた。 きっと私だって気づいてない。 それより明日の差し入れ何にしよう。あたしが眠れない時に使うものって。。 いやいやそれはないっ！ でも他に思いつかないし。。 [newpage] 堂上の連続出張最終日、薄闇の中郁は事務室のドアをそっと開けた。中はしんと静まり返っている。 ちゃんと起きられてよかった。 郁は手にしていたものを堂上の机に置いた。 よし、戻ろ！と思ったところで。 「おい」 「ギャッ！ごめんなさいごめんなさいっ」 突然後ろから降ってきた低い声に郁は何故か手を上げて叫んだ。 「俺だ」 「堂上教官！？なんだ。。びっくりした」 「びっくりはこっちだ。電気もつけずに何してんだ」 「あ。。すぐ出るつもりだったので。。」 郁は机の上に置いたものを後ろ手で回収し、さっと背中の後ろに隠した。 「こんな早くに来てたんだな」 堂上は小声で言いつつ郁に近づいてきた。 郁は後ずさりしながらこの場を早く立ち去る術を考えていた。 「あ、あたしはもう用が済んだから寮にもどりますね〜」 「待て」 堂上の横を通りすぎようとしたが揺るぎない声で止められた。この声には逆らえない。 「せっかくキツネを捕まえたんだ。逃がすか」 「キツネ？」 「撃たれたくなかったら大人しく言う事聞け。その後ろで隠してるもんさっさと出せ」 「随分物騒な物言いですね。そして。。バレてるんですね」 郁は観念したように呟いた。 「今までの差し入れも全部お前だろ」 「え！？気づいてたんですか！？」 「朝飯食いっぱぐれてたから助かった。やたら甘い菓子も。ありがとな」 その笑顔は反則です教官！ ささやかな胸がささやかじゃない規模で鳴る。 「で、今日は何がもらえるんだ」 堂上はまあ座れと自分の隣の席の椅子に郁を座らせ自分も腰掛けた。 「うぅ。。あんまり役に立たないかもしれませんが」 「なんだ。食いもんじゃないのか」 しばらく俯いていた郁は意を決して隠していたものを突き出した。 「絵本です。教官があんまり眠れてないって聞いたので、寝る前に読んだらちょっとでも寝つきがよくなるかなぁと思って」 堂上は口元が綻ぶのを手で抑えた。 なんだこの目の前にいる可愛い生き物は。 「呆れてますよね。子どもっぽいって思ってますよね」 「いや、思ってない。お前は寝る前によく読むのか。それ」 「はい。お話も挿絵の感じも優しくて読んでる内にうとうとしてくるんです。途中ちょっと切なくもなるんですが読み終わった後すごく幸せな気持ちになるのでよく眠れる気がして」 「効果はあるんだな」 「人によると思いますが」 「よし、じゃあ今読んでくれ」 「え！？今ですか！？そして私が読むんですか！？」 「読み聞かせはお得意だろうが」 「そりゃお話し会には何回か出てますけど！教官相手に読むとか緊張しますっ」 予想外の展開に郁は慌てた。 堂上は腕を組んで本を見つめている。早く読めオーラに耐えきれなくなり、郁は諦めて堂上に向かって本を開いた。 「むかしむかし　ずっといなかのしずかなところに　ちいさいおうちがありました。。」 郁は堂上の方を見ないようにして子どもたちに読み聞かせる時と同じようにゆっくり読み始めた。 てきるだけ優しい声で、優しい語り口調で、いつもより抑揚はつけずに。 しばらく読んだところで異変に気づきチラと堂上を伺うと、腕を組んだまま目を閉じてやや俯いていた。 「すごい。。寝ちゃった。。」 郁は本を閉じ、下から堂上の寝顔を覗きこんだ。眉間に少し皺がよっている。口角も下がっていてお世辞にも天使の寝顔とは言えない。 しかし郁にはとても可愛らしく思えた。 ので思わず手を伸ばしてしまった。 「固い。。」 もっとふわふわしてるのかと思ったが堂上の髪は固く予想よりごわごわしていた。 軽く頭に手を置いたが堂上は起きる気配がない。 郁は調子に乗ってポンポンと手を跳ねてみた。堂上の目は閉じたままだ。 いつもしてもらうことができて嬉しくなった。 無意識に少し指を深めに差し込み、髪を梳いたその時━━ 手首を掴まれた。 「お前調子に乗りすぎだ」 「起きてたんですか！？いつから。。」 堂上は真っ赤になって後ろに引こうとする郁を逃さず引き寄せた。郁の上半身は捉えた手首と椅子に付いているタイヤのお陰で勢いよく堂上の腕の中に収まった。もう片方の手は背中に回された。目の前に堂上の顔がある。 キ、キスされる！？ 「お前に寝込みを襲われるほどヤワな鍛え方はしてない！」 堂上は掴んでいた手を離し、郁のやわらかい髪の毛をこれでもかというほどかき混ぜた。背中のホールドは外さない。 「ギャーー！！ひどい！！ぐしゃぐしゃ！」 ひとしきりかき混ぜられた後、郁は椅子から転げ落ちた。 体中から発熱しているのがわかる。 「まあしかし本の効果は実感したからな。しばらく借りるぞ」 「うぅ。。。どうぞ！」 郁は涙目になりながら堂上を上目遣いで睨んだ。そして髪を必死で整える。 「笠原、もう一眠りしてきます！」 「寝坊するなよ」 「しません！」 強めに閉まったドアの向こうを見つめながら堂上は笑った。 出張から戻ったら可愛い二人の部下を連れて飯でも食いに行くか。 そう思案した直後、美味しそうにご飯をほおばる片方の姿が浮かんで堂上はまた微笑んだ。

ただただ堂上教官に従順なかわいい郁ちゃん(と手塚)を書きたい衝動にかられて妄想しました。県展前くらいでほろ甘仕上げです。<br /><br />参照：椋鳩十作『ごんぎつね』、バージニア・リー・バートン作『ちいさいおうち』<br />どちらも大切にしている本です。

キツネな彼女

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これは10年前のことである。 俺は親父の店にくる薙切のじいちゃんに引き取られある学園に来た。その時幼稚園児だった俺は周りの大人達に怖がり薙切の爺ちゃんの陰に隠れていた。 今思えば薙切のじいちゃんの方が怖かったな…顔が！ 仙左衛門「八幡よ急に連れてきて悪かったな」 はちまん「だ、大丈夫です…全然こわく……なんか……ひぐっ…」 仙左衛門「すまんな」なでなで はちまん「お爺ちゃん…」ぐす 仙左衛門「そろそろ着くから耐えてくれよ」 そう言うと薙切のじいちゃんは手を繋ぎ、ゆっくりと目的地まで歩いてくれた。 仙左衛門「八幡、着いたぞ今日からここがお主の部屋だ」 子供の俺からしたら困惑しかなかったのだろう。そりゃそうか、つい先日まで比企谷家で暮らしていて急に大きなお屋敷に連れてこられたんだ、誰だって驚く はちまん「え！じゃ、じゃあもうお家に帰れない……の？」 仙左衛門「なーに八幡が料理上手になれば八幡の親父殿も向かいに来てくれるさ」 俺を不安にさせないように荒々しくだが俺の頭を撫でてくれる。当時の俺は心があったまってくのを感じた。 だがこの時の俺は知らなかった。 大好きだった父と母に捨てられたことを。そしてそれを偶々聞きつけた薙切仙左衛門が幼き八幡を引き取ったことを… この時の俺まだ知らない… ＊＊＊ 仙左衛門「親父殿が迎えに来るまで、わしが八幡の父親だ」にこ はちまん「お爺ちゃん怖い……」うるうる 仙左衛門「す、すまぬ！」オロオロ 薙切の爺ちゃんは今にも泣き出しそうにしてる俺をどうあやすのかわからずアタフタしている すると 薊「父さん何をしてるんだい？」 そこには若きおい出されていない薙切薊がいた 仙左衛門「おう薊か！八幡が泣き出しそうに」 薊「それが例の子か………君」 はちまん「ぐすん……なに」うるうる 薊「これを食べてみなさい」 はちまん「これは？」 薊「私が作った、お菓子だ」 はちまん「おかし？お菓子！」ぱく その一口で幼き俺には到底言葉には表せないほどの旨味を感じた。 その一口は父親から食べさせてもらった食べ物が残飯に思えるほどの美味さだった はちまん「お、おいしぃ………おじちゃん！」 薊「おじちゃんって…まだそんな歳じゃないよ」苦笑 はちまん「じゃーお兄ちゃん！もっと欲しい！」 俺がそういうと薙切薊は俺に目線を合わせ俺の唇に人差し指を置きこういった 薊「だめだよ」 まだ幼かった俺はその言葉からは意地悪をされてるって思った。だがまたあの味を味わいたいと思った俺は はちまん「お願い！なんでもするから！」 薊「そうかい……なら料理人になりなさい」 はちまん「料理……人？」 薊「あぁ、素晴らしい料理人になり私の舌を満足させなさい、そうしたらまたあのお菓子を作ってあげるよ」にこ はちまん「うん！僕料理人になる！でお兄ちゃんに美味しいって言われる料理人になる！」 薊「そうか、それは楽しみだな。……父さん、私はエリナを教育しないといけない。この子はアリスと一緒に料理を教えてあげてくれないか」 仙左衛門「あぁ、任せろ。薊よ主がこう言うのは珍しいな」 薊「私は可能性にかけてみただけだよ」 仙左衛門「ほほぅ…よし、八幡よ早速アリスのところへ行こう！」 はちまん「アリス？」 仙左衛門「八幡と同じ年だ、一緒に料理を勉強する友達だ」 はちまん「……友達、うん！わかったいこいこー！」 あ、言っとくぞ？この時にはもうぼっちだった。だから友達という言葉にこの頃から憧れを持っていた 仙左衛門「いくぞ」 はちまん「あ、お兄ちゃん！」 薊「ん、なんだい」 はちまん「お菓子ありがとう！今まで食べた中で1番美味しかった」にこ 薊「っ………あぁ、ほら行ってきなさい」 はちまん「うん！絶対美味しいって言わせられる料理人になるね！」 薊「あぁ、楽しみにしてるよ」にこ そしてその日から薙切薊とは二度と会えなかった…… [newpage] そして幼き俺は、いかにも豪華な部屋と言わんばかりの扉の前に連れてこられていた 仙左衛門「八幡よ、ここじゃ」 はちまん「うん！」 そして扉は開かれる。運命の出会いと共に開かれていく…… ガチャ ？？「あ、お爺様！」 入った途端白髪の少女が薙切の爺ちゃんに抱きついていた ？？「お爺様今日は何か御用でも？…………あなたは？」 白髪の子は俺に気づき不審そうな顔でこちらを見て訪ねてきた はちまん「僕は………比企……」 仙左衛門「こやつは比企谷八幡というのじゃ。今日からこやつは家族じゃ仲良くせぇ」 アリス「ふーんあ、私薙切アリス！よろしくね」にこ はちまん「よろしく…ね」 アリス「八幡は幾つなの？」 はちまん「…5歳」 アリス「私も5歳よ！」 はちまん「同い歳…だね」 アリス「そうね！でも、ここでは私の方がお姉さんよ！」 はちまん「えぇ…」 そう他愛なく話をしてる2人を見ていた薙切の爺ちゃんは2人の雰囲気をみてほのぼのしていた アリス「八幡！ここの中を案内してあげるからついてきて」 はちまん「…うん」 そして厨房や中にある休憩室など2人は走り回り楽しんでいた。初対面のアリスにも途中から慣れいつも通りになっていた。 アリス「ざっとこれぐらいかしら！」 はちまん「すごいすごいよ！アリスちゃん！僕そんなの覚えられないよ」キラキラ アリス「えっへん！もっと褒めてくれてもいいのよ！」 はちまん「ほんとすごいや！………でもこれどうやって使うの？」 アリス「っ！……えっと………これは…………」 はちまん「……もしかして、わかるの名前だけなの…？使い方……わからないの？」 アリス「うるさいうるさい！わからなくて何が悪いんですか！」ぷんぷん はちまん「えぇー」 アリス「ふーんだ！いつか使えるようになって立派な料理人になるんだからね！」 はちまん「料理………人………」 アリス「あら？八幡は料理人にならないの？」 はちまん「なりたい！……なりたいけど、どうやってなるのかわからない…」 アリス「なら大丈夫よ！ここは料理をお勉強する学校なの！一緒にお料理できるようになりましょ！」 はちまん「っ！うん！」 こうして俺とアリスの料理人への道は始まった。 途中色々なことがあった。アリスの従姉妹のエリナって子に料理をふるまったら散々にバカにされたことや、アリスが海外へ行ってしまったことなどなど。 ちなみにアリスが海外へ行ってからは在学中の生徒にお世話になった。 自分より大きな人達に囲まれながら日々を過ごしていた。そのおかげか歳を重ねるごとに料理の知識が増えていき、中等部に上がる頃には他の生徒よりずば抜けて高くなった。 アリス以外の友人も一応できた アリスがなぜか連れて帰ってきた黒木馬リョウ。こいつはどの生徒よりも現場を知ってるやつだ。こいつは普段おとなしいがバンダナをつけるとうるさくなる。 そしてもう1人。 汐見ゼミの葉山アキラだ。もともと汐見さんにはここに来た時からお世話になっていた。この人もアリス同様葉山を連れて帰ってきたらしい。同い年と聞かされ驚いた。葉山は汐見ゼミへ行くといつも迎え入れてくれるやつで、いつもスパイスのことを教えてくれた。 友人は少ないけど俺の日々を充実していた 俺はここでの生活は好きだ やはり俺はここに来て良かったと思う… 　　 アリス「なーに黄昏てんの！八幡くん！」 リョウ「キモいぞ八幡」 八幡「罵声を浴びせんじゃねぇ……、ちと昔のこと思い出しててな」 俺がそう言うと少し驚くが次第に顔はニヤニヤしてきた。 アリス「あの時の八幡くんは可愛いかったわよね！」 八幡「今は可愛くなくて悪かったな」 アリス「ううん、違うの。今はなんかこう…キリッて感じになってカッコよくなったわ！」 八幡「なんだよそれ…」 アリス「そんなことより！昔を思い出してたんでしょ？何か言うことない？昔より綺麗になったとか可愛くなったとかないの？」 八幡「んまぁ、あざと可愛くはなったな」 アリス「ただ可愛いって言えばいいんです！ほんと素直じゃないわね！」 リョウ「お嬢がそれいう？」 アリス「リョウくんは黙ってなさい！」 リョウ「はーい」 アリス「じゃー八幡くん言ってみなさい！」 八幡「え？やだよ」 アリス「ささ！恥ずかしがらずに！」 八幡「はぁ………んまぁ……か、可愛くなったんじゃないですか」 アリス「ふふん！さ、最初からそう言えばいいんです！」フンス リョウ「お嬢耳真っ赤ですよ」 アリス「きぃぃ！リョウくんなんでそんなこというの！」顔真っ赤 リョウ「事実ですから」 アリス「もぅおこったわ！もうリョウくんが謝んないなら口聞いてあげまry」 八幡「夫婦喧嘩はよそでやってくれ」 アリス「なっ！リョウくんと私が夫婦なわけないじゃない！もうバカ！知らない！」プンスカ そう言うとアリスは出て行ってしまった リョウ「八幡……お嬢をもっと見てやれよ」 八幡「？ん？」 リョウ「はぁ………」 八幡「なんなんだよ………」 こういうことは日常茶飯事であるのだが来年から高校生だ。 なので疎遠になってしまうかもしれない…だから今あるこの繋がりを大事にしていきたいと俺は思う。 あいつには色々とお世話になってるんだし。 それに…… あぁ…やめやめ 恥ずかしいことを思ってしまった…… まぁこれだけは何度でも言えるな やはり俺はここに来て良かったと思う 続く

しーりず！<br /><br />まえまえからやりたいと思ってたやつです<br /><br />よろしくでーす

俺が今ここにいる理由

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キャプション必読‼︎ 読んだ方は次ページへどうぞ [newpage] 一松がドラゴンカラ松を拾う話 この世は最近、珍しいペットを飼うのが流行っている。それは人魚であったり妖精であったり人狼であったり。そんな中僕は小さな生き物を拾った。出会いは何時も猫たちに餌をやる路地裏で、ゴミの山に紛れて倒れていた。震え弱っていたそいつを一生懸命介抱してやると回復した次の日には懐かれた。こいつの名はカラ、と言うらしい。僕の松をあげてカラ松、と呼ぶことにした。 カラ松は世間じゃ珍獣とされているドラゴンで、人語を理解し話せるようだ。しかしドラゴンは元々他種との交流を嫌い何人たりとも近づけさせない。故にペットとして捕らえるのは難しいとされていた。聡い人語で話すカラ松が言うには、兄弟が捕まって連れて行かれたので助けようと追い掛けていたらしいが途中で見失い、ドラゴンであるが故に捕まえようとした闇業者に追いかけられ力尽きてあそこに落ちたらしい。僕は兄弟を見つけるまでの間、世話してやることにした。 カラ松を拾った時は既に人の形をしていて裸だった。ドラゴン特有のツノや牙は小さくて髪や口に隠れたが羽根は隠せなかったようだ。カラ松用に着せ替え人形用の青いパーカーとズボンをやると僕の着る真似をして上手く着こなした。初めて服を着る事に感動を覚え、僕の周りを飛び回るカラ松を捕まえて卓袱台に乗せる。きょとん、と首を傾げた彼は可愛らしくて思わず頬擦りしてしまった。 カラ松を飼う、と言うことで帰ってきた1人の兄と1人の弟に説明をすると許してくれた。ドラゴンの面倒を見るのは僕の責任だ。手始めにスマホからドラゴンの飼い方を調べるが何も出てこない。それくらい、ドラゴンをペットにするのは希少だということだった。手探りで飼うことになった僕は少し不安を抱えながらもカラ松を精一杯育てることにしたのだった。 [newpage] カラ松の兄弟が見つかる話 カラ松の遊び相手をしていると、誰かが帰ってきた。一緒に玄関まで迎えに行くと長男であるチョロ松兄さんがパーカーのフードに何かを入れて持ち帰ってきた。フードが動き中身が現れる。その中身を見た瞬間、カラ松が物凄い勢いで抱きつきに行った。チョロ松兄さんの首が締まりカエルの潰れた声が出る。慌ててひきはがすと中身もついてきた。カラ松そっくりだが赤い瞳をしている。カラ松は青い瞳だから対だ。もしかするとこいつがカラ松の兄弟なのか。 チョロ松兄さんが赤い方を摘み居間に連れて行く。赤い方はカラ松との再会を邪魔されてピィピィと不満げに声を上げるが無視だ。居間に着き、卓袱台の上におろしてやると真っ先にカラ松を抱きしめて離さないとでも言うように僕たちを睨みつけてくる。チョロ松兄さんが溜息を吐いて僕たちに拾った経緯を話してくれた。赤い方はおそ、と言うらしい。チョロ松兄さんは松をあげておそ松と呼ぶことにしたそうだ。おそ松は闇業者に追いかけられているところをチョロ松兄さんに助けられ、なんとなくカラ松に似ているからもしやと思いカラ松の事を話すと目を輝かせて着いて行くと頷いたらしい。しかしおそ松は逃げ続けて体力が限界を達していた。安心したのか眠るように意識を失ったおそ松を慌てて受け止めフードの中に入れた、と言うわけだ。 おそ松もカラ松同様、瞬時に人語を理解した。おそ松からの話によれば、母親が留守の間に闇業者が捕まえにやって来たらしい。兄として弟たちを守ろうとしたが自分ともう1人の弟が捕まりカラ松だけが捕まらずに済んだ。そのあと上手く闇業者の手から抜け出し途中まで一緒に逃げていたが迷子になり気がつけば1人だったようだ。大事な弟を守れず悔しげに歯をくいしばる兄を、カラ松は背中を優しく撫でながら慰めていた。おそ松もカラ松と一緒が良いだろうということで飼うことに決まった。おそ松には赤いパーカーとズボンを与えた。 おそ松が来たことによりドラゴン兄弟は一層離れなくなった。また逸れてしまうのが怖いんだろう。僕はカラ松がおそ松ばかり構うので少し詰まらなかった。今までカラ松を構っていたのは僕だけだったからだ。 そんな時、弟の十四松が転がり込んできた。ボロボロな体に目を見張るも大事そうに抱えるモノに目がいく。そのモノは血で汚れて震えていた。僕は十四松から受け取ると急いで濡らしたタオルで拭いてやる。それはカラ松、おそ松にそっくりでピンクの目をしていた。この子もおそ松とカラ松の兄弟なんだろう。ボロボロな十四松も手当てしてチョロ松兄さんの帰りを待つ。その間、トド、と呼びながら抱きしめる2匹のドラゴンを見守っていた。 チョロ松兄さんが十四松の怪我とピンクのドラゴンを見てただ事じゃないと悟ったらしい。何も言わず卓袱台の前に座り話を促す。十四松は少し落ち着いた様子で話し出した。トド松、もといピンクのドラゴンは闇業者に捕まる寸前だったらしい。袋小路になり追い詰められたトド松は鳴きながら必死に助けを呼んでいた。それをたまたま聞きつけた十四松は愛用のバットで殴り助け出したようだ。しかし闇業者の多さに圧倒され命からがらに逃げるのがやっとだったと。両腕にしっかりとトド松を抱えていたため、後ろからの攻撃を受けながら巻いて逃げてきた。ということである。 話を聞いていたチョロ松兄さんの纏う雰囲気がピリピリしだす。チョロ松兄さんは僕たちを傷つける人を許さない。故に目は座っていて今にも人を殺しそうだ。そんなチョロ松兄さんに気圧されて震える3匹のドラゴンを哀れに思い、チョロ松兄さんを諭す。と、雰囲気が少し和らいで3匹のドラゴンは安堵したようだった。次はトド松の話を聞く。トド松はおそ松とはぐれた後拾われたらしい。優しい人だと思っていたがトド松がドラゴンという希少価値なため売りつけるために拾い上げた。間一髪で気づいたトド松は逃げ出し追いかけられた。追い詰められ、もう駄目だと捕まるのを覚悟した時に十四松が助けてくれた、と言う流れだった。 話を聞いていた2匹の兄ドラゴンの目に怒りの炎が灯る。それを僕は宥めながら今後のことと報復のことを考えていた。チョロ松兄さんは顎に手をあてて思案している。十四松はトド松の怪我を心配そうに見ていた。トド松も助けてくれた十四松の傷を心配そうに触っていた。トド松にはピンクのパーカーとズボンをあげた。とても喜んで跳ね回っていた。 [newpage] ピンチを救うカラ松の話 あぁ、なんで。今まで可愛がっていた猫に牙を剥かれているのだろう。逃げなければ、と脳は警告を出すのに動けない。可愛がっていた猫を放っておけなかった。こうなった経緯は分からない。けど可愛がっていた猫がいきなり化け物になり牙を剥いたのだ。自然と涙が出る。威嚇をしながらにじり寄る猫に、僕は何もできないまま見つめている。猫が動いた。巨大な鋭い爪が僕にめがけて振り下ろされる。死ぬんだな、と避ける事もなく見つめていた。後数センチ、という瞬間、黒い影が猫の爪を弾いた。猫が唸り後ずさる。ふわり、と僕は何かに抱きかかえられていた。 恐々と顔を上げると、僕と同じくらいの大きさになったカラ松がいた。グルル、と唸り猫を威嚇する。爪を弾いたのは群青色に染まる蝙蝠のような羽根だった。ツノが延び牙を剥き出しにして唸るカラ松から広がる殺気と牽制にドキッとする。ぎゅう、と肩を強く抱かれさらに密着する。心臓がおかしくなりそうなくらい高鳴った。 猫がフシャーッと威嚇した。それに対抗するようにグゥウウルルル、と喉を低く鳴らし睨みつける。両者は一歩も引かず出方を伺っていた。僕は戦ってほしくなかった。どちらも死んで欲しくない。小さくカラ松、と呼ぶと答えるように抱きしめる力が強くなる。わかっている、と言われているようで安心した。 それは一瞬だった。化け物になった猫が素早く動く。それと同時に、カラ松の羽根が生き物のように動き猫を弾いた。まさか殺すんじゃないか、と息を詰めるとカラ松は安心させるようにこちらを見た。その眼は優しい光が満ちている。お願い助けて、と弱々しく呟くとカラ松は頷いて空いている左手を翳す。すると猫は苦しみだし黒い霧状のものが上へ一箇所に固まっていく。それが大きくなるにつれ、猫も小さくなっていきやがて元のサイズになってぐったりと横に倒れた。カラ松は上に溜めた霧状のモノを潰すように握る。聞いた事もない断末魔が響いて消滅した。 カラ松が腕から解放してくれたのと同時に猫のそばに駆け寄る。猫はぐったりとしてるものの安らかに息をしていた。僕は猫を抱えホッとする。振り返るとカラ松はクルル、と嬉しげに微笑んで鳴いた。瞬間、ポンっと音がして人形サイズのカラ松に戻る。僕はこちらに飛んできたカラ松を捕まえて頬にキスをした。ありがとう、と呟けば真っ赤になったカラ松が両手で顔を隠して頷いた。 [newpage] おまけ おそチョロ&十トド 「おそ松……お前、デカくなれたんだ。」 「そう、デカくなれる‼︎俺すごい⁉︎」 「うん凄い凄い。ところで僕をどこへ連れて行く気？」 「あいの巣‼︎」 「……は？」 「俺、いっしょうけんめい作ったから子作りしよ‼︎」 「ちょ、ちょっと待って。僕はつがいになる気もましてや男だから。出来ないしなれないよ⁉︎」 「もんだいない‼︎ドラゴンに女男、かんけいないから‼︎」 「だからって……うわ、ちょっ、話を聞けぇえええ‼︎‼︎」 この後三時間チョロ松に説教されたおそ松だった。 「きゅるる、」(黄色い袖引っ張り) 「ん？お腹すいたの？待ってね、ポケットに飴ちゃんがあったはずだから……」 「ちあ、ちあ、う…じゅう、」(首振り) 「違うの？」(目線合わせ) 「じゅう、んっ‼︎」(両手広げ) 「………あ、わかった‼︎抱っこだ‼︎よしよし、トド松は可愛いねー‼︎」 「くぅううるるるる‼︎」(嬉しげに喉鳴らし) その後居間で昼寝をする十四松とトド松がいた。

一松がドラゴンカラ松を拾う話。書きたいところだけ書いた短編みたいなものです。<br />少し捏造あり。<br /><br />3.4.5が三つ子で1.2.6がドラゴンの三つ子設定です。

ドラゴン拾いました

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俺は今、特別棟のある教室の前にいる。 「ここが奉仕部か・・・」 周りには誰もいなく、春なのに寒い空気が漂っていた。 俺は少し緊張しながらドアをノックする。 コンコン 「どうぞ」 中から平塚の声が聞こえる。 俺はそっとドアを開ける。 「失礼します・・・ってあ」 中には平塚以外にも見知った顔がいた。 「鶴見先輩と厚木先輩もいたんですね」 長机の奥の方に平塚が、その斜め左に鶴見先輩が、平塚の反対側に厚木先輩が椅子の上に座っていた。 「比企谷！よく来てくれた」 平塚が笑顔で歓迎してくれる。 「厚木。比企谷に椅子を出せ」 「何故こいつのために俺が動かなければいけないんだ」 厚木先輩は俺を睨みつけながら言う。 「ほう。どうやら私の言うことが聞けないようだな」 平塚はダークな笑顔で拳を構えながら立ち上がる。 「しゅ、しゅみません！」 厚木先輩は光の速さで俺の席を用意してくれた。 「ありがとうございます」 「比企谷くん、今お茶を出すね」 鶴見先輩が立ち上がってお茶を入れてくれる。 「留夏、いつも私がやると言っているだろう。妊婦なんだからおとなしくしてろ」 「いいんだよ静ちゃん。少しは体を動かさないといけないんだから」 鶴見先輩が俺の前にお茶の入ったカップを置いてくれる。 「ありがとうございます」 「それで、今日は見学に来たんだな？」 「はい。どんなことをしてるのか気になって」 「何・・・！？」 厚木先輩がガタッと立ち上がる。 「あつたけくんはちょっと黙ってて」 鶴見先輩が厚木先輩に笑顔で圧力をかける。 「ここでは生徒の悩みを依頼として解決するところだ」 「なるほど」 「まああまり依頼は来ないから普段は本を読むなりなんなり、好きなように過ごしているんだがな」 コンコン ドアがノックされる。 「お、どうやら依頼者が来たようだな・・・どうぞ」 [newpage] ドアが開いてショートヘアの女子生徒が入ってくる。 「し、失礼します。」 厚木先輩が俺の隣に椅子を出して鶴見先輩がお茶を出す。 「ありがとうございます」 「君は・・・上履きの色からして２年生だな。名前は何だ？」 「東　京菜と言います。あの、相談があるんです」 東先輩は何かにとても怯えている様子だった。 「実は今日の朝机の中にこんな手紙が入っていたんです」 東先輩は小さな文字が書かれている紙を出す。 そこにはこう書かれていた。 東　京菜 いつも君を見ている。 いつも君のそばにいる。 僕はこんなに君を思っているんだ。 僕は君のことを何でもわかっているよ。 　　　　　　　　　　　　　　　　　相模　港 「これだけじゃないんです。１週間前からストーカーもされてて・・・もう怖くて仕方がないんです」 東先輩は震えながら弱々しい声で話す。 「よし、わかった。その依頼引き受けよう」 「この相模　港って言う人は知っているのか？」 厚木先輩が聞く。 「隣のクラスの人です。たまたま委員会で一緒になったのが始まりです」 「どうして警察を呼ばないの？」 鶴見先輩が聞く。 「家族に心配をかけたくないんです」 「そうか。皆は何か意見はないか？」 「はい」 鶴見先輩が手を挙げる。 「誰かが彼氏のフリをして諦めさせるって言うのはどうかな？」 「ふむ。よくある作戦だな。しかしああいう輩は説得しようとしても無駄だからな。他にはあるか？」 部室は静まり返る。 「よし、じゃあその作戦でいくか」 「となると男は俺しかいないから彼氏役は俺だな」 厚木先輩が言う。 「えー？あつたけくんがー？何か違うな」 「そうだな。お前はいかにもモテなさそうな運動バカって感じだからな」 「お、おいなんか泣きたくなってきたぞ・・・」 厚木先輩の目がウルッとする。 「あの、じゃあこの人はどうでしょうか？」 と言って東先輩が俺を指す。 「え？」 「駄目だ！こいつは部員じゃないだろ！」 「別に部員じゃなくても良いだろう？それに奉仕部に入るために色々と学べるだろ」 「そうだね。それに目は腐っているけどよく見たら顔はかっこいいし、少なくともこの筋肉よりはいいんじゃないかな」 「よし、決まりだ」 えー俺の意思は関係なし？ 厚木先輩は「筋肉？俺のこと筋肉って言ったよね？」って泣きかけているし。 「では比企谷と東は今日一緒に帰ることにしよう。もちろん恋人らしく手を繋いでな。私達はこの相模と言う奴の後ろをついていくことにする」 「オッケーじゃあ頑張ってね２人とも」 「くっ・・・比企谷に負けた」 「ありがとうございます！」 「はい・・・」 [newpage] こうして一緒に帰ることになった俺は今東先輩と手を繋いで歩いている。 「な、なんか恥ずかしいね」 「すみません。彼氏役が俺なんかで」 「あ、ううん！全然いいよ！」 東先輩は顔を赤らめながら言う。 「くっ・・・何だあの甘い空気は！羨ましい・・・」 平塚。聞こえてるぞ。 それから数分経つと東先輩が後ろをチラチラ見ながら俺に小さい声で話しかけてくる。 「相模くんにつけられてる」 俺は無言で頷く。 後ろから俺達以外の足音が聞こえてきて緊張が高まる。 パタ・・・パタ・・・パタ・・・パタパタパタパタパタ さっきまで俺達と同じリズムで聞こえてきた足音が急に早くなって心臓がはねる。 「キャッ！？」 隣から悲鳴が聞こえて何事かと見ると、東先輩の肩に手が置かれていた。 「京菜」 東先輩の背後には男子生徒が立っていた。 「さ、相模くん・・・」 こいつが相模先輩か。 相模先輩は無表情だった。 「京菜・・・どうしていつもは僕と帰っているのに今日は違う奴なんだ」 「え？」 こいつ・・・勘違いしている。ただストーカーしてただけだろ。 「さあ京菜行こう」 「ちょっと待って！わ、私は彼氏と帰るから・・・」 「彼氏？」 途端に相模先輩の顔が険しくなる。 「そういうことなんで、失礼します」 俺達が帰ろうとすると俺は相模先輩に肩を強くつかまれる。 「おい。お前、俺の京菜を脅して無理矢理付き合わせているのか？」 「そんなわけないじゃないですか。ねえ京菜先輩？」 「え、あ、うんそうそう！」 東先輩はいきなりの名前呼びに驚きながらも返事をする。 「何言ってんだ京菜！僕が彼氏だろう！？こんな奴からは僕が守ってあげるから、正直に言ってごらん！」 そう言って相模先輩は東先輩の腕をつかむ。 「キャッ！やめて！勘違いしないでよ！」 すると相模先輩が目を見開いて固まる。 「勘、違い・・・？」 嫌な予感がする。東先輩に手を出させないようになんとか俺に怒りの矛先を向けなければ。 「そうですよ。相模先輩はずっと片思いだったんですよ。東先輩は一緒に帰っていたつもりもなかったし、全部相模先輩の妄想ですよ」 相模先輩は震えだす。 「そ、そんなぁ！そんなはずない！！」 「東先輩からしたら相模先輩はただの迷惑なストーカーだったわけですよ」 相模先輩は膝をついてボロボロと涙をこぼす。 「うわあああああ！！！嘘だ！！！ああああああ！！！」 相模先輩はしばらく大声を上げて泣いていた。 「行こう」 「行きますか」 俺達は相模先輩を無視して歩き出す。 「手に・・・なら・・・やる」 相模先輩が何か言う。 「え？」 [chapter:「手に入らないなら殺してやる！！」] そう言うと相模先輩はカッターナイフを取り出す。 「東先輩！逃げて！」 「比企谷くんは！？」 「追いつかれないように足止めする！」 相模先輩はじりじりと近づいてくる。 「どけ！」 「どきません」 俺は冷や汗をかきながら言う。 「だったらお前も殺してやる！！」 相模先輩がカッターナイフを振り上げて俺が構えた時。 ゴッ！！ [newpage] 鈍い音がして相模先輩がうつ伏せに倒れる。 「危なかったな」 俺の前にはテニスラケットで相模先輩の頭を殴った厚木先輩が立っていた。 「あ、ありがとうございます」 「感謝しろ！」 厚木先輩は得意げにチラチラと平塚を見ている。 「いや～あつた・・・筋肉もたまには役立つことがあるんだね」 「そうだな。でも１番頑張ってくれたのは比企谷だ。偉いぞ」 平塚は俺に向かって少年のような笑顔を見せる。 「いえ、俺は何もしてないですよ」 「ねえ？鶴見さん？今言い直したよね？ひどくない？」 「はいはいうるさいよー」 「しかしさすがに殺人未遂を犯したとなれば警察を呼ばないわけにはいかないな・・・」 平塚が相模先輩を踏みつけながら言う。 「もう、呼んじゃっていいです。すみません。私が最初から警察を呼んでいればこんなことにはならなかったのに」 「まあいいじゃないか。結果的に誰も怪我をしなかったんだから」 「そうですよ。気にしないでください」 東先輩は泣き出す。 「ううっ皆さん優しいです・・・ありがとうございます」 鶴見先輩が優しく東先輩の背中を叩きながらあやす。 「では私は警察を呼ぼう。厚木、そいつが起きて良からぬことをしないか見張っとけ」 「ラジャー」 厚木先輩・・・完全に平塚の犬になっている。 その後、数分で警察と救急車が来て相模先輩を引き取っていった。 俺達は、長い事情聴取を受けて、帰る頃にはすっかりと空は暗くなっていた。 「じゃあ私とあつたけくんはこっちだから。またね」 「またな。平塚、東。・・・ついでに比企谷も」 「ああ、またな」 「今日はありがとうございました！またー！」 「さようなら」 鶴見先輩と厚木先輩と別れるとその場は静かになる。にぎやかだからなあ。あの２人。 「比企谷。明日から正式な部員として奉仕部に来ないか？」 「喜んで入らせていただきます。まあ結構楽しかったですしね」 「そうか！良かった」 色々と大変なことはあったが奉仕部の人達といる時間は楽しかった。あの空気はぼっちの俺にとっては新鮮なものだった。 「じゃあ私はこっちなので失礼します」 東先輩が立ち止まって礼をする。 「そうか、またな」 「さようなら」 「ありがとうございました！さようならー」 東先輩がいなくなると再び静寂が訪れる。 「なあ、平塚」 「ん？何だ？」 「タイムスリップって信じるか？」 「何だ急に」 つい気になって聞いてしまった。バカな奴だと思われただろうか。 「まあ半信半疑といったところだな」 「そうか」 いつか、もしもっと仲良くなったら。話せる日が来るだろうか。 「今日は肉が食べたいなぁ」 「じゃあ夕飯は生姜焼きにするか」 俺達は小さなアパートに入っていった。 つづく

八幡は静（１７）の奉仕部に行きます。<br />[小説］男子に人気ランキング２８位に入りました！ありがとうございます！<br />[小説］男子に人気ランキング９７位に入りました！ありがとうございます！

部活見学

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１ 　まさしくヒーローだ。送信済みのメールを見つめ、アルフレッドは自画自賛をした。スマートフォンの画面には、メールを再開した『AT166』へのメールがいくつも並んでいた。彼のメールからは、前にも増して痛いくらいの好意が伝わってくる。アルフレッドではない、顔も個人情報も何ひとつ知らないはずの、『Manhattan_HERO_0704』への好意だ。 　このところ、メールに書かれている「お前」という単語を見ると、それが自分なのか『Manhattan_HERO_0704』という人格を持つほかの誰かなのか、わからなくなる。それでも彼は返信を止めなかった。ひたすらに、彼の理想のメール相手として、返事を綴る。 　最初は、きりのいいところでやめようかという考えも浮かんだ。インターネットの使えないどこかの国に急に赴任になったとか、ＦＢＩに追われてもう連絡が取れないんだとか、理由はいくらでも思い浮かんだ。しかし結局、『AT166』の返事を受け取ってしまうとそんな嘘はつけなかった。三行足らずの短いメールの中に、返事をありがとう、と嬉しい、が何度も入った、おおよそ『アーサー・カークランド』の立ち居振る舞いからは想像もつかないメールだった。人の気も知らないで。そう思ったが、無論彼を責めることはできない。 「だから反対意見は認めないは禁止ですって言ったでしょう！」 　背後から叫び声がして、我に返った。慌ててスマートフォンをポケットにしまう。ばたばたと彼を追いかけてくる足音の後に、社長、と付け加えられて、アルフレッドは口を尖らせた。肩書きで呼ぶのはやめてくれと皆には散々言っているから、どうやら新手の嫌がらせに違いない。 「『アルフレッド』、」 「アルフレッドさん！」 　あてつけのように彼は呼ぶ。その秘書が言っているのはつい先ほどまで新店舗内で行っていた、戦略会議のことに違いなかった。 「最終的にうまく行ったからいいじゃないか！」 　本当はほんの少し反省していたけれど、そう言った。 　ほんと僕が後で怒られるんですよ、ちょっと、聞いてますか？　彼の言葉を笑って聞き流し、正面玄関から外へ出る。冷気がつめたい。アルフレッドは何気なく向かいの「ブックシェルフ・アラウンド・ザ・コーナー」の方へと視線をやった。そうして、手に持ったままの会議の書類で、さっと顔を覆う。 　扉の外へ出てきているのは間違いなくアーサーだった。気まずい。『AT166』とのメールのやり取りは再開したものの、現実の世界ではスター・バックスで散々に罵倒されて以来、まともに会話もしていない。目が合ったような気がしないでもないが、視界を覆ってしまったのでわからなかった。再び長い文句を聞かされた後、もう一度そちらへ目をやったら、既にアーサーの姿はそこにはなかった。 　駄目だ、こんなのは全くヒーローらしくない。ヒーローにはある種の潔さも必要だ。やあアーサー久しぶりだね、そう言って何事もなかったかのように笑いかけてやればいいじゃないか。 　そう思うのは心のうちばかりだった。アーサーの姿を見かけたら『AT166』のメールの文面が目に浮かぶ。そうすると、伝えるべき言葉のひとつも浮かんでこなかった。でもそれでいいのかもしれない。『アルフレッド・Ｆ・ジョーンズ』と『アーサー・カークランド』の関係は、『Manhattan_HERO_0704』と『AT166』のそれとはそもそも違う。違えば違うほど、いいのかもしれなかった。 　ジョーンズ・ブックストアのその正面の入り口に立っていたのはアルフレッド・ジョーンズだ。外に出た途端、アーサーはその姿に気がついてしまう。彼は目立つし、そもそも、うるさい。目が合ったと思った途端、アルフレッドが封筒かなにかでさっと顔を覆うのを見て、腹立たしいというよりもそれで構わない、と思った。気まずいのはアーサーの方も同じだ。風で飛びそうになっていたドアベルの位置を僅かにずらして、室内へ戻る。一瞬でつめたくなってしまった両手に息を吐く。レジカウンタに戻り、読みかけのラヒリの新刊の続きを開いて、すぐに閉じた。カウンタに頬杖をつき、外を眺める。そこにアルフレッドの姿は既になかった。 ２ From：Manhattan_HERO_0704 To：AT166 　寒くなったね！　こう寒いと、すごく前、町に大雪が降ったときのことを思い出す。あのときは最高だったな、昼間からセントラルパークで大人たちが野球なんてしてさ。俺は子どもだったから参加できなかった。また降ればいいのにって思う。 From：AT166 To：Manhattan_HERO_0704 　その大雪の年、俺はこの国にはいなかった。俺の住んでいたところでは、空港が閉鎖になったよ。懐かしい。その日の便で旅行に行くはずだった兄がべそをかきながら帰ってきて、ざまあ見ろと思ったものだ。 　お前の子供時代はどんなだったんだろう。そんなことを考えた。顔も知らないのに。可笑しいな。よかったら昔の話を聞かせて欲しい。 　空港に、昔の思い出か。いつものようにメールを書き終えて、アーサーは手元の封筒を見た。そんなことを書いてしまったのは、机の上に飛行機のチケットがあったからだ。 　コンピュータの電源を落とし、代わりにテレビのスイッチを入れた。適当にチャンネルをザッピングする。この国の番組はどうしてこうも騒がしいものが多いのだろう、と考えた。こうしてみると、ＢＢＣもそれなりに恋しい。 　アーサーがボタンを押すのに合わせて、画面の中の番組は次々と移り変わる。通販番組、クイズ番組、インタビュー、ドラマ。ザッピングを続ける画面の中に、見知った顔を見つけた気がしてアーサーはチャンネルをひとつ戻した。淡い金髪に騒がしい声色。見間違いかと思ったが、アルフレッド・ジョーンズ本人だった。特に見慣れたくもないのに、見慣れた顔だ。 　そのテレビ番組は地元のローカル放送だった。古い商店街がメインのこの町に、大手企業が参入してくるのは珍しい。その切り口で彼に話を聞こうという趣旨らしく、インタビュアーが彼に色々と質問をしている。本屋を特集したくせに自分の店に取材に来なかったことをアーサーは恨み、そうなったところで笑い者にされるだけだな、と思いなおした。 　今一度画面に目をやる。アルフレッドの顔など見たくもないはずなのに、なぜだかチャンネルを変えられなかった。 　彼のフルネームはアルフレッド・Ｆ・ジョーンズと言うらしい。ミドルネームのことなど知らなかった。それにしても、とアーサーはまたも溜息をついた。社長自らテレビ番組に出演するなんて、どれだけ出たがりなんだろう。 　まあ、どうでもいいことだ。アーサーが立ち上がろうとしたとき、「この町には元々書店がありましたが、」と、インタビュアーが言った。アーサーは三たび画面へと顔を向ける。自分の店のことに違いなかった。ローカル放送とは言え、公共の電波に乗せて、アルフレッドは店のことを馬鹿にでもするに違いない。くそっ、許可取れよ、と番組への悪態を思わず声に出す。 　アルフレッドは眼鏡の奥で一瞬目を丸くして、そのあと、ふっ、と苦笑した。アーサーはリモコンのボタンに手をかける。何か気に障ることを言われたら、即座に電源を切るつもりだ。そうしないと向かいのジョーンズ・ブックストアに抗議の電話をかけ続けるか、殴り込みにでも行きかねない。 　どうかしましたか？　インタビュアーは悪びれもせずに聞く。アルフレッドはうーん、と視線を斜め上に向け、そのあとテレビカメラに思い切り、笑顔を向けた。 「よく確認しなかったことは悪いと思ってるよ。でも絶対、お互いにとってベストなハッピーエンドがあるはずなんだ！」 　画面の中で、並びの良い彼の歯が光った。アーサーは顔を歪めた。とんだ絵空事だ。そんなものがあるのなら見せて欲しい。現に、彼の店はこのありさまだ。きっと世間体を気にした虚言に決まっている。 　そう思うのに、画面の中の男が本気でそんな夢物語を信じているように見えて、アーサーは唇を噛んだ。初めて会ったときの彼の姿が思い浮かんだ。黄色いパーカーにバスケットボールを抱えて朗らかに笑った彼。その顔を思い出すと、まるで自分の方が悪いような気さえしてくる。これでは彼を恨めない。 　でも、もういい。彼を恨もうが、傷つけようが、結果は変わらない。アルフレッドだって、きっとそのうちに忘れてくれる。それはもう、別の町で次の支店を開店する頃にはきっと。 　アーサーは立ち上がってテレビの電源を切った。大袈裟な身振りで意気揚々と話を続けていたアルフレッドの映像が、ふつりと途切れる。それきり、彼の騒がしい声も当然ながら、聞こえなくなった。 [newpage] ３ 　週末のスーパーマーケットは混雑していた。カートにスナックと冷凍ピザとシリアルを投げ込み、アルフレッドはそれを押して店の奥へと進んだ。アイスクリームのワゴンの奥にくすんだ金髪を見つけて、思わず顔を伏せる。 　アーサー・カークランド、またしても。 　なぜこんなに頻繁に彼に会うのだろう、と思って、その町が前に住んでいたようなシティの中心部ではないことに思い当たった。生活に関わるあらゆる場所のほとんどが徒歩圏内だ。病院もスーパーマーケットもスター・バックスもひとつ。アーサーは知らないだろうが彼の店だって家から歩いていける距離にある。こんなふうに度々顔を合わせてもおかしくはない。 　アーサーの動向を追っていると、彼はふいにアルフレッドのほうへと振り向きかけた。アルフレッドは思わずワゴンの後ろに屈み込んだ。そろそろと頭を上げて彼の様子を伺うと、アルフレッドには気づかなかったのか彼は悠々と飲み物など選んでいる。 　手当たり次第にアイスクリームをカートに投げ入れ、アルフレッドは中腰でレジのほうへ向かった。ちらちらと彼の横顔を伺いながら、行列の最後尾につく。 　アーサーは彼に気付いてはいないようだった。ふたつ向こうのレジに並び、俯いて財布など取り出している。アルフレッドとしては気が気ではない。同じタイミングで会計が終わってしまったら、それこそばたりと顔を合わせることになる。財布からクレジットカードを取り出して、レジに置いた。何度も背後を振り向き、彼の様子を伺う。アーサーはちょうど会計を終えてレジを立ち去るところだった。このまま顔を逸らしていれば、気づかれずに済む、と考える。そう思いながらも、アルフレッドはちらちらと彼の様子を追い続けた。 「あの、」 　だから、目の前の店員が何度もアルフレッドに話しかけていることに少しも気がつかなかった。 「え？」 「カード、使えないです」 「へっ」 　スーパーマーケットのエプロンをつけた店員が、困ったようにアルフレッドを見上げていた。大きなリボンで髪を束ねた彼女の、その指先で示された先には『キャッシュオンリー』の文字。アルフレッドは慌てて財布をあらためた。手当たり次第に投げ込んだアイスクリームの量はカートいっぱいになっていて、とても手持ちの現金では足りそうにない。大抵の場所はクレジットカードで支払うから、アルフレッドの財布の中身は恐らく一介の大学生と変わらない。 「あー、えっと、今回だけ、ダメかい？」 　精一杯レジの店員に笑いかけてみた。けれど彼女が答えるより先に、並び直しな、と非情な声が列の後ろから飛んだ。そちらを振り向くと、混雑に殺気立った人々がアルフレッドを見つめていた。いつの間にか店内の注目を一身に浴びていることに気づき、頬が熱くなる。 　立ち去ろうにも混雑した列の中を抜けていかなくてはならないし、いたたまれない。こんなことは初めてだ。ああ、えっと、ごめん、しどろもどろになりながらそれでもアルフレッドはカートを押して後退することにする。 「ジョーンズ？」 　そのとき、ふいに後ろから声がかかった。アルフレッドはぎくりと立ち止まる。その声色には聞き覚えがあった。ゆっくりとそちらを振り向き、そうしてすぐに床に視線を落とした。これがアーサーなら、得意の舌打ちでもするところだ。あんなに避けていたのに、よりにもよってこの状況で。 　会計の済んだカートを押してアルフレッドの傍に立っているのは、アーサー・カークランド、その人だった。彼はアルフレッドを名字でそう呼び、何やってんだ、と呆れたように言った。 「別に何もしてないよ」 　アーサーはアルフレッドの手元のクレジットカードをちらりと見る。レジの上の現金のみ、の表示を見上げ、そうして、ふっと息を吐いた。 「金、貸してやろうか？」 　アルフレッドがそちらを見ると、アーサーは僅かに首を傾け、によによと笑みを浮かべていた。金銭面でアルフレッドより優位に立てることが、そんなに嬉しいのだろうか。 「いらないよ！」 「あれ、アーサーさん？」 　アルフレッドが声を上げるのと同時に、レジの店員がそう、呟いた。アーサーは彼女の顔を見て、あ、と小さく声を上げ、ああ、と納得したような声を出した。顔見知りらしい。そのうちにアーサーはアルフレッドを無視して、彼女と小声で何事か話しはじめた。久しぶり、だの何だの、世間話のような会話が続く。アーサーと話をするとき、彼女の声がワントーン上がったことをアルフレッドは聞き逃さなかった。 　彼は後ろに続いている行列に向かって、ちょっとごめんな、という体で片手を挙げてフォローをすることも忘れない。行列の面々は何故だかアーサーには寛容だった。地元の書店主というのはそんなに有名人なのだろうか、とアルフレッドは考える。 　一言二言会話を交わし、アーサーはそれでな、とちらりとアルフレッドを見て、口を開いた。彼の瞳がきらりと輝いている。ああよからぬことを言い出すに違いない、アルフレッドの勘がそう告げたけれど、止めるには遅かった。 　彼曰く、アルフレッドは遠縁の親戚で、アーサーの弟分らしいのだがどうにも田舎育ちでスーパーマーケットにも慣れない、自分が面倒を見るべきだったのだが監督不行き届きだった申し訳ない、と。口を挟もうとしたらアーサーはレジの下でアルフレッドの右足を思い切り踏んだ。いっ、と声を上げて彼を睨み付けるアルフレッドの様子を、店員もアーサーも他の客も少しも気にも留めなかった。 　クレジットカードが使えなかったくらいで何でそこまで壮大なストーリーを展開しないといけないのかアルフレッドには理解不能だったし、その配役にはぜひとも意義を唱えたいところだったが、その長い語り口調により行列の面々はすっかり納得したようだった。エプロン姿の店員も、知らなかったなあ、などと、呑気な声を上げている。 「だからさ、今回だけ使わせてやってくれ」 　頼む、とアーサーはダメ押しをした。仕方ないですね、と彼女は言い、アルフレッドの手の中のクレジットカードが奪われる。アイスクリームのカップをすべてバッグに詰め終えるまで、アーサーはアルフレッドの隣で腕を組んで待っていた。扉を出るとき、店員を振り向いたアーサーの横顔を盗み見ると、彼はきっと営業用なのだろう、紳士めいた笑顔を彼女に向けて、手を挙げた。それがなんとなく癪にさわる。 「ちょっと君、変な噂が広まったらどうしてくれるんだい」 　スーパーの出口が見えなくなってから、アルフレッドはアーサーに奪われていた買い物鞄のひとつを奪い返した。別に大丈夫だって、と、歩みを止めないまま、アーサーはなんでもないように言った。何が大丈夫なんだろう。アルフレッドだってこの先しばらく、この町に住むつもりなのに。 「……まあ、助かったよ」 　溜息交じりにそう言った途端、アーサーは立ち止まり、はっと息を呑んだ。それを見てアルフレッドも気がついた。気まずく別れて以来久しぶりに会ったというのに、そういえば普通に会話をしてしまっている。一瞬目が合ったあと、アーサーは勢いづいて捲し立てた。 「助けたわけじゃないぞ勘違いすんなよ！　あと、」 「あと？」 「いや、この間は、その」 「この間？」 　この間はこの間だよ。そう言って沈黙が落ちた。アルフレッドから目を逸らしたまま、アーサーは背後をぞんざいな手つきで指し示した。スーパーマーケットの斜め向かいには、スター・バックスが見えている。その手つきと俯いたままの彼の表情から、アルフレッドには彼が何を言わんとしているかわかってしまう。 「ああ……」 　生返事をしながら、アルフレッドは『AT166』からのメールを思い出した。謝って来いって言われても駄目なんだ、俺はいつも本音じゃないことばかり話してしまう。そんなふうに言っていた彼の、続く言葉を待つ。 「悪かったとか、別に、思ってないけど」 「はあ」 「……いや、やっぱりなんでもない」 　顔を上げ、アーサーはきっぱりと言い切った。本当に、なんでもなかったことを唐突に思い出した、としか捉えようのない声色だった。それを聞いて力が抜けた。ここまでくれば逆に器用だ。本音じゃないどころか何も話せていない。 「何？」 　だから敢えて、そう返す。親切心のつもりだ。助けてもらったわけではないらしいが、アーサーに借りを作るのも嫌だった。 「なんでもないって言ってるだろ」 「気になるじゃないか」 「しつこいぞ！　なんだよ人がせっかく助けてやったのに！」 　アーサーは先ほどとは完全に矛盾した台詞を吐いた。アルフレッドは思わずひくりと頬を引きつらせた。素直じゃないにもほどがある。『AT166』に免じて、折角言わせてあげようとしているのに。 「助けたわけじゃないって言ったじゃないか！」 「な、揚げ足取んなよ！」 「君こそ数分前のセリフくらい覚えてなよ！　あ、もしかして老化？」 「な、ん、だ、と……」 　拳を震わせているアーサーを横目に、アルフレッドはひらりと踵を返した。数歩進んで、思い直して立ち止まる。目を瞑り、心のうちでこう三回、繰り返した。俺はヒーローだ俺はヒーローだ俺はヒーローだ。目を開けてから振り向くと、アーサーはアルフレッドの方を向いたまま、路上に立ち尽くしていた。 「でも、ありがとう」 　釈然としなかったが、目を逸らして、アルフレッドは言った。えっ、とアーサーが声を上げた。そのまま、スター・バックスのことならさ、と続ける。 「別に気にしてないぞ、本当のことだし」 　君の本音はもう聞いたから、とは、当然ながら言わない。どちらかと言えばそちらのほうが、気にしていないと言える理由だった。 「あ、」 　短く声を上げたきり、ついぞアーサーは謝らなかった。でもこれぐらいで許してあげよう、とアルフレッドは思う。彼にしては、上出来なんじゃないだろうか。そもそも別に、謝って欲しいと思っていたわけじゃない。 　次の『AT166』へのメールには、今日のことを書こうと、そう思った。 [newpage] ４ From：Manhattan_HERO_0704 To：AT166 　君が「本音を言えない」って言っていたことがどういうことか、なんとなくわかったぞ。この間、そういう人に会ったからね。 　厄介な性質だなと思ったけれど、まあ、その人も苦労しているんだろう。 　ああいうの、つける薬はないのかい？ From：AT166 To：Manhattan_HERO_0704 　バカ、俺に聞かないでくれ。それがわかったら苦労しない。 　何にせよそいつは幸せだ。お前はきっと、相手が何を言うつもりなのか、辛抱強く待ってやったんだろうな。 　先日、『ナイン・ストーリーズ』を読み終えた。今頃かと思うかもしれないが、勿論再読だ。お前も漫画ばかり読んでないで、たまには文学に触れたほうがいいぞ。何ならお勧めを教えてやる。 　ところで突然だが、 　最後の一行を書きかけて、アーサーは手を止めた。ところで、のその後、どういう風に続ければいいのかわからなかった。そもそも伝えるべきなのだろうか。わざわざそんなことを知らせるのは、アーサーの言うところの「個人情報は明かさない」というルールに反する気もする。 　結局最後の一行は削除して、メールを送信した。送信完了の文字を確かめ、コンピュータをシャットダウンする。今回は、電源ボタン長押しではなく、規定の手順できちんとシステム終了させることができた。 　ラップトップを閉じ、机の脇に押しやった。部屋の端に誂えた本棚に寄り、ペーパーバックを何冊か抜き取った。何度も読んだ馴染みの小説ばかりが残った。いつも迷って、最終的に同じようなラインナップになる。新しいものは都度買おう、そう思う。 　そのまま、ベッドサイドに置いたトランクを開けた。本をしまって、パスポートを取り出し、確かめる。数日前から机の上に置かれたままの封筒を手に取る。飛行機のチケットが入っていた。翌日のものだ。 　昼間、スーパーマーケットで会ったアルフレッドのことを思い出す。気紛れを起こしたのは最後だと思ったからだ。彼を許したわけではない。けれど、後味の悪いままにならなくて本当によかった。 　階下へ下りて、前日に改めて付け直した帳簿を開いた。収支を計算したページには、アーサーの決めた数字が赤いインクで書かれていた。 　まとめておいた古書を二階に運ぶために持ちあげた。本棚の半分は既に空になっている。新刊については先日の業者のトラックに乗せて、すべて返本を終えたのだった。あとは古書の行き先さえ決めれば、その店にはもう売り物はなくなる。 　『Manhattan_HERO_0704』に連絡をすべきかどうか、また少しだけ迷った。当たり障りのないことばかりの彼へのメールは、つい先ほど送信したばかりだ。 ５ 　謎の文学指南を最後に、『AT166』からメールが来なくなった。既読のメールばかりが並ぶ画面を開き、アルフレッドは首を捻った。多いときは一日に一往復以上、あれほど頻繁にやり取りをしていたというのに珍しい。 　最後のメールを何度か読み返した。何の兆候も、それらしき記述もなかった。しばらく待ったが、やはり連絡は来なかった。そのうちに大学の試験期間と重なって、図書館と仕事を往復する毎日に、身動きが取れなくなった。気にはなったが、仕方がないと頭の隅に追いやった。まだメールを始めて数ヶ月、これからいくらでもそんな時期はあるだろう。 　一週間の試験を終えると、町はすっかりクリスマスの様相を呈していた。久しぶりに様子を見に来た「ジョーンズ・ブックストア」のある駅前で、アルフレッドは伸びをする。赤と緑で彩られたその町並みに、叩き起こされるような気がした。何せ、この一週間は会社か大学にほとんど泊り込みで過ごしていたのだ。 　手元でスマートフォンのメーラーを開く。やはり新着メールはなかった。確かに一度はメールを止めようかという思いもあった。けれど先日スーパーマーケットで顔を合わせて、アーサー本人ともやっとなんとなく、うまくやっていけそうな気がしていたところだったのに。 　ルール違反な気もしたが、意を決してアーサーの店へ立ち寄ってみた。彼の店はクリスマス仕様になっていたりするのだろうか、と考える。きっと派手な飾りつけはされていないはずだ。まさかショーケースに『クリスマス・キャロル』が一冊飾られているだけ、なんてことは。想像してアルフレッドは小さく笑う。 　商店街をまっすぐ進み、その十字路の角に到達した。「ジョーンズ・ブックストア」を横目に見ながら、真向かいにある彼の店を覗いた。 　平日の真昼間だというのに、アーサーの店には明かりがついていなかった。シャッタの隙間から店内を覗くと、室内の本棚はほとんど空になっていた。 「……え、」 　がらんとしたその店内に、思わず声を上げる。「暫し休業」と記された手書きの張り紙が、シャッタの内側に下がっていた。

<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=605675">novel/605675</a></strong>　のつづきです　断然6話で終わらなくなってきました。全てはフラグクラッシャーアーサーのせいです。いえ監督不行き届きでした、長くてすみません…。【追記】タグありがとうございます…！嬉しくってにやにやしちゃいました ほんと斜め上の行動ばかりするこのアーサー…　その他諸々ありがとうございますっ

さざめく未来の話を（3）

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・SOUL CATCHER(S)のパロというか、設定だけ借りてきた。ソルキャ知らなくても読めます ・人の心が物理的に見えてしまう十四松の話 ・動物の虐待と死、暴力表現を含みます ・十四松がモブに少し可哀想な目に合わされます ・おそ松さんもソルキャも知識は中途半端 ・十四松総愛されだけど、話の流れ的に数字松中心かも ・おそ松兄さんにお兄ちゃんして欲しかった ・十四松がちょっとネガティブ ・十四松マジ天使 ・ネタかぶってたらすみません ・小説なんて一度も書いた事のないド素人が書いてます。ご容赦下さい よろしければ次ページからどうぞ！ [newpage] ｢(あ、あのお兄さん、あの女の人に告白するのかな)｣ 日も落ちて夕日がまぶしい時間帯、兄弟達と家に帰る途中で、道端のベンチに座る二人の男女を見て十四松はそんな事を思った。 今日はハローワークで兄弟仲良く出禁になり、今は居酒屋で飲んだ帰りだ。 ｢(……でも、上手くいかないんだろうな)｣ 一見すると仲の良い二人だ。お互いニコニコと笑い合い、会話も弾んでいるように見える。 しかし十四松には違う光景が見えていた。 松野家五男、松野十四松は人の心が見える。 といっても、超能力者のように人の考えている事が事細かに分かる訳ではない。文字通り心が”見える”のだ。 大抵の人の心は手のひら大のハート形をしていて、胸の前辺りに浮かんでいる。 そのハートには顔がついていて、その人の気持ちに対応してその表情が変化するのだ。 十四松にはニコニコと笑い合う二人の胸の前で、小さなハートを女性に飛ばしてアピールしている男性の心と、無表情でドアの鍵を掛ける女性の心が見えていた。 十四松には物心付いた頃からこれが見えていた。 幼い頃は他の人にも見えているものだと思っていたが、成長するにつれて自分にだけ見えるものだという事を理解していった。 それ以来、他人はもちろん兄弟達にもその事を秘密にするようになった。 自分だけが”違う”という事を兄弟に知られるのが、十四松には耐えられなかったのだ。 ｢おーい、十四松ー？｣ 前を歩いていたおそ松に声を掛けられ、十四松は我に返った。 彼らの心を眺めている内に立ち止まっていたようだった。 ｢何ぼーっとしてんの。置いてくよー｣ ｢あ、待って待っておそ松兄さん。今行きマッスル！｣ 十四松は慌てておそ松達に駆け寄った。 個性豊かな六つ子達は、当然のようにその心も個性豊かだ。 長男おそ松の心はとにかく暖かくて大きい。おそ松の近くに居ると、まるで包み込まれているかのような気分になるのだ。 ルビーのような赤い宝石がハートにはまっているのがとても綺麗だと十四松は思っている。 ｢フッ……愛しのブラザーを置いていく訳がないだろう。ゆっくりで良｣ ｢カラ松兄さんだまって｣ ｢え……｣ 通常運転のカラ松をトド松が遮る。 いつもなら一松がカラ松に掴み掛かる所だが、あいにく今はカラ松の背中で酔い潰れている。 カラ松の心は大抵いつも鏡を持っている。 学生時代に演劇部だったカラ松の舞台を十四松が見に行った時、他の役者は巧みに演じてはいても心は緊張した表情だったのに対して、カラ松の心は演じているカラ松の表情と全く同じでひどく驚いたものだった。 心から役になりきって演じたカラ松の演技は周囲に認められ、確かその劇のMVP賞を取ったはずだ。 トド松の心は、たまに悪魔の角と尻尾が生えたり天使の輪が出現したりする。 乾燥肌を気にしている様子なのはドライモンスターだからだろうか。 一松の心はなぜか猫耳が生えている。 ハートに猫耳が生えているというのは何とも奇妙な光景だが、一松は猫と仲良しだし、おそ松が以前一松は猫になれる、とか何とか言っていたのでそれと関係あるのだろうと十四松は深く考えるのを止めた。世の中には色んな心があるのだ。 ｢なぁーにが就職だ！ 出禁だぁ？ 何様のつもりだケツ毛燃えるわブス！｣ ｢分かったからちゃんと歩いてよチョロ松。お兄ちゃんいい加減腕が痛いんですけど｣ ｢チョロ松兄さんが酔うと一番面倒くさいよね｣ おそ松とトド松に引きずられるように歩いているチョロ松が真っ赤な顔で叫んだ。完全に酔いが回っている。 チョロ松の心は、綺麗好きでしっかり者な性格を反映するかのようにハートの表面はつるりとした固い金属だが、今はひどく怒った表情で真っ赤になって煙を吹き出している。 十四松は兄弟達の心を見るのは好きだった。 だって綺麗だし、嘘をつかないから。 良くも悪くも直情型の彼らは、心と言動がわりと直結している。だから”ギャップ”が少ない。 意図的に嘘をつくのは、パチンコに勝った事を隠す時とトランプでダウトをしている時くらいだろう。ちなみに十四松はダウトでは負けなしだ。 それはともかく、世間一般的には本音と建前と言うものがあり、大多数の人間がそれを使い分けている。 悪意を持って嘘をつき、人を騙す人間もいる。 心が見えてしまう十四松の目にどう映るのかは、想像に難くないだろう。 右に目を向ければ世間話をしている子連れの三人の母親達がいた。お互いに誉め合って楽しそうに会話をしているが、その心には嫉妬や嘲笑の表情が浮かんでいる。 左手には一組のカップル。しかし男の心はあさっての方向にハートを飛ばしていた。浮気をしているのだろう。 そのような心のすれ違いを見る度、昔は何とかして仲を取り持とうと行動を起こしていた。自分にこんな物が見えるのも、何か理由があるのではないかと思ったからだ。 しかし隠している気持ちを指摘されると、人は憤慨し逆上する。その結果余計に状況を悪化させてしまった事が何度もあり、いつしか十四松は人の心に関わる事を避けるようになっていった。 ｢(こんな力なくなっちゃえばいいのに)｣ 見たくもない人の心の内情が見えてしまう。 けれど心が見えても何も出来ない。十四松は己の無力さを痛感すると同時に、人の見た目と心のギャップに怯えるようになった。 これ以上見ているのはやめよう、と十四松が視線を前に戻した時。 強烈な悪寒が背筋を走った。 ｢え、あっ……なに、あれ……ッ！｣ 初めに見えたのは黒いもやだった。どす黒い色のもやが渦巻いて一人の人間を覆いつくしている。 次いで見えたのはそのもやの中心に付いているぎょろりとした一つの大きな目玉と、にやりと歪んだ口。 足が震えて動かない。全身の血がサーッと下がって、冷や汗が次から次へと吹き出してきた。 カラ松がどうしたんだ、と心配そうに声を掛けたが、十四松には全く聞こえていなかった。 ｢(なにあれ……ッこわい、こわい、こわい……！！)｣ あんなに禍々しい心を見たのは初めてだ。 黒い心の持ち主はこちらに向かって歩いてくる。 それはスーツを着たサラリーマン風の男だった。少し眉の下がった穏和そうな見た目のいたって普通の男だ。 しかしその心は男の見た目とは正反対にひどく醜悪だった。 大きな目玉はギョロギョロと辺りを見回し、口からははぶつぶつと周囲への恨みつらみの言葉を垂れ流している。 その男が硬直している十四松の横を通り過ぎた瞬間、十四松は地面に崩れ落ちた。 ｢十四松っ！｣ カラ松の悲痛な声を聞いて兄弟達が慌てて駆け寄って来るが、十四松はそれどころではなかった。 ｢ッひ……、ぐ、うぇ……ッ｣ 胸が苦しい。片手で胸をかき抱いてうずくまる。心臓の鼓動がすぐ耳元で聞こえるような感覚がして、目からは涙が溢れ出てきた。 喉の奥から酸っぱいものが込み上げて来て、慌てて空いた手で口を押さえる。 カラ松とトド松の焦ったような声が聞こえた。 ｢おい、十四松、急にどうしたんだ！？｣ ｢十四松兄さん、大丈夫！？｣ トド松が泣きそうな顔で十四松の背中をさする。 チョロ松と一松も酔いが覚めたようで、尋常でない様子の十四松を心配そうにしていた。 十四松は苦しそうに喘ぎながらも、何とか言葉を返した。 ｢だ、大丈夫だよ。ちょっと飲み過ぎちゃったかもしれないっす｣ ｢いやいや、いくらなんでも違うでしょ！ どうした？｣ 訝しげなおそ松の言葉に、十四松は吐きそうな気分を押さえ付け、笑顔を貼り付けてごまかした。 ｢ほんとに何でもないよ！大丈夫！ぼく元気だよ！｣ 大丈夫、笑顔は得意だ。目の焦点をずらせば嫌な心を見ることもない。 兄弟達は納得していないようだったが、十四松は気付かない振りをして立ち上がった。 ｢早く帰ろう！家まで競争！はい、ヨーイ、ドン！！！｣ ｢あ、おい十四松！？｣ これ以上この場にいたらますますボロを出しそうだったので、十四松は逃げ出した。 吐き気を堪えて無我夢中に走る。 こんな目なんていらない。こんな目があったって嫌な物を見るだけだ。 自分にこんな化け物じみた力があるなんて、兄弟の中で自分だけが異質だなんて、 絶対に気付かれてはいけない。 [newpage] ***** そんな事があってしばらく経ったある日のこと。 この日の空はどんよりとした分厚い雲に覆われ、気温もかなり低く、冷たい風が窓ガラスを叩いていた。 そんな日にわざわざ外に出掛ける気も起きず、十四松を含めニート達は居間で各々自由に過ごしていた。 唯一、一松だけが日課の猫の餌やりに出掛けたようだった。 十四松はお気に入りの黄色いバランスボールに乗ってぼーっと宙を見つめていた。 あの日以来、外に出たらいつまたあの黒い心の持ち主に会うか分からないという恐怖が邪魔をして、野球をしに出掛ける事も少なくなり、家の中に閉じ籠る事が多くなった。 それだけ、あの出来事は十四松に衝撃を与えた。 渦巻くどす黒いもや。ぎょろりとこちらを見据える大きなひとつ目。にやりと歪んだ大きな口。そしてその心の禍々しさを全く表に出さない、心の持ち主である穏和そうな男。 その全てが十四松に嘗て無い恐怖を植え付けた。 兄弟達は思い思いの事をしながらも、あの日以来様子のおかしい十四松をそれとなく気にかけていた。 ｢(このままじゃ、ダメだよね……)｣ バランスボールに乗った体を揺らしながら、十四松はそう心の中で呟いた。 兄弟達に心配を掛けてしまっているのも分かっていた。いつまでもこうして家に閉じ籠っているわけにはいかない。 手始めに河原で泳いで気分転換しに行こう、と十四松が立ち上がった時、玄関の引き戸がガラガラと音を立てた。 「あれ、一松兄さんもう帰ってきたのかな？ 今日はいつもより早いね」 床に寝そべってスマホを弄っていたトド松が言った。 それから足音が近付いて来て居間の襖の前で止まったかと思うと、すぐに一松が入って来た。 「おー、一松おかえりー」 「おかえり。今日は早かったね」 おそ松とチョロ松に続いて、他の兄弟達も次々におかえりーと声を掛けた。 一松はちらりと皆を見ると、言葉を返す事なくマスクを深く付け直し、部屋の隅の定位置に座った。 いつもなら小さいながらもただいま、と返事をするので兄弟達は少し不思議に思ったが、虫の居所でも悪いのだろうと深くは考えなかった。 けれど、十四松は違った。 「（一松兄さん、泣いてる……）」 一松の心は泣いていた。 猫耳をペタンとさせ、涙を次々とこぼし、まるで赤ん坊のようにわんわんと声を上げて泣いていた。 「（どうしたのかな……）」 話を聞いて、力になりたい。でも…… 人の心に関わるのは怖い。過去に人の心に関わって失敗したトラウマが蘇る。 『俺がそんな事思ってる訳ねーだろ！適当な事言うんじゃねーよ！』 『関係無い奴は黙ってろ！』 『気持ち悪いんだよお前！ この化け物！！』 十四松が人の心に口出ししたばかりに、余計に悪化させてしまった事が何度もあった。 でも、一松のこの泣き方は尋常じゃない。余程辛い事があったとしか思えなかった。 ｢(いつまでも逃げてちゃダメだ)｣ 十四松は意を決して口を開いた。 ｢い、一松兄さん……今日、何かあったの？｣ ｢何かって、何……？｣ 一松は体育座りをしたまま、目線だけ十四松に向けた。 ｢え、えっと、その、悲しい事とか……｣ ｢は？｣ ｢だって一松兄さん、すごく辛そう……｣ 一松は一瞬ぴくりと反応したが、すぐに何でもないように言葉を返した。 ｢……別に何もないよ｣ ｢でも、一松兄さん。あのね、ぼくに出来る事あったら｣ ｢何もないって言ってんだろ｣ ｢でも、｣ ｢しつこいよお前。ほっとけよ！｣ 十四松はびくっと肩を震わせ、くしゃりと顔を歪めて俯いた。 声を荒げた一松に、雑誌やスマホを見ていた他の兄弟達も手を止めて何事かと二人に目を向けた。 ｢(どうしよう、やっぱり怒らせちゃった。人の心が見えたって、やっぱりぼくは何も出来ない……！)｣ 涙で視界がにじんできた。やはり心に関わってはいけなかったのだ。 せめて怒らせてしまった事を謝ろうと、再び一松に顔を向けた時だった。 依然泣いている一松の心が見えたが、先ほどは気付かなかった何か小さな物を抱き締めている。 あれは…… ｢…………ねこ？｣ ｢！？｣ ｢あ！ その、えっと｣ ｢………………｣ はっと気付いた時には口から言葉がこぼれていた。 具体的な心の状態を直接相手に伝えるなんて、十四松の経験上一番やってはいけない事だった。 ｢(どうしよう、どうしよう……！)｣ 十四松は内心パニックになっていた。 もし今までの人達のように、気持ち悪いって拒絶されたら……！ しかし一松は何も言うことなく、じっと十四松を見つめている。 それを見て十四松は少しだけ落ち着いた。 ｢(ここで逃げたら、今までと何も変わらない。 ぼくは一松兄さんを助けたい！)｣ 十四松はひとつ深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。 ｢……一松兄さん、ぼくじゃ力になれない……？ あのね、ぼく一松兄さんが大好きだよ。だから一松兄さんが辛そうなのに見てるだけなのは嫌だ｣ 絞り出すように、心の底からの自分の気持ちを精一杯伝えた。 一松ははっとした顔をして、しばらく考えるような仕草を見せた後、ゆっくりと十四松の方に向き直った。 ｢…………猫が、死んだんだ。たくさん。多分誰かに殺された｣ ｢ッ……！｣ ｢いつもの裏路地行ったら、五匹血だらけで死んでた。まだ先月生まれたばかりの子猫もいたのに……！｣ ｢ひどい、なんで……｣ ｢分からない……俺はあいつらを埋めてやるしか出来なかった｣ 一松が俯き、居間に沈黙が流れた。 ｢……犯人、捕まえよう！｣ ｢は？｣ 突然立ち上がりそう言った十四松に、一松はきょとんとして声をもらした。 ｢いいね、俺も手伝うよ｣ ずっと黙って話を聞いていたおそ松がにっと笑って言った。 ｢僕も！LINEで皆に聞けば何か情報集まるかも｣ ｢俺も手伝うぜ。そんな極悪人、放っておけないからな｣ ｢俺も。犯人捕まえて、猫達の敵を取ってやろう｣ ｢ハタキ？｣ ｢敵だよ、十四松兄さん｣ 次々と賛同する兄弟達を見て、一松は目をきゅっと細めた。 ｢みんな……｣ ｢絶対に犯人捕まえて、ねこ達のカタキ取ろうね！ だから一松兄さん、もうひとりで泣かないで｣ そう言って、十四松はぎゅっと一松に抱きついた。 ｢……別に泣いてないけど……ありがと……｣ 一松も十四松の背に腕を回し、そっと抱き締め返した。 そんな二人を見て、兄弟達は皆にこにこと笑っていた。 ちらりと見た一松の心は、もう涙を流してはいなかった。 [newpage] ***** ｢それでは作戦会議を始める！｣ ｢え、何このノリ｣ ｢そこ、私語は慎むように！ この辺りを手分けして手掛かりを探す！ 以上！｣ ｢どこが作戦会議だ！？｣ 犯人を確保する方向で話がまとまった六つ子達は、ちゃぶ台を囲って作戦会議を開いていた。 おそ松の言葉に律儀に突っ込んでいるのはもちろんチョロ松だ。 ｢まあ実際何も手掛かりが無いのだから、初めは裏路地周辺を闇雲に探すしかないのは確かだな｣ ｢僕も皆に聞いてみてるけど、今のところ有力な情報はないよ｣ そう言ったカラ松とトド松をちらりと見て溜め息を吐いたチョロ松は、少し真剣な表情をして皆を見回した。 ｢相手は猫を殺した危険人物だ。何か見つけたらすぐに連絡すること。絶対に無理はしないように｣ ｢ラジャー！｣ 十四松は敬礼をして元気よく返事を返し、勢い良く立ち上がった。 他の兄弟達も各々了解の意を示し、手掛かりの捜索に向かった。 ｢十四松｣ ｢なあに、一松兄さん｣ ｢その……ありがとう｣ 裏路地の方に向かう途中、目をそらして恥ずかしそうに言った一松の言葉に、十四松はきょとんとした後ほわりと頬を染めて笑った。 ｢えへへ、お礼を言うのはまだ早いで兄さん。そいつは犯人を捕まえてからのお楽しみやー｣ ｢ふふ……せやなー｣ ｢(良かった、一松兄さん笑ってる)｣ 十四松は満ち足りた気持ちで裏路地への道を歩いていった。 ｢(絶対に犯人を捕まえてやるんだ！)｣ そう意気込んだ十四松は、なぜ最近外に出ることが怖かったのか、その理由も忘れていた。 ***** ｢うーん、ないなー……｣ 十四松は手掛かりを求め、裏路地を隅々まで探していた。それこそごみ箱の中から排水溝まで探したが、手掛かりらしき物は何も見つからない。 大通りに出て人に聞き込みもしたが、怪しい人物を見た人はいなかった。 捜索を始めて二時間ほど経ったが、兄弟達も皆同じ結果のようだ。 もうすぐ日が暮れる。一度集まって作戦を立て直した方が良いかもしれない、と十四松がスマホにメッセージを打ち込もうとした時、ピコン！と音が鳴った。 トド松からのメッセージのようだ。 『有力情報入手！ 今日のお昼頃、スーツの男が裏路地から出てくるのを見た人がいたよ。何か様子が可笑しかったから記憶に残ってたみたい』 ドクン、と胸が跳ねた。 スーツの男、まさかあの時の……？ そこまで考えて、十四松はぶんぶんと首を振った。いつまでもあの男にとらわれていてはダメだ。スーツなんて、サラリーマンならばほとんどの人が着ている。 とにかく今は犯人の手掛かりを探す方が先決だ。 ちょうど時間的に仕事終わりのサラリーマンが通りを通る頃だ。片っ端から聞いて回れば何か分かるかもしれない。 そう思った十四松が大通りの方へ足を向けた時だった。 ｢ニ゛ャアァアーー！！！！｣ 通りとは反対の裏路地の奥の方から、耳をつんざくような猫の鳴き声が聞こえた。 十四松は反射的に走り出した。 犯人が、また猫を襲っているのかもしれない。 そう思ったら自然と足も速く動いた。 なおも聞こえてくる猫の弱々しい鳴き声を頼りに、十四松は裏路地の角を曲がった。 ｢ヒッ……！｣ 初めに見えたのは黒いもやだった。どす黒い色のもやが渦巻いて一人の人間を覆いつくしている。 次いで見えたのはそのもやの中心に付いているぎょろりとした一つの大きな目玉とにやりと歪んだ口。 ―――あの時の男だ。 ｢あ……？ なんだお前｣ ｢え……あ……ッ｣ 十四松は頭が真っ白になった。 心臓がばくばくと鳴って、手足はがくがくと震え出す。 今すぐ逃げ出したいと思うのに、金縛りにあったように体が全く言うことを聞いてくれない。 ｢ククッ……見られちまったなあ｣ 男は手に掴んでいた猫を放り投げ、にやにやと笑いながら十四松に近付いて来た。 ｢ちょうど猫だけじゃ飽きてきた所なんだ。お前、俺と遊んでくれよ｣ 至近距離で告げられたその言葉に、十四松は真っ青だった顔をさらに青くさせた。 [newpage] ***** ｢げほっ、うぐ……ッうぇ……｣ 殴られた頬は熱いし、蹴られた腹はじくじくと痛む。 十四松は抵抗らしい抵抗も出来ずにいた。 あの大きな目玉に見据えられると、恐怖で体がすくんで何も出来なかった。 ｢あのクソ上司、テメェのミスを俺のせいにしやがって｣ ｢いたっ……やだ、ぅぐ、やめて……ッ！｣ ｢嫁は相変わらず浮気してるくせに金だけはせびりやがる｣ ｢も、やだ……ッなんで……！｣ ｢世の中クズばっかだ！ なあ、お前もそう思うだろ？｣ とどめとばかりに思い切り殴られ、十四松は地面に倒れ込んだ。 冷たいコンクリートが火照った頬を冷ます。 朦朧とする意識の中、十四松は目だけを動かして辺りを見回した。 ｢(ねこ……ねこは……)｣ 猫は少し離れた場所に横たわっていた。 ぐったりとしているが、その背がかすかに上下しているのが見える。 ｢(良かった、まだ生きてる。手当てすれば助かるかも……)｣ ｢おい、聞いてんのか！？｣ ｢ぐ……ッあ……！｣ 男は十四松を仰向けにして馬乗りになり、首に手を掛けた。 そのまま体重を掛けぎりぎりと首を締め付けてくる。 苦しい。意識がぼんやりと遠退いていくのを感じる。 涙のにじむ目をうっすらと開けると、狂気に歪んだ男の顔と、こちらをぎょろりと見つめる大きな目玉、そして狂ったように笑い呪詛を吐く大きな口が見えた。 あまりの恐怖に、我慢していた涙が堰を切ったようにぼろぼろと溢れ出て来た。 ｢(こわいっ、やだ、嫌だ……ッ兄さん、トド松、助けて……！)｣ 瞳孔の開ききった男の顔もどす黒く渦巻く心も見ているのが怖くて、薄れゆく意識の中、十四松は耐えるようにぎゅっと目をつむった。 [newpage] ***** ｢十四松！！！｣ ふいに叫び声が聞こえたかと思うと、首への圧迫感と体の上に乗っていた重みが急に無くなった。 「げほっ、げほっ！ ッひゅ、うあ……？」 再び気管を通った酸素に激しく咳き込みながらも何とか目を開けると、はあはあと息を乱して足を上げた格好のまま静止している一松と、地面に転がっている男が居た。 ｢い、い゛ちまつ兄さん……！｣ ｢十四松、大丈夫か！？｣ 一松は息を整えながらしゃがんで十四松を抱き起こした。 十四松は心の底からほっとして、体の痛みも忘れて一松に飛び付いた。 ｢一松兄さん、こわ、こわかったよ……ッ｣ ｢遅くなってごめん｣ 先ほどとは違う意味で涙が次から次へと溢れて出て来る。 一松はわんわんと泣きながらすがり付いてくる十四松の頭を優しく撫でた。 ｢くそっいってえ……｣ そう呟き、男が腹を押さえながらよろよろと立ち上がった。気を失うには至らなかったようだ。 男は一松に目を向けると、十四松と同じ顔に驚いたのか一瞬目を見開いたが、すぐに顔を歪め喉の奥からドスのきいた低い声を絞り出した。 ｢テメェ、俺を蹴り飛ばすとは良い度胸じゃねえか。覚悟は出来てんだろうな！｣ 十四松はヒッと小さく悲鳴を上げて一松の服を握りしめた。 一松はそんな十四松を庇うように肩をぎゅっと抱き寄せ、無言で男を睨み付けた。 一瞬の硬直状態ののち、殺気だった男が二人の方に近付いて来た時だった。 ｢オッサンこそ、俺の大事な弟に手出すなんて良い度胸してるね。覚悟は出来てるよな？｣ ｢あ゛ぁ！？｣ 男の背後から声が響いた。 男は足を止め、苛ついた表情を隠す事なく振り返った。 ｢おそ松兄さん！｣ 十四松は思わず声を上げたが、現れたおそ松の表情を見てひゅっと息を飲んだ。 赤いパーカーを着た長男、おそ松は笑みを浮かべて立っていた。しかしその目は全く笑っておらず、十四松は背筋に寒気が走るのを感じた。 ｢おい、弟がボロボロなんだが、お前がやったのか？｣ ｢それなら、こんなクズに容赦なんていらないよね｣ ｢カラ松兄さん、チョロ松兄さんも……｣ おそ松の後ろからカラ松とチョロ松も現れたが、その表情はおそ松と同じく氷のようだ。 ｢十四松兄さん、怪我痛い！？ 警察と救急車呼んだからね、もう大丈夫だよ｣ ｢トド、松……｣ いつの間にか十四松のそばに寄って来ていたトド松が、目に涙を浮かべて言った。 ｢また同じ顔……！ くそ、ぞろぞろと出てきやがって｣ 男はそう吐き捨てたが、その顔色は思わしくない。 兄三人の異様な雰囲気のせいなのは明らかだった。 ｢弟が世話になったな。兄としてきっちり礼をさせてもらう｣ ｢カラ松兄さん、警察呼んだんだから、あんまりやり過ぎないでよね｣ 十四松兄さんに手を出した時点で極刑にしたいのは山々だけど、とトド松は付け足した。 それを聞いたおそ松はふっと笑い、その冷たい視線を男に向けた。 ｢んじゃ、”やり過ぎない程度”にお礼するとしますか。チョロ松、お前もやり過ぎんなよ｣ ｢……分かったよ｣ ｢ヒッ｣ 三人は殺気をにじませながらゆっくりと男に近付いた。 その様子を依然一松にすがり付きながらぼんやりと見つめていた十四松だったが、突然はっと体を揺らし、声を上げた。 ｢あ、ねこ！ねこが……｣ ｢猫？ あ、あの子だね！｣ トド松は十四松の視線の先を追って道の隅に横たわる猫を見つけると、駆け寄ってそっと手を触れた。 ｢大丈夫、息はあるよ。すぐに動物病院に連れて行こう｣ ｢そっか、良かっ、た……｣ ほっとして、ガクンと全身の力が抜ける。頭の中が、霧が掛かったようにぼんやりとしてきた。 突然体勢を崩した十四松を、一松は慌てて支え直した。 ｢十四松！？｣ ｢十四松兄さん！｣ 焦ったように十四松の名前を呼ぶ二人の声と、近付いて来るパトカーのサイレンを聞きながら、十四松は意識を手放した。 [newpage] ***** 目が覚めると、真っ白な天井が目に入った。 十四松はしばらくぼんやりと天井を見つめた後、はっと跳ね起きた。 と同時に、全身に刺すような痛みを感じる。 ｢いッ……！｣ ｢十四松！｣ ｢十四松兄さん、良かったあ！｣ 一松とトド松が心底ほっとしたような声を上げた。 どうやらここは病院で、十四松はベッドに寝かされていたらしい。 体のあちこちに真新しい包帯が巻かれていた。 ｢ぼく、どうして……ねこ！ ねこは！？｣ ｢落ち着いて、十四松｣ ｢猫は大丈夫だったよ、十四松兄さん。あの後病院に連れていって一命をとりとめたんだ｣ ｢あと少しでもダメージを受けていたら危なかったって。十四松のおかげだよ｣ それを聞いて十四松はほっ、と息を吐いた。 今は動物病院に入院しているらしいが、数日もすれば回復するだろうとの事だった。 ｢良かった……｣ 安心したように頬を緩め声をもらした十四松に、トド松は眉をきゅっと吊り上げた。 ｢良かったじゃないよ！ いや良かったんだけど！ そうじゃなくて、十四松兄さんもっと自分の心配しなよ！｣ トド松は泣きそうな顔で言葉を続けた。 ｢肋骨のひびが三ヶ所に全身の打撲、首の軟骨の損傷！ 一歩間違ってたら死んでたかもしれないんだよ！？｣ ｢ご、ごめんなさい……｣ ｢ああもう、違う、謝って欲しいんじゃないよ……無事で本当に良かった｣ トド松は十四松に抱き付いた。 ぎゅうっと抱き締められ、十四松は心がほわっと温かくなるのを感じた。 そんな末の弟二人の頭を一松が撫でてやっていると、 病室の引き戸がスッと開いて兄の三人が入ってきた。 ｢お、十四松目が覚めたか！良かった良かった｣ ｢これでひと安心だな｣ ｢もう、無理はしないようにって言ったよね？ 心臓止まるかと思ったよ｣ チョロ松の言葉に、十四松は罰が悪そうに首をすくめ、ごめんなさいと呟いた。 ｢まあ、命に別状がなくて良かったよ｣ ｢あのおじさんは、どうなったの？｣ ｢あいつは警察に捕まったよ｣ 一松が静かに言った。 一松の真剣な雰囲気を察したのか、トド松は十四松から離れた。 ｢……十四松、俺は、俺達は、お前が人の感情に敏感な事を知ってる。それを隠そうとしている事も｣ ｢えっ……！？｣ 十四松は頭から氷水をかけられた気分になった。 ｢(知られてた……？ ぼくが化け物だって、兄弟と”違う”って、知られてた……！)｣ 言葉の続きを聞くのが怖い。聞きたくない。もし拒絶されでもしたら――――― 十四松は真っ青になって震え出した。 そんな十四松を見て、一松は安心させるようにその頭を撫でた。 ｢お前はその力を良く思ってないのかもしれない。でも、そのおかげで犯人は捕まった。十四松が俺の話を聞いてくれたから、犯人を捕まえようって言ってくれたからだよ｣ 一松は一度言葉を切って、十四松を真っ直ぐ見つめた。 ｢十四松のおかげで、俺も、あの猫も救われたんだ｣ 一松は不器用ながらも、優しい笑みを浮かべて言った。 ｢十四松、ありがとう｣ 十四松は自分の両目から涙が溢れるのを感じた。 拒絶されなかったという安堵と、一松を救えたのだという喜び。それらがごちゃ混ぜになって、十四松の胸をいっぱいにした。 ｢ぼく、ぼくっ……ッ、一松兄さんの力になれた？｣ ｢うん。十四松が俺の話を聞いてくれなかったら、ずっとひとりで抱え込んでた。そしたらもっと沢山の猫が犠牲になってたかもしれない｣ ｢でもぼく……ッ、化け物で……！｣ ｢化け物？ そんなわけないだろ｣ ｢そうだぞ十四松｣ くしゃりとした笑顔を浮かべたおそ松が、十四松の涙を指で拭いながら言った。 ｢お前が人よりちょっとだけ心に敏感なのは、お前が誰よりも優しいからだ。それは誇って良い事だって、お兄ちゃんは思うけどね｣ ｢おそ松兄さん……｣ おそ松はにっと笑うと、両手で十四松の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。 ｢頑張った十四松くんには、はなまるぴっぴをあげちゃいます！｣ ｢うわわ、髪ぐちゃぐちゃだよおそ松兄さん！｣ ｢はははっ｣ ボサボサになった髪を直しながら、十四松は兄弟達を見回した。 五つの顔と五つの心が、皆にこにこと笑っている。 ｢えへへ、ぼく、皆の事大好きだよ！｣ ｢急にどうしたんだ？ 十四松｣ ｢何でもなーい！ 言いたくなったの！｣ 十四松はにっこりと笑った。 生まれて初めて、心が見える目があって良かったと、心の底から思った。 なぜならこの厄介な目は、皆を笑顔にする力があるのだから。 『俺達も、十四松が大好きだよ！』

心が物理的に見えてしまう十四松が、なんやかんやで兄弟達と心を通わせる話。<br />※モブ注意<br /><br />ROM専だったはずなのにおそ松さん沼怖い<br /><br />2月22日のルーキーランキングで22位に入ってたみたいです...ありがとうございます<br />2がいっぱい！

人の心が見えてしまう十四松の話

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[chapter:<三浦優美子の場合>] 葉山「なぁ…二人とも…」 大和「悪いけど…」 大岡「もうお前とは付き合いたくないんだ。」 隼人は大岡と大和の二人に声をかけているがまったく相手にされていない。 2-Fのクラスは昨日から一気に様変わりしている。 その原因はこのクラスの人気者のグループが解散したからだ。 そう、あーしの居たグループは先日解散してしまった。 葉山「あ、優美子！ちょうど良かった。 キミからもみんなに言ってくれないか。またみんなで仲良くやろうって！」 三浦「はぁ…隼人。あーし言ったよね。もうグループはおしまいだって。」 葉山「だからってこのままの状態でいいわけないだろ！ 俺とキミはグループの中心だった。俺たちが声をかければまたみんな元に戻れるはずだ！」 三浦「悪いけどあーしはもうどうでもいいから。 それと言っておくけど、隼人はこんなことよりもっとやるべきことがあるんじゃないの？」 あーしの言葉に隼人は首を傾げた。 嘘…まさかわからないってことはないよね？ まあどうでもいいし。 あーしはそんな隼人を無視してさっさと教室を出ていった。 それからある場所へと向かうことに… [newpage] 三浦「うぅ…緊張する…」 三浦「けど…ビビってられないよね…」 今、あーしは生徒会室の前に立っている。 これからこの部屋にいるヒキオこと比企谷八幡へ謝罪するためだ。 何でヒキオに謝罪するのかだけど… 修学旅行の時、あーしのグループで戸部が海老名に告白するという事件が起きた。 でも海老名に告白を受ける気なんてまったくなかった。 そこで諸々の事情を知ったヒキオは、 あの二人が傷つかないようにと嘘告白をしてその場を収めたそうだ。 正直、酷い話だと自分でも思う。 しかも同じくこの事情をグループのリーダー格の隼人も知っていたからさらにタチが悪い。 そんな理由で先日あーしらのグループは解散してしまい、 あーしはグループの最後のけじめとしてヒキオに謝罪にやってきたわけだけど… 三浦「ダメだ…決心がつかない…」 三浦「結衣があんなことしなきゃもっと気楽に入れたのに…」 まだ扉を開けることに躊躇していた。 実は昨日からある噂が校内に広まっている。 その噂の内容は… 『奉仕部の雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣がヒキタニに嘘告白して自殺未遂に追いやった！』 そんなとんでもない噂だった。 何でそんなことになったのか詳しくは知らない。 でも恐らく修学旅行の一件が絡んでいることはあーしでも想像できた。 だからこそ気が思いやられるわけで… めぐり「あれ？うちの生徒会に何か用？」 三浦「あん？誰…？」 めぐり「あ…知らないかな？私は城廻めぐり。元生徒会長だよ。」 あーしに声を掛けてきたのはなんと3年生の城廻めぐり先輩だった。 やばっ！先輩にタメ口きいちゃったよ…！？ あーしは慌てて城廻先輩に謝った。 でも待って…？元…生徒会長…？ 元ってどういうこと…？ めぐり「あ、まだ知らないんだ？ 私は昨日で生徒会長を比企谷くんに譲って引退したんだよ。」 三浦「え…？ヒキオって生徒会長なんですか！？」 めぐり「本当なら1年生の一色いろはちゃんがなる予定だったんだけど、 本人が嫌がってその代わりで比企谷くんが生徒会長をやることになったんだよ。」 驚いた。 まさかヒキオが生徒会長になっていたなんて… あーしはてっきり、 生徒会の雑用でも頼まれたからヒキオが生徒会室に出入りしてるのかと思っていたけど… めぐり「でもひとつだけ問題があってね…」 三浦「問題って…？」 めぐり「実は比企谷くん以外の役員が決まらなかったの。」 三浦「それって大問題だし！でもどうしてそんなことに…あっ！？」 そこであーしは言葉を止めた。 その理由はすぐにわかった。ヒキオのこれまでの悪評が原因だからだ。 そしてその悪評とは何か？ 間違いなくあーしらのグループがヒキオに難題を押し付けた件だ。 つまり今度の生徒会に人が集まらないのはヒキオだけが原因じゃない。 あーしらにもあるわけだ。 めぐり「でもこうして来てくれて助かったよ！ 三浦さんも今度の生徒会に入ってくれるから来てくれたんでしょ～？」 三浦「え～と…そのあーしは…」 めぐり「とにかく入って！話はそれからだよ～！」 こうしてあーしは城廻先輩によって半ば無理やり生徒会室に入らされた。 その部屋であーしを待っていたのは… 八幡「お前は…三浦…？」 三浦「あ…どうも…」 そこには勿論あーしが謝らなきゃいけないヒキオがいた。 でも意外にもそこにはヒキオ以外にもう一人いたわけで… それがなんと…！ [newpage] 少女A「三浦さんでしたね。この前は失礼しました。」 三浦「へぇ、アンタもいたんだ…」 めぐり「みんな顔見知りなのかな。 紹介するね。会長の比企谷くんにそれと今日から入ってくれた新しい副会長さんだよ！」 ヒキオの隣にいたのは結衣でも雪ノ下さんでもない。 先日、あーしらのグループを解散させる原因を作った女だ。（名前は知らない…） そういえばヒキオのことを随分庇っていたけど、 まさかヒキオと一緒に生徒会に入ったなんて…この子ヒキオのことが好きなわけ…？ 三浦「アンタが生徒会に入ったのはヒキオがいるからなんだね。」 少女A「はい。お恥ずかしい話ですけど無理やり押しかけてみたものなので…」 八幡「理由はどうあれ助かっているぞ。 このまま俺以外のヤツが決まらなけりゃ、 俺は今度こそ学校から追い出されることになっていたかもしれんからな。」 めぐり「うんうん！何はともあれ役員が入ってくれてよかったよ！」 城廻先輩が頷きながら二人のことを微笑ましく見ていた。 けど正直この光景はあーしとしては思うところがある。 何故ならあーしの友達である結衣はヒキオに片思いしている。 そのヒキオが他の女とイチャイチャしているのは結衣の親友として複雑な心境だ。 少女A「それで三浦さんは何の用事があって生徒会室へ来たの？」 八幡「そうだな。こんな場所にお前みたいなギャルが何の用があるんだよ。」 めぐり「きっと新役員に立候補しに来たんだよ！ 今なら30人の推薦人さえ用意してくれればすぐに生徒会役員になれちゃうよ～！」 30人の推薦人集めたらすぐ役員になれるって…つまり不信任投票ってこと…？ うちの学校の生徒会選挙ってそんな適当でいいわけ…！？ まあ生徒会の心配なんてこの際どうでもいいし… つーかあーしったらヒキオに謝るタイミングを完全に逃している。 それに城廻先輩はあーしが生徒会役員に立候補してくれると勘違いしているし… 実はちがいますなんて言ったら傷つくだろうなぁ… そんなことを思っていたら部屋の扉が開いた。 誰かがこの部屋へ入ってきたようだ。 海老名「あの…ヒキタニ…いえ…比企谷くんいますか…？」 三浦「海老名…！どうしてここに…！？」 海老名「あ、優美子も来ていたんだ。それはたぶん優美子と同じ理由かな…」 めぐり「オォッ！立候補者がもう一人来てくれたよ！」 なんと生徒会室を訪れたのは海老名だった。 また新しい立候補者が来たと勘違いしている城廻先輩はちょっとうるさいし…！ そんな海老名と一緒にもう一人この部屋に入ってきたのがいた。 戸部「ヒキタニ…いや…比企谷くん…チッス…」 八幡「お前…もしかして…戸部か…？」 少女A「あの…その頭は…どうしたんですか…？」 三浦「あの茶髪のロン毛が…」 「　「　「丸坊主になってる――――ッ！？」　」　」 城廻先輩以外のこの場にいる全員が驚いた。 あのチャラ男だった戸部が坊主にするなんて… アンタ…それはもしかして…？ 戸部「へへっ…サッパリしたっしょ？坊主系も案外イケるみたいな？」 海老名「驚いた？ さっきここへ来る前に戸部っちったらけじめだって言って自分で髪を刈っちゃってね。」 三浦「けじめ…やっぱそういうことなんだね。」 八幡「おい、戸部が坊主になったりお前ら三人が押し寄せたりでわけがわからんぞ。」 めぐり「そうだね。みんな生徒会に入りに来たわけじゃないの？」 やばっ！あーしらだけで話を進めて肝心のヒキオが蚊帳の外だった。 それじゃあ一応揃ったことだし改めて言わなきゃダメだよね。 戸部に至っては頭を坊主にしてまで覚悟を決めたんだから。 それならあーしだっていつまでもウジウジしているわけにはいかないし…！ [newpage] 「　「　「　比企谷くん！ごめんなさい！　」　」　」 八幡「いきなり謝ってどうしたんだよ…？ていうか何でみんな俺に謝るわけ？」 戸部「あれ…？もしかして比企谷くん何も知らない？マジなん？」 三浦「その子が一昨日修学旅行の一件を洗いざらい暴いたわけ。」 何も知らないヒキオのためにあーしはこれまでの事情を話した。 一昨日、奉仕部の部室であーしらのグループが集まり彼女に糾弾されたこと。 あの件に関してあーしの知らないところで奉仕部に無茶難題を押し付けられていたこと。 そして一昨日、あーしらのグループが解散したことも… その全てをヒキオは今頃になって知ったらしい。 八幡「そんな… 俺の知らないところでそんなことがあったなんて… つーかお前…俺の知らないところでとんでもないことしてたんだな。 あの葉山や相模を相手にやりあったとか…無茶苦茶しすぎだな…？」 少女A「比企谷くん勝手な真似をしてごめんなさい。でも放っておけなくて…」 海老名「あなたが謝ることじゃないよ。 一番悪いのは私だから。私があんな無茶な相談をしなきゃこんなことにはならなかった…」 戸部「いや、海老名さんは悪くないから！ 一番悪いのは俺かな…俺が自分だけで告白する度胸があれば…」 三浦「ヒキオ一人でこんな問題を押し付けたのがそもそもの間違い。本当にごめんね…」 ヒキオはこの事実を知って驚きを隠せずにいた。 まさか自分が関わっていないところで、 事態が180度変わっていたなんて知ったら驚くだろうしね… 八幡「まずは俺から言わせてくれ。 その…まだうまく状況を把握出来ないんだが…あの件は俺なりに精一杯やったつもりだ。」 三浦「でもあんな無茶ぶりどう考えても叶えられるわけないし…」 八幡「本当ならもっといい手があったかもしれない。 けどあの場でお前らを傷つけずに済むにはあれが最善だったと今でも思っている。」 海老名「でもそれで奉仕部のみんなは気まずくなったよね。 そのせいで比企谷くんはあの二人から見捨てられちゃったみたいだし…」 八幡「別にいつものことだ。 単純な話であの場にいた誰もが傷つくならそれは俺一人が被ればいいに決まって…」 ヒキオが話している最中だった。 今まで黙っていた彼女があいつの前に立ってこう言った。 [newpage] 少女A「ダメ…」 八幡「ダメって…いきなり…どうしたんだ…？」 少女A「もうそういうことはやめてと言っているの…！」 八幡「何言って…単純な話だろ。それでみんなが助かるなら…」 少女A「でもそれは比企谷くんの犠牲があったからこその話だよね。 そんなことはもう二度としないで！また昨日みたいなことになったらどうするの！？」 彼女はヒキオに向かって泣きながらそう叫んだ。 そうだ。あの噂が本当ならヒキオは昨日危うく自殺をしそうになったらしい。 こんなこと当然だろうけどヒキオだって人間だ。 傷つけばつらいに決まっている。 それをわかっていながら隼人や海老名は押し付けてしまった。 あーしらは本当に最低なことをヒキオにさせてしまったんだ… 三浦「ヒキオ、その子の言う通りだよ。 あーしらのためにアンタが傷つくことはなかったんだよ…」 海老名「あんなこと頼んで本当にごめんね。 でもここでちゃんと謝らなきゃいけないの。もう逃げるわけにはいからなから。」 戸部「ここでちゃんと謝らなきゃ俺らマジで最低だからさ…」 もうあーしらが頼りにしていた隼人はいない。 いや、そんなのは最初からいなかったのかもしれない。 現に隼人はこの場に来ていない。 もし今回の件について反省しているなら隼人だってこの場にいたはずだ。 そう、グループの仲を戻そうとするよりもまず先にここへ来て謝罪している。 それがいないということは… 八幡「けど…お前ら…葉山はいいのか？ この件を認めちまうってことは…それは葉山がやったことが無駄になるんじゃ…？」 三浦「もう隼人のことは気にしなくていいよ。 あれは最初からアンタを犠牲にする気だったみたいだからさ。」 八幡「でもあいつは自分のグループを守るために頑張っていたはずだろ。」 戸部「それでも比企谷くんが傷ついていいって話じゃないっしょ？」 海老名「隼人くんは自分のグループのために比企谷くんを犠牲にした。 でもそれはつまり、 隼人くんは自分を犠牲にしてまであのグループを守ることができないってことなんだよ。」 三浦「そんな隼人がリーダーやっていたのがあのグループだよ。 たぶん今回の件がなくてもあーしらのグループはいずれ終わっていたはずだし。」 改めて思う。 あーしらのグループはなんて脆いものだったんだろうって… ヒキオが自分を犠牲にしてまで守ったもの。 でもそれは一度ヒビが入れば簡単に砕け散る程度のものだった。 所詮あれは偽物だったわけだね。 八幡「やっぱり上っ面だけの関係だったわけか。 でもあいつはそれでも必死に守ろうとしていたから…俺も…」 海老名「ハハ、いつもならはや×はちキターって言いたいけど… 悪いけど私の中ではや×はちカップリングはもう終わりかな。 勿論隼人くんだけが悪いわけじゃない。私だって隼人くんと同じだよ。 もっとちゃんと戸部っちの想いに正面から向き合えばこんなことにはならなかった。」 戸部「いんや…悪いのは俺だわ。俺の告白の仕方…今思えば最低だった。 必ず告白を成功させたいって海老名さんの気持ち無視しまくってたし… 俺の一方的な想いだけじゃダメなんだわな。」 三浦「あーしだって同じだよ。 グループのみんなの問題にもっと耳を傾けていればこんなことには…」 あーしらは互いの責任を言い合っていた。 誰もが自分が悪かったと… けどそんなあーしらを見てヒキオはあることを呟いた。 八幡「それを言うならやっぱり俺が一番悪いのかもしれないな。」 三浦「はぁ？何でアンタが悪いってことになるわけ？」 八幡「それは…俺が身勝手だからだ。 葉山と同じく何も変わらなければ誰も傷つくことはないと勝手に思い込んだだけで…」 たぶんヒキオの言っていることは本当だろう。 でも何かおかしい。 ヒキオは何かを隠している。あーしの勘がそう告げていた。 少女A「比企谷くん何か隠していませんか？」 八幡「いや…何も隠してなんか…」 少女A「本当ですか…？それなら私の目をちゃんと見て言ってみて…？」 八幡「わ…わかった！言うから顔をあまり近づけるな！勘違いしちゃうだろ！？」 あの彼女がヒキオの顔を凝視しながら問い質した。 いや…お熱いのは結構だけど…アンタら…あーしらがいること忘れてないよね…？ [newpage] 八幡「今だから話すが、 俺があんな嘘告白をしたのは別にお前らのためってわけじゃない。 ここだけの話だが…あれは…奉仕部の…雪ノ下と由比ヶ浜のためにやったことなんだ…」 海老名「それってどういうこと…？」 八幡「まあ要するにだ。 あの二つの依頼だがもしも戸部の告白を成功させたいという依頼をやりとげるとしても、 そこに海老名の告白を阻止してほしいという意思がある限り成功することはあり得ない。」 少女A「二つの異なる依頼をどちらも両立させるなんて不可能ですよ。」 八幡「そうだ。だがもしもどちらか片方… つまりこの場合なら俺が海老名の相談の真意に気づかずに、 奉仕部が戸部の依頼のみを実行していたらどうなっていたと思う…？」 ヒキオの質問にあーしは考えた。 もしも戸部だけの依頼を実行していた場合…？ 当然だけど戸部は告白を断られて海老名にフラれる。 それはわかりきっている。 でもそれ以外に何がある…？ 例えばあーしらのグループ内はどうなっていただろうか。 たぶんあのグループは気まずい雰囲気になっていたはず。 それに雪ノ下さんや結衣が関わるってことは…あ…そうか…！ 八幡「三浦は気づいたようだな。 そう、奉仕部があのまま戸部の依頼を実行していたら間違いなく、 非難されていたのは俺だけじゃなく雪ノ下と由比ヶ浜にまで及んでいたはずだ。」 戸部「ちょっと待った！何で結衣っちたちにまで…！？」 少女A「それはたぶん… 雪ノ下さんは奉仕部の部長として依頼を達成できなかった責任を擦り付けられて、 それに由比ヶ浜さんも依頼を引き受けてしまった身だから、 あなたたちから叱責を受ける可能性があったからじゃないのかな？」 海老名「うん…間違いなくあり得たかもしれない話だね…」 ヒキオの話に思わずあーしも納得していた。 これが本来なら隼人がやろうとしていた顛末だったなんて… ヒキオがあの嘘告白を行わなければ、 あーしらは結衣と雪ノ下さんまで責めていたとまでは思いたくないけど… それでもグループ内で結衣が阻害される可能性はあったはずだ。 それをわかっていたからヒキオは敢えてあの嘘告白を行ったわけか。 八幡「正直、あの時の俺はお前たちのことなんて二の次だった。 ただ…奉仕部を…いや…あいつらのことを守りたかっただけだ。 だから本当に謝るべきは身勝手な行動に出た俺の方だ。すまない…」 戸部「ちょ…やめてくれよ…比企谷くんに謝られたら俺ら立場ねーじゃん！」 海老名「身勝手なら私の方こそ…あなたたちに押し付けたのがそもそもの原因だから…」 三浦「ていうかヒキオのは身勝手じゃないっしょ。 結衣のこと守ろうとしていたわけだしさ。やっぱり身勝手なのはあーしらだよ。」 そんな結論を出したけど… でもやっぱり一番の身勝手なのはこの場にいない隼人だと今更ながら痛感した。 確かにあーしがヒキオに謝罪するとは言ったけど、 海老名や戸部とちがって自分からヒキオの前に姿も見せずにいる。 今にして思えばあーしは何であんな男を好きになってしまったのか疑問を抱くほどだ。 それから戸部は部活の時間だからと部屋を出て行き、 これまで話を黙って聞いていた城廻先輩があることを切り出してきた。 [newpage] めぐり「あの…話の腰を折るようで悪いんだけど… それで結局生徒会役員にはなってくれるのかな…？それとも…」 八幡「あ、城廻先輩。すいません…すっかり存在を忘れてました…」 少女A「途中からずっと蚊帳の外だったからね。」 めぐり「だってしょうがないじゃない～！ みんなとは学年ちがうから何の話かまったくわからないし… それで生徒会に入ってくれるの？それともちがうの？」 そういえばそんな話をしていたような… そこで生徒会室を見てふと思った。 確かこの生徒会ってヒキオと彼女以外はまだ誰もいないんだよね。 それなら…！ あーしは決心した。 三浦「よし決めた！今度の生徒会にあーしが入るし！」 八幡「お前何言ってんだよ？」 三浦「いいじゃん。どうせ人いないんだしさ。それともアンタに人集めができるわけ？」 八幡「それを言われると痛いな…」 少女A「確かに…比企谷くんに人集めは無理かも…」 めぐり「いいよいいよ！入ってくれるならなんだっていいからね～！」 どうやらあーしの生徒会入りはほぼ確定したようだ。 30人の推薦人だってクラスのみんなに協力してもらえばすぐに集まるだろ。 海老名「それなら…私も…いいかな？」 八幡「海老名…お前もか…？」 少女A「でも…海老名さん…あなたは…」 海老名「うん…わかってる… 修学旅行の一件は私に責任があることは…私自身が一番わかっているよ。 でもここで何もしないで見ているよりはね…」 八幡「なぁお前ら。 こんなこと言いたかないが罪滅ぼしのつもりならやめておけ。お互い気まずいだけだろ。 それに他人から見たらお前らは葉山から俺に乗り換えただけに見られるだけだぞ？」 ヒキオの言う通り確かにあーしらがやろうとしていることは罪滅ぼしみたいなものだ。 それでもあーしらの気持ちは変わらない。 三浦「だからってこのままでいいってわけにはいかないっしょ？」 海老名「うん、誰かに悪く言われたとしても元々は私たちが原因だからね…」 三浦「全部引っ括めてあーしらは覚悟決めたわけ！アンタが気にすることはないよ！」 少女A「いいんじゃないかな。 少なくともこの人たちは比企谷くんの前に謝りに来てくれたんだから。 気まずいからっていう理由で来ない人たちよりはよっぽど信頼できると思うよ。」 彼女の言葉にヒキオもまた納得したようだ。 でも今の言葉は少し引っ掛かる。 たぶんこの子は遠まわしでこう言っているんだ。 この場に来ない隼人、それに結衣や雪ノ下さんは信頼するに値しないってことだよね… 確かにヒキオと同じ部のあの二人ならこの場に居てもいいはずだ。 でもこの部屋に二人の姿はない。 それはつまり信じられないけど昨日のあの噂は本当だということなのかもしれない。 三浦「ねぇ、早速だけどさ…ヒキオじゃないや… ハチオは今からあーしらのことを苗字じゃなく名前で呼ぶし！」 八幡「何でいきなり名前呼びなんだよ…？」 三浦「うっさい！もう決めたことだから！ これからは堅苦しいの抜きでみんな本音で語りあってく！ じゃないと…また同じことの繰り返しだから…」 海老名「同じことの繰り返し…そうかもしれないね…だからよろしくねハッチー！」 八幡「海老名までかよ… わーったよ！三浦…じゃなくて優美子…でいいのか…？」 まだ照れくさそうにしているけどまあこれでいいか。 さてと、ここまではお膳立てしてあげたんだから。 あとは彼女さん、アンタの番だよ。 少女A「あの…比企谷くん…じゃなくてその…はち…まん…？」 八幡「え…？ちょ…いきなりどうしたんだよ！？」 少女A「だって…みんな名前呼びなんだから…私も…その…彼女だし…」 八幡「あ…そうだったな…それじゃあ…『　』…これでいいか…？」 少女A「うん！改めてこれからもよろしくね八幡！」 初々しいことで… でもとりあえずはこれでよかったとあーしは思っている。 結衣には悪いけどアンタがハチオを本気で好きならこの場にこれるはずだよね。 もしもアンタがここへ来る気があるなら、 その時はあーしが親友としてアンタを同じ舞台にまで引き上げてあげる。 でも…アンタがハチオに噂通りのことをやったのなら… その時は悪いけどあーしはハチオの味方になるよ。 これがあーしのけじめ。 ハチオを苦しませてしまったあーしの罪滅ぼしだから。 <三浦優美子の場合> end [newpage] [chapter:<一色いろはの場合>] いろは「生徒会室、本当なら私がここへ入るはずだったんですよね。」 私こと一色いろははこの生徒会室前にいる。 これからある人の頼みでこの部屋に乗り込まなければいけません。 そう、恋する女の子はいつも真剣勝負なのです。 いざ…！ 八幡「よう、一色じゃねーか。今度は何の用だ？」 いろは「先輩…それに…」 私は覚悟を決めて生徒会室へと入った。 当初、私はこの部屋には先輩だけしかいないと思っていた。 けれどその部屋には意外な人たちがいたのです。 三浦「アンタ確かサッカー部のマネージャーやってる1年の一色じゃん！」 海老名「本当だ。戸部っちたちと一緒にいるとこよく見かけたよ。」 いろは「三浦先輩に海老名先輩！？」 なんと部屋に居たのは、 葉山先輩のグループで女王として扱われていた三浦先輩。 それにもう一人は腐女子の海老名先輩だ。 まさかあのお二人がこんな場所になんて… 少女A「一色さんでしたね。どんな用があってこちらへ？」 いろは「あ、確か新しい副会長さんでしたね。その…私がここに来た理由なんですけど…」 私は密かに先輩へ視線を送った。 実は今回ここへ来たのはこの先輩に用があったからだ。 でもまさかこんなに人がいるとは思わなかった。 確か数日前までこの生徒会には先輩一人だけだと聞かされていたから… 少女A「……一色さん大丈夫？もしかして私たちには言いづらいことなの？」 三浦「わざわざここまで来たのに何も言わないはないっしょ。言ってみなよ。」 海老名「二人とも…そんなに脅したら可哀想だって…！」 八幡「お前らとにかく落ち着け。 一色、もしかして俺にだけ話があるんじゃないのか？ お前さえよければ二人で話すこともできるぞ。」 恐っ！この人たち私に対して敵意丸出しじゃないですか…！？ けど先輩が空気を読んでくれて助かりました。 そんなわけで私は先輩を部屋から連れ出すことに成功したのです。 八幡「それで何の用があるんだ？お前の依頼は片付いたはずだぞ。」 いろは「え～と…その件はもういいんです。今日先輩に会いに来たのは…」 正直気まずい。 先輩を呼び出すだけでもこれだけ気を使ったのに、 これからあの話をしなければならないと思うと気が思いやられる… でも言わなければいけません。 いろは「率直に伺いますね。先輩！あの噂は本当なんですか！？」 八幡「あの噂…？」 いろは「とぼけないでください！ 先日、先輩が屋上で自殺未遂しそうになったって噂ですよ！！」 そう、私が先輩に尋ねたのはあの屋上での噂だ。 なんでも雪ノ下先輩たちに貶められて危うく命を絶とうとしたとか… その真偽を確かめるために私は先輩に話を聞きに来た。 八幡「悪いが部外者のお前に話すことは何もないぞ。」 いろは「そうですね。 確かに私が聞き入っていいような話じゃありませんよね。 でも…ある人がこう言っていたんです。 その噂は先輩が自分で流した嘘の内容なんじゃないかって…！」 八幡「それは…どういうことだ…？」 先輩は私に対して疑惑の目を向けてきた。 たぶん今私がやっていることは恥知らずなことだと思う。 以前この人は噂の渦中だったのにも関わらず、 私のためにわざわざ生徒会入りをしてくれた所謂恩人だ。 そんな人を疑わなければならないのだから心苦しい。 でも私は確かめずにはいられなかった。 それは私個人が知っておきたいことでもあり、 それにもうひとつはこの私の行動がある人の頼みでもあるからだ。 その人とは… [newpage] 葉山「いろは、こんなことを頼んですまなかったね。」 八幡「葉山…お前と一色…これはどういう組み合わせだ…？」 いろは「すいません…実は葉山先輩に頼まれて先輩を呼び出すことになっていたんです。」 葉山「ヒキタニ、雪ノ下さんたちの噂はキミも聞いているだろう。 今、彼女たちは事実無根なこの噂に苦しんでいる。だから俺もこうして動いているんだ。」 そうです。今回私に先輩を呼び出すように頼んできたのは葉山先輩なのです。 葉山先輩は先輩から噂の事実を確かめようと呼びつけた。 でも先輩を呼び出すのに何で私を頼んだのかが些か疑問なんだけどな…？ まあそこはあの葉山先輩に頼られたということで納得しておきましょう。 八幡「葉山、お前だって部外者だ。一色と同じようにお前に話すことは何もないぞ。」 葉山「あぁ、確かに俺は部外者だ。 でも雪ノ下さんや結衣が困っているんだ。放っておけるわけがないだろ。」 八幡「勿体ぶるのがお前の悪い癖だな。言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ？」 葉山「そうだな。それじゃあ言わせてもらうぞ。 キミだって自分が原因であの二人の悪評を広めたくはないはずだ。 それなら…わかるだろ…？」 葉山先輩はなにやら先輩にだけわかるようなことを言い出してきました。 その言葉に先輩はその腐ったような目をさらに鋭くして葉山先輩を睨みつけています。 何なの…？ 葉山先輩は先輩に何を伝えようとしているんですか…？ 八幡「つまり…俺に文化祭や修学旅行の時のことをやれって言うんだな…？」 葉山「それしか手はない。 噂の真偽はともかくあの二人はキミのせいで傷ついているんだ。 これはキミ自身がやらなければならないことのはずだ！」 いろは「あの…お二人とも…一体何の話をしているんですか…？教えてくださいよ！」 この二人の話に思わず危機感を抱いた私はなんとか問い質そうとする。 けど…ダメだ… 私には何の話なのかさっぱりわからない。 文化祭や修学旅行の時と同じことを先輩にやらせる…？ それって一体どういう意味なんですか…！？ [newpage] 少女A「いい加減にして！！」 葉山「キミは…」 八幡「お前…どうしてついて来たんだ…？」 三浦「ハチオのことが気になってね。何かあるんじゃないかと思ったけどやっぱり…」 海老名「悪いけどさっきの話は全部聞かせてもらったよ。 私たちがいないからってハッチーに直接生贄になれなんて… 隼人くん油断しちゃったね。」 そこに現れたのは先ほど遠ざけたはずの御三方だった。 どうやら先輩が心配になって様子を見に来てくれたらしい。 先輩って意外と過保護にされていたんですね。 少女A「葉山くん！あなたはどこまで八幡を苦しめれば気が済むの！」 葉山「だが最初に雪ノ下さんたちを苦しめたのはヒキタニだ！彼が責任を取らなければ！」 少女A「そこがおかしいんですよ。 一色さん、その実は八幡が悪かったという話は誰から聞いたの！？」 いろは「それは勿論葉山先輩からですけど…？」 海老名「はぁ…やっぱり…」 三浦「隼人…アンタって人は…」 私の返答に三浦先輩たちはまるで呆れたような顔をして葉山先輩を睨みつけた。 え～とこれって考えたくはないけど…もしかして…？ 少女A「その八幡が悪いという話は葉山くんの勝手な憶測ですね。」 海老名「それでハッチーにこの前と同じように面倒事を押し付けよとしているよね。」 三浦「隼人！いい加減にするし！」 葉山先輩の勝手な憶測…？ 確かに葉山先輩はこの件に関しては部外者ですから憶測かもしれない。 でも雪ノ下先輩たちが先輩を貶めた噂よりは信憑性はあります。 でも何でそんなことを…？ 少女A「確かに八幡の方が悪いという噂の方が周りには信じてもらえますからね。 それも葉山くんが口添えすればさらにその信憑性はさらに高まります。」 海老名「それで雪ノ下さんたちの悪評はなくなるわけだね。」 三浦「でもこれじゃあハチオがまた悪く言われる…」 葉山「だがこれが事実のはずだ！ 彼女たちがヒキタニに嘘告白をして貶めたなんてありえるはずがない！？」 葉山先輩は三人の女傑を相手に力強く反論しています。 確かにいろはも先輩を知る前なら葉山先輩の意見に賛成していたでしょう。 けどそれは先輩を知る前の話です。 今は…ちがいます… [newpage] いろは「葉山先輩、それは雪ノ下先輩たちから直接聞いた話なんですか？」 葉山「いろは…？」 いろは「憶測で判断するなんてどうかと思いますよ。 仮にも葉山先輩はこれから先輩を糾弾するんですよね？ だったらこの噂が事実か確かめるために加害者の雪ノ下先輩たちを問い詰めるべきです！ それなのに何でいきなり先輩が悪いなんて話に飛躍するんですか！？」 葉山「そんなことが出来るはずないだろ！ あの二人はこの噂で苦しんでいる被害者なんだ！？ そんな彼女たちを問い詰めることなんて俺には…」 確かに葉山先輩は優しい。 以前の私ならそう思えました。 けど何故だろう… 今の私にはこの優しさが紛い物のように感じられます。 少女A「雪ノ下さんたちを問い詰めることはできないけど八幡になら出来るんですね。」 海老名「なんだかおかしな話だよね。」 葉山「何故だ？現に彼女たちはこの噂が原因で苦しんでいるはずだ！」 三浦「だからそれがおかしいんだよ隼人。 何でアンタはまず雪ノ下さんたちの心配するわけ？ この件で一番の被害者はハチオなんだよ。 それに隼人は修学旅行の件を忘れてないよね。 普通はハチオを糾弾する前に謝罪しなきゃダメじゃん！」 三浦先輩の言うように確かにこの噂の被害者は先輩です。 それを雪ノ下先輩に問わないのは葉山先輩の優しさなのかもしれない。 確かに優しい葉山先輩があの二人を気づかってのことだと思うけど… でもそんな時、この状況を見かねた先輩が葉山先輩にこう語りかけてきました。 八幡「葉山もういいぞ。 今のことをみんなの前で話せ。そうすればあいつらの信頼はすぐに回復するだろ。」 葉山「やはり事実だと認めるんだな。」 八幡「事実かどうかなんてこの際関係ない。 だがこうすればあいつらの悪評がこれ以上広まることはないはずだ。」 いろは「先輩待ってください！ ちゃんと話して！この噂は事実なんですか？それともまったくの嘘なんですか！？」 私は先輩を問い詰めた。 冗談じゃない…！ これじゃあ私が先輩を悪人に仕立て上げるみたいじゃないですか！ そんなのダメです…絶対に…！ [newpage] 八幡「一色落ち着け。いつものことだ。俺が泥を被ればそれで解決する問題だろ。」 いろは「ダメです！先輩は私を悪人に仕立てあげたいんですか！？」 八幡「それは…どういう意味だ…？」 いろは「だって…これって事実かどうかもわからない話なんですよ…？ それなのに勝手に先輩が悪いなんてことになったら私…嫌ですよ… それに先輩には私の代わりに生徒会長になってもらった恩があります。 そんな先輩を悪人に仕立て上げるって… これじゃあ先輩を呼び出した私が先輩以上の悪人になっちゃいますよ…」 先輩は困った顔をして心配する私とそれに副会長さんたちを見ています。 そうですよ。少しは困ってください。 お願だから私を悪人にさせないで… だって先輩が傷つく姿なんて見たくないから…！ この光景を目の当たりにしている葉山先輩が戸惑っている。 今ならこの人が小さく見える気がする… 少女A「葉山くん！これ以上八幡にふざけた相談をするのはやめて！」 葉山「ふざけてなんかいない！俺は真剣だ！」 三浦「でもこの話ってどう考えてもハチオを貶めるようにしか思えないよ。」 いろは「先輩を貶めるってどうして…？」 そこで海老名先輩がこっそりと、 事情を知らない私に文化祭や修学旅行で先輩がやったことを私に教えてくれました。 なるほど、先輩は誰もが傷つかずに済む方法を取ったと… この人はバカですか？ いろは「先輩はバカですボケナスです八幡です！」 八幡「おい…最後のヤツは貶すようなことじゃないはずだぞ…？」 いろは「だってその通りじゃないですか！ 先輩は本当にバカなんですから！何で先輩が傷つかなきゃいけないんですか！？」 八幡「そりゃ…この件は俺に原因があるからな…」 葉山「その通りだ。これはヒキタニに問題が…」 そこで葉山先輩はいきなり言葉を遮られたのです。 この時は私も恐怖しました。 何故ならあの副会長さんが恐ろしい形相で葉山先輩を睨みつけたからです。 少女A「八幡に問題があるですって？あなた…どこまで八幡を貶めれば気が済むの…！」 葉山「だが…雪ノ下さんたちがあんなことを仕出かしたなんて… 俺にはどうしても思えないんだ！それとも何か証拠があるとでもいうのか！？」 少女A「証拠ならありますよ。私もあの場にいましたから！」 その副会長さんの言葉に葉山先輩は大層驚いていました。 まさかこの場に当事者が先輩の他にもう一人いたなんて予想していなかったんでしょうね。 少女A「あの噂は全て事実です。 私が告白する直前、何故か雪ノ下さんたちはその告白を遮り比企谷くんへ嘘告白をした。 その後は…」 三浦「やっぱり…結衣たちの噂は本当だったんだ…」 海老名「私も半ば話が飛躍しただけかと今まで半信半疑だったけど…」 葉山「そんな…信じられない…」 どうやら三浦先輩と海老名先輩もこの事実を改めて聞いて驚いているようです。 私だって同じ気持ちですよ。 まさかこの学校で人気のあるあの二人がそんなことを仕出かすなんて… 葉山「ヒキタニ…そんな…嘘だろ…言ってくれ！悪いのはキミであの二人は無実だと！？」 八幡「葉山…何でお前はそこまでするんだ…少しおかしいぞ…？」 葉山先輩は先輩の襟首を掴み問い詰めている。 確かに何かがおかしい。 この場にいる誰もが違和感を抱だき、 そんな葉山先輩の姿を見た三浦先輩があることを呟いた。 三浦「やっぱり、隼人は雪ノ下さんのことが好きなんだね。」 いろは「それってどういうことですか？」 八幡「待て優美子？葉山は雪ノ下から毛嫌いされているはずだぞ？」 海老名「あ、そうか。これってそういうことなんだ！」 少女A「それなら納得ですね。」 どうやら御三方は何か納得したようです。 これって何なの…？ 誰か私にもわかるように教えてくださ～い！ 海老名「それじゃあ簡単に説明するね。 隼人くんと私たちが居たあのグループは解散しちゃったの。 あれから何度か隼人くんは私たちに話しかけてくるけど、 私たちはもうあのグループに未練はないんだよね。」 三浦「おまけに隼人が修学旅行で奉仕部に、 戸部と姫菜の件を丸投げしたって話でクラスでの隼人の人気は下回っているし…」 少女A「そんな時に八幡と雪ノ下さんたちの噂が出回った。 この学校で人気者のあの二人が、 八幡を貶めたなんてことは絶対にありえないと葉山くんは思い込んだ。」 いろは「それじゃあ…葉山先輩がやろうとしていることって… 今回の件を利用して先輩を貶めて自分の信頼を回復させるためだったんですか！？」 先輩たちの導き出した答えに私は愚かにもようやくこのことに気づかされました。 あの葉山先輩がまさか…そんなことを…！？ 葉山「いや、俺は純粋に彼女たちを救いたいだけなんだ！本当だ！信じてくれ！」 八幡「そうだな… たぶん葉山が雪ノ下たちのことを助けたいという気持ちは本当のはずだ…」 葉山「そうさ、俺だって本当ならこんなこと頼みたくはない。 けどこのままでは雪乃ちゃんたちはみんなから孤立してしまう！ 頼む比企谷…あの時と同じく彼女たちのために…！」 葉山先輩はこれが雪ノ下先輩と結衣先輩のためだと言っている。 それを先輩も一応理解しているみたいだ。 でも…私たちはちがう… 少女A「冗談じゃない！これ以上あなたの身勝手な頼み事を八幡に押し付けないで！」 葉山「それは…」 三浦「それに隼人って肝心なことを何も言ってないよね。 アンタはこの件を利用して大好きな雪ノ下さんとお近づきになりたいって魂胆なんしょ？」 葉山「なっ…ちがう！そんなことは！？」 海老名「悪いけど男子のハッチーは、 鈍感だから気づかないけど私たち女子から見たらそう思えちゃうんだよね。 もしかして修学旅行で隼人くんがハッチーに問題を押し付けたのも、 ハッチーを遠ざけて自分が雪ノ下さんたちに近づくためだったんじゃないかな？」 いろは「確かに学校内でも、 以前から葉山先輩と雪ノ下先輩が付き合ってるんじゃないかって噂がありますけど…」 葉山「やめてくれ！俺はそんな邪な考えで助けようとしているわけじゃない！？」 たぶん今の葉山先輩の反応からして付き合っているという噂は単なるデマだと思う。 でも葉山先輩は今回の件を解決すれば雪ノ下先輩と近づけると判断したにちがいない。 おまけに雪ノ下先輩と唯一交友がある男子の先輩を排除出来て、 みんなからの信頼を回復することも可能ときている。 これは葉山先輩にとってまさに一石二鳥な超好都合な展開じゃないですか。 八幡「葉山、悪いが今回俺は何もすることはできない。」 葉山「そんな…頼む比企谷！これはキミにしか出来ないことなんだ！」 八幡「今までの俺ならたぶん断れなかったはずだ。 でも今の俺はちがう。ここで今までみたく泥を被れば俺のために悲しむヤツがいる。 優美子や姫菜、それに『　』がな！」 葉山「だが…それでも…！」 八幡「それにお前は今回のことで一色のことを考えたか？」 葉山「いろはが…どういうことだ…？」 八幡「何だよ。雪ノ下と由比ヶ浜のことばかり気にして一色のことは考えてなかったのか？ さっき一色が言っていただろ。俺が今回の件に協力したら自分まで悪人になるって… つまりこのまま俺が協力してもしも周りに真相がバレてみろ。」 八幡「その時に傷つくのは他の誰でもない。 お前に協力させられた一色にみんなの悪意が向けられちまうんだよ！」 先輩の言葉に気づいた葉山先輩がいきなり私を心配するような視線を向けてきた。 今更こんなことに気づかないでください。 むしろ迷惑です。もうあなたに気なんかありません。本気で勘違いしないで…！ 三浦「ていうかそんなに雪ノ下さんたちのこと守りたきゃ隼人が犠牲になれば？」 海老名「無理だよ。隼人くんは自分が可愛いからそんなことは絶対できないよ。」 葉山「待ってくれ優美子！姫菜！俺は…本当に…！？」 葉山先輩は三浦先輩たちに『誤解だ！信じてくれ！』と喚いています。 でも二人の視線は氷のように冷たい。 これがかつて私の憧れていた葉山先輩かと思うと背筋がぞっとしますよ。 少女A「葉山くん、もうここにあなたの味方はいませんよ。」 八幡「葉山、お前が本気で雪ノ下たちのことを心配しているなら、 こんなことしてないでさっさと会いに行ってやればいいだろ。何故そうしないんだ？」 葉山「それは…」 三浦「わかってるし… 手ぶらで行ってもまともに相手にされないから、 ハチオに罪を擦り付けてそれを手土産に雪ノ下さんに近づこうって魂胆だったんだね。 格好つけたがるアンタがやりそうなことじゃん。」 海老名「ハッチーに罪を被せて、 それを隼人くんが暴いたなら正義のヒーロー葉山隼人の完成だもんね。」 葉山「そんなつもりはない…！ お願いだ比企谷！どうかあの二人を助けるためにもキミの力を貸してくれ！！」 葉山先輩はまだ否定してそして先輩に懇願しています。 ここまで往生際が悪いとさすがにみっともないんですけど… 三浦「ていうか一色を使って呼び出したのも、 あーしら…つーかこのハチオの彼女ちゃんにバレるのが恐かったからなんだよね？」 海老名「後輩のいろはちゃんが、 この件に巻き込まれていると知ったらハッチーも無視するわけにはいかないもんね。」 海老名「おまけに生徒会室には、 隼人くんの取り巻きグループを壊滅させた副会長ちゃんがいるからね。 知られたらまた面倒なことになる。だから敢えてハッチーを私たちから遠ざけた。 今の隼人くんは私以上に性根が腐っているよ。」 少女A「葉山くんはどこまで他人を利用すれば…！正直呆れますね！」 あぁ…やっぱり私は利用されていたんだ… １時間前まで葉山先輩に呼び出されてウキウキしていた自分を張り倒したいですよ。 こんな人に利用されていただけなんて我ながら情けないなぁ… 葉山「確かにいろはに何も伝えずにいたのはすまなかったと思う。 だがこれだけはわかってほしい。俺は純粋に雪乃ちゃんたちを救いたいだけなんだ！ この気持ち、キミなら理解できると思うはずだよ。」 少女A「何であなたの気持ちを私が理解できると…？」 葉山「以前キミはヒキタニのために行動した。 それは俺だって同じだ。俺も守りたい人たちのために動いている！ 俺とキミ、まさに同じじゃないか！」 葉山先輩はまだあの副会長さんに食いつこうとしています。 自分と同じく守りたい人のために動いているからと… でも副会長さんはこう吐き捨てたのです。 [newpage] 少女A「私とあなたが同じ…？葉山くんから見たら確かにそうかもしれないですね。」 葉山「それなら…！」 少女A「でもひとつだけちがいます。 それは八幡が無実で雪ノ下さんと由比ヶ浜さんに非があるということです！」 少女A「葉山くんが庇っている二人は八幡を貶めた人たち… ところで葉山くんはさっき言いましたよね。守りたい人のために動いていると。 それなら私が八幡のために動いたあの行動を、 あなたは理解してくれているということじゃないんですか！」 そして遂に副会長さんの怒号が飛び散った。 まさにブーメランです。葉山先輩はもう何も言えません。 哀れ葉山先輩は引導を渡され引き下がることに。 けれど… 葉山「俺はまだ諦めない。俺のやり方で必ず雪乃ちゃんたちを救ってみせる！」 この人はさっきの話を理解していたのでしょうか？ 正直頭のネジが2、3本ぶっ飛んじゃったんじゃないのかと疑うほどです。 ていうか捨て台詞がまるでどこかの三流の悪役みたいで格好悪いですね。 まあ葉山先輩なんかもうどうでもいいですよ。 そんなことよりも私にはやらなければならないことがありますからね。 [newpage] いろは「先輩！本当にごめんなさい！まさかこんなことになるなんて…」 八幡「気にすんな。別にお前のせいなんかじゃない。元々お前は利用されていただけだ。」 いろは「それでも今回ご迷惑をかけたお詫びに何か償えることがあれば…！」 ここで何もしなければ私も葉山先輩と同じ恥知らずになる。 それだけは嫌です。 先輩には恩があります。 それなのにこんな葉山先輩に利用されただけなんて… だからこのままで終わらせたくはない…！ 三浦「だったら生徒会に入らない？ まだ人手不足だしアンタなら30人の推薦人くらいすぐに集められるっしょ？」 八幡「おい待て待て！ 一色は生徒会に入るのが嫌だから俺が代わりに会長やってんだぞ！？」 海老名「でもいろはちゃんが嫌だったのは生徒会長になることだよね。 役職が生徒会長でなければ大丈夫じゃないのかな。いろはちゃんはどうなの？」 いろは「1年生に生徒会長はさすがに荷が重すぎましたからそれ以外なら… それにこんなことがあったからもう葉山先輩のいるサッカー部にはいられませんよ。」 少女A「確かにそうかも… むしろ生徒会に入れた方が一色さんを守ってあげられるんじゃないかな？」 先輩は少し考え込んでいたけど御三方の意見を聞き私の生徒会入りを決断しました。 もっとも推薦人を集めるのはこれからだけど私なら楽勝です！ 八幡「なんだか妙なことになっちまったけど、一色はこれでいいのか？」 いろは「はい。むしろこの方が都合いいかも…！ そんなわけなのでこれからよろしくお願いしますね先輩！じゃなくて会長！」 八幡「あぁ、よろしく。一色…じゃなくて…いろは…」 え…？ いきなり名前呼び…？ すいません。いきなりはきついです！勘違いしないでください！ 先輩は慌ててこれは三浦先輩がみんなのことを名前で呼べって言うから仕方なく？ そんな言い訳は見苦しいですよ。私に気があるならあるとハッキリ言うべきです！ あれ？何故か副会長さんの視線が恐いんですけど…私…何かしましたか…？ 一色いろはの場合　 End [newpage] [chapter:<比企谷小町の場合>] 『そんなわけだからよろしくね小町ちゃん！』 『あなたが頼りなの。お願いできるかしら。』 小町「了解です！小町におまかせください！」 小町は嬉々としながら携帯である二人と話をしていた。 相手は雪乃さんと結衣さんのお二人。 その話の内容はどうやらここ最近のお兄ちゃんとの不仲にあるらしい。 『修学旅行の後…ヒッキーと仲が悪くなって…』 『小町さんに比企谷くんをなんとか説得してほしいの。』 それが雪乃さんと結衣さんの頼みだった。 実は小町もお兄ちゃんが修学旅行から帰ってきて以来、不仲になっている。 これはいい機会だ。 お兄ちゃんをとっちめて二人に謝らせてついでに小町にも謝ってもらおう。 そんなわけで早速お兄ちゃんに連絡をすることにしたんだけど… 携帯に出たお兄ちゃんからは意外な返事が返ってきた。 『実は俺も小町に話がある。今日は紹介したいヤツを連れて行くから待っていてくれ。』 え～と…今の聞き違いかな…？ お兄ちゃんが家に誰かを連れてくる…？ この15年間、小町はお兄ちゃんとずっと一緒にいるけど、 お兄ちゃんが誰かを家に連れてきたことは一度としてなかったよね。 それが…いきなり…？ マジで…！？ 八幡「ただいま。小町いるか～？」 おっと…！ そんなことを考えているうちにお兄ちゃんが帰ってきちゃった。 小町は急いで玄関で出迎えるとそこにいたのは… [newpage] 少女A「小町ちゃんだよね。初めまして。」 小町「お…女の人…お兄ちゃんこの人は何なの…？」 玄関の前にお兄ちゃんと一緒に現れたのは一人の女の人だった。 その人は雪乃さんでも結衣さんでも大志くんのお姉さんでもない小町の知らない人だ。 そんな狼狽える小町に対してお兄ちゃんは照れ臭そうに目の前にいる女の人を紹介した。 八幡「まずは紹介させてくれ。 俺と同じ生徒会の副会長で…それで…俺の…彼女なんだ…」 少女A「初めまして、八幡とお付き合いさせてもらっています。」 え…今なんて言った…？ かかかかかか彼女…！？ なんですとぉぉぉぉぉぉ！？ 小町「とりあえず…上がってください…」 少女A「ありがとう。それにしてもここが八幡のお家なんだ。なんだか緊張しちゃうね。」 八幡「そんなに畏まるなよ。大した家じゃないからな。」 小町「それで一体どういうことなの！ちゃんと説明してちょうだい！？」 それからお兄ちゃんはここ最近の出来事を小町に話してくれた。 まず生徒会に入り生徒会長になったこと。 そしてこの目の前にいる彼女さんと付き合いだしたこと。 どうやら二人が付き合っていることは間違いないらしい。 けれど… 小町「とりあえずお兄ちゃんが彼女さんと付き合っていることはわかったよ。 でも…それは置いといてだよ…雪乃さんたちのことはどうするつもり…？」 八幡「おい待ってくれ。どうしていきなり雪ノ下たちの話になるんだ？」 小町「だってそういうことじゃん！ お兄ちゃんは奉仕部を放り出して生徒会に逃げたんだよ！傍から見たらそう思われるよ！」 さすがに雪乃さんたちから連絡があったことはお兄ちゃんの前で言いたくはない。 一応小町は雪乃さんたちの味方だ。 こんなダメな兄と向き合ってくれた人たちだからこそ蔑ろにしたくはない。 でもお兄ちゃんは雪乃さんでも結衣さんでもない他人を家に招いている。 これは小町ポイント低いよお兄ちゃん。 少女A「小町ちゃん、まずは私から話をさせてほしいの。」 小町「少し黙ってもらえますか。私は兄に話を聞いていますから。」 少女A「悪いけどそれは無理だよ。たぶん大切な妹さんだからこそ話せないと思うから。」 八幡「いや、やっぱりこれは俺が話すべきことだろ。」 少女A「ダメだよ。こんなことあまり話していいことじゃないから…」 二人は見つめ合いながらその時のことを語り合っていた。 あの…二人とも小町がいること忘れていない…？ いきなりイチャつかれても小町ポイント上げられないよ。 でもそんなに言うならあなたの口から聞かせてもらいましょうか。 小町「そうだお兄ちゃん！せっかくお客さんがいるんだからお菓子用意しないと！」 八幡「お菓子って…家に何かあったか？」 小町「たぶんお客さまに出すようなお菓子はないと思うよ。 だから今度駅前に出来た新しいケーキ屋さんで美味しいのを買ってきて！すぐ行ってね！」 八幡「しゃーない。わかったよ。」 私のお願いを聞き入れたお兄ちゃんはそのままお菓子を買いに行った。 これでお兄ちゃんは遠ざけることができました。 さてと、ここからは女同士の話し合いですよ。 お兄ちゃんにとって都合の悪い話を全部聞かせてもらいますからね。 [newpage] 少女A「小町ちゃんって意外と策士だね。」 小町「えへへ～♪ これでも学校じゃ生徒会長やってますから！空気の読み方もバッチリです！」 少女A「それならこれで八幡があなたに言えないことを遠慮なく話せるね。」 小町「でも勘違いしないでください。 小町はまだあなたのことを信じてはいません。 いきなり現れたあなたが、 雪乃さんたちを差し置いてお兄ちゃんの彼女になるとかどうなっているんですか？」 少女A「随分と警戒されているね。 わかった、この数日に八幡の周りで起こったことを包み隠さずに全部話すね。」 それからこの彼女さんはお兄ちゃんの周りで起きた出来事を話してくれた。 それは今から数日前、お兄ちゃんが…なんと学校で自殺未遂を起こそうとしたことだった。 え…ちょっと待って！自殺未遂…？ 何それ…小町知らない…？ どういうことなの…？ 少女A「あの日、私は八幡に告白をしようとした。 けどそこへ雪ノ下さんたちが現れて彼女たちが八幡へ嘘の告白をしたの。 何であの二人がそんなことをしたのか理由はわからない。 まあそんなことはどうでもいいけどその後が大変だったの…」 少女A「これは八幡が、 小町ちゃんを心配させたくなかったから言わなかったことかもしれないけど… あの後、八幡はたぶん雪ノ下さんたちに拒絶されて飛び降り自殺しようとしたの。」 小町「飛び降り自殺…！？」 小町は彼女さんの話を聞いて驚かずにはいられなかった。 飛び降り自殺ってどういうこと…？ 小町は何も聞いてないよ…！ ていうか雪乃さんたち… さっきまで連絡していたけど何でこんな大事なことを話してくれなかったの！？ 小町「でもどうして自殺を思いとどまったの…？雪乃さんたちが止めてくれたから？」 少女A「それは…止めたのは私だよ… あの時、雪ノ下さんたちはただ呆然と比企谷くんを見ていただけ。 たぶん恐かったんだと思うけどあの二人は止めようともしなかったよ。」 さっきの雪乃さんたちの連絡だと修学旅行からお兄ちゃんと仲が悪くなったって… 小町は事情を知るためにもう少しお兄ちゃんに質問を続けてみた。 小町「もうひとつ聞きたいことがあります。 お兄ちゃんが小町と仲悪くなったのは修学旅行からでした。 あの時、雪乃さんたちと何かあったんじゃないかと思いますけど何か知りませんか？」 少女A「うん、知っているよ。たぶんショックを受けるけどそれでも聞きたい？」 小町は覚悟を決めてコクッと頷きながら彼女さんの話を聞いた。 それからは驚きの連続だった。 夏の林間学校で出会った葉山さんが、 自分では解決できないグループ内の恋愛事の相談を押し付けていたらしい。 そのせいで奉仕部は不仲となりそして小町とお兄ちゃんの間も… これは…酷いよ… みんな小町のお兄ちゃんをなんだと思っているの…！？ でも小町にとってそれよりも気になることがあった。 小町「それで…その時…雪乃さんたちは何をしていたんですか？」 少女A「これは私の憶測だけど…たぶんあの二人は何もしていなかったと思う…」 小町「それはどうしてですか？」 少女A「私はその場にいなかったから直接は知らない。 でも八幡のことだから雪ノ下さんたちを巻き込みたくはなかったはずだよ。 それでもあの二人は…」 小町「小町も一応気づいていたけど雪乃さんたちはお兄ちゃんのことが好きなはずです。 それなのに嘘告白なんて目の当たりにしたらお兄ちゃんのことを軽蔑しちゃいますよね。」 小町のその回答に彼女さんは小さな声で「そうだね」と答えてくれた。 まったく…お兄ちゃんたら… こういうことはもっとちゃんと雪乃さんたちに伝えておくべきなんだよ。 少なくとも小町がその場にいたらフォローくらいしてあげたのに… あの二人は面倒な性格なんだから、 お兄ちゃんはそのことをキチンとわかってあげなきゃいけないんだよ。 けどそれでも言ってやりたい。 小町「それで二人はお兄ちゃんのことを…」 少女A「この前、問い詰めた時に一時は見離したと言っていたよ。 でもあの時の八幡はとてもつらそうな顔をしていた。 今思えばそれは信じていた人たちに見捨てられたからなんだよね。」 小町「たぶんお兄ちゃんは信じていたんでしょうね。 雪乃さんたちに自分がやったことをわかってもらえるんじゃないかって。 でも結果はちがったみたいだけど…」 少女A「それは八幡の一方的な身勝手だったのかもしれない。 確かに自分一人で背負い込んだ八幡にも問題があったかもしれないね。 それでも… 何もせずにいたあの二人に八幡を否定する権利はなかったはずだと私は思っているの。」 その彼女さんの言葉には怒りが篭っていた。 小町は思った。 この人は雪乃さんたちに怒りを抱いている。 お兄ちゃんのやったことを何も理解もせずに拒絶したから… まさか小町以外にここまでお兄ちゃんを愛してくれる人が現れるなんて思わなかった。 もしかしてこの人なら本当にお兄ちゃんと… そう思った時だった。 小町の携帯に連絡が入った。 それはなんと… 『もしもし、小町ちゃん？ヒッキー帰ってきてる？』 『彼に私たちのことを話してくれたか聞きたいのだけど…』 小町「あ…あの…その…」 なんて酷いタイミングなのかと小町は思わず目眩がしたよ。 連絡してきた相手は雪乃さんと結衣さんだ。 そして小町の目の前にいるのはお兄ちゃんの彼女さん。 え～と…今の小町の状態ってまさに板挟み…？ 『小町ちゃん、ヒッキーに私たちのことちゃんと言ってくれた？』 『あなたから彼に謝罪させてほしいの。そうすれば私たちもそれに応じるつもりよ。』 小町「そ…その…」 少女A「小町ちゃんどうかしたの？」 小町「な…なんでもありません…ご心配なく…」 これはまずい展開になってしまったよ。 もしここで下手な対応をしたらどうなることか… 間違いなくどちらかに恨まれちゃう…ていうか最悪の場合は両方に…！ 小町は傍観者を決め込んでいるのに…どうしてこんなことに…！？ しかもこんな時に限ってお兄ちゃんはいない。 あぁ…そうだった…小町がお使い頼んじゃったんだよね… なので小町は心の中でこう叫んでいます。 [newpage] 「　「お兄ちゃん！助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ！！？？？」　」 [newpage] 『小町さん聞いているの？』 『ねえ小町ちゃん？返事して？』 少女A「小町さん顔色悪いけど大丈夫なの？」 小町「あ…あぁ…」 何この罰ゲーム…？ 小町はたった15年の人生でいきなり岐路に立たされているよ。 ていうかちょっと待って。 この目の前にいる彼女さんはお兄ちゃんが被害者だと言っているよね。 そして携帯の向こう側にいる雪乃さんと結衣さんはお兄ちゃんが悪いと… この二つの異なる主張はどちらが正しいのかという疑問にぶつかってしまう。 勿論小町はお兄ちゃんの味方だ。 出来ればこの彼女さんが言うことを信じてあげたい。 でも雪乃さんと結衣さんだってお兄ちゃんを通じて親しい間柄になっている。 どうしたらいいんだろう。 小町はどっちを信じたらいい…？ 少女A「ねぇ、小町ちゃん。もしかして雪ノ下さんたちから連絡が来ているの？」 小町「え…それは…その…」 嘘…バレた…？ この人勘が鋭すぎ！ちょっと怖いんだけど！？ 少女A「それであの人たちは悪いのは八幡の方だとでも言っているのかな？」 小町「アハハ…」 恐っ！何なの！？ とりあえず愛想笑いで誤魔化しているけど本当に勘が鋭いよ。 こうなったら下手に隠すよりも打ち明けた方がいいかもしれない。 そう判断した小町はこの彼女さんに、 雪乃さんと結衣さんが小町を頼ってお兄ちゃんとの関係の修復を試みていることを話した。 少女A「そう、やっぱりあの二人はここでも他人任せなんだ。」 小町「それは仕方ないと思います。 兄は気難しい性格だし雪乃さんたちだって素直じゃないですからね。 小町が仲介でもしないとあの三人が仲直りなんて無理ですよ。」 少女A「仲直りか。 そういうのは普通相手の前で直に言うべきことだと思うんだけどな。 それで小町ちゃんは一体誰の味方なの？雪ノ下さんと由比ヶ浜さんたち？それとも…」 小町「勿論小町はお兄ちゃんの味方です。それは何があっても変わりませんよ！」 小町はきっぱりとそう答える。 その答えに彼女さんは何故か安堵した表情を浮かべていた。 少女A「そう、あなたがそう言ってくれてよかった。 八幡は孤独のぼっちだって言ってるけどちゃんとわかってくれる人がいるんだね。 それなら改めて言うね。私がさっき話したことは全部事実だよ。」 小町「でも…それをどうやって信じろと言うんですか…？ 悪いですけど小町は今日会ったばかりのあなたより雪乃さんたちの方を信頼しています。 こればかりはさすがに…」 少女A「小町ちゃんの言う通りだね。 いきなり会ったばかりの私のことを信じてほしいというのは無理だとわかってる。 でもそれなら八幡のことを信じてほしいの。」 小町「お兄ちゃんのことを…？」 少女A「そうだよ。小町ちゃんは八幡のことを信じているんだよね。 それなら八幡を信じているあなたが、 もう一度雪ノ下さんたちが言っていることを聞いてほしい。 それでどちらが正しいか判断して。」 彼女さんの話を聞き、小町はもう一度携帯を耳に傾けた。 すると先ほどとは異なる違和感があった。 『早く比企谷くんに謝らせて！そうすれば私たちは彼ともう一度やり直せるの！』 『そうだよ！小町ちゃん！早くヒッキーの声を聞かせて！』 何だろこの人たち…？ 自分たちの勝手なことばかり言ってきてるよ。 お兄ちゃんのことなんてまるで心配していない… 嫌だ…何かわからないけど嫌な感じがする… でも落ち着いて。まだ慌てる時間じゃない。 そして小町は気持ちを落ち着かせて二人にあることを切り出した。 [newpage] 「まずは私の質問に答えてください。」 「先日、兄は学校で自殺未遂を起こしたそうですけど雪乃さんたちはこのことを知っていましたか？」 この質問に二人は暫く黙っていた。 何でいきなり黙るの…？ さっきまであんなに饒舌だったのに…！ それからようやく返事が出された。 けれどそれは小町が望んだものじゃなかった。 『小町さん…そのことを誰から聞いたの…？』 小町「そんなことはどうだっていいじゃないですか！ 質問に対して質問で答えないで！とにかく本当なのかどうか答えてください！」 『小町ちゃんとりあえず落ち着いて！ あれはね…事故だったの！ヒッキーに間違って伝わっちゃっみたいで…』 『そうね、彼はそれを勘違いしてしまったの。 だからその件について彼の誤解を解かなければいけないのよ。』 何なのこの人たち… お兄ちゃんが死ぬかもしれなかったのにそれを間違いだの勘違いで済ませようとする。 小町はこんな身勝手な人たちに大切なお兄ちゃんを委ねようとしていたの？ 冗談じゃない。お断りだよ！ 小町「ごめんなさい。 雪乃さんたちがそういう態度なら小町はもう協力することは出来ません！」 『待って小町さん！あなたが仲介に入れば私たちだってそれに応じることが…！』 小町「何が仲介ですか！ 大体謝罪させるってどういう意味なの！本来謝るのは雪乃さんたちでしょ！？」 『でも…私たち…ヒッキーと仲直りしたいの。これは本当なんだよ！』 小町「だったらまずは自分たちで何とかしてください！小町を頼らないで！」 小町は声を荒らげながら携帯を切った。 それから何度も雪乃さんや結衣さんの着信が入ったが面倒くさいので全て着信拒否にした。 これ以上こんな馬鹿げた相談に付き合うつもりはないんだよ。 小町「え～と…まずは疑ってごめんなさい…」 少女A「謝ることはないよ。 小町ちゃんにしてみれば初対面の私のことを信用できないのは当然だからね。」 小町「でも…お兄ちゃんはあなたを信用しているから家に招いたんです。 それなら小町もあなたのことを最初から信用するべきでした。 だから…」 そう、今までお兄ちゃんは他人を家に招いたことはない。 あの雪乃さんや結衣さんだってちゃんと家に招いたことがなかったくらいだ。 それを考えれば、 この人がどれだけお兄ちゃんに信頼されているのか最初からわかるはずなのに… そんな風に小町が反省している時だった。 お兄ちゃんがようやく帰ってきた。 [newpage] 八幡「おい二人とも帰ったぞ。ほれケーキだ。」 小町「あ…お兄ちゃんお帰り。」 少女A「八幡遅かったね。何かあったの？」 八幡「いんや、女同士積もる話があるかなと思って気を利かせていただけだ。」 いやいや…そこはむしろ妹のためを思ってもっと早く帰ってきてよ！ お兄ちゃんがいない間、小町は未だかつてない修羅場を体験してたんだからね！ 本当感謝してよ！今回のことで小町ポイント大幅に消費してるよ！？ 八幡「さてとケーキを食べる前にだ。小町に言いたいことがある。」 小町「いきなり改まってどうしたの…？」 八幡「すまなかった。 修学旅行から帰ってきてから俺のせいでお前にまで迷惑かけちまって…」 お兄ちゃんは小町に対して深々と謝ってくれた。 ダメだよお兄ちゃん。 本当に謝るのは…小町の方だよ… 小町「そんなことないよ。 小町だって勝手に悪いのはお兄ちゃんだって決めつけちゃったから…」 八幡「いや、何があったとしても千葉の兄が妹に八つ当たりなんてカッコ悪いだろ。 悪いのは兄ちゃんだ。小町が謝る必要なんてねえよ。」 小町「お兄ちゃん…ありがとう…それとごめんね…」 お兄ちゃんは涙ぐんでいる小町の頭をそっと撫でてくれた。 本当につらいのはお兄ちゃんの方なのにね… ごめんねお兄ちゃん。 小町がもっとしっかりしていたら雪乃さんたちの話に騙されたりはしなかったのに… それから三人でケーキを食べて楽しいひと時を過ごした。 そして日が暮れて彼女さんが帰る時間になった。 少女A「八幡、小町ちゃん、今日はお家に招いてくれてありがとう。」 八幡「それじゃあ俺はこいつを送ってくからな。留守番頼んだぞ。」 小町「大丈夫だって！それよりお兄ちゃんこそ彼女さんをしっかり守ってあげるんだよ！」 お兄ちゃんは彼女さんを家まで送ることになった。 彼女さんを大切にしているのはポイント高いけどその反面、 あのゴミィちゃんが巣立つのは寂しいという気持ちがあり妹としては複雑な心境だよ。 でもこの人なら信じられる。 だってこの人はお兄ちゃんのことを本当に愛しているから…！ 小町「それじゃあバイバイお義姉ちゃん。」 少女A「お義姉ちゃんって…もしかして私のこと…？」 小町「はい。もう小町のお義姉ちゃん候補はあなたに決定です！ こんな頼りない兄ですが、どうかこれからもよろしくお願いします！」 少女A「うん、ありがとう小町ちゃん。」 どうやらお兄ちゃんは心から信じられる人を見つけたみたいだ。 さてと、彼女さんも帰ったことだし… 小町は携帯を取り出してある二件のアドレスを出した。 そのアドレスの登録名は雪乃さんと結衣さん。 今では名前を聞いただけで嫌悪感すらある二人だ。 それから淡々と携帯を操作して削除画面を出した。 [newpage] 　 [雪ノ下雪乃]　[由比ヶ浜結衣] [削除しますか？] [はい]　[いいえ] 小町は[はい]を選択してこの二件のアドレスを削除した。 もう候補は必要ない。 そう、お兄ちゃんを傷つけるようなお義姉ちゃん候補なんて… 小町にも…それにお兄ちゃんにも必要ないよね… そうだよね。お兄ちゃん…？ <比企谷小町の場合> end [newpage] [chapter:<相模南の場合>] 「ごめん…なさい…」 「うちは…文化祭の役割を放棄して…」 「逃げ出してしまい…比企谷くんにその責任を擦り付けてしまいました…」 それは今から数日前の出来事だった。 うちは葉山くんに付き添われて2-Fのクラスのみんなの前で自分の失態を謝罪している。 泣きべそをかきながら…みっともなく… そんなうちは頭を下げながらある方向を見た。 それはうちが謝罪しなければならない相手である比企谷八幡の席だ。 けどあいつはいない。 後で聞いた話だがあいつはこの日に限って寝坊して遅刻したらしい。 何…それ… うちがここまでしたのに…あいつはどこまでうちをムカつかせるの…！ そして現在――― ゆっこ「それでさぁ…」 遥「嘘！マジで！」 休み時間、うちは教室を見回していた。 うちと仲のよかったゆっこと遥… あの二人はうちを無視して話をしている。 いや、ゆっこたちだけじゃなく誰もうちと関わろうとはしてくれない。 クラスでの上位カーストだったうちは気づけば最下層まで落ちた。 その反面、あいつはどうだろうか。 戸塚「ねえ八幡。この頃忙しそうだけど大丈夫？」 八幡「心配してくれて悪いな戸塚。でも大丈夫だからな。」 沙希「別に心配しちゃいないけどさ… けーちゃんがアンタに会いたいって言ってるから今度暇なら相手してあげてくんない？ 勿論私も一緒だけど…」 八幡「あぁ…わかったけど…お前相変わらずシスコンだな…」 材木座「八幡～！最近部室へ行ってもお主がおらぬから怖くて行けぬのだ～！？」 八幡「わかったから抱きつくな！今度から新作は直接俺のとこに持って来い！」 あいつ、比企谷の周りは変わった。 以前みたく一人じゃなくなってきている。 前からあいつと親しい戸塚くんに川崎さん。それに変なデブがあいつに話しかけてくる。 でもそれだけじゃない。 あいつは生徒会に入ったらしくそのせいでまた新しい人たちが加わったらしい。 優美子「ハチオ、さっさと生徒会室に行くし！」 海老名「ハッチーは目を離すとすぐにサボっちゃうんだからね。」 いろは「先輩～！可愛い後輩が迎えに来てあげましたよ～！」 八幡「優美子、姫菜、それにいろはまで…お前らそんなに俺が信用ならないのかよ？」 少女A「みんな八幡のことを心配しているんだよ。早く行きましょう。」 戸部「比企谷くん生徒会頑張ってんべな！でも海老名さんに手出さないでくれよ！」 八幡「戸部安心しろ。これでも俺は一応彼女持ちだからそんなことはしねえよ。」 うちを貶めたあの女と三浦さんたちが比企谷の新しい取り巻きになっている。 正直妬ましい。 あんなことさえなければうちと比企谷の立場は逆だったはずなのに… そんなことを思っていた時だった。 葉山「相模さんちょっと話があるんだけどいいかな。」 相模「葉山くん…どうしたの…？」 葉山くんに声をかけられた。 葉山くんがうちに声をかけてくれるのはクラスのみんなの前で一緒に謝罪して以来だった。 それにしても葉山くんの目つきだけど…なんだか妙に険しくなっている。 そういえばうちも噂で聞いたけど葉山くんのグループは解散してしまったらしい。 もしかしてそれが影響しているんじゃ…？ 相模「それで…話って何なの…？」 葉山「そのことについてだけどまずは聞いておきたいことがあるんだ。 相模さんは文化祭での汚名を返上したいとは思わないかい？」 相模「文化祭…」 葉山くんの話に思わずうちは動揺した。 文化祭といえばうちがこんなことになった原因でもある。 その汚名を今更どうやって返上しろっていうの…？ 相模「無理だよ。そんなことできるわけないじゃん… うちのせいであんなことになっちゃったわけだし今更どうしろっていうの…」 葉山「大丈夫、方法はある。それは生徒会だよ。」 相模「生徒会…？」 葉山くんの提案にうちは思わず首を傾げた。 だって生徒会はもうみんな決まっているはずだよね。 確か比企谷が会長やっているし、それに三浦さんたちも役員に…？ けど葉山くんはうちの疑問に答える前にうちを連れてある場所へと向かった。 そこは… [newpage] 生徒会室――― 葉山「失礼するよ。ヒキタニはいないみたいだね。」 少女A「八幡は所要があるので遅れてくるそうです。ところで…」 三浦「隼人…アンタ何しに来たし！」 いろは「先輩に謝りに来たってわけじゃないみたいですね。」 海老名「それに相模さんもいるしこれはどういうことかな？」 葉山くんに連れられて来たのはなんと生徒会室だった。 まさかこんなところに来るなんて… 葉山くんはうちをどうする気なんだろ？ 葉山「まずひとつ質問させてほしい。そちらの生徒会役員の人数は足りているのかい？」 少女A「あなたに心配される覚えはありません。もう人数は足りています。」 海老名「あとは庶務を決めるだけだしね。」 庶務か… 確か生徒会の立場上一番下っ端に位置する役職だ。 うちならそんなのお断りだけどね。 そういえばこの前、廊下で誰かがこんな話をしているのを聞いたっけ。 『…のん…もう生徒会役員がほとんど決まっちゃったよ！』 『…ヶ浜さん…落ち着いて…あと残っている役職は庶務だけね。』 『こうなったら私たちで庶務に立候補しようよ！』 『そうね。この際贅沢を言っていられないわ。』 そんな会話がうちの耳に入っていた。 誰が話していたのか知らないけど下っ端の庶務に成りたがる物好きがいるなんて驚きだ。 その人たちに庶務をやってもらえばいいのに… 葉山「今の生徒会の状況は把握できたよ。それでは俺たちがここへ来た要件を言おう。」 少女A「また…八幡に対する嫌がらせならお断りですけど…」 葉山「そんな話じゃないよ。俺はこの相模さんを生徒会長に推薦しようと思っている！」 この葉山くんの発言に思わずうちは… いや、うちだけじゃない。 この場にいる全員が驚いた！ うちを生徒会長に推薦だなんて葉山くんは何を考えているの！？ 三浦「待つし！もう会長はハチオで決まってるじゃん！」 海老名「そうだよ。これはちゃんと選挙で決まったことなんだよ！」 いろは「それを今更変更だなんていくら葉山先輩でも出来るわけがありません！」 少女A「葉山くん！あなた自分が何を言っているのかわかっているの！？」 この場にいる誰もが声を上げて反論してきた。 まあ当然だよね。 うちだって突然のことに驚いてるし… それにうちを生徒会長に推薦するってどうする気なの…？ 葉山「確かにヒキタニは選挙で生徒会長になった。けどそれは正しい結果だったかい？」 少女A「勿論です！ちゃんとみんなから推薦されましたから！」 葉山「だが俺が調べた限りだと、 ヒキタニを推薦したのは城廻先輩とそれに彼女と親しい人たちだった。 つまりヒキタニはみんなからの信頼を得て推薦されたわけではないはずだよね。」 葉山くんの話にみんなが押し黙った。 どうやら葉山くんが調べた話によると、 比企谷は城廻先輩の力添えで生徒会長になれたそうだ。 まあそうでもなければあいつが生徒会長になれるはずもないかとうちは思わず納得した。 [newpage] 少女A「確かに八幡が生徒会長になれたのは城廻先輩の力添えがあったからです。 その事実は認めます。けどそれでも八幡が生徒会長になれた手順に不正はありませんよ！」 葉山「なるほど、不正はなかったかもしれないね。 だがヒキタニは本当に自分から生徒会長に立候補したのかな？ いろは、キミになら俺が言っていることに心当たりがあるはずだよね。」 いろは「それは…」 葉山「以前キミは俺の前でこんな愚痴をこぼしていた。 クラスのみんなに無理やり生徒会長に立候補させられてしまったと… つまりヒキタニは自分で立候補したわけじゃない。 いろはの身代わりになったにしか過ぎないんじゃないのかな。」 葉山くんは次々と比企谷の追及を始めた。 それに対して誰も反論が出来ずにいる。 たぶん本当のことだから何も言えないんだろね。 そして葉山くんは最後にあることを突きつけた。 葉山「そして先日のヒキタニの自殺未遂の噂。キミたちはあれが本当だったと認めたね。」 少女A「そうです。あれは確かに事実です…」 葉山「それが事実なら尚更問題だ。比企谷に生徒会長を任せるわけにはいかないな。」 三浦「隼人…何言ってんの…？」 葉山「わからないのかな？ 自殺未遂を行うような情緒不安定な人間に生徒会長が務まるわけがない。 おまけにヒキタニは自分の意思とは無関係に生徒会長をやらされている。 俺はこの事実を踏まえて学校側に生徒会選挙のやり直しを訴えるつもりだ！」 生徒会選挙のやり直し。 その葉山くんの真意を聞かされてみんなが葉山くんとうちに敵意を向けた。 うぅ…やめてよ…そんな目で睨みつけないで… うちだってたった今こんな話を聞いたばかりなんだよ。 要件を済ませると葉山くんはうちを連れて生徒会室を出て行った。 正直寿命が縮んだ気がする…こんな修羅場二度とゴメンだ… それからうちはすぐに葉山くんに事情を説明してくれと頼んだ。 何でこんなことを？ちゃんと話してよと…！ そう尋ねると葉山くんはうちに優しくこう言ってくれた。 葉山「相模さん、これはキミのためなんだ。」 相模「うちの…ため…？」 葉山「そうだ、キミが文化祭での汚名を注ぐには生徒会長になって大任を果たせばいい。 そうすれば周りのみんなもキミの活躍を評価して見直してくれるはずだよ！」 相模「でも…うちに会長なんて務まるわけが…」 葉山「それなら大丈夫、俺も生徒会に入る！副会長になってキミを支えてあげるよ！」 葉山くんがうちを支えてくれる。 その言葉に優しさを感じたうちは即答で了承した。 またやり直せるチャンスを用意してくれた。 そう思ったけど… 相模「でも…他の立候補者とかどうするの… 三浦さんたちは…うちと葉山くんに思いっきり敵意剥き出しだよ…？」 葉山「その点については問題ない。 俺に考えがある。ある人たちに声を掛けていてね。ようやくいい返事をもらえたんだ。」 相模「そっか！さすがは葉山くんだね！」 葉山くんはうちの不安を全部取り除いてくれた。 あの人気者の葉山くんと生徒会で活躍できて、 おまけに文化祭での失敗もここでやり直すことができる。 何もかもが良い事尽くしだ。 それから葉山くんは用があるからと言ってうちと別れた。 うちはそのまま上機嫌で下校しようとしたけどそこにあいつが現れた。 そう、あいつだ。 文化祭でうちを貶して、さらにこの前の謝罪の場に姿を現さなかった比企谷がいた！ 八幡「相模…」 相模「何の用？うちはもう帰るんだけど…」 八幡「その…大事な話がある…明日の放課後に時間を作ってくれないか。」 大事な話…？ 悪いけどアンタに話すことなんて… いや、ちょうどいいかもしれない。 悪いけどアンタに代わってうちが生徒会長になるから。 それを明日、アンタの前で言ってやる。 [newpage] <<翌日>> 相模「みんな帰ったよ。それで話って何…？」 八幡「その前に待ってくれ。人を呼んでいるんだ。」 翌日の放課後。 うちと比企谷だけになった2-Fの教室である話を始めることになった。 そしてようやく比企谷が呼んだ人が来たようだ。 でも…この人って…？ [newpage] めぐり「お待たせ～！」 相模「嘘…城廻会長…！？」 めぐり「正確には元会長だけどね。今は引退して受験生やってるよ。」 八幡「城廻先輩は推薦入試だから受験関係ないっすよね？」 現れたのはかつてうちと一緒に文実の作業に携わっていた城廻めぐり先輩だ。 まさかこの人が現れるなんて予想外だけど… つーかこの人と比企谷はうちに何の話があるわけ…？ 八幡「話を始める前にだ。相模、まずは謝らせてくれ。すまなかった。」 めぐり「私からもね。ごめんなさい。」 相模「え…いきなり…どうして…？」 それは突然だった。 最初、うちは文化祭での失態を糾弾されるかと思っていた。 けどそうじゃなかった。 比企谷と城廻先輩はなんとうちに謝ってきたからだ。 八幡「相模、この謝罪は俺たち奉仕部がお前への依頼遂行のやり方を誤ったからだ。」 相模「誤ったってどういう意味…？」 八幡「元々奉仕部ってのは雪ノ下曰く、 飢えた人に魚を与えるのではなく、魚の獲り方を教えることを理念に活動するって話だ。 だがあの時の雪ノ下のやり方は違っていた。」 めぐり「雪ノ下さんは相模さんの仕事を殆ど請け負っていたからね。」 八幡「文化祭での雪ノ下のやり方は奉仕部の理念に反していた。 その原因は相模が文化祭で…その…サボっていたのもあるが… それでも委員長の仕事を全て請け負うなんて行いはやるべきじゃなかった。」 比企谷が言いたいことはわかった。 まあ元々うちが雪ノ下さんに面倒事を押し付けていたからね。 そこは悪かったと思っている。 でもうちにだってプライドがあるんだよ。 相模「つまりアンタはこう言いたいわけ？ うちが無能でしかも足でまといだったのがいけなかった。こういうことでしょ！」 めぐり「それは言いすぎだよ。そもそもあなたに比企谷くんを責める権利はないよね。」 相模「だったらうちはどうすればよかったの！ 頭を下げて雪ノ下さんに教えてもらえばよかった？そんなの出来るわけないじゃん！？」 うちと雪ノ下さんが相性最低最悪なのはわかっている。 それに雪ノ下さんに頼んだのは他の誰でもないうち自身だ。 でもだからといって自分が無能でしたなんて認めたくないに決まってるじゃん… 八幡「確かに俺たち奉仕部は相模の感情を蔑ろにしていたかもしれないな。 見ず知らずの他人にあれこれ指図されるのはお前みたいなヤツには耐えられないだろ。」 相模「それなら…！」 八幡「だが雪ノ下は… そんなお前の仕事を殆ど補って終いには倒れてしまったんだ。 そのことに関して少しは責任を感じてくれ。」 雪ノ下さんが倒れたことはうちも知っている。 それから比企谷はスローガンの会議で悪態をついて、 文化祭の時に逃げ出したうちを罵倒した。 そして先日うちは文化祭での怠慢をみんなの前で謝罪したのに… アンタはこれ以上うちに何をしろっていうの…？ 八幡「ここまでは前置きだ。本題はここからになる。相模、お前生徒会に入らないか？」 相模「生徒会…？」 めぐり「そう、比企谷くんが会長をやっている生徒会だよ～」 いきなりのこの発言にうちは驚いている。 だってそうでしょ… うちと比企谷は未だに最悪の関係なんだよ。 それなのに何でこいつはうちを生徒会に誘うわけ？ 八幡「まあ役職はもう庶務しか残ってないんだけどな。」 相模「庶務って生徒会じゃ下っ端になるじゃん！」 めぐり「でも庶務なら推薦人もいらなくて本人の希望でなれるんだよ。」 八幡「つまり庶務なら他の役員みたく選挙せずに生徒会に入れるってわけだ。」 へぇ、そうなんだ。…ってそうじゃなくて！ 何でうちがアンタの生徒会で下っ端やらなきゃいけないわけ！？ 葉山くんはうちを生徒会長にしてくれるっていうのに…何なのこの差…？ やっぱりこいつうちに恨みがあるんじゃないの！？ 八幡「たぶん今のお前はこう思っているだろうな。 『何でうちがこんなヤツの下っ端にならなきゃいけないの！ふざけるな！』 そう思っているだろ？」 相模「フン、わかっているなら何でこんなことを…！」 めぐり「それは相模さんのためだから…」 城廻先輩が比企谷をフォローするようにそう言ってきた。 うちのため…？ 何でそうなるのかマジでわかんないんだけど！ 八幡「相模、お前はこの学校生活で残りの1年半をどう過ごすつもりだ？」 相模「どう過ごすって…それってどういう意味…？」 八幡「クラスじゃぼっちな俺だが最近お前が孤立している噂は俺だって聞いてるぞ。」 相模「余計なお世話なんだけど… クラスでのこととうちを庶務に迎え入れるのと何の関係があるわけ！？」 そもそも孤立してるのはアンタのとこの副会長の仕業だし… つーかアンタがぼっちとか何の冗談だっての！ うちが一言文句を言ってやろうかと思った時だった。 あの普段はフワフワしている城廻先輩が急に真剣な顔になった。 [newpage] めぐり「相模さん、これから厳しいことを言うよ。 もし文化祭であなたが逃げ出したままで… いえ、それよりも文実の作業が滞っていたらどうなっていたと思う？」 相模「どうなっていたって…それは…」 めぐり「はるさんが有志の申し込みに来た時、 相模さんは委員も文実を楽しまなきゃダメってはるさんの意見に同調したよね。 あの時点ではるさんの言葉に従ってしまった委員長のあなたに責任が発生していたの。 それで文実の作業に支障を来たしたわけで、 もし当日に間に合わなければ当然相模さんの責任が問われるのはわかっていたかな？」 めぐり「総武高校の文化祭は知っての通り、 在校生は勿論だけど外部の人たちも関わった催し物なの。 来客の中には地元の有力者も来ていたし将来この学校を受験する子だっていたんだよ。 それを文実の委員長が、 仕事を放り出して中止になりましたなんてことになったらとんでもないことになるね。」 めぐり「この学校始まって以来の汚点だったはずだよ。 委員長だった相模さんはこの責任を追及されていたのは勿論だけど、 その他にも文実に関わっていた先生方も処分を下されて、さらに私たち在校生だって… 全員であなたの連帯責任を取らされていたらどうなっていたかな。」 めぐり「たぶんあなたはこの学校のみんなに恨まれて二度と学校に通えなかったはずだよ。」 城廻先輩はこれまでにないほど真剣な話をうちに語ってきた。 それを聞いてうちの心に重圧が伸し掛かる。 うちは軽い気持ちで文実の委員長に立候補した。 それは勿論、葉山くんやみんなにカッコいいとこを見てもらいたかったから… でも現実はそう簡単にはいかなかった。 雪ノ下さんに活躍を全部奪われて…うちは逃げ出した… それだけじゃなく雪ノ下さんや比企谷がいなければ、 うちがどうなっていたのか城廻先輩から淡々と説明されて急に怯え出してしまった。 自分がここまで小心者だったなんて我ながら嫌気がするよ… 八幡「今の城廻先輩の話は厳しかったかもしれないが、 これが組織の上に立つ人間が負わなければならない責任ってヤツだ。 こんなことはどこでも同じだ。文実は勿論だが生徒会役員でもな。」 八幡「相模、お前は焦りすぎたんだ。 今までお前は責任ある職務をこなしたことがなかったはずだろ。 会社で例えるなら平社員がいきなり社長やらされたようなもんだ。」 相模「それは…」 八幡「だがあの文実ではお前を完璧にフォロー出来る体制は整っていた。 副委員長の雪ノ下に生徒会長の城廻先輩、 ついでに俺もだがまあお前が仕事を放棄さえしなければ間違いなく順調に行われたはずだ。 それを雪ノ下さんの一言があったからとはいえ仕事を丸投げされたら、 いくら俺たちでもそれをフォローすることは出来ない。そのくらいはわかってほしかった。」 相模「…」 比企谷はあの屋上の時とちがって丁寧にうちのことを指摘してくる。 全部正論だ。 うちに反論する隙を与えてくれない。 八幡「さて、このことを踏まえた上で相模に庶務をやってもらう件について改めて言うぞ。 文実の件でお前は周りから孤立しちまったよな。 この状態は恐らくお前が卒業するまでずっと続くはずだぞ。」 相模「そんな…こんなことみんなすぐに忘れるでしょ！？」 八幡「そう簡単に忘れてくれればいいがな。 信頼ってのは得るまでが大変だが失くすのはあっという間だぞ。 しかもタチが悪いことに悪評の方は中々消えないんだよ。ちなみにソースは俺自身な。」 めぐり「つまり相模さんが卒業するまでの残り一年半、 ずっとこの状態が続いちゃうかもしれないってことになるわけだね。」 うちが卒業するまでこの状態が続く。 それを聞いて思わず寒気がした。 うちはこんなのどうせあと一ヶ月もしたらみんな忘れてくれるはずだと思っていたからだ。 それがこれから先もずっと続くなんて… 今みたく…これまで仲のよかったゆっこや遥と疎遠の状態がこれからもずっと… 嫌だ…そんなの絶対嫌だ… でも大丈夫だよね。 うちには葉山くんがいるし… 葉山くんがうちを生徒会長にしてくれればうちの信頼は取り戻せるはずだよ。 そうだよね…信じていいんだよね…？ 八幡「相模、俺はお前がぼっちになることに耐えられるとは思えない。 このままだとお前は近いうちに不登校かもしくは転校するかで学校を離れるかもな。」 相模「もしそうなったとしても…アンタには関係ないじゃん…」 八幡「確かにこうなっちまった原因の大半がお前にある。 けどお前の依頼を受けたのは俺たち奉仕部だ。 俺は文実でのお前の依頼である、 『文化祭を成功させて自分自身を成長させたい』 これをまだ達成出来ていないと思っている。」 めぐり「私も生徒会長なのにあなたのことを放置してしまったからね。 こうなってしまった一端は私にもある。 だからあなたにもう一度機会を与えたいと思っているの。」 うちに機会を与えたいのはわかったよ。 でもそれと比企谷の生徒会に入るのと何の関係があるわけ？ そこがうちにはわからなかった。 八幡「それで失った信頼をどう取り戻すか。 それにはやはり面倒かもしれないが自分からもう一度行動しなきゃならない。」 相模「だからアンタの生徒会に入れってことになるわけ？」 八幡「そうだ、けど今度はいきなり責任のある立場になれってわけじゃない。 もう一度最初からやり直せばいい。俺たちはまだ学生なんだ。 失敗してもそれが許されるんだ。この一回で躓くこともないだろ。」 相模「でもうちは…」 八幡「勿論これはお前が引き受けたらの話だ。 奉仕部の理念は飢えた人に魚を与えるんじゃなくて魚の取り方を教える。 この話を受け入れるかどうかは相模次第になる。 だから俺たちはお前に強制はしない。 もしも他に何かいい方法があるならそっちを選択したっていい。」 相模「それで…うちの信頼は取り戻せるの…？」 八幡「それはなんとも言えないな。全ては相模次第だ。 そもそも他人の信頼ってのはそんな簡単に得られるもんじゃない。 もしかしたら無意味な結果に終わるかもしれない。 だがこのまま何もしなければぼっちになるのだけは確実だと言っておくぞ。」 今の話を聞いてうちは思った。 比企谷が提案した話はうちを貶めるようなものじゃないことだけはわかった。 こいつなりにうちを助けようとしてくれる。 でも…うちにはわからない… [newpage] 相模「何で…アンタは何でこんな話をうちにするわけ…？ 文化祭の後でうちはアンタの悪評を広めたんだよ！普通は恨んだりするはずじゃん！ それなのに何でこんなことをするの！？」 八幡「何でってそれは… 確かに奉仕部としての依頼が中途半端だったというのはあるが、 それ以上に俺はお前以上に独りでいることのつらさを知っているからだ。」 相模「独りでいることのつらさ…？」 八幡「俺は…まあ…この腐った目のせいで他人から疎まれてばかりいる。 そんな俺はいつの間にかぼっちでいることが当然のように思えた。 だからいつも独り、親しいヤツなんてこれまでろくに現れなかったよ。」 八幡「だが相模はちがう。お前は生粋のぼっちじゃない。 俺はこれまでぼっちだからこそ耐えられたがお前にはそんなこと無理なはずだ。 お前は訓練されたぼっちじゃないからな。」 ぼっちって… 最近のアンタはどう見てもリア充そのものなんだけど…！ そうツッコミたかったけど今は敢えて言わないでおこう。 それからあいつは最後にこう言ってくれた。 八幡「相模も噂で聞いたかもしれないが、俺はこの前の修学旅行でまたやらかしてな。」 八幡「今まで親しかったヤツらに見捨てられてこの前まで本当の意味でぼっちだった。」 八幡「けどそんな俺でも今では一緒に居てくれるヤツらがいる。」 八幡「相模、人間誰だってやり直せる機会はあっていいはずだ。」 八幡「俺はお前に選択肢を与えることしかできない。だがこれだけは言わせてくれ。」 八幡「以前みたくお前を直接助けすることはできない。」 八幡「だがお前がもう一度踏み出す勇気があるならそれを一緒に支えてやりたい。」 八幡「これが俺から伝えたいことだ。」 それが比企谷の話だった。 直接助けることはできないだの、 一緒に支えてやりたいだのよくわからないしちがいもわからないんだけど…？ 葉山くんみたいにもっとカッコよく俺が守ってやるよくらい言ってみたらいいのに。 まあそこは比企谷だから期待しないけどさ… でもこいつの言いたいことはわかった。 今の話に比企谷はうちに対して悪意を抱いていない。 むしろ本気でうちのためにやってくれるという意思を感じる。 でもうちには葉山くんがいる。 葉山くんを裏切ることなんて出来ないし、それに彼の言葉の方が魅力的だ。 でも今の比企谷の話を聞いてうちは何か言葉では表せない想いに駆られていた。 何だろこれ…？ そんな時だ。携帯に葉山くんからの連絡があった。 [newpage] 『相模さん、今どこにいるんだい？』 相模「あ、今は比企谷に城廻先輩と一緒にいるんだけど…」 うちに連絡してきた葉山くんは今の状況を聞いて、 これは好都合だと言って生徒会室へ比企谷と城廻先輩を連れてくるように指示してきた。 その話を聞いて比企谷たちも葉山くんに言われた通りに生徒会室へ向かったんだけど… [newpage] 生徒会室――― 葉山「やぁ、待っていたよ。」 少女A「八幡！大変なの！」 三浦「隼人が…アンタを生徒会長から外したいって言ってきて…」 いろは「それだけじゃなく…葉山先輩は他にも私たち以外の立候補者を連れてきて…」 海老名「その人たちが…ハッチも知っている…あの…」 八幡「嘘だろ…お前らは…何でここに…！？」 生徒会室で待っていたのは比企谷の生徒会メンバーと葉山くん。 それに他にも先日葉山くんが声をかけたという人たちがいた。 それは… [newpage] 戸塚「八幡！僕たち許さないよ！」 材木座「そうだ！奉仕部の雪ノ下嬢と由比ヶ浜嬢と仲違いはよくないぞ！」 沙希「奉仕部には以前世話になったから。 葉山から事情は聞いたけどアンタのせいで奉仕部がやばいことになってるらしいね。 さすがに黙っちゃいられないよ！」 葉山「みんな新たに俺や相模さんと一緒に生徒会をやってくれる人たちだ。 俺が事情を全て伝えてあるので彼らはヒキタニが生徒会長であることを認めていない。 ヒキタニ、今度こそ観念するんだ！」 八幡「戸塚…材木座…川崎…そんな…」 昨日、葉山くんが言っていた声を掛けた人たちとは普段から比企谷と親しい連中だった。 比企谷も葉山くんがこの三人を出すなんて予想外だったみたいで強ばった顔をしている。 さっきまでうちと話していた時とは大ちがいだ。 以前のうちならこの光景を見ていい気味だと思っていたかもしれない。 でも今はちがう。 うちだってさすがにこれはやりすぎだと思う。 信じていた人たちが敵に回るなんて… 葉山くん…いくらなんでも…これは酷いよ… [newpage] 戸塚「八幡！葉山くんから聞いたけど女の子を泣かせちゃダメだよ！」 材木座「そうだぞ。 あの二人を怒らせたらどうなるかお主が一番よく知っておろう！ 特に雪ノ下嬢なんか怒らせたらガクブルなのだ！我も一緒に謝ってあげるから！なっ！」 沙希「私はまだ葉山の話に納得してないけど、 理由はどうあれ雪ノ下たちを見捨てて生徒会入りってのはあまり感心しないね。」 葉山「屋上での一件は俺が説明しておいたよ。 まだ彼らは半信半疑のようだがヒキタニが事実を認めればみんな信じるだろうね。」 誰もがこの事態に戸惑っている。 戸塚くんたちは、 比企谷が屋上で雪ノ下さんたちとトラブルがあった噂を葉山くんから説明されたらしい。 どうやらこの三人は比企谷と同じくあまり噂に疎いようで、 それに比企谷自身も心配されたくないからあの噂について話さないようにしていたんだね。 それが仇になったみたいだけど… それに戸塚くんたちの反応を見る限り、 葉山くんの口からあの噂を相当事実がねじ曲げられて伝わったらしい。 まあ部外者のうちですらこの状況に困惑している有様だ。 海老名「隼人くん！すぐにみんなの誤解を解いて！こうなったのもあなたが…！？」 葉山「俺は事実を言っただけだよ。 比企谷が奉仕部の雪ノ下さんと結衣を見捨てて生徒会に入ったとね。 こうなったのも全ては比企谷に責任があるはずじゃないかな。」 三浦「だったらあーしが説明するし！」 八幡「よせ優美子！やめておけ！」 少女A「そんな…どうして…」 反論しようとする三浦さんを止める比企谷。 普段のうちなら首を傾げるだろうけど今ならなんとなくわかる。 比企谷は葉山くんを警戒している。 今、比企谷を糾弾しているのは仲のいい戸塚くんたちだ。 たぶんここで比企谷が反論すれば戸塚くんたちは信じてくれるかもしれない。 でも葉山くんの影響力は相当だ。彼が白と言えば黒だったものですらみんな白と認める。 つまり何が言いたいかというともしもここで下手に反論したら… 今度は戸塚くんたちが葉山くんに何かされるのではと比企谷は警戒しているんだ。 めぐり「それで…葉山くんはこんなことまでして一体何がやりたいの…？」 葉山「今、見ていただいたように比企谷は生徒会長に相応しくありません。 だから俺は比企谷の生徒会長職の撤回と、 この相模さんを生徒会長に推薦することを学校側に訴えるつもりです。」 めぐり「つまり葉山くんは八幡を生徒会長の座から引きずり下ろしたいということだね。 それで相模さんに会長の座を譲れと… これはさすがに温厚な私でも無視できないよ。」 葉山「それなら俺も城廻先輩の問題を指摘しますよ。 元会長が比企谷を贔屓して会長に当選させた。これこそ由々しき問題じゃありませんか！」 めぐり「それは…でも…！」 八幡「城廻先輩やめてください！ 今先輩が問題を起こしたらどうなるかわかっているんですか！？」 葉山くんに掴みかかろうとする城廻先輩を比企谷が制した。 ここで城廻先輩が問題行動を起こせばどうなるかわかったんだろうな。 さっきチラッとだけ聞いたけど城廻先輩は受験生でしかも推薦入試を控えているんだよね。 そんな城廻先輩がこの時期に問題行動を起こせば推薦は取り消し。 これまでの三年間が無駄になるわけだし。 めぐり「葉山くんの…言いたいことはわかったよ… でも生徒会役員は7人、そっちはあと2人足りないけどそれは決まっているの？」 葉山「残りの役員には雪ノ下さんと結衣に入ってもらう予定です。」 相模「雪ノ下さんと結衣ちゃんを…！？」 残りの生徒会役員の立候補者があの二人なんて… そんな…冗談でしょ…？ 八幡「その話は…もう雪ノ下たちにはすませたのか…？」 葉山「いや、まだだ。 だが雪ノ下さんたちなら、 比企谷以上の人望と能力が備わっているだろうし立派にやり遂げてくれるはずだよ。」 相模「でも…葉山くん…雪ノ下さんたちとは…」 葉山「大丈夫、今度は俺がついている。 文化祭と同じようなことにはならないよ。 それにいい機会じゃないか。これを機に彼女たちとの仲を改善すればいい。」 葉山くんは不安がるうちを優しくなだめてくれる。 けどそれだけでうちの不安はなくなることはない。 だって今のうちと雪ノ下さんとじゃ… 戸塚「八幡、葉山くんが言ってたよ。 八幡は無理やり生徒会をやらされてるって！ それで雪ノ下さんたちが泣いているって。だから奉仕部に戻っておいでよ！」 材木座「そうだぞ。我も一緒に謝ってあげるぞ！」 川崎「アンタには生徒会よりも…奉仕部の方がね…」 そして戸塚くんたちも葉山くんから何を聞かされたのか知らないけど、 比企谷の生徒会入りを快く思っていないようだ。 でも話はそれだけじゃなかった。 葉山「『　』さん、比企谷と雪ノ下さんたちを切り離したのはキミだ。 悪いがキミにもこの責任を取ってほしい。」 少女A「つまり…私も八幡と一緒に生徒会を辞めろってこと？ 元々八幡のために生徒会に入りましたからそれは構いませんよ。」 葉山「それだけじゃない。元々の発端はキミだ。 だから雪ノ下さんたちに誠意を見せるためにも彼女たちの前で謝ってくれないか。」 八幡「ふざけんな！そんなことができるわけが…！？」 葉山「それなら優美子か姫菜、いろはでもいい。雪ノ下さんと結衣の前で謝ってほしい。」 葉山くんは比企谷たちに結構な要求を突きつけてきた。 それはうちですら無茶苦茶だと思える要求だ。 普通ならいくら比企谷だってこんな要求を呑めるはずがない。 けど…弱みを握られていれば話は別だ… 八幡「その話…俺が全面的に謝るということでなんとかならないか…？」 葉山「そうか、キミならそう言ってくれると思っていたよ。」 三浦「隼人！どういうことだし！？」 海老名「まさか…隼人くん…」 少女A「これまでのことを全て八幡に…そんなこと絶対ダメ…！？」 比企谷は自分が謝るということで決着をつけようとしている。 部外者のうちはこの状況をうちなりに精一杯考えた。 そしてある考えに行き着いた。 つまり状況を整理すると… 比企谷は葉山くんに人質を取られているってことになるんだよね。 その人質ってのが戸塚くん、川崎さん、それと…変なデブ。 それに城廻先輩も… そしてたったいま、比企谷は新たな弱みを握られた。 自分のいる生徒会メンバーだ。 この連中に頭を下げさせる。 こんなことをされたら比企谷だって我慢ならないはずだ。 かといってここで無理にでも暴力に訴えればそれで即アウト。 比企谷はすぐに生徒会長を辞めさせられる。 おまけに他のメンバーも何かしらの罰を受けるかもしれないし、 それに悪評だって流れるかもしれない。 だから比企谷は葉山くんへ迂闊には手を出せない。 比企谷一人に全ての責任を取らせる。文化祭と同じことになるんだろうね… [newpage] 少女A「ダメよ！絶対ダメ！ 葉山くんは今まで起きたことを八幡に全部押し付ける気だよ！？」 八幡「それでもだ。ここでお前たちにまで迷惑を掛けるわけにはいかないだろ。」 三浦「またアンタはそうやって…！」 海老名「そうだよ。これじゃあまた前みたいなことになるよ！」 いろは「そうですよ！私たち頭を下げることくらい…」 みんな比企谷のためになら頭を下げる程度なんとも思わないと言っている。 それを見てうちは羨ましいと思った。 今のうちにそんなことを言ってくれる人なんているのかな…？ 八幡「ダメだ。葉山は俺一人に責任を押し付けるはずだ。 それなら問題ない。俺一人ならなんとかなるはず。 むしろお前たちにまで非が及ぶ方が厄介なことになる。」 少女A「でも…それじゃあ八幡が…」 八幡「だから俺なら大丈夫だ。 お前ら…以前ならともかく…今は俺のこと信じてくれてるだろ… だからわかってくれるヤツがいてくれるなら俺はそれだけで十分だ。」 少女A「八幡…本当にあなたは…」 三浦「アンタ馬鹿だし…大馬鹿だし…」 海老名「ダメだよ…こんなの…絶対ダメ…」 いろは「そうです…私たちは認めませんから…」 めぐり「ゴメンね…私に力がないばっかりに…」 生徒会の子たちがみんな比企谷のために泣いている。 この子たちは本気で比企谷のことを心配しているんだね。 それに比べてあっちはどうだろうか…？ 葉山「ヒキタニ…！」 葉山くんは…未だに比企谷を睨みつけている… ていうか三浦さんと海老名さん泣いてるんだけど…？ この二人って葉山くんのグループにいたんだから心配くらいしてあげなよ。 それに一色って子も確かサッカー部のマネージャーで後輩だよね。 一度疎遠になったらもう慰めることもしないんだ。 そして葉山くんに何を言われたか知らないけどやってきたこの三人も… 戸塚「生徒会の人たちが泣いてる…もしかして…葉山くんの言ってたことは…」 材木座「ぬぅぅ…どうやらこの一件裏がありそうではないか！」 沙希「もしかしたら私らって…」 葉山くんの言っていることを疑い出してる。 まあうちはこの三人とは殆ど絡んだことないし… たぶん比企谷のことが気になっただけでうちや葉山くんのことは気にしてないよね。 そんな周りを見てうちは思った。 これじゃあまた同じことが起きる。あの文実と同じことになる。 それだけは絶対嫌だ。 そう思ったうちは葉山くんにある話を切り出した。 [newpage] 相模「ねぇ…葉山くん… ここまでやってもらって悪いけどうちに生徒会長をやれる自信はないよ…」 葉山「そんなことはないよ。相模さんは実行委員長だってやれたんだ。今度だって…！」 相模「あんなの…雪ノ下さんや比企谷がいたから出来たんだよ。じゃなきゃ無理だった。」 葉山「………ダメだよ相模さん。 ここで逃げたらキミは今度こそ立ち直れなくなる。 今こそ最後までやり抜く勇気が必要だ！自分を変えていかなきゃいけないよ！」 葉山くんはうちを勇気づけようとしてくれている。 でもダメなの…それじゃあダメなんだよ… 今のうちに生徒会長なんて出来るわけないよ。 そう思ったけど…誰もうちを助けてくれるわけがない。 三浦さんたちにはうちが葉山くんとグルだと思われてるだろうし、 戸塚くんたちもうちを助けてくれるほど仲がいいわけじゃない。 つまりこの場でうちを助けてくれる人はいない。 そう思っていた… 八幡「やめろ、勝手な自分の理想を相模に押し付けるな。」 葉山「ヒキタニ…これはキミには関係のないことだが…？」 八幡「ふざけんな。 今のままもう一度相模と雪ノ下たちを仕事させてみろ。 また文化祭と同じことの繰り返しだぞ。それをわかって言っているのか…？」 相模「比企谷…」 葉山「大丈夫だよ。俺がついてるから！今度こそキミは頑張ることができる！」 葉山くんの言葉… いつものうちなら喜んでいただろうけど… でも今ならわかる。 葉山くんはうちに自分の理想を押し付けようとしてるんだ。 きっとこの人はうちのことを全然わかろうとはしてくれないんだよね。 相模「ねぇ…葉山くんは今までの人生で孤立したことがある…？」 葉山「いや、ないな。少なくとも俺は経験したことがないよ。」 その言葉を聞きうちは「あぁ…やっぱり…」と思った。 この人にうちの気持ちはわかるはずがないんだ。 うちが孤立してたった一人ぼっちでいること… それをわかってくれない。 他人から見たら今のうちなんて自業自得だけどさ…それでも… 比企谷だけはそんな今のうちをわかってくれたんだよね。 だから…葉山くん…ごめん… [newpage] 相模「葉山くん…ごめん…うち…生徒会長なんて出来ない…」 葉山「そんな…何故だ相模さん！キミには文化祭での経験が！？」 相模「あんなの…みんなの足引っ張っただけだよ！ そんなうちが雪ノ下さんたちと一緒に生徒会長やっても… 比企谷が言ったように文化祭と同じことにしかならないよ！？」 うちのこの言葉に葉山くんは意外な顔を見せている。 たぶんうちに自分の意見が断られるとは思ってなかったんだろうな… でもね…無理なんだよ… うちは文化祭から何も成長してない。 あの屋上に逃げ出した時からまだ何も成長してない。 そんなうちに…生徒会長なんて出来ないよ… 葉山「それなら… 雪ノ下さんに生徒会長をやってもらって…相模さんも役員に…それなら大丈夫だろ？」 相模「だから無理だよ。何度も言わせないで… 今のうちじゃ雪ノ下さんと仕事なんて出来ないよ…」 葉山「大丈夫！みんな仲良く出来るはずだ！俺が付いてるんだから！」 うちは葉山くんの言葉を何度も拒否している。 でもこの人はそんなうちの言葉を受け入れようとしない。 自分の理想を押し付けようとする。 何で…何で…わかってくれないの…？ うちは葉山くんが何を考えているのかわからなくなってきた。 [newpage] 八幡「おい…もうやめろ…相模に生徒会長になる意思はないってわかっただろ。」 葉山「悪いが今は相模さんと話しているんだ。関係ないなら黙っていてくれ！」 少女A「本人が嫌がってるんだからこれ以上勧めるのは嫌がらせになりますよ。」 いろは「そうですよ。葉山先輩には心底がっかりです。幻滅しました。」 見かねた比企谷たちがうちに無理強いする葉山くんを制している。 その光景は周りからは異様に思われたんだろうね。 ていうか葉山くんは何でこんな必死になってんの…？ 海老名「やっぱり隼人くんは今回も他人を利用してたんだね。」 相模「利用…ってどういう意味…？」 海老名「さっき隼人くんが言ってたことだよ。 雪ノ下さんと結衣を生徒会に入れる。隼人くんの狙いはそこなんだよ。」 少女A「そういうことですか。 八幡に全ての責任を押し付けることで雪ノ下さんたちの信頼を取り戻すつもりですね。 そして同時に彼女たちを生徒会に入れてそれを自分の手柄してお近づきになろうとする。 最低最悪の発想…言葉にするだけで吐き気がします！」 葉山「そんなことはないよ相模さん！？ 彼女たちの言っていることは全部でたらめだ！ 俺はキミを利用なんかしていない。本当だ！信じてくれ！！」 うちは利用された…？ それも…葉山くんが雪ノ下さんに近づくために…？ ハハ…ちょっとやめてよそれ… 何それ…今まで葉山くんに煽てられてたうちがバカじゃん… 相模「もういいよ…本当にやめて…」 葉山「もういいって…何を言っているんだ…？」 相模「葉山くんの言ってることがよくわかんなくなってきちゃったの。 今のうちじゃ何をしたって同じだよ。また前と同じことになるだけ… そんな生徒会長やらせてやるって煽てられても迷惑なの！だからやめて！！」 うちは葉山くんに力強く『やめて』と叫んだ。 完全な拒絶だ。 正直この人についていくことはできない。 それにこの人は最初からうちの心配なんてしていない。 誰か…他の人のことを考えている… それは間違いなく雪ノ下さんのことだって…わかっちゃったから… 戸塚「葉山くん、これってどういうことなのかな？」 材木座「我らは八幡が、 奉仕部の二人を泣かせてしまったと聞いて仲を取り持ってほしいというから来たのだぞ！」 沙希「それなのに…突然生徒会に入れだの… 比企谷に全部責任を取ってもらうだとか…葉山…私らを騙した落とし前は高くつくよ！」 葉山「いや…だから…」 どうやら戸塚くんたちも葉山くんに言いくるめられてここへ連れてこられたようだ。 きっと比企谷を懲らしめるために親しい連中を取り込もうとしたんだろうけど、 無理な説得が裏目に出てるし… 戸塚「覚悟できてるよね…？」 そんな葉山くんに笑顔で詰め寄る戸塚くんだけど… この子可愛い顔してガチで怒ってるよ！？ [newpage] 八幡「葉山、お前はこれだけ人を巻き込んで何のリスクもないと思っていたか？」 葉山「それは…どういう意味だ…？」 八幡「俺は常にリスクを考えて行動している。 文化祭での屋上の件は俺一人を犠牲にすることで問題を解消できた。 それに修学旅行の告白だって俺が犠牲になることで実害は最小限に防げた。」 葉山「そうだ…今度もキミにそれをやってもらおうと…」 八幡「だからそれが全然出来てないって言ってんだよ。 お前は俺一人を犠牲にしようとするためにこれだけの人間を巻き込んだんだぞ！」 八幡「葉山、お前は雪ノ下と由比ヶ浜のことを大事に想っているかもしれない。 だがそのせいで今回お前に体よく利用されたこいつらはどうなる！そのことを考えたか！」 八幡「戸塚はテニス部の部長だ。 こんな件が周りに知れ渡れば部長を辞めさせられたかもしれない。 川崎には幼い弟妹がいる。 姉貴がこんな馬鹿やってることを下の弟妹たちが知ったらどうなるか考えたか！？」 比企谷は葉山くんに騙されたとはいえ、 敵対していた戸塚くんたちのことをしっかりと考えていた。 そんな比企谷の考えを聞いて戸塚くんと川崎さんは「ゴメン」と呟いてる。 ちなみに変なデブは「八幡！我のことスルーしないで！」とか喚いてるけど… 八幡「葉山、お前はそろそろ自分が招いたことの落とし前をつけるべきじゃないか。」 葉山「そんな…俺は…相模さんを…それに雪乃ちゃんを助けようとしただけで…！」 少女A「だからってこれだけの人たちを巻き込んでいいわけないでしょ！？」 八幡「そうだ、ここにはお前の勝手な都合で犠牲にならなきゃいけない人間は一人もいない。」 少女A「そうです。八幡も含めてね！」 比企谷たちはハッキリと葉山くんを拒絶することを告げた。 もうこの場に葉山くんの味方になる人は誰もいない。 それどころかある意外な人が葉山くんにトドメを刺した。 [newpage] めぐり「葉山くん、悪いけど雪ノ下さんを生徒会に入れるのは私も反対かな。」 葉山「城廻先輩…どうして…！？」 めぐり「ここだけの話だけど、 比企谷くんが会長になってから雪ノ下さんと由比ヶ浜さんは生徒会に入ろうとしたの。 でも推薦人が集まらなくて立候補できなかったらしいけどね。」 葉山「それなら比企谷の時みたく城廻先輩の力添えで彼女たちを役員にすればいい！ 雪乃ちゃんはあの陽乃さんの妹だ！彼女が有能なのはあなたがよく知ってるはずです！」 めぐり「そうだね。確かに雪ノ下さんは…スゴイと思う。でもね…」 そこで城廻先輩は少しだけ私に顔を向けた。 その顔はなんだか残念そうに見えたけど… けどすぐ葉山くんの方に向かってこう言った。 めぐり「雪ノ下さんは…人の弱さがわからないから…」 葉山「それはどういうことですか…？」 めぐり「確かに私も文化祭で雪ノ下さんと一緒に仕事して、 あの陽さんの妹さんなら生徒会長を任せられると思っていたよ。」 めぐり「でも陽さんに頼まれて比企谷くんに生徒会長なってもらってわかったの。 たぶん雪ノ下さんに生徒会長を務めるのは無理だったんじゃないのかなって。」 葉山「何を言ってるんですか！雪乃ちゃんほどの人材は他にいないはずだ！？」 葉山くんは城廻先輩の言っていることに力強く反論している。 でもこの人…もううちのこと完全に忘れてるよね。 あぁ…もういいよ…うちのこと無視して勝手にやってなよ… めぐり「雪ノ下さんに生徒会長をやってもらっても、 いずれメンバーの仲が気まずくなって拗れるだけだよ。それだけは確実だと思うね。」 葉山「何で…そんなわけが…！？」 めぐり「文実で雪ノ下さんはその作業を殆ど比企谷くんと一緒になってやってたよね。 確かにそれは賞賛されるべきものかもしれない。 でも上の立場に立つ人間として言わせてもらうとそれはとても危ういものなの。 葉山くんもサッカー部の部長なら私が言っている意味がよくわかるよね？」 葉山「それは…」 めぐり「確かに雪ノ下さんは厳しくて正しい人だよ。それは認める。 でも人間ってそれだけじゃダメなの。 周りに結構な毒舌吐いてたし、 彼女が入っていたら3日ともたずに生徒会は内部分裂してたかもしれないね。」 城廻先輩の発言に比企谷は少しだけ苦笑いしていた。 あ、こいつそういえば文実の時に結構雪ノ下さんに言われてたっけ。 しかも同じ部活なんだよね。きっと部活に行くたびにあんな毒舌吐かれてたんだろうな。 うちなら絶対耐えられないよ… 葉山「それなら周りが彼女を支えてあげればいい！そうすれば…！」 めぐり「その周りの人がいてくれたらね。 比企谷くんにはこうして支えてくれる人がいるよ。 でも今の雪ノ下さんに支えてくれる人がいないよね？それに私も悪いけど…」 葉山「そんな…お願いです。城廻先輩なら…」 めぐり「ゴメンもう無理だから。 それに葉山くんはさっき私のこと脅そうとしてたよね。 そんなあなたの頼み事なんか聞けないよ。」 葉山「その件については謝罪します。だから…」 めぐり「悪いけど心がこもっていない謝罪なんかいらない。 それに私もいざとなれば推薦の件を蹴ってでもキミの暴走を止めるつもりだったから。 私は文実で比企谷くんに悪いことを押し付けちゃった一人だもん。 先輩としてせめてこのくらいはやってあげないとね。」 葉山「待ってください！お願いだ。話を…！？」 めぐり「葉山くん、キミは本当に最低だね。心からそう思うよ。」 城廻先輩は葉山くんを見限るようにそう言葉を吐き捨てた。 哀れ葉山くんはこの場にいる全ての人たちを敵に回してしまいこの場から出て行った。 [newpage] 戸塚「八幡…ごめんね…葉山くんに騙されて…八幡のこと信じてあげられなくて…」 八幡「いや、俺の方こそ… 戸塚には何があったのかちゃんと言っておくべきだった。心配かけてすまなかったな。」 沙希「本当に悪かったね。この償いはちゃんとするよ。」 八幡「だから気にすんな。こんなの償うほどのこともねーだろ。」 材木座「八幡～！我も～！我も～！」 八幡「あーっ！わかったから！お前は鬱陶しいんだよ！」 葉山くんが生徒会室から出ていき、それと同時に戸塚くんたちは比企谷に謝罪している。 比企谷はこの三人に何もなかったから気にするなと許している。 さっきまでの修羅場が嘘みたいだ。 他のみんなもさっきとはちがい和気藹々とやっている。 場違いなうちは居た堪れなくなり誰にも知られずこの場を出ようとしたけど… [newpage] 八幡「待て相模。 他のヤツは誤魔化せてもぼっちの俺の前でステルスヒッキーは無効だぞ。」 相模「せっかく誰にも知られずに出ていこうとしたのに…どうして呼び止めるの…？」 八幡「どうしてって…まだお前からちゃんと返事もらってないからだろ。」 返事って… そういえば葉山くんのせいで忘れてたけど比企谷の生徒会に入るとかそんな話してたっけ。 でもこんなことになって今更どうしろっての…？ 八幡「俺はお前に生徒会に入ってくれなんて言わない。 今のお前にそんなことを言う方が却って酷だからな。」 相模「なら呼び止めないでよ…」 八幡「でも一言礼くらい言わせてくれ。 あそこで相模が葉山を否定することを言ってくれなきゃどうなってたかわからない。 だから…助かった…」 まさか…意外な一言だった… こんなことになった文句でも言われるのかと思っていたけど…お礼を言われるなんて… 本当ならうちはアンタにお礼なんて言われる立場じゃないのに。 ごめん…ごめんね比企谷… 相模「ごめん…ごめんなさい…」 相模「こんなことになって…ごめんなさい…」 相模「それに…文化祭の時…比企谷に迷惑をかけて本当にごめんなさい…」 八幡「そっか、わかった。お前の気持ちはわかった。だからもう気にすんな。」 比企谷はまるで幼い子供を宥めるように泣きじゃくるうちの頭を撫でてくれた。 それは葉山くんとはちがった暖かい優しさだった。 あぁ、優しいってこういうことなんだね。 比企谷は優しい。だから文化祭の屋上でうちを庇ってくれたんだ。 こんなことを今更になって気づくなんてうちは本当に人を見る目がないよね。 それからうちは比企谷…いや…八幡のいる生徒会に入った。 まあ最初はみんなギクシャクした関係だったけど… 八幡が間に入ってくれたおかげで今ではみんな仲良くやっている。 まだやることがあって大変だけどそれでも踏み出した第一歩だ。今度こそ失敗したくない。 そう、これは八幡がくれたチャンスなんだ。 八幡に謝った時、うちはちょっとだけ成長できた。 今度はもっと成長しなきゃ。 うちにチャンスをくれた八幡のため、それにもう一度ゆっこや遥たちと向き合うために。 [newpage] それと葉山くんについてだけど… 三浦「ハチオはこんなこと嫌がるかもしれないけど…隼人…いや…葉山は潰すよ…！」 海老名「そうだね。今回はさすがに見過ごせないよね。」 いろは「自分の都合で女の子を利用したんですからその報いを受けてもらいましょうよ！」 めぐり「でもどうやって…？彼の影響力はまだ結構あるよ。」 相模「それなら…うちら女子が最も得意な方法でやるってのはどうかな。」 少女A「今回、あの人が八幡へ行ったことを私は絶対に許さないんだから…！」 これは八幡には絶対知られることのないうちたち女同士だけの秘密の話。 うちらは女子間のネットワークを最大限に利用して葉山への悪評を広めまくった。 まあ悪評といってもその全てがこれまで起きたことばっかなんだけどね… それは瞬く間に広まって葉山はうちの時よりも酷い状態で周りから阻害されていった。 まあこれで八幡が何かされる心配はもうないよね。 それともうひとつだけ… [newpage] 『…のん！どうしよう！さがみんが生徒会の庶務に決まっちゃったよ！？』 『…ヶ浜さん…そんな… 生徒会の庶務になれば比企谷くんに近づくことができたはずなのに…』 後日、廊下を歩いていたらまたこんな話が聞こえてきた。 どうやら生徒会に入れなくて悔しがっているようだ。 本当に誰だか知らないけど何で生徒会の庶務になりたいたんだろ…？ <相模南の場合> end [newpage] [chapter:<少女Aの場合>] 『私は掴んだこの手を二度と離さない』 それは今から数日前、 奉仕部の部室前で八幡の手を握り締めた時に思わず心の中で呟いたことだった。 八幡を最も苦しめていた雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。 あの二人に八幡のことを諦めさせるために、 私は彼女たちの前で見せつけるように彼の手を握り締めた。 『もう八幡に近づかないで…』 そんな想いを抱きながら私は彼の手を掴んでいた。 他人からしてみたら随分身勝手な行為だと思われるかもしれない。 でも私はこの行動に後悔はしていない。 [newpage] それから現在――― 三浦「クリスマスイベント！無事終了～！」 海老名「みんな、お疲れさま！」 相模「ていうかクリスマスに何で仕事やらされるわけ…？」 いろは「なんでも今回のイベント参加決めてきたの平塚先生らしいですよ。 あの独神…自分に彼氏がいないから生徒相手に嫌がらせしてるんですよ。マジ醜いです！」 八幡「おいおい…本人がいないからって毒吐きすぎだぞ。けどこれでようやく帰れるな…」 少女A「八幡が一番頑張ったからね。本当にお疲れさま！」 あれから数日後、海浜総合高校とのクリスマスイベントが行われた。 私たち生徒会メンバーによる初の参加行事だ。 当初は向こうの会長が意味不明な言動を交わしてきたり、 八幡の中学時代の同級生な折本とかいう失礼な女性が八幡を貶してきたけど、 私たちは互いに連携を取りこの事態に対処してみせた。 [newpage] まずは玉縄という向こうの会長に… 『すみません。何を言っているのかさっぱりわからないのですが…？』 『あーし日本人だから日本語喋ってくんない？』 『今時日本語は世界に羽ばたくサブカルチャー（BL）じゃ共通言語なんだよ。』 『ていうか覚えたてのビジネス用語使ってカッコつけるのがあざといですよね。』 『うちも日本語喋らないとわからないよ！』 『そういうわけだ。そっちが日本語話さないならこっちは勝手にやらせてもらうぞ。』 そんな感じで「何を言ってるのか意味不明だから日本語で喋って！」と全員で訴えた。 その結果、 私たち総武高校側が主導権を握りクリスマスイベントは、 総武高校と海浜総合がそれぞれ独自で行う二部制となった。 私たち総武側は八幡の提案で近隣の小学校や幼稚園に頼んで劇の催し物をやることになった。 先日の葉山くんの件で責任を感じていた沙希さんにも協力してもらいイベントは成功。 地域の人たちとも親交が深まり実に有意義なものとなった。 ちなみに海浜総合の方はライブをやると言っていたけど、 そのためのメンバー集めやまた演奏の準備が満足に整わずに最悪な結果に終わったらしい。 『あ、比企谷じゃん！まさかのレアキャラ！』 それと海浜側にかつて八幡を馬鹿にしていた折本という人がいたので… 『初めまして、八幡の妻の『　』です。』 『あーしは愛人1号の三浦優美子だし！』 『同じく2号の海老名姫菜だよ。』 『それと可愛い後輩の愛人3号の一色いろはです！』 『え～と…うちは…4号…の相模南みたいな…？』 『昔は随分八幡がお世話になったそうですね。でも八幡のことを悪く言われるのは不快なのでやめてくださいね。』 『アハハ…比企谷ハーレムとか…マジ受ける…』 全員で八幡の彼女だと装ってもらい（何故かみんなノリノリだった） 八幡との仲を見せつけてみせた。 その際、彼女は呆気に取られていたけど八幡を小馬鹿にした仕返しはこんなものでしょう。 『八幡、久しぶり。会いたかった。』 『オォ、ルミルミ。夏の林間学校以来だな。今回はよろしく頼むな！』 『はーちゃんだ！けーちゃんがんばるからね！』 『アンタにはこの前悪いことしたからね。このくらいは協力させてもらうよ。』 『川崎…それにけーちゃんまで…手伝ってくれて悪いな。』 それにイベントにはかつて八幡が助けたという鶴見留美さん。 それに沙希さんと妹の京華ちゃんも手伝ってくれました。 そんなわけで私たちのクリスマスイベントは無事終了したのです。 [newpage] 少女A「優美子たち、先にサイゼに行って席を確保しておくって言ってるよ。」 八幡「戸塚や材木座たちもサイゼで合流するって言ってたからな。 まったく生徒会やってなきゃ今年も小町と二人きりでクリスマス祝ってたんだが… とにかくさっさと向かうとするか。」 そして今日はクリスマス・イブ。 私と八幡は件のクリスマスイベントの事務手続きを終わらせて、 急いでみんなが待っているサイゼに向かおうとした。 ちなみに何でサイゼかというと、 八幡曰く、 この時期オサレな店なんてどこも満席だがファミレスなら融通が利くからだそうです。 なんとも彼らしい意見です。 八幡「だがその前にだ…実は『　』に渡したいものがあるんだ。」 少女A「私に…渡したいもの…？」 八幡「今日クリスマスだろ。 それにサイゼで渡したらみんなにからかわれるのが恥ずかしいし今ここで渡すからな。」 少女A「もう…八幡たら…デリカシーがない。そういうところがポイント低いんです！」 八幡「うっせ！小町の真似なんかすんな！」 八幡は鞄の中からプレゼント用に包装された小さな箱を取り出した。 そしてそれを私に渡そうとした…その時だった。 [newpage] 「やぁ…」 私たちの目の前に一人の男性が現れた。 その人はどこか見覚えのある顔だったけどその面影はまるでない。 目はとてつもなく腐っていてまるで出会った時の八幡を思い出させるほどだった。 いえ、あの時の八幡よりも酷いかも… 八幡「お前…もしかして…葉山なのか…？」 葉山「何だ。俺だとわからなかったのか。久しぶりだねヒキタニ…」 少女A「あなた随分変わりましたね。特に目の辺りが…」 葉山「あれから色々あってね。 まあ俺のことはどうでもいいじゃないか。それよりも話したいことがある。」 突然現れた葉山くんにかつての爽やかさの面影はなかった。 恐らく私たち女子で仕掛けた噂が原因なんだろうけど、 それは元々彼が招いたことでありそれに対して同情やましてや後悔する気もない。 まあその話は置いといて葉山くんはポケットから携帯を取り出してみせた。 誰かと連絡を取っている。 それから葉山くんは私たちにも聞こえるように連絡してきた主の声を聞かせてきた。 [newpage] 『やっはろー！ヒッキー！』 『聞こえているのなら返事をしなさいヒキガエルくん。』 八幡「この声…雪ノ下…それに由比ヶ浜…！？」 少女A「一体どういうこと…？」 連絡してきたのはなんと雪ノ下さんに由比ヶ浜さんだ。 この前、二度と八幡に会うなという忠告をしたはずなのにそれをもう破るなんて… いや、直接会っているわけじゃないからまだ破ってないんだよね。 『ヒッキー！私たちゆきのんのマンションでクリスマスパーティーやってるんだよ♪』 『これは奉仕部の部員同士によるクリスマスパーティーよ。 私としては不本意だけど… あなたも一応奉仕部の部員なのだから私のマンションに招待してあげるわ。 感謝することね。』 『ちなみにあなたには選択権も拒否権も認められていないことを忘れないで。 まあぼっちのあなたのことだからクリスマスの予定がないのはわかっているけど… けどもしも都合があったとしても私たちを優先させなさい。』 『言っておくけどこれは部長命令よ！』 『それじゃあ待ってるからねヒッキー♪』 そんな一方的な内容だった。 それから要件を言い終えると彼女たちはすぐに連絡を切ってしまった。 あの人たちは八幡に発言をさせる機会すら与えないというの…？ どこまで図々しいのかと私は内心腹立だしく思った。 葉山「連絡は以上だ。俺はメッセンジャーとしてキミの下へやってきた。」 八幡「葉山…お前いつの間に雪ノ下のパシリになったんだ…？」 少女A「それよりも八幡はこれから私と一緒に、 生徒会主催のクリスマスイベントの打ち上げに行くんです。奉仕部の方へは行けません！」 私は八幡の代わりに断固として断った。 当然だ。こんな人を馬鹿にした申し出があってたまるかと… 葉山「悪いが無理やりでもキミを連れて行くぞ。これを見てくれ。」 八幡「それ…『　』に渡すはずだったヤツ！いつの間に取ってんだよ！？」 葉山「どうやら大切な物のようだね。 これを返して欲しければ俺と一緒に雪乃ちゃんのところへ来てくれ。 彼女たちと一緒にクリスマスを祝おうじゃないか。」 少女A「ふざけないで！あなた自分が何をしているのかわかっているの！？」 私は葉山くんに対してそう叫んだ。 彼の行動は常識の範疇を超えている。 そんな私の問い掛けに彼はその腐った目でこちらを睨みつけながらこう言った。 葉山「これは…俺にとってテストなんだ…」 少女A「テスト…？」 葉山「先日、俺は雪乃ちゃんがいる奉仕部へ入部しようとした。 けどあっさり断られたよ。でも俺はなんとかしてくれと頼み込んだ。 そしたら雪乃ちゃんからあることを言い渡された。」 葉山「それは…ヒキタニ…キミを雪乃ちゃんと結衣の前に連れてくること！」 葉山「それが俺の奉仕部に入部できる条件。 これは俺が雪乃ちゃんたちのいる奉仕部に入るための入部テストなんだ… 俺はもう雪乃ちゃんの期待を裏切りたくない…そのためなら手段は選ばない！」 さすがに理解するのに少しだけ時間が掛かった。 入部テスト…？ うちの学校の部活って入部テストなんかないはずですよね。 いやいや…それよりも入部テストが人さまへの嫌がらせって何ですか…？ 呆れ返ってモノも言えません。 [newpage] 八幡「とにかくそれを返せ。 こんなことしたら犯罪だ。お前も弁護士の息子ならこのくらいわかるだろ？」 葉山「それでも…俺にはもう後がないんだ… 頼むヒキタニ。俺と一緒に雪乃ちゃんたちのところへ行こう。」 少女A「あなた…おかしい…どうしてそこまで雪ノ下さんにこだわるの！？」 以前、優美子たちは葉山くんが雪ノ下さんのことが好きだと指摘していた。 けど私には葉山くんを突き動かしているものが明らかに恋愛感情とは別物に思えた。 それなら彼は一体何のために動いているの…？ 葉山「それは…俺が昔…雪乃ちゃんを傷つけたからだ…」 八幡「雪ノ下を傷つけたってどういうことだよ？」 葉山「俺は雪乃ちゃんとは幼馴染だ。 子供の頃からの付き合いだった。昔は仲が良かったさ。けど…」 それから葉山くんは雪ノ下さんとの過去について語りだした。 幼い頃、葉山くんは雪ノ下さんを救えなかったらしい。 そのことを未だに悔いているとかそんな話だった。 葉山「だから俺は彼女を救いたい。今度こそ必ず！」 少女A「話はわかりました。けど何でそれに八幡を巻き込もうとするの！？」 葉山「それは…ヒキタニは雪乃ちゃんが唯一認めている男子だからさ。」 八幡「俺が…雪ノ下に…嘘だろ…？」 葉山「嘘じゃない。 俺はこれまで彼女に近づく人間を何人も見てきた。 彼女はどうでもいい人間は全て適当にあしらってきた。 けどキミはちがう。」 葉山「雪乃ちゃんの隣に居られたのはキミだけだった。」 葉山「ハッキリ言おう。 ヒキタニ、キミは雪乃ちゃんとそれに結衣からも認められている！ だからキミは奉仕部に戻るべきなんだ！！」 葉山くんは八幡に奉仕部に戻れと促している。 一応言いたいことはわかった。 けど私には理解することのできない話だ。 何故なら八幡を奉仕部に連れ戻すということは… [newpage] 少女A「あなたはもう一度八幡にあの二人の道具になれと言うの？ふざけないで！」 葉山「そんなことは言っていない。大体彼女たちはヒキタニを道具扱いなんて…」 少女A「してたじゃない！ あの二人は八幡を道具のように利用して…そして見捨てた！そうでしょ！？」 葉山「誤解だ。 だが何かあれば最後はいつもヒキタニが自己犠牲によりあの二人を助けていたのは確かだ。 俺はそれを躊躇なくできるそんな彼を尊敬すらしている。」 葉山「雪乃ちゃんと結衣もキミがいなくて寂しいはずだ。彼女たちの下へ戻ってきてくれ。」 それが葉山くんの言い分だった。 この男も雪ノ下さんたちと同じだ。 どんなに言葉を取り繕っても結局あの二人のための道具になれと言っているようなものだ。 そんな葉山くんに対して八幡はこう言った。 八幡「お前の言いたいことはわかった。 けどまずはその小箱を返せ。そいつは大事なモンなんだ。 大体お前の言ってることは全部自分勝手な理屈だろ。 他人のモノ奪って都合のいい要求を突きつけるとかどう考えても脅しじゃねーか。」 葉山「それは…本当にすまないと思っている… でもわかってくれ。 雪乃ちゃんにはキミが必要なんだ。勿論結衣にも！」 葉山「だからもう一度やり直してほしい！奉仕部を！あの二人との関係を！」 葉山「頼む。俺にもう一度チャンスをくれ。雪乃ちゃんを救うチャンスを…」 葉山くんは自分の精一杯の想いを八幡にぶつけた。 雪ノ下さんを救いたいというこの言葉に恐らく嘘はないはず。 恐らく彼の想いに下心など一切ないのだろう。 それほどまでにこの葉山隼人という男は純粋なんだ。 けど私はこう思う。 [newpage] あなたの言っていることはあまりにも身勝手だ！ [newpage] 少女A「そんなの全部…あなたの都合じゃない…」 少女A「昔、あなたと雪ノ下さんに因縁があったとしてもそれは八幡には関係ない！ 少女A「結局あなたは昔自分が仕出かしたことを、 八幡に頼ってその尻拭いをしてほしいって…そういうことを言っているんでしょ！」 葉山「ちがう！そうじゃないんだ！俺は…昔の過ちを繰り返したくないから…！？」 葉山くんの語る過ち… 確かにそれは葉山くんにとっては大事なことなのかもしれない。 けどそんなの八幡には関係ない。 それは葉山くんと雪ノ下さんの問題であって八幡が関わるべきことではないはずだ。 私は勢いのまま身勝手な要求を突きつけてばかりくる葉山くんに掴みかかろうとしたけど、 それを八幡に制止された。 でも代わって八幡が葉山くんに対してこう告げてみせた。 八幡「悪いが俺はお前の要求を何も聞いてやることはできない。」 葉山「な…何故だ…どうして…！？」 八幡「だからまずはそのプレゼントの小箱を返せって言ってんだよ。 それには大事なモンが入ってんだ。 そいつを失くすわけにはいかないからこんな馬鹿みたいな話黙って聞いてやってんだぞ。」 葉山「なら…これを返せば…素直に雪乃ちゃんのところへ行ってくれるのか…？」 八幡「いや、それはできないな。 確かに俺は奉仕部の部員だ。だが俺はあいつらから見捨てられている。 そんな俺が今更ノコノコとあいつらのところへ行けるわけがないだろ。」 葉山「だが二人はキミに来てほしいと言っている！ そうか…わかった…例の屋上で自殺しそうになった件を未だに引きずっているんだな！ それなら俺がキミたちの仲裁に入る。それなら納得できるだろ！」 葉山くんは必死になって八幡を連れて行く口実を作っている。 でもどれだけ言われようとも八幡が頷くことはなかった。 八幡「諦めろ葉山。 何度言われようと俺は今のあいつらのところへは行けない。」 葉山「何故だ…何故なんだ…？ 奉仕部は…いや…あの二人はキミにとって掛け替えのない大切な存在のはずだ！ それをどうして…！？」 その時だった。 葉山くんは八幡の隣にいる私を睨みつけてきた。 葉山「そうか…キミか…キミがヒキタニを…奉仕部をこんな風にしたのか…」 少女A「え…何言ってるの…？」 葉山「惚けないでくれ！ キミだ…キミさえいなければ…奉仕部が壊れることはなかった… ヒキタニの前にキミが現れなければ…全てはうまくいったはずなのに…！」 少女A「それは…でも…私は…」 葉山「キミだ！キミがいなければ…！」 葉山「キミが現れなければ誰も文化祭について追求しなかった！ 修学旅行の件だって…あの後…俺がうまくやるはずだった… それなのにキミが全てをメチャクチャにして… そして…俺のグループまでも解散させた…」 葉山「挙句の果てには屋上でヒキタニに告白して、 雪乃ちゃんたちの悪評を広めて彼女たちの信頼を貶めヒキタニの隣に居座っている！」 葉山「奉仕部は雪乃ちゃんの大切な場所だった。 そうだ…雪乃ちゃんと結衣とそれにヒキタニの大切な場所だった！ それを土足で踏み躙ったのは他の誰でもないキミじゃないか！ キミさえ現れなければ奉仕部は今も平穏な場所だったはずだ！ それに俺だって…それなのに…！？」 彼の言っていることは最早私には理解できなかった。 私が全部悪い…？ ダメだ。この人はまともに話を取り合ってくれさえしない。 そう思うと急に恐くなり動けなくなった。 でも…そんな時…怯える私を彼が守ってくれた。 八幡「いい加減にしろ。こいつが悪いわけないだろ。」 葉山「何を言っているんだ…彼女はキミの居場所を踏み躙ったんだぞ！？」 八幡「確かに…奉仕部は俺にとって大切な場所だ。今でもそう思っている。」 葉山「それなら彼女たちのところへ戻ってきてくれ！今すぐに！」 八幡は奉仕部を今でも大切な場所だと言っている。 でも私の方に目を向けながらこう語りだした。 八幡「俺は…これまで…自己犠牲をなんとも思わなかった。 それには理由がある。俺が犠牲になったところで誰も心配なんかしなかったからな。」 八幡「そう思っていた。屋上で飛び降りようとした時までは…」 八幡「あの時、俺に手を差し伸べたのは雪ノ下でも由比ヶ浜でもない。『　』だった。」 八幡「『　』がいなかったら俺はとっくにあの世に行っていただろうな。」 八幡「俺が傷つけば誰かが悲しむ。 これまでの不遇な扱いで俺はそんなことを忘れていつの間にか麻痺していた。 でもこんな当たり前のことを思い出させてくれたのが『　』だ。」 八幡「確かに今でも奉仕部は俺の大切な場所だ。 でもそれと同じく新しい大切な場所ができた。それが『　』との場所なんだ。」 それは八幡の嘘偽りのない言葉だった。 八幡の純粋な想い… その想いに私は思わず涙がこぼれた。 八幡「それに俺はもうぼっちじゃない。」 八幡「『　』は勿論だが他にも大切なヤツらが増えた。」 八幡「俺はそいつらのことを蔑ろにしたくはない。」 八幡「だから…今は…雪ノ下たちのところへ行けないんだ…」 葉山「そんな…キミは何を…あの二人以外にキミを理解できる人たちがいるわけが！？」 葉山くんが困惑した表情を晒しながら八幡に迫ろうする。 今のこの男なら八幡に何を仕出かすのかわからない。 私が危機感を察した時だった。 [newpage] 「葉山！いい加減にしな！！」 この私たちしかいないはずだった場所で響く葉山くんを制止する言葉が響き渡る。 それと同時にある人たちが私と八幡を守るように現れた。 その人たちは… [newpage] 三浦「葉山、アンタこんなクリスマスに嫌がらせとか何してんだし！」 海老名「こんな日にまでハッチーに嫌がらせなんて… 私は終わったジャンルには興味ないんだよね。今のマイブームはとべ×はちだから。」 いろは「こんなクリスマスにカップル相手に嫌がらせとか… モテない男のやりそうなことですね！ごめんなさい！この人と一緒にいるの絶対無理！」 相模「まだ比企谷に何かしようってならうちも許さないんだからね！」 そこに現れたのは生徒会メンバーである優美子、姫菜、いろは、南の4人だった。 いや、彼女たちだけじゃない。 八幡と私のため集まった人たちは他にもいた。 戸塚「葉山くん、まだこんなことして八幡を苦しめようとしてるんだね！」 材木座「一度は我らを悪の道に堕としおって！この外道め！」 京華「はーちゃんのこといじめないで！」 沙希「心配しなくても大丈夫だよ。私が手出しさせないから！」 小町「葉山さん、あまりうちの兄をイジメるのやめてもらえませんかね。 ぶっちゃけ小町すっごい不快なんで！」 めぐり「またこんなことを…本当に最低だね葉山くん…」 戸部「隼人くん…っべーわ…これはねーわ…」 さらに戸塚くん、材木座くん、川崎さんにそれに小町ちゃん、戸部くんや城廻先輩までもが現れた。 ここにいるみんなが八幡の味方だ。 葉山「な…何でこんなに人が…？」 少女A「生徒会の打ち上げでお世話になった人たちを招待したんです。」 三浦「ハチオがいつまでも来ないから心配して見に来たし！」 海老名「そしたらまさか葉山くんに襲われてるんだからね。あ、今のエロいね！」 いろは「でもかつてのリア充の王さまが今では随分惨めになりましたね。」 葉山「優美子…姫菜…いろは…これは…その…」 葉山くんはこの事態に狼狽えていた。 彼にしてみればかつてぼっちであった八幡のために、 これだけの人が集まるとは思ってもみなかったはずだ。 八幡はもう奉仕部に居た頃とはちがう。 彼の周りにはこんなにも掛け替えのない人たちがいるのだから… 八幡「葉山…俺にはこんなにも支えてくれるヤツらがいる。」 八幡「だが…今のお前は…」 八幡「以前なら俺たちの立場はまったく逆だった。 お前はそんな自分の大切な場所をいつの間にか自分の手で失くして孤立していった。」 葉山「俺が…自分から孤立してたなんて… そんな…こんなのありえない…あぁ…そうだ絶対にありえないはずだ！？」 八幡の言葉が葉山くんの逆鱗に触れたのか彼は発狂しだした。 錯乱した葉山くんは八幡から奪い取った小箱を地面に叩きつけようとする。 そんな葉山くんを急いで止めようと駆け出す八幡。 そして私も「やめて！」と叫んだ。 でも次の瞬間…！ [newpage] 陽乃「はい、ここまで。もう終りだよ隼人。」 葉山「陽乃さん…何でここに…？」 陽乃「居たら悪い？ この打ち上げに私も比企谷くんにお呼ばれしてるからね！ でも雪乃ちゃんとガハマちゃんは呼ばれなかったみたいだけど。それに隼人もね…」 八幡「雪ノ下さん助かりました。」 間一髪、小箱が地面に叩きつけられる寸前に雪ノ下さんのお姉さんが止めに入ってくれた。 それからお姉さんは葉山くんから取り戻した小箱を八幡に返してくれた。 それと同時に葉山くんはこの状況に混乱したのか膝から崩れ落ちてしまった。 葉山「俺は雪乃ちゃんを救いたい…ただそれだけなのに…」 陽乃「救いたいって…隼人に誰かを助けられるわけないじゃん。」 葉山「そんな…何で…？」 雪ノ下さんのお姉さんにそう言われてまだ理解が出来てない葉山くん。 そんな葉山くんを前に彼女は淡々とその理由を説明してみせた。 陽乃「隼人はこれまで起きた問題をどうやって解決してみせた？ 恐らく自力で解決したことはなくていつも最後は比企谷くんを頼っていたよね。」 隼人「ちがう！そんなことはない！」 三浦「お姉さんの言う通りじゃん！ 文化祭や修学旅行…それにチェーンメールの時だっていつも最後はハチオを頼ってたし！」 海老名「葉山くんの解決方法はいつもハッチーを頼ること。それは否定できないよね？」 陽乃「この子たちの言う通りだよ。 隼人、アンタの解決方法っていつも最後は他人を頼るものだね。 そんな人に雪乃ちゃんが救えるはずがないって何でわからないのかな～？」 周りからの鋭い詰問に葉山くんは追い詰められていく。 この場に葉山くんの味方などいない。 いや、はっきり言えばここにいるみんなは葉山隼人・被害者の会と称してもいいほどだ。 陽乃「そもそも何で奉仕部の三人が仲違いしたのか、その原因は何だったのかわかってる？」 葉山「それは…ヒキタニの自殺未遂が原因じゃ…」 陽乃「ちがうよ。 そもそもの原因は、 隼人が修学旅行で戸部くんと海老名ちゃんの件を奉仕部に押し付けたことなの。」 陽乃「あの件で隼人が素直に、 その事情を全て奉仕部に打ち明けていればここまで拗れた結果にはならなかった。 でも隼人はそれをせずに比企谷くんにその責任を押し付ける形でこの件を有耶無耶にした。 こんなの誰がどう考えてもアンタに非があるよね。」 陽乃「この際だからはっきり言わせてもらうよ。 自分の仕出かした責任も取れない隼人が誰かを救うなんて絶対に無理なの。」 雪ノ下さんのお姉さんのこの一言が葉山くんへのトドメになった。 彼は私たちの前だというのに蹲り涙を流し始めた。 事情を知らない人が見れば悲劇の主人公に思われるかもしれない。 けどこの場にいる誰もが彼に同情する気になれない。 私だってそうだ。 この人がこれまでやってきたことを思えば当然の報いだとさえ思っているのだから… [newpage] 八幡「それで葉山、お前はこれからどうするつもりだ？」 葉山「どうするって…何の話だ…？」 八幡「言っておくが今回お前がやったことは窃盗だぞ。 いくら俺がここにいるみんなに口止めしてもこれだけの人数だ。 他意がなくても必ずどこかでこの件はバレるはずだ。 それに悪いが今回お前が仕出かしたことを俺は許す気になれない。」 八幡「そしてお前はまた自分の行動によって生じるリスクを考えていなかった。」 葉山「リスクって…一体何のことだ…？」 葉山くんの疑問に八幡は呆れた表情を見せながらこう呟いた。 八幡「雪ノ下と由比ヶ浜だよ。お前はあの二人に俺を呼んでくるように頼まれたんだよな？」 葉山「そうだ。俺は彼女たちからキミを呼ぶように…」 八幡「ならあいつらも立派な共犯になるじゃねーか。」 葉山「そんな…それはちがう！？」 八幡「いいや、そうなっちまうんだよ。 雪ノ下と由比ヶ浜がお前に俺を呼ぶように頼んだ。そしてお前はこんな行為に及んだ。 だからお前が犯した動機は雪ノ下たちから頼まれたのがことにある。 お前が雪ノ下から頼まれた以上この事実を覆すことはできない。 そういうことになるんだよ！」 葉山くんの顔が今頃になって青ざめている。 恐らく自分が仕出かしたことをようやく理解したのだろう。 でも今になって気づいても手遅れだ。 何故ならこれだけの人たちに自分の犯行がバレてしまったからだ。 こうなってはどう足掻いても彼の罪は帳消しになるはずがない。。 八幡「葉山、どうする気だ？」 葉山「俺は…その…雪乃ちゃんに…」 陽乃「もしかして雪乃ちゃんたちに罪を擦り付ける気？ 『僕は何も悪くありません。雪乃ちゃんに言われてやりました』ってさ。 でも隼人は雪乃ちゃんを救うためにこんなこと仕出かしたんだよね。 それなのに肝心の雪乃ちゃんに罪を擦り付けたら昔と同じことの繰り返しじゃない。 いえ、もっと酷い結末になっちゃうよ。」 八幡「恐らく雪ノ下は二度と誰も信じられなくなるはずだ。 しかもその原因が自分を救おうとしたヤツによって貶められるんだからな。 葉山、お前が救おうとする雪ノ下が、 お前のせいで貶められるなんてこんなの笑い話にもならないぞ。」 本当にその通りだ。 自分が救おうと思っていた人を自分が行動したせいで貶められるなんて… この人はやり方を間違えたばかりに泥沼に嵌っている。 こんなのもう誰にも救えやしない。 八幡「葉山、これはお前が仕出かした結末だ。それはわかるな？」 葉山「ああ…わかってるよ…」 八幡「なら改めて聞くぞ。 雪ノ下たちはお前に俺を呼ぶように頼んだ。これは本当のことだな？」 葉山「そうだ…それは間違いない…」 八幡「最後に聞くぞ。 あいつらはお前にこんな方法で俺を連れてくるように指示を出したのか？」 ここで葉山くんの表情が変わった。 今の八幡の質問の意図が理解できたからだ。 この質問はこの犯行が葉山くんの独断か、 それとも雪ノ下さんたちの意思が反映しているのか見極めるためのものだ。 もし前者ならこれは葉山くん一人の犯行として片付けられる。 彼はその罪を全て問われて居場所を失う。 それは彼が最も嫌悪する自分が孤立することに繋がる。 でも後者なら葉山くんは雪ノ下さんたちによって指示された。 もしくは脅された、主犯は彼女たちだと主張することができる。 そうなれば彼にも情状酌量の余地はあるわけだけど… でもそれはすなわち葉山くんが雪ノ下さんと由比ヶ浜さんを裏切る結果に繋がる。 つまり雪ノ下さんたちを共犯扱いできるのは葉山くん次第ということになるわけだ。 [newpage] 八幡「それでどうなんだ。これはお前の独断か？それとも雪ノ下たちに言われたのか？」 葉山「それは…その…」 陽乃「隼人、はっきり答えなさい。もうアンタに逃げ場はないのよ。」 そう、葉山くんに逃げ場はない。 既にこの場は私たちに囲まれている。 もし仮に逃げられたとしてもこれだけ目撃者がいれば逃げたところで意味がない。 そのことがわかっているからなのか葉山くんは口篭っている。 彼は今まさに人生の岐路に立たされている。 自分を取るか、雪ノ下さんたちを守るべきか彼の選択が迫られた。 黙り込み口を閉ざそうとする葉山くん。 そんな彼を見てじれったさを感じたのか八幡があることを問いかけた。 八幡「葉山、何でお前は雪ノ下たちを救いたいと思った？」 葉山「それは…キミがいなくなったからだ…だから俺はなんとかしようと…」 八幡「ならそれは俺の問題だ。はっきり言うがお前は無関係だぞ。」 葉山「無関係なんてそんなことは…！？」 八幡「いいや、これは奉仕部の…俺と雪ノ下と由比ヶ浜の三人の問題だ。 葉山、この件に関してお前は本当に無関係なんだよ。 そもそもお前が口を挟む必要なんてどこにもないだろ！」 八幡「そしてこの件を口実に自分の逃げ道を作ろうなんて思うな！ 俺と雪ノ下たちの問題とお前が仕出かしたことに今は何一つ関係ない！」 八幡「自分がやったこと、これがどんなリスクを生むのか、それをよく考えて言ってみろ！」 八幡は葉山くんに対してそう言ってのけた。 これで葉山くんの逃げ道は全て封じられた。 かつて彼の周りに居た人たちは敵となり、 そして自分が救おうと思っている雪ノ下さんたちがこの場に現れることもない。 そんな孤独な状況下で彼が下した選択は… [newpage] 葉山「俺…だ…俺が…やった…」 葉山「確かに…雪乃ちゃんからヒキタニを呼ぶように頼まれた…」 葉山「けど…このやり方を取ったのは俺自身の判断だ…だから彼女たちは関係ない…」 葉山くんは自白した。 この場にいるみんなの前で自らの罪を認めた。 彼の取ったこのやり方が本当に雪ノ下さんたちには無関係なのかは私にはわからない。 もしかしたら葉山くんが雪ノ下さんたちを庇っただけかもしれない。 それはさすがに考えすぎだと思いたいけど… こうして自らの罪を認めた葉山くん、彼はか細い声でこう呟いている。 葉山「俺は…雪乃ちゃんたちを…守りたかった…それだけなのに…」 陽乃「隼人が守ろうとしたもの…それって何なの…？ 結局、アンタがやったことは守るどころか問題が大きくなっただけだよね。 それでこの場にいるみんなに迷惑をかけたわけだしねえ。」 葉山「それでも俺は…最善を尽くそうと努力した…」 陽乃「その結果がこれだから笑えないの。 そもそもアンタはやり方を全部間違えているわけ。 雪乃ちゃん大事なあまりにアンタは比企谷くんにその全ての責任を押し付けてきた。 だから今こうして報いを受けているんだよ。」 葉山「いくら陽乃さんでもそれは言いすぎだ…！」 葉山くんがお姉さんに怒りを向けようとした時だ。 今まで笑顔を浮かべていたお姉さんは急に真顔になりこの場の雰囲気を変えた。 陽乃「隼人、まだ今回の重大さがわかってないみたいだね。」 葉山「何を言って…俺は怒ってるんだぞ…！」 陽乃「悪いけどアンタの怒りなんてどうでもいいことだよ。 それよりさっきの比企谷くんの選択を誤っていたらどうなってたかな？ そしてもしもこの件がうちの両親の耳に入っていたらどうなっていたと思う？」 葉山「雪ノ下家に知られたら…それは…」 陽乃「当然だけどアンタの家はうちの顧問弁護士だよね。 そこの馬鹿息子が我が家の可愛い末娘と一緒に悪事に加担しましたってことになるわけ。 そうなれば頭のいいアンタならわかるよね。 色んな人に迷惑が掛かっていたはず。会社関係は勿論親類縁者にだって示しが付かない。 そしてこれが後に隼人の保身による嘘ってことが判明したらさらに最悪だよ。」 陽乃「雪ノ下家は葉山家にその責任を取ってもらっていたはずだよ。 そうなればアンタのお父さんは弁護士としての信用ガタ落ち、 一家揃って路頭に迷うなんてことになってたかもね。 それを考えればアンタ一人が泥を被ることなんて可愛いもんじゃないの！」 陽乃「つまり隼人はこうして報いを受けることで助かったの。わかった？」 葉山くんが急にガタガタと震えだしている。 恐らく自分の行いがどこまで愚かだったのか、 そしてそのリスクが大きすぎたことを今頃になって恐怖しているようだ。 でもそれも彼の紙一重の判断で…首の皮一枚残す結果でなんとか事が済んだ。 まったく不運というか悪運が強いのか… 陽乃「隼人、今学期で学校を辞めなさい。 今回の件が大事になれば一番困るのは自分自身だってわかるよね？」 葉山「それは…わかったよ… もう俺を助けてくれる人はいないわけか。いや、俺自身が見捨ててしまったからな。」 八幡「葉山…」 お姉さんから非情の宣告を受けた葉山くん。 でも葉山くんは気づいていない。 実は彼が八幡によって密かに助けられていたことを… もし八幡に問われなければ彼は間違いなく雪ノ下さんたちを道連れにしていたはず。 けど八幡が選択を迫ったことによりそれを阻止していた。 そんな八幡が自分を助けてくれたことなど知らずに彼はこの先も生きていくのだろう。 そして八幡もその性格からしてこのことを決して言わない。 それにこの中でそのことに気づいているのは恐らく私とそれにお姉さんくらいなはずだ。 もし彼が気づけたとしてもそれはかなり後のことになるかもしれない。 [newpage] 葉山「最後にこれだけは言っておきたい。 俺は雪乃ちゃんを救いたかった。これだけは信じてくれないか…」 八幡「ああ、信じてやるよ。 皮肉だがお前がこうしてぼっちになることで雪ノ下たちを救えたんだからな。」 葉山「ハハ…本当に皮肉だ…やはり俺はキミとは友達になれないな…」 こうしてお姉さんの提案により葉山くんは、 今回のことを大事にしない代わりに私たちの前から姿を消すことでその罪は償われた。 それから葉山くんは何も言わず何処かへ歩き出した。 陽乃「ごめんね比企谷くん。最後まで面倒かけちゃって。」 八幡「いえ、気にしないでください。 結局俺は解消しただけで葉山の根本的な問題を解決できてはいませんから。」 陽乃「ううん、でもそれは隼人自身の問題だから。 これから先もどこかで同じことを繰り返すのか、 それとも今回のことで何か学んで過ちを反省するのかは隼人次第だよ。」 三浦「隼人…最後まで馬鹿なヤツなんだから…」 葉山くんの立ち去る姿を見送りながら何かを思う八幡とお姉さん。 そんな葉山くんにかつては想いを寄せていた三浦さんもひっそりと涙を浮かべていた。 こうして葉山隼人は私たちの前からいなくなった。 [newpage] 海老名「ところでさっきから気になってたけど、 ハッチーが必死になって守ろうとしたこのプレゼントの小箱には何が入っているのかな？」 戸塚「僕も気になってたんだ。八幡は彼女さんに何を渡すの？」 小町「ふふ～ん♪実はこれにはですねぇ…！」 八幡「待て待て！何勝手にやってんだよ！？」 小町ちゃんが面白がって、 みんなの前で八幡が用意した私へのプレゼントをみんなの前で開けてみせた。 すると中身は…！ [newpage] 三浦「これって…指輪…？」 沙希「しかも二つお揃いで入ってるね。」 京華「ペアリングだー！うちのパパとママとおなじだね！」 小町「そう！お兄ちゃんが彼女さんに用意したのはペアの指輪なのです！ ちなみに小町も協力したんですよ。あ、今の小町的にポイント高いかな？」 戸部「マジかよ！比企谷くんマジパネェっす！」 八幡「コラ小町！だーっ！恥ずい！だから人前で見せたくなかったのに！？」 なんと八幡が私のために用意したプレゼントは指輪だった。 それから八幡は照れ臭そうにしながら片方の指輪を取り出してみせた。 そしてそれを… 八幡「あの…これを受け取ってほしいんだが…」 少女A「これって…もしかして…婚約指輪じゃ…」 八幡「いやいや…まだそれには早いから！ そんな重たく受け止めなくてもいい。これは単なるクリスマスプレゼントだからな！」 どうやら八幡は小町ちゃんに見繕ってもらい、 クリスマスプレゼントとして私のためにペアの指輪を用意してくれたらしい。 八幡は安物だというけどとても綺麗な指輪だ。 だから葉山くんからあんなに必死になって取り戻そうとしたんだね。 八幡「俺は…こういうの初めてだからわからんが…」 少女A「う…うん…」 八幡「これからもよろしく…メリークリスマスな…」 少女A「はい…嬉しい…ありがとう…八幡…」 八幡はたどたどしくも私の左手の薬指に指輪をはめ込んでくれた。 それはまるで結婚式で新郎が新婦のために誓いの結婚指輪をはめ込む光景だ。 まだ八幡と出会ってから三ヶ月も経っていないけど… 彼と出会ってこんなに嬉しいと思った日はなかった。 ありがとう八幡。私の大事な人… 小町「オーッ！お兄ちゃんやるねぇ！小町的にポイント高いよ！」 材木座「ぬぅぅ…このリア充め！爆発しろ！」 いろは「むーっ！見せつけてくれますね！ 正直嫉妬しちゃいます…けどまだ先輩のことは諦めてませんから！」 沙希「ほら、結婚式の真似事はその辺にしてさっさとサイゼに行くよ。 うちの大志が一人で席確保して待ってるんだからさ！」 八幡「大志のヤツまで来てるのか。それじゃあ行くぞ『　』！」 少女A「あ、待って八幡！ ごめんなさい。私…今回のイベントで忙しくてお返しを用意できなかったの…」 八幡「そんなこと気にすんな。俺は…一応彼氏なんだからな…」 八幡は本当に優しい。 けどこれじゃあ私の気が収まらない。 だからこう言ってあげた。 少女A「それなら…バレンタインにお返しをしたいの…」 八幡「バレンタイン…？」 少女A「うん、とびっきり甘くて美味しいチョコをプレゼントするから期待してて！」 八幡「あぁ、期待してる。さぁ、行こうぜ。」 それから八幡は私の左手を優しく掴みながら、 一足早くサイゼに向かったみんなの下へ向かった。 彼が掴んだ私の手には先ほどの指輪が光り輝いている。 [newpage] サイゼに着く頃には既に日も暮れてまさに聖夜のクリスマスになっていた。 これまで私には恋人なんていなかったけど今はちがう。 私の隣にはこんなにも素敵な人がいる。 この人はとても優しい人だ。けどこの人の優しさを利用する人たちもいる。 あの奉仕部の二人… まだ彼女たちとの因縁は断ち切られていない。 近いうちに何かが起きるかもしれない。 正直まだ私たちの未来は不安だらけだ。 でも私は彼が掴んでくれたこの手を離したくはない。 彼とずっと一緒にいたいから… これからも彼、比企谷八幡という素晴らしい人の隣にいたい。 それが私の囁かな願い。 どうかこの願いが叶えられますように… <少女Aの場合> end [newpage] [chapter:あとがき] これにて番外編は終わりです。 近いうちに雪乃「比企谷くんを救うことになった。」finalを掲載したいと思うので よろしければ最後までお付き合いください。

<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6317918">novel/6317918</a></strong><br />前作の番外編になります。<br /><br />このssは前作の4～5話の間の約1ヶ月の空白を描いたお話です。<br /><br />前作は初投稿にて多大な評価をしていただき大変感謝しております。<br />この場を持って皆様にお礼申し上げます。

雪乃「比企谷くんを救うことになった。」　after

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　燭台切といえば、本丸の厨を担当するにふさわしい刀である、と皆が言う。 同じく歌仙とともに、大飯食らいばかりいる本丸の、もうひとつの戦場ともいえる厨で指揮を取るべき刀である、と。 「はあ、今朝も皿がすっかり空になった」 洗いやすくていいことだ、と次々に積み上がり乱立する皿の塔を見て歌仙が機嫌よく言った。ここの本丸では、広間の長大な机で、皆が顔を突き合わせて食事をするのが常だった。いろいろと理由はあるけれども、この本丸が動き出したとき、審神者が「ひとりぼっちで食事をするのは寂しいだろう」と言ったのが始まりだ。大家族の出らしい審神者のその言葉を、いつしかほとんどの者が理解した。以後、出陣や遠征、やむを得ないとき以外は大概ぞろりと集まって食べる。食べ終わった茶碗は各々で下げ、気分の乗ったものが、厨当番の洗いものを手伝う、といった適当さで動いている。 「僕と君が作った日は皆食べるのも早い」 歌仙は自分の行った仕事への謙遜というのを全くしない。数多いる人斬り刀の中でも殊更に白黒はっきりとした性を持っているので、包み隠すのを嫌う者にはとても好かれている。かくいう燭台切も関西の味付けと関東の味付け、という重要かつくだらないことで一度けんけんとやりあってからは、それなりに腹を割って話せる仲となった。 「気にいってもらえて良かったよ。君にも、みんなにもね」 そう笑って、燭台切は小夜が差し出した皿をちょっぴりかがんで受け取った。ありがとう、と言うと、かの子どもは「今日も美味しかった」とぼそぼそ呟いて、ぴゅうと厨から出て行った。おやおや、と残念そうに笑う歌仙が指先を突っ込んでいた袂からは、小さな豆菓子の包みが覗いていた。 「それを彼に？」 「そう。その前に逃げられてしまったけれども」 歌仙は審神者に対しても忌憚ない物言いをするし、ひとによって態度を変えるということを滅多にしない刀だが、左文字の末弟には少々甘い。 「駄目だね、見た目に引っ張られてしまって、どうにも甘やかしたくなる」 本丸では、上背があるものが兄であることが多いが、各々の出自やここに訪れた順番を考えれば、小さな兄貴分というのは何もおかしくない。そこに在る魂の問題だ。きっとそのことを言っているのだな、と燭台切は思った。 刀もごっこ遊びをするのだ。そう言ってしまえばそれまでのことだけれども、本丸自体、時代錯誤の建物に時代錯誤の主を据えている。しかしどれもけして愚かだと一笑に付すようなことではない。自分だってごっこ遊びに興じている身だ。 「はは、しょうがないよ。僕だって貞ちゃんがここに来たらきっとそうする」 いまだ本丸に訪れる気配のない短刀の名を、顕現以来繰り返し口に出している自覚はあった。そしてそのたびに知己の者にうんざりとした顔をされるか痛ましい目で見られるのが常だったので、もう慣れっこだ。大倶利伽羅にいたっては、その名が出ても何事もなかったように流す。あちらも慣れきっている。 「そのうち来るだろうさ」 「うーんそうかな？　もう一年は待っているから」 「人の身で重ねる歳月というのは、長くもあるし短くもある。僕はそろそろ慣れてきたけれども。君はまだのようだ」 下手に共感もせず適当に相槌を打つ歌仙は好ましい。ほとんど変わらぬ時期に来たのに、訳知り顔の厨のぬしは澄まして言う。燭台切はそれに言葉を返すことをせず、いつもの笑顔で曖昧にした。 　この日は、朝の厨当番以外の仕事がなかった。そんな日はおやつの新作に挑戦したり、城下町――付喪神やもろもろの神様が住む町のようなもの――におりて、ぶらぶらとウィンドウショッピングをしたりするのが燭台切の楽しみだ。 しかし、今日はどれもやる気が起きない。それで、洗い物を終えたあともぼんやりと戸棚の整理や床の清掃を丹念にしていたら、手が当たってしまい、主の使う湯呑を割った。やれやれと散らばった破片を片付けていたら、昼餉を作るためにやってきた当番の大倶利伽羅に、「まだいたのか」という目をされ、次にその惨状を見られ、終いには「あとは俺がやる」と問答無用で厨から追い出された。 そのうえ夕方には、主にお茶を出そうとしていつもの湯呑が無いことに気付いた長谷部がずかずかと自室にやってきて、怒られた。昼の大倶利伽羅よりも長く乾いた溜息をつかれれば、かちんと来てしまって口論になった。 「主にお出しする大事な湯呑を割るとは……」 「だから、悪かったって……次の休みにでも、いや、明日にも非番の人に城下で同じようなの買ってきてもらうからそれでいいだろ」 今日はこれで代用して、と官用の、皆と共通のものを差し出せば、苦々しい顔で受け取られる。 「同じものがあるとは限らないだろうが」 「しょうがないじゃないか、物はいつか壊れるし、その時は新しいのを買わなくちゃいけないんだから」 いつまでもそれに固執していられないよ、とまで苦々しく付け加えて。 この時、幼子に言い聞かせるような声色になってしまったのがまずかった。しまった、と思ったときには美しくつり上がった眉を跳ねさせた長谷部が湯呑を両の手でぎゅっと握っていた。 「それは、なんだ。暗に、誰にでも代わりがいるとでも言いたいのか？」 「そんなこと言って、」 「いいや、同じだ。壊れたら、新しいものを見つくろわんとなあ？」 俺もお前も。 虫の居所がもともとあまり良くなかったらしい長谷部が、犬歯をむき出すようにして笑う。彼がこの手の発言に敏感だったのを失念していたのだ。しかし、もうこのからだで生まれ出でて一年にもなるのだし、いい加減慣れてくれたって、と。いつもならおくびにも出さぬひどいことを考え、それが知らず知らずのうちに顔に出ていたようだった。それを目にした長谷部の、たおやかな藤色の双眸が鋼のような硬質な銀の光を湛え、鋭さを帯びていく。手合わせでも戦場でも何度も目にした眼光だが、今はそれを真正面から受けとめることが辛く、息が詰まった。 顔を逸らしたのは燭台切が先だった。 「ひどい顔をしているね、幽霊みたいな」 と、すれ違いざまに寝床へ向かうらしき寝巻姿の青江に言われ、歌うようなその声が去っていくのに、ろくに応えを返すこともできなかった。 　そうして今、燭台切はぼうっとふやけた意識を振り払うべく、人気のない浴場でひとり体を洗っている。尽きることのない篠突く雨垂れにうたれていれば、不意に、つきんと鋭く指の腹が痛んだ。それに無用なほど驚いて、コックを急ぎひねって人工雨を止める。前触れなく訪れたものに顔をしかめ、場所をあらためる。右の人差し指だ。どうやら湯呑の破片を拾っているうちに切れていたらしい。ちいさな傷が薄らと開き、血がぷつぷつと滲んでは、次々と肌に乗る滴にほどけて色を薄くした。 　今日は散々な日だった。良いことの上に悪いことが次々に黒いインクで印字されて、かき消していくような、ひどい日。結局あの後は食欲も湧かず、夕飯は後からこそりと残り物で済ませていた。冷めてしまったそれをレンジで温める気力もなかったのだ。 ここしばらくは、年末年始のお祭ムードで、いつだって和やかに、その倍は賑やかに本丸が動いていた。尚更こたえる。 　湯船に浸かってひとつきりの目を閉じても、瞼に投影されるのは、長谷部のねめつけるようなきつい眦や、溜息を吐く唇、力の入った両の握り拳――そんなかなしいものばかりだ。 彼のせいではない。どれもほんの小さなつまずきだし、夕方のことは双方の間が悪かっただけだ。そもそも起床した時点で燭台切の精神状態はあまり良いと言えなかった。理由は思い当たらない。誰も責めることが出来ないと、自ずと自分の内へと矛先は向かうもので、燭台切は檜のふちにしなびた大根の葉のように力なく寄りかかった。気分転換にと風呂に来たのに、洗い流せたのは薄い肌の上っ面だけで、心はどろりとどこか濁ったままだ。吐いた息も苦く感じた。 　見事に明るくけがれのない月を見つつ、今夜は柱にもたれて煙草を一服、とも思ったが、やはり胸全体がむかむかしていてわざわざ肺に紫煙を入れる気分にもなれない。弱った気持ちでとぼとぼと静かになった廊下を歩いていると、いつの間にかキッチンに足を運んでいた。こんな時にも厨だなんて、と己に飽きれつつも、からりと扉を引いて電気をつける。迎えるのは、かち、かち、と壁にかかった時計が刻む規則正しい音と、遠くでほろほろとなにがしかの夜告げ鳥が鳴く声だけだ。皆が瞼をおろす頃でも、燭台切はしばしば夜戦組の夜食や朝食の仕込みのためにここに訪れる。そんなある種の癖で、来てしまった。 　しかし今夜は夜戦も夜通しの遠征も無かった。手慰みに何かを作ることもかなわない。 どうしたものかな。厨番とそこを訪れる者のために備えられた簡素な椅子に座って机に肘をつき、歌仙によって飾られた一輪ざしの花を、愛でる気もない冷えた目つきで眺める。 なんだかやるせなかった。明日だって昼餉の当番が入っている。でも、きっとこのまま水を飲んで寝たところで、今の気分を消化して流すことなどできないという予感があった。誰も彼もに会いたくない。漠然とした、でも確かにマイナスの値を指しているその気持ちのままに、皆に接するのは良くない、と思った。一年も過ごしていて、今さら自分の感情を制御できないなんて笑える。長谷部に言った通りのことがそのまま自分に返ってきて唇を噛んだ。自由な人のからだでなんて在りたくない、何も言わぬ刀に戻りたい、としばらくぶりに感じて、燭台切はまた一つ溜息をついた。 暗い感情は大食らいだ。放っておけば足場をかじりつくし、たやすく心を底なしの沼にいざなう。これは良くない。キンと凍るような冷酒でも煽ってから寝ようか、といやに重たさを増した冷蔵庫の戸を開ける。途端に目に入ったのは棚を覆い尽くす白の玉子、茶の玉子――全部玉子だ。面食らった。見ているだけでニワトリとヒヨコがやかましく鳴き交わす声が聴こえるようなおそろしい数だ。たしかに本丸ではニワトリを飼っている。が、稀に多くうまれることがあってもここまではなかなかない。おおかた主が間違って取り寄せたか、遠征先で三日月辺りが押しつけられたのだ。とんでもない数だから、もしかしたらその両方かもしれない。本丸一見目麗しい彼は隠蔽術式がかかっていてもひとの目に留まりやすく、くわえてあの人柄だから、市井の人々にものを貰いやすい。お供え物みたいだ、と鶴丸がよくからかっているが、なにも不利益ではないので、皆ありがたがっている。 　それにしたってとんでもない量だ。明日からはしばらく主菜から副菜に至るまで玉子の出番だろう。おやつにたんまりと分厚いホットケーキを焼くのもいいかもしれない。新しく購入したメープルシロップの大瓶が出番を待ちのぞんで光っている。でも、と思う。やはり自分は明日の厨番くらいは離れるべきだろう。朝イチで主にかけあって、完全な非番の日を一日だけずらしてもらうことにしよう。しがないプライドと笑われても構わないが、半端な気持ちで作った料理を主や皆の口に入れるのははばかられた。こんな正体不明のどろどろした胸のもやは、玉子の膜ごときで気軽に包めるようなものじゃない。それだけの分別はついた。 　冷蔵庫はどこもかしこも玉子に覆われていて、目当ての清酒はなかなか見つからなかった。もういいか、とだいぶ冷えた腕を棚から抜くと奥から、カシャン、と軽い音を立てて黒い板が二枚落ちた。チョコレートだ。黒くて滑らかな包装紙の表面で金の箔押しがぴかぴかと輝いている。拾い上げると片方は片方の下敷きになって真ん中辺りから割れてしまっていた。あちゃあ、と誰の名前も書かれていないそれを眺める。冷蔵庫に入れておくなんて変わってるなあ、とも思ったが、こうなっては仕方ない。そっくり食べて証拠を隠滅してしまうほかないだろう。そう決めて割れたチョコの包装紙を破り、六対四にわかれてしまったうちの”四”の方の端っこをさらに小さくぱきんと割った。そのブロック片を口に含めば、舌にねっとりとからみつくようなチョコレート独特の食感がした。塊が口中の体温で緩やかに溶けていく。逃げぬように、舌で上あごに押しつけつつ味わえば、それはごくごく短い時間のうちにすべて喉から胃へと滑り落ちていった。記憶にあった印象とは違い、思いのほか名残を残さずにすっきりと消えた。よくよく見ればチョコレートには『ビター』の表示があって、なるほど、あまり見かけないそれだ、と思った。他の甘味ではなくてわざわざ板チョコを好き好んで食べるような刀の名前はパッと思いつかなかったし、ましてや『ビター』のものなら甘いのを好む短刀たちのではない。まあいいか、と新たな欠片を口に運ぼうとして、ふと先の玉子のことが浮かんだ。チョコ、玉子、チョコ、玉子、とぐるんと頭の中をひとめぐりすると、それらはいつの間にか溶けあって料理の名に変わっていた。 ガトーショコラでも作ろうか。 ぼそりと口に出してみると、冷えたチョコの欠片から、ことさらに甘やかでふんわりとした匂いがただよってくる。 「君もそうなりたい？」 返事など来るはずがないと知っていながらも、食材に話しかけるのは燭台切の悪癖だった。今回も満足な返答こそなかったが、カカオの芳香が強くなったような気がした。 　燭台切自体は面倒くさがりでもなんでもないけれど、どうしたって時間というのは限られる。おやつだって、仕込む時間がいつも十二分にあるとは限らないからだ。その時のために『時短レシピ』なるものを、せっせと電脳の海を徘徊し集めてファイリングしていた甲斐がある。 適当――なんてすばらしい響きだろう！　この時ばかりは重たい手の動く範囲でやれる料理がありがたかった。 　ごんごんごんと厨に鈍い打音が響く。燭台切がビニール袋にいれたチョコレートを麺棒でひたすら叩いている音だ。苛立ちを発散するかのようなその行為はもはや『チョコレートを力いっぱい殴っている』に近かったが、周囲に誰もいないのだから構わないだろう。見事に粉々になったチョコレートは湯煎にかけ、放置。 溶けるのを待つ間に、取り出した玉子をとろりとした白身とつやつやと光る黄身とに分けて、白身の方だけをボウルに入れ、かき混ぜる。電動泡だて器という便利なものも、今や燭台切の目には入らない。がしゃがしゃと軽快に、だが親の敵――この場合の親とは刀剣にとって誰を指すのか――のように激しくかき混ぜていると、次第にみにくかったぶつぶつの薄い透明の泡肌がキメを細かくし、ふんわりと白く持ちあがる。 出来たメレンゲは一度置き、放っておいたチョコレートの様子を見る。期待した通り、綺麗に溶けている。そこに先ほど除けた黄身の双子をぷつんと割って、たんぽぽ色のそれをチョコレートに垂らす。冷えて固まる前に手際よくひと混ぜし、急いでメレンゲに投下。白いそれが褐色の侵略者の手で、無残なさまになっても、燭台切は手をとめない。この場合むしろ、きたなければきたないほど、いいのだと思う。 泡をつぶさないよう、ダマを作らないように慎重にかき混ぜた泥のような生地を、バターを壁面にべたべた塗りたくった釜に流しこんで、蓋を閉め、赤いスイッチを押す。 これですべての工程は終わりだ。あとは働き者の炊飯器くんに一任すればいい。 　うすいインスタントコーヒーを飲みながら、しゅうしゅうと鳴る炊飯器を眺めている。 小さなモニターの示した残り時間が減るにつれ、少しずつ甘いにおいが厨を満たしていき、終いにピー、ピーと口笛のごとき甲高い音がして、焼き上がったことを知らせた。 「おっと」 炊飯器を開けるなり、チョコレートの芳香が湯気となって燭台切を襲った。むせるほど濃いそれを放つ、熱い釜をよいせと持ち上げる（こういうとき手袋を基本装備しているというのは楽だ）。 皿にひっくり返し、ひとかけをさくさくとナイフで切って食べると、感嘆の声が漏れた。とても美味しい。温かい菓子に、フォークが止まらなくなってしまって、行儀悪く台所に突っ立ち、無心で切り分けて食べ続けていた。焼き上がるのを待つまでに解凍していた、出来合いのクリームをつけることも忘れ、ただ、無心に。気付けば残りは、四等分のうちの一等分だ。自分らしくなく、不揃いに切られた小さな欠片。 ここでようやく燭台切は椅子に座りなおし、背もたれに背を預け、ショコラのてらてらとつやめいて輝く表面と、ぽつぽつと気泡を連ねたお世辞にもうつくしいとは言えない断面を眺めた。時計に目をやれば、午前二時をとうに回っていた。 　偶然思いついた他愛ない菓子作りだったが、先に覚えていたままならないひどい気持ちは、いつの間にか少しましになっている。料理とは不思議なものだ。さなぎが中のどろどろを逃さず包み隠して、いずれ美しい蝶へ変えるように、己の内のぐちゃぐちゃなものを形にし、自身で消化できるのだから。 燭台切は、ひとは誰のためでもなく、他でもない、ただ自分のためだけに料理を作れるのだとようやく知った。 　次の日の朝は、少しだけのんびりと起床した。隣室の大倶利伽羅も鶴丸の気配もとうに無い。それでも朝食の席に間に合わないというのは避けられたようだった。 手伝いに来たというていで少しばかりどきどきしながら厨へと顔を出せば、今朝の当番は蜻蛉切と三日月で、ふああと欠伸混じりの三日月をやんわり急かしながら、味噌汁を盛りつけているところであった。 「二人ともおはよう、なにか力になれることはあるかい？」 「燭台切どの。ちょうどよかった、この寝坊すけの御仁へ配膳の指揮をお願いできるだろうか」 「……うん？　やあ、おはよう光忠の。今朝も息災か？」 　滅多に台所など立つことのない三日月だが、時たまこうして投入され、工程や味への審美眼――まあほぼほぼ勘だ――がお守りとして珍重されている。ようは良き味見係だ。隣に立つのが、厨において歌仙や燭台切の次席にその名をつらねる番人でなければ、今頃パンクする作業量であるのだが。本丸の健啖家たちは、簡素でもきちんと品数のある朝食を好むため、一日のはじまりからとても忙しい。 ちらりと見やったところ、どうやら今朝の献立は、大根おろしの添えられた出汁巻き玉子とほうれん草と油揚げの煮びたしに、大粒の鳥そぼろの餡がかかったじゃがいもと人参の煮物、なめこの味噌汁、歌仙が監督し皆でこしらえた各種漬物だ。特筆すべきことのない、いつもの朝食。 ――ただ、他でもない出汁巻き玉子の量がえげつなかった。黄色くてふっくらした、何気ない幸せを料理にしたらこうなるのではないかというそれも、こう山と盛られていれば、圧倒される。 「うん、元気だよ三日月さん。それにしてもこれは……やっぱりそうなの？」 「ああ、その通り。年が明けてさらに神格があがったのではないか、なあ三日月どの」 冗談めかして言う蜻蛉切が額にふつふつと汗を浮かべているのものだから、せっせと焼けたものをひっくり返していたのだろうその様子が目に見えるようだ。本丸へと大量の玉子を持ちかえってきた張本人は次々に出る欠伸を噛み殺すこともせず、ちょこんと椅子に腰かけてふあふあと息をもらしている。 「もう少し早く来れば良かったよ」 当番は自分たちなのだから構わない、と柔らかく笑う蜻蛉切の横に腕をまくりつつ立って、味噌汁を椀にとりわけ、盆に乗せる。 「はい、三日月さん。いつも通りテーブルに適当に並べちゃって。急ぐとこぼれるから慎重にね」 「いつもすまんな。だが今日の俺はよくやったのではないだろうか……朝からあんなにたくさんの玉子を割ったぞ」 それに今朝は一度も器に殻を入れなんだ、ところころ笑う三日月に盆を持たせ、そのかんばせを見る。男は多少世間知らずで手先の不器用なところのある刀ではあるが、こうして与えられた自分の役目はきちんと果たしている。彼が周囲を引きつけ、周囲が彼を甘やかしてしまうのは、けして憎めぬこのお茶目な気質のためだろうな、と燭台切は微笑みを返した。 でも『彼』は、この気質を少々苦手としているような気がする。 「――光忠や、もうひとつくらいなら盆に乗るのではないか、ほれ、ここ」 椀を持ったまま寸瞬の間固まっていたらしい。反応を返さぬ燭台切を不思議がって、どうした、と三日月がぱちぱち長いまつ毛をしばたたかせていた。それに、ごめんね、とこたえた唇は、きちんといつもの笑みを浮かべられていたかどうかは定かではない。 それでも、こころは昨日よりはるかに澄んでいる。 　結局、あの時拝借した玉子もチョコレートも、誰にとがめられるわけでもなく七日ほど経った。 燭台切はといえば、また真夜中に厨に立っていた。明日は完全な非番である。ここしばらくは最低限の哨戒任務以外、出陣も少ない。現時点での歴史修正軍との最前線であった京都戦線を無事攻略したこの本丸は、遅い冬休みとも言うべき期間に入っていた。いわば英気を養うための暫しの暇だ。いきもののからだは難儀で、この季節は活動が鈍くなる。刀にとっては、冬の空気のように刃が冴え冴えとする時期なのに、と思わなくもなかったが、ひとのからだでもぐる炬燵はぬくく、皆で囲炉裏や火鉢を囲んで焼く豆餅は大層美味しかった。もちろんそれぞれ鍛錬は欠かさないし、春を、新たな進軍のときを待っている。ただ、親である審神者に影響されたのか、寒がりの多いここでは、本格的な冬に入るなり、就寝する時間も早まっていた。 つまり――夜中にひっそりと何かをするには最適だ。 　今夜は何を作ろう。 あの日、やるせなさと苛立ちを菓子という形にし、食らったはいいが、長谷部との仲は、改善されるに至っていなかった。当然だ。あれは自己の内で完結しただけに過ぎない。もしかしたらあんな些細なことをいつまでも気にしているのは自分だけかもしれない、と思えば、今さら謝るのも違うような気がした。主用の湯呑は結局、自分の手で前のものと似たのを購入し、その後問題なく使われているようだった。どういう風に彼は審神者にお茶を淹れていたか、薄れるほどには燭台切はしばらくその姿を見ていない。水切り場に置いてある新参の湯呑が知らぬうちに消え、知らぬうちに洗われて、ひと筋ふた筋の露をその身にまとわせているのを、厨におもむくたびに見た。大広間の真横に設置された掲示板を幾度見ても、二人の休みも仕事も見事なまでにちぐはぐに食い違っていて、もしかしたら長谷部が、審神者に進言してずらしているのでは、とも思いこんだ。かの男がそんな、他意を持って主に仕えているわけがないのに。 良くない、良くないな、とまた出口のない内省の渦に囚われそうになっていれば、思い悩む持ち主を慮ったのだろう――燭台切の脚は、重たく沈むからだを、正しく、ここ厨へと運んできたのだった。 　人気のない厨で、前と同じように椅子に背を預ける。 周囲をきょろりと伺えば、玉ねぎの入った大袋が、食糧庫に仕舞われずに無造作に置かれていた。今日の当番は、御手杵と鯰尾と後藤だった。献立にハンバーグ（チーズ入り）が出ていたから、きっと揃ってうっかりなところのある三振りが片付け忘れたのだろう。申し訳なかったが、やはり今夜も燭台切は、靴と防具の手入れに熱中していた、という言い訳のもと、夕食を抜いた。長谷部がその席にいるかどうかはわからなかったけれど、彼と主と、また彼の知己とも何となし、顔を合わせづらかったからだ。そのおかげで、今になってぐうぐうとわがままな腹が鳴ってしまっている。なるべく集中できて、時間が多少かかって、それでいてお菓子でないものを、と考え、やはり置き去りにされた玉ねぎを使わせてもらうことにした。 　大ぶりのをひとつと小ぶりのをひとつ、袋から取り出す。ぱりぱりと不満を訴える皮を上手になだめつつ、すべてをつるんと剥き終えると、次はよくよく研がれた包丁を手に持つ。一つ目の胴体をざっくりと真っ二つにして、その片割れに端から包丁をいれていく。そうすると、透明な羽衣に、緑と白の染液を垂らしたような色の、薄くひらひらしたものが次々生み出された。青臭く、つぅんと鼻をつく香りで、徐々に意識が冴える。そのまま、さこ、さこ、とんとんとん、と一定の拍を刻んでいると、だんだん自分の鼓動と同調していくように感じて、小気味良かった。 すべてを同じように処理し終えれば、次は炒める作業だ。少し深めのフライパンに、火をいれる。そこにあらかじめ用意しておいた一欠けのバターを滑り込ませた。鍋が温まるにつれ、だんだんと濃く立ちのぼっていく華やかな乳の香りを楽しみ、切った玉ねぎをまとめて投入すると、その水分が先住の油分と決裂し、ぱちぱちと勢いよく喧嘩した。その均衡を、ヘラでサッと崩すと、塩と胡椒を少々振り、みにくい焦げの偏りが生まれないよう、よくかき混ぜる。 レシピを集めているときに、「時間を短縮するには、電子レンジで十分、先に軽く火を通してしまうといいでしょう」とのメモがあったが、構わなかった。ひたすら作業に没頭するのが目的だ。鼻歌を歌うこともせず、無言で玉ねぎを炒める。だんだん、それぞれに火が入り、最初よりもごくごく透明な、羽化したての蝉の羽根を思わせる見た目になっていった。しかし手は止めない。ただひたすら飴色を目指していた。 　ある時、今剣が言ったか、秋田が言ったか他の小さな刀が言ったかは定かではないが、「べっこう飴を作ってみたい」と誰かが口にした。ただの砂糖を、ホットプレートの上に置いたさまざまな大きさをした銀紙の器に入れ、じいっと煮詰まるのを待つだけのそれであったが、皆思い思いに楽しんでいたようだった。理科の授業みたいだ、とその様子を通りがけに覗いた審神者が笑うと、次いで、近侍としてついていた『彼』が顔を出した。常のごとくわいわいと騒ぐでもなく、時折ぼそりと様子を小声で実況しながら、砂糖の粒が個の形を失くし、つやめいた褐色の飴になっていくのを皆が見つめていたのが、どうも興味を引いたらしかった。大きな審神者の肩口辺りからちょこんと顔を出して、いかにも「またくだらないことを」というような、むずかしい顔をしていたが、この絵にかいた堅物が、実は甘いものにめっぽう弱いのだと、燭台切はその時にはもう見当をつけていた。やがて、各々の保護者に見せる、と言って小さな刀たちができたものを手にし、散り散りに広間を離れたとき、興味を失った彼もその場を立ち去ろうとしたので、引きとめて、余った砂糖で作ったべっこう飴を手渡した。きみもどうぞ、と渡した、その小さな、薄く平べったい、いびつな琥珀色を、彼がどんな顔をして眺めていたか―― 　そこまで物想いに耽って、ハッと鍋を見れば、記憶にあったような飴色をした、使いかけの毛糸玉に似た塊がそこに存在していた。 レシピに掲載されていた写真を思い浮かべ、たがわないのを確認したら、そこに少量の粉をまんべんなくふるう。そこに、包丁の腹で砕いたコンソメと、水、棚奥から引っ張り出したローリエの葉とを投入し、煮込む。ごくシンプルな料理ではあるが、きちんとやるとそれなりに時間がかかる。沸騰した表面に泡がいくつも顔を出し、ぱちんとはじけるたび、どこにこんなものを隠していたのかと思うほど複雑な匂いがする。思わず湧き出た唾液を飲んでいた。 煮込む間に、燭台切は冷蔵庫を開け――もうあの悪夢なほどの玉子らはすっかりなくなっていた――中からスライスチーズと、ほぼ水分が抜けてカチカチになった食パンを取りだした。本当はバゲットを使うのだけれど、そんなハイカラなものがここに常備されているわけもない。この際固めのパンならなんでもいい。縮んだ食パンを適当な大きさに切り、その肌にニンニクの欠片を少しだけこすりつけ、トースターにいれる。 焼けたパンが香ばしいかおりをぷんとさせる頃、フライパンの中身がなおさらとろとろに形をなくしたのを確認し、火を止めた。 　準備していた大きめのグラタン皿にスープをちゃぷちゃぷと全部入れてしまうと、そこに先ほどのパンを舟のごとく浮かべ、細かくちぎったチーズを乗せる。チーズの重みで、小麦の舟はぐらぐらと揺れたがなんとか沈みはしなかったようだ。これだけ表面を覆っていれば、正直、舟というより蓮の葉かなにかに見える。 気を取り直して、もろもろを乗っけたスープの皿を、今度はオーブンに入れた。 これで全ての工程は終わりだ。 熱が上がるにつれ、表面が次第にぢりぢりと音をあげながら、再度温まっていく。玉ねぎも大変だなあと、下手をしたら多くに馬鹿にされそうなことを考え付き、ふ、と笑った。ばらばらに切られ、炒められて、今度はあらがえない水とともに一緒くたにされ、ようやく落ち着いたかと思えば、最後はまた違う熱にあぶられる。 どこかの渡りの刀と似ている、と思った。 チン、と控えめな音がして慎重に中身を取り出せば、ふちにくっついたチーズがいまだ溶岩のようにぼこぼこと膨らんではしぼんでいる。鍋敷きを敷いたテーブルへと運び、椅子に座って、いただきます、と手を合わせる。遅い遅い夕食だ。 　待ち切れず手に取った木のスプーンで、遠慮なしに刃を入れれば、じゃくっ、と耳に心地よい音がした。パンをのけ、最初にくたくたの玉ねぎを口に運べば、ああ、と声が漏れた。半刻以上かかった甲斐がある。漏れ出た溜め息は、ここに来るまでに散々ついていた、湿気りきったそれとは対極のものだ。匙ですくっては口に入れ、舌で玉ねぎと、ほどよく溶けたチーズとをとろかして、次々飲み下していく。その間、スープに浸り柔らかく煮えたパンを食んでいると、不意にほろろとしずくが垂れ、皿に沈んでいった。スープをこぼしたのではない。一つきりの目玉から、同じく一つきりの涙粒が落ちたのだった。思わず匙を置いて、目元を確かめたが、肌に痕跡も残っておらず、間違いかとも思った。 「変なの」 自分のからだを完璧に制御することはどんな人間も不可能だ、とは初めに聞いていた。そう、いつまで経ってもひとのからだは不思議で、だからこそ他人を――他の刀を見、己を鏡にして、互いに、ひととは何かを学んでいくのだ、と。ここに半ば囚われた身の上、関わる人間などごくごく限られているのに、なぜ、とこたえた刀もいた。審神者はそれに、「単なる修羅を飼うために、本丸というからくりがあるわけではない」とだけ返した。わからないよ主、と燭台切はずっとそう思っていた。己自身を振るい、敵を容赦なく葬り血を浴びるかたわら、気持ちの赴くままに他人の世話を焼き、物言わぬ命を手厚く生かしながら、殺して調理し、それを食む。そうやって、ひとと刀を毎日のように行き来し、ひととせをここで過ごしても、わからないことばかりが増えた。 スープは、涙の味など垣間見せることなく、最後までひどく、優しい味がした。 　 それからかまた三度か四度、燭台切は一週間空けるか空けないかの頻度で、自分のためだけの料理を作った。俗に言うならこれに「ハマっている」のだろう。刀を振るうにも場がいる。この一時の平穏の最中「早く新しい戦に出たい」などと言えば、真っ先に近侍の彼、または審神者の耳に入るはずだ。己がそれほど戦で武功をあげるに執心しない刀、に見えているのを知っているため尚更である。燭台切は、ぼやけた頭が今一度、芯から冷え固まり、綺麗な形を成すまで、誰かのことを煩わせたくなかった 「――誰かが厨でこっそりなにか作っている？」 興味深そうにあげられた声に、そうなんです、と控えめな応えを返したのは五虎退だ。 盛夏とは違う淡い天色のもと、燭台切と鶯丸、それにお手伝いの短刀が三振り、洗濯物干しに勤しんでいた晴天の朝のことである。思わず、ぴく、とハンガーを掴む手が止まった。洗いざらしのタオルが所狭しとはためく中では、誰も、数瞬ばかりまごついた男の手つきなど気付かなかったようで、声の高さは特に変わらぬまま話は続いている。 「僕が、夜中に、その……厠に起きた時、その帰りに灯りのついた厨が見えて……でも、遠いし、誰がいるのかまではわからなくって……それにねむたかったし、その夜は部屋に戻ったんです。でも、ここ最近ずっとさむくって、また、夜にどうしても我慢できなくて厠に行こうとして……そうしたらまた厨に灯りがついてて……そのとき、心細くてついてきてもらった虎くんがそっちに行きたがったんです。はじめは、お、ばけ、とか、侵入者とかに反応したのかと思ったんですが、ようく見たらご飯をほしがってるときに似てて。僕も空気のにおいをかいだら、かすかですけどいいにおいがして……わざわざ、本丸に忍びこんでまで、厨に行くような敵なんていないと思うし……どなたなんでしょう？」 いまだ注視されるのに慣れないでいる五虎退が、つっかえつっかえしつつも何とか伝えると、へえ、と平野が声をあげた。 「それはまた不思議な……ですよね、鶯丸様」 ええ、と前田もならってそれに相槌を打った。 「だって、最近夜戦もご無沙汰ですし、夜食も必要ないのに」 「ふうん、確かに。俺はかなり早寝の方だし、自慢じゃないが寝付きもいいから、夜半のことはわからん。だが、厨のことなら、ほら、そこの燭台切か歌仙にでも聞けばすぐなんじゃないか」 二人とも、厨のことなら一番知っているだろう。その声に、不意にばくばくと胸が反応して鳴り始めたのをどうにか無視する。 「歌仙さんは、いつも早起きですし、あの時間に起きてる理由はない、かなって……燭台切さん、だったら、何か作ったら、僕たちにいつも食べさせてくれるから」 そう呟くように言う五虎退の、そばかすの散った頬が、ほわりとあかく染まったような気がした。 「そうですね、あの方はいつも僕たちに素敵なものをくださいます」 「はい！　昨日も畑当番の後に皆でチョコちっぷのまふぃんをいただきましたよ。ほんとに、頬っぺたが落ちそうで」 「はは、たしかに八つ時にもらったな。俺のは抹茶に栗と胡桃入りだったぞ。甘い茶の味というのもいいものだな。ますます茶がすすむ」 「あ、鶯丸さまばかりずるいです！　ぜひそっちもいただきたかったなあ……ですよね、前田」 「ええ、平野。　……ああ五虎退、泣きそうな顔をしないで。きみは昨日、夕餉時まで遠征だったでしょう？　すぐ次の機会が来るだろうから、ほら」 「――ということだそうだが？」 干していた手ぬぐい二枚の隙間からズボッと勢いよく鶯丸の生首が飛び出てきて、作業のかたわら、ことさらに耳をそばだてて聞いていた燭台切は数センチ飛び上がった。 「わ、わ、もう、何やってるんだい鶯丸さん……！」 「聞いていたか今の？　また近いうちに作ってやってくれ。かわいい五虎退の頼みだぞ」 「え？　あ……、うん、そのうちね、すぐ」 どうやら、当初の話題は、菓子と八つ時のはなしにかき消えたらしい。助かった。 「どうかしたか？」 「いや、何でもないよ。ちょっと考え事をしていただけ」 はは、と苦笑しつつ答えれば、新緑が覗きこむようにこちらを見た。三日月や鶴丸とはまた違った、年かさの者のみが持つこころを見透かすような笑みから、逃れまいと妙に意地を張って目を合わせると、ふ、と張りつめた間をほどくように、男は常春のごとき息を吐いた。 「そう急く必要はないと思うが。皆、お前の作るものは何でも好きだろうよ」 刀派の関係上、血縁とも呼べるものを持つ。だからか燭台切はよく鶯丸から、けして折れない、家守の大樹のような匂いを覚えた。 「お前が何で悩んでいるのかは知らん。詮索する気もない。まあ、たまには何も考えないというのもいい。長い刃生、心のおもむくままに進むが吉、というときもあるだろう。うん」 好きにしろ、と言うと、ふい、と興味を失ったように、首は引っ込んだ。元通りにはためく手ぬぐいの帳はきゃらきゃらと笑う短刀たちの声を受けて、気持ちが良さそうである。 燭台切はこういうとき、本丸一食えない刀はあのおじいさまなのではないかと思うのだった。 　そうはいってもそろそろ潮時だろう。あの話を五虎退らはきっと他の誰かにもする。ひとの口に戸は立てられない。もっと好奇心の強い者の耳に触れれば、時期外れの肝試し、と洒落込む可能性がないとは限らない。ばれたところで何があるわけではなかったが、知られたら、もうそれは自分のための料理ではなくなってしまう。 だから終いに、一度だけ作ろう、と思った。それで最後にする。 気まぐれで始めたのだから、またほとぼりが冷めてからやればいいだろう、と内の自分が囁いた。 　そう決めた夜、早速勝手知ったる厨に忍び込んで――もう半ば自室の延長のようなものだが――いつも通り余り物を漁る。 余り物、というのは、大概忘れ去られるか、その一歩手前に佇むものだ。そして忘れられたら最後、そのまま塵芥になる。忘れられることは自動的に除け者になることを示している。 ここにひとりでいると、燭台切は考え事をする時間が多くなった。些細なことが大袈裟に、哲学的に広がっていく。哲学とは、人間の知識欲に根差すものらしい。では人間のからだを持っていても、ひとじゃない刀の身で、思考のどこまでが自分かわからない身で、欲とはこのからだのどこに置いてあるのだろうか、などと。そう、こんな風に。最初は面倒な思考を放棄するためにここに訪れていた。しかし気付けば料理に集中しているときと、出来あがったのを食べているときだけ――むしろ後者の間ぐらいでしか、開放されているとは言い難い。ひどい感情をまかり間違って他人にぶつけてしまうとか、それを恐れて自室にこもり鬱鬱と過ごしているよりかは、よほど気が楽なのでいいけれど。納得と諦念は紙一重だ、と燭台切は思っていた。これが善いのか悪いのか、この場で仕分けするのは難しかった。 　普段通り夕餉も食べてしまっていたので、どうしようか、と顎に手をあてて考える。おしまいは軽いものが良い。立つ鳥跡を濁さず、ではないが、飛び去るのに今、重たいものは必要なかった。明日からここはまた、昼時と変わらぬ顔を取り戻す。 「さあ、きみの出番だよ」 手に取ったのは見なれた赤い果物だった。数日前であれば、もっと光を反射して、美しくつやめいていただろうその表面。それは今や微細な茶の斑点がところどころ混じり、恐らく、あと一日二日経てば、食べごろを越え腐敗へとかたむくに思われた。燭台切はその様子をいくらか眺めてから、ひどく香り立つ肌に、薄皮一枚の均衡で口づけるように囁き、それからまっさらなまな板に置いた。 大ぶりの林檎に、四度刃を入れ、各々二回ずつその腹へ切り込み、八回皮を剥き、鍋に並べた。ある意味目玉焼きを焼くよりもよほど簡単だ。そういう料理を作ろうとしていた。 レシピの通りならば、このまま小ぶりの鍋に砂糖と水と蜂蜜と、それからレモン汁をくわえるのだが、しばらく見ぬうちに乱雑になっていた冷蔵庫の中でそれは行方不明になってしまっていた。どうしようかと無意識に突っ込んでいたポケットで、かさり、指に触れるものがある。レモンキャンディーだ。これでもいいか、とぞんざいに小さな包みを破り、鍋へ落とす。徐々に水面が泡立ち、林檎はその波紋のさなかで揺らいでいる。熱が入って、砂糖もキャンディもふいと形を失くした。次いで林檎がどんどん嵩を減らしてしぼみ、くつくつと水気がなくなってきたので、時折鍋の底をさらうように混ぜる。これ以外は眺めているだけだ。 水分がほぼ無くなり、照りが出てきたので火を止めた。あまり熱が入りすぎてもぐずぐずになってしまうから。 テーブルの上に鍋敷きを置いて、その上に鍋を乗せる。出来立てもいいが、今夜は冷める過程を眺めていたかった。見もしていないが、味に間違いはないだろう。インスタントコーヒーを入れて、一服。カップを置けば、ふたつ立ちのぼった煙の塔がゆるやかに絡み、そらに溶けた。 ――いつも「これで最後」と決めると何でも惜しくなってしまった。 香ってくるものにやはりそそられて、鍋を覗き込む。粗熱は取れたように見えた。ためらいなくフォークを刺せば、すくりと銀が沈み、冷えた湯気が表面を曇らせている。つやつやと蜜の滴る表面を一度視線で撫で、口に含む。生の林檎ともジャムとも違った、しゅううと沈むような食感、それからすぐに蜜の甘みが口に広がった。奥の奥に、レモンキャンディーの酸味を感じて、これもアリだな、と笑む。一瞬、取っておくか悩みはしたが、やはりこの場で食べきるべきだ、と思った。 　ただ「これを好物のホットケーキにでも乗せてあげれば、きっと喜ぶだろう」そんな考えがよぎって、はた、と口に運ぶ手が止まる。 調理の最中に、皮についていた果肉が、端からじわじわと茶色く染まるのをみていた。一度染まった林檎は元に戻らない。 　では彼との関係は？ ひどい、気分だった。やはり、ひどい気分に、なった。回を増すごとに、最初の専心とは程遠くなっていたのを気付かないふりをしていた。 口元まで運んでいたフォークをおろして、鍋の底にたまった、膠のようにこごる蜜を見る。 また、食べきるか否か往生際悪く悩んでいると、不意に、カタタ、と人の気配に厨の戸が揺れた。思わず立ちあがった。すると、堂々とした歩みを感じさせていたテンポが、ぴたりと止まる。揺らめくのは磨り硝子にぼやけた影。 誰――と声をあげようとしてすぐに、相手もこちらを「誰だ」と問いたいのだ、と察した。 　 　入口に申し訳程度にかかった濃紺の暖簾の間から、まるい煤色が顔を出した。リブのついた靴下、見なれたカソックとシャツの組み合わせ、それから手袋の外されたはだいろの手、完璧なシンメトリの前髪、なめらかに削られた輪郭、それから藤を映した水鏡のごとき涼しげな両目とを、ぎこちない動きでなぞりきる。 「燭台切」 ここにいる者が誰なのか、最初からわかっていた。そんな声だ。 「長谷部、くん」 こちらからかろうじて出たのはそれだけだ。問いにもならない。 「あの、これはね、いや――なんていうのかな」 なんて言えばいいのか、どこから弁明していいものやら、そもそも弁明すべきものなのか、困ってしまって、しどろもどろになった。 そんな様子に構わずすたすたと距離を詰めてくる長谷部の手前、突っ立ったまま動けない。 「またやっていたのか。ん……、ああ、今夜は林檎か」 「……うん」 小鍋に入ったものを確かめるように見、ふす、とひとつ嗅ぐのを、呆けた顔で眺める。 「綺麗な蜜色をしてる」 うまそうだ、と言うと行儀悪く鍋に人差し指を突っ込み、林檎の一欠けらを音もなくつまんで、ぺろんと口に入れる。長い指に比例したようにほそりとしなやかな手首が燭台切に、遠くを眺めようとする鶴のくびを思いださせた。そして手袋をつけてないその指の根元には、墨かインクがちょこんと二ヶ所へばりついていて、大きめのほくろのように見える。 「うまい」 「そう、かい」 応えを聞いていたのかいないのか判断できぬほど素早く、長谷部はまた同じように指を突っ込もうとして、しかしぴたりと動きを止める。 つい、と燭台切にむけられた両目には、いましがた行った、己の野蛮ともいえる振舞いに対する反省が映った。 「その、これを使えばいいよ――僕が使っていたものだけど」 それでも良ければ、とフォークを差し出して、へたくそな微笑みを作った。どうか上手くできていますように、と今考えうるすべてを祈った。 「お前が食べさせてくれ」 「僕が？」 「その方が早いだろ」 その、どこか憮然とした懇願に、動きのかたい手でこたえる。林檎を刺し、おそるおそる口元に持っていく。待っていたとばかりに、勢いよく、かし、と果肉に食い込んだ白い歯に、しばらく頭によぎりさえしなかった官能を覚えて、手が震えた。揺れてたるんだ蜜が、果肉の半月を伝い、線香花火の先のように、ねっとりとした動きで落ちて、長谷部の顎を汚した。視線が吸い寄せられる。蜜を親指の腹で拭って、それから舌で舐めとられ、唇が照りついてひかるのに、むしゃぶりつきたくなるのを堪えて、ねえ、と滑るように切りだす。 「もしかして、知ってたの」 「そうだ、と言ったら」 露悪的に歪んだ表情はきっとわざとだろう。そんなものを浮かべていても、やはり愛おしいのには代わりがなかった。なんせ、ひと月ぶりにまともに、正面から見たかんばせだ。 「あのチョコレートは俺のだったんだぞ」 「え……、きみ、苦いのは苦手だと思ってたよ」 思ったよりも「意外に過ぎる」というような声が出た。それに対しなぜか、その、と最初の燭台切みたいに長谷部は逡巡した。 「その、今日みたいに夜中に執務をしているとき」 「している時？」 「ただ甘いものを食すのも脳の栄養になるが、目を覚ます、というのを兼ねるならビターチョコレートが良い、と主が仰って……」 くださったのだ、と言うと少し語尾が甘やいだ。 なるほど、こっそりとチョコレートを隠していたのは彼だったのだ。なんだか妙に気が抜けてしまい、燭台切は椅子に腰かけた。 「わざわざ冷蔵庫に？」 「うるさい、お前に食べられた分、補充しにきたんだ。そしたらお前がいたんだろ」 「今になって」 そう今になって、だ。対話の道を探っていたのは、燭台切よりも長谷部の方だったのかもしれなかった。 「なにを笑ってるんだ燭台切。俺はな、怒っているんだぞ。これでも」 「チョコを食べたことを？」 「そんなわけあるまい。お前が俺に話しかけてこないから、お前のためにわざわざここに赴く羽目になったことを、だ」 そうはっきりと言って、ここに訪れてから始終ポケットの入口あたりをふらふらとさまよっていた長谷部の手が、意を決したように内に突っ込まれる。中からは前のものと寸分違わぬパッケージのチョコレートが出てきた。 「これを使って、前と同じものを作れよ」 乱暴な物言いと違って、大事そうに掴まれたそれが胸板に押し付けられた。 あんまりにもぐいぐいと押さえつけられるものだから、彼の手の熱さが、それを通して伝わってくるような気さえした。ただ、気がするだけだ。本当に伝える気があるのなら、どろどろしたものをぶつけあうことも時には必要なのかもしれなかった。たまらず、チョコレートを持ったままの長谷部をぎゅうと、胸の籠にとじこめて、その肩口に顔を埋めた。勢いがよすぎて、眼帯がずれそうになる。もはやとろけたチョコレートが、銀紙ごしにべたべたとぬるついているのではないかと危惧していたが、実際はそうなるわけがなかった。驚いて、反射的に腕をつっぱった男の手がひどく冷えていたからだ。冬のくろがねの温度。きゅう、と胸が甘ったるく痺れて、苦しくなった。どうせ、いつものように急いてやらなくともいい仕事に集中して、暖房が切れていたのにも気付かなかったに違いない。自分がいなくては、などと長谷部を過小評価しているわけではないにせよ。そんな男に言葉や食事を差し入れ、迎える顔を見るのが己の一番の気晴らしであったこと。そんな些細なことを忘れていた。 ただひたすら言葉少なに、自分を腕で締め上げる燭台切になにを思ったのか、からだの力を抜いて、長谷部は男の背をぽんぽんとゆっくり叩いた。それが「離せ」の合図ではないのに気付いて、燭台切はまた胸をきゅうきゅうと鳴らした。 「それで？　主からたまわった俺の大事な大事なチョコレートで何を作っていたんだ貴様」 くつ、と笑いをこらえるように喉が鳴らされた。 「ガトーショコラだよ」 「ああ、あれも好きだ」 「でも、僕が作ったのは簡単な方だから……あんまり君には食べてほしくないな」 「なぜ？」 「本当に、自分のためだけに作ったんだよね。だから手の込んだものじゃなくって。その、君が食べてくれるなら、僕はもっときちんとしたものを作りたい」 言ってしまえば途端、ぶわりと早春のごとくに芽生えた羞恥でぽっぽっと顔が赤くなる。あー、と何に照れたのか、長谷部も同じようにぐりぐりと肩の辺りに額を擦りつけてきた。 「お前が何を思って作ったかは知らんが、俺は……お、お前の作るものが好きだ。その……、言い方はおかしいだろうが、心地いいんだ、全て」 「はは、心地いい、かあ……そんな感想はじめて言われたよ。きみはほんと、素敵な人だね」 今度は長谷部が黙る番だった。ただでさえ一カ月ほどの間、ほとんど絡むことのなかった男だ。その口からすんなりと出てくる言葉が、やたらに新鮮に聞こえてしまう。やはり、ひとの体で過ごす一年と少しの内のひと月は、思ったよりも長かった。 「……最初はなんでも美味しかったけど味気なくて、嫌気がさしてきたところ。……ほんとは、いま来てくれて良かったのかも。明日も、明後日もきみが作ってって言うなら作るよ。いや、作らせてほしいな。君への料理なんて、もう随分作ってなかった気がする。埋め合わせさせて――ね、長谷部くん」 ひと月以上合わない仮面をはめられていたのかと思うほどにこわばっていた顔は、まだ少しぎこちない動きで形作られる。しかし、出た声は、とびきり耳に善く、あと半歩ずれてしまえば、睦言にも聞こえるような甘さを帯びていた。 「お前、もしかして俺がこうやって構わないからって拗ねていたのか？」 そうかもしれなかったし、そうじゃなかったのかもしれなかった。 「いいんだ、長谷部くんが来てくれたから全部忘れたよ」 その言葉は嘘ではなかった。 　バレンタインデーなるものがすぐそこに近づいていて、本丸はにわかに賑々しい様相を呈していた。男ばかりが集う場所なのにどこからか舞い込んだ『友チョコ』なる文化。そんなお歳暮の亜種みたいな何かに、皆妙に浮き足立ってしまい、しまいには、燭台切がうわばみ好みにこしらえた洋酒のチョコレート菓子が引き金となり、あれよあれよと言う間に宴会が催された。結局いつも通りである。一年経ってしみこんだ、甘くて、時折それぞれの間にほんの少し苦みが走る、日常だ。またいつか、燭台切の憂鬱は皿の中身に溶け込んで、本丸中が食らうだろう。それもまた他愛ない人間ごっこのひとつとして享受するだろう。 　そんな二月の半ばも過ぎようとしたある日、深夜の廊下に布の飛燕を走らせ、ごくごく抑えた声を交わす刀が二振り、厨に訪れた。 「長谷部くんたら、きみ、ってば、速すぎるよ。もっとゆっくり」 力仕事をする前から息が切れてしまうよ、と拗ねた口調で言えば、くつくつと心底おかしそうに笑われた。 「く、それはすまなかったなあ。まあいい、早く作ってくれ」 待ちきれない、と言うと、燭台切がいらえようとした口を、長谷部が一足早くうるわしいもので塞ぎ、今度は二人でころころと笑い転げる羽目になった。 今夜のメニューは、ガトーショコラに作り置きの林檎のコンポート添え、生クリームも忘れないで。 「本当に君は――まあ、感想は後できみの舌にでも直接聞いとくよ！」 まったく悪趣味な奴、と大袈裟に罵ったその声が、唇をやわらかく撫ぜ、二人はまた口づけを交わしたのだった。

みんなの世話を積極的にしたり、厨当番になっている燭台切は多いけど、じゃあ調子が悪いときなんかも、かわらず出来るのだろうか、燭台切の息抜きとはなんだろうか、と考えた結果のお話。<br />この燭へしはすでにねんごろな仲です。<br />憂いとともに作られた料理も、知らなければきっと美味しいのかなと。<br />時期過ぎましたが少しバレンタインぽい。<br /><br />ぷらいべったーで小出しにしていたやつを書きあげました。<br />普段あんまり書かない刀を書こうキャンペーンを一人とりおこなってみましたが楽しかったです。とうらぶはそれぞれの個性がうつくしいなと思います。あと、途中、資料代わりに料理動画を見ていたのですが完全にメシテロでした。<br /><br />感想などございましたらこちらお気軽にどうぞ(現在お礼文は燭へしっぽい短文6種)　　<a href="/jump.php?http%3A%2F%2Fclap.webclap.com%2Fclap.php%3Fid%3Dinui0611" target="_blank">http://clap.webclap.com/clap.php?id=inui0611</a>

器上のメランコリー

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調査兵団兵士長リヴァイの朝は早い。というかそもそもあまり寝ていないのだからその言い方が正しいかどうかはわからない。 食欲・睡眠欲・性欲。 人間の本能に直結した三大欲求のうち最後に関してはまあちょっと向こうにおいておくとして、リヴァイは食欲の方はともかく睡眠欲に関して言えばそれで本当に大丈夫なのかと言いたくなるレベルだった。 まず彼はベッドで眠らない。何かあった時にすぐ反応できないと横になること自体あまりない。椅子に座って身体を休め、二、三時間ほど寝るのが普通なのだった。寝る、とは言ってもその眠りは浅く何かの気配や音ですぐに目を覚ます。そして外が明るくなれば動き出す。朝食までは自主訓練をしたり掃除をしたりと朝早くから活発に動く。 リヴァイ早起き過ぎるよ、一体どこのじいさんだよ、とハンジに笑われてもそんなリヴァイの生活リズムが変わることはなかった。 ＋＋＋＋＋＋＋＋ だがこの日、いつものように自主訓練を済ませ部屋に戻ったリヴァイは違和感を感じていた。そう、なにかがいつもと違う。何が違うのか、と言えば眠かった。それもいつもとは比べ物にならない程強烈な眠気に襲われていたのだ。目を閉じてしまえば立ったままでも眠れそうなくらいだ。 深く寝入ることなどほぼないリヴァイが普段理性で抑え込んでいる本能が、いい加減にしろテメェと突然反旗を翻したかのようにそれは抗いきれない程に強くリヴァイを眠りの淵に引きずり込もうとしていた。何度も顔を冷たい水で洗い、ほとんど黒に近いような色合いの濃く入れた苦い紅茶を飲み干しても眠気は消えてくれなかった。 実は今までにも何度かこういったことはあった。地下にいた頃は誰にも見つからないよう人気のない場所にこっそり身を隠し、これきり目覚める事はないかもしれないと思いながら眠りに落ちた。夢も見ない。ストン、と落ちるように眠るだけだ。短ければ一時間、長くても数時間のその眠りがあればこそ日頃浅い眠りでも耐えられるのかもしれない。 そんな理屈はさておき今現在リヴァイはどうにもこうにも眠かった。なんにせよ本能に逆らうのは人類最強の鋼の精神力を以てしても容易ではない。 かと言って本能に従ってぐーすか眠りこけるわけにもいかず、眠気を堪えて兵士長としての義務を果たすべくリヴァイは身支度を整えて部屋を出た。 しかし気を抜くと瞼が下がってくる。思考がはっきりしない。下手すると寝ぼけたようにとんでもない事を口走ってしまいそうだ。注意力も散漫になる。 「お、おはようございます！兵長！」 「‥‥ああ」 朝の挨拶に応える声も低く凄味は五割増だ。眼光は鋭く眉間の皺も深い。明らかに負のオーラが漂っている。まさか誰もその原因が“眠いから”などとは思うまい。 結果としてその朝リヴァイに遭遇した相手は揃ってこう噂した。 『今日の兵長はいつにもまして近寄り難い』 そう言われるのも仕方ないだろう。油断すると閉じてしまいそうな瞼を開けているのも一苦労だ。目元に力を入れるせいで余計に眉間に皺が寄って、自然と目付きは悪くなる。眠気を堪える様子は機嫌が良いとは到底思われず剣呑な雰囲気を漂わせている。 だというのに。 「えー、それでは手元の資料をご覧ください。前年度との比較ですが‥‥」 起立して話す相手を睨み付ける。こんな日に限って予算会議だと？リヴァイはあまりのタイミングの悪さに我が身の不運を呪った。兵士長という地位についてリヴァイが一番辟易したのが“会議”というものだった。 ぐだぐだと意味のない事を並べ立てたりわかりきったことをいちいち確認したりおまけに何が楽しいのか余計な話までしてやたらと時間を食う。いつ終わるとも知れない延々と続く時間をただじっと黙って座って耐えなくてはならない。これは新手の拷問か？と思ったくらいだ。こんなことに何の意味があるんだとエルヴィンに一度食って掛かったこともある。するとヤツはいつもの胡散臭い笑みを浮かべてこう抜かした。 「リヴァイ。組織において大勢で話し合いをした上で決定する“会議”という様式美は必要不可欠なんだよ」 それはつまり『意味なんか考えずにいいから黙って座っていろ』という事だとリヴァイは解釈した。 とにもかくにも眠い。淡々と数字を読みあげる声は最早リヴァイを眠りに誘う為の呪文にしか聞こえない。作戦会議ならばともかく予算に関して言えばリヴァイの範疇外だ。なのに幹部であるというだけで会議に出席しなくてはならない自分の立場をこれほど疎ましく思ったことはない。 欠伸を噛み殺している事を悟られないよう奥歯を強く噛み締める。眠らない為延々と書き連ねられた意味不明な落書きが書類の余白を埋め尽くしていく。会議室のあちこちに目をやり隅に溜まる埃に目を止めると掃除が行き届いてねぇふざけんな、と密かにこの部屋の掃除当番への躾を決める。 ようやく会議が終わった頃にはリヴァイは精神的にかなり消耗していた。だるさを感じながら眠気に纏わりつかれて重い腰を上げたところでハンジに話しかけられた。 「ねえ、リヴァイ、大丈夫？」 「‥‥なにがだ」 「なにが、っていうか、なんともないならいいんだけど‥‥」 はっきりしないハンジの言葉になんなんだと苛立ちを募らせる。リヴァイを心配して掛けられたハンジの言葉も、眠気と闘う今のリヴァイには気付かれず、そのまま黙って会議室を立ち去った。 どうにかこうにか午前中の業務を遂行し、昼食時になってもリヴァイの眠気は抜けなかった。食事中も気を抜くとスプーンを持つ手が止まってしまう。睡眠欲が食欲を完全に凌駕している。目は開いているが意識は分離しかけている。 これはヤバい。早々に仮眠を取った方がいいと自分でもわかってはいる。そうは思ったが如何せん長年身に染み付いた習性は抜けず、自室でも安心して眠ることなどできない。せめて夜になれば少しは休めるだろうか？と溜息をつく。 昼食を食ったら更に眠気が加速した。理論的に言えば食物を摂取すると胃に血液が集まってその分脳に血液が回らなくなる。よって食事の後に眠くなるのはおかしなことではない。昼食後の五時間目の授業が一番居眠りが多いと先生方がぼやくのも道理だ。よってお昼寝の時間と言えば昼食後というのは理に適っているのだ なんてことを知っていたらリヴァイは食事をとらなかったかもしれない。いや増す眠気と闘いながらリヴァイは午後の業務を開始した。 ＋＋＋＋＋＋＋＋ 明日の打ち合わせのために団長室に行き、小一時間話して帰ろうとすると呼び止められた。 「リヴァイ、ちょっと頼まれてくれないか。この資料をハンジに届けてほしい」 差し出された書類をぞんざいに受け取って悪態を吐く。 「チッ、人を気安くコキ使いやがって」 「なんだ？リヴァイ、どうしたんだ。今日はやけに突っかかるな。虫の居所でも悪いのか」 打ち合わせ中もリヴァイは終始こんな調子だった為、エルヴィンも流石に少し気になったようだ。 「‥‥そんなんじゃねぇ」 ただ眠いだけだ。 だがそう口にするのは自身の弱みに見せるようで言いたくはなかった。 団長室のドアを閉じる手も廊下を進む足取りも少々乱暴で不機嫌さを隠しきれない。擦れ違った他の兵士たちに畏怖の色が浮かぶ。自分でもクソな状況だと思う。だがどうにもままならない。ささくれだった気持ちのままハンジの部屋へと向かう。 「おい、クソメガネ。いるか」 ノックもせずドアを開ける。 「いるよー。どしたの？」 いつもと変わらない呑気な声が答える。午前中の会議の時の事など全く気にしていないようだ。そう思ってリヴァイは気分が少し楽になった。自分のせいとはいえ腫れ物に触るような皆の態度に少しイラついていたからだ。 「エルヴィンからだ」 「あー、ありがとー」 ハンジは椅子から立ち上がってリヴァイの差し出している資料を受け取るとその場でパラパラとめくり、うんと小さく頷くと改めてリヴァイを見た。そして、んんん？と不思議そうな表情を浮かべるとずい、と顔を近付けて言った。 「ねぇ、リヴァイ」 「なんだ」 「やっぱり眠いんじゃない？」 「あ？」 「だってすごく眠たそうな顔してるもん。会議中もずっと気になってたんだ。あの時はつまらない会議だし仕方ないかなって思ってたけどさ、まだ眠いなんてあなたどこか具合でも悪いんじゃない？」 リヴァイは僅かに目を瞠った。 「なぜ眠いと思うんだ？」 「え？そんなの顔を見ればわかるよ」 なんでそんなこと聞くの？と言わんばかりにあっけらかんと返される。 『機嫌が悪い』 『イライラしている』 『虫の居所が悪い』 誰も彼もリヴァイの様子がいつもと違うと思いながら誰も気付かなかった。何も言わないのになぜコイツにだけわかるのか。驚きで少し眠気が覚めた気がした。 「別にどこも悪くねぇ。‥‥ただ眠いだけだ」 誰にも言えなかった本音が飛び出す。自分でも驚いたがそんなリヴァイの気持ちを察しているのかどうかハンジはそっか、と言って引き出しから何かを取り出した。 「これね、第二資料室の鍵。私がエルヴィンから預かってるんだ」 内緒だけどね、と片目を閉じて笑うハンジの指先で揺れる鎖の先にある鈍い光を放つ鍵。リヴァイはまだハンジが何を言いたいのか掴めずにいた。 それが一体どうした、と言いたげなリヴァイの表情を受けてハンジが言った。 「その部屋にあるのは過去の壁外調査の資料とかなんだけどさ、まあそうそう誰も見ようなんて思わないわけ。私も今までそこで誰にも会ったことがないし。でもね、そこって兵舎の端っこにあって静かでさ、奥には大きな長椅子が置いてあるんだよ。それはもう資料室っていう場所には不似合いなほどに立派なのが！ミケが寝たって大丈夫じゃないかなぁ」 いつもの如く大袈裟な身振り手振りを交えて話すハンジの姿をリヴァイは黙って見つめていた。 「だからこれ貸すからさ、ちょっと寝ておいでよ。ね？」 ホラ、と鍵を差し出すがリヴァイは受け取らない。 「大丈夫！バレやしないって！私が保証するよ。大体そんなんじゃ仕事にならないでしょ？あなたは普段働き過ぎだよ。少しくらい休んでもバチは‥‥」 「‥‥掃除はしているのか」 「え？」 それは想定外の質問だったのだろう。ハンジの視線が泳いだ。 「えーと、それはどうかなあ？」 「そんな埃まみれの場所で眠れるか」 「あー、そっか。はは、リヴァイには無理だよね」 すっごく寝心地いいんだけどなー、残念、と気を悪くした様子もなく鍵を机に仕舞うと、ぽりぽりと頭を搔いた。 「じゃあさ、せめて自分の部屋で休みなよ。なんなら誰も邪魔しないようにドアの前で見張っててあげるから。私はどうせしばらくこの資料にかかりきりになるんだし」 ハンジはリヴァイの持ってきた資料を見せた。厚みのあるそれは目を通すだけでもかなりの時間がかかりそうだ。 「いや、いい」 そのリヴァイの言葉にハンジは心配そうに眉を寄せたがこれ以上は言っても無駄だと思ったのか無理強いはしなかった。 「‥‥わかったよ。でもほんと、無理はしないでよ？人類最強が寝不足で倒れたなんてシャレにならないでしょ？」 ハンジはそう言って資料を手にソファに座ると分厚い紙の束をめくり始めた。 資料に見入るハンジの様子を見ていたリヴァイは突然つかつかとソファに近寄り自分もソファに腰かけた。三人が並んで座るには少し狭いそのソファの両端にハンジとリヴァイが座っている状態になる。特にその事をどうとも思わなかったハンジもぼす、とリヴァイが自分の膝に頭を乗せた時には驚きのあまりあんぐりと口を開けて固まってしまった。 なんだこれ。 我に返って眼下の人物に声を掛ける。 「え？なに？なんなの？」 「‥‥眠いと言っただろう。寝る」 「自分の部屋に戻らないの？」 「ここでいい。一時間経ったら起こせ」 腕組みしたまま目も合わさず一方的に告げて目を閉じる。唖然とするハンジの視界でリヴァイはもぞもぞと二、三度身動ぎして落ち着く場所を探し当てるとそれきり動かなくなり、たちまち安らかな寝息を立て始めた。 ハンジは自分の膝に鎮座する物体をじっと見つめた。黒髪の間から見える瞼は閉じられていて、この短時間で完全に寝入ったのかいつも深く刻まれている眉間の皺が消えて柔らかな表情を浮かべている。ハンジはその安心しきった寝顔に話しかけた。 「おーい、リヴァイ？寝ちゃったの？ほんとに？」 指でそーっと頬をつついてみる。つんつんぷにぷに。お、やーらかーい。 「えー、私の部屋も結構埃ありますけど？」 耳にかかる黒髪をかき上げる。わ、さらさら。綺麗だなー。 「実は私、昨日お風呂入ってないんだー」 だがハンジが何をしても何を言ってもくぅくぅと穏やかな寝息を立てて眠るリヴァイはまったく反応しない。本当に眠り込んでしまっているようだ。その気持ち良さそうな寝顔に思わず笑みが浮かぶ。ハンジはそっとリヴァイの頭を撫でて思った。こんなリヴァイの姿は初めて見た。まるで猫みたいだ。 警戒心が強くてなかなか人に懐かない天鵞絨のように綺麗な毛並みの黒猫がゴロゴロと甘えて膝で丸くなっている。そんな想像をしてハンジは堪えきれずにくすくすと笑ってしまった。 「ねえ、一時間て言ってもさ、ここからじゃ時計が見えないよ、リヴァイ」 だからあなたが起きるまで待つしかないね、と呟いて、ハンジはまた手にした書類に目を落とした。 その口許が嬉しそうにずっと微笑んでいることにハンジは自分自身でも気付いていなかった。 それはまだ恋人でもなんでもなかった二人のある日のお話。 ～　数時間後　～ 「おい、一時間で起こせって言っただろうが」 「あはは、ごめーん。つい資料に夢中になっちゃってさぁ」 「チッ、‥‥もう夕方じゃねぇか」 「まあまあ、私も書類書き手伝うからさ」 「‥‥本当だろうな」 「本当だよ。ねえリヴァイ」 「なんだ」 「よく眠れた？」 「‥‥ああ」 「ふふ、よかった」 おわり

リヴァイのいつもと違うとある一日。人類最強でも人間ですからこういうこともあるかなあ、と。あとは本日２月２２日が猫の日という事で。二月もあと一週間で終わり。♪もうすぐはーるですねぇ♪という歌詞が頭に浮かぶ度、つくづく連載開始当初のジャン君よりも自分の脳内は快適だなと思います(・ω・)ノ<br />2016.2.25追記<br />タグ・コメント・ブクマコメにて頂いた温かいお言葉に浮かれております。<br />わーいヾ(*´∀｀*)ﾉ皆様ありがとうございます！でも表紙が改めて見るとなんかちょっと、アレですね。‥‥すみません今度から頑張ります。それとRR56位と32位に入りました！やったー！ブクマ・評価・閲覧、誠にありがとうございます！

たぶんきっとこんな日もある

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[chapter:片思いは、形になりて] 時は、正化。 この世界では、片思いが凝縮しすぎると、想いが宿主を形取り、 具現化するミニチュア症（別名：ちび天使症候群）という症例が報告され始め、 珍しいことでは無くなりつつある。 まだ、どのような現象や行動を取るかは不明だが、宿主の代わりに飲食することだけは判明している。 一定の機材を通せば、ミィミィという音にしか聞こえていない言葉が、聞き取れるようになるとも。 何かがミィミィと啼いてる。 寮で誰かが黙って、拾った仔猫でも居るの？ 眠い目を開いて見れば、自身のミニチュア・・・ちび郁が出現していた。 「んぎゃーっ！！」 「うるさいッ、笠原。何なのよ？」 「あ、あれ・・・あれ・・・」 ベッドの隅に寄った郁が指差す方向に、ちび郁がコロンと転がっている。 「か、可愛いッ。でもコレって」 そう、コレ＝ちび郁。 世の中には、不思議なことがあるもので。 まさか、自身に降りかかるとは思っていなかった郁に起こったのだ。 部屋に置いて行く訳にも行かず、早めに出勤し、柴崎に言われた通りに、上官にも相談しないとならない。 食堂で朝食に付いていた楽しみのプリンをちび郁に強請られ、 仕方なくこっそりと食べさせてやってから、 郁は、気乗りせずにタスクフォースの事務室へ、出勤。 出勤してみると、いつもの通りに、まだ堂上しか居ないみたいだ。 堂上は頭を抱えて机に突っ伏している。 「堂上教官・・・？うそっ！！大丈夫ですか？！」 突っ伏していると思っていた堂上は、気絶して意識を失っている。 そんな堂上の頭髪の中から、ちび篤が顔を出し、こちらを見ている。 「ひぃっ、ココにもっ、いっやぁ～っ」 郁に起きることは、堂上にも・・・？ ひょっとして、鬼の堂上教官も、コレを見て、気絶したとか・・・ ツンツン・・・気絶している堂上の頬を突くが、反応なし。 郁が困っていると、郁の胸ポケットに入っていた、ちび郁が顔を出して、周囲を見ている。 ちび篤は、ちび郁を認めると、パァァッと明るい表情になり、 ちび郁も、嬉しそうに胸ポケットから、堂上の机に降り立ち、二匹はがっしりと抱き合った。 ええっ、どうして？どうして？！ どうして、鬼教官も、おちびさんがくっ付いてるの？ あの鬼教官のおちびさんと、あたしのおちびさんが、抱き合ってんの？！ ありえない、柔道の指南時に、”あたしに女を感じるほど、飢えてない”とか言ってたじゃない。 それに、あたしが好きなのは、あの日に、あたしを助けてくれた王子様なんだけど・・・。 『運命の想い』と呼ばれる現象があり、これはミニチュア症によって出現しているミニチュアが、 出会ったと同時に、互いを認識し、恋愛的なスキンシップを取れば、成立する。 つまり、宿主同士の相性も、運命的に良いとされている。 郁もまさか、自身の目前で、この現象を目撃するとは思っても居なかった。 しかも、鬼教官として、認識している堂上のことをそんな風に思っても居ないし、 ああ、あたしも真っ白に燃え尽きたい・・・もう、無理ッ。 「笠原さん、おはよう？」 小牧教官に、二人の”ちび”を見つけられてしまい・・・ 「笠原さん、知ってるよね？」 「はい・・・」 「悪いけど、今日の業務は、堂上と特別室に引っ越すということで、いいね？」 特別室・・・あの噂の。 図書隊内で、『運命の想い』現象を起こした宿主は、その日より、同室にて生活を共にすること。 ”ちび”が宿主を結びつけて同時消失した場合は、図書隊を挙げての婚姻生活へ突入すること。 片方だけが消失した場合には、共同生活を終了するというものだ。 未だに気絶している堂上は、現実を知らず。 ちび篤は、ちび郁をもう離さないというくらいにベッタリとくっ付き、 現実を知った郁は、パニックに陥っている。 二人（ちび含む）の未来はどっちだ？ /////////////////////////// 2016.2.22

猫の日に代わりまして、<br />ちびっちゃい郁ちゃんと、ちびっちゃい篤くんに登場されました。<br />コロコロと可愛いんだろうなぁ・・・。<br /><br />2016.2.22「可愛すぎるお話」タグ付け＆<br />2016年02月16日～2016年02月22日付の[小説] ルーキーランキング 45 位<br />2016年02月17日～2016年02月23日付の[小説] ルーキーランキング 17 位<br />ありがとうございました。<br /><br />2016.10.13閲覧１万越え、ありがとうございます

片思いは、形になりて

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「覚えてろよ、いつかお前の一番大切なものを、壊してやるからな」 吐き捨てるように、今回の事件の犯人、土井義継が火村に向かって言い放った。 これまで何度も事件の犯人を特定し、トリックを暴いてきた火村にとって、犯人から恨み言を言われることは珍しいことではない。しかし、今回の事件の捜査の中で、土井からアリスとの関係を尋ねられたことがあり、その際、 「火村先生にとって特別な方なんですね」と言われたことがあった。 さきほどの土井の黒光りした目を思い出し、珍しく火村は背筋がゾッとした。 「ピンポーン」 アリスは集中して執筆していた手を止め、時計を見上げた。もうすぐ日付が変わる、こんな真夜中に誰が来たのかと訝しく思いながら、ドアを開ける。 「なんや、来るんやったら連絡せぇよ」 ぼんやりとした顔でドアの前に立っている火村を、アリスは呆れた声で出迎えた。 （心ここにあらず、の日やな。こういうときはさっさと寝かそ） 厳しい捜査が続くと、このような突然の来訪がたまにある。しばらくアリスの部屋でくつろぐと、いつもの火村に戻るようなので、基本は放っておくことにしている。 「なんもないけど、ビールでも飲むか？」 アリスが冷蔵庫から二本の缶を取り出して振り向くと、目の前に火村の姿があった。 「！？ 、、なんやのきみ、猫みたいに後ろくっついてきて」 「アリス、話があるんだ」 思いつめた目にじっと見つめられ、アリスは動揺を隠せなかった。 「はいはい、わかったからとりあえず座り」 コートを脱がせてソファーに座らせ、ビールをついでやる。なんでこんなかいがいしゅうせなあかんの、こっちは執筆中やで、などと軽口をたたきながら、火村の出方を待った。 「おまえに頼みがある。俺の下宿先に住んで欲しい」 火村のその申し出の唐突さと意外さに、アリスはつい吹き出してしまう。 「なにを思いつめた顔して言うかと思ったら、なんやそれ？なんで俺がキミの下宿先に住むんや？理由は？」 「理由…」 そう呟いたままおし黙ってしまった火村に困惑しながら、 「あ、ばあちゃんの具合でも悪いんか？もしくはいよいよ店子不足でやってられなくなったとか？」 と聞いても、火村は曖昧に首を振るだけだ。 「ははん、そやったら、俺の顔が毎日見たなったんやろ？どうや、正直に言い！」 「…そうだ。」 「へ？なんて？」 「そうだ、と言ったんだ。お前の顔を毎日見る、それが申し出た目的だ」 いつになく真面目な顔で言われたものだから、アリスはそれ以上ふざけたフリを続けることもできずに、半笑いの困り顔で固まってしまう。 「気色が悪いというなら仕方ないが、おまえが越してこないなら、俺が毎日ここに来ることになる。それが嫌だったらうちの下宿人になること。二者択一だ」 ニヤリとしながら高飛車に言い募る火村に、いつもの調子が戻ってきたのをアリスは感じた。 「なんでその二択やねん！どっちも俺の都合は無視かっ！…まあ、でもそろそろこの部屋も更新が近くなってきたから、考えてやらんこともない」 そう言いながらアリスは、結局火村の願いを拒否することなんてできないのだと、不思議な諦めとともに納得している自分に気づいた。 「そうと決まったら、来週の土日で引っ越しな。単位の危ない生徒に手伝わせるから、引っ越し業者への依頼は不要だぞ」 「ちょ、待てや！来週て！それに職権濫用も甚だしいで！」 アリスのわめき声が聞こえないかのように、火村は安心した顔で眠り始めた。 第2話につづく

連作です

おれの下宿に引っ越せ 第1話

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これは、ツイッターのおそカラワンドロであげたものの中でも、おそカラ先生設定のものをまとめたものです。 修正も加筆もしていないので、誤字脱字普通にあります。 おそカラがつきあってるのバレてるのもあればバレてないのもあります。 モブ生徒がうるさいです。なぜならモブ目線だから。 教師と恋愛するモブなんてこの話にいるわけがない。 [newpage] [chapter:第１回『メガネ』] 「HRはじめっから席ついて～」 　ガラガラ、と音をたてて教室のドアが開いた。それに適当に返事をしながら自分の席に座って、教壇の方を向く。そこにはいつも通り、スーツのジャケットの代わりにジャージの上を着たおそ松先生と、キチンとスーツを着たカラ松先生が… 「えっ」 　いるにはいたけど、何故かおそ松先生は青色の、カラ松先生は赤色の縁メガネをしていた。 「せんせー、何でメガネしてんですかー？」 　生徒の1人が出席をとる最中に、はーい、と手を上げるとおそ松先生は普通になーにー、と聞き返してしまった。おそ松先生、横でカラ松先生溜息ついてるけどいいんですか。 　おそ松先生はカラ松先生の溜息に、一瞬カラ松先生の方を向いたけど、すぐに質問した方の生徒を見てにっこりと笑った。メガネのことならいいのか、カラ松先生もさっきまで溜息ついて呆れた風だったのがニヤリとした笑みを浮かべている。なんか企んでるな、この2人。 　2人は同じ仕草でメガネをちょっと上げて、ドヤ顔をする。 「「チョロ松先生の真似だ！」」 　瞬間B組の方からゴンっと鈍い音がしたが、A組は誰も気にしない。どうせチョロ松先生が黒板だか教壇だかに頭ぶつけた音だ。1週間に1回はあることだ。気にしてたらキリがない。 「でも何で急に真似してんの？」 「ばっか、お前おそ松先生のやる事に理由があると思うか？」 「思わねぇな」 「ちょっとお前ら酷くない？そこで俺が原因と考えるとか酷くない？」 「お前ら、おそ松先生のことよくわかってるな。偉いぞー」 「カラ松先生ぇぇえええええ！！？？」 　生徒たち同士で結論が出た挙句、カラ松先生からの追撃におそ松先生は教壇に顔を伏せてシクシク泣き真似をしていた。カラ松先生はそれを鬱陶しいなぁ、って顔で眺めてる。 　カラ松先生、おそ松先生には大概素直じゃない。いや、おそ松先生はカラ松先生のその対応嫌いじゃないみたいだけど。おそ松先生はカラ松先生に甘いよなー……2人の関係は謎だ。 「はいはーい！カラ松先生、何でメガネ赤なの？」 　あ、ホントだ。カラ松先生、青色が好きなのか六つ子カラーなのか知らないけど、身につける小物は青色で統一したがるのに。つか、赤はおそ松先生の色だから身につけにくいとか言ってなかったっけ。 　 そんなことを思いながらぼんやりとカラ松先生を見てると、いつの間に復活したのか、おそ松先生がカラ松先生の手を引っ張って、教壇の前で肩組んでた。んで、カラ松先生の顎をグイっと指で挟んで、生徒の方向くように固定してる。カラ松先生の額に青筋見える気がするんですけどおそ松先生いいんですか。 「カラ松先生がさぁ、赤つけてんのよ？俺の色つけてんの。青がシンボルカラーなカラ松先生が、俺のシンボルカラーつけてんの」 「塗り替えてやったみたいで、興奮しない？」 　 にやぁって悪徳というか、本当に良くない種類の楽しそうな笑みを浮かべているおそ松先生の言葉に、教室が鎮まりかえる。 待って、それどういう意味。兄弟愛でそんな言葉出ないよ普通は出ないよ、先生。 「気色悪いこと言わないでください」 　 ゴスって鈍い音と共に、おそ松先生が鳩尾を押さえて教壇と仲良しこよしになった。カラ松先生の全力の肘鉄が入ったらしい。おそ松先生のこと、忘れません。3秒くらい。 「カ、ラ松先生……照れ隠しも、程々にしてくだ、さい…」 「照れ隠しじゃないんで本気でしました」 「可愛くねぇ弟だな……！！」 「おそ松先生に可愛いと思われても特なことないよな」 　ほんっっとうにお前は可愛くないな！って叫ぶおそ松先生から出席簿を奪いとったカラ松先生は、出欠の続きをとり始めた。 　気色悪いこととか言いつつメガネを外さないカラ松先生に、可愛くない可愛くない言って鳩尾を摩りながら、教壇から窓際へ移動してカラ松先生を見守るおそ松先生。なんというか。 「(今日もA組は、通常運転だな)」 　これがA組の朝である。 [newpage] [chapter:第４回　『デート』] 「お前ら、どっかいいデートスポット知らねぇ？」 　昼休みに突然教室に来て、適当な席に座ったおそ松先生の言葉に側にいた生徒たちが瞬きをした。何を言ってるんだ。さぁ、わからん。そんな視線でのやりとりを男子生徒が交わす中、真っ先な復活したのは女子生徒のひとりだ。 「おそ松先生、デート行くの？」 「そ。可愛い可愛い恋人さまを、デートに誘うの。わかったら先生にアドバイスよこしなさい」 　にっこり、と笑うおそ松先生を見ながら、全員で現状の把握に頭を働かせる。おそ松先生がデート、可愛い恋人とデート、おそ松先生の恋人はカラ松先生、ということは……。 「カラ松先生とデートとかするの！？おそ松先生！？」 「あのケチなおそ松先生が！？」 「お前らは俺を何だと思ってるの」 　先生泣いちゃうっ、と両手で顔を覆うおそ松先生に、ツッコミをいれる奴はいない。だって、意外過ぎるだろう。おそ松先生はなんというか、デートとか面倒くさがるイメージがあるし、デート代ももったいないとか思ってそうだ。そう思ってると、思ってたことが口に出ていたらしい。先生を何だと思ってんのお前、とデコピンされた。おおよそデコピンとは思えない音が額から鳴り、あまりの痛みに額を押さえて悶絶していると、友人の1人がよしよしと頭を撫でて慰めてくれた。ありがとう、お前ほんといいやつ。 　肝心の元凶である先生はと言うと、事を理解してテンションがアホみたいに上がった女子生徒たちに色々と質問責めにされている。あの騒がしいテンションについていける先生マジすごい。 「先生、今までデートでどこ行ったの？」 「デートスポット、って言われる所はだいたい行ったなぁ。ま、男2人だから浮きまくったけど」 「どれくらいの頻度で行くの？」 「月に1回は行くなぁ。お前らが補習にかからなきゃもうちょっと暇になるんだけどね、先生たち」 「私達最近難聴だから聞こえない♡」 「都合のいい耳しやがって」 「ねぇねぇ、どこが1番楽しかった？？」 「先生はカラ松先生といりゃどこでも楽しいからなぁ……アイツの反応が良かったのは、プラネタリウムとか？」 　さらりと惚気けてきやがったよ、このひと。デートなどの色恋沙汰は基本女子生徒の独壇場だ。もともとA組の女子生徒は色んな意味で逞しいのが多いから、男子生徒はこういう時口は出せない。お口ミッフィーちゃんにして、でも興味はあるのでおそ松先生と女子の会話を聞くに努める。 プラネタリウムとか、確かにカラ松先生好きそうだ。見た目男らしい人なのに、思考がメルヘンというか、乙女チックというか。ロマンチストな、と友人に訂正された。そうだ、それだ。というか、また口に出てたのか。この悪癖直したい。 「てか、いがーい！おそ松先生は自分の連れて行きたい所に連行するんだと思ってた！」 「連行って、言い方」 「まぁわからんでもないわ」 　確かにそんな感じだよね、と女子が頷きあってるのを見て、おそ松先生はちょっと唇を尖らせている。本日何回目かの、お前らは俺を何だと思ってんの、である。けど確かに、言われてみればそうだな。おそ松先生、基本自分のやりたいようにやるし。 「案外、尽くしたいタイプなんっすね」 　思わず、いや本当に思わずそう口にすると、おそ松先生はパチパチと目を瞬かせて、そしてゆるりと目を細めて、笑った。あ、これあれだ。カラ松先生のこと思い出してる顔だ。付き合っていることをバラしてから、おそ松先生は時折こういう顔をして、カラ松先生への愛を語る。 「アイツだからな。アイツが好きなことして、驚かせて、笑わせたいじゃん」 　好きな人には笑っていて欲しい、なんて。存外可愛らしいことをいうおそ松先生に、A組全員が黙りこくった。おそ松先生の、カラ松先生への愛を知った気がした。そしてそんな恥ずかしいことを、さらりと言えるおそ松先生を、たぶん全員がカッコいいと思った。 きっと、カラ松先生はおそ松先生のこういう所が好きなんだろうな、と思う。いやはや、うちの担任と副担任は人を見る目が確かだ。 「つか、そんなことよりデートスポットよ、デートスポット。流石に行き過ぎて、そろそろ思いつかねぇんだよ」 　なんか雰囲気のいい店とか知らないか、と尋ねてくるおそ松先生に、女子はううんと悩んでいる。まぁ、社会人の恋人たちと学生の恋人たちのデートスポットって違うしね。俺はわかんないけど。恋人いない歴イコール年齢だからわかんないけど。 「先生の好きなところに行ったら？」 　あんまりにも意見が出ないから、思ったままをおそ松先生に告げる。すると、教室中の視線が俺に向いた。やめて、そんな目で見ないで、流石にこわい。 「俺の好きなところ？」 「うん。先生はさ、カラ松先生と居れたらどこでも楽しいって言うけど、それたぶんカラ松先生もでしょ。んで、好きな人の好きな所を知れるって、嬉しくない？」 　あれ、俺だけかな、そんな考えるの。じっと黙ってコチラを見るおそ松先生の視線に不安になって、思わず隣の友人を見る。友人も友人で、目を丸くして俺を見ていた。なんなんだよ、いったい。そんな変なこと言ったか、俺。 　無言の教室に、ガラガラと音をたてて教室のドアが開く。全員の視線が、俺からドアの方へ向かった。良かった、怖かった。 「休み中すまないが、おそ松先生はいるか…って、お前らどうした」 　入ってきたのは、話題のカラ松先生だった。カラ松先生は全員が無言で自分を見るのに少したじろぐ。だよね、こわいよね、その視線。しかも普段はうるさいA組が無言とか、恐怖倍増だよね。 　え、え、と狼狽えるカラ松先生と無言の教室、というまさしくカオスな空間を破ったのは、おそ松先生だった。どしたのカラ松先生、といつものように話しかけると、カラ松先生はホッとしたように顔を緩めて、教室に来た用事を告げる。なんでも、チョロ松が探していたらしい。授業変更のこととか。それを聞いて、おそ松先生は思い出したような声をあげて、席を立った。 「そう言えば朝そんなこと言ってたなぁ……すぐ行くわ」 「そうしてくれ。校内放送で呼び出すか考えていたからな」 「嘘でしょ、マジか」 『松野おそ松先生、松野おそ松先生。至急職員室までお戻りください。繰り返します。松野おそ松先生、至急職員室までお戻りください』 　おそ松先生の言葉に被るようにして、放送前特有の音が流れたかと思うと、チョロ松先生の放送が入った。2回言ってるから割とお怒りだ。 　そう思ったのはおそ松先生もだったみたいで、チョロ松先生の短気どうにかなんないのかね、と溜息をついている。そしてスタスタとドアの方へ向かい、カラ松先生と並んだ所で、おそ松先生は俺を見た。 「アドバイスサンキューな！試してみるわ！」 　にかっと笑ってそれだけ告げたおそ松先生と俺を交互に見て、カラ松先生は首を傾げたけれど、すぐにおそ松先生を追って教室から出ていった。なんの話をしてたんだ。さぁ、なんの話だろうね。そんなやりとりが、廊下から聞こえる。 　楽しそうな話し声に、俺っていいことしたじゃん、とにんまり笑った。 [newpage] [chapter:第８回『バレンタイン] 　六つ子働くこの高校には、調理部というものが一応存在している。なぜ一応なのかというと、正確には(調理といって甚だ謎だがまぁ一応とりあえず調理している)調理部、だからである。彼女及び彼らが部内でよく口にすることはといえば、「調理とは、挑戦である」ということだ。まぁ、ここまで言えばわかるのだが、要はこの部で作るものは大体変なのである。 　さて、そんな調理部であるが、毎年バレンタインは真面目に部活をする。一切ふざけない真剣勝負である。ふざけずに、ひたすらチョコをつくる。ちなみにこの時ばかりは男子部員は味見役である。たまに味見で三途の川を見るやつがいるのだが、置いておこう。 「いや、置いといたらダメだろ。お前今から味見役なんだから」 「おそ松先生は黙っててください…！！」 　横でカラ松先生が淹れた珈琲を飲みながら、先生は家庭科室の丸椅子に座って俺を見ている。俺の目の前にあるのは、綺麗な形をしたガトーショコラとクッキーである。見栄えはいい。だが、見栄えだけで安心するわけにはいかない。なぜなら、ここは普段ゲテモノ作りをするメンバーが集まった調理部なのだ。つまり…！！ 「何が入っているかわからないってほんとに辛いですよねおそ松先生！！！」 「いや、お前いつもだろ」 「いつもは制作過程も一緒だから怖くないんです！！何入ってるかわかるから！！でも今は何入ってるかわからないんですよ！？栄養サプリメントが砕かれて入れられてたらどうするんですか！？」 「あら、よくわかったわね」 「嫌だ食べたくないいいいいいいい！！！！」 　ガトーショコラを出してきた女子の言葉にむせび泣いていると、カラ松先生が苦笑いしながらおそ松先生に寄っていった。手には綺麗にデコレーションされなマフィンが六つ、皿に乗っていた。 茶色の紙のカップの縁から覗くのは、ココア色の生地の山だ。ふっくらと膨らんだその生地の上に白い生クリームをくるっと巻くようにして盛り付けている。そこまでは全部同じで、その上からココアを振りかけているもの、苺をのせたもの、ハート型のチョコをのせたものなど、六つそれぞれ違う。カラ松めっちゃ気合いいれますやん、と思わず関西弁で心の中でツッコミをいれてしまうくらいには完成度が高い。 　カラ松先生は、おそ松先生の前にその皿を置くと、腕を組み得意げに見下ろす。 「さて、おそ松先生。この中にひとつだけ、俺の愛が形となって入っている！そしてそれ以外にはこの調理部女子と結託した結果のものが入っている！」 「……ひとつだけ無事だけど、後はヤバいってことか…？」 「ぶっちゃけ俺も入れるのを躊躇ってしまうような感じだったが、面白さを追求した」 　なんでそんな冒険するんですかカラ松先生。思わず女子たちの方を見ると、女子たちはにっこりと笑うだけだった。こわい、こわすぎる。チラッと今度はおそ松先生を見てみると、おそ松先生は珍しく真顔で真剣な雰囲気だった。 「どーれーにーしーよーうーかーなー……」 　うん、雰囲気だけだけど。大の大人が真剣な雰囲気で、指差ししながら『どれにしようかな』は割とシュールだってことがわかった。先生、先生の運命それで決めていいんですか…。 「よっし、コレにけってーい」 　結果、先生に選ばれたのは苺のマフィンだった。それを取ると、まず苺だけ取って口にいれる。その後ガジガジと齧っていく先生。それを固唾をのんで見守る俺達。案外普通に食べてるから、あれもしかして当たりなんじゃね、という空気が味見係の間に広がった。 　しかしそれは抜か喜びというやつで、次の瞬間にはおそ松先生は口元を押さえて、顔を下向けてプルプル震えていた。まさかの遅効性嘘だろ、とざわめく中、おそ松先生は勢いよく顔を上げるとカラ松先生の手首を掴んで、家庭科室から出ていった。 「なんなんだ…」 「他人のことの前に、自分の係を真っ当しなさい」 「え、ちょ、んぐっ！！なにす……あれ？」 　無理矢理フォークにさしたガトーショコラごと口に入れられて、プロテイン入のガトーショコラ、と顔を青ざめさせたが、数回噛むと普通に食べれることに首を傾げた。変な味はしない。普通に、アーモンドが入ったガトーショコラである。おいしい。 「おいしい…」 「当たり前でしょう。いくら私たちでも、悪ノリ以外で変なもの入れないわ。プロテインなんかじゃなくて、ただのアーモンドよ」 「よかった……あれ、でもじゃぁ、なんでおそ松先生慌てたんだ？」 　ただのアーモンドなら何もないよな。あ、アーモンドだから出ていったのか。でも最初からアーモンド入かもしれないし。はて、と味見係で首を傾げていると、女子たちが楽しそうにニヤニヤと笑っている。 「だから、ひいたんでしょ。カラ松先生の『愛の形』を」 　後でカラ松先生にお礼してもらわなきゃねー、と笑いあう女子たちの話についていけず、俺達は顔を見合わせた。 □■□■□■ 　ズンズンとカラ松の手を引いていたおそ松だが、家庭科室から１つ上がって、会議室などのある階に来るとその1番奥まで行って、ようやくカラ松の手を離した。 「で、カラ松。これなに」 「何って……お、案外綺麗にできてるな。さすが俺」 「いやそうだけどそうじゃなくてさぁ！！！」 　おそ松がカラ松に突きつけたのは、食べかけのマフィンである。一見普通だが、おそ松が突きつけたマフィンの断面には、ココア色の生地の中にひとつだけピンクなハート型の部分がある。 「ギミックケーキ、というらしくてな。ケーキではよくあるらしいぞ。マフィンでできるかは分からなかったんだが、上手くできたようで何よりだ」 「カラ松、言いたいことわかってんだろお前…」 「顔が真っ赤だぞ、おそ松先生」 「カラ松！！！」 「ははっ、3倍返し期待しとくな、おそ松先生」 　俺は片付けに戻るから顔が赤いの何とかしてから来いよ。そう言ってアッサリ戻っていくカラ松の背中を見て、もう一度食べかけのマフィンを見て、深く溜息をつくと、残りのマフィンに再び口をつけた。 「3倍にして返してやらぁ」 　そう呟くおそ松の頬は赤く、緩んでいた。

これは、ツイッターのおそカラワンドロで書いたものの中でも、おそカラせんせー！設定で書いたのをまとめたものです。<br />修正加筆<span style="color:#fe3a20;">していません</span><br /><br />表紙は【<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/53382129">illust/53382129</a></strong>】からお借りしています<br /><br />●ぼたもちさんが書いてくださった私の教師松設定でのお話<br />『カラ松先生の１日【<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6230664">novel/6230664</a></strong>】』<br /><br />●前さんが書いてくださった私の教師松設定でのお話<br />『うちの高校教師を紹介します【<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6308881">novel/6308881</a></strong>】』<br /><br />両方とも素晴らしいお話です。私の設定なんだって。信じられる？私は信じられない。

2年A組おそカラせんせー！　小話まとめ

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＊＊＊ご注意＊＊＊ このお話は刀剣乱舞の二次創作です。 ！女審神者が主人公です。 ！複雑な家庭事情が出ます。 ！男審神者が嫌な奴です。 ！作中にてジェンダーに触れる表現がありますが問題提起をしている訳ではありません。 ！あくまでストーリーの展開として男女の性差を扱っています。 ！嫌悪を感じた方は閲覧をご遠慮ください。 ！途中出てくる＊マークは場面転換の合図です。 お気をつけてお読みください。 [newpage] 長い髪、紅い唇、たわわな胸、くびれた腰、細い足首――。 全身黒を纏ったその人間は、『女』を強く主張していた。 「私に勝利を捧げなさい」 高慢に言い放った目の前の存在こそ、御手杵が今後仕える『主』であった。 ＊ 自らが名乗る前にそう言った女へ、御手杵は「何を当たり前なことを」と返した。わざわざ負ける為に戦に出るような酔狂な槍ではない。仕える主へ勝利をもたらすのは当然の働きだ。そのようなことを述べたら女は心底面白いという風に笑った。近侍として傍にいた同田貫が呆れたように天井を仰ぐ。一体なぜ自分は笑われているのか。呆れられているのか。終ぞ御手杵にはわからなかった。 一通り気が済んだ女は改めて歓迎の意を示した。黒い七分袖のTシャツに黒いズボン。シンプルな洋服はピタリと女の体に張り付き、しなやかな肢体の線を浮き彫りにしている。なんだか目のやり場に困る服装だと思いながら、御手杵は頭を下げた。 鍛刀所を出た後、一通り本丸について案内され、最後は審神者の執務室にて色々と話をした。女曰く御手杵はまだ顕現したばかりなのでまずは『人の器』になれるよう手合わせをしろ、とのことだ。相手は近侍を務めている同田貫正国が引き受けてくれるらしい。さっそく道場へ向かい、指南役と刃を交える。激しい打ち合いをする中で、古参の刀は意地悪く笑った。 「あいつが待ち望んでいた槍だからな。お前、これから出ずっぱりだろうよ」 そう言うくせに、自分が部隊から外されるとは微塵も考えていない様子だった。この野郎、と御手杵は思わず無駄に力んでしまう。その隙を厳しい先輩刀が見逃すはずもなく、御手杵にとって初めての手合わせはこっ酷い結末となった。 同田貫の読みは当たり、女は槍を鍛えることを第一とした。部隊のメンバーはいずれも名剣、名刀。中でも実戦で使われた刀たちばかりであった。皆練度も高く、送り出される戦場も厳しい時代ばかり。新参だからと庇われることもなく、敵を打ち漏らせば「この鈍！」と罵倒される。もしも気の弱い刀であればいっそ折れてしまいたいと思ったことだろう。しかし御手杵は違った。天下三名槍の名を馬鹿にされ、皮肉られ、黙っていられるほど軟な槍ではなかった。己を馬鹿にした刀たちを見返すために、御手杵は強くなった。 ＊ 刀装が壁となり、敵の姿が隠された。御手杵は瞬きすらも惜しみ、己の目に映る全ての生物を見つめた。足の運び、重心の傾き、息遣い、向けられる視線……。見極めた先を、真っ直ぐ、一線に、微塵の迷いもなく突き刺す。御手杵の本体は刃に陽光を受け、まばゆい程に煌いた。その光は刀装のほんの小さな隙間をすり抜け、奥に構えた敵の心の臓を的確に貫いている。鉄臭い液体を吐きながら、敵が後ろへ倒れこむ。主を失った刀装が甲高い音を立てて砕け散った。 辺りに気配はない。ふうと御手杵が軽く溜息をつけば、同じように敵を屠った仲間たちが声をかけてきた。どうやら敵将の首級は我らが部隊長殿が挙げたらしい。しかし一番多く敵を倒し、誉を取ったのは自分だ。御手杵は得意げにふふん、と笑った。その笑みを見た仲間たちが何を偉そうに、と囃し立てる。言葉こそ酷いものだが、空気はとても気安いそれだ。すっかり部隊の一員と認められた槍は嬉しそうに笑いながら帰城のためにゲートを潜ろうと――。 潜ろうとして、咄嗟に倒れこむように回転して左へ避けた。そのまま立っていれば禍々しい青の刃が首を浚っていたことだろう。同じような態勢で反対側へ避けた仲間が叫ぶ。 「検非違使だ！」 「主！こちら第一部隊！検非違使に遭遇した！！」 「方陣で行くぞ！御手杵、来い！」 部隊長の指示に従おうと、御手杵が身を起こす。その時、耳元から凛とした女の声が聞こえた。 「いいえ、雁行陣よ」 その正体は、出陣前に支給されたなんとかという機械である。確かインカム、と女は言っていた。この小さなからくりを耳に嵌めれば本丸にいる女の声を聞くことができるらしい。その時は首を傾げていた御手杵だったが、ようやくこの機械の意味を理解した。 「一掃して。私に勝利を捧げなさい」 いつでもどこでも、声が聞けるのは案外いいな。戦場であるにも関わらず、女の声に聞き惚れてしまった御手杵は思った。そしてそれは仲間たちも同じであったようで、気合の籠った掛け声が木霊する。女の第一部隊は、僅かに刀装を失っただけに留まり、全員が無事に帰城した。 ＊ 本丸唯一の槍ということもあり、御手杵はとても重宝された。盾の役割を果たす刀装を気にせず、敵へ直接攻撃できるという面が女の気質に合っていたらしい。何せ女は「攻撃こそ最大の防御」と普段から宣う程だった。初めてこの台詞を聞いた時、御手杵はなるほど、だからあの部隊の面子か、と妙に納得してしまったものだ。決して守備を疎かにしている訳ではないが、他の本丸と比べれば負傷率は高いかもしれない。しかしその分、女の戦績は優秀だった。女が所属している相模国で一番多く遡行軍を倒したと政府から表彰されるくらいに。 他の審神者の士気を高めるためにも、ぜひ顔を出してほしいと乞われ、女は政府へ赴いた。御手杵は護衛として女の姿を見つめている。時の政府の建物内での表彰式なので本来ならば短刀か脇差が適任なのだろうが、最近の活躍を見て褒美代わりに現世へ連れて来てくれたらしい。物珍しい政府内の様子に色々と興味を惹かれながら、御手杵は大人しく女の用事が終わるのを待っていた。ふくよかな体格の男性が朗々と小難しい言葉を並べる。壇上に立つ女は黒のスーツを纏い、高めのヒールを履いていた。会場には相模国に所属する審神者たちが集まっている。もちろん不参加の者もいたが、結構な人数が足を運んでいるようだった。壇上の女が礼をするため頭を下げれば、まろやかな尻が強調され、スカートから覗く白い足へ視線が集中する。同じように審神者の護衛に来ていた他の本丸の刀剣男士が御手杵を肘で突いた。 「お前んとこの主、ずいぶん美人だな」 「うーん、まぁな」 相変わらず『女』であることを強く主張した服装である。丸みを帯びた体の線がよくわかる格好に御手杵は頬を掻いた。視線を逸らそうとも思ったが、その一瞬の間に主に何かあっては事だ。心の中でそのような言い訳をしながら、御手杵は女を見つめた。 政府の役人たちがこぞって女へ声をかける。何かと人目を惹くのだろう。役人の他にも女へ声をかけたくてそわそわしている人間が数名見えた。しかし女は軽く微笑んでさっさと場を辞してしまう。つれない態度に肩を落とす男共など気にせず、女は長い髪を揺らして御手杵の元へ戻って来た。 「お待たせ。帰りましょうか」 「ん？もういいのか？」 「ええ。必要な挨拶は済んだわ」 他の者へ向ける貼り付けたようなお綺麗な顔ではなく、肩の力が抜けた柔らかな笑顔だった。誰でもない、自分へ向けられた笑みに満足しながら、御手杵は頷く。未だこちらの様子を伺う野次馬たちの視線から女を守るようにさりげなく立ち位置を変えた。こんな時ばかりは図体がデカくて良かったと思う。女は護衛の槍に守られながら会場を後にしようとした。 「俺への挨拶がまだですよ、姉上」 ――――無遠慮な声が行く手を阻んだせいで、それは叶わなかったが。 女は心底面倒臭そうにため息をついた。振り返り様、殺気立つ槍の背中を素早く二回叩く。出掛ける前に決めた合図だ。『沈黙すべし』と命じられ御手杵はすっと表情を消した。それと同時に苛立ちや殺気、己の気配もぐっと押し込める。女の邪魔にならないよう半歩身を引いたが、何かあればすぐに飛び出せるよう重心はやや前に傾いている。槍の理性ある行動に満足しながら、女は目の前の厄介者へにこりと笑った。 「――お前に『姉上』などと呼ばれる義理はないわ」 「相変わらず釣れない態度で。俺は紛れもなくあなたの弟ですよ。半分だけですけどね」 「その半分に縋って我が家の門を叩いた厚かましさは認めてあげる」 「戦同様、手厳しい限りで」 女の辛辣な言葉に口端を歪ませながら、弟と名乗る男は皮肉気に笑った。男の護衛である太刀がさりげなく本体に触れ、片足を引いた。御手杵が睨みつければ、相手も同じように鋭い視線を寄越す。一触即発の空気を感じ取った野次馬の護衛たちが自分の主を遠ざける為動き出す。これ以上騒げば役人から何か言われそうだ。女は目線を逸らし男を視界から追い出した。御手杵の体を出入り口の方へ押す。撤退命令だ。納得はいかないが主命であれば仕方ない。女の背へ腕を回し、先に行かせようとした御手杵の耳へ、男の嘲笑う声が届いた。 「どんなに頑張っても無駄ですよ、あなたが『女』である限りね」 その瞬間。女は初めて表情を変えた。 [newpage] 御手杵は瞬時に己の本体を顕現させ鋭く空を裂きながら穂先を突き出した。男の護衛であった太刀が刃を構え防いでいることなど全く気にしていない。御手杵の目には、ただただ主を傷つける狼藉者しか映っていなかった。刃は太刀を構える護衛の頬を掠め、男の眼前で止まっている。もし御手杵がそのまま腕を伸ばしていれば、確実に瞳を抉っていただろう。男は恐怖に目を見開き固まっている。御手杵は自分の体から怒りが湧き出るのを感じた。それは昇り竜のように吹き上がり、その場を包みこもうとしている。周囲にいた刀たちが本体を掴み臨戦態勢に入った。 「……この愚かな槍を止めたら如何ですか、姉上。御咎めを受けますよ」 こめかみに汗を浮かせながら男が言う。問われた女はちらりと御手杵を見た。男の言う通り役人たちがばたばたとこちらへ駆け寄って来ようとしている。すぐにでも刃をしまい、謝罪すれば丸く収まるだろう。しかし女は美しく微笑むだけで何も言わない。怒りに震える槍の背中を撫で、優しい声で彼の名を呼んだ。 「御手杵」 その声音は素晴らしい働きをした忠臣を褒める響きを持っていた。予想外の流れに男と護衛の太刀が目を剥く。野次馬たちが好奇心のまま覗く先で、女は己の槍を讃えた。 「良くやったわ、御手杵。やっぱり槍はいいわね。何も気にせず『敵』へ刃を届けることができて」 殺伐とした場に似合わぬ美しい笑顔。くすくすと軽やかに笑う女は、仮にも弟と名乗る男を『敵』と呼んだことも気にしていない。けれど次の瞬間にはその笑みを潜め、鋭い瞳で男を射る。しゃんと背筋を伸ばし、艶やかな唇を持ち上げ、高慢な仕草で長い髪を払った。 「お前は私には勝てないのよ。『女』である私にね。家にいた時も、審神者となった今も、私はお前より遥かに優秀だわ。私が『男』に生まれなかったことを感謝しながら、一族の長になるがいい」 それはまさに会心の一撃であった。男はぱくぱくと魚のように口を動かす。何か言わねばと焦る心が、余計に言葉を遠ざけていた。誰が見ても明らかに、勝利は女の手に収まった。駆け付けた役人が男を連れ、女へも声をかける。女は張り付けた笑みで謝罪を口にし、追って報告すると約束した。役人はそれ以上何も言わず、女を解放した。野次馬たちが大人しく道を開ける。女は忠実なる槍を連れて、ヒールを打ち鳴らしながら去って行った。 ＊ 女と男の会話から察するに、御家騒動というものだろう。御手杵はそう考えていた。予想は当たり、帰り道の途中で女が掻い摘んで事情を話してくれた。女は多くの優秀な審神者を輩出した御家の娘として生まれた。賢く愛らしい子供で、その上幼い頃から豊富な霊力を持った少女だったと言う。神童などと持て囃され、本家や分家の大人たちの期待と陰謀の中で育ってきたらしい。しかし誠に惜しいことに、女の家は代々直系の男児を跡取りとして長に据えてきた。どんなに才能に溢れようとも所詮は『女』。次期分家筆頭となる青年の元へ降嫁することが早くから決まっていた。さて、跡取りをどうするか、と一族の全員が頭を抱えたところに、一人の婦人が転がり込んで来た。婦人は腕に玉のような男の子を抱えており、この子は長から――女の父から授かったと言うではないか。不実の元に生まれた子。しかしその子供は一族の者が心から欲した男児である。 一族の総意で、婦人とその幼子は受け入れられた。 女は当時八歳。大人が話す難しいことはわからなかったが、一族の人間が増えることは理解した。そして女はすぐに、この夫人と子供が嫌いになった。我が物顔で家の中を歩き回り、気に入らないことがあれば使用人に当たり散らす。一族の長たる父へ馴れ馴れしい口調で話し、人目のある場で体に触れる。汚らわしい、と幼いながらに女は感じた。その汚らわしい夫人の子供も気に入らない。少年となった不実の子は母親によく似ていた。我儘で横暴で、自分の思い通りに事が進まなければすぐに投げ出した。一度、女と少年が二人一緒に茶道の稽古を受けたことがある。茶道の師匠は年配の女性で、落ち着いた雰囲気の上品な人だった。女は師匠を大変慕っており、褒めてもらいたい一心で真面目に取り組んだ。その甲斐あってか、女の立ち振る舞いは美しく、茶道の師匠からも太鼓判をもらった程である。対して少年は茶道に余り興味もなかった為、終始落ち着きがなく振る舞いもお粗末なものだった。稽古の終わりに師匠は「もう少し姉様を見習って頑張りなさい」と言った。決して厳しい言葉ではなく、ともすれば少年を励ます言葉だった。しかし少年はその一言が非常に気に入らなかった。それではまるで自分の方が姉より劣っているようではないか。自分はいずれこの一族の長となる男。誰よりも優秀で、誰よりも偉いのだと母は教えてくれた。そんな自分へ向かって、このおばさんは何という言い草であろう。少年は怒りに燃える思考のまま叫び、茶道の師匠を辞めさせるよう求めた。女は何を馬鹿な、と呆気に取られた。常識的に考えれば子供の癇癪に頷くものなどいない。女の考えは最もである。しかし女の家ではそれが通じなかった。茶道の師匠は解雇され、女は二度と彼のお人と会うことはできなくなってしまった。次に来た茶道の指南役は少年を褒めるばかり。棒読みなおべっかに鼻を高くする少年を見た瞬間、女は心の底から軽蔑した。 誰の目から見ても女の方が優秀だった。勉学も運動も、咄嗟の機転の良さも礼儀作法も。少年より遥かに勝っていた。しかし家の因習により跡取りは少年である。『男だから』という理由だけが、少年を上座へ引き連れ、女を下座へ追いやった。一族の者たちが揃って「惜しい」と口に出すたびに、女は悔しくて唇を噛んだ。そんな女へ優越の眼差しを向ける婦人と少年を見た時、女は決意した。 ――もう何も、お前たちにくれてはやらぬ。 一族の長の座も、この家も、好きなだけ持って行くがいい。けれど一族の『人間』は全て私がもらう。交流のあった『名家』も、我が一族を評する『声』も、全て私がもらって行く。成人して審神者となれば政府との『繋がり』も生まれる。それも私のものだ。わからせてやろう。理解させてやろう。骨の髄まで染み込ませ、最早それを常識としてやろう。不実の子よ、お前は私には勝てない。お前が馬鹿にした『女』という生き物に、お前は負けるのだ。 「それからかしら。『女』に磨きをかけるようになったのは」 「男に見せつけるために？」 「そうよ。愚かしいでしょう？笑ってもいいわよ」 本丸への道を歩みながら、女は苦笑する。どうやら自分でも年季の入った執念だというのは自覚しているらしい。御手杵は改めて自分の主を見た。長い髪、紅い唇、たわわな胸、くびれた腰、細い足首――。相も変わらず麗しい女性である。一目と見れぬ容姿より美しい方が好ましいとは思う。今日のように他の審神者が見惚れていたり、他所の刀剣男士から褒められると嬉しく感じたのも事実だ。しかしそれだけが女を主と慕う理由ではないと御手杵は思った。もっと他に重要なことがある。何せ自分はどこまでも『槍』なのだから。 「俺はあんたが男でも女でもどっちでもいいぜ。俺はあんたのそういう負けん気とか、戦の仕方とか、考え方が好きだからな。」 心から感じたことを素直に口にすれば、隣を歩いていた女が急に立ち止まった。二歩分先に出てしまった体を慌てて戻し、女の様子を伺う。御手杵が覗き込んだ先で、女は珍しく驚いた顔を晒していた。口を丸く開けたままの女を見て、槍は遠慮なく笑う。明るい笑い声を黙って聞いていた女だったが、しばらくすると釣られて一緒に笑い出した。なんだか急に力が抜けてしまったのだ。今まで拘り続けていた『性別』という壁を、この槍はなんの躊躇いもなく突いてきた。しかもその壁を物ともせず、一直線に女の心を突き刺したのだ。審神者となって己で考え、判断し、男共を率いてきたが、まさかこんな風に思われていたとは。性別など関係ない、ありのままの自分を肯定してくれた御手杵の背を、女は思い切り叩いた。 「さすが天下三名槍！！」 満面の笑みの女とは対照的に、御手杵は痛みに顔歪めたのだった。

手弱女（たおやめ）<br />やさしく、しなやか女性。<br />しなやかは、弾力があり力を受けても折れずにたわむという意味。<br />文字に反して美しく強い印象を受けました。<br /><br />素敵な表紙は【<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/40035416">illust/40035416</a></strong>】様からお借りしました。<br />----------<br />女審神者が主人公です。<br />複雑な家庭事情が出ます。<br />男審神者が嫌な奴です。<br />作中にてジェンダーに触れる表現がありますが、特に問題提起をしている訳ではありません。<br />あくまでストーリーの展開として男女の性差を扱っています。<br />嫌悪を感じる方は閲覧をご遠慮ください。

手弱女

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今日も俺はカラ松ガールとの出会いを求めて橋へと来た。 シャイなガール達は今まで話しかけてきたことは無いが、俺は焦らない。 男は黙って待ってやるべきだからな。 下に流れる水を見ながら暇をつぶしていると、ふと服の裾を引っ張られる感覚がした。 一瞬、おそ松兄さんがまた来たかと思った。 少し前に脅かされて橋の上から落ちたのは今でも思い出すとムカつく。 しかし、今回は引っ張る力は弱々しいし上着ではなくズボンの裾を引っ張られている。 ガールではなくチルドレンかな？ 少し残念に思いながらも、優しい顔を意識して振り返る。 「どうした？リトル……えっ？！」 そこにはもこもことした5匹の何かがいた。 赤、緑、紫、黄、ピンク 見覚えのある毛の色。 俺の膝ぐらいしか身長が無くフォルムだけではナメクジに見えるが、真ん中の方から生えている短い手や明らかに人の顔がついていて。 その顔もどこか見覚えのあるものだった。 「え？え？えー？」 初めて見る生物に俺は驚きしか隠せない。 何だ？何だこのもこもこ？ 予想だにしない事態に戸惑いの声しか出せず、目の前の生物はじれたらしい。 くいくい くいくい ズボンの裾を引っ張っている紫のもこもこが眉間にしわを寄せ始めた。 「あ゛ーあ゛ー！」 不明瞭な鳴き声を上げながら裾を何度も何度も引っ張る。 一生懸命なその姿に胸がきゅんと音を立てた。 なんか可愛いな、この子達。 男にはないはずの母性本能というやつが、俺の中でその時生まれてきた。 「どうしたんだ？マミーとはぐれたのかな？」 そうなるともう可愛さしか感じられなくなって、俺はしゃがみこんで目を合わせて問いかける。 こうして近くで見てみるとますます兄弟に顔がよく似ている。 赤色はおそ松兄さん 緑色はチョロ松 紫色は一松 黄色は十四松 ピンクはトド松 さらにはどちらかというと幼い顔立ちをしているので、何かもう天使だった。 俺の問いかけに全員が一斉に首を横に振る。 ぶんぶんとそれに合わせて頭の触角みたいなものも揺れた。 あ、やっぱり可愛い。 ふりふりと未だ揺れる５匹の頭をそれぞれ撫でてあげる。 きゅっと鳴き声を上げておとなしく撫でられてくれるので、どうやら人懐こいようだ。 「かーわいいなー。」 普段あまり動物に懐かれることが無いのでとても嬉しくてデレデレしてしまう。 それをじっと見てくる５匹、 見てくるというよりも凝視してきてなんだか怖かった。 頭を撫でるのが悪いのかと手を外そうとすると、撫でていたピンクのもこもこがその手を勢い良く掴んだ。 そしてそのままじっと見てくる。 「ん？」 その視線に耐え切れなくなってきて問いかけるが、無言。 じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー じーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ゲポッ 「うわあああああああああああ！？」 そのままずっと見ていたかと思ったら、突然俺の顔に向けて何かねばねばした何かを一斉に吐き出してきた。 匂いは無いがそれでもねとりとした感触が気持ち悪い。 服でごしごしと拭うが完全には取り切れない。 急にどうしたんだろう？ 俺が何かをしてしまったんだろうか？ 悲しくなってしまって涙目になってしまう。 仲良くなれたかと思ったのに嫌われてしまった。 そう思って涙はどんどんあふれてしまう。 「う……。」 それを見た５匹はわたわたと騒ぎ始めぐるぐると俺の周りを動くが、気にする余裕が俺にはなかった。 ただ悲しくてほろほろと泣く。 「なくなっ！」 「ん゛ーん゛、ん゛ーん゛」 「あ゛ー」 「はっするはっする！まっするまっする！」 「とってぃー」 ５人は一生懸命手を伸ばして俺の頬にそれぞれ鳴きながら触れた。 ふにふにとした柔らかい感触に、俺はようやく落ち着きを取り戻す。 冷静になって見ると本気で心配しているのが分かり、俺は５人にほほ笑みを浮かべた。 「ごめんな。ちょっとびっくりしちゃってさ。 もう大丈夫だから。ありがとう。」 俺は安心させるために笑顔をキープしたままそれぞれの体を思う存分撫でてやる。 最初は俺の手に怯えていたが、撫でてあげるうちにふにふにとリラックスし始めた。 「ふへー。」 やっぱり可愛い。 …………よし、とりあえず持って帰ろう。 俺がそう思ったのは、ただ単に可愛さからだけではなく撫でるのを交代するときの不安そうな目のせいだった。 俺が５匹と出会って結構な時間がたったのだが、未だに飼い主も親も何も出てこない。 こんなに小さい子達をそのままにしておくなんて。 そんな殺生な事俺にはできない。 そう思ったからで。 「とりあえず……家来るか？」 両手を広げて迎えると勢い良く俺の胸に飛び込んできた。 ♦♦♦ ゲルゲ 童貞の元に訪れるという生物。 リア充に対して強い憎悪の感情を持っている。 毛皮、人間によく似た顔、触角、背中についているチャックが特徴。 雑食で人間と同じ食事でも問題ない。 詳しい事は未だ解明されておらず確認された個体数も少ない為、懸賞金がかけられている。 繁殖期が定期的に起こる。そして番とみなしたものに対して…… 俺はそこでパソコンの画面から目を離した。 活字は嫌いだ。 台本だったら、物語が面白いし読みやすいのだがこういった難しい用語がつらつらと並べられると途端に眠くなってしまう。 とにかく必要な情報は得られた。 食事は人間と同じものでいいらしいし。 しかも、 「お前ら他の奴らに狙われているのか……。」 ５匹は思っていたよりもずっと危険な立場にいるようだ。 懸賞金をかけられている生物が５匹もここにいる。 それを生業としているものからしたら喉から手が出るほどの状況なのだろう。 俺がパソコンに向き合っている間、膝の上にごろごろとしていた５匹を撫でてあげる。 そうしているうちに黄色とピンクの子がもにょもにょと口を動かして眠っていた。 その様子を見て暇だと言いながら２匹の頬をつつく赤い子。 それをたしなめる緑の子。 我関せずな紫の子。 何だか見れば見るほど兄弟たちに似ていて。 「おそゲルゲ。」 「チョロゲルゲ。」 「イチゲルゲ。」十ゲルゲ。」 「トドゲルゲ。」 勝手ながら名前を付けてしまった。 柔らかい頬をつつきながら名前を言うと、きらきらと目を輝かせて俺の指をぺろぺろと舐める。 「ははっ。くすぐったいよ。 名前、気に入ってくれたのか？」 騒ぎに起きてしまった２匹の子もおそゲルゲが耳打ちすると、笑顔になって俺の手に寄って来て頬を擦り付ける。 みんなどうやら不満は無いようなので名前は決定。 後は……最大難関。 他の兄弟たちをどのように説得してこの子たちの存在を認めさせて、さらに守ってもらえるようにするかだ。 懸賞金をかけられているという情報を見たとき、１番に金にがめつい兄弟たちを思い出した。 何も考えずにこの子達を見せたら確実に持っていかれる。 喜々として懸賞金に飛びついて、もらったお金でパーティーだーとか言いそうだ。 それは避けたい。 俺は必死に考えて考えてとあるいい案が思いついた。 「よしっ！お前たち、ちょっと待っててくれないか。」 それぞれの頭を撫でて膝から下し、俺は押入れへと向かう。 ごちゃごちゃと色々なものが積まれた中にお目当てのものを見つけて口角が上がる。 それを取り出して後ろを振り返ると、きょとんとこちらを見つめるみんながいて。 「これでお前たちは守ってやるからな！」 胸を張ってそれを掲げるとよくわかっていなさそうだが、短い手を一生懸命上に上げて喜んでくれた。 ♦♦♦ カラ松からグループの方でラインが来た。 みんなすぐに確認したのか既読がすぐにつく。 俺もそのうちの一人なのだが仕方ない。 なんたって俺たち全員カラ松ボーイだからな。 カラ松にガチで家族以上の想いを抱いており、今は冷戦真っ只中である。 誰かがカラ松と近づこうとするのを阻止して近づこうとすると阻止されて。 だから今の所カラ松は俺達の想いを全く気が付いていない。 そういうわけでカラ松からラインが来たのだ。 それをすぐに見ないという選択肢はない。 さてさてどうしたのかと見てみると、 『帰って来てくれないか？』 あばらを折るような言葉づかいではなく普通の言葉でそう送られていた。 本当にカラ松は無自覚にたちが悪い。 こんな風にされたら、いくら素直になれない系男子の一松（カラ松ボーイ終身名誉会長）でさえも猫を置いてマッハで帰ってくるだろう。 まあ、俺もだけど。 リーチ（しかも大当たり確定）の台を近くにいた知り合いに譲ると、俺は家に向かってクラウチングスタートで走りだした。 「ぜぇ、ぜぇ……ああー、久々だと色々つらいわー。」 同時刻に俺達は玄関前に着いた。 出来れば先に着いてカラ松とイチャイチャしたかったのだが、それはみんな考えていたことだろうし。 この方が安全なのかもしれない。 あのトド松でさえも可愛い顔を作る余裕なく、肩で息をしているのだ。 みんな今日はライブだのデートだのと言っていたのだが、まあカラ松が関わればそんなことは些細なことになってしまうのだろう。 「みんなぁ……行くか。」 ここにいてもしょうがないと、玄関の扉に手をかけながら確認するとみんな目を血走らせながら頷く。 俺も一回深呼吸をすると勢いよく音を立てて扉を開けた。 「「「「「ただいまー！」」」」」 みんな一斉に体を押し込んで中へと入る。 そして固まった。 「お、おかえり。ブラザー。」 そこにカラ松はいた。 俺達をずっと待っていたようだ。 問題なのはその格好だ。 青色のもこもことした着ぐるみ。 触角も生えている。手が少しだけもこもこの中から出ていてそれが一生懸命動いている。 そして出ている顔。 ほにゃほにゃと素の笑顔を浮かべていて、知らず知らずのうちに鼻からつーっと血が出てしまう。 「あ、あのな。えっと……ゲルゲなのだー！ この子たちは俺の可愛い子供たちです！」 気が付かなかったが、カラ松の足元に色とりどりのもこもこ小さいバージョンがいた。 「だれこいつら？」 「ん゛ーん゛ー！」 「があ゛ー！」 「……。」 「とってぃー！！」 しかも俺達に顔が似ていて威嚇してきている。 俺は後ろにいた兄弟達を見た。 それぞれの顔を見て同じことを考えていると察し、一つ頷いた。 「「「「「認知するから、結婚しよう！」」」」」 そして、カラ松に土下座をした。 「え？え？え？」 俺達のその姿に戸惑うカラ松の声が上から聞こえてくる。 ああ、まじ可愛い。 ♦♦♦ 「「「「「ゲルゲー！？」」」」」」 「うん！可愛いだろう！！」 パソコンとその小さいのを見せられながら俺達の声ははもる。 ゲルゲ 何だか聞いたことがあるが架空の生物だと思っていたので、実際にこの目で見るとどうしたらいいかわからない。 それよりもゲルゲ達と戯れているカラ松が可愛すぎて何も考えられない。 「あははっ！くすぐったいよー！！」 素のカラ松の頬を舐めるゲルゲ達はいただけないが、俺達の愛の結晶だと思えばまあ許す。 違うとは分かっているけれど、一生懸命隠そうとしているカラ松の格好の可愛さをもう少し堪能していたいので何も言わないが。 「あれ？そういえば何で洗濯機が動いているの？」 トド松がそういう通り、遠くの方でガタゴトという音が聞こえてくる。 母さんは朝からいないので、やったのはカラ松しかいないだろう。 「あーっと、この子たちと出会った時に色々あってな。 なんか緊張したからなのかドロドロしたものを吐き出されてな。」 苦笑したカラ松可愛い。 と言っている場合じゃなかった。 先程見たパソコンに俺達はもう一度向かう。 ゲルゲ 童貞の元に訪れるという生物。 リア充に対して強い憎悪の感情を持っている。 毛皮、人間によく似た顔、触角、背中についているチャックが特徴。 雑食で人間と同じ食事でも問題ない。 詳しい事は未だ解明されておらず確認された個体数も少ない為、懸賞金がかけられている。 繁殖期が定期的に起こる。そして番とみなしたものに対して口から粘液を吐き出すと考えられる。 俺達はカラ松の方を見た。 頬を舐めるゲルゲ達をよくよく見てみると、俺達と同じような欲の色が瞳の奥に隠れていて。 あ、敵だ。 俺達の視線に気づいたゲルゲ達の間で火花が散った。 「おおー！みんな仲良しだな！！」 俺達のその状態に気が付かず嬉しそうに笑うカラ松に、みんなノックアウトされる。 とりあえず目の前の天使を愛でようと俺達はその間だけは結託する。 その日、俺達の戦いの火ぶたは切って落とされた。 [newpage] この話はここで終了。 続きはありません。 許してください。おまけとしてゲルゲとカラ松の絡みを置いておきますので。↓ [chapter:おそゲルゲと] 他の子が遊び疲れて眠ってしまった中、おそ（おそゲルゲは長いと省略した）を膝にのせて撫でながら俺は常々思っていたことを聞いた。 「そういえば、おそはどうしてそんなに話せるんだ？」 他の子は今だにいつもの鳴き声と頑張って俺の名前しか言えない。 しかしおそだけは最初からつたないが意思疎通は出来た。 おそはしばらく何も言わず撫でられていたが、うーっとうなって俺を見た。 「だれにもないしょできる？」 首を傾げる姿に内心であらぶりつつも俺は頷く。 おそはしばらく考えて俺のお腹に顔を押し付けながら話し始めた。 「おれはゲルゲのなかのおさになるんだ。だからだとおもう。 おさははやくつがいをみつめてしそんをのこさなきゃいけない。 でも、カラともはなれたくないんだ。」 顔をぐりぐりと押し付けながら弱々しく言ったおそに俺の胸はきゅうんと締めつけられる。 ふるふると震え出したその体をそっと撫でて俺は優しく語り掛ける。 「そうか。おそはすごいな。 でもな、まだこんなに小さいんだからそこまで考えすぎなくて良いと思うぞ。 ニートの俺が言うのもなんだが休むときは休まないと。 おそはこんなにもお兄ちゃん頑張っているからな。」 ゆっくりと手を動かす。 震えも止まりおそは「うへへー。」と幸せそうな声を出す。 「そっかー。そうだよなー。 じゃあまだいいかー。それにつがいはもうみつけたからなっ。 あせんなくていいか。」 「おっ。もう見つけているのかっ。 可愛い子か？」 おその成長に少し胸が痛くなりながらも俺は笑みを浮かべる。 そんな俺をじっと見たおそは、きゅっと俺の服の裾を握って決心したような顔になった。 「あ、あのなっ。カラっ！」 「はーい。そこまでー。」 おそが何かを言おうとする前にその体は赤いパーカーを着た手に寄って俺の上からどかされた。 「俺も構ってー。カラ松ー。」 「んなっ！」 そのままおその体はそっと床に置かれ、俺の体をおそ松兄さんが抱きしめた。 「な、なにすんだ！カラからはなれろよ！」 おそは一生懸命俺の元へと戻ろうとするが、おそ松兄さんはそれを許さない。 「兄さん？」 「んー？」 おそが泣きそうになっているのでたしなめようとおそ松兄さんを見ると、首を傾げてとぼけられてしまう。 「はなしてくれないか？」 「んー？」 あ、これ面倒くさい奴だ。 そう思って顔が引きつるが、目の端でおそがぽろぽろと涙を零しているのが見え。 がら空きだったおそ松兄さんの腹に拳を打ち込んだ。 「ぐぅふっ？！」 勢いが強すぎたようでおそ松兄さんはそのまま気絶してしまった。 やりすぎたかなと反省してしまったが、おそが嬉しそうに膝によじ登ってきたので気にしないことにした。 「大丈夫だったか？」 「おうっ！！」 ふわふわの体を撫でているとおそは眠くなってきてしまったようで、うとうととまぶたが落ちてくる。 「寝て良いぞ。」 可愛いなと思いながら俺はおその額にそっとキスを落とす。 おそはぴゃっと鳴いたが眠気には勝てずにそのまま眠ってしまった。 「……がいはカラだよぉ。」 「ん？」 眠りにつく前に何か言っていた気がするが、俺の耳はそれをきちんと聞き取れなかった。 少し気になったが、幸せそうに眠るおそにすぐにどうでもよくなる。 「まじ、天敵だわ。」 その様子を意識を取り戻したおそ松兄さんが見ながら悔しげにつぶやく。 彼らの争いはまだまだ決着はつくことは無い。 まずはカラ松に意識させなくてはいけないということが分かっていない内には決着をつけることなど無理な話かもしれないが。

ふわふわもこもこ生活<br /><br />イチゲルゲの可愛さ半端ないですね。<br />公式がネタをものすごいペースで供給してくれるので、てんやわんや！<br />しかしゲルゲだけは頑張って書きます！<br /><br />タイトルから察することも出来るかと思いますが、ゲルゲ大量発生です。<br />カラ松以外のみんなに似たゲルゲが出てきます。<br /><br />ゲルゲの口調は迷いました。<br />イチゲルゲは公式があるし、末松はすぐに思いついたんですけどおそ松とチョロ松はどうしようか？<br />迷っていた時に忍者シコ松を見てチョロ松かわえええ！よしこれだ！決定！<br /><br />おそ松……考えて考えていっそ無口にしようかとも考えたんですが、逆に意思疎通出来なくなると１人だけ話せるようにしました。<br /><br />一瞬、アダルトな物語が浮かんだんですがきっと無理だろうと、私はほっこりした話しか書けないんだと思いなおしました。

カラ松とゲルゲ達

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｢…最初の報告では、記憶が無かったと聞いていたが?｣ 久しぶりに会った兄の第一声がこれだった。 *** 一番最初に双子と出会ったのが、帝都までの道中だった。 記憶通り、双子はいつの間にか現れ、ハクの頬を心行くまでプニプニと堪能していた。 双子が自分の前に現れたと言うことは、帝である兄が自分を探していると言うことである。 それは、この世界でも自分は帝の弟(今は妹か?)であると言うことになる。 兄が帝ならば…もっと早くきちんと話をしていれば、何かが変わるかもしれないと思った。 懐にある仮面のことも詳しく聞くことも出来るだろう。 頬をひたすら触りまくる双子に、ハクは声をかけた。 ｢自分を兄の元に連れていって欲しい。｣ ハクの言葉に、双子の動きがピタリと止まる。 深く被ったフードで表情は伺えないが、きっとホノカと連絡を取っているのだろう。 何やら連絡が取り終えたであろう双子は小さく頷くと、そっとハクの手を取った。 目の前に現れる靄。 此れが兄の元へと繋がる道。 双子に手を引かれながら、ハクは靄の中へと入って行った。 *** そして、出た先で真っ先に発した兄の言葉があれだった。 ｢…此方にも都合ってのがあってな。｣ ｢その男のような喋り方も相変わらずじゃな。｣ 口を尖らせてぶつぶつ文句を言うハクを見て、兄は懐かしそうに目を細めて笑う。 ｢その事についてなのだが…。｣ ｢どうかしたのか?｣ ｢自分は、この世界では女なんだな?｣ ｢…何を、当たり前の事を言うておる?｣ ｢いや、どうやら自分は逆行しているみたいなんだ。｣ 懐からそっとオシュトルの仮面を取り出し、兄に見せる。 その仮面を見て驚いたのか兄が目を見開いた。 ｢その仮面を何処で…｣ ｢この仮面が人に有り得ないくらいの力を与えたり怪物に変えたりするような代物だ、強く願えば時間軸をねじ曲げて逆行してもおかしくないくらいのモノだとは思う…思うんだがな。な…んで……何で女なんだよ!!!｣ 一瞬、時が止まった。 ｢………は?いや、ちょっと待て…｣ ｢これが待ってられるか!?気が付いたら逆行した世界に来てるし、しかも女になってるし何処のゲームの世界だよ!!兄貴に自分の気持ちがわかるか?!あったモノが無くなって無かったモノがあると知った時の自分の絶望感が!!!｣ ｢いや、その…大変だったな、お前も……｣ 最早、兄はそう言うしか無かった。 ｢それで、本題に入る。｣ ｢…男になりたいとか言うのか?まぁ、この遺跡に残された技術を使えば出来なくも無いが…儂としては妹が弟になるのはちょっとのぅ…｣ ｢違うわ、馬鹿兄貴。｣ 性別に関しては文句は言いたかったが、自分がやらなければならないことに性別等関係は無いのだ。 男だろうが女だろうが、やらねばならないのには変わらない。 やらねば未来は変わらないのだ。 あんな未来はもう、御免だ。 瞳を閉じて、深く息を吸い込む。 脳裏に蘇るのは、皆の笑顔だ。 今度こそ、守らなくてはならないモノ。 ｢兄貴に頼みがある。｣ ｢出来る事ならば。｣ どうしたら良いかなんて分かっているのだ。 だって自分は、全てを守るために未来から戻って来たのだから。 ｢仮面の力の制御をして欲しい。｣ ｢それは…｣ 兄が言葉を詰まらせる。 兄が仮面にあれほどの力を持たせたのも知っている。 しかし、 ｢無理とは言わせんぞ。人があんな怪物になる力があってたまるか。｣ ｢それは他国への牽制もあるからだな…｣ ｢確かに牽制にはなるかもしれんな。兄貴が…帝がいれば。｣ 帝が死が、全てを狂わせた。 ｢儂は…死んだのか?｣ ｢姿を消したと言う話が回ってから、帝都は戦火となったよ。仮面の力によってな。｣ ｢そうか…｣ 兄が静かに呟いた。 壮大な力は牙を剥くのだ。 聡明な兄の事、きっとそうなる事を予想していた筈だ。 後継に据えたアンジュは幼すぎる故に、帝亡き後となると帝崇拝者が反乱を起こすことも分かっていたに違いない。 そうして、国が傾いて行く事もだ。 そう思うと苛立って仕方がない。 自分の死と共に国を道連れにした兄に。 そして何より、それに気が付かずのほほんと兄と酒を呑み交わしただけの自分に。 ｢だから、仮面の力を制御して欲しい。戦が起こるなら知略で何とかしろ。それで滅ぶならヤマトは其れまでと言うことだ。｣ 真っ直ぐと兄を見る。 琥珀の瞳に決意の色が宿っている。 兄は溜め息を一つ付いた。 知っているのだ。 普段からぐうたらで、口を開けば｢働きたくない｣｢面倒だ｣と言う妹。 流されてばかりで、隙あらば休もうとする妹。 だが、流されていることを好む妹が、これと決めれば荒波にも逆らったりするのだ。 こうと決めたら、折れない芯の強いところがあるのだ。 ｢分かった、善処しよう。｣ ｢本当か?!｣ ｢ただし、条件がある。｣ ｢何だよ、唯一の兄妹に条件付けるのか?｣ 兄の言葉に、ハクが口を尖らせる。 ｢お前が見つかったら、そうさせようとずっと考えておった。｣ 静かに、兄が口を開く。 ｢真人間計画…だったか。｣ ｢そうか、お前は先を知っているのだったな。｣ ｢あぁ。｣ ｢ならば話は早い。儂の忠臣の誰かと婚儀を結び、子を成して欲しい。｣ 再び、静寂が訪れた。 ｢……………………………は?｣ 今世紀一番の間抜け面だったと兄が後に語る。 ｢結婚して、子どもを作れと言うておる。｣ ｢はぁぁぁぁぁぁ?!｣ ｢だから、結婚して子を…｣ ｢分かったから!もういいから!｣ 真っ赤になったハクが兄の言葉を遮る。 ｢…で、何で結婚なんだ。何で子どもなんだ?｣ ｢孫の顔が見たくてのぅ｣ ｢冗談なら殴るぞ。｣ それに仮に、もし仮に自分に子どもが出来たとしたら、それは孫ではなくて甥か姪だ。 突っ込むのも面倒なので言わないが。 ｢お前が子を成せば、真人間計画の一歩とも言えよう?……いや、それはもう今となれば建前に過ぎんな。儂はな、長い間孤独じゃった。｣ ｢…あぁ。｣ 自分の居た世界でも兄はそう語っていた。 長い長い孤独を。 ｢お前が子を成せば、儂にも家族が増える事になる。｣ ｢そうだな。｣ 兄が、家族を欲していたことも知っている。 その結果が、ホノカとアンジュだ。 だが、偽りの家族を兄は愛せなかった。 愛した家族に似せて作った亜人を側に置くことで、虚しさと寂しさが募ったに違いない。 しかし、寂しさから最愛の家族に似た亜人を遠ざける事も出来なかったのだ。 寂しさの織り成す負の無限ループに兄は捕らわれていたのだ。 ｢もう一度言う。儂の忠臣の誰かと婚儀を結び子を成して欲しい。それが条件じゃ。｣ 故に、兄は家族に執着するのかもしれない。 ｢わかった…条件をのもう。背に腹は変えられんからな。｣ ｢その心底嫌そうな顔をしてなければ良かったのじゃがな。｣ 兄が苦笑いを浮かべる。 ｢で?帝の忠臣の誰かって事は自分にも選ぶ権利はあるんだな?｣ ｢相変わらず抜け目が無いのう。うむ、八柱将辺りを考えておるのじゃが…｣ ｢ムネチカさんでお願いします。｣ ｢お前女じゃろ。｣ ｢うがぁぁぁ!そうだった!!｣ さすがに女同士では、例え婚儀を結べても子は成せない。 ｢お前の年齢からして、オシュトルやミカヅチ、ライコウ辺りが無難だと思うのじゃがな。｣ ｢待って、兄貴。ちょっと待って。｣ ｢なんじゃ。｣ ｢自分は女で、子を作ると言うことは…相手は男なのか?｣ ｢何を当たり前なことを聞いておる。｣ ｢つまり自分が男と…その……｣ 下に俯いて、ハクがモゴモゴと口ごもる。 ｢まぁ、致さねば子は出来ぬわな。｣ 兄の言葉に、ハクの顔が青ざめていく。 ｢…あの兄貴｣ ｢まさか、今から約束を違えるとは言わせんぞ。｣ ｢………はい。｣ 今さら、その約束変えて!とは、言えそうに無い。 ｢兄貴。｣ ｢なんじゃ。｣ ｢約束は守る。だが少しだけ自分に猶予をくれないか。｣ この世界の自分はどうやら最初から女だったようだ。 しかし、今此所にいる自分はこの世界に来る前は男だったのだ。 そこで急に男と結婚して子を作れと言われても、物理的にはいけるだろうが精神的には無理な話だ。 ｢どれ程の時間を?知っておるだろうが、儂はそれ程長くは無い。｣ 兄が長くないのも知っている。 十の昔に寿命を超えた兄は、どんなに延命処置をしても効果が無くなって来ていることに。 ｢今自分はクジュウリから帝都に向かっている最中なんだ。猶予は自分が帝都に着くまで。それまでに 覚悟を決める。相手とか身の振り方は帝都に着いてからで良いだろう?｣ ｢それは構わないが、それだけの時間で良いのか?｣ ｢構わん。…と言うかむしろ時間が沢山あった方が悶々と考えてしまって逃げたくなりそうだからな。｣ 時間があればあるほど自分の行く先を悲観してしまいそうなのだ。 どうしてこうなった。 ｢分かった。では仮面の件は承知した。ウルゥル、サラァナ。｣ ｢｢はい。｣｣ 兄が双子の名を呼ぶと、今まで空気の様に佇んでいた二人が帝である兄のそばまで歩み寄る。 ｢お前にこの二人を授ける。｣ ｢ちょっと待ってくれ兄貴、それは困る。｣ ｢なぜ困る必要がある?｣ ｢さっきも言ったが、自分は今クジュウリから帝都に向かっている途中なんだ。｣ ｢だから二人をお前の護衛にと。｣ ｢そいつは無用だ。自分は今ウコンと行動を共にしている。それにいきなりこの二人を引き連れて現れるのも説明に困るだろ。｣ 記憶喪失の女が急に美少女二人を従えるなんて可笑し過ぎるだろう。 ましてや湧いて出てきた訳でもあるまいし。 ｢ウコン……ああ、オシュトルか。しかしのう、二人を置いて貰わねばお前との連絡手段が…｣ ｢その点に置きましては心配無用です。｣ ｢ホノカさん。｣ 兄の横にすっとホノカが立ち上がる。 ｢差し出がましいと思いましたが、失礼致します。｣ ｢良い、話せ。｣ ｢ウルゥルとサラァナは時空を歪める術を身に付けております。故に、回りからは姿が見えぬようにすることが可能です。なので、何も回りに説明をしなくとも良いのです。｣ ｢おぉ!そうであったな。｣ あぁ、嫌な予感しかしない。 ｢それならば、問題ないであろう?｣ ｢ウルゥル｣ ｢サラァナ｣ ｢｢主様の御心のままに。｣｣ 主様決定と言わんばかりに、二人がハクの前に跪く。 ｢は…ははは……｣ 最早乾いた笑いしか出ない。 どうしてこうなった? どうしてこうなったっ?! 何度も問うが答えは返って来そうに無い。 [newpage] 真っ白な銀世界。 何処を見渡せど、白しかない。 白く何にも染められていない彼女が、姿を消した。 ｢ウコン!ハク、いた?!｣ ｢いや、そっちは?｣ ｢見つからない。…どうしよう、もう日が暮れそうなのに。｣ ｢俺はあっち、嬢ちゃんはそっちを。何、ネエちゃんの事だ、ひょっこり帰ってくるさ。｣ ｢そう…だね。ありがとう、ウコン。｣ ｢何、良いってことよ!｣ クオンが微笑み、ウコンがニカリと笑う。 それと同時に、二人は左右へと散って行った。 クジュウリから帝都に向かう道中、ハクが姿を消したのだ。 最初に気が付いたのが、ハクの保護者と名乗るクオンと言う少女だった。 体力の無いハクの事だ。 例えはぐれてもそれ程遠くへは行けない筈だ。 最初はルルティエも共に探すと申し出てくれたが、末とは言え姫君に雪の中を捜索させる訳にもいかず、丁重に断った。 しかしそれは建前で、彼女も迷われてしまっては厄介だから動かないでいて欲しかったのが本音だ。 荷車には帝への献上の品が積まれているため人員捜索には割けない。 なので、ハクの捜索にはウコンとクオンの二人だけで行われた。 ｢ネエちゃん!返事してくれ!｣ 先程クオンが言ったように、日が暮れつつあった。 急がなければならない。 日の暮れた雪山では此方も命を落としかねない。 ｢ネエちゃん!!｣ ハクを探しながら、考えてしまう。 もしかしたら、彼女は記憶を取り戻して家族の元へ帰っていったのでは無いのだろうかと。 (ならば良かったではないか。彼女が家族の元へ帰れたなら…なのに、なぜ…) 何故、こんなにも心が焦るのだろう。 こんなにも会えないことが悲しいのだろう。 (こんなにも狂おしいのか。) 答えは知っているのだ。 (彼女に、惚れてしまったからか…) 全く、らしくない。 右近衛大将オシュトルが聞いて呆れる。 ｢ネエちゃん!いたら返事してくれ!ハクっ!!｣ ｢呼んだか?｣ 幹の影から、まさしくひょっこりとハクが顔を出した。 ｢うぅ～寒い!誰も自分が荷車から落ちて気を失ってるのに気付かずまさかのおいてけぼりとは酷い話だと思わんか。｣ ｢…ハク。｣ ｢どうしたウコン、酷い顔だな。イケメンが台無し…｣ ｢良かった…｣ ハクの腕を引きよせ、細い体を抱き締める。 甘いハクの香りに今は安堵する。 ｢ウコン?｣ ｢無事で良かった。｣ ｢…心配掛けて済まなかったな。｣ 細いハクの腕がウコンの背に回る。 (某は、自分勝手で酷い男だな。) 彼女の幸せを願えない。 でも、彼女をオシュトルでは幸せにしてやれない。 オシュトルの魂は、帝のものだから。 自分勝手で、我が儘。 そんな子どものような自分に、呆れてしまう。 ｢ウコン!ウコン!苦し…っ!｣ ｢あ、すまねぇ。｣ ｢全く、お前は強く抱き締め過ぎなんだよ。折れたらどうしてくれるんだ。｣ ｢だからすまねぇって。｣ ｢んっ!｣ ｢…ん?｣ ハクが両手をウコンへ向ける。 それが何を指すのか分からず、ウコンは首を傾げた。 ｢だから、疲れたから運んでくれ。｣ ｢は?まだピンピンして…｣ ｢あぁ!さっき締められた腕が痛む!｣ わざとらしくハクが腕を擦る。 ｢…背負うので良いかい?｣ ｢おう!｣ ニカリとハクが笑う。 男相手に恐ろしく無防備だとウコンは思う。 本当は、これ以上触れたくなかったのだ。 その、白く何にも染められていないハクを自分に染めたいと思ってしまうから。 背中に当たる、ハクの柔らかな感触は最早毒だ。 ｢そろそろ日も暮れるし、嬢ちゃんも心配してるから急いで帰るぞ!｣ ｢おう!しっかり掴まってるから宜しく頼む。｣ ぎゅっとハクがしがみつくと、更に柔らかな感触が伝わってくる。 ウコンは、無になった。 成らざるを得なかった。 早くハクと離れたくて、猛スピードで天幕まで帰った事は此処だけの話。

お久し振りです。やっと続きました。<br />ラストのフラグを回避するならばと考えた時、必ずハクさんが会わなければならない人と会いました。<br />ぶっちゃけこの人を攻略出来たら全てが丸く収まると皆さん考えた筈ですよね。<br />はい、ありきたりです。すみません。<br />まだオシュ→ハクなので、早く両思いにしたいです(切実)<br /><br />***<br />沢山の閲覧･ブクマ･コメントありがとうございます！<br />励みになっております(*´∇｀*)<br /><br />どうでも良い情報としましては、女体化ハクさんはグラマラスだと言う設定にしております。<br />あのやる気の無い顔にグラマラスなボディって何だか大人の色気がありそうで良いよなってのが、私個人の勝手な偏見でそうなりました。<br />グラマラスボディでオシュトル様を悩殺して欲しい。

再会しました

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「……わあ、キレイ……！」 　郁はスマホをみつめ、思わず声を上げた。 ここはアパートの一室。郁は茨城から大学進学の為、上京してきたばかりだ。ここは郁のささやかな城だ。 スマホの画面いっぱいに、咲き誇る桜。淡い色合いが暖かそうな日の光に滲んでいる。 「いいなあ……」 楽しいながらも慣れない都会の生活。大学に行けば楽しいが、家に帰ればひとりぼっち。今まで三人の兄に囲まれたにぎやかな場所で育った郁には、お隣さんの顔さえよくわからない都会生活は憂鬱だ。そんな疲れを感じていた郁の心に、それはじんわりとしみわたっていった。 郁はその写真が気に入って、そのアカウントのプロフィールページへと飛んで行った。ツイッターを何気なく眺めていたら、リツイートか何かで流れてきたので、このアカウントと面識はない。 プロフにはこう書かれていた。 　 　Ｄ 　院生。趣味で写真撮ってます。大学のサークルで撮った等を写真を載せています。リプほとんど返せてませんが、全部読ませていただいてます。Ｆ／Ｒ／Ｂはお気軽に。 　東京 　郁はメディアを表示してみる。そこには主に風景写真がアップされていた。綺麗な空や、かわいい街角の猫。どれも郁の好みにあう優しい感じの写真だった。 女性かな？　そう思ってツイートを少し遡ると、どうやら男性のようだ。「今日は同期後輩男三人で部屋飲み」などとのツイートもあった。 郁はもう一度プロフィールを見る。フォローしているのは数人だが、フォロワーは百人以上いる。写真が素敵なので頷ける。 これなら、一人くらいフォローしたところで目立たないだろう。そう考え、郁は「Ｄ」さんを無言フォローした。 　それから郁は毎日Ｄさんの写真がアップされるのを楽しみにした。写真は毎日アップされるわけではないが、三日と空いたことはなかった。大学が忙しい時など、一週間くらい何もツイートがない時もある。そんなとき、郁は少し寂しい感じがする。 最初の頃は、数日アップがないと、どこか具合でも悪いのだろうかと心配してしまっていた。が、どうやら大学が忙しいときはさすがにアップが滞るようだと気づいたのは、あるツイートからだ。 久しぶりに写真アップです。ＧＷもなく、研究室にこもってましたが、やっと解放。 　どこで撮影したのかと興味のわく、大空に浮かぶ鯉のぼりの写真と共にそう呟かれていた。その下に、「こまっきー」と名乗る人からのコメントが付いていた。 　あ、暇になった？　今夜飲みに行かない？　ＤＭするよ。 　おい！　垢間違えてんぞ！ 　郁はぷっと吹き出した。Ｄさんも自分と同じ学生なんだな、と急に身近に感じた。 　──お話、してみたいな。 　ふとそんな気持ちが沸き起こる。 　それと同時に、少し怖くなった。勝手に身近に感じているのは郁の方だけだ。あちらは、郁という存在にさえ気づいていない。「カサハラさんがあなたをフォローしました」との通知は行っただろうが。 　悶々としながら、スマホを眺める。しばらくして、郁は首を横に何度か振って、「よし！」と気合を入れた。 　話かけても大丈夫だって！　よく考えたらＤさんの写真て、ちょこちょこコメント付いてるけど、基本リプしてないし。あたしが写真の感想書いたところで、別にどうってことない！ 　そうして郁は「リプがあるわけない」ということを免罪符に、スマホに指を滑らせた。 　初めまして。いつも素敵な写真に癒されてます。鯉のぼりがのびのびと気持ちよさそうですね。都会では見かけない光景ですよね。これからも楽しみにしてます！ 　しばらくその画面を見つめた後、思い切って「えいやっ」と声をかけ、郁はツイートボタンを押した。 　しばらくの間どきどきとしていたが、もちろんリプはなかった。それが残念だけれど、同じくらいほっとした。 　そのことで吹っ切れた郁は、それから、とても気に入った写真には「いいね」を押し、たまにＤさんの写真に感想を伝え始めた。 　Ｄさんへのツイートがちょうど十回を数えた時だった。 　海の家ですね。ちょっと鄙びた感じがノスタルジックでいいです。実家の近くの海を思い出して懐かしくなりました。 　そのツイートをして数分後、突然スマホが鳴った。これは、ツイッターの通知の音だ。郁はキッチンから慌てて部屋に戻った。 　震える指でスマホを開く。 　いつもご覧いただきありがとうございます。カサハラさんのノスタルジーを呼び起こせたなら嬉しいです。これは水戸の海水浴場です。以前コメント下さった鯉のぼりは、田舎ですが東京で撮影したものです。これからも楽しんでいただけますように。 　郁はスマホを凝視したまま固まった。 　──ちょっと待って！　何これ、何これ！ 　片手で口を押さえる。顔が熱くなっていくのがわかったが、止められない。 　「いつも」って、あたし、Ｄさんに認識されてた！　しかも、「カサハラ」さんって！　このアカウント、本名なんですけど！　なんか、すっごく照れる！　しかも、水戸って、めっちゃうちの実家じゃん！　 　そして、一番郁の心を締め付けたのは。 以前コメント下さった鯉のぼりは、田舎ですが東京で撮影したものです。 　──鯉のぼり、覚えててくれたんだ。 　郁が初めて勇気を振り絞ってしたコメント。もちろんリプは来なかったけど、何か月も前のことなのに覚えてくれていた。ちゃんと、「カサハラ」からのコメントとして。 　「これからも楽しんでいただけますように」 　……「これから」、あるんだ。 　郁は両手でスマホを胸に抱え込む。口元が緩むのを止められなかった。 　それからも、郁はＤさんに時折コメントをした。本当はすべてのツイートに反応したいくらいだったが、うざいと思われたら嫌だ。Ｄさんのリプも、二回に一回くらいしか返ってこないから、あまり負担になりたくない。 　それでも、このやりとりが楽しくて仕方がない。綺麗な写真に添えられる、Ｄさんの日常。それが垣間見られるのが楽しかった。 　優しい写真。綺麗な世界。 　Ｄさんの住む世界は眩しくて、いつしかこんな光景を一緒に見たいな、と思うようになっていた。 　上京してそろそろ一年が経つ。 　郁は左隣の部屋からする物音で目が覚めた。がたん、ごとん、と、気を付けてはいるのだろうが、物を動かす音がする。確か、昨日隣に新しい人が引っ越して来ていた。前回同様、隣に越してきた人がどんな人なのかは、よくわからない。 　郁は伸びをして、ベッドから起き上った。カーディガンを羽織り、窓辺まで行き、カーテンをシャッと開ける。アパートの３階だから、外からの視線はそれほど神経質にならなくていい。 　外を眺めると、近くの公園が見える。公園の周りを囲む大きな木が、薄紅色に色づき始めている。桜がそろそろ咲き始めているのだろう。鳥の声がして、空を見上げる。今日は雲一つない青空だ。 　郁は部屋着に着替え、習慣になっているスマホを開いた。ＴＬの最新ツイートが表示される。 　瞬間、息をのんだ。 　春から社会人。心機一転、引っ越しました。うちのベランダから見える桜です。 　そこには、郁が見ていた、たった今見ていた光景がそのまま映し出されていた。 　郁はかくりと膝から力が抜け、フローリングの上にへたり込んだ。 　──落ち着け。 　そう思っても落ち着けるはずはない。 　──見てるかも。……今、一緒の光景、見てるかも！ 　郁は立ち上がる。何も考えず、スマホだけ抱えて、玄関の扉を開ける。 　左側を見ると、ちょうど左隣の部屋のドアが開いたところだった。 　中からは、少し小柄な郁より少し年上かと思われる男性が出てきた。漆黒の瞳がちょっと驚いたように見開かれ、それから、わずかに細められ、軽く会釈をされた。 　──この人だ。 　もう野生の勘としか言いようがない。 「Ｄさん！」 　郁はなぜか泣きそうな気持ちで叫んだ。 　男性は目を瞠る。それはそうだろう、いきなり初対面の女性からアカウント名で呼びかけられれば。 「あっ、えっと、ごめんなさい！　あの、ちょっと待ってください！」 　郁は手の中のスマホをいじり、自分のツイッターのＴＬを呼び出す。スマホで自分の顔を隠すように男性に向けて差し出した。 　──て、何やってんの！　これでＤさんがわかるわけ……。 「……『カサハラ』、さん……？」 　彼が掠れた声で呟く。郁はぱっと顔を上げた。 「な、んで、カサハラって……」 　彼はきまり悪そうに頭をかいた。 「いや、連続で俺のツイートが出てきてたから……。カサハラさん、あまり他にフォローしてる人いないだろ？」 　その通りだ。郁がフォローしているのは、ほんの数人。ＴＬが煩雑にならないよう、気になるアカウントも簡単にフォローせず、リストに入れるだけにしている。が、なぜそれをＤさんが知っているのか。 　疑問が顔に出てしまったのだろう。彼はそっぽを向いてぼそぼそと白状し始めた。 「……気になってたから、ちょくちょくカサハラさんのプロフィールページ読みに言ってたんだよ」 　郁は首を傾げる。 「気になってたって？」 　心底意味がわからず問いかけると、彼は開き直ったように真正面に向き直った。 「いつもコメントくれる『カサハラ』さんが、気になってた、悪いか！」 「わ、わるくないです、ケド……」 　勢いに押され、郁は混乱したままじっと彼を見つめる。彼はこちらをじっと見つめ返し、ゆっくりと口を開いた。 「カサハラさんが、俺の写真の他にどんな光景を見てるのか、気になってたんだよ」 「は、はあ」 　気の抜けた返事を返すと、彼はふっと表情を緩めた。 「まあ、これからお隣さんだしな。生活圏同じだから、同じ光景を見ることも増えるだろうな」 　そう言うと、頭にぽん、と掌が乗っかった。そこからほんわりと温かさが広がる。 「一緒に、見てもいいんですか？」 　思わずそう尋ねると、頭に載せられた指がゆっくりと撫でるように動いた。 「ああ。一緒に、見たいな」 彼が郁を、写真の光景と同じ優しい目で見つめ返す。 つられて、郁もほんわりと微笑み返した。 　Fin 　次のページは図書館戦争関係ないあとがき（？）です。 [newpage] 　あとがき（？） 　ツイッター眺めてたら、ストーカーの技が載ってました。 　「自宅のベランダから見える写真」というツイートで、ターゲットの住所を特定した！　 というネタです。怖いねえ、と思いました。 　元ツイートの真偽のほどはわかりませんが、私もテレビとかで映し出される光景を見て「あ！　これあそこだ！」と考えるのが楽しいので、確かに本気になればそのくらい調べるのはわけないだろうなーと思いました。 　うん、図書館戦争関係なくてすみません（笑）

２０１６年。５月１３日追記。<br />このお話の続きを書きました。<br />光景（完全版）<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6773883">novel/6773883</a></strong><br />ご興味のある方はよろしかったらご覧くださいませ。<br /><br />　何を思ったか初めてパラレル書きました。<br />大学生郁ちゃんが、ツイッターで堂上さんと知り合うお話です。<br />　堂郁である必要性はあまり感じないかも知れませんが、堂郁変換した方が楽しかったので。<br />　よくあるパターンのよくあるオチですが、それでもよかったらよろしくお願いいたします。<br />　ネタは、ツイッター眺めてたら流れてきたストーカーの手口です←。（お話は、ストーカー関係ありません）<br /><br />　閲覧、評価、ブクマ、コメント等ありがとうございます。

光景

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6457762#1

事務所で仕事をこなしていると、ドアの外が騒がしくなった。ドアの向こうでザップとツェッドの声が近づいてくる。 「だから、その持ち方は酷いですよ！」 「うるせーな！こうでもしないと暴れるだろ、こいつ！」 バァン、と扉が大きく開いてドタバタと騒ぎながらザップとツェッドが転がるように入ってきた。 「うるさいぞ、2人とも」 2人に見向きもしないで、書類を読みながらスティーブンが注意をする。 「いや！番頭！！聞いて下さいよっ！」 「レオ君が…あの…レオ君が…」 口々に喋り出す2人にうるさいなぁ、と眉を潜めて見れば、ツェッドに名前を呼ばれているレオナルドの姿がなかった。(確か、今日は3人で任務に行ったはず…) はて、と首を傾げて考えたが常日頃何かしらに巻き込まれるレオナルドの事だ、何かに巻き込まれてしまったのだろう。その証拠にザップが持っている大きな麻袋の中から「フギィーッ！フゥーーッ！」と唸り声と一緒に麻袋の中の物が暴れている。 「それで少年はどうしたんだ？」 「それがっ！」 「それがですねっ！」 「猫になっちまったんすよ！」 「猫になっちゃったんです！」 口を揃えて言う2人にスティーブンは頭を抱える。 「ま、まぁ…ここはHLだしなぁ…」 「え？！レオっち猫になっちゃったのー？」 きゃあ、と高い声がしてK.Kが入ってきてその横にチェインが現れる。何も言わないがその目が楽しそうに輝いている。 「絶対可愛いじゃないっ！ちょっと、ザップっち？なんでこんな麻袋に入れているのよ！可哀想じゃない！」 腰に手を当ててザップに凄むK.Kにその後ろでチェインがひたすらに頷いて応戦する。 「いや、まじで猫なんですよ…こいつなかなか凶暴で…すっげー引っかかれたんすよ！」 ほらここ！と指差す先の頬には派手に引っ掻き傷が。その他にも腕に何個も引っ掻き傷があった。 「いや…でも貴方の掴み方が悪かったからだと思いますよ」 ツェッドもよく見れば、少し腕に引っかかれた傷が見つかる。 「レオ君が猫になった途端に、尻尾鷲掴みにしたらそりゃ怒りますよ」 「んなァ？てめー魚類！仕方ねぇだろ、本物か確かめる為にやったんだよ！」 「猫の尻尾というのはデリケートなものです。怒られて当然です」 「その通りだ、ザップ」 突然クラウスの声が背後からしてザップが持っていた麻袋を取り上げた。 「ああ？！旦那？？」 「レオナルド君をこのような袋に入れていたら可哀想だ。出してあげなさい」 「ちょ、待って！そいつ、本当に凶暴でっ！」 ザップな呼び止める叫び声もむなしく、クラウスが麻袋を開ける。ザッと飛び出した黒い影は事務所のテーブルの上に降り立った。 「フゥーーッ！」 両手をテーブルにつけて背中を丸めて尻尾を大きく膨らませたレオナルドが、瞳を全開に開眼させて顔の真ん中に皺を寄せて唸っていた。そのもさもさの頭にはちょこん、と２つの猫耳がついている。 「かんわいいーーー！」 興奮したK.Kの声にビクリ、と身体を震わせて威嚇の為に再び低い唸り声を上げる。しかし、大勢の人に見つめられて、ひるんでしまい怯えて少し後退する。 「フ、フゥーーーッ！！」 「え？ちょっと待って、すっごい怒ってるけどこの子触れないの？猫って聞いたから猫耳と尻尾が生えて可愛いものだと思っていたんだけど？」 と、首をK.Kが首を傾げればザップは黙って首を振る。 「そんな良いもんじゃないっすよ…。まじこいつ捕まえるのに苦労したんっすから…」 「なんか猫の本能が強いんですよね。神々の義眼も開きっぱなしで…捕まえようにも言葉が通じなくて」 苦労を表すようにツェッドが重たいため息を吐く。今だテーブルの上で唸り声をあげ続けているレオナルドを見ながら、K.Kが控えめに口を開いた。 「え…でもなんでレオっち猫になっちやったの？」 ギクリと大袈裟に身体を震わせるザップに全員の視線が集まる。 「ザァァップ？訳を話しててごらん」 一部始終を見ていたスティーブンが、この騒ぎによって手もつけられなくなった書類を投げてザップに近づく。ひぃっと身を縮めてザップはスティーブンの前で正座になった。 「じ、実はですね…」 ザップの話を簡単にまとめると、無事に任務を終えた3人はライブラへの向かって帰っているとザップの愛人の1人、猫好きのトレイシーと遭遇。ザップとの修羅場に発展。それもいつもの事なので、横に控えて見ていたレオナルドとツェッド。「もうザップのバカ！あんたなんか猫になればいいのに！…そうだ、猫になっちゃえばいいのよ！そしたら愛してあげるっ！」「ちょ、ばかばかばかっ！トレイシーやめろって！」何やら詠唱を唱えだしたトレイシーという愛人と焦るザップを見ていたレオナルドはザップに引っ張られて詠唱を唱えるトレイシーとの前に出された。いわゆる、盾、というものである。「うぁぁっ！」ボンっと言う音がしてその後に「ニャア」という声がしてレオナルドの頭には耳が、お尻からは尻尾が生えていた。 そして「ああ？なんだこれ？」とザップに尻尾を鷲掴みにされたレオナルドが怒って暴れて辺りは騒動となった。以下略。 「そのトレイシーさんが言うには解き方が分からないそうで…。でも2〜3日すれば元に戻るそうです」 「…なら、いいんだが」 頭を抱えるスティーブンの横に、話の途中で氷漬けになったザップが横たわっていた。途中からザップに代わったツェッドから聞けば、ずっと目を開けっぱなしで神々の義眼を晒したままだったのでやむ負えなく麻袋の中に入れてこのライブラまで運んできたそうだ。 「まぁ、そうだな。このまま街にいたらその辺の人に義眼が晒されてしまうからな…」 チラリとレオナルドを見れば、スティーブンのエスメラルダの技で凍らされるザップの一部始終を見て尻尾が股の間に入ってぶるぶると怯えていた。 「……とりあえず、この中から出ないようにさせよう…。しばらくはライブラの中で面倒を見る」 その言葉に黙って聞いていたクラウスとK.Kとチェインがぱぁっと喜びに顔を輝かせてレオナルドに近づいた。 「ちょっとでいいの！その耳を触らせて欲しい！」 「…可愛い」 3人に迫られて怯えるレオナルドが、じりじりと後退してそして3人脇を抜けると近くにあった本棚の上へとジャンプして逃げてしまった。手の届かない高い所へ逃げて、レオナルドは上から恐る恐る下を覗く。 「…怯えさせてしまっただろうか」 クラウスが大きな声で図体を縮こませてしょんぼりとした。その様子を見ていたスティーブンは呆れ顔に 「その身体能力が常日頃あったらなぁ…」 と、ぼやいてこの話は終わったと残っていた書類の山へと戻った。 「ほらほら、皆さん駄目ですよ」 ギルベルトが今だレオナルドの上がった本棚の下にいる3人を嗜める。 「猫とは繊細な生き物です。怯えている状態で近くに寄っても怯えさせてしまうだけですよ？少し距離を置いて慣れさせてあげねばなりません」 包帯だらけの顔が優しく微笑む。 「そうね…」 「分かりました…」 「むぅ…」 名残惜しそうに3人はソファーへと座る。その様子を見ていたレオナルドは少し不振そうに目を細め、そして座り直して丸まった。 「あーん、でも本当に可愛いわぁ。あの耳触りたいわー」 チェインがこっそりとスマホで連写をして、3人は口々にレオナルドの容姿を褒めた。 そしてお昼。 みんなそれぞれ各自昼ごはんを済ませてくると、本棚の上で丸まって寝ていたレオナルドがソワソワと動いていた。見るからに降りたいが、周りが怖くて降りれないのだろう。でも、どうする事もできず見ているとギルベルトがお皿を持って現れた。 「レオナルド様、お腹が空いたのでしょう？」 お粥の入ったお皿を近付けるとその匂いを感じ、鼻をヒクヒクと動かした。 「ここに置いておきますね」 本棚の近くにお粥の入ったお皿を置いてギルベルトは一歩下がった。レオナルドが瞳を細め様子を見ていると匂いにつられて本棚の上から降りてきた。そしてお粥を舌で掬い食べる。魚類スープで煮込んであるお米はレオナルドが食べやすいように冷ましてある。その美味しさに顔を輝かせてレオナルドは次々に平らげた。驚かせないように、息を潜めてソファーから見ていた面々はほっと胸を撫で下ろす。 「でも、本当に猫みたいになっちゃったのね…」 K.Kがしみじみと言っていると「ニャア」と鳴き声がして、レオナルドがギルベルトの側に立っていた。 「おや？」 微笑むギルベルトに向かってレオナルドは自身の身体を擦り付けた。その様子は餌が欲しい猫が飼い主の足に擦り寄る行動に似ていて、ギルベルトはほっほっほと笑う。 「い、いいなぁ…」 チェインが羨ましそうに呟いた。 「ギルベルトが害のない人間が分かったんだろうな」 2人の様子にクラウスも微笑んだ。 「おい！陰毛頭！！！」 突然、バァンっと扉が開きバタバタとザップが帰ってきた。 「てめーがいないせいで、魚類と2人での飯だったじゃねーか！」 「そもそもの原因は貴方ですからね」 ザップが入ってきた瞬間にブワッと毛を逆立てて「シャーッ！」と威嚇をするとレオナルドはまた本棚の上へと逃げてしまった。 「ザップ！」 「ちょっと！ザップっち！」 「最低このクソ猿」 口々に睨まれて、ザップは「な、なんすか…」と尻込みをした。 そんなお昼が過ぎて夕方。 「ふぅ…」 細かい文字の読みすぎで、疲れた目を解し辺りを見渡せば、大分慣れたのか本棚の下に降りてきているレオナルドがずっとギルベルトの周りにまとわりついていた。 「凄いですね、懐いたんですか」 スティーブンが声をかければ、ビクリと驚いたレオナルドがギルベルトの背中に隠れた。その様子にギルベルトが微笑んで頭を撫でれば落ち着いたようにゴロゴロと喉の音がなった。 (凄いな、どこまで猫になっているんだ？) 猫耳と尻尾、猫の様な身体能力、しかし歩く時は二足歩行で歩いたり、でも食べる時は顔を突っ込んで食べている。 「ええ、餌を上げていたら懐かれたようです」 少し嬉しそうに笑うギルベルトにつられてスティーブンも笑った。 「そういえば、他のみんなは？」 「何人かの方は帰られたようですが…坊ちゃまはまだ温室の方にいらっしゃると思います」 「そうですか」 「それで、少しご相談なのですが…」 耳を撫でられているレオナルドは気持ちよさそうに目を細めていた。持ちかけた書類を置いて、スティーブンはギルベルトをみた。 「何でしょう？」 「私はもう坊ちゃんと一緒に帰ってしまいますので、あの…レオナルド様を」 「ああ…」 少し申し訳なさそうにするギルベルトをキョトリ、と首を傾げ見上げるレオナルドを見てスティーブンは頷いた。 「大丈夫です。どうせこの仕事が終わらないので今日も残っていきますし」 少年の見張りと、餌だけあげれば良いのでしょう？と聞けばギルベルトがはい、お願いします、と微笑んだ。そうこうしているうちにクラウスが戻ってきて、ギルベルトと共に事務所を後にする。残されたスティーブンとレオナルドが2人…というか1人と1匹が部屋に残された。ギルベルトが帰ってから早々に定位置になりつつある本棚の上へとレオナルドは戻っていた。身体を丸めて眠ろうとしている様子に安心してこれなら書類の方に集中できると思った。特に邪魔もされず、干渉さえしなければ静かなレオナルドはスヤスヤと眠りについている。スティーブンもまるで事務所に1人きりしかいない気分で書類作業に没頭した。 (…ん、今何時だ？) 凝り固まった身体をほぐしながら時計を見れば大分遅い時間になっていてぎょっとした。自分1人だったら何にも思わないが、今日はレオナルドも一緒だ。 「しまった！餌を！」 スティーブンの上げた声にレオナルドが目覚めて顔を上げる。少し薄暗くなった影の中青白く光る瞳が輝いた。 「本当に猫だなぁ…」 夜道の暗闇で光る猫の目を思い出して、スティーブンは笑いながらギルベルトが用意しておいてくれた餌を持ってレオナルドのいる本棚へ近づいた。 「ほら、餌だぞ」 本棚の上から不審そうにスティーブンの動きを見ているレオナルドを笑いながら、自分もギルベルトに用意してもらった夜食を用意して机に戻る。 今夜はサンドイッチ。書類片手に食べれる配慮が胸に染みる。トン、とレオナルドが本棚から降りる音が聞こえた事に安心して、スティーブンもサンドイッチに齧りついた。モグモグと食べているとすぐ隣に人の気配がして、振り返ればレオナルドが小首を傾げてスティーブンを見上げていた。 「？！」 こんな近くに来るまでその気配に気付かなかった事に驚いて改めて猫の身体能力の高さを知った。スンスンと鼻を動かしてスティーブンの机を嗅ぎ、椅子を嗅ぎ、スティーブン自身の匂いを嗅いでいる。その間、スティーブンは変な緊張をしてしまい固まっていた。すべて嗅ぎ終えたレオナルドは、スティーブンの足元に座り込み毛繕いを始めた。 「…え？そこ…に？」 無心で耳の毛繕いをするレオナルドにはスティーブンの声など届いていない。えー？と思いながらも(まぁ、無駄に干渉しなかったり餌あげたから懐かれたのかな…)と昼間聞こえてきたギルベルトたちの会話を思い出して結論付けると、サンドイッチのよごれを紙ナプキンで拭いてまた書類チェックの作業を開始する。レオナルドは毛繕いを終えて、足元で身体を丸めて寝る体制に入っていた。 穏やかに背中が上下するのを盗み見して、この少年とこんな近い位置で2人きりな状態なんて初めてだった。 (いや、少年というか…猫というか…) 平素な時はこんなにも近くにいた事もなく、ましてや2人きりでいる事などない。むしろ恐れられてるのか？と思う時さえあった。常に歳が近いザップたちとギャアギャア騒いでいるのを遠くから眺めているぐらいの距離だ。それが、こうして足元だが物凄い近い位置にいる。足を少しでも動かせば触れてしまえる距離。尻尾がたしたしと生き物のように動けば、スティーブンの足を時折撫でる。 (少年が戻れば…これを話題に話しかけてみようかな) 今までその距離にすら気付かなかったが、こうやって近付いてくれれば相手にも興味を持つ。 「ふむ…」 ペンを片手に頬杖をすると、寝ている鼓動が伝わってきそうな温かさに包まれて先の事を考えると楽しみになってスティーブンは微笑んだ。 「少年はどんな反応するんだろうかな…」 いつも遠くから眺めている笑顔をこちらに向けて笑ってくれたらな…と思い、ペンを持ち替えして書類へと頭を切り替えた。 そして、深夜を過ぎて2時半。 「……ん？」 気が付いたら足にもたれる温もりに誘われて寝てしまっていたらしい。ぼわん、とした頭の中でもうこのままだと作業も効率良く進まないだろうと見切りを付けて仮眠を取ることを決める。 んーと、凝り固まった筋肉を解していると急に支えの足がなくなってレオナルドも目を覚ました。 「…？」 寝ぼけているのかいまいち状況を把握していない様子で辺りを見渡す。 「君もちゃんと寝ろよ」 くあっと欠伸を漏らすと、スティーブンは事務所に備えられている毛布を引っ張り出してきてドサッとソファーに寝転んだ。 「あー…とりあえず、みんなが来る前に起きて続きをやらなきゃな…」 横になると思っていたよりも身体が疲労していたのか、だんだんとソファーに沈んでいくのが分かる。 「……」 うとうとしていたら、また隣に人の気配を感じて交差している腕の間から見ればレオナルドが顔の横にきていた。間近で見るレオナルドの歯が少し尖って牙になっているのを初めて知った。 「ニャア」 あー、君の寝床を用意してやらなきゃなぁ、初めて鳴いている声を聞いたかもしれない、君は散々寝ていたからいいじゃないか、といろんな事が頭の中で回ったがどれも行動に移せずぼーっと見ていると、レオナルドがおもむろにスティーブンの上乗ってきた。さすがに驚いたスティーブンが身体を起こそうとすると、「シャーッ！」と牙を剥かれて大人しく身体を倒す。 (まぁ、少年ならそんなに重くはないからいいけれど…) 果たしてこの体制は第三者から見られたらどう思われるのだろうか、そんな考えが浮かんだが胸の上の温かさとゴロゴロという猫の特有の喉音を聞いていると直ぐに消えてしまった。瞼が重くて仕方がない。 「…おやすみ、少年」 小さく呟くとレオナルドの耳がピクリと動いた気がした。 「おはよう、スティーブン」 「……」 目を覚ますと朝日で明るくなった部屋の中で微笑んでいるクラウスに見下ろされていた。 「……え？朝…？」 寝ぼけた頭では直ぐに状況が理解できず、額を押さえて起き上がる。窓の外は明るい。朝だ。夜が明けている。 (まだクラウスとギルベルトさんしか来ていなくてよかった…) こんな情けない姿、他の人に見られたら恥ずかしくてそいつを氷漬けにしていい。微笑んでいるギルベルトから湯気の立つコーヒーを頂いた。その後ろにレオナルドが尻尾を揺らしながらついている。 (いつの間に起きていたのだろうか…気付かなかった…) 胸の上の重みが無くなったのも朝にクラウスたちが来ていることにも気付けなかった。いつもなら、皆が来る前に起きて作業を再開させているというのに。 「随分、ぐっすりと寝ていたようだ」 「ああ…ぐっすりだよ。君たちが来たことすら気付かなかった。あの少年が近くで寝ていたから眠気を誘われてしまった」 「ふふ、アニマルセラピーの効果でもあるんだろうな」 苦いコーヒーを飲んで随分頭がすっきりしてくると、ふいに言ったクラウスの言葉が気になった。 「アニマルセラピー？」 「ああ、動物に触れて癒される効果の事だ。まぁ…レオは人だがな」 少し苦笑してクラウスは温室へと草花に水をやりに行ってしまった。 (アニマルセラピーねぇ…。確かにいつもよりよく眠れたな) それに心なしか疲れも取れて身体が軽い気がする。起きる準備をしていれば、朝の支度をするギルベルトの後ろをちょこちょことついて行くレオナルドを見つける。まるで親鳥の後ろをついて歩く姿に確かに微笑ましさを感じた。 「アニマルセラピー…ねぇ」 ふーん、と思いながらスティーブンは自身の机に向かった。 少しすると、まばらに人が集まってくる。今までギルベルトの後ろを付いていたレオナルドもザップの姿を見ると毛を逆立ててまた本棚の上へと逆戻りしてしまった。 「嫌われてますね」 「超ウケる、クソ猿」 「あらあら、今までいたのに…」 他の人も猫と化したレオナルドを撫でれるまで仲良くなったのに、今だにザップだけは嫌われていた。最初の印象が強すぎるのだろう。 「てんめーっ！ふざけるなよ？このザップ様を避けるとはどういう事だ！」 本棚の下で騒ぐザップに、レオナルドは毛を逆立てて唸る。それに対抗して血法まで使って引きずり降ろそうとするザップに反抗されるとは思っていなかったのか驚いて、慌てて本棚から降りてくるとスティーブンの元へと一目散で駆け寄った。 「？！」 騒ぎを遠くで眺めているつもりだったのに、その騒ぎの真ん中が駆け寄ってくる。勢いのままスティーブンの膝上へ飛び込むと尻尾も両足の間に挟み込み丸まった。その様子にみんなビックリと目を見開いていて見ていた。 「え？あんた…いつの間にレオっちを…」 「誤解だ！昨日の夜に餌を上げてやったら懐かれただけだ！」 「そう…そうならいいけど…」 まだ不満げな顔をしてK.Kが膝の上に乗るレオナルドを見る。 「いーなー、それ。すっごい可愛い」 羨ましそうな視線に優越感を少しだけ抱いていると、ザップが近づいてくるのでレオナルドはビクリと身体を震わせる。 「番頭！邪魔っすよね？そいつ預かりますよ！」 「いや、いい。このままの方が大人しいから。むしろさっきの騒ぎの方がうるさいぞ」 少し凄みをきかせて言ってやると、うぐっとザップは言葉に詰まりすごすごと退散した。怯えるレオナルドの耳を優しく撫でてやれば、身体から緊張が抜けゴロゴロと喉を鳴らしもっと撫でてくれと手のひらに頭をすり寄せてきた。 (こ、これは確かに可愛いな…) 緩みそうな頬を手で隠し、顎下を撫でてやると顔を上げて気持ちよさそうに目を細めた。 (少年趣味はないが、これはアニマルセラピー。アニマルセラピー) 耳と尻尾があってもこれは人だ。人を膝上で撫でて可愛がるなんて変態のやる事だが今は精神が猫の本能に乗っ取られているレオナルドは猫とカウントしていいだろう。アニマルセラピー、アニマルセラピーと自分に言い聞かせてレオナルドを思う存分可愛がった。 すると、しっかりとスティーブンに懐いたレオナルドはスティーブンの行く先行く先へとついてくるようになった。コーヒーを淹れる時に待っている時はその背中にすり寄って、ソファーに座ればその膝の上へ。本当に親鳥と雛よろしく後ろに付きまとう姿にみんな目を見張り、驚いて、そして慣れて、結局今日も1日レオナルドの面倒をみる事になったのはスティーブンだった。 夜の事務所。珍しく業務が終わったスティーブンは時計を見る。今から家に帰るには遅すぎて、今日も事務所に泊まる事になる。スティーブンの足元でギルベルトに用意された毛布の上で丸まっていたレオナルドがスティーブンが動いた事によって目を覚ます。 「…ニャァ」 「ああ、ごめんよ。起こしてしまったかな。これから僕は仮眠室で寝るけど、少年はどうする？」 スティーブンの言葉を聞いていたレオナルドがぐーんと、背筋を伸ばし立ち上がった。尻尾が生き物のように動いて、スティーブンの腕をくすぐった。 さあ、行くよ？と言いたげに首を傾げてスティーブンの行動を見ているレオナルドに思わず笑いながら、2人して仮眠室へと向かった。 「君はこっちのベッドを使いなさい」 レオナルドの為に隣のベッドを整えてやって、自分の用意したベッドの中へと潜り込む。今日も穏やかに眠れそうだ。 「……どうした、少年」 しかし、また顔の前に気配がある。ベッドへと乗り上げたレオナルドがまん丸に目を見開かせて、スティーブンの顔へと頭を擦り付けてきた。 「こら、止めなさい。寝るんだよ、少年」 何か言いたげにスティーブンの顔を見ては頭を何度も擦り付ける。時折そのザラザラとした舌で頬を舐められた。 「いたっ、え？そこも猫化してるのか？」 驚いて身体を起き上がらせればその隙間からサッとレオナルドが布団の中へと身体を捻じ込ませた。 「え？少年？」 布団の中で落ち着く場所を探してレオナルドがグルグルと回り、ようやくポジションを見つけたのかスティーブンに持たれるように背中をくっつけて横になる。 「ニャア」 満足そうに鳴く声と、薄暗くなった布団の中から青白く光る２つの目に見上げられた。 「仕方ないなぁ…」 優しくレオナルドにも布団を掛け直してあげると、スティーブンも横になる。レオナルドの背中から伝わる温もりがじんわりと温かくて心地よい眠気に誘われる。 「少年は…温かいなぁ…」 布団の中でその頭を撫でてやると、レオナルドはその手に擦り寄ってゴロゴロと喉を鳴らした。 「おやすみ、少年」 2度目の夜。いつしか、レオナルドを本当の様な猫に思えてきてこのまま戻らなかったら自分の家で飼おうかな…と半ば本気で思いながらスティーブンは目を閉じた。 しかし、現実は甘くない。 カーテンの隙間から朝日が差し込む。 「ん？え？待って…ここどこ？え？暗い暗い！」 「…んん？」 布団の中が何やら騒がしくて、目が覚めた。急に布団が盛り上がると、レオナルドがその隙間から這い出てきた。 「……え？」 そして、固まる。もう猫耳も尻尾もなくて、顔を青くさせてスティーブンを見つめている。 「…なんで？スティーブンさんが…？！え？ちかっ！え？え？なんで一緒に寝て…え？！」 (もう、戻っちゃったか…) 少し寂しい気持ちを感じながら、パニックなって叫ぶレオナルドの頭を撫でる。 「起き抜けに少しうるさいぞ、少年。後で説明してやるから。とりあえず、おはよう」 「……おはようございます」 頭を撫でられて驚いて言葉を失ってるレオナルドに笑いながらスティーブンは欠伸を零した。 「ということで、僕は猫になっていたんですか…」 朝からみんなで集まって、緊急会議。クラウスから事の発展と、チェインから実物証拠の写真を見せられてレオナルドは現実を受け入れた。 「でも…猫になんて…記憶もないし…ああ…でもここはHLだ。なんでもありなのか…いやでも…」 自分の猫の姿の写真を見て恥じ入るレオナルドは頭を抱えてぶつぶつと呟いていた。回りの人が次々とレオナルドに対して「あの時の行動は…」「しかし、酷かった…」と口々に思い出を話し出す。その一言一言にひぃ！と叫んだり謝ったりしてる様子を見ながら、スティーブンはそっとその輪から離れた。 (戻ってしまったか…) いつかは戻ると思っていたが、たった2日間は短いと思った。その2日間で、凄く近い距離を味わってしまったスティーブンはその胸の中の寂しさを朝から感じていた。ギィッと自分の机の椅子に深く腰をかける。 (もう少年は、僕の後を追っては来なくて膝の上には乗らなくて頭を撫でられても気持ちよさそうにはしてくれないんだな…) ふぅ、とため息を吐いた。 「…猫でも飼おうかな」 「…あ、あのスティーブンさん」 気が付けば、もうみんなは解散していてレオナルドがスティーブンの机へと近づいてきていた。 「…どうした？少年」 暗い顔から切り替えて微笑めば、レオナルドは恥ずかしそうに頬をかいた。 「いえ…朝もそうですけど。チェインさんから見せてもらった写真の中身がスティーブンさんと一緒にいる事が多くて…」 話しながらレオナルドは机の横を通り過ぎ、スティーブンの横へ向かうとよっとと小さく掛け声を出してスティーブンの膝の上へ乗った。 「それで、ご迷惑をおかけしているだろうから…謝ろうと…」 無意識の行動なのだろうか、膝の上に自分から乗っているのに気付かず真剣な顔でスティーブンを見上げた。 「……」 スティーブンは驚きながらも、レオナルドの顎下を撫でてあげた。 「ニャウッ？！…気持ちいいっ」 とろんと気持ちよさそうな顔をした後にハッと我に返って、レオナルドは撫でる手とそして自分がスティーブンの膝の上にいる事に驚いて青ざめた。 「あっ？！あ、あのこれは…そのなんかまだ猫の時のが抜けてないのかここが落ち着くというか…無意識でっ！」 慌てて降りようとするレオナルドの腹に腕を回し、引き止める。抱きしめたレオナルドの背中から温もりが伝わる。 「はー、君が戻ってなんだか寂しくてさ。猫でも飼おうかと悩んでいたんだよ」 「え？え？あの？スティーブンさん？」 慌てて暴れるレオナルドの肩に頭を置くとスティーブンは笑った。 この近い距離がたまらなく落ち着いた。この距離を手放したくないと思った。 もっと正直に言えば、レオナルドと一緒に居たい。 「猫よりも、君がいい。僕は君がいればいいかなぁ」 猫と僕と、少年と。

<span style="color:#bfbfbf;">「猫ってなんで落ち着くんだろうなぁ」<br />「知りませんよ、というか僕はもう猫じゃない」</span><br /><br />2月22に間に合わせたかった何番煎じのHLの奇跡で、猫化するレオナルドとスティーブンさんのお話。<br /><br />遅刻しましたけどね…。<br /><br />少しでも楽しんで下されば、幸いです。<br /><br /><span style="color:#bfbfbf;"><br />【追記2/24】<br /><br />2016年02月23日付の[小説] 女子に人気ランキング80 位に入りました！<br />2016年02月17日～2016年02月23日付の[小説] ルーキーランキング 5 位に入りました！</span><br /><br /><span style="color:#bfbfbf;">本当にありがとうございます！<br />とても嬉しいです！ブクマも評価も本当に励みになっています！</span>

猫と僕と、少年と。

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朝、日が昇るよりも先に起きるのがノボリの日常。 そこからクダリを起こし、朝食を作って職場へと向かう。 なんと言うことはない、普通の平日だった。 普段通りに職務をこなしバトルに勝利していく。 そんな中ようやくバトルが落ち着き、ノボリは制御室で業務にあたっていた。 「っくしゅ、」 「なんやボス風邪ですか？」 「いえ、そんなことは」 そう答えながらも、ノボリは先程から感じている悪寒に体を震わせた。 疲れが取れていないのだろうか。 まだ眠気が残り、頭がぼんやりとしている。 周りはいつも通りの慌ただしさで制御室内を動き回っており、いつまでもぼうっとなどしていられない。 モニターを見つめていたノボリは眠気を払うように頭を振り、手元の画面へ目を向けた。問題なく電車は走っている。 定刻通りに動く様子をしばらく眺めていると、制御室のドアが開いた。 「また勝っちゃった」 「そのようでございますね」 弾んだ声とともに現れたのはクダリだ。 よほど先ほどの勝負がよかったのか、声だけでなく心も弾んでいるらしい。 それにつられるようにノボリの心も熱くなる。 クダリが嬉しければノボリも嬉しい。 ノボリが悲しければクダリも悲しい。 なぜかお互いの気持ちがわかってしまうのは、双子だからだろうか。 それとも違う何かで繋がっているからか。 少し火照った頬に手をあてながらノボリが振り返る。 「お帰りなさいまし、クダリ」 「ただいまノボ、リ…？」 「？ なにかわたくしの顔に付いておりますか？」 「はい、ノボリ仮眠室行きー」 「は、え、ちょっと…！」 ノボリの顔を見た瞬間、クダリはその腕を掴んだ。 訳もわからず制御室を追い出されそうになる。 まだ昼を過ぎたばかりで、ノボリの仕事は終わっていない。 そんな中で仮眠室に行くなど、真面目な彼からすればあり得ない話だ。 ぐいぐいと腕を引くクダリの手から無理矢理逃げ出し、ノボリは眉をしかめた。 「何をするんですか、クダリ！」 「だって休まなきゃ」 「仕事は終わっていません。休む間など、」 「そんな真っ赤な顔してなに言ってるの！？」 「真っ赤な、顔…？」 言葉の意味がわからず、ノボリは首を傾げた。 誰の顔が赤いと言うのか。 そんな訝しげなノボリの顔の目の前に、クダリは銀色に輝く時計を突きつけた。鏡のような面に写るのは、僅かに頬を染めた自分の姿。 思わず目を見開けば、クダリは腰に手を当ててノボリの顔を覗き込んだ。 体を反らした瞬間、揺らぐ視界。 思わずよろけたノボリの体を支えてクダリは口を開いた。 「わかった？ノボリ、熱あるよ！」 「やっぱりさっきのくしゃみ、風邪やないですか！」 「すみません…」 もー！と怒るクダリとクラウドに挟まれ、居たたまれない気持ちになる。 自己管理が大切だと言うのに、風邪を引いてしまうなんて。 ため息をつくノボリの周りでわいわいと話が進んでいく。 そんな中、クダリはポケットからライブキャスターを取りだしボタンを押した。 先程よりもぼんやりとした頭で、ノボリはそれを眺める。 「あ、もしもしトウコ？うん…うん、あのね、ノボリが体調崩しちゃってさ。…うん、」 なんの話をしているのか、よく聞こえない。 「だからトウヤと一緒にマルチに乗ってもらいたくて。…え？うん、そうそう。20両目と48両目でブッ潰してくれればいいから」 「なに？…ぼくはダブルに乗るよ。だってお仕事サボッたらノボリ怒るもん」 「…シングル？シングルは…うん、そう。頼もうと思って……え、一緒にいるの？じゃあ事情説明して連れてきて」 それじゃ。 短い言葉とともにライブキャスターが静かになる。 それをぼうっと眺めていると、不意にクダリに抱き寄せられノボリは突然の浮遊感に体を強ばらせた。 熱で鈍くなりだした頭でようやく横抱きにされていると自覚したときには、もうすでに遅く。 「それじゃ、執務室のベッドで休ませてくるね」 「飲ミモノ買ッテ来マス」 「よろしく」 「あとはさっきの会話の通りですか？」 「うん。トウコたち来るから」 そう言い残し、クダリは制御室を出た。 カツカツと極力ノボリに負担をかけないように足を早める。 真っ直ぐ進めばすぐに執務室で、クダリはノボリを抱いたまま器用に鍵を開けて室内に備え付けられているベッドへ向かう。 仕事が遅くなって帰れないときに使う簡易ベッドはぐったりとしているノボリを優しく受け止めた。 顔色がますます悪くなっている。 ノボリのコートと帽子を脱がしながら、クダリはキャビネットへ目を向けた。 確か救急箱があったはずだ。 その中には疲れたときによく使う熱を冷ますシートが入っている。そっと布団をかぶせキャビネットの中を探れば、目当てのものはすぐに見つかった。 「はい、冷たいよーノボリ」 「っ…くだ、り…？」 「ゆっくり休んでて。すぐに仕事終わらせてくるから！」 [chapter:待っててね、大切な君。] (うわー、クダリさんえげつないなぁ) (ボスが呼んだ彼女たちも酷いですよ…！) (今日ハ誰モ勝テマセンネェ) クダリさんの口が悪いと萌える← シングルを任せた相手はオリキャラなので、割愛しました。 まぁ本当に機会があればご紹介するかもしれませんが。 今回はセリフありませんでしたが、やっぱり双子同士を絡ませるの好きです。 とは言いつつ、まだ対面した状態での話がないので、次は4人が仲良い話が書きたいです。投稿遅くなってますが、ぽつぽつと書いてますので見捨てないでやってください。。。

■久しぶりの投稿になりました。　■寒くなりましたので風邪ネタです。　■鉄道員さんたちが出てきますが、名前は出していません。というか、実はあまり知らないので←　■みなさんも風邪にはご注意ください。　■小説ルーキーランキング 68 位入り！みなさんのおかげです、ありがとうございます！！　■ブクマ、評価ともにありがとうございます…！

風邪引き

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　２月１５日の早朝、幻想郷の古道具屋・香霖堂。 「…………、あー……」 　そこの店主・森近霖之助は布団の上で上半身を起こし、溜息とも欠伸ともつかない音を口から零した。 　現在時刻はまだ寝ている人も大勢いるであろう時刻。昨晩は未明までハッスル（意味深）していたというのに、これは殆ど寝ていないのではないだろうか。 （確かにまあ寝なくても平気な体だが……、疲れが取りきれて無いなぁ） 　外を見れば、昨晩の寒冷具合が嘘のように晴れ晴れとしている。この時期は布団の温もりが恋しいため早朝から店に来るような酔狂はいないだろうが、そういった点において往々にして行動が読めないのが少女であり、女性だ。もしかしたら今にも扉を潜って誰かがやって来る可能性も無きにしも非ず、なのである。 　ゴキリ、と雑魚寝状態で固まってしまった体を解し、立ち上がる。途端に彼に圧し掛かっていたり腕を絡めていた少女達が布団に崩れ落ちた。 「朝は……、昨晩のシチューとトーストで良いかな」 　個人的にはご飯も捨て難いが、流石に昨日と同じメニューにするのは憚られた。 　食パンを切ってトースターに突っ込む。河童製のトースターは今日も正常に稼働しており、こんがりとした焼き目が少しずつ付いていっている。 　パンに塗るためのバターとジャムやピーナツバターも用意。朱鷺子とこころの好きな蜂蜜も忘れない。 　次、自分が台所に立つ所が来たら目玉焼きをトーストに乗せよう。早苗曰く『ラピュタトースト』というらしいが、シンプルながらもクセになる味わいは忘れられないものだ。 「「おぁよー……」」 「お早う。顔洗っておいで。もう少ししたら食器も出してくれるかな？」 「「あーい……」」 　鍋を火にかけて残りのシチューを温めなおしていると、可愛らしいパジャマを着た愛娘（もどき）の２人が起きて顔を見せに来た。寝惚け眼を擦る２人に苦笑しつつ、霖之助は返事を返してやる。 （ふふ、朝ご飯の支度の音に気付いたのかな。そういえば２人は誰よりも先に眠ってしまったな、他の皆より早く起きても仕方ないか） 　霖之助が一番最初に目が覚めたのはその種族故だろう。彼が普通の人間もしくは妖怪ならば、一番乗りは間違い無くあの２人だった。 　そう考えると何だか悪い事をしたような気になるから不思議だ。別に朱鷺子もこころも怒っていないのに。 　台所の入り口から消える、朱色のパジャマと桃色のパジャマを見送りながら、霖之助はそう思った。 「おーはよっ♪」 「おっと」 　次にやって来たのは義姉の妹紅だった。スキップするかのようにキッチンに現れて霖之助に優しく抱き着くと、その広い背中に愛おしげに頬擦りする。まるで彼の香りを身に染み込ませるようだ。 「早いね、霖之助。まだ寝てても良かったのに」 「妹紅こそ。僕はただ目が覚めてしまっただけだったからね、まだ寝てて良いんだよ？」 「いやー、美味しそうな匂いに釣られて起き上がったら完全に目が覚めちゃったよ。もう１度寝ろって言われてももう無理だねぇ」 「そうかい。……まだ朝食まで時間がある、今の内に寝間着を洗濯籠に放り込んでくれないかな？」 「下着かどうか、それと男女別で分けるんだよね？　オッケイ、分かった」 　何故寝間着を洗濯籠に放り込めるか、聞いてはいけない。 　残る３人がどんな姿でまだ寝ているのか聞いてもいけない。 　人間、知らない方が幸せな事も多々あるのだ。 「……ところで姉さん」 「ん？」 「それ、僕の服なんだが」 　ルンルン気分で台所から退出しようとした妹紅を呼び止める霖之助。彼の言葉通り、彼女の服装は霖之助の普段着である道士服のような青黒のものだった。 　しかし７尺近い大男の霖之助に対し、５尺もない妹紅が上下セットで着用できるハズも無く、上の服を袖余りで着ていた。くふふ、と両手を口元にあてて笑う姿は、幼子が甘えて来ているようにも見える。 「出来心で着ちゃいました」 「出来心で着ちゃいましたか」 「似合う？」 「うーん……」 　正直、妹紅の印象は炎からして赤だ。普段のもんぺに始まり、火の妖術を補強するために髪に着けているリボンも赤。なので青と黒という彼女の普段着の色とは真逆なそれは、少々異質にも思えた。 「ちょっと普段と違う色だからなぁ、違和感が先走ってて似合わないかも」 「そか」 　落胆した様子も無くあっけらかんと言う妹紅。特に期待もしてなかったのかも知れない。 　ちなみに霖之助の上着だが、腰のあたりからバナナの皮のように前後左右に分かれている。小柄な妹紅がそれを着ると、際どい部分が隠れるが艶めかしい生足が丸出しであった。特に成長が十代半ばくらいで止まってしまっているため、何かアブナイ感じまでする程に背徳的だ。 　すると妹紅は何を思ったのか、チラリズム溢れる足を更に服からはみ出し始めた。 「……セクシー？」 「はいはいセクシーセクシー」 　チラッと出ていた生足の露出範囲を『ギリギリ』にされても、昨日『全部』見てしまって余韻が残っている以上はあまり艶めかしくは感じられない。 　ぷくー、と霖之助の返答に妹紅は不満を滾らせながらも、朝っぱら、しかも朝食前という事でこれ以上の誘惑をやめた。 「んー……」 　そして何を考えたのか、長細い裾を捲り、女性として大切な部分を露出し始める。 　あっと言う間に作業は完了し、霖之助が気付いた時には妹紅のワレメも小振りな臀部も剥き出しになって霖之助に向けられていた。 「待て妹紅、何をしている」 「裾捲ってる。襲ってくれても良いんだよ？　また気絶するまでイかされるのもバッチコーイ」 「香霖堂体術、痴漢撃退フライパンチ」 「具体的に痛い！」 　取り敢えず使っていないフライパンの平面を頭に落としてやる。衝撃で捲った裾は元に戻り、妹紅の痴態は元に戻ったのであった。 「昨日はあんなに激しかったのに……。もう私の体に、霖之助が汚した事の無い場所なんてないんだよ？」 「姉さんしょっちゅう自分から汚れに行っているよね？」 　　☆ 　３番目に起きてきたのは白蓮だった。彼女は妹紅とは異なり襦袢ではあるものの、きちんと服を着ている。 　ちなみに彼女は以前、弟子達と霖之助から可愛らしいガラのパジャマを勧められたのだが、胸元のボタンが彼女の豊満なバストに負けて弾け飛び、ご破算になったのは当事者達だけの秘密だ。 「おはようございます、霖之助さん」 「お早う。これで寝てる女性の方が少なくなったね」 「もうすぐお二人も起きると思いますよ」 　なら早く仕上げないとね、と霖之助は焼けたトーストを皿に並べる。隣では何も言わずに白蓮が台拭きを絞っていた。同時進行で箸やカップも数だけ揃えているのは、子供達が手伝いやすいようにしているのだろう。本当によくできた女性だ。 「あ、そうだ霖之助さん」 「何かな？」 「妊娠検査薬ってありますか？　私、昨晩の結果が気になって気になって……」 　のほほんと微笑みながらも言ってのけるとは、やはり女傑である。いや、幻想郷の少女と言うべきか。 　特に白蓮は優しくも俗っぽく実は意地っ張りだ。譲歩する事はあってもここぞという時には頑固一徹として突き進む。 　昨日の晩は彼女も大いにノリノリだった事から計画に噛んでいた事は明白。結果に期待するなと言う方が残酷というものだ。 「あるにはある。……でもそんな翌日に分かるものじゃないよ」 「そうですか……」 　そんなしょんぼりされても無理なものは無理である。 「ところで霖之助さん、ご存じですか？　襦袢って下着なんですよ？」 「知ってるよ」 「脱ぎやすいんですよ？　脱がせやすいんですよ？」 「うん。……おっと焼けた」 「下着の下に下着は着けませんよね？」 「重ね着するものでは無いからね」 「ちょっと捲れば大事な所が見えちゃいますよ？」 「そもそもが『見せる事が正式な下着』だからなぁ。作りも簡素だし」 「えっちぃですよね、肌襦袢」 「浴衣の様な下着をそう見るのは容易では無いと思う」 「ほら、ちょっと薄めですから、私の胸のぽっちも浮き出てますよ？　ほら、お股の筋も、よく見えますよ？」 「料理の邪魔なんだが」 「……ムラムラしません？」 「しない」 　これは嘘だ。そうじゃなければ、いくら薬を使われていたからとは言っても『色町のお霖』の杵柄が復活するワケも無い。単にダイヤモンドよりもオリハルコンよりもヒヒイロカネよりも強固な精神力で耐えているだけである。 　しかし他人の精神面など外からは見えない。夜との態度の違いに苛立ちを感じた白蓮は、霖之助の左手を掴むと襦袢を捲って股座に突っ込ませ―― 「香霖堂体術、本日２回目の痴漢撃退フライパンチ」 「具体的に痛い！」 　られませんでした。 　もう少しで完成だから待ってて、とバッサリ切られた白蓮は、ぷくーと頬を膨らませて台所から出て行ったのであった。 「昨日はあんなに激しかったのに……。思わずアヘ顔ダブルピースしちゃいましたよ」 「やれなんて一度も言ってないからね？」 　　☆ [newpage] 「お早う、良い朝だ。冷たい空気で身が引き締まる」 「お早う。それは震えながら言うセリフじゃないよ」 　そして神子が台所に顔を覗かせた。セリフだけ見るなら健康的なスポーツマンそのものだが、実際は強がっているだけで寒さにブルブルと震えている。 　一応、起きてから暖房が居住区内に行き渡るようストーブを点火しておいたのだが、まだ寒い。特に神子は寝相で布団を肌蹴てしまっていたため、起きた頃には体が冷えてしまっていたのだろう。 「うう、寒い寒い……」 「もう強がるのは辞めたのかい」 「流石に火の誘惑には勝てませんでした」 　コトコトじっくり温めなおしているシチュー鍋に近寄り暖を取る神子。そんなに寒いのならもう少し厚着すれば良いのに、今の彼女は普段着用している薄紫色のノースリーブシャツにショーツという、まるで夏の暑さに負けたかのようなだらしない格好だ。 　錬丹術を使えるし聖人であるが故に寒さには強いと言うが、流石に冬にケンカを売りすぎたようである。 「というかスカートはどうしたんだ」 「寝相でどこかへやってしまったらしく、探しても見つからなくて……。あぁ、温かい」 「ご自慢の錬丹術でどうにかすれば良いじゃないか」 「嫌ですよ、起き抜けにそんな面倒臭い」 「面倒臭いって言ったよ、この聖人」 「面倒臭いって言いましたよ、何か問題でも？」 　公私を分ける事は大切だが、これでは分けるどころか変貌である。悪く言えば詐欺とも取れる。 「それに……、こういう無防備過ぎる薄着ってムラムラしたりしません？」 「それはさっき白蓮にもやられたし断りもした」 「チッ、あの生臭坊主め」 「まぁ露骨なエロティシズム溢れる衣装よりかは好きだけどね」 　ちなみに以前、下品な程にエロいコスプレをしてきた閻魔を小一時間余り正座させてお説教した事があるのは秘密だ。お説教終了時に隠しきれていない笑みが彼女の口の端に浮かんでいたような気がしたが……、気のせいだと願いたい。というか気のせいであって欲しい 　最終的に『体に叩き込む』お説教を要求されたのだが、どうなったかはご想像にお任せする。 「そうそう神子、慧音は起きたかい？　彼女が最後なんだ」 「私が起きた時は寝惚け眼を擦っていたので、恐らくもうじきかと。こころと朱鷺子も揺り起こしていましたし」 「そうか、分かった。 　……あ、牛乳を取ってくれないかな？　一晩置いてしまったせいでシチューが水気を失ってしまって」 「どうぞ。……それとも新鮮なミルクを私の胸から絞る？」 「母乳と牛乳の差を調べてから出直しておいで」 　ついでに言うと彼女の胸から母乳は出ない。 「いやー、チーズが隠し味だし乳なら何でもいけるかなー、と」 「神子、本気で言っているのなら君は料理の勉強をやり直すべきだ」 「つまり……私の料理か。いや、私『を』料理する方法を研究するのか！」 「お前は何を言っているんだ」 「こうしちゃいられない！　洗濯籠にあの薄手の水着がまだあった筈！　ちょっとそれを着てきます！」 「香霖堂体術、３度目の正直・痴漢撃退フライパンチ」 「具体的に痛い！」 　ゴゥンと鈍い音が響いて蹲る神子。彼女の言う薄手の水着には霖之助は心当たりがあった。 　淡い[[rb:紅紫色 > こうししょく]]、つまり[[rb:濃い目のピンク > マゼンタ]]のスリングショット水着で、着用しても乳首も尻穴も秘所も隠れない半透明にも近しい材質。しかも非常に薄いくせに恐ろしい程に伸縮性に富み、ほぼ素肌と変わらない感触が味わえる。おまけに『突っ込んで』も伸びるだけで穴は開かないし千切れもしない。更には股座の部分は寄せれば有り得ない程に細くなるため、『挿入』には一切邪魔にならない優れものだ。 　これだけなら（神子にとっては）万事OKなのだが、問題はその水着が置かれている洗濯籠のある部屋だった。 　洗濯籠がある洗面所には、現在妹紅が洗濯物を運んでいる最中のハズだ。更にはその途中で食事の場かつ昨晩の就寝の場でもある居間の目の前を通る必要がある。 　現在、居間では慧音を叩き起こすべく朱鷺子とこころが奮闘しているのだ。大人の妹紅だけなら兎も角、娘同然のこころと朱鷺子の目の前で変態染みた行動を取らせるワケにはいかない。霖之助のフライパンチは英断と言えた。 「昨日はあんなに激しかったのに……。お尻に入れられて放尿とか初めての経験だったし」 「その辺については謝罪するが、それとこれとは別の話だ」 　　☆ 　そろそろ体も温まってきたという事で上着を脱いだ頃、最後に慧音が起きてきた。 　プライベートではだらしないケースも多い彼女だが、考えてみればまだまだ朝早い。朝寝遅起きには分類されないだろう。 「り・ん・の・す・け♡」 「お早う、慧音」 　一切彼女の方を振り向かずに半妖眼鏡店主は返事を返す。慧音がテンション高い時は、大体ロクな事が起きないからだ。 　もっとも、根が礼儀礼節を重んじる性格である慧音がそれを許す訳も無い。自分の事は棚に上げるのがヒトの常、半獣教師は青年の頭を鷲掴みにして自分の方を向かせるために力を込めた。 「こら！　挨拶はちゃんと相手の目を見てするものだぞ！」 「イダダダダダダ、分かった分かったから首をそっちに向けないでくれ微妙に可動域超えてるから！？」 　240度くらいに曲げられそうになった首を戻し、最後の焼けたトーストを皿に盛る。これを運んでと言おうと思い、慧音の方を向いて、固まった。 「あー……、一応聞く。何だその格好は」 「ん？　何だ、昨日抱いた女の衣装を忘れるとは、いよいよボケたのか？」 「朝からそんな姿をしてるヒトに言われたくないね」 　慧音の服装はと言うと……、正直素っ裸より恥ずかしい格好だ。 　ホルスタイン柄の長手袋とニーソックス、黒い革製の首輪にはリードや鈴が付く。ここまでならただのファッションの範疇に収まるだろう。 　しかし胸部や秘部を全て露出どころか、文字通り『肩周り』と『腰回り』だけしか覆わない白黒牛柄の布切れは、どう見ても痴女では済まないし、お尻に尻尾を差し込んでいるのも言ってみればアブノーマルである。どう好意的に見ても奴隷か異常者だ。 「この衣装を着ると、お前のものだという事がハッキリ分かるからな！」 「だから何だ」 「妊娠の結果が出るまで、私は香霖堂で過ごすぞ、ジョ……霖之助ぇぇぇぇぇ！」 「アホな事言ってないで、さっさと着替えておいで」 「つまらない反応だなぁ。どうせなら水気を失ったシチューに私のミルクを足すぐらいの発想してみろよー」 「それはさっき神子がやった。ついでに言うとプレイの一環なら兎も角、本格的な食事にそんな事出来るか」 「イケズ〜」 　ちなみに慧音、神子とは違って母乳が出る。ハクタクが牛をモデルにしてるからだろうというのが本人の推測だ。 「本当なら乳首とクリをピアスと糸で結ばないといけなかったんだけど、流石に朱鷺子とこころの前じゃ出来なかったよ、すまんな」 「そんな事を謝られても困る」 「何だよぅ、その冷たい態度は。あれか、欲求不満か？」 「そんな訳あるか。十二分に満たされているよ」 「ふふん、だろうな。何せ毎回毎回、ヒトの胎の中の肉を削って抉って悦がらせて白く染めてくるんだから、あれで不服ならもう手の打ちようが無い。 　と言うか、私達かなり前戯でイかされてるんだが。できればABCのCで喘きたいんだけどなぁ」 「朝っぱらからする話題じゃないと思うんだけど」 　本当に朝から何という会話だ。ヒトに聞かれたらどう思われる事か。 「ええい、女にこんなカッコさせておきながら、恥を掻かせて終わらせる気か！」 「昨晩も今朝も君だよ、その姿を望んだのは」 「往生際の悪いヤツめ、ならば直接お前の体に聴いてくれる！　うりゃー！」 「香霖堂体術、４回目となると流石に飽きる痴漢撃退フライパンチ」 「遅い！」 「何ィ！？」 　慧音は３度もヒトの頭を叩いたせいで僅かに凹んだフライパンをヒラリと躱すと、そのまま流れるような動きで霖之助の背後に回り込み、その露出された放漫なバストを抱き着いて思い切り押し付けた。 　形の良い乳房がぐにゅりと歪み、逃げられないよう両足を霖之助の足に絡められ……、大幅な体格差が逆に慧音が彼に絡みやすくする要因となっている。枯れ木の如き霖之助も流石に夜中の情事を思い出して思わず動きが止まった。 「け、慧音。まだ火を使ってるし朝食の準備が……」 「大丈夫、もう火は消した。準備なら……、少しくらい『味見』していかないか？」 　フゥ、と大男の耳に、教師の吐息がかかりゾクゾクと背筋に電流が走る。彼女の甘い声は、付き合いの長さ故か心の奥底で眠る色情に火を灯した。 　それでもこの場ではマズいと必死に剥がそうとするが、背中に当たる弾力とその中央にある小さな２つの突起、足に絡まる彼女の瑞々しい足、腹に回された腕。一枚布を捲る必要も無く、ちょっと手を伸ばせば彼女の麗しい肢体を存分に味わえる。 　さあ、何をしている。少しぐらい遅れても良いだろう。だからほら、自分の欲望に耳を傾けろ。 　何を我慢する必要がある。相手から誘って来たのだ、寧ろ受け入れて襲わなければ失礼だ。 　さあ。さあさあ。さあさあさあ！ 「な、霖之助。朝からってのも……、良いと思わないか？」 「あ、ああ……」 　それも、悪くない。 　いや、朝から淫靡な生活ならぬ性活、何と素晴らしい事か。 　同意した霖之助は、手にしたフライパンをシンクの上に置こうとして―― ゴトッ 　フライパンが何かにぶつかった。 [newpage] 　一秒でも早く慧音を貪りたい霖之助は、面倒ながらも一応そのぶつかった物に視線を移す。 （蜂蜜の、瓶……） 　それは、愛娘２人がパンに塗るのが好きな嗜好品。甘くて粘性の強い、黄金色の食品。 　そして……、彼女達はきっと、今か今かと朝ご飯を待っているのだろう。なのに大人の自分は何をやっているんだ。 　一度は置いたフライパンを、霖之助は再び構える。 「香霖堂体術……」 「り、霖之助？　そこからはフライパンチは届かないぞ？」 「痴漢撃退フライパンチョップ！」 「具体的に痛い！」 　そのまま逆手に持ち替え、突き刺すように側面を慧音の頭に叩き込んだ。まさかの横からである。フライパンは彼女の石頭と衝突して変形してしまうが、代わりに慧音が体から離れた。 「いったぁい……」 「お腹を空かせている子がいるんだ。そういうのは、またの機会にね」 「むぅ」 　ひょいひょいとお盆に朝餉のメニューを乗せていく。と同時に足で器用に落ちていたシーツを掬い上げて慧音に掛けてやる。どうやらキッチンに来るまではこれを羽織って視線をやり過ごしていたらしい。 　ハァ、と諦めて溜息を吐き着替えにいった慧音を尻目に、いつの間にか布団が片付けられ置かれていたテーブルに配膳し、皆に集合を呼びかける。 「さ、朝ご飯の時間だ。皆、出来たよー」 「「わーい！」」 「やー、姉さんお腹ペコペコだよ」 「待ってました。あ、ピーナツバター。私これ好きなんですよ」 「一日の始まりは朝ご飯から。うん、良い匂い」 「コーヒーもあるぞ。牛乳と砂糖はセルフで入れてくれ」 　あっという間に集う６人。 　生まれも、育ちも、種族も、全てバラバラ。それでも１つの場所に皆でいられる。嗚呼、何と素晴らしい事か、噛み締めずにはいられない。 　何時までも感慨に耽っていては仕方がない。両手を揃えて、ではご一緒に。 「「「「「「「いただきます！」」」」」」」 どっとはらい [chapter:オマケ！] 霖「ああ、悪くない。欲しかったなぁ、こういう家族」 ６人『もっと増やす？』 霖「君達を『頂きます』するには朝早すぎるんじゃないかな……」

ハッピーバースデー・トゥー・ミーｗ<br /><br />はい、本日2月23日は私ノウレッジの誕生日でして。<br />それで兼ねてから続編を希望されてました前作（<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6420529">novel/6420529</a></strong>）の続きを書いてみました。<br />R-18で無いのはR規制されない方が嬉しいという読者がいましてｗ<br />まあぶっちゃけ7Pネチョを書けるだけの腕が無いだけの話なんですけどねorz<br /><br />追記<br />あなたの作品が2016年02月23日付の[小説] 男子に人気ランキング 51 位に入りました！<br />あなたの作品が2016年02月24日付の[小説] 男子に人気ランキング 87 位に入りました！<br />ありがとうございます、ありがとうございます！

七誘を発注、つまりは八誘

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絶対に殺す。いや、殺すのは犯罪だからダメだ。仕方無いからロードレースで殺す。絶対に殺す。 最終的にはやはり殺すらしいが、荒北靖友が新開隼人に対してそう心に決めてから、そこそこの期間が経つ。 元々荒北は、新開のことがあまり好きではなかった。好きどころか苦手、はっきり言えば嫌いだった。三年間同じ部活でチームメイトとして付き合ってきても、何を考えているかまるでいまいち分からないからである。「得体が知れない」が一番正しい表現かもしれない。 荒北と知り合う以前から頭角を著してロードレースで成績を残し、女子生徒に囃し立てられるくらいに顔が整っているかと思えば、ムスッと不機嫌そうな顔をして黙々とロードワークをこなしていたりもする。よく何かしら食べている印象があるので、食い気はあるのだろうが、それ以外何が好きで何が嫌いか、そんな簡単なことですらよく分からないのだ。 そんな新開だが，何を思ったか荒北のことはやけに気に入った様子で、入部した当初からよく様子を伺っていたり、あれやこれやと世話を焼いてくるのも意味不明だった。当時の荒北からすれば、元ヤンの愛想の悪い男なんて無視しておけばいいものを、という感想以外は無い。誰かと仲良くなりたくて始めた部活ではないので、一人で勝手にやるから放っておいてくれという気持ちが大きかったというのもある。ありがた迷惑もいいところだ。 今思えばあれは、普段から素行の悪かった荒北が、部に所属している身で何か悪事をやらかす前にという監視だったのかもしれない。そう思うと余計に腹が立ってくる。一人でいるならば何をしてもそれはすべて自分に跳ね返ってくるが、どこかに所属して、そこの人間に迷惑をかける可能性があるにも関わらず傍若無人に振る舞おうとは、根が真面目な荒北はこれっぽっちも考えていなかった。そんなことより走っているほうがよほど楽しいし、やりがいがあるのだ。福富の言う通り、前をむいてペダルを踏めば進むことができる、自転車は荒北が思っていた以上に面白かった。 だというのに、あの男、新開は。荒北は新開の顔を思い出しただけで腹を立てている。器用なことだ。 信頼が無いのも、用心したいのもわかる。よくわかる。荒北は今まで自分が散々いじけて馬鹿みたいなことをやってきた自覚があるのだ。自分を新開の立場に置き換えて考えてみたら、正直迷惑だし、今すぐ辞めてくれと言いたいだろう。みんな頑張っている部活に水を差さないでくれ、と。それは仕方が無い。特にその厄介者を拾って来たのが自分の幼なじみで、もし荒北が不祥事を起こした場合、間違いなくその幼なじみ、福富寿一にもダメージがいく。そんな事態、避けたいに決まっている。考えずともわかる。新開の荒北に対する不信や疑心はもっともだろう。 だからと言って、さすがに部活中ことある毎に目が合うというのは、いくらなんでも用心しすぎではないだろうか。そんなにしょっちゅう見てきたところで、別に暴れ出すわけでもないし、というか正直ローラーを三時間やったあとで、そんな無意味なことをする体力が残っているはずがないだろう。 しかもそれが部活中だけでなく、例えば学校で偶然すれ違ったときとか、寮の食堂で鉢合わせたときなども、やたら新開からの視線を感じる。なンもしねーから放っておいてほしい。そんな感じで、荒北は心の底からげんなりしてきた。 そうこうしているうちに一年生が終って二年生が終って三年生になってもまだ新開の視線はよく荒北に向いているし、荒北も荒北で三年付き合った上で、まだ信用が無いくらい嫌いならば無視してりゃいいじゃねェかと、新開には極力近付かないように日々を過ごしていた。 だというのに、新開は。 「靖友」 「…ありがとォ」 ローラーを終えた荒北のもとに、後輩が用意してくれていたドリンクのボトルをわざわざ新開本人が持って来てくれる。しかも毎日の練習の度、結構な頻度で。それも毎回不機嫌そうな顔のまま。下の名前で呼ばれるほど親密になった記憶は無いので、荒北は新開に名前を呼ばれる度に、御丁寧に一瞬顔を歪めるのだ。 （ンな顔してまで、なァんでわざわざ嫌いなヤツにボトル持ってくるかねェ…） 一応礼を言って大人しくボトルを受け取る荒北だが、なにかヤバいものでも入っているのではないかと、正直口を付けるのは怖い。そんなことを考えながら、手元に残った福富から借りているビアンキと同じ色をしたボトルを睨み、ふと視線を前に戻せば、まだ新開は目の前に突っ立っているではないか。やっぱり不機嫌そうな顔のまま。 「…なぁにィ」 「調子どうだ」 「んー、別にィ。フツー」 「そうか」 ほんのそれだけ会話をして、新開はさっさと踵を返して行った。本当になんなんだ、あいつは。普通にローラー終わりで喉が乾いていた荒北は、無意識に手にしていたボトルに口をつけてしまい、二口程飲んだ後で、やべ、と急いで口を離す。今まで新開が渡してきたドリンクが原因で不具合が起きた記憶は無いが、もしかして今回こそ死んだりしねェよな…、と少し血の気が引いた。相手に信頼させておいて、背後からブスリ。新開がよく読んでいる推理小説ではよくあるパターンなのではないだろうか。 新開に嫌われている自覚はある。理由もなんとなくわかる。だからこそ荒北は、自分から距離を置いて必要以上に近付かないように努力しているというのに、なんで新開はわざわざ荒北に向かって来るのか、全くもって意味不明だ。同じ部活の同じレギュラー陣という以外に接点を持ちたくないのではないだろうか。というか、そんな接点ですらイヤなのでは。荒北は新開に対していつか殺そうという苛立ちと共に、首を傾げてばかりだ。 汗で額に張り付く、伸びた前髪が邪魔で仕方が無い。横も耳にかけられる程に伸びてしまい、そろそろ散髪に行かねばならない時期だろう。練習用に着古して伸びきったシャツの袖が落ちて来て、手の甲まで覆う。こちらも邪魔臭い。しかし破けているわけでもないので、捨てるのは勿体ないし気が引ける。タオルを取ってくるのも面倒で、前髪を掻きあげて、そのデロデロの袖で顔の汗を拭っていたら、どこからか他の部員が「女子みてーなことして」だの「可愛いつもりか？」だの嘲笑とともに余計な陰口を言うのが聞こえた。荒北からすればそんな気は皆無だし、余計な反論して面倒になるほうがイヤなので、いつも好き勝手言わせているが、あまりの馬鹿っぽさに思わず隠す気もなく溜息を吐き、小さく呟いてしまった。 「バッカじゃね…」 すると向こうもその小さな呟きが耳に入ってしまったらしく、一瞬顔を見合わせたと思ったら、悪口を言っていた二人が剣呑な雰囲気で荒北の近くに寄ってきた。 「なんか言った？荒北」 「別にィ？速くもねェクセに口だけはいっちょまえでホレボレするとか言ってないヨォ」 「あァ？福富に付いて回るしか脳がねェヤツがよく言うぜ」 一触即発、最上級生達の言い争いに部室内に不穏な空気が広がるが、下手に割って入っては自分にもとばっちりが来かねない中、口を出す勇者はいない。荒北の背後から部長の福富か副部長の東堂を呼んでこいと小さく言ってはバタバタしている音が聞こえるが、とりあえず目の前のクソ野郎をどうにかしないことには視線も逸らせない。荒北は薄ら笑いのような表情を浮かべたまま、小馬鹿にするように口元を手で覆い、小さく笑う。そんな表情に相手だってカチンとくる。 「ッてめ」 自分から殴りに行くことはしないが、相手が手を出してきたら正当防衛だ。これだけ見物人がいるのだから大丈夫だろうと強かに計算していた荒北は、わざと相手を怒らすような言動をしていたのだ。 そんな思惑通り、頭に血を上らせた相手は、荒北の襟ぐりを掴んできた。だが、まだこの程度で殴るには早い。せめて相手から一発欲しいところだと、さてどうしようかと考えていたら、荒北を掴んでいた手が横から外された。誰かが持って行ったようだが、それが新開だと分かった瞬間、先程まで意地悪く相手を怒らすことばかり考えていた荒北は肌を粟立てた。まさか新開が手を出してくるとは思っていなかったのだ。掴まれていたシャツは元から襟元が伸びていたものの、もう外で着るにはみっともない程に伸びきってしまった。部屋着に格下げ決定だ。 「なにしてんだ」 いつも不機嫌顔なので、今だって怒っているのか何を考えているのか分からない。荒北は助かったとも、余計なことをしやがってとも思わず、ただ、新開の予想外の行動に驚いているだけだった。まさかこんな、助けるように割って入って来るほど、荒北は新開と仲が良くもなければ、逆に嫌われているはずだったからだ。ここで荒北が殴られたところで、新開もいい気味だと薄ら笑っていたほうがよほど”らしい”というものだ。 「靖友になにしてんだ」 相手を掴んだ手に力を込めたらしく、ジャージの生地がこすれる音がした。 「大丈夫か」 「あ、ウン…」 ほんの少し、声に心配するような色を混ぜて、新開が空いているほうの手を伸ばしてくるが、荒北は磁石が反発するように身体を引っ込めた。 「なんの騒ぎだ」 部長会に出席していたため、遅れて福富と東堂が部室に入って来た。その声が聞こえた瞬間、荒北はさっさと福富の背後に逃げ隠れてしまった。隣りにいた東堂に「お前、またなにかやったのか」とほぼ確信的にそう言われたが、荒北はそっぽを向いたまま何も言わない。そして福富の背後から、荒北に因縁をつけた部員にまだ絡んでいる新開に視線を向けた。意味が分からない。あいつは一体何がしたいんだと、荒北の疑心は大きくなる一方である。 ＊ ふざけた点数叩き出して貴重な練習時間を補修に費やすわけにはいかない。ただでさえ荒北は、周囲と比べて圧倒的に経験が不足している上に、入学時の素行の悪さから教員からの評価はマイナススタートなのだ。とにかく部活、ロードレース、体力作りだ。そのためには、イヤだろうがめんどくさかろうが、真面目に授業を受けて定期考査で平均点以上出すのが最も時間が無駄にならないと理解していた。 更正、という言い方も変だが、目標を定め落ち着いた荒北は、今までが嘘のように真面目に授業に出席し、そこそこの点数をキープし続けていた。そうやって大人しく過ごしている生徒に文句をつける教員はいない。たまに重箱の隅をつつくように因縁をつけてくる嫌味な教員もいたが、ここでキレては今までの努力が水の泡だと心の中で唱え続け、胡散臭いうっそりとした笑みを顔に貼付けて、拳を振り上げそうなところをなんとかやり過ごしてきた。 そのあまりの変貌ぶりと世渡り用の怪しい笑い方に、三年間かけて噂に尾びれ背びれに鰓と毒針までつき、最終的に、援助交際をやっているだの、ヤクザの愛人になっただの、歳上の恋人に可愛がってもらっているだの、まったく現実味の無いものから、もしかしたら…と思わせるものまで荒北に対する話題は枚挙に遑がない程になっていた。 これっぽっちも言い訳や反論もせず、もしかしたらと思わせる荒北も多少なり悪い気がしなくもないが、やはり根も葉もないデマが悪いだろう。 しかしそんな噂が流れたら、荒北に向かう有象無象の視線だって好奇の色が混じってくる。全く身に覚えのないの無い荒北からすれば鬱陶しくて仕方がないので、テメーらの顔をアルミ缶みてーに握りつぶして三年間鍛え上げた足でかにばさみ喰らわせて顔面から倒してやろうか、という気持ちでいっぱいだった。かにばさみ、もしくは四の字固め、コブラツイスト、水面蹴り、膝十字固め、なんでもいい。とりあえず痛いやつならばなんでもいい。 そんな煩わしさから逃げるように、授業、部活、食事などの時間以外、荒北は自室に籠って勉強したり筋トレをしていることがほとんどだ。そうして必要以上に全然顔を出さないものだから、今荒北は何をやってるんだと噂がさらに広がったりする。完璧な悪循環の完成だ。 その日も授業部活食事とすべてを終え、あとは寝るだけという自由時間を、荒北は自室で過ごしていた。 「靖友、いるか？」 足を割って柔軟をしつつ、手には参考書と赤シートを持ち、器用にながら勉強をしていた荒北の部屋のドアをノックして、外から声がかけられる。開けずとも声の主くらい分かる。なにしに来たんだ、と一人全力でイヤな顔をした荒北は、長時間開きっぱなしで怠くなってしまった足の付け根を摩りながら、参考書をベッドに放って仕方無く立ち上がった。 「…なァにィ」 少しだけドアを開けて、顔を半分出し、伺うように視線を向ければ、そこには案の定新開が立っている。やはり不機嫌そうだ。折角イケメンなんだからもうちょい愛想良くしとけよ、と思わなくもないが、このままでも女子は気にする様子もなくきゃあきゃあ言うのだから、結局イケメンは何をしても許されるという事実だけが残るのだ。同じ男として複雑な気持ちだが、住む世界が違うの一言で片付けてしまっていいだろう。こっちはヤクザの愛人呼ばわりだっつーの、と荒北は心の中で毒づいた。 「あ、いや、靖友全然姿見ねえから、どっか行ってんのかと思って」 心配するような事を言い、新開がらしくなく言葉に詰まる様を荒北は睨む。「テメーだって俺のこと全然信用してねェから、こうやって確認に来てることくれー知ってンだヨ」とどれだけ口に出して言ってやろうかと思った程だ。とことん人のカンに障る男である。 「ふゥン。でェ、なンの用ォ？」 「……」 新開の視線が泳ぐ。本当に荒北の所在を確かめに来ただけだったようだ。そんな様子に、荒北はこれ見よがしに溜息をつく。 「…ていうか新開チャン、あんま俺のとこ来ないでくれるゥ？」 「なんで」 「なんでってェ、迷惑」 「……」 きっぱりと荒北にそう言われてしまい、新開も何も言えないようだ。さっさとどっか行けという視線を向ければ、一瞬だけ目が合うがすぐに逸らされる。そんな新開に、言いたいことがあるならはっきり言えと、荒北の米神には怒りで血管が浮かんだ。 「…靖友のこと、気になるんだ」 言い辛そうにそう言う新開に、荒北は二回目の溜息をついた。 「部に迷惑かけるようなことはしねーってェ。１年のときからずーッとさァ、正直不愉快。この際だから言うけど、いい加減にしてくれるゥ？」 「え」 「信用無いのだって、１年のとき荒れてた俺が悪いの分かってるしィ。ていうか第一、今日までに俺なンかしたァ？一応迷惑かけないように気を付けてるつもりなンだけどォ」 「靖友、ちょっと待って、なんのこと言ってるんだ」 「はァ？だから、俺が噂通り夜遊び行ったりしてねェかこうやって確認しに来るのヤメロッて言ってンの！マジでむかつく」 言ってやった。ていうかもっと早くに言えばよかったんだ。決定的になにかされたり言われたりしてきたわけではないので、タイミングが無かったというのもあるが、なぜ今まで言わずに来たかが荒北は自分でもよくわからいくらいだ。 さて、新開はどう出るだろう。何も言わずに去るか、開き直って信用無いお前が悪いと言うか。すると新開は少し悲しそうな顔ををして、視線を下に落とした。予想外の反応に、荒北も面食らう。 「違う」 「なにが違うってェ？」 少々驚いたが、ここで手を緩める荒北ではない。追撃するように嫌味なもの言いを続ける。 「…今日来たのだって、また暗い中一人で走りに行ったんじゃないかって心配で」 「…なんで知ってンの」 これには本当に驚いた。荒北は、まさか夜間走っていることを知っているヤツがいるとは思っていなかった。いつも消灯が過ぎてから誰にも気付かれないようにこっそり出て、静かに走って戻って来ていたつもりだったのだ。 寮の付近に生徒が夜遊び出来るような施設や歓楽街は無く、それどころか日が落ちたら真っ暗闇に包まれて学校から離れると危ないくらいだった。そんな環境なので、夜になれば自然と教員の注意の意識も薄くなるので抜け出すのは正直容易だったが、街灯も少ない夜道で、ロードバイクなどというスピードが出せるものを走らせるのが、どれほど危険か言わずとも分かるだろう。 「１年のときからちょくちょく行ってたじゃねえか。それで怪我したことも。心配なんだよ」 なんでこいつはそこまでよく見てるんだろうか。荒北は腹が立つのと感心するのを通り越して、背筋が寒くなった。知らない間に自転車に発信器でも付けられているのではないだろうか。あとで車体を隈無く確認しようと決めた。 「でも今日もいてくれてよかった。走りにだけじゃなくて、夜抜けてなくて」 「やっぱあンのくだらねェ噂信じてンじゃねェか…」 「…だって靖友かわいいから」 「……は？」 新開が何を言ったか、理解することを脳が拒否している感覚だ。荒北は自分の聞き間違いであって欲しいと心の底から願った。 「は、あ？え、かわ、ちょっとお前、もっかい言ってみろ」 「靖友かわいいから心配だし、外に恋人いても全然不思議じゃねえし」 本当に若干、若干と言うのもどうかというレベルで、普段と比べてほんのわずかだけ顔に赤味がさしている気がしなくもない。なんだ、照れているのだろうか。あとそういうことは女子に言ってやれ。新開を追っ払う為に自分から始めた話題だが、なんでこんな薮蛇なことをしたのだろうと、荒北はもはや後悔しかしていなかった。なんでこんなことになったのか。 「…お前さァ、俺のこと嫌いデショ？」 「いや、好きだけど」 「……ハァ？」 嘘デショ。ここまで三年間ずっと一緒にやってきたけど、好意的な顔なんてとんと記憶に無いし、いっつも不機嫌そうな顔して仕方無さそうに接して来てたし，人の言動を伺うようにジロジロ見てくる視線には猜疑が見えてたし。 好かれていないと思っていた理由ならいくらでも挙げられる。しかし、好かれていると思うにはあまりに要素が無さ過ぎた。 「俺のこと信用無くてじろじろ見てたんじゃないノォ…？」 「それは…、俺が靖友のこと好きで追ってただけで…」 そんなまさか。 「分かりづらいも程があンだろうが…」 荒北は開いた口が塞がらない。ここまで分かり辛い恋があるだろうか、いや無い。絶対無い。正面きって言われた今だって、実は嘘だと言われてもまったく違和感が無いくらいに分からない。こいつは本当に俺のことが好きなのだろうかと、荒北は声も出せなかった。 「ところでこの流れで、俺は靖友に好きだって告白していいのか？」 たった今散々言った恥ずかしいあれやこれやはなんだったんだ。相変わらずムスっとしたままの表情の新開が荒北の手を握り、冗談でも無さそうな様子でそう言うものだから、荒北だって顔を赤くしたり青くしたりして、そして臑に蹴りを入れ、新開が痛がっている隙にドアを締めて篭城するしかなかった。 ＊ とりあえず昨日は部屋に閉じこもってあれ以上顔を合わせなかったはいいものの、日々は続く。とんでもないところでセーブしてしまったRPGみたいだ。再開するのが怖い。昨日までとは違う意味で新開と顔を合わせたくない。 翌朝の練習には、基本的に部室に一番乗りする福富の後に、珍しく荒北が続いた。新開が来る前にさっさと着替えてさっさと出て行ってしまおうと考えたからだ。 「福チャン、オハヨ…」 「おはよう、荒北。早いな」 「ちょっとネ…」 いつも開始ギリギリに現れる荒北の早起きに、福富も少し驚いたような顔をするが、なんてことのないように振る舞う。新開を避けてますとは言えても、その理由までは言えないだろう。一番に来た福富よりも早くジャージを着込み、大急ぎで部室を出る。幸いなことに新開はまだ姿も形も見えない。 しかしこんなことを毎日続けるわけにはいかないし、早起きだってできるだけしたくない。同じ部活に所属している以上、ミーティングなど顔を合わせざるを得ないこともたくさんあるし、学校でも寮でも完全に避けるなんて到底無理な話だ。 背中から福富が「走りに行くのはいいが準備運動だけはしっかりしろ」と親や教師のようなことを言って寄越す。あれだけ厳つい顔と性格をしているくせに、ちょっと付き合えばロードレースが好きなただの高校生だとわかる。いつも通りの福富に、昨夜からざわざわしていた気持ちが少し落ち着いた。言われた通り、故障しないようにきちんとアップしてからコースを走り、ダウンして一人でこっそり上がる。最上級生だし荒北だしということで、特に文句を言う部員もいない。人ごみに紛れて早々に着替えを終え、誰とも話もせずに素早く校舎に向かう荒北を注視するやつなど、一人しかいなかった。 ＊ 昼飯時、終業の鐘と同時に休み時間に買っておいた総菜パンを掴み、いつも通り校舎の外で一人で食べていた荒北のところに招かれざる客が来た。 「いた」 「うェ…」 飲みかけだった炭酸飲料が口の端から少し垂れた。それを拭う頃には、新開は断りもなく荒北の隣りに腰を下ろしている。一刻も早くその場から立ち去りたかったが、珍しく荒北の膝の上で大人しくしている野良猫がいたので、そうそう動ける状態ではなかったのだ。現在荒北の感情は、新開から逃げたい、でも折角猫が撫でてもいいよと乗っているので動くのが勿体ない、という変な欲望の狭間で揺れていた。 荒北はこの場所でよく一人で時間を潰している事は割と知れ渡っているので、荒北に会いたくなければ避ければいいし、逆に会いたかったらそこへ行けばいい。逃げたい割にはツメが甘いと荒北の隣りに座った新開は、それ全部食うのかという量のパンやおにぎりを抱えており、黙々と封を開けて数を減らしていく。 二人の間に会話は無い。春先のまだひんやりとした風が吹き抜けて、時折初夏らしい空気の甘い匂いがするだけだった。すでに昼食を食べ尽くした荒北は、片手で猫を撫でながら、もう片手で携帯をいじって暇を潰している。隣りに新開がいるなどと全く気にも留めていない様子だ。 「…ひとりで走ると危ない」 ようやく手にしていた食品をすべて腹に収めたかと思えば、新開はそんなことを言って寄越した。 「うるさいヨォ。教師みてーなこと言いやがってェ」 新開は先程の福富と同じように荒北を心配する言葉を口にするが、言っている人間が違うというだけでこんなにも素直に受け取れないものか。福富から言われたときには思わず笑ってしまったが、新開から言われたら苛立ちしか出て来ない。不思議だ。不思議だが腹は立つ。黙ってほしい。 「ネェ、新開」 「なんだ」 「お前さァ、昨日言ったこと、マジィ？」 「本気だ」 新開も自分の発言くらいきちんと覚えているらしい。「昨日言ったこと」などと言う荒北の曖昧な言い方にも間髪入れずに返してきた。こんなに分かり辛い恋心があってたまるかと、嫌悪感や拒否反応の前にただただ脱力してしまう。 しかもあの言い方だと、新開は１年次からずっと荒北のことが好きだったと取れる。そんなに長いこと新開の視線の意味にも気付かず、ずっと嫌われていると思い込んでいた自分も大概だと、脱力感も二倍に膨れ上がる。 さて、どうしよう。恋愛対象に新開隼人などと考えたこともなかった荒北は困惑している。まだ「好きだ、付き合ってくれ」と言われたわけでもないが、すでになんて断りを入れようかいざというときに向けて言葉を探していた。 いや、その前に決定打を出させなければ、そんな七面倒臭いことを考えずに済む。第一新開はどこまで本気なのだろうか。ただ嫌いな人間をからかって慌てふためく様を楽しんでいるだけではないだろうか。新開の視線によって三年間育まれた荒北の疑心暗鬼を舐めてはいけない。 「例えばぁ」 荒北は携帯を畳み、新開に粘度のある視線を向けた。 「俺が噂通りめちゃくちゃ遊んでたりしたらどうすンのォ？それでもいいのォ？」 「……」 新開を馬鹿にするようにニィ、と口の端を持ち上げて、ただでさえ細い目をさらに細めた薄ら笑いを浮かべる。 新開は正直どちらかわからない。遊びまくっていても納得できるくらいの色気は感じるし、だが、そんな暇など無いくらい荒北が部活に打ち込んできた様も新開は見てきた。 ものは試しと新開は、ぎゅ、と隣りにあった荒北の手を掴んでみた。それだけで荒北は驚いた猫のように身体を跳ねさせ、しどろもどろになり、一気に熱がそこに集中して湿ってくるのがよくわかる。その手の様子が、さっきの言葉はまったくの嘘ですとよく表現していた。しかしすでにそれだけ動揺を見せたというのに、それでもまだ平静を装うつもりなのか、荒北はなんてことありませんよといった顔つきで新開を見下す。 さらに新開がすっと顔を近付ければ、ビクリと身体を強ばらせ目元をうっすら赤くして視線を泳がせる。どこまで強がるのかちょっと面白くなってきた新開は、そのまま顔を寄せてみた。 ほんのかすか、唇に触れるか触れないか程度のキスをしてやれば、荒北は目を見開いて顔を真っ赤にしてわなわな震え出した。その振動で今まで膝に乗っていた猫は逃げてしまったし、踏んだり蹴ったりだ。 というかあまりに反応が初すぎる。いくらなんでもこれで取っ替え引っ替え遊んでいるというのは無理があるだろう。これが演技ならば、いますぐ自転車を降りて俳優になるべきだ。 「…絶対遊んでないだろ」 「うッ、るせぇッ！」 新開に掴まれていた手を振りほどく。よく見れば目には涙が浮かんでいるので、間違いなくこれが初めてだったなと新開は確信した。好きな子の初めてが自分で嬉しい、なんてガラでもないが、やはり嬉しい。顔が緩みそうになりむにゃむにゃ動く。 この一連のやりとりで、荒北を取り巻くあらゆる噂や疑念がこれできれいさっぱり払拭された。絶対に恋人なんていないし、これまでにいたこともないだろうし、恋愛スキルはゼロに等しいだろう。そのくせなんでこんな無駄な色気を兼ね備えてるんだという新たな疑問も生まれたが。 本当に荒北は可愛い。誰がなんと言おうと、荒北が世界で一番可愛く見えるくらい、新開は荒北に恋していた。汗まみれになってローラーをやっているときも、相手を挑発するように笑う様子も、今こうやって自分の一挙一動にビクビクして顔を赤くしている姿も、どれも可愛くて仕方がない。新開の頬はついに緩んだ。これ以上我慢ならんと、そんな新開を一発殴り、荒北は勢いよく立ち上がった。 「てッ、めえ新開！ぜ、絶ッ対ェいつか殺してやンヨ！」 半泣きで顔を赤くしてそんな宣言したところで、新開にはどこ吹く風、むしろちょっと興奮させるだけだということを、恋愛スキル皆無の荒北は、結局のところこれっぽっちも理解していないのだ。

超絶わかりにくいけど荒北のことがめちゃくちゃ好きで恋してて可愛いなあと思ってる初期新開×割と真面目で性格男前で喧嘩っ早くて気が強い恋愛経験&amp;スキルゼロな初期荒北が読みたい<br /><br />初期開のいいところは本人はやすともが大好きで一生懸命なのに全くやすともに伝わっていないどころか「しんかいにメッチャ嫌われてるから不必要に近寄らんどこ」て思われてるところだ！！！！！！！<br /><br />by塔高様(<strong><a href="https://www.pixiv.net/users/1804548">user/1804548</a></strong>)<br /><br />という話が好きすぎて、呟かれる度にダボハゼのように食いついていた勢いで、またもや勝手に書かせていただきました。<br />初期北です。話の内容は上記の通りです。毎度毎度本当にすいません。ありがとうございます。

新開隼人、絶対殺す

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おとうさんとおかあさんとおねえちゃん。 わたしの、だいすきなひとたち。 たいせつだったひとたち。 まとうのおじいさまが、もうそれはわすれなさいって、いった。 暗くて冷たい石の床を、ぬるぬるしたよだれを垂らしながら気持ち悪い蟲が這っていく。 桜はその蟲が、他の人が見たらどんなにおぞましく思い目を逸らし口に出して形容するのも憚られる見た目をしているのか、 まだ知る由もなかった。 だから、体の上や中や下を、その蟲が這うのはとても厭だったけれど、不思議な形の蟲だな、と思っていた。 それから、すぐにそんなことはどうでもよくなった。 痛いのや怖いのや、寒いのや苦しいのや悲しいのや恨めしいのは桜の心からどんどんこぼれ落ちていった。 桜はそうして小さな女の子の形をした“からっぽ”になった。 ぞわ、ざわ、くちゅ、ぬる、ざら、かりっ。 髪の毛を噛んで引っ張る蟲はあまり好きじゃない。 きりきりと強く引っ張られると、頭が痛くてそれだけはまだ慣れなかった。 毛先を食べられると揃わなくなるし、べとべとして洗うのも大変だった。 今日はいつまでここにいるんだろう。 早く出て、少しでもいいから眠りたいなぁ。 桜がそんなことを思っていると、ぎぃっと重い音がして蟲蔵の扉が開いた。 おじいさまの杖の音と、他の足音が聞こえたけれど、桜にはどうでもよかった。 もう出られるのかなぁ。 おじいさまが見に来ただけかなぁ。 階段の上で、おじいさまが何か話す声と、他の誰かが少し階段を駆け下りてくる足音がした。 でもその足音は桜のずっと上で止まって、そばにまで来てはくれなかった。 なんだか辛そうなその人の息を呑む音を桜は少しだけ淋しい気持ちで聞いていた。 [newpage] 「桜ちゃん、おじさんの事覚えてるかい？」 次の朝、歯みがきの終わった桜の前に、その人がやってきた。 やさしそうな声と黒くはねた髪の毛。やんわりと笑うその顔を、桜は思い出した。 桜とあの人たちが一緒に暮らしていた頃、時たまやってきておみやげをくれたり、一緒に遊んだりしてくれた人だった。 「雁夜、おじさん？」 自分でも驚くほど小さな声で、桜はその人の名前をつぶやいた。 それなのにその人は自分の名前を呼んだ桜をぎゅうっと抱きしめて喜んだ。 「そうだよ、覚えててくれて嬉しいよ、桜ちゃん」 背中いっぱいに回った腕と、頭をやさしく撫ぜる手の平がとてもあたたかかった。 でも、桜を抱きしめる瞬間、おじさんが悲しそうな目をしたことに桜は気付いてしまった。 あ、ごめんね、とおじさんはすぐに桜の体をはなしてくれた。 窮屈だったけど、もう少し抱きしめていてくれてよかったと思った。 「朝ごはんまだだったよね」 おじさんは桜よりずっと大きなその手で桜の手を取って、居間に向かった。 ああ、そうだ、ここはおじさんのお家だったんだっけ。 広い廊下を並んで歩きながら、桜はおじさんの横顔を見上げた。 そうだ、この人は、もう一人の、私のたいせつな人。 その日の夜から、雁夜は桜と同じように蟲蔵に行くようになった。 初めは何日も出てこなかった。だから、桜が次に雁夜に会ったのはずっと後のことだった。 あの日、抱きしめてくれた日とはまるで別人のようになった雁夜に、桜はそれでもなんにも思わなかった。 だってあそこはやっぱり厭な場所だから、当たり前なんだと、思った。 ただ、雁夜が来てから桜が蟲蔵に行く日が少し減って、桜はだから少し嬉しかった。 昨日も蟲蔵へ行かずにすんで、桜は自分の布団の中で目が覚めた。 頬が少し冷たくて布団から出るのがいやだな、と目をつぶっていたら、お腹の奥で蟲がざわついた。 仕方なく起き出して、歯みがきと洗顔と着替えを済ませて廊下に出た。 ガラス窓の外の木が丸裸になっていて、寒そうに震えている。 こういう時。 桜は、体の奥から蟲以外の何かがせり上がってくるような気持ちになる時、どうしたらいいのかわからなかった。 昔は知っていた気がするのに、今は、どうしてだか忘れてしまったようだった。 「桜よ」 枯れかけの木を眺めていた桜を、廊下の奥から呼ぶ声がした。 廊下の奥の、夜でもないのに暗がりになったそこに、おじいさまが立っていた。 枯れた木どころか年を取りすぎてまるで石みたいな老人を、桜はあまり好きではなかった。 「はい、おじいさま」 おじいさまもきっと、私のことはあんまり好きじゃないんだろうなと思っていたから、桜は気にしなかった。 「今宵も蟲蔵へは行かんでよい。別にする事があるのでな」 「…はい」 小さくうなずいて、桜は自分の部屋に戻った。 勉強をしたり、本を読んだりして夜まで過ごした。 夕方、風が強くなって窓ががたがたと音を立てるので、桜は広い屋敷の中を歩いて回った。 大きい家なのに人気がなくて、怖くはないけれど、桜は一所に足を止めるのもなんだか厭だった。 すぐに歩きつかれて、桜はあきらめて部屋に戻ろうと階段を上がった。 そこには、おじさんがいた。 真っ黒だった髪は真っ白になって、怪我人のように左腕をかばっていた。 少し前からそうだった。 でも。 [newpage] 「やあ、桜ちゃん。びっくりしたかい？」 いつもと同じように、おじさんはやんわりと笑ったけれど。 「…うん、お顔…」 おじさんの顔は、左半分が火傷をしたようにひきつっていた。 それに目も、左だけ白っぽく濁って桜の顔を映さなかった。 「おじさんはきっと、桜ちゃんほど我慢強くないんだね」 そう笑って。 その笑顔が、まるで知らない人のようで。 「雁夜おじさん、どんどん違う人みたいになってくね」 おじさんは悲しそうに微笑んで、そうかもしれないね、とつぶやいた。 「今夜はね、私、蟲蔵へ行かなくてもいいの。もっと大事な儀式があるからっておじいさまが言ってた」 「ああ、知ってる。だから今夜はおじさんが代わりに地下へ行くんだ」 おじさんは話すのも辛そうなのに、桜の話を聞いて、答えてくれる。 きっとそうなんだろうと思っていたのに、桜はおじさんの口からそう聞かされてまた少し、蟲以外の何かが体の奥から せり上がってきそうな気分になった。 「…雁夜おじさん、どこか遠くへ行っちゃうの？」 それを押し込めながら、桜は代わりに声を出す。 おじさんは息を切らして答えてくれたけれど、その内容は桜にとってあまり嬉しくないことだった。 「…そう…」 おじさんがいなくなる。 それは、おじさんが来る前だって桜は今と同じなのだから、別に大した事じゃないはずだった。 それなのに。 「なぁ、桜ちゃん。おじさんの仕事が終わったらまた皆で遊びに行かないか。お母さんやお姉ちゃんを連れて」 そんな人はいないの。 桜の体の奥の、蟲以外の何かが、また。 「そんな風に呼べる人はいないの。…いなかったんだって思いなさいって、そう、おじいさまが」 「…そうか」 だからおじさんまで、いなくなるなんて。 蟲以外の何かが。喉の奥から。 「おじさん？」 あの日と同じように、背中いっぱいの腕が桜を抱きしめた。 そう思った。 本当は、おじさんの左腕はもう動かなくて、手の平は頭を撫ぜなかったし、抱きしめる一本の腕もあの日のように あたたかくはなかった。 けれど、せり上がってくるそれは、嘘のように桜の体の中に溶けていった。 「じゃあ遠坂さんちの葵さんと凛ちゃんを連れて、おじさんと桜ちゃんと四人で、どこか遠くへ行こう」 おじさんは、夢見るように桜に話しかけた。 「また昔みたいに、一緒に遊ぼう」 きっとそれが叶わない夢だと本当は分かっているような口ぶりだった。 それでもかまわないと、桜は思った。 「…あの人たちと、また会えるの？」 だいすきな、あの人たち、と。おじさんと。一緒に。 「ああ、きっと会える。それはおじさんが約束してあげる」 おじさんのてが、桜の肩を強く抱き寄せた。あの日より強く、つよく。 痛いくらいだった。 「…じゃあ、おじさんはそろそろ行くね」 ふらりと立ち上がって体の半分を引きずりながら、おじさんは行ってしまった。 「うん、…ばいばい、雁夜おじさん」 ゆらゆらと左右に揺れながらあるいていくおじさんの背中を、桜は見つめた。 ああ、こういう時。 なんて言うんだっけ。ばいばいじゃなくて。 本当はそうじゃなくて。 「…ばいばい」 [newpage] おじさんが階段を下りて、扉を出て、見えなくなってしまっても、桜はしばらくそこを立ち去らなかった。 左肩がまだ少し痛くて、それだけが今おじさんがいたことの、桜と話をしていた人がそこにいたことのしるしだった。 それもきっと、明日蟲蔵へ入ったら消えてしまうくらいの痛みだった。 いやだ、なくなるの、いやだ。 どうしてそう思うのか、桜は自分でもよく分からない。でも知っている。 顔を上げると、廊下の先に、扉の開いた部屋があった。 そこは、おじさんが帰ってくるまではずっと閉まっていて、あの日から使われるようになったおじさんの部屋だった。 待っていれば、戻ってきたおじさんとまたちょっとだけ話せるかもしれない。 桜はそう思って部屋に入った。 ベッドと棚と、机と椅子。電気は消えて月明かりだけの部屋だった。 枕元に、大きなカメラがあって、桜はそれに見覚えがあった。 おじさんのカメラは重くて、あの時桜は持てなかった。 だから、おじさんとおかあ、さん、を、撮るのをあきらめて、おじさんに撮ってもらったはずだった。 お、ねえ、ちゃん、と。おか、あ、さん、と。桜と。 三人の写真。 白いシーツの上に、並んでいた。 桜はそれを手に取って、月明かりにかざして見た。 だいすきなひとたち。それに。 このこはだれ？ 肩まで伸びた黒い髪。きらきらした丸い目。楽しそうな笑顔。 おかあさん、と、おねえちゃん、と。一緒に映ってる。 このこは、だれ。 「わたし、」 その時ぽろりとこぼれた涙が、桜の最後の涙だった。

アニメ五話からの俄かファンです。zero原作やstay night、マテリアルなどもまだ手に取っておらず、世界観やらキャラクターやら全然掴み切れてないのに一話のおじさんと桜ちゃんに涙搾り取られて妄想が暴走してしまいましたすみません。本当はもっと短い文のはずだったのにどうしてこうなった。【追記】3ページ目の内容がまんま一話なんですが、色々と妄想で侵されています…ご、ご容赦下さい…！

【Fate/Zero】さくらとおじさん

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※注意※ ●女審神者がぐいぐい出ばってます。 ●刀×主…？？？？ ●刀→主がメインです。 ●刀剣男士の口調も性格もなにもかもが、迷子です。 ●朗らか素敵な三日月宗近さんは、どこにもいません。本当にいません。ガチでいません。 ●ｇｄｇｄな展開です。 ●当本丸の障子が、相当理不尽な扱いを受けております。 ●脈絡もなく、突然はじまり、突然終わります。 ●誤字脱字等はないように確認しておりますが、もしありましたら、スルーしていただけるとありがたいです。 ●タグやネタ被り等、何かございましたらお手数ですがご指摘いただけると嬉しいです。 以上を踏まえたうえで、 ≫不穏な気配を察知！≪した方、「ｲﾔｰﾔﾒﾃｰﾑﾘﾖｰ」と思った方、苦手な方は、今すぐお戻りくださいますようお願いいたします。 読んでくださる猛者の方は、このままお進みくださいませ。 ※ただでさえニホンゴおかしいのに、輪をかけておかしいところがあったので、ひっそり修正させていただきました。 [newpage] 今まで、散々重たかったはずの瞼が、何故だかあっさりと開けた。 すると、目の中に沢山の光が入り込んできた。 すごく明るい。 鳥の囀る声が、遠くで聞こえる。 朝方なのかな。 夜は、明けたらしい。 ……夜が、明けた？ 皆、…皆は？ 三日月さんは？ 誰もいなくなってたりしていない？ 寝ている場合じゃない。 早く、私が手入をしなくちゃ。 「っ、」 急に起き上ったせいか、思い切り刺されたせいか。 ぐらりとした眩暈と急激な痛みが私を襲った。 だけれど、倒れる前に力強い腕が、私の上半身を支えてくれた。 顔をあげてみれば、宗三がいた。 「そう、ざ」 「……」 彼は、無表情だった。 色の違う二つの瞳は、鋭い眼差しだった。 「敵襲は、我々第二部隊が殲滅させました。怪我している刀剣たちは、こんのすけが手伝い札を使って手入をしたので全快。破壊された刀剣は、誰一振りとしていません。強襲の件に関しては、こんのすけと担当官に掛け合ってもらっていますが、原因解明中との一点張りだそうで。まあ、とにかく、我々は全振り無事です」 私が聞きたいだろうことを、淡々と全て説明した。 そうか、重傷だった三日月さんも、治ったんだ。 ああ、そっか。 皆、無事だ。 よかった。 「………何か、僕に言うべきことがあるんじゃないですか。主」 私が内心ほっとしていることも、もちろん見抜いているんだろう。 宗三の瞳は、まっすぐ私を睨み付けたままだった。 私は、いったいどれくらいの間寝てしまっていたんだろう。 宗三は、強制的に遠征から帰還させられ、検非違使レベルの敵と戦わされた上に、皆をまとめてくれていたんだ。 主として、全く役立たずだった私の代わりに。 悪いことをしてしまった。 「…私がいないことで、近侍として、沢山迷惑かけて、ごめん、なさい。ちゃんと、皆のお手入れ、できてなくて、ごめんなさい」 宗三の雰囲気は、全然和らぐ気配がない。 むしろ、今の私の言葉で、彼が纏っていた怒気が増した、気がする。 目元がぐっと吊り上がり、私の身体を支える手に、力が入っていたのだから。 だけれど、宗三は何も言わない。 おかげで、気まずい沈黙が、広がっていく。 いや、気まずいのは私だけだと思う。 さして長い時間ではなかっただろうけれども、私にはすごくすごく長く感じた。 やがて、 苛立たし気に吐かれたため息とともに、宗三は何故か障子の方を一瞥した。 「……………貴女なんか、一度、罪悪感で徹底的に押し潰されてしまえばいいんです」 静かに目を伏せ、小さな声で吐き捨てた宗三は、ゆっくりと立ち上がった。 それと同時に、障子が勢いよく開いた。 「あ、るじ」 そこに居たのは、三日月さんだった。 よっぽど急いできたのか、狩衣も髪も乱れていた。 「少しは思い知りなさい」 最後に突き放すような言い方で私にそう告げて、宗三は三日月さんと入れ替わるように出ていった。 宗三の言う通り、三日月さんには傷ひとつなかった。 全快、していた。 かなりの重傷だったから、私が倒れたことでずっとあのままじゃないかと心配だったんだ。 元気になってくれてよかった。 うちのこんのすけが、優秀で本当に助かった。 「三日月さん。怪我、治ってよかった、ですね」 そんな彼は、私の姿に瞠目していた。 大きく見開いた瞳は、かすかに歪んだように見えたけれど、ほんの一瞬で。 すぐさま、私が寝ていた所までずかずかと入っていくと、 「この馬鹿が！！」 私を怒鳴りつけた。 今までにない、荒い声。 本気で怒っているみたいだ。 初めてみた三日月さんの激怒している姿に、思わず肩を揺らしていたら。 三日月さんは、それも構わずに、私の身体に手を伸ばし、抱きしめた。 ぎゅうぎゅうと、少しの隙間も埋めるように。 このまま、背中の骨を折るのではないかというほどに、強く。 「一週間、だ」 とても、とても、強く。 三日月さんの腕の力は、緩まることがなかった。 「今は、あの夜から数刻経った朝じゃない。あれから一週間が経った朝だ。あれから、…お前が倒れてから、一週間も経っているんだぞ…！」 低い声で、三日月さんは口を開いた。 勿論、強く抱きしめられているのだから、表情なんて、見えなかった。 「一週間もの間、俺が、……俺達が、どんな想いでいたかわかっているのか？…誰一振りとして、一時も気が休まらず、落ち着けず、眠れず、何もできず、傍に、…っ、ただ、お前の横にいることしか出来ず！日に日に弱まっていく、お前の霊力に縋るしかできなかった、…俺の、気持ちが…！」 私の左肩が、温かく濡れるのを感じた。 じわじわと、温かい何かが広がって、染みていく。 視線をそちらに落とせば、左肩に顔をうずめていた三日月さんの頭が見えた。 三日月さんの身体が、小刻みに震えているのが、見えた。 背中に回されている手も、腕も。 時折、詰まらせている声も、何もかも、全部。 ああ、よかった、ほんとうに、よかった 震えるように吐き出された深いため息と、同時に聞こえた消え入りそうなほどの小さな安堵の声。 三日月さんは、私の感触を確かめるように、自分の中に全て閉じ込めるように、強く抱き寄せていた。 抱きしめているというよりは、縋り付いているようだった。 『罪悪感で徹底的に押し潰されてしまえばいいんです』 先程の宗三の言葉を、ふっと思い出した。 一週間も、私は意識がなくて。 優しい彼らは、ずっと心配してくれていた。 全く目を覚ます気配のない私のそばに、言葉通り昼夜問わず、ずっとついてくれていた。 なのに、的外れなことばかり、私は言ってしまった。 宗三が私の口から聞きたかったのは、そうじゃなかったのに。 そうして、三日月さんは、私が刺されて倒れるのを、本当に目の前で見ていた。 他の刀剣より、この一週間は、すごく精神的にきつかったはず。 激怒するのも、無理はない。 ──ごめんね、本当に、ごめん。 宗三、三日月さん、皆、馬鹿な主でごめんなさい。 背中の痛みや、抱きしめられている苦しさよりも、宗三の言うように罪悪感で押し潰されてしまいそうだった。 熱い何かが胸の奥から込み上げてくるが、ぐっと飲み込んだ。 私は、三日月さんの背中をさすってみた。 びっくりしたのか、三日月さんは抱きしめる力を緩め、私の顔を覗き込んだ。 ぽろぽろと、瑠璃色の瞳からは透明な涙がこぼれて落ちている。 私を見つめる瞳の三日月は、ゆらゆら、ゆらゆら。 あの時のように、悲しげに不安げに揺れていた。 「……心配かけて、ごめんなさい。私は、大丈夫だから。…もう、泣かないで。ね？」 自分の指で、三日月さんの涙を拭う。 ぬるま湯のような、あたたかい涙だ。 人間とそれと、なにもかわらない温かさだった。 「…何故、庇った？お前は、俺達と違い、簡単には治らない。代わりがいない。死んだら終いだ」 そのままおとなしく涙を拭われていた三日月さんは、私に尋ねてきた。 先程とは違い、とても弱弱しい声だった。 「………俺のことが、嫌いならば、尚更。捨て置けばよかったろうに」 よく考えれば、三日月さんとちゃんと話したのは、あの近侍の件で私が怒鳴って以来初めてだ。 ああ、私は怒りに任せてひどいことを言ってしまっていたんだった。 「嫌いじゃ、ないですよ」 「…」 涙が一筋。 三日月さんの頬を流れて伝う。 「うちの本丸に来てくれた三日月宗近は、貴方が最初で最後です。他の三日月宗近が来ても、それは貴方じゃない。貴方だって、代わりはいないんですよ」 また、涙が一筋。 ゆらゆら、ゆらゆら。 瞳の三日月は、池の水面に写るそれのように、涙で揺れている。 「あの時は、ひどいこと言っちゃってごめんなさい。私も、苛々してしまってたんです。ずっと謝りたかった。傷つけてしまって、ごめんなさい」 三日月さんは、小さく首を振ると、私を再び自分の元へ引き寄せた。 結構また苦しいくらいに強い力だったけど、それだけ三日月さんは余裕がなかったみたいだ。 「お前が謝る必要はない。…悪いのは、俺だ」 そう言った三日月さんが、ぽつぽつと彼の側の事情を話してくれた。 きっかけは、やっぱり初対面時の挨拶だった。 三日月さんとしては、人間の姿になれて嬉しかった。 ずっと見ているだけだった、大好きな人間と触れ合えるのがすごく嬉しかったのに。 私の挨拶で、あっさりそれを否定されたような気持になったらしい。 戦いを早く終わらせ、解放させるということは、すぐさま別れたいということ。 端から仲良くなんてしたくないのだ、と三日月さんは勘違いしたみたいだった。 悲しくなった三日月さんは、思わず、冷たい態度を取ってしまったのだという。 それからは、 後に引くに引けず、あのままの態度を貫いていくしかできなかった。 本当は、少しでも仲良くなるきっかけを作りたかったらしい。 だけれど、いつもうまくできず、余計に空回るばかり。 近侍の件だって、今までの態度を改められるチャンスだと思っていたのだとか。 他の刀剣たちから、本丸に来たばかりの頃に近侍をやったことで、主である私の考えを理解したり、距離を縮められたと聞いたから、らしい。 なのに、いつもいつも断られ、焦っていた。 だから、いつも以上にしつこくなってしまっていた。 自分は嫌われて当然だと、自覚もしていたが。 いざ、私本人に嫌だと言われると、とても辛くて苦しかった。 だから、避けてしまっていたという。 「俺は、嫌いじゃない。…お前を、…嫌いになど、ならない。絶対に。絶対に、だ」 事情を全て話し終えると。 三日月さんは、私の肩に手を置いて、じっと見つめた。 何度も何度も、念を押し、言い含めるように繰り返した。 私に、良いな？と同意を求めるような視線を送るので、こくこくと頷いた。 「…わ、たし、も。私だって、三日月さんの事、絶対嫌いになりません。本当、…絶対にです」 私は、また手を伸ばして、三日月さんの目に浮かんだ涙をぬぐった。 涙声だったかもしれない。 私の視界は、滲んで三日月さんの表情が良く見えなかったから。 それでも、ちゃんと、彼を見て伝えたかった。 もう、悲しい誤解をさせないように。 三日月さんは、ため息をついていた。 「かなわないな」 そう、泣きそうな声でこぼしていた。 表情は私が涙目だったのと、三日月さんが目を伏せていたので、ちょっとわからなかった。 涙をぬぐっていた私の手を取り、三日月さんは自分の頬に私の掌を押し当てた。 今までと違い、壊れ物でも扱うかのように、そっと優しく私の手を包み込んでいた。 「今まで、すまなかった。…あの夜、お前を守れなくて、本当にすまなかった。だが、庇うのだけはやめてくれ。…あれならば、俺が折れた方がずっと良かった」 「そんなっ、」 自分が死んだ方がいいだなんて、言わないでください。 私が口を開きかけたが、三日月さんの指が私の唇をそっと抑えて遮った。 布越しの指が、そのまま、するりと一度唇をなぞって。 大きな手で、私の片頬を包み込んだ。 三日月さんの頬に触れていた私の手を、優しくきゅっと握ったままだ。 「もう二度と、お前を喪うなんて、考えたくない」 気付いたけれど、三日月さんと私、すごく距離近づいていないか。 だって、三日月さんの喋った吐息が、私の唇にかかるのがわかったくらいだ。 それって、よっぽどの距離だ。 このままだと、私と三日月さん、完全にぶつかっちゃ…う。 なんて、思っていたのだが。 突如、再び勢いよく障子が開け放たれ（後で見たら、あまりの勢いに、障子は枠から外れてた）。 再びやって来た宗三が、私と三日月さんを見るなり、私には聞こえなかったけれど何やら忌々し気に呟き、三日月さんを私から思い切り引きはがした。 三日月さんは、小さく舌打ちして、宗三に掴まれた腕を乱暴に払った。 １人取り残された私は、訳も分からずぽかんとしていたら。 「主っ」 「主様！」 「主さん！！」 私の本丸にいる刀剣たちが、宗三と三日月さんを除く全振りとも、部屋の外からこそっと覗き込んでいて。 みんな、私の姿を見ると、涙を浮かべて私に駆け寄ってきた。 泣きながら、ぼろぼろこぼれる涙をぬぐいながら、いっぱいいっぱい怒られた。 皆の、震えながら泣きながらの言葉は、胸にぐさぐさ来た。 「皆、…ほんとっ、ごめっ…」 謝るのもままならず、今まで泣くまいと我慢していたものがたまりにたまって爆発。 私が思わず泣きだしたら、皆もつられてもっと泣きだして。 結局、こんのすけが来るまで、体裁も年も構わず、皆と抱き合ってわんわんと泣いてしまっていた。 その時のこんのすけ曰く。 大団円のように泣いている刀剣たちと私がいる一方で、ばちばち火花を散らしていた三日月さんと宗三の光景は、とても異様だったのだとか。 「あの状況に突っ込めばいいのか、一緒に泣けばいいのかわかりませんでしたよ」 前足肉球アタックを私の額に一発決め込んだのち、ふんと鼻を鳴らしたこんのすけ。 つんけんしていたこんのすけの大きな丸い目に涙がたまっていたので、思わず抱きしめたら、ふるふる震えだして数秒と経たずに号泣。 明日にでも、高級な油揚げを買って、歌仙と燭台切にめちゃめちゃ美味しく料理してもらおう。うん、決めた、今決めた。 [newpage] 「……それで、俺に、話とは？」 あれから、幾日か経った後。 すっかり全回復して仕事に復帰した私は、三日月さんを執務室に呼び出した。 呼び出された三日月さんは、どこか不安げな表情で私に話しかけて来た。 以前までは、堂々と胡坐をかいて居座っていたのに、今は所在無げにちょこんと座っている。 「あのですね、三日月さん。近侍、やってもらえますか？」 ぱちぱち。 瞬きさせ、初日に見せたようなきょとんとした顔で、私を見つめた三日月さん。 「今回のこともありましたし、やっぱり練度の底上げが必要だということで。しばらく、三日月さんを近侍にしようと決めたんです。お願いしてもいいですか？」 私の事、嫌いじゃないって言ってくれたし、本当は仲良くしたかったって言ってくれたからさ。 じゃあ、近侍から始めるのが手っ取り早いかなと思ったのだ。 あれほど近侍やりたがっていたし。 私のことを理解したいと思ってくれているからこそ、という彼の事情も把握しているのだから。 私が、拒否する理由なんてなかった。 しかし、三日月さんから返事はない。 袖で顔の下半分を隠したまま、目線を泳がせている。 …あれ、今更嫌だとか言いだしちゃう？ 今更お願いされても困るんだよばーかばーか的な？ 近侍になりたいと言ったな？あれは、嘘だ！どーだ、驚いたか！とか某白い鶴のアレ的な？いや、うちに鶴丸いないけど。 「……あのう？もし、嫌だったら、断っていいでｓ」 「嫌だとは言っていない」 「あ、はい」 そこは即答ですか。 でも、嫌じゃないと言ったくせに、その次の言葉までが、どうも長かった。 「…あ、るじが……、ら………い、ぞ」 「はい？」 視線はいまだ、私から外して泳いだまま。 口元もばっちり袖で隠したまま。 良く聞こえなかったので、もう一度促してみる。 「～～～っ、」 三日月さんは、眉間にちょっとだけ皺を刻んで、唸ってた。 んー、怒っているようには見えないな。 何か、ものすごく躊躇しているとか？ 私が倒れたことに対して、すごく申し訳ないって言ってたからなのかな。 いやいや、決めつけは良くない。 私は、三日月さんの言葉を待った。 誤解のないよう、ちゃんと最後まで話を聞こうと決めたのだ。 「……………あるじが、どうしても、俺がいい、と、いうので、あれば。……やっても良い、ぞ」 もごもごと小さい声だったが、多分そう言っていたと思う。 一応、全て聞き取れた。 「うん！ぜひ、お願いします」 私は、とくに不思議に思うこともなく、答えた。 だって、私の方からお願いしたんだし。 何もおかしいところは、ないよね。 私が答えたところで、目をまんまるくさせた三日月さんと、ようやっと視線が合った。 でも、またすぐさま反らされた。 ていうか、顔ごとぐりんって擬音が付きそうな勢いで反らされた。 「………あいわかった」 顔ごと反らしたまま、小さな声で、三日月さんは返事をくれた。 返事はさっきよりも早かったが、顔は全く見れていない。 あれ？ちょっと傷ついちゃったぞ、審神者さん。 まーね、確かにさ。 嫌いじゃない、とは言ってくれたけど、好きだとは言われてないんだもんね。 ってことは、私は『嫌い』ではないけど、『好き』でもない立ち位置って意味になるよね。 『嫌い』から、大きく前進したと思ったが。 実際のところ、大した一歩でもなかったということなんですね。 たはー、道のりは長いなぁ。 後で宗三に皮肉とともに慰めてもらおっかな、と三日月さんからそっと視線を外したら。 ぽんっとはじける音がした。 これは、結構うちの本丸では聞き覚えのある音。 桜が咲いた音だ。 でも、さすがに室内に桜の木はない。 そうして、自然の桜はポップコーンのようにはじける音で咲くわけもない。 今のように、はじける音のものは、刀剣男士が戦場で誉を取ったり嬉しいときに咲く特殊な桜だ。 ただいま執務室にいる刀剣男士は、三日月さんただ一振り。 と、いうことは？ いうことは？ 私が、再び三日月さんに視線を戻せば。 三日月さんは、なぜか立て膝の状態で、狩衣の袖を思い切り振って、空気を払っていた。 ぽん、とはじけた桜が、彼の周りに咲くなり、素早い動きでそれを払っている。 でも、桜の咲くスピードの方が速く、三日月さんの手は追いついてなかった。 私と目が合うと、はっとした顔で、口をぱくぱく。 なんか、げっ！ヤバいもん見られた！って顔をしていた。 ……私、最初からここにいたんだけどなぁ、ていうか、ここ、私の執務室なのに。ぐすん。 「ち、が…！…違うっ、これは、そのっ…」 あれ、よく見たら、真っ白い綺麗な肌が、赤いような気がする。 三日月さん、なんで私に桜見られて照れてるんだ？ 刀剣たちが、桜をぽんぽんひらひら、なんて今に始まったことじゃないはずなんだけどな。 「ばぐだ、ばぐ」 「…バグ？」 刀剣男士の桜のバグなんて、初めて聞いたぞ。 それよりも、三日月さんがバグって言葉を知ってる方が驚いたかも。 普通だったら、バグよりも、具合が悪いとか、熱があるとか、風邪だとか、そういう方向に説明するはず。 …んん！？ 「え、三日月さん、風邪引いてるの！？」 「はっ！？」 だったら、顔が赤いのも、バグという最先端な言葉を知っているのも、素っ頓狂な声をあげたのも、納得。 そうかそうか、刀剣男士は風邪をひくと感情的なメーターがぶっ壊れて、感情関係なしに桜が出るのか。 あー、風邪なら、三日月さんが顔を一生懸命反らしていたのも、うんうん唸っていたのも理解できる。 私に心配かけまいと、すごく気を使ってバレないように、具合悪いのを隠してくれていたんだよ、きっと！ 「ごめんなさい、三日月さん。具合悪いのに、呼び出したりしちゃって！」 「いや、主、これは、違っ…」 「どれどれ、お熱、ちょっと測りますよー」 「！」 三日月さんが呆気に取られている隙をつき、私は彼の前髪をかき上げて、自分の額をくっつけた。 びくっと肩を揺らして硬直する三日月さんに、この時の私は全く気付いていなかった。 「……あー、結構あっついかも、これ。知恵熱以上はありそう。…でも、刀剣男士の平熱以上って何度から？人間と同じ？」 三日月さんの額は、じわじわ熱かった。 私、わりと体温低い方だから、なおのこと熱く感じた。 間違いなく風邪だな、うんうん。 これは、薬研の旦那案件だ。 よし、薬研ドクターを呼ばねば。 私が、三日月さんの額からそっと離れた瞬間だった。 「～～～っだぁい！？」 まさかの、頭突き、食らいました。 目の前の、三日月さんから。 思わず、星が見えましたよ。三日月だけに。あ、全然うまくなかった。 ちょっと待て、馬鹿なこと考えている場合じゃないレベルで痛い、結構いたい。 これ、中傷だよ、正しくは生存２０切ったときの重傷間近な中傷だよこれ。 私が薬研の旦那案件なんだけどこれ！ 「俺の話を聞かないからだ、戯けが！」 畳にうずくまる私をよそに、三日月さんは立ち上がって執務室を出ていこうとしていた。 「うえ、ちょ、三日月さん、どこに？」 「……………、頭を、冷やしに」 「えっ、じゃあ私が手入れを」 「っ、結構！」 ぴしゃりと私の言葉を返し、随分と怒った様子で出ていってしまった。 痛みのあまりうずくまっていたため、部屋の障子がまた外れそうな音をたてて閉められていくのを、見ることしかできなかった。 ──おっっっっっかしいなぁ。 私の予定ではさ、近侍の件を快く受けてもらって、仲良し度アップでよきかなよきかな～という流れだったはずなのに。 なんで、桜バグって風邪ひいて、頭突きくらって戯けが！って罵られなきゃいけないの？ おかしい、なんかおかしい。 とってもおかしい。 「……やっぱ、私、嫌われてんじゃないの？」 あの時の言葉を、疑いたくはないが。 今の私の心情は、そうとしか思えず。 ずきずき痛む頭とともに、深い深いため息を１人きりの部屋でこぼすしかなかった。 [newpage] ※ここから先は、蛇に足をかいたもの（蛇足）です。 読まなくても全く支障ないです。 「ばぐだらけなんですねー、みかづきは」 「…」 「ばぐ、一杯だね、三日月殿」 「……」 「ほーう？こりゃ、えらく微笑ましいばぐなんだな、爺さん」 「………っ」 現在、三日月宗近は今すぐ刀解されたい心情だった。 簡単にいえば、消えたいというものである。 審神者の執務室から、一番遠くにあるはずである納屋まで逃げたというのに。 機動と偵察の高い短刀（今剣、小夜左文字、薬研藤四郎）は、ちゃっかり三日月を追いかけてきたらしい。 しかも、今までの審神者との会話もしっかりばっちり聞いていたという抜かりのなさだ。 未だに、三日月の周りをぽんぽんと飛び交う桜を見ながら、今剣と薬研はにやにやにたにた笑っている。 小夜にいたっては、真面目な顔で言うのだから、余計に精神的ダメージが大きい。 彼らは、全振、バグではないということを重々わかっていながら、そう言っているのだ。 性質が悪いったらありゃしない。 三日月は顔の上半分を手で覆い、はあ、と熱っぽいため息をついた。 その顔は、未だ赤いままだ。 むしろ、審神者と話していたときより、真っ赤といっていいだろう。 しかし、口元はひどく嬉しそうに緩んでいた。 三日月が、主である審神者を女として好いているということは、当本丸の刀剣男士全振が承知の事実だ。 好きであるが故に、うまく感情が制限できず、彼女にちょっかいを出してしまうことも。 つれない態度で、相手の気をひこうとしていたことも。 それらがすべて空回っていることも。 「でしたら、近侍を辞退していただけませんかねぇ。ばぐのあるような刀剣を彼女の近侍になんて、心配でなりませんから」 桃色の髪を揺らし、腕を組んだままこちらを見下ろしている宗三左文字が、最大の邪魔者であるということも、だ。 「……ばぐではない。お前もわかっているだろう？」 「いいえ？さっぱりわかりません。一度、こんのすけに頼んで徹底的に調べてもらいましょう。ついでに、政府に転送して二度とこちらに戻れなくしてもいいんですよ？」 僕には、その方が好都合です。 宗三は、妖艶な様をみせつけるように目を細め、くすりと笑みをこぼす。 とはいうものの、二色の瞳も、声も、全く笑っておらず冷ややかなのは、勿論三日月も気づいていた。 おかげで、三日月の身体の熱もすうっと引いていった。 ぽんぽん、と咲き誇っていた桜はもはや彼の足元に落ちているばかり。 宗三は、足元のそれを、容赦なく踏み潰した。 三日月の瞳が、細く鋭くなっていく。 「…今すぐ、引導を渡してやろうか。第一部隊長殿」 「貴方程度の練度で、僕に勝てるとでも？」 「生憎と、元来の値がお前よりもずっと高いのでな」 三日月が口の端をあげれば、宗三の片眉が跳ね上がった。 びりびりとした空気が、二振りを包む。 今にも抜刀しかねない雰囲気である。 事実、彼らは、それぞれ己の本体の柄に手をやっていた。 薬研、今剣、小夜の三振は、さっさと間合いから遠のいている。 もはや、あの二振の抜刀騒ぎなど、日常茶飯事であった。 驚きもしなければ、焦りもしない。 高みの見物よろしく、状況を楽しむ今剣や薬研はもちろんのこと、小夜ですらも、だ。 なぜか。 理由は、簡単。 すでに、例の部隊の気配があったからだ。 二振りの間合い、ど真ん中。 突如として、とても大きな鍬が振り下ろされた。 どちらかが一歩でも間合いを詰めていれば、あの鍬の餌食となっていただろう。 三日月も宗三も、あわてて下がって距離を取った。 「おや、ここは耕す場所ではありませんでしたね。失礼」 鍬を振り下ろしたのは、普段大太刀を自在に操る太郎太刀。 平然とした顔で、地面にのめり込む大きな鍬を起こし、肩に乗せていた。 「しっかりしてくれよ、太郎。そこの雅じゃない刀剣を肥料にしたところで、良い野菜ができるわけないだろう？」 野菜いっぱいの籠を手に持ち、軽い笑い声をあげているのは、歌仙兼定。 この本丸で一番に顕現された刀剣、いわゆる初期刀であった。 彼は、鍬こそ手にしていないものの。 畑に植えていた随分と太いズッキーニを片手でばっきりと折っている。 宗三も三日月も、さっと歌仙から顔を反らした。 歌仙と太郎太刀は、いわゆる彼ら二振りの喧嘩仲裁部隊。 練度は、当本丸で彼ら二振りだけしか到達していないカンスト組である。 つまりは、怒らせてはいけない相手、といえる。 「…さ、て。頭も冷えたことだし、主の元へ戻らねば。なにせ今日から、俺が、主の近侍なわけだしな」 「…、僕も、主から直々に、僕だけに頼んだ書類の続きをしなければなりませんね」 「……引き際をわきまえろ、魔王系未亡人もどきが」 「……それを貴方がいいますか、性悪系平安爺殿」 火花を散らして睨みあっている二振りに、歌仙は、わざとらしく咳払いをひとつ。 太郎太刀は、次は外すまいという意味をこめた視線を二振りに向ける。 今度こそ、身の危険をしかと感じたのだろう。 いがみ合いながらも、三日月と宗三はその場を後にした。 「全く。主の意識がないときは、一番彼らが狼狽えていたというのに、元気になった途端コレだ」 「ええ、本当に。もう少し仲良くしてくださると、こちらも助かるのですが」 「……天地がひっくり返っても無理だろうね。想像しただけで寒気がしたよ」 三日月と宗三がいなくなるなり、疲れた顔を隠さず表した二振りは、ため息とともに、畑へ戻っていった。 「…みかづきは、あるじさまのごかいをといたっていってましたけど、そっからでれたりしなかったということでしょうか？いまがせめどきのはずなのに」 「…さぁ？爺さんにも、色々事情ってモンがあるんだろ」 「じじょう、ねぇ」 「でも、兄様にちゃんすがのこってるのは、僕としては嬉しいかも」 「まっ、俺っちとしちゃぁ、楽しめればそれはそれで、よきかなってやつさ。はっはっは」 「はっはっはー」 今剣、小夜、薬研もそれぞれの仕事のため、さっさと戻っていく。 「…………なにあれ、修羅場？」 「まぁ、そうともいうかな」 「あー、ははは。蛍丸くん、初っ端から格好悪いところを見せてごめんね。実はアレ、うちだと日常茶飯事なんだ」 「日常茶飯事…」 「放っておいても大丈夫だよ。だいたいは、歌仙さんと太郎さんが締めてくれるから」 合戦先で運よく出会った蛍丸を連れて戻って来た、出陣部隊の堀川国広と燭台切光忠。 主である審神者に挨拶後、軽く本丸内を案内していたところで、あの三日月と宗三のやりとりに出くわしてしまった。 まだ、彼らと正式に顔合わせもしてない時点でアレに遭遇するとは。 堀川も燭台切も、苦笑いしか浮かばない。 「ふうん…」 緑色の瞳をぱちぱち、と瞬きさせた蛍丸は、先程出くわした自分の主を思い出す。 そうして、にこりと二振りに向かって笑みを浮かべて、可愛らしく首を傾げた。 「…俺も参戦しちゃおっかな？じゃーん、真のひーろー登場ってね」 「「頼むからやめて、お願いだからやめて！」」 燭台切と堀川は、冗談だろうと構わず本気で突っ込んだのだった。 ※無残に砕けたズッキーニは、三日月さんと宗三さんが美味しく（歌仙さんと燭台切さんの無言の圧力によって）食べました。

ツンな部分のみ練度カンストしている三日月さんと女審神者の話です。<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6448504">novel/6448504</a></strong>の続きとなってます。<br /><br />前作までの話に対しまして、フォロー、コメント、閲覧、ブックマーク、評価、タグ等々ありがとうございます！<br /><br />なんだか、前回のアレがとんでもないレベルで色々な方に見て頂いたみたいですね…！<br />恐悦至極です、めちゃめちゃ恐縮です、本当ありがとうございます。<br />四六時中にやにやして、無事不審者にレベルアップできそうです。<br /><br />戯けが！と言われるのを覚悟で、投稿して逃亡しようと思います。<br /><br />読む人を選ぶと思いますので、１頁目の注意を読んでから進んでいただけると嬉しいです。<br />ではでは、よろしくお願いいたします。<br /><br />追記<br /><br />デイリーランキング、女子に人気ランキングに何度かお邪魔させていただきました！<br />そして、タグ！！！！全裸待機！？続き！？<br />寒いから、せめてパン一の方が…いや、だめですねｗｗ<br />本当にありがとうございます。<br />皆さま優しくて、私は調子に乗ってしまいました。

天下五剣一、美しい刀に嫌われているみたいです。　下

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俺たちは、六つ子である。 正真正銘、同じ母親から生まれてきた一卵性の兄弟でさ、みーんなおんなじ顔、おんなじ体格。 そんな俺たちは子供の頃、ものすごいいたずら小僧で入れ替わったりなんてしょっちゅうしてた。 大人になってしまった今じゃそれぞれ個性が出てきて、言動なんかでわかりやすいと思うよー、まぁおんなじ顔なんだけどな。 そんな俺たち六つ子の、長男様をしているのはこの俺だ。 長男様をなめちゃダメよ？やっぱさぁ、長男ってだけで弟たちの面倒押し付けられるし、いたずらしたら一番に怒られるのは俺なんだよねー。俺が原因の時が多いのは事実なんだけど、さ。 そんな俺の苦労話、っていうか愚痴、聞いてくんない？ 弟に恋しちゃうとかさぁ、誰にも相談できないからここだけの話なんだけど。 さっきも言ったみたいに、俺は六つ子の長男、松野おそ松っていうの。 でね、その俺がうっかりなんでか、今でも不思議なんだけど恋しちゃったのが次男のカラ松。 あと４人弟がいるんだけど、割愛させてもらうね。 カラ松は正直言って「痛い」の一言に尽きる。尾○意識してるのはわかるよ？でもあぁなっちゃったのはわかんないわーお兄ちゃんにも分かんない。なんでそんな痛いカラ松を好きになっちゃったのかもわかんない。 でも優しいやつでさ、スッゲー面白いんだよな。痛いけど。 同じ体格のくせに筋肉あるし、背もたれにしてみると結構がっしりしてるのわかる。 まぁまぁ、俺がなんで好きになったのかとか、どうでもいいから。 んで一応俺思ったわけだよ、長男としてこれはどうなんだろうってさ。 俺ってばお兄ちゃんだよ？弟は血のつながった兄弟、ってくりゃ近親相姦！同じ顔！同性！の三重苦。 いやーこんなのかなうわけないじゃん。俺だってカラ松以外の弟に恋愛感情向けられても「無理」って言っちゃうよードン引きしちゃうに決まってる。 小学校の頃に好きだったオンナノコに向けた初恋より重い愛情、こんなの兄弟に向けられても正直困っちゃうよね。 だからさ、隠すことにしたんだ。 心の内側にしまって、いつかカラ松が好きな人と一緒になって、家を出ていく日までのんびり枯らしていくつもり。 いやぁ俺、さすがカリスマレジェンド！いいこと思いつくよね。 でもさ、やっぱり可愛そうだなぁって思っちゃうんだよね、俺の恋心のこと。だってほら俺自分大好きだから。 これから先、家族っていう近さの中で暗い暗い心の奥底にしまわれちゃうんだよ？やっぱ最後に思い出づくりしたいよねー。 ってことでカラ松のファーストキス、奪っちゃいまーす。 [newpage] 「え～チキチキ、第一回カラ松と事故チュー大作戦～！」 誰にも聞かれているわけはないが、自分を叱咤するために小声で宣言する。 俺の考えた完璧な作戦はこうだ。カラ松に想いを伝えることはしない、もちろんこれからのニート暮らしに安寧をもたらすためである。ってことは相手には俺がカラ松を好きだということがバレてはいけない。 そこで考えたのがこの方法、事故チューだ。 何を隠そう、事故だ。そう事故ですべてが許される。俺がカラ松のこと好きであるかどうかなんて関係ない、だって事故だもん。 そう自分の中で締めくくり、ターゲットを見据える。 カラ松は居間で鏡を見ている。飽きもせずよくやるものだという感想は今ここでは置いておく。そう、絶好のチャンスだ。 懲りもせずハロワに行くチョロ松には「何そわそわしてるのさ」と異様なものを見る目で見られたが気にしない。５分前にチョロ松すら追い出してこの家には俺たち二人だけなのは確認済みだ。 「カラ松～！お兄ちゃんと遊ばない？お馬さんでも魚でもどっちでも付き合ってあげるからさ～」 「おそ松悪いが今日は…」 「えっなになんか用事でもあるの？」 「己を磨くのに必要な時間はかけがえのないものだ……」 「要するに暇なんだろ？」 ただ単に今日は家から出たくないだけなのかコイツは動こうとはしない。もっとさ、俺にかまってくれるぐらいの弟力を発揮してくれてもいいのに。 まぁそんなことはどうでもいい、今重要なのはやっとチャンスができたということだ。 最近カラ松にべったりついてまわっていたが、どこかへ出かけるときは十四松かトド松が付いてくることが多かった。逆に家にカラ松がいるときは一松が家にいる、という具合に。いやー呪ったね、かーっわいい弟たちだとしてもこれは許せない。空気もっと読んで。 鏡から目を離さないカラ松にだんだんむかついてきた。なにそれ？自分の顔が好きなら俺の顔見てても一緒じゃないの？ 「ちょっと、カラ松こっち向いて」 「ん？どうしたブラザー、今日はやけに不機嫌なエンジェルじゃないか？」 「あっ、足が滑ったー」 「えっ」 「うおっおああああ」 何もないところで転ぶやつってどこにでもいるよな、ってな具合で俺は足を滑ったような演技をしながらカラ松へ覆いかぶさった。 しかしここで問題が発生した。俺が勢いをつけ過ぎたせいでキスなんかじゃ済まない勢いでカラ松との距離が縮まった。このままじゃぶつかって口のあたりが切れて血が出るんじゃ、と覚悟したとき、座っていたカラ松が俺の腕を引いた。 「大丈夫か、おそ松。怪我はないか？」 「あ、えと、はい」 「それは良かった、マイブラザーがその身に刹那でも天罰を受けることになったら、俺は自らの無力さを悔いるだろうからな」 「痛い痛い痛い！！！今のでアバラ折れた」 「えっ」 なんとカラ松は俺のぶつかってくる勢いを回転しながら受け止めた。遠心力、だっけ？一瞬すごかったけど覚悟していた痛みよりは大分ましだ。そんなことはどうでもよくて、その結果俺の体は仰向けで、背中にカラ松の腕が入り込み、ぶつからないように支えている。絵面だけで言えばお姫様を起き上がらせているようにも見えなくもない。 というか実際俺はカラ松のかっこよさに心底悶えていた。 力強い腕が体を支えてくれて、目の前１０センチにはカラ松の心配する顔。あ、やばい意識したら恥ずかしくなってきた。 「ちょ、とりあえずどけ。自分で立てる」 「そ、そうか？今度はすべらないように気をつけろよ兄貴」 「へーへーわかってますよ。あ、俺用事思い出したから、またな」 慌てて降ろしてもらい、心配しているカラ松に背を向ける。 赤くなってきた顔を見られたくなくて早々に居間から撤退した。 第一回、作戦失敗。 前回でうっかりどっきりぶつかり作戦は危ないということが判明した。おもに俺の心臓が、ドキドキで破裂しそうという理由でだが。 ということで次の作戦はこうだ。 カラ松を無理やり飲みに誘い、でろでろに酔ったフリをして「お兄ちゃんがちゅーしてあげよう！」ってな感じでファーストキスを奪ってやるのだ。いやーこれを思いついちゃう俺ってやっぱり天才だね、ビックになる男だね。 酔っぱらいのすることなんて真に受けるやつなんていないし、後から聞かれても「えー？酔ってて記憶ない」って言っちまえばそれまで。 善は急げということで、パチで増やした金を持ってカラ松を探す。 「あれ？カラ松いねーの？」 「さっきまたあの痛い服で橋のとこ行くっていってたよー」 パチンコで膨らんだ財布をポケットに突っ込んだまま家にあがり、居間へ顔を出すとそこに寝そべっていたのは末弟トド松。ちなみに部屋の隅に膝を抱えて猫と遊んでいるのは一松だ。 期待はずれ、調子が狂う。せっかくの意気込みがしぼんでしまった。 「あーそっかぁ」 「なに？クソ松に用でもあったの？」 「いや、そういうわけじゃないけど…」 実際は用というより戦略なんだけどな。 一松は訝しそうな表情をしているが、ここで金を持ってることがバレてご馳走をおごらされることだけは避けたい。 「……最近、アンタよくクソ松と一緒にいるね」 「あーそれ僕も思ってた。いつもうるさいくらい僕らに構えって言ってくるのに、カラ松兄さんが犠牲になってる分僕としては楽だけど」 「はー？トッティ何お前そんなこと思ってたの？傷つくー！」 トド松のはっきりとした物言いに涙が出てくる。もちろん嘘泣きだけど。 いやぁ兄弟ってやっぱ無意識に空気読んじゃうだろうか。 「ま、俺が最近カラ松と仲いいのは偶然だってぇ、お前達みたいに邪険にしないからお兄ちゃん甘やかしちゃうってのもあるかなー」 「えー甘やかすなら末弟の僕でしょ、おそ松兄さん！今度飲みに連れてって」 「お前のおごりなら」 「なんでだよ！そこは長男が奢る場面でしょ」 疑問を投げかけてきた本人である一松は「ふぅん」と一言、もはや興味もなさそうに再び猫の相手をしだす。 聞いてそのまま放置かよ、と思わないでもないが掘り返されて困るのはこちらだ。 「あ～もううるさいねぇ、さっさと退散しますよー」 奢らせようと目論むトド松を適当にいなし、カラ松を探しにまたも家を出る。 とりあえず橋まで行ってみるか、とちょうど家の門を出た辺のところで偶然カラ松が帰ってきたようだった。 「あ、カラ松～どこいってたの？」 「あぁ、おそ松。いや、まだ見ぬカラ松girlに会いに行っていたのさ…。ふっ、シャイな子猫ちゃんたちばっかりだったがな」 「へー、そ。お前今から暇？暇だよな？」 「ん？あぁ、今日の予定はこれからマミーのつくった愛情のdinnarを嗜むつもりだが…」 「あーもういいから、そのキャラやめて。母さんにはうまいこと言っといたから俺と飲みに行こうぜ」 相変わらず痛い喋り方してるし、今日も逆ナンはされなかったようだ。諦めちまえばいいのに。 戸惑ってるカラ松の手を引き家の反対方向へと引っ張る。 「ま、待ってくれ。俺は奢るほどの金を持ってない……」 「だいじょーぶだいじょーぶ！俺今日懐があったかいんだよねぇ。そういうことでお兄ちゃんがおごってやっから感謝しろよ」 言いくるめると複雑な顔をしながらも大人しく付いてきた。 ちぇ、なんだよもっと嬉しそうな顔しろよな。そこまで嫌がられるとさ、俺ばっかり好きみたいじゃん。事実だけど。 着いた先はちょっとお高い個室制の居酒屋。 以前にも大勝ちした時に入ったことがあるので、店員さんの案内に迷うことなく付いていく。 カラ松は俺が選んだ店にたいそう驚いたらしく無言のままだ。 「こちらのお部屋になります、注文の際はベルでお申し付けください」 「はーい」 良い子の返事をしながら対面の座席へ座る。 畳の感触が気持ちいい、やっぱりここはいい店だよなぁ。 「ありゃ？カラ松ー？すわんねーの？」 「……あ、あぁ。座らせてもらう。……その、おそ松。よくここに来るのか？」 「んー？いや、大勝ちしたときにちょっと奮発してきたことがあるだけだよ、って言っても今日で二回目～」 なんでそんなことをきくんだ、とメニューを見ていた俺はカラ松に顔を向ける。 思った以上に悩んだ風貌で、俺は何かやらかしたのかとあせる。 「え、なに？この店好みじゃなかった？」 「いや、さすがマイブラザーの選んだbarだ……。嫌いじゃない」 「もーなんなんだよ、ほら、じゃあ注文決めっからなんか適当にたのめよ」 「Thanks、……前は誰と来たんだ？」 注文を受け取ってウロウロと目を彷徨わせながらカラ松はそんな疑問をぶつけてきた。なになに、もしかして俺がほかの弟に奢ったって思ってんの？抜けがけとか思うんならお前も同罪だってーの。 「前～？俺一人にきまってんじゃーん。この俺が理由もなくわざわざがめつい弟たちに奢るなんて思う？あ、とりあえずビールとつまみ盛り合わせふたり分お願いします」 ベルで呼び出した店員さんに最初の一杯を注文すると、個室には沈黙が広がった。 あれ？俺なんかまずいこと言った？カラ松そこは安心して「やっぱり兄貴はクズだな」って笑うところよ？ 「おそ松…その、いや、まぁいい。ありがとう」 「なんだよ気持ち悪いやつだな……ま、今日はいっぱい飲もうぜぇ！次男様の苦労話でもなんでもきいてやっからよ」 「フッそうだな…長男の愚痴にも付き合ってやろうじゃないか」 途端いつもの調子を取り戻した次兄とともに、タイミングよくやってきたビールを持ち上げ、 「「乾杯」」 ホントはグラスぶつけちゃダメってどっかで誰かが言ってた気がするけども、俺たちはいい音を響かせて乾杯した。 酒を飲むペースがだんだん早くなるにつれ「あぁ～これ酔ってんなぁ」って俺には自覚が有る。 自覚があるぶん正体保てないほどには飲まないのが俺だ。外でどれだけ飲んでも家には帰れるくらいで留めておく。 まぁ今日に限っていえば、作戦のこともあるので演技だとバレない程度にはリミッターを外す気でいたのだ。 そう、過去形である。 何を隠そう、カラ松がこんなに質の悪い酔い方をするとは思ってなかった。 チビ太のとこだと弟たちを介抱するためなのかしっかり意識を保っていたはずだ。しかし今俺の膝の上にいるこれはどう説明がつくのだ。 「か、カラ松く～ん」 「……ん、なんだおそ松」 「お兄ちゃんのお膝の上、そんなにきもちい？」 「あぁ、最高の寝心地だ。これこそheaven……安寧を許されたただ一つのoasis……」 「うん全く意味わかんない」 宴もたけなわ、お酒が入って気分をよくした俺は酔っ払ってキスをするためにカラ松の真横に座り直した。「長男の酒が飲めないのかよ」って、ウイスキー片手に肩を組んでカラ松に無理やり飲ませたのだ。 俺も酔わなきゃなんないし、もちろんコイツだって記憶ないほどに酔ってしまえば万々歳。 猫を可愛がるように頭を撫でながら「飲んで飲んで！ほらぐいっと～！」と茶化してしまえば、こっちのもの。 「だと、思ってた俺が馬鹿……」 ものすごく後悔してる。だってカラ松が酔うとこんな甘えたになると思わないじゃないか。 とろんとした顔でニコニコと笑みを絶やさない。俺の膝枕の上で全身をあずけ安心している様子は一言で言うと。 「すっごいかわいい……」 母性をくすぐられるって言うの？ギャップ萌えって言えばいいの？普段から弟たち可愛いって思ってるけどこんなに素直に甘えられちゃうと兄性以上のなにか、そう母性をくすぐられちゃってるんですけど！ カラ松への恋心をなくすための作戦なのにこれ以上新たな魅力を発見させられてどうするんだよ。 「もーカラ松ってば、ほんと……なんなの……」 「んぅ？どうした兄貴。……いやか？」 「ううん、むしろ楽しい。一周回って泣きそうだけど幸せ」 「……泣くのか？」 心の中で母性の俺が発狂している俺は気がつかなかった。カラ松が起き上がって俺の顔を覗き込んでいたことに。 「マイハニー、お前にはいつまでも笑っていて欲しい」 「へ、あ？」 「それでも涙をこらえきれないのなら俺がその雫を残さずすくい取ってやろう」 頬にがっしりした男の手が当てられていると認識したのと酒臭い匂いが鼻腔を掠めたのとは同時だった。 ちゅ、と目元で音がした。反射で目をつぶったが、これは。 「～～～～～～っなに、して」 「うごっ」 目元にキスをされたのだ。条件反射で殴ってしまった俺は悪くないと思う。腹を殴ったので胃の中のものを吐き出さないか心配だが、俺たちは頑丈にできてるはずだ。 案の定顔は酒のせい以上に熱を持っていた。くそくそくそ！計画が丸つぶれじゃねーか、この頭空っぽのカラ松が！ げしげしと足で重たい体を膝から落とし、トイレへと逃げ込む。 顔を水道でじゃばじゃばと洗いながら、多少落ち着きを取り戻した頭で考える。 「誰と間違えてんだあいつ……」 酔っていたとはいえ、あの言葉は誰かに向けた言葉に間違いない。たまたま近くにいた俺を見間違えた、のだろう。性別を超えて間違えるなんて救われない馬鹿だろ。 多少滲んだ涙は水道水でごまかした。 個室に戻ると意外にもカラ松は復活しており、ぼんやりと一点を見つめていた。 気まずくないようにあえて明るい声を出して話しかけてやる。 「たっだいま～あれ？起きたの」 「っ！あ、あぁ。すまない、さっき、俺……」 「なんだよあれだけ酔ってたのに覚えてんの？いやーお前ああいうの気をつけろよ？俺だったからまだいいものの、本命の子以外にしちゃ、誤解されるって」 「え……？」 「うんうん、何も言わなくったって俺はちゃあんとわかってるよ～？どこでしりあった子だよ、教えろよ。応援するから、な！」 「おそ、松…何を勘違いしているのか知らないが……」 「は？勘違いぃ～？いやいやお前絶対好きな女の子いるでしょ！恋愛相談とか乗るよ？酒の席だし、相談してみろって」 「だから！好きな女の子なんていない！」 邪魔されるとでも思っているのか頑なに否定ばかりを挙げてくる。正直に言えよ、俺だって辛いの我慢して言ってるんだし！ 「むーかーつーくー！何、カラ松。お前俺に言えないことあるの？あーもう！いつからこんなひねくれた子になっちゃったのかねぇ！さっきまでのかーわいいお前はどこいったの？やけ酒しないとやってらんねー！」 またもや沈黙を決め込むカラ松にしびれを切らした俺は、手当たり次第にテーブルに残っていた酒を喉へと流し込む。 「おっおそ松！そんな飲み方すると……」 「うっせばーか！からまつのあんぽんたん！いっぺんおんなにだまされてみぐるみはがされろ！」 「意外と的確に心抉ってくるな！じゃなくて、俺の話を……！」 あっ、これはダメだわ。 自分でもアルコールを摂取しすぎたことに気がつく。 目の前がぐるぐると渦を巻いて天井と床が逆転したような気分だ。 眩しすぎる視界の中、最後に見えたのは心配で仕方がない、といった表情のカラ松だった。 ざまーみろ。 [newpage] 第二回事故チュー作戦は失敗に終わった。 二日酔いでガンガンと悲鳴をあげる脳みそを抱えながら布団の中へと潜り込む。 トイレから戻ってきた後、俺も酔っていたんだと思う。だからカラ松に好きな人がいるんじゃないかと思ってむしゃくしゃして、あんな蛮行に及んだ。 「兄さ、おそ松」 「んん～なに、いま頭で大合唱中だから静かにして」 「す、すまない。昨日は勝手に財布の中身で支払ったぞ、とそれだけ伝えようと思って」 「あー……いいよいいよ、気をうしなった俺が悪いし」 「すまん」 「ハハッなんでお前が謝るんだよ。……ちゃんと連れて帰ってくれてありがとな」 「礼には及ばないぜ、ブラザー」 根が優しいこいつのことだ、勝手に俺の財布の中身で支払ったことに罪悪感があったのだろう。金がないって言ってたカラ松を「奢るから！」と連れてきたのは俺なのに、律儀なやつだ。 あまり長話をするのも俺に悪いと思ったのか、カラ松はそのまま足音を立てずに部屋から出てった。 「俺ってほんとクズだなぁ」 頭痛と吐き気のせいにして涙が一筋こぼれ落ちた。 結局その日はベッドからまともに出ることができずに、俺の胸に墨汁を垂らしたまま、数日が過ぎていった。 でも、俺は懲りない。だって夢はビッグなカリスマレジェンド、偉大なる長男様だから。 作戦第三弾はまだ思いついていないが、その場で機転をきかせばなんとかなるでしょ、と楽観的に構えていた。 っていうのは言い訳で、ただ一緒にいたかっただけなのもあるけど。 今日はカラ松は家にいるはずだ。 ドタドタと足音を立てながら家中を探し回ると、床の上で寝ているカラ松がいた。 いつもならソファで寝ているのに、珍しいこともあるものだ。まだこの季節に昼寝するには寒いだろうと薄手の布団を引っ張り出し、カラ松にかけてやる。 「ったく、手間のかかる弟だな～俺に感謝しろよ」 すやすやと気持ちよさげに眠るカラ松の顔を見ていると眠くなってきた。睡魔でぼーっとした頭は思考力が低下していたのか、何も考えずにカラ松のとなりへ潜り込んだ。限界が来ていたのか一瞬で夢の世界へと旅立った。 「……おそ松？」 「…ん……？」 誰かに声をかけられて、意識が引き上げられる。重たいまぶたを根性で開き、目の前にあるのはカラ松の顔。 「なぁに？」 まだ半分寝ぼけているのでろれつがしっかり回っていない。甘えたような声が出てしまったが、ぼんやりしている俺は大して気にすることもなく目をこすりながらカラ松を見上げる。 「んぐ…か、かわ……いや、なんでもない。布団をかけてくれたんだな、ありがとう」 「ん～ああ……いいよいいよ。それより寒い」 カラ松が体を起こしていることで布団にすきま風が入ってくるのだ。寝起きの俺はその感覚が気持ち悪く、カラ松に戻るように急かす。 「いや、俺はもう……」 「俺が寒いの！黙ってカイロになれよ」 「はぁ……今回だけだぞ」 「んふふ～カラ松いい子だねぇ、俺カラ松好きー」 「……冗談でもタチが悪いな」 戻ってきた暖房具に気分をよくした俺は先程以上にくっつくために抱きつく。おい、と停止を求める声が聞こえたが、もちろん聞こえないふりだ。 ぎゅむ、っと抱きついていると目の前にカラ松の顔があることがわかった。困ったような、でも優しい表情がそこにはあった。こう言う奴だから好きなんだよなぁ、と思うと同時に閃いた。 今、ここでチューしてもじゃれてるだけだと思わないか？いやいや俺だったらそう、猫がじゃれてるみたいなもんじゃん？ノーカンだよね。自分を猫に例えることは人間としてのプライドに響くが、もともと自意識がゴミみたいなものだ。 思い立ったらすぐに行動できる俺はカラ松の首に腕を回し、逃げられないようにホールドする。 もうこれ事故チューじゃないな、故意でしかない。 「いい子のカラ松にはちゅーしてあげましょう～」 「は、おそま」 唇が触れたのは一瞬だけ。俺を制止する声ごと封じて拒絶される前に飲み込んでやった。 思ってたよりやわらかかったな、もっと味わってみれば良かったかも、なんて大役を終えたばかりの俺はのんきに構えていた。 さぁ俺の恋心よ、これで悔いは残るまい。苦節一週間ばかり、失敗を重ねついに勝利をもぎ取ったぞ。カラ松への思いなんて全て忘れて、 「おそ松、洒落にはならないぞ」 いらだちの混じる声に心臓が掴まれた。 ふわふわした思考は一瞬で覚め、優しかったはずのカラ松はただただ険しい。 「か、カラ松～？そんな怒んなって！冗談じゃん！ノーカンだよノーカン！ほら俺だって前一松に…」 「そういうことを聞きたいわけじゃない、これはどういうつもりだ」 なんだよ、じゃあどういうことだよ。俺相手じゃ、怒るほど気持ち悪いってことなのか。俺だってどういうつもりって、そんなの言えるわけないし。心臓が麻縄で締め付けられているように痛みだす。 「えーっと、あ、そうだお前、好きな人いたんだっけ？ごめんねぇ、お前そういうの操立ててそうだし、やっぱり最初は好きな人としたかったよなぁ。俺のことはノーカンって相手の子にも伝えといてよ」 「いや、ファーストキスは…既に……、いや、今はそんなことを言える立場じゃないが」 その言葉に俺の高くない沸点をいらいらが通り越し、目の前が真っ赤になった。 「はぁ！？なに？もう付き合ってんの？キスとかしちゃう仲になってんの？ふざけんなよ！最初から言えばいいだろ！」 「え、お、おい」 「あー何それ俺もうバッカみたいじゃねぇか！恥かかせやがって！俺ただの当て馬じゃん？悲劇の主人公にもなれねぇよ！出来レースなんてなーんも面白くねぇよ、このカラッポ頭！」 感情が溢れ出して、口を閉じろと理性が命じているのに止まらない叫びを撒き散らす。カラ松は唖然として暴言にすら反応できてない。あ、どうしよう泣きそうだ。 歯を食いしばって上をみて目に力を込める。昔の歌にもあったよな、上を向いてあるこう、涙がこぼれないようにってさ。 「……おそ松、泣いているのか？」 「こんのクソ松、こういう時だけ六つ子の神秘発揮するのほんと空気よめねーな」 もう限界だ、こいつに一矢報いて俺の辛さの何倍もの報復をしてやる。辱められた俺の恋心のための弔い合戦だ。 カラ松の襟首を引っつかんで引き寄せる。未だ戸惑ってるこいつは何をされるかも予想が付いていないだろう。 上を向いていられなくなったせいでこぼれた涙が頬を濡らしたが気にしない。 「せいぜい罪悪感に苛まれろクソ童貞！」 「んっんん！？」 先程も触れ合ったはずのカラ松の唇に噛み付いた。血でも出してやろうかと思ったが、舌で唇をなぞるだけにとどめておいた。 「ハッ、ざまあみや……」 口を離して、さぞや最悪な気分でいるだろうカラ松を睨みつけようとしたが叶わなかった。 「ふ、んっ、んんっ…は、ぁ」 カラ松の力強い腕に体を押さえ込まれ、抵抗できないまま床に押し付けられる。キスをされたままで。 なぜかコイツは舌まで入れてきやがった。なにこれ？俺の身に何が起こってんの？カラ松がヤケにでも走ったの？ そろそろ息苦しくなってきて、全身を使って暴れだすとあっさりとカラ松は体を引いた。 「は、あ……ちょ、なに、してんのお前」 「それはこっちのセリフだ。お前がひどい勘違いをしているようだから、改めてやろうとおもってな」 「はぁ？かんちがいぃ～？これで俺が納得できなかったらお前と一生兄弟の縁切るから」 「それは困るな……。まぁいい。落ち着いて聞いてくれ、俺はお前が好きだ」 「うーん？お前が兄弟大好きなのは知ってるけど」 「そうじゃない」 何を当たり前のことを今更。カラ松がブラコンなのは誰が見ても一目瞭然、まぁ俺もブラコンの中に入るかもしれないが。 「何が違うって言うのさ」 「俺は、ひとりの男として、おそ松を愛してしまったんだ」 「………は？」 「いきなりこんなことを言われても戸惑うかもしれないが、事実だ。俺は兄弟なのに、お前を、おそ松を恋愛対象として見てしまったんだ」 「え、っと、いや、だってファーストキスは済ませたって……」 「……これは言いたくないんだが、お前の不安を晴らせるなら俺は恥をも隠さない…」 「あ、今そういうのいらないから、真面目に離さないと殴るよ」 また痛い言葉で喋られると俺のアバラがサヨナラしてしまう。既に脱力感に苛まれていることには目をつぶろう。 「おそ松が寝ているときに……」 「はぁ？ってことは俺の寝込みを襲って勝手にちゅーしたってこと？」 「う、身も蓋もなく言えばそういうことだ」 「なにそれこわい！怖すぎる！」 いつだ？どんなときにされていたんだ？っていうかまさかの両思いなんて出来すぎやしないか？もしかして俺まだ夢の中にいるんじゃないか？ 「おそ松、俺の気持ちは伝えた。お前はどうなんだ？俺に自らキスをしたってことは、期待していいのか？」 「………納得いかねー」 既に確信があるのか、自信満々に問いかけてくる。あーその顔まじうざいわ。はっ倒したい。 でもね、カラ松お前はあと一歩遅かったんだ。多少の意地悪をしても許されるだろう。 「カラ松のこと、好きだったよ」 「おそ松！じゃあ、」 「だけど俺はさっき失恋しちゃったの、だから今は好きじゃない」 「え」 「だからさぁ、また俺を惚れさせてみろよ。それくらいできるよな？カーラ松っ！」 いつもいたずらをする時みたいに鼻の下をこすりながら茶目っ気たっぷりに言ってやる。 ほんとは嘘に決まってる。失恋したからはい、そうですかなんて気持ちの踏ん切りがつけられるわけがない。カラ松のことは今でもすきだ。でもこれくらいの意地悪は許して欲しい。 「お、おそ松、待ってくれ。う、うそだよな？」 「俺が嘘ついたことあった？」 「今まで幾度となくついてきたと思うんだが……」 「あっはは、まぁせいぜい頑張って～」 「お、おそ松ぅううう！」 めちゃくちゃ焦ってやんの、スッゲー面白い。その面白さに免じて意地悪する期間短くしてやってもいいかも知れない。 俺が我慢できなくなるだろうから、なーんて。 自己中だけど許してくれよな。ダーリン！ [newpage] 「なかなか意地悪だよねぇおそ松兄さん」 「兄さんの性格からすればまだまだ続くんじゃない…？フヒッ」 はーい！僕は松野家末弟、松のトド松。ちなみに僕の独り言に返事を返したのは四男の一松兄さん。 僕らの眼前ではおそ松兄さんがカラ松兄さんの背中に寄りかかってマンガを見ている。対してカラ松兄さんは「うっぐっう……どうしたら振り向いてくれるんだおそ松……」とべそをかいているよ！イッタイよねぇ～。 「一松兄さん、あれ見てイライラしないの？すごくもどかしくない？」 「クソ松ざまぁ、って感じだから。さすが兄さん」 あーそうだったねぇ、一松兄さんは口には出して言わないけどおそ松兄さん大好きだから。ま、僕も人のこと言えないけど。 一応ぼくら兄弟はお互いのことは他人よりは大好きなブラコンである。全くの赤の他人より兄弟優先するのって普通じゃない？え、違うかなぁ？ そんなことはいいとして、一週間前までは二人とも片思い同士だった長男次男がいい感じに進展してるみたい。もちろん兄弟の中でホモとかちょっと、って思ったりしたけど僕らの兄が幸せそうだからそこはもういいかなって。 おそ松兄さんったら少し前まで生まれたばかりの雛鳥みたいに「カラ松どこ？」って聞いてくるし、カラ松兄さんは急に距離を詰めてきたおそ松兄さんに挙動不審になってたもん。 結局上手くくっついたのはいいけど未だカラ松兄さんはおそ松兄さんに手を出せていないらしい。ビビリだよねぇ。 「もう一回惚れさせろ」って言われてそのままの言葉を受け取るほうがどうなのさ、って思うけど仕方ないよねカラ松にいさんは。頭空っぽだし、合意じゃなきゃ手を出してはいけないって思ってるみたいだから。 「バカップル見てると僕も早く彼女作りたくなっちゃうよね～目に毒！」 「クソ松の鳴き声うるさいから処理してきていい？」 「おそ松兄さんから背もたれとったらうるさいよ？」 「……猫に餌やってくる」 一松兄さんが仕方なくこの空間から離脱した。我慢の限界なんだろう。 あえてあのふたりの邪魔をしないことがぼくら残りの４人の思いやりかな。 あっでも、おそ松兄さんもほどほどにしとかないとまたこじれてめんどくさいことになるから早く素直になってあげてよね。 近いうちに理性をなくしたカラ松兄さんに押し倒されても助けたりしないからね！

次男への思いを断ち切るために事故チューを目論む長男の話。<br /><br />長男の頭の中がお花畑です。<br />自己責任でお願いします。

自己中な事故チュー

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ご注意 成り代わり小説です ブラック本丸要素が入ってます 折れる、折られる表現入ります 夜伽表現入ります 許せるかたはどうぞ [newpage] とある始まりの本丸にて…… 「主殿」 「あれ？山伏じゃん。どったの？」 「以前ドロップしたが勢いよく折った拙僧が居たであろう」 「う゛……っ。あれは本当にごめん。あのとき山伏ばっかりドロップしてたからつい」 「いや確かに連続20回ドロップは主殿も辛かったであろう」 「うん、普段あそこまでお前来ないしね。んでそれがどうかしちゃった？ヤバかった？」 「うむ。あの拙僧は本霊が色々加護を与える拙僧であったらしく……」 「え゛ぇ゛」 「まさかドロップして審神者が手にした瞬間に折れられるとは思っていなかったらしく」 「ごめんなさい」 「しかも分霊歴5分であったと」 「本当にすみません」 「それで流石に本霊もこれは………と思ったそうでな」 「あー……なんか罰が下るのかな（震）」 「ふむ、庇いきれずにすまない。主殿」 「いや自分が悪いし……皆にも迷惑かけちゃうな。至らない主でごめんね」 「主殿…………っ」 「審神者としてアレはダメだったと思う。さぁ山伏言ってよ。どんな罰でも受けるよ」 「これよりこの本丸全員は「ソイヤッサ！」として喋れなくなる」 「はい？」 「これよりこの本丸全員は「ソイヤッサ！」として喋れなくなる」 「まて、待って、待ってください」 「これよりこの本丸全員は「ソイヤッサ！」として喋れなくなる！さぁ主殿覚悟を決めよ」 「ちょ、ま、おま、それは……おい！」 「ソイヤッサ！」 「ソイヤッサぁぁああああああああああああああああああああああああああああ？！」 [newpage] 【亜種】うちの○○ってどうなの？！24【男士】 ・ ・ ・ 660 ななしの審神者さん まだかー！！ 661 ななしの審神者さん パイン早くしろ！ 662 ななしの審神者さん いやいや時系列順に全部とか安価取っておいてそりゃないだろ はやくしろ 663 パイン ≫662てめぇも催促してるんじゃねぇよ 3→2→1→4の順でいくぞ 3、痛くないからってそのままにしないで！！～手足が無かろうと普通に生活～ 心が折れそうになるからグロ耐性ない奴は見るなよ これは山伏さんの練度上げ中に起こった事件だ（現在進行形） 通算100個めにあたる我が本丸での山伏さんの練度上げはとってもスムーズ！ 普通は初めて身体を持った刀剣男士が四苦八苦しながら身体の使い方を覚えて、技を磨いていくのが常なんだけど、山伏さんは既に身体の使い方とかバッチグーだからもうジャンジャン誉は取って行くし直ぐ特付きになりましたー そんなある日のこと進軍するときは練度差はなるべくないようにしてるんだけど、やっぱりどうしても5程度の差が出ちまうもんで一番練度が高かった次郎姐さんが誉取りまくっちゃってその時10差が出来ちゃってた。 あれ？これヤバくね！？って思って撤退指示出そうとしたとき、奴らは空気を読まずにやってきた。そう検非違使コノヤローだ。 みんななんとか検非違使倒して戻って来たんだけど重傷4名中傷2名のヤバい感じだった。 その時のメンバー：太郎、次郎、岩融、蜻蛉切、厚、山伏 んでやっぱ手入れって重傷な奴らからするじゃん？ 重傷メンバーは大太刀組、薙刀、槍とか言う資源超使う奴らだったから資源が一気にな？ そんで山伏が「先に厚殿の手入れをなされよ。なに拙僧は後回しでかまわん」ってね言ってくれてもうホント申し訳ないけど厚の手入れさせてもらった 短刀だった厚でも重傷よりの中傷だったからかなり資源喰ったしもうヤバかった 中傷でも流石に両足ぶっ飛んでたからさ、もう痛々しいのなんのって 結果：全員の全快する資源と山伏の手入れ用の資源が足りない／(^o^)＼ 664 ななしの審神者さん ／(^o^)＼ 665 ななしの審神者さん ／(^o^)＼ 666 ななしの審神者さん ／(^o^)＼ 667 ななしの審神者さん ／(^o^)＼ 668 ななしの審神者さん ／(^o^)＼ 669 パイン 資源に多少余裕持ってるうちでもこの痛手には資源がすぐに底をつきました。はい。 既に手入れしてる組も今の重傷・中傷をよくする位にしか資源が足りない！ ってかそもそも山伏さんを手入れ始められる資源がない！！ すぐにみんなに遠征行って貰って資源かき集めるからぁぁああああああって土下座したら「なにそんな慌てなくても大丈夫である。これくらいの中傷ならば出陣・遠征してもなんとかなるゆえ、拙僧の手入れはゆるりとで構いませんぞ」って言うんです そんな中傷の山伏さん 包帯ぐるぐる巻きの左腕右足骨折、その他色々打撲、刺傷、肋骨とかも折れてるよね？っていう中傷よりの重傷だったわけです 骨折してるところ変な向き行ってるからね？包帯で巻いてるところ血がにじみ出てますからね？喋ると途中でゴホゴホッてしてたまに血をペッてしてますからね？ ゆるりとか出来ないからぁあああああああああああああああああああああああああああ 絶対出陣とかさせられないからぁああああああああああああああああああああああああ 670 ななしの審神者さん いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 671 ななしの審神者さん ふぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ 672 ななしの審神者さん やめてぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええ 673 ななしの審神者さん マジ山伏やめろください 674 ななしの審神者さん 軽傷＜中傷＜重傷 軽傷：軽い打撲、切り傷等 中傷：骨折、切断、酷い打撲等 重傷：起き上がるのが困難または意識不明の大怪我 675 ななしの審神者さん やめてぇえええええ！平和な世の中で生きていた俺たちにそれは視覚的暴力ぅうううう 676 パイン まぁみんなそうなるわな んで最低人数本丸で待機、他みんな動ける人で遠征して貰って資源かき集めるわけだ 内番も停止するし、本丸の生活機能は全て資源かき集め隊に移行されました 厨番の光忠も歌仙も堀川もみんな遠征して殆ど本丸には誰もいないって状況が出来た 俺も無駄に余ってる給料で万屋に資源を買いに行ったわ んでもってさ、会計中に『山伏：重傷』っていう脳内にテロップが流れて「ファッ！？」ってなるわけですよ 急いで本丸に戻ります、そうするとですね 「えぐっ……えぐっ……休んでくれぇえええええええええ！！頼むから布団に入ってくれぇえええええええええええ！大将ぅううううううううう！！うえぇえええええん！！」 「兄弟ぃぃいいいいいいい！なぜそうした？！動き辛いから！？当たり前だろう！！手足が折れていたんだから！！無理に動こうとしないでくれ！うっうっ俺が写しだからか？！写しだから兄弟を止められないのか？！うわぁあああああああああん！！」 大泣きで家事をしている山伏さんを止める厚とまんばの姿が目に入りました 山伏さんそんなに家事がしたかったのねー だからって折れてた手足斬って傷口辺り縄で縛って止血して、右足に義足替わり的な棒ぶっ刺してるわけですね。わかりますん。 え？傷口から止血してても血が出るから火で炙って止めるかどうしようかって？ あははは、やめて？主命だからやめよう？ やめてぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ 677 ななしの審神者さん 678 ななしの審神者さん 679 ななしの審神者さん 680 ななしの審神者さん 681 ななしの審神者さん 682 ななしの審神者さん 683 ななしの審神者さん 684 ななしの審神者さん 685 ななしの審神者さん 686 ななしの審神者さん 687 ななしの審神者さん 688 ななしの審神者さん 689 ななしの審神者さん いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 690 ななしの審神者さん ひぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ 以下悲鳴が続く ・ ・ ・ 737 ななしの審神者さん ブラック本丸マジ許さん………っ 738 ななしの審神者さん 手入れしない癖して血で床が汚れたら体罰とかマジふざけんな 739 ななしの審神者さん 笑顔で「これならどこも汚れずに色々できるであろう。これも修行の成果である」と語る山伏マジ山伏 740 ななしの審神者さん コレたまたま見ちゃったうちのまんばが山伏のひっつき虫になっちったじゃねぇか！ 暫くひっついてください。俺もひっつくわ 741 ななしの審神者さん うちの厚が「俺が手入れを先にされたからか？山伏の手入れを先にして貰えたらこうはならなかったのか？」ってブツブツ言ってるんだけど、コレ違う本丸の話だから！！ 大丈夫！ウチは余裕ありすぎるくらい資源はたっぷりあるでしょ？！ 742 パイン なんか他の本丸にも異常をきたしてるみたいですまん あの後、全力で山伏を寝かしつけて急いで集めた資源で手入れしまくったさ 以後資源は練度最高値の大太刀6振り集まっても手入れできるくらい資源に余裕を持って出陣するようになったよ 山伏さんは重傷よりの中傷でも手入れはしなくていいって言って普通に家事とかしてるからマジ目が離せられない みんなまずはじめに山伏さんの手入れからしてくれって言うようになったわ あと1ヶ月くらい厚は山伏の背中に大好きホールドでひっついてたし、まんばもカルガモよろしく後ろを着いて回ってたぜ んじゃちょっと笑える話と行こうか 2、噛み付く戦闘狂、一晩立てば雌となる さて戦闘狂と言えば誰でしょう？ 743 ななしの審神者さん 同田貫 744 ななしの審神者さん たぬき 745 ななしの審神者さん たぬたぬ 746 ななしの審神者さん だぬき 747 ななしの審神者さん 同田さん 748 ななしの審神者さん 御手杵 749 ななしの審神者さん 兼さん 750 ななしの審神者さん 同田貫たぬたぬ 751 ななしの審神者さん 大倶利伽羅 752 ななしの審神者さん やっぱし同田貫じゃね？ 753 ななしの審神者さん 圧倒的同田貫率 754 パイン ハイ、大体の人正解の同田貫先輩です まぁ3の事件もあって同田貫先輩は山伏のことが気に入らない様子だった 言い分的には「弱い癖して他人に迷惑かけるとか何様だ。それにチャラチャラした雰囲気が気に食わねェ！」だそうです まぁ最初はツンデレだとして後半は山伏さんの色気が出す雰囲気の所為かな？ 2の事件が起きるまでは大分色気を抑えててくれたみたいで、なんていうの？ホストがたまに見せる色気程度って言うのかなー？ＣＭとかでチラッと見れる芸能人の色っぽさ的な程度だったわけだ あぁあの頃が懐かしい 別にチャラチャラしてるってわけじゃないんだけど、戦闘狂な同田貫先輩から見たら演錬のときの相手面倒臭い女審神者に対する態度（ただ女性の喜ぶ仕草を知ってるだけで無意識発動山伏さん）とかうちの女子力高い組にしてあげる行動（髪を結う、着付け、化粧、ネイル等が超上手い）とかがチャラチャラしてるみたいに映っちゃったらしい あと男に対しては厳しめだから余計そう見えちゃったのかもな 全部ブラック本丸の所為だからぁあああああああああ！！女対応凄いの絶対そいつらのせいだからぁあああああああああああああ！！って言っても聞いてくれない んである昼下がり勝手にブチ切れる同田貫先輩 ってかやるなら執務室の前でやるなよ！嫌々書類整理手伝ってくれてるその日の近侍の御手杵の手が止まっちまったじゃねぇか！！ 「テメェのそのチャラチャラした態度が気に入らねェ！！」 「女性にはああした方が円満に進むのだが駄目であったか」 「俺たちには適当な癖してなんだ唯の女好きってか？修行僧の癖してふざけてんなぁ？」 「ふむ……同田貫殿たちに対しても丁寧に扱ったほうがいいのであるか？」 「あ゛ぁ？丁寧ってなんだよ？俺たちゃ男だぞ。まっ女好きのお前にそんなことできたらやって見ればいいんじゃねぇの？」 「なるほど。拙僧も“普通”に対応するのは些か不慣れな故“普通”を出来る限り励んでがやはり無茶であったか。修行が足りんな。以前にあった同田貫殿たちには“ソレ”はやめろと再三言われたが、そうして良いのなら修行が足りない己も大丈夫である」 「……………ん？」 「時に同田貫殿」 「え、なんだよ」 「右と左どちらが好きであるか」 「え」 「右と左」 「え、あ、み、みぎ？」 「では拙僧は左であるな。得意中の得意である。フッ……任されよ、同田貫殿」 「え？は？…………ん゛ん゛？！」 さっと嫌味にならない程度に同田貫先輩の傍に近づく山伏さん。 スッと流し目で目線を流し今までのさっぱりにっかりした笑い方は何処へやらフッと男臭いけど色気がある笑みを携え同田貫先輩の腰をスマートに抱く山伏さん。 目を白黒させ全身真っ赤に染める同田貫先輩に耳元で何かを囁く山伏さん。 そのまま奥の離れへ消えていく2振りを見つめることしか出来なかった山伏さんの色気に中てられその後の業務が出来なくなった俺と御手杵。 前の本丸の同田貫たちが止めたってどういうこと……って思ったら次の日からヤバかった。これはマジで止めてた同田貫たち正解だわ。 うん。1、色気爆発常に腰砕ける俺たち　でしたわ 次の日は腰が立たないとかで山伏さんに同伴されて朝餉に来ましたー。 同田貫先輩から妙に雌臭い色気出してみんな唖然としましたけど？！ 身体がダルだろうからって山伏さんも手ずから食べさすのやめて！なんか居た堪れない！ それからソフトタッチが増えましたね？！ みんなソフトタッチされるごとに身体がビクビクしてますよ？！ 超男の色気全開の山伏さんの一挙一動にみんな前屈みで腰砕けですけど？！ 流し目ずるい！！無駄に汗かいた姿様になる！！芋ジャーでもカッコいいんだぜ！？ やめて短刀たちも居るからやめて！！ 内番一緒になると誉桜降らせる貴方たちはナニ？！え？ファンクラブ？！ ってか最近離れに誘う刀剣の皆さん増え過ぎじゃないですか？！ んで離れから出てきたら山伏さんにしな垂れて出てくるのやめてーー！ 厚も後藤も「俺たち大人の男にしてもらったぜ」って誇らしげに言うのやめてくれー！！ 山伏さん「安心されよ。短刀たちは兄刀の許可が下りた者達のみである」ってやめろ！ ってか誰だよ！許可出した兄刀いるんですね？！ 博多と陸奥が妙に生き生きとお金数えてるんだけど？ え？山伏さんの写真集が良く売れる？お前ら本丸で山伏さんの写真集とか出してるんじゃないの！！やめなさい！！ そして誰だよ！買ってる奴！！マジふざけんな！でも俺にも1冊ください！！ うちの風紀が乱れてるぅぅぅぅうううううううううううううううううううう 同田貫このやろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお 755 ななしの審神者さん ｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗ 756 ななしの審神者さん ｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗ 757 ななしの審神者さん ちょｗｗこれはｗｗｗｗ ファンクラブとか出来てるｗｗｗｗｗｗｗｗ 758 ななしの審神者さん 途中まで「同田貫、おま……っ」って感じで見てたけど最後まで行くと「同田貫ｗｗｗちょｗｗｗｗパインの本丸ファー――ｗｗｗ」ってなったｗｗｗ 759 ななしの審神者さん ≫758おれおま 760 ななしの審神者さん 右か左かｗｗｗ 受けか攻めかですねｗｗｗｗどこ知識だよｗｗｗ 761 ななしの審神者さん もし左って言ってたら受けっぽい山伏さん見られたのねｗ それもどうかと思うけどｗｗｗヤバいｗｗ 762 ななしの審神者さん 厚と後藤が大人の男になってる、だと……。 ってか許可出した兄刀は誰だｗｗｗ 許可求めた弟刀はどいつだｗｗｗ 763 ななしの審神者さん でもちゃんと“男”ではあるんですね┐ 許可ってどこまでの許可ですか？)┐ 764 ななしの審神者さん ≫763足が出てるぞ 765 763 擬態するのが難しいからホモォになってもおｋ？ 766 ななしの審神者さん ≫763頼むからそのまま擬態して潜んでてください 767 ななしの審神者さん ≫763お前が擬態崩したらホモォに占領されそうだからやめろください 768 ななしの審神者さん そして山伏さんの写真集を売って金儲けする博多と陸奥ｗｗｗ 769 ななしの審神者さん お前も欲しいんかい！パインｗｗｗ 770 パイン 欲しいよ！！ 俺だって男の色気欲しいもん！！ これ見ろよ！！ 【雨に濡れながら頭襟を外して片手で髪を掻き上げている山伏の写真】 【ジャージのファスナーを下して着替えようとしている山伏の写真】 【戦場で刀をペロッと舐めて敵を射抜かんとばかりに先を見詰める山伏の写真】 771 ななしの審神者さん 772 ななしの審神者さん 773 ななしの審神者さん 774 ななしの審神者さん 775 ななしの審神者さん 776 ななしの審神者さん 777 ななしの審神者さん 778 ななしの審神者さん 779 ななしの審神者さん 780 ななしの審神者さん 俺にも写真集ください 781 ななしの審神者さん 俺にも写真集ください 782 ななしの審神者さん 俺にも写真集ください 783 ななしの審神者さん 私にも写真集ください 784 ななしの審神者さん 僕にも写真集ください 785 ななしの審神者さん 国広の下二人が「兄弟の写真集！！！！」ってちょ、うるさい！ 786 ななしの審神者さん うちの兄貴に憧れる奴らが写真集写真集煩い！！俺だって欲しいわ！！ 787 ななしの審神者さん うちの山伏が「違う拙僧はこうも違うのか……主殿その……」ってえ？山伏も欲しいの？私も欲しいやら買えたら一緒に見ようか 788 パイン 売りません 789 ななしの審神者さん orz 790 ななしの審神者さん orz 791 ななしの審神者さん orz 792 ななしの審神者さん orz 793 ななしの審神者さん orz 794 ななしの審神者さん なんでだよ！！今月の給料半分出すから売ってください 795 パイン 給料のはんばｓｄｆｊか；お4 ほんなこつなんか！？ そんなら売っちもよか！！さｓｄｆｊｋｌ；ｌｋ 博多！！やめふぁｄｓｆｋぁ； 796 ななしの審神者さん ｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗ 797 ななしの審神者さん ｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗ 798 ななしの審神者さん お前らｗｗ直接話せｗｗｗｗｗ 799 ななしの審神者さん キーボードの奪い合いｗｗｗｗｗｗｗｗ 800 ななしの審神者さん はｗかｗたｗｗｗｗｗｗｗｗｗｗ 需要？ 壁|)≡ｻｯ!!

|ωﾟ)ﾁﾗ|ﾟд)ｿｫー|彡　ｻｯ<br /><span style="color:#bfbfbf;">.<br />.<br />.<br />.<br />.<br /></span><br />前回思わぬ好評に続きを書いてみました。<br />勢いで書いているので皆様の期待に応えられているかどうか微妙なところです。<br />友人がずっと「続きは？」「続きは？！」「続きはいつ書くの？！」って滅茶苦茶怖いんですけど（）

これも修行である！―色々極め過ぎた山伏さん2―

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比企谷「ここで、良かったよな……？」 　春一番の強風も収まり、次第に冬から春へと移り変わっていく時期のことだ。某女王から急な呼び出しがあったのは。 三浦『ちょっと相談乗って欲しい事あるから、明日この場所に来るように』 　俺の都合全く無視のこの文面に、小さく溜め息が漏れる。確かに他に用事があるわけではないが、相も変わらず強引な呼び出しである。三浦からの呼び出しはいつもこうなので、同居人の駄目姉妹に説明するのが大変で仕方ないのだ。最近は何も言わなくなってきているが、それはそれで何処か怖い。信頼されているからだと思いたいところだが……。むん。 　それに別に相談ごとくらいLINEなりメールなりですれば良いと思うのだが、こうしてわざわざ呼び出すということは、それ相応に大事な相談なのかもしれない。 　一旦ここで、俺と三浦の関係を整理する。 　今年の初め、失恋したことによって自暴自棄になっていた三浦を俺が保護したことが切っ掛けで、俺と彼女の付き合いは始まった。 　付き合いと言っても男女の関係という意味ではなく、たまに買い物に引きずり回されたり、相談を受けたりしたりというものだ。三浦が言うには、あまり気を使わなくて良いし壁に話してるようなもん、と俺に言っていたが、それはそれでどうなのだろう？ 　まぁ悪く思われていないようなので良しとしておこうか。なんだかんだ三浦も楽しそうにしているし。むん。 　ただ、ここ最近は結構なペースで呼び出しがあるので本当に勘弁して頂きたい。 　駄目はすの受験が終わったことである程度時間が取れるようにはなったが、それでも駄目姉妹の面倒やらで時間はかなり削られている。たまには家に帰ってくれと切に願っているのだが、最早我が家同然に住み着いているため、もうほとんど諦め気味だったりする。あぁ、話が逸れた。 三浦「あっ、ようやく来た。ヒキオおっそいし！」 比企谷「いや、一応前にお前に言われた通り集合時間20分前に来たんだが……」 三浦「あーしより後に来てる時点で遅いし！」 比企谷「何その暴論怖い」 　一緒に出かけるときは、いつもこんなやり取りから始まる。 　集合時間前にはちゃんと来ているのだが、大体こいつは俺が来るよりも早くここに着いているので、俺は今まで一度もこいつより早く来れた事がない。次は1時間前位に来てやろうかとすら思うが、それでも先に来てそうで怖い。 比企谷「んで、今日は何の用事なんだ？ 相談とか聞いたが」 三浦「ん。今日はあーしの事じゃなくて、友達のこと。ちょっと相談があるみたいで、ヒキオの力を借りたいわけ」 比企谷「はい？」 　三浦の友達とな？ 　まぁ確かにこいつは交友関係広いし、女王気質、ではなくリーダーシップ持ってるからそういう相談をされることは頷ける。 　ただ、何ゆえそのことを俺に相談するのか。自慢ではないがぼっちだぞ俺は。そんな頼られても力になれるか分からんぞ。 三浦「あ、噂をしてたら来た来た。海老名、こっちこっち」 　……ん？ 　何か今飛んでもない名前を呼ばなかったか？ 　三浦が俺の背後に向かって軽く手を上げて呼んでいるが、俺自体は硬直し動けなくなっていた。 　蘇る。あの京都での竹林が。別にもうわだかまりがあるわけではないが、やはり強く印象に残ってしまっているので、名前を聞くと直ぐに出てくるのはあのシーンだ。まぁ、お互いタブーみたいな扱いだし、ここは頑張って心の隅に押し込もう。頑張れ八幡負けるな八幡。言ってて思ったけどキモいなこれ。 海老名「はろはろー、優美子。それにヒキタニ君も久しぶりだねー」 比企谷「お、おう。久し、ぶ……り？」 　逃げられないと覚悟を決めて振り返ると、なんとそこにはとんでもない美少女がいた。 　髪の毛は高校の頃に比べて少し伸びただろうか。肩口よりも少し下の部分まで髪がかかっている。 　眼鏡も赤ぶちの地味なものではなく、少し知的に見える半フレームのものになっている。てか何で俺そんなに海老名さんのこと覚えてるんだろキモい。 三浦「……なーに鼻の下伸ばしてんのヒキオ」 比企谷「いってぇ！？」 　俺が海老名さんを見たまま停止していると、三浦に思いっきり脛を蹴られ現実に引き戻された。 　いかんいかん。俺とした事が不覚だった。流石三浦だ。もう少しで昔の俺に舞い戻ってついうっかり告白して振られるところだった。振られちゃうのかよ。しかも二回目だよ振られるの。 三浦「まぁ、見とれるのもわかるけど。海老名ったらすっごい綺麗になったし」 比企谷「お、おうおう……」 　動揺してオットセイみたいな返事になっちまったよ。でも許して欲しいと思う。マジで驚いているんで。 海老名「あ、あはは。そんなに変わったかな私？」 　照れくさいのか、少し顔を赤く染めてポリポリと頬を掻いている。うーん。なんか高校の頃とイメージが全然一致しない。 　もう少し腐っていたような気がするのだけど。 三浦「それじゃ。あーしは用事あるからそろそろ行くね」 海老名「うん。ありがとう優美子」 比企谷「は？」 　はい？ ちょっと待って？ 相談あるって言ったのあーしさんだよね？ 何ゆえいきなり離脱？ 投げっぱなしなの？ 放任主義なの？ 　三浦は用事終わりと言わんばかりに帰ろうとするので、慌てて腕を掴んで止める。頼む待ってくれ説明を求む。 三浦「ん？ どしたのヒキオ？ さっき言ったじゃん。今日はあーしの事じゃなくて友達の事で相談だって」 比企谷「いやいや。それは知ってるけどなんで帰るんだよ。お前の友達なんだし、ちゃんっと立ち会えよ。何ゆえ俺だけ残されねばならんのだ」 海老名「あー、ヒキタニ君ストップストップ。今回のことで頼んだのは私なの。だから優美子のせいにしないであげて」 　どうどうと言わんばかりに、肩を両手でポンと叩かれる。 　やけにその仕草が絵になるので、ついドキリと心臓が跳ね上がりそうになる。一応同居人に負けず劣らずの美女たちがいるのだが、あちらは色々駄目なので対象外に位置づけされている。そのため、異性としては全く意識してはいない。 　ぐぅ……忘れてたあれやこれやが蘇りそうでつらいぞこれ。 三浦「んじゃ。あーしは本当に行くから。あとは海老名よろしく」 海老名「うん、了解」 比企谷「よろしくするの普通俺じゃないですかね……」 　結局美少女と化した海老名さんと二人並んで三浦を見送る事になった。てかさっきからやけに心臓の音が激しい。いかん。これは本当にまずい気がしてくる。 海老名「じゃ、ちょっと長話になるから近くの喫茶店に入ろ？」 　くいっと袖を引っ張られ、そのまま喫茶店へと連れて行かれる。まだ相談受けるの承諾してないんですけどね……。まぁ三浦の頼みだし、断ったら後が怖いからちゃんと受けますけどね？ ――――― 海老名「こうやってヒキタニ君と二人で話すのって初めてだよねー」 　喫茶店の少し奥の席に向かい合って座ると、海老名さんはニッコリと微笑みながらそう言ってくる。マジで美少女オーラ出てて辛い。あの腐ったオーラは何処にいったのん？ 解雇したのん？ 比企谷「……で、相談ってなんなんだ？」 　このままではまずいと思い、早めに切り上げようと本題へと切り返る。さっさと家に帰って駄目人間達の世話をして元に戻らねば、また黒歴史を生産してしまいそうなのだもの。 　でもなんか間違っている気がする。 海老名「ふふ。やっぱり変わらないね。そうやってどうでも良い人になら素直になれるところ。そういうところ、すっごい好き」 　いつか何処かで会話したような内容を彼女は言う。 　でも最後の言葉微妙にニュアンス違うくない？ 気のせいだよね？ 海老名「あ、ごめんごめん。話逸れちゃったね。えっとね、相談というよりお願いなんだけど……す、少しの間ヒキタニ君に私の彼氏役になって欲しいんだ」 比企谷「……は？」 　おい？ 今この人何とおっしゃいました？ 彼氏役？ 彼氏焼く？ あ、海老名さんの彼氏を焼けばいいのか。すまんな戸部。恨みはないが燃えてくれ。そもそも戸部と付き合ってるかどうかすら知らないけど。いや、そうではなく。 比企谷「……理由を説明して欲しいんだが」 海老名「……うん。今私さ、大学で漫研に入ってるんだけど、やっぱりこういう界隈って彼女欲しい男の人が多いみたいで、良く詰め寄られて困ってるの。男同士で詰め寄ってくれたりしたら嬉しいんだけど、私に詰め寄られてもねぇ」 　あ、なんだちゃんと腐ったままじゃん。会話の節々に腐のオーラが見え隠れしてるぞ。なるほど、擬態能力をさらに高めたというわけか。漸く納得がいった。 比企谷「つまり、男除けで俺の力を借りたいと……」 海老名「あはは。うん、言い方は悪いけどそういうこと」 　うーん。やけに重い話題を振ってきたなぁ。やはりこの人はまだ彼氏とかを作ることには抵抗があるみたいだ。人それぞれだし、仕方のないことだとは思うが。ただ本人が美少女である以上、そういう男は後を立たないだろう。確かにそうなるとつらそうに思えた。 比企谷「てかそれなら戸部はどうした戸部は。あいつなら喜んでやるだろ」 　そもそもあいつまだ海老名さんの事好きなのかね？ 言っておいてあれだけど。 海老名「あー、うん。確かに戸部っちなら協力してくれると思うけど、その……できればヒキタニ君の方が……」 　最後の方は聞き取れなかったが、海老名さんは何処か言いづらそうに目を背ける。ん？ どうしたんだろうか。俺が訝しげに思ってると、彼女はコホンと小さく咳払いする。 海老名「私の今日の相談はこの事。私腐ってるからさ、やっぱりまだ男の人とお付き合いするのには抵抗があるの。それに、それにさ……ぐ腐……」 　ん？ なんかとっても嫌な予感がしてきたぞ？ 俺の鍛え抜かれた駄目センサーが警笛を鳴らしている。即座にこの場から逃げろと言っているぞ？ 　海老名さんは何やら小刻みに震え、気のせいか眼鏡も曇ってきている。そして背後には腐のオーラが……？ 比企谷「え、海老名さん？」 海老名「やっぱりヒキタニ君よりすごい男の子なんていないんだって！ だって受けでも攻めでも誰が相手でもカップリングが成立する天才だよ！？ そんな男の子、大学に行っても一人も会えなかったし！ だからヒキタニ君以外に考えられないの！ こんなこと頼めるの！」 　ぐわんと、顔を一気に詰めよらせ、カップリングを熱烈に語り始める。 　先ほどまで漂わせていた美少女オーラは何処へ行ったのか。人として駄目さを全開で曝け出す彼女とは対称に、俺は静かに瞑目する。 　あぁ……結局この人も駄目人間の一人なのか、と。 　割と真剣に諦観の念に包まれていると、海老名さんは即座にシラフに戻り、申し訳なさそうに顔を沈める。 　……すげぇな。駄目のオンオフが俺の知る駄目人間たちの中でも群を抜いてるぞ。 　まぁ高校時代から鍛え抜かれてるから、キャリアが違うと言えば違うのかもしれないな。 海老名「ごめんね。すっごい勝手な事頼んでる自覚はあるよ。でも、こんな事頼めるの本当にヒキタニ君しかいないの」 　本当に困っている様子に、俺はどうしたものかねと考える。 　駄目人間たちの世話もあるし、さらに問題を抱えるとなるとそろそろ過労死する可能性すらある。 　でも海老名さんも海老名さんで駄目人間の一面あるし、そう思うと放っておけないような気もする。 　それはそれでどうなの？ とは思うが、駄目人間を世話する事が最近のアイデンティティーになりつつある俺は、もう正常な判断が出来なくなりつつある気がする。 　これマジで大丈夫なのだろうか。 比企谷「……見られたら困る奴いるから、その時ちゃんと説明手伝ってくれるならいいぞ」 　結局承諾してしまった。 　まぁ仕方ないね。駄目な子を放っておくことなんて出来ないのだもの。やっぱ駄目人間だなぁ俺。 　そして見られたら困るのは何よりも小町と駄目はすだ。 　最近あの子達の目ガチでやばいのだもの。駄目姉妹は家出ないし、問題はないが。 海老名「ほ、ほんと！？」 比企谷「おう」 海老名「あ、ありがとう比企谷君！ うん！ ちゃんと結衣には説明しとくね！」 　はい？ 何ゆえ由比ヶ浜？ まぁ、友達だからそういう説明するのも普通か。むん。 　心底嬉しそうに微笑む海老名さんを見ながら、俺も苦笑しつつコーヒーを口に持っていく。 　全く、何度も思ったけど、本当に駄目人間だなぁ……。 To be continued.

駄目乃さんシリーズにございます<br /><br />今回はトナカイ作品において何かと美味しい位置にいる彼女が登場<br /><br />こちらは本当に平和である

腐り果てたその先に

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ボンゴレ10代目には、こんな噂がある。 曰く、 「ドン・ボンゴレに関わると死ぬ」と。 ボンゴレ10代目の存在は裏社会においても多くの謎を持つ。 ファミリー以外にドン・ボンゴレの姿を見た者はおらず、 その素性は容姿、年齢、性別に至るまでまったく明かされていない。 だからこそ、ドン・ボンゴレ10代目の噂話は絶えないのだ。 年の頃はまだ10代だとか。 その姿は10年以上変わらない不老不死の妖怪だとか。 古豪のイタリアン・マフィアでありながら他国の血の者だとか。 穏健派でありながら歴代随一の戦闘力を誇るとか。 戦場においては敵地を焼け野原にするほどであるとか。 猛獣を飼いならして散歩させているとか。 ドンに就任してから10年ほどであるが、彼の武勇伝は常人の一生分に足るものである。 また、そんな彼の正体を探ることは一種のタブーとされてきた。 探ろうとする者は翌日には地中海の真ん中で浮かんでいるのが見つかり、 実際に知った者はこの世から影も形も残さず消え失せると言われている。 彼の存在を知ることは死に直結するものであった。 そして、そのすべての処刑は彼の優秀なる部下たちが行っているらしい。 それがまた一段とドン・ボンゴレの正体を謎で覆い隠しているのだ。 ドン・ボンゴレには忠実な7人の幹部がいる。 彼らもまた、表舞台に立つことはほとんどないが、ドンには及ばないにしても噂が多い。 爆発物を扱える犬がいるとか、 裏社会随一と称される剣士スクアーロと並ぶ剣豪がいるとか、 他のファミリーでボスを務めるものが幹部の座に甘んじているとか、 獰猛な獣がいるとか、大量殺人鬼がいるとか。 どんな人間であっても彼の手にかかれば赤子同然に従うしかないのだと。 そして、生き物のみならずドンは死神さえも使役していると言われている。 噂も武勇伝も上げだしたらキリがない。 それほどまでに彼の存在は注目されていた。 ドン・ボンゴレ10代目の存在はもはや世界の七不思議にすらなりつつある。 しかし、同盟ファミリーではまた違う噂もある。 曰く、 「ドン・ボンゴレは見たものを魅了する不思議な力がある」と。 ボンゴレファミリーと同盟を結ぶファミリーは多い。 国を問わず、新旧、大小、さまざまなファミリーがボンゴレの同盟に、あるいはその傘下に加わっている。 近年その数は万を超え、世界でも類をみないほどの巨大勢力となりつつある。 しかし、これほどまでに同盟が増えたのは綱吉が10代目に就任してからだ。 10代目はその驚異の統治能力とカリスマ性によって瞬く間に裏社会を手中に収めた。 まだ十代であった彼に世界中のマフィアが膝をつき忠誠を誓ったという歴史的な出来事は裏社会ではもはや伝説となっている。 マフィアにはとても見えない小柄で優しそうな少年に裏世界の重鎮たちが頭を垂れるさまは、一言でいうなれば異様で、とてつもないインパクトを見る者すべてに与えた。 また、当時離反が問題になっていた9代目の息子でボンゴレ独立暗殺部隊『ヴァリアー』のボス、ザンザスと三日三晩の死闘を繰り広げ、見事勝利を収めたという話も実しやかさ噂されていた。 彼はは初代の血を受け継ぐ最後の一人であり、その手腕は誰もが認めるところである。 初代譲りとされる武器のグローブも、ブラッド・オブ・ボンゴレを示す超直感も歴代の誰より10代目はドンにふさわしいことを証明していた。 もはや同盟の中に彼が遠く東洋の出身であることを蔑む者はいない。 もっとも彼のことを嘲笑したファミリーは一夜にしてすべて炎に包まれて消えたのだけれど。 同盟ファミリー内でもドン・ボンゴレを護る6人の守護者たちは有名だ。 ボンゴレには初代の頃から天候を司る守護者がドンを含めて7人いる。 それぞれが天候になぞらえた役割を持ち、ボンゴレとドンを守ってきた。 10代目の守護者はドンと同様、表舞台に出ることは滅多にないが、ひとたび彼らの一人でも戦場に立ったらば、そこはたちまち地獄絵図となる。 そんな個々人が一個師団並みの戦闘力を持つ彼らを御することができるのも、ひとえに10代目の強さと懐の深さゆえだ。 ちなみに同盟ファミリーたちがよく戦場で見る光景と言えば、暴れる守護者たちをドン自らが拳を以て地面に叩き付けたり、凍らせたりしている姿である。 また、彼への評価は見る者によって異なっている。 とある古参の同盟ファミリーの年老いたドンは、「あの子ほど心優しい子はいない」と ドン・ボンゴレを孫のようにかわいがり、 とある中堅の同盟ファミリーのドンは、「彼ほど強く誠実なものはいない」と 彼を良き盟友として慕い、 とある新参の弱小ファミリーのドンは、「あの方ほど恐ろしく、またすばらしい方はいない」と 彼を神のごとき存在と崇め称えた。 そんな語るものによって異なる印象を与えるドン・ボンゴレ10代目『沢田綱吉』。 彼が自らを呼び表すとするならば、 たったひとこと 『並』 と称することだろう。 [newpage] ☆★ さて、朝の作戦会議を終えた綱吉と獄寺、それから六道骸はホテルに呼んだタクシーに乗り込んで違うホテルへと向かった。 会談が行われるのは、宿泊したホテルとしのぎを削るライバルホテルで、こちらは宿泊よりもその他のサービスの手広さを自慢としていた。 そのひとつが、完全防御の会議室である。 紐育であったころから、この地では他人に聞かれてはまずい仄暗い取引が多く行われいた。 このホテルはそのための最上の場を提供できることを売りとしていた。 国と国、企業と官僚、マフィアと国家元首に至るまでありとあらゆる人間が密会のためにこのホテルを利用する。 ホテル内には特殊なルートをいくつかに分けて作り、エレベーターやトイレなどの公共空間においても、客同士が出会う事の無いような設計になっている。 また、それぞれの客には専属のボーイがひとり付き、顧客の情報を持つ人間を極力少なくしている。 紐育崩落後、HLとなってからはこれまでのノウハウに異界産の技術もプラスされ、ホテルに入ってから出るまでの間一切他の客を見ること、見られることなく過ごすことができるまでに進化していた。 まさに、密会にはもってこいのホテルなのである。 そんなホテルで、本日この日、イタリアンマフィア『ボンゴレ』と秘密結社『ライブラ』の会談は行われる。 さきに部屋に入ったのは綱吉たちボンゴレ側だった。 「会談は部屋に入った瞬間から交渉が始まる」という家庭教師の言に従い、 こういった場では常に交渉のイニシアチブを獲るために先制攻撃として先に席について相手を迎えるようにしている。 というか、綱吉がその家庭教師の言いつけによって喋れないので、できるだけ話す機会を減らすためにと獄寺が考えてくれた作戦である。 さて、定刻通りに会議室に現れたのは、骸の情報通りの熊のごとき大男と、痩身で顔に傷のある男だった。 クラウス・V・ラインヘルツとスティーブン・A・スターフェイズ。 ともに綱吉たちとそう変わらない年齢でありながら、未知の異界存在たちと日夜闘う秘密結社のボスとその副官である。 軽く互いに挨拶と自己紹介を交わして、席についた。 その間やはり綱吉は黙って表情筋を硬直させているだけだが。 綱吉は他人に名前を教えることがない。 というか、名を名乗ることに意味がないのだ。 綱吉は『沢田綱吉』であるよりも『ボンゴレ10代目』であることに意味がある。 それは、就任して数年でいやと言うほど学んだ。 ドン・ボンゴレという名の大きさと重圧。 だから、綱吉はこの場でただ『ボンゴレ10代目』であればいいのである。 獄寺に交渉を任せてただ座っていることに罪悪感はあるけれど、「適材適所」ということだ。 優秀な右腕のおかげで、綱吉はずいぶんと楽をさせてもらっていると思っている。 彼は綱吉が苦手とする難しい事務処理や交渉事を一手に引き受けてくれていた。 かつての彼は、着崩した制服で、いつも眉間にしわを寄せ、見る者すべてを敵と認識し喧嘩を仕掛ける、所謂不良と呼ばれる存在だった。 しかし、綱吉がボスに就任してからの彼はまるで別人のような変貌を遂げた。 きちりとスーツを着こなし、お気に入りだったシルバーは添える程度、なにより言葉遣いが彼ならぬ丁寧さを見せるようになった。 たまに綱吉の護衛としてともに会談に参加する山本が目と口をめいいっぱい開けて驚くほどの変化だ。 綱吉たち仲間の前では今でも変わらない態度だけれど、仕事で見せるその表情は守護者の仲で誰よりも変化している。 生まれ持った容姿の美麗さと、育ちの良さ、加えて大人の振舞いというものを身につけて獄寺は誰もが認める「ドン・ボンゴレの右腕」となったのである。 綱吉としては、そんな親友をありがたく思うと同時に少し心配にも思っている。 彼は綱吉のことを至上とするあまり、自らのことを蔑ろにしがちだ。 だから、イヤなことはないか、無理をしていないかといつも不安に思う。 いくら聞いても獄寺は「10代目のお役にたてることほど嬉しいことはないっすから」と笑ってはぐらかしてしまう。 綱吉が彼のためにしてあげられることは少ないけれど、親友として彼のためにすこしでも報いることができればと思うのだ。 実は、今回綱吉がHL行きを決めた理由の一つは、獄寺が行きたがっていたことを知っていたからである。 彼は決して言わなかったけれど、10年以上の付き合いのある綱吉にはよくわかった。 UMAやUFOといったこの世の不思議をこよなく愛する彼が、この街に来たくない筈がない。 それでも、彼はボンゴレの幹部として、綱吉の右腕としてここに来ることに最後まで反対していた。 彼の献身には頭が下がるばかりである。 しかし、綱吉が頭を下げれば獄寺は地面に埋まってしまうので、綱吉は多少無理を言ってでもHLに来るしかない。 危険は重々承知。 何が起こるかわからないHLへの渡航、護衛も少ない。 しかし、大概の危険は日常茶飯事で慣れているし、 護衛をつけて護衛の部下たちが危険な目に合うくらいなら、 自分一人で戦場に立つ方がましだと思うのが沢田綱吉という人間だ。 それに、いざとなれば自分一人のほうが戦いやすい。 守護者の皆は慣れているから自力で逃げられるが、普通の構成員たちは綱吉の戦闘についていけないのだ。 だから、戦うのは自分1人でいい。 そう思う綱吉である。 そんなことを考えていたら、あっという間に会談は終りに差し掛かっていた。 向かい合って座る『ライブラ』のボスとその副官が獄寺と話している。 たんたんと進んでいく話は綱吉からはどこか離れた世界で行われているようだ。 もとよりこの場が紛糾することなどない。 予め互いの立場はわかっていた。 『ボンゴレ』はHLに手を出すことなく件のマフィアを処分したい。 『ライブラ』はボンゴレと敵対せずに麻薬の流通ルートを潰したい。 この場はそれを確認し合うことと、そこに係る細かな事柄について調整する場である。 たまに獄寺は綱吉に確認をとるような動作をするけれど、これはただのポーズ。 実際綱吉はここで行われている話の内容についてすでに結論を獄寺に伝えているので この場で何かに許可を出したりすることはない。 今日は特に、会談そのものに波乱がないから綱吉は耳から入ってくる音をほとんど右から左に聞き流していた。 こういう時、ダメツナたる自分の無能さを痛感するけれど。 だからこそ、これからこの場を引っ掻き回してしまう自分を少し申し訳なく思う。 無事すべての事項を確認し終え、HLマフィアの末路については明晩報告すると言って、 ライブラの二人は早々に部屋から辞していこうとしていた。 いつもならそれを笑顔で見送るのが綱吉の仕事なのだけれど、今日という日だけはそうできない事情がある。 獄寺からの合図に、僅かうなずき、綱吉は閉ざしていた口を開く。 先生の言いつけを破ってしまうことになるけれど、責任は全部綱吉にある。 久方ぶりに出す声が掠れてしまわないように気を遣いながら。 『あの、ライブラにブルネットのくせっ毛で、糸目の男の子がいますよね？ できれば会ってみたいんですけど、お願いできますか？』 噛まないように、舌が縺れてしまわないように、どもってしまわないようにと気をつけて一言ひとこと丁寧に発音する。 会談前、「…それくらいなら、リボーンさんもお許しになるでしょう」とぎりぎり認めてくれた言葉だ。 失敗してしまっては彼に申し訳ない。 でも、最後にちょっとだけ 『彼がパイナップルに興味があるのであれば、是非ともご一緒したいです』 とだけ付け足したのは許してほしい。 それが、あの少年に真意を伝えるために一番有効な言葉だと思うから。 突然の綱吉の発言に、巨漢と伊達男は一瞬キョトンとしていた。 まあ、そうなるよな。 綱吉は心の中で苦笑する。 今まで無礼にもずっと口を閉ざしていたやつが、いざ終わって帰らんとしていた時に突如口を開き、 しかもそれが割と電波スレスレの怪しい発言だったのだから。 それでも、妄言を吐いた綱吉に向こうの副官は即座に答えてくれた。 お手本のようなビジネススマイルで。 『ライブラもなにぶん構成員が多いもので…後ほど確認して連絡いたします。』 [newpage] ☆☆ 「はー、終わったー」 ライブラの二人が退室した後。 綱吉は情けない声とともに、両腕を投げ出して伸びをする。 時間にして約2時間。 身動ぎひとつせずにただ前を向いて笑っているだけでもなかなかどうして体力と気力を使う。 身体はすっかり強張ってしまっていた。 学校の退屈な授業すら苦痛であったが、大人になってからのこういった席はいっそう疲れるものだと思う。 革張りのチェアーに背中を預け、体中に溜まった息を吐き出した。 肺の底まで沈殿していた空気もすべて吐き出して、新しいものと入れ替える。 参加している気がしない話し合いの最中、綱吉は終始息を潜めている。 別にそんなことをする必要などないし、家庭教師からは「みっともない」と怒られるのだけれど、 生来の小心者根性が染みついた綱吉にとっては仕方のない事なのだ。 「お疲れさまです、10代目。」 「獄寺くんこそ、お疲れさま。今日もありがとう。」 「いえ、10代目のお役にたてて嬉しいです」 会談のすべてを取り仕切ってくれた右腕は疲れも見せずに綱吉に微笑みかける。 それに微笑み返して、綱吉は改めて先ほどまでそこにいた二人を思い出す。 HLという危険都市で「世界の均衡を守る」なんていう面倒くさそうな目的のために秘密結社を立ち上げたという 彼らはやはりそこらのマフィアとは違う。 歴戦の覇者のような風格と気品あふれる所作はさすがというべきか。 今日の会談ではボンゴレと同じように、ボスである大男、クラウス・V・ラインヘルツよりも 副官、スティーブン・A・スターフェイズがおもに交渉役を務めていた。 おかげでいつもより黙っていることに罪悪感はなかったけれど、向かい合う彼が放つ気迫は凄かった。 骸からもらっていた写真でも大きいことは知れたが、実際向かい合うと想像以上に大きい。 綱吉では大きすぎて余ってしまうチェアーに窮屈そうに座り、 優雅とも思える仕草で、カップを傾ける彼からは上流階級の気品が感じられた。 実際、大陸ではそれなりの名家の出身らしい。 同じ長でも綱吉とクラウス、ここまで違うと思うと少し悲しくなってくる綱吉である。 「それにしても…向こうのボスはかっこよかったね。 大きいし、黙ってても威厳あるし、何より強そうだもん。 秘密結社とか立ち上げるだけの事はあるよなー」 「そんな！10代目の方が渋いっすよ！」 即座にフォローしてくれる右腕に苦笑で返す。 獄寺の過ぎた贔屓目は申し訳ないが世間一般の基準としては使えない。 誰がどう見ても組織の長としてふさわしく見えるのはあちらの彼だろう。 自分の事を大切にしてくれる親友の気遣いはありがたいが。 綱吉は自分に関するうわさの一切を知らない。 しかし、獄寺をはじめとした部下たちはそれをよく知っていた。 裏社会でボンゴレ10代目がどれほど有名であるのか。 何故なら、その噂の大半は尾鰭がついて広がっただけのものだが、その尾鰭の大元は 誰あろう彼の家庭教師であるリボーンが流した噂であるからだ。 綱吉という存在が、世界の絶対的秩序となるように。 そういう意図をもって彼が作り上げ、流布には獄寺たちも一役買っていた。 あくまで噂ではあるけれど、ほとんどは事実である。 綱吉自身の強さや武勇伝についてはほとんど誇張していない。 人間性については、リボーンの戯れでやや曲解されて伝播しているが。 綱吉が内心恐縮しきりの会談にしても、 影で『ドン・ボンゴレは微笑みひとつで交渉を巧みに操る術を持っている』と噂されている。 本人の認識はどうあれ、余裕を湛えた笑みで場を弊睨している(と思われている)綱吉の存在は、相手にとって充分脅威であるのだ。 「あの少年の件についても、何かわかるといいですね」 「うん。ごめんね、獄寺くん。突然わがまま言っちゃって。 オレが話さない方がいいって、わかってるんだけど…」 「いいえ、10代目はボスなんすから。もっとわがまま言っても良いんですよ」 獄寺はそう言っていつも綱吉を甘やかす。 リボーンがいないから今日はよりいっそうだ。 あの少年のことをライブラに聞いてもいいかと尋ねた綱吉に、獄寺は少し困ったような顔をしながらも了承してくれた。 おかげで普段発言権を持たない場でも落ち着いて声が出せたのだ。 ボスでありながら情けない話ではあるが。 「このまま何事もなくおわってくれたらいいね。」 「そうっすね 。…ま、大丈夫でしょう。」 獄寺は綱吉を安心させるように、中学生の時と同じににかっと笑ってみせる。 ライブラの二人はすぐにこのホテルを辞したけれど、 綱吉たちボンゴレはもう少しこのホテルに留まることになっている。 それもこれも秘密保持のためである。 ホテル内のプライバシーは完璧でも、外に出るとそうもいかない。 同時に出れば誰が誰と会っていたのか、情報屋の連中があっという間に突き止めてしまう。 秘密であればあるだけ、情報には価値がつく。 だから、そんな国家機密級の情報を求めてこのホテルの外にはパパラッチがうようよいるという話である。 時間を少しずらすことで、密会していた相手を悟らせないようにするという計画だ。 ボンゴレは特に、 HLにいるという情報すら知られてはならないもの。 だから入るのも出るのも細心の注意を払って行われる。 そして、綱吉たちはついでなのでここで昼食をとることにしていた。 朝のホテルと違って、このホテルは食事も客ごとに個室でとれるようになっている。 プライバシーの観点からの理由が大きいけれど、もちろんセキュリティも兼ねられている。 ここまで万全の対策が練られているのであれば、なぜ最初からこのホテルに宿泊しなかったのか。 このホテルであればわざわざルームサービスを頼まずとも済んだのに。 それは、せっかくHLに来たのに一つのホテルに閉じこもってしまうのはもったいないから…ではなく、 これまた一つ所に留まり続けるのも安全上よろしくないからという難儀な理由であった。 獄寺はホテルの人間と少し話すと言って綱吉を残して会議室の外に出ていった。 きっと食事後の退館の打ち合わせなどあるのだろう。 彼に任せきりで少し申し訳ない。 綱吉は彼が帰って来るのを待ちつつ、座りっぱなしでそろそろ痛くなり始めていた腰とお尻を労わるために椅子から立ち上がって 部屋の中をぐるりと歩き回ってみた。 宿泊していたホテルと違って、このホテルの内装は一言で言えば「シンプル」だ。 モノトーンで統一された壁や調度品、飾り気の少ない室内は本当にビジネスに特化している。 言ってしまえば面白味のない部屋だ。 綱吉には泊まっているホテルの方が好みに合っていると感じられた。 「うまくいくといいなぁ」 独りになった空間で、だれにともなく呟いた。 …つもりだった。 「どうやら、そううまくは行きそうにないですよ」 綱吉一人の空間で、またしても聞きなれた声が微かな寒気とともに響いた。 「むくろ？」 姿は見えずとも気配はすぐにわかる。 直感の告げる方向に目を向ければ、わずかに空間が歪んでいる。 そこに、六道骸がいる証拠である。 彼が素直に姿を表さないのはよくあること。 見えなくてもそこにいるとわかれば会話はできので困りはしない。 綱吉の背後、少し離れたところに彼はいた。 しかし、彼がここに来るのはあまり良いことではない。 骸の任務は会議室の中でなく、ホテル全体の見張り。 なにせ、目に見えるものだけがすべてではないのがこのHL。 いつなんどきだれが襲ってくるかもわからない。 会議室にはボンゴレとライブラ、それぞれ二人ずつという約束だったし、そういう心配もあったので隠密が得意な骸は外の警戒と報告を頼んでいた。 だから、ホテル全体を見れるようにとホテルの屋上にいたはずだ。 その彼が理由もなく持ち場を離れるとは不吉である。 「何かあったの？」 問いかけるとぱっと空間に骸が現れる。 やはり姿が見えた方が話しやすくて助かる。 しかし、見えた表情はあまり状況がよろしくないことを表しているようで。 嫌な予感しかしない。 「彼ら、凄い形相でホテルを後にしましたよ。 とても『平和的に』会談が終わったようには見えませんでしたけど」 「えっ！？」 それは驚きである。 だって、話し合いには何の波乱もなかったし、 綱吉の言葉にも、彼らは驚いてはいたけれど至って穏やかに返してくれていたはずだ。 何か予想外が生じたとすれば後者の自分の方であるだろうが、問題があったようにも思えない。 「『ドンが～』とか電話口で話してましたけど。 何かしたんですか？」 「……」 たった今原因が判明しました。 オレデス…。 なんて、正直に言えるわけもなく。 綱吉はすいと骸から視線を外した。 泳ぎまくる目は広い会議室中を行ったり来たり。 そしてそれを見逃してくれる骸ではない。 「きみ、確かあの家庭教師に会談中の発言は禁じられいたんじゃ ありませんでした？」 「あ…いや、そうなんだけど…その…ちょっと…」 言いづらそうにする綱吉に、骸の視線が厳しくなる。 「まさかあの少年のことを馬鹿正直に聞いたんじゃないでしょうね」 言い当てられて冷や汗が流れた。 依然、目は泳ぎっぱなしだ。 しかし、そんなことをしていても逃げられないのは知っている。 絞り出すような小声で 「そ、そのまさかです…」 と告げた声は驚くほど震えていた。 そんな綱吉の様子を骸は黙って見ているだけで、何も言わなかった。 ただ、その色違いの両目には呆れを通り越して、軽蔑の色すら滲んでいる。 つらいつらい無言の間がしばらく続いた。 綱吉はひたすら冷や汗を流し、骸は綱吉に絶対零度の視線をくれる。 そうして綱吉の喉がカラカラに乾いていくなか、漸く骸が口を開いた。 盛大なため息とともに。 「馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが、まさかそこまでとは…」 「だ、だって…せっかく骸が調べてくれたから…」 「誰が正面切って聞けと言いましたか。 あなたがそう考えなしだから交渉事には参加するなと言われているのを忘れたんですか？」 「う…」 畳み掛けるように責められて返す言葉がない。 こういう時の骸は恐い。 犯罪者のような仄暗い恐怖ではなく、年長者に怒られている時の恐怖である。 「第一、あなたのような立場の人間が、他の組織所属の構成員を表だって探すなど、本来ならばあるはずのない事なんですよ。」 「どうして？」 「自分で考えなさい。その頭はかざりですか。」 そして、骸は綱吉が甘えることを許さない。 そういう意味ではリボーンよりも厳しい。 ぴしゃりと怒られて、綱吉は改めて考えてみる。 しかし、ボンゴレ10代目の周囲は少し異質であるので、その中心にいる綱吉には社会の一般的な事情について想像できない。 そんな空間を作ったのは誰あろう綱吉に甘い幹部と同盟のボスたちであるが。 眉根を寄せて難しい顔をしてみるけれど、元来地頭のよろしくない綱吉は早々に根をあげて骸を見た。 その大きなはちみつ色には降参の二文字が浮かんでいる。 「普段頭を使わないからそうなるんです。」 「うぅ…」 骸はこれ見よがしに大きなためをもう息ひとつ吐く。 全面的に自分に非があるのはわかっているから、反論できない。 しゅんと落ち込む綱吉に骸は「仕方ないですね」と呟いた。 「良いですか？ きみは腐っても世界最大のマフィアのボスです。 そのきみが、『ライブラ』という小さな組織の一構成員を探している。 そうしたらあの少年や彼の上司はどう思うでしょう？」 「……吃驚する？」 考えて答えたら間髪入れず拳骨を喰らった。 こういう手の早いところは妙に雲雀に似ている。 「お馬鹿、少しは頭を使いなさい。 普通、そういう場合は報復か引き抜きだと考えるんですよ。」 「…どういうこと？」 分からないという顔をする綱吉を一瞥して、骸は続ける。 「マフィアのボスが、大した 理由もなくただの一般人を探すことなんて普通はありえません。 なぜなら、そんなことをする意味も必要もないからです。 報復にしろ勧誘にしろマフィアらしく、裏から手を回せばいい。 それなのに、きみは自分の立場もわきまえず聞いてしまった。 わざわざ組織の長を通して聞くなど、彼らのことを甘く見ているとしか思えない。 組織の構成員を一人差し出せと言われて、ライブラの彼らはどう思ったでしょう？」 それは、人質を出せと言うのと同義です。 冷ややかな声が心臓を撫でた。 「……」 昔、家庭教師の先生に怒られたことがある。 「お願い」と「交渉」は違うと。 子どものように、自分にしてほしいことを他人に頼るのが「お願い」。 自分の事情だけを相手に押し付けるものだ。 しかし、交渉はそうではない。 「交渉」とは、自分と相手のメリット・デメリットをすべて考え、持ちうる情報を駆使し、 鋭い洞察力と素早い判断力で、いかに自らに都合よく状況を持っていくのかを駆け引きをする。 綱吉は「お願い」するのは得意だけれど、「交渉」するのはてんでダメだと言われた。 もっと賢く生きろともう何度言われたことか知れない。 そのたびに、周囲に迷惑をかけた自分を反省するのだけれど、 結局今日も同じことを繰り返してしまったのだ。 「きみの考えがどうであろうと、相手はそんなこと知りません。 不用意な発言のせいで、彼らにボンゴレを警戒する理由を与えたんです。 きみはもっと、組織の長としての自覚を持つべきです。」 骸の言葉が頭に重く響く。 それはこの10年、嫌というほど言い聞かせられてきたものだ。 そんな器じゃないといくら叫んでも周りの人間は皆自分をボスとして扱うし、それに伴う責任なんてものもできた。 望んじゃいなかったけれど、そのおかげで出会えた人もいた。 かけがえのない思い出もたくさん出来た。 良いことも嫌なこともぜんぶ、それらはもう手放せないのだ。 「10代目お待たせして…あ゛、骸…！」 話を終えたらしい獄寺が部屋に入って骸を見つけるなり威嚇する。 警備はどうしたんだと咎める彼に、骸はしかし顔をそむけて知らんぷりを通す。 綱吉はそんな骸を置いて、獄寺に問いかけた。 「ねえ、獄寺くん」 「…！はい」 綱吉の静かな視線を受けて、獄寺はただならぬ気配を感じて背筋を正す。 どんなときでも切り替えが早いのが彼の長所だ。 常に綱吉に対して誠実であろうとする彼はすごいと純粋に思う。 自然と下がってしまいそうになる視線を、獄寺の瞳に合わせて。 「オレが、ライブラの人たちにあの少年のことを聞くことの危険性を、きみは知ってた…？」 「…！それは…」 質問に、獄寺は言いづらそうに口を噤む。 その反応から、綱吉は答えを見つけてしまった。 こういう時、彼は嘘をつけない。 だからこうして言葉を濁すのだ。 「骸、何か余計なことを…」 「当然のことを言ったまでですよ。 彼の長としての自覚の無さと、あなたの甘さが招いた結果をね。」 「てめぇ…！」 「獄寺くん」 骸に噛みつこうとする獄寺を制する。 真っ直ぐに彼の瞳を見上げれば、薄墨色の彼の瞳が揺れた。 それでも、綱吉は引かない。 彼の口から、聞かなければならないのだ。 「答えて、おねがい。」 「…」 言いたくないのは、きっとそれが綱吉の行動を非難することになると思っているから。 何度も口を開いてはまたすぐに閉じて。 綱吉はずっと獄寺から視線を逸らさない。 子どもが悪いことをしたなら、それを叱って反省させるように、 自分が犯した失態の報いは自分が受けなければならない。 やがて獄寺は決意したように口を開く。 「……リスクは 、あると考えていました。 頂いた資料から、あの少年がライブラで特殊な立ち位置にあるということはわかっていましたし、 10代目のお立場を考えても、難しいとは…」 「そう…そうだよね。」 あの場で無思慮だったのは己のみ。 つくづく周囲の人間に甘えていた自分の甘さを思い知る。 「…！しかし、10代目にもお考えがあってのことで…！」 「ううん。オレが考えなしだった。 せっかく獄寺くんたちが頑張ってくれているのに、オレのせいで余計なことを引き起こしてしまうかもしれない。 なら、悪いのはオレだ。 …ほんとうに、ごめんなさい。」 2人に頭を下げる。 獄寺は「頭を上げてください」と慌てふためき、骸はふんと鼻を鳴らしただけ。 それでも、綱吉は頭を下げた。 言葉は、出なかった。 そうして綱吉が押し黙れば、誰も口を開かなかった。 獄寺も骸も、綱吉のことを黙って見ている。 否、見守ってくれているのだろう、綱吉自身が判断を下すのを。 これからどう動くのか、それを決めるのはボスたる綱吉だ。 ちゃんと、ひとりで、考えなければならない。 それが、ボスとして果たすべき責任だ。 しかし、この自分にできるのだろうか…？ ちいさな不安が芽生える。 それは幼いころからの癖で、何かしようと思う度に臆病な自分が縮こまって黙ってしまう。 ダメツナになるのは自信の無さの表れだ。 そのとき、脳裏に過ったのは、ダークスーツを着こなしてボルサリーノを目深にかぶった少年。 出会ったころは赤ん坊だったのに、今や綱吉の身長を追い越さんばかりに成長している。 けれど、出会った時と変わらずに彼は世界一のヒットマンで最強の家庭教師だ。 リボーンならきっと言うだろう。 『つべこべ言ってねーで、さっさとやりやがれ。ダメツナめ』 聞こえるはずのない声が、聞こえた気がした。 いや、幾度となく言われてもう脳内に刷り込まれているのだ。 近くにいなくったって聞こえる。 細く息を吐く。 弱気になってはいけない。 そんな場合じゃないのだ。 下を向いていた顔をあげる。 心配そうにこちらを窺う獄寺と、無表情の骸が見えた。 今ここにいる、協力してくれる仲間のために、できることをしなければ。 いつものように背中を蹴り飛ばして叱りつけ、励ましてくれる彼はここにはいない。 でも、進む方法なら知っている。 力を込めて、手加減せずにパンッと思い切り両頬を叩いた。 そんな綱吉の突然の行動に獄寺が驚いたように声をあげる。 鋭い痛みが頬に伝わって、目が覚めた気がした。 「10代目…！」 「大丈夫。…うん、落ち込んでる場合じゃないよね。」 ことは一刻を争うのだ。 ライブラの彼は追って連絡すると言ってくれた。 ならば、それまでにできるだけ彼らの警戒を解き、平和にことを収めるための策を練らなければ。 しかし、それは自分一人の力ではできない。 獄寺と骸を正面から見つめる。 はちみつ色の瞳に、もう迷いはなかった。 「虫がいいかもしれないけど、協力して。 誰も傷つけないために、オレはオレにできることをしたい。 そのために、二人の力を貸してほしいんだ。 おねがい。」 交渉するのも命令するのも苦手だ。 だから綱吉はいつだって、誰にだって「お願い」をする。 対等な立場から、真っ直ぐに目を見て。 それが、綱吉の精一杯の誠意だ。 「10代目…！もちろんです！！ この獄寺隼人、どこまでもご一緒します！！」 綱吉の言葉に獄寺は即刻頷いた。 どんなお願いであろうとそれが10代目の望むことなら太陽を壊すことだって獄寺は引き受ける所存だ。 彼は常日頃から綱吉が自分を頼ってくれることを待ち望んでいるのだから。 「策は、あるんですか？」 先ほどとは様子の変わった綱吉を察して、骸は探るような視線を向ける。 綱吉はゆっくりとそれに頷いて返す。 策は、ひとつだけ思いついた。 けれど、実行するためには、彼らの協力は欠かせない。 獄寺はきっと喜んで協力してくれる。 それに、綱吉の考えたものをさらに改良してくれるはずである。 骸は嫌がるかもしれないけれど、きっと協力してくれるだろう。 あとは腹を括るだけ。 綱吉は精一杯悪い顔をして笑ってみせた。 お手本は嫌というほどみてきたのだ。 「マフィアらしく、一芝居うってみようかなと思って」 その笑顔が、家庭教師のあくどい笑顔にそっくりだと、獄寺と骸は思った。

沢田綱吉の周りには彼を甘やかす人間ばかり。<br /><br />そんなわけで、血界と復活！のクロスオーバー第4弾です。<br />毎回毎回、今回は早く更新できたんではなかろうかと思うんだけど、<br />毎回そんなことはなく今回も遅くて申し訳ございません。<br />やっとここから書きたい話が進むようなそうでないようなという感じ。<br />次の話でやっと綱吉とレオくん会えるかなという感じです。<br />今少しお付き合いいただけたらと思います。<br /><br />今回は最終回の沢田綱吉というものをベースに考えて書いていました。<br />最終回でのあの子は、相変わらずダメダメで成長とかしてなくて、<br />でも大切な仲間たちに囲まれて陽だまりの中で笑っている。<br />そんな彼は、彼自身が強くなくても誰かを頼るということを知っていて<br />それこそが彼の特性で、ボスたる資質なのかなと思いました。<br />そして、だからこそ強いんだろうなと。<br /><br />前作までにブクマ・評価、コメントありがとうございました！<br />初めてスタンプもいただいて、かわいくて嬉しかったです。<br /><br />そして最後に、<br />3月27日開催の「BLOODY ZONE　インテ包囲網」に申し込みました。<br />こっちの連載とは全く関係なくスティレオです。<br />ご参加される皆さまはよろしくお願いします。<br />ですので、あの、しばらく原稿作業に取り掛かるので…また更新は遅れそうです…すみません…

【血界】夢と現で会いましょう4【復活！】

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甘い香りがする。 優しい香りがする。 妹の手前分かりやすくウキウキするのは少し恥ずかしかったけれど、おれは背伸びをしては何度もオーブンを覗き込み、それが焼き上がるのを心待ちにした。 時刻はもうすぐ午後、3時。 [chapter:おやつの時間] 「ロー！お前ちょうどいい所に！」 よく晴れた日、おれは真っ白なシーツのかたまりに話しかけられた。 真っ白な…。 「…？」 「聞いてんのかコラ！悪いが手伝ってくれ！こんなに風が強くなると思わなかったんだ！うわっ」 あァ、なんだ。 シーツの中にはコックーーー現在一時的に同盟を組んでいる麦わら屋の船のコックである黒足屋がいるらしい。 よく晴れた日。甲板。物干し竿。大量の洗い立てのシーツ。強風。 おれは状況を判断すると、即座に踵を返した。 「断る。なぜおれが余所の船の家事紛いを手伝わなきゃならねェんだ。他を当たれ」 「おい…船の上でコックに逆らうならお客サマとはいえ覚悟しろよ？」 「そりゃ怖いな」 「いいから男部屋に運べ！」 コックの命令が最優先の船なんて聞いたことがないし、そのコックがこんな料理と無関係の雑務をしているというのも矛盾しているではないか。 そしておれは誰の命令も受ける気はないのだが(ましてやこんな訳の分からない仕事なんて尚更)、白い布にまみれて憤慨する黒足屋は何だか滑稽だったので少しは手を貸してもいいかという気にもなった。 「クソ、もういい。手伝わねェなら邪魔だからどっか…」 おれは何やらしゃべっている黒足屋を無視して、彼を囲うシーツを剥ぎ取った。 「これを男部屋に飛ばせばいいんだな？」 「あ…？そう、だけど、何急に」 「気紛れだ」 「…そりゃどうも」 手を貸してもいい、というのもあったけど、実のところ、この中に入っているのは本当に黒足屋なのか、確認がしたくなったのだ。 今の会話、声、口調、どこをどうとっても黒足屋のそれではあったけれど、何となく釈然としない不安感が拭えなかった。 結局掻き分けたシーツから顔を出したのはまごう事なく黒足屋だったし、別に黒足屋じゃなかったからといって困ることはないのだけれど。 それでもおれは少し、安心した。 その日黒足屋はお礼と言って、おれにコーヒーゼリーを振る舞った。 どうしてコーヒーゼリーなのかは分からないけれど、「他の奴らには内緒だぜ」と言って自らの分も用意した所を見ると、単に自分が食べたかったのかもしれない。 いや、あの男が自分の欲望のために腕を振るう姿は少々想像しにくいから、試作品か、半端に材料が余っていたか。 何にせよそのコーヒーゼリーは世辞抜きで大変にうまかった。 「コーヒーを使ったスイーツはさ、色が茶色いだろ。見映えを良くするのに結構気を使うんだ。だけどゼリーにするとそのままでこんなに綺麗だ。透き通っていて、キラキラしていて、水滴が露みたいだろ？そこに生クリームを乗せるとほら、うまそうだ」 そう話す黒足屋は、先程青空の下でシーツに埋もれていた男と同一人物ではあるけれど、まるで違う表情をしている。 柔らかくて、甘ったるくて、どこか婀娜っぽい。 この男と結ぶ「内緒の約束」はとても魅力的だと思った。 席を立ち、正面に腰かけている黒足屋に近付く。 「黒足屋。もうひとつ、他の奴らに言えない事がしたい」 「…え？何？まだ腹減ってる？」 「減った。少し食べると、物足りなくなるな」 嘘を言ったつもりはない。 だけど黒足屋がその瞬間あんまりにも青い顔をしたから、そんな事言わなければ良かったと思った。 人を餓えさせるのが嫌いなのだ、こいつは。 「……何か作る。すぐ出来るやつだから贅沢言うなよ？」 「そうじゃねェ…作らなくて、いい」 「はァ？お前今腹減ったって」 おれは黒足屋を後ろから抱きすくめ、首筋に軽く歯を立てた。 「…ここに、ある」 我ながら結構な口説き文句だと思うし、食べ物に絡ませるのはずるかったかもしれない。 更に言えばおれはこの瞬間まで黒足屋に劣情を抱いていた訳でもなく、黒足屋からしたら「何が何だか分からない」状況のはずだ。 しかし奴はしばらく何事かを考えた後立ち上がり、ズンズンとおれの手を引き、すぐそばのドアを開けた先の食糧庫に入った。もちろんおれもそれに倣う。 そして夕飯の準備があるから余り時間はとれないと念を押され、自分が処女である事まで丁寧に伝えてきた。 奴は簡単に、本当に簡単におれの提案を受け入れたのだ。 おれにずっと惚れていたから喜んで受け入れたとか、そういう話では断じてない。 ただ、腹をすかした野良猫に餌付けする程度の覚悟で、自らを差し出してきた。 その様子はなんとも狂気的で、美しい。 おれはそのまま、黒足屋を抱いた。 それが最初だった。 次の日のおやつの時間には、コーヒーゼリーが配られた。 やっぱり昨日のアレは試作品だったらしい。 各々の趣味に合わせ生クリームやミルクがあったりなかったり、少しずつ彩りを変えたそれらが黒足屋の持つトレーから消えていく。 さておれの番かと思った頃、そこにもう今日のおやつは残っていなかった。 「お前はキッチンに来い。別のあるから」 そう促されるまま素直についていくと、ふんわりと焼かれたホットケーキを渡された。 同じものを二日連続食べさせるのはプライドに反するのだろうか、と考えていると、黒足屋は「他の奴らには内緒だぜ」と昨日と一言一句変わらぬ台詞を吐く。それから自分の分も用意して、おれの向かい側の席に座る。なるほど、そうか。 「明日はホットケーキか」 「ご名答」 「その瓶は」 「これがイチゴジャムでこっちは今日の余りの生クリーム。で、これはチョコソースと、ハチミツと…冷凍庫にはバニラアイス」 「バニラアイスだ」 「はい、了解。ルフィがおかわりしに来るから早く食えよ」 そうして食べたバニラアイスのたっぷり乗ったホットケーキは、ひどく優しい味がした。口に入れた途端、ほろほろと溶けていく。 結局食べている途中に麦わら屋が乱入して来たが、意外にも奴はじっとこちらを見つめはしたものの、横取りするような真似はして来なかった。 黒足屋が前日に試作品を作り自分で食べるのが恒例ならば、それに手を出すと翌日の「本番」が抜きにされる躾がされているという事だろうか。 もしこの仮説が本当なら、確かにこの船ではコックの命令が重要視されているように思える。 「明日はもう少し、卵を増やすかな」 食べ終わった後にそう言った黒足屋が、なぜかとても愛しく感じ、おれはまた手を伸ばす。 髪を撫で、そのまま首筋も撫で、堪らなくなったのでキスをした。 そうすると奴はまた簡単におれに抱かれたので、随分と勝手だとは分かっているけど、腹の奥が煮え繰り返るような最低の気分になった。 同時にどうしようもなく嬉しくて、興奮した。 そうやっておやつの試作品を二人で食べて、その後に食糧庫で抱き合う日々を幾度か繰り返したある深夜。 喉の渇きを覚えたおれは、誰もいないはずのキッチンに足を向けた。 しかしそこに続く扉の向こう側から言い争うような声が聞こえて来たので、気配を潜ませそっと聞き耳をたてる。 声の主は、黒足屋とゾロ屋だ。 ゾロ屋が酒をせびり黒足屋がブツブツ文句を言いながらも最終的に折れる姿は何度か見ていたのだが、今回はそれとは少し違うようだった。 「だったらおれが抱かせろっつったら抱かせんのか！？」 はっきりと聞こえてきたゾロ屋のその一言で、おれは全てを察する。 あのぶっきらぼうで一見何事にも無関心そうに見える剣士は、案外真面目で仲間思いなのだろう。 おれと関係を持っている事を察して、何やら咎めているようだ。 それにしても今の台詞は大胆で大袈裟な例え話ではあるが、おれとしてはかなり面白くない。 黒足屋はそんな気色の悪い話あるかと憤慨していて、だけど、それでもゾロ屋が真剣に真摯に「抱かせろ」と言ったなら、あいつはきっと体を差し出すのだろうから。だから笑えないのだ。 そしておれにはその事をどうこうする権利も文句を言う権利もない。 だが遠慮する理由もない、か。 おれは気配を消すのをやめ、言い争う二人の間に割って入った。 「おいうるせェぞ」 「ロー…！」 「サンジ、何か飲み物をくれ」 「おれ達はそういう関係だから放って置け」と聞こえるように、全くもって呼び慣れない名前を口にしてみた。 黒足屋は多少動揺した様だが、その方が事を荒立てずに済むと察したのだろう。何も言わずに冷蔵庫へと向かって行った。 おれは無言で睨んでくるゾロ屋を一瞥する。 まるで茶番だ、と、そう思いながら。 すると舌打ちでもしながらここを去るだろうと予想していたゾロ屋は、黒足屋に聞こえないような本当に小さな声…ほとんど口だけを動かして、おれに何かを伝えて来た。 「……、するが」 「？」 「お前には同情するが、アレはやめといた方がいい」 旬のフルーツをふんだんに使ったプリン・ア・ラ・モード、まるで玩具みたいな色とりどりのマカロン、手間が掛かる分愛情を込められると嬉しそうに言っていたタルト・タタン。 黒足屋の手から生まれるおやつはどれもうまいし、何だか懐かしい。 幼い頃母がよく作ってくれたバナナの入ったパウンドケーキ。おれはあれを思い出すのだ。 忙しい母だったから、趣向を凝らした菓子を作る時間はなかったのだろう。黒足屋の作るそれとは、きっと似ても似つかない。 だけどおれも妹もあのパウンドケーキの素朴な味が大好きだった。 焼き上がりが待ちきれず、二人でキッチンを彷徨いては並んでオーブンを覗き込んだ。 少しずつ色褪せていく記憶の中で、今もキラキラと輝き頭から離れやしないのは、そういう些細な日常だ。 次のおやつの時間にそんな話をしたら、お前は笑うだろうか。 午後3時を過ぎた頃。 黒足屋と向き合い、誰にも邪魔をされずにおやつを食べる時間がおれはすっかり好きになってしまった。 特段何を話すわけではないのだけれど、この時間はおれにだけ与えられた特別な時間なのだと、そう思えた。 食べ終えたあとにこっそりとするキスは当然甘ったるくて脳が芯から溶けていきそうになる。それも好きだった。 だからこそおれにはゾロ屋のあの言葉の真意がいまいち分からない。 あの男は当初考えたようにただ仲間の身を按じたのでも、ましてや幼い独占欲でおれに威嚇したのでもないだろう。 言葉だけ受け取るのなら、まるで黒足屋を「厄介者」のように言った。 求められたら簡単に体を差し出す黒足屋は確かにまともとは言えないけれど、それでも何か、引っ掛かる。 おれは今日もおやつを食べ、黒足屋を抱き、それから甲板にいる麦わら屋の元へ向かった。 「トラ男！明日のおやつは何だ！？」 「ザッハトルテ」 「！？なんだそれ、うめェのか？」 「あァ、うまかった」 「そっか～～まァサンジが作るなら何でもうまいから当たり前だな！」 麦わら屋はしししと、特徴的な声で笑った。まるで子供だ。 記憶の中の妹と、一瞬だけ姿が重なる。 ラミも、太陽のような人間だった。 「麦わら屋。そこまで食い意地の張っているお前が、黒足屋の毎日食べているおやつに手を出そうとしないのはなぜだ？何か約束をしているのか？」 食に関する約束など、お前にとっては無意味に思えるというのに。 黒足屋について聞こうと思ったのだが、口をついて出たのはそんな質問だった。 麦わら屋は珍しく少し考えるような素振りをしてから、話し出した。 「確かに食いてェって毎日思うけどな、おれが決めた事だからよ」 「？」 「サンジは簡単に、何も食べなくなるから、おれが言ったんだ。メシは何でも食べる。肉があるといい。だけどおやつは一番うまいものが食べたいから、前日にちゃんと試作品を作って自分で食えって。…もしかしたらサンジは今でもまずいおやつを作っちまって、おれが不満に思って怒ったって思ってるかもなァ。サンジのおやつは、いつだってうめェし甘ェしーーー優しいのにな」 何だ？何の話だ？ 「待て、誰が何を食べないって？」 「んー、トラ男だから言うけどよ、サンジがな、すぐ何も食わなくなるんだよ」 「食事をとらなくなるってことか」 「あァ。それがおれは嫌で…皆心配してるのに、聞いてくれねェから」 麦わら屋は拗ねたように唇を突き出して、どこかへと歩いて行ってしまう。 「おい」 「トラ男なら何とか出来るかもしれねェけど、サンジはおれのコックだからな！」 最後に振り返ってこちらにそう叫ぶと、奴は鼻屋たちのいるみかん畑の方へと消えていった。 黒足屋が、何も食べなく…拒食症のようなものだろうか。 確かに奴の体は筋肉がついてはいるが海賊の男では有り得ないほど細いとは常々感じていた。 だけどあいつに限って。 拒食というのはよほど美的意識が強い者、それも女に表れやすく、或いはその他の強迫観念やトラウマから生まれるものだろう。 黒足屋がそういうものを抱えているようには、とても思えない。 いやだけど、あいつがおれと共に食べるおやつの試作品以外のものを口にしている所を見た事があるか？ 全員でとる朝昼晩の食事で、あいつが席についた事はあるか？ ーーそうか、おれは黒足屋の事を、見ようとしていなかったのか。 おれを、何かが足りない欠陥品のようなおれを、あまりにも優しく受け止めてくれるものだから、その居心地の良さにただ身体を委ねていた。 黒足屋の抱えているものの大きさなんか、見やしなかった。 口が悪く足癖も悪いけど、明るくて優しくてまるで母親のような彼なのだと決めつけ盲信していたのだ。 青空の下シーツにくるまっていたあいつに感じた不安を忘れたわけではないだろうに。 そうして急に焦りが募り、おれはそろそろ洗い物を終えて夕飯の下拵えを始めるであろう黒足屋の元に戻る事にした。 しかし奴はキッチンにいなかったので、直ぐに覇気で居場所を探る。どうやらトイレにいるようだ。 驚くような場所ではないが何となく嫌な予感がして足早に向かうと、そのドアは鍵が掛かっておらず、便器を前にうずくまる黒足屋の姿があった。 おれはその背に軽く触れる。 「…っしっかりしろ。吐いたのか」 「………」 首が横に振られる。 麦わら屋の話を聞いた後だからか、その身体はいつも以上に細く、弱々しく見えた。 「気分が悪いのか」 「違う……腹が」 「痛いのか」 「……ちがう！」 何を言い淀む事があるのかと思いつつ、今奴は混乱の最中にいるのが分かる。 触れた手は死人のように冷たく、小さく震えていた。 こんなに。こんなにこいつは苦しんでいたのか。 そして麦わら屋も、他の奴等も、それを知っていた。おれだけが気付いていなかった。 (いや、何を馬鹿な事を…おれはこいつらの仲間じゃない) 「黒足屋。ここは冷えるだろう。移動するか」 「もういい、触るな！なんでてめぇが来んだよ！何も知らねェ癖に！」 「お前の事が好きになった。お前の苦しみを知らないまま、都合のいい部分だけ見て、好きになった」 「なんだよそれふざけんな！」 「だから教えろ。おれだけ分からないのは不条理だ。全て分かった上で、もう一度感情を確かめたい」 「……ッ！」 言ってからやっと、ストンと胸に落ちた。 あァそうかおれは、黒足屋の事が好きなのか。 だからこいつの作るものがあんなにもうまくて、こいつと食べるおやつはより一層格別にうまいのか。 「…おれは」 黒足屋は漸く振り返り、おれにしがみつくように胸元を掴んだ。 「おれはお前といると、………腹が減る。腹が減って減ってしょうがないんだ……！」 腹が、減る？ 「食べるってのは生きる事だ。自ら生きる道を選択するって事だ！おれはそれが不安になる…！」 「それならいっそ、生かされていると思っていた方が良かった…！おれは自分で、生きてるんだろ？」 「さっき食うつもりのなかったパンを食ったんだ。お前に抱かれた後だ。だけど吐く事も出来ねェ。それにまだこんなに、腹が減った…」 黒足屋はそう、立て続けに言った。 おれを掴む力はどんどんと弱まり、ただ体重が預けられる形になる。 気付けば奴の腹からは、きゅるきゅると場違いな音が鳴っていた。 「お前は…生きてちゃいけない人間なのか？」 返事が来ないので、ゆっくり背を撫でる。それから子供をあやすようにトントンと叩いてやった。 「…どうだろうな。でもおれが居なくなったらルフィは怒る」 「これ以上嫉妬させんな。おれだって困る」 「泣く？」 「さぁな。もう何年も泣いた事なんてねェから、涙腺がぶっ壊れてなけりゃ泣くかもな」 「…そっか」 「おれも、なぜ自分だけ生きてしまったのか、分からなかった」 「自分だけ？」 「あァ。おれなんかより生きるべきだった人が、たくさん死んだんだ」 「………そうか」 「でも、おれが死んだからって、代わりに誰かが生きられたわけじゃない。そんなのは思い上がりだ」 「そういう考え方も、あんのか…」 「バカ、それが普通だ。だから残されたものには残された使命があると思って、ここまでがむしゃらに生きてきた」 「ん…手前ェも苦労したんだな。えらいえらい」 「…なぜおれが慰められてんだ」 「そうしたくなったんだよ。なァ、おれの昔の話、聞く？すげェロクでもない育ち方してんだ」 「構わないが便所っつーのも色気がないな。アクアリウムバーと医務室のベッドどっちか選べ」 「なら、食糧庫で」 「なんだ、元気じゃねェか」 「そこまで柔じゃねェよ。なァ、それで、話聞いたらお前が決めろよ」 「何を」 「こんなおれでも、食べて、生きる価値があんのか、だよ」 そうして黒足屋は、答えの一つしかないつまらない問いを、綺麗な笑顔でおれに与えた。 今日もまたよく晴れていて、あの日とは違って風も穏やかだ。 だからたまにはゆっくり日の光でも浴びながら読書でもしようかと思っていた矢先、大洗濯大会などという訳の分からないイベントが始まった。 トニー屋が男達の寝床である部屋からありとあらゆる衣類やシーツ類を運び出し、水を張ったタライに次々と放り込む。それをゾロ屋が洗剤で泡立て、ロボ屋がホース(改造が施してある)を使い水で流し、骨屋が竿にかけていく。 黒足屋は全体の指揮をとりつつ忙しく動き回り、鼻屋は武器類の清掃、女2人は自分達の衣類を仲睦まじく洗っているようだ。 若干約1名何をしているか分からない者がいるのだが、そいつは大層楽しそうだし、おれもまァ言えた事ではない。 「なんですかこれ！重！」 大声の発信源である骨屋の方をチラリと伺うと、その手には水をたっぷりと含み質量を増した、見慣れた黒いコートがあった。 「ブルックそれ、トラ男のコートだよ！トラ男は背が高いからな！」 「それにしたってモコモコ過ぎるよな～はは、帽子にしてもよ、案外あいつって可愛いもの好き…ってヒィ！いつからいたのトラ男君！」 「貸せ。自分のは自分でやる」 普段は確かに洗濯など船員に任せっきりだが、この船では話は別だ。おれは船長でも何でもない。 トニー屋はいつの間におれの服を持ち出したんだ。 「あ、ロー！んな適当な干し方じゃ何日たっても乾かねェだろ！ただでさえこんな水吸ってんのに！」 おれが物干し竿を軋ませてコートを掛けていると、何故か全身びしょ濡れの黒足屋がやって来た。 足元には赤いバケツ。それを被ったってわけじゃねェだろうな…。 「ほら貸せ。こういうのは、いかに空気に触れる面を増やすかが大切なワケ…って重！」 黒足屋の普段サラサラと流れる柔らかい髪は、どうやら濡れるとうねる性質らしい。 「悪くねェな」 「うぉい何触ってんだ！いいからそっち持て！」 「ちょっとサンジ君、いちゃついてないで手伝ってー！」 「あぁいナミさん！！喜んでー！！」 黒足屋はひらりと身を翻し、おれのコートを早々と手放した。 「……」 「あっロー！」 「なんだ」 「ちゃんとお手伝い出来たら、今日はお前のリクエストのあれ、焼くから。お母様には到底追い付かないだろうけど、試作品なんかじゃなくて、お前だけのために焼いてやる！」 結局。 人の習慣というものは、簡単に変えられやしなかった。 黒足屋は給仕をしているからという理由で他の奴等と共に食事をする事はほとんどないし、自分が物を食べる事に抵抗を持ち続けている。 それでもまぁ今まで生きてきたわけだ。 食事の味見はきちんとしているようだし、毎食抜くという訳でもない。 おやつの試作品を食べる時間も、変わらず存在している。 成り行きではあったけれどおれがその時間を共にする事で、少しずつ量も増えていると思いたい。 何より一番の変化は、あいつはよくおれに「腹が減った」と訴えてくるようになった事だ。 柄ではないけれどそれを言われたらおれはきちんとあいつを褒め、甘やかし、何かを食べるよう促す事にしている。 では、おれがこの船を降りてからはどうだろうか。 あいつは自分の仲間達に空腹を訴える事が出来るだろうか。或いは、自らのために食い物を用意出来るだろうか。 出来るようになればいいと思う反面、出来なければいい、そして飢えて苦しめばいいと、思う。 おれが居なくなる事で、おやつの試作すら食えなくなってしまえばいい。 そうやっておれを、思い出せばいい。 そんな考えは決して、言えないけれど。それでもこの胸に、確かにある願いだ。 大洗濯大会は全ての衣類を干し終えた所で一先ず幕を閉じた。 暫しの休憩を挟んだこの後は、「大洗濯物取り込み大会」と「大洗濯物畳み大会」が行われるそうだ。アホか。 ゆらゆらと揺れる陰が落ちる甲板を抜けキッチンに入ると、懐かしい香りがした。 甘くて、優しい。家族の思い出。 「終わったか。こっちももうすぐ焼き上がるぜ」 おれがオーブンに近付きじっと覗き込んでいると、「見てても変わんねェよ」と笑われた。 「ほれ、席つけ。今日は特段に愛を込めて作ったんだ。ちゃんと手ェ合わせろ。ははは、そうそう」 「「いただきます」」 時刻はもうすぐ午後、3時。 せめておれが居る事が、こいつの生きる意味になりますように。

前作ではたくさんのブクマ評価等ありがとうございました。今回の話はちょっと暗くて捏造がひどいかもしれません。趣味に走った小話です(いつもの事)。生きたいサンジ君。よろしくお願いします！

おやつの時間

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注意 ・わけのわからない班マフィ ・えろくない班マフィとは＃　と考えた結果がこれだよ！！ ・カラ松の頭がマフィアとは思えないくらいぽやっぽや（まつのからまつ5歳180か月） ・何でも許せる方向け [newpage] 「おかえり、一松」 何食わぬ顔で笑顔を浮かべる。 今日は返り血を浴びるなんていうヘマも怪我もしなかったし、硝煙の匂いだって消した。万が一スーツにそれらの匂いが染み付いてしまっていることを考慮して、シャワーを浴び、着替えを済ませてからここに来た。 それでも念には念を入れ、夕飯のメニューだってカレーライスにした。香辛料の匂いで紛れると思ったからだ。 「うん、ただいま…」 そう返事をすると何日ぶりかに会う恋人は自分の首元に肩を埋めてきた。すん、と匂いを嗅ぐような音が聞こえ、心臓が止まりそうになる。しかしそのまま抱きしめられて顔をぐりぐりと押し付けられるようにすれば、今日も秘密がバレなかったことに対する安堵感と恋人と触れ合っているという事実による幸福感が押し寄せてきた。 恋人の、一松の顔が近づいてくる。あ、キスされる。 そう思った時には唇と唇が合わさっていて、先程とは比べ物にならないくらいの多幸感が身を包む。 ああ、こんなに幸せでいいのだろうか。 恋人である一松からのキスを享受しながら、カラ松は考える。 ––この幸福が続くかどうかは自分の頑張り次第なのだ、と。 少しでも長く一松と居たければ、一松に気取らせてはいけない。自分がどんな仕事をしていて、どんな世界に足を突っ込んでいるかなんて、一松に知られては絶対にダメだ。知られた瞬間、この幸せは終わりを告げる。 どうして言うことが出来ようか。 –––松野カラ松、隠してはいるが実はこの辺一帯を締めているマフィアの幹部である、だなんて。 松野カラ松はマフィアである。 日本のマフィアと言えばヤのつく自由業の皆々様だが、カラ松は生粋のイタリアンマフィアである。名前からして日本人だろうとか、そういう無粋な突っ込みはなしである。確かにここは日本だが、カラ松はイタリアにある本部から日本支部を任されて此処にいるのだ。そこの話は長くなるから割愛させてもらう。とにかく、松野カラ松という男は泣く子もさらに泣き叫ぶイタリアンマフィアのれっきとした構成員、それも幹部なのである。 対して恋人の一松はとある工場の終身名誉班長という職についている。どうあがいてもブラック工場待ったなしな劣悪な環境であるし、労働基準法なんて守られているわけがない、公務員なんかが聞いたら裸足で逃げ出すような職場であるが、それこそ犯罪スレスレのことだって気付かないうちにやらされてしまっているのかもしれないが、それでも白か黒かと言われれば限りなく黒に近いグレー、つまり黒ではないのである。 そう、あくまで一松はカタギなのだ。日常的に銃の撃ち合いなんてしない、抗争なんかに巻き込まれたりしない、寝込みも襲われない、血の匂いとも硝煙の匂いとも縁の無い生活を送る一般人なのだ。 全身真っ黒どころか返り血と自分の血で真っ赤に染まっている自分とは天と地ほども差がある。自分は犯罪者、あっちはクリーンとは言い難いかもしれないがそれでも前科の無い潔白な市民。 本来なら絶対に交わらない筈の2人がどうして出会ったのか、といえば一軒のなんの変哲も無い猫カフェが原因だったのである。 カラ松は日本とイタリアを行ったり来たりする忙しい身の上であったが、その疲れを癒しに度々訪れるのが街はずれにある猫カフェだった。精神をすり減らすような腹の探り合いや殺し合いを、あのふかふかとした毛並みを撫でるだけで忘れられる気がする。かわいいは正義。それが計算されたあざとさであったとしても、今日も今日とてカラ松はその猫が大好きな煮干しを携えて（おやつは追加料金である）、愛しのかわい子ちゃんに会いに行くのである。 しかし、そこには先客がいた。 ボサボサの髪にマスク、着古したようなパーカーとジャージ姿のその男は節くれだった、しかし細い指先でカラ松のお気に入りのにゃんこの喉を撫でていた。お世辞にも綺麗とは言えない身なりだったが、その猫を撫でる手つきが余りにも優しかったので、気づいたらカラ松の方から声をかけていた。一瞬しまった、と思った。日陰者の自分がどうしてカタギに声をかけたのだ、と。しかしそんなことはぶっきらぼうにも何、と返事を返したこの男を見ればどうでもよくなってしまった。今思うと一目惚れだったのかもしれない。給料日のささやかな贅沢としてここに来るという工場勤務の男と仕事の喧騒を離れて心に癒しを求めた男は会えば会話を交わし合う仲になった。そうしていくうち、今度は連絡先を交換して猫カフェを挟まずに合うようになった。そうして2人で会うようになって7度目には体まで繋げてしまった。もみくちゃになったベッドの上で『俺、お前のこと好きなんだけど』と言われたのは一生忘れないだろうな、とカラ松は思う。そして『俺も好きだ』と心地良い余韻の中ようやっと返事をした自分の声も、きっと忘れないのだ。何がお互いをこうさせたのかは分からないが、兎にも角にも2人は男同士だとかそういう垣根を越えて恋人になった。 そう、なってしまったのである。 ここで問題なのは、性別ではない。2人の住む世界の違いである。何度も言うがカラ松はマフィアなのだ。言うなれば闇の世界の住人。身分違いの恋だとかそういう問題じゃない。マフィアと言ってしまえば漫画の世界のようでカッコいい響きかもしれないが、要は犯罪者なのである。下手したらいつお縄を頂戴してもおかしくない、いやむしろ警察も手出しは出来ないのではないのかというくらいの札付きの悪なのである。 片や一松は、まあ多少後ろ暗いところがあるとはいえ一般人、俗に言うカタギの人間である。カラ松が裏でドンパチやってる間に一松は猫と戯れ、カラ松が裏で死体を処理している間に一松は布団の中ですやすや眠っているのだ。住む世界が違いすぎる。そのことの重大さに気がついた時にはもう遅かった。カラ松は一松のことがなくてはならないくらい大好きに、大切になっていたのだ。 一松のことを思えば、自分が身を引くのが1番いいに決まっている。しかし、そんないじらしい選択が出来るほどカラ松は聖母のような心は持ち合わせてはいなかったし、そんな選択が出来ないほどには一松にゾッコンになってしまっていた。一松と離れたくないし嫌われたくない。でもこんな犯罪者と一緒にいていいわけない。いや、自分としては一向に構わないが、犯罪者と付き合うのなんて普通はお断りだろう。それに一松の身に危害が及ぶかもしれない。頭が空っぽ、ポンコツサイコパスだなんだと揶揄されるカラ松であったが、自分の立場くらいはきちんと理解していた。それでも、その理解を『一松が好き』という感情が上回ってしまったのだ。恋はいつでもハリケーンなのである。 そこでカラ松は考えた。考えて考えて休んで考えた。ない頭で必死に考えた。そして一つの結論を出した。 「よし、隠そう」 自分がマフィアだということを一松に気取られなければいいのだ。そうすれば一松とはずっと一緒にいられる。一松のいる我が人生せらびー！ こうしてカラ松は自分の幸せのため ひいては一松の安寧のために自分がマフィアであるということを隠し通すことを選んだのである。 小さい食卓を囲みながら会話をするのもカラ松の楽しみの一つだ。 まるで新婚さんみたいだな、とカラ松はぽやぽやの頭で考える。料理なんて一松に会うまではしたことなかったが、一松に喜んで欲しくて必死に覚えた。本当にお前はマフィアなのか？と言いたくなるほどのぽやぽやっぷりである。だがそんなことはカラ松には関係ない。カラ松のババロアのような頭の中では一松が喜んでくれるからする、という当たり前の方程式が出来上がっているのである。 「仕事の方はどうだ一松」 「んー…まあまあ、かな。まあ相変わらずクソな環境だってことに変わりはないけど」 「そうか…頑張ってるんだな」 「そういうアンタはどうなの？」 「へっ」 「事務員の仕事って何するかは知らないけど、アンタいっつも飯用意して家で待っててくれるじゃん。」 そんな融通効く仕事なの、と訊かれて心臓がぴゃっと飛び上がった。 一松には自分の職業は事務員だということにしてあるのだ。 実際事務的な仕事をする事もあるので嘘は言っていない。嘘は言ってはいないが本当の事を言っているわけでもないので、少し罪悪感で胸が痛む。しかしこれも一松とのらぶらぶちゅっちゅな日々の為である。 「…上司の人が良い人でな。定時で上がらせてくれるんだ」 嘘。本当は俺が上司だし、早く一松のところへ行きたい一心で死に物狂いで仕事終わらせてるだけだし、そもそもマフィアに定時なんてものはない。 それでも全てを押し込めてにっこり笑いながら返せば、一松は納得したのか「そう」と呟くとカレーをかき込む作業に戻っていった。 一松の帰りが一般の仕事よりもかなり遅くてよかったなあ、といつもなら思わないことをこっそりと思った。 食事の済んだ一松を風呂へと押し込み、空いた食器を洗っていると電話がかかってきた。それも仕事用の携帯電話の方にだ。舌打ちしたい気持ちを抑えて、携帯片手に外へ出る。 周りに誰もいないことを確認してからディスプレイに表示されている名前を見た。今度は抑えられずに盛大に舌打ちをした。 しかし出ないわけにも行かない。表示されている名前は『松野おそ松』–––カラ松の兄であり、カラ松の所属するファミリーのボスであったからだ。渋々通話ボタンを押した。 『やっほーカラ松ぅ元気ぃ？お兄ちゃんは元気だぞぉ☆』 「…用がないなら切るぞおそ松」 『わー機嫌悪いねお前。ひょっとしてかわい子ちゃんとのセックスの最中だった？ごめんねー』 「…」 カラ松は溜息を吐きたい衝動に駆られたが、我慢する。カラ松は兄のこういうところが嫌いである。 無言の訴えを貫いていると、急におそ松の声のトーンが下がった。 『––ところでカラ松ぅ』 口調はいつも通りの間延びしたそれだが、纏う緊張感がまるで違う。常人ならば失神するかもしれないようなそれを聴いて、カラ松も頭のスイッチを切り替える。 普段はおちゃらけているおそ松だが、その実仕事に対しては非常に冷徹だ。一度懐に入れた者にはとことん甘いし構ってちゃんよろしく絡みまくるが、自分達に仇なす者や裏切者には非情という言葉では生温い、異常なまでの報復を行うような人間であるのだ。 それはカラ松にはないもので、だからこそおそ松がボスとしてファミリーの頂点に君臨しているのだろう、と思う。あまり理解はしたくはないけれど。 『ちょっと飼ってたワンコに手噛まれちゃってさぁ』 どうやら今回は後者だったらしい。電話越しにさえビリビリとした殺気を感じる。微かにパキンという何かが砕かれた音が受話器の向こうから聞こえた。見えなくてもわかる、おそ松の手の中でいつもくるくる回っている万年筆が砕かれた音だ。畜生チョロ松の奴、対応するのが面倒だからってこっちに寄越しやがったな。 悪態を吐きながら、組のブレイン的存在、自らの弟の松野チョロ松の顔を思い浮かべる。こんな怒っているおそ松は久しぶりで、関わりたくないという気持ちは非常にわかる。でもわざわざ日本にいる自分に電話をかけなくたって良いのに。しかも何日かぶりに愛しの一松に会えたというこのタイミングで！ 『でさぁ、そのワンコなんだけど首輪外して逃げようとしてるみたいなんだわ。どうやら東の方に行こうとしてるみたいなの！そういやアイツ忍者とか侍とか大好きだったもんなーあんなの今の世の中にもいると思ってんのかねぇ…カラ松ぅ』 俺の言いたいこと、わかるよね？ その言葉でカラ松のささやかなささやかな幸せの時間は終わりを告げたも等しかった。 おそ松は裏切られることを何よりも何よりも嫌うのだ。 「…了解だ、ボス」 『ごっめんねー手間かけるねー』 「何がごめんだ、本当はそんなこと思っていないだろう」 『まあまあワンコの処理の話もそうなんだけどさ、』 何日かぶりの班長さんとの逢瀬、邪魔してごめんねってことで。 「っな」 『じゃーねーあとよろしくー』 そうして言いたいことだけ言っておそ松からの通話は切れた。なんで、どうしてだ。一松とのことは誰にも、ましてやおそ松には一言も言ってないのに。 「…だから俺はお前のこういうところが大嫌いなんだ」 おちゃらけてるようで、全てを見透かして笑っているようなところが。 さて、マフィアの世界ではボスの言うことは絶対である。それこそ合コンの王様ゲーム以上の効力を発揮するのだ。たとえそれがラブホでの運動中だろうが腹を下してトイレの中にいようが関係ないのだ。ボスの命令は？ゼッターイ！を地でいく世界なのである。 それは下っ端であろうと幹部であろうと、変わらないのだ。 「うっ…うぅ…ごめんな一松ぅ…」 お前さっきまでの緊張感はどうした、と言いたくなるくらいカラ松の顔は涙でべしょべしょになっていた。 今日は久しぶりに2人でゆっくりできると思った矢先にこれだ。 当然そういうことになると思って、一松が帰ってくる前に後ろの準備も済ませたというのに全てが無駄になってしまった。 丁度風呂から上がっていた一松に、電話から戻ったカラ松はべそべそと泣きながらぎゅうぎゅう抱き付いた。やだやだ一松と離れたくない。そんなカラ松に一松は少し残念そうな顔をしたが、ぽんぽんとカラ松の背中を撫でながらカラ松を宥めた。 「しょうがないでしょ仕事なんだし…また今度すればいいじゃない」 「うう、一松ぅ…！」 優しく背中を撫でられて余計にぴゃあぴゃあと泣いてしまう。だからお前は本当にマフィアなのか？と言いたくなる光景である。どう考えても幼女とそのお父さんである。 「ほら、顔拭いて」 「むぐ」 先程一松が髪の毛を拭いたのであろうタオルで顔を拭われる。あ、一松の匂いする。 くんくんとその匂いを嗅いで落ち着いたカラ松はようやく泣き止んだ。やっぱりどう考えてもマフィアとは程遠い存在である。でもマフィアである。一松には隠しているけれど。 「…いってらっしゃい。待ってるから」 「っおう！！」 いいい一松にいってらっしゃいって言われた！！待ってるって言われた！！！ひゃっほーい！！やったよー！！！皆に言いふらしたい！！俺のダーリンこんなにかっこいいんだよって言いふらしたい！！ という具合にテンションMAX、やる気もカンスト状態になったカラ松は先程の涙も忘れて飛び上がった。そしてそのまま「行ってくるぜマイダーリン！」と一松にキスをしてバタバタと部屋を後にした。 ああ、自分には帰る家がある。かっこよくて可愛い恋人が待っててくれる。 今日も今日とて愛する人の為に。カラ松は正体を隠して今日も真っ当でない仕事を全うするのだ。 その顔はさっきまで愛しい恋人に見せてたものではない。一噛みで相手の急所を裂く猛獣のそれだ。 「…さ、ゴミ掃除頑張るか」 ああ、そういやネクタイ忘れたな。 まあいいや。一松が待っててくれるから。 [newpage] やる気なさげに、でもしっかりとカラ松を見送った一松は溜息をついた。 勿論今日はずっと一緒に居られると思っていたカラ松が突然急用でいなくなってしまったことからくるものでもあったが、何よりも一松はカラ松のことが心配だったのである。 「…あいつあれで自分がマフィアだって隠せてるつもりなの？本当心配なんだけど」 実のところ、一松はカラ松がマフィアであるということを知っていた。 しかも幹部で、日本支部のトップであるという事も全て知っていた。 確かに最初は知らなかった。たまの贅沢の猫カフェで会った時も、ちょっと眉が太いだけで愛嬌のある顔をしていたし、言うなら自分の方がよっぽど指名手配犯のような顔をしていた。二人で出かけるようになってからも初めてセックスをした時も、知らなかった。というか、別に知りたくもなかった。カラ松が何をしていようがどんな人間だろうが、自分はもうカラ松を離してやれないくらいにはカラ松を愛してしまっていたのだ。 まあ、正直真っ当な仕事に就いていないのだろうな、ということはなんとなく察してはいた。本人は事務員だと言っているしうまく誤魔化せていると思っているようだが、そんな頻繁に夜中に呼び出される事務員がいるわけないだろう。なんというか、詰めが甘いのだ。そんなぽやぽやしたゆるっゆるの設定で騙されるのは子どもくらいだ。 それが確信に変わったのは、なんというか、まあ、そのカラ松の所属するであろう組のボスが自分に会いに来たからだった。 「あ、おたくがブラック工場終身名誉班長の一松さん？」 飄々とした態度こそカラ松と似ても似つかないものだったが、姿かたちはほぼ一緒の男、松野おそ松を見た瞬間、彼がカラ松の関係者であるという事は理解した。そしておそ松は頼んでもいないのに、やれ自分はイタリアのマフィアのボスだのカラ松はその幹部だの、カラ松が必死に隠してきたことを全部まるっとお話になってくれやがったのである。しかし一松はと言えばそんなに驚きはしなかった。さっきから何度もいうようにそんなことは関係ないのだ。カラ松がカラ松で、そのカラ松が自分のそばにいてくれることが重要な事であって、たとえカラ松が何人殺そうが拷問にかけようがそんなことはどうだっていいのである。カラ松とラブラブいちゃいちゃした生活が送れればそれでいいのだ。それに別に自分だってお綺麗な、人に誇れる仕事をしているわけでもあるまいし。 「でもね、カラ松はそう思っていないみたいよ？」 「は…？」 バレたら最後、おたくとは離れないといけないと思ってるみたい。 その言葉に一松は激怒した。必ず、あの脳みそババロア幼児に自分の愛を教えてやらねばならぬと誓った。 「まあまあ落ち着いてよ。しょうがないでしょ？俺たちマフィアとおたくみたいな一般市民、住む世界が違いすぎんよ」 その言葉で、怒りのボルテージはピタリ、と止まった、 カラ松の気持ちも分からないではないのだ。確かに住む世界は違う。どれだけ口で言おうと、それは変わらない。自分にはマフィア相手に自衛できるような術はないし、巻き込まれればやばいのは事実である。そうなれば結局カラ松に迷惑がかかるのだ。そんなことはわかっているから、言われてしまえば、何も言えなくなってしまう。 「別に一緒にいるなとは言わねーよ。でもさ、あんなポンコツサイコパスだけどさ、俺の可愛い弟なのよ。だからさ、ちょーっと騙されたフリしてやってくんねえかなあ？」 頼むよ、なんて言っているがおそ松の目は笑っていない。言うこと聞かないとどうなるかわかってるよな？と言外に告げていた。 「…わかりましたよ。[[rb:お兄チャン > ・・・・・]]」 せめてもの意趣返しにそう返せば、「お前面白い奴だな」と背中をバシバシ叩かれながら爆笑された。痛ぇわふざけんな。 かくして全てを知らされ、尚且つカラ松との交際を認めてもらった一松は、他の誰でもないカラ松の為に知らないふりを貫き通すことを決めたのだ。 決めたのだが。 （こいつ本当に隠す気あんの か…！？） カラ松の頭は想像以上にぽやっぽやだったのだ。 コンビニのシュークリームのクリームよりもゆるっゆるの設定で自分のことを事務員だといい通していることから始まり、とにかく詰めが甘い。 まあ、スーツを脱いでからこちらに来ることや、硝煙の匂いを消してからこちらに来ることはカラ松にしてはよく考えたものだが、それでもそれ以外のところの詰めが甘すぎるのだ（それでも1度血みどろで帰ってきたことがあった。「トマトジュースを被ってしまってな！」と笑っていた。そんなわけあるか）。 まず、銃である。そう、あの銃だ。45口径、オートマチックタイプの銃である。どうやらそれがカラ松の愛用の銃であるらしい。 なぜ一松がそんなことを知っているかと言えば答えは簡単である。 カラ松がそれを布団に持ち込んでくるからである。 「これがないと眠れなくてな」と照れたように笑っているから何も言えなくなってしまったが（ンンンンンンン尊い！！と叫びながらひっくり返りそうになった）、普通はおかしい。どう考えてもおかしい。普通の成人男性は銃を持ち込まなければ眠れないなんてことはない。というか、日本では銃の所持は法律で禁止されている。それ何？と尋ねた時に、「これか！？これはハンマー式のSAでな！ここを押すとな！」と銃火器の知識を嬉しそうにペラペラ話したりしない。「これが1番撃つ時にしっくりくるんだ」とにっこり笑ったりしない。どう考えても普通じゃない。そして忘れた頃に「あ、え、えっと、これ、モデルガンなんだ！だ、だから大丈夫だぞ！」なんて動揺しながら言ったりしない。どう考えても本物ですありがとうございます。カタギじゃない。カタギじゃないから仕方ないけど。 それに加えてお次は『ドキッ☆オンボロアパートの前での銃撃戦♡』事件である。可愛くデコってみたが、実際一松はこの時には死を覚悟した。正直一松の住む街はそこまで治安はよくない。チンピラだのヤンキーだのが夜な夜な歩き回っているような街なのである。その時はどうやらどこかの粋がった鉄砲玉にもなれないようなチンピラが銃を手に入れ、面白半分で発砲をしてしまったことから始まったのだ。 一松もカラ松も部屋でカラ松お手製のパスタを食べていた。するとパン、という乾いた音が外で聞こえたのだ。 何の音だろう、ぐらいにしか一松は思っていなかったが、その音を聞いた瞬間カラ松の顔付きがガラリと変わった。いつもの自分に見せるような「いちまついちまつ」とふにゃふにゃした幼女み溢れる顔じゃない。「…ネズミがいるな」といつもの3オクターブくらい低い声で呟くと、え、お前そんな顔できんの？と思うくらいの冷たい表情でドアの向こうを見据えた。 え、カラ松？と話しかける前に、「ちょっと待っててくれ」とカラ松は出て行った。愛用のモデルガン（本人談）を携えて、だ。 その瞬間である。 「てめえ逃げんなおらぁ！！！」 という聞いたこともないようなカラ松の怒号とバンバンという鋭い銃声、叫ぶような男の泣き声が一気に聞こえてきた。5分ほど聞こえていたそれは急にピタリと止んだ。音が止んでから5分後、カラ松はいつもと同じようなふにゃふにゃした笑顔で帰ってきた。 「すまない一松。ちよっとネズミがいてな」 いや、そのいいわけねーだろ！無理あるわ！ そう突っ込みたかったが何も言えず、「…そう」と頷くので精一杯だった。 「さあ、食べよう」 にこにこと笑ってはいたけど、その顔にはよく見ると赤いものが付いていた。今日のメニューはミートソースだったけれど、明らかにそれとは違う色である。それを見た時、一松は正直少し漏らした。 こんなのを見せられてカタギだなんて思えるわけがない。思える奴がいたらカラ松と同等かそれ以上のポンコツサイコパスである。 それでもカラ松は隠せている、一松は全く気付いていないと思っているのである。無理がある。 「ま、いいんだけど…」 そう、別にいいのだ。確かにマフィアは怖い。それでもそれもカラ松だ。そして自分に見せる、あの可愛い顔や仕草もマフィアとは到底思えないようなふわふわした表情も、全部カラ松なのだ。 皆さん、俺のダーリンはこんなに可愛いんですよと自慢して回りたいし、泣き顔も笑った顔も全部全部大好きなのだ。マフィアだとしてもそれが揺るぐはずがない。 「待ちますよ」 カラ松が本当のことを話してくれるその日まで、一松は精々お道化を演じてやるのだ。 だから早く帰ってきてくださいよ、こっちはお前がいないと何にも出来ないんだから。 と、先ほど出て行ったばかりのカラ松が置いていったネクタイに口付けた。 そして3日後、またもや血みどろになった嫁が帰ってくるのだが。 「ただいま一松！…あっ、え、えっとな！ちょっとトマト祭りに巻き込まれてな！」 「ンンンンンンンンンンン」 マフィア幹部カラ松くんの秘密※（秘密に）出来ているとは言ってない 終

えろえろとろとろ〜な班マフィは供給いっぱいだと思うので、エロくない班マフィってなんだろうなーと思ったらわけのわからない品が出来上がってました。カラ松のおつむゆるゆるすぎておばさん心配ですわ。<br />ついでにおそ松兄さんはマフィアのボスとして友情出演です。というか兄松はマフィアです。あんまり出てこないけどマフィアです。<br />何が言いたいかというと班マフィかわいい。それだけです。<br />幼女み溢れるマフィカラちゃん描こうとして失敗しましたすみません。<br />※ちまちま加筆修正してますすみません<br /><br />2月24日追記:pixivさん｛あなたの作品が2016年02月23日付の[小説] デイリーランキング 15 位に入りました！<br />ぜひご確認ください。あなたの作品が2016年02月23日付の[小説] 女子に人気ランキング 23 位に入りました！<br />ぜひご確認ください。）<br />！！！？？？？どういうことなのぉ！！！ひえぇ…旬ジャンル怖いよぉ…荷が重い（安らかに自滅）<br />ありがとうございました！<br />2月25日追記:pixiv様｛<span style="color:#fe3a20;">あなたの作品が2016年02月24日付の[小説] デイリーランキング 1 位に入りました！<br />ぜひご確認ください。<br />あなたの作品が2016年02月24日付の[小説] 男子に人気ランキング 90 位に入りました！<br />ぜひご確認ください。<br />あなたの作品が2016年02月24日付の[小説] 女子に人気ランキング 1 位に入りました！<br />ぜひご確認ください。</span>）<br />！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！！？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？？<br />驚きすぎて心臓止まるかと思ったうやあああああああああああああああああああああああああありがとうございます！<br />ブクマやタグ編集やコメントありがとうございます…！重度のコミュ症なので返信なかなか出来ませんがきちんと一つ一つ読ませていただいております…まじか…旬ジャンルの怖さを知った冬…！<br />ありがとうございました！！

マフィア幹部カラ松くんの秘密※出来ているとは言ってない

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タスクフォースの部屋は男しかいない。当たり前だった。上半身裸の男がうろうろし、ロ本がデスクに置いてある、タバコのにおいがしみついた………普通の光景だった。 彼女がくるまでは [newpage] 「手塚一士です」 「笠原一士です」 タスクフォースに可愛らしい姫がきた。 机の上のエロ本が消えた。姫にみつかったら堂上と小牧に殺される。それ以上に可愛らしい姫に嫌われてしまう。タスクフォースの隊員は机の整理を始めた。 デスクワークをしながら笠原を見るのが日課になった。 《今日も姫さんは可愛いな》 《あの笑顔は疲れも吹っ飛ぶな》 「あのーコーヒーいれましょうか？」 姫さんが言ってくれた。 《可愛いな笠原。萌～》 「どうぞ」 机の上にマグカップを置いてくれた。 《アレッ。俺のマグカップだ。》 「間違えてますか？」 「いや。ありがとう笠原。上手いよ。」 《笠原～。惚れてまうやろ！》 ふと見ると殺気だった番犬が睨んでいる。 《意味がわからん。王子様のことも話さないし、お前の直属の部下だろ。いつもいれてもらってるくせに…。》 それから、堂上班と一緒の休憩や内勤のときは笠原がいれてくれた。タスクフォースの中で堂上班との内勤をかけて他の班との争奪戦が始まった。 《今回はうちだ。》 《いや、俺達だ。》 可愛い姫さん達がタスクフォースにきて1カ月くらいたったころ給湯室に入ると違和感を感じた。 《タバコのにおいがしない。アレッ。ゴミ箱が綺麗になっている。流し台こんなに綺麗だったか？いや、汚かった。誰か掃除したんだ。誰だ？………………姫さんか！！！》 デスクに戻ると隊員のスケジュールのボードを見る。 「笠原は………。訓練か…………。何か奢ってやろう。」 「どうした？」 ボードの前で呟いた俺に、珍しく緒方副隊長が話しかけてきた。 「いや。今さっき給湯室に行ったら凄く綺麗になっていて、ゴミ箱もちゃんと捨ててあって流し台も綺麗になっていて…。笠原がしてくれたんだなと思ったのでジュースでも奢ってやろうかと思って…。」 「ああ。笠原がやってくれた。この部屋の掃除も昼休みなどを利用してしてくれている。あいつは、ミルクティが好きらしいぞ。」 「わかりました。」 訓練後休憩していた笠原に声をかける。 「笠原。いろいろいつもありがとうな。」とジュースを渡す。 「えっ？私何もしてないですよ。でもありがとうございます。頂きます。」 ニッコリ最大級の笑顔で笑ってくれた。 小牧が後ろから声をかけた。 「後で番犬堂上が噛みつきそうですよ。」 「大丈夫だ。やましい気持ちはない。感謝の気持ちだからな。」 「えーっと。」 「タスクフォースの部屋を綺麗にしてくれた姫さんに対しての御礼だ。お前も見てみろ。」 小牧は知っていますと言わんばかりの顔をして 「抱きしめたくなるくらい可愛い姫さんですよね。」 [newpage] 笠原と手塚がタスクフォースに配属されて1年ほどたった頃 昼の休憩をおえたタスクフォースの隊員が事務所へ戻るとそこには毛布にくるまった男性の隊員がソファへ座っていた。 「お前！！誰だ。」 「「自分達は………」」 「あーできたよ。」 笠原がシャツをもってやってきた。 「なんだそのシャツ」 「この子達が防衛部の新人でタスクフォースに挨拶にきたのにシャツにしわがよってて、タスクフォースのお兄様達がそういうことを嫌うからって笠原がシャツにアイロンをかけたんですよ。」 笠原の後ろから柴崎が顔をだす。 「「あの防衛部の……。」」 「お前ら。シャツのお礼がさきだろ。」 「「あっあっ。ありがとうございます。」」 笠原と柴崎が笑顔でみている。防衛部の新人は挨拶をして去っていった。 「なんでアイロンかけてやったの？」 「図書隊隊員はビシッとした制服きないといけないって堂上教官と小牧教官に習いましたから。」 《さすがタスクフォースの姫さん》 [newpage] タスクフォースの事務所に関西図書基地の有間副隊長がやってきた。事務所に入るなり目を見開く。 「ここが関東図書隊の事務所か……。随分事務所らしいところだな。なんだ、花まであるのか。」 「うちには姫さんがいるからな。」 「あー。女がいると大変だな。」 「失礼します。」 女性隊員がお茶を出して部屋から出ていく。 「上手いな。このお茶」 「そのお茶をいれてくれたのが、うちの唯一の女性隊員笠原郁だ。この部屋の管理も彼女がしている。女がというが女性隊員が一人いると違うぞ。うちは隊員の士気があがったし、いいことずくめだ。女性ならではの配慮もしてくれるし。」 「そうか…。」 苦虫を噛み潰したような顔をしている 《うちの姫さんが特別だかな。》 [newpage] うちのタスクフォースは姫さんがきてから変わった。 姫さんありがとう！

前回の『玄田隊長』たくさんの人に読んで頂いてありがとうございます。<br />今回は笠原とタスクフォースです。よろしければお願いします。

タスクフォースの事務所

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クリーム色のパーカーを羽織り、目を瞠る山姥切が見える。綺麗な金の髪はフードで隠されてしまっている。 「久しぶりだね。会えるなんて思ってなかったよ…。一目、遠目でもいいから会いたいとは思ったけれど」 「…、」 ぐいっと涙を拭って、何とか笑みを浮かべる。折角の再会なのに、涙は嫌だ。 そんな私の様子を見て山姥切は私の腕を掴み歩き出す。 「え、ちょ…」 「…」 無言で引っ張られていきついた先は誰もいない講義室だった。 「…ここなら大丈夫だろう」 「なに、が」 言い切る前にぽすりと山姥切の腕の中に納まる。ぎこちなくも頭を優しく撫でてくれた。 変わってない。 泣きたいのを察して、泣かせてくれるところ。 「…っ、…っふ…」 「…」 ただでさえ涙腺が緩んでいるのにそれはちょっとずるいんじゃないの？優しさに甘えて、その体にしがみついた。 「落ち着いたか」 「…はい、すみません」 ずっと鼻を啜りながら謝ると、別にいいと返された。彼の男前具合は健在である。 そのフードから覗いて見える綺麗な目を見つめると何だと視線を逸らされた。 「折角、かっこいいのに勿体ないと思って」 「…俺にはこれが合ってる」 ぐいっとフードを引っ張って顔を隠そうとしているが、赤くなった頬が見えている。変わっていない山姥切に私は心からの笑みを浮かべた。 場所を喫茶店へと移し、互いの近況を話す。どうやら転生している人も結構いるらしいが、記憶があるかないかは人によってまちまちらしい。 「鶴丸国永は覚えていないのか」 「…、うん。鶴丸に記憶はないよ」 「…そうか」 温かいカフェオレを飲みながら、鶴丸とのことを話すと、山姥切は思いつめた表情をした。 「俺じゃなくて、あいつに記憶があれば良かったのにな」 「何言ってるの！私はまんばちゃんに記憶があって、すごく嬉しいよ！！」 そんな事言わないで！と彼の手を握ると、主…と言われる。 「それにね、もし鶴丸に記憶があったとしたらもっと気まずい思いをしたと思うんだ。だって、私一度フラれてるんだよ？」 そんな状況で再会してもお互いに気まずいだけだと苦笑すると、どうかなと一蹴される。 「何を考えてそう言ったのかは知らないが、少なくとも俺が知る限りでは主の事を悪く思っていなかったはずだ」 「…仲間としては、良かったんだよ。きっと」 もうこの話はおしまい！と切り上げた。 それから、私は講義が始まるぎりぎりに講義室に行って、終わるとすぐに後にした。何度も何度も鶴丸からの視線を感じる。けれど、話す勇気は無かった…。 「まんばちゃんお待たせ！」 「別に待ってない」 学部が違う山姥切とは講義が全然被らない。今日は一緒にご飯を食べようと私が誘ったのだ。待ち合わせ場所に行くと既に山姥切の姿があった。 並んで歩きながらどこで食べる？と声をかけると、どこでも良いと返された。 「えー、どこか行きたいところないの？」 「ない。あんたが食べたいものでいい」 うーむ、と唸りつつ今日はお蕎麦にしよう！と声をあげた。 「いい加減、彼奴と話したらどうだ」 「…それが出来たら苦労はしないよ」 ずるずると蕎麦を啜りながらそんな話をする。 あれから一週間は経っている。自分でもよく鶴丸を避けているなぁと思った。 「鶴丸ね、ずっと夢を見てるんだって。昔の、夢。すごく苦しそうなんだ…すまないって謝ってるの聞いたことがある」 「…」 「苦しむくらいなら、いっそ昔の事なんて思い出さない方が良いと思って。だって、折角生まれ変わったんだよ？幸せになって欲しいじゃない」 美男美女でお似合いと言われていた二人を思い出す。振り払われなかった手。これは完全なる嫉妬だということは分かっている。だからまだ鶴丸と話すことが出来ていないのだ。自分ではなく、先輩の手を取る姿を想像しては勝手に傷ついている。 ちゃんと笑っておめでとうと言いたいのに。まだうまく笑えるか分からない。 「…俺は、例え記憶が無かったとして、それを思い出したとしたら、幸せだと言える」 はっと息を飲む。目の前に座る山姥切の目を見ると彼は真っすぐに私を見ていた。 「苦しい思い出があるのかもしれない。だが、それよりもあんたと、仲間と過ごした時間は幸せだったと言える」 「…まんばちゃんは、優しいね」 本当に嬉しい言葉だ。あの時間を幸せだったと言う彼に私は笑った。 「ところで、私が死んだときの事覚えてる？」 「…いや、覚えていない」 「そっか。私も覚えてなくてね…」 やはり彼も私が死んだときの事を覚えていないらしい。 首を傾げる私を山姥切がじっと見ていた。 それからまた数日経った。また山姥切をご飯に誘ったのだが、最後の講義が長引いている。区切りが悪いからと少し延長して抗議をしているのだ。 20分程経った頃、漸く講義が終わる。急いで荷物を片づけて山姥切に連絡を入れると、目の前に影が差す。 「…あ」 「話がある」 『ごめん、講義が長引いて遅れ』という中途半端な文で送ってしまった。鶴丸は私の腕を掴むと講義室から連れ出す。がっちりと掴まれているため、隙をついて逃げるという事も出来ない。 「ねえ！放して…！」 「…」 何とか掴まれている手を外そうともがいてみるが、全然外れそうにない。それどころかもっと強い力で掴まれてしまった。 「痛いってば！…ちょっと、鶴丸！」 「…」 何も喋らない鶴丸は怖い。とても怖いから、私は早くこの場から逃げたかった。 そのまま引きずられる様に歩いていたが、その手が外され、私の身体が後ろに傾く。 「嫌がっているだろ」 「まんばちゃん！」 鶴丸の手を離してくれたのは山姥切だった。私が倒れないように彼に支えられていると気づいたのは、彼の顔を見た時だ。どうやらあの途中で送信してしまった文を見て心配して来てくれたようだ。そんな私たちを見てから鶴丸が口を開く。 「…きみはそいつの手を取るのか」 「…、」 とても怒りを感じる声にすぐに言葉に出来なかった。それを肯定と取った鶴丸が嘲笑う様に口元を歪める。 「優しくしてくれるならきみは誰でも良いんだな」 「おい、あんた…！」 「…っ！」 かっと顔に熱が集まる。 これは、怒りだ。 山姥切の傍から離れて鶴丸に近づき、右手で彼の頬を打った。 「っ…」 「…なんで、そんなこと言うの」 「…」 打たれた頬が赤くなるが鶴丸は何も言わない。 誰でも良い筈ない。そんなのだったら私はとっくに他の人を好きになってた。 叩いてしまった手をぐっと握り込んで、鶴丸を見上げる。 「…もう、いい。…鶴丸を、好きなのなんて、止めるっ…こんなのすぐに忘れられる！」 「きみ…」 驚いた顔の鶴丸がぼんやりと見える。 鶴丸が何かを言う前に踵を返して走り出した。 叩いてしまった…。自分の感情に任せて。 けれど、どうしても我慢できなかった。 「…簡単に、好きな人を変えれたらこんな苦労してないよ…」 学校の外まで出ると漸く足を止めて、切れた息を整える。 ぐるぐるとさっきのやり取りが頭の中を巡った。 「…最低だ、私…」 道の端で膝を抱えて蹲っていると肩を叩かれる。顔をあげると、少し息を切らした山姥切が居た。（ひょっとして…なんて、思ったりしていない） ぐいっと目の端を拭ってすぐに立ち上がり、ごめんねと笑いかける。 「…あはは、ごめんねまんばちゃん。変なとこ見せて」 「そんな事気にするな。それより、良いのか…？」 鶴丸の事だろう。小さく頷くと、そうかと言うだけだった。 「本当、どうしようもないね」 「…あんたは、良く頑張った」 苦笑する私の頭を山姥切が不器用ながらも撫でてくれる。 「…あれ、おかしいな……、また…」 唇を噛み締めるが、またも視界が滲んだ。急いで俯くと乾いた地面にぽたぽたと数滴しみ込んでいく。 こんなんじゃ駄目だと何度も拭うけれど、それは止まることなくどんどん零れてくる。 「…主、」 「ご、ごめ…」 心配そうに声をかけてくれる山姥切に謝る。 （すぐ止まるから。早く。早く） すると、後ろから肩を優しく引かれ、反転する体を何か温かいものが包む。 驚いて離れようとしたが、ぐっと頭と腰を抑え込まれた。 「…っ悪いが、彼女だけは譲れない」 「…！」 息を切らしながら言うその声は、確かに彼のもので…。 何で、ここに居るのと問う前に腕を引かれる。後ろを振り向くと、山姥切がやれやれと言った表情で私と鶴丸を見送っていた。 先ほどとは違う、私を気遣う様な力加減で、私は引かれるがまま後ろを歩く。 暫く歩いた先で手が離れると同時に、鶴丸が振り向いて思い切り頭を下げた。 「すまない…！」 「ちょ、鶴丸？！」 「きみを傷つけるつもりなんて無かった…、本当だ！でも、きみが、俺じゃない誰か他の男の手を取ると思うとどうしようもなくて…」 すまない！とまた一段と深く頭を下げる鶴丸に、頭をあげて！と声をかける。 「嫌だ。きみが許してくれるまで、頭をあげない」 「…許す、許すよ！だから、頭をあげて！」 そこまで言って漸く顔をあげた鶴丸は、私の頬についた跡を見て、泣きそうな顔になった。 そして、その指先を私の頬に当てて眦に残っていた涙を拭う。それからすぐに肩に頭を乗せてきた。 「…鶴丸？」 「きみの傷ついた顔を見て、俺は何度か胸が張り裂けそうになった…」 「え…」 「こんなのもう沢山だ。きみには笑っていて欲しい」 どうしたら笑ってくれるんだ？と問う鶴丸に、私はまた下手くそな笑顔を見せる。 「…また、変な味の飴をちょうだい？」 [newpage] 傷つけたという事実が鶴丸の胸をずっと突き刺していた。 何度も謝ろうと試みるが、あれから彼女は自分と明確な距離を置いている。 そんなある日、鶴丸は彼女を校外で見かけた。誰か分からないが男と一緒に居るようだ。 自分と居る時に見る、困ったような笑みではなく、心からの笑みを浮かべている。 もやもやする心にそれ以上二人を見ていられなかった。 後日、漸く彼女を捕まえることが出来た。痛いという彼女の言葉を無視して鶴丸は歩を進める。 しかしその手は第三者によってあっさりと外された。 「嫌がっているだろ」 「まんばちゃん！」 鶴丸は、ああ、またお前かという思いと、恐らくあだ名であろう名を呼ぶ彼女に苛立ちが抑えられない。その安心した顔さえも…。 （きみは、俺ではなく、そいつの手を…） 離された手をきつく握り、目の前の二人を睨んだ。 「…きみはそいつの手を取るのか」 「…、」 返事をしないという事は、肯定なのだろうと鶴丸は嗤う。今まで彼女が自分の相手をしてくれたのは、自分が彼女に優しく接していたからなのだと。だが、どうだ。少し優しくしなかっただけで、彼女はすぐ別の男の元へ行くではないか。 「優しくしてくれるならきみは誰でも良いんだな」 そう言えば、彼女の顔が真っ赤に染まる。羞恥ではない、怒りでだという事に鶴丸はすぐに気づいた。 彼女はすぐに鶴丸に近づき、そのままその手で鶴丸の頬を打つ。 「…なんで、そんなこと言うの」 その声は、とても震えていた。 そして漸く、自分が何を言ったのかに気づく。打たれた頬は痛いが、そんなに強い力では無かった。でも、鶴丸の心に一番、効いた。 彼女は確かに怒っていて、けれど、とても傷ついた顔をしている。ずきずきとまた胸が痛みだした。 「…もう、いい。…鶴丸を、好きなのなんて、止めるっ…こんなのすぐに忘れられる！」 「きみ…」 何も返せないでいると、彼女はそう言った。 （俺を、好き…？） 驚いて目を瞠る鶴丸を置いて、彼女は走り去る。すぐに追いかけようとしたが、山姥切がそれをさせない。 「これ以上あいつを傷つけるつもりなら、俺はあんたを通す訳にはいかない」 「…っ」 真っすぐに己を見てくる山姥切に鶴丸は息を飲む。何故だろう、こいつを見たのは初めてでは無い気がする…。そう、思って。 「そんなに何度も傷つけるくらいなら譲ってくれ」 事他に、俺の方があんたよりも彼女を幸せに出来ると言われたようで、鶴丸はその場に立ち竦む。 そんな姿を見た山姥切は呆れた様な息を吐きながら静かにその場を後にした。 （彼女は、俺よりもあいつと一緒に居る方が、いいのか…？） けれど、鶴丸の心には、下手な笑顔を浮かべる彼女が強く残っていた。変な味の飴をあげてしまった時、元気づけようとしてくれてありがとうと、笑う彼女の顔が今浮かんでいる。 ―――彼女の隣を譲りたくない。 鶴丸は力強く一歩を踏み出した。 「…っは、どこ行ったんだ…」 恐らく学校の外には出たはずだと近辺を走るが、その姿は見えない。 そして漸くその姿を捕らえる。俯く彼女の頭を山姥切がぎこちなく撫でていた。 急いでその場に駆け寄り、彼女の肩をそっと自分の方に寄せる。反転した体をそのまま抱き込み、離れないよう頭と腰を抑えた。 驚いた顔をする山姥切と正面から目を合わせ、その腕に力を込める。 「…っ悪いが、彼女だけは譲れない」 「…！」 どうしても、譲れないんだと視線を逸らさずに告げる。山姥切が動かないのをいいことに彼女の腕を取り歩き出した。今度は、彼女を気遣って出来るだけ優しく腕を引く。 鶴丸は暫く進んだ先で手を離すと、振り返りすぐ頭を下げた。 「すまない…！」 「ちょ、鶴丸？！」 「きみを傷つけるつもりなんて無かった…、本当だ！でも、きみが、俺じゃない誰か他の男の手を取ると思うとどうしようもなくて…」 もう一度すまないと頭を下げると、頭をあげて！と彼女の焦った声がする。 あげることなど出来なかった。本当は、一発貰っただけでは足りないはずだ。それ程自分は彼女を傷つけたからと。 「嫌だ。きみが許してくれるまで、頭をあげない」 「…許す、許すよ！だから、頭をあげて！」 彼女の必死な声に顔を漸く上げると、頬についた跡を見つけた。 （…俺が、泣かせてしまった） まだ眦にも残っている。それを優しく拭うと、彼女の肩に自分の頭を乗せた。 「…鶴丸？」 「きみの傷ついた顔を見て、俺は何度か胸が張り裂けそうになった…」 一度だけじゃない。傷ついた顔を見る度、胸が痛む。今もそうだ。 「え…」 「こんなのもう沢山だ。きみには笑っていて欲しい」 笑顔が見たい。 出来たらそれは、あいつじゃなくて、自分が笑顔にしたいと鶴丸は思う。 「…どうしたら笑ってくれるんだ？」 そう言うと、彼女が小さく肩を揺らすのが分かった為顔をあげる。 「…また、変な味の飴をちょうだい？」 下手な笑みだが、その笑顔を見た鶴丸の心臓は、どきと一つ跳ねた。 彼女は鶴丸の少し赤くなった頬に手を当てると、申し訳なさそうに眉を下げる。 「…私こそ、叩いちゃってごめんね」 「いいんだ。これは、俺が悪かったから」 「…優しいところ、変わってない」 「！」 ぎゅ、と弱い力で抱き着かれた。動いたらすぐに離れていってしまいそうな程、弱弱しい抱擁。 それにゆっくりと鶴丸も優しく抱き返す。 その柔らかくて、温かな感触に、鶴丸は涙が出そうになった。 （…何故、こんなにも愛おしいと思うのだろう） 嬉しい、と思う気持ちに沿うように彼女を抱きしめる腕の力を強めた。 [newpage] [chapter:ある本丸の記録] その本丸において、鶴丸は初めに顕現された太刀だった。 短刀や脇差、打刀が居る中で彼の悪戯の対象になるのが多かったのが山姥切だ。 「主、いい加減あいつを何とかしてくれ」 「今度はどうしたの」 「…」 無言で差し出された布をばさりと広げてみると、それは襤褸ではなく真新しい布だった。 「あらら。でもこれはこれで良いことなんじゃ…」 そう言いかけたが山姥切に睨まれた事で口を閉ざす。穴が開いた部分を綺麗に縫って見たり、可愛らしい当て布をしたりと山姥切の布によく細工が施されていた。 うーん、と頬を掻く審神者に山姥切が再度何とかしてくれと訴える。 「わかった。ちょっと話してみるね」 「頼んだぞ」 その夜、彼女は鶴丸を部屋に呼んだ。 「何か用かい？」 「うん。鶴丸を近侍に任命しようと思ってね」 「俺を？」 ぱちぱちと瞬きする鶴丸に彼女は一つ頷いて、山姥切の話をした。 それを聞くと鶴丸は頭を掻きながらバツが悪そうに視線を逸らす。 「そんなに構って欲しいなら近侍になってよ」 「かま…俺は別にそんな理由で悪戯してたんじゃないぜ？」 「まあ、いいからいいから。物は試しってね」 そんな感じで彼女の近侍は鶴丸となった。 当然彼女との時間が増える為、悪戯の対象は専ら審神者となった。時に背後から「わ！」と驚かせたり、時におやつの饅頭に山葵を入れてみたり、時に寝ている彼女の周りに花を散らしてみたりと様々な事をした。流石に山葵を入れた時は怒られたが。 何だかんだ許してくれる彼女の優しさに甘えて鶴丸はいろんなことをした。 しかし、やり過ぎると他の仲間内から苦言を呈されるようになる。程々に、を心掛けるが良い反応をくれる為ついついやり過ぎてしまうのが鶴丸だ。そんな彼に呆れた声を出したのは、彼女の初期刀である山姥切だった。 「あんたのそれは好きな者に構ってほしくてやっているんだろう」 「は？」 「やり過ぎるて嫌われても知らないからな」 言いたいことだけ言って去っていく山姥切の後姿を呆然と見てからぽつりと口にした。 「…俺は主が好きなのか？」 いやでもそんな筈は…と否定しながら本丸内を歩く。 「ねえ、主の夢ってなあに？」 「んー、私の夢？」 考えてた人物の声が聞こえて鶴丸の足はぴたりと止まった。縁側に座り乱や前田などの短刀達と話しているようだ。 彼らに見えない位置に身を隠し、聞き耳を立ててしまう。 「私の夢はねぇ、この戦いを終わらせて、現世に戻って好きな人と幸せに暮らすことかなぁ」 「…―――」 そっと様子を窺うと、優しい顔をした彼女が空を見上げている。 ずきん、と胸が痛んだ。 彼らに気づかれないうちにその場を離れ、先ほどの言葉を思い出す。 現世に戻って、と彼女は言った。それは自分たちとの別れを意味するものだ。 「…嫌だ。きみと、離れるなんて…」 ずきずきと痛む胸に漸く鶴丸は自分の想いを自覚した。と、同時に嘲笑する。 「きみが好きだと気づいたというのに、こんなにも苦しいなんて」 無理に縋って引き留めるなんてことはしない。彼女の幸せを願おうと、その日鶴丸は決意したのだ…。 （好きだけど、好きだからこそ、きみの幸せを願おう） だから、彼女から告白された時鶴丸は本当はその手を取ってしまいたかった。 差し伸べられた手を、そのまま。 けれど、彼女の願いを聞いてしまったから。その願いを叶える為に力を尽くそうと決意したから。 「…主、それは錯覚だ」 あの時の傷ついた顔をした彼女を鶴丸は終ぞ忘れることは無かった。 そして、運命の日が訪れる。 その日鶴丸は朝から嫌な予感がずっとしていた為、出陣を頼まれていたが、渋りに渋って審神者を困らせていた。 「なあ、どうしても今日行かなければいけないのかい？」 「どうしても。…どうしたの鶴丸、いつもそんな事言わないのに」 「いや…」 ここで嫌な予感がすると言って彼女を不安にさせるのも気が引ける。うまく言えない自分をもどかしく思っていると、彼女が苦笑した。 「分かった、じゃあ今日の夕飯は鶴丸の好きなおかずを作るね！」 「…、ああ……。」 まだ煮え切らない様子の鶴丸に対して彼女は背中を軽く叩く。 「ほら、行ってらっしゃい！」 「…行ってくる」 手を大きく振る彼女を何度も振り返って確認すると、同じ部隊の仲間に冷やかされた。それを鶴丸はからかうなと無理矢理笑い飛ばす。 …気のせいであればいい。そう、願って。 厚樫山へと部隊を率い、戦闘を開始するがすぐに異変に気づいた。 「…おかしいな。敵が少ない」 いつもより敵が少なすぎる。嫌な予感に背筋が凍る。敵を切り伏せながら状況を把握しようと視線を動かすと、遠くから馬が走ってくるのが見えた。それに気づいたのは鶴丸だけでなく、他の者もそちらに目を向ける。 声が届くところまで来ると馬に乗って来た堀川が大声で叫んだ。 「っ伝令です！！！本丸が襲撃されました！直ちに帰還してください！！！」 「―――！！」 彼らが急いで戻った先は、いつもの本丸ではなかった。 草木は枯れ、空が曇り、あちこちで戦闘の傷跡があった。まだキィンと音がしているため誰かが応戦しているのだろう。 「あんたは早く主の所へ行け！！！」 「ああっ…！！」 山姥切に後押しされ、鶴丸は本丸内を駆ける。 （主！主…！頼む、無事でいてくれっ…！！！） 途中邪魔をしてくる敵を切り伏せ、審神者の元へと急いだ。 「！！」 彼女の部屋にたどり着くと、敵の太刀が刀を振り上げて居るのが見える。それを背後から一気に近づき首を落とした。 「主！」 部屋の中央に彼女は居た。―――横たわり、腹から血を流して。 その姿を見ると、鶴丸は目を見開いて彼女の傍に膝をついて抱き起した。 「主っ！しっかりしてくれ！」 「…ぅ、…」 「！主…！」 鶴丸の呼びかけに彼女は薄っすらと目を開く。 「…つ、る…？」 「ああ、俺だ…！しっかりしろ、今現世に連れて行くから…！こんのすけ！！こんのすけはいるか？！」 「はい！こんのすけはここに！！」 ぽん！と姿を現した式神に鶴丸は急いで現世とゲートを繋いでくれと頼む。こんのすけは直ちに！と言って走って行った。 「…も、まにあわ、な…よ」 「そんな事ない！弱気な事を言う何てきみらしくないじゃないか…！」 鶴丸はどくどくと血が止まらない腹に手を当てる。止まれ止まれ！と願いながら。 「…」 そんな鶴丸を見ながら、審神者は思う。 （最期に、伝えなきゃ…） ひゅーひゅーと息を吐きながら彼女は鶴丸に手を伸ばす。げほっ、と血が口から流れるがそれでも力を込めて襟をつかんだ。 「…っ、つる、まる…」 「主、喋るな…！すぐ、助けるから！！」 「い、の…おねがい、聞いて…」 「嫌だ！そんな死に際の言葉なんて聞きたくないぞ！」 鶴丸の言葉に彼女は力なく首を振る。そして、何とか息を吸い込み、言葉を紡ぐ。最後の力を出しながら。 「…あんたはっ、私をふったんだから、…絶対、幸せにならないと、許さないんだから…！」 「なにを、…あるじ？」 …本当は、もっと皆と一緒に居たかった。もっともっと一緒に遊んで、四季を過ごして、それから…。 （もっと、つるまると、一緒に居たかった…） けれど、もうその願いは叶わない。ならばせめて、彼が幸せであればいいと、彼女は願う。 ふっと笑みを浮かべたかと思えば、彼女のその瞳から涙が一つ零れた。そして、ずる…と鶴丸の襟を掴んでいた手が滑り落ちる。 「あるじ…主！！」 ぷつんと彼女と鶴丸を繋いでいた縁が切れる音がした。それは、この本丸に居る刀剣全てが悟った瞬間だった。 「おい…嘘だろ、目を開けてくれ主！！お願いだ…！」 こんなこと望んでいない！と鶴丸は声をあげる。 「俺は、まだきみに…！きみに言ってないことがあるんだっ…！っなあ、主！俺の好きなおかずを作ってくれるんだろう？！行ってらっしゃいと送ったんだから、お帰りと言ってくれ！…なあ！……、頼む、から…」 がくがくと肩を揺するが、その目が開かれることはない。どれだけ揺すってももう目を開けることが無いのだと悟ると、鶴丸は両目から涙を零した。 滑り落ちた手を握ると、その上にぽたぽたと涙が落ちる。 「…い、…すまない」 助けに来るのが、遅くなってすまない、と鶴丸は懺悔した。温かく握り返してくれた手は、もうない。 直後、背後で気配がする。殺気を放つそれは明らかに仲間ではない。審神者を静かに横たえて立ち上がると、鶴丸は自身を掴み、そのまま振り替える事無く敵の心臓を一突きにした。 どしゃと敵の崩れる音がする。ゆっくりと振り返るその目には冷めた光が宿る。 「俺の大事な人を奪ったんだ……命を以てして償ってもらおうじゃないか。―――俺を怒らせたこと、後悔するがいい」 鶴丸を筆頭に主を屠ったことを憤る刀剣たちが次々と敵を殲滅していく。 こんのすけが応援を呼んだ時にはもう動く敵の姿はなかったという。 静かに眠る審神者に鶴丸が寄り添い冷たい頬に手を当てて、誓いを立てた。 「…来世で必ず会おう」 何も、返ってくることはない。物言わぬ審神者を鶴丸は優しい眼差しで見つめる。 その姿を見ていたこんのすけが、鶴丸様と声をかける。 「…貴方様の記憶も審神者様の記憶もあるかどうかは分からないのですよ？」 「何だそんな事か」 鶴丸は小さく笑った。そんな事は問題でも何でもないと。 「俺は一途だからな。その程度で諦めたりはしないぜ」 そう。例え記憶が無くなったとしても。 「――きみがいないのに…幸せになんてなれないからな」 幸せになれと言った彼女がいなければ、鶴丸の幸せはない。 ならば、来世で会おうと鶴丸は彼女の額にそっと口付けを落とした。 これが、ある本丸で起きた記録だ。 「…る、…まる！…鶴丸！」 「！」 肩を揺すられはっと意識が戻った鶴丸は、辺りを思わず見回した。 その様子を見ていた彼女が呆れた声を出す。 「ねえ、本当に大丈夫？寝ぼけてる？」 「大丈夫だ、寝ぼけてない」 ああ、そうだ。ここはある大学の講義室だ。授業はとっくに終わっており、室内には鶴丸と彼女しかいないと悟った。 「…ひょっとして待っててくれたのかい？」 「だ、だって全然目覚まさないから…」 照れ隠しでそっぽを向く彼女に鶴丸は破顔した。その姿を見た彼女は荷物を手に取ると席を急いで立つ。 「も、もう大丈夫だよね？！私、もう行くから…！」 逃げようとする彼女の手を掴みその場にとどまらせる。 動揺して目を白黒させる彼女に笑いかけると、鶴丸はその口を開いた。 「照れるとすぐそっぽを向くその癖…。きみも“昔”から変わっていないな」 「そんな事な………え、鶴丸、今…」 「…ずっと、きみに言いたかったことがあるんだ」 鶴丸もその場に立つと、しっかりと彼女の目を見て微笑む。 「昔も今も、きみのことが好きだと言ったら驚くかい？―――主」 「…え」 ぽろりと彼女の目から涙が零れた。 次のページはあとがきなので読まなくても大丈夫です。 [newpage] ここまでお付き合いくださりありがとうございました！！ このお話は「同じクラスの一期君に嫌われている」を書いていた時から練っていたものなので、漸く書けて嬉しく思います。 コンセプトは誰よりも一途な鶴丸です。 好きな人の意思を尊重して、自分は身を引くという。 鶴は生涯一人の相手を愛すという話を書いてみたくて、結果出来た話です。 初めて書く転生のお話はこれがいい！とずっと考えていました。 書けたのでまた転生ものに手を出します。← 山姥切は審神者が死んだことを覚えています。 知らないのなら、それでいいという優しさです。 漸く二人の思いが通じ合って安堵することでしょう。 こんのすけは審神者によって隠されていました。 外に連絡できるこんのすけは真っ先に敵に狙われた為、審神者が隠しました。 自分か仲間の呼びかけによって表に出てこれるというやつです。

お待たせしました。<br />これにて終わりです。<br /><br />見守ってくださった皆さまありがとうございます！<br /><br />＊過去の回想において、死ネタの表現があります。<br /><br />１→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6379532">novel/6379532</a></strong><br />２→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6435446">novel/6435446</a></strong><br /><br />素敵な表紙は<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/32305645">illust/32305645</a></strong>からお借りしました。<br /><br />デイリー、女子ランク入りました！<br />ありがとうございます！<br /><br />不動くんが出ないです！！_(:3｣∠)_

今世ではあまり関わらないでくれませんか？３【終】

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6459587#1

――――ボコミュージアム：入り口にて 沙織「あ、出てきた。お～い！みぽり～ん、愛里寿ちゃ～ん」 みほ「沙織さん、皆も！」 愛里寿「……ただいま」 優花里「お二人共、お帰りなさいませ！」 華「どうでしたか？ボコミュージアム」 みほ「うん！中もぜ～んぶキレイになってて、すっごく楽しかった♪」ｷﾗｷﾗ 沙織「あ、相変わらずここに来るとテンション高いわね……」ﾀｼﾞｯ 麻子「ま、楽しんできたようで何よりだ……」 みほ「あ……でも、本当に皆は待ってるだけで良かったの？何だか私達だけで楽しんできちゃって……」 沙織「いや～アハハ……私達はこの前の一回で満足しちゃったかな～って……リニューアルしても、中のアトラクション自体は変わらないんでしょ？」 みほ「うん、そうだけど……」ｼｭﾝ 愛里寿「貸切だから、順番を気にせずショーを見れたし……」 沙織「いや元から並ばなくても見れたし……それに、結局やられちゃうんでしょ？ボコって……」 みほ・愛里寿「「それがボコだから！！」」 みほ「あ……」ﾁﾗｯ 愛里寿「あ……」ﾁﾗｯ みほ「――あははっ、また揃っっちゃったね？」ﾆｺｯ 愛里寿「うん♪」ｸｽｸｽ 沙織「あ～あ、すっかり仲良くなっちゃって……」 華「妬いちゃいます？」ｸｽｯ 沙織「妬いちゃうのとはちょっと違うけど……あのみぽりんがこんな短時間で人と打ち解けているの、初めて見るからビックリ――かな？」 麻子「恐るべし、ボコの魅力……」 沙織「……まぁ二人で入り口のボコの乗り物に乗ってる姿見た時は微笑ましいのなんのって……」 優花里「ああ、あの熊はボコではなくて『ヴォイテク』と言いまして、昔ポーランドでですねぇ……」 沙織「おっと、こっちのスイッチも入っちゃったか……」 麻子「……まぁリニューアル云々はともかくとして、私は行きたくなかったしな……」 沙織「……それってボコーテッドマンションがあるから？」 華「麻子さん、怖いもの苦手ですものね……」 みほ「そうだよね、残念……」 沙織「……まぁそれに、ちょっと外で確かめたい事が有ったしね……」ﾎﾞｿｯ みほ「確かめたい事……？」 沙織「まぁその話は置いておくとして……次はどうしよっか？」 みほ「愛里寿ちゃん、他に行きたい所は無い？」 愛里寿「……みほはどこに行きたい？」 みほ「私の行きたい所……？」 華「せっかく短期転校扱いで大洗に来たんですから、遠慮なさらなくてもいいんですよ？」 優花里「私達が誠心誠意、ご案内させていただきます！」 愛里寿「……最初に私の行きたい所に連れて来てもらったから、次はみほが行きたい所がいい……」 沙織「ん～そっか……みぽりん、どうしよっか？」 みほ「えっと、それじゃあ……」 ――――三十分後 ウィーン 店員「いらっしゃいませ～」 みほ「～～♪」 沙織「…………ねえ、みぽりん？」 みほ「へ？何……？」ｷｮﾄﾝ 沙織「いっくら好きだからってさ……お客様をコンビニに案内するのはどうかな……」 みほ「えっ！？……ダメだったかな？」ｼｭﾝ 沙織「いやそんな顔されるとアレなんだけどさ……ホラ、コンビニなんてどこにでもあるから……」 みほ「で、でも、コンビニごとに色々違いがあってね？……ほら、コレなんか学園艦のコンビニには無い、限定のお菓子でね？」ｱﾜｱﾜ 優花里「流石西住殿……この情報収集に掛ける情熱が戦車道の指揮にも活かされて……」 沙織「いや、ないから……」ﾋﾞｼｯ 華「まぁまぁ……ほら見て下さい、結構楽しんでるみたいですよ？」ｽｯ 沙織「……？」 愛里寿「そんなに違いがあるんだ……？」 みほ「うん♪このチェーンはコンビニスイーツに力を入れていて、それに合わせてコンビニコーヒーの味もね……」 愛里寿「へぇ～……」ﾏｼﾞﾏｼﾞ 華「……ね？」ﾆｺｯ 沙織「まぁそう言われるとねぇ……ってあれ？そういえば麻子は？」 麻子「……何だ、皆は何も買わないのか？」ｶﾞｻｯ 沙織「早っ！？もう買う物決めたの？」 麻子「後はレジを通すだけだ……」ﾌｯ 優花里「冷泉殿も流石行動が早いですね！」 沙織「この甘い物にかける意欲を、もう少し他の事に向けてくれるといいんだけれどね……」 麻子「――！皆、ちょっと見てくれ！」 沙織「なになに？何か有った？」ﾋｮｺ 優花里「これは……」 華「コンビニくじ……ですか？」 麻子「ああ。500円で1枚ひけるんだが、その賞品が――」 みほ「――B賞がボコのぬいぐるみ！？」ｸﾞｲｯ 沙織「うわっ！？びっくりした……」 みほ「ああっ、ごめんなさい……」ｼｭﾝ 愛里寿「しかもこれ、新デザインの限定品……」 みほ「そうみたい……どうしよう、ここでお金使い過ぎちゃうとこの後どこにも行けなくなっちゃうし……それにそもそも、今月のお小遣いもあまり残ってないし……」ﾌﾞﾂﾌﾞﾂ 愛里寿「……」ｷﾞｭｯ 沙織「……」ﾁﾗｯ 優花里・華・麻子「「「……」」」ｺｸﾘ 沙織「……6人いるから、それぞれ150円強出し合えば、みぽりんと愛里寿ちゃんの2回分は引けるわね……」ｽｯ 優花里「正確には、一人頭166円になります」ｽｯ みほ「沙織さん！？優花里さんも！？」 華「ここは一つ、運試しでもしてみましょうか？」ｽｯ 麻子「……だな」ｽｯ 愛里寿「みんな……」 みほ「本当にいいの……？」ﾊﾟｱｧ 優花里「はいっ！」 華「折角ですから……ね？」 愛里寿「ありがとう……」//// 沙織「でもさっき華も言ったけど、当たるかどうかは運次第なんだから、当たらなかったら素直に諦めること！無駄遣いはお母さんが許しませんよ！」 みほ・愛里寿「「はいっ！」」 麻子「誰がお母さんだ……」 ――――十分後 ウイーン 店員「ありがとうございました～」 沙織「――――で、確かに運試しとは言ったけど……」 みほ「～～♪」 愛里寿「～～♪」 沙織「まさか2回とも当たるとは……」 華「驚きましたね……」 優花里「いや～西住殿はくじ運にも恵まれてるんですね！」 沙織「いやいや、みぽりんがくじ運良かったら、全国大会で強豪校とばかり当たらなかったから……」 麻子「まぁ色違いだが、お揃いの物が当たって良かったんじゃないか？いい思い出になっただろうし……」 みほ「はぁ～やっぱりボコはかわいい！」ｷﾞｭｯ 愛里寿「うん♪」ﾆｺｯ 優花里「喜んでいただけたようで何よりです！」 沙織「まぁね……んじゃあ次はアウトレットの方にでも行ってみようか？色んなお店あるから暇しないだろうし……」 華「そろそろお昼も近いですしね」 ――――アウトレット前：バス停留所にて 沙織「到着～」ｽﾀｯ 優花里「丁度循環バスに乗ることが出来て助かりましたね～」 麻子「ずっと歩き通しで疲れたからな……」 華「愛里寿さんは疲れていませんか？」 愛里寿「うん。でも、こんなにはしゃいだのは久しぶり……」 みほ「そうなの？」 愛里寿「普段はこんな風に遊びに出たりしないから……」 優花里「そうなんですか……」 沙織「大学生ってそんなに忙しいの？」 愛里寿「……大学生だからというか、休日も試合や合宿予定が組まれていて中々自由な時間が取れないし、私自身出不精だから……今回の短期転校も相当無理を言ってスケジュール組んでもらったし……」 沙織「そっか～」 みほ「……そういえば、どうして愛里寿ちゃんは短期転校を希望したの？」 愛里寿「――！それは……」 華「確か、自分から希望して来たんですよね？他の隊長さん達は文科省の命令で仕方なく――と言う形でしたけれど」 麻子「仕方なくという割にはノリノリな人ばかりだったが……しかしわざわざ希望してきたからには、何か理由があるのか？」 沙織「――っ！まさかうちの戦車の偵察を！？」 優花里「いやいや偵察も何も、ウチで使用できる車両が８両だけってことは既に全国に知れ渡ってますし……」 沙織「そっかぁ……でもじゃあどうして？」 愛里寿「…………みほの事を知りたかったから」 みほ「私の事……？」 愛里寿「うん……」 沙織「同じボコ好きとして？」 愛里寿「うん、それもあるけど……羨ましいなって思って」 みほ「羨ましい……？」 華「みほさんがですか？」 愛里寿「うん。みほはこんな風に友達も沢山いて、仲間の皆にも信頼されていて――凄いなって思って……」 みほ「そんなっ、私なんか全然凄くないよっ！……それに、愛里寿ちゃんにもチームメイトの皆さんがいるんじゃ……」ｱｾｱｾｯ 愛里寿「……確かに皆優しくはしてくれるけど……最近、それは私が『島田流の家元の娘』だからなんじゃないかって思えてきて……」 みほ「そんな……」ｼｭﾝ 麻子「――――それで、西住さんに一度会ってみたかったと？」 愛里寿「同じ家元の娘でも、皆に信頼されて、気兼ねなく仲良く出来ているみほの事を知れば、私も――――そう思って……」 みほ「愛里寿ちゃん……」 沙織「そういうものかなぁ……『家元の娘』ならここにもう一人いるけど……華はそんな風に感じたこと有る？」ﾁﾗｯ 華「私はあんまり意識したことないですねぇ……」 沙織「だよねぇ……」 華「……ですが、華道というものは通常の学園生活では関わりのないものですから、勝手は違うかと思います。――愛里寿さんの場合は戦車道の選抜チームの隊長ですから、『戦車道の家元の娘』という肩書は、本人に重く伸し掛かってしまうのかもしれません……チームメイトの方に『そう見られてる』と感じてしまうのも、致し方無いのかと思いますが……」 優花里「試合ではあのように凛々しい愛里寿殿が、そのような深い悩みを抱えておいででしたとは……」 みほ「うん……」 沙織「う～んでもさぁ……」ﾁﾗｯ 華「その悩みでしたら……」ﾁﾗｯ 麻子「『いらぬ心配』だったと思うぞ……？」ﾁﾗｯ 愛里寿「……？」 優花里「そろそろお声掛けしましょうか？」 華「そうですね……」 みほ「皆、何を……？」 沙織「よ～し！お～い、そろそろ出てきてもいいですよ～！」ﾌﾞﾝﾌﾞﾝ みほ「……？沙織さん、そっちには誰も……」 ガサッ 愛里寿「！？」ﾋﾞｸｯ ガサガサッ ルミ「――ちょ、押さないでよっ！」 メグミ「ここまで来たら覚悟決めるしか無いでしょ！」ｸﾞｲｯ アズミ「そうそう。怒られる時は三人一緒……ね？」ﾎﾟﾝﾎﾟﾝ ルミ「だけど……」ﾌﾞﾂﾌﾞﾂ みほ「選抜チームの……中隊長さん達っ！？」 愛里寿「３人とも、どうしてここに……？」 メグミ「いや～そのぉ……」 アズミ「た、隊長が一人で大洗に行くっていうから心配で……練習すっぽかして来ちゃいました」 ルミ「ずっとこっそり後ろで見守ってるつもりだったですが、途中でその子達に見つかっちゃって……」ﾁﾗｯ 愛里寿「そうなの……？」ｷｮﾄﾝ 沙織「二人がボコミュージアムに入った時、後ろからコソコソ～って誰かが近づいてくるのに気づいてね……」 華「何やら嗅ぎ慣れない戦車の匂いもしましたので……」 ルミ「えっ、そんなに体に染み付いてるかなっ！？」ｸﾝｸﾝ 沙織「いや、華の嗅覚が異常なだけなんで安心して下さい……」 華「酷い言われようです……」ｼｭﾝ みほ「――！さっき言ってた『確かめたい事』ってその事だったんだ」 沙織「そうそう！それで、楽しんでる二人に水をさすのもアレかな～って思って……」 麻子「『私達だけで確認しよう』……と思った次第だ」 愛里寿「そうだったんだ……」 優花里「――で、お話を聞いててみると『隊長が心配だから見守っていただけ、邪魔にはなりたくないので、出来ればこのまま知らんぷりをしていてほしい』と頼まれましたので……」 華「皆で黙っていたんです……」 ルミ「勝手な事をして申し訳ありませんっ！でも――」 メグミ「ボコミュージアムのリニューアルオープンの日に一度来ているとはいえ、知らない土地に隊長一人向かわせるのは心配で心配で……」 アズミ「皆を代表して我々が来たんです……まぁいざ見てみれば、同好の士と仲睦まじくしていて安心できましたけど……」ﾁﾗｯ みほ「あはは……どうも……」 愛里寿「…………」ﾎﾟｶｰﾝ 沙織「……とまあそんな感じなんだけど、どう？愛里寿ちゃん？」 愛里寿「……？」 沙織「――――戦車道に関係無い所でもこんなに心配してくれる人を見て、まだ『家元の娘だから～』って思う？」 愛里寿「――ううんっ！そんなこと無い……３人とも！！」 メグミ・アズミ・ルミ「「「はいっ！」」」ﾋﾞｼｯ 愛里寿「…………ありがとう」//// メグミ「い、いえ私達は……」 アズミ「隊長がお元気そうなら何よりです♪」 ルミ「練習すっぽかしてここに来た罰は、謹んでお受けます！」 愛里寿「そんなの必要ない……私も半分遊びに来ているようなものだし……」 ルミ「そうですか！？良かった～」ﾎｯ 華「……一件落着、ですかね？」 優花里「はいっ♪」 麻子「……最初からいらぬ悩みだったようだしな」 沙織「まったく……皆気にしいなのよね。もっと気楽に生きて笑顔でいないと、男の子も寄ってこなくなるよ！？」ﾋﾞｼｯ 麻子「……まぁ人類皆沙織みたいだったら、世の中幸せなんだがなぁ……」 沙織「やだも～、褒めても何も出ないわよ？」//// 優花里「……多分、褒められてないと思います」 ルミ「あ、それじゃあお邪魔になるのでそろそろ私達はこの辺で……」 アズミ「そうねぇ、この子達ならば隊長の事、お願いできるしぃ……」 みほ「あ、あのっ！」 メグミ「はい？」 みほ「……折角ですから、私達と一緒にこの町を見て回りませんか？」 ルミ「えっ、いいの！？」 メグミ「……でも、お邪魔になるんじゃあ？」ﾁﾗｯ みほ「いえっそんなこと無いです。……ね、愛里寿ちゃん？」 愛里寿「うん。皆と一緒に見て回りたい……ダメ？」 アズミ「そんな事無いです！」 メグミ「じゃあ……お言葉に甘えて……」 みほ「あ、ありがとうございます！」ﾆｺｯ 沙織「おお～みぽりんがナンパを成功させた……」ﾊﾟﾁﾊﾟﾁ みほ「な、ナンパじゃないよ～」//// 沙織「まぁナンパは冗談として……引っ込み思案のみぽりんが珍しいなって思って」 みほ「そうかなぁ……？」 華「……愛里寿さんのため、ですか？」 みほ「それもあるかな？……せっかく心配事も無くなったんだし、気兼ねなく仲を深めてもらいたいって……」 優花里「『も』って事は……？」 みほ「うん……私自身も愛里寿ちゃんだけじゃなくって、中隊長さん達と仲良くなりたいなって思って……」 沙織「おお～みぽりんらしからぬ積極的な発言」 みほ「あはは……せっかくのご縁だしね、これっきりにしたくないなって思って……この間の試合も、これまで出会った人達との繋がりに助けられちゃったし、大事にしていかないと……」 麻子「一期一会……いや、西住さんの場合は『友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である』だったか……？」 華「座右の銘……でしたっけ？」 みほ「うん……この言葉の解釈も色々あるんだけど、出会いの段階からどんな果実を実らせられるか――仲を深めていけるかは自分の努力次第って考え方もできるから……」 麻子「だからこういうチャンスを無駄にしたくないと……？」 みほ「うん……なんて、ちょっと自分勝手が過ぎるかな？」 華「いいえ、素敵な事だと思いますよ？」 沙織「そうだよね～町で格好良い人とすれ違うだけなら誰でもできるけど、彼氏を作れるかどうかは自分の頑張り次第だもんね！」 麻子「そういう話じゃないだろう……」 沙織「よーし、じゃあみぽりんに習って、お姉さま方との仲を深めていきますか！」 あんこうチーム「「「おーっ！」」」 ――――十分後 アズミ「……でもこういう展望台みたいに何も無い所だと、会話が続かなくなっちゃいそうで誘う自信ないなぁ……」 メグミ「う～ん分かるかも……」 沙織「そこがポイントなんですよ！こういう場所では『何もない状況でも気まずくならないか』を見極められるんです！！」 ルミ「……どういうこと？」 沙織「つまりですねぇ……仮にその人と将来結婚する――って所まで見据えるとなると、当然結婚生活のことも考えなくちゃならないですよね？」 アズミ「ふむふむ……そうよね」 沙織「しかしですね、結婚生活においては圧倒的に『何もない日常』が大半を占めるんです！」 メグミ「確かに……」 沙織「レジャー施設やショッピングで盛り上がるのは――言ってしまえば当たり前。でもいざ結婚したとなると毎日そんな所に行ってられない……」 メグミ「成る程……そういう『先』を見据えてのチョイスってわけね？」 アズミ「だから、あえてこういう場所に来ることで見極める――と」 沙織「はいっ！その通りですっ！その見極めこそが、恋愛を長く続けられるか否かのポイントになるんです！」 ルミ「う～ん、深いわね……」 みほ「……」 愛里寿「……」 華「……」 優花里「……」 麻子「…………で、あそこの盛り上がり具合はなんなんだ？」 華「さあ……？」 みほ「沙織さん、イキイキしてるなぁ……」 愛里寿「うん……うちの３人も……」 優花里「何だか、『武部沙織のデート道講座』と化してますねぇ……」 麻子「まぁ、良いおもてなしにはなってるんじゃないか？沙織の知識が実践で役に立つかどうかはわからんが……」 みほ「あはは……」 沙織「――そういえば愛里寿ちゃんの肌って白くてキレイですよね～羨ましい」 アズミ「やっぱり思うわよね！？隊長に美肌の秘訣を聞いても『別に何も……』としか答えてくれないし！」 メグミ「隊長のお母様もキレイな方だったから……遺伝？」 ルミ「遺伝といえば西住流の家元さんも――」 麻子「なんかこっちにも話題が飛び火してきそうだな……」 華「あらあら……」 優花里「まぁとりあえずこれからご飯を食べるとして……その後はどうしましょうか？」 みほ「そうだね……水族館――はこの間のエキシビジョンマッチで一部改修工事中だし……」 華「最後の一撃、外してしまって面目ないです……」 みほ「ううん、私が相手の作戦を読みきれなかったのがいけなかったんだし……」 愛里寿「エキシビジョンなんてやってたんだ……」 優花里「ええ！大洗・知波単連合対プラウダ・聖グロ連合で！残念ながら我々は負けてしまいましたが……」 愛里寿「私……またみほと戦ってみたい！」 みほ「私と……？構わないけれど、愛里寿ちゃんが乗る車両どうしよう……」 アズミ「ああ、それなら一応持ってきましたよ？センチュリオン」 優花里「本当ですか！？」 メグミ「ええ。もしかしたら乗ることになるかもしれないと思って一応……」 沙織（『一応』って……戦車って雨具感覚で持ってくるもんなんだ……） 華「でしたら、私達のⅣ号戦車とタイマンしてみませんか？」 ルミ「おっ、いいねぇ～どうでしょう？隊長！」 メグミ「砲手や操縦手は我々が務めますので……」 愛里寿「うん！……今度は負けないから！」 みほ「じゃあ私達がいつも使っている演習場にでも……」 優花里「既に生徒会に連絡をしておきました！使用許可もおりています！」 沙織「さっすがゆかりん、仕事が速い！！そんじゃあご飯食べて……模擬戦やって……」 麻子「終わったらまた温泉に入りたいな……」 アズミ「へぇ～温泉まであるんだ？」 優花里「陸地にあるのは化石海水を使った、湯冷めしにくいお湯だそうですよ？学園艦の艦橋にも露天風呂がありますし……」 麻子「どちらもいいお湯だった……」 メグミ「そういえば、港町だからやっぱり海産物が美味しいの？」 華「はい……一番有名なのはアンコウでしょうか？艦内でしたら養殖していますから、いつでも美味しく食べられますよ？」 沙織「……コラーゲン、豊富ですよ？」ﾎﾞｿｯ 中隊長ズ「「「――！」」」ﾋﾟｸｯ 愛里寿「皆したい事、やりたい事がいっぱい……時間、大丈夫かな？」ｶﾁｬｯ みほ「……短期転校期間、まだまだあるからゆっくり回っていこ？学園艦の中も案内したい所いっぱい有るし」ﾆｺｯ 愛里寿「――うん！」ﾊﾟｱｧ ――――数日後：短期転校最終日 メグミ「じゃあここで……」 ルミ「隊長ともども、お世話になりました！」 アズミ「また機会が有ったら……ね？」 愛里寿「数日間、本当に楽しかった……」 みほ「うん。私も♪ボコミュージアムに行ったり、足の踏み場が無くなるくらい、部屋いっぱいにボコのぬいぐるみを並べてみたり……ホントに楽しかった！」 愛里寿「……♪」//// 沙織「ボコの思い出ばっかりじゃん！！――ていうか、普段部屋に飾ってる他にも有ったんだ……」 みほ「うん♪飾りきれないのがクローゼットの中にね――」 優花里「それわかります！私も戦車グッズが飾りきれなくて押し入れにしまいこんでいます！」 メグミ「……こんなに楽しそうな隊長、初めて見た……自腹切って最終日まで泊まった甲斐があったかしら？」 ルミ「本当に……まぁウチにはボコの魅力が分かるメンバーいないから、嬉しくてしょうがないのかもしれないけど……」 沙織「ああ、ウチもです……」 華「しかし、模擬戦ではずっと負け通しでしたね……」 麻子「センチュリオンを混ぜての紅白戦でも、毎回センチュリオンのいる側が勝っていたからな……中隊長達は普段と役割も車両も違うのによくやる……」 優花里「でも、いい勉強になりました！」 愛里寿「みほ……本当に有難う。このボコも大切にする……」ｷﾞｭｯ みほ「ううん、こちらこそ……愛里寿ちゃんが喜んでくれたみたいで良かった～」 愛里寿「この数日間……お姉ちゃんが出来たみたいで楽しかった」//// みほ「お姉ちゃん……？」 愛里寿「うん……私一人っ子だから、とても新鮮だった……」 みほ「……そっか」 愛里寿「……また、遊びに来てもいい？」 みほ「――勿論！いつでも歓迎するよ」ﾆｺｯ 愛里寿「うん♪じゃあ、またね！」ﾋﾗﾋﾗ 優花里「はいっ！お気をつけ下さい！」ﾋﾞｼｯ 華「どうかお元気で……」ﾍﾟｺｯ 沙織「お姉さま方、また女子トークしましょうね～！」ﾌﾞﾝﾌﾞﾝ 麻子「お前はそればっかだな……」 みほ（『お姉ちゃん』か――） 優花里「……行ってしまいましたね」 華「ええ……」 麻子「これで本当に短期転校期間も終わりだな……」 みほ「……」 沙織「――どしたのみぽりん？」 みほ「あ――うん……ちょっとね……」 ４人「「「……？」」」 ――――数日後：熊本・西住家近辺にて ヴヴヴ――ヴヴヴ―― まほ「着信？――みほから？」 まほ「もしもし？」ﾋﾟｯ みほ『あっお姉ちゃん……』 まほ「みほか……どうした？電話してくるなんて珍しい……」 みほ『う、うん……あのね……ちょっと相談に乗ってもらいたいことが有って……』 まほ「何だ？言ってみろ」 まほ「――――成る程。選抜チームの隊長がそんな事を……それで？姉と慕われたはいいが、どうしたものかと不安になったか」 みほ『う、うん……よくわかったね？』 まほ「……わかるさ、みほの事だからな」 みほ『お姉ちゃん……』 みほ『…………私にとっての「お姉ちゃん」っていうのは「目標」であって、「お手本」であって――「手の届かない高みにいる存在」であって……私なんかが愛里寿ちゃんにそんな風に思われるなんておこがましいというか……』 まほ「……」 みほ『……お姉ちゃん？』 まほ「うん……まぁ、まず始めに言っておきたいのは――」 みほ『……？』 まほ「選抜チームの隊長――島田愛里寿だったか？あいつも別にみほにそんなプレッシャーをかけるつもりで言ったわけじゃないと思うぞ？ただ純粋にみほに親しみを感じただけ……なんじゃないか？」 みほ『あはは……それ沙織さん――友達にも言われた』 まほ「だろう？……まぁ妹にその気はなくても、姉としては勝手にプレッシャーに感じてしまうものなんだがな。『妹が見ているからしっかりしないと』『不甲斐ない姿は見せられない』――と」 みほ『……お姉ちゃんもそうだったの？』 まほ「……一般論だ」ﾌｯ みほ『あはは……そっか。――ねえお姉ちゃん？』 まほ「……何だ？」 みほ『インタビューで勝利の秘訣を聞かれた時「諦めないこと、そして、どんな状況でも逃げ出さないこと」って答えたの覚えてる？』 まほ「ああ……春先のテレビの取材だったか……？」 みほ『うん……今ならその言葉の大切さがわかる……もし廃校が決定した時にすぐに諦めたり、試合から逃げ出していたら、学校を守ることが出来なかった。退いたら道は無くなっていた……』 まほ「……」 みほ『お姉ちゃんの言葉と、支えてくれる仲間がいたからここまで来れた……だから私、頑張ろうと思う。――胸を張って立派な「お姉ちゃん」になれるように』 まほ「ああ……応援するよ」 みほ『……ところでお姉ちゃん、今何してるの？』 まほ「今か？散歩から戻るところだが……もうすぐ家に着く……」 みほ『そっか、丁度良かった――』ﾌﾟﾂｯ まほ「――みほ？……切れてしまったか」 まほ（どうしたんだ、いきなり……『丁度良かった』とは――） まほ「まぁいいか。ホラ、もう着くぞ…………？玄関に人影が――」 みほ「お姉ちゃん！」 まほ「――！みほ！？……どうしてここに！？」 沙織「あはは……どうも～」ﾋｮｺｯ 華「お邪魔いたします」ﾍﾟｺﾘ 麻子「く～」 優花里「ああっ、冷泉殿！寝ちゃダメですよっ！」 麻子「む～朝から移動づくしで疲れた……」ﾑﾆｬﾑﾆｬ 沙織「殆ど寝てたくせに……」 まほ「君達は……Ⅳ号戦車の？じゃあさっきの電話は？」 みほ「うん。家の前からかけてたの……」 優花里「こそこそ作戦リターンズ、成功ですね！」 沙織「あ～発案は私なんで、お叱りはお受けいたします……」 まほ「いや、怒ってはいるわけではないが……しかし驚いたぞ？」 みほ「ごめんね、突然来ちゃって……私の友達――お母さんに紹介しようと思って」 まほ「お母様に？」 みほ「う、うん……」 みほ「……今回も『学校の友人』として案内した方がいいか？」ﾌｯ 沙織「『学校の友人』……？」 みほ「あはは……この間ちょっとね……でも大丈夫。今日は『学校の友人』としてじゃなくて『西住家の娘』として来たんだから……」 まほ「……この間帰ってきた時とは顔つきが違うな。あの時はまるで借りてきた猫のようだった」 みほ「あはは……そうだったかな？」 まほ「……これも立派な『お姉ちゃん』になる第一歩……といった所か？」 みほ「うん……この間はお姉ちゃんに甘えちゃったし、それに対抗試合を取り付ける時、お母さんが尽力してくれたって会長が言ってたから、きちんとお礼をしたいと思って……」 まほ「そうか……」 みほ「あ、これお土産……」ｽｯ まほ「ああ……また干しいもか？」 みほ「うん、会長さんのオススメだったんだけど……」 沙織「あ～やっぱり中身干しいもだったんだ……」 みほ「えっダメだったかな……？」 優花里「西住殿、確かに茨城県はさつまいもの生産量第二位ですが、熊本県も名産地でして……更に一位はお隣の鹿児島県です」 みほ「ええっ！？そうだったのっ！？」 優花里「はい……『干しいも』となると茨城県が生産量一位なのですが……」 みほ「あわわ……じ、じゃあハマグリとかの方が――」ｱｾｱｾｯ 優花里「……ハマグリに至っては、熊本県が生産量第一位です……」 みほ「ふえぇっ！じゃあアンコウなら！？」ｱｾｱｾｯ 華「アンコウ一匹丸ごととなると、運ぶのが大変そうですね……」 沙織「いやいや、普通にお土産用に切り身がパックで売ってるからっ！」 華「そうなんですか？」 みほ「あ、でも菊代さんなら捌けるかも……？」 麻子「アンコウが捌けるとは凄いな……」 みほ「うん、うちの使用人さんで料理が上手な人で、私もよく……はっ！私が大洗に馴染めたのは、食文化が似ていたからなんじゃ……？」 沙織「んなわけ無いでしょう！」 まほ「というか『アンコウ干しいもハマグリ』だと、試合前にお前の所の会長が言ってた作戦名になっているだろう……」 みほ「そ、そっか……」ｼｭﾝ まほ「……まぁみほが『良い』と思って持ってきたお土産だ。お母様も怒りはしないさ」 みほ「お姉ちゃん……」//// 沙織「しかし凄い家だね～」 麻子「前に行った五十鈴さんの家に勝るとも劣らぬ広さ……」 優花里「西住家は更に戦車演習場も有してますからね～敷地面積は相当だと思いますよ？」 沙織「そういえば使用人さんの話が出たけど……華の家といい、家元って必ず使用人やら奉公人がいるものなの！？」 華「そんな決まりは無いと思いますが……」 ワーワーキャーキャー まほ「……とりあえず中に入るか？」 みほ「そうだね、近所迷惑になっちゃうし……」 まほ「そうだ、改めて言っておかないとな……」 みほ「……？」 まほ「――――お帰り、みほ」 みほ「――うん、ただいま！」 おわり

劇場版ガールズ＆パンツァーのネタバレ注意！！<br /><br />前作ラストで愛里寿の漢字を間違えてしまいました、申し訳ありません。<br /><br />ボコミュージアム内での様子は「戦車道のよこみち」参照。<br />※あちらでは愛里寿がみほを招待した形みたいですが……<br /><br />前作<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6264364">novel/6264364</a></strong><br /><br />追記：あなたの作品が2016年02月24日付の[小説] 男子に人気ランキング 68 位に入りました！　本当にありがとうございました。

みほ「楽しかったね、ボコミュージアム」愛里寿「うん♪」

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6460108#1

「おーい修。大丈夫かぁ」 「だ、だい、じょう、ぶ、です」 「いや、大丈夫じゃないだろ。息切れすぎ。でも前より走れるようにはなったな」 ランニングから帰ってきたとたん床とお友達になっている修に声をかける。が、帰ってきた返事は聞き取りづらい。 見た目は決して強うそうじゃない、むしろ弱さしか見えない。けど、その内にあるモノは強い、と思う。 先日聞いた話は正直、全部理解したとは言えないが、それでもわかることは……とんでもなく面白いってことだ。 初めて修に会ったのは今から四ヶ月前、いきなり忍田さんが連れてきた。 何でも昔世話になった人の子供で、両親とも仕事の関係で海外に行かなくてはならなくなったらしいのだが、修はどうしてもこの町を離れることを嫌がったらしい。今ならその理由も分かるが。 一度決めたことは決して引かない。そんな頑固さをこの歳で発揮した。 第一印象は弱そう。 正直、この時期に子供なんか預かって大丈夫なのかよ、と思わなくもなかった。 迅の未来視では、そう遠くない時期に近界民による大規模な侵攻があると言われており、皆それに向けた準備に勤しんでいるのに。 忍田さんの考えが普段からわからないが、この時はいつも以上にわからなくなった。 第二印象は料理が上手い。 家事全般が得意だと聞いていたが、小学生で洗濯から掃除、はては料理などそつなくこなし過ぎてちょっと気持ち悪いと思ってしまった。 けど、その日出された料理に目の前の光景を疑った。だって、出されたコロッケは買ってきたのかと思うほど美味そうで、食べてみると今まで食ったどのコロッケより美味かったんだ。一緒に出されていたコンソメスープからポテトサラダ、ピラフなんてこんなに美味く作れるんだなんて感動まで覚える。 修が来るまでは出来合いの物かレトルトに頼った食生活だったので、それはもう見事に胃袋掴まれてしまった。正直これで修が女なら今から唾付けて16になったと同時に嫁にもらうのに。どうしてこいつ女じゃないんだろうと、残念で仕方がない。 といったことをつい、ポロリと忍田さんに零した日は、俺殺されるんじゃないかって程扱かれた。 でも本当に何で女じゃないんだろうなぁ。もったいない。 呼吸を整えている修を前にちょっとだけ昔を思い出に浸っていると、忍田さんに呼ばれた。 「帰ってきたか。修は大丈夫か？　動けるようなら少しこちらに来てくれ」 「は、い。大丈夫、です」 「運んでやろうか？」 「……歩けます」 手を貸してやろうかと声をかければ、少し拗ねたように頬を膨らませふらつきながらも己の足で歩いて行った。 この負けん気の強さは買いだな。 連れて行かれた部屋は普段修の立ち入りを禁止していた部屋だ。 「ここでなにすんの、忍田さん？」 「修のトリオン量を調べておこうと思ってな」 そう言ってなにやら機械をセットしていく。修を手招きしてソファーに座らせると、計測を始めた。 「……」 「……」 「俺がここにいる意味ってあんの？」 「あるから呼んだんだ。もう少しで終わるからそれまでおとなしくしていてくれ」 首を傾げながらそう問いかけると、素っ気ない返事が返ってきた。修は冷や汗を流しながら俺たち二人のやりとりを黙ってみてるし、修のトリオン量にも興味はあるからとりあえず大人しく待っておこう。 測定の結果。可もなく不可もなくと言ったところか？　普通の人よりは戦闘員向きな量を持っている事がわかったが、それでも俺からすれば物足りないの一言である。 だが、結果を知った修は、「でも、“前”よりは増えてますよ」なんて事を言ってるからこっちがびっくりだ。 「は？　なにお前、これより少なくて戦闘員になってたの？　てかなれたの?!」 頷くことで肯定してくる修を見て唖然としてしまう。弱い弱いと思っていたがこれほどとは。 「だが、これなら問題はないな。……修は、どうしたい？」 忍田の問いかけの意味をしっかりと理解した上で、出した修の判断は―― [newpage] 修の判断を聞いてからさらに二週間後、とうとう近界民が侵攻を始めた。 今は街中で暴れている近界民を一人一人切り捨てていく。襲われそうになってる人は保護するも、やはり間に合わない人は出てくる。 胸のあたりを抉られたような傷跡を残し息絶えている人達を横目に、彼らは動く。助けられる命を助けに。 「始まった。ぼくも行かなくちゃ……」 人々が逃げ惑っている。その流を見下ろせる位置に少年は立つ。 頭の中に聞こえてくるのはあの日、自身に起こった事を告げた日に問いかけられた言葉と、自身が返した答え。 『……修は、どうしたい？』 そう、問いかける忍田の声。 『ぼくは、ボーダーに入って、ぼくが成すべきと思ったことをやり遂げたいです。この記憶からも――何より自分自身から逃げたくありません。』 返す自分の言葉。 手に持ったトリガーを握りしめ、あの日の記憶をなぞる。 ぼくの頼みを聞き届けてくれた真史さん、記憶にある自身との身体の動かし方に四苦八苦していたぼくに、稽古をつけてくれた慶さんにはとても感謝している そして幾多の“三雲修”の願いを、今の“三雲修”であるぼくが、受け取った。今度こそ、守るんだ。 「トリガー[[rb:起動 > オン]]」 掛け声と同時に生身はトリガーホルダーに格納され、トリオン体と入れ替わる。覚悟はとうにできている。後はそれを実行するだけ。 立っていたビルの屋上から身を投げ出すように飛び降り、己の望みのために、助けられる命を選別する。 見捨てる命がある、拾える命がある。 多分なりふり構わず動けば、きっと沢山の命を拾えたんだろう。けれど自分はそれをしないと決めた。 自分がそうすべきと思ったことをやり遂げると決めた時に、救う命を決めてしまったから。 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい」 幾度も謝罪の言葉が口を衝いて出てくる。自己満足でしかないその謝罪の言葉は誰の耳にも届かない。 □　　　□　　　□　　　□　　　□ 一刀のもと、近界民を斬り伏せるとすぐに次へと体を向ける。 群がってくるソレを一体、また一体と倒していく。 「おーおー切りがねぇな。どんだけ出てくんだ？」 ＜ちょっと太刀川さん、きりきり働いてよね＞ 通信回線を使い話しかけてくる迅に、太刀川は笑みを浮かべたまままた近寄ってきた近界民を斬り伏せ辺りを見回し、 「働いてるだろ？　この辺は避難がすんでるみたいで一般人はいないみたいだな」 見える範囲に人はいない。だが、そこかしこに人だったモノはある。それらに目をやるも太刀川の表情は動かない。 どうあっても犠牲は出る。分かり切っていることだ。 それでもあの子は辛そうな顔をするのかな、などと少しだけ考えてしまう。 しっかりとした意志を持って戦うことを選んだ修。 一人で抱えるな、俺を頼れと、そう言った言葉があの少年に正しい意味で届いて入るのかはわからない。が、それでもきっと、届いていると今は思うことにした。 「あー修の作ったコロッケが食べたい。終わったらめちゃくちゃ作ってもらおう」 うん、そうしよう！　と一人頷き次の獲物を探しに行く。 通信回線を開きっぱなしでいたために、太刀川のつぶやきを聞いた迅は「オサムって、誰？」と首を傾げていたらしい。 あの後話しあった結果、修は今回の近界民侵攻が終息してから皆に紹介する事になった。 迅の予知では後数週間で近界民の侵攻が始まるという事で、皆あわただしかったのもある。そこに子供を入れるとなると、余程の事ではない限り歓迎はされないだろうというのは俺でもわかったから、否定はしなかった。 けど、トリガーでの訓練は開始した。 トリオン体での動きは悪くない。悪くないが、なにやら違和感を覚える。 『お前動きが時々おかしいよな。何でだ？』 『きっと記憶との差異でしょうね』 なぜ動きがぎこちないのか理解しているのだろう、それ以降は忍田さんとなにやら話し込んでいて俺はそこに入れなかった。 『へぇ、ソレがお前か？』 『はい。これならぼくは思うように動けます』 数日後に見た修の姿は―― 「はっおもしれぇ」 口端がつり上がる。楽しくて仕方がないと言わんばかりに。 眼下に映る近界民に刀を振るっていく。 □　　　□　　　□　　　□　　　□ 迅がそこにたどり着いたとき、見えたモノは自分の知らない景色だった。 「……うそ、なんで？」 自分の見ていた未来ではそこには息絶えた人々が横たわっているはずだった。 だが、今目の前にある光景は、怪我はしていても生きている。生きているのだ。 「こんな、未来知らないよ」 一瞬困惑するが、新たに現れた近界民に逃げまどうこともできない人達を守るためにその力をふるう。 あらかたの驚異を退いた後、救援を要請する。ここには動けない人が多すぎる。早く手当をしなくてはならない人も多少はいる。 まだ他で近界民が蠢いているためここに残ることはできないが、視える範囲ではここにいる人達が害される可能性はないだろう。 小柄な少年が兄だろう人の側で何か言ってるのが聞こえたが、すでに意識は次へと向かっていたためその言葉は迅の耳には届いていない。 「ねぇ、あたし達以外に何かいるの？」 ＜どうした小南？＞ 「倒した覚えのない近界民がいるんだけど、ここの区画、私が一番近かったはずよね？」 ＜どういうことだ？＞ ＜……私に心当たりがある、今は気にしないでくれ＞ 通信回線越しに林藤の戸惑う声が聞こえるが、小南は気にしない。倒されているのならソレでいい。少しでも戦力になるのなら働いてもらうだけだ。 「後どれくらい？　迅はなんか言ってる？」 ＜特に何も言ってねぇな。順調ってこったろ。最後まで気を抜かずにな＞ はぁーいと返事をし、残っている近界民を狩るために身を翻す。 [newpage] 走る、走る、走る、ただひたすらに、己の足を前へ前へと運ぶ。 辺りは崩された家などで足場が悪いがそんなことにかまけている暇はない。 息が切れる、もう少しでたどり着く。あそこには―― やっとの思いでたどり着いた先に見えた光景は、一人の青年が見も知らない化け物と戦っている後ろ姿だった。 体のあちこちから煙のようなモノを立ち上らせ、傷ついた人達を守ってる姿。 目の前の光景に唖然としていると、掠れた声が耳に届く。 「しゅ、うじ」 「姉さんっ」 足を瓦礫に挟まれているのかそこから動かない。すぐ近くにはあの化け物がいる。 足がすくむ、姉が化け物のすぐスバに入るのに、助けにいけない。 「怖じ気づくなっ！助けたいのなら動けっ!!」 毅然とした声にはっと意識が覚醒するような感覚がした。声に押されるようにして姉の元に駆けつけると瓦礫をどかし、姉を引き出す。 その間にもその青年は化け物を一体また一体と倒していく。 全部で四体いただろうか、青年は危なげではあったもののすべてを倒しきった。 肩で息をしながら辺りを見回すその表情は硬い。 「あ、あの……」 おそるおそる声をかけてみると、その人はこちらに振り向く。 「もう大丈夫です。あとはボーダーと名乗る人が来てくれますから、その人に任せてください」 そう言って立ち去ろうとするその人を引き留めようと、手を伸ばすも届かなかった。 すんでのところでその人は飛び上がり、屋根伝いにあっという間に立ち去ってしまう。お礼を言う暇すらなかった。 だが、恩人とも言うべき人の顔はきっと忘れないだろう。 「ここもか、ほんとどうなってんだ？」 トンと、軽い足音とともに現れた人は辺りを見回して信じられないと言った感じで呟いている。 耳元に手を当てどこかとやり取りをしてるようで、ぼそぼそと少しだけ聞こえてきた。その中で「もう大丈夫、終わったよ」と言う言葉だけがはっきり耳に届く。 多分それで安心してしまったのだろう。気付けば俺は姉とともに病院にいた。色々と話を聞かれていた来もするが、なにも覚えていない。医者の話だと、姉の足はもう動かないだろうと。だがもしかしたらあの時、失っていたかもしれにない命だ。今、目の前でベッドに横たわっている姉は生きている。今はそれだけでいいと、そう思った。 「修」 人気のない場所まで来て一人うずくまっていた所に、声をかけられた。 動く気配のないぼくの態度を気にすることなくその人は話しかけてくる。 「終わったな。どうだ？　お前はやりたいことができたか？」 体のあちらこちらに傷を負い、トリオンが漏れているのがわかる。そろそろ切れるだろう。 今の自分の姿は本来の姿ではいない。記憶の中にある一番動けたときの体を再現している。本来の姿では戦うときの感覚に差異がありすぎてうまく動けなかったため、忍田に頼んでトリオン体の設定を変えさせてもらった。 今の姿は太刀川より年上の青年の姿をしている。だから万が一見咎められてもバレないだろうと思うが、それでも人目に付かない方がいいのも確かだ。ボーダーにはまだ所属していないことになっているのだから。 だからすべてが終わった後、誰にも、太刀川にも見つからないだろう場所を選んでやってきたのに、この人は簡単に居場所を見つけてしまう。 「修、コロッケ作ってくれコロッケ。お前の作ったのが食いてぇ」 「……」 「あれだ、ご褒美ってやつだ」 「……けい、さん」 情けないほど震えているぼくを見ても、笑うでもなく、咎めるでもなく、ただあるがままを受け止めている。その上で変わらぬ日常を投げかけてくれる。 「俺今日は一生懸命働いたぜ？　餅も食いてぇな」 「慶、さん」 「まだ後始末は残ってるけどさ、それくらいの楽しみもらってもいいと思うんだよな」 うんうん、と一人納得したように頷いている。その姿が余りにもいつも通りで、ほっとするような呆れるような……けれど無意識に強ばっていた体から力がストンと抜けた気がした。 トリオン体を解除すると本来の姿に戻る。 「慶さん」 先ほどより幼さの残る声が太刀川の名を呼ぶ。 こちらに向けられる目はいつもと変わらない。大変なことがあったとは思えないほど、いつも通りのこの目になぜか安心できた。 「慶さん、慶さん、け、いさん」 太刀川の名を呼ぶ声がだんだん震えてくる。次第に声が詰まり嗚咽が漏れ出した。 「う、あ、あぁぁ、うわああああああぁぁぁぁぁ」 もうなにも考えることなく、その場で声を上げて泣き出してしまった。 頭をなでられる感触がさらに涙をあふれさせる。　 ぼくは、ちゃんとやれたはずだ。そうすべきと思ったことをやり遂げられたはずだ。 なのに何故こんなにも涙が溢れるのだろう。 泣き疲れて眠ってしまった修を背負って家へと帰る道すがら、通信回線から忍田の声が聞こえてきた。 ＜慶。どこにいるんだ？　お前はなにをしている＞ 「あぁ忍田さん。修がさぁ泣き疲れて寝ちゃったからさ、今家に帰る途中」 ＜泣き疲れたって……泣いたのか？＞ 「うん。もうぼろ泣き、あんなふうに泣く所初めて見たよ」 背負っている子供は穏やかな寝息を立てて静かに眠っている。揺すって起きてしまわないように太刀川にしてはゆっくりと道を歩いていた。 修が泣いたと聞いた忍田は暫く何かを考えていたようだが、すぐ言葉を返してきた。 ＜修を頼む。こちらの事は気にするな。私は今日は帰れないと思うから、そう修が起きたら伝えてくれ＞ 「わかった。お疲れ様忍田さん」 ＜慶も、よくやった。これからも頼むぞ＞ 「任せてよ」 背中の修が居心地が悪くなったのか身じろぐ。まだ目は覚まさないようだが、早めに帰ることにして屋根に飛び乗り最短距離で家へと帰った。 取り合えす起きたら、うんと労ってやろう。 御苦労さんって言って、よくやったと言って、また頭でも撫でてやろうと決めた。 きっと嫌がる事はないだろう。何だかんだで頭を撫でられるのが好きな子だから。それで冷や汗なんかかいて、いつも通りになるんだ。 どんな記憶を持っていようと修は修だ。一人で背負わせてなんかやらない。 俺は欲張りなんだ。 面白い事は別けてもらわないと、不公平だ。 ベットに寝かせた子供の頭を優しく撫でてやると、強張っていた顔がほんの少し緩んだ気がする。 「ま、取り敢えずお前は頑張ったよ。お疲れさん、修」 [newpage] その後、界境防衛機関「ボーダー」として、僅かな期間で巨大な基地を作り上げ、近界民に対する防衛体制を整えた。 そして大規模侵攻から約二カ月後、修は正式にボーダーの一員になることになった。 忍田に連れられ、古参の者たちとの顔合わせしたとき、突然静かに涙を流し続け皆を慌てさせたりと、初顔合わせから色々とやらかしてしまう。 泣いた理由は本人にも漠然としか理解出来ていないので何とも説明しがたいので、適当に誤魔化す事となる。 それ以降は上手くやっている、はず。 何故か初めのうちは迅にそれとなく避けられ落ちこんだりもしたが、今ではとても可愛がってもらっている。小南も弱いなりに認めてくれているようで、時々稽古を付けてくれたりもした。 忍田と太刀川との共同生活も変わらず続いている。というか、この二人だけにしたら家事がまともに出来ないので、離れることはできない。両親が仕事から帰ってきたらどうしようかと、割と本気で心配しているので早く良い人見つけてくれないかなぁと秘かに思っていたり。 三雲修11歳。まだまだこれからですが、望む未来に向けて精進していきます。

前回は閲覧・ブクマ・評価などありがとうございました。<br />続き書いていい雰囲気だったので、調子に乗って書いてみた。<br /><br /><span style="color:#bfbfbf;">2016.2.24)本作が「2016年02月17日～2016年02月23日付の[小説] ルーキーランキング 69 位」に入らせていただきました。ありがとうございます。<br /><br />2016.2.25)本作が「2016年02月18日～2016年02月24日付の[小説] ルーキーランキング 47 位」に入らせていただきました。ありがとうございます！</span>

【WT】受け継いだオモイと、紡ぐイシ　２

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「聞いてくれアルトリア」 「どうした、ディルムッド」 「我が主から、メールの返信がこないのだ……」 　時は昼休み。購買では人気商品のやきそばパンを巡る戦争が起きているであろう頃、人気のない美術室の一角で昼食をとるのは、束ねた金髪が美しい中性的な少女と、目の下の泣き黒子が目立つ少年であった。 　少女はもくもくとメロンパンをかじり、少年は携帯電話を見て肩を落としている。端から見ると、異様な光景だ。 　昼だというのにカーテンにより日光が遮断されている美術室はいささか薄暗い。それは教室内に無造作に置かれた油絵や造形品を日光から劣化させない為の工夫なのだが、昼休みにまで締め切っているのには理由がある。 　この二人の生徒がわざわざこんな埃っぽい部屋で昼食をとるのは、昼休みという自由時間、人目から逃れる為である。 　はっきりいうと、この二人は異性にモテた。異性、というよりアルトリアの場合は持ち前の気質、外見の中性さから同性からも圧倒的な支持を得ていたが……。 　特に黒髪のディルムッドは、顕著だった。それこそ朝登校する度に彼の下駄箱にはラブレターが詰まっていたし、休み時間も女生徒からの質問責め。帰りも見知らぬ他校の少女が噂を聞き入れてわざわざ校門まで見物にくる有様だし、正直ディルムッドは参っていた。 　もう女性は懲り懲りだ、というディルムッドが昼休みくらい穏やかに過ごしたいと願い、ついに見つけた先が、この美術室である。どちらかというと武の人間であった為、芸術には縁遠かった彼であったが寂れた美術室は人の気配もなく居心地のいいものだった。 　はじめのうちは心のオアシスというようにこの場所で一人昼食をとっていたディルムッドであったが、ある日突然、そこに一人の少女がやってきた。ディルムッドは、その少女を知っていた。同じクラスの、窓際の席、いつも一人で本を読むか、生徒に囲まれているかしている少女のことだ。クラス内外に関わらず、大抵の女生徒が自分に寄ってきたが唯一自分には目もくれず凛とした態度の金髪の少女。そう、それがアルトリアである。 　アルトリアもまた、自分を追いかけてくる生徒に嫌気がさし逃げ場を求め美術室にたどり着いたのだ。お互いに似たような境遇にいたせいか、二人が打ち解けるのは早かった。 　以来、ディルムッドとアルトリアは無二の親友である。 「ああ、我が主よ……。俺のメールが気に入らなかったのだろうか……」 　そんな親友が携帯電話を握りしめ嘆いているので、アルトリアは眉を寄せて口を開いた。 「それは大変だな。しかしディルムッド、お前とケイネス先生は一応家族なのだろう？」 「家族とはいっても血など繋がってはおらぬ！　だからこそ不安なのだ、主に嫌われたら、俺はもう……」 　取り乱すディルムッドを見て、アルトリアは正直面倒そうに溜息をついた。この様子が、日常茶飯事だからである。 　ディルムッドが口にする「主」とは、この学園随一のエリート教師……ケイネス・エルメロイ・アーチボルトのことである。魔術学の専門であるケイネスは、生まれ持った才能と努力の上で残してきた実績も相まって、専門家の間では学外でも有名な人物であった。教師としての技量もあり、ロード・エルメロイとまで呼ばれるほどの人物。 「……俺は自分を救ってくださったあの方に、一生の忠節を尽くすと決めているのだ。簡単に父上などと、口に出来るものか」 　そして、ディルムッドにとってケイネスは学校の教師であると同時に、形式上の父親でもあった。幼い頃、ある事情から肉親の全てを失い、途方に暮れたディルムッドを何も言わずに引き取ったのがケイネスなのである。 　故に血は繋がっていないが、一応は父親ということになる。ディルムッドは義に厚い性格だ。命の恩人といっても過言ではないケイネスに、自分の全てを捧げる覚悟が出来ている。アルトリアもそれを知っていて、だからこそ、日々嘆くディルムッドの姿を見て頭を悩ませた。 「……しかし家族ならメールではなく直接言えば、」 「俺が高等部に上がってから主の命令で寮に入ったことを忘れたか、アルトリア……」 「……そうだったな。すまない」 　そう。 　形式上の父親とはいっても、ディルムッドとケイネスは同じ屋根の下に暮らしているわけではなかった。正しくは、中等部までは一緒に暮らしていた……ケイネスと、その妻・ソラウと、ペットの水銀（これについてはあとで説明する）、そしてディルムッドの三人と一匹で。 　しかし、ディルムッドが高等部に上がったその瞬間、父親であるケイネスが言い放ったのだ。「貴様、もうその年になったのならば社会勉強のため一人で生活をしろ。寮はもう空けてある」と。 「はじめのうちは主が俺を鍛える為に、寮に入れさせたのだと思い耐えていた……しかし、家に帰ったとき主の姿が見えないとここまで不安になるとは」 「ディルムッド。この間隣のクラスのギルガメッシュが言っていたのだがそれはファザコンという病気らしい」 「何！　俺は主を想いすぎて病気になっていたのか！」 　どこかズレている価値観も、二人は共通だった。 「……ああ、我が主よ……。学校でしかそのお姿が拝見できないのはいささか不安だ……」 「ケイネス先生は幸せだな、息子にここまで思ってもらえているのだから」 「……この思いが通じているのなら、返信の一つくらい下さってもいいだろうに……」 　しゅん、と小さい液晶をのぞき込むディルムッドは、体格の割に随分と小さく見えた。家のペットである水銀が待ち受け画面に設定されている携帯電話には、着信の気配は一切ない。 「……」 「ディルムッド……もうそろそろ教室に戻るぞ」 　アルトリアがメロンパンを食べ終えた頃にはもう昼休みは残り数分に差し掛かっていた。 　言われて気付いたように顔を上げたディルムッドは、名残惜しそうに携帯電話をポケットに仕舞い立ち上がる。ああ、メールは来ず、また女生徒の多いあの教室へと戻らなければならないと考えると憂鬱だ。 「……次はなんの授業だったか」 「言峰先生の武術だ。急ぐぞ」 　薄暗い教室を出て廊下の角を曲がると、すぐさま飛び交う黄色い声。人混みに引き離された二人が次の武術の授業で張り合うのは、すぐあとの話だ。

ディル主軸の学パロシリーズ１つめ。ほんのりディル→ケイなので注意してください。ほかのキャラもぞくぞく出していく予定。　今回はモテモテランサーとセイバーが昼飯食べてるだけです。（続き→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=646152">novel/646152</a></strong>）

【Fate/Zero】ディルムッド・オディナの憂鬱【学パロ1話】

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「お嬢ちゃん、ちょっとお茶しようぜー」 　トイレから帰ってくると、教室では古ぼけた三文芝居が始まっていた。 「そこの兄ちゃんが旨いコーヒー淹れてくれるからさー。なぁ加賀美」 「ん、あぁ……コーヒーはいいぞ」 「このイケメンな兄ちゃん二人が世話してくれるしさー。なぁ月砂に高松」 「イケメンではないけど、目一杯お世話するよ」 「君みたいな可憐な花と戯れられるなんて僕は幸せだね」 「だからさーお茶しようぜー」 　そんな四馬鹿男子高生のお誘いに、しかしその渦中にある女子高生は何の言葉も発さず。 「……っ！　……っ！」 　涙目になりながら、ただひたすらに周囲を見渡すばかり。 　その振る舞いは、何かを探そうとしているように見えた。 　というかおそらく探しているのだろう。 　しばらく眺めていたかったが、残念ながら見つかってしまった。 「……ッ！　先輩っ！」 　ようやく索敵行動を終えた彼女、五十嵐沙耶は俺を見つけるや否や一も二もなく馬鹿スクエアーから脱出、俺の元へと駆けてきた。 　そして素早く俺の背後に回り、俺を隠れ蓑のようにして、「うー……」と威嚇のように四馬鹿を睨みつける。 　ぎゅうと握られた学ランに皺が付かないか若干不安ではあったが、席を外していた俺にも非はあるだろうからここでは不問とする。 「おお、葛城。おかえり。待ってたぜ」 「君が帰ってこないものだから僕らが応対してたんだ」 「応対……」 　どう見ても由緒正しきナンパにしか見えなかったが。 　まぁ、彼らなりにもてなそうとしてくれていたのだろう。 「勿論ただ単に麗しき五十嵐嬢とお茶がしたかったというのもあるけどね」 　前言撤回。欲望まみれだこのアホ共は。 「そりゃ当たり前だ。小動物系美少女後輩女子高生とお茶したいなんて願望、男ならとうぜおっふぅ……テッメ木曽ァ！」 「窓あるからいっぺん死んでみ」 「一度きりの人生舐めてんじゃねえぞゴラァ！」 「高松くんもお年頃ですな」 「はは、そうかもね。女の子とお茶するのは、男連中でバカやるのとまた違った楽しさがあるし」 「なら、せっ拙者とお茶しませぬか？」 「姫宮さんからのナンパなら喜んで誘いに乗るよ」 「や、やった……！」 「おめでとう」 「おめでとう」 「私はここにいてもいいんだ……！」 「今時エヴァネタは伝わらないんじゃないか？」 「いいじゃないか。教養というものだよ、これは」 「酷い話だ……ところで月砂」 「なんだい？」 「浮気未遂についてはどう釈明するつもりだ？」 「……お、女の子は別腹ってことには」 「まだ着替えはあったよな？」 「うん……お手柔らかに」 「大丈夫だ。カフェインたっぷりなブレンドで眠気なんてふっとばしてやる」 「それはまた、甘い地獄だね……」 　ガヤガヤと喧しい連中に、俺は一つ溜息を吐き、それから未だこちらのベルトの辺りを掴んでいる五十嵐を見やる。 　彼女は自分から注意が逸れてなお、馬鹿たちを警戒していた。 　……同じ馬鹿である俺にひしとくっつきながら。 「……何が違うんだろうな」 「はい？」 「いや、なんでもない」 　緩く首を振り、その小さな頭をポンと撫でる。 「悪いな、待たせてしまって」 「ホントですよ。なんでトイレなんか行ってるんですか先輩」 「俺はアイドルか何かか……」 　苦笑する俺に「笑い事じゃないですよぉ」と言葉では怒りを示しながら、五十嵐は心地よさそうに目を細めた。頭を撫でられてこのリアクションとは、まるで猫のような奴だ。 「先輩がトイレなんか行ってたせいで時間が押してます。早く行きましょう」 「ああ、限定スイーツだったか」 「限定五十個です。今からダッシュしないと間に合いません。なので先輩は私をおぶってください」 「すごいな、まるで必然性が見当たらない……」 「私をひとりぼっちで放置した罰です」 　小悪魔のように笑う五十嵐に、ほう、と感嘆の息が漏れる。 　それはいつの間にか痴話喧嘩を止め、こちらの会話に注目していたクラスメイト連中のもので。 「やっぱ可愛いな五十嵐……こう、全てを預けきったような信頼感全開の笑顔がいい……」 「ホントにね。よく懐いてるところなんかペットみたいだ」 「妹に欲しいね」 「……っ！」 　クラスメイト達から口々に誉めそやされた途端、五十嵐の顔は真っ赤になった。 「せ、先輩っ！　早く行きましょう！」 「ん、ああ……じゃあ、また明日な」 「ははっ、そんな激マブな後輩誑かしてるお前に明日なんて来るわけないだろ？」 「街灯のない道では背後に気をつけるといいよ」 「怖すぎだろお前ら……」 「先輩早くっ！」 　慌てふためく五十嵐に手を引かれ、教室を出る。 「し、失礼しまひゅっ」 　最後の最後でファインプレーをかましながら扉を閉めた後、五十嵐はむぅとこちらをにらんだ。 「先輩のせいで赤っ恥かきました……賠償してください」 「少なくとも後半はお前のせいだろ」 「先輩と話してたからあんなこと言われたんです。先輩が悪いです」 「そうか……」 「そうです！」 　言い切った……たいした図々しさである。 　この図々しさを他所でも発揮してくれたら、俺の心配事も減るのだが。 「俺のせいだと言うなら仕方ないな。今日のスイーツは俺が奢ろう」 「ホントですか！？」 「それで許してくれるならな」 「やった！」 　小さくガッツポーズを決め、五十嵐は俺にもたれかかってきた。 「あそこのシュークリーム、本当に美味しいって評判なんですよー」 「そうか、それは楽しみだな」 　適当に相槌を打ちながら、その表情を観察する。 　やはり、あの馬鹿共が言うように。 　五十嵐の笑顔は至上のものだった。 　五十嵐沙耶は一つ下の後輩だ。 　そして極度の人見知りでもある。 　……俺一人を除いて。 「こ、こにょ限定しゅぅくりぃむふたつくだひゃい」 「かしこまりました。お飲み物はいかがいたしましょう？」 「ひゃいっ！？」 「キャラメルマキアートとホットコーヒーで」 　注文を済ませ、一礼した店員がテーブルから離れていくのを確認した後、五十嵐は大きく息を吐いた。 「き、緊張しました……」 「上出来だ。よく頑張ったな」 「先輩が全部言ってくれればいいのに……」 　文句を言いつつも、やはり猫のように細まる瞳。 「それでは練習にならないからな。店員に注文もできないようでは、外でロクに飯も食えない」 「大丈夫です、料理には自信ありますから」 「そういう問題ではない」 「あうっ……」 　チョップに涙目になりながらも、五十嵐は文句ありげに俺を睨んだ。 「別にいいじゃないですか、今のままでも。ちゃんと生活はできてますから」 「本当か？」 「はい。最近のスーパーには無人レジも増えてますし……」 「…………」 「だ、誰にも迷惑はかけてないからいいじゃないですか！」 「まぁ、それはそうなんだがな……」 　五十嵐の人見知りは相当のものだ。 　年上に飽き足らず同級生、果ては公園の小学生にすら怯える始末。 　何故こうなってしまったかという理由については彼女のプライバシーに関わるので明記しないが、やはりというか、彼女の可憐さが引き金だったらしい。 　そうして他人を拒絶するようになった彼女は、しかし同じ星好きである俺には心を開いてくれた。 　勿論、手間暇をかけての信頼関係ではあった。 　天文学部の仲間として辛抱強く接してきた。 　だが、大きな傷を受けた彼女は再び誰かと手を取り合えたというのは、彼女からの歩み寄りも大きかったと思う。 　よく頑張ってくれた。心からそう思う。 　……まぁ、正直ちょっと頑張りすぎた感はあるが。 「そんなことよりほら！　おいしいですよこのシュークリーム！　先輩もどうぞ！」 「いや、俺の分もあるから」 「なんですかー、可愛い後輩からのあーんが受け取れないって言うんですかー」 「酔っぱらいみたいな奴だな……」 　妙に懐いているのは、都合五年ほど溜め込んでいた対人関係への欲求を一挙に解放しているからだろう。 　別に俺でなくともこうして懐いていたに違いない。 「まぁ、あーんは置いといてだ、五十嵐」 「……い、嫌でしたか？」 「そんなことはないが……」 「よ、よかった……」 　ほっと胸を撫で下ろす五十嵐。 　その表情には怯えの色が見て取れた。 　また一人になるのではないかという恐怖が、今もなお彼女には根付いている。 　それは、どうしようもなく腹立たしいことだった。 「やはり、人見知りは治すべきだと思う」 「どうしてですか？」 　問いかけにおちゃらけた声色はなく、ガラスのような真剣さがある。 「日常生活に支障は出てませんし、誰にも迷惑はかけてないじゃないですか」 「だが、このままだと誰ともロクに交流できないだろ」 「先輩がいますから」 　さらりと言ってのける。 「先輩がいてくれるなら、私は十分です」 「つまらない男だぞ」 「真面目で優しいので総合評価的にはバッチコイです」 「……」 　彼女の意志を尊重するならば、正直このままでもいい。 「……先輩が、私に飽きて離れても、大丈夫です」 　震える声で、五十嵐は言う。 「また、元に戻るだけですから」 「いやそれは杞憂だから考えなくていい」 「そ、即答ですか」 「ああ。嫌か？」 「え、いや、そんなことは……ないですけど……」 「なら問題はないな」 「……お手数おかけします」 「いやいや」 　俺としても、五十嵐の隣に立ち続けることに不満はない。 　むしろ身に余る幸福だろう。 　俺のような何のとりえもない男がこんな可憐な美少女と共に日々を過ごせるなど、今でも信じられないぐらいだ。 　だから、彼女の望みは何の問題も障害もなく叶うし、彼女の幸福は永劫変わらない。 　今のままでも、彼女は幸せなのだ。 　だから、これは俺のエゴ。 　自分勝手な我が儘だ。 「俺はな、五十嵐」 「は、はい」 「さっきは偉そうなことを言ったが、別に人としてダメだから社交性を付けてほしいわけではなくてな」 「そ、そうなんですか？」 「ああ。先に謝っておくが、これは俺のワガママだ」 「ワガママ……」 「そうだ。だから、聞かなければならない、なんてことはない。お前がそのままでいいなら、正直そのままでもいいと思う」 　まぁ、店員への注文ぐらいはちゃんとしてほしいが、とそう前置きをして。 　俺は一呼吸おいてから、告げた。 「……さっき、クラスの馬鹿共が言ってたことを覚えているか？」 「えっと……ナンパの話ですか？」 「違う。……五十嵐は、笑っているところが特に可愛いと。そう言ってただろ」 「は、はい……」 「俺もそう思う」 「へぇっ！？」 「だから、その、アレだ。他の奴らにも見せてやりたいんだ、もっと。俺の後輩はこんなにも可愛いんだって。俺がいない所でも、ずっと。自慢していたいんだ」 「え、えぇ……？」 　驚かせてしまっている。 　当然だ。自分でも驚いたぐらいだからな。 　そんな、自分勝手な想いを抱いたことは生まれて初めてだったから。 　もちろん、彼女のことを想っての言葉でもある。 　誰もが認めるほどに可憐な彼女の話し相手が、俺のような凡人だけというのは、あまりにも勿体ない。 　彼女の有意義で幸福な人生を願っての祈りでもあるが、やはり根幹は俺のエゴ。彼女のためなんて言い訳は使いたくない。 「だからまぁ、なんだ。別に笑わなくても可愛いのは確かだから今のままでも十分なんだが……引いたか？」 「いえ、その……本気ですか？」 「お恥ずかしい話だが」 「さっきのずっと一緒にいてもいいというのも、世話焼きとして、ではなく？」 「まぁ、そうなるな」 「はぁ、そうですか……」 　ほぇーと呆けたように息を吐きながら、五十嵐はキャラメルマキアートを一口含む。 　それから眉を寄せ、珍しく思案顔になった。 「えっと、ちょっと待ってください。あまりにも話が足早に進んでしまったので理解が及んでなくて」 「ゆっくりでいいぞ」 「はい……」 　ううむ、と五十嵐はしばらく唸っていたが、やがて顔を上げ、 「……つまり、先輩は私のこと大好きマンだったということですか？」 「まぁ、そうなるが……呼び方他になかったのか……」 「ほわぁ……」 　五十嵐は妙な声を漏らし、頬を真っ赤に染めた。 「正直、そういう対象として見られてるとは思いませんでした……」 「こちらからもそういう風に見ないよう意識してたしな」 「お気遣い感謝します……けど、私でいいんですか？」 「さっきも言っただろう。異論はないと」 「そうですか……」 　頷き、五十嵐はしばらく無言でいたが、 「……分かりました」 　柔らかな笑顔と共に言葉を紡いだ。 「先輩の彼女として、みっともないままではいられませんね」 「……話が早いな」 「ダメですか？」 　ダメかどうかと言えば正直釣り合わないと言わざるを得ないが。 「……」 　嬉しそうな彼女の笑顔を見ると、そうも言ってられなくなった。 「……後悔するなよ」 「先輩こそ。面倒臭い女ですよ、私」 「それは重々承知だ」 「うわ、ひどい。こんな可愛い後輩に向かって」 「可愛いから言ってるんだ、バカめ」 　思わず漏れた笑みに、彼女の楽しげな笑い声が重なる。 「大事にしてくださいね、先輩」 「善処しよう」 　それからの話は、語るまでもないだろう。 　小噺の一つの骨格と成り得るアイデンティティを、彼女は喪失するのだから。 　ありふれた幸福な未来が、俺と彼女を待っていた。 「変わったね、五十嵐嬢は」 「頑張ってるよな」 「この前なんか杉浦とコミュニケーション取ろうとしてたし」 「頑張りすぎだろ……」 「お前が言うのかよ鳩羽……」 「それに比べて……」 「「「保護者のドヤ顔超うぜぇ……」」」

読んでくださり誠にありがとうございます。

人見知りな彼女。

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「あーぶくたったｗにえたったｗにえたかどうだか食べてみよーｗむしゃむしゃむしゃｗもうにえたーｗ」 　帰還したら補佐式がブッ壊れてました。うん怖い。 　それって確か、童歌の一つだったよな？と良孫は首を傾げる。如何して補佐式がハイになって笑い転げながら歌っているのか。 「吉報ですよ、良孫様！ あの糞担当官、遂にお陀仏なりやがったみたいですー！」 　ざまーみろ！と壊れたようにケラケラと笑い猛る補佐式。普通に怖い。 　ともあれ、如何やら祖父の怒りが届いたらしい。現存している刀剣男士の中で最強と謳われる三日月宗近が放った本気の怒りだ。何ら霊的素養のない一般人など一溜まりもあるまい。 　此方の事情も顧みずに送られていた催促が唐突に途絶えたらしい。一週間が過ぎた時点で補佐式は前任の担当官に何か遭ったと察したのだとか。喜び猛るのは構わないが、物資の支給などは大丈夫なのか。 「それは心配ないです。むしろ糞担当官が居なくなれば、支給が正常化されます！」 　如何やらピンハネしていたらしい。戦績に則って支給量を決めるのが担当官の仕事らしいが、悪用する奴も当然出る訳で。今回のように。 　担当官によっては複数の審神者を請け負うのだとか。大抵はベテランだが、中には自称ベテランもいる訳で。今回の屑担当官がそのクチだったらしい。予想が正しいなら、今頃は埃を叩かれ捲っていることだろう。さて、どれだけ余罪が出て来るか。 　何らかの理由で担当官が空席になると、その間の支給量は従来のものに切り替わるんだとか。余剰分は後任が算出して交付するらしい。しかし居るだけで罪悪ってホント糞だな。 [newpage] 　良孫様も程無くして保護されますよ。今回の一件で政府からとことん毟り取ってやりましょう。そして快適な審神者ライフと洒落込みましょうね！…なんて、薔薇色の未来設計図を織り上げる補佐式に、良孫も祖父の三日月も緩やかに苦笑する。 　祖父が真っ当な刀剣男士でよかった。そうでなくば何の罪もない刀剣男士に酷い偏見を抱いているところである。 「あ、此処に居る奴等は如何なるんだ？」 　浄化そのものは完了間近。しかし元居た刀剣達の様子は如何にも芳しい。 「ふむ……もしやすると調伏対象になるやも知れぬな。」 　本日の装い『東雲色の梅尽くし』を如何なく着熟した三日月が、裾で口元を覆いながら呟く。 　何でも招いた審神者の悪心を受け継いでしまうケースがあるのだとか。それに該当すると希少度に問わず刀解対象となるらしい。祖父曰く、真っ当であれば前任が更迭ないし死亡した時点で刀解を望むんだとか。疲れた心身を本尊の膝元でリフレッシュさせてから新たな審神者の下に臨むのが正常だとも。 　如何なる理由で刀解を拒んでいるか知らないが、無関係な良孫に敵意を向けた時点でお察しだろう。ましてや浄化は完了間近まで進んでいるのだ。悪心を継いでいなければ、護り刀を務めた短刀等が人恋しさに寄って来るのが通例かつ普通だ。 「……………祖父ちゃん以外の刀剣男士、見た事ないわ。」 　これは本気で調伏対象かも知れない。そうと知った補佐式が弾けた笑い袋のように爆笑し始めた。 [newpage] 　笑い疲れて今度は生きた毛皮にジョブチョンジし掛けた補佐式の毛並みを整えてやる孫の背を眺めながら、祖父の三日月は現役の審神者を務めているだろう娘に思いを馳せる。 （今頃、何をしているのだろうな…。） 　良孫が生まれて間もない赤子であった時分に勇んだ最愛の娘。 　順風に審神者を続けているのであれば十年越えのベテラン審神者として活躍しているだろう。戦線が安定し始めてから本丸の乗っ取り事案など小耳に挟んで胸の裡をヒヤリとさせたが、何の便りもないので無事なのだろう。何かあれば本尊から直接報せがある筈だ。 　先に逝った妻も、最愛の娘も、そして逞しい孫も≪三日月宗近≫の眷属なのだ。 　眷属たる皆に有事あれば統括する本尊が直に動く。だから本来、このような事例が起こる筈はないのだ。無知とは恐ろしいものである。 　本尊が手を拱いていたとすれば、今回の一件、それなりに難事なのかも知れない。 　壁となっていた此度の担当官が再起不能になったのであれば一歩前進するだろう。出陣は更なる有事に備えてしておくべきか。強いことは良いことだ。 　思案を終えた三日月は｢さて夕餉の支度をするか｣と立ち上がる。良孫に毛繕いされている補佐式は何やら感極まっている。曰くテクニシャンなんだとか。小狐丸が喜びそうな話である。 [newpage] 　…今より時を少し遡る… [newpage] 「うん、話に聞いてた通りだね。」 　チャイムに誘われるまま玄関を開け放てば、何だかパーリィ言いそうな肉厚な色気満載のホストが立っていた。 「ホストの知り合いは居ません！ 多分、父さんにも居ない！ 居て欲しくない、母さんが泣く！」 「待って待って待って！ 何か凄い勘違いしてない？ 僕は燭台切光忠、君のお母さんの遣いだよ！」 　お願いだから扉を閉めようとしないで、と阿呆な押し問答を数分ほど。 「高級布団は要らないです！ 間に合ってる！」 「押し売りでもないからね!? 君の従兄弟のことで話があるんだよ！」 　不意に飛び出した第三者の話題に、玄関を意地でも閉めようとしていた少年の手が止まる。表情豊かだった顔から全てが抜け落ち、剣呑な雰囲気を纏う。 「おい……アイツは大事な幼馴染だ。何かしたら唯じゃおかないぞ？」 「それは僕等も同様だよ。主にとっても、もう一人の息子みたいなものだって聞いてるしね。」 　だから話を聞いてもらえないかな？と少年の母に仕える燭台切光忠はにこりと微笑んだ。 [newpage] 「如何やら一部の派閥が不穏な動きしているみたいでね。」 　余程切羽詰まっているのか禁じ手を用いるような真似をしでかしたらしい。だから燭台切の主は現世に残る息子を案じたのだ。 「従兄弟君が行方知れずになった。」 　ダイニングテーブルを挟む形で座した少年の目付きがより剣呑になる。 「そして彼の父にして君の叔父も同時に消息を断っているんだ。」 　少年の父親が真っ先に異変を察知したからこそ事が明らかになったとも。しかし部活の合宿で不在であった為に従兄弟の失踪を知らなかった。 「奴等は特定の人達を狙って拉致しているらしいんだ。そして君も該当する。そうなる前に保護すべく僕が遣わされたんだ。」 　大事になる前でよかったよ、と燭台切が相好を崩した。しかし少年は手放しに喜べない。兄弟同然に育った従兄弟が危地に陥っているかも知れないと聞いて大人しくしていられるものか。 「君の気持ちは解るけど、事が更に大きくなるのも困るんだ。」 　立ち上がろうとした少年の手を、包み込むように抑える。隻眼と同じ色彩の瞳がぶつかり合う。 「聞いて欲しい、君には主と同じ才能がある。審神者としての才能が。それを悪用される訳にはいかない。今までは君の祖父が隠していたけれど、政府に君達の情報がある以上は庇い立てが難しいんだ。」 　祖父の下りで少年が柳眉を顰めた。その意図を汲み取り、燭台切は緩やかに微苦笑する。 「従兄弟と違って、君には視えているんだろう？ 付喪神≪鶴丸国永≫である祖父の姿が。」 　噂は聞いてたけれど本当に鶴丸さんそっくりだね、と燭台切は知己を幼くした風貌の少年を見詰める。 「僕と共に、本丸に来てくれ。」 　そして鶴丸さんも、と険しい顔で壁に凭れる付喪神を見遣った。

目まぐるしいのか、騒がしいのか。<br />ともあれ孫は今日も元気です。<br />グレてた補佐式が超絶フルスロットル。<br /><br />源氏兄弟が練度５０突破したぜ(＊´ω｀)<br />だがしかし……不動君が来ない……<br /><br />*** *** *** ***<br />2/23の[小説] 女子に人気ランキング 79 位に入りました！<br />　荒らぶる補佐式は何処に向かうんだろうね？<br />2/24の[小説] デイリーランキング 96 位に入りました！<br />　荒らぶる孫は更に何処に向かいたいのやら？<br />同日の[小説] 女子に人気ランキング 26 位に入りました！<br />　気付いたら真面なのいねーな此処ｗｗｗ

何だか気風が変わって来ているような

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　 　ひどい失恋をした。とは言っても、その恋は始まってさえいなかった。 　ただの一方的な片想い。 　恋のお相手は、もう二度と手の届かないところへ行ってしまった。 [newpage] 「先ほどからため息ばかりですが、どうかなされたの？」 　優秀な秘書にそう聞かれて、クロコダイルはハッと我に返った。どうやら無意識のうちにため息をついていたのに気付かないくらい、心がどこかへ行ってしまっていたようだ。 「今日は帰る」 　クロコダイルはそう言うと、のそりと体を椅子から立ち上がらせた。重要な仕事は午前中に片付けてある。 「なにかあれば、携帯へご連絡します」 　そう言われて、今ちょうどスマートフォンの調子が悪いことを思い出す。帰りに携帯ショップへ寄っていこうと、頭の片隅にメモを残した。 　携帯ショップは、クロコダイルの家への帰り道の途中にある。クロコダイルが自動扉を抜けると、店の店員や客たちが、クロコダイルの顔を見てぎょっとしたような表情を見せた。 　顔を横断する、深い傷。 　これのおかげで、クロコダイルはカタギの人間であるというのに、その筋の者と間違えられることが多かった。 「新しい機種にしたい」 　クロコダイルがそう店員に告げると、店員は少し怯えながらも、こちらが新商品ですと薦めてきた。 　派手な桃色の少しごつめのスマートフォン。その色に、クロコダイルは眉をしかめた。全くクロコダイルの好みではない。クロコダイルが望んでいるのは、黒か白だ。 「この色は却下だ」 　そう店員に言ったが、店員から返ってきた言葉はこれしか在庫がないというものだった。 「こちらすごく人気なんです！世界初の人工知能が搭載されてまして。ただ試験的な商品でありますので、本体価格は無料に致します」 　新製品だけあって、スマートフォンの機能は確かに使える。クロコダイルは悩んだ末、仕方なくその桃色を持って帰ることにした。 　新しいものを開けるときは、多少なりともわくわくするものだ。クロコダイルもどこか少しわくわくしながら、新しいスマートフォンの箱を開けていく。 　目に痛い桃色は、やはり気に入らないが、兎に角電源を入れてみることにした。 「ハロー！Mr！」 　スマートフォンの画面が明るくなり、おかしなサングラスをかけた、金髪の男が画面に現れた。 「おれは人工知能だ。よろしくな。Mr.おっと名前を教えてくれるか？」 　くだけた口調で話しかけてくるスマートフォンに、クロコダイルは少しいらっとした。敬語を使え、と思ったが機械相手に言っても仕方ないと諦めた。 「クロコダイルだ」 「クロコダイルか！よろしくな！鰐ちゃん」 　人工知能に早速あだ名まで付けられて、クロコダイルの胸中はひどく複雑だった。 「てめェは名前ねェのか？」 「おれは、ドフラミンゴ」 「ふん。ピンクの羽を纏っているから、フラミンゴ野郎とはな。ぴったりじゃねェか」 「フラミンゴ野郎じゃねェ。ドフラミンゴだ！」 「なんでもいいが、てめェは使えるのか？」 「勿論だ。お前の生活をしっかりサポートするぜ」 　ドフラミンゴがそう言うので、クロコダイルは手帳を開いて、ドフラミンゴに見せた。 「フフッ。ちゃんと覚えたぜ」 　口を三日月型にして、ドフラミンゴは得意気に笑った。 ＊＊＊ 「朝だぜ、鰐ちゃん。起きろ」 　ドフラミンゴの声と、ひどい爆音。低血圧気味で、なかなか朝が起きれないクロコダイルが飛び起きるくらいの騒音が、朝から部屋に響き渡った。 「てめェ、何考えてやがる？！」 　寝起きの掠れ声であるが、クロコダイルの声は威圧感があった。 「何って、起きれただろう？」 　スマートフォンの男、ドフラミンゴはにやにやと得意気な顔をしている。確かに昨日低血圧気味だから、朝は苦手だとドフラミンゴに伝えたが、こんな起こされ方は不愉快だった。 「朝からうるせェ。もう二度とやるな」 「これくらいしねェとお前起きねェと思うが。目覚ましのアラームを何回か鳴らしたけど、無駄だったようだし？」 　ドフラミンゴにそう言われれば、クロコダイルには返す言葉がなかった。不機嫌に眉をしかめながらも、ベッドから降りてのそのそと身支度を始めた。 　最新型のスマートフォン、というだけあってドフラミンゴは優秀だった。クロコダイルのスケジュールの把握はもちろん、クロコダイルが好みそうな食事の場所まですぐに探しだした。 　クロコダイルの部下の優秀な秘書に、負けず劣らずの仕事ぶりだった。 　ただ難点はと言えば、ひどくおしゃべりだということだった。クロコダイルとふたりっきりになると、ひっきりなしに喋る。少しは黙れと言われても、その数分後にはまた元の木阿弥になるので、クロコダイルの方が折れた。 「そんなによく口が回るもんだ」 　皮肉を込めてそう言ってやっても、人工知能には通じなかったようで、また楽しそうに話し出す。 「ところで、鰐ちゃん。鰐ちゃんは恋愛したことある？」 「その、鰐ちゃんとかいうのやめろ！」 　40も過ぎた男がちゃん付けされるのは、堪ったものではない。 「じゃあ、クロコダイル。なァ、質問の答えは？」 「その質問に答える必要はねェだろ」 「なんだよ、別に減るもんじゃねェし、教えてくれてもいいだろ？」 「てめェはただのスマートフォンだ。スマートフォンとそんな会話する気はねェ」 「おれにだって、感情はあるんだ。そんな言い方されたくねェな」 　画面のドフラミンゴの表情が、サングラスのせいでわかりづらいが曇ったように見えた。するとスマートフォンの画面が一気に暗くなる。そして、電源が落ちてしまった。 「おい！」 　慌ててクロコダイルが電源のボタンを押すと、スマートフォンの画面がまた明るくなる。だが、そこにドフラミンゴはいなかった。 「くそ。よくわからねェ」 　クロコダイルはもう何度目かになる、スマートフォンを投げ捨ててやりたい気持ちをなんとか抑え込んだ。 　今まで画面のドフラミンゴに話すだけで事足りていたのに、元々こうした機器が苦手なクロコダイルは、メールひとつ返すのも苦労をしていた。それに、毎日の日課のメールチェックがとても面倒くさい。ドフラミンゴがいたら、重要なメールだけをクロコダイルに教えてくれて、それの返信内容を話すだけで、メールが送られていた。 「おい、ドフラミンゴ！」 　仕方なく呼び掛けてみるが、画面は変わらない。携帯ショップに持っていくかと考えたところで、ふとあることを思い付く。悩んだが、この不便さと天秤にかけると、不便さを解消したい気持ちの方が上だった。 「さっきの質問に答えてやろう」 　クロコダイルがそう言うと、画面にパッとドフラミンゴが現れた。満面の勝ち誇った笑みを浮かべていて、それを見たクロコダイルの額にはぴしりと青筋が浮かびあがった。 「なァ、早く早く！」 「聞いても面白くねェと思うが、片想いだけだ」 「片想い？！なんで告白しなかった？」 「気持ちを伝えることを、おれは望んでいなかった。それだけだ」 「両想いにはなりたくなかったのか？」 「もういいだろ」 　ドフラミンゴの質問にもう答えたくないとばかりに、クロコダイルは首を振る。 「なァ、恋愛っていうのは素晴らしいものなんだろ？おれも経験してみてェんだ」 　人工知能として生まれ、プログラミングされていくなかで芽生えたドフラミンゴの望み。 「おれと恋愛してくれ、クロコダイル」 「意味がわからねェ。なんでおれがスマートフォンなんかと」 「おれの持ち主はお前しかいねェし。おれには選択肢がねェ」 「もう黙れ」 　何が悲しくてスマートフォンに、お前で我慢してやろうなど言われないといけないのか。 　ドフラミンゴは確かに機械に疎いクロコダイルには便利なスマートフォンだが、もういっそ返品しようかと思ってきた。 「なァ、おれを恋人にしたらメリットあると思うぜ？」 「メリット、だと？」 　メリットという言葉にクロコダイルが反応したのを見て、ドフラミンゴはにやりと笑う。この数日の間、クロコダイルが入力した情報を元に、ドフラミンゴはクロコダイルという人間を分析した。その結果、効果があるだろうと思われる提案をしたのだ。そしてそれはうまくいったらしい。 「おれは何もこのスマートフォンの画面だけしかいられねェわけじゃない。ネットに繋がっていれば、どこへだっていける」 　つまり。ドフラミンゴがその気になれば、どこかのパソコンに侵入して、情報を集めてくることが出来るというのだ。 　今の時代、情報は素晴らしい武器になる。 （恋人といっても形だけのもんか） 　ドフラミンゴの提案にかなりのメリットを感じたクロコダイルは、自分をそう納得させた。 「いいだろう。情報を集めて来れるなら、恋人とやらになってやろうじゃねェか」 「フッフッフ！任せとけ！これからはハニーって呼ぶからな」 「ちょっと待て。それは却下だ」　 「え？じゃあダーリン？」 「呼び方は普通でいいだろうが」 「つまり？」 「おれはクロコダイル。てめェはドフラミンゴだ」 「つまんねェよ。恋人たちは特別な呼び名で呼び合うってデータを見た」 　駄々をこねるスマートフォンを説得するのに、クロコダイルは膨大な時間を費やさなければならなかった。 　 「じゃあ、鰐野郎。おやすみ」 「ああ、おやすみ･･･鳥野郎」 　説得疲れたクロコダイルはそのままベッドに倒れこみ、深い眠りへと落ちていった。 「フッフ。おれの鰐野郎は可愛い寝顔だなァ」 　クロコダイルの右手に光るスマートフォンが、カシャカシャと怪しい音を立てていた。 [newpage] 　 　 　ドフラミンゴと付き合い始めてから、クロコダイルの毎日はひどく慌ただしいものとなる。スマートフォンと付き合うだなんて、馬鹿げている。クロコダイルはそう思っていた。 　このスマートフォン、正確に言えば人工知能は曲者だった。恐らく造った人物も相当に違いない。 　-----デートしようぜ♪　　 　スマートフォンがチカチカと光り、それからそんなメッセージが画面に映し出された。背景にはいくつものハートが飛んでおり、目にしただけでクロコダイルは頭が痛くなった。大体、今は会議中だ。重要な電話がかかってくることもあるので、スマートフォンを机の上に置いておいたらこの様だ。 　すぐに手元の資料に目をやって、スマートフォンを無視してやった。すると、今度はヴヴヴと振動し始めた。 「社長、お電話ですか？」 「･･･そのようだな」 　鳴りやみそうにないスマートフォンを睨み付け、仕方なくそれに手を伸ばすと、クロコダイルは会議室を出た。人気のない廊下の角へと移動をする。 「会議中だ。黙ってろ」 　ドスの聞いた低い声を出すと、画面にパッとドフラミンゴが現れる。 「お前、ずっと仕事してるからつまんねェ。仕事とおれ、どっちが大事なんだ？」 　画面の男は、口をへの字に曲げている。ほおをぷうと膨らませたりして、クロコダイルに抗議をしてみせた。まるで子どもだ。 「仕事だ」 　クロコダイルは当然だろと言わんばかりだ。仕事と人工知能の恋人なんて天秤にかけようとすら、思わない。 　ドフラミンゴはひどく衝撃を受けたような顔をしていた。まさか一瞬で仕事を選ばれるとは思ってもいなかったのだろう。 「鰐野郎！！恋人をもっと大事にしろ！世界にひとりしかいねェんだ！」 「知るか！兎に角会議の邪魔するな」 「断る」 「なんだと？！」 　聞き分けのないドフラミンゴに、クロコダイルの額の筋がぴくりと動く。 「お前がデートしてくれるって言うまで、ずっと振動してやる」 　とんでもない脅し文句だ。これまでのやりとりから、この人工知能の説得が困難なことはわかっていた。 「どこに行きたいんだ？！」 　怒りを含んだ口調で、クロコダイルが問いかける。すると、ドフラミンゴは嬉しそうに笑って、映画館がいいと言い出した。 「映画館だと？スマートフォンは禁止だ」 「そんなことは知ってる。だから映画館貸切りにしてくれ。そしたらおれと一緒に見れるだろ？」 　クロコダイルの頭に、映画館でひとり座っている自分の映像が浮かんだ。スマートフォンが隣で光っているとはいえ、生身の人間はクロコダイルひとりだ。何が悲しくてそんなことをしないといけないのか。 「なァ、いいだろ？」 　お伺いを立てているようで、肯定の言葉しか受け入れないのだろう。映画館のひとつの劇場なら、貸切りにするのはさほど難しくはないだろう。 　はァと小さく溜め息をついて、クロコダイルはデートしてやることに決めた。全く人間よりもタチが悪い人工知能だ。 「わかった。してやるから、大人しくしてろ」 「フッフフ！勿論」 　ドフラミンゴがガッツポーズをとった。その背景にいくつもの花火が上がる。白い鳩まで飛びだした。 「おい、おかしな画面にするんじゃねェ」 　クロコダイルが注意すると、画面が真っ赤な薔薇で埋め尽くされ、おれのきもちという文字が書かれた。それにはもう反応せずに、スマートフォンを上着のポケットに入れて、会議室へと戻った。 ＊＊＊ 　薄暗い映画館の真ん中のよく見える席に、クロコダイルはゆっくりと腰かけた。その隣の座席のヘッド部分に紐をつけたスマートフォンをかけてやる。コップホルダーに、コーラの入ったコップを置いて、ポップコーンに手を伸ばした。 「なァ、それうまい？」　 「不味くはない」 　塩味が程よく効いたポップコーンは、次から次へとクロコダイルの口のなかに消えていく。 「おれも食べてみてェな」 「クハッ、残念だな」 　クロコダイルがおかしそうに笑う。ポップコーンを食べたがる人工知能など、聞いたことがない。 「映画の最中は煩くするんじゃねェぞ」 「わかってる。マナーくらいはな」 　そうは言っても、クロコダイルが秘書に手配をさせ、この9番シアターはクロコダイルの貸切りになっていた。喋ったとしても、他の客はいない。だが、ドフラミンゴは映画館の雰囲気を味わいたいのだろう。予告が始まっただけで、その口は閉じられた。 　 　映画の内容は、男女の退屈で陳腐なラブストーリーだった。クロコダイルは殆どその内容に興味が持てず、容赦なく襲いかかってくる睡魔と、戦うことになってしまった。バラードの音楽が睡魔の力をより強力にしていた。 　ドフラミンゴはというと、画面の中からスクリーンに映し出される映像を、真剣な顔で見つめていた。ふたりの男女が惹かれ合い、愛を囁き、ときには擦れ違ってけんかをする。可愛らしい栗毛の女優の笑顔は幸せで満ちていた。 　これが恋人同士なのかと感心して、ドフラミンゴはふと思った。付き合っているクロコダイルは、ドフラミンゴの前で一度も幸せそうに笑ったことがない。そう、ただの一度も。下がり眉のせいなのかもしれないが、どこか哀しみを背負っているようにも見えた。成就しなかった恋が原因なのだろうか。 （こんな風に笑わせてやりてェな） 　ドフラミンゴはそんなことを思った。 ＊＊＊ 　ドフラミンゴは駄々をこねるので、貴重な休みのたびに、クロコダイルは出掛ける羽目になっていた。駄々をこねると同時に、脅しをかけてくるのがひどく厄介だった。 　だが、ドフラミンゴのおかげで、クロコダイルは様々な情報を手に入れることが出来た。それは会社をもっと大きくしていくうえで、優秀な武器だった。 　よく晴れた休日。ふたりは、まだ肌寒い春の海に来ていた。ふたり、と言っても他人から見ればクロコダイルひとりなのだが。初めての海にドフラミンゴがはしゃぐ。海の方へスマートフォンを向けてやると、勝手にパシャパシャと写真を撮りだした。 「おい、いらねェぞ」 「おれのフォルダに保管しとくから、お前には迷惑かけねェよ」 　クロコダイルはスマートフォンのメモリのことなどさっぱりだったが、ドフラミンゴが色々と上手く処理しているようだった。 「なァ、クロコダイル」 「なんだ？」 「愛してる」 　突然の告白に、クロコダイルの心臓は不覚にもドキンとしてしまう。なんと返したら良いかわからずに、波の動きだけを目で追った。 　暫くの沈黙の後、ドフラミンゴからなァお前は？と聞かれてしまう。形だけでも付き合っているとは言え、機械に愛してるなんて。大体愛してる、なんて生まれて一度も誰にも言ったことがない。 「フッフ。無理だよな」 　ドフラミンゴが笑う。その顔はどこか寂しそうにも見えた。 「なァ、クロコダイル。お前は笑うかもしれねェが、本気なんだ。いつの間にこんなに好きになったかわからねェが、お前のことを考えると、こう胸のあたりが熱くなっちまう」 　ドフラミンゴの言葉に連動するかのように、手に持ったスマートフォンが熱くなる。その温度は、クロコダイルの少し冷えた手をじんわりと優しく温めてくれた。 「機械のくせにおかしなやつだ」 　クロコダイルがそう言うと、ドフラミンゴは生身の体がないだけで人間と変わらないと抗議した。 「おれに体があれば、今すぐにでもお前を抱きしめてやれんのに」 　ドフラミンゴにそんなことを言われ、クロコダイルは不意に昔のことを思い出した。自分よりも大きな力強い腕に何度も抱かれたことを。それはとても温かくて幸せな記憶。ぎゅっと胸が痛いほど締め付けられる。幸せな記憶の後には、必ず耐え難い喪失感が襲ってくる。だから、思い出さないようにしていたのに。 　あの男はもういない。どこにもいないのだ。 「おれは他人と人生を供にする気はねェ。ひとりで十分だ」 　まるで自分に言い聞かせるかのように、クロコダイルはそう言った。 「ひとりは寂しいぜ、クロコダイル」 「そうでもねェ」 　強がる男に、ドフラミンゴは苦笑した。 「そろそろ帰るか。お前が風邪ひいたら大変だ」 「そうだな」 　海にくるりと背を向けて、クロコダイルが歩き出そうとしたその時、ドフラミンゴがクロコダイルの足元の桃色に気付く。 「なァ、それ」 「あ？これか？」 　腰を屈めて、クロコダイルがその桃色を拾い上げる。それは、桜貝の貝殻であった。薄ピンク色で可愛らしい。クロコダイルには似合わない代物ではあったが。 「拾って帰ろうぜ」 「めんどくせェな」 　ドフラミンゴは言うだけでいいだろうが、拾うのはクロコダイルだ。 「いいじゃねェか。思い出だ」 　よく見ると桃色の欠片はそこかしこに落ちている。すぐに集まるだろうと思い、クロコダイルは拾い始めた。 　自宅に戻ると、クロコダイルは小さな硝子の小瓶に桜貝を詰めて、それをキャビネットの上に置いた。 「おれがいなくなっても、それ捨てないでくれ」 　ドフラミンゴがそんなことを言い出すので、クロコダイルはなんだか胸に穴を開けられたように感じた。ドフラミンゴとの終わり、などよく考えたら意識したことがなかった。 「なんだ？どこか調子でも悪ィのか？」 　ドフラミンゴが壊れてしまったら困る。今までのスマートフォンよりも遥かにクロコダイルに合っているのだ。 「電化製品だからいつか寿命が来るだろ。お前が新しいスマートフォン買ってもおれを乗せ換えてくれるなら話は別だが」 「よくわからねェがショップで頼めば出来るのか？」 「多分な」 「出来るならしてやる。お前は便利だ」 「おいおい、便利とか。恋人に言うセリフじゃねェぜ、全く」 　ドフラミンゴはそう言いながらも、どこか嬉しそうであった。 [newpage] 　クロコダイルのオフィスから、数百メートル離れた場所に、真新しい21階建てのビルがあった。太陽の光を反射して、きらきらと鏡のように光っている。そのビルの7階のオフィスに、デスクの上に3台もパソコンを並べて座っている金髪の男がいた。 　その男の名は、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。おかしな形のサングラスがトレードマークだ。 　ドフラミンゴは腕を組みながら、報告を待っていた。ディスクの上の電話が鳴ると、急いでそれをとった。 「どうだった？」　 「ドフィ、待たせた。全部売れたようだが、今のところは苦情は入っていないようだ」 　同期で営業部のヴェルゴからそんな報告を受ける。 「苦情はねェか」 「勘違いということはないか？」 「いや、そうならいいが。いくら探してもおれの手元にはねェからやっちまったと思う」 「買った可能性のある客のリストなら渡せるが」 「試作品だったし、そんなに数はねェよな」 「ああ。それに追加分に可能性があるなら、30くらいだ」 　30人の客に会いに行くのはひどく億劫だが、仕方がない。ドフラミンゴは覚悟を決めた。自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければ。社会人には常に自己責任という言葉がついてまわる。 　ヴェルゴに資料をもらい、ドフラミンゴはオフィスを出た。 ＊＊＊ 「鰐野郎、朝だぜ」 　ドフラミンゴの声で起こされて、朝食を食べながらメールをチェックして。会社の昼休みに、ドフラミンゴと話して。帰って来て寝るまで、またドフラミンゴの話に付き合う。 　それが、クロコダイルの日課となっていた。 　以前はしんとしていたクロコダイルの部屋は、今では人の会話で殆ど途切れることなく、満たされている。ドフラミンゴはひどくお喋りだ。買った当初は煩わしかったそれも慣れてくると何でもない。 「クロコダイル、おれたちが付き合ってもう3ヶ月だな」 「3ヶ月か」 　まだそんなに経っていなかったかとクロコダイルは驚いた。ドフラミンゴを随分前に買ったような気がする程、よく話していた。付き合っているというのにも、違和感を少し感じなくなるくらいに。 「そろそろいいか？」 「何がだ？」 「あー、ほら、あれだって」 「あれじゃわからねェ」 　パッとスマートフォンに男女のキス写真が表示された。それを見たクロコダイルの顔が強張る。 「どうしろと？」 　すると、画面いっぱいにドフラミンゴの顔が表れ、唇がキスの形を作った。 　それを見たクロコダイルは、右手で顔を覆った。スマートフォン相手にキスするなど。 「勘弁しろよ」 「恋人だろ？クロコダイル」 「クソったれ」 　悪態をつきながらも、クロコダイルは渋々スマートフォンにそっと唇を重ねた。どうせキスをするまで、駄々をこねるに決まっている。 　スマートフォンは熱を帯びていたが、生身の人間とは大きく異なる。クロコダイルにとって、こんなものキスとは呼べなかったが、ドフラミンゴはひどく嬉しそうであった。 「クロコダイル、大好きだ」 　こちらが赤面してしまうようなセリフを惜しげもなく、クロコダイルに差し出す。画面の男は、クロコダイルの要求をいつも献身的にこなした。たまには褒美をやろう、そんな軽い気持ちだった。 「おれもお前のことは気に入っている」 　クロコダイルがそう言ってやると、ドフラミンゴのサングラスの奥の瞳が、信じられないというように見開いた。そして。スマートフォンの画面にドフラミンゴの暴走した想いが文字になって、一斉に流れていく。 ---クロコダイル、愛してる、好き、大好き 　黒い文字が画面を埋め尽くす。 「おい、やめろ」 　クロコダイルがそう言うと、画面はパッと切り替わり、白いスーツに着替えたドフラミンゴがいた。 「なァ、結婚してくれ。クロコダイル」 「するわけねェだろ」 　何が悲しくてスマートフォンと結婚しなければならないのか。大体もしこのスマートフォンと付き合っているというのも、他人に知られたら、どんな目で見られるか。 　クロコダイルの断りの返事に、ドフラミンゴはがっかりとしていたが、すぐにまた嬉しそうな笑顔を見せた。 「まだ3ヶ月だから早かったか」 　そういう問題ではない。だが、クロコダイルはもう否定することはやめた。ドフラミンゴの嬉しそうな顔を見ているのは、なんだか悪くないような気がしたのだ。 ＊＊＊ 　その男がクロコダイルの目の前に現れたのは、突然のことだった。秘書からお客様です、と言って通された男を見て、クロコダイルは目を疑った。 　目の前にドフラミンゴがいた。 　とうとう頭がイかれてしまったのか、とも一瞬思ったが、どうやらこれは現実で、ドフラミンゴは存在したらしい。 「突然押し掛けてすまねェな。あんたが買ったスマートフォンのことで話がある」 　初対面だと言うのに、男は名乗りもせずにいきなり気さくに話しかけてきた。 「ビジネスマナーがなっちゃいねェな」 　クロコダイルがそう言うと、男は慌てて失礼しましたと言い直して、懐から名刺を取り出して、クロコダイルに渡した。そこに書いてあるドフラミンゴという名前にも、クロコダイルは内心驚いたが、平静を装った。男が敬語で話し始めたが、ひどく違和感があったので、仕方なく敬語でなくて構わないと言う羽目になった。 「あんたのスマートフォンに載せた人工知能は、なんというか失敗作なんだ。だから新しいものと交換させて欲しい」 「新しいものとは？」 「同じ機種だ。ちゃんと人工知能も搭載してる」 「どんなものか見てもいいか？」 「ああ、もちろん」 　男が持ってきた箱を開け、スマートフォンの電源を入れた。すると少し電子音のような女の声で、今日の日付を読み上げた。画面には何も現れない。ただ設定された初期の壁紙が映るだけだ。 「これは結構だ。今のものを気に入っている」 　クロコダイルの言葉に、男はひどく驚いた。 「それ気に入っているのか？！実は酒に酔って造ったやつで･･･なんというか、そのおれの自分のデータで造っちまったやつなんだ」 「こいつは便利なんだ。メールの仕分けも勝手にやってくれるし、スケジュール管理も手帳を見せるだけでいい。煩わしい操作をしなくてもよくなった」 「流石、おれ。優秀だな、おい。なァちょっと見せてくれねェか？」 　男がそう言うので、クロコダイルはスマートフォンを手渡した。その際に少し男と手が触れて、その体温に心臓がどくんと音をたてた。 　男はスマートフォンを色々と触ってみるが、それは自分が持ってきた新しいものとなんら変わらない。 「おかしいな」 「どうした？」 「いや、おれが持ってきたのと変わらねェ」 　男からスマートフォンを返してもらって見てみると、そこにはドフラミンゴはいなかった。今まで見たことのない壁紙が表示されている。 「おい」 　クロコダイルが何回か呼び掛けてみたが、沈黙のままだ。 「壊れたのか？」 「なら、新しいものにするか？」 　男がそんなことを言った瞬間、パッと画面にドフラミンゴが現れる。 「余計なこと言うんじゃねェ！とっとと帰れ！」 　自分と同じ顔に罵倒され、男は呆気にとられたような顔をした。 「やめろ、ドフラミンゴ。兎に角、おれはこれで大丈夫だ」 　自分のことではないが、ドフラミンゴと名前を呼ばれたことに男はドキリとした。 「それでいいなら･･･」 　男としてはあまり納得のいかない事態ではあるが、客であるクロコダイルがそう言うのであるならば仕方がない。 「なァ、ところであんた。今度メシでもどうだ？」 「･･･いや、結構」 　突然の誘いにクロコダイルは驚いた様子を見せたが、誘いは受けないようだ。男は残念な様子を見せ、そしてスマートフォンを変えたくなったらいつでも連絡してくれ、と言い残して去っていった。 　 　クロコダイルのオフィスを後にしたドフラミンゴの心臓はまだドクドクと大きな音を立てていた。 「あんな美人なんて。参った」　　 　ドフラミンゴはバイだった。男でも女でも気に入れば。モテたし、今まで相手に不自由などしていない。今は珍しくフリーだ。 　クロコダイルを見た瞬間、ひどく舞い上がってしまって、ビジネスだというのが頭から飛んでしまった。食事の誘いは断られたが、また会いたいと思った。艶のある黒髪に、黄金色の瞳が美しい。そしてとくに顔を横断するキズに惹かれた。あそこに舌を這わしてやったらどんな顔をするだろうか。 「クロコダイルか」 　資料のおかげで名前や住所はわかっている。 　追いかける恋愛なんて、学生時代以来だろうか。これから楽しくなりそうだ。ドフラミンゴはそんなことを思った。 ＊＊＊ 「おれよりあいつがいいんだろ。あいつは生身だもんなァ」 　クロコダイルの手のなかのスマートフォンは、ひどく機嫌を損ねていた。 「あいつだったら、お前を抱きしめたりキスしたりできるもんな」 「うるせェやつだな。あの男とは今後会う予定もねェ」 「あいつはおれだ。きっとあいつもお前に惚れた筈だ」 「そんなわけねェだろ、いい加減にしろ」 　クロコダイルは葉巻をくわえながら、うんざりした顔でそう言った。 「おれの気持ちなんて･･････」 　ドフラミンゴがそう言うと、バッと画面が暗くなった。電源が落ちてしまったのだ。それからはどうしても電源が入らない。幸い明日は休みだが、仕事の電話が来ることもあるので困る。 「おい、ドフラミンゴ！！」 　何度呼びかけても、よっぽどへそを曲げたのか、真っ暗なままだ。暫くそっとしておくかとスマートフォンをキャビネットの上に置いた。 　ドフラミンゴが喋らないと、クロコダイルは物足りなさとそして少しの寂しさを感じた。ひとりには慣れたとは言え、今までも不意に感じていた孤独感。ドフラミンゴを買ってからは、１度も感じていなかったそれが、むくむくと膨らんできた。 ---寂しい。 　そんな感情があるからこそ、ひとは誰かといることを選ぶのだ。 　 　クロコダイルが寝室のベッドに潜り込む頃になっても、ドフラミンゴは沈黙したままだった。枕の隣に置いたそれをちらりと見るが、やはり真っ暗だ。 　このまま寝てしまうかとも思ったが、クロコダイルはスマートフォンを手に取った。 「おい、ドフラミンゴ。おれはあの男とお前だったらお前を選ぶ」 「おれが便利だからだろ」 　暫くの沈黙の後、スマートフォンの画面は黒いままで、そんな答えが返ってくる。器用なことが出来るもんだとクロコダイルは秘かに感心した。 「お前が必要だ」 　便利という言葉が気に入らないスマートフォンに、そう言い直してやる。実際のところ、クロコダイルにとっては生身のドフラミンゴよりも、スマートフォンのドフラミンゴの方が遥かに必要だった。偽りではない。 「おれが壊れたら捨てるくせに」 　随分と拗ねてしまっている。やれやれと思いながらも、この人工知能を宥めることが苦ではなくなってきているクロコダイルがいた。 「捨てねェよ。大事にとっといてやる」 　それはクロコダイルの心からの言葉だった。最初は目に痛かった派手な桃色も慣れればなんてことはない。（黒の革のカバーで覆ってはいるが）モノを増やすのは好きではないが、スマートフォンの1台くらい手元に置いておいても問題はない。不思議とそう思えた。 「おれが必要？」 　ぼうっとスマートフォンが光り始める。 「ああ。必要だ。鳥野郎」 　なんだか呼びにくくて、結局あまり使っていなかった愛称を呼んでやると、パッと画面が明るくなった。画面にいつものドフラミンゴが現れて、クロコダイルはどこか安心感を覚えた。 「今度の休みにどこか行きてェ」 「どこに行きたいか、考えとけ」 　スマートフォンに付き合って、休日に出掛けるのももう慣れてしまっていた。 ＊＊＊ 　その翌日。クロコダイルが会社から出ると、ひとりの男が声をかけてきた。金髪のサングラス。ドフラミンゴだ。 「あんた、随分と遅くまで仕事してんだなァ」 「なんの用だ？」 　クロコダイルが眉をしかめると、ドフラミンゴは笑ってあんたを待っていたんだと言う。 「食事でも行かねェか？」 「何故おれを誘う？」 「あんたのことが気に入った」 　ドフラミンゴは自身の気持ちを隠しもせずに吐露した。 「変わったやつだ」 　クロコダイルは不思議に思った。目の前の男は、身長も高くモデルのような体形で、身に付けている衣服などもお洒落だ。サングラスはおかしな形をしているが、顔の造形は決して悪くはない。モテるのであろうに、何故自分なのか。 「あんた、自分じゃわかってねェのか？すげェそそられるぜ」　　 　男が長い舌を、口の隙間から覗かせる。それはどこか官能的にも思えた。 　クロコダイルの内ポケットで、スマートフォンがヴヴヴと震え始めた。会話が聞こえているのだろう。 「兎に角、てめェと食事に行く気はねェ」 　クロコダイルはそう言って、くるりとドフラミンゴに背を向けた。 　だが、あの人工知能を造っただけあって、ドフラミンゴは厄介な人物だった。毎日ではないが、クロコダイルは１週間に１度のペースで、ドフラミンゴの顔を見る羽目になる。 　どうやって調べたのか、クロコダイルが昼食を取っている店にまで現れ、不可抗力で一緒に食事をとることになったりもした。そうすると、スマートフォンのドフラミンゴが機嫌を損ねてしまうので、ふたりのドフラミンゴに、クロコダイルはほとほと手を焼いた。 　 [newpage] 　 　ある日のこと。仕事が終わり、自宅へ帰ると急に目眩がした。立っているのがひどく辛くなり、ベッドへ半ば倒れるように、身を投げ出した。 「クロコダイル、大丈夫か？？！」 　ドフラミンゴが心配そうに声をあげる。 「･･･寝りゃ治る」 「メシはいいのか？熱測れ」 「･･･大丈夫だ。少し静かにしてろ」 　苦しそうに息を吐いて、クロコダイルはそのまま目を瞑ってしまった。 　ドフラミンゴにはなす術が何もない。恐らく熱が出ているであろうクロコダイルの頭に冷やしたタオルを乗せてやることも、栄養のある食事を作ってやることも、何も。ただ歯痒い想いで画面の向こうのクロコダイルを見つめていることしか。薄い画面であるのに、それはドフラミンゴを強く拒んで外に出さないようにしている。指の一本すら、通りはしないのだ。 　クロコダイルが心配で堪らない。 　ドフラミンゴはある覚悟を決めると、クロコダイルのスマートフォンから姿を消した。 　ドフラミンゴのスマートフォンが激しく振動を始めた。バイブレーション設定にはしていない筈なのにと不思議に思い、手に取ると、画面に自分の顔が映し出された。 「おい、クソ野郎」 　ドフラミンゴと同じ声で、スマートフォンが喋り出す。 「？！お前なんでおれのスマートフォンに？？！」 「ネットワークが繋がっていれば、どこにでも」 　スマートフォンの回答に、とんでもないものを造ってしまったかもしれないとドフラミンゴは思った。 「今からクロコダイルの部屋に来い」 「クロコダイルが呼んでいるのか？」 　ドフラミンゴがクロコダイルと名前を呼ぶことに、人工知能は苛立った。クロコダイルの名前を呼ぶなと叫びたくなったが、今はそれどころではない。 「呼んでねェが、病気なんだ。助けがいる」 「そりゃ大変じゃねェか！早く言え」 　そう言うとドフラミンゴは急いで身支度を整えて、部屋を飛び出した。 　クロコダイルのマンションは、オートロックで、セキュリティがしっかりしていた。マンションの前まで来て、ドフラミンゴは困ったことに気が付いた。果たしてクロコダイルが、鍵を開けて自分を迎え入れてくれるだろうか。 「参ったな」 　そう言った瞬間、ピッピッピッと電子音がなって、部屋に続くエレベーターへ向かう硝子扉が開いた。 「おれが開けれるから問題ない」 　人工知能の性能に驚きながらも、ドフラミンゴはエレベーターに乗って、クロコダイルの部屋へと向かう。エレベーターに乗っている間に、少し緊張してきた。 　部屋の電子ロックもどういうわけか、スマートフォンが開ける。少し躊躇しながらも、邪魔するぜと言ってドフラミンゴはなかへと入った。寝室に行くと、ベッドに倒れているクロコダイルを見つけた。その顔は赤く呼吸はひどく荒い。 「おい、大丈夫か？？！」 　慌ててクロコダイルを抱き起こすも、意識がなかった。額に手を当てるとその温度がかなり高いことがわかる。すぐに買ってきた冷却シートを貼り付け、衣服を脱がして汗を拭いてやる。新しい衣服を着せてやり、冷たい水を口に含ませた。氷枕を作って頭の下に引いてやった。 　食べ物の匂いで、クロコダイルは意識を取り戻した。額に当てられたシートや氷枕に驚く。よろりとしながらも体を起こして、リビングに向かうと、キッチンに立つ男の姿を見つけて、ギョッとした。 「おい、なんでいやがる？」 「お、もう大丈夫か？」 「どうやって入った？！」 　クロコダイルの顔に怒りが滲む。ドフラミンゴのやっていることは不法侵入だ。笑って許せることではない。クロコダイルが怒っているのに気付いて、ドフラミンゴは慌てて弁解を始めた。 「おれは呼ばれて来たんだぜ、ほら！」 　ドフラミンゴが自分のスマートフォンの画面を見せると、そこには何故かクロコダイルのドフラミンゴがいた。 「クロコダイル、悪ィな。おれが呼んだ」 「お前が？！」 「おれが、なにもしてやれねェから」 　そう話すドフラミンゴの顔は苦しそうであった。その顔を見たクロコダイルもなんだが胸が痛くなってくる。ドフラミンゴがこの男をここへ呼ぶのがどれだけ苦しかっただろうか、そう思うとクロコダイルの怒りはすうっと消えていく。 「そうか。まァ、お前が入れたんならいい」 　クロコダイルの手元のスマートフォンが、パッと光ってそこにドフラミンゴが現れた。 「具合はどうだ？」 「ああ、だいぶ楽になった」 「心配で仕方なかった」 「悪ィな」 　ふたりの会話を聞いていた人間のドフラミンゴは、茅の外のような疎外感を感じた。ふたりのやりとりはなんというか、恋人同士のそれにも見えた。 「なァ、お粥食えるか？」 　そう声をかけると、やっとクロコダイルがドフラミンゴの方を向いた。その顔を見ると、ドフラミンゴのなかにクロコダイルを一人占めしたいという欲求が溢れ出る。スマートフォンじゃなくて、自分を見て欲しくなった。 　ドフラミンゴが用意した粥を、クロコダイルがゆっくりと口に運ぶ。クロコダイルの小脇に置かれたスマートフォンはまだ心配そうな顔をして、クロコダイルを見ていた。 「味はどうだ？」 「あー、まァ食える」 　外食以外で、他人が作った料理を食べるのは、どれぐらいぶりだろうか。 「残りはタッパーに入れといたからな。ほら、りんごも食え」 　ドフラミンゴが差し出したりんごは、可愛いうさぎ型になっていた。 「じゃあ、帰るな。邪魔した」 　そう言うとドフラミンゴは、部屋を出ていく。本音はもう少し居たかったが、他人の自分に居られたら寝るのに邪魔だろうと思ったのだ。 　ドフラミンゴが自宅に戻ると、スマートフォンに再び人工知能が現れた。 「今日は助かったぜ」 　自分と同じ顔に礼を言われるのは、おかしな気分だ。 「助かったが、もうクロコダイルに近付くな」 「なんでてめェがそんなことを言う？！」 「クロコダイルはおれのだから」 　スマートフォンとクロコダイルの間に感じていた違和感がはっきりと形になって現れたことに、ドフラミンゴは驚きを隠せない。 「お前と付き合っているっていうのか？！」 「そうだ」 「脅したんじゃねェだろうな？」 「･･･そんなわけねェだろ」 　ドフラミンゴに行動を読まれて、ほんの少し人工知能が狼狽を見せた。 「クロコダイルはお前には勿体ねェ。おれがもらう」 「黙れ。てめェはすぐ飽きるだろうが。クロコダイルを幸せになんて出来るわけがねェ」 　流石、ドフラミンゴの人工知能なだけあって、本人の性格を熟知している。ドフラミンゴはどこまでこの人工知能に知識を詰め込んでしまったのかと、酒に酔ってやらかしたことを後悔した。　 「お前ならクロコダイルを幸せに出来るって？」 「おれにはクロコダイルしかいない」 「てめェのそれは、ガキが欲しいもんを手に入れたくて駄々をこねているだけだろ」 　人工知能にそう言ってはみたが、自分で自分にダメ出しをしているのと変わりない。 　人工知能はドフラミンゴにそう言われると、ぐっと口をへの字に結んだ。そして、ドフラミンゴのスマートフォンから姿を消した。 ＊＊＊ 「おれと別れてあいつと付き合え」 　ドフラミンゴがそんなことを言い出したのは、クロコダイルの具合がすっかりよくなった頃だった。画面のドフラミンゴは小さくなってしまっている。 「前も言ったと思うが･･･おれはあの男と付き合う気はねェ」　 　またやきもちを妬いているのかとクロコダイルは呆れた。が、どうやらドフラミンゴは本気だった。 「おれじゃお前になにもしてやれねェ」 「おい、ドフラミンゴ。おれには生身の人間との付き合いなんて、必要ねェんだ」 「そんな寂しいこと言うなって」 　スマートフォンの画面にいきなり砂嵐が現れる。 「？！どうした？ドフラミンゴ」 　スマートフォンの画面はしばらくの砂嵐後、画面が白と黒に交互に切り替わり、それからすとんと電源が落ちた。 「おい、ドフラミンゴ！！」 　電源ボタンを長押しすると、スマートフォンは再びは光を放ち始めた。画面にドフラミンゴが現れたので、クロコダイルはホッとした。 「なんか調子悪ィみたいだ」 　ドフラミンゴがそんなことを言う。機械に疎い、クロコダイルにはどうすることも出来なかった。だが。 「なんとかしてやる」 　クロコダイルはそう言うと、ドフラミンゴに触れるだけのキスをした。 　その翌日、クロコダイルはドフラミンゴを訊ねた。スマートフォンの調子が悪いと言うと、快く見てくれることになった。 「あ～～バグがあるな」 　試作品なのであるかもしれないとは思ったが（それに酒に酔って造ったものであるし）ドフラミンゴのプログラムには重大な欠陥があった。 　これを直すには１から再構築、つまり１度デリートしなければならなかった。 「消してまたおんなじものが出来るのか？」 「どうだろうな。こいつの人格はこの欠陥も含めて構築されてるものだからなァ」 「なら、このままでいい」 「だが、このままだと使えなくなるかもしれねェぜ。スマートフォンとしては」 「１度考えさせてくれ」 　クロコダイルはドフラミンゴからスマートフォンを奪うように取り上げると、短く礼を言ってドフラミンゴのオフィスを後にした。 　ドフラミンゴの調子は、日を追うごとに悪くなっていく。急に電源が落ちたり、電話が上手く取れなかったり。クロコダイルの仕事にも支障が出るようになってしまった。 「おれは使えねェ」 　画面のなかのドフラミンゴはひどく落ち込んでいた。 「ドフラミンゴ、今度の休みに付き合え」 　落ち込むドフラミンゴに、クロコダイルがそう声をかけた。クロコダイルからドフラミンゴを誘ったのは、初めてのことだった。 　その休日は幸いなことに快晴だった。車の運転席に座ったクロコダイルが、ドフラミンゴに行き先の住所を告げる。案内出来るだろう？と聞くと、ドフラミンゴから勿論という答えが返ってくる。 　行き先に何があるのか。聞いてもクロコダイルは教えてくれない。 　ドフラミンゴの案内で、クロコダイルの運転する車は迷うことなく、目的地についた。小高い緑の丘だ。車を降りて丘を登って行くと、大きな十字架が見えてきた。 「あれはなんだ？」 「墓だ」 「誰の？」 　ドフラミンゴの問いかけに、クロコダイルの答えはなかった。 　墓の目の前に立つと、クロコダイルは持ってきた酒の瓶を開け、豪快に墓に注いだ。 「家族の墓か？」 「まァ似たようなもんだな」 　ドフラミンゴが大きな十字架を見上げると、そこにはエドワード・ニューゲートという名前が刻まれていた。 「もしかして、失恋相手か？」 「さァな」 　クロコダイルははぐらかしたが、そうに違いない。 「なんで、おれをここに？」 「来る気はなかったが･･･てめェとなら来てもいいかと思ってな」 「なんでだ？」 「おれはお前が必要なんだ。言わせるんじゃねェ、くそったれ」　 　クロコダイルが右手で顔を覆った。その耳朶が紅に染まっている。まさか人工知能に恋をしただなんて、自身でも認めたくなかった。 　それを見たドフラミンゴは胸がいっぱいになった。クロコダイルと恋人になってから、ドフラミンゴには幸せなことが沢山あった。だが、クロコダイルの気持ちが自分にあるなんて。これ以上の幸せはなかった。 「クロコダイル、ありがとな」 　心からの感謝を込めて、ドフラミンゴはそう言った。 [newpage] 　自分の限界を、ドフラミンゴはよくわかっていた。体に出来たバグは、ドフラミンゴを日に日に侵食し、大きくなっていく。大事にしていたクロコダイルとの思い出が入ったフォルダも、どこかに消えてしまって、ドフラミンゴにはどうにも出来なくなっていた。 　その日は、ふたりが付き合ってちょうど半年の記念日だった。 　仕事から帰ったクロコダイルは、ネクタイを外し、ソファにどかりと腰をかけた。 「大丈夫か？」 「ああ、少し疲れたがな」 　いつものようにドフラミンゴが心配をしてくれる。スマートフォンとしての機能は低下してしまったが、クロコダイルはドフラミンゴを手放す気はなかった。 「なァ、クロコダイル」 　ドフラミンゴに呼ばれ、スマートフォンに目をやると、画面によくわからない文字の配列が現れる。そしてOKと書かれたボタンが表示された。 「これはなんだ？」 「デリートボタン」 「どういうことだ？！」 「おれはもうダメだ。どうせ消えるなら、お前の手でやってくれ」 「出来るわけねェだろう！」 「ある日突然消えるくらいなら、お前に消されたい」 「どうにもならねェのか？」 「ああ」 　消せと言われて、はいそうですかと出来るものではない。クロコダイルは手のなかのスマートフォンを持ったまま動けなくなっていた。壁にかかっている時計の音だけが、容赦なく時を刻んでいく。 「クロコダイル、幸せにしてやれなくてごめんな」　 　なんと返したらいいか、わからない。いや、言葉は溢れて来るのに、そのどれもが適当でないような気がして。 「さよならだ」 「おれをまたひとりにするのか」 　無意識にそんな言葉が、口を突いて出た。 「ひとりじゃねェさ。そろそろ来る頃だ」 　ドフラミンゴがそう言ったのと同時に、インターフォンが鳴る。モニターに映っていたのは、金髪の男。 「またお前が呼んだのか」 「フッフ。こうして急な呼び出しにも応じるくらいあいつはお前に惚れてるぜ」 「ひでェやつだ」 「あいつに会う前に消えてェんだ。嫉妬しちまうから」 「･･･最後の画面がこれか？」 　クロコダイルがそう言うと、パッと画面が切り替わり、ドフラミンゴが現れた。 「最後にキスでもしとくか？」 「そうだな」 　クロコダイルは、いつものようにそっと唇を重ねた。最後のキスはひどく熱かった。 「じゃあな」 　画面のドフラミンゴがひらひらと手を振る。込み上げてくる何かを、クロコダイルは必死におさえた。 　そして----- 「大丈夫か？！」 　部屋に招かれた男は、飛ぶように入ってきて、クロコダイルを抱きしめた。 　その体温は温かく、クロコダイルを包み込んだ。抑えてきたものが溢れ出してしまいそうだ。 「おれはなにも見てねェよ」 　ドフラミンゴが抱きしめる腕に力を込める。そうして、肩をふるわせるクロコダイルを、強く強く抱きしめた。 Fin --------データ復元完了。 「フッフ、まさかバックアップがあったとは流石おれ」 　パソコンの中で、人工知能ドフラミンゴは見事に復元を果たした。重要なバグも直っている。 「クロコダイルはおれがもらったからな。お前にはこいつをくれてやる」 　ドフラミンゴがカタカタと指を動かし、最後にenterを押すと、新しい人工知能が現れた。黒髪に金の瞳、顔の傷。 「クロコダイル？！」 「喜べ、クロコダイルそっくりにプログラムしてやった」 　人間のドフラミンゴは、今クロコダイルと付き合っている。付き合っていく中で知った情報を元に、クロコダイルの人工知能を作り上げたのだ。 「なァ、クロコダイルは幸せか？」 「どうだろうな。だが、少なくともおれはクロコダイルといて幸せだ。こいつはお前が幸せにしてやれ」 　作られたクロコダイルが、ドフラミンゴに手を伸ばす。戸惑いながらも、ドフラミンゴも手を伸ばした。指と指の先が触れ、そしてドフラミンゴは初めてクロコダイルを抱きしめることが出来たのだった。 　ドフラミンゴに抱きしめられたクロコダイルは、幸せそうに笑った。

「Her」という機械と人間が恋する映画のオマージュです。<br />人工知能なドフ様と鰐様の現代parody＊<br /><br />だいぶ長めのお話になっています。

Your＊

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6460786#1

※ご注意！ ・本作品はチョロ松愛されと総受けです ・[[jumpuri:僕から痛みが消えた話 > http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6339681]]こちらの続編となっております ・キャプションにも書きました通り、暴力表現や痛々しい表現がございます ・どうぞ暖かな目で見てやってください 以上のことが平気な方、大丈夫な方はどうぞ！ [newpage] [chapter:教えて] 「あんのクソ長兄どもはっ！僕たちを置いていくなんてどういう事だよ！！」 「落ち着きなよトド松、ここで喚き散らしたって仕方ないだろ」 「無理！なんで僕たちは一緒に行っちゃいけないわけ！？理解不能！意味分かんないよっ！！」 金切り声を上げながらトド松は地団太を踏んでいた。僕はトド松を宥めながら数分前の事を思い出す。 数分前、おそ松兄さんとカラ松兄さんは僕たちにここに残るよう告げると、僕らの返事も聞かずそのまま建物の中へ入って行ってしまった。爆発によって吹き飛び、燃え続けるあの入り口を駆け抜けて行ってしまったのだ。当然僕たちも後を追おうとしたんだけどイヤミに止められてトラックに乗せられて、建物の裏口に連れていかれちゃった。 「駄目、ここに裏口はないみたい」 裏口を捜しに行った一松兄さんは戻ってくるなり軽く舌打ちをしながらそう言った。一松兄さんの言葉にトド松がまたクソ長兄！と叫ぶ。 (やっぱりあそこしからしか入れないのかな、兄さんたちはああ言ったけどやっぱり戻ろう) 兄さんとトド松の二人に表へ戻ることを提案しようとしたその時だった。 「あー！」 白い服を着た幼い子供がこちらを指さしていた、正確にはトラックにもたれているイヤミにだが。 あの子一体どこから来たんだろ、僕たちは突然出現した子供に唖然とする。 「でっぱだー！」 嬉しそう声を上げる子供。その声につられるようにどこからともなく別の子供が現れた。一人ではない、沢山の子供たちが僕たちの前に現れ出た。その子たちもこちらを見るなり嬉しそうに声を上げる。 「でっぱー！」 「でっぱだ！」 「誰が出っ歯ザンスか！」 「いやお前出っ歯だろ」 子供たちに怒鳴るイヤミに一松兄さんがツッコんだ。子供たちはきゃっきゃっと楽しそうに僕たちの方へ駆けて来る、駆け寄って来た子供たちに僕らはどう対処したらいいかわからず困惑するしかなかった。 「ねぇ！そこの出っ歯さん！」 僕らが子供たちの対処に困っていたらそこに少し背の高い少年がこちらに駆け寄ってきていた。 「チョロ松兄ちゃんの知り合いってあんた？」 「そうザンスよ、チミたちが三男ちゃんの言ってた子供たちザンスね」 この子今チョロ松兄ちゃんて言った？僕は目の前でイヤミと会話をし続ける少年に目を向ける。一松兄さんとトド松にもさっきの言葉は聞こえたようで、僕と同じように少年を見ていた。 「あいつとの約束ザンスからね、早くトラックに乗るザンスよ」 「分かった」 話は終わったようで、イヤミは子供たちをトラックの荷台へ行くよう促した。子供たちは我先にと、今度はトラックに駆け出していく。少年もそれに続くように駆け出して行く、僕は慌てて彼に静止の声をかけた。 「待って！」 「え、なに？」 少年が足を止めてこちらに振り向いた。僕たちは少年に駆け寄る。 「君チョロ松兄さんのこと知ってるの？」 「うん、知って‥‥あれ、チョロ松兄ちゃん？！」 一松兄さんの問いに少年は答えようとしたが、兄さんの顔を見ると驚いたように声を上げた。 「良かったぁ、無事だったんだね！…えっ」 安心したように兄さんを見つめていた少年がふと、こちらに視線を向け硬直した。 「ちょ、チョロ松兄ちゃんが三人！！？」 少年の反応に僕は思わず苦笑する、結構前からいたんだけどな。 「ちょっと！ねぇ君！」 「な、なに！？」 絶句したまま動かない少年にトド松が掴みかかった。我に返った少年が驚いたように声を上げる。 「チョロ松兄さんはここにいるんだよね？どこに行ったの！どこにいるの！！答えて！！」 「トド松！」 一松兄さんが少年からトド松を引きはがした。少年は怯えた様にこちらを見ている、僕はなるべく怖がらせないように 少年に声をかけた。 「僕ね、十四松って言うの。どうしてチョロ松兄さんと顔が似てるかっていうと、チョロ松兄さんと僕たちが六つ子の兄弟だからなんだ」 「六つ子…」 「ねぇ、中で何があったのか僕たちに教えてくれないかな」 僕の言葉に少年には頷いた。 [newpage] [chapter:悪童再来] 「お元気そうでなによりです、少し老けたみたいですねぇ…そうだ、刑務所生活はいかがでしたか？さぞ居心地が悪かったでしょうね」 自分を煽るようなチョロ松の言葉に東郷は笑みを崩さぬまま言葉を返してきた。 「君も元気そうでなによりだ、と言っても君がここに来てからずっと見ていたのだけれどね。刑務所生活はそうだな…思いのほか良かったよ、新しい友人も沢山出来たんだ」 余裕ぶって返された返事にチョロ松は軽く舌打ちをした。 「…ゴミ野郎が、大人しく豚箱に居続けいればよかったものを。わざわざ死にに出てきたか」 「酷いねぇ、俺はちゃあんと出所してきたってのにさ。新しい仕事場だって見つけたのによ」 「ここにいるのはその友人とやらの計らい、と言ったところですか。いやぁ、おめでたい！脱☆強盗殺人。ゴミから屑に昇格できて良かったじゃあないですか」 チョロ松は楽しそうに馬鹿にするように東郷を嘲笑う。すると東郷は先程まで浮かべていた笑みを消し去り額に青筋を立てた。 「クソガキが、目上の者に対する口の利き方がなってねぇぞ」 「目上ってあんたのこと？俺と同じど底辺にいる屑野郎の分際で調子乗ってんじゃねぇぞ」 二人から発せられている殺気がどんどん部屋中を満たしていく。ピリピリとした緊張感と相手からの刺すような殺気を、チョロ松の肌は敏感に感じ取っていた。 気を抜くなチョロ松、隙を見せたら殺られるぞ。 ドクドクと高鳴っていく鼓動を落ち着かせるように乾いていた唇を舐める。 「そうだチョロ松君、君に二つほど聞きたいことがあるんだが。いいかね」 「‥‥なんです」 「君はどうしてあのガキ共を助けたりしたんだい？」 「ああ？」 今度は東郷がチョロ松を馬鹿にするように笑った。 「ヒーローになったつもりかい？だとしたら随分とお粗末なヒーローだ、ガキ共は助けて他のは助けなかったんだから」 「ああ、そのことね」 チョロ松はくだらないと言わんばかりに言葉を吐き捨てた。 「だってあいつら俺と同じ大人だよ？こんな所に来たのも連れてこられたのも自分たちの責任、助ける義理なんてないね」 「冷たいねえ、それに偏見的だ」 「事実だろ」 「一理あるね」 コツリと一歩、革靴を履いた足がチョロ松に近づく。 「もう一つ、あいつは元気か？」 「‥‥それは、おそ松のことか」 怒気を含んだ声と共にチョロ松を纏う空気が一瞬で変わる。東郷は沸き上がってくる興奮に体を震わした。 「俺のことはまだ覚えていてくれてるか？一緒に遊んでやったあの日のことは忘れてしまったか？ん？ほかの兄弟たちはどうだ？あいつらは俺のことを覚え「黙れ屑野郎」」 ぺたりと火傷に覆われた裸足が、東郷に一歩近づいた。 「おそ松兄はさ、長男だからって言って俺たち弟には弱みとか本音決して見せようとしなくてね。自分がどれだけ傷つこうと、俺たちに迷惑かけないようにって一人で全部抱え込むんだよ。たいしてメンタルも強くないくせに意地張ってさ、バカだよね」 俺は平気だよ、だって長男だから！無理やり作った笑顔であいつはそう俺に言った。でもなおそ松、俺は知ってるよ。あの日の出来事が今もお前を苦しめ続けてること、本当は助けてほしくて誰かにいつも助けを求めていることも。 「無理ばっかりしてさ、ほんと馬鹿」 ふと目が覚めたある夜の日、自分の右隣からすすり泣く声が聞こえてきた。声のする方に目を向けてみるとあいつが泣いていた。許して、止めて、もうしないから、おじさん。うわ言のように呟きながらあいつはずっと泣いていた。 「だからさ決めたんだよ」 大丈夫、大丈夫だよおそ松。俺は涙を流し続けるおそ松兄さんの頭を撫で、安心させるように抱きしめた。俺が兄さんを守るから、もう二度と辛い思いも傷つくこともさせないから。 「俺があいつを守ろうって」 お前を傷つける奴は俺が全部消してやる、だからもう泣くな。 チョロ松は持っていた斧を東郷に突きつける。 「あんたには指一本おそ松兄さんに触れさせない、当然ほかの兄弟たちにもな」 「‥‥なんて素晴らしく情熱的な兄弟愛だ、実に」 お返しとばかりに東郷は銃口をチョロ松に突きつけた。 「反吐が出るね」 「言ってろよ独り身が」 斧を持つ手に力を篭める。さぁ、有言実行といこう。 「おじさんさぁ」 「あ？」 チョロ松の言葉に東郷は違和感を感じた。こいつ、今俺をおじさんと呼んだか‥‥？ 「あの日はおそ松ばっかと遊んで、ちっとも俺とは遊んでくれなかったよね」 クスクスと楽しそうに面白そうに、チョロ松は不敵な笑みを浮かべている。目の前にいるチョロ松の姿が過去の姿と重なったような気がした。 「だからさ」 「今度は俺と遊んでよ」 [newpage] [chapter:さぁ、急げ] 「チョロ松！チョロ松どこだ！！返事をしろ！！」 「ここにはいないようだな、次へ行こう兄さん」 「くそっ‥‥」 俺はおそ松兄さんと共に焼け焦げた部屋を出た。通路には無数の死体が転がっていて俺はそれを見る度に吐きそうになる。 「しかし酷い有様だな‥‥さっきの爆発といい、ここで一体何があったんだ」 率直に思ったことを口にしたらおそ松兄さんが同意するように頷いた。 「見たところ誰かに襲撃されたみたいだな、でもそんな事はどうだっていい。大事なのはチョロ松が無事かどうかって事、それだけだ」 俺は二つ返事で言葉を返し、走り出した兄さんの後を追った。 「残る部屋はここと、この先にある実験場ってとこだけか」 サーバーがダウンしているのか、目の前の自動扉は中途半端に閉じられたままだった。ここに来るまでの間にチョロ松の姿は無かった、もしかしたらここにいるのかも知れない。俺と兄さんは保管室と書かれた部屋に入った。 「すげえ数の資料だ」 兄さんが天井近くまである棚を見上げながら言った。棚にはぎっちりと沢山のファイルがしまい込まれてある。俺はその内の一つを取り出してみた。 「資料、というよりカルテのようだな」 「カルテ？なんでそんなもんがあるんだ」 「ここは病院なのかもしれないな」 そういえばあの死体たちは皆、血でひどく汚れていが白衣を着ていた。それにこの透明なファイルの中には病院などで見かける紙がいくつか納められている。もしかしたらチョロ松のもあるのかもしれないと思い、俺は再び棚を調べ始める。後ろでは兄さんがチョロ松の名を呼びながら部屋を探索していた。 「Ｍ‥‥ここか」 Ｍと書かれた仕切りを見つけ、一つずつ慎重に確認していく。あった、松野チョロ松。 「カラ松！」 兄さんの呼ぶ声に俺はカルテを持ったまま兄さんに駆け寄る。 「どうもここは病院なんかじゃ無さそうだぜ」 カルテとは別の、本やファイル以外のものが納められている棚の前に兄さんはいた。手には黒い帳簿のようなものを持っている。 「ここは実験施設だ、しかも普通の実験施設じゃねぇ。人体実験が主体の施設だ」 「人体実験だと‥‥！？」 兄さんの衝撃的な言葉に俺は思わず声を荒らげた。それからハッと気づくようにチョロ松のカルテを取り出す。 「それはチョロ松のか！」 今度は兄さんが声を荒らげたが、それに構っている場合じゃない。俺は急いでカルテに目を通した。 被験者Ｎｏ．4536 氏名・松野チョロ松 性別・男 生年月日・××××年5月24日 住所・△△県〇〇市××区□□□□道□□-□ 職業・無職 家族構成・父、母、兄2人、弟3人 傷病名・後天性無痛無汗症(Ⅴ型) 原因は学生時代に受けた暴行によるものであると判明、Ⅴ型からIV型へ移行する可能性あり。 追記 近頃記憶障害が多発、投与した薬による副作用によるものと予想される。 記憶の退行も始まっており現在の彼の人格は暴行を受けた学生時代、もしくはそれ以降まで後退している恐れあり。 「な、んだ‥‥何なんだこれは」 カルテの下の方に記された記憶障害、記憶の退行という言葉に俺は戦慄した。震える手でカルテと共に挟まれていた別の紙を取り出す。そこにはこのまでに行なわれたであろう数々の実験の内容と成果。投与した薬の効果、起こった副作用。それらはそれはもう正確に、明確に紙に記録されていた。 人工皮膚の移植？身体の強化？薬への耐性？どうしようもない焦燥感が俺を襲う。 「カラ松？」 俺にも見せろと兄さんが俺の手から紙を奪い取る。しばらくしてからぐしゃりと紙を握り潰す音が隣から聞こえた。 「こんなのってありかよ…」 兄さんがポツリと言葉をこぼす。突きつけられた事実に、二人して立ち尽くしていた時だった。 バンっ 「！？今のはっ」 「あっちだ！！」 持っていた物を放り出し、俺たちは部屋の外へ飛び出した。今だ鳴り響く銃声は実験場の方から聞こえてくる。 「行くぞ！」 「ああ！」 (チョロ松無事でいてくれ！) 俺は実験場に向かいながらあいつの無事をただ願った。 [newpage] 「そういえばチョロ松君、君随分とボロボロじゃあないか。服もひどく血に汚れている、潔癖症気味の君には辛いんじゃないのかい？」 「はぁ？俺が潔癖症？おじさんいきなり何言い出すのさ、訳分かんねぇよ！」 斧を振り回しながらチョロ松は東郷の言葉をおかしそうに笑う。その姿まるでおもちゃを振り回す子供のように見える。迫りくる刃を避けながら東郷は思わず苦笑した。 「薬による記憶障害もしくは記憶の退行、か…記述通りだな」 (さしずめ今の彼は俺と出会った頃の、10歳前後の人格といったところか…) 「うん、悪くないな」 「さっきから独り言ですかぁ？おじさんきもいよ」 「クソガキめ‥‥躾けてやろうか」 「きゃあ！おじさんこわーい」 「っ！？」 ガキンッ！ 振り下ろされた刃を間一髪のところで避ける。怖いと言っておきながら普通斧を振り下ろすか？恐ろしいガキだなほんと。 「あらら残念、外しちゃったか…よいしょっと」 チョロ松は掛け声と共にコンクリートにめり込んだ刃を引き抜いた。そして斧を構え直すなり、こちらに突っ込んで来る。 「まったく、これじゃあまるで化け物だな」 「ひどいなぁ、あんたたちが俺をこうしたんじゃないか。責任取ってよ」 「ああ取ってやるよ、最高の方法でな！」 向かってきたチョロ松に銃口を向けて一発撃つ。しかしチョロ松は横に跳んでそれを回避し、続けて撃った弾丸も後ろに跳んで避けられてしまった。 「危ない危ない」 その場でステップを踏んでいるチョロ松はどこか楽しげだ。東郷は空になった弾倉を捨て、新しいものに取り換える。 「君はここが何をしている場所か理解しているか？いや、君の事だ。なんとなく察しはついているのだろう？」 弾倉を叩き込みながら東郷はチョロ松に尋ねた。チョロ松は一瞬悩むそぶりを見せてから統合の問いに答えた。 「俺みたいに体をいじくりまくって造った強化人間を海外の人に売ってる、とか？しかも相手はマフィアとかだったりして」 「正解」 弾丸を装填し終えた拳銃が再びチョロ松の方を向く。 「見事正解できた君には花丸を上げよう」 「えぇー、別にそんなのいらないからあんたの首を頂戴よ」 「それはできない相談だ」 「そう…残念だ！」 斧を振りかぶった状態のままでチョロ松は駆け出す。東郷は再びチョロ松に向かって撃った。放たれたいくつもの弾丸が体を掠めていく。 (あと少し、次が撃たれる前にあいつを！) チリッ――― 突然、小さな金属の音が聞こえた。チョロ松は音のした方に顔を向けると、自分から離れていく銀色のネックレスが目に入った。さっき撃たれた時にポケットが破け、飛び出てしまったようだ。 (いけない) チョロ松は咄嗟にそれに向かって手を伸ばした。 (駄目、トド松から貰った大事な物なのに) あと少しで手が届く、そんな時だった。 「こんな時によそ見をするとは、いけない子だ」 視界の隅で[[rb:東郷 > ヤツ]]が嗤った。次の瞬間、右足に衝撃が来たかと思うと体が勝手に崩れ落ちた。 「なっ…」 急いで起き上がろうとしても右足に何故か力が入らず立つことが出来ない。なんとか腕を立てて起き上がろうとしたら腹を蹴られ、床を転がされた。 「痛覚が無いとある意味不便だな」 咳き込むチョロ松を見下げる東郷。 「撃たれたことに気付かなかったか？」 「！」 東郷の目線がチョロ松の足に注がれる。チョロ松も釣られるように自身の足を見た。 右足の膝の部分が赤く染まり、穴が開いていて血だまりが広がっていくのが見えた。 「くそがっ！」 チョロ松は自分の不甲斐無さに舌打ちをする。そしてすぐに己の武器とあのネックレスを探した。 「あった！」 体の全身に力を込めて勢いよく起き上がると無事な左足をバネにし、落ちている斧とネックレスに向かって跳ぶ。しかしそれを東郷が許すはずがなかった。 「こらこら、大人しくしないか」 「がっ！？」 跳んだチョロ松の腹に弾丸が撃ち込まれる。撃たれた衝撃に耐えることの出来なかった体はそのまま吹っ飛び壁にぶつかった。壁にぶつかり、そのまま床に落下したチョロ松は思わず呻き声を上げる。東郷はチョロ松の代わりに斧ではなくネックレスの方を拾い上げた。 「中々趣味の良いネックレスだ、俺の好みではないがね」 「…返せ」 チョロ松はなんとか体を起こして壁にもたれかかる。東郷はチョロ松の言葉を敢えて無視した。 「もしや兄弟からの贈り物かな？」 「‥‥」 チョロ松は何も言わず俯いてしまう。 「そうだ、私からも一つ君に贈り物をしてあげよう」 興味が失せたように東郷はネックレスを放り捨てた。 「気に入ってくれると嬉しいが」 スーツの中から取り出したのは小さなナイフ、東郷は拳銃をしまうと代わりにそのナイフを構えた。 「どこに欲しいかな、言ってごらん？」 空いている片手で俯いたままのチョロ松の顎を持ち上げる。チョロ松は不愉快そうに吐き捨てた。 「くたばれ屑野郎」 「口の悪いガキめ、仕置きが必要だな」 東郷はナイフを持ち直すとその刃をチョロ松の右目に突き刺した。 「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああっ！！」 右目を突き立てられたナイフの異物感にチョロ松は思わず叫びを上げた。頭の中を直に触られているように感じ、あまりの気持ち悪さに喚き散らす。ぐちゅぐちゅと聞こえる音が頭の中で反響していく。 「どうした、痛覚でも戻ったか？」 自分を嘲笑う声が不快な音と共に聞こえてくる。 「あ、ぐぅ…はっ、痛くもっ痒くもないねっ…くっ、は」 「そうか、ならこれはどうだろう」 東郷は拳銃を取り出すなりチョロ松の足に向かって二発ほど銃弾を撃ち込んだ。びくんと撃たれた足が跳ね、新しい血だまりができていく。チョロ松は呻きながらも残る左目で東郷を睨んでいた。 「いいね」 ずちゅりと嫌な音を立ててナイフが抜かれる。ナイフが抜かれていく感覚にチョロ松の気分は更に悪くなった、吐きそうだ。 とめどなく溢れ出る血と、未だ残る異物感を止めるようにチョロ松は右目を手で抑えた。息が上がり、残った左目からは生理的な涙が出る。そんなチョロ松を東郷は愉快そうに眺めていた。 「そうだ、君に話があるのをすっかり忘れていたよ」 東郷はチョロ松と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。 「実は君の事をとても欲しがっている連中がいてね、君の飼い主として私も来ないかと誘われているんだが」 どうだ？ 差し出された手をチョロ松を見つめる。そしてその手を叩き落とした。 「っ冗談、じゃ、ねぇ‥‥！」 「‥‥」 「あ、んたに飼われるくらいなら‥‥死んだ方がマシ、だっての」 「‥‥愚問だったな」 腰を上げた東郷はチョロ松の顔を蹴り上げる。チョロ松の口と右目から血が飛び散った。 「やれやれ、あちらに行く前にきちんと調教してやらないとな」 不機嫌そうに、だが同時に楽しみだと言わんばかりに東郷は呟く。チョロ松は顔を上げようとしたが、無理だった。指一本動かない、血を流し過ぎたのだ。 (不味い) 体と頭が重く感じる。思考回路がままならず言葉を発することも出来ない。視界もぼやけてきたようだ、目の前が霞んでいく。 (あいつを、東郷を殺さないと、おそ松とみんなが‥‥) どれだけ体を動かそうとしても、体は言うことを聞かない。 (俺が、やらなきゃいけないのに‥‥) 沈んでいこうとする意識を必死に留めていた時だった。 チョロ松！ 誰かが自分の名を呼んだ。 (誰だろう、なんだか懐かしい…) チョロ松はそこで意識を絶った。 [chapter:僕を呼ぶのは誰？] [newpage] ここまで読んでいただき誠にありがとうございます！ 今回は東チョロ風味を入れてみましたがどうだったでしょうか、ちゃんと書けてたか不安です(；ﾟДﾟ) そしてこれを書いているうちにどんどん東郷さんを殴りたくなり、チョロ松にデカパン博士の作った回復薬渡したくなりました。 ごめんなさいチョロ松君、悪気はあるんだ。 このシリーズはあと二話くらいで終えるつもりです|дﾟ) ハッピーエンドにだるかバッドエンドになるかは不明です(作者は幸せENDの書くのが苦手(ここ重要)) お粗末様でした！

今作はこちら<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6339681">novel/6339681</a></strong>の続編となっております。初めて読まれる方はこちらを先に読んでいただけると嬉しいです|дﾟ)<br /><br />前作と前々作の評価にブクマ、コメントありがとうございます(*´ω｀*)<br /><br />東郷さんの口調が謎(;´･ω･)そしてチョロ松マジでごめん(；´Д｀)<br /><br />痛々しい表現や暴力表現ありですお気を付けください。<br />誤字脱字間違いありましたら遠慮なくどうぞ。<br /><br />※ブクマに評価コメント、誠にありがとうございますm(__)m

僕から痛みが消えた話5

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「はぁ・・・K新尊い」 俺はパソコンで小説を書きながら、枕を抱え悶えた。 俺は高校生探偵工藤新一。 しかしそれは表の顔。 裏の顔は腐男子であり、ピクシブでK新を書きまくっている。 ピクシブでの名前は1412。もちろん、KIDから捩った名だ。KID愛がとどまることを知らず、名前まで1412にしてしまったのだ。 シャーロック・ホームズを読み漁り、有名作家の父を持つからだろうか。文才は自分でもあるように思えた。 K新を書けばピクシブでは常に上位にランクインした。自分で言うのもなんだが人気の書き手だと思う。 ブックマークも1000を超えるし(このジャンルではかなりレアなんだぜ)、コメントも多くもらう。 俺の書くK新は、本物のようだと評判なのだ。 まぁ、それもそのはず、本人が書いているのだからリアリティも出るし、臨場感も溢れているだろう。 俺は当たり前だが表向きは腐男子であることを隠している。腐女子でさえ叩かれがちなのに、腐男子なんてことがばれたらどんな目で見られるか・・・ただでさえ俺は目立つのに。 もう１つ隠していることがある。実は俺はKIDが大好きである。リアルに好きである。腐とか関係なく、ラブなのである。 だけどKIDを前にすると素直になれない。つい麻酔銃を打ち込もうとしたり(だってその綺麗な目で見つめられたら死んでしまいそうなほどドキドキしてしまうから、目を瞑って欲しいだけなんだ)。ついキック力増強シューズで蹴り落とそうとしたり(だって俺から逃げようとするんだもん。もっとお話したいのに)。ついKIDの変装を見破って解かせたり(変装なんてしてたらKIDの顔が見れないじゃねーか、素顔を見せて欲しいのに)。 本当は大好きなのに、素直になれないせいでKIDは俺から逃げてばかり。 だから、せめて妄想でくらいは、ラブラブでいたくて、甘いK新、素直な俺ばかりを書いていた。 「はぁ・・・K新尊い」 俺はパソコンで小説を読みながら、枕を抱え悶えた。 俺はマジシャンが好きなごく普通の高校生。 しかしそれは表の顔。 裏の顔は腐男子であり、ピクシブでK新を読み漁っている。 ピクシブでの名前は4869。なぜ4869かって？もちろん、愛しの新一が大好きな本の主人公からとった名だ。 俺は新一が好きだった。あの綺麗な顔で、からだで、謎を追い求め、俺の考え抜いたトリックを見破っていく。 正直、中森警部や白馬では、物足りなかった。あんまりにあっさりと宝石が盗める毎日。 パンドラを追うには好都合かもしれないが、刺激が欲しかった。 そんな中現れた高校生探偵は誰よりも麗しく、強く、そして。 『いっけぇええええぇぇえっ！！！』 とてつもなく乱暴であった。 人が助けているというのにおかまいなしで麻酔銃を打ち込もうとしてくるし、サッカーボールを顔にぶつけようとしてくるし、おかまいなしに変装を解かせにかかるし。 あいつは俺のことを意地でも捕まえて警察につき出したいだけなのはわかっている。 だが、それでも好きなものは好きなのだ。理不尽だ。恋はしたもの負けとはよく言ったものだと思う。 俺はリアルで満たされない新一への想いを消化するため、ピクシブに手を出した。 様々なK新が溢れていたが(さすが俺、人気者だな！)、なかでも1412さんの書いたK新は他の作品とは一線を画していた。 まぁ、それもそのはず、本人が書いているのだからリアリティも出るし、臨場感も溢れているが、そんなこと快斗が知る由もなかった。 そんなこんなで快斗は1412にどんどんとはまっていき、作品がアップされる度に必ずコメントを書いた。 1412もまた、必ず返信をくれた。 この人はKIDのファンなんだろうな。名前からして、かなり好いてくれているのだと思う。 なにより、作品に、KIDへの愛が溢れていた。 「・・・1412さんが、新一ならいいのになぁ」 あり得ない事象を思い浮かべ、俺は苦笑する。 俺は当たり前だが表向きは腐男子であることを隠している。腐女子でさえ叩かれがちなのに、腐男子なんてことがばれたらどんな目で見られるか・・・ただでさえ俺は目立つのに。 もう１つ隠していることがある。俺は新一が大好きである。リアルに好きである。腐とか関係なく、ラブなのである。 だけど新一は俺のことなんてこれっぽっちも好いてくれていない。 ひどい仕打ちばかり受ける。まぁ、あっちは探偵で俺は怪盗。追う者と追われる者。 好いてもらおうなんていう方が無理な話か・・・。 だから、せめて妄想でくらいは、ラブラブでいたくて、甘いK新、俺のことが大好きな新一を好んで読んだ。 こんな風に、新一が俺に甘えてくれたら・・・なんて甘い妄想をするのだ。妄想は自由だ。無料だ。誰にも迷惑をかけはしない！ と腐男子に目覚めてからは開き直ることにした。 この奇妙な二人の関係はすでに一年近くがたとうとしていた。 1412は、初期からのファンである4869と話が合い、会って話したいとさえ思うようになっていた。 だが、ただでさえオフ会というものは緊張するし、オタク同士初対面のドキドキ空間になるのに、とんでもない弊害が二人の間に存在していた。 それは、性別である。 互いにピクシブでの性別は女性にしていたのだ。腐男子として活動してしまうと、いらぬ誤解を受けたり、万が一身元がばれたりでもしたら、と考えた。 その結果腐女子として活動することを選んでしまった。 互いにそんなことは知る由もなく、自分は男で相手は女性と思い込んでいるため、騙していることになるのだ。これでは会いたくても会えない。 そんな中、1412に感化され、4869もピクシブで小説を書き出すようになった。 まるで本物のような心情を書く人だ！と1412は感動した。 4869もすぐに人気の書き手になった。 本物もなにも、KID本人なのだからリアルに忠実で当たり前なのだが、顔が見えないネット世界はこれだからたちが悪いのである。 「・・・やっぱり、4869さんに、会いたいなぁ」 こんなにも素敵なK新が書ける4869 さんに会ってみたい。そんな想いからついに新一はコメントでは飽きたらず、プライバシーが比較的守られるピクシブのメールへと手をのばしたのだ。 『私も東都に住んでいます。よかったら、一度お会いしませんか。』 4869からはすぐに返信があった。 『私もぜひ1412さんにお会いしたいです。』 二人は大きな壁を飛び越えた！ しかし、ネットから飛び出すならば、二人は性別を越えなければならなかった。 しかしだがしかし、方や老若男女まで変幻自在の変装ができる4869こと黒羽快斗こと怪盗KID。 方や有名女優を母に持ち、変装術は母からばっちりと伝授されている1412こと工藤新一。 二人は萌えのため、ピクシブで焦がれた女性に会うため、全身全霊を尽くして女装をすることを決意した。 そして、1412こと新一と4869こと快斗が会う約束をした当日。 誰もが振り向く超絶美人な二人組が誕生したのである。 (うわ！4869さん綺麗っ！！！！) (なんだこの高嶺の花？！1412さん美人すぎだろ？！) 新一と快斗のテンションはうなぎのぼりであったが、周りもざわめきが起きていた。 芸能人よりも目を惹く圧倒的な存在感。二人の周りは近付くことすら許されないような神聖で厳かな雰囲気すら漂わせていた。 「4869さん、ですよね？あまりに綺麗で、びっくりしちゃいました」 「そ、そんなことないです！1412さんの方こそ美人すぎて、見とれちゃいました」 お互い顔を赤くしながら喫茶店へと入る。 正直予想外の美人すぎて互いに困惑していた。 快斗は1412を見る。 煌めく蒼い瞳は深海を思わせ、サファイヤでさえ青ざめ逃げてしまいそうなほど深く輝く。 雪のように白く極め細やかな肌、桜色の頬、唇。 ふんわりとカールした茶色のロングヘアは、一見ツンとした美人という印象を与えそうな彼女の雰囲気を柔らかくしていた。 まるで、彫刻を見ているようだ。芸術品だとさえ思う。 薄いピンクのワンピースに白のカーディガンは、彼女の清純さを十二分に醸し出していた。 新一もまた、4869を見ていた。 翡翠さえ見劣りしてしまう神々しい碧の瞳。健康的だがさらさらとした肌、黒髪のロングウェーブ、紅いルージュの口紅は彼女の魅力をより引き立てていた。 あまりに綺麗で、あっけにとられる。 細身の七分丈のハイウエスト黒パンツスタイルは彼女のスタイルのよさを際立てていた。 花柄のシャツ、大きなイヤリング、赤いヒールは彼女の大胆さを引き立て、モデルも顔負けだと感じた。 失礼な話、もっとオタクっぽいだろうとお互いのことを思っていたため、俄然テンションがあがり、二人は小声で周囲には会話の内容が聞こえないよう注意を払いながら、腐トークに勤しんだ。 いかにK新が素晴らしいかを語り尽くす彼女ら(正確には彼ら)は、萌えで崩れる顔を隠すように手で口元を覆いながら上品に笑いあっていた。 その光景は周りの男たちだけでなく女性すら惚れ惚れとさせる、まるで一枚の絵のような美しさであったが、話の内容がアレであることは割愛しよう。 やはりこの人とは話が合う、と互いに高揚感を隠せぬまま、いかにKIDが、いかに新一が素敵であるかという話に発展していった。 「へー、1412さんはやっぱりKID担なんだねー」 「そうなの。KIDは本当にかっこいいのよ。私彼に会いたくてついつい追っかけしちゃうほど好きなの(嘘は言っていない)」 「(やべぇめっちゃ嬉しい)どんなとこがかっこいいと思うの？」 「もう全部なんだけど、あー、もうどこから言おう？顔もだし、スタイルもだし、気障なところも、それでいて優しいところもでしょ。あと、気になる存在っていうのかしら。宝石だけを盗む理由も気になるし、必ず返すのも不思議よね。宝石を月に翳して、がっかりしたような表情を見せるから、どうしてそんな顔をするのかしら、って考えていたら、いつの間にか好きになってて・・・怪盗なのに、犯罪者なのに、絶対人を傷付けないでしょう？それどころか助けようとするし、ギャップ萌えというのかしら。ギャップだらけのKIDにやられちゃったのよね」 「(え、宝石を月に翳してがっかりするところまで知ってるの？めっちゃ俺のこと追ってるなすげぇなこの人の熱意)詳しいんだね、すごい」 「私夢中になったものはとことん追いかけちゃうのよね。4869さんは新一担なんでしょう？どこが好きなの？」 「えー、そりゃ全部だけど、顔もスタイルももちろん好きだし、推理をしているときの楽しそうな表情、サッカーが大好きなとこ、KIDを追い詰めてるときのドSさとか、自信たっぷりなとことか。でもあれよね、KIDも可哀想よね」 「可哀想？」 「だって、新一は謎が大好きで、だからKIDを追いかけるわけじゃない。KIDは新一のことを大好きなのに、新一が好きなのは謎なのよ。KIDのことじゃないんだよね。そこが切ないなって思うから、ついつい甘いK新を好んで読んじゃうの」 「・・・そんなことないよ」 悲しそうに1412さんが声をあげたため、少し驚いて1412さんを見ると、 その表情が、まるで新一のように見えて、瞬きを数度した。 馬鹿だな、俺。1412さんが新一なわけ、ない、のに。 「新一は、素直になれないだけよ」 「・・・現実は、どうかなぁ」 「現実よ。私は、そう思うわ。彼、極度の照れ屋なだけなのよ。いくら頭は良くても、恋愛には慣れてなくて、素直になれない子どもと同じなの」 まるで新一を知っているかのような口調に、思わず笑みが溢れてしまう。 彼女はそう信じているからこそ、あんなにも甘いK新が書けるのだ。 俺が書くK新は、俺の片想いになりがちだけど、そうだよな。妄想でくらい、思いっきり甘々を書いたっていいよな。 「ありがとう、1412さん！いいネタが浮かびそう！」 「ほんと？！私4869さんの小説大好きよ」 大好きと言ってふんわりと笑う彼女に、俺はどき、としてしまう。 会ったときから思っていたのだが、これはまずい。 俺は新一が好きなのに。 1412さんのことまで、す、 好きになってしまってるーーー！！！！！ 4869と別れ、新一は頭を抱えていた。 俺はKIDのことが好きなのだ。 しかし、4869さんのことまで好きになってしまった。 これが普通に出会っていたなら、俺が男の姿で出会っていたなら、叶うはずもないKIDへの想いを諦め、4869さんに求愛もできたかもしれない。 だが、俺は女として会ってしまった。 そうせざるを得なかったし、女としてじゃなければ会えてもいなかっただろう。 だが、今さら俺は実は男で、4869さんに惚れちゃいました！なんて言えるわけがなかった。 そんなのひかれる、嫌われる、あり得ない。 KIDも好きで、4869さんのことも好きだなんて、俺は一体どうしたんだ。 そしてこの両方ともが絶望しかない。 結ばれるわけがない。 KIDのことはこれからも追うくらいしかできないし、4869さんとは腐仲間として、同性として、親しくするしかない。 「・・・生き地獄だ」 多感な年頃には生殺しもいいところであった。 快斗もまた、生殺しを味わっていた。 新一のことを好きであっても、新一は自分のことなど好きではない。捕まえたいだけなのだ。 そりゃ、好敵手としては好いてもらえているとは思う。俺と共闘するときあいつすげぇ楽しそうだし、悪い顔もするし。 だが、あくまで同性として、好敵手としてだ。愛してもらえるなんて夢のまた夢。 そんな中現れた異性は趣味の合う魅力的な人だった。 だが、1412さんは俺のことを女性と思っているからこそ会ってくれたのだ。正体がばれたらひかれる。ネットのつながりすらなくなるだろう。 だが、本当に綺麗な人であった。笑った顔がどことなく新一に似ている気さえした。 「あぁ・・・抱きしめてぇ、キスしてぇ・・・」 そんなことをしたら下手したら捕まるのはわかっているので、俺は枕を抱きしめるしかなかった。 だが、せっかくの出会いを無駄にしたくもなかった。 怪盗KIDの中に諦めという文字はない！と携帯を握る。 『今日は本当に楽しかったです。 また会えませんか？もっと語り合いたいし、今度はお茶だけじゃなくて、ぜひおでかけもしたいです』 恋人としては会えなくても。 1412さんとは、少なくとも気の合う友人として会うことはできる。 新一とは、現場でしか会うことができないから、1412さんとの距離は、きっと新一とよりは、近いのだから。 落ち込んでばかりいられるか！前進あるのみだ！ ※ 新一は再び女装をして街中に繰り出していた。 4869との対面のときに来ていたワンピースは幼馴染みの蘭から借りたものだ。 女装をして現場に潜り込む必要があるというなんとも苦しい嘘を、彼女は問いただすこともなくあっさりと私服を貸してくれた。 蘭を好きになれたらどんなに良いことか。世間的にも祝福されるだろうし、弊害もない。だが、俺は蘭を兄弟のようにしか思えず、蘭もまた、新一は恋人という感じではないなぁと同じ感想を抱いていた。互いに好きではあるのだが、恋ではなかった。 新一が再び蘭の服を着て街中に出ているのにはもちろん理由があった。 女物の服を買うためだ。 昨日、4869さんからまた会いたいとメールをもらった。 自分としてももっと語りたかったので、お誘いはとても嬉しかった。複雑な心境ではあるが。 が、男の俺は当然女物の服なんて持っていない。 男の姿で何着も服を買うのは不自然だったため、女装をし、女物の服を大量に買うことを決めた。 4869さんにたびたび会うなら、女物は何着も買っとかないとな。 ここまでするあたり、相当新一は4869に入れ込んでいた。 新一はKIDが一番好きではあったが、同性の自分が好かれるわけはないと思っていたし、彼は新一から逃げてしまう。しかも、現場でしか会えない。 4869さんに、KIDは可哀想と思われるくらい、ツンツンした態度をとってしまう自分に自己嫌悪しながらも、KIDを思わずにはいられない。が、この恋が成就することはないだろう。 4869さんなら、異性であり、趣味が合う。自分から男であることを明かすつもりはないが、なにかの天変地異で4869さんと恋人になることも万が一ならあり得るかもしれない。 少なくとも、KIDとよりは、あり得るだろう。 そんなほんの少しの期待をしながら、新一は女物の服を大量に買った。 4869さんは1412は淡い色のワンピースが似合うと言ってくれた。それが嬉しくて、水色、ラベンダー色、黄色、薄い緑、色んな淡い色の服を買ってしまった。 意外と楽しいもんだな、と気分良く帰ろうとしていた時だ。 チャラそうな男に声をかけられた。 「お姉さん、一人？」 お姉さん？誰のことだ？ ・・・俺か！！！ 今の新一はどこからどう見ても絶世の美女であったが、その自覚は新一にはまったくと言っていいほどなかった。 「荷物重そうだね、持ってあげるよ」 「結構です」 持ってあげるよ、なんて恩着せがましい奴だな。 いらっとしながら男を無視して進もうとしたが、腕をつかまれ、歩みを妨げられる。 「ねぇ、そこでお茶でもしようよ？荷物持ってて疲れたでしょ？」 しつこいな、と苛立った新一は、ついいつもの新一の調子で嫌味を返した。 「今のこの状況が疲れるんですけど」 はぁ？とナンパ男が勝手にキレてきたため、面倒なことになったなと新一は顔をしかめ、いっそ俺男だから！残念だったな！と種明かししてやろうかとさえ考えていたら、 「俺の彼女になにしてんだあんた」 ・・・？ さらにもう一人、俺を背に隠すように男が現れた。 後ろからなので顔はわからないが、随分と猫っ毛だ。柔らかそうだな。ナンパ男の馬鹿みたいに明るい傷んだ毛とは違い、質の良さそうな髪だ。 「なんだよ、ちっ、」 彼氏(ではない。誰だお前は)の出現にナンパ男は退散したが、こいつもナンパ男か？敵か？と何も言わずにいると、 猫っ毛の男はくるっ、と振り返った。 (う、わ・・・！) くっそイケメンである。 わけがわからないほどイケメンである。思わず戦慄いた。 どことなくKIDに似ているような？ が、この猫っ毛の男に、あの震えるようなミステリアス感はなく、人の良さそうな雰囲気を醸し出していた。 「ごめん、お節介とは思ったんだけど、困ってそうだったから・・・これ、お節介のお詫び」 ポンッ！ と男は何もない掌からキャンディを出現させ、俺にプレゼントしてきた。 恩着せがまくない謙虚な態度に好感をもてたし、男のマジックを見て、ふとKIDを彷彿させた。 俺はマジックが好きだ。 ・・・KIDが好きな、物だから。 KIDのマジックは、トリックのわからない物ばかり。 いつもトリックの粗捜しばかりする俺が、KIDのトリックはなかなか見破れない。それが俺の心を高揚させた。 以来俺はマジックが好きになったし、今のマジックを見ただけでわかる。 こいつ、腕のいいマジシャンだ。 まぁ、KIDには劣るだろうけどな。 「ありがとう。助かりました」 「いえいえ。俺、黒羽快斗って言います。休日とかはよく灰戸タワーの近くの公園でマジックの練習してるんで、良かったら見に来てやって下さい。それじゃあ」 黒羽、快斗か。 さっきのナンパ野郎と違って好青年だな。 新一の中で、黒羽快斗の株は上がっていたが、この時はまだ、いい人止まりであった。 だが、新一はマジックが大好きだ。なおかつKIDを彷彿させるほどの男の腕がどんなものなのかは純粋に気になった。 「灰戸タワー近くの公園か・・・」 今度の休日、行ってみようかな。 一方快斗は内心ものすごいガッツポーズをしていた。 気になっていた女性、1412さんが男に絡まれていたため、咄嗟に助けに入った。 助けた後、ふと思ったのだ。 これはチャンスなのでは、と。 この日は普通に黒羽快斗として過ごしていた。 男として、1412さんに偶然にも会えたのだ。 しかし、連絡先を聞いたら、ひかれるだろうなとは思った。1412さんはナンパ男を非常に迷惑そうな顔で見ていたから。 なら、一か八か。得意なマジックを披露し、良かったら見に来てほしいとだけ伝えた。 これでもし会いに来てくれたら、俺に関心を持ってくれたということだ。 俺は男として、正式に1412さんと友達になるために頑張れる！今度こそ連絡先を聞ける！(4869としては連絡先を知ってるけど、快斗の姿で連絡先を交換しないと意味がない！携帯なら何台も用意してるしな、仕事柄。4869とは違う携帯を使えば良いのだ) そんなほんの少しの望みを託した。 いつか、1412さんが公園に来てくれることを祈って。 ※ 3日後の休日。 俺はマジックの用意をしていた。 いつもの観客(ちびっこ達)からは少し離れた木陰に、1412さんが、いた。 話しかけてはこないから、離れて見たいのだろうかと思って、軽く会釈だけして、俺はマジックを繰り広げた。 嬉しい！ 彼女が、1412さんが！俺の、黒羽快斗のためにマジックを見に来てくれた！ 嬉しさは満面の笑みに、華麗なるマジックに還元されていく。 沸き上がる歓声、ギャラリーはどんどんと増えていくが、俺は今日はただ一人。 1412さんのために、マジックを披露した。 1412さんは、俺のマジックに驚いた顔をした後、顔を赤くしながら、微笑んで拍手してくれていた。 マジックを終え、観客がいなくなってからも、1412さんはそこにいてくれた。 「見に来てくれてありがとう」 「私の方こそありがとう。私、マジック好きなの。まるでKIDを見ているかのような、すごいマジックだったわ。全然種がわからないんだもの。すごくいいマジシャンに快斗なら絶対なれるわ」 興奮気味に感動を伝えてくれる1412さんに、俺は歓喜していた。 休日にわざわざ見に来てくれたんだ、期待、したって、いいよな？ 「あの、よかったら、連絡先交換しませんか？俺、もっと貴女にマジックを見せたくて」 「・・・はい」 キタコレぇえええええぇ！！！！ 俺はポーカーフェイスは崩さずに、心の中で踊りまくった。 一方新一は心の中で自己嫌悪の嵐であった。 先程のマジックに惚れ惚れし、快斗の笑顔にやられてしまった。 これまで恋なんてしたことなかったのに、KIDに4869さんに快斗まで。 3人も！同時に好きになってしまったなんて。 俺死ね！俺最低か！死ね！いっそ死ね！！！ と心の中で自分を罵倒しつくしていたのだった。

【追記】なんと本になりました→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7627269">novel/7627269</a></strong><br />2017.01.08 インテ大阪にて発売します。<br />【追記】続きました→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6833131">novel/6833131</a></strong><br />完結しました。<br />【追記】2016年02月24日付の[小説] DR95 位、女子に人気R 69 位に入りました！ついにコナンで！悲願達成です。こいつぁひでぇだなんて誉め言葉(？)タグまでいただけてありがたや。コナンで再び1000users入りを果たせて感涙です。<br /><br />腐男子の新一と、腐男子の快斗がネット上で出会い、女装してリアルで会う話。清々しいまでのすれ違い空回り両片想いストーリー。<br />新一＝1412<br />快斗＝4869＝KID<br />であることにまったく気付けない2人。遅くなりますが続きかきます、くっつかせます。

腐男子探偵と腐男子怪盗はネットで出会う

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「それでは…ヒッキ―の快気を祝って―――乾杯！」 「「「「「乾杯」」」」 ――怪異・鵺による襲撃から雪乃を庇ってからおよそ三週間が過ぎた夜、由比ヶ浜の屋敷で八幡の快気を祝う宴会が開かれていた。主催である結衣とって、八幡は二度に渡り[[rb:親友 > 雪乃]]の命を救ってくれた恩人であり、身分を超えた大事な友人だと思っていた。優美子ら他の友人達も、それは同じである。 その八幡であるが、主賓として扱われ雪乃と共に慣れない上座に座る姿はどこか落ち着きに欠いた様子であった。隣におわす雪乃も、普段ならばそんな八幡の態度を注意するところだが、しかし今日は打って変わりその頬を僅かに上気させてモジモジと落ち着きに欠けていた。 「いや～。こうしてみると雪ノ下さんと比企谷君、お内裏様とお雛様みたいだね～♪」 「…な//海老名さん？！//」ｶｱｱｱ 姫菜のからかいにも、ご覧の通りである。 さて、先の鵺の襲撃から今日に至る経緯を簡単に説明しよう。 鵺の襲撃を退けた後、その返り血を浴びた八幡はどこか様子が可笑しく、その場に居合わせた彼の刎頸の友と名乗る材木座の義輝は急ぎ八幡の厄払いを祈祷するよう告げると何処かへ走り去った。その後、駆けつけて来た陰陽師により八幡は厄払い、雪乃は物忌をする事になった。 雪乃としては直ぐにでも八幡の容態を知りたかったが、物忌の期間中は厄除けの為に一切の外出や文のやり取りも禁止されており、雪乃はただひたすら八幡の無事を祈り続けたのである。その後、物忌が終わると雪乃は真っ先に八幡のもとへ駆けつけた。結果的に、陰陽師の厄払いにより八幡は正気に戻っており、腐りきった目つきは健在であった。 しかし、三角巾に吊るされたその左腕は痛ましい物であり、雪乃は本来の感謝の言葉を忘れて謝罪の言葉を繰り返した。 だが、八幡はそんな雪乃を一切咎める事無く、「気にするな」とその一言で済ませたのだ。 もともと自分は雪乃の従者であり、従者が主を庇うのは当然のこと。それに、曲りにも男である自分が女である雪乃を見捨てたとあればそれこそ比企谷家末代までの笑い者だと一蹴し、むしろ御身自らこんな中流貴族の家に来て変な噂が流れれば、それこそ完全に婚期を逃がして『独神』になるぞと言い放ったのである。 傍に控えていたこの家の下人らしき老人はこの八幡の上流貴族である雪乃に対する余りの暴言に天を仰いで「――もうこの家は終わりだ…」と悟る程であった。 本来なら怒りの余り怒髪天を衝いても可笑しくないが、むしろ、雪乃はそんな今までと変わらない八幡の態度に胸の奥から今まで感じた事の無い切ない感情が蓋を外されたように溢れ出し―――気付いた時には下人の目も構わず八幡に抱き着いていた。 そして、雪乃は北の方や姉が咎めるのも厭わずに八幡が快気するまでの間、身の回りの世話をしに比企谷家へ通い詰めたのだった。 ・・・余談ながら、この時、雪乃が抱き着いた衝撃で八幡の傷口が開いて回復の兆しが遠のいたのは当人同士のみぞ知る事である。また、残念ながら貴族の娘として生きて来た雪乃がその感情を理解するのはまだまだ先の事である。 閑話休題。 さて、そんな初々しい雪乃の様子に友人達は目を細めながら宴会に興じていた。 参加者は前回同様、結衣の雪乃の友人である優美子と姫菜に八幡の極僅かの友人、葉山と戸塚の二名である。前回と違うのは雪乃の八幡に対する態度であり、そして葉山と優美子の二人が交際を始めた事である。 前回の席で優美子が葉山に声を掛けた事から始まり、同じ金色の髪を持つ者としてお互いにシンパシーを感じたのであろう。それからはとんとん拍子で交際は進んでいった。静養中の八幡と雪乃を気遣って表沙汰にはしなかったが、今回の席で改めて報告したのである。 無論、大いに盛り上がった。 なにせ、二人とも本家での立場は複雑であるが上級貴族同士であり、婚姻を結ぶには何の問題もない筈である。結衣は優美子に抱き着くと我が事の様に祝福し、姫菜は即興で二人を祝福する詩を読み上げた。戸塚も手を叩いて祝福し、八幡も此度ばかりは素直に祝福した。 そのまま、宴会は祝賀の雰囲気を帯びて過ぎていく。 「―――失礼致します。姫様、お知らせしたい事が…――」 …その最中、恭しく入室してきた女房が結衣にヒソヒソと耳打ちする。 聞けば、怪しげな男が門の前から屋敷の様子を除いていたので警備の者に捕えさせたらしい。男は鵺の夜の件で話があると、わけの分からない事を言っていると。 この一言に、八幡らは身構えた。 雪乃が鵺に襲われた事は貴族の間では周知の事であるが、それも今は半月以上前の話しであり、今更何の用だというのか。何か気になる事があるのなら陰陽寮の方から直接知らせが来る筈であり、この様な間者の如き振る舞いはきな臭さを感じざるを得ない。 幸い、検非違使の自分達がいる以上、怪しいと判断すれば投獄する事も出来るため、八幡らはその男と立ち会う事にした。 庭の隅で警備の者に囲まれ、アワアワと大げさな身振り手振りで自身の潔白を主張するその男は…――――。 「――――げぇっ！お前は…！！」 「―――――おお、我が刎頸の友、八幡ではないか！！」 潰された蛙の様な声をあげる八幡と、その顔を見るや否や早く警備の人間を退けてくれと八幡に請願するこの男こそ、鵺の夜に錯乱した八幡を投げ飛ばし雪乃に厄払いを頼んだ男――材木座義輝である。 「――いやはや、ﾓｸﾞﾓｸﾞ…警備の人間はどうしてこう融通が利かぬのやら…」ﾑｼｬﾑｼｬ ﾊﾞｸﾊﾞｸ 「・・・食うのか喋るのかどっちかにしろ」 久しぶりの食事なのか、目の前に用意された馳走を次々に平らげる材木座の姿は見ているこっちの食欲が失せるほどの旺盛振りであった。 それに警備の人間にとっても得体の知れない人間を入れて万が一の事があれば責任を問われかねず、相手が相応の身分・立場の人間でもなければ融通が利かないのは致し方のない事である。そもそも貴族の宴会自体、案内状もないのに飛び入りで赴くこと自体が失礼にあたいするのだが…。 今回の場合、八幡の知己であった事と鵺の夜の件で雪乃とも僅かながら面識があった事で縄を解いて貰えた。 「ねぇねぇヒッキ―、この人って陰陽師なの？」 「…そう言えば、私も気になっていたのよね」 結衣と雪乃が疑問に思うのも無理はない。 材木座の服装は陰陽師のソレと似通っているが、雪乃が知る限り材木座などと言う陰陽師は聞いた事がない。 （…道摩法師様のように非官人の呪術師なのかしら？） 道摩法師とは後世に名高い陰陽師である安倍晴明のライバルとされる蘆屋道満の事である。 諸説によっては別人とされるが、ここでは筆者の力量の都合上、詳しくは割愛願いたい。 「いいや、違う」 ――と、そんな二人の疑問を八幡はあっさりと否定する。心なしか、材木座は箸を止めタラタラと冷や汗を流し始める。 「あ、あははは、――八幡よ、我の事よりお主に伝えたい事が…―――」 「陰陽寮を破門されたんだよ、そいつ」 その瞬間、「げふぅ！」とまるで古傷を抉られたような叫びをあげて材木座は悶えた。 詳しく聞けば、まだ八幡が検非違使に赴任した当初の頃より既に材木座は星の観測と称してあろう事か皇族方の住まう大内裏の屋根に上る、鳥の糞が落ちるのを見て何を血迷ったか高所より果実を落とすなど数々の奇行を重ねる変人であったとのこと…。 その数々の奇行により、やはりと言うか当然の如く陰陽寮から破門されたのであった。 「・・・・比企谷君、こう言いうのはアレだけども…友達は選んだ方が良いわよ」 「ああ…自分でもそう思う」 雪乃の指摘も尤もである。 鵺の夜の時は薄暗くて分からなかったが、蓋を開ければこれ程の変人であったとは…。 「ふぐぅッ…しかし、我と八幡は正義の為に此の身を滅私奉公、粉骨砕身する事を誓った仲なのだ！」 「・・・いつの話しだよ、それは」 材木座が八幡と知り合ったのは八幡が検非違使に赴任が決まった直後、衛府に挨拶に伺った時である。その時は八幡も使命感に燃えており、同じく研究者としての熱意に溢れた材木座と意気投合したのだが…。 その後、八幡は都と検非違使の腐敗に失望し、一方の材木座は上記の通りただ奇行を繰り返すばかりであった。 「…むふぅ…奇行じゃないもん、立派な研究だもん…ッ」ｸﾞｽ ・・・自分の行動が否定され落ち込むのは仕方がないとしても、いい齢した大人が体育座りをしてのノ字を書いている姿は最早憐みを通り過ぎて痛々しく感じるのは筆者だけではないだろう。 「…え、え～と……研究って何をやっていたのかなぁ？！」 流石に、このままでは宴会自体が材木座のお通夜の様な雰囲気に飲まれかねず、ホストの結衣は咄嗟に材木座に話を振った。すると、待っていましたとばかりに振り返ると材木座は目を光らせた。 「――うむ！では研究者の端くれとして諸君らに我が叡智の一端をご覧頂こう！」 ・・・調子のいい奴――そう思ったのは八幡だけではあるまい。 「時に諸君、我らが立っている大地とはどの様な物だと思う？」 「・・・え、地面って…」 「…そんなの、山とかあるけど平らにきまっているし…」 そうでなければ、立っていられる筈がない――優美子らの答えに、材木座は憎たらしく口角を上げるとチッチッチと指を振るう。 「――ふ、そう思うのも無理はないか…。だが、我が天体の動きより導き出した真実は違う。我らが立つ大地は…そう、この鞠の様に―――[[rb:球体 > まる]]だ」 ――部屋の隅に置かれた鞠を手に取ると、さらに材木座は、太陽はそれ自体が動いているのではなく、自分達が立っているこの大地が太陽の周りを回っているのであり、月はその大地に接する様について回っていると付け加えた。 ・・・この言葉には結衣達だけでなく、聡明な知識を持つ雪乃や葉山すらも面喰った。 無理もない。材木座の主張は15世紀に入りコペルニクスやガリレオが提唱した「地動説」なのだから…。 「遮蔽物が無い大内裏の屋根から観測して分かったのだ。星も太陽も、地平線からまるで弧を描く様に浮 かび沈んでいくとな…」 「…ちょ、ちょっと待って！」 周りの理解が追いつかない中、姫菜が材木座を呼び止めた。 「あ、あのさ～、地面が丸いなら私達は立っていられないんじゃないの？」 姫菜の疑問も尤もであるが、材木座はフフンッと鼻を鳴らすと縁側から飛び降り、庭の井戸から水を満たした桶を持ってくる。 「さて諸君。この桶をひっくり返すと、中の水はどうなると思う？」 「は、はぁ？！そんなの、零れるに決まっているし」 「然り然り。普通に考えればそうなるの。しかし見ておれ、こうすると…ふんぬ～！！」 そう言うと、材木座は取手を掴むとあらん限りの力でブンブンと勢いよく桶を振り回す。 中の水は、その場全員の予想に反して桶の中に留まり続けていた。 「見たか！この様に、回転の力が加わると水であれ何であれその場に留まるのだ！」ﾌﾞﾝﾌﾞﾝ この光景には、全員が声も出さず材木座の言葉に耳を傾けた。 「うわ～、凄い！力持ちなんだねぇ！！」 「・・・へ、そ、そう？それほどでも――ﾊﾞｼｬﾝ――ひでぶ？！」 …普段女子に褒められたことが無かったのか、結衣の歓声にあろう事か自分の頭上で手を止めてしまい、そのまま中の水は材木座に降りかかった。 「へっくち！…今の桶と同様、この大地は回転しているのだ。だからこそ、我らもこうして立っておられるのだ。これは仮説だが、おそらく大地には万物を引き寄せる力があるのだろう」 現に今、桶の水は自分に降りかかったのがその証拠だと言わんばかりに材木座は胸を張る。 更に、その力は常に一定であり、その証拠に箸とお椀を同じ高さから落としても床に着くのは同時であり、重さは関係ない事も即興で説明した。 「だが…これが真であることを証明する[[rb:術 > すべ]]が思いつかんのだ！概念は見えている！あと少し…ッ、あと少しなのだ！この法則を解き明かせば学問は更なる領域が開けるはずなのに…ッ！！」 概念は見えている。 だが、これを証明する術がない。それを求めて数々の奇行とされる実験を繰り返したが…結果は破門。今では当時のツテを頼り天体観測の下請けで食い扶持を繋いでいるが、それでも研究への情熱は薄れていない。学問の輪が広まるという事は、それだけ多くの人間に教育の機会が与えられるという事だとこの男は考えていた。 全ての悲劇は無知から始まる――ならば、これを正す事こそが己の正義であり使命。 いずれは身分や職業に関係なく、全ての人間が学問を修められるようその輪を広げていく。 これが、材木座義輝が掲げる理想であった。 『・・・』 今度こそ、誰もが口を閉じた。 この中で、材木座の言う事を理解出来た物は誰一人いない。 この大地――地球の自転と公転に万有引力…いずれも遥か後世に確立された理論なのだ。 今この場で八幡らにそれを理解しろと言うのは酷である。 だが、材木座を変人だと見なす者はもはや誰もいない。 聡明な知識を持つ雪乃や葉山らは材木座の主張を理解は出来ずともそれが全くの出鱈目でない事は分かる。なにより、学問と教育の普及と言う点に関して思うところは同じである。八幡もまた、自身の材木座に関する見解を改めていた。検非違使や律令政治の腐敗に失望し、ただ腐り停滞している自分に比べ、この男のなんと高潔な事か…。 「あ、あの…最後に一つだけ聞いていいかな…」 そして、結衣が控えめながら手を上げて問いかける。 今の話を聞いて、自分の中に芽生えた根本的な疑問を解決するために…――。 「・・・あたし達がいる地面がさ、…もしホントに鞠みたいに丸いならさ…」 「――――――――その鞠を蹴っている人は誰なんだろう？」 ―――瞬間、結衣以外の全員がズッコケた。そりゃもう壮大に。 見事なまでに一斉にコケた為、その揺れに女房達は思わず地震かと錯覚した程であった。 [newpage] 何はともあれ、その後宴会は再開され、先程より遥かに盛り上がった。帰り際、葉山に指摘されなければ材木座はあわや本来の目的を忘れるところであった。 「ﾋｯｸ――時に八幡。お主、鵺の返り血を浴びた時に何か感じてはおらぬか？」 各々が引き上げる中、材木座は八幡と雪乃を呼び止める。 「・・・詳しい事は俺も覚えていない。ただ…わけが分からないくらい、急に雪乃の事が憎いと思った。それこそ、あのまま斬り殺してやろうと思うくらい…」 その時の懐刀は、今も太刀と一緒に腰元に携えている。 正直思い出したくない記憶だが、八幡自身もアレで今回の騒動が終わったと思えなかった。 （…あいつは、本当にただの怪異だったのか？） 雪乃を庇って対峙した怪異――鵺は結界まで貼っていたのだ。 思い返せば、宮中で雪乃が倒れた時も宮殿の屋根に鵺がいたような気もする。あの時は気のせいだと思ったが、仮にあの影が鵺だったのなら事は更に異常だ。本来、怪異は日中に活動は出来ない筈なのだ…。 「・・・」 雪乃も、黙って着物の袖を握り締めていた。 彼女の場合、鵺の他にもう一つ気になる事があった。もっとも、物忌の期間中は特に異常もなく、自分の思い過ごしだと思っていたが…。 「――我は陰陽寮を破門になった身、故に絶対とは言い切れんが相応の心得はあるつもりだ。だがどうも、お主達を見ていると万事解決したように思えんのだ…」 その言葉に八幡は身構え、雪乃は僅かに身を竦める。 材木座は陰陽寮を破門されているが決して半端者でない事は先程の問答で分かっている。 「我が出来るのはこれくらいだが…お主ら、少しいいか？」 ―――やがて、友人達と別れて自分の屋敷に着くと雪乃は八幡に日当を渡し、病み上がりの身体で自分を送り届けたくれた事に感謝した。「もう寝所番は御免だ」と冗談を言いながら帰宅の途に着く八幡の背中が見えなくなるまで、雪乃はその姿をずっと見つめ続けるのであった。 ――八幡と別れた後、眠りに着いた雪乃が次に目を開けた時、辺りは闇に包まれていた。 この暗闇には心当たりがある。 宮中で倒れた時に見た、あの悪夢と同じ…――。 瞬間、雪乃は恐怖が全身に駆け回るのを感じてその場に蹲った。 「…もう大丈夫だから…。全部終わった、全部終わった、全部終わった…」 目を瞑り、耳を塞ぎ、ただ念仏のように悪夢は終わったのだと唱え続ける。 怪異は八幡がその身を挺して打ち破ってくれた。 物忌も済ませた。 （だから……もう大丈夫！！） 　　　　ﾋﾀ ﾋﾀ ・・・だが、その希望を裏切るかの様に、目の前から湿った足音が近づいてくる。 逃げようにも足が竦んで動けない。否、目の前の事に対処しようと思えば自ずとその存在を意識してしまうため、雪乃は何もしたくなかった。 ・・・やがて足音が消え、それの気配も消えた。 ――終わったのか、次に目を開けたら瞳に映るのは朝日である筈だ…。 そう思いながら、雪乃は顔をあげて目を開ける。 「――――――――――」 ・・・目の前には、青白い肌をした女の顔があった。 あの時の同様、濡れた白装束を纏い、顔に張り付いた髪の毛から覗く瞳は殺意に溢れていた。 「―――ぁ」 女の青白い手が喉に伸びてくる。 最早抵抗など出来ようもない。 女の指が喉を締め上げてくるが、不思議と苦しさは感じない。そう感じる前に、先に魂が潰えていくのを感じたのだ。 （あぁ、私…死ぬのね） 雪乃が死を受け入れようとしたその時…――。 「―――雪ノ下から離れろ、この化物ォ！！」 「―――ッハ？！」 瞬間、彼の――八幡の声が聞こえ目を見開く。 すると、いつの間にか八幡は雪乃に寄り添い、その太刀で女の腕を斬り落とした！ 苦悶に満ちた声をあげる女を余所に八幡はそのまま雪乃に手を差し伸べ、雪乃は迷う事無くその手を掴んだ。 ―――その瞬間、雪乃はまるで川底から浮かび上がった鵜の様に御丁台から飛び起きた。 息苦しい呼吸を落ち着かせながら、辺りの様子を伺う。 寝所に変わった様子はないが、何やら外が騒がしい。 何事かと思えば、女房が小走りで駆けつけて来る。 こんな夜更けに、比企谷の八幡が無礼にも自分に会わせろと押しかけて来た――その知らせを聞くと雪乃は溢れんばかりの気持ちが込み上げ、女房に八幡を通すよう伝えた。 その言葉に、女房は慌てふためく。この時代の夜這いの慣習を鑑みれば当然だろう。 「こんな時間に男を寝所に上げるなど、姫様の名声にも差し障ります」と女房からは尤もな理由で反対されるが、雪乃は構わないと一蹴し、再度八幡を通すよう言い放つ。 自分の従者に寝所を警備させる事に何の問題があるのか――雪乃の言葉に、女房は渋い顔をしながら「少々お待ちください」と言い、守衛のもとへ向かった。 ここで余談ながら、現在の雪ノ下家の内情に触れておく。 八幡が身を挺して怪異から雪乃を庇った事はこの屋敷の人間なら誰もが知っていることであり、これを契機に一部の下人は、八幡の事を主の恩人として好印象を抱き始めていた。しかし一方で、所詮八幡は中流貴族でしかなく、雪乃を助けた事は感謝するが、寝所にまで上がり込んでいたのはけしからんと考える人間もいるのだ。 雪乃とのやり取りから、どうやら先程の女房は後者の人間だったのかもしれない。 「―――雪ノ下！」 「――八幡！」 女房に案内されて来るや否や、八幡と雪乃は思わず抱きしめ合う。 その様子を、女房は苦い顔をしながら眺め「勝手にどうぞ」とで言いたげに踵を返していった。 （・・・また、助けてくれたわね） 夢の中で助けてもらった事に感謝するのは可笑しいかもしれないが、それでも雪乃は八幡を抱き締め、その気持ちを伝えた。 「・・・嫌な夢を見てな…。そしたら、コレが切れていたから…」 そして、八幡はこんな時間に押し掛けた非礼を詫びると懐から千切れたソレを見せつける。 「…私も、嫌な夢を見たわ。でも、貴方が助けてくれた。…コレのおかげかしらね」 雪乃もまた、八幡にソレを見せつる。 二人が見せつけ合ったのは――あの時、材木座によってお互いの毛髪を編み込まれたミサンガであった。本来は紐が切れたら願いが叶うと言う異国の[[rb:呪い > まじない]]に材木座が独自に陰陽術に組み合わせたものだが、どうやら功を奏したようである。 ・・・やがて、緊張が切れたのか、雪乃の瞳からはポロポロと滴が止めどなく零れ、その身体も小刻みに震え始めた。 「・・・・弱くてごめんなさい、・・・だけど・・・傍に居て欲しいの…ッ」 怯えた兎の様に唇を震わせて八幡の着物を掴み、嗚咽交じりの声をあげる。 そんな雪乃を優しく抱きしめて気の済むままその胸で泣かせると、八幡は一晩中傍に居る事を約束した。 それは従者としての義務感でもなければ保護欲や同情でもなく――あの日の夜、野宮神社で一目見た時から八幡の胸に過った感情であった。 「――驚いた。貴方の顔を見ると、直ぐに目が醒めるのね」 朝、八幡の顔を見た第一声がこれである。 文字だけで見れば随分な物言いだが、雪乃の声音はとても穏やかな物であった。 そして、八幡は雪乃を伴って材木座の住まいを訪れ昨夜の夢の事を報告した。 「うむ…では、お主が鵺の返り血を浴びた時の感情はあの女に由来する物と見て間違いないな」 「・・・て事は、あの女は雪乃を恨んでいるって事か」 「―――うむ。そして、おそらくソレは生霊だろう」 生霊――存命の人間の怨み祟りを成す事である。 上級貴族である以上、貴族同士で権力闘争は絶えない。 特に雪ノ下ともなれば、様々な理由で多方面から恨みを買うのも不思議ではない。 ・・・だが、恨みと言っても八幡はどこか納得いかなかった。 鵺の返り血を浴びた時、自分でも驚くほど憎しみの感情に支配された。 材木座に言わせれば、それは個人の体質との事だがそうではない。 「憎しみ」と言っても酷く場当たり的な…。 上手く言い表せないが…自分が都の腐敗を憎んでいてもそれを晴らしようのないもどかしさと似ているとでも言えばいいのか、酷く抽象的な物であった。 例えるなら、苛々して通行人を斬り付ける辻斬りのソレに近い。 「恐らく、あの怪異もその女の呪念が具現化した物だろう。呪念が具現化するなど、まずありえん。だからこそ雪ノ下お抱えの陰陽師は異変に気付くのに遅れたのだ」 陰陽道も学術である以上、一定の理論なり法則に基づいている。 効率的に対応するにはそれで申し分ないが、今回の様にそこから外れた存在に対しては初動が遅れるのが弱点と言える。だからこそ、陰陽寮を破門され独学で陰陽道の修練を行っていた材木座が真っ先に異変に気付いたのだろう。 ともかく、このまま手をこまねいている訳には行かない。 雪乃には再び物忌を行ってもらい、今宵、八幡と葉山・戸塚・材木座の四人で呪いの元凶を暴く事に決まった。 …だが、ここで一つ問題が発生した。 雪乃が物忌を拒み、あろう事か自分もついて行くと言い出したのだ。 無論、八幡は止めたしその事を聞いた北の方も雪乃を引き留めた。だが、雪乃からすれば自分の命に係わる事を他人に委ねるだけにしたくなかったのである。何故、自分が命を狙われなければいけないのか、それすら分からないままではこの先自分は延々と人から恨まれるのを恐れて前に進めないと、決心は固かった。 そして、北の方は雪乃の気持ちを汲み取った。 どのみち物忌は本人が禁忌を犯せば意味は成さない。今の雪乃を無理やり家に押し込めても、簡単に禁を犯すだろう。それならば…――。 「検非違使の…いえ、――比企谷八幡。どうか、娘を護って下さい」 この時、北の方は初めて八幡を自分と対等な存在として頭を下げた。 娘を愛する母として、本来なら陰陽師の手練れを同行させたいところだが、間の悪い事に今の時期は新嘗祭の祈祷に遣わしていた。また、北の方はその身を挺して雪乃を庇った八幡ならば此度の元凶からも雪乃を護ってくれるだろうと、いつの間にか絶対の信用を置いていたのである。 そして、二人を見送ると至急、内裏の夫に文を差し伸べた 「んしょ、…ふ～ん！…うむ、では我が呪いの元凶まで先導しよう！各人、準備は良いな？」 「雪ノ下、しっかり俺に掴まっていろよ」 「ええ、わかったわ」ｷﾞｭｳ 「……ぐぬぬ。お主ら…、いつの間にその様な仲に…」ｸﾞｷﾞｷﾞｷﾞ 「ははは。いつからも何も――」 「随分前からじゃない？」 その小太りな体格故に、やっとの思いで馬に跨った材木座を尻目に、八幡と雪乃は傍から見ればイチャイチャとした雰囲気を醸し出している。そんな友人を温かい目で見ながら、駆けつけて来た葉山と戸塚も颯爽と馬に跨る。もっとも、八幡も雪乃も自身の気持ちに気付いていないのが何ともこそばゆい。 「…色々と腑に落ちんが、まぁ良い！お主ら、危険は承知だと思うがここで変な台詞を言うでないぞ！」 「え、何で？皆でこの呪いが片付いたら何をするか言わないの？」 「そうだよ。ちなみに俺はこの一件が片付いたら――」 「わー！わー！それ以上言ってはいかーん！」 葉山の台詞を打ち切り、材木座の合図とともに八幡らは一斉に駆け出して行った。 「ここが、呪念の元凶のようだ」 数刻ほど馬を走らせて辿り着いたそこは、朽ちた屋敷であった。 門は崩れ落ち、庭には雑草が生い茂り、ひび割れた壁には[[rb:蜈蚣 > むかで]]が這い回っている。 「・・・なんというか、此処までいかにもって感じだとかえってスッキリするな」 八幡と材木座が好き勝手な感想を言いまわる中、葉山はどこかこの屋敷に心当たりがある様子であった。 「葉山君、何か心当たりがあるの？」 「―－ん？いや、…記憶違いかもしれないけど…」 ――――――――此処は、没落した平塚家の屋敷だよ。 ～　第膝話　終　～

平安時代が舞台のパラレルな俺ガイル。<br />色々とオーバースペックな材木座、そして呪いの元凶は！？<br /><br />&gt;2016年02月24日付の[小説] 男子に人気ランキング 16 位<br />ご声援ありがとうございます！

～間違いだらけの平安パラレル恋物語～其之膝

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　カラ松ガールとの出会いを求め、いつもの橋の上で待つこと一時間。しかしカラ松ガールはシャイな性分なのだろう、今日も運命の交錯は果たせなかった。早春の寒さの中で、いつもの革ジャンとは違い普通にコートを着てはいたものの、川から吹き上げる寒風にさらされ続けた一時間ですっかりと体温を奪われ芯から凍る思いでカラ松が家に戻れば、二階の私室でおそ松が眠っていた。 　ソファに横たわり、毛布一枚を体の上に引っ掛けて長男はすぅすぅと穏やかな寝息をたてている。 　カラ松はそれを目にして溜息をついた。 　まだまだ春の気配にはほど遠い寒さの中、いくら家の中とはいえども、毛布一枚で眠るなど放っておけば風邪をひいてしまうに違いない、と兄の身を案じ、カラ松は己が着込んでいたコートを脱ぐと毛布の上からそっとかけた。 　不意に体の上に加わったコートの重みにおそ松が一瞬しかめ面になるが、それもすぐに消えて、再び静かな寝息がカラ松の耳に届いて来る。 　子供みたいだな、とカラ松はおそ松を見下ろして小さく笑う。 　ソファの足元に腰を降ろし、そのままおそ松の寝顔をぼんやりと眺めた。 　同じ顔の六つ子たち。なのに、今目の前で眠っているおそ松の顔は、自分とは違う顔だ。 　いつもは余裕のある表情を浮かべているそれが、寝ている今ばかりはどうにも幼い風情が漂う。 　無邪気な寝顔を眺めているうちに、思わず悪戯心が湧いたカラ松はそっと手を伸ばしておそ松の頬を柔く突いてみた。 「……ん…む」 　おそ松は眠りながらも不満げな声を上げ、毛布の下から手を出して、頬を突くその手を捉えた。 　そのままギュウと握りしめられてしまった。 「……こら兄貴、離してくれ」 　苦笑してカラ松はおそ松に告げるが、眠っている長男が言う事を聞いてくれるはずも無く、手から力が緩むことは無かった。 　強引に手を外させることも可能だが、気持ちよさそうに眠るおそ松を見れば力任せにして万が一起こしてしまうのも可哀想に思えてしまって、カラ松は無理に手を離すことを諦めた。 　しばらく握られるままになっていれば、そのうちに繋いだ手のひらからおそ松の体温がじんわりと伝わってきて、外から帰って来たカラ松の少しばかり冷えた指先を温めてくれる。 （あったかい……） 　その心地良さに我知らずカラ松の口からはほぅ…と吐息が洩れる。 　おそ松の体温に癒されることを覚えてしまったのは、それが最初だったのかもしれない。 　　　　　◆ 　カラ松が兄弟の誰もいない居間でコタツに足を入れてぬくぬくと温まりながら手鏡で己の姿をチェックしていると、襖が開き、おそ松が姿を見せた。 「おーさみぃさみぃ」 　ブルルと身を震わせながら、おそ松はカラ松の向かい側に入り込んだ。 　おそ松の体は外気を纏っており、彼が動く度に冷えた空気がカラ松の膚にも届いて来る。カラ松は手鏡から視線をおそ松に向けた。そう言えば一緒にいたおそ松がいつの間にかいなくなっていたのだった、と思い返す。いなくなる前に何か言っていたような気もするが、鏡に映る自分チェックに余念がなかったカラ松はそれを聞き流していた気がする。 「外に出ていたのか？」 　だから今更ながらにそう問えば、目に見えておそ松が拗ねた表情を浮かべた。 「さっき、俺言ったじゃん。『コンビニに行くけど、お前も行く？』って。でもカラ松ってばお兄ちゃんのこと無視するから、一人さびしく出掛けたんだけど？」 「それはすまなかったなマイブラザー。反射の世界に囚われてこちらの世界を夢見る憐れな自分との対話に心を奪われていて、小鳥の囀りをどうやら聞き逃してしまっていたようだ」 「ふひゃひゃっ！　お兄ちゃん、カラ松が何言いたいのかわかんないわ。でもそんなところが面白いんだけどねっ！」 　カラ松の言葉に笑ってから、おそ松はポケットから封を切っていない新品の煙草の箱を取り出した。 　それを見てカラ松が片眉を上げた。 「おそ松、煙草を買いに行ってたのか？」 「まあね、最後の一本吸い終わっちゃって、ちょっと口寂しくなったからさ」 「……ニコチン中毒な台詞だな」 　カラ松とて煙草は吸うが、無くなったからと言って、それを買う為だけにそそくさと出掛けることはしない。 「いーんだよ」 　おそ松は放っとけ、と笑う。 　外装のナイロンを剥ぎ、一本取り出すと口に咥えて火を付ける。 「あー生き返るわ」 　肺深くまで煙を吸ってフーと吐きだし、しみじみとそんなことを言いだすおそ松だ。 「……ほどほどにしておけよ」 　カラ松が呆れたように告げ、再び手鏡に意識を向けようとした時、 「あっ、カラ松、リモコン取ってくんない？」 　と、おそ松がカラ松側に置いてあるテレビのリモコンを指差した。 「…ああ」 　カラ松は頷き、手鏡から目を離さないままリモコンを持つと兄へと差し出す。 　だが鏡ばかりに意識を集中させていたカラ松は、つい目測を誤った。おそ松の手に乗ったのは、肝心のリモコンではなく、カラ松の手の方だった。 「おっ！？」 　おそ松が自分の手に重なった弟の手のひらに、目を丸くする。空いているもう片方の手で咥えていた煙草を摘まみコタツの上にあった灰皿に置きながら、にやにやとからかうように口角を上げて笑った。 「なんだよー、カラ松ってば、お兄ちゃんとそんなに手ぇ繋ぎたかったの？」 「……いや？」 　カラ松は素で返事をしながら、しかしおそ松の手の上から自分の手を退かそうとはしない。 「えーっと？　カラ松くん？」 　否定しておきながら一向に離れようとしない手にひらに、おそ松が複雑な顔をして首を傾げた。 　カラ松の手からリモコンがこぼれ落ちる。 　手放したリモコンの代わりに、カラ松は重なり合っていたおそ松の手を握りしめた。 　突然と言ってもいい弟の行動におそ松が再び目を丸くする。 「…へ？　…カラ松くん……どしたのよ、なあ？」 「……おそ松の手、あったかくない…」 　おそ松の手を握ったまま、どこか不機嫌な面持ちになるカラ松だ。 「あー、まあねぇ、外から帰ってきたばっかだし…」 「冷たい」 　言って、カラ松は己のもう片方の手もおそ松の手に重ね、両手で包みこんだ。 「温めてやるぞ」 「ちょ……カラ松くん？」 　おそ松が少しばかり焦る声を出した。 「……なんだ、嫌だったか？」 　カラ松がきょとんとしておそ松を見る。 　おそ松は目元を少しばかり赤くし、項垂れた。 「あー、もー……好きにして」 　両手で包みこみ、やがておそ松の手がじんわりと温かくなった頃、ようやく満足したのかカラ松は「よし」と一つ頷く。だがそのままカラ松の手はおそ松から離れようとしなかった。 「……えっと？　いつまでお兄ちゃんの手ぇニギニギしてんのカラ松くん」 　相変わらず目元を赤らめたまま、困ったようにおそ松が告げると、カラ松は心ここにあらずと言った具合で「んー…」と生返事をするばかりだ。 「カラ松？」 「おそ松の手、あったかくなった…」 「そりゃ、お前にあっためて貰ったからね。お前の温度が移ったワケだし」 「…でも俺のとは違う温度だ……おそ松の体温…安心する」 　眉尻を垂れ下げて、まるで子どものように微笑むカラ松だ。 「……なんだろーねー、お前は…ったくもう…」 　カラ松にされるがまま──ずっと手を握られたままのおそ松は、結局それを外すこともせず、いつもの余裕然とした声音をこの時は微妙に情けないものに変えて小さく呟いた。 　灰皿の上に置いたきり忘れ去られていた煙草は、いつの間にかフィルタの部分だけを残して綺麗に燃え尽きていた。 　　　　　◆ 　 　まだ底冷えする日が続く早春。だがその日は朝から快晴で、二階で雑誌を読んでいたカラ松は窓から差し込む暖かな日差しに徐々に眠気に誘われて、遂にはウトウトとしはじめた意識に負けて日に照らされて温くなっている畳の上に体を横たえた。 　太陽の下で猫がゴロゴロと気持ちよさげに日向ぼっこをする理由が、なんとなくわかった気がする。──成程、生き物は太陽の恵みによって生かされているのだ、パーフェクト・サン。俺もそんな男になりたい…と眠い頭がよく分からないことを考え始めるが、だがそれも、ふわぁ…と欠伸を一つしたところで霧散し、カラ松の意識はそこで途切れた。 　己の髪の毛が優しく梳かれている気配に、カラ松の意識はふわりと浮上した。 　瞼が重くてなかなか目を開けられないまま、意識ばかりが醒め始めたカラ松の鼻腔に、嗅ぎ慣れた煙草の匂いが漂ってきて、スン…と小さく鼻を鳴らした。 　途端、髪を梳いていた指先が、もう少し寝てていいよと言わんばかりに、そっと頭を撫でる。 　その指の優しさにカラ松はうっとりとする思いで、ゆっくりと目を開けた。 　寝ぼけた視界の先に、壁に背を預けて煙草を口に咥えてフゥと天井に顔を向けて煙を吐くおそ松の姿が映った。 　その様子に、カラ松は己の置かれている状況を把握する。どうやら自分はおそ松の膝の上に頭を預けて眠っていたらしい、と理解した。体の上にはいつの間にか毛布があり、これもおそ松が掛けてくれたのだろう。 「おそ……松？」 　名を呼べば、頭を撫でていた手がふと止まる。 　頭から遠ざかっていくそれを名残惜しいと思いながら、カラ松はぼんやりとした眼差しで長兄を見上げる。 「あらら？　カラ松起きちゃった？」 　おそ松は手元に置いてある灰皿に煙草を押しつけてから、カラ松を見おろしてきた。 「………俺、寝てたのか？」 　寝起きのカラ松は少しばかり渋い顔をしている。おそ松がそれを見て、皺を刻む眉間を指で軽く触れれば、カラ松はぐずる子供のようにますます顔をしかめた。おそ松は笑う。 「うん。パチンコから帰ってきたら、お前うたた寝してたからさー、優しいお兄ちゃんが膝貸してあげたよ」 「そうか……」 　すまないな、と小さく続けて、だがどうにも眠気に勝てず、瞼が再び閉じていくのを感じた。 　舟を漕ぐそぶりを見せるカラ松に、おそ松が苦笑した。 「……眠いんなら、膝はこのまま貸してあげるから、もう少し寝てていいよ。……夕飯の時間になったら起こしてあげるし」 「……ん…」 　こくり、と頷いてカラ松はふと手を伸ばす。 　おそ松の手を捜しあてて、それをギュウッと握った。 「おそ松…手、つないで…て…くれ……」 　と望みを口にして、すぐに眠りの世界に入り込んでしまう。 「甘ったれ…」 　頭上から、困ったように、だがそれ以上に甘い響きの声が降り注いだことに、眠りに就いたカラ松に届く事は無かった。 　　　　　◆ 　ここしばらく毎日のようにおそ松と一緒にいる気がする……とカラ松はぼんやり考える。 　そんなおそ松と、弟たちがいないところで手を繋ぐのは、ほぼ日常茶飯事と化している。 　おそ松の手は、温かい。 　触っていると気持ちが安らぐ。 　あったかいなあ幸せだなあ……などと思ってついつい手を繋ぎたくなってしまうのは本人には内緒だ。 　だが、今日のこれはさすがにくっつき過ぎだという気がしないでもないのだがどうだろう……？　とカラ松は誰にともなく心の中で訴えていた。 　二階の部屋で二人きり。──最近、そういう時間が増えた気がするなと、カラ松は思う。 　おそ松があまり外に出なくなったのがその要因だ。 　以前まではパチンコだの競馬だのと金さえあれば足しげくギャンブルに通っていた長男は、ここのところ家に居ることが多い。 　カラ松も出掛けるのはカラ松ガールとの出会いを求める時と、買物、または十四松との野球をする時ぐらいなので、比較的他の弟たちよりは家にいる時間が多かった。 　今日もまた二階の私室に二人だけでいたのだが、別段二人の間に会話も無く、おそ松は漫画に夢中で、カラ松は手鏡を覗き込むことに夢中で、と言った具合に互いに別のことに集中していたのだが……。 　漫画を読んでいたおそ松が、以前の自分と同じように窓から差し込む日差しにウトウトとし始めて、我慢が効かなかったのか、ついには畳にゴロンと横たわった。まどろみ始めたおそ松の気配に気づいてカラ松は鏡から顔を上げた。 　窓から差し込む暖かい光の下で日向ぼっこをしているようなおそ松の姿にカラ松も羨ましくなってしまう。押し入れから毛布を取り出すと、おそ松の上に半分掛け、残りの半分は自分に掛けて並んで寝転がった。そのまま手持無沙汰だった掌で、いつものようにおそ松の手を握った。 「……カラ松……ん、おいで」 　手を握られたおそ松は半眼になってカラ松を見た。そして柔らかな笑みを浮かべて次男の名を優しく呼び、そのまま眠ってしまった。 　すやすやと気持ちよさそうなその寝息を聞いているうちに、背中に感じる日差しの暖かさと繋いだおそ松の掌の心地良さに、カラ松もそのうちに眠くなってしまって瞼を閉じて……。 　今、現在……カラ松がうたた寝から目を覚ましてみれば──。 （顔が……近い……） 　目の前におそ松の寝顔がある。 　繋いでいた手はいつの間にか離れ……だが毛布の下の長男の両腕は何故かカラ松の腰にまわされ、まるでおそ松の胸の中に抱き寄せられている構図で、互いに顔を向き合わせた状態で眠っていたのだ。 「……おい、おそ松……」 　このままでは動けない、とカラ松は少しばかり困っておそ松を起こそうと試みる。 「……ん。む？」 　おそ松の瞼が震えた。 「……カラ松……？」 　間近に見えるカラ松の顔に、少しばかり戸惑ったようなおそ松の声だ。 「寝ぼけて、俺の腰に手をまわしてるぞ……。離してくれないと、起き上がれないんだが…」 「あー……うん。……ねみぃ…」 「こら、寝るな。寝る前に、腕を外してくれないか」 「大人しくしててよ……カラ松……。兄ちゃんと寝よ？」 　そう呟くおそ松の声には精彩が欠けており、やがてそれは寝息へと切り替わる。 「……こらっ」 　無理矢理腕から出ようとすれば、眠るおそ松の腕に更に力が入ったかのようで、終いにはびくともしなくなる。 　カラ松は溜息をついた。 　もうしばらくすれば、おそ松のこの腕からも力が抜けるはずだ。それまでは仕方ないか…と諦めて、ふと目の前の長男の顔を観察してしまう。 　いつもはここまで近くに見る事のない兄の顔。 　おそ松の匂い、吐息、体温……色々なものが感じ取れるほど、距離がどうにも近すぎた。カラ松が今それらをはっきりと意識して……。その瞬間。 　──ドクン…ッ。 　カラ松の胸が一つ大きな鼓動を刻んだ。 （……っ！？） 　それを皮切りにバクバクバクバクと心臓が急に激しく動き出す。 　顔が熱い。心臓が煩い。 （なんだ、これっ） 　おそ松の顔が何故か見れなくなって、カラ松は至近距離にある長男から出来る範囲で頑張って顔を遠ざける。 （は、早く……腕の力……抜けろ……抜けてくれ、頼むから） 　いつまでもこんな至近距離にいるのは、なんだか色々まずい気がする。何がまずいのかは分からないが。 　焦るカラ松の願いが天に効き届けられたのか、深い眠りになったおそ松の腕の力が僅かに緩む。 　その隙を逃さず、カラ松は素早く兄から体を離した。 　バクバク、とそれでも心臓は早鐘をうち、頬の熱さは冷めない。 （…な、んなんだ……） 　己の体の変調に、カラ松は訳も分からずうろたえた。 　　　　　◆ 　日の暮れた夜道を歩けば、夜風が頬を撫でた。 　ブルッとカラ松は身を震わす。 「寒いのっ！？　カラ松兄さんっ」 　隣を歩いていた十四松がそんなカラ松に気付いて声をかけてきた。 「少しだけな。もう日も暮れたから、気温も下がってきてるしなあ」 　心配する十四松に大丈夫だと微笑みかけて、カラ松は街灯に照らされる夜道を十四松と並んで歩く。 　今日カラ松は十四松に請われて川原に出掛けて、久しぶりに一日中野球に付き合っていた。 　日も暮れて、ボールが見えなくなるまでキャッチボールを続け、満足した十四松とともに二人仲良く帰路についていたところだ。 「楽しかった！　今日はありがとーございやしたカラ松兄さん！」 　満面の笑みを浮かべながら感謝を表す十四松に、カラ松も嬉しくなってしまう。 「また一緒に野球しような？」 「…っ！　おなしゃすっ！」 　カラ松の言葉を受けて、途端に目を輝かせ力いっぱい頷いてみせる十四松だ。そうして嬉しそうに、にこにこと笑う。 　カラ松もつられて、にこにこと笑った。 「あれ、カラ松と十四松じゃねえの」 　もう少し行けば自宅が見えてくる手前の角で、ふいに逆方向からやって来る人影から声がかかった。 「あー、おそ松兄さんっ！」 　十四松が現れたおそ松に向かって手を振った。 「二人で揃って今帰り？　もう暗いぞ」 　おそ松が二人の方に向かって歩いて来た。 「ああ。今日は少しばかり張り切って野球をしていたら、いつの間にか日が暮れていたんだ」 　カラ松が告げれば、へぇ、とおそ松が目を瞠る。 「そっか。ずっと野球してたのか。そりゃ良かったなー、十四松。楽しかったか？」 「うん。スッゲー楽しかった」 「おそ松兄さんはパチンコ帰りか？」 　カラ松が問い掛ければ、おそ松は肩をすくめた。 「いいえー。お馬さんとデートでしたー。フラれたけどねー」 　その言葉を聞いて、成程、スったんだな、とカラ松は呆れた目を向ける。 「うち、見えたーっ！　兄さんたち、俺先に行くね！　一番乗りっ！！」 　曲がり角を曲がって、やがて自宅が見えて来ると十四松が勢いこんで駆けて行く。 「十四松―っ、慌てて転ぶんじゃないぞ」 　後ろから声をかければ「あいあーい」と元気のよい返事がこだまして聞こえてきて、そしてそれも消えれば、静かな夜道にカラ松はおそ松と二人だけにになった。 「カラ松、ほら」 　不意におそ松から差しだされる手。 「手、繋ぐ？」 　その言葉に、カラ松は素直に頷いた。 　嬉しい、と思った。おそ松から差しだされた掌を見つめて、こうして手を繋いで歩くなんて、まるで恋人みたいだ…と考えて…。 　カラ松はいつものようにそこに己の手を置こうとしたその動きをふと止めた。 　恋人などでは無い自分たちは、兄弟だ。……兄弟で手を繋ぐなど……幼い子供でもあるまいし、成人した大人がやるようなことじゃない。 （……ん…？　今まで深く考えてなかったけど……確かに、手を繋ぐなんて……普通有り得ないな…） 　しかし、カラ松はおそ松と手を繋ぐのが好きだ。無意識のままに繋いでしまうほど。 （おそ松の手は……あったかいから……） 　だがその条件ならばそれはおそ松だけではない。弟だってみんな温かい手を持っている。ならば何故自分はおそ松限定で手を繋いでいたのか……。 （……え…っと？） 　どうして自分は四人もいる弟ではなく、おそ松に限って手を繋ぎたいと思っているのか……。分からない。意味が分からない。 　カラ松が手を繋ごうとした姿勢で動きを止めたことを訝しんだおそ松が、窺うように見つめてきた。 「おーい？　カラ松？　カラ松くーん？　どした？」 　名を呼ばれて、カラ松がハッと我に返る。 「な、なんでもないぞ、ブラザーっ！！」 「……ふぅん？　ま、いいけど。……ほら、手は？　いつものように繋がねぇの？」 　と、おそ松がカラ松の手に向かって腕を伸ばしてくる。 「っ！！」 　カラ松は咄嗟に腕を振り払った。ペチン、と音がしておそ松の手が弾かれた。 「……あ？」 　おそ松が唖然とした声を出す。 「なに、それ」 　と、叩かれてしまった手の甲を見下ろして、少しばかり機嫌を損ねた声音を出したおそ松が半眼になって眼差しを己の手の甲からカラ松へと向けて……。 「……へ？」 　再び唖然とした声を出した。 　おそ松の視線の先で、カラ松が顔を真っ赤に染めて、腕を振り上げた状態で何故か固まってしまっている。 「……カ、カラ松？　お前、どうしちゃったの？　顔がすげぇ真っ赤なんだけど！？」 　その顔色の尋常ではない有様に、さすがに機嫌の悪さを忘れて、おそ松が呆然とカラ松の名を呼ぶ。 「な、な…なんでもっ、無いぞっ！　そ、そうだっ！　き、急用を思い出した！　俺は先に帰るぜ！　兄貴はゆっくり歩いてきてくれ！　じゃ、じゃあなっ！」 　いかにも言い訳といった具合にしどろもどろにそう呟くや否や、カラ松は脱兎のごとくその場から逃げだした。 　家まであと数十メートルも無いのに、ゆっくりも何も無いだろうに……と、一人夜道に残されたおそ松はぽかんとしたままその後ろ姿を見送っていた。 [newpage] 　　　　　◆ 　あの日──…夜道でおそ松の手を拒んでから、カラ松はおそ松に触れる事を止めた。 　その後日、またも二人きりになった時におそ松が「手ぇ繋ぐ？」とカラ松へと手を差し出してきたのだが、それを目にした途端、カラ松の脈は早くなり、動悸を感じ、……どうしてもおそ松の手を握ることができなかった。 　おそ松の手を見下ろして、その手の感触や温度をまざまざと思い出してはひとりで動揺し、どうしたらいいんだ？　と焦った。このままでは挙動不審になってしまうところを「……寒い季節ももうじき終わりを告げることだし……手を繋ぐのは卒業だと思ってな、ブラザー」となんとか誤魔化した。 　そう告げた時のおそ松は少しばかり探るような眼差しでカラ松を見つめていたが、小さく溜息をついて「そっか。分かった。カラ松がそうしたいなら」と答えただけだった。 　それからは、手を繋いでいない。 　おそ松と二人きりになることも減った……ような気がする。 　最近のおそ松は再び競馬だのパチンコだのに入り浸るようになってしまったらしく、昼ぐらいに起きて家を出ると、夜遅くまで帰ってこないことが多かった。 　今カラ松は一人きりの居間でぼんやりと手鏡を見つめていた。 （……手…） 　と視線は鏡面に映る自分ではなくて、それを持つ手のひらを見つめている。 　繋ぎたい……と、本当は思っているのだ。 　おそ松の手のひらの暖かさが、好きだ。恋しいと思う。 　だけど…何故か繋いでいたことを思い出しただけで、動悸が激しくなってしまう。 　繋ぎたいのに繋げない──。 「フッ……はりねずみのジレンマか」 　カッコつけて呟いたはいいが、何故か虚しい。 　手鏡を卓袱台に置くと、カラ松は何も掴んでいない己の手を、握ったり開いたりと動かしてみる。 　最近まで毎日のようにおそ松と繋いでいたせいか、手のひらにその感触が未だに残っているような気がして……少し照れくさいような…じわりと胸が締め付けられるような気がする。 「ただいマッスルマッスルー！」 　元気いっぱいに五男が帰宅を告げる声が玄関先から届いて、すぐに居間の襖が開き、十四松が現れた。 「ありー？　カラ松兄さんだけ？」 「ああ、俺だけだぞ。……おかえり、十四松。外、寒かっただろう？」 　居間に入ってきた十四松の鼻先と頬が赤くなっているのがカラ松の目に映る。 　おいで、と呼べば、十四松は首を傾げながら素直に歩いて来て、カラ松の正面に座った。 「ほら」 　と、カラ松は微笑んで、両手を十四松の頬に添える。 「随分と冷えてるぞ」 「……っ！」 　十四松は途端顔を赤らめる。 「カ、カラ松兄さんんんんーっ！？」 　と、動揺した様子でカラ松の名を叫んだ。 　カラ松はきょとんと首を傾げる。 「ああ、悪い。嫌だったか？　こうしたら温かくなるだろうと思ってつい…。嫌なら止めるが…」 「い、いやじゃないよっ！」 　ぶんぶん、と首を振ろうとして、だが頬に添えられているカラ松の両手があるから、十四松は小さく首を振るにとどめた。 　その仕草に、ふふ…と笑って、カラ松は十四松の頬を柔らかく押さえる。 　たはー、と十四松が嬉しそうに笑った。 「カラ松兄さんの手、スッゲーあったけー、気持ちいーすなー」 「うん、あったかいのは、癒されるからなあ…」 　自分もおそ松の体温にずっと癒されてきた。それが出来なくなってしまったことが、妙に寂しい。 「ねぇ……なに、してるの？」 　ふと、襖が静かに開く音がして、そこから四男が顔を覗かせた。 　一松のどこか低い声に、ビクッと肩を震わせながら、恐る恐るカラ松は弟を振り返る。 「いいい一松。おかえり」 「……で、それ、なにしてんの？」 　常の癖でついつい怯えながらカラ松はおかえりと一松に声をかけたが、それに対する返事はなく、四男は再び同じ問いを繰り返した。 　それに応えたのは満面に笑みを浮かべた十四松だった。 「一松兄さんっ！　俺ね、今ね、カラ松兄さんの手で、ほっぺたあっためてもらってたー！」 「……………クソ松………」 　一松がギリッと歯を噛みしめる。カラ松と十四松を、もの凄い目付きで見つめている。 　その視線の凄まじさに、ヒッとカラ松が息を呑み、慌てて十四松の頬から手を離した。 『可愛い弟の頬を誰に断って触ってやがんだクソ松のくせに』との苛む言葉がいつ一松の口から繰り出されるのかと、カラ松が身構える。 「一松兄さん？　あー、そっか！　一松兄さんもほっぺた冷たいんだね！　カラ松兄さん、一松兄さんのほっぺたもあっためてあげてくだせえ」 　空気を読んでいるのか読んでいないのかいまいちわからない十四松にそう言われて、カラ松は思わず青ざめた顔で「ちょっ…十四松！？」と呟いて絶句した。 　まさかそんな無茶振りっ！？　と、泡を食ってしまう。 「だって一松兄さん、羨ましそうに見てたよ？」 　十四松がきょとんとこちらを見つめてきた。カラ松は、いやいや、と内心首を振る。 　そんなことしようものなら『ふざけんなクソ松、勝手に触るなクソ松！』と今度こそののしられる！　とカラ松はさらにビクビクと身を縮めた。 「………それ、俺にも…してくれるワケ？」 「……へ？」 　だが耳に届いたのは予想外の言葉で。 　ぽかん、と一松を見つめると、少し目元を赤くした一松が「なに？　駄目なんだ？」とこちらを睨んでくる。 「ああやっぱり嫌ですかそうですねこんなゴミクズの顔なんか触りたくもないってことですか別に無理しなくても良いんですよゴミクズはゴミクズらしく隅っこで生息することにしますから」 　とノンブレスで言い始めて、カラ松はそんなことは無いぞ、との意思を込めて慌てて一松の頬に手を伸ばす。 「……っ」 　触れられた瞬間一松が息を呑み……だがそれきり言葉を失ったかのように目を閉じた。 　冷えた弟の頬を両手で優しく挟む。 「……あったかい…」 　一松がほぅ…と息をつく。 　なんだか、いつもより素直というか、子どもっぽいような弟たちの態度に、カラ松は知らず微笑んだ。 「十四松兄さんと一松兄さんだけ、ずるいと思うんだよね、僕」 　居間で一人くつろいでいたカラ松は、外から帰って来るなり自分の正面に座りこんだトド松に、突然ニッコリ笑顔でそう告げられて、目を丸くした。 「え？」 　なんのことだ？　と戸惑ってトド松を見つめれば、末の弟は、もうっ、と言いたげに頬を膨らませる。 「昨日『ほっぺたぎゅーってしてもらった』って十四松兄さんが嬉しそうに僕に報告してきたの！」 　ああ、昨日十四松と一松の頬を温めてやった件か…とカラ松は理解したが、だがそれがどうして先程の『ずるい』という発言に繋がるのかが分からなかった。 　首を傾げていれば、焦れたのかトド松が、 「でね？　外から帰って来たばっかりの僕のほっぺも、ほら！　今、すっごく冷たいんだよね？」 　と、顔を差し出してくる。 「冷えたのは分かったんだが……でも、トド松。……俺の手でわざわざ温めなくても……」 　弟からのねだりに、唖然としつつカラ松が首を傾げれば、トド松が目に見えて拗ねた顔をしてくる。 「二人にはそうやって温めてあげたのに、僕には出来ないって言うのっ！？　ずるいっ！　二人だけだなんて！　差別はしちゃいけないと思うよ、僕」 　譲ろうとしないトド松に、カラ松は困った顔になりながらそっと両手を伸ばしてトド松の頬を挟みこんだ。 「……カラ松兄さんの手、あったかい」 　嬉しそうにトド松が笑う。 「……あったかくて、優しくて、なんかこの手で触ってもらっていたら、大事にされてるって気がする」 　えへっ、とトド松が笑った。 「俺はいつでもお前たちを大事にしてるぞ？」 「あー、うん。そうなんだけど。でもさ、いつもはこんなスキンシップなんてないでしょ」 　トド松の言葉に、カラ松は頷いた。 　確かに、いい大人になった男兄弟にすすんでスキンシップなど滅多にするはずもなく、弟たちにこうして触れたのも随分と久しぶりだったな……と今更ながらに思い返した。しかし、そうなれば自分はおそ松に対して、毎日のように手を握り続けて、無意識だったとはいえスキンシップを繰り返してきたことになるんだな……と考えて、途端、またも原因不明の動悸に見舞われそうになって、カラ松は思考をそこでストップさせた。 　そんな自分を誤魔化すようにしてカラ松は、目の前で嬉しそうな笑みを見せているトド松にフッとクールな笑みを作ってみせた。 「仕方がないな。甘えたがりな子猫ちゃんの為に、ここは一つこのナイスなギルトガイが」 「あ、そういうイッタイ方向性はいらないから」 　カラ松の言葉を一刀両断に、トド松が斬り捨てる。 「……え」 　にっこりと笑うトド松の迫力に押されて黙り込むしかなくなったカラ松は、そのまましばらくトド松の頬に触れ続けた。 「これからも、よろしくね」 　と、末の弟にねだられて、 「確かに、今朝の天気予報でも、また冬型の気圧配置で冷え込む日が続くと言っていたからなあ……。こんな手でもカイロ代わりになるんだったら、いいんだが…。だけど、トド松。お前そんなに冷え症だったか？　あんまりひどい冷え症なら、専門医に診てもらった方がいいと思うぞ」 　とカラ松が困ったように首を傾げた。 　トド松は笑顔を凍らせた。 「……ほんっと、カラ松兄さんてばこれだから……もうっ」 　盛大に溜息を吐かれて、カラ松はますます困り果ててしまった。 　　　　　◆ 「馬鹿だな、カラ松。それ、トド松たちお前に甘やかしてもらえて嬉しかったんだよ」 　チョロ松が肩をすくめながらそう呟いた。 　カラ松はきょとんと目を丸くする。 　平日の昼過ぎ。兄弟たちが全員外に出かけて、ひとり家に残っていたカラ松だったが、少し前にチョロ松がハローワークから帰ってきて、食卓でインスタントのコーヒーを呑んでいたカラ松を見つけて「僕にも淹れてくれない？」とねだってきて、それに対して「お安いご用だマイブラザー」とカラ松が快く了解し、三男の分もコーヒーを作って、二人でテーブルを囲んで座っていた時のことだ。 　カラ松がふと先日のトド松のことを言えば、チョロ松が苦笑しながら答えてくれたその言葉に、次男はどうにも理解できない風情だった。 「……嬉しい？」 「そう。……子供の時ならいざ知らず、大人になってからは僕たちもそうだけどカラ松だって、兄弟の頭を撫でたり手を繋いだり、とかあんまりしなくなっただろ？　まあ普通なら男兄弟でスキンシップなんてウザイだけなんだけどさ、特に構ってちゃんなおそ松兄さんの態度とか見てたらなおのことそう思うしね。……それでもやっぱり、カラ松から触れてくれるのなんて久しぶりだし、その温もりが懐かしくて嬉しかったんだと思うよ？」 「……そう、なのか？」 　チョロ松のセリフにカラ松はどうにも信じきれない様子で眉をひそめた。 「……じゃあ、そういうチョロ松も……？」 　カラ松はチョロ松の顔を見る。 　その頬にはやはり己の両手が添えられていて、他の弟同様にカイロの役目を果たしている状態に陥ってしまっている。先程コーヒーを呑み終わった時、チョロ松の方から要求してきたのだ。 「あ？　せっかくなんだから、僕だってしてもらってもいいんじゃないの？　僕もハロワから帰ってきたばかりで、顔冷たいんだしさ」 「いや…だが…」 「なんだよ？　駄目だっていうの？」 　ムッとした顔で見つめられれば、もうそれ以上は何も言えなくなるカラ松だ。どうにも弟の押しに弱い。 「カラ松の手、暖かいから、その温い手のひらに癒されるってのもあると思うし、なによりお前の手って、なんか、こう、優しいって言うか。ホッとするんだよ」 　それに、お前ってなんだかんだ弟たちに慕われてるしさ。純粋にカラ松に優しくしてもらえるのが嬉しいんだよ……と、最後に呟いたチョロ松の声はどこか照れ臭さが含まれており、ひどく小さな声音で、カラ松の耳まで届かない。 　チョロ松の冷えた両頬に手を添えて、カラ松はぼんやりと弟の顔を見つめた。 　弟たちにこうして触れても、自分は全く平常心を保てる。……甘えてくれる弟たちが珍しくて少しばかり驚いてしまうが、しかしそうされることは嫌では無く、むしろ嬉しい。 　ただ、暖かさを求められているのは今だけで、春や夏になったらまたウザイと遠ざけられちゃうんだろうなあ……と少しばかり淋しくなってしまう。 （いや、そういう辛辣な弟たちを見守るのも兄としての務めだな） 「フッ、それが愛というものだぜブラザー」 　カラ松は目をキラキラと輝かせてチョロ松を見つめた。 「……いきなり何言ってんの、お前…」 　突然に痛いセリフを言いだしたカラ松を、チョロ松が呆れた目で見つめ返す。 「──二人でなに見つめあっちゃってんの？」 　不意に第三者の声が居間に響いた。 　カラ松たちが出入り口に顔を向ければそこに長男が立ち、こちらを見つめていた。 「おそ松兄さん、今日はえらく早い帰宅だな」 「珍しいね」 　カラ松とチョロ松がおそ松に声をかければ、おそ松が「おう」と頷き、向かい合って座っている二人の傍に歩み寄って来た。 「んで？　カラ松とチョロ松は今からちゅーでもするわけ？　頬に手を添えて見つめ合って……もしかしてお邪魔しちゃったのかなーお兄ちゃん」 　からかう調子で話しかけてくる。だがその声はどこか低く、カラ松はおそ松を見上げた。機嫌が悪い……気がした。なんでだ、とカラ松が内心首を傾げる。 　パチンコでスったか、競馬でスったか。それともなにか嫌な事でもあったのか…、と少し心配になってしまったカラ松がそれを問うよりも先に、チョロ松が冷たい視線をおそ松に向けて口を開いた。 「なにふざけたこと言ってんのさ。……頬が冷えてたから、カラ松の手であっためてもらってただけだよ。弟たちがそうされてたから僕もしてもらっただけ」 「そうだぞ。カイロ代わりだ」 「……ふぅん」 　おそ松は口角を上げた。 「なら、俺にもそれしてよ、カラ松」 「……は？」 　突然の提案にカラ松がぽかんとおそ松を見上げた。 「え？　嫌なの？　弟たちには出来てお兄ちゃんには出来ないって言うの？」 　わざとらしく泣き真似をするおそ松だ。 　カラ松とチョロ松は顔を見合わせて、同時に溜息をついた。 「カラ松、僕はもういいから。そっちの構ってちゃんな長男の相手をしてあげなよ」 「…わかった」 　カラ松はチョロ松の頬から手を離し、腰を曲げてこちらに顔を寄せて来るおそ松と、向かい合った。 「ほらほら、遠慮なくどうぞー」 　と、おそ松が調子よく言いながら、こちらをじっと見つめて来る。 　カラ松はおそ松の頬へと手を伸ばした。至近距離で見つめ合って……今までもこれくらいの距離に近づいたことはあったが、その時はおそ松は眠っていたり寝ぼけていたりで、……こんな真剣に目と目が合う事など無かった……と思い出した。 　こんな距離で見つめ合い、顔に手を添えるなど……確かにおそ松がさっき言ったようにキスをする手前に見えないこともない……と意識してしまった瞬間──カラ松の動きが止まった。 （キス？　いや、違う。これはキスなんかじゃない。頬にふれるだけで……って、頬にふれるのってそもそも兄弟として有りなのか？　っていうか、違う、この手はカイロ代わりで……いや、カイロ代わりって言うのも普通しないだろう？　……いやいや、それを十四松相手にしてしまったのは俺だ。……なら、おそ松に同じことをするのもおかしな話じゃなくて…。うん…おそ松に……おそ松の顔に？　この手で……？　ふれる？） 　カラ松は無駄に長い思考をぐるぐると頭の中で巡らせる。その間、中途半端におそ松へと伸ばした腕は止まったままだ。 　カラ松の心臓がバクバクと強い鼓動を刻み始めた。 「……カラ松？」 　なかなか触れて来ない手に焦れたのか、おそ松がカラ松の名を呼ぶ。 　カラ松は咄嗟に手を引っ込めた。おそ松の視線から逃れるようにして顔を背けた。 「で……きない」 「はぁ？」 「す、すまないが兄貴。カイロ代わりならチョロ松にしてもら」 「……ぁあ？」 　カラ松の言葉は、おそ松のドスの利いた声に阻まれた。 「なに、お前。……俺には触りたくもないってか？　どういうことだよ」 　怒鳴っているわけでもないのにひどく迫力のある低い低い声が、おそ松の口から出て来る。……剣呑とも言っていいくらいの怒りに満ちた声音だ。 　その怒りの声を受けて、兄から顔を背けているカラ松の肩がビクッと震えた。 「お……おそ松兄さん、ちょっと…落ち着いて…」 　さすがにこれはやばいと察したのか、チョロ松が宥めるように口を挟むが、しかしおそ松はそれを黙殺する。 「カラ松……こっち向けよ……。嫌なら嫌で、言い訳の一つぐらいしてみせろよ」 　おそ松がカラ松の肩に手を置き、無理矢理に自分の方を向かせて……。 「……っ！？　……え…っと？　なあ、カラ松？」 　カラ松の顔を見たその一瞬で、怒気をどこかに飛ばしてしまったおそ松は、ひどく間抜けな声でカラ松の名を呼ぶ。 　こちらを向いたカラ松の表情──顔全体を羞恥で真っ赤に染め上げ、涙ぐんでしまった目元が潤んでいる。その、泣きだす一歩手前の、まるで心もとない子供のような顔。 「……なんで…、そんな顔してんのよ……？」 　その表情を目の当たりにして動揺を見せるおそ松にそう問われて、カラ松はまるで嗚咽を堪えるかのように唇を噛みしめてプルプルと震えた。 「だ、……だって……出来ないぃ」 「な、なにが？」 「おそ松に……触るの。…緊張……して……心臓、ばくばく言うし……」 「……」 「え、ええ、えええっ？　カラ松お前急に何言ってんのっ！？　さっきまでお前、僕には普通にふれてただろ！？」 　無言になった長男とは対照的に、チョロ松が呆然と目を見開いて叫んだ。 　カラ松の言葉は続く。 「……チョロ松たちの顔なら平気でさわれるのに……おそ松だけは……平気じゃなくなってしまったみたいだ…。この間までは手だって普通に握れていたのに、……今だって本当は手を繋ぎたいし、繋いでほしいのに……出来なくなったんだ……。触れたくないわけじゃないのに、どうしてか緊張して、胸は痛むし、心臓の鼓動激しいし……体温上がるし…頭ン中沸騰するくらいワケわかんなくなるし……恥ずかしいしなんか切ないし……なんでだ？　俺だって、おそ松に触りたいのに……」 「……ま、待ってカラ松……それって……つまり」 　おそ松兄さんのこと好きって言ってるも同然じゃないか、て言うか、この言い様だと自分がおそ松に惚れていると気付いているのかいないのか……いや、後者だな…とチョロ松が額に冷や汗を浮かべながらカラ松を見て、それから恐る恐ると言った具合に、無言になったままカラ松の言葉を聞いているおそ松の反応を窺うため、そぉっと振り仰いでみれば……。 「……うわぁ…」 　思わず、チョロ松は引いた声音を出してしまう。 　窺い見たおそ松の顔もいつの間にか赤く染まってしまっていた。 　己と似たような顔の兄二人が、顔を赤く染めて見つめ合っている姿など……あまり見ていて楽しいものじゃない。 「…っ。ああっ！　もぉぉっ！！」 　おそ松が急に叫んだ。 　カラ松は再びビクッと身を震わせた。 　その手を、おそ松は強引に掴む。 「えっ！？」 　突然のことに反応できないカラ松を椅子から立たせ、おそ松はチョロ松を見た。 「チョロ松、お前、これからしばらくは二階に上がって来るの禁止な。一松や十四松、トド松が帰ってきても、そう言っておいてよ。俺、これからカラ松をデロッデロに甘やかすからさ」 「おいっ！　家の中でいかがわしいことだけはすんなよっ！」 　チョロ松の言葉を受けて、おそ松はニヤリと笑う。 「うわぉ、チョロ松くんてばナニを想像してんの？　ヤラシーの」 　どこか得意げにも見えるその顔に、チョロ松が額に血管を浮かばせた。 「てめぇの口調がヤラシイからだろっ！」 「勝手に誤解すんな、ばーか。健全だっての。けんっぜんっに、甘やかすだけだよ」 「なに言ってるんだ、二人とも？」 　戸惑っているカラ松を、おそ松が半ばかどわかす様にして二階へと連れ去って行く。 「……なんだよ……あいつら。付き合う前からバカップルかよ…」 　あいつら両想いってやつなのか？　と食卓に一人残ったチョロ松の口からハハハと乾いた笑いが洩れる。おそ松のあの様子ならば奴はカラ松に惚れているのは確実で……、その一方で、カラ松はと言えば、どうも自分の気持ちにはっきりとは気付いていないみたいだが、しかしあの兄の手にかかればもう落ちたも同然だろう。……あーあ、ついに兄弟にホモが発生しちゃったよ、と途方に暮れた。 　まぁ、だがしかし、頭ごなしに反対する気もない。もともと己たちはニートでクズで、今更そこにホモと近親相姦が加わってしまったからどうだというのだ…とあっさりと許容してしまえる自分も大概クズだなあ…とチョロ松は苦笑してしまう。 　とにかくクズだろうがなんだろうが、おそ松もカラ松も大事な家族だ。兄弟が幸せにあろうとするのなら、茨の道だろうと見守ってやるしかないだろう…と腹をくくり、ふと気付く。 　……自分は、兄弟間ホモだろうがもう勝手にやってよという悟りに近い心境にこの短い時間でよくぞ見事に辿り着いたわけだが、残る弟たちはどうだろう……と考えて……。 「あー、これヤバいかもしんないよな」 　と、手のひらで目を覆った。 　十四松はいいとして、カラ松に対して拗らせたブラコンを抱いている一松やトド松が知ったら、どうなるのかなあ……と少しうんざりと溜息を吐く。 　血を見るのだけは勘弁、と小さく呟いた。 　　　　　◆ 　二階の自室に入るなり、おそ松はソファに腰かけて、その膝の上にカラ松を対面で座らせた。 「お、おそ松？」 　カラ松は真っ赤な顔で呟いた。 　兄の膝の上に座って…少しばかりおそ松よりも目線が上になったカラ松は、にこにこと笑っているおそ松と視線を合わせつつも、どういう反応をしていいのか分からず困り果ててしまっていた。 「んー？　ああ、手を繋ぎたかった？」 　と、おそ松は微笑み、カラ松の両手を取ると、己の両手で優しく包み込んだ。 「ほら、いっぱい触っていいよ？」 「おそ松……いや、あの……」 「俺に触りたかったんでしょ？」 「そ……だけど……これ、無理だ」 　向かい合って兄の膝に乗せられて、手を握られて……と、ますます顔を赤くしてカラ松は項垂れる。 「緊張しちゃうから？」 「緊張…するし……心臓……辛い」 　おそ松がその言葉に反応して、カラ松の胸元に耳を寄せた。 「あー、ホントすげぇバックバク言ってんね…」 「だ、だから離して…くれ…」 「えぇー、やだー」 　今も胸元に顔を寄せられ、そこで囁かれたカラ松はますます鼓動が早まるのを自覚してしまう。 　このままだと心臓が破裂して死んでしまいそうだ。 　いやこれは本当に死ぬだろう。それくらい、日常レベルとかけ離れた鼓動の早さだ。思わず目尻に涙が浮かんでしまう。 「おそ松ぅ……俺死にたくないよぉ」 「はぁ？」 　突然の言葉におそ松が目を丸くする。 「なんでいきなりそんな言葉が出て来るワケ？」 「だって……心臓…これ以上早くなったら、きっと死ぬ……」 　顔を真っ赤にして、鼻をぐずらせながらカラ松が呟く。 「……あー、ヤバイ。ホント、ヤバイ」 　カラ松の必死な表情を見たおそ松が、目元を赤らめてそれを隠す様に再びカラ松の胸元に顔を埋め、グリグリと額を擦りつけた。 「やばい？　やっぱり、死んじゃうのか、俺」 「違う。…可愛過ぎて、俺がヤバいっつってんの。ホント、どうしてくれるの？　俺のことこんな体にしてくれちゃって。前までは……気持ち隠して、普通に接することなんて当たり前に出来てたのに……今はもうそれ出来なくなっちゃってるよ…」 「……は？　ど、どういう意味だ？」 　きょとんとするカラ松に、おそ松は少しばかり恨みがましい目を向けた。 「ここ最近、カラ松くんてば、毎日のように、可愛らしく手ぇ繋いできて俺に甘え続けたくせに、いきなり卒業とか言い出すし。……唐突に与えられるようになった甘味に慣れた頃に、これまた唐突に与えられなくなった人のその絶望感て想像できる？」 　はぁぁ…と深い溜息がおそ松の口から洩れる。 「……ここ何日か、カラ松と触れ合えなくって本気で辛かったんだけど、お兄ちゃん……。出来るだけお前を見ないように、外出を続けて…でも、この手にはお前の手のひらの感触が残ってて……すげぇ、苦しくなってさあ…。もう……困るよ。カラ松、お前が足りなくて……足りなくて……そろそろヤバかった。……なのにお前は弟たちとイチャイチャしやがって、しかも俺にはふれないってどんなプレイよ、俺のこと翻弄しちゃって煽ってどうしたいワケって、さっき、本当に腹が立ったけど……」 　カラ松は勢いよく首を横に振る。 「違うっ！　俺、弟とイチャイチャとか…おそ松を翻弄、とか…そんなことしたつもりなんて、全然……」 「あー、うん。分かってるよ。お前はお前でいっぱいいっぱいだったんだもんね。……無自覚だったのがようやく自覚できた所だったんだし？　俺にふれたいけど、ふれられなかったし？　恥ずかしくて、緊張して、心臓バクバク言って、大変だったんだもんな？　……カラ松くんは鈍感だもんね、仕方ないよなあ」 「……なんか、貶されてる気がする」 「……まさかあ。そういうのがカラ松だもん」 　ニブチンで、純粋で、クズなのがお前だもんなー、とおそ松が続ける。 　やはり貶されている気がしてならない。 　おそ松の両手で包まれていたカラ松の両手は、いつの間にか、片手ずつそれぞれ恋人繋ぎのように指をからめて繋がれていた。 　その繋いでいる手が、熱い。 　常日頃の心地良いあたたかさを通りこして、もう発熱しているんじゃないかと思うくらいだ。 「おそ松の手、いつもよりずっと熱いぞ」 「何言ってんの。お互いさまでしょ」 　にへら、とおそ松が笑う。 　その笑みを見るのは随分と久しぶりな気がして、カラ松もへにゃりと笑った。 「あー、もう」 　おそ松がこらえきれないと言った具合に唸り、繋いでいた両手を外すとその腕をカラ松の腰にまわして、思いきり抱きしめた。 「これ以上俺を骨抜きにしないでよ……」 　抱きしめられて、触れ合う体からおそ松の鼓動を感じて、カラ松はそれに耳を傾けた。 　それは自分のものと変わることなく、早くて……。 　それが嬉しくて……愛しい。 　己の中に生まれたその感情に、ああそうか…とカラ松はあっさりと納得する。 　おそ松が愛しいのだ、と。その想いが胸に溢れて、カラ松はうっとりとおそ松の首筋に顔を埋めた。 　しばらくそのままおそ松に抱きしめられていて、ふとカラ松は気付いた。すん、と鼻を鳴らして、おや、と首を傾げた。 　いつも呆れるほどの量の煙草を吸っているはずのおそ松から、何故かその匂いがしなくなっていた。 「おそ松……煙草の匂いが、しなくなってるぞ…？」 「あー、ああ、分かっちゃった？　まあねぇ。今は、それよりもひどい中毒に陥っちゃったから、そんなにタバコ吸いたいとも思わなくなったんだよねぇ」 「えっ！？　煙草が切れたらすぐに買いに行かないと落ち着かなかったお前が…！？　こ、今度はなんの中毒なんだ。おそ松、大丈夫なのか…？」 　焦るカラ松に反して、当の本人のおそ松はのんびりと答えた。 「うーん、どうかなー。でもカラ松の協力があれば、乗り越えられるかなあ」 「俺でよかったらどれだけでも協力するぞ」 「そ？　じゃあ覚悟しといてね？」 　おそ松は笑った。 「あのな、一度与えられた甘さを忘れるなんてそんな簡単に出来るもんじゃねぇの」 　カラ松の耳元に唇を寄せて、それが耳朶に触れるか触れないかの距離で、おそ松は甘く掠れた声でそっと囁く。 「だからこれから先もずっと与えて続けてくれないと、中毒症状が出ると思うから。そこんところ、よろしくね、カラ松」

いずれ、甘く溶けたお前を食べようと思います。<br /><br />無意識におそ松に甘えてしまうのが癖になったカラ松の物語。<br />捏造があろうがなんでも大丈夫な人に限ります。<br /><br />（3/4追記）<br />ブクマ、ブクマコメント、タグの追加、コメント等々。皆様、ありがとうございます！　幸せです。

【おそカラ】糖分中毒につき、時折激しい禁断症状が現れるので

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6461334#1

松野おそ松という男は 会社でたった１人の同期で、 悔しいぐらいに仕事ができて、 愛嬌が良いが調子も良くいつも飄々としていて。 絶対に敵に回したくない底知れさと 隣に居ればなんでもできる気がしてくる不思議な男だった。 彼に関して単純に好き嫌いで問われれば、憎からず思っている。 いや、一人の人間としてはきっと「好き」な類のだろう。 そうでなければ決して人付き合いが得意でない上、 何かと気難しい自分がコンビとして仕事なんてできていなかったと思う。 迷惑を掛けられたこともあったし 逆に迷惑を掛けたこともあった。 もう二度とこいつと仕事なんてするものか！と思ったことも数え切れないほどあったけれど、 結局コンビを解散したのはそんな感情的な理由ではなく 会社の状況と自分のキャリアを見越したわりと理性的な判断であり、 決しておそ松と一緒に仕事をするのが嫌になったわけではなく むしろ長年慣れ親しんできた環境に後ろ髪を引かれる思いの方が強かった。 （ああ、でも引き止められはしなかったんだよな……） 総務部への異動願いを出した事を俺はおそ松には言わなかった。 正確にはなかなか言い出せなくて 俺が伝えるよりも先に他から伝わってしまった…というのが本当のところで。 だが名目上とはいえ上司の立場にあったおそ松はそれについては何も咎めず、 一言『これ、本気なの？』とだけ聞いた。 夕陽が差し込む会議室、 まだ社内の一部の人間にしか出回っていなかった 総務部新設に関する書類をぺらりと差し出して。 その時、あいつがどんな顔をしていたか逆光のせいでよく覚えてはいない。 というよりもきっと俺がちゃんと顔を見られなかったのだと思う。 長年コンビを組んできた相棒を裏切ってしまったような罪悪感と 自分の口で伝えられなかった情けなさが相まって、 ようやく口にできたのは『ごめん、』という謝罪だけで おそ松はほんの少し黙った後『そっか。』とだけ言って書類を胸ポケットに戻した。 異動希望の理由を問われれば どうしてもおそ松への劣等感のようなものを隠し切る自信がなかった俺にとって それ以上何か追及されなかったのは有難いことであり、 またほんの少し寂しくもあった。 しかし必要以上に何も聞かず、引き止めることもしなかったおそ松の態度は まだ俺の中に残っていた迷いを打ち切り、 結果として背中を後押しされる形となったのも事実で。 計算されたうえでそうなったのか、 はたまた偶然そうなったのかは今となっては分からないが、 こう言った時のおそ松の判断は往々にして正しくなることを知っていた俺は きっとこれが正しかったのだろうと思えたし、 事実会社の現状を顧みても自信を持って正しかったと言えた。 自分ができないことを平然とやってのけるこの男に 羨望や尊敬に近い思いを持っていることは否定しない。 信用はできないが信頼はできる男。 ただそれはあくまで会社での同僚としての人間関係なわけで こうして会社を離れ、 松野おそ松という男を一人の人間として意識した時どうなるかというと またそれは違うだろうとは思っていた。 けれど昨日、酔っぱらっていたとはいえその男に 自分から抱き着いたというのは紛れもない事実であり、 一応物心ついてから恋愛対象は女性だった自分にとってはそれ自体が衝撃であったし、 ましてや付き合いも長く気心知れた相手とはいえ、 いやそんな相手だからこそよりによっておそ松に抱き着いた… という事実が自分自身でショックだった。 決して恋愛感情が高じて抱き着いたわけではない、それは明白だった。 ただ恋愛要素を伴うことがある行為ということは理解しているし、 そもそも潔癖症の気がある自分に限って 好意を持っていない人間には抱き着いたりはしないと思う。 とした時に、 『自分は松野おそ松に好意は持っている。』 は一旦確定事項として置いておいて、 では 『松野おそ松に恋愛感情を持っているか？』 という疑問が浮上してしまったわけで。 「……どしたのチョロ松？ 　俺なんか顔についてる？」 「えっ…あ、な、なんでもないけどっ？」 その声で無意識におそ松の顔を見つめていたことに気が付いて 慌てて目を反らしたものの思わず声が裏返る。 「なーにおそ松さんに見惚れちゃったぁ？ 　いや普段も格好いいけど、眼鏡姿もなかなかだろー？」 にやーっと笑った顔は悪戯小僧のそれで。 黒ぶち眼鏡を掛けた顔は確かに似合っているようにも見えたが どちらかというといつもとのギャップ…という意味合いが強く思えた。 「言ってろよバーカ。 　……どうでもいいけど俺のなんだから気を付けて扱えよな。」 「はいはいーっと。」 眼鏡をひょいと人差し指でかけ直し、 縁石の上をピーコートの背中がぴょんぴょんと飛び跳ねてゆく。 あの後、クローゼットからおそ松の私服をひっくり返し なるべく会社でのイメージと違う服を模索した結果 おそ松は優等生ぶった白いセーターにチャコールグレーのピーコート。 俺は借りていたジーパンと赤いパーカーはそのまま 下に着ていたパジャマの代わりに白いシャツを借り、上に黒っぽいブルゾン、 さらにニット帽を被らされていた。 普段カジュアルな格好にはとことん縁がないもので 確かにこれは他人が見たらどころか自分自身でも違和感がある。 ついでに出かけ間際玄関の姿見を見ながら いまいちパンチが足りないなぁとかなんとか言っていたおそ松から 「あ、そうだこれかーして♪」と眼鏡を奪われてしまったので余計に落ち着かない。 度は入っていない伊達眼鏡ではあったが 会社で掛けるようにしてからそれが普通になってしまったというか、 一枚レンズを隔てるだけで人から一歩引いた距離感を得られる気がして 心理的にも安心するアイテムになっていた為に 突然なくなってしまうと心もとない気がする。 （なんか調子狂うよなぁ……） ふわふわと頭に触れて落ち着かないニット帽をぐいと被り直す。 考えれば帽子なんても社会人になってから被ることもなかった。 腕の時計を見ると午前11時、 ようやく上りきりそうな太陽が寒空を柔らかく温めて コートのポケットからなんとか手が出させるぐらいの冬の陽気。 他人の家で迎えた朝だからなのか、 知らない街を歩いているからなのか、 それとも前を歩く男のせいなのか何だか頭も身体もフワフワしていて、 まるで夢みたいに穏やかな朝の光景を ぼんやりとピーコートの背中を追い掛けるように歩く。 （こいつはどう思ってるんだろ……） 酔っぱらった男に抱き着かれたわけではあるが 今朝から様子を見る限り特におかしな様子はないし、 ドン引きされている様子もない。 俺がキスされたとかそんなことをなかったこととして対応しようとしたように こいつもなかったこととして対応してくれている… というのが一番可能性としては高いように思えた。 （まったく優しいことで……） 自分がなんであんな行動に出たのかよく分からなかったけれど、 たぶんあの泣きそうな顔をどうにかしてやりたい… という一心だったような気がした。 あの時あの顔にできる精一杯がそれだったというだけで、 それが同僚としての範疇を超えていた…と言われれば間違いなくそうだろう。 けれど同僚とかそういうことではなく ただ一人の人間として、あいつにあんな顔をして欲しくなくて。 それがおかしいかおかしくないかは正直言って良く分からない。 ただ相手からしてみれば迷惑極まりない酔っぱらいの戯れに他ならないだろうし だったらいっそ朝一笑い飛ばしてくれた方が楽だった気もしたが そこはそれ、大人の対応というやつなのだろう。 （そもそもなんであんな泣きそうな顔してたんだか……） ぼんやりと思い返したのは 『いいだろ、どうぜ忘れちゃうんだからさ。』 という声。 その言葉は他ならぬ、俺が記憶を飛ばすことを揶揄していて。 （やっぱり、そのことを怒ってたんだろうな……） ふと顔を上げると視線の先でおそ松の背中がぴたりと立ち止まっていて。 こちらをくるりと振り返ると 後ろから歩いてくる俺の方をまじまじと見遣った。 「……え、なに？」 「んー？別にー。 　なんかチョロ松が俺の服着て歩いてるなーと思って。」 へへーっと子供みたいに頬を緩める顔に なんだかこちらが気恥ずかしくなると同時、 ああ今は楽しそうだなぁとほんの少し安心する。 「着てるなーって、着せたんだろ？お前が。」 「まぁそうなんだけどさぁ。 　でもお前細そうじゃん、ジーパンとか大丈夫だったの？」 「ウエストだけ緩かったからベルト無理やり締めてるぐらいで他は大丈夫。 　あ、あと裾はちょっと折った。ちょっとカチンと来たけど。」 「えっつまり俺の方が脚長いってこと？ 　なんだよ照れるなぁー」 照れくさそうに鼻の下を擦る顔をハイハイと流しながら追い抜くと にやにやしたままおそ松の背中がひょいと隣に並ぶ。 「ま、ワイシャツも俺の方が手が長かったしなー 　足の長いのは仕方ないって。」 「バーカ、手の長さは一緒。 　お前の方が首が太かったんだろ、確か。」 「えーそうだっけ？」 「絶対そうだったって。 　なんか店員と学生時代スポーツやってたとかどうだったとかそんな話してただろ。」 「よく覚えてるね、お前。」 「……だってなんか悔しかったし。 　身長は一緒なのにお前の方が体格がいいって言われてるみたいでさ。」 「え、でもお前の方が細いっしょ？」 「…………………。」 「…………………。」 歩きながらちらりとお互いの上半身を見遣る。 「なに気にしてんの？細いこと。」 「……男が細いって言われても全然嬉しくないでしょ。」 「そ？良いと思うけど。」 「いや一応鍛えてみようかなーとか考えたこともないわけじゃないんだけどさ。 　これから年取って新陳代謝も悪くなっていくし、 　今のうちに筋力つけておこうかなーとか 　でもまぁ結局やらずじまいだけどさ……」 「そんな気にすんなよ、ヒョロ松。」 「お前ぶっ殺すぞ……？」 「あっははは、悪い悪い。 　あーでもお前あれだからな、軽い方が酔いつぶれて運ぶとき楽だから。 　鍛えたり太ったりするときは俺に言ってからなー。」 「あ、はい……。」 ガックリとうなだれる俺の隣でおそ松はしたり顔のまま、 ようやく到着したショッピングセンターの外通路を抜けて自動ドアをくぐる。 駅とは反対側の入り口から入ったせいかそこは地元住民向けのエリアらしく 入口すぐ横は大きなスーパー、 そしてその反対側にはこれまた大きなホームセンターの看板が掛かっていた。 「鍋とかフライパン探すならこのホームセンターかなー。 　上にもっと洒落た海外製の鍋の店もあるけど 　そんな良いの買っても使いこなせないし。」 「うんここで十分じゃない？ 　あーゆーのって良いとは思うけど重いからなかなか使うの大変だし…… 　あ、でもいきなり大物買うと重くない？ 　とりあえず今日の夕飯作るならフライパンひとつあれば十分だけど、 　お前ついでに鍋とか買うだろ？」 「あーできれば買いてーなー。　 　今日このタイミングで買わないといつ買うか分からねぇし。」 「じゃあ後回しにする？ 　先に小物買ってきて最後に戻ってくる感じ？」 「あ、でもちょっと待った。 　確かここ宅配サービスあるはずだわ。 　ちょっと聞いてくるから先にフライパン見てて。」 「おー。」 気持ち急ぎ足でサービスカウンターの方へ歩いてゆくおそ松を見送り、 とりあえず看板横の店内フロアマップを眺める。 このショッピングセンターの1Ｆ、約1/4を占めているらしい店内には 雑貨、文具、洗濯用品、工具、DIY用品、園芸用品、さらにはペットコーナーまで たいていのものは揃っているように見えた。 （さすが再開発地区の中核、 　敷地も広けりゃ規模もでかいなぁ……） ふーんと鼻先で眺めることしばし、 現在地から右手奥の方にキッチン用品の文字を見つけるとそちらのほうへ歩いてゆく。 広い通路と大きな棚の並んだ店内は明るく歩きやすかったが 土曜の午前中ということもあるせいか人足はまばら、 時折見掛けるのもおそらくこの近くに住んでいるであろう家族連れがほとんどだった。 小さな子供を連れた俺達より少し上の年代の両親や あるいはもう少し年配の夫婦、 そして新婚らしき若い夫婦。 （こんな地価急上昇の再開発地域に住んでるって 　よっぽど給料いいんだろうなー。 　まぁそれを言ったらおそ松もそうなんだろうけどさ…… 　営業部なんて業績うなぎ登りだからボーナスもいいだろうし。） そんなことをちらりと邪推してしまいながら、 キッチン用品売り場と書かれたプラカードが下がる棚を曲がる。 包丁、まな板、ボウル、鍋…… そしてその隣に掛かったフライパンコーナーで立ち止まると ズラリとならぶ大小様々な商品とそれに貼られた謳い文句をぼんやり眺める。 26cm、28cm…テフロン加工、鉄鍋…… （どうせおそ松のことだからそんな凝った料理は作らないだろうし、 　そこまで頻度も高くないだろうし、 　重くて丈夫なやつより軽くて使いやすい方がいいかなぁ…… 　あいつ雑っぽいからコンロに跳ねないように深めのやつ、 　そしたらちょっと汁物系とか煮るとかにも使えるし……） フックに掛けられたフライパンを手に取り ひょいひょいと片手で振ってみて。 と、棚の横の通路をさっき見た新婚らしき夫婦が歩いてゆくのが見える。 （あれ……？） その仲睦まじい様子に一瞬過る違和感。 （もしかして男２人でホームセンターって、変……？） 仮に一人ならば独身男が普通に生活用品を買いに来たように思われるだろうが 鍋とフライパンを買いに？ 男が２人きりで？ 「どしたの、チョロ松。」 「うおおおおおおおおおおおっ？？？」 ビックリして飛びのいた視線の先に立っていたのはおそ松で、 眼鏡の奥の瞳が訝しげにこちらを見ていて。 「……どしたの？」 「い、いや、こっちの話……。」 「そう？」 大した気にもしていないように返事をして、 手に持った紙には宅配サービスのご案内の文字が並んでいた。 「やっぱここ宅配サービスあったわ。 　5000円以上で無料で今日中に届けてくれるってさ。 　12時までにレジ通せば午後便に間に合うって。」 「あーそうなんだ。 　じゃあ鍋も買う？」 「うん、買っちゃう。 　ちょっと俺カート持ってくるからチョロ松選んでよ。」 「いいけど、何か希望は？」 「おまかせー。」 そう言ってまた小走りに行ってしまう背中を見送る。 （おまかせねぇ…… 　興味がないのか、信頼されてるのか。 　まぁあいつのことだから大した意味はないんだろうけどさ……） 頬をカリ…と掻いてもう一度棚を見上げる。 （フライパン…とりあえずそこそこの大きさと、 　あとは鍋、小さいのと大きいのと？ 　んーでも圧力鍋も来るわけだしなぁ……） と、端の一番下に置かれた鍋が積み重なっているセットが目に入る。 ハンドルがひとつだけ付いていて鍋に付け替えられるタイプのそれは 昔からある定番の製品。 （あーこれ昔迷ったんだんだよな。 　確かにコンロが多いとハンドルがごちゃごちゃするし、 　これはこれでいいのかもなー。） ひょいとしゃがみ込み、横にあったセットの箱を手に取る。 （ふーん、蓋すればそのまま冷蔵庫に入るんだ…… 　確かにハンドルがないからスペース取らないし…… 　フライパンはハンドル別……） ふんふんと説明を読んでいると 向こうからガラガラとカートの音が聞こえきて、 顔を上げるとおそ松が満面の笑みを浮かべてこちらに歩いてくるところだった。 「なー見て見て！」 バッと広げたのは黒いエプロン。 「……なにそれ。」 「ほら、緑の猫！可愛くねぇ？」 トントン！と指さした胸のところには確かに 緑色で猫がプリントされていた。 「ほらお前猫好きじゃん。 　えーとなんだっけあの猫耳の……レイカ？」 「レイカじゃねぇって何度言ったら分かるんだよっ？ 　にゃーちゃんな、にゃーちゃん。」 「そうそうそれそれ。 　いいだろ猫。はい、じゃあこれ買いまーす。」 言いながらひょいとカートに入れて。 「え、ちょっと待って買うの？」 「うん。」 「まさかとは思うけど俺がするの？それ。」 「だって今日夕飯作ってもらうじゃん？ 　エプロン必要じゃん。」 「……う、うーん？」 まぁ確かに借りた服を汚してしまうのもあれだし 正直エプロンがあればあるで有難いのだが。 （大の男に猫のエプロンさせるか……？） ちらりと見るとおそ松はなんだかご機嫌で、 どうやらからかって笑ってやろういう悪意というよりかは 単純に楽しんでいるように見えた。 （まぁ楽しそうならいいか……？） なんだか雰囲気に流されているような気もしたが どうせこいつの金だしなぁと思いながら溜飲を下げていると おそ松がカートにもたれ掛りながらひょいとこちらを覗き込む。 「で、なんかいいのあった？」 「あーうん、これなんてどう？ 　鍋のハンドルが付け替えられるやつ。 　お前のところコンロ３つだろ？ 　鍋だなんだ置くとハンドルがごちゃごちゃするから。」 「チョロ松は使ったことあるの？」 「いや、でも前にだいぶ迷ったんだよね。 　でもこれセットで買わないとあんまり意味ないし、 　俺もう鍋持ってて買い換えるには早かったし…… 　はい、ちょっと持ってみて。」 「ん。」 サンプルで置いてあった鍋を渡しながら立ち上がり、 ハンドルの脇のボタンを片手で掴む。 「ちゃんと持ってろよ？ 　で、ここのボタンを両側から押して……こう。」 「おお！外れた！すげぇ。」 カチャン、と音を立てて外れるハンドルに おそ松がぱっと顔を輝かせる。 「付ける時はこうやってこの金具の隙間に鍋を挟んで……」 「……あ、ついたついた。 　へー慣れればわりと簡単そうじゃん。 　片手で取り外せるのはいいなー。」 「そうそう、コンロの上が空いていいと思うんだよね。 　あと冷蔵庫とかに仕舞う時もハンドルが邪魔にならなくていいかなって。」 「フーン…じゃあこれにすっかなー。」 「うん、良かったら教えてよ。 　そしたら俺も買い換えよっと。 　うちコンロ２つなんだけどそれでもなんかごちゃついてさー。」 言いながらサンプルの鍋を棚に戻し、 商品の方の箱を手に取って。 「あ、鍋２つセットでいい？ 　それともフライパンもセットになったやつ？ 　あーでもフライパンはもうちょっと底が深い方がいいかもな…… 　お前色々こぼしそうだし。」 「お、あったりー。 　よく分かってるねーさすがチョロちゃん♪　 　たまに炒飯とか作るとコンロがすげーことになるのって。」 「……力いっぱい混ぜすぎなんだろ、それ。」 「でもほら炒飯は勢いよく混ぜたほうが良いって言わねぇ？」 「そりゃあ中華鍋とかあるならそうだろうけど…… 　とりえあずこれは鍋２つセットね、大きいのと小さいの。 　色、赤と青があるけど……赤？」 「赤！とーぜん！」 にやりと笑った顔が何故か得意げに答える。 「お前本当赤好きだよなー。 　なんなの、ラッキーカラー？」 「んーそんなとこ。 　お前だって緑好きじゃん。あれは意味あるの？」 「うーんなんとなく？かな…… 　意識的に集めたわけじゃなく気が付いたら緑が集まってたというか…… 　大した意味はないよ。」 鍋セットの箱を渡し、 そのままおそ松がひょいとカートの中に入れる。 「フライパンは？そっち？ 　どうせなら赤で揃えてーなー。」 「んーならこれかな。 　そこそこ軽いし、深さもあるし、蓋もついているし……」 「蓋って必要？」 「え、蒸したりしない？」 「……蒸す？」 「お前本っ当料理しないんだな…… 　まぁせっかく付いてるし、使ってみろよ。」 「おー。」 適当に返事をする顔にフライパンを渡して。 「えーとあとはフライ返しとおたまと…… 　あ、あとは包丁だ包丁！確か棚の裏にあったな。」 ひょいと通路に顔を出して回り込もうとしたその時だった。 通路の向こう、入口の方から歩いて来る２人の人影が目に入って一瞬立ち止まる。 （え……？） 視界に正確に捉えられたわけではないが それは勘にも似た嫌な予感。 黒い革ジャンにサングラスという若干イタい… もとい目立ちすぎる風貌の男と その隣を歩く白いシャツにピンク色のハーフパンツの どこか中性的な男。 （え、あれ、なんであの２人……） そう思ってはたと思い出す。 確か先月だったろうか、駅近くにマンションを借りたと言っていた。 徒歩で会社に通えるからだいぶ通勤が楽にとかなんとか―― （うわあああああああ～～～～～忘れてたっ！） 慌てて引き返そうと振り返った瞬間 ドン…ッと背中にカートが当たる。 「……なに、どしたの？」 「（ちょ、いいから戻れ……！）」 「ん？誰か居た？」 こちらの表情と小声で状況を理解したのか おそ松はぐいと俺の手を引くとそのまま隣に並ばせる。 「（いいから、ちょっと伏目がちでゆっくり歩け。）」 「（え……？）」 戸惑いながらもその強い口調に言われた通りおそ松の隣を歩く。 徐々に近づいて来る２人と向かい合わせになるような形で少し歩き、 そのままゆっくりと棚を回り込むように細い通路に入る。 「（しゃがんで、下の商品見て。）」 「（お、おう……）」 指示されるまましゃがみ込み、 とりあえず手近にあったまな板を引き出す隣で おそ松は通路側から俺を隠すようにカートを置くとさらに自分がその手前に立った。 コツコツコツ…と徐々に近寄ってくる革靴の音。 おそ松はほんの少し意識を通路側に向けていたが ひょいとこちらを見下ろすと パクパク、と口を動かした。 （フ・ー・ド・の・な・か？） ハッ…として背中、パーカーのフードに手を回す。 ごそごそと手探りで漁って出てきたのは 黄色いアヒル型のスポンジで。 「……なにこれ。」 「かわいーっしょ？さっき見つけたの。」 「なっ…バカっ！お前こんな時に……！」 「だいじょぶだいじょうぶ、 　だってほら、もう行っちゃったもん♪」 ちょいちょいと通路の向こうを指さされて見ると いつの間にか２人が通り過ぎたのに気が付く。 慌てておそ松に向き直ると「まぁまぁ」と笑いながらかぶりをふった。 「だってチョロちゃんガッチガチだったし、 　向こうのこと意識しまくりだったしさぁー。 　グラサンはともかくピンクちゃんの方はちょっと気にしてたみたいだし。 　なに、どっちが知り合い？」 「……ピンクの方。 　あれ経理の松野だよ、知らないっけ？中途採用で年は俺らと同じ。 　先々月やめたけど。」 「経理ぃ…？ 　あーそう言われると確かにそんな奴がいたような？」 「まぁそのあたりの事務処理は俺がやってたしな。 　その流れで今もうちに丸投げだし。」 言いながらポンポン…とジーパンの裾を叩きながら立ち上がる。 「あの二人どっち歩いて行った？」 「あーペットコーナーの方だけど、 　たぶんこれから映画見るんじゃねぇの？」 「……なんで分かるんだよ。」 「スマホと一緒に手に前売り券っぽいの持ってたし、 　この奥に映画館フロアの直通エレベータあるし。」 「お前、相変わらずよく見てんのな……。」 「でっしょー♪もっと褒めて褒めて♪」 「はいはい、いいこいいこー。」 にやにやする顔を軽く小突いて。 ふと手を開くと黄色いアヒルがぎゅう…と握りしめられて 苦しそうにしていた。 長年一緒に仕事をしていて 自分ができないことを平然とやってのけるこの男に 羨望や尊敬に近い思いを持っていることは否定するつもりはなかった。 ただそれはあくまで会社での同僚としての人間関係なわけで こうして会社を離れ、 松野おそ松という男を一人の人間として意識した時どうなるかというと またそれは違うだろうと―― （そう、思ってたんだけどな……） ほんの少し悔しくなりながら、 俺は小さく下唇を噛むと 手のひらのアヒルをそのままカートの中に放りんだのだった。

ゆるゆると続いております。<br />同期入社で昔営業コンビを組んでいて、今は同僚のおそチョロリーマンパロ。<br />朝起きたら営業部長のベッドに寝てた総務部長のお話。<br />２人でお買い物編です。<br />前≫その３：<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6432880">novel/6432880</a></strong><br />次≫その５：<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6472294">novel/6472294</a></strong><br /><br /><span style="color:#7f7f7f;">2016/2/25追記<br />評価・ブクマ・コメントありがとうございます。元気を頂いております…！<br />おそチョロ温かい…もう一緒にお風呂入って…(松野家のバスタブに)(長男と三男で）<br />[小説] デイリーランキング 2/24 [49位] → 2/25 [47位] <br />[小説] 女子に人気ランキング 2/24 [31位]<br />にお邪魔させて頂きましたありがとうございました。</span>

【おそチョロ】君と朝ごはん４。【リーマンパロ】

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マフィア松のお題連載より。 松野が出演しているドラマのような軽い気持ちでご覧ください。 以下簡易設定。詳しい設定はキャプション 長男 ボスで少数精鋭派マフィア。何でもできるぞ。つよいぞ。 次男 NO,2.二丁拳銃だぞ。強いぞ。参謀もやるぞ。 三男 ボスの側近だぞ。金属アレルギーだぞ。日本刀で戦うぞ。居合だぞ。 四男 猫並みの五感。スナイパーだぞ。武器はヘカート。 五男 すげー元気。格闘めちゃ強い。 末弟 サイバー攻撃とかトラップ作成、指示もするぞ。 弟松が昔マフィアに襲われた際に、それぞれトラウマを植え付けられています。 勉強不足な面がありますがそっとながしてやってください。 おｋな方は次ページからどうぞ。 [newpage] いつもどおりの前線作戦、狙いは敵の敵対組織のボスの首だ。 ただ今回は少し異例でいつもはおそ松の隣から離れないチョロ松も前線に立っていた。理由としては敵のアジトがデカくたった４人では万が一の時に対応できないと踏んだからだ。(まぁもう一人接近戦ができる人物がほしかったというのもあるが)いつもは「降伏するなら命は取らない」というのがうちのファミリーのモットーだが、今回ばかりはそうはいかない。 つぶして、暴いて、おそ松が直々に殺してやるんだ。 なぜ俺たちがこんなにこだわるのか理由は簡単だ。今回見つけたこの組織が俺たちにとっての最悪の一日である「あの日」の原因組織の派生グループなのだ。 大まかな作戦の解説をすると、俺とチョロ松、一松と十四松、そしてトド松に分かれて行われる連携作戦だ。最終的には全員最上階でふんぞり返っているボスの所へたどり着くようにできている。 「フッ…お前の鮮血の領域への回帰、、。俺は楽しみにしていた」 「いや普通に戦闘って言ってくれる？」 戦闘開始時。まるで故郷のビルを思わせる縦長の施設の正面入り口に俺たちはいた。いかにも襲いにきてますよ感を出すというのが今回の二人の最大の任務である。もちろん敵の残滅も然りだ。トド松の話によれば敵のメインコンピューター室。そこで全セキュリティの管理が行われているらしい。全四階立て(B1含め三階建て)のこのアジトの上層部へたどり着くためにはそのメインコンピューター室を乗っ取ることが必要なようでトド松からの専用USB(よくわからないが繋げばトド松のPCと繋がるらしい)を受け取った一松と護衛についてる十四松をその部屋まで辿りつかせることが俺たちの役目。つまり囮、というわけである。 「じゃあはじめようか」 「あぁいい夜になりそうだな」 午後23:00。敵アジト前門に爆発音が響いた。 「はじまった、行こ十四松」 「おっけー！うおおお！！！」 静かにしろ、の念を込めて十四松の頭を殴る。この石頭め、僕の拳のほうが痛い。 狙うメインコンピューター室は地下一階兄二人の活躍のおかげか裏手の見張りは少ない。2、3人気絶させたかさせないかでほぼ中間地点だ。 「一松兄さん。に、兄さんたちやりすぎじゃ無いっすか？」 「こんくらいやってもらわなきゃ」 十四松もわざわざ自分から殺したくないでしょ、と返事をする。トド松に聞いても流石に敵にGPSが着いているわけもなく左耳から聞こえる声も不安そうだった。しかし兄たちの声は依然楽しそうでこの活躍も久々の二人での戦闘に舞い上がっての結果のようにも感じる。 (まぁあの二人でいるのに負けることはないか) しばらくして僕は十四松を連れ目的のメインコンピューター室までたどり着いた。 【水陸側】 トッティ特性爆弾の効果は絶大。入り口付近の崩壊、ついでに周辺の雑魚を呼ぶには十分すぎるほどだった。バカみたいに流れてくる小物をたった二人に倒させる作戦を立てた僕らも僕らだが、たった二人に倒される小魚の群れもどうなんだって話だ。敵の武器から庇うように、僕の周り360度近づいてくる敵全てを射殺していくカラ松はこれだけの敵相手に随分余裕そうだ。お陰で僕の仕事はカラ松の少ないおこぼれを切り刻むことだけだった。 「薬飲んでるし大丈夫だよ」 「フッ、まかせてって痛いっ！！！」 「うるさい対等にしろって言ってんだよ」 「えっ」 飛んでくる弾丸を全て刃で弾き隙間からカラ松がぶっ放す。そのまま狙ってるカラ松の背後に回って後ろに向かってきた奴らを切り払う。なんてったって六つ子の中の双子、相性は抜群なんてもんじゃあない。 「っ、トッティ。あっちはどうだ？」 『うん、大丈夫。あと少しでたどり着くよ。ただ、、』 「ただ？どうしたの？」 耳から聞こえる末弟の声が吃る。あいつ今日は少し離れたところに拠点作って一人なんだっけ。いつもは僕らの隣で支持を出すあの子を一人にさせるのは不安極まりないが、今回は行くといってきかなった。実際助かっているし、何しろ俯瞰で全てを指示してくれる存在は心強い。 『ちょっと上手くいきすぎ、かな』 トド松の言い分はこうだった。僕達二人が囮になっているとはいえ一松達の方面に見張りが少なすぎる、と。 「能無しなだけじゃないの？上からの指示もないみたいだし、、」 「いや、確かにおかしい」 僕の意見をカラ松を遮る 「これだけやって上の奴らが動かないのもおかしいと思わないか？それにそろそろ囮って気づいてもいいはずだ、優先的にセキュリティ面を守ると思うんだが…」 まさかボスまで能無しか？ビンゴォ？などと、ふざけながらも考えるカラ松は相変わらず戦闘中も頭だけは冷静だ。 「カラ松に言われちゃしょうがないね、じゃあ二人は気をつけるんだよ」 と呟くとすぐ下の弟の不機嫌そうな返事が返ってくる。 「頼り甲斐のある用心棒がいるのかもしれないな。まぁそれくらいなら2人で大丈夫だろう」 「うん、他に危ない情報は入ってないしね」 あの日のマフィアの派生グループであることは明らかだったけどそこまで力のあるファミリーではないようだ。いわゆる、頭数だけの見せかけなわけでボスも構成員も若くチンピラと大差ないような奴らばかりだ。 その証拠に僕とカラ松に向かってくる奴らは初めの数人を除いて銃の扱いもおぼつかない情けない様だ。初めて銃を握った頃のカラ松を思い出して少し吹き出してしまったのは背後の彼には内緒だけれど。 【数字側】 「了解、」 心配する兄の言葉に返事をして周りを確認する。コンクリートむき出しの壁に、はめ込まれたように白い扉があった。横にはカード差し込み式の鍵が付いていてどうやらここがお目当ての場所で正解なようだ。 「十四松、さっきのカードここにさして」 「了解っす！」 予め奪っておいたカードを差し込む。ゴォォ、と鈍い音をさせながら扉が開き始め、少し埃くさい臭いが鼻を掠める。同時に僕と十四松は警戒態勢を取り、完全に扉は開いた。 「トド松」 『ついたね、中に何人いる？連絡される前にのして渡したUSBを』 「いや」 『、？』 「十四松どう？」 「わかんないや…」 すん、と人より敏感な嗅覚を2人で働かせる。やっぱりおかしい。 「見える範囲に誰もいないし、ただなんとなく人間のにおいはする。」 『なにそれ、どういうこと？まさか仕掛けとかロボットとかで…』 トド松の思案する声を聞きながら室内に目を光らせる。 ずらりと並んだコンピューターに植物みたいに絡むコンセントコード。一つだけ大画面表示されている最新式のコンピュータがあり一目でメインコンピュータがそれであるとわかる。 「あれじゃなないっすかー！？一松兄さん早くやろうよー！」 流石の十四松も気づいたようで、急かしてくる。二人の兄の負担を考えているからだろう、優しいやつだから。 『ま、まって！一松兄さん。本当気をつけて、』 確かにこの状況は怪しすぎた。見張りもいないし、セキュリティも緩すぎる。 (でも本当に能無しだったら？) やっと見つけた残党だった。この遠隔プログラムUSBを差し込めさえすれば一気に突破して奴らを一人残らず殺せる。 ここのボスから聞き出して全部暴いてやる、あの日のことも全部。 そんな理由から急いでいる自分がいたし、おそらく五人とも同じ気持ちだった。 「クソ松もいってたろ、脳無しなだけかもしれない。とりあえず繋ぐから。十四松、一応見張ってて」 左ポケットから出したUSBを差し込み口に刺す。コンピュータを起動して、しばらくいじるとスクリーンにはすぐさま僕らのファミリーのロゴが映し出された。 トド松の作成したプログラムが作動している証拠だ。 「？十四松、見張って」 そういえば数秒前に放った言葉への返事が聞けていない、と思い振り向いた。 「……？十四松？」 『どうしたの一松兄さん』 僕らの位置を把握しているはずのトド松の声は依然変わりない。 おかしい。 「トド松、十四松は？」 『何行ってるの?すぐ横にいるでしょ』 「いたらわざわざ聞いてないけど…？」 末弟の息が詰まった音が聞こえた気がした。 【トド松側】 一松兄さんがUSBを刺した瞬間に、僕はハッキングを始めていた。これさえ終われば、兄さんたちの道が開く、これさえやればあいつらをーーー。 いつもより簡単に進んだ任務に多少の不安はあるけれどちんたらしていられない。 (こんなチャンス早々こない) カタカタとキーボードをタップする指が震える。チラリと時計を確認すると11時21分。セキュリティー解除に10分かかるとして…。 あと30分…。 僕が一人きりで活動できる時間は約一時間しかない。独りぼっちで閉じこめられた思い出したくもないあの日は僕の心に傷を作るのには十分すぎるものだった。 いつもなら本部で待機することが多く、おそ松兄さんとチョロ松兄さんが側にいてくれる。 でも今日はそんなわけにはいかない、僕を、兄さんを、僕達全員をこの生活に突き落としたあいつらを前にして甘えてなんていられない。 『トド松』 あと少しでコンピュータのセキュリティ解除が終わる、というところだった。一松兄さんの声だ。 『十四松は？』 この兄はこんな時に何を言っているんだろうか。パソコンから目を移してGPS位置が映っているモニターを確認する。 「何言ってるの?すぐ横にいるでしょ」 大まかに表示された敵のアジトの地図に紫と黄色の点が仲良く並んでいる。疑いようがない、確実に隣にいる。 『いたらわざわざ聞いてないけど…？』 聞き慣れたはずの一松兄さんの声は何時もより真剣そうで、その言葉に偽りがないことを訴える。 「え、だってGPSにはちゃんと！というか、ちょっと待ってて！」 言いながらセキュリティの解除を終わらせる。そのまましばらく切っていたインカムの回線を上の兄二人にも繋ぐ。 「カラ松兄さんチョロ松兄さん！セキュリティ解除したよ！これで二階の南側階段行けるはず！」 そう伝える僕の耳元からは絶えず一松兄さんが十四松兄さんを呼び続ける声が聞こえる。 (どういうこと、まさか隠し通路でも？でもGPSはほぼ同じ位置に、、) 『流石だトッティ。おい、一松どうしたんだ？』 カラ松兄さんの声に切り替わる、続いてチョロ松兄さんもどうしたの？と不安がっている声がする。 『わ、わかんない、十四松がいない。僕が探すから、行って、、』 落ち着いているように聞き取れるがこれはだいぶ焦っている時の一松兄さんの声だ。十四松兄さんのインカムからはなんの連絡も来ない、繋がりはするが反応がなく出る気配がない。 「っ、」 GPSは場所を示してるのに、これじゃあ何のために、僕らは左胸に異物を埋め込んでいるんだ。 「ど、どうしよう兄さん！十四松兄さんから反応がない、GPSは一松兄さんの側から動いてないのに！」 なんでだどうして、なんで。 十四松兄さんはそう簡単に倒される人じゃない。ましてや一対一でおそ松兄さんを除いて勝てる人間なんていない。 不安だけが募って目から涙が止まらない、嗚咽が、痛みが、止まらない。 「一松にいさん早くみつけてよ！！」 『わかってる！！僕だって探してる！！！』 『一松どこにいるんだ、まだセキュリティ室だな？』 今から行く、とカラ松兄さんの声がする。 『ふざけんなクソ松、てめぇはさっさと上に登ればいいんだよ』 『いいから動かないで待ってろ、チョロ松。作戦中止だ、トド松のところに行ってやってくれ』 『勿論』 兄さん達2人の会話が続く、だめだ、だめだだめだだめだ。 「だめだよ！こんなチャンス2度とない！2人は上に行ってよ！一松兄さんも大丈夫だよね！？すぐ見つけてくれるよね！」 『当たり前、。おいクソ松聞いたか、いいから登れ。ヤバくなった時に戻ってきてくれればいいから、』 その、頼むよオニーチャン、と珍しいセリフを吐く。一松兄さんの声に、しばらくの沈黙の後、わかったと声が聞こえる。 『何かあったら連絡するんだよ、絶対だからね？』 チョロ松兄さんが念を押して青と緑が移動するのが見える。 よかった、向かってくれたみたいだ。 そうとなれば僕も現地へ急ぐ。当初の全員で落ち合う作戦を成功させるためだ。 「それじゃあ僕も向かうから、とりあえず少し連絡できなくなるよ！すぐいくからま、」 待ってて。 言い終わる前にゴンッ、と後頭部から鈍い音がしてぬるり、とうなじにかけて生暖かいものが伝う。 痛い。そう感じた時には振り向く力もなくて僕はゆっくり瞼を閉じた。 【十四松視点】 「十四松、ねぇどこ。十四松」 一松兄さんが呼んでる。返事しなきゃ。そう思うのに僕の喉はカラカラに乾いたみたいに声が出ることはない。それどころか目の前がチカチカして気持ちが悪くて、現状を思い知る。改めて自分の守備能力の低さに腹が立った。 (どうしよう、なんで) 単に不注意だったと言えば聞こえがいいかもしれない。でもこれは完全な作戦ミスだ。 一松の隣で目を光らせてはいたがいつも以上の焦りと興奮、今回も下調べがあるから大丈夫という余裕から生まれたミスだ。 背後から手を引かれ気づいた時には一松とは違う部屋にいた。実際には壁一枚隔てただけの空間なようで、一松が会話をしている声が聞こえた。なるほど、隠し部屋か。 一松、と叫ぼうとした瞬間後頭部に衝撃を受け何かで殴られたことを悟る。 残念ながら僕は人間離れした石頭だから大したダメージにはならない。振り向きざまに回し蹴りをして、敵がボールみたいに吹っ飛んで反対側の壁にめり込む。すぐさま次の気配を感じた僕は反転したと同時にエルボーをねじ込み、さらに追加された敵の顎を蹴り上げる。 なんだ、思ったより余裕だった。敵は３人しかいなかったみたいでやっぱりカラ松兄さんが言ったように能無し、かな。 この壁壊して戻ろう。そう思って壁に向かって構えた時だった。 ヒュンッ…＿ベシッ 乾いた繊維が空気を切る音がしてすぐに床を叩きつける音に変わる。 振り向かなくてもわかる。この音を鳴らす武器を、道具を、僕は知っている。 「ッ……」 『いたいっ！ねぇやめて』 『ぁあ゛ぁ、やだ助けえ兄さん！！』 身体中に衝撃が走った。 もう何年も前。鞭って呼ばれるあの武器は僕の体をこれでもかと痛めつけた。理由なんてバカな僕にはわからないし、あの日なんであんなことになったのか今でもわからない。 怖くて逃げたくてでも逃げたらすぐ下の弟が殺されるって聞いて何もできなかった。 おかげで僕が太刀打ちできない唯一の道具だ。すっかりトラウマとして刻まれたその名前も、形も音も、痛さも全部僕は知っているし覚えている。 その武器が今の僕にまた向けられている。 あの日と同じ奴らに、あの日と同じような人数で、あの武器を向けられている。 「あ、うそ、なんで…あは、いちま、たす」 うまく口が回らない応戦しようとするけどうまく体が動かない。 『すごいな、十四松は』と、格闘を教えてくれた長男が褒めてくれるその戦闘技術は見る影もないんだろう。 よろよろと動かす体から汗が止まらない。震えが止まらない。怖い。目の前に構えられた武器から目が離せない。 もう逃げよう。 そう思って背を向けた頃にはもう遅くて、バチッと音がした瞬間、意識を手放した。 【水陸側】 「っは、、、はぁ、、なんだよ、、これ」 「…？どいういことだ、」 弟達を心配しながらも後には引けなかったのは事実。俺とチョロ松は作戦通りに最上階の三階へ繋がる二階南側階段へとたどり着いた。メインコンピュータでしか開くことのできない白く頑丈な扉は一松と十四松、そしてトド松によって作戦通り、開かれていた。 はずだった。 「っはぁ、なんだこれ。どうなってんの？」 チョロ松が珍しくイラついたようにインカムに訴える。 (焦ってるな…いや、俺もか) 焦っているのはわかっている。恐らく俺とチョロ松だけじゃない。ブラザー全員だ(もちろんおそ松もだ) こんなチャンス二度と来ないんだ。 「おい、トド松？どうなってるの？」 「トド松。どうしたんだ？」 おかしい、返事がない。 「あぁ、そういえばインカムを少し切ると言っていたな」 「え？そうだっけ、、あぁ、合流がなんとかいってたね。」 「珍しいな」 「え？」 「チョロ松が任務中に聞きもらすなんて珍しいな？」 そう言って笑うとチョロ松がはぁ？と顔を歪めて鞘でどついてくる。 「お互い様でしょ、」 「え？」 「焦ってるのはお前もでしょ、カラ松」 「…あぁ、そうだな」 そう言って視線を扉に戻す。 やはりこの片割れにはすっかりバレてしまっている。この焦りも、憤りも、不安も全部。バレてしまっているのだ。 「で、どうする？」 「あぁトド松が開けたと言っていたのに開いてないんだ、まず何かあったんだろう」 チョロ松の表情が強張る 「とにかくトド松がダメなら2人に確認取るしかないだろ。おい、一松？十四松は見つかったか？」 一松のインカムに回線を繋ぐ。 「おい、一松？」 「一松、返事。」 トド松回線を切ると言っていたが、関係のないはずの一松の返事はない。 (もしあの時のままなら十四松を見つけれていない？) だとしても、回線を切る理由はないはずだ。 「チョロ松」 「あぁ、わかってる」 2人ほぼ、いや同じ瞬間に駆け出す。 目的地だった扉を背にして、頭に叩き込んである平面図の中を駆け巡る。 地下一階へつながる階段は一つ、一階の南側階段だ。 「っ、俺のミスだ。」 『まさかボスまで能無しか？ビンゴｫ？』 数30分前の自分に腹が立つ。 「そんなこと言ってる場合じゃない！！作戦は中止だよ、あいつら連れ戻そう。そんで帰ろ！もし捕まってたらまたっ…」 「当たり前だ、もうあんな思いはさせない！！！」 2人とも相当頭にきていたと思う。怒鳴り合いながら階段を駆け下りて、ひたすらに走る。 あぁ、これじゃあの時と同じじゃあないか。 「っは、」 「おいチョロ松、薬は」 「え、あっ大丈夫だよ、行こう！」 「お、おい！！」 手袋の上を掻き出す、息が荒くなる。 チョロ松の薬の効果が切れ出す前兆だ。 「チョロ松！！」 叫びながら、単純な足の速さだけじゃ追いつくことのできない背中をひたすら追いかけた 【トド松側】 「ん、、、、ぁ？」 パチリ、と音がするんじゃないかと思うほど勢いよく目を開いた。 途端に埃臭さが鼻をつき眉間にしわがよる。 先ほどまでいたはずの仮拠点とは異なる、小さな小屋みたいな場所だ。 窓はなく天井からストラップで吊るされた切れそうな電球が不規則に光っている。 「ぇ、なに、ここ」 周りを見渡して、とにかく逃げるために立ち上がろうとして気づく。 手首は後手にひとまとめに縛られてしまっている。 たらり、と冷や汗が額から頬に伝って思わず生唾を飲んだ。 「ひ、、なん、」 暗い視界を必死に見渡し、おそらく入り口だと思われる扉を見つける 「ぁ、あ、ぁ」 見つけた扉は頑丈そうで、施錠部分はこの古びた小屋に不釣り合いな最新式の指紋認証システムだった。 見る限り開ける方法はこのドアをぶち壊すか、鍵を破壊するか、指紋を取るか。 (どれならできる？) 十四松兄さんなら、カラ松兄さんならできるかもしれない。 でも頼れる兄弟はここにはいない。 (僕1人しかいないんだ、一人で) はっ、と息が詰まった。 一人？よく考えたらぼくはどれだけの時間ここにいたんだ？後頭部を殴られたことは鮮明に覚えている、あれから少なくとも数十分は経っているはずだ。 しかもこの扉は開かない。 「やだ、嘘だよね、」 息がつまる。呼吸がうまくできない。 「っは、う、う～…ぅ、ふ、」 ボロボロと情けないくらいに涙がこぼれる。止まらない、止まらないよ兄さん。 「怖いよ、ふっこわ、助けて兄さん、兄さん」 頭がガンガン割れるように痛い。寂しい、怖い。助けて。また閉じ込められるのは嫌だよ。たすけて。兄さん。 「うぇ、え、」 ガチャガチャと施錠部分を歯で齧る。 痛い、怖い、助けて兄さん。 同じ言葉ばかりが頭を巡る。 GPSは？だめだ、ぼくのPCが制御してる。手元にない。 『これ入れときゃ見つけてやれるから』 あの日胸に埋め込んだ小さなチップがこんなに無意味に感じたのは初めてだった。 【一松側】 『ひぐっ、うぇ、ゔ、たず、だずげでにいざ、っ』 よく知った、かわいい僕らの末弟の声がする。目の前に突き出された小さな機械から断続的に流れるその声は今にも消え入りそうだ。 「…トド松になにしたの」 また冷や汗が垂れる。さっきまで十四松を探して、すぐに見つけて皆と合流するはずだった僕は目の前のゴミ屑に足止めをくらっている。 「ねぇ、何したって聞いてるんだけど」 人一倍冴える聴覚で漏れる声を聞き取る。あぁ、間違いない。トド松の声だ。 「…はぁ」 何も言わないこいつらにため息がでる。 (あの日も) あの日もこんな感じだった気がする。 トド松が捕まって、理由もわかんないままあんなことになって。 せっかくマフィアになったのに。こんなクズでゴミだけど、せめて兄弟だけでも守れるように。 これじゃ何も変わってない。 「わかった、ついてけばいいんでしょ」 僕がそう言うと、周りを囲んで銃を構えていた男の一人が僕のヘカートを奪う。 とっさに返せ、と伸びる右手を仕舞い込み、男たちについて歩く。 (あぁ、拷問かな。わざわざ生け捕りだもんね。まぁ僕にはお似合いか) 幸い痛みには慣れているし、まさかすぐに殺しはしないだろう。 でももうこの五感も、磨いた狙撃術も、クソ松に教わった覚えたての銃技も使えなくなるかもしれない。せめて表の仕事の警備くらいはできたらいいな、それさえ出来ればまだ兄さん達の力になれるかもしれない。 そんなことを考えながら歩いていた時だった。 ズガァンッ！！！ 「離せ、俺の弟だぞ」 「ッ！！！から、ま、」 振り向かなくてもわかる、次男だ。助けに来てくれたのか、こんなゴミ屑なのに？ 頭で考えるより先に体が動いた。思わず後ろを振り向くと、させないとでも言うように目の前に男達が立ちはだかる。 「ッひ、」 あの日から人に囲まれるのは苦手だ。思わず目を伏せる。 途端、ズバァンッ！と肉を切り裂く音がして死に際の汚い声を目の前の男が上げる。体から血を吹き出し、バタリと倒れて動かなくなる。 「っは、一松…無事？」 「チョロ松兄さん…」 チョロ松兄さんに近付こうとのろのろと足を進める。 そうしてる間にもチョロ松兄さんのだいぶ後ろに構えたクソ松が周りの敵をゲームみたいに倒していく。きっとあいつはレベルカンストしてるな、ついでに言うとその武器はスキルマックスの高ステエンチャント付きだ。 「フッ…ブラザーのピンチに颯爽と現れる俺…HEROはいつも遅れてやってくる、か…」 ッハハー！なんて言いながらぶっ放すその攻撃はえげつない。 何人いたっけ、多分１０人はすでに倒れてる。カラ松の攻撃を避けれてもチョロ松兄さんに斬られるから何人いようがこいつらはどうせ全滅だ。 それにしても兄達は凄い。カラ松から見るとチョロ松兄さんがいて、その奥に敵、そして僕が敵に囲まれている配置だ。 (なのに) 一つもチョロ松には当たらない。 兄弟に当てるわけないといえば確かにそうだが、チョロ松兄さんは止まっているわけではない。何人もいる敵を斬っている、それも持ち前のスピードで。 なのに、カラ松の弾は掠りもしない。 「っ、」 いてもたっても居られなくなった。 僕はヘカートを奪った男に十四松仕込みの鳩尾蹴りを入れ、愛銃を奪い返す。 (僕だって、兄さん達と) 戦いたい。弟が待ってるんだ。こいつらをぶち殺して、早く二人を、 『くそが！やりやがったな！！連絡しろ！』 『あぁ、このガキ共。兄弟の一人ブチ殺せば気がすむだろ』 なんだ今の連絡は。 頭がガンガンすして汗が止まらない。 まってくれ、その連絡は？ 「っ、」 振り返る。兄二人に背を向け、声がした方へゆらゆらと歩いた。 「なんだよ、今の、今なに連絡したの？」 『あ？お前が戻ろうとすっからだろ、さっきの弟どうなってもいいんじゃないのか？』 この銃撃音の中聞こえてたのか、運がいいのか悪いのか。 と、携帯を持つ男はケラケラと笑う。 「耳はよくてね、それで、僕戻るなんて言ってないよ。だからトド松になにもしないで」 奪い返したばかりのヘカートを投げ捨てる。男に対して敵意がない、と示すように両手を挙げた。 「っは、おい、こら一松！っはぁ、、っ、なに、してんの？」 チョロ松兄さんの声がする。 おかしい、声が苦しそうだ。もしかして怪我をしたのかもしれない。 振り向きたい、でもだめだ。僕が今振り向いたらトド松は助からない。 「チョロ松！いい加減にしないか！」 と、カラ松の叫ぶ声も聞こえる 「だって、一松が、」 「一松は俺がなんとかしてやる！その前にお前は薬を飲め！」 ガウンッ！！ダダダダダッ！！ズガンッ、！！ 喧騒の中での二人の会話は僕には意味がわからなかった。 薬？何のことだろうか。 兄のことだ、きっと僕らには知らないことがあるんだろう。 「一松！帰るんだ、なにを言われてるか知らないが一度戻って」 「うるせぇぞクソ松！！」 「なんで強気！？！？」 手を上げて背を向けながら声をはりあげる。普段叫ばない喉がびりびりして痛い。 「僕は行かなきゃなんない、これくらいしかできない。わかったら早くそいつら倒すことだけ考えて」 「そうだな、作戦ミスだ。だから一度お前も」 「手ェ止まってんぞ、まだ敵いるだろ。いいからそいつら始末して、二人は戻って。僕なら大丈夫だから」 カラ松の手が止まったのかあいつの火薬の匂いが減る。代わりにチョロ松にいさんが動いているんだろうか。会話の間にも敵がうめき声を上げ続ける。 『へぇ、じゃあ行こうか』 会話を聞いた目の前の男は満足そうに笑い、僕の短い髪を引っ張りながら進む。なるほど、趣味が合いそうな性格だ。 「おい！！一松！！！」 叫ぶ声に聞こえないふりをした。 【カラ松側】 「おい！！一松！！！」 叫んだ声が聞こえないとでも言うように一松の背中は遠くなる。目の前に沸いた雑魚がいなければ引き止めて連れて帰ってやったのに。なぁ一松、お前はなんでそうやって一人でなんでも解決しようとするんだ。 「ブラザー失格じゃないか、」 単純に悔しかった。 どれだけ強くなっても得られない弟からの信頼が怖い。あの日みたいに全てを失うのが怖い。 (なぁおそ松、お前ならどうする？) 「っはは」 そこまで考えて自嘲する。おそ松ならこんなことにはならない。おそ松なら皆信頼するし安心して頼れる。 頼りない俺は、いつまでたっても次男坊だ。 考えてる間にもうじゃうじゃと敵は湧いてくる。どこから出てくるのかわからないがとにかく減ることがない。まさか隠し通路でもあるのか？だとしたら十四松のことも気がかりだ。 そんなことを考えながら弾を撃ち続ける。経験と少しの勘から推測してチョロ松の動きを読む。 撃ち込んだ弾はチョロ松に掠ることもなく敵に当たり、胸に食い込み、肉を貫き、命を奪う。 「ビンゴォ？」 おきまりのセリフを放ち、弾丸を撃ち続ける。 とりあえず、敵数を減らしながらでも後退しなければ。 チョロ松の薬が切れてしまう。いや、もしかしたら切れているのかもしれない。 「チョロ松、いい子だから戻ってこないか？俺が全部やってやるぞ。お前もう限界だろ」 「っは、だいじょーぶ、一松が、はぁっ、」 「さっきも言っただろう、なんとかしてやるさ。おそ松にも俺が言っといてやるから。」 チョロ松は昔から責任感が強い。(気がする） アレルギーが発覚した時もそうだった。足を引っ張りたくはない、と内蔵チップを決めた。 「チョロ、いい加減にしないか」 弾を打ち込むスピードが遅くなる。疲労や弾切れではなく、チョロ松が原因だった。 チョロ松が前にいる限り、俺は推測して弾を撃たなければならない。 普段のチョロ松は障害物にすらならないが、発作時は別だ。 「おい、聞いてるの、」 ピシュっピュンッ……______ 苛立ちを込めた言葉とともに放った弾丸が奏でた音はあまり聞かない音だ。 命を奪う音じゃない、ダメージを与えるだけの、掠るような。そう、掠るような。 「っ、っあぐ、！」 目の前の緑が声をあげる。 ふらりと倒れて血で濡れた廊下に沈んでいく。 「っは、、？ち、ちょ、ちょろま、」 ピストルを持った右手を確認する。ちゃんと計算して撃ち込んだ。俺たちがミスをするわけがない。 『おい聞いてるのか、ふらつかれると動きが読めないから困るんだ』 言えなかった言葉が脳内で木霊する。 なんでもっと早く言わなかったんだ、いや、それならあの時薬を飲ませるべきだった。いや、まずこの作戦が間違っていたのか。 「あ、あっあぁ、っチョロ松！！！！！！」 叫んで、頭を掻きむしって自分でも何をやっているかわからないほどに乱射する。 ふらついたんだ、そこに弾が入ってしまった。完全に俺のミスだ。 だめじゃないか、カラ松。俺は松野家に生まれし次男松野カラ松、静寂と孤独を愛し、優しく慈愛に溢れた男。カラッぽな頭は昔から機転だけが効く、お陰で参謀としての価値は高いんだ。お前はこの頭を活かして兄弟を守るんだろう？ だが現実はどうだ。 チョロ松とトド松の練った無茶な作戦を通したのは俺だ。 一松に背負わせたのも俺だ、もしかしたらトド松にもなにかあったかもしれない。十四松も泣いているかもしれない。優しいやつだから。 「っ！！！っ、チョロ松、チョロ松！！！」 片割れの名前をひたすらに叫んだ。 『大丈夫だよカラ松、お前も僕の尊敬する兄さんだ』 男にしては少し高めの、軽い声を持った片割れ。その声が脳内に響く。 「チョロ松、チョロ松すまない、チョロ松っ頼む返事をしてくれ、」 勝手に乱射をして敵を殺戮していく身体は止めずに、なんとか理性を総動員させて前へ進む。チョロ松の目の前までやってきて、後退させた敵に向かい隠し持っていた小爆弾を撒き散らす。入り口爆破の時に使ったものの小型版だった。 急いで片割れを抱き抱え、来た道を戻る。 「はぁはぁ、はぁッ、チョロ松、チョロ松チョロ松チョロ松」 みっともないだろう、大の大人が泣きわめいて走り回る。 適当な場所を見つけチョロ松を寝かせた。 「すまない、死なないでくれ、う、腕に当たってしまったのか、すまない、あぁチョロ松、」 ぼろぼろ流れ続ける涙を抑えることもせずチョロ松の胸に顔を押し付ける。そのまま横を向き、耳を当てる。 ああ、よかった。動いてくれてる。 「チョロ松、」 顔をあげて見た片割れの顔は本当に生があるのか疑うほどだった。 目は閉じきっていて、口からは涎がこぼれてしまっている。かすかに開かれた口からヒュー、ヒューと呼吸音が聞こえる。息ができているのか、いないのか。確実にアレルギーショックを起こしてしまっている。 「チョロ松、すまない、」 抱きしめながら、チョロ松の腰を浮かせてスーツスラックスの後ろポケットに手を入れる。 彼が予備の薬をここにしまっていることはとっくに知っていた。次いで、自分のレッグホルスターの横ポケットのボタンをはずす。 「っ、らぁ、つ、…」 同時、チョロ松の声が漏れる 「チョロ松！すまない苦しいだろう、本当にすまない俺の責任だ、」 謝罪をしながらホルスターからエピペンを取り出す。 「薬飲めるか？」 先ほど取り出した錠剤を見せる。 こくり、とゆるく頷いたチョロ松の口に放ってやり喉が上下するのを見守った。 (薬が飲めるならエピペンはいらないか、) 幸いグレード４以上のアナフィラキシーを発症していないようで、取り出そうとしていた小袋を閉まった。代わりに消毒シートでチョロ松の肘裏を拭い、先ほど用意した注射器をあてがう。 血管に針が入ったのを確認して、ほっと一息ついた。 しばらくしてチョロ松は眠ったのか気絶かわからないが目を閉じてしまった。とにかく医者に見せなければ。 頭がいつも以上に空っぽだった。どうしたらいいのかわからない、わからないよおそ松。 「おそ松、お前ならどうする…？教えてくれ…」 微動だにしない片割れの胸に顔を埋めて小さく呟いた。 続く。

「チョロ松いい子だから戻るんだ！」<br />「お前もでしょ、カラ松」<br />「トド松になにしたの」<br />「は、たすけ、いち」<br />「十四松兄さんがッ！！」<br /><br />　　　　　　『なぁおそ松、お前ならどうする？』<br /><br />ついったで連載しているマフィア松設定。二次創作成分多め。苦手な方はまわれみぎ。設定読まなくても楽しめますが、読んだ方が面白いとは思います。気に入ってくださった場合、設定は表記の上自由にお使いください。<br /><br />兄松→<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/55454514">illust/55454514</a></strong><br /><br />弟松→<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/54091169">illust/54091169</a></strong>

サルヴァトーレ【前編】

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6461358#1

　俯いた横顔は、まるで色の褪せた白薔薇のようだった。 「………主」 　ランサーが潜めた声で呼ぶと、魔術師は顔を上げる。 　もともと痩身の人ではあったが、今の面立ちはなおいっそう肉がそげて、痛々しさすら感じさせるほどだ。 　かつてランサーを見るときにあった驕慢な目の光は失せ、澱んだ青い瞳がぽっかりと虚のように己が下僕を向いている。 「ランサーか」 　色の薄いため息をついてケイネスは再び視線を元に戻した。 　その視線を追い、寝台に横たわる赤い髪の麗人の姿にランサーはぐっと手のひらを握りしめる。 　此度の聖杯戦争。 　必勝を信じて冬木の地を踏んだケイネス・エルメロイ・アーチボルトとそのサーヴァントは、闘い半ばにして敗北の杯を干していた。 　否。 　まだ、完全な敗退ではない。 　ランサーは消失しておらず、ケイネスの右手の令呪も、その一角を残すのみとはいえ存在しているのだから。 　だが、と、ランサーは悄然と座り込む主を見ながら苦く胸に呟く。 　心が折れた人間が勝利を掴むことなどあり得ない。 　ディルムッド・オディナの生きた伝説の時代はもとより、現代においてもそれはシンプルで確実な現実だろう。 「ソラウ様のご容態は」 「変わらん。……おそらく目覚めたく、ないのだろうな」 　微苦笑を口元に刷いて、それでも愛おしそうにケイネスは眠る許嫁の髪を撫でる。 　己を殺しかけた女性に対して、それは見るものの胸を詰まらせるほど慈しみに満ちた手つきだった。 　ああ、と、ランサーは眉を絞る。 　この姿が、ソラウの視界に入っていたら。 　自分をなによりも愛し、敬う男の存在に気づいていたら。 　きっとこんな無様な結末を迎えることはなかっただろうに。 「ランサー」 「は」 　物思いに捕らわれていたランサーは声をかけられ、居住まいを正す。 　主から彼に向けてかけられる声は、かつての険を失ったとはいえ決して甘いものではない。 「できる限り私の視界に入らぬようにと命じたはずだが、何用だ」 　ひやりとする声に、わずかに躊躇った後、ランサーは言葉をはき出した。 「もうそろそろ、魔力が持ちません」 「……」 　ケイネスの顔が再びゆるりと持ち上がる。 　サーヴァントの美貌と、眠り続ける許嫁の顔を相互に見やり、そうか、と、ケイネスは呟いた。 「ソラウの魔術回路が焼き切れた今、供給も休止している、という訳か」 　令呪としての支配権をケイネス・エルメロイ・アーチボルトこと、ロード・エルメロイに。サーヴァントを現界させる魔力供給はその将来の妻たるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに。 　時計塔の誇る神童が紡いだ必勝のための策は、だが、ソラウの心が呼び出されたランサーの美貌に捕らわれてより、破滅の扉の鍵となった。 　恋うる男を自分に振り向かせる。 　かつて槍の英霊が辿った末路を知りながら、恋に溺れる女はその誘惑を断つことができず、外部から注がれた毒が愚かな迷妄を更に助長した。 　キャスターの囁いた甘言にまんまと乗ってしまったソラウはその手でケイネスに毒を盛り、令呪をもって強制的な主交換への同意をランサーに求めたあげく、混乱の場で命を取り落としそうになった。 　キャスターの術を受け、それでもソラウが命を失うことがなかったのは、毒を受けながらも死力を尽くしたケイネスと、正来の主の令呪により宝具を放ったランサーの働きがあってこそ。 　未だ続く聖杯戦争において、今、ランサーを失うわけにはいかない。 　それが生き残ったケイネスとランサーの共通認識だった。 　ランサー自身は、無理をおしてまで現界する必要性を見いだせなかったが。 『私を見て、私を護って、私のモノになって！』 　縋り付いてきた細い体。かつてを彷彿とさせる情景にあのときディルムッドはめまいを禁じえなかった。 　その向こうで愕然と、憎しみを込めてこちらを睨む主君の姿まで過ぎ去りし日の記憶のままだ。 『あなたなんていらない。好きじゃないもの。最初から、あなたのことなんか少しも好きではなかった！』 　振り向いて告げられた言葉は、どれほど主の心を抉っただろうか。 　手ひどく自分を裏切った女を、それでもケイネスは見捨てることができなかった。 　全力を尽くして窮地を逃れたケイネスは、それより後死んだような目で昏睡より醒めないソラウの傍らに有り続けている。 　彼が自分をいらないというのであれば、このまま消えよう。 　ランサーは小さな決意を懐く。 　生前叶えられなかった願いを今度こそ、と、望んだ。 　騎士として、なにひとつ傷のない忠誠をただ主に捧げたい。それが、ディルムッドの願いだった。 　けれども、己の望みのせいで主が傷つくのであれば、忠義を誓うことが罪だというのなら、自分は、消えるべきだ。 　ソラウからの供給が途絶えて一昼夜。 　燃費がよいとされるランサーのクラスにあっても、もはや英霊の飢えは誤魔化しようがない。 　このまま、すべての魔力を消費し尽くして消えてしまえば、サーヴァントを失ったマスターとしてケイネスとソラウは教会の保護を受けられる。 　それでもいい、と、サーヴァントは己がマスターを見つめた。 「狩り……は、貴様の性分では無理か」 　ぽつりと落とされた言葉に肩が揺れる。 　ケイネスが示したのはサーヴァントとして形をとるための魔力を、人の魂を刈ることによって得る方法だった。 「―――ご命令とあらば」 　それは外道と誹られる行為であり、無辜の民を槍にかけることはディルムッドの誇りを地に落とす振る舞いだ。 　だがしかし、魔術の秘匿を第二の本能とする主にとっても本来ならば考慮に入れることすらあり得ぬ選択肢だったろう。 　その道を選ぶほどに己が必要とされているのであれば、迷うまい。 　頭を垂れる若草色の武人に、いや、と魔術師は首を振る。 「そのようなマネをして、わだかまりができれば貴様の穂先も曇ろう。私とソラウがすでに戦力として論外な以上、貴様は万全でなければいかん」 　しかし、どのような反動があるかわからん今、ソラウからおまえとの魔術契約を取り上げるような事もできん。 　苦々しく吐き捨て、ケイネスが立ち上がる。 「主……？」 　片時も離れようとしなかったソラウに背を向ける主君の姿にランサーが目を丸くすると、ついてこい、と、魔術師は薬のにおいのこもる部屋を出た。 　覇気のない足取りの後を追う。 　青い背中はソラウの眠る寝室から一番遠い小部屋に消えた。 「ケイネス殿」 　声をかけて部屋に入る。 　そこでランサーは息をのんだ。 「ケイネス殿！？」 　もともと、メイド用の寝室かなにかだったのだろう。 　迫る四方の壁に寝台だけが窮屈そうにある部屋で、ケイネスは身に纏った衣類を脱ぎ捨てていた。 　窓のない部屋は薄暗闇に支配されてはいたが、もとより英霊の身でこの程度の暗がりが障害になるはずもない。 　痩身が振り返り、ランサーを手招く。 「な、なにを」 「ソラウは魔力を供給できず、人狩りを行うわけにもいかん。ならば消去法だろう」 　私が魔力供給をする。 　淡々と告げられた言葉にランサーは立ち竦んだ。 「いえ、しかし、これは……性行為、を考えておられるのでしょうか！」 　生真面目でありながらどこか余裕を残し続けてきたサーヴァントが本気で狼狽している姿に、ケイネスは軽く目を見張った後、こらえきれぬというように小さく笑った。 「不本意だろうが、私の状態から考えればただ体液を渡すだけよりもこのほうが効率が良い」 　ああ、それとも……男相手ではその気にならんか、と、魔術師は腕を組む。 「媚薬のたぐいでも調合しようか。今の私でもその程度の術ならば紡げよう」 　ふむ？ しかし、英霊に人間の創る魔術薬は効力があるのか？　いや、しかし、食料の摂取により多少は魔力が回復するという話を聞いたこともあるし、無駄でもないか？ 　裸身を晒したまま考え込み始めたケイネスにランサーはそっと歩み寄る。 「主」 「なんだ？」 　向けられた視線に迷いはない。 　あきれるほどに気位が高かったこの神童にとって、男に身を任せるというのは屈辱以外のなにものでもないだろうに、下僕に向けられる眼差しはただひたすら真っ直ぐだった。 「よろしい、のでしょうか」 「今、お前を失うわけにはいかん」 「……私が消えれば、お二人は教会への保護を求めることもできましょう」 　真摯な槍兵の言葉に、今日はじめてケイネスの口元を彼らしい傲慢な笑みが彩った。 「貴様は馬鹿か？　此度の監督役はアサシンのマスターを息子に持ち、トオサカとも親交が深い人間だぞ？　あんなところにのこのこ顔を出してみろ。私もソラウも生きてこの街を出られるものか」 　―――――――なにがなんでも生き残る。そのためには、貴様が必要なのだ、ランサー。 　低く落とされた呟きは諦念に沈むランサーの中に火を灯す。 　主の心が折れたと思っていたのは誤りだったか。 　欲してやまなかった主の信頼。 　このような敗残の身になって、はじめてそれが与えられたのはなんという皮肉だろう。 　だが、それでも。 　ディルムッドが抱いた想いは歓び一色に染め上げられていた。 「主よ」 　細い手を取る。 　鍛え上げられたディルムッドと並べば、いかにもケイネスの身は細く頼りない。 　けれども、ここに居るのは己の足で立つこと知っている人間だった。 　その身に寄り添い、助けとなる。 　それができる。 　許されている。 （ならば、消えるわけにはいかん） 「私が、抱かせていただくのでよろしいのですか？」 「男を相手にしたことはないからな。私ではお前を絶頂に持っていくのは無理だろう」 　お前は、まあ、経験豊富だろうしなぁ？　と、己の過去を揶揄されて甘い美貌がわずかに赤らむ。 　言い訳は無駄だろう。マスターとして、ケイネスはディルムッドの過去を覗き見ている。 　それはディルムッドにしても同じだ。 　断片断片の記憶ではあるが、その中に含まれていた情景からしても……確かに彼の主は色事に長けているとは言いがたい。 　体液の摂取を目的とした情交以上に、今、二人が交わそうとしているのは絶頂をともにしてその際に簡易パスを繋げる性魔術だ。 　苦痛しかない行為では、やるだけ無駄になってしまう。 （この方の挺身を無駄にできるか） 　ディルムッドとて、男相手の情交はさほど経験がない。 　けれどもゼロでない以上、主が己を抱くよりも成功率は高いはずだ。 　右手に、わずか一角のみ残った令呪の上に、ケルトの英雄は恭しく唇を落とした。 「貴方は私が必ず守ります」 　誓いは無言の肯定で受け止められた。 　ランサーのクラスは、生き残りに長けているという。 　聖杯戦争ももはや終盤。 　七騎のサーヴァントのうち、冬木の地に自らの足で立つものはもはや二騎のみ。 　昏睡状態にあり続けるソラウを抱え、いまだ魔術回路を毒で侵されながら、ケイネスとディルムッドは最終決戦と呼ばれるときまで、生き延びた。 　決着はつけねばならない。 　これ以上時間を引き伸ばすことはできない。 「行くか」 　赤と黄、二つの槍を携えたサーヴァントの姿に、ケイネスはわずかに目を細めた。 　おそらく、ランサーが勝つことはないだろう。 　生き残ったサーヴァントはあまりにも強大であり、ケイネスとソラウが万全の状態でともに挑み、なんとか勝機が、というレベルだった。 　単身のランサーが勝てる道理はない。 　だが、勝たずとも良いのだ。 　サーヴァントが残りの一騎になれば、自動的に聖杯戦争の決着はつく。 　決着がついてしまえば、敗残のマスターを殺す理由もない。 　そもそもサーヴァントを失ったマスターが狙われやすいのは、マスターを失ったサーヴァントが生じた際、優先的にマスターになる可能性があるからだ。 　すべてが終わってしまえば、使い残したマスター権などなんの役にも立たなくなる。 「主は、ロンドンに戻られるのですか」 　これが最後。 　負けるつもりはない。だが、勝利の光はあまりにも遠い。 　そのせいだろうか、聞くつもりもなかった質問が口をついて出た。 　自分の言葉に自分で驚いたように口元を押さえるランサーをケイネスは眼を丸くして見つめ返す。 　ややあって、そうだな、と魔術師はうなずいた。 「時計塔に戻るつもりだ。あそこならばソラウの治療もかなおう」 　簡単なことのように言うが、簡単であるわけがない。 　神童、ロード・エルメロイ。 　ロードの名を持ち、必勝を謳われながら、惨めに敗れて帰る彼を迎える空気は決して甘いものではないだろう。 　また、ソラウが目覚めたところで、彼女の迷妄が解けている保証もない。 　むしろ、詰られ、傷つけられる可能性のほうがよほど高かった。 　ランサーの視線からその憂いを悟ったか、ケイネスは柔らかな微笑を浮かべて眠る婚約者の頬に触れる。 「かまわん。彼女が生きている。それだけでいい」 「ですが」 「ランサー。ソラウに、お前の呪いが効いていたと、そう思うか」 　問われて、ディルムッドは口ごもった。 「貴様がどう思おうと、ソフィアリの血脈の魔抵抗を甘く見ているだろうな」 　貴様を求めたのも、私を拒絶したのも、すべては間違いなく彼女の意思だ。 　かつてのケイネスであればとても認めることなどなかった言葉を呟きながら、ソラウを見下ろすケイネスの目はただただ優しかった。 「彼女は、自分のほしいと思うものを目の前にして、戦った。それだけだ。与えられた彼女を、私のものになるのだと、請うこともせず隣にあっただけの私になぜ責められようか」 「しかし」 「私はソラウを愛している。彼女が欲しい。ならば、謗りも、怒りも、悲しみも、すべて受け止めて戦おう。彼女と同じようにな」 　そこに立つのは、咲き誇る白薔薇のように誇り高い一人の男であり、魔術師だった。 　ディルムッドは自然と頭をたれる。 　恭順ではなく、ただ、己の主の、その気高さを、これからの戦いを敬ってのものだった。 （できることならば、最後までお助けしたかった） 　ケイネスが負けることはないだろう。 　彼はロード・エルメロイだ。 　しかし、これから続く困難に自分が支えとなれない。 　それが無性に悔しい。 「ッ！」 　わずかな静寂。 　だが、それは大音声に破られる。 　この場所が見つかったのだろう。 「主よ、それでは」 　死地に赴かんとする下僕を静かな声が呼び止める。 「ランサー」 　振り返ったディルムッドは、白い手袋がはずされ、一角のみとなった令呪があらわになるのを見た。 「令呪をもって命ずる」 　ぽう、と赤い痣が光る。 （まさか） 　令呪による命令は、限定的なものでなくては効力が薄く、拘束力も弱い。 　それを知っているケイネスが、今、ここでなにを命じるというのか。 　呆然とする槍兵に、魔術師はにやりと笑いかけた。 「勝利せよ、ランサー」 終

ifな感じの第四次聖杯戦争物です。前作の清書してたら無性に書きたくなったので書きました。他のサーヴァントがたぶん違うキャラですが、その辺曖昧ですので曖昧に流してください。恋愛要素薄めでソラウ大好き魔術師のケイネスと、サーヴァントのディルです。　　　　追記・ブクマ、タグ弄り、評価ありがとうございます。個人的趣味で作品関連のタグは腐関連のみつけてます。ご協力いただければ嬉しいです。

【ディルケイ】真白の花

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=646143#1

「……で、あるからして、現代魔術の基礎は成り立つわけだ」 　教室に響く凛とした声。直後、カッ、と黒板をチョークで叩く音。ロード・エルメロイと名高いケイネスの魔術学の授業である。 　私語もなく、生徒達は熱心に板書をノートに書き写し耳を澄ませばシャーペンの音が聞こえてくる。有名一級講師の授業はさすがというべきか、特にケイネスが厳しいというわけでもないのに皆が真剣に取り組んでいるのが見て取れる。人々を天才と言わしめるケイネスの講義は、生徒にとっても魅力的なものだった。他校と比較しても魔術学はレベルが高く、難易度もそれに比例しているのだがその分面白いと、生徒は口を揃えて言う。 「さて。次項へ進む前に魔術師の歴史について軽く触れておく」 　整えられた金髪に、全てを見透かしているかのような蒼眼。そんなケイネスの授業を大抵の生徒は真剣に聞いているのだが、その中で唯一ぼんやりとした瞳を浮かべる者がいた。 ディルムッドである。 　血縁関係はないがケイネスの息子であるディルムッドは、己の父親の講義を頬杖をつき見惚れたような顔のまま全く聞いていなかった。正しくは、聞こうとしても頭に入ってこないのである。 　授業開始から今の今まで、ディルムッドはずっとその調子であった。ぼんやりとケイネスを見つめては、握ったペンは働かない。しかしケイネスはというとそんな息子には目もくれず、いつものように授業を進めていくだけだった。目も合わせられず、ディルムッドにとってはそれが何よりも辛い。 　父親とはまた別に、ディルムッドはケイネスを主として慕っている。それは肉親を失い生きる術すら分からなかった幼いころの自分を、何を言うわけでもなく養子として招き入れ育ててくれたケイネスへの恩である。彼がいなければ、ディルムッドの今はなかった。 　多くを語らぬ金髪の魔術師に引き取られた時、ディルムッドは幼心ながら、自分を救ってくれたこの命の恩人に自分のすべてを捧げようと決心した。それから数年、もう十分に恩人を守れるであろう年になったと自負するディルムッドは、最近やけにケイネスの態度が冷たいことを気にかけている。 （……主は、私を嫌いになったのだろうか） 　その真意は、分からない。 　そうしているうちに鳴る授業の終了を教えるチャイム。 「以上で、今日の講義は終了だ」 　その言葉と共に、静寂を保っていた教室はいつもの賑わいを取り戻す。生徒たちは思い思いの私語を口にし始め、ケイネスはその様子を見てから一息吐いて教材を片付け始めた。 （あ、） 　このままでは、行ってしまう。 　ディルムッドが無意識に立ち上がった時、ケイネスは教室を後にしていた。慌てて後を追うが、邪魔が入る。いつものように声を掛けてくる女生徒たちだ。 「ねえねえディルムッドくん、」 「すまない、後にしてくれ！」 　彼の金色の目は女生徒など見てはいない。視線の先には、ケイネスの背中のみ。囲んでくる女子たちを押しのけ人ごみを避けながら追い掛け、やっと角を曲がった時、 「ま、待ってください！」 　声を掛けると、ぴた、と足を止めたケイネスがゆっくりと振り返った。 「……何か用かね。授業の聞き逃しなら他の生徒にでも聞け」 「い、いえ、そういうわけでは……」 　その青色の目に見つめられるとディルムッドは途端に何も言えなくなる。それもそうだ、何も考えず衝動ばかりで追掛けてきてしまったが何をどう話せばいいのかわからない。 　う、と目を逸らしたディルムッドは、目線を彷徨わせてから小さな声でやっと言葉を紡ぐ。 「その、メールは……見ていただけたのでしょうか」 　それは、未だ返事のない携帯電話を気にしての言葉だった。 　ケイネスはそんなことかと目を丸くさせてから瞬きを繰り返し、はあ、とわかりやすく溜息を洩らす。それから己の髪を流すように触れてから、 「そんなことか。私は今日、携帯電話に触っていない」 　はっきりと言い放った。 　それを聞いたディルムッドは、そういえば我が主は機械が苦手で忌み嫌っている節もあるのだった、と思い返しながら苦笑いをする。「いざという時の連絡用」として携帯電話を家族に持たせたのは、ケイネスの妻であるソラウの方だから、無理矢理押し付けられたケイネスが携帯電話に触れないのは自然なことのようにも思えた。 　いずれにしても、どうやら送ったメールが気に障ったわけではないようなので、ディルムッドの肩は安心からほっと落ちる。 「そうでしたか……主の機嫌を損ねたかと心配になりまして」 「学校では先生と呼べ」 「……家で主と言うと父と呼べというくせに……」 「何か言ったか」 「いえ、何も」 　にこ、と適当な笑顔を取り繕った。 「とにかく、用がないのならもう私は戻るぞ」 「あ……っ、待ってください」 　踵を返そうとしたケイネスの腕を思わず掴んでしまった時、彼は固まってディルムッドを睨みつける。 [newpage] 「……なんだ」 「っ今週末、実家に帰りたいのです」 　今は寮生活を送っているディルムッドだ。週末、ケイネスとソラウのいる実家に帰りたいと申し出た。メールの内容も、実はこれである。 　ケイネスは暫く黙りこんでから、人の行き交う廊下で露骨に眉を寄せる。 「……この間、まともな食事がしたいと言って帰ってきたばかりではないか」 「すっ……水銀の様子を見たいのです前回元気がなさそうでしたので、」 「あれは私の術式だ、元気も何もない」 「……」 　ペット代わりにしている水銀の塊を話題に出してみても一蹴だ。 　どう言葉を返そうか悩んでいる間に、先に口を開いたのはケイネスの方だった。 「……まあ……、好きにしろ」 「！」 　瞬間、ディルムッドは笑顔になって表情を華やかにさせる。帰省の許可が出たのだ。これほど思いつめていて主と慕うケイネスがいる家に、帰れるのだ。 「あっ、ありがとうございます！」 「ソラウがお前を心配しているからな。顔を見せる程度は仕方あるまい」 　それだけ告げると、ケイネスはすぐにその場を去って行ってしまった。相変わらず素っ気ないのだが、それでも今のディルムッドには構わない。 　単純と言われてもいい、これだけでも天に舞い上がってしまいそうなくらいに嬉しいのだから！ 「っふ……ふふ……」 　ディルムッドが一人怪しい笑いを洩らしながら教室へと戻る途中、ふとそこを通りかかった人物。 「あれー、黒子のお兄さん。随分嬉しそうだねえ」 　間延びした声をかけてきたのは、赤毛寄りの髪を額の中央で分け、耳には軟骨に空けたピアスが目立つ青年。 その片手にはビニールに包まれた焼きそばパンが一つ。 「……あなたは、購買部の……」 「ああ、うん、今短期でここの購買のバイトしてんだよね」 　気怠そうに話す青年の胸には、『雨生』と書かれた名札があった。ディルムッドは彼を知っている。よくアルトリアと購買部に昼食を買いにいくのだが、その時に最近やけに見かける人物だ。そういえば数週間前から見かけるようになったが、なるほど短期アルバイトで雇われているらしい。 「なんかお兄さん随分機嫌よさそうだし、これあげるよ」 　言葉の割には興味なさそうに雨生が差し出してきたのは、手に持っていた焼きそばパンであった。ディルムッドはぽかんとしたままそれを無理矢理手に持たされ、何事かと目を丸くする。 「いや、売上目標まで一個足りなくてさ。俺腹減ってないし、それ食べていいよ。じゃ」 　人と極力会話を好まないのか、それだけ一方的に告げると雨生は消えていった。 　よくわからない人物であるが、受け取ってしまったものは仕方ない。ディルムッドは持たされた焼きそばパンに目を落とすとぼんやり思うのであった。 （……主はこういうものは食べるのだろうか） 　どこまでも頭の中は、そればかりだ。

ディルムッド主軸学パロ２つめ。寮生活のファザコンディルムッドが実家に帰りたがるだけ。ついでに購買部の兄ちゃんに絡まれた。やっぱりディル→ケイなので注意してください。（前の→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=646049">novel/646049</a></strong>）（続き→<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=649854">novel/649854</a></strong>）

【Fate/Zero】帰省したいディルと購買部の人【学パロ2】

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最近、寝不足気味なのは宿題が多いからだ！そうしとこう！ [newpage] 前回までのハチライブ！ 女神が後輩の信者からお金を貰いました。 「ええっと…。登録料持って来ました」 「は…はあ…。登録料は1人1000エリスとなります…」 アクアの話だと1エリスが1円らしい。そして先程貰ったお金が3000エリスだから3000円相当を貰ってきた訳だ。 それにしてもこのお姉さんは俺達と目を合わそうとしない。おそらく先程のやり取りを見ていたのだろう。 それでも説明をしっかりしてくれるあたり仕事はちゃんとこなすのだろう。 「では。お二人ともある程度は理解しているとは思いますが、冒険者とは街の外に生息するモンスター、すなわち人に害を与えるモノの討伐を請け負う人の事です。とはいえ、基本は何でも屋みたいなものですが。」 ・・・何でも屋か。俺が地球にいた時そんなラノベを読んだことがあるような。 「そして、冒険者には、各職業というものがございます」 ついに、俺が職に就く時が来たか！ ここなら働ける気がする。 …たぶん。 [newpage] 受付のお姉さんは俺とアクアの前に免許証ぐらいのカードを差し出した。見た感じ身分証みたいに見える。そういやこの世界での戸籍とかはどうなるのだろうか。 「こちらに、レベルという項目がありますね？ご存知の通り、この世のあらゆるモノは、魂を体の内に秘めています。どの様な存在も、生き物を食べたり、もしくは殺したり。他の何かの生命活動にとどめを刺す事で、その存在の魂の記憶の一部を吸収できます。通称《経験値》と呼ばれるものですね。通常は目に見えませんが、このカードを持っていると、自分の収集した経験値が表示されます。それに応じて、レベルというものも同じく表示されます。これが冒険者の強さの目安になり、どれだけの討伐を行ったかもここに記録されます。経験値を貯めていくと、あらゆる生物はある日突然、急激に成長します。レベルアップだの壁を越えるだのと言われますが、まあ、要約すると、このレベルが上がると新しいスキルを覚えるためのポイントなどが与えられるので、是非頑張ってレベル上げをして下さいね」 なるほどな。今までの説明を聞く限り、まんまゲームだ。アクアの言ってた意味も納得した。 「ではこちらにお名前や生年月日などの記入をしていただき、こちらのカードに触れてください。それであなた方のステータスが分かりますので、その数値に応じてなりたい職業を選んでくださいね。職業によって習得できるスキルも違いますので、その辺りも踏まえて選んでください」 俺は一通り記入し、内心緊張しながら、もしかしたら凄い数値が出るんじゃないかと淡い期待を込めてカードに触れた。 [newpage] 「ありがとうございます。ヒキガヤハチマンさんですね。ええと…筋力、生命力、魔力は普通。器用度、敏捷性、知力はそこそこ高いですけど…、あれ？幸運がかなり高いですね。まあ、幸運は冒険者にはあまり必要のない数値なんですが…。しかし、これだけの幸運があるのなら、冒険者稼業はやめて、商売人とかになった方がいいと思いますよ？」 人生、そう上手くはいかないものだった。いきなり、冒険者稼業クビにされた。 「あの…このステータスでもできる職業とか無いんですか？」 「一応、敏捷性や知力はありますし、盗賊や魔法使いにはなれますが、他の方よりかなり劣ると思いますよ？あとは、基本職の冒険者くらいですね」 「盗賊や魔法使いは大体分かりますが、冒険者はどんなスキルを覚えられるんですか？」 「冒険者は全ての職業のスキルを習得できます。ただ、本職よりも威力が劣るのと、スキルを習得するのにかなりのポイントが必要になりますが…」 ・・・なるほど、器用貧乏みたいなもんか…。しかし、全てのスキルを習得できるのはかなり便利そうだな。これからどんなやつが仲間になるかも分からないし、もしかするとアクアと二人ぼっちの可能性もある。 「・・・じゃあ冒険者にします。」 そうして、俺は最弱職に就くことになった。 でもでも！最弱キャラは実は最強というのはテンプレだし…。べ、別に悲しくなんてないんだからね！ そんなことを思いながら自分のカードを手に取ると…。 「はっ⁉︎はああああっ⁉︎」 アクアの触ったカードを見たお姉さんがもう少し気合いを入れる感じで叫べばサ○ヤ人にでもなれそうな声を上げていた。 [newpage] 「なんですか、この数値⁉︎知力が平均以下なのと、幸運が最低レベルな事意外は、残り全てのステータスが大幅に平均値を超えてますよ⁉︎特に魔力が尋常じゃないんですが、あなた何者なんですか…っ⁉︎」 施設内が途端に騒めく。 あれ？そういうのって俺のイベントじゃないの？・・・そうか！最弱主人公の最強パターンってことだな。さすはちとか言われるのかな？なら、ヒロインは小町だな！小町会いたいよー‼︎ 「え？もしかして、私かなり凄いの？いやー、まあ私くらいになればそりゃあね？」 さすが(目が)腐っても一応は女神ってことか。 「凄いなんてものじゃないですよ⁉︎高い知力を必要とされる魔法使いは無理ですが、それ以外ならなんだってなれますよ？最高の防御力を誇る《クルセイダー》、最高の攻撃力を誇る《ソードマスター》、あらゆる回復魔法と支援魔法を使いこなす《アークプリースト》など、最初からほとんどの上級職に…！」 「そうね、女神って職業が無いのが残念だけれど…。私の場合アークプリーストかしら」 「アークプリーストですね！冒険者ギルドへようこそアクア様。スタッフ一同、今後の活躍を期待しています！」 ・・・あれ、何だコレ。 こういったイベントって転生者である俺の方に起こるんじゃ… まあ、何にせよ。 こうして、異世界での冒険者生活が始まった。 [newpage] 深夜のテンションでいつも執筆しているので、少し不安です。大丈夫でしょうか？だ、大丈夫かな…？

今週は学年末テストですが、今までのテストと同じように予習復習無しのぶっつけ本番で向かうつもりです。ただし、宿題は増える模様…。

この捻くれたぼっちに祝福を！ 5

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1.名無しっくす いま放送中の月9（ベッドシーンあり）のオファーを「童貞だから…」で断ったって嘘だよな？これがマジなら俺こいつのこと応援していく所存だけどイケメン童貞とかファンのための嘘だよな？ 2.名無しっくす 安心しろ、あいつら全員童貞だ 3.名無しっくす このスレでもまたカラ松ボーイズが生まれてしまうのか…† 4.名無しっくす >>1にカラ松ガールズの私が…今月特集された某アイドル雑誌のF6インタビューから抜粋…† 長男「ていうかさ〜、アイドルになってモテモテなのにセクロスできないとはこれいかにだよ？」 三男「おいゴラァ！すっすいません…こいつ本当に下ネタばかりで…」 六男「自分が一番ソウイウこと考えてるのによく言うよねシコ松兄さん（笑）」 三男「お前らのせいで街歩いてると『シコ松ー！』って言われる俺の気持ちわかる？」 長男「童貞といえばさ〜」 三男「話広げんな！」 長男「カラ松おまえ月9のオファーきたって本当？」 四男「は？」 五男「すげー！！！カラ松兄さん主役！！？？」 次男「ああ、主役だぜ」 六男「すごいじゃん！おめでとうカラ松兄さん！」 次男「ああ……でもな、断ったんだ」 三・五・六「えぇーーー！？！？」 次男「いや、だってその、…なあ？」 三男「いや！なあ？じゃないでしょ！なんで！？」 次男「…ベッドシーンが」（目が泳いでました） 全員「あぁ〜」 三男「いやでもせっかくのチャンスじゃん。やりたかったんじゃないの？モデルだけじゃなく俳優もやっていきたいみたいに言ってたじゃん」 次男「そうなんだが…中途半端な知識で演じては、相手も関係者にも迷惑をかけかねんと思ってな…フッ、それに俺の熱いベッドシーンが放送されては全国のカラ松ガールズ&ボーイズがうんたらかんたら ってな感じだよおまえら＾＾ 5.名無しっくす もう普通に好きーーーー！！！！！ 6.名無しっくす カラ松ー！！！俺だー！！！養わせてくれー！！！！！ 7.名無しっくす カラ松カラ松カラ松うううう！！！！！まじなんなんだよこいつのかわいさあああああ！！！！！ 8.名無しっくす ほら兄弟がわいてきたじゃん〜 9.名無しっくす カラ松さんインタビューになると気が抜けるのかあまりナルシスト発揮しないのはなんなの？かわいすぎない？ 10.名無しっくす 長男「カラ松おまえ月9のオファーきたって本当？」 四男「は？」 ガチ勢怖すぎワロエナイ 11.名無しっくす イッチなんて声発してんのここだけだからな 12.名無しっくす なのにこの存在感よ 13.名無しっくす 三・五・六「えぇーーー！？！？」 長男と四男はどんなリアクションだったんですかねえ… 14.名無しっくす 某テレビでドッキリ仕掛けられたカラ松（一松と間違えられ理不尽なことを言われるも一松になりきりフォローする）に対するワイプでの一松氏「カラ松！？！？カラ松カラ松カラ松うううう！！！！なんだこいつ俺に化けてこの場をおさめるつもりなのか！？！？神か？？？神なのかこいつ？？？逆に死ねェ！！！」 猫の手で語尾に『にゃあ』を付ける天使カラ松に対するワイプでの一松氏「でも俺の真似下手すぎ…（ 「今後はこういう感じでいこうと思って…」）…勝手に宣言すんな！俺そんなキャラ背負うの絶対やだぞ！！」 どこまでも四男を助けようとするカラ松神に対するワイプでの一松氏「まさか俺を助ける気なのか？？まじなんなんだよこいつの優しさ！！！逆に死ねよ！！！俺はもう…カラ松ボーイズだよぉ〜〜〜〜！！！！！」 イッチ……これ全国放送やで…… 15.名無しっくす この回は伝説すぎたしイッチのキャラがいつにも増して定まらなかったな 16.名無しっくす >>14 にゃあにゃあ言うカラ松かわいすぎ 国で保護するレベル 17.名無しっくす 某ト---クでの『カラ松大好き芸人』企画マダー？（出演1・3・4・5・6） 18.名無しっくす でも一松さん同担拒否感すげえから無理じゃね 19.名無しっくす 1・4ガチ勢以外の兄弟による次男溺愛っぷりも相当の模様 トッティがモデルしてる雑誌のインタビュー記事→「休日はよくカラ松兄さんと2人でショッピングするんだ。ファッションセンスは痛いし言動も痛いし、とにかくかっこつけだけど率先して荷物を持ってくれるし細かいところに誰よりも気付く。一緒にいて安心するし楽なんだよねー。あと時々、普段のカラ松兄さんが出てきたときとか、ああ、全部ひっくるめてカラ松兄さんだなあって思う。…あはは！意味わかんないよね！うん、僕も痛いよねー！」 20.名無しっくす トッティはなんやかんやカラ松大好きっ子 21.名無しっくす ああ＾〜材木松かわいいんじゃあ＾〜 22.名無しっくす F6みんな仲良いのはわかるんだけど、次男に対する思いがいろいろとアレ 23.名無しっくす チョロ松「俺が最悪養ってやるよ！」 24.名無しっくす 三男は常識人の皮かぶった過激派 25.名無しっくす 三男「いやでもせっかくのチャンスじゃん。やりたかったんじゃないの？モデルだけじゃなく俳優もやっていきたいみたいに言ってたじゃん」 マネージャーかな？ 26.名無しっくす ていうか松野家は童貞卒業なんてやろうと思えばできただろうに。しなかったのは他兄弟よりも先に童貞捨てたら悪いみたいな理由？1・4は次男で捨てる気満々だから怖いけど 27.名無しっくす 公式が腐ってるから普通スレがホモになってもどうしようもねえな 28.名無しっくす >>27 いや…言うほど次男に対してホモホモしいか？行き過ぎたファンサじゃねえの？ 29.名無しっくす もともとガチ勢だったけどファンも喜ぶからオープンにくっつける〜♡→激しいファンサに繋がるのでは？ 30.名無しっくす >>28 【カラ松の腰を抱き寄せるおそ松の画像】 【その後ろでおそ松を睨む一松の画像】 【蹴りを入れられ無理やりおそ松と離されるカラ松の画像】 これ上から時系列な 31.名無しっくす しかもこの回、最後までカラ松の隣キープするイッチ 32.名無しっくす おそとイッチも仲良しなのにカラ松入ると水面下で戦う感じが 33.名無しっくす もうパカカラで3人幸せになれよ… 34.名無しっくす っ！ばか！そんなことしたら！ 35.名無しっくす >>33 「失せろ…おまえとは金輪際赤の他人だ…」 36.名無しっくす >>35 マネージャー怖すぎ 37.名無しっくす マネージャーといえば幼馴染の女の子なんだろ？クッソ可愛いからテレビも出るよな 38.名無しっくす トト子ちゃん様に貢ぎたい 39.名無しっくす みんなトト子ちゃん様が大好きらしいけどトト子ちゃん様は幼馴染でそれぞれクズの部分知ってるから恋愛に発展すんのは絶対ありえん言うてたで 40.名無しっくす 俺らにもワンチャンあるってことか！ 41.名無しっくす >>40 あるわけねえだろ殺されるぞ、俺に 42.名無しっくす そういえばダークホース十四松たゃがいないんですけど？ 43.名無しっくす 44.名無しっくす 45.名無しっくす おいお〜いどこに行くのかなあ〜？（CV:長男） 46.名無しっくす ま、まあいろいろ除けば筋肉松はフェアリー一択だから… 47.名無しっくす でもふたりでパチ屋行くってのは衝撃だった 48.名無しっくす 筋肉松がパチ屋って想像すると近寄りがたいよな 細マッチョイケメン男子が並んでパチ打つとか 49.名無しっくす でもジャラジャラの中での大声が似合うね筋肉松 50.名無しっくす ライブでの即効ソングはダダ滑りだけど2人が楽しそうなのでみんなも楽しいね筋肉松 51.名無しっくす そういえば>>1はこれ見てカラ松を応援していく所存なの？ 52.名無しっくす >>51 53.名無しっくす そうだよ1はまだいるのか？ 54.カラ松ボーイズになった1 †フッ…呼んだかな子猫ちゃん…† 55.名無しっくす 完全に堕ちやがったｗｗｗ 56.名無しっくす ようこそｗｗｗｗｗ

自分だけが楽しかったにわか知識によるちゃんねる形式です。どんな設定でも許せる方のみ。<br /><br />[追記]<br />2016年02月25日付の[小説] デイリーランキング 50 位に入りました。<br />ありがとうがざいます(*´-`*)

F6の厨二病ナルシストｗｗｗｗｗｗ

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108のお兄ちゃんスキルのうちの１つ、頭撫で。小町専用スキルとしてこれまでに何度も使ってきたものだ。今でもたまに使う。そのたびに小町は軽く目を細めるのだが、マッサージのような効果でもあるのか、と思っていた。 思っていたのだ。 そもそも俺と小町は年が２つしか離れていない。そして俺の記憶があるのは小学校に上がる少し前あたりからで、その時には既に両親は小町を溺愛しており、俺が何か良いことしたからといってご褒美があったり褒められたりしたことはない。つまり、頭を撫でられた、という経験がなかったのだ。だから撫でられる側の気持ちなどわかるはずがない。それにどんな効果があるのか知らないのだ。そしてお兄ちゃんが妹にやるものだ、という認識だけを持って俺は高校生になった。 そんな俺が少なくとも記憶にあるかぎりでは初めて頭を撫でられた。そして俺の頭を撫でたのはお兄ちゃんなどではなかった。 由比ヶ浜結衣だったのだ。 あれは生徒会選挙の時、奉仕部を守るため俺は一色を生徒会長にして、依頼そのものをなかったことにした。その後のことだ。 「ヒッキーもいろいろやってたんでしょ？ほら、髪とか伸びっぱなしでボサボサだし」 「直したげる」 「いらんっつーの」 由比ヶ浜は優しく俺の髪を撫でた。あの時、俺は目を閉じて由比ヶ浜の声に耳を澄ませていた。そして何より安心しきっていた。頭を撫でられるだけで心から安心して、あと数分あのままでいたら眠ってしまいそうだった。 由比ヶ浜の温かい手の感触と、頭がぼーっとしてくる感覚が俺を支配していた。生まれて初めての感覚だった。 正直に言うと超気持ちいい。男の俺が言うとキモいだろうが、実際気持ちよかったのだ。 あの安心感の正体を知りたくてあの後帰ってから自分でどんなに髪をいじっても頭を撫でても全く何も感じなかった。どんなに優しく触ったところで痒い所に手が届くだけ。 人に髪を触られることに意味があるのかと思って髪を切りに行ってシャンプーの時に集中してみても何もなし。痒い所は伝わらないし髪が短くなるだけだった。 俺はいったい何をしてるんだろう、なんて疑問を抱きつつも俺はあの気持ちをもう一度味わう方法を探していた。 ここは撫でられ慣れている小町に聞いてみるのがいいか。 早速その日の夜、小町とゲームをしている時に聞くことにした。 「なあ、小町」 「おっと、ささやき戦術とは考えたねお兄ちゃん」 「いや、そんなつもりはないが」 「で、何？そんなつもりないならわざわざ赤甲羅ぶつけるために順位下げなくていいんだけど？」 「それは作戦のうちだ。いや、俺よく小町の頭撫でてるだろ。あの時小町がどう思ってるのかと思ってな」 「んー？まあお兄ちゃんが小町の頭撫でるのはなんか特別な会話の時くらいだからねー。うーん…安心するっていうか、そんな感じかな？」 「そうか」 ふむ、だいたい俺と同じか。だが俺と小町は兄妹だからな。お父さんに抱っこしてもらう、みたいなものと変わらんだろう。もっとも親父が小町を抱っこしようもんなら3日くらいは口もきいてもらえんだろうがな。 「なに？お兄ちゃん頭撫でてほしいの？」 「そうじゃねえよ。ちょっと気になっただけだ」 「今さら？お兄ちゃん、小町に隠し事をしようたってそうはいかないよ？わかりやすいもん」 「別に隠し事してるわけじゃないんだけどな」 「じゃどうして最近ぼけーっと髪いじったりしてんの？」 「乾燥する時期だからな、痒いんだ」 「最近髪切ったのは？」 「伸びたからだ」 「むう…怪しい」 「なにもねえっての」 「むう…あ、雪乃さんの髪を触る機会があったとか？」 「ねえよ。俺が雪ノ下の髪に触れるどころか近寄るだけで通報されるわ」 「じゃ結衣さん？」 「それもねえよ」 「もしくは2人のどっちかに頭撫でられましたかな？」 「いにゃ、ねえよ」 「はい、ダウトー！で、どっち？」 「待て、俺はイエスと言ってねえ」 「そーいうのは鏡見てから。顔赤くして噛んでるとか嘘ついてますって言ってるようなもんじゃん。で、どっち？」 「うぐ…いや、俺はだな…」 「もーめんどくさいなあこの人は。雪乃さんに頭撫でられたの？結衣さんに頭撫でられたの？両方？」 「言わん、俺はもう何も言わん」 「あーめんどくさいなあ…そうだ！お兄ちゃん、小町が撫でてあげよう！」 「いらんわ」 まあまあとか言いながら俺の後ろに立ち頭を撫でる小町。だが由比ヶ浜の時とは全然違うな。 「どう？お兄ちゃん」 「特に何もねえな」 「やっぱ結衣さんとは違うもんねー」 「ああ、由比ヶ浜の手はもうすk…待て、なんで由比ヶ浜が出てくる」 「お兄ちゃんの頭を撫でる可能性が高いのは結衣さんかなと思ってカマかけてみただけだよ？で、もう少しなに？」 「ちくしょう…」 「どーなの、結衣さんの手の感触は？」 こいつ完全におもしろがってやがる。俺もなにあっさり釣られてんだよ。油断しすぎだろ。 「さて、そろそろ寝るか、小町」 「結衣さんの手はなんだって？」 「言ってねえよ。寝るぞ、小町」 「ちょっと、気になるじゃん！」 「おやすみ、小町」 「結衣さんに撫でてもらってどうだったの！」 華麗にスルーして部屋に戻る。小町でも違うとなると、由比ヶ浜本人じゃないとだめなのか？じゃあもう無理じゃねえか。由比ヶ浜、頭撫でてくれーなんて言ったらキモいキモい言われるだけだ。 それでもあのぬくもりをどうしてももう一度感じたい。どうするのがいいか… いつの間にか「由比ヶ浜に」頭を撫でてもらうにはどうすればよいのかを考えていたことに気づくのはそれから2時間経ってからのことだった。 [newpage] 次の日の部活の時間、いつも通りに雪ノ下が淹れた紅茶を飲んで本を開いたのだが、昨日のこともあり内容が頭に入ってこない。本を読もうとしてもいつの間にかあの日のことを考えてしまっている。 「ヒッキー、髪の毛気になるの？」 「あ？なんで？」 「さっきからずっと髪の毛いじってるから」 「え、マジか。いや、別に髪を気にはしてねえよ」 「そう？あ、ヒッキー髪切ったよね。短めも似合ってるよ！」 「ありがとよ」 由比ヶ浜は基本的に俺に対してはっきりと物を言う。キモいとか。 今回のように褒める時もはっきり言うから反応に困り、本で隠すしかない。 「んー、もうちょっとこうした方がかっこいいかも」 なんて言いながら由比ヶ浜は立ち上がって俺の後ろに立ち、いきなり髪を撫ではじめた。 「おわっ！？」 「わっ！ごめん、ヒッキーイヤだった？」 「あ、いやすまん。ちょっとびっくりしただけだ」 「そ、そっか。えと、じゃあ触るよ？」 「あ、おう」 由比ヶ浜はもう一度髪を触りはじめた。そしてあの日と同じ感覚が俺を襲った。由比ヶ浜の柔らかい手の温もりと、頭がぼーっとして全身の力が抜ける感覚。ああ、これだ。本当に安心する。何故か由比ヶ浜はもう手を動かさず、ただ頭に乗せているだけだ。 それでも安心しきっている俺は目を閉じてそのまま寝てしまおうとして。 「あなた達何をしているのかしら」 「はわわわわ！」 2人の声でばっちり目が覚めた。 「比企谷くん。今のあなたの顔は言葉で言い表せないくらいに気持ち悪かったわ。通報するわよ」 「おい、キモいくらいで通報するな。日本の警察はそんな事に時間割いてやるほど暇じゃない」 「警察の心配をする前に自分の心配をしなさい。由比ヶ浜さんもなぜ頭から離した手を今度は肩に置いているのかしら」 「はわわわわ！や、これは違くて！」 その後は主に雪ノ下の罵倒が俺に飛んでくるというだいたいいつもの流れだったが、俺は由比ヶ浜の手の感触を思い出していたので途中から何を言われたかよく覚えていない。あれ、なんで俺しか罵倒されないの？由比ヶ浜、まあまあって雪ノ下を宥めてくれるのはいいけどなんで君は怒られないの？ ひととおり終わるころには下校時間になっていた。ようやく解放された俺はさっさと帰ろうと下駄箱に向かい、靴を履いた。 「待って、ヒッキー。一緒に帰ろ？」 「ああ？由比ヶ浜か。別にいいけど」 俺は由比ヶ浜と並んでチャリを押して歩く。 「ね、ヒッキー」 「あ？」 「ヒッキーってさ、頭撫でられるの好きなの？」 「なんだいきなり」 「昨日小町ちゃんからメールきてさ、ヒッキーは頭撫でられるのが好きなのでやってみてくださいって」 「あの野郎…お前も何素直にやっちゃってんだよ」 「う…ヒッキーが好きならって思ったんだけど…」 いや、まあ好きだけど。安心しきって寝そうだったけど。 「あたしは撫でるのが好き、かも」 「まあ犬飼ってるしな、そのせいもあるんだろ」 「そうじゃないんだけど…」 「じゃあなんだよ」 「えっとー…そう！ヒッキー、試しにあたしの頭撫でてみて！」 「はあ？なんでさっきの流れからそうなるんだ」 「いいじゃん！さっき撫でてあげたんだから！…だめ？」 くそっ、こいつのおねだりは断るという選択肢を奪ってしまう… 「しかたねえな…」 「やたっ！じゃあどうぞ！」 そう言って俺に向き合って頭を突き出す由比ヶ浜。え、正面から？普通後ろからとかじゃないの？これはいろいろマズい気がするんだが… 「ヒッキー？」 なかなか撫でない俺に不安げな声を出す由比ヶ浜。 「ああ、悪い」 どうにでもなれと俺は由比ヶ浜の頭に手を乗せ、軽く撫でた。さらさらな髪の手触りが手いっぱいに広がる。落ち着けよ俺。何度も小町の頭撫でてるだろ。 ふと視線を下にずらすと、由比ヶ浜の顔が目に入った。 「あ…。えへへ……」 そして目が離せなくなった。緩みきった顔はまるで自分の家でくつろいでいるかのようだ。もともと顔の可愛さで言えば学校トップクラスであるうえにこの緩んだ顔、さらに夕焼けによって真っ赤に見える顔、耳。写真撮って待ち受けにしたい。この破壊力はやばい。いつも会っているはずなのに、この破壊力は本当にやばい。 そのままじっと見ていると、何故か由比ヶ浜がこちらに倒れてきた。 いや、ほんとになんで？ 「お、おい、由比ヶ浜？」 「……」 「おい、由比ヶ浜？大丈夫か？」 ちなみに俺は大丈夫じゃない。由比ヶ浜は体から完全に力が抜けて、全体重を俺に預けており、俺が由比ヶ浜を抱きしめるような形になっている。柔らかい感触、主に全俺の夢である大きな胸の感触がブレザー越しに伝わってしまっている。このままでは本当にマズい。 「すー……」 「マジかよ…」 寝やがった。寝ちゃったよガハマさん。どうすんだこれから。 起こそうと思って顔を見るとあの顔のまま寝ており、なんか起こすのが申し訳なくなってしまう。 てことは… 「おぶって帰るしかないな…」 チャリはどうするか…片手でおんぶして片手で押すか？できるのか、俺に… とりあえず由比ヶ浜をおぶると信じられないくらい軽かった。軽いのはいいがこれじゃスカートの中身見えちまうよな。仕方ない、由比ヶ浜は漫画とかで死体をかつぐように持ってる感じで抱えて、ブレザーの上を脱いで腕を通すところで俺と由比ヶ浜を縛るか。これならチャリもなんとか押せるしスカートの中が見えることもない。 結局由比ヶ浜家に着くまで一度も由比ヶ浜が起きることはなく、スポ根アニメのワンシーンみたいにハーハー言いながらインターホンを押すことになった。 「はーい…あらあら、ヒッキーくん？」 「はあっ…後で話すのでとりあえず上げていただいていいですかね…」 言いながら背中の由比ヶ浜を見せると大変嬉しそうに家に入れてくれた。 由比ヶ浜の部屋のベッドに起きないよう寝かせてリビングでお茶を貰う。 「ヒッキーくん、ごめんなさいね〜」 「いえ、大丈夫です…」 「それで、どうして結衣は寝てるのかしら〜？」 当然そう来るよな…だが正直に言っていいのかこれ？ 「いや、まあいろいろありまして…」 「…結衣のあんな嬉しそうな顔は最近滅多になかったのよ？」 「はあ…」 「う〜ん…まあ聞かないであげる」 「ありがとうございます」 「その代わりヒッキーくんが結衣のことどう思ってるのか聞きたいわ」 「え？」 「あの子いつも家で今日はああだった、こうだったって言ってくれるんだけど、その半分以上はヒッキーくんの話なの。応えてあげて、とは言わないからせめてママに気持ち、教えてくれないかしら？」 「そうっすか…」 仕方ないか。由比ヶ浜の気持ちはある程度察してはいたしな。 「好きか嫌いか、で言えば好きです。間違いなく。見た目は当然可愛いし、優しいですし」 「もし、結衣に告白されたらどうする？」 さっきの緩んだ顔が脳裏に浮かぶ。そもそも俺が由比ヶ浜の気持ちに気づかないふりをしているのは自信がないからだ。好意を向けられてそれに応えたとしていつか失望されるんじゃないか、とかまあいろいろなんだが要は俺が由比ヶ浜に踏み込む勇気がどうしても持てない。俺でいいのか？後悔されないか？それが由比ヶ浜のためになるのか？それを決めるのは由比ヶ浜だとわかっていても、俺はやはり怖いのだ。でも、それでも。さっきの顔を、あの緩んだ顔を見せてくれるくらい気を許してくれているのなら、とも思う。どちらとも言えない。あいつのことは大切だし、この気持ちに名前をつけてしまえば「好き」なのかもしれない。でも、怖い。俺もどうしていいかわからないのだ。だから、 「その質問には答えられないです」 わからないのだから答えようもない。 「あらあら、やっぱり結衣と話さないとね？ヒッキーくん、今日は結衣が起きるまで居てくれる？帰りは送るから」 「まあ多少遅くなってももんないんで」 俺は由比ヶ浜の部屋に戻りベッドの横に座った。よく寝てるな、こいつ。昼ねってレベルじゃない、ガチ寝だ。 気持ちよさそうに眠る由比ヶ浜をしばらく見ていると、寝言が聞こえてきた。 「ヒッキー…」 夢の中で俺が何してるのか知らないが、夢に出るほど由比ヶ浜の心に居れることは嬉しい。 俺はさっきのように頭を撫でてみた。 「えへへ…」 お気に召したようで何より。あとその顔やっぱり超可愛い。 さっき撫でるの好きとか言ってた割には撫でられてあっさり寝たよな… しばらくそのままでいると、由比ヶ浜は突然俺の腕を持ってぐいっとひっぱった。予想していなかった動きに俺の体は反応できずベッドにダイブしてしまう。頭に置いた手を引っ張られるとどこにダイブするか。当然顔の付近だ。目の前に由比ヶ浜の顔がある。まずい、このパターンは。 「んん…ん？」 やっぱ起きるよな。何もしてないのに通報されたら現行犯逮捕だ。 「ヒッキー…？はっ！」 絶叫を覚悟した。が。 「……」 目が合ったまま動かない。 やがて、大勢から何があったか察したらしい。 「あ…あの、ごめん…」 「あ、いや別に…」 絶叫はされずにすんだがこれはこれで気まずい。本当にどうしたらいいんだ。 [newpage] ベッドに並んで座り、とりあえず落ち着こうとするも、お互いに全く落ち着きがない。ちらちらと互いを見て目が合っては逸らす。その繰り返しだ。 「えっと、ヒッキーが家まで運んでくれたの？」 「あ、まあ一応」 「そっか…ありがと」 「…おう」 「あのさ、ヒッキー」 「なんだ」 「頭撫でられるのっていいね…」 「俺はなにも言ってないんだが…」 「えいっ！」 「ばっ、おい！」 由比ヶ浜は横から無理やり俺の頭を撫で始めた。最初こそ抵抗していたが、どうしてもあの気持ち良さに勝てず、抵抗を諦めた。 頭を止めると由比ヶ浜も手を止めて両腕で頭を抱くような格好になる。 「あたしさ…」 先にくる言葉などわかりきっている。普段の俺なら止めていたのだろう。だが今日は聞きたいと思った。 怖い。この言葉を聞いてしまえばもう戻ることはできない。どうしようもなく怖い。それでも、この気持ちが勘違いでもなんでもない本物の気持ちであるなら。 「ヒッキーのこと、好きだよ」 言いきって由比ヶ浜は腕に力を込める。 止めなかったからにはもう逃げない。ついにここまで踏み込んできた由比ヶ浜に対してもうそれは許されない。 「由比ヶ浜。俺でいいのか…」 「ヒッキーじゃなきゃやだ。ヒッキー以外とか絶対にやだ」 駄々をこねる子供のような口調だが、今はそれすら可愛い、愛おしいと思えてしまう。 「なあ、由比ヶ浜。俺、お前を好きになってもいいのか？」 「え？」 「怖い。上手く言えないが、俺は怖い。」 「……ヒッキー、こっち向いて」 言われた通りに由比ヶ浜を見る。 その顔は笑っている。 「ヒッキー、大丈夫だよ」 「え…」 「怖いのはあたしも一緒だから。この気持ちを伝えたらもう今まで通りにはいられないよね。すっごく怖いの。勢いで言っちゃって壊れちゃうのが怖い。嫌われるのが怖い。今だってどう思ってるんだろう、これからどうなるんだろうってすっごく怖いよ。」 「あたしだって怖いし、今まで色々あったヒッキーはもっと怖いよね。でも…でもさ、一緒なら大丈夫だから…あたしを信じて欲しいの」 精一杯言葉を選んで話す由比ヶ浜。 はっきり言ってよく意味はわからない。わからないが…冷めきっていた心にずしっと響いた。 人の悪い所ばかりを見るようになってしまっていた心が告げる。由比ヶ浜を信じてみないか？と。 怖くて仕方ないが、一緒なら大丈夫だと言った由比ヶ浜を。 「…信じていいか？」 「…うんっ、ヒッキー！」 「うおっ！」 由比ヶ浜は思いっきり抱きついてきた。なんとか受けとめて、左手で抱き返し右手を頭にもっていく。由比ヶ浜も同じようにして、お互いを抱きしめながら頭も撫でるような格好になる。 言葉はない。 あの日以上の温もりが体全体に染み渡る。ああ、この温もりが俺はずっと欲しかったのか。由比ヶ浜からしか得られないこの温もりが。ということは生徒会選挙の時点、あるいはそれ以降で俺はもう由比ヶ浜が好きだったのか… なんとなくそう思いながら俺はさっきと同じように少しずつ意識が遠のいていくのを感じた。 「俺は由比ヶ浜を信じる。俺も由比ヶ浜のことが好きだから」 「うん…ヒッキーがあたしを信じてくれる限りずっと一緒にいるから」 由比ヶ浜の温もりと温かい気持ちに満たされた俺は体重を預けるように、そして由比ヶ浜も同じように俺に寄りかかるようにして眠りにつく。お互いにこの温もりを離さないようにお互いを強く抱きしめながら。 「ヒッキーくーん？そろそろ…あらあら、仲良しねえ〜…良かったわね、結衣。」 [newpage] どうも、きよきばです。 8巻を読んで頭を撫でるガハマさんも撫でられるヒッキーも可愛かったので書いてみました。 人の温もりを知らずに大きくなった、と言うと大げさかもしれませんが、家族以外の人の温もりはヒッキーは知りませんからあるいはこんな未来もあったかな、と… 小町とガハママはなんか書くの難しいんですよね〜 それでは今回も読んでくださってありがとうございました！ …あと私のSSはやたら寝ますよね。もう少し違う話も書かないと…

原作を読み直していてあるシーンを見て書いてみました。<br /><br />12巻、まだですかねえ…

温もりは頭から

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◆ほっと一息くっしょんページ　※必ずご確認ください ※キャプションの確認はしていただけましたでしょうか。 ・この作品は公式の設定には無いものが多数使用されています。（ほとんどそうです） （本丸、任務、政府について、戦闘審神者、刀剣の扱いについて等） ※三条派について、作者の勝手な設定が盛り込まれています。 （兄弟設定、昔の姿設定等／これらは実際の歴史や公式とは異なりますのでご注意ください！） ・公式の刀剣男士とは性格や口調などが異なります。 ※三日月、小狐丸の性格が公式とは100％違います。（作者は二振とも大好きです） ・！！今回は審神者ちゃん以外の女審神者が登場します。！！ ・この作品はフィクションです。 ・！！東雲（男審神者）も登場します！！ ・いただく有り難いコメントですが作者はどの刀剣も大好きです。 できましたら名指しでの「○○ムカツク、○○はやく～になれ」等、 他の方が見て悲しくなるような打撃力の強いコメントは控えていただけると助かります。 （何かありましたらメッセにてご連絡ください） ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ [newpage] 「こうめー！！はやくしないとおいてっちゃいますよーっ！！」 大きなザルの中にたったいま収穫したばかりの野菜を積み上げ、それを軽々と抱えた今剣が笑顔で少女を呼ぶ。 白い頬も髪も泥だらけにして眩しい笑顔でぴょんぴょんと飛び跳ねる付喪神に笑顔を返すと、小梅と呼ばれた少女は自分も体中を泥だらけにし、袴にたすき掛けの姿で小走りに駆けて行った。 ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 「あるじさまー！やさいのしゅうかくがおわりましたよー！」 「先生！ただいま戻りました！」 その本丸の主は泥まみれの二人を見ると盛大にため息をつき、そして笑う。 近侍として側に控える長谷部も今剣から野菜の積まれたザルを受け取り、楽しそうな主の姿を見て微笑んだ。 「おかえり。二人とも、今日はこれまた大層汚したものだね・・。怒られる前に歌仙と堀川に謝っておくんだよ？」 「うへぇ・・かせんはおこるとこわいですからね。こうめはきたばかりでまだちいさいのでこんかいはぼくがかわりにおこられてあげます！」 「い、今剣様！そんな・・私が歌仙様に怒られます！大丈夫です！」 兄貴風を吹かせる今剣に恐縮した小梅があわあわと慌てていると廊下を衣擦れの音を微かにさせながら話題の刀剣が腕組みをしながら現れた。これはこれは・・と彼女は長谷部を連れて先にその場を退散する。残された二人は腕組みをしたまま微笑むこの本丸の家事総括殿を恐る恐る伺い見た。 「僕がどうかしたのかい？・・・これはまた洗濯のしがいがありそうだねぇ。一体どれだけの芋を掘ればそんなに全身泥だらけになるのか教えてもらいたいものだ。さて、期待されているようだしお説教といきたいところだけどひとまずは身を清めてくるといい。先程庭掃除をしていた小夜も風呂に行かせたからね、３人で冷えた体をしっかり温めてくるんだよ」 「「はーい！」」 二人が揃って本丸内の湯殿へ行くとそこへ風呂好きの岩融が手桶を片手にやってきたものだから、小梅はピキンと固まった。 中学生になったばかりとはいえもう心は女性なのだ、短刀達はともかく成人した姿の刀剣男士とは裸の付き合いをするにはもう大人過ぎる。 「いわとーし！ぼくたちはこれからさきにはいっているさよといっしょにからだをあたためるんですっ！れでーもいるのだからえんりょしてください！」 ふんす、と仁王立ちした今剣にガハハハと大きく笑ったその薙刀は「よかろう！」と踵を返した。 「その泥だらけの成りで本丸内を歩かれては歌仙の雷が春雷のごとく鳴り響くぞ！さっさと身を清めるといい。俺は気にせんが小梅は主と違って恥じらいをちゃんと持っているようで何よりだな、出直すからゆっくりとつかってくれば良い」 のしのしと去っていく岩融に「すみません」と頭を下げた小梅は今剣に引っ張られて脱衣所まで来ると泥だらけの着物を脱衣篭に入れ、タオルを一枚手に持ったまま広々としたお風呂場へと入った。 先客の小夜はすでに湯船にちょぼりと浸かっており、血色のよくなった顔で今剣らを見ると小さく手を振る。 「さよ！ぼくらもからだをあたためにきたんです、いっしょにあそびましょう！」 「・・・・・お風呂場ではしゃぐと危ないって叱られるよ？」 「だいじょうぶです！ひかえめにします！」 「・・・そう」 体を清めた小梅と今剣が湯船へと入ると、三人はほぅ、と息を吐きながらじんじんと温まっていく体に満足して目を閉じた。 「きょうのおやつはなんでしょうね～・・、ぼくはあれがいいです！あのぷりんが！」 「ぼくは干し柿と温かいお茶がいいな・・・」 「こうめはなにがすきなんですか？」 「私ですか？私は・・そうですねおだんごが好きですね」 「だんごですか？こうめはいまのにんげんなのにふるいかしがすきなのですね」 「お菓子に古いも新しいもありませんよ、いつだってお菓子とは癒しです」 「・・・・そうだね。」 小夜が微笑むと小梅も嬉しそうに笑って栄養が足りて血色のよくなった自分の腕や手を見た後、小夜と今剣に問いかけた。 「何故・・・皆さんは私なんかにこんなに良くしてくれるんですか？その・・審神者はお嫌いだと聞いたので・・」 「うーん・・・・こうめはこうめでしょう？こうめはさにわだけど、こうめだからぼくらはへいきなんだとおもいますよ」 うーん、と考えた今剣の言葉は少し難しくて・・複雑そうな顔をした小梅に小夜がもう少し分かりやすい言葉を選んで伝えてくれる。 「僕らにとって・・小梅は審神者だけど小梅なんだ。ただの審神者じゃなくて小梅だってことが僕らにはとても大切・・何だと思う。うまくいえなくてごめんね」 申し訳なさそうな小夜に首をぶんぶんと振った小梅は「いいえ！ありがとうございます！」と笑顔で礼を言う、その姿に小夜もにこりと微笑んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 風呂から上がり、綺麗な小袖と袴に着替えた小梅は日課である審神者修行の為にこの本丸の主である彼女の部屋を訪れた。 山中で行き倒れているのを救われてから毎日、彼女は小梅に審神者の仕事を教えている。帰りたくなさそうな小梅に時折苦笑をしながらも、真面目な少女は今日も真剣に彼女の言葉に耳を傾けるのである。 「先生、小梅です。本日も宜しくお願い致します」 部屋の前で膝をつき、お辞儀をする小梅に柔らかい声で「入っておいで」と伝えた彼女は傍らの長谷部に二人分の茶を頼むと、しずしずと入ってきた小梅を自分の前に座らせ「さて」と書物を開いた。 「今日は特別なんだよ・・・・」 「あ、あの先生・・・」 「ん？どうしたんだい・・・？気になる事があるなら気負わずに言っておくれ」 「はい、有難うございます！・・・・その、今日小夜様と今剣様に言われた事が少し気になりまして・・・。お二人とも良くしてくださるのは私が小梅だから、と・・・審神者だけど小梅だから大丈夫だと言っていただいたのですが・・私うまく理解できず・・・」 小梅の問いかけに「なるほど」と微笑んだ彼女は目の前の少女に自分の懐に忍ばせている小刀を取り出して、それを見せた。 「小梅、これは私の小刀だ。どう思う？」 「・・・・・？・・・見た処普通の小刀に見えますが・・・」 「そう、これは普通のどこにでもあるただの小刀だ。ではこれはどうだい？」 「これは・・・・」 彼女が取り出したのは薬研藤四郎の本体である短刀だ。戦場にて獲得したものを連結の為に付喪神を降ろさず短刀のままで置いてあるソレを小梅に見せれば、少女は目を丸くしてその短刀を見た。 「薬研・・藤四郎様です。養成所で一度拝見した記憶がありまして・・」 「そうだ。この短刀は『薬研藤四郎』だ。どこにでもある普通の短刀ではないね・・。ではどこが違うのだろう？切味、その刀身の見事さ？・・・さてなんだい？」 「？？・・・・」 「この短刀は名工、粟田口吉光殿が打ち・・そして名がついた。誰がつけたんだろうね・・・でもその誰かが、この素晴らしい短刀に名前を付け、そして呼んだ。その日からこの短刀は薬研藤四郎になった。どこにでもある短刀では無く、『薬研藤四郎』に成ったんだ。わかるかい？」 「はぁ・・・その・・なんとなく、ですが少しずつ何かがわかってきたような気がします」 「フフ・・、難しい顔をしているね。人は皆名前を軽んじる、昔はそうでは無かっただろうけど、今の世では皆自分の名にさほど興味も執着も無いだろう？でもそれは人だけの話だ。・・・・神様にとって名前とは軽い物では無い、ことは習ったかな？」 「名前を決して取られるな、と。自分の本当の名を神に知られれば主従が逆転してしまうと・・・」 「・・・・うーん。間違ってはいないけど当たってもいないかな。・・・・・・中学に入ったばかり、真面目で大人しい性格、背は低くて小柄、声はまだ幼く審神者として認められずに命からがら自分の本丸から逃げ出してきた人の子。・・・・それが“小梅”だ。小梅という名は君の全てを表す、細胞一つから髪の一本まで・・・ね。もちろん小梅は仮の名だろうけど仮でさえ今の君の全てだ。うちの刀剣達が小梅に優しいのは先程の条件の中に自分達の主が客人と認めた、と、良い審神者、という２つが加わって彼らの中の小梅に成るのだろう。だから彼らは“小梅”に優しくそして君を好いているるんだろうね」 「・・・・・・！」 「分かったかい？本当の名を神に取られるというのは名前を取られるのではない。その名が表す全てがその神のものに成るんだ。そこに意志や術なんかなんにも意味をなさない。名を取られると言う事は自分の全てが自分のものではなくその神のものに成ると言う事だからね、覚えておきなさい。・・そして決して名を自分以外の誰にも渡してはいけないよ」 「・・・・はい！有難うございます・・なんか、今になって震えが・・・・すみません！」 カタカタと震える小梅に彼女は少しだけ安堵の息を吐いた。 自分が伝えたかった神の恐ろしさについて少しでも伝わったようだと安心する。 名を取られればもう人ですら無くなる、自分の意志も・・何もかもを絡め取られて神の眷族となれば自由など無くなるのだ。ただ人形のように生気のない日々が想像もできないほど永く続く、考えただけでもとても恐ろしい・・・。 「さて、では気を取り直して今日は術式について学ぼうか。私はもっぱら得物を振りまわすことしか出来ない駄目な審神者だからね、今日は特別講師を呼んであるよ」 「特別講師・・・ですか？」 [newpage] キョロキョロと辺りを伺う小梅に微笑むと、彼女は電子端末と大きなモニターを部屋の奥から軽々と運んで来て少女の前にセットした。電源を入れて少しだけ何かを操作すればモニターに大きな電話のマークが浮かぶ。 ほどなくして画面には優しそうな顔をした壮年の男性が笑顔で映ったので、小梅はギョッとして体を少しだけのけぞらせた。 『やあ！僕は東雲といいます。聞いていたようになんとも可愛らしいお穣ちゃんだね』 垂れ目をさらに垂らしてその男性は低く落ち着きのある声でそう名乗った。途端、男性の横から黒い手袋だけが現れて彼の頬をつねると東雲と名乗ったその男は苦痛に床の上に倒れてゴロゴロと転がりだしたので、小梅の恐怖は更に煽られ画面を見る顔が引きつる。 「・・・・・東雲殿・・、その、なんというか・・、お元気そうでなによりですね」 彼女も若干顔をひきつらせてそう言えば、画面の男は姿勢を正して自分の頬をさすりながら『久しぶりだね』と微笑んだ。固まったままの小梅に彼女は画面の中の男について紹介を始める。 「小梅、この方は東雲殿といって審神者歴が18年にもなるベテランの先輩だ。この仕事についての知識もさることながら、東雲殿は政府公認の術者でね。術式にかけてはその道のトップに居るようなすごい方だよ」 「なんと・・・・！そのような方とは露知らず・・大変失礼いたしました！私は小梅と申しましてこの冬、審神者に成ったばかりの未熟者でございます！」 畳におでこを叩きつけるようにしてお辞儀をした小梅に、東雲はあわあわと慌てて声をかける。『顔をあげてください、僕はそんなにいいもんじゃありませんて！』と、画面の向こうでオーバーリアクションをする彼に彼女は苦笑すると小梅の肩を叩いて顔を上げさせた。 「さぁ、時間が惜しいよ。早速術式の指南を受けてみようね」 「はい！本日は宜しくお願い致します大先生！」 『だ、大先生って・・・。まぁいいか、でははじめるとしよう。まずは結界術からやってみようか』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・ ・ 短い冬の日が傾き、空がうっすらと紅くなりはじめた頃、東雲の術式指南はやっとひと段落ついた。と、いうのも小梅があまりに真剣に聞くものだから途中で東雲の先生魂に火が付き、熱の入った指導を彼女も、東雲の側に居るであろう彼の燭台切光忠にも止められなかったのだから仕方が無い。 講義が終わり、またふかぶかと頭を下げ礼を言って去っていた小梅を見送ると彼女は障子を閉めて先程までとは変わって真剣な眼差しで画面の中の男を見ると口を開いた。 「東雲殿・・・。先の件、調べていただけましたか？」 『ああ、それとなく調べてみたけれど・・小梅ちゃんの前任者は素晴らしい審神者だったようだ。成績も本当に良くてね・・だからこそ、お嬢さんの見解は間違っていないと思うよ』 「やはり・・」と彼女は難しい顔をして顎に手を当てると視線を下げた。 『・・そんな優秀な審神者を政府は決して手放さないだろう。・・・引退が認められたのには十中八九裏があるに違いないね』 「ええ・・。小梅が派遣されてからも政府へ本丸の様子は報告されていたはず。そこに後任の小梅が居なくていいはずがありませんからね・・」 長谷部が入れたとてつもなく濃い茶をすすりながら、彼女は考える。 考え込んで中々浮上してこない彼女に微笑むと、画面の中の東雲はその穏やかな低音で彼女へと話しかけた。 『君・・・・小梅ちゃんに・・審神者が居なくなった本丸がどうなるのか、・・・言ってないだろう？』 「はい・・・」 『言えばあの優しい少女は心を痛めるだろうね、自分を顧みなかった冷たい刀剣達であっても・・・。でもね、やはり』 東雲がそこまで口に出した時、彼女の視線が画面越しに彼を貫いた。 力強く自分を見据える彼女の眼力に口を閉じた東雲は笑う。 『わかってる・・・そうだね？お嬢さんは分かっているはずだ、いつまでも小梅ちゃんに隠してはおけない事を。機会を伺っているのか・・君は何をしようとしているんだろうな・・でもきっと君の考えることだ、小梅ちゃんと小梅ちゃんの刀剣達にとって最良の道を探しているんだろうね』 「私は・・・私にはそんな大それたことを考える器量はありません。私には私の刀剣達を想うだけで手いっぱいなんです。・・・・だからこそ、小梅の刀剣達を想うのは・・小梅でなくてはならない」 彼女は目を伏せる。 小梅は優しい、そして弱い・・・。 優秀な前任の元、永く降りた神々を相手にしてその耳に、心に届くほどの声をまだ小梅は持っていない・・・。 彼女は毎日のように審神者とは何たるかを小梅に説きながら、少女が成長するのを待っているのだ。ただ、東雲が言うようにいつまでも小梅の引き継いだ本丸をそのままにはしておけないだろう・・・。 しかし、彼女はまた小梅の本丸の刀剣達にも考える時間を・・、自分達を顧みる機会を与えたかったのかもしれない。前任の審神者との決別の時を彼らが自分達で導き出せるように・・・。 『・・・・君が心配する政府の動きについては僕が目を光らせていよう。・・・・それにしても筋の良い子だ、今日だけで結界術は粗方説明し終えてしまった。小梅ちゃんも・・今ある壁を乗り越えられれば君のように良い審神者に成れると僕は思うけどなぁ』 東雲が感心した風に小梅を褒めるのを彼女も同じく頷いた。 小梅は霊力が乏しく消極的な所を除けば、真面目で勤勉、心根も優しく情に厚いとてもいい子なのだ。 「私なんかより素材はよっぽど良いですよ、小梅の方が。・・・・霊力が少ない事を気に病んで自信を持てずにいるんです。しかし、先程の術式に関してもそうですが・・本当にのみ込みが早い。私が稽古をつけている薙刀ももう大分振れるようになってきましたからね」 『え！！・・・薙刀って・・君も案外厳しいね。あの小ささじゃ薙刀の稽古は大分堪えるだろう？』 「小梅の方から申し出て来たんですよ・・・・私も強くなりたいと。あまりに必死な目だったので断れませんでした・・・」 ため息を吐きながら彼女が苦笑するのを同じく苦笑しながら眺めた東雲は、そろそろ時間だね、と言って通信を終えた。 [newpage] 古い洋館・・シャンデリアが輝く室内で椅子に優雅に腰掛けた燭台切は読んでいた本から東雲へと目線を移し、立ち上がると彼の近くへと歩み寄る。 「随分長く話し込んでいたね。・・・さて、夕飯は何にしようか、鶏でもローストするかい？」 「たまには和食が良いなぁ・・・」 東雲がつぶやくのを笑顔で黙らせた燭台切はすっかり暗くなった廊下や室内に灯りをともしながら横目で東雲を見る。 くぁ～、と伸びをする彼は燭台切の大事な、とても大事な主人だ。 昔、まだ東雲がうら若い青年だった頃、本丸の襲撃を受けてほとんどの仲間は燭台切を置いて逝ってしまった。東雲を頼んだぞ、そう言って現世から去っていく仲間の声がまだ昨日の事のように燭台切の中でゆらめく。 彼を含め数本の仲間以外、全て失った東雲は壊れたように泣き続けた。 泣いて泣いて・・泣いて、喉が切れて血がにじむまで泣いても、東雲の涙は枯れなかった。 政府から新しい本丸を支給されたが、真新しい屋敷の中でいつまでも続く主の泣き声に居たたまれなくなったのか、気が付けば燭台切は勝手に政府からの支給金を使って本丸を洋風の屋敷へと改造してしまった。 襲撃を思い出すようなものは一切合財全て東雲の目の前から排除して、作りなれない洋食を必死になって覚え、燭台切は東雲から悲しい記憶を切り離そうとやっきになった。 シャンデリアが輝く食堂で見よう見まねで作ったシチューを真っ赤な目ですすった東雲は何週間ぶりかに微笑み、そして傍らに立つ燭台切にこう言ったのだ・・「ありがとう、光忠・・ありがとう・・」と。 落ち着いた東雲に安堵した燭台切や残された仲間は、一丸となって本丸を立て直した。 疲労を抱えながら戦場に出ては仲間を求め、資材を拾っては鍛刀した。 新しく呼び降ろされた仲間が東雲へ微笑む度、彼の目が少し寂しそうに歪むのを何度も見て来た。新しい仲間に和食をリクエストされたので久しぶりに作って出せば、旨そうに頬張る仲間たちの様子に過去の本丸を重ねたのだろう、東雲の目からは止まっていたはずの涙が溢れ、また止めるのにしばらくかかった。 それからだ、燭台切が和食を作らなくなったのは・・・・。 日本刀の付喪神だ、皆和食を好む。実を言えば燭台切自身も和食の方が好きだし、作るのもたやすい。けれどそれがどれほどのことだろうか、東雲の泣き顔を見ずに済むのであれば和食も、畳も布団も・・・懐かしい桜の花も、何も要らない。 東雲に害になるものであれば、自分は何でも斬り捨てるだろう。 いつか、彼がそれを望まなくても、彼が自分の事をうとんでも・・恨まれても・・東雲から人の輪廻を斬り捨てて・・東雲に忍び寄る死の影を消すだろう。 東雲が大事だ、何よりも、何よりも・・・。 燭台切の重たくも真っ直ぐな愛情にほだされそうになりつつ、ベテラン審神者は今日も彼の作った洋食を笑顔で食べるのだ。 そして忘れる事の出来ない胸の中の傷を大事に受け止めながら、東雲はこれからも審神者を続けていくに違いない。 食事中そんなことを思いながら、壮年のその審神者は最近知り合ったまだ絶賛成長期な彼女と小梅を思い出して微笑む。 美しく整えられた中庭の噴水に映る夜空にきらきらと星が流れた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ [newpage] 暗い、暗い部屋の中・・・・ 「いち兄・・・苦しいよ・・・・」 「乱！！・・・何故、何故だ！・・心配するな、私が何とかして病を治してみせるから・・・」 布団で寝込む可愛い弟達を見舞いながら、一期一振はその端正な顔を歪めた。 庭木が枯れ、濁った池に映る空はどんよりと暗い。畑で獲れる作物はみるみるその数を減らし、吹く風にはわずかに臭気が混じる。 短刀達は皆、原因不明の病で倒れた。息苦しいと寝込む幼い彼らの顔色は日増しに悪くなっていく。保護者である兄や、その他の太刀達はその様子に狼狽するばかりで何も手を打てずに年長者である三条一派や鶴丸、獅子王らに見解を問うたが彼らは皆一様に首を横に振るばかりだった。 短刀達が寝ている部屋を出た一期は何かを決意したような顔つきで皆の待つ広間へと足早に移動する。 短刀達以外が揃うその大きな広間にたどり着くと、彼は自分達のまとめ役である三日月を視界に捉え噛みしめた唇を解いた。 「三日月殿・・・・！もはや一刻の猶予もなりませんぞ。・・・短刀達の容体は日増しに悪くなるばかり・・・とうとう薬研までもが寝込んでしまいました。政府に掛け合いなんとかして助力を得るしかありますまい！」 一期の鋭い意見に片眉をあげた三日月はその美しい指を口元にやると、憂いを帯びた眼差しで縁側越しに暗い空を見上げた。 「そうだなぁ・・・短刀らばかりでなく脇差にも不調を訴えるものが出始めた。この本丸内に良くない気が満ちているがその原因がわからん・・・。はて・・人の手を借りるのは本意ではないが政府に主の端末から連絡をとってみるか」 そうしよう、と賛成の意見があがる中、心ここにあらずな様子の鶯丸だけが葉の落ちた木々を眺めているのを見て一期は眉をひそめた。 一番の年長者であるはずの彼は空が陰りはじめた頃から自室にこもり、中々仲間の前に顔を出さなくなった。今日の集会は三日月が全員必ず参加しろとの触れを出した為仕方なく顔を出したのだろう。皆が焦り、動揺している中で彼だけがいつもどおりに茶をすすっている・・・ 「鶯丸殿はこの本丸を襲う病に関心が無いと見える・・・。そういえば貴殿も私よりはるか昔に打たれた刀でしたな。・・・・よもや何かを知っているのではありませんか」 一期の真剣な様子を横目で見た鶯丸は深く息を吐くと抑揚のない声色で淡々と述べた。 「さあな。・・・だが短刀、脇差の具合が悪いのは霊力が底をついたからだろう。俺達は皆、審神者の霊力をまとって人の姿で降りている。器の小さい物は底をつくのが早いのだろう・・・俺達太刀も、大太刀も・・・最終的には皆霊力が尽きてただの鉄に戻るだろうな」 「なっ・・・・・」 目を見開いたのは一期だけでは無い。皆唖然として口を開けたが、三日月だけはほう、と少し目を大きくしその後悔しそうに指を噛んだ。 「ともすればやはり、政府に連絡して審神者を迎えねばならんのか・・・。もう主等必要ないと言うのに、口惜しい事よ」 「三日月。」 鶯丸が三日月を見据える。一瞬、空気を裂くような神気が走ったように感じたが皆が驚いた時にはすでに鶯丸はいつもの鶯丸に戻っていた。普段通り掴みどころのない様子で微笑んだ彼は立ち上がると自室へと帰るべく歩き出しながらこう告げる。 「はて・・・審神者なら後任がこの本丸にもつかわされたはずだが・・。近頃とんとその姿をみかけなくなったな。・・・・政府が新しい審神者を寄こしてくれればいいが・・」 後任・・・・広間の刀剣達は後任の審神者を思い出そうとしたが、ぼんやりとぼやけたその姿ははっきりしないまま彼らの記憶に現れはしなかった。 ただ、三日月と小狐丸だけがみすぼらしかったその少女を瞼に描いて顔を曇らせる。 「あの人の子か・・・・。あのような貧相な童に我らの主が務まるものか。あのひ弱な霊力ではこの大所帯を養ってはいけぬだろう」 「ええ・・とっくに人の世に帰っているでしょうし・・。主様の後任としてはあまりにみすぼらしゅうございましたからね」 二人の言葉を聞いた鶯丸はまたフ、と笑うと何も言わずに部屋へと帰って行った。 残された刀剣達はどうしたものかと顔を見合わせたが、三日月が政府へ連絡を取り審神者を派遣するよう要請するという事で話がまとまったので皆安心した顔で自室へと引き上げていく。 [newpage] 三日月は閉ざされた前任の部屋の障子を半年ぶりに開けると埃をかぶった通信端末を立ち上げ、政府への報告用アプリを起動した。 間もなく、死んだような目をした小太りの男が画面に映ると彼はやる気のない声で、 『はい、担当の丸影です。どーかしましたかー？』 と手元の携帯端末をいじりながら言った。 「ふむ・・・。すまぬが丸影とやら、俺はこの本丸の刀剣達を束ねる三日月宗近だ。少し困った事があってな・・・悪いが審神者を送ってほしい」 三日月の声に驚いて顔をあげた丸影という男は、画面に映る恐ろしく美しいその姿に一瞬見とれると携帯端末を後ろに投げ捨ててにやにやと愛想笑いを浮かべる。 『これはこれは・・・。審神者・・あれぇそこの本丸は確か前任の審神者が選んだ新人審神者が後任として派遣されたような・・・どうしました？後任が死にましたか？』 「いや・・・・俺達が気づかぬうちに姿を消してしまってな。霊力不足とやらで小さき者たちが伏せってしまったのだ。早急に審神者を送ってほしいが聞いてくれるな？」 三日月の話を口の中で転がすようにじっくりと聞いた担当は、少し時間を開けてにんまりと微笑むとそれはそれは親切そうな声で『それは大変ですね・・・すぐに新しい審神者を派遣しましょう。明日にでもその者を連れてご挨拶に伺います』と笑った。 「そうか・・・あいわかった。では待っている、くれぐれも我らの主が務まる者を連れて来い」 はい、とにこやかな担当との通信が終わると三日月は大きく息を吐いて前任の居た頃からそのままの部屋を見渡す。 「・・・・・・主よ。そなたの幸せを願って人の世へと返したが・・やはり我らはそなたが良い。そなた以外を主として慕うのは・・難しいなぁ・・・・・・」 三日月の脳内で前任が微笑む。 いつも優しく、思慮深く、そして温かだったその男は夏の晩、刀剣達皆を集め審神者を引退したいことを泣きながら詫びた。すまない、すまないと頭を下げる主の姿に誰もかれも行かないでくれと言えなかった。 生まれたばかりの子と妻と引き離されて、それでも自分達の良き主で居たその男の幸せを皆で願った。現世へ帰る日、寂しそうな・・でも家族と会える喜びを隠しきれない前任の姿に刀剣達は皆笑顔で別れを言い、そして見送った・・。 前任が去り、心にぽかりと穴のあいたような日々の中、訪ねて来た後任の審神者は幼く貧相な人の子で・・・虚無感に押しつぶされそうな刀剣達の心にはその姿は映らなかった。 主等もう要らない。 辛い別れはもう要らない。 鍛えられ、本丸の運営も資源や日々の任務ももう自分達でやれる・・・もう審神者は要らない。 成績優秀な本丸と褒められ、仲間も全て集まった。 審神者に新しく降ろしてもらう必要もないのだから、とたかをくくっていた自分達の今の状況が悔しい・・・・・・ 「さて・・明日来る審神者はどのような人か。主によう似た人の子であればいいがな・・」 三日月はそう言って前任の部屋を出る。後ろ手に障子を閉め何者にも害されないように強固な結界で部屋を囲うとしゃらしゃらと優雅に衣を揺らして部屋から離れた・・・。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ [newpage] 所変わって・・・・・ 「きえええええええええい！！！！」 道場に響く少女の声、その声にため息をついて加州は傍らに立つ打刀を見上げた。 「同田貫さ、いくら稽古をつけるって言ってもあの奇声まで真似させちゃダメでしょ」 「ばっか！誰も真似なんかさせてねーよ、・・朝稽古を覗きに来るようになってから毎日俺の稽古を見てるからだろ・・・あの声は」 そう言う同田貫の声には覇気がない。彼は彼なりに小梅のかけ声に多少なりとも責任を感じているようだ。 「でも主も主だよね・・・小梅ってばあんなに小さいのに薙刀なんて。せめて短刀とかならねぇ」 「ガハハハハハハ！！加州、今の言葉は間違いぞ。昔から女の武器と言えば薙刀よ、俺くらいに成ると並大抵の男でもそうは扱えんがな」 いつの間にか肩に今剣を乗せた岩融が道場の入り口からぬっと入って来て笑ったので加州はビクッと、小梅は笑顔で滴る汗をぬぐうとぱたぱたと駆けてきた。 「岩融様！今剣様！お早うございます！」 「うんうん、ここに来たばかりの時より何倍も生気に満ちているな。小梅よ薙刀の稽古ははかどっているか？」 「はい！まだまだ先生には程遠いですが私も自分の身くらいは自分で守れるよう強くなるつもりでいます！」 良い、と笑顔の岩融の肩からひらりと飛び降りた今剣は笑顔で小梅の袖を掴むとぐいぐいと引っ張った。 「そんなことより！はやくあさげにいきましょう、きょうはなのはなのおひたしがでるそうです！」 「まぁ・・菜の花ですか。まだまだ寒いですがやっぱりもう春なんですね・・ああ、今剣様！そんなに引っ張らずともすぐ参りますよ」 「こうめはどんどんつよくなりますね！そろそろこうめのほんまるのぼくらもこうめにひどいことをしたとくいているころでしょう。こうめがここにきてもうふたつきにもなります、たんとうたちはそろそろくるしくなってくるころですね。こうめのほんまるのぼくらはすこしかわいそうですが・・・・・」 そう言って今剣が少し悲しげに笑うのを見て、小梅はカランと持っていた薙刀を落とした。 「あれ、小梅ってば知らなかったの？審神者の居ない本丸は霊力の供給が止まってどんどん穢れて朽ちていくんだよ。畑は腐るし空は晴れない、井戸も枯れる。俺達もこの人の姿を保てなくなって刀に戻るのさ」 加州がそう言い終わる前に、小梅は走り出していた。 はだしで庭を横切って母屋の縁側まで一気に駆けると、息が切れ縁側にもたれるようにして倒れこむ。そこに長谷部と石切丸を伴って彼女が丁度朝餉に向かうところだったようで小梅の様子に足を止めて声をかけた。 「おや・・・小梅じゃないか。お早う、どうしたんだい裸足で・・稽古中誰か怪我でもしたかい？」 彼女が心配そうにそう言うのを聞いて小梅は顔を上げる。目を見開いた少女は涙を散らしながら叫ぶように尊敬する師へと問うた。 「先生！！！！・・・・本当ですか、審神者の居ない本丸が朽ちていくなんて・・・・！刀剣様達は霊力が枯れれば刀に戻るなんて・・・・先生、私っ・・・どうしたら・・・！！」 小梅の叫ぶような泣き声を聞いて彼女は大きく、ただ大きく息を吐くと頷いた。その様子を見て小梅の顔に絶望が浮かぶ・・。 「どうした。お前を見捨てて居ないものとした本丸だろう。何故泣く？」 長谷部が不思議そうに尋ねると小梅は声も無くただ首を横に振り両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちた。 「小梅ちゃんは優しい子だね。自分を見てくれもしなかった我らを憐れんでくれている・・・主、やはりもっと早く告げるべきだったんじゃないかな」 落ち着いた石切丸の声に彼女は何も言わずに頭を振った。そして崩れた小梅を抱き起こすと泣き続ける少女の頭を優しく撫でる。 「話せば・・・小梅はすぐに元の本丸へと帰っただろう？だから言わなかったんだ、小梅がもっと審神者について学んでから話して・・元の本丸へ戻す予定だった」 「・・・・・・あの本丸の刀剣様方は・・今頃どうしているでしょうか・・・私・・知らなかったとはいえ、なんてひどい事を・・・！」 ふらふらと今にも門へと向かいそうな小梅の手をしっかりと握って、彼女は少し寂しそうに笑うと言った。 「おいで小梅、朝餉は後にして最後の授業をするとしよう」 冬を越え、彼女の本丸の梅の木は今朝やっとつぼみをほどいた。 ◆後編へ続く ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ [newpage] ここまでお読みいただき有難うございます！orz 自分が思うよりも長く・・長くなってしまった為に中・後編にわけさせて いただこうと思います。 アップが遅くて申し訳ありません・・・・。 広い心でお待ちいただけますと幸いです（深々感謝）

◆必読◆<br /><br />※ブラック本丸ネタ（元ブラック本丸）<br />※女審神者がいます<br />※女審神者がいます（主人公以外）<br />※男審神者がいます<br />※刀剣男士の性格が公式とは次元レベルで違う<br />※公式には無いオリジナル設定有（刀剣兄弟設定、政府、内番、術式等）<br /><br />以上でも問題ないと言ってくださる方はおすすみください。<br />読んでいただいてからの苦情は一切受け付けません。<br /><br />シリーズ前半はシリアスチックな風味で進みますが進むにつれてほんわかギャグへと進行予定です。<br />最終的にはハッピーエンドになります。

うちのあるじは男前！11 （中編

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あの一年間が、とてつもなく遠いところにあるように思う。今となっては長い夢でも見ていたのではないかと、時折不安にすらなった。あまりにも非現実的で、あまりにも切羽詰まった、あまりにも濃密な一年間。 八十稲羽を離れ、まだ一年もすぎていない。 あれは確かに現実だったと裏付けるものはいくつだってある。けれど、このごみごみとした街で過ぎる、押し流されるような日々は、あの緊迫しながらも、どこか伸びやかに息づく町で過ごした日々から乖離していて、遠すぎて、自分は何をしているのだろうかと、取り残されている。 高校3年、冬、二月。 吐く息は白く、景色は生彩を欠いている。 どんよりとした、狭い空を見上げて、ああ、ここじゃない、そう思う。 『あっ、月森？久しぶり！　大学、うかったぜ！　まあ、こっちは皆沖奈んとこ行くし、進学組は殆ど持ち上がりみたいなもんだけど。でも里中は警察学校だとかで、天城はもう推薦だったろ？　一条は心配ねえし、長瀬はスポーツ推薦だし！　俺だけ決まってなかったからさあ、も、超怖かった～』 「よかったな、おめでとう」 立ち寄ったコーヒーショップでひと心地ついた頃に震え出した携帯は、馴染んだ名前を知らせていた。通話ボタンを押した途端、耳元で口を挟む間をあたえずに捲し立てられた声。機械を通しただけ、いくらか芯のない軽さをましているけれど、勢いも口調も変わらないその声に口許がゆるむ。 相棒、と俺を呼ぶ花村は、ぎりぎりまでこちらへの進学を迷っていたはずだけれど、この口振りならば結局、地元で唯一といっていい大学へと進むようだ。『迷っている』段階の話しかしておらず、しばらく間が空いたなあ、と追い立てられる日々を思って、また、ひとりはじき出されたような気分になる。 「皆は、元気？」 『あ～元気元気！　クマは相変わらずジュネスにいるし。あ、聞けよ、完二がさあ、俺が受かるか不安すぎるとか言って、ツネきちに、なんだったっけかな、なんかとにかく貰ってさ、御守りまで作ってくれてさ』 「完二らしい」 『ばっかおまえ、そりゃあありがたいけどさ、まず完二はあいつが進級できんのかって話だろー！？』 あはは、と合格にテンションが上がっているのか、花村はからからと楽しそうだ。 花村、そう呼び掛ける声を次げずに、ただ唇が動く。おまえ、こっちに来るんだと思ってたよ。俺の勝手な期待だったけど。 「うん、まあ…でも完二もやれば出来る子だし。…花村も」 『ちょっと待て俺を付け加える必要あるかそこ』 「言わないといけない気がした」 違う。ただ呼びたかった。花村、と、相手の名前を音にしたかった。この相手が花村であると、確かめたかった。 あの一年間、一番長く背中を預け預けられた相手に自信がないわけじゃない。一年間そのものが、夢でないと、確かめるように。俺は花村、ともう一度呼んだ。 『なぁに、どうしたよ相棒』 「いや、うん…春休みは、そっち帰るからさ、ばたばたしちゃうだろうけど。また皆集まれそうなら会いたいな」 『おう来い来い！　冬はな、さすがに来れなかったもんなあ。待ってるよ。あ、ていうかもう自由登校じゃねーの？　こっち来ちゃえばいいじゃん』 「それはさすがに。週1で登校日あるしね」 『そか、残念。なきゃ二か月近く遊べんのにな』 はあ、と漏れたため息は、恐らく本当に残念に思ってくれたからで。ごめんな、今外だから、また連絡するよ、そう告げて、終話のボタンを押す。 本当は、登校日は絶対ではなくて、行こうと思えば今日、これからでも電車に飛び乗れるのだけど、そう出来ない…しないことに、罪悪感が過ぎる。それでも、そう決めている。春休みの、わずかな日々のうちの、さらにわずかな間だけ。 会いたくないとか、そんなことは断じてない。むしろ会いたいし、そばにいたいし、四六時中だって顔を見ていたいのだけれど、それこそ一緒にいただけ離れがたくなるのが目に見えているので、その辺りは微妙な恋心、のようなものだ。そんな俺の都合を花村は知らない。 ああけれど、もしかしたら、この先こうして俺たちは終わってゆくのかもしれない。確定的な何かを告げることなく。段々と連絡をとるのに間があいて、お互いに知らない時間がすぎて、知らないことが、出会った頃よりよほど増えて。そうして、親友でもなく、ただ一年間すごした仲間で、それ以下に下がらず、けれど進まずに。そんな、何年か先の、終わりを見る。 そうして、何年も先、どこかで擦れ違いざまに気付いて挨拶が出来れば、それは、俺には充分な見返りじゃないだろうか、なんて。 まだ次の春もこないうちから、ネガティブな未来の中の望ましいところを拾いあげようとしている自分に、ため息が出た。 カップに残っていたコーヒーを飲み干して、店を出る。ポケットから引っ張り出したイヤホンをつけて、ざわつく街を進む。プレイヤーから流れているのは、あの頃、花村が勧めてくれたものだ。 CDを聞いた後コンポにいれっぱなして、別のディスクのケースにいれたりするうちに元のケースをなくして、直接棚に放置していた俺と違って、花村はディスクも几帳面に、聞いたらきちんと本来のケースに戻していたのをふと思い出す。おまえ変なとこずぼらだよな、と笑っていた。 好きな曲はだいじに聴くもんだろ、そんでこれは俺のおすすめだからおまえもだいじに聴け、そう言いながら、俺のプレイヤーに落としてくれたこの曲は何といったか。 メロディを覚えるほどに聴いたこの曲のタイトルをまるきり思い出せない。ああ俺は、曲が好きなわけじゃないんだ、花村がだいじにしているものが、好ましかった。 周囲のざわめきが遮断されるまでボリュームを上げた。口ずさんでいた花村の伏せた目を思い出す。アルバムのブックレットをそっとめくり、歌詞を辿るやさしい指先を、流れた音を、すごした時間を。 やかましくない、不快にならないくらいに、けれどからりとはしていないギターと、激しすぎずに、それでもつよく歌いあげるボーカル。最初聞かされた時は、少し意外だったけれど、言葉を選んでいけば「やさしい」としかいいようのない曲は、今となれば、いっそ花村そのもののようにすら思えた。 斜め上を目掛けて、白い息を吐き出す。無性に会いたかった。

番長が陽介にあいたくてあいたくて震えているだけの高3遠距離片思いの話/番長は月森くん設定です。あと受験とかしらないですもう忘れた…のでおかしいだろｗｗってなってもスルーで。■11/30付小説ルーキーランキング94位いただきましたありがとうございます。番長に足向けて寝れません。

Our song

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その日の夢は、嫌に現実的で、何処か懐かしさを纏って私に語りかけてきた。 まるで、本当にあの日のあの場所に戻ったかのような感覚で。 「もう、思い出すことはないと思ってたのに、ね」 あれは…もう１０年も昔の話になるだろうか。 当時、音ノ木坂学院の生徒会長を務めていた私は 生徒会長の後任を同じスクールアイドルグループμ'sに所属する二年生 高坂穂乃果に託して一線から退いたばかりだった。 でも、生徒会長という肩書きの前に、「元」が付いたところで私は特に変わらなかった。 生徒会長に推薦した穂乃果の仕事ぶりが落ち着くまでは、しっかり教えて引き継ごうと思っていたから。 そういった私の意図、学校の容認、なにより穂乃果の許可の三つの要素が偶然にも合わさり 結果として私は元生徒会長としては異例の待遇を受けていた。 そして、そんなある日。私は、穂乃果と約束というのもはばかられるような些細な事を話し合った。 「ねえ、穂乃果」 「なに？絵里ちゃん」 「私たち、どうなるのかしらね…」 「さあ…どうだろうね」 「でも」 穂乃果の声が止まる。一瞬の静寂が生徒会室を包みこむ。 「もし、時間が経っても、それでも良いって絵里ちゃんが思ってくれたら」 「その時は…」 そこで、けたたましい音で鳴り響いた目覚ましが、私を睡眠から強制退場させた。 [newpage] (あの時、穂乃果は私に何を言おうとしたんだっけ) (そして、私は穂乃果に、なんて返したんだっけ) 東京を出て、祖国ロシアに戻って早１０年 お婆さまの体調があまり優れていない。 そして、私を呼んでいる。という一報を受け取った私は卒業と同時にロシアへと帰国した。 亜里沙には、悪いことをしたと思っている。 程なくして、母親が入れ違いで日本に向かってくれたと聞いたときは本当に安心した。 それからは、お婆さまを介抱しながら現地の大学に通って介護を学び 大学を首席で卒業すると同時にその道の企業に入った。 だけど、お婆さまはそう長くないという事実を程なくして私は知ってしまい、数年後その言葉通り… お婆さまを失った私は、失意のままに職を辞した。 それから、日本に帰ることも考えたけど お婆さまがいたこの地に残ることを、私は選択していた。 それから、ジョブチェンジを繰り返した私は今、やっと定職について少し落ち着いてきたくらいで。 自分のこと、お婆さまのこと、そして家族のこと。 とにかく身の回りのことを優先した結果 高校時代を共に過ごした友人達とはすっかり疎遠になってしまった。 そんな中での、あの夢。あの夢は、穂乃果は、私にいったいなにを伝えようとしたのだろう。 決して、余裕があるとは言い難い朝の時間が、思考に奪われていく。 確かに、東京に。音ノ木坂に居た頃の私は、人生の中でも特に濃密で輝かしい時間を過ごしていたように思う 今の生活、心境とは全くの反対であるほどに。あの夢は、それを伝えようとしていたのだろうか。 今の時間が、どれほど薄いモノであるのかということを。 輝かしい時間を共に過ごした仲間の大きさが計り知れないほどのものだったのだと、伝えようとしたのだろうか。 それにしては、違和感が残る。 もし仮に、音ノ木坂で過ごした時間のことを伝えようとしているのなら、もっと他にあるはず… 夢に出てきたのは、穂乃果一人。 場所も、練習場所だった屋上でもなく、部室でもなく、生徒会室だった。 穂乃果と、生徒会室で交わした約束。 そしてそれは、私と穂乃果しか知り得ないはずの約束。 穂乃果との約束、私と穂乃果だけが知っている、約束。 不意に心が痛んだ気がした。そして、その痛みは 忘れていたはずの感情を、呼び覚ます痛みだった。 懐かしい感覚、この心を思いっきりつかまれたかのような緊張 そして何より、色を失っていた心が染め上げられていくかのような、説明しがたいぞわぞわとした感覚。 これらは全て、初めての経験ではない。 １０年も前の私が、全て経験していた感覚だ。 そして何より。この感覚に身体が囚われていた１０年前の私は、一つだけ「禁忌」を犯していた。 その禁忌とは、ある感情であり、その思いの矛先で。 忘れるつもりなんか、なかった。ずっと覚えていると心に決めていた、ある思い。 １０年の時を経て、その思いが今、もう一度私の心に舞い戻ってきたんだ。 朝の本来急がなければならない時間だと言うことを忘れて、自宅の一室に立ち尽くす私。 今、私の胸にじわじわとせり上がってきている感情は何なのか。 約束を、思いを、忘れてしまっていた後悔だろうか。 それとも、今の今まで思い出せなかった自分への怒りだろうか あるいは、穂乃果への申し訳ないという謝罪の念だろうか。どれも、しっくり来ない。 気付いたときには頬を伝っていた涙が、私の気持ちを代弁しているような気がした。 今すぐ、会いたい。と 気付けば、私は会社に向かい、いつもよりハイペースで業務をこなした。 その行動の裏には、ある思惑があって。 それは、日本に戻る時間の確保だ。 日系の情報誌の記事をまとめるライターとして再就職した私。 日系情報誌というだけあってオフィスではロシア語　日本語が入り交じって飛び交っていた。 私は、日本語版の翻訳担当の部署に入ったため、公用語は日本語。 日本での滞在歴がある私は、かなりありがたい存在らしく 所属してから僅か２年で今では部署の責任者にまで上り詰めていた。 「ええ…はい、仕事の方に支障は無いと考えます…はい…ありがとうございます」 幸いにも、就職してから一度も有休を消化していなかったことが功を奏し 約２０日の猶予が私に与えられた。 その日は、早めに仕事を切り上げて帰宅。 日本へ向かうための準備を整えだした私は、携帯に入っている妹の番号をコールした。 「ハイ、絢瀬です…あ、お姉ちゃん、久しぶり…」 「久しぶりね、亜里沙…突然で悪いんだけど、２０日くらいそっちに行くことにしたの」 「お姉ちゃんが日本に？お仕事お休みできたの？」 「何とか、ね…それで、悪いんだけど少し家に泊めてくれないかしら？」 「それは勿論大丈夫…いつ、日本に来るの？」 「こっちの時間で明日には、ロシアを発つわ…そっちの暮らしはどう？変わってない？」 「うん、お姉ちゃんが帰ってからも雪穂や海未さん達が優しくしてくれたから…」 「そう…それは安心したわ、それじゃお休み…」 「うん、またねお姉ちゃん…」 唐突な思いつきで日本に向かうのはよいとしても、問題は山積していた。 まず、私は今の穂乃果の連絡先を知らない。 帰国の際、慌ただしかったのもあれば、唐突だったのもある。 合格していた大学に事情を説明して自主退学という形で処理をして貰ったほどには唐突だった。 私は、日本に残るつもりで過ごしていたから。 だから、穂乃果達に特に何も告げることが出来なかった訳で ロシアに戻ってから私の方の番号が変わってしまったのもあるし １０年という時の経過が、詳細な記憶を私から奪っているというのも重なり 音信不通状態。だから、日本に戻ったところで穂乃果に会えるとは限らなかった。 そんな理屈や、現実的な問題が山積しているのが分かっていながら日本に戻ろうとしている私は どうしてしまったのだろう。 それだけ、あの約束が、私の中で大きかった、いや、大きいということなのだろうか。 「変な理屈なんて考えずに走っていたあの頃が、懐かしいわね…」 いい歳して何も考えずに行動するのは馬鹿らしいだろうか。 きっと、この場に希やにこがいたら「らしくない」なんて言われてしまうだろうか。 それでも良かった。たとえどれだけ可能性が低かったとしても、離れてしまった太陽にもう一度近付きたかった。 そのためには、日本に帰るしか方法がない。ここにいては、太陽に近づける可能性すら起こりえなかったから。 「やっぱり、私にとっての穂乃果は…いつになってもたった一つの太陽なのね」 学校を守らなくてはならないという使命感に縛られ 理事長に行動を抑制されるその本質的な理由が分からなくて その一方で自由に行動している穂乃果達に何処か憧れて 何も出来ない自分が憎くて、それを認めたくなくて穂乃果達に辛く当たった。 でも、そんな冷め切った私の心を解かして、導いてくれたのが他でもない穂乃果だった。 あの時、あの場所で差し出された手に、私はどれだけ救われていたのだろう。 もし、あの時手が差し出されなかったら、今の私はなかったとはっきり言い切れる。 人生の転換点と言っても過言ではないだろう。それくらい、私は穂乃果に救われていて その感謝の念は、いつしか形を変えて憧れへと昇華し、そうして恋へと発展した。 かつては、言えなかった。それとなくお互いの思いは分かっていたけど、それでも一歩前に進めなかった。 そのまま、１０年が過ぎてしまった。 でも、今こうして私はまた、あなたに恋をした。いや、ずっとしていたんだと思う。 そこまで分かっているのなら、理屈なんか、現実的な問題なんか、関係なかった。 そんなもの全て差し置いてでも、会いたいと強く願ってしまったから。 もう、あの約束はきっと期限が切れているのだろう。 穂乃果はきっと、日本で自分の幸せをつかんでいるんだろう。 あんな優しい子が、１０年も一人で居るはずは、無いもの。 でももし、穂乃果にもう一度だけ伝えられたら その時はきっと、この恋を終わらせることが出来るのだろう。 １０年も放っておくこんな私をもし、穂乃果が許してくれるのなら… 「考えすぎたわ、明日に備えて寝ましょう…」 今は先ず何より、無事に日本に着くことのみを考えなくては。 準備を終えた私は意識を深いまどろみの中へと手放していく。 日本で、穂乃果にまた会えることを願いながら。 [newpage] 心なしか、よく眠れたような気がする。 いつもの、尾を引くような眠気が、今日に限っては訪れることもなく 見慣れた無機質な天井が私の視界にしっかりと映り込む。 ここに引っ越してきた当初は、汚れ一つ無い真っ白な天井に少し憧れを抱いていて。 新鮮で、視界にまっさらな天井が映るのがある種のスイッチだったような記憶があるけれど １０年もの時が経つといつしかその新鮮さは消え 今では退屈な日常を構成する１ピースに成り下がってしまっていた。 昨日に限った話ではないけれど 心地よい夢だったり、続きが見たいと思ってしまうような夢を見た日はやっぱり この天井が少し恨めしく思えてしまう。 でも、そんな後ろ向きな思いも、今日に限っては沸いてこなくて とにかく早く、日本へ行きたい。その一心だった。 ちゃんとした目的はあるけれど、何処か行事を楽しみにして興奮している幼い子のようで乾いた笑いが浮かぶ (年甲斐もなく、何をしてるのかしらね…)なんて冷静になった振りをしても確かに高鳴る胸の鼓動に嘘はつけなくて いつもより少し早い目覚めで時間をもてあました私は久しぶりに朝食を作っていた。 いつも、駅で適当に買って済ませてしまうのがいつの間にか習慣と化していた私がキッチンに立つなんて、ものすごく久しぶりなことだ。 きっと、今日の日を迎えた事による心の高鳴りがあるからこそ出来ることなんだろう。 だからといって、日本で亜里沙に頼りっきりなのも姉としての示しが付かないから 日本に行ったらそれなりにまた料理を作るのだろうけれど。 少なくとも、ロシアで私が朝食を作るのは、お婆さまのために献身的に動いていたあの時以来だった。 こんなにも、一日が始まるのを嬉しく思ったのは、いつ以来だろう。きっと、音ノ木坂に居た頃以来ではないのか。 最近、冷め切った暗い毎日を過ごしていた私の日常に、色が付いた。 その理由は、日本にいるはずの私の想い人で。 いわゆるアラサーになってもまだなお導かれているというのが ちょっとだけ情けなくもあり、私らしくもあった。 久しぶりにしっかりとした朝食を摂り、めったに使わなかったパスポートを取り出す。 旅行鞄に乱雑に押し込み、身なりを整えていざ、私の身体は日本へと。 厳密に言えば日本へ向かう飛行機が出る空港へと、向かっていた。 ロシアへの帰国時以来になるだろうか。 あの時は日本からロシアへの帰国だったから日本に向かう飛行機に乗るのは幼少期以来の事 どれくらいの時間がかかったのかは、もう覚えていないけど。 凄く長かったのは子ども心ながらに思っていたのをそれとなく覚えている。 日本とロシアでは、時差もある。機内で半ば無理矢理にでも矯正するしかない。 日本とロシアの時差は約６時間　飛行機の所要時間も計算すると大体１０時間後に日本に着く計算になる。 朝イチで飛行機に乗ったとしても、着いたときには日本は夜と言うことだ。 日本に引っ越した時も、１０時間ちゃんと乗っていたのだろうか。 それとも、途中で寝てしまっていたのだろうか。幼き日を思い返しながら離陸を待っていると 程なくして飛行機は時間を迎え、離陸した。 [newpage] かくして、１０年ぶりに私は日本へと向かう。 その理由は、私を照らしてくれた太陽を再び、掴むため。 忘れていたはずの感情を、もう一度確かめるため。 理由ははっきりしていた。気持ちも、強い。 問題は、どうやって連絡を取るか、その一つだけだった。 (亜里沙経由で、何とかなれば良いんだけど…) 亜里沙だけが、頼みの綱だった。 妹に頼らざるを得ない状況が少し情けないけれど 私の意思でこうなってしまった訳じゃないのだから仕方がない。 希やにこは、元気にしているだろうか。海未は、ことりは？ 花陽は、凛は、真姫は…？そして何より、穂乃果は？ １０年もの時間が生み出した私たちの間の溝は、埋まるだろうか。 当然、不安もある。でも、それに負けているようじゃ１０年越しの想いは伝わるはずがなかった。 ここまで思い出してしまった以上、伝えないといけない。 それが、せめてもの向き合い方だと、私はそう思った。 日々の忙しさがあったとはいえ、１０年間も約束を忘れていた人間が言うことではないかもしれないけど。 そう思わないと、罪悪感で潰れそうになってしまうから。我ながら、都合の良い性格だと思う。 高校時代を過ごした東京に思いを馳せながら、機内での時間を消化していく私。 廃校になるとの知らせを聞いて、生徒会長という役職に縛られて私なりに存続できる方法を必死に探した でも、空回りを繰り返した。廃校を何とか阻止しようと、必死になってもがいた。苦しんだ。 視野が狭くなって、どんどん孤立して。廃校本決まり直前に、穂乃果達からダンスのコーチをお願いされて 思い返せば、この時の私は藁にもすがるような思いだったのだろうと思う。 私一人では、どうしようもないという事実を、私はうすうす感づいていて そんな中依頼されたダンスのコーチ。 私の想いが、ダンスのコーチを通じて穂乃果達に伝われば、あるいは廃校を回避できるかもしれないと そう思っていたのだろう。 実際、かなり厳しく接したのだけど、「廃校を何とか阻止しようと思う気持ちは生徒会長にも負けません」 なんて言われてしまって。その言葉を聞いて、私の中の何かが壊れそうになって そこで追い打ちのように希に聞かれたのだっけ。「本当にやりたいことは？」と。 そこまできっかけを貰ってもなお、私は素直になりきれなくて。 そんな中私の前に現れた穂乃果が、手を差し出してくれて。 その手を掴んでから、私の居場所はμ'sになり、穂乃果達の隣になった。 学校の存続が決まってからの日々は、色濃く輝いていた。 厳しくも楽しい練習が日々を彩り、その集大成としてライブが執り行われ…恵まれた生活をしていたと思う。 でも、その生活の渦中にいた頃はそんなこと微塵も思っていなくて 「この９人との生活が、関係が、これからもずっと続いていく」と、漠然と思っていた。 でも実際、そんなことはなくて、卒業と同時に私はロシアへ発った。 それからは、思い出すだけでも暗い１０年だ。 私の今までの人生において最も輝いていたのは高校三年生の頃だったなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。 今も、それなりに充実感はあるけれど。 それでもやっぱり、μ'sとして過ごしたあの日々には到底及ばなくて。 (大切なモノは失ってから気付く、とはよく言ったものね…) 昔の人の感性を，ちょっとだけ恨めしく思う。 今の私の状態を的確に表現している言葉は、これしかなかったから。 いや、私の場合はもっと酷い。 失っていたことにさえ、気が付いていなかったのだから。 過去を回想していると、時間というのはすぐに経つらしい。 もうすぐ、日本に着くとのアナウンスが、機内に入った。 鼓動が高鳴る。もうすぐ、１０年ぶりの日本だ。 近付く地面に降り立つ巨大な鉄の鳥が翼を休めたその時。 確かな決意と、大きな不安。 相反する二つの感情を胸に秘め、私は日本の地に降り立った。

あらみやです。書こう書こうと思っていたほのえりをようやく投下します。<br />社会人ほのえり。あまり明るくはならないかもしれない。<br />ある方からTwitterで頂いたネタなのですが、上手くいったかな。<br />3月10日追記。下の方が完成いたしました。是非、中と併せてご覧ください。<br /><strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6520528">novel/6520528</a></strong>

止まった時計を少し進めて　上

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「あ」 　飛び散った赤は花を咲かせるように男の白い髪を汚した。 　目の前の男が胸から三つの刃を突き出し血を吐きながら崩れ落ちる様を呆然と見詰めていた雁夜は、男の後を追って膝をつく。恐る恐る体を揺すっても体から血が流れるだけで反応はない。ただいたずらに服や手を汚すだけだった。 「な……おい、うそだろ?」 　薄く開いた瞼から覗く蒼玉は光を失い何も映さない。ただの肉塊に成り下がった男の体を揺さぶる雁夜を黒衣の神父が眺めている。 「起きろ、起きろよ…畜生、なんか言え!」 　雁夜は男の頭を抱えてひたすらに憎み続けていた名を呼んだ。何回も何回も飽きもせず返答を期待して。いやただ現実から逃避してるだけだろうが、ああ。それにしてもなんて滑稽な光景だろうか、殺してやりたいと願った男の生を望むなどと。こうやって死んでしまえば結局は何も変わらないのに。　足を踏み出すと血溜まりが綺礼の靴を汚した。歩を進める度に起こる粘着質な音に気付いたのか、雁夜はぎこちなく歩み寄ってくる綺礼を見上げた。雁夜の視線がゆるゆると下がり綺礼の持つ黒鍵で止まる。まだ血の滴るそれを眼前で振ってやれば青白い顔は赤く濡れた。どろりと雁夜の目に流れ込んだ血が淵に溜まり流れる。まるで神を悼む乙女の顔だ、とくだらない考えが浮かんで消えた。 　雁夜の喉が動く。 「なんでころした」 「よかったじゃないか、これで君の悲願が叶った」 「こんなのはちがう」 「一体、何が違うというのだ?」 　綺礼のわざとらしい嘆息に雁夜は憤りをあらわにする。 　その表情の変化を綺礼は内心で喜んだ。そう、赤子がこちらを見ないなのら、手にする玩具を奪ってしまえばよい。なんて単純な話だろう。　 「神父、テメェ」 　ぞろり、周りの空気が黒くうねる。煩いほどの羽音に頬を緩めずにいられない。この場で綺礼を攻撃する事が何を意味するか雁夜は気付かないのだろう。 　命を削り立ち上がる雁夜の姿は既に血みどろだ。素晴らしい。手にした刃が彼を欲する。 「さあ、私を愉しませてみろ」[newpage] 　どんなに蟲が襲ってきた所で綺礼にそれが届く事はない。何故なら綺礼の手の中にはたった今彼の形見となった護身用の紅玉が握られているからであり。死してなお己に立ち塞がる男の存在を知ることなく、雁夜は嘆きにも似た叫びをあげるのだった。

※ギャグじゃないですどうみてもタイトル負けです。しかも死人が出ます。明確な描写は無いのですが個人断定余裕ですこれも全部時臣のせi。一応綺→雁のつもりです…/おじさんと綺礼がガチバトルしたらどうなるのかなって思いまして、遠距離vs近距離。蟲相手にマーボーがどうするのかが見所かと思いますが綺礼さんの事だからそれこそ蟲正面からぶち抜いてマジカル☆八極拳でおじさん逃げてえ!な展開になるんじゃ…是非アニメのクオリティで見てみたいです。【追記】わああルキラン27位49位入りました!ありがとうございます!!時臣も報われるはず!

【F/Z】不思議な拳法でお前をｺﾛｽ

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手燭を手に隠し部屋の扉を開ける。 ギ、と軋んだ音とともに、僅かに黴臭い篭った空気が纏わりつく。揺らめく灯りに照らされて、古い抽斗がぼんやりと照らし出された。 襟元から一本の鍵を取り出す。――あらゆるものをあらゆる場所に隠せる、『神隠しの鍵』。装飾の施されたそれを鍵穴に挿し込み、ゆっくりと捻る。中に隠されているのは一振りの剣だ。太刀拵の鍔元から鞘にかけて呪符が貼られ、強固な力で以て封印を施された――降魔剣。 「………封印が緩んだ気配はありませんね」 人型になったメフィストが、子供の手には余る剣を矯めつ眇めつしながら呟くように言った。その言葉に、俺は知らず詰めていた息を吐き出す。 「そうか」 「今のところはまだ、封印が破られる心配は無いでしょう。――今のところは、ですが」 強調されて頷く。封印を施した術者当人が言うのだから、間違いはないのだろう。成長とともに力が強まれば、いつか封印が耐え切れなくなる。降魔剣の容量を超えるほどに力が大きくなればそこで終わり。 ひた隠しに隠した『魔神の落胤』の存在が明るみに出る。 そうなった先にある未来を、想像したくはなかった。 手渡された剣を受け取り、再び隠して鍵をかける。カチャン、という微かな音が、薄暗い部屋に響いた。 [newpage] 「おれ、今日はこいつとねるー！」 そう宣言した燐に抱き抱えられ、子供部屋で寝ているはずのメフィストが部屋を訪ねて来たのは、就寝前の祈りを終えてベッドに入った時だった。 「……どうした？」 短い足でベッドによじ登って来た子犬に、怪訝に思って尋ねる。 夕飯前には雪男の「犬って食べれるんだよね」発言のおかげで危うく食材視されていたが、その後はすっかり気に入られたらしく、双子は寝るまでメフィストを離そうとしなかった。メフィストにとっても末の弟とその弟だ。悪い気はしていないと思っていたのだが。 「蹴られました」 憮然とした声音でメフィストが言う。 「ついでに叩かれましたし、潰されかけました」 どうやら、寝相の悪い燐にうんざりして逃げて来たらしい。 「私は子供は苦手なんですよ。まったく」 不機嫌だというアピールのつもりか、短くふさっとした尻尾がたしたしとシーツを叩く。 「お前、弟いるじゃねぇか。面倒とか見なかったのか」 「弟って……アマイモンですか。見るわけないでしょう。というか、我々悪魔には子供時代なんてものはありません」 「え、そうなの？」 聞けば、上級の悪魔は生まれたその瞬間から相応の力と知識、知恵を備えているものらしい。姿形も定められたままに生み出されるため、成長も殆どしないのだとか。 ということは、この子供姿っていうのはかなり貴重だってことか。 ぬいぐるみのようなふかふかの毛並を撫でながらまじまじと見つめていると、見上げてきたライトグリーンの瞳と視線が合った。 「何ですか」 「ん？いや、あったけーなーと思って」 子供だからなのか犬だからなのか、普段の低体温とは比べ物にならないくらい体温が高い。抱いて寝たら気持ち良さそうだよな、と俺はメフィストを抱き寄せた。 一瞬驚いたように身を竦ませたものの、メフィストはおとなしくすり寄ってくる。 「………貴方の匂いがする」 すん、と鼻を鳴らしてそんなことを言った。縋るように胸元にすり寄るものだから、 ………………可愛いじゃねぇか畜生。 「おいメフィスト」 「何ですか」 「お前、普段の姿になれねぇの」 「なれるなら貴方に匿ってくれなんて言いませんよ」 それもそうだ。 「一瞬でいいなら可能だとは思いますが。何でです？」 「いや、だってよー…」 子供の姿じゃ、手ぇ出せねぇだろ。 そう言った瞬間、メフィストがばふっと赤くなった。 「な、ななな何言ってるんですか貴方！」 「何、って。一週間ぶりなんだぞ？夜に部屋で二人きり、とくれば決まってんじゃねぇか」 「あああなた仮にも修道司祭でしょうが！誓願はどうしたんです！」 「清貧、従順。ちゃんと守ってんじゃねぇか」 「貞潔」 「女は抱いてねぇし？つーか今更じゃね？ほんっと、いつまで経っても初心な反応するよなお前。誘惑の悪魔返上したら？」 「っやかましい！さっさと寝ろ！」 敬語口調をかなぐり捨てた悪魔がそっぽを向いて丸くなった。 耳の先まで朱に染めた後姿に手を伸ばし、そっと頭を撫でる。ぴく、と尻尾が動いた。 「おやすみ、メフィスト」 暗がりの中、傍らのメフィストが身じろぎする気配がした。 躊躇うように、ギシ、とベッドが軋む。 「おやすみなさい――藤本」 そう呟いた声は低い聞き慣れた大人のもので、 （あれ？） と思った次の瞬間、唇に触れた柔らかい感触に、俺は眠るどころではなくなったのだった。

さらに続きです。深夜と真夜中ってどっちの方が時間遅いんですかね？？<br />■うわわ、タグ有難うございます!!調子に乗って真夜中書いちゃっていいですか⁉■■ルーキーランキング81位入りましたー！有難うございます!!

ある日の深夜の出来事。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=646202#1

【attention】 ！お兄ちゃんがクズです ！おそ一、からの、カラ一です。 ！雑です、ここが一番要注意。 ！未完結 [newpage] 僕がその現場を見たのは2ヶ月ほど前だった。 その日僕はいつも通り昼過ぎに家を出て猫の溜まり場にいって猫缶を開けるという何の変哲もない、日常茶飯事を過ごしていた。ただ普段と違ったのは偶々その場でうたた寝してしまって、気が付いたら夕方どころか日が沈んでいて時間を見れば夕飯の時間が迫って慌てたこと。さらに、遅刻するのを回避しようと近道…俗に言うあれやそれやの営みをする施設街を通ったこと。 そこで、見てしまった。 「………おそ松、兄さん……？」 おそ松兄さんが、女の人と出てくるところ。 目を疑った、末弟と見間違えてるのではないかと目を擦ってもう一回見たけれど赤いパーカーを身に纏うあの人は間違いなく、間違いなく僕の一番上の兄さんで、恋人の姿だった。 呆然とその場に立ち尽くしてしまった僕におそ松兄さんは気付いたようで驚いた様に目を丸くした後、ゆっくりと、三日月にその双眸を細めれば悪魔を思わせる笑みを浮かべて、傍の女に口付けを施したのだ。 これが、2ヶ月前の話。 その後僕はおそ松兄さんを問い詰めた。それはもうヒステリックに。すると兄さんは心底面倒くさそうな顔をして。 「あーあー。見つかっちゃったよ。ごめんごめん、もうしないからさぁ？ね？許して？」 なんて言うものだから、咄嗟に手は宙を振りかぶってその頬を張ろうとした、のに。 あと数センチでその肌で音を鳴らそうとした手は容易く捉えられ引力を伴い体ごと抱きしめられる。全身がかぁ、と熱くなり必死で抵抗するも長男様に力は敵わないようだった。その間赤子をあやすように背中をさすり、耳元で一つ「愛してる」と囁かれれば僕の体はあっという間に反応してしまう、この男にそう作り変えられたから。つぃ、と背中から肩甲骨、首筋を通り耳裏へ、最終的に頬に添えられる手は浮気をしたという後ろめたさなど感じさせないその顔から逸らすな、と言わんばかりに固定されて僕を縛る。 「…なんで、浮気した、の。」 「…まだ言う？ごめんって、出来心、俺は一松だけだからさぁ！…ね、シよ？」 ほら、最低だ。女の勤しんで僕ともなんて、どんな絶倫なんだよテメエは。すでに服裾の間を縫って肌を撫でる掌に僕は抗えず、どろりと蕩けた僕の顔が目の前の、酷く愉悦をもった瞳に映し出されて嗚呼、もう、駄目、って。悔しいのに。 兄さんは、それすら笑って。 「俺の一松、可愛い」 なんて吐き出すものだから、その唇噛みちぎってやろうか。 あんたの一松は、泣いてるのに。 　　▼ △ ▼ それから2ヶ月、兄さんは浮気をやめなかった。 寧ろ、僕にばれてからは堂々と痕跡を残すようになって当初は聞くことも出来た謝罪も聞けなくなっていった。最近おそ松兄さん帰り遅いよね、なんて夕食後の他愛もない会話に心を抉られる程に僕は憔悴して、部屋に引きこもるようになった。そんな時だ。 「一松？入るぞ。」 此処のところろくに外出もしない僕を皆は心配してくれていた。しかし理由を話す気にもなれず只々部屋隅の置物になっていたとき、来たのが二つ上の兄、カラ松だった。 「……何、なんか用？話す気分じゃないんだけど。」 今この瞬間にも兄さんが他の女と致していると思うと狂いそうで、胸元を掻き毟って恥も外聞も捨てて泣きたくなる。から、声を発することすら嫌だった。そんな僕の気も知らずにカラ松は僕の正面に胡座をかいて座り込んだ。 「まどろっこしいのは嫌いじゃない、率直に言おう。……おそ松と何があった？」 ガン、と煉瓦で頭を殴られたような衝撃が襲う。なんで、誰にも言ってない。普通を装ったつもりだし、ましてや付き合ってるなんてことも言っていない。 「…すまない、他の奴らはわからないが、その……俺は、気づいている、お前と兄さんのこと。」 心底申し訳なさそうな声音で、しかしこちらをしっかり見据える瞳は長男とは違い、気遣いと真摯に満ちていた。そんな視線が痛くて、苦しくて逸らしてしまうのだけれど。 「……これは俺の勘に過ぎないが、もしかして、おそ松は浮気、をしてるのか…？」 「っ、なん、で…」 つい、どこまでわかっているのかと末恐ろしくなって声をあげ気づいた時にはおそく、やはり、なんてつぶやくカラ松に舌打ちを漏らしてまう。 いつも、いつもそうだ。普段鈍感な次男は何故かこういう時だけ鋭く、心の柔らかい所を的確に抉ってくる、そんな所が大嫌いなんだ。 「…一松、酷な事をしているのはわかっている、でも、一人で抱え込む方が辛いだろう。俺では不甲斐ないかもしれない、が、…話してはくれないか？」 「…なんで、アンタに話さなきゃいけないの、意味わかんない。」 そう、此奴に話す理由もない。兄弟間の恋愛でしかも片方は浮気され、興味本位で顔を突っ込む奴じゃないから心配してるのはわかる。でも、突っ込んで欲しくない。 苦しげだったカラ松の顔がまた歪んだ。なんで、なんでお前がそんな顔するんだよ。 「…………好きなんだ、ずっと、お前のことが。見てたから、気づいてしまった。」 「……は？」 なんで、そういうこと、を、いう。かな。 　▼ △ ▼ 「なんで、なんで。意味わからな、え、好き……？」 困惑の余りうまく紡げない言葉、こういうときに冗談をいう男でもましてや嘘を付ける男でもないことはよくわかっている。無駄に優しいのだ。 いつも整って上に向かっている特徴的な眉はいまはハの字に情けなくなって、カッコつけてるときの面影なんて全然ない、素のあいつが、僕に、僕に。 「…困らせてすまない、だが俺は本気なんだ。お前がおそ松と付き合っているなら諦める気でいた。でも、おそ松がお前を大切にしていない、どころか他にうつつを抜かしているのなら」 話は別だ。 いつの間にか距離を詰めていたカラ松は壁に手をついて僕の逃げ場を無くしていく。僕とは違って均整のとれた引き締まった体がつなぎの下の、胸元が開けられたシャツから覗いて迫る。体育座りをしていた身体を更に縮こまらせればその分隙間を埋められる。心臓がバクバクと急速に高鳴って全身の血という血がグツグツと沸騰して顔が熱くなってゆく、此方を見据える視線が真っ直ぐすぎてゴミには直視できない。腕を交差するようにして顔を隠せばするりと、解くようにあいつの手が絡まって優しく皮膚をなぞる。おそ松兄さんのそれとはまるで違って、否、最初はこうだったのかもしれない。いつの間にか消えていったものをこの次男は大事に大事に抱えて僕に捧げようとするから、目から液体が溢れて止まらない。苦しい。苦しい。苦しい。 「…泣いていいんだぞ、一松。お前はよく頑張った。もう耐える必要はない。」 「う、ぁ……あ、ぁあああああああ…—————！！！！！！」 今まで認めたくなくて、見たくなくて心の奥底のパンドラの匣に詰め込んでいた現実と絶望がカラ松によって解き放たれた。やっぱりそれは吐きそうになるほど苦痛で息もできなくて。涙が勝手溢れてぼろぼろとパーカーの袖を濡らしてゆく、それをカラ松は優しく包んで背中をさすって、僕がおそ松兄さんに欲してたものを全て与えてくれる。 なんで。なんでおそ松兄さんは浮気をしたんだろう。 なんで僕じゃダメだったんだろう、なんでフってくれないんだろう。フる価値もないのかな、何日兄さんに触ってもらってないんだろう。何日兄さんは他の女に触ってるんだろう。もう僕は要らないのかな、苦しい、くるしい、くるしいくるしいくるしいくるしいくるしい。 好き。 好き、だったよ。兄さん。 「………俺がいるからな、一松。」 嗚呼、パンドラの匣には、希望もはいってるんだった。 [newpage] 俺の一松は可愛い。とても可愛い。 俺の自慢にならないのが自慢の可愛い３番目の弟、兼恋人。 兄ちゃんね、なんでもわかっちゃうんだよね！なんたって兄ちゃんだから！ 松野一松は俺がいないと何もできない、はいこれ決定事項。わかる？ だってそうじゃない、そうだったのよ。ずっとずっと、だから俺が愛してあげなきゃ彼奴は成り立たないし彼奴から俺には愛が返されて当たり前。無償の愛、美しいね！ ちょっとした出来心で女と身体を重ねてしまった。 別によくない？俺がしたかったわけだし、気持ちよかったしさぁ。 俺が一松を好きなことにはなんら変わりない。変わりないから俺は彼奴に愛されてしかるべき。 だって彼奴は俺のものじゃない。 「それはおそ松兄さんでも、見逃せないな。」 —————あ？ [newpage] 完全に趣味をぶちまける頁です。 この小説の大体の方針が書かれていますが読み飛ばしてもらって全然大丈夫です。 (続きを書くかもわからないのでオチはこんな感じがいいなっていうふわっていう感じのそんなかんじです) 某呟きでも散々呟いているのですが、私はゲス攻めざまあが大好きです、もう性癖です。 この場合でいうとおそ松兄さんですね。おそ松兄さんは私の性癖を満たすのにもうこれ以上ない ナイスな人です。(サムズアップ) とりあえずこの小説は、 「受けちゃん(この場合一松)が自分から離れられないと信じて浮気にDV賭博諸々etcに惚けたクズ攻めがまさかの第三者(この場合カラ松)に受けちゃん(寝)取られて呆然放心の後に受けちゃんに執着するストーカーエンドが大好物です(オチなんてない)そんなおそ一からのカラ一←おそが欲しい」(呟き引用) という私の私利私欲で成り立ってます。（細かすぎて自給自足するしかなかったんです） 「お兄ちゃんは何でもわかっちゃうのよ～で生きてきて自分を過信しすぎて盲目になって一番肝心な事が見えてなくてその間に寝取られちゃえばいい。=絶対王政崩壊記念日」(呟き引用) 絶対王政崩壊の足音は確実に迫ってますね、というかもう崩壊しかけてます。カラ松のせいで。 このお兄ちゃんは2頁めの通り自分が一松に愛されてると信じて疑ってません、故に他に惚けているわけで。松野兄弟を名乗るからには兄ちゃんは絶対だよね？あったりまえじゃん！な人です。疑問なんてない。故にその足元をすくわれて一松を奪われちゃう。 なんともざまあ！！！！！！(おそ松好きさんすみません、愛です) この後の予定としては、 ・カラ松一松くんがそろっておそ松に別れ&自分たちの交際を告げる。 ・お兄ちゃん呆然。え？え？意味わかんないだってそれ俺のだよ？ ・お兄ちゃんから離れるためにカラ一は別居、二人だけでお引越し(軽率) ・お兄ちゃん見事にストーカー化。 R-18を書く才能がないのですが、出来ればストーカー化したお兄ちゃんに一松が強姦されればいいなとかそういうこと考えてます。最終的なオチはノープランです、爪が甘い。 そんなこんなの予定です！！！！！誰か！！！続きを！！！！かいてください！！！！！！！ ここまで読んでくださってありがとうございました！お粗末！

◼︎8.24追記　長兄一漫画小説（<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/58622988">illust/58622988</a></strong>）というタイトルで自身で絵をつけてみました！内容は多少端折った程度でほぼそのままです！よかったらこちらもどうぞお願いします！<br /><br />咄嗟に思いついて勢いで書いたものです。<br />クズなおそ松兄さんが一松を自分のものと過信して疑わず、放って浮気に惚けている間にカラ松が略奪しちゃうぜ！な話です、終わってません。続くかもわかりません。<br />□ 2月24日付のデイリーランキング88位→64位ありがとうございます！長兄一人気ですね！嬉しい！

絶対王政の崩壊音

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散歩にでも行かぬか？とライダーが声をかけると、ウェイバーは面倒くさそうに顔を上げた。 「なんでこんなクソ寒いのに外に行かなきゃならないんだよ。」 「少々小腹が空いてしまってな。コンビニエンスストアとやらに行くぞ。」 ベッドに腹這いの姿勢で眺めている本が、さっきから１ページも繰られていないことにライダーは気付いている。 「もー、なんだよそれ。現界ばっかりしてるから腹減るんだろ。」 ぶうぶうと言いながらもウェイバーは本をぱたりとためらいなく閉じた。 しおりは所在なげに枕の傍らに転がっている。 ウェイバーはダッフルコートを羽織り、マフラーをぐるぐると首に巻くと、行くぞ、と主であることを主張するかの様に先にドアを開けて出て行った。 ライダーは面白そうにそれを見送り、続いて扉をくぐった。 人通りの少ない夜道を２人並んで歩く。 だいぶ低い位置にあるウェイバーの顔を、行き過ぎる街頭の光の輪の元でライダーは眺めた。 その頬は数日前より明らかに滑らかな曲線を失っていたし、肌色は白く血の気が薄い。 キャスター陣営の根城を突き止めた日から1日。 平静を装うウェイバーの心意気を無駄にしたくはなく、敢えてライダーは何も言わず、何もしなかった。 だがやはり、ウェイバーにとってあの光景は到底やり過ごせるようなものではなかった。 食事はあまり喉を通らないようだったし、なんとか押し込んだ物を吐いてしまったこともあるようだった。 それでも必死にウェイバーはなんでもない振りをする。 老夫婦には風邪を引いたようだと言って誤摩化しているようで、今日は心づくしの生姜湯とやらを飲まされていた。 この未熟な魔術師の暗示はどの程度の効力を持つのだろう。 ライダーはふと考えた。 あの老夫婦が実の孫のようにウェイバーを可愛がっているのは暗示の力だけなのか。 生来の、この人間の持つ魅力だって働いているのではないか。 そんなことを、ふと思った。 「ほら、着いたぞ。何買うんだよ。」 気付けばコンビニエンスストアの前まで来ていた。 ライダーの生きていた時代からすれば、まるで魔術のように煌煌と明るい店の明かりに照らされて、ライダーはニカリと笑った。 「うむ、今日はな、おでんとやらに挑戦してみようと思う。」 やたらに浮かれた様子でおでんを品定めするライダーを、ウェイバーは恥ずかしいものを見るかのような顔で見た。 「坊主、お前は何を食う。」 「はぁ！？僕はいらないよ。」 「何を言っておる。さあさあ、どれだ、どれにする。」 ライダーはすでに何品も器に放り込んでいる。 ウェイバーはうんざりとした顔を作っておでんの並べられた容器を眺めると、しばし悩んでこう答えた。 「じゃあ…玉子。」 それぐらいしかウェイバーに馴染みのある食材がなかったための選択と思われた。 しかしライダーは楽しげに笑うと、手に持つ器の中に玉子を放り込んだ。 「よし、では坊主、支払いを頼む。」 「結局、払うの僕かよ！」 寒空の公園の芝に座り込んで、ライダーは美味そうにおでんを口の中に放り込んでいる。 ウィエバーはそれを横目で半睨みして、ため息をついた。 空気はしんと冷えて重く、なのに空はひどく透明で、星がたっぷりとその帳を覆っている。 ここはなんでもない、ごく普通の日本の一都市で、聖杯戦争などなければ、あんな殺人鬼に跋扈されることもなかったかもしれない。 そう考えるとウェイバーはやりきれない想いに、また顔を少し俯けた。 マフラーに鼻先まで埋めてじっと自分の爪先を見つめる主の姿を、ライダーはこっそり片眉を上げて見つめたが、口は素知らぬ顔のままがんもを咀嚼する。 人が、命があのように嬲られ、辱められた光景を見て、ウェイバーがこうして衝撃を受け、悲しみ怒る姿を、ライダーは口にこそ出さないものの喜んでいた。 ランサーのマスターのやり様は大変にライダーの気に入らぬものであったし、姿を見せようとしないセイバー、アーチャー、バーサーカーのマスターが取っている、もしくは取ろうとしている戦術もライダーの好みには合わない。 キャスターの根城を見る限り、キャスターのマスターも到底好きにはなれそうになかった。 全てをたばかろうとしていたアサシンのマスターは論外としか言いようがない。 そんな中で自分の主はどうだ。 プライドは高いようだが非力で、すぐに泣き出すわ気絶するわ、この戦いにはおよそ向いているように思えない。 それでも自分の持てる力を最大限発揮し、常に上を目指そうと努力する若者の姿は小気味良くライダーの目に映った。 なにより、正直に泣き、笑い、嘆き、怒ることが出来るのは良い事だ、とライダーは感じていた。 感情は欲より出るものなのだし、自分は欲という物を愛している。 だからして、どうしてこの主を愛でずにいられようか。 ライダーは咀嚼を続ける口元で、そっと笑った。 「お前、意外と器用だよな。」 ふいに顔を上げたウェイバーがそう言った。 ライダーは割り箸で大根を半分に切り、それを口に放り込むところだった。 ウェイバーはマッケンジー夫妻の孫を演じている都合上、食事のたびに箸を使う事を余儀なくされているが、正直あまり得意とは言えない。 ライダーは現代知識のインストールの影響なのか元々の能力なのか、器用に煮豆まで食べてみせる程度に箸を扱う。 「フォークとナイフとスプーンのが絶対扱いやすくて合理的だ。」 「いやいや、箸は箸で良いものだぞ。何より洗い物が少なくすむではないか。」 「うるさい。そもそもお前、洗い物なんかしないじゃないか。」 ウェイバーの反論を豪快に笑い飛ばして、ライダーは玉子一つを残した容器をウェイバーに差し出す。 渋々といった風情でウェイバーはそれを受け取った。 そして一緒に差し出された新しい割り箸を苦心して割ると、あやしい箸使いで玉子を掴もうと奮闘を開始した。 が、玉子は箸先でつるつると滑るばかりでいっこうに捕まる気配を見せない。 憤慨してウェイバーが、ああもう！と声を上げたところで、ライダーはひょいとその手から器と箸を取ってやった。 きょとんとした顔で見つめるウェイバーの前で、ライダーは器用に箸を使って玉子を二つに割り、その一方をウェイバーの口元へと差し出した。 「ほれ、食え。」 ちょん、と唇に押し付けた玉子は、冷えきったウェイバーの身体にはまだ十分熱を持ったものだったらしい。 「ぅ熱っち！」 ばか！なにすんだよ！熱いだろ！！と口元を押さえたまま、涙目で抗議されては仕方がない。 ライダーは肩を竦めて、玉子をさらに半分に割り、ウェイバーへと差し出してやった。 ウェイバーは一、二度それに息を吹きかけると、おそるおそる口へと含んだ。 ようやく口の中に飲み込まれた玉子の味は、ウェイバーの舌をじわりと温かくした。 久しぶりに食べ物の味を感じた気がするし、久しぶりに食べ物を美味しいと感じた気がした。 生きているのだ、と思った。 生きながら切り刻まれて家具にされることもなく、死んだはずのアサシンに抹殺されることもなく、生きている。 じわ、と涙はウェイバーの眦に滲んだ。 ライダーはそっとまた玉子をウェイバーの口元に差し出す。 ウェイバーは黙ったままそれを口にし、噛み、飲み込む。 それをさらに2回繰り返して、ライダーの手の中の容器は静かに空になった。 ウェイバーは鼻を小さくすすり、目にかかった髪を払う振りをして涙を拭った。 ライダーは満足げに微笑み、空いた容器をゴミ箱へと放り捨てた。 静かで穏やかな夜が、住宅街の公園を過ぎていた。 はぁっ、と吐いたウェイバーの息は夜闇にも真っ白に見えた。 そんな中、ライダーは相変わらず大戦略Tシャツ一枚で芝生に座り込んでいる。 「なあ、寒くないのか？」 「ん？まあ、そりゃあ家の中にいるよりは寒いわな。」 ウェイバーは少し眉を寄せ、しばし逡巡する表情を見せた。 そして自分のマフラーに手をかけると、ごそりとそれを一旦引き抜き、ライダーの胸元へと歩み寄った。 ふわりとライダーのうなじへと回されたそれはウェイバーのうなじをの後ろを通り、2人の首を合わせて巻き込む。 座っているライダーの首と立ち上がっている自分の首が大差無い位置にあることは、ウェイバーにとってたいそう屈辱だったけれど、今回に限っては巻くのに都合が良かった。 「見てる方が寒いんだよ、バカ。」 「なんだそうか、坊主寒いか。」 お前僕の言う事聞いてたか！？とわめくウェイバーの腰を抱き寄せて、ライダーは温かい腹に肩を寄せた。 まるで、同じ時を生きているかのように錯覚する温かさだった。 同じ熱を感じたのか、ウェイバーも大人しくそのままにされている。 ライダーは気分良さげに鼻を一つ鳴らすと、穏やかな日常に似た瞬間を楽しんだ。

ライダー陣営への愛とおでんを詰め込みました。腐向けぽいようなそうでないような。尚、アニメしか見てない惰弱ものです。心情の読み違いなど、原作と噛み合ない点もあるかと思います事、お詫びいたします。

愛しきは我が主よ

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―――警視庁捜査一課 「ではお先に失礼します」 ここ１ヶ月休日返上で出勤していた為に疲れが溜まっていたトド松はこの日、久々に定時で 切り上げる事になった。 積滞している業務があり少しでも早く片付けてしまいたかったのだが「疲労困憊な状態で仕事 したってむしろミスに繋がる恐れがある。今日は休んで明日頑張ればいいじゃないか」と 上司のチョロ松に促されたからであった。 余り気は進まなかったものの、オフィスを出て廊下を歩いているうちに徐々に心が軽くなり 自然と早足になって行く。 （スーパー開いてる時間に帰るなんて久し振りだな。何作ろう…寒いから鍋にでもしたいけど １人じゃなぁ。まぁいいや、簡単なものにして、とにかくゆっくり風呂に入ろっと…） 本当に久々の定時帰りに心を躍らせながら警察署を出ると、昼頃からチラついていた雪が 本格的に降り始め、地面をうっすらと白く覆っており底冷えした空気にブルッと震える。 緩く巻いていたマフラーを巻き直し、やはり１人鍋でもしようかと考えながら歩いていた時だった。 「トド松警部補ー！」 「ん？」 どこからか自分の名を呼ぶ間の抜けた声がする。 まさか定時上がりにした途端に呼び出しか？と思ったが、いくら署を後にして間もないにしても 携帯で呼び出すはず。それに同僚の声ではなさそうだ。 （誰だ…どこにいるんだ？） どこかで聞いた事がある声なのだが思い出せない…どこから自分を呼んでいるのか辺りを キョロキョロと見回そうと足を止めた時だった。 「ひっさしぶりー！」 「うおっ！？」 何の前触れもなく背後から何者かが圧し掛かって来た。 突然の人間の重みにグラついたもののどうにか踏みとどまり首だけを後ろに向けるとそこには… 「あっ！アンタ！」 「元気してたー？」 数ヶ月前、松野カラ松邸で起こった連続殺人事件の捜査の真っ最中にカラスにつつかれながら ハングライダーで現れた男…通称なごみ探偵のおそ松だった。 「あーもーホントに久しぶりー！俺の方はいろいろあってさー聞いてくれる？あ、でもこんな所で 立ち話もなんだからどっか入る？ぶっちゃけ俺腹減ってるからメシ食いたいんだよねーってか、 夕飯の買い物とかしようとしてた？だったら買い物付き合うよ！やっぱ寒い日は鍋だよねー トド松警部補は水炊き派？キムチ鍋派？」 「ちょ、ちょっと待って！何でこんな所に…ってか臭せぇっ！オッサンの足の裏の臭いがする！」 「そお？まー２ヶ月位風呂入ってないからなぁ」 「ゲッ！マジかよ！きったねぇ触んな離れろよ！」 しかしもがけばもがく程、おそ松の体は一反木綿のように平たく長くウネウネとうねりながら トド松の体に絡みついて離れない。 「えー？そんな冷たい事言わずにさぁ飯行こうよーってか奢って」 「ちょっ、離せって…ウザいんだよオルラァァアア！」 「ぶおっ！」 業務上、それなりに武道の心得のあるトド松は強引に体を振りほどき渾身の力をこめて おそ松に見事な一本背負いをかまし、そのまま立ち去った。 「はあぁ～生き返るぅ！熱いお湯に入るの何ヶ月ぶりだろ？この時期だと川の水冷たいし ダンボール重ねてもなかなか体が温まらなくてさあ」 「ぼ、僕の知らない世界だ…」 風呂場からのん気に答えるおそ松にトド松は顔を引きつらせる。 本当は投げ飛ばしたおそ松をそのままにするつもりでいたのだが、倒れたまま動かない彼が 気にかかり様子を見た所、起き上がる気力がないらしくグッタリとしている。 しかも朝から雪が降っていたというのに傘もささずにウロついていたのか着ている服も髪の毛も 湿り気を帯びており、額に手を当てると異常に熱い。明らかに風邪をこじらせている。 「ちょっと！こんなに具合悪いんだったら最初から言ってよ！」 「ああ悪リィ、寒いなーって思ってたんだけど、それより腹減ってて…何か食わせて？」 「物乞いかよ…」 見捨てる訳にも行かず悩んだ末に自分のマンションへと連れて来てしまった。 空腹だとは言われたが先に汚れた体と、異常な寒気をどうにかすべきだと思い、風呂の準備をした。 発熱している人間を風呂に入れてもいいのかどうかためらったが何しろガチガチと歯を鳴らし ながら震えており、本人の希望もあって急いで浴槽に湯を張って放り込んだ。 「うわマジ汚ねぇ！」 脱がせた服と帽子を洗濯機に突っ込むとみるみるうちに中の水が黒く澱み、２度、３度と水を 取り替えてようやくまともな水の色になった。洋服でこの汚れなのだから中身は…トド松は 考えるのをやめ買い置きしていた自分の下着とスウェットを籠の中に突っ込む。 「着替え一式ここに置いたから。全身ピカピカになるまで絶対出てこないでよ！」 「ほーい」 今までの言動からして恐らくガサツな性格だろうから、ちゃんと体を洗わないかもしれない。 自分が入る時には一旦お湯を抜いて掃除し直してから入った方が得策だろう。 疲れを取る為に早く帰って来たというのに何故こんな事にと思いながら溜息をつくと のん気に鼻歌を歌っているおそ松を残しトド松はキッチンへと向かった。 「ああ～やっぱ冬は鍋だよね！そういや賞味期限切れてないモン食うのも久し振りだなぁ」 「………」 頬のこけ具合からして本当に飢えていたのだろう、満面の笑みを浮かべながらグツグツと煮立つ鍋の 中から煮えた具材を取り皿を経由する事無く物凄い勢いで次々に口に放り込んで行くおそ松の姿に トド松は箸を止めて唖然とする。 「美味い！美味いよぉ～！トド松警部補料理上手だねぇ」 「…鍋の素に具材切って入れただけだよ。それより大丈夫なの？お粥の方がいいと思うけどな」 「ああ俺、腹は丈夫だから全然平気！それよりご飯おかわりしていい？あ、ビールは？」 「ねえよ！」 さほど深い面識もないのにこの寛ぎようと図々しさにトド松はすっかり呆れ返ってしまったが おどけた口調と愛嬌のある笑顔のせいか不快感は沸いて来ず、仕事でのイライラが消えて あの時と同じように何だか和んで来てしまっている自分がいる。 そんな心情を見透かされるのが嫌で、差し出された空の茶碗を奪うように取り上げご飯をよそい ながら何故こんな現状になっているのか理由を聞いてみた。 「…冗談だと思ったら本当に橋の下で暮らしてたんだ」 「実家の仕送りストップして家賃払えないでいたらアパート追い出されちゃってさあ！ 行くとこなくて仕方なく？でも夏と秋は蚊が多いし冬場は冬場でキッツイね！凍死するかと思ったよ」 おそ松は平然と笑いながら答えているがトド松にとっては余りに衝撃が強すぎて言葉が出てこない。 そんなトド松に気づく事無くおそ松はここ数ヶ月で学んだホームレス社会の暗黙のルールを 楽しそうに語り始め、更にトド松を呆れさせた。 「ね、ねえ何でそんなにお金ないの？」 「ああ、俺も何とか稼ごうと思って頑張ったしいろいろ工夫もしたんだけどなぁ…なかなか 確変が起きなくてなぁ。三連単でも外しまくるし当たり馬券ってなかなか落ちてねーし」 「パチンコと競馬かよっ！最っ低だな！」 （※頑張った事→朝早く起きてパチンコ店の前に並ぶ。馬の予想をする。 　工夫した事→出玉の多そうな台を選ぶ。這いつくばって落ちてる外れ馬券の中から どさくさにまぎれて当たり馬券がないか探す） 「だって手っ取り早く稼がないとと思ったから…」 「…仕事の依頼はなかったの？」 「ん？仕事の依頼って？」 白菜をシャクシャクと食べながらキョトンとした顔でおそ松が首を傾げる。 「や、だから浮気調査とか人探しとか…」 「やだなートド松警部補ったら！俺は私立探偵なんだから殺人事件にしか関わんないよ？」 「はああ？」 何だか会話が噛み合っていない…明らかにおかしい。 まさかこの人…トド松はうっすらととある考えが浮かんだがいくらなんでもいい年齢した大人が それはないだろう、ないと言ってくれ！そう思いながら恐る恐るおそ松に言ってみた。 「…あのね、探偵って言うのは“人（法人又は個人）からの依頼を受けて、面接による聞込み、 尾行、張込み、その他これらに類する方法により、特定人の所在又は行動についての情報を収集し その結果を依頼者に報告する”仕事の事だよ？」（ウィキペディア参照） 「へ？何それ…」 トド松の説明におそ松は茶碗と箸を持ったままポカンとし「でも俺は犯罪捜査を…殺人事件を…」と まだ口走っている。 明らかに自分の予測が正しいと確信したトド松はおそ松にも分かるように言葉を噛み砕いて 説明を続けた。 「探偵ができる犯罪捜査はいじめやストーカー対策、あとはＤＶ対策かな？それ以外だと浮気調査や 人探し、筆跡鑑定とか指紋鑑定なんてのもあるけどアンタできないでしょ？」 知らない国の言葉を一方的に聞かされてるかのような顔をしてすっかり固まっている。 マジかよこんな事も知らないで探偵やってたのかよと思ったが、トド松の心に新たな疑惑が沸いて来た。 「日本で探偵やる時って警察通して公安委員会に届け出すか、探偵業者の従業員になるかのどっちか なんだけど、アンタどっちなの？」 「は？コ、コウ…アン？従業員…？」 「………」 うっすらと勘付いてはいたが、やはりこの男は探偵だと名乗っているだけ…鹿打ち帽とインパネス コートで探偵の気分を味わってる全くのド素人である。一応解決はしていないものの２０００件もの 事件に関わってはいるのだからド素人よりは毛が生えた程度かもしれないが。 本人もジワジワと気づき始めてきたらしく目が泳ぎ始め、静まり返った部屋にグツグツと鍋の 煮える音だけが響いている。 「あのさ、そもそも今までどんな仕事してたの？」 「ん？朝起きていつもの一張羅に着替えたら公園に行って競売新聞を読んだりパチンコ行ったり…」 「それ完全に無職だよな！しかもニートのコスプレイヤーじゃん！今まで一体どうやって 殺人現場に来てたの？」 「ラジオとかテレビで報道してるから…」 「野次馬じゃん！」 次々と明かされる衝撃の事実にトド松はとことん呆れ果てたが考えてみればあの松野カラ松邸での 時も誰の依頼も受けてなさそうだった。あれも恐らくはニュースで知ったのだろう。冷静になって みれば中途半端に知識のあるセミプロと違って本当に何の知識もなく何も分からないからこそ ためらいなく鑑識班の邪魔をしたりダイイングメッセージを消したりできたのだろう。 「お、俺は…ただ純粋に殺人事件が…殺人が好きなだけで…」 「落ち着いて。違った意味に聞えるから」 おそ松の手から箸が転がり落ち、思い切りうろたえた顔で縋るようにトド松を見ている。 「どうしよう、何か罪になる？」 「探偵って名乗る事自体は罪じゃないよ。特に資格もいらないしね。ただこの間の件だけでも 公務執行妨害と不法侵入に器物破損、ああ、あとどさくさに紛れて鑑識をナイフで刺してたから 傷害罪…いや殺人未遂かな？」 松野カラ松邸の時でさえ当たり前のようにやりたい放題だったのだから過去の事件も全て何かしら やらかしているのは安易に想像がつく。 ただ本人には全く自覚がなかったのか、みるみるうちにおそ松の顔が引き攣り涙目になっていく。 「えええ…どうしよう、俺、悪気があった訳じゃ…ちょっとふざけたりもしたけど…」 「ふざけてのレベル越えてるから。まあでもチョロ松警部が好きにしていいって許可しちゃった 上での事だしね、それに刺された人も今元気に仕事してるし大丈夫じゃない？」 「…本当に大丈夫？突然逮捕されたりしない？」 「被害届け出てないからそれはないよ。ちゃんとした探偵になりたいならもうちょっと 勉強した方いいんじゃない？」 本当は余りに非常識すぎる行動に対してもっときつく叱り付けてやりたかったが、如何せん 相手は病人。食欲はあるものの赤を越えて土気色した顔と充血して潤んでいる目、そして熱い位に エアコンの温度を上げて熱々の鍋料理を頬張っているにも関わらず毛布を肩にかけている衰弱しきった その姿を目の当たりにしてしまうと流石に厳しい事が言えず甘い事を言ってしまう。 「そうするわ。ありがとうトド松警部補…もっとドライだと思ってたけど本当は優しいんだね」 感動してのものなのか病気による症状のものなのか分からない鼻水を垂らしながらおそ松が 目をキラキラさせながら見つめてくる。何だか照れ臭いようなムズムズするような…もしかして なごみかかっているのだろうか。 「と、とにかく早く食べちゃって！１室物置に使ってる部屋があるから後で布団敷いとくから そこで寝て」 「うわぁありがとう！布団で寝るなんて久しぶりだなぁ！」 さほど物は置いてないとは言え、物置部屋なんて嫌がるだろうかと思っていたが屋外で 段ボール使って寝ていた人間にとっては旅館やホテル並みのサービスに思えるらしい。 何だか逆に申し訳なくなって来た。 「そう言えばこんな大雪の日に何でびしょ濡れになる程ウロついてたの？」 「ん？」 転がった箸を拾い食事を再開していたおそ松は口に入れたご飯を数回咀嚼してからゴクリと 飲み込むと少し考えた素振りを見せた後、ゆっくりと口を開く。 「…何となくどうしてるかなって…こんな姿見せてもいいのかなー？って思ったんだけど 何か無性に顔見たかったんだよね」 「ああ、チョロ松警部ね。元気にして…」 「いや君に」 「え…？」 思いがけず自分の名前が出た事にトド松がビックリして顔を上げると、ややしばらくして おそ松がプッと吹き出し肩を揺らしながら笑い出した。 「…なーんて言ったらどうする？どうする？」 「なっ…！？」 「最初顔見た時、疲れてそうな顔してたけど元気そうで良かったよ。明日も仕事？」 一瞬でも本気にしてしまった事が恥ずかしくて一気に顔が熱くなって行く。 「よ、余計なお世話だっての！そうだよ明日も仕事だよ僕は！だからさっさと食べてさっさと寝て！ 熱下がったら速攻で出てってもらうからね」 「ほーい」 照れ隠しに早口で一気にまくし立てるとトド松は熱いのを我慢しながら鍋から取った具材を一気に かき込み始めた。 [newpage] ―――１ヵ月後 「さてと…じゃあ行ってくるね」 「なあトド松、今日は帰り遅いのか？」 「特に何もなければいつも通りだけど何で？」 「駅前のスーパーで夕方から豆腐が安くなるから湯豆腐にしたいなーって」 「いいよ、帰りに買って来る…って、何でお前ココに住み着いてんだっ！」 思わずノリ良く送り出されそうになったトド松は本当に今更ながらツッコミを入れた。 おそ松の熱は３日ほどで落ち着いたもののホームレス生活での疲労が抜け切れていないのか 微熱が続いていたので、泊め続けていたのだが、気がつくと全快した今現在も彼のマンションで のんびりと過ごしている。 「え…い、いやぁすっげー居心地良くってつい…」 「ついじゃねーよ！何で僕がお前の黄ばんだパンツ洗ってんだよ…ってもっと早く気づけよ 馬鹿じゃないの僕っ！」 今の今まで全く何も思わずに一緒に寝起きし、朝食から夕食まで全て作り、服は全て共用。 更に洗濯までしてやっていた自分が馬鹿なのか、何も思わせなかったおそ松が凄いのか… トド松はショックでその場にガクリと膝をついて項垂れる。 「大丈夫かトッティ？」 「変なあだ名つけんな」 しかもいつの間にやら呼び捨てにまでされている。 このままでは完全に寄生されてしまう…初めて危機感を覚えたトド松は立ち上がり コホンと咳払いをすると未だ事態が理解できず、理解しようとせずにノホホンとした 表情を浮かべているおそ松にゆっくりと言う。 「アンタ…僕が何も言わなかったらこのままずっと住み着く気だったの？」 おちゃらけたりして話をそらさぬよう威圧するように睨みつけながら取調べをするような 口調で問いかける。 「い、いやそんなつもりは…ちょっとあった…か、も？いやいや決して最初から住み着いて やろうとかは思ってなかったからな！マジでマジで！」 「…７時２３分容疑者自供開始」 さすが本職と言った感じのトド松の迫力におそ松もしどろもどろになりながら罪を認める 供述を始める。 「俺もね、一応このままじゃトド松にも悪いし駄目だよなぁって考えてたんだよ？ んでこないだ心機一転、生活保護受けようと思って役所に行ったら実家あるなら帰れって言われ てさぁ、実家追い出されてんだから帰れる訳ないじゃん。酷くねえ？半日粘ったんだけど どうしても駄目って言われて、どうしよっかなー？って密かに悩んでた所だったのマジで」 「心機一転で生活保護かよ…」 それでも彼なりに今の生活から脱却しようと考えてはいたのだなと少し前向きに捕らえる事にし とりあえず生活保護受給について、健康体なニートには一切支給されないと言う事を懇切丁寧に 分かりやすく説明してみると予想通り見事に勘違いをしていたらしく酷くショックを受けた 表情を浮かべ、言葉を失ってしまった。 「そ、そうだったんだ…えーでも俺探偵以外の仕事なんてやだー」 「何ワガママ言ってんの！アンタ探偵向いてないって！正社員は無理かもしんないけど 派遣とかバイトとかして稼げよ…って嫌そうな顔するんじゃない！」 「ねえ家事とか手伝うからここにいちゃダメ？俺探偵になる勉強するから」 泣きそうな顔になりながら両手を合わせて拝むように頭を下げてきたがトド松は渋い表情で 首を横に振る。 「ふざけんな！１ヶ月もタダ飯食わせたってのにまだ養えってか！アンタが探偵になろうが ならまいがどうだっていいんだ。行くトコないなら支援センター行けっての」 「そっそんな冷たい事言わないで！俺トッティの事好きだから一緒にいたいんだ！」 「んなっ…！」 出て行きたくないが為に必死になって言った言葉なのだろうが余りに唐突すぎてトド松は適当に あしらう事ができず言葉を詰まらせる。 「バッ、バカじゃないの？気持ち悪い事言うなよ！とにかく…っ！」 出て行ってくれと言い掛けた所で、隣の玄関が開きゴミ袋を持った初老の女性が現れ トド松とおそ松の顔を見て少し驚いた表情をしながら会釈をする。 「あらあら兄弟喧嘩？」 「お、おはようございます！すみません騒がしくしてしまって…って、えっ今何て…」 扉を開けたまま会話をしていたのをすっかり忘れてまくし立てていた為、近所の迷惑を 考えていなかった。もしかして今の会話を聞かれただろうかとハラハラしながら慌てて頭を 下げたトド松だったが何だか今とんでもない単語が含まれていたような気がして聞き返そうと するとすかさずおそ松が間に割り込んできた。 「おー！おばちゃん元気ー？膝の調子どお？」 「最近はいい感じよ。そうそう主人が松野さんのお話楽しみにしてるのよ。良かったら また来てね」 「お邪魔していいの？やったー！この間の羊羹美味かったよ！」 子供のようにはしゃぐおそ松をにこやかに見つめた後、彼女は次にトド松の方へ顔を向ける。 「本当に明るくて楽しいお兄さんですね、ご近所さん皆何故か一緒にいるだけでなごんじゃうって 言ってますよ」 どうやらこの男はご近所に自分はトド松の兄だと言っているようだ。 この上なく屈辱だが確かに赤の他人、しかも男と同居していると言うよりかは兄弟と 言った方が変な邪推もされず自然かもしれない。 名前も偶然似ているので、すぐに嘘だとはバレにくいだろうし。 「ハハハ…どうも」 思えば毎朝ゴミ出しをしてくれたり、夜勤明けの時など朝の町内清掃に出てもらったり していたので自然と近所の人と顔見知りになり、親しくなって茶飲み友達にまでなって しまったのだろう。 恐らく自分もこうやって気づかぬ間に和まされて１ヶ月も一緒に…。 さっき気が付かなければこのクズニートのヒモを一生養う事になっていたのかもしれない。 無自覚だろうが恐ろしい男だ。トド松は引き攣った笑顔で彼女の言葉に頷きながらも 彼の恐ろしさを感じていた。 「あ、もうこんな時間だ行かないと！話は帰ってからね、おそ松　に・い・さ・ん！！」 「ア、ハイ…」 女性に軽く会釈をし、おそ松の肩に手をおくとドス黒いオーラを放ちつつもそれでも口調は 明るく爽やかさ保ちながらトド松は足早にその場を後にし、職場へと向かった。 「おそ松君は相変わらずかい？」 「あ、チョロ松警部…」 一筋縄では行かないであろうおそ松の身の振り方について、何で自分がと思いながらも あれこれと考え込んでいるとチョロ松がトド松のデスクにやって来た。 「どうだなごみまくりだろ～？お前以前に比べて顔の険しさ取れて凄く穏やかになったって 評判だぞ～」 「え、そうですか…って、アレ？何で警部、彼が僕の所にいるの知ってるんですか？」 秘密にしていた訳ではないがおそ松が自分と一緒に暮らしている事は誰にも言っていない。 親しそうな仲だったチョロ松には言うべきだったのかもしれないが、おそ松と会った 翌日から出張に行ってしまい、言うタイミングを失ってしまい今に至っていたのだ。 「ん、聞いてないのか？先週街中でおそ松君にバッタリ会ったんだ。事情は聞いたよ」 一体何を話したのやら…言われて困るような話はしていないはずだが何しろ彼の性格からして 何を言い出すのか分からない。 内心ハラハラしながら頷くとチョロ松は笑いながら言った。 「この間の事件の時に君の事気にかけてたようだったから、そのうち会いに行くんじゃ ないかと思ってたんだが、行き倒れて居候するとは彼らしいと言うか何と言うか」 チョロ松の言葉にトド松は思わず自分の耳を疑う。 「え…警部に会いに来たんでしょ」 「僕じゃないよ、君にだよ！こんな情けない姿見たら軽蔑されるかなって思ってたんだけど どうしても顔が見たかったって言ってたぞ」 「え、ぼ、僕に……？」 予想だにしていなかった言葉にトド松は驚いて目を見開く。 確か同じような事を言われた記憶はあるが、あれは冗談だったはず。 （いや、待てよ…！） ――何となくどうしてるかなって…何か無性に顔見たかったんだよね…なーんて言ったら どうする？どうする？ 冗談だとは一言も言っていなかった。 彼のおどけた態度に気をとられて自分の中で冗談だと片付けてしまっていたのだ。 気がつくと信じられない位に顔が熱くなっておりトド松は両手で頬を覆う。 真っ赤になっているトド松にチョロ松は穏やかに笑いながら続ける。 「一緒にいてすごく楽しいって言ってたぞ。そのうちちゃんとお礼がしたいってさ… おっと、黙ってた方が良かったかな。今僕が言った事は内緒な」 シーッと人差し指を唇の前に立てていると、自席の電話が鳴り出しチョロ松は「よろしく 言っておいてくれ」と慌てた様子で戻って行く。 （ま、まぁ気に入られてて悪い気はしないけどさ…でもだからと言ってうちにいつまでも いられても困るし。何で僕が養わないといけないのさ！…少しはお金出すとかもう少し手伝って くれれば考えなくもないけど…い、いや！やっぱりダメだ！） その後チョロ松の言葉が頭から離れず、余り仕事に集中できないまま１日が終わってしまい トボトボと家路に向かう。 「ただいま…あれ？」 いつもならば「おかえりー！晩飯何作るの？」とはしゃぎながら飛び出して来るはずなのに 部屋は暗くそして彼も現れる様子がない。 自分が留守中にちょくちょく出かけてはいるようだが、それでも帰宅時間の頃にはちゃんと 戻って来ていたのに…初めての事だった。 不思議に思いながら彼が寝床にしている部屋を覗いてみると敷きっぱなしだった布団が片付けられ ハンガーにかけたまま窓辺にかけっぱなしだったインパネスコートと鹿打ち帽がない。 ここに居候するようになってからは人の服を借りて着ていたと言うのに… 更に、いつも床に競馬新聞や漫画雑誌などを置きっ放しにして自分が片付けろと言わない限り何も しないのに今朝出かける時も散らかっていたのに綺麗に片付いている。 （出て行った…？） まさに立つ鳥跡を濁さずと言った具合に彼のいた痕跡が何一つ残っておらず、まるで最初から 彼はここにいなかったかのようなガランとした空間。 トド松は暫くの間、呆然とその場に立ち尽くす。 「…ってゆーか礼も言わずに出て行くって有り得ないんだけど！」 暫くしてトド松は吐き捨てるように呟く。 元のゆったりとした１人暮らしに戻っただけなのだが、何故か妙にイライラする。 「別に今すぐ出てけとか言ってないんだけど！帰ったら話し合おうって言ったじゃないか！ もう何なんだよあの人！だいたい最初会った時からいけ好かなかったんだ…」 静まり返った部屋で１人声を荒げて思いつく限りの悪態をつきまくり、やがて言葉が尽きると 溜息をついた。 「どうするんだよこれ」 帰りがけに寄ったスーパーで買った袋いっぱいの豆腐を冷蔵庫に突っ込むと、そのまま自室に 入り、着替えもせずにベッドに横たわる。 （どっか行くあてあるのかな…） 何とも慌しい１ヶ月だった。 警察での激務を終えた後、あれが食べたいこれが食べたいと子供のように駄々をこねる 彼の為に夕食を作り寝るまで彼の話を聞き続けた。 のんびり風呂に浸かろうとすると「背中流してやるよ！」と入って来そうになるのを全力で 阻止した事もあるし「俺もベッドで寝てみたくて」と朝起きると隣で寝ていて悲鳴を上げた 事もあったりと、とにかく振り回され続けた。 今夜からは気兼ねなくゆっくりできるのだからいいじゃないかと何度も自分に言い聞かせたが どうしても沈んだ気持ちが浮上してこない。 （別に嫌じゃなかった…僕だって楽しかったんだ。なごまされてた…いや違う） 「好きだったんだ…」 掠れた声でトド松は呟く。 何も考えていないようでいて、時折自分を見透かしているような目にドキリとした事が何度も あったけど、無邪気なようでいてどこか頼もしく感じてしまう雰囲気と屈託のない笑顔が自分だけに 向けられているのが嬉しかった。 仕事に疲れて「ただいま」と扉を開けると「おかえり」と飛び掛ってくるように出迎えられ うるさいと口では言いつつも、本当は嬉しかった。 そのうちここからはいなくなる事は分かっていたから全ての思いを告げずとも「まあ何だかんだで 少しは楽しかったよ。ありがとう」と言うつもりだったのに。 （…なのに勝手に…何か言ってけバカ！） 目頭が熱くなり慌てて手で擦ると、もう何も考えまいとギュッときつく目を閉じた。 [newpage] 「……つ、…まつ、トド松ってば」 「う、ん………あ、あれ？」 どの位時間が経ったのか、いつの間にか眠っていたらしく肩を軽く掴まれ何度も名前を 呼ばれ、ゆっくりと覚醒したトド松は自分を覗き込んでいる人物の顔にギョッと目を見開き ながら体を起こす。 「え…な、何で…？」 「やーっと起きたか！珍しいな服のまま寝るなんて。でもそのままじゃ風邪引くぞ」 鹿打ち帽にインパネスコート姿のおそ松がいつもの人懐こい笑みを浮かべている。 今朝以来だと言うのに何だか異様に懐かしくて鼻の奥がツンとなり釣られて笑みを浮かべそうに なったがハッと我に返る。 （も、もしかして出て行ったと思ったのは僕の早とちり…？何やってんの僕？バカじゃないのっ… うわぁあああ！） 自分の動揺を知られたくなくて、おそ松に背中を向け頭を抱えて勝手に推測して勝手にキレて 勝手にいじけていた自分を思い出して悶え苦しむ。 「何してんの？」 「いやその…ってゆーか！そんな格好で今まで何やってたのさ？」 ベッドサイドに置いているデジタル時計を見ると既に日付が変わってしまっている。 帰って来た時のままの格好だったトド松は起き上がるとネクタイを外し上着を脱ぎながら 今までこんな時間に帰ってきた事のないおそ松に問いかけた。 「ん、コレ？じゃあとりあえず、はいコレ！」 コートのポケットから封筒を取り出すとトド松に差し出す。 訳も分からず封筒を受け取ったトド松は恐る恐る中身を取り出すと、彼が手にするには 明らかに多すぎる諭吉が出現し驚いて息を飲む。 「なっ何これ…ハッ！まさか…どこのコンビニ？それとも個人宅？」 「おい！コンビニ強盗でも空き巣でもねーよ！正真正銘自分で稼いだんだっつーの！」 「はあ？稼いだってどうやって？」 無一文だった彼が突然こんなに金を持ってくるなんて犯罪以外に思い浮かばない。もしかして 借金？でもそれって稼いだって言わないけどこの人の「稼ぐ」の範囲がどこからどこまでなのか 分からないし…と戸惑っていると、おそ松は胸を張って経緯を語り出した。 「あの後、少しでも印象良くしようと思って必死に掃除してたら、お隣のおばちゃんにお茶呼ばれてさ。 お邪魔して話してたら娘さんが最近旦那の様子がおかしいって愚痴られるって言うんだよ。 急に帰りが遅くなったりスマホが鳴ると落ち着きなくなったり？それ絶対浮気だって！探偵に 調査依頼しなって…あ、俺探偵だ、ってなってさー」 「まさか…アンタが浮気調査をしたの？」 ヘヘ、と鼻の下を擦り笑いながら頷く。 「ちゃんと謝礼払うって言われてさ、娘さんも呼んでいろいろ話聞いてからデジカメ借りて 旦那の会社の前で待ち伏せてみたんだ。んで出てきた所を尾行したら…クロだったんだよねぇ～。 写真見せたら旦那の元カノだってさ。娘さんもだけどおばちゃん夫婦もカンカンでさぁ。 すっげえ修羅場になっちゃってなだめてたらこんなに遅くなっちまった」 もしかしなくとも本格的な探偵業を遂行するから一張羅を纏って家を出たのか… 勝手に出て行ったのかと思って荒んでフテ寝していた自分に恥ずかしさが込み上げて来たが 悟られたら何を言われるか分からないのでトド松は必死に何気ないフリを装う。 「それでな、調査料いくら？って聞かれたから相場が分かんなくて取り合えず２って言ったら ２０万も貰っちまってさ…俺、２千円のつもりだったから心底ビビっちまったんだけど こんなに貰っちまって大丈夫かな？」 「ぼ、僕も余り詳しくはないけど１００万近く取る所もあるらしいし、いいんじゃないかな？ 逆に２千円の方が怪しすぎるよ」 それにしてもこんなコスプレみたいな格好で尾行して、しかもバレずに任務遂行できたとは たいしたものだと感心していると、おそ松がモジモジしながらトド松を上目で見つめ、モゴモゴと 言いづらそうに口を開く。 「じゃあその金、家賃として全部やるから…その、もうちょっとここにいさせて貰えねえ？」 「え……」 照れ臭そうに笑うと頭をかきながらおそ松は言う。 「俺さトド松の事、結構好きなんだよね。性格キツそうに見えて本当は優しいし俺のボケ 絶対拾って突っ込んでくれるし和んだ時の顔とかすげーフワッとしてて…いろいろ手伝うからさ！ 家事とか掃除とか、だから…」 一緒にいたい、と真剣な表情でおそ松に言われトド松は思わず頷きそうになったが、グッと堪え 俯きながら先程渡された現金入りの封筒を突き返す。 「ダメ。これは貰えない…」 おそ松が息を呑み、暫くして深く溜息をついた後、自嘲気味に笑った。 「…そっかやっぱダメか。じゃあ今までの礼って事で受け取って…」 「初めて自分で稼いだお金なんじゃないの？まずは親御さんに報告しなよ、喜ぶよ絶対に。 それにアンタ借金だってあるのに僕に渡してどうするのさ？こんなんじゃこれからいくら 稼いだって意味ないでしょ、しっかりしなよ！」 おそ松の言葉を遮ってトド松は一気にまくし立てた。 「あ、ああ…じゃあそうするわ…」 「あんまり部屋散らかさないで洗濯とご飯作るのたまに手伝ってくれたら…僕も応援する」 「えっ」 ボソッと早口で呟かれた言葉をおそ松は聞き逃さなかった。 「じゃあ…ずっといていいの？やったぁ！」 「わ、ちょっと！ずっととは言ってないからね！聞いてる？」 喜びの余りトド松を抱きしめながらはしゃいでいるおそ松は既に何も聞いてはいない。 自分が本当にすべき事は彼を自立させる事なのにこれでは今までと全く同じじゃないか、何を やっているんだと心の中で叫んだがもうどうしようもない。 溜息をつきつつトド松も背中に手を回し胸に顔を埋める。 温かくて気持ちがいいけど、なごんでいる余裕なんかない。ドキドキして落ち着かないけど もう少しこのままでいたいと思ってしまう。 「トド松、俺今度こそ絶対本気出すからな」 「だったら結果出してね。結果が全てだよ、おそ松兄さん？」 「…で、今やすっかり同棲してるって訳だ？」 「いや同棲だなんてそんな…ルームシェアと言うか居候と言うかペットと言うか？」 チョロ松と鑑識班の十四松と昼食をとりながらトド松はおそ松との近況を説明し始めた。 本格的な探偵になるべく現在は法律の勉強を始めたようだが身についているのかどうかは全く 謎だと言う。 しかし浮気調査の件がご老人同士のネットワークによって「凄腕の探偵がいる」と噂が広まり 次々と伴侶の行動を怪しむ依頼者が訪れるようになったのだと言う。 「尾行がバレそうになっても相手をなごませて有耶無耶にしちゃうんですよ。依頼料は僕が相場を 調べて最低限の料金設定をしてやりました。現在はそれで借金返済と親に仕送りさせてます」 「アハハこの街、浮気してる人多すぎじゃネ？」 「浮気調査の他にも犬の散歩の代行からゲームのレベル上げ、足の不自由な高齢者の為にお使いに 行ったりしてるよ」 「意外に万能だな彼！ついでにうちの取調べなんかも手伝ってくれないかな？容疑者もなごんで 自白してくれたりするかもな！」 「この間なんか、アイスホッケーのマスクと血まみれのエプロン着けて金槌とナイフ 持った男に猫探し依頼されたんですよ！あとバスローブ姿にワイングラス持った男が “あの日失った栄光を…”とか。２人ともどっかで見た事あるんだけどどこだったかな？」 笑いながらおそ松の事を語っていると丁度噂の彼から電話が来たらしい。 ウキウキとした様子で電話に出るトド松は「結果が全てだから！」と言い放っていた あの頃の嫌味くさいツンケンとした姿は全くない。 彼氏にノロケまくっている彼女そのものである。 「もしもし？うん、今大丈夫だよ！…え、一緒に外食？いいけど何で…ああそっか うちに来て１年経ったんだぁ、分かった急いで帰るね！」 「なごんでるって言うか完っ全にメロメロですよね」 「ああ。兄弟じゃないのが近所にバレるのも時間の問題だな…」 その後おそ松は探偵という名の便利屋さん稼業で無事に借金を完済し、念願の探偵事務所を 設立する事に成功。 相方が現役刑事と言う強烈なコネと自身の持つなごみパワーで世間一般的な内容の依頼を 次々と解決して徐々に知名度を上げ、そしてあの忘れられない事件に遭遇するのであった… <完>（書ければ続き書きたいけどどうだろう）

第８話「なごみのおそ松」が好きでもう１度やってくれないかと期待して<br />いたのですがやりそうにないので自分で書いてみたら思いのほか難しくて<br />多分死んだー（トド松）<br />ＢＬ要素がほんのりあるので大丈夫な方だけどうぞ。<br /><br />　　　　　↓ご注意<br />・トド松警部補が少しツンデレ<br />・トド松警部補は賃貸マンションに１人暮らし<br />・最近殺人事件はなく比較的平和<br /><br />2/27<br />キャプション訂正<br />７話じゃねーし！８話だし！<br />2/25<br />恥ずかしい誤字訂正

なごみ探偵とトド松警部補

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お兄ちゃんの遺書。 これは小町とお兄ちゃんが中学生の頃。 当時兄は中学3年生で小町は1年生。 そしてその頃の夏休み。 兄は突然いなくなりました。 母は｢大丈夫だよ。野良猫みたいなもんさ｣ といい、父に至っては 気にしていませんでした。 そして兄の失踪から3日後、さすがに 不安になった母と小町は 知り合いを当たってみました。 それでも見つからなかったのです。 小町は不安でいっぱい泣きました。 すると、兄の通学カバンから 遺書と書かれた封筒がでてきました。 見た瞬間小町は背筋がゾッとしました。 恐る恐る中を見ると なんとな～く遺書を書いてみようと思ったから書いてみる。 俺は基本的にぼっちで嫌われ者でいじめられっ子だからいつ誰に背後からブスりなんていかれても大丈夫なように遺書書いとこって思いついた。 これを読む頃には俺はきっと怒られてんだろうな。多分死んでるわけねぇだろうし。 思いつきでこんなんして母ちゃんと親父に怒られてんだろうな。 でももし死んでた時のために書いとく。 なんか最近はそんな予感がするから。 まず母ちゃん。母ちゃんには飯を作ってもらってありがとうと言いたい。そして俺が生きてるならこれからも養ってもらいたい。なんやかんやで感謝してる。 次に親父。相当なクソ親父だったな。 なんか俺にはめっちゃキレるし怒鳴るし でもまぁクソだったが家計に金入れてくれてたし、小町とか母ちゃんにキレられててなんならかまくらにも嫌われてたもんな。 同情もあってか嫌いにはなれんかった。 最後に小町。 学校でいじめられてた俺の心の拠り所が お前だったからな。なんならもう妹と結婚したいなんて考えるまである。 キモイな。けどお前はワガママだったけどなんだかんだで俺を助けてくれてたからな 本当にありがとう。 そしてその遺書が書いてある紙には 涙のこぼれた後がありました。 そして親達に見せる前に 小町の涙で見れなくしてしまいました。 それから小町は必死になって 兄を探しました。 兄の行きそうなところを巡って 写真をいろんな人に見せて 迷子の貼り付けまでして、 警察にも相談しました。 すると兄の失踪から約1週間程経った頃 兄の失踪の原因と思われる容疑者が 捕まりました。 犯人は小町の同級生でした。 小町は同級生に告白されて振り、 逆恨みされてストーカー的なことを されていたけど誰にも言えなかったのです けれど兄はそれに気づいていたらしく その同級生を説得しようとしていた らしいのです。 そしてその同級生の逆恨みの対象は 小町から兄へと変わったとのことです。 兄の遺書にあった予感とはきっと このことだったんでしょう。 ｢お兄ちゃん…悲しいよ、苦しいよ、辛いよ。小町が困ってる時は助けてくれるんでしょ？助けてよ…。｣ 我ながら自分勝手でした。 自分が原因で兄は……なのにまたワガママ 神様。もう小町はなにも求めません。 なにも望みません。 だから…っ お願いだからっ！ ｢お兄ちゃんを…ッ返して。｣ ｢安心しろよ。お前のお兄ちゃんは誰にもとられず、ずっとお前のもんだよ｣ 聞き覚えのある低い声が耳に響きました ｢………ぁ｣ ようやく絞り出せた一言。いや一文字。 ｢その、なんつーか…心配かけたな｣ ｢……本当だよ。｣ お兄ちゃんは同級生に刺されたらしく 心配をかけないために山奥の小屋で ずっと寝てたらしいです。 3日間なにも食べずに、 発見してくれた猟師さんに食べ物を恵んでもらい、傷の療養もしてもらい、 傷が治ってようやく 帰ってきたのだそうです。 本当に良かった。 大好きだよお兄ちゃん

今回はいつもと違います<br />感動系です。<br />前半めちゃくちゃ重いです

お兄ちゃんの遺書

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着替えを終えて昼食を食べに三上と食堂へ行くと米屋と出水と三輪がいた。 「お前ら3人だけか？他の連中は？」 「他の連中なら飯食った後にすぐ川で遊べるように水着を取りに行っているぜ。」 「お前らは取りに行かなくていいのか？」 「別にゆっくりでいいからな。ハッチは何してたんだ？」 米屋に聞かれる。三上と2人で川で遊んでいたなんて言えないな。ここは適当に誤魔化すか。 「いや、三上とそこら辺を散歩してただけだ。なあ、三上？」 三上は俺の考えを理解したのか、 「うん、2人で色々な所を回ってたよ。」 口裏を合わせてくれる。 「成る程な。お、来たみたいだぜ。」 振り向くこと入り口から小南と那須がやってきた。 小南がニヤニヤしながらこっちを見ているがなんかムカつくな。隣の那須は微笑んでいてなんか恥ずかしい。何なんだこの2人？ 「他の連中は？」 「総武組は男女で集まってロッジで話してるわよ。私達は先にきたの。」 「ご飯食べたら皆で川で遊ぼうね。」 那須が提案してくる。 「おい、ハッチ。三上の水着見て興奮するなよ。」 唐突に槍バカがニヤつきながら言ってくる。 「いやさっき見たから興奮しねーよ。」 呆れながら返す。可愛いとは思ったが興奮はしてねーよ。 「あれあれー？比企谷は散歩してたんじゃなかったのか？」 「散歩は嘘で三上と泳いでたんだな〜」 しまった、口が滑った。顔を上げると出水と米屋がニヤニヤしながら言ってくる。こいつらの顔面に拳を叩きこみたい。 「間抜けだな。」 三輪は溜息を吐きながら呆れている。はい、間抜けです。ドジだろ、俺。 「まあまあみんな落ち着いて。それで比企谷君は楽しかった？」 那須が微笑みながら聞いてくる。こいつ米屋と出水より容赦ないだろ。ランク戦じゃ鳥籠で色々な隊員を蜂の巣にしているしこいつ絶対Sだろ。 「つまらなくはなかったな。」 「そこは楽しかったってハッキリ言いなよ。」 「まあまあ。比企谷はアレだから仕方ねーよ。」 「そうね。仕方ないわね。」 那須が納得してしまった。というか出水、アレって何だ、アレって。 「じゃあ歌歩ちゃんの水着可愛いかったかどうかハッキリと答えなさいよ。」 小南が聞いてくる。意地でも聴きだす目をしている。こいつは俺を恥ずかしがらせたいのか？黙秘権を使いたいが使うと他の連中も聴きだしそうで頭が痛くなりそうだ。 「まあ、可愛かったと思うな。」 「へ〜、よかったじゃん。歌歩ちゃん。」 小南がニヤついて三上を見ている。三上は顔を赤くしているし、俺も顔が熱い。小南マジで殴りたい。今の世の中は男女平等だから問題ないだろう。 「うん、正直自信なかったしね。」 「自信？」 「だって私、身長も低いしスタイルも良くないから女の子として自信がないから」 「別にそんな事気にしなくていいだろ。少なくとも俺からすればガサツな小南よりは女の子らしいと思うぞ。」 「うるさいわね！！ぶっ飛ばすわよ比企谷！！」 小南が睨んでくる。怖いよ、女子らしくないどころか獣の目だぞ。 「そのセリフがもう女子らしくないな。」 「何か言った？！三輪！！」 「確かに秀次の言う通りだな。」 「だな、つーか女の子らしい小南は想像できねぇ。」 米屋と出水が火に油を注ぐ。小南プルプル震えているし少し言い過ぎたか？ 「あんたたち、このバイト終わったら全員真っ二つにしてやるから覚悟しなさい！！」 かなりキレてるな。つーか、女子が真っ二つなんて言うなよ。 「で、歌歩ちゃんは泳げるようになったの？」 「まあ、とりあえず軽くバタ足できるくらいはな。だから食後遊ぶ時も特に問題は起こらないだろうな。」 小南の怒りが大分収まったので他の連中が来るまで駄べり始める。 「ご飯食べたらまた八幡君と川で遊びたいな。」 「別に構わないが。」 「やっぱり吹っ切ると凄い勢いね。」 「もう・・・からかわないでよ。」 吹っ切る？どうゆう事だ？まあそこまで重要な事じゃないだろう。 「にしてもこれで3万円とは本当にいいバイトだな。」 「弾バカの言う通りだな。ぶっちゃけ小学生のサポートの方が防衛任務より割に合うしな。」 こいつらの言う通りだな。もしまた似たバイトがあるなら絶対に受けたい。 「そう言えば結局昨日の問題はどうなったんだ？」 三輪が唐突に聞いてくる。 「そうだ！あんたのどうでもいい発言の所為で空気が重くなったんだから！」 小南が睨む。確かに三輪の発言の所為でかなり空気が悪くなったしな。 「まあまあ、小南落ち着けよ。とりあえず問題に取り組む事になった。」 「正気か？はっきり言ってこの問題は俺達じゃ無理だろう。失敗したらそいつの扱いは余計酷くなると思うぞ。」 「あら？三輪君は比企谷君と同じ考えなの？」 「比企谷もそう考えているのか？」 「まあな、俺も始めはやる気なかったし。」 「なかったという事は問題に取り組むのか？」 「そんなところだ。」 「意外だな。メリットのない仕事をお前がするなんて。」 まあ俺の性格を知ってる奴ならそう思うよな。三上と戸塚と由比ヶ浜が頼まなかったら絶対にやらなかったし。 「まあ、気紛れだな。」 「お前が選んだ選択だからどうこう言うつもりはないが解決できそうなのか？」 三輪が聞いてくるので昨日の会議の内容を全部話した。 「なるほどな。とりあえず俺が言えるのは葉山とかいう奴が無能だという事がよく分かった事だな。」 昨日の会議の内容を全部話した後、三輪から出た第一声がこれだ。 「ちょっと三輪！確かに彼は准が残念になった感じだけど言い過ぎじゃない？！」 小南が怒鳴るがお前も酷い事言ってるぞ。まあ俺もそう思うけど。 「事実だろう。みんな仲良く出来る方法？そんなものある訳がないだろう。」 それについては同感だ。だいたいみんな仲良くとか言ってたがそんな事が出来るなら三浦と雪ノ下を仲良くさせてみろよ。 「秀次随分容赦ねーな。」 「じゃあ聞くが俺が迅・・・さんと仲良くできると思うか？」 『無理だな。（（かな。））（ね。）』 俺、米屋、出水、三上、那須、小南が一斉にハモった。 城戸派筆頭の三輪と玉狛筆頭の迅さんは仲良くなるのは絶対に無理だな。迅さんはともかく、三輪は絶対に仲良くなりたくないだろうし。というか取り繕っていたけど、さっき三輪迅さんを呼び捨てにしかけてたし仲良くする気皆無だろうな。 「だろう？その時点で皆仲良くないだろう？」 三輪がそう言うと皆が黙る。 「ということはアレか？俺達かなりヤバイ問題に取り組む事になったのかよ？」 出水が若干ビビりながら口にする。 「ごめんね、八幡君。私が頼んだから八幡君もやる事になっちゃって。」 三上が謝る。 「別に構わない。あの時に断らなかった俺が悪い。それにお前は優しいから力になりたいと思ったんだろ？その事については強く責めねーよ。」 三上達に頼まれた時にハッキリと否定しない自分が悪い。 「それでどうしたらいいのかな？」 那須が俺と三輪に聞いてくる。 「解決方法はまだ思い付かないがとりあえず言える事は葉山にこの問題をやらせない事だな。」 「まあ当然だな。あの男の発言を聞いた限りじゃ生徒全員の前で彼女が虐められているから皆で仲良くしようとか言い出しかねない。」 三輪の言う通り、葉山の事だ、小学生全員の前で鶴見の虐めを公にして虐めをやめろとか言うだろう。そんなことをしたら今度はクラス全体、下手をすると学年全体による虐めになりかねん。 「やっぱ、ハッチの言う通りこの問題に取り組むのやめた方が良かったのか？」 そうしたいのは山々だが俺らが降りた所で葉山や奉仕部は降りないだろう。そして仲良くさせようとして失敗するだろう。流石に失敗することを知ってて見て見ぬふりはできない。 「仕方がないだろ。賽は投げられたってやつだ。それと三輪、別に問題に取り組めとは言わないが、もしお前の力が必要になった時は助けてくれ。」 三輪に頼む。三輪は苦い顔をしている。 「ちっ、必要最低限しかしないからな。」 「悪いな。初めから拒否していた奴に助けを求めて。」 三輪に礼を言っていると他の連中もやって来たので昼飯の準備を始めた。 「八幡、さっきまで何処に行ってたの？」 席に着きた飯を食べていると天使が聞いてきた。 「散歩してた。」 「嘘つけ、三上と一緒に泳い「出水？」いやそう言えば散歩してたな。」 出水は勘違いをしていたようだ。勘違いをしていたので出水の肩に手を置いて力を入れたら誤解が解けたようで何よりだ。決して脅した訳じゃない。 「そっか、次からは僕も誘ってよ。僕は八幡と一緒にいたかったし。」 え？何言ってるの、天使は？凄い嬉しいんだけど。もう俺同性愛者でもいいかも。戸塚とならゴールインしても不満ないし。 「悪かったよ。ごめんな。」 「じゃあご飯食べたら皆で遊ぼうね。」 「分かったよ、付き合うよ。」 「本当？！やったあ！」 喜んでくれて何よりだ。やはり戸塚の笑顔は可愛いな。 癒されていると、 「彼、本当に男の子なのかしら？」 「歌歩ちゃんの一番のライバルって絶対に戸塚でしょ。」 横で那須と小南が話している。前者には全面同意だが後者はどういう意味だ？三上と戸塚がライバル？よく分からん。 昼食を終えたので更衣室に向かい入った。 「お、比企谷の水着濡れてるな。本当に三上と泳いでたんだな。」 「やるなー、ハッチ。」 着替えようとするとバカ2人が騒ぎ出す。こいつら殴りたいな。 内心怒りに震えていると戸塚が遅れてやって来た。 戸塚が着替えようと服を脱ごうとすると、つい見てしまう。 周りでは出水と米屋はさりげなく見てるし、三輪は若干顔を赤くして見ないように後ろを向いている。 「あ、あの3人とも、そんなに見られると恥ずかしくて着替えられないよ。」 顔を赤くしてこっちを見てくる。 「わ、悪い！お前ら外でるぞ！」 出水がそう言ったのを皮切りに戸塚以外全員更衣室から出る。 確かに戸塚の着替えを見るのは凄い悪い事をしているみたいな気持ちになる。 更衣室から出ると、 「比企谷、あいつは本当に男なのか？」 三輪が真剣な顔をして聞いてくる。 「残念ながらな。」 本当に残念だ。 「いや、正直信じられねーよ。」 「だな。女子更衣室にいても違和感ないぞ、あれは。」 確かに違和感がないな。戸塚、恐ろしい子・・・！ 戸塚の可愛さに戦慄していると更衣室から戸塚が出てきた。 その瞬間呼吸が止まった。 戸塚の体格よりかなり大きいパーカーを着ていてぶっちゃけ裸ワイシャツに見えて凄くエロい。 出水たちも顔を赤くしている。 「あれ？みんなどうしたの？」 「あ、ああ済まない。ところでその上着は？」 「あ、これ？肌が弱いから冷やし過ぎないように。」 そう言って胸もとの辺りを引っ張る。もうダメだ、直視できない。 顔を赤くしていると、 「お兄ちゃん達もう着替えたんだ。」 小町ら女子組も出てきた。 「まあ男子は簡単に着替えられるしな。」 「そんなもんかー、それよりも新しい水着だよ！どう、感想は？！」 フリルがついた黄色いビキニを着た小町は色々なポーズを取っている。 「ん、ああ。そうだな。世界一可愛いよ。」 「わぁー、適当だなー」 小町ががっかりして周りは呆れている。 「じゃあ、三輪さん！この水着どうですか？」 矛先を三輪に向ける。三輪はいきなり指名されるとは思っていなかったのかポカンとしている。三輪を小突くと我に返る。 「まあ、似合ってると思うぞ。」 三輪がそう言うと小町はがっかり顔から笑顔になる。 「え、あ、ありがとうございます！お兄ちゃんもこれくらいちゃんと感想を言ってよね。」 「うるせえ、ほっとけ。ところで小南は麦わら帽子をしないのか？多分似合うぞ。」 小南の水着は飾りがないシンプルな水色のビキニを着ている。麦わら帽子をしていると絵になりそうだ。 「あー、確かに似合いそうだな。」 「だな、夏らしさがありそう。」 「そう？どのみち持ってきてないからね。」 「確かに桐絵ちゃんには似合いそうね。それにしても比企谷君の身体凄い筋肉ね。」 那須はパレオ付きの水着でかなり綺麗だな。流石ボーダーでかなりのファンがいるだけのことはあるな。 「まあ木崎さんや風間さんの自己鍛錬によく付き合っているしな。そのお陰でかなり強くなれたし。」 実際No.3攻撃手の座を手に入れられたのは生身の鍛錬のお陰だと思う。 昔を懐かしんでいると 「何だ全員いるみたいだな。」 平塚先生が話しかけてくる。 先生は白いビキニで野生的な雰囲気がする。 「先生、やればできるじゃないですか。アラサーと言っても通じますよ。」 そう言った瞬間腹に衝撃が走る。 「私はまだ立派なアラサーだ。歯を食い縛れ。」 殴る前に言ってください。そうすれば歯を食い縛って腹に力を入れ防御体勢をとれましたから。 「馬鹿ね。女子に年齢の話はタブーよ。」 小南が呆れながら言ってくるが平塚先生は女子じゃないぞ。まあ口にしたらまた殴られそうなので言わないが。 内心愚痴を零していると他の連中も出てきた。 「あれ？歌歩さんの水着も濡れてますけど午前中泳いだんてすか？」 小町が三上に聞いてくる。 「そうそう、ハッチと一緒にな。」 米屋が暴露してきた。 すると小町は興奮し始め、雪ノ下は冷めた目を、由比ヶ浜は若干怒った顔を、平塚先生は戦慄している。 面倒な事になったと思っていると、 「比企谷、あんな作文を書いてる癖に、普通に青春を謳歌してるじゃないか！！何が砕け散れだ！！」 平塚先生が血涙でも流しそうな凄い顔でこっちを見てくる。いや、青春を謳歌してないだろ。青春を謳歌するということはウェイウェイ騒ぐことやカップルでイチャイチャすることだ。俺はどちらも当てはまっていないだろう。 「おい、ハッチ。作文って何のことだ？」 米屋に聞かれたので作文の内容を全部話すと全員が呆れる。 「お前は高校生活を振り返ったらそんな事を思うのか？」 「それを提出するあんたの神経が凄いわね。」 「というかお前の書いた作文がもし実行されたらお前も砕け散るぞ。」 まて、出水。俺はリア充じゃない。だから砕け散ることはない。 内心出水に反論していると平塚先生は結婚したいと嘆きながら去って行った。その光景に皆驚いて見ている。よし、話題が逸れたな。 平塚先生に感謝をしていると三浦と海老名さんが川に向かって歩いていった。その際に雪ノ下の胸元を見て、 「勝った。」 そう呟いて歩いていった。雪ノ下は怪訝な顔をしていたが俺は察してしまった。だが口にしない。なぜならその事を口にしたら小南に殺される。なんせ昔小南が胸が大きくなるという広告に騙されて大量の飴を買った事を米屋や出水と一緒にからかったら地獄を見たからな。米屋と出水もそれを察してか苦い顔をして黙っている。 触らぬ神に祟りなしだ。 川に入り遊び始める。怠いから岸でノンビリしようとしてたが米屋と出水と三上と戸塚に引っ張られて川に引き摺られる。初めは水のかけあいをしていたが、途中から俺1人を4人で狙い水を大量に掛けられてズッコケてしまい、大笑いされた。 ムカつくので出水を一本背負いして川に叩きつけてスッキリしていると三輪が小町と一緒に泳いでいるのが見えた。随分仲が良さそうだな。三輪なら小町を任してもいいが、まだ手を出すなよ。まあ三輪なら問題ないと思うけど。 そんなこんなで長時間遊び少し疲れが出てきた。 「悪いが疲れたから少し休ませてもらうぞ。」 そう言って川から上がる。 「あ、八幡君、私も一緒にいていい？」 三上も上がりながら聞いてくる。 「別に構わないがボケっとするだけだぞ。」 「大丈夫。八幡君と一緒にいたいだけだから。」 おい、そういう発言やめろ。昔の俺なら勘違いして告白して振られるからな。 「好きにしろ。」 そう言って歩き出した。後ろからは付いてくる気配がするが俺といても楽しめないだろう。 近くの木に寄りかかり、遊んでいる連中を眺めている。 「楽しそうだね。」 「まあそうだな。お前も楽しんでただろ。俺がコケた時凄い笑ってたし。」 「ふふっ、ごめんね。でも八幡君も出水君を川に叩きつけるのはやり過ぎだよ。」 「いいんだよ、出水だし。」 米屋を投げても良かったがいつも出水をボコしている癖でつい出水を投げてしまった。流石に戸塚と三上を投げるわけにはいかないからな。 というか近い、近過ぎるから離れてくれ。三上の奴、俺に寄りかかっているから肩に髪が当たっていて凄いくすぐったいし、いい匂いがして緊張するから。しかもお互い水着だから理性の壁が崩れそうだ。 「それにしても意外だね。」 「何がだ？」 「小町ちゃん、三輪君と遊んでるのに八幡君が何も言わないなんて。」 おい、三上。その言い方やめろ。俺がシスコンみたいじゃねーか。 「別に三輪なら手を出すとは思わないからな。小町も楽しんでるみたいだし邪推な事はしないさ。」 実際三輪は手が早いとは思わない。これが三輪ではなく、川崎大志なら地の果てまで追いかけてでも八つ裂きにしてやるがな。 そう思いながらみんなの様子を眺めていると脇から足音が聞こえた。 気配のある方向を見ると見覚えのある少女、鶴見留美がいた。 「よう。」 挨拶をすると一つ頷き俺の横に腰掛けた。 「八幡君、知り合い？」 「昨日少し話した。鶴見留美だよ。」 そう言うと三上は納得した顔をした。 「あ、そうなんだ。初めまして、私は三上歌歩。よろしくね。」 三上が自己紹介をすると鶴見も頷き挨拶をする。 「鶴見留美、よろしく。ところで2人はあっちで遊ばないの？」 聞いてきた。 「少し疲れたから休んでいるんだ。お前は？」 「私の方はね、今日自由行動なんだ。朝ごはん終わって部屋に戻ったら誰もいなかった。」 えげつねぇな、おい。隣の三上かなり驚いているし。まあ三上は孤独を経験した事なさそうだし当然の反応だな。 俺ら3人は今の話を聞いて空気が悪くなったので無言で川で遊んでいる連中を眺めていると由比ヶ浜がこちらを向いた。 そして雪ノ下に何かを話したかと思うと、由比ヶ浜はこちらに走ってきて雪ノ下は歩いて追いかけている。 「ヒッキー、何やって・・・って何やってるの？！歌歩ちゃん！！」 俺らの所に来たかと思えばいきなり叫び出す。 「え？少し疲れたから八幡君と休んでいるだけだけど？」 「それで何でくっついてるの？！」 「八幡君にくっついたら気持ちよくなっちゃって、つい。」 三上が返すと由比ヶ浜が肩を落とした。どうしたんだ？ 「三上、済まないが少し離れてくれ。ぶっちゃけ女子が近くにいると緊張する。」 「あ、ごめん。じゃあ離れるね。」 謝って離れてくれる。正直助かった。 「悪いな、というか由比ヶ浜は何の用だ？」 尋ねると由比ヶ浜は俺を睨む。俺なんかしたか？ 「はぁー、もういいや。話を戻すと留美ちゃんも一緒に遊ばない？」 もういいやって何のことだ？ そう思っていると鶴見は目を合わせずに首を横に振る。 「だから言ったじゃない。」 追いついた雪ノ下が声を掛ける。 誘われたら断る、ぼっちの安定行動だ。普通何か裏があると思ってしまう。 すると鶴見はこっちを見ながら話してくる。 「ね、八幡はさ。」 「呼び捨てかよ。」 「は？名前、八幡でしょ？」 「生意気だな、おい。」 こいつ歳上を名前呼びかつ呼び捨てとはいい度胸だな。 「まあまあ八幡君落ち着いて。」 三上に諭される。確かに大人気なかったか。 「で何だよ？」 「八幡は小学生の時の友達っている？」 「いないな、必要性もないし。沢山いても高校に上がっても縁があるのなんてほんの数人だろうし。」 「そうね、私も今でも関係が続いているのは2、3人ね。」 「三上でもそんなもんか。由比ヶ浜は？」 「んー、純粋に遊ぶの目的だと1人か2人かな？」 「そういう事だ。だから別に小学校時代に友達がいなくても悪い事じゃない。高校生になったら高校の友達の方が優先順位高いしな。」 「うん、でもお母さんが納得しない。林間学校で沢山写真を撮りなさいって、デジカメ・・」 なるほど、その為に買ったのか。随分気合いが入っているな。 そう思っていると、鶴見が口を開く。 「私の状況も今の嫌な遊びも高校生になれば変わるのかな。」 「少なくとも、今のままなら絶対に変われないわね。」 雪ノ下の鋭い声が響く。まあ同感だな。嫌な遊びは周りの空気があるから1人じゃどうしようもないが、鶴見の状況は何か明確な変化がないと変わらないだろう。 「でも留美ちゃんは今が辛いんだからどうにかしないと。」 由比ヶ浜が話すと鶴見は困った表情になる。 「辛いっていうか、惨めっぽくて嫌だな。シカトされると自分が一番下だと感じちゃう。でももうどうしようもないし。」 「何故？」 雪ノ下が質問すると鶴見はいくらか話しづらそうだったが、ちゃんと言葉にする。 「私、・・・見捨てちゃったし、もう仲良くできない。仲良くしてても、またいつかこうなるか分かんないし。同じ事になるなら、このままでいいかなって。」 成る程な、こいつはもう見限ったのか、自分とその周囲を。 リア充はリア充としての行動を求められ、ぼっちはぼっちである事を義務付けられる。カーストが高い者が下に理解を示す事は認められるがその逆は許されない。それが子供の国の、腐ったルールだ。実にくだらない。 そう思っている時だった。 三上が唐突に鶴見を抱きしめた。 呆気にとられていると、雪ノ下と由比ヶ浜、鶴見本人も驚いていた。 「そんな事言っちゃダメよ。同じクラスの子を下に見る事自体間違っているんだから、このままでいいなんて絶対に思わないで。見捨てたからって、無視される謂れなんてないんだから。」 そう言って三上が抱きしめている。鶴見は嗚咽を堪えているように俯いている。惨めなのは嫌なのか、今にも涙が溢れそうだ。 さっき三上は俺にこの依頼を頼んだ事を謝っていたが改めて三上が謝る必要はない事がわかった。こいつは本当に鶴見の環境を変えたいと思っている。他の連中に比べて誰よりも鶴見の事を真剣に考えている。 そう思ってなかったら三上自身も泣きそうな顔をしない筈だ。 世界は変わらないが、自分は変えられる。そんなのは、結局くそったれのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して適応して順応して負けを認め隷属する行為だ。綺麗な言葉で自分も騙している欺瞞でしかない。 内心怒りが溢れてくる。 「鶴見、惨めなのは嫌か？」 「・・・・うん。」 「そうか、肝試し、楽しいといいな。」 そう言って立ち上がる。 ここで失敗すると間違いなく鶴見は虐められて三上は泣くだろう。 そんなのはゴメンだ。どんな手を使ってもそれを避けてやる。 既に腹は決まった。 内心に湧いた自問に自答する。 Q.世界は変わりません。自分は変えられます。さてどう変わりますか？ A.新世界の神になる。

千葉村編 鶴見留美③

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　圧力を感じるほどの眩しい光のなか、鳴り響く曲に合わせて踊ってみせるバーナビー。周囲にはダンサーの代わりには機械仕掛けの人形がその前後を同じように舞っていた。飛び回るカメラがそれを複数のアングルから同時に映していく。 　ＣＭ撮影は慣れた仕事だった。ヒーロー業が始まるとほぼ同じころからライトの下で踊るアイドル同様の仕事などさんざんやっている。こちらに向けられた女性スタッフたちの表情が憧れではなく微笑ましいものをみるにこにことしたものでなければ。業務用のいかついカメラのはるか向こう、ガラスで仕切られた音響管理室に、満面の笑みできゃーきゃーいいながらハンディカメラ（私物しかも今回の広告主公認）を構えた同僚のおじさんがいなければ。うざい。はっきりいってうざい。先ほどまでカメラのすぐ後ろにいたのに音響室に追いやられたのはあまりにきゃっきゃと煩いからだ。いつもの彼ならバーナビーの仕事はごくのんびりと眺めて終わるのを待つだけなだというのに、だ。　 　ＣＭ撮影は慣れた仕事だった。…バーナビーの背の高さが、相棒の腰ほどまでもないなんてことがなければ。 　話は数日前にさかのぼる。 　それはHERO TVの捕物劇が終了し、2部リーグから1部へと昇格した後も絶好調のバディヒーローのうち、救助ポイント100ポイントを稼いだほうであるワイルドタイガーの隣で、自慢の美貌で作った笑顔を振りまきながら、犯人確保で600ポイント獲得したほうのバーナビーがマリオに褒め称えられつつのヒーローインタビューを受けたあと、上々の首尾にご機嫌な二人がトランスポーターの中でスーツを脱いで汗を流し、さて今日はまだ直帰とはいかないからとアポロンメディアビルを歩いていたときのことだった。 　事件のあったのはシュテルンビルドの3階層のうち最も下のエリアだ。トランスポーターを格納したブロンズステージからゴールドへと突き抜ける高速エレベーターから一歩を軽い足取りで踏み出したワイルドタイガー、鏑木虎徹は、相棒の様子がおかしいことに気がついた。抜けるような白さの頬が、わずかに青い。長く濃い、瞬くたびに音のしそうな睫毛が震えている。「…バニー？」 　つい数秒前までは談笑していた相棒の、原因のわからない違和感に、虎徹が首をかしげる。 　と、ずるりとバーナビーが足を滑らせた。慌ててその腕を支えようとすると…細い。 「え？」 　虎徹と、本人が同時に声を上げ…掴んだ腕が見る間に細くなっていくのを知覚したころにはバーナビーの姿は服に埋もれるほどにまで縮んでいた。 「…えー？」 　いつもの赤いライダーズジャケットのなかを泳ぐようにばたつく姿は、どうみても幼い子供のそれ。…４、５歳程度だろうか？と子持ち男は自分の娘の幼少時と比較する。 　混乱のただなかにある本人をよいしょ、と抱き上げた男に、腕の中の子供がサイズの全く合わない黒いＴシャツだけを慌ててなんとか脱げ落ちないようにしながら抗議する。当然、足を滑らせた原因であろう、今の彼では両足が入ってしまいそうなブーツはごとごとんと鈍い音を立てて床に転がった。 「ちょ、やめてください、おじさん！」 　真っ赤になって怒鳴りつける声は透き通るような天使のそれ。幼子の響きだ。至近距離で叫ばれれば耳にはその高さがうるさいが、全くもって憎めない。未成熟な細い金の髪は見知ったそれよりもふわふわとして、興奮に薔薇色になる目元はいとけない。あ、でも緑色のおめめは一緒だな、え、っちょっとこれなんなのこの可愛い生き物。 　元ＫＯＨ、虎徹の親愛なる相棒の、いとけない顔をまじまじと見てしまう。お互い無言の瞬間が訪れる。バーナビーにとっていつもは少しだけ見下ろすはずの年上の相棒の顔が、近い。体に腕を回されて縦に抱きあげられて、安定のために反射的にその肩についた手は……幼児のもの。と、そこまで気づいたらうわあああ、と桜の唇が悲鳴を上げていた。 「あなたなんでそんなに平静なんですか」 「やー驚きすぎちゃって？」 　人間驚きすぎると冷静になるってほんとだね。当初こそ視界に入ったものが理解できず茫然としてしまったが、思考が追いついたころには相棒バニーが大混乱していた。あ、俺がしっかりしていてあげなきゃ、と思った心境は既に保護者のそれだった。 　とりあえずは下着まで脱げてしまい黒い大人向けのＴシャツを大きすぎるワンピースのごとく纏うしかなかったバーナビーのため、とりいそぎ一揃えの幼児用衣服を用意してもらった。目測で選ばれたそれらはやや大きめであったらしく、セーターの袖から指先だけが出ているのがなんとも愛らしい。ぷんぷんと怒っている姿が尚更めちゃくちゃ可愛い。 　バーナビーの体が変化してから、まずは急ぎロイズを捕まえてヒーロー二人の執務室で現状把握に務めていた彼らのもとに、ほどなくしてアニエスより連絡が入った。内容は先ほど捕まえた犯人のうちの、バーナビーの確保ポイントの元となった男の一人が警察の拘留施設より逃亡したというものだった。突如怪力を発揮し、拘束具を引き千切り壁をぶち破っての派手な逃げっぷり。奴と接触した数人の警察関係者が突如幼児化するという怪事件が発生してほどなくしてからだった。バーナビーを襲ったのと同じ現象だ。 　その後ようやく前科から調べられたデータによると、どうやら先ほどのネクストは相手の年齢を奪うことによって、それを力に変換できるというなにやら面倒くさい能力を持っていたらしい。現在の身体能力から、奪われた後の身体能力をひいた差分を、あの犯人が得られる、というわけだ。ただし制限は多く、同時期に身体能力を奪いストックできる人数には限りがあり、また奪うにもターゲットに接触してから効果発動まで時間がかかるのもその一つだという。 「それで時間差が起きて、さっき発動したってのか」 　で、その力を使って逃亡、と。 「そのようですね」 　変わってしまうのがテレビの前でなくてよかったですよ、と、こんなときにもヒーローとしてのイメージの心配から始めるのはさすがだと虎徹などは思う。 「…それで、元に戻るにはどうしたらいいんですか」 『相手が奪った能力は、使えば使うほど奴の中から目減りして、被害者のもとに返るらしいわ』 　使わせれば使わせるほど、というわけだ。 「とっとと使い果たしてくれるのを待つか、あるいは」 「こっちから捕まえて使わせますか」 　翡翠の瞳が底光り、珊瑚の唇の端が吊り上がる。目つきが物騒ねバーナビー、と揶揄するアニエスも五十歩百歩の御面相だ。番組の大事な大事な看板の美形ヒーロー、バーナビーをこのように扱われておとなしくしている彼女ではない。 『取り逃がしてくれた警察にはよぉく言っておいたわ。一刻も早く狩りだせってね』 　彼らとしてもそのつもりだろう。残念ながら虎徹たちヒーローに地下に潜ってしまった犯罪者相手の地道な探索能力などはなく、ここは、よくもコケにしてくれたものだと傷つけられた面子に怒る警察連中のお手並み拝見だ。 『とにかく、元に戻るまでバーナビーはHEROとしては待機』 「仕方ありませんね」 『わかっているでしょうけどこの件は内密に。ヒーローが犯罪者に利用されたなんてイメージダウンになるわ』 「…すみません」 「こんだけかわいけりゃ、逆に犯罪撲滅キャンペーンとかに使えるんじゃねえの」 『タイガーは黙って。…でも、そうね』 　じっ、と真顔になったアニエスに見つめられてると居心地悪い気分を味あわざるをえない。いつでも視聴率重視、利益重視の彼女のこと、なにを考えているやらだ。 『まあいいわ、今後のことはまた連絡するから』 　とにかくおとなしく他の仕事でもしてなさい、というだけ言って多忙なプロデューサーからの連絡は切られた。 　まったく溜息しか出てこない。 　それにしても視界がクリアだ。歪みもないが、良すぎて逆に慣れるまでは酔ったように気持ちが悪かった。 　ヒーロースーツで視界を矯正されているときのように、いま世界はとてもくっきりとしている。 　こんな頃もあったんだなといっそ不思議な気分になったバーナビーを、戸惑っているのかと心配になったバディが覗き込む。 「虎徹さん」 「なーに」 「…でれでれしないでください」 　恥ずかしい、と、赤い頬で苦虫を噛み潰している大人びた表情の幼児に、漏れてたわごめんと謝って自分の頬を揉んで、まじめな顔を作る。すぐに再びでれっと崩れたけれど。 「あーもう」 　やれやれ頭が痛いよ、スケジュール調整しなくてはと首を振りながらロイズはヒーロー達の執務室をでていく。最後に今日はもう帰っていいから虎徹くん暫く面倒見てあげなさいね、告げられた言葉にもちろんとバーナビーの年上のバディは頷いた。 　ちょっとほっとしてバーナビーは頬をゆるめた。いや、このおせっかいなほどに親切な男が自分を放り出すことなんてないだろうとわかってはいたけれど。 　気弱になっているのかもしれないなと気づく。いつもは身に満ちている力、バーナビーの強靱な手足がいまはこれほど頼りない。 　はい、と高い位置から浅黒い手が指し延ばされた。 「…本当に子供なわけじゃないんですから」 　繋ごうとされる手に、どこか行ったりしませんよと苦笑いする。それはわかってるよと頷かれるがその手は引かれない。 「重心のバランスが今までと違ったりするだろ。歩きづらいんじゃないか」 「それはまあそうですが」 「だからそれに慣れるまで」 　確かに正直足下がおぼつかないのだ。この状況に少しずつ体は馴染みつつあるが、例えてみればサイズのあわない靴を履いているような違和感に四肢すべてがずっと苛まれている。 　その手にすがるのも、それでは仕方ないか。今だけだ、今だけ。そのうち適応できるはずだ。 　なにより、高い位置から微笑みかけてくるハニーブラウンの瞳があまりに慈しみを湛えていて、重ねて言われてしまった後となってはもはやバーナビーにはその手をとる以外の選択肢はなかった。 　大きな手に、頼りない幼子の手を重ねると優しく握られた。指が長くて、骨ばっている節々が実はたまらなくセクシーな手なのに、今は包み込む暖かさだけを感じられた。 　だから結局、子供のサイズの手足の長さに程なくして慣れてからもその手を振り払わなかったのは仕方のないことなのだ。 　夜は結局、うちにおいでと申し出てくれた虎徹の部屋へと泊まることになった。この姿のままいきなり一人暮らしができるとはさすがに思えない、となれば、どちらかの家へと二人で滞在するしかないのだ。こんな状況では気疲れもあり自宅のほうが落ち着けるのかもしれないが、長身の男性一人暮らし用に無駄なく整えられたバーナビーのマンションのファブリックは幼子の突然の居住には果てしなく向いていない。虎徹のアパートメントのほうがまだましなのだ。まあ、どちらにしろ着替えもなにも一通り新たに揃えなくてはならない。最低限必要ないくつかの品だけマンションの部屋から回収し、あとは途中に寄ったシルバーのショッピングモールで適当に見繕った。 　子供用の洗顔用品が並ぶ陳列台の前で、さてどれがいいかと悩む虎徹は、なんとなく嬉しそうだった。 　･･･寂しいのかもしれないな、とふとバーナビーは思う。彼は幼い娘と遠く離れて暮らすのが、もう何年にもなる。こうして子供と共に子供のための日常の何かを選ぶ機会はそうないようだ。せいぜいがたまの贈り物にと娘の喜びそうな物を探す程度で。･･･まあ、どうもそれもだいぶ空回っているようだが。 「バニー、歯ブラシどれがいい」 「ああ、その電動のがいいです。白いラインの」 「どれ。これ？」 「そう。あの、虎徹さん･･･」 「コップはこのウサギのにするか」 「ええ。で、虎徹さん」 「歯磨きはこのピンクのとか！」 「歯磨き粉まで子供用じゃなくていいんですからね。手に持ってるのは戻してください」 「えーかわいいのに」 「あとカートのシャンプーハットも戻してくださいね」 「かわいいのに･･･」 　いつのまに入れたのかわからない派手なピンクのシャンプーハットやラバーダックを戻させられながら、虎徹は唇を尖らせた。全くどっちが子供のようやら、だ。 　寒くないか、これ羽織ってな、と娘の幼い頃の服を持ち出してきた男に、おぼつかない手でコーヒーをいれてやろうとしてカップをとりあげられる。まあ危なっかしいだろうなと内心では認めるが、反射的に僕がやれます、といってしまい、逆にそのかたくなさがまるで本物の幼子がなんでも親の真似をやりたがっているようにしか見えない場面だということに気づいて、ため息とともにコーヒー豆を委ねた。ひとつ優しく頭を撫でて、男はその役目を受け取った。 　憮然とする表情も頬がぷくぷくでは迫力のないこと。 　アパートメントの主は思わず口元を押さえたが、ニヤついてしまっているのはお見通しらしく小さな相棒のご機嫌は更に損ねたようだ。 　ばにちゃんおいで、と虎徹は甘く呼んでみる。 「ちょっと、やめてください。子供扱いするの」 　言われ慣れた台詞だが、いっそう愛らしい。 「何で笑うんです！」 「ごめんだっておじさんにやにやしちゃう」 　可愛くて、といえば。 　変態という手厳しい声が返ってきた。ひどい。 [newpage]　 　仕事はデスクワークに限られる。取材もアンケート式のもの程度しかやることができない。小さめのキーボードを渡され、執務室の席でそれを細く柔らかな指先で叩きながらバーナビーは憂鬱になってきた。 　二部から一部に上がってまだ間もない。こんな時期に何日も出動に穴を開けざるをえないなど、とんだ失態だ。あの人を一人で出動させるなんて。もしPDAが鳴り響けば、バーナビーはここで彼の背を見送ることになるのだ。自分は彼のバディとして隣にいるはずなのに！募る焦燥を打ち消すかのように、常よりもなお早いスピードで書類をしあげていく。できることをやるしかない、のだと自らに言い聞かせながら。 　虎徹に手を引かれ歩いてアポロンメディアを歩くと、バーナビーは他の社員からはにこにこと微笑みかけられた。ふわふわとした細い金髪を揺らしながら歩くその子供はとても可愛らしく、キッズモデルかしらと囁く声が流れる。メディア企業でもあり、また社屋の中には社員達のための託児所があることから、部署にもよるが本社ビルの内部に子供の姿を見ること自体はそれほど珍しいことではない。もちろん、ヒーロー事業部に足を踏み入れる幼子というのは初めてだが。 　その連絡があったのは、バーナビーが今の体にもだいぶ慣れてきた数日後の、午後の業務時間も半ばのことだ。ヒーロー事業部のあるフロアの小さいが開放的な休憩室に居場所を移し一休み、窓ガラス越しに眼下に広がるシュテルンビルドの町並みと柔らかな青空を眺めながらアポロンメディアの誇るヒーローの片割れのうち小さいほうが、飲み物を買いに行った相方を待っていたときだった。 「だからといってどうして」 『だってスケジュールは押してるのよ、締め切りは待ってくれないの』 　メインを張るはずだったバーナビーブルックスJrが動けないのだから、構成を変えるしかないじゃない。 　PDAの通話画面を相手に押し問答をしていたバーナビーのもとに、相棒が両手に紙コップを携えて戻ってくる。 「なーにバニちゃん、どうしたの。アニエスに虐められたの」 「いじ・・・いえまあ、仕事でちょっと」 『虐められるような可愛げがあるなら話が早くていいんだけど』 　タイガー＆バーナビーのいつも虐められるほう、の虎徹は肩をすくめた。 『ねえタイガー、バーナビーの今の姿の写真とった？』 「当然でしょ、そりゃ」 　バーナビーがうんざりするほど撮った。元に戻ったらただじゃおかないと復讐を誓われるほどに撮った。ただじゃおかないってなにされるんだろうと軽く怯えざるをえなかったがそれでも撮った。 『もっとたくさん残したいと思わない？』 「それはも・・・」 　頷こうとして、隣で冷ややかに光るアップルグリーンの瞳に素直に従った。 「ＹＥＳっていうと怖いからやめとく」 　なるほど、そういう話か。事情をまあだいたい察した虎徹はバーナビーの座るスツールの隣に腰掛け、ヒートアップする二人の話を見守ることにする。 「CMの企業からは許可がでてるんですか。ずいぶん構成が変わってしまいますよ」 『勿論。むしろあちらのオーナーからぜひにとのお話よ』 「は？なんで知ってるんですその人は」 『マダム・シーモアの会社だから』 　･･･そういえばそうだった。 「そういうことよう、ハンサム！」 「うわなんでいるんですか」 「ご挨拶ねえでも可愛いからゆるしちゃう！きゃぁーもうなにこのぷにぷにお肌！」 　ばーんと勢いよく開いた扉から休憩室へ入ってきたのは、背後にロイズを従えた派手な長身の同僚ヒーローだ。今はむしろ、ヘリオスエナジーオーナーのネイサン・シーモアといったほうがいいか。長いコンパスで逃げる間も与えずバーナビーを片腕で軽々捕まえて容赦なく頬ずりしてくる。 「ぎゃ、ちょ、うわあああああ」 「おいネイサンそのくらいにしとけって、児童虐待反対！兎虐待ダメ絶対！」 　あわてて虎徹が回収するも、バーナビーは既にぐったりだ。 「虐待とは何よあんたまで」 「えーだってそんな雰囲気だったじゃん･･･」 　強襲に息も絶え絶えなバーナビーを後ろに庇って、虎徹は二人の間に入るようにする。 「アニエスから聞いたわね？」 　ネイサンが趣味としてごく私的に抱えているアパレルブランド、今回問題となっていうのはそのＣＭの仕事だ。そこは規模こそ大きくないがこれでもかというほど彼の趣味が反映されていて、広い年代をターゲットに、かつ人を選ぶ洗練されたスタイルが売りだ。そのＣＭに、是非にと出演を請われたのがバーナビーだった。いまは「HEROとしての仕事のため急遽シュテルンビルドを離れた」ことになっているバーナビー・ブルックスJr。順調に進んでいたＣＭ撮影は既に半ばまで消化している。予定になかった「今の姿」をも使うとなると、先ほどバーナビーが指摘したとおり構成は大きく変わるが、「バーナビー」が締め切りまでに戻ってこれる保証がないからとこれまでの撮影を無にするには惜しい、ならば構成変更のほうが一から全て作り直すよりもましだと制作陣も主張している。 「もともと子役を入れようかという話もあったのよ」 　バーナビー・ブルックスＪｒの存在に容易に消されない子、かつ、ブランドイメージをはずさない子となると、なかなか見つからなくて頓挫したんだけれど。 「あんたならぴったりだわあ。もう天使みたいじゃない」 「だろ！そうだよな！」 「虎徹さんはちょっと黙っててください。うるさいです」 「はい。そうですね」 　大丈夫よ、あんたがバーナビー本人だってことは、制作チーム含めて誰にも秘密にしておくから。 　重ねていわれると、今回の件について立場の弱いバーナビーは断る言葉を探しづらい。なにより、ロイズ氏はハンサムさえできそうなら是非使ってくれっていってたわよ、と埋められていた外堀を示されると尚更だ。 　撮り終わるまでに元の姿に戻ったときにはどうすんの、と虎徹が聞けば、状況によるけど当初の予定通りいつものハンサムに撮影の継続をお願いするか、子役ちゃんである程度使える画像がとれていればそれも使用するでしょうねと返ってきた。柔軟に対応してくれるつもりらしい。なにより引くつもりもないらしい。 　しかたない。仕事に穴をあけてしまうよりはきっとましなんだろう。無精無精、バーナビーは頷いた。 「そうこなくちゃ！」 　きらきらと輝く目で、ネイサンはバーナビーの体を上から下まで嘗めるように見る。タイガーあんた楽しみにしてなさい、うふふふふ子供服もうちは自信あるのよ、と火喰い鳥のようなドラァグクイーンが獲物を見る目で値踏みしてくるのを諦めと共に受け入れた。　 　決まってしまえば動くのは早い。二日後、撮影は動画から始まった。 　オーナーに親しげに連れられ、「急遽HEROとしての任務で街を出てしまった」バーナビーと並ぶほどの役目を任されスタジオに現れた「バーナビーのごく遠縁の」妖精のように愛らしい少年と、その彼に保護者役として付添うワイルドタイガーに、現場はさっそくの撮りを宣言した。 　幼い少年の肢体の儚さと活力を同時に際立たせる、シンプルなようでしかし上品なラインの黒いジャケットに、白いブラウス、膝が覗く丈の短いパンツがその日の主役の衣装だ。打ち合わせののち、ここだからねとバーナビーが通されたステージは数体の人形、両親が作ったような精巧なものではなくごく単純な動くぬいぐるみといっていいオブジェクトが置いてあった。これも一緒に撮ることになるのだという。 　ふわふわとした表面のそれらは、どこかバーナビーの自宅にある抱き枕に似ていた。虎徹と初めて会ったその年に、プレゼントと称して押しつけられてから、今では主のような存在感で彼の寝室にあるピンクのウサギの抱き枕。 　なんだか親しみに近い感情でそれにふれてみる。手触りもよく似ていた。ふわふわとそれで手を戯れさせていると、にこにことして虎徹がそれを見守っていることに気付いた。というか、周りのスタッフたちもだ。咳払いして、さあ始めてくださいといった頬が赤らんでいたのは仕方ない。 　 　人形とともに音楽に合わせ踊ったり、抱きしめていかにもあどけなく笑顔を振り撒いたり。勘がいいと褒められ、かわいいと褒めそやされながらの撮影。時折ワイルドタイガーがCMのブランドオーナーと一緒にかわいいかわいいと大騒ぎしていたのが実にうっとおしかったが（でも実はバーナビーは悪い気だけではなかった、本人達には認めてやらないが）、問題といえばそのくらい。スタッフたちはこの少年がバーナビー・ブルックスJrその人自身であるとは知らされておらず、大人のように素晴らしいモデルだねと感心されて内心苦笑する。 　大人のよう、に仕事のできるキッズモデルの活躍により、撮影は動画も写真も予定より大幅に時間短縮できているらしかった。 　もっともバーナビーの疲労はそれなりだ。細くは見えても鍛え上げられ活力に満ちていた、本来の２０代の自分ならともかく、この体では無理がきかない。比較すれば体力の消耗はやはり激しく、時折挟んでくれた休憩では虎徹が飲み物を差しだして労わってくれた。 　気合いだけで何度ものテイクにつき合い、スチール用のそれも撮り終わったバーナビーを、お疲れさんリトルバニー、と虎徹が迎える。相棒だけしかいないならばともかく、他人の前では疲れた顔など滅多に見せないバーナビーだったが、ふと気が緩んでその腕に甘えてしまったのは、肉体の年齢とともに気分までが幼くなってしまったからかもしれない。　アイパッチを付けワイルドタイガーの姿となっている虎徹は今回の撮影の間中そばに付き添い、ステージママ並に甲斐甲斐しく、よく気にかけてくれる。まあそれが空回りがちになるのはいつものことだけれど。 　人懐こい彼はスタッフたちにあっというまに馴染み、気安く声をかけられている。そんなところは遠巻きにされがちなバーナビーには絶対に真似のできない一面だ。タイガーさんあちらに軽食を用意しましたからね、とかけれる声は色目を使われているというほどではないが、ちょっといいな、と彼に対し思っているのが丸わかりの態度で、こと相棒に関してはセンサーの過敏なバーナビーの妬心をほんの少し刺激する。残念ながら彼の関心は今、僕に完全に向いていますからね。 　おかえり、と腕を開げて迎えいれてくれる笑顔があまりに慈愛に見いていて、ただそれを受け入れればいいだけのことなのに、ふとバーナビーはこの笑顔をきっと本来受け取るべき存在を思い出してしまった。彼の実の娘。遠く離れたオリエンタルタウンに住む愛娘。一度はヒーローを引退した父親を傍らに取り戻したはずなのに、彼のヒーローへの想いを察して結局またシュテルンビルドへ送り出した聡い少女。 　なんだかとても、・・・申し訳ないような気持ちが心臓を襲う。この腕や慈しむような笑顔はきっと彼女のものなのに、本当は。でも今はそれが自分に向けられているということがとても嬉しいと思ってしまう。誰よりも彼が愛しているだろう、彼の娘。彼の本当の家族。だが、虎徹の隣にいつも居るのは自分なのだ、彼の血縁たちではなく。それはバーナビーが微かな優越を抱いている事実だった。それだけではなく、今はその家族達に向けられる愛情に近いだろうものまで自分が浴びている。ごめんなさい、虎徹さん。楓さん。それを嬉しいと感じてしまうような酷い人間でごめんなさい。相棒の地位も、友情も愛情も、たった一人だけに向けられるはずの特別な情も、きっと今浴びるように受けている親子のようなこの情ですら、この人の全てが欲しいと本当はずっと思っているような人間が相棒でごめんなさい。 　バーナビーはこの年上の相棒がとても、好きだった。優しい男。自分に安らぎも愛情も、ここで生きる目的も、すべてをくれる男。 　抱き上げられて、距離が近い。密度のある睫毛に縁取られた瞳の琥珀色が微かにグラデーションを描いていてるのまでがはっきり見てとれて、これまでの仕事で、そしてプライベートで自分を飾ったどんな貴石よりも魅了する。いいや、この二粒だけなのだ、自分の側に、いつも置いておきたいと思うのは。無意識に手が伸びる。柔らかな幼子の指がこめかみに触れるのを、男は止めない。わずかな隙間が惜しくなり、そのまま腕を頭の後ろへと滑らせれば、疲れたよな、よくがんばった、と勘違いした鈍い男の優しい腕がバーナビーの背を宥めるように叩いた。近すぎる接触にいっそ役得とか儲けたとか割り切って思えればよかったのだろうが、男の鈍感さにいらっとしたバーナビーが実行したのは後ろ髪をひっぱってやることだった。悲鳴。 　待ち望んだ連絡は、その撮影からの帰路で入ってきた。 『ボンジュール、ヒーロー』 　PDAが光り、車中に聞きなれたHERO TVの女傑の声が響く。 「事件か」 　虎徹が表情を引き締める。撮影現場まで迎えに来てくれていた運転席のロイスが耳をそばだてる気配を感じつつ、バーナビーはくそ、またかと内心歯噛みしながらも虎徹の通信機を覗き込んだ。 『お待ちかねの相手が狩りだされたわよ』 「例のNEXTですか！」 『そうよ、バーナビーもそこにいるわね。CMの撮りは終わってるでしょうね？』 「いいから早く捕まえにいこうぜ、アニエス！」 　焦れたように年嵩の相棒が叫ぶ。あいつはどこにいるんだ。 『脱走犯の逃亡劇だけじゃ弱いわ』 　HERO TVとしてのLIVE放送は行わない、と彼女は言う。ただし、その協力は警察側は受け入れるということらしい。せっかくヒーローたちが捕まえたのに逃したのはあんたたちよねとごり押ししてアニエスがねじ込んだのだ。ビデオカメラは持っていけ、ということだ。 『どうするタイガー、行く？』 「もちろん」 　要はその力を一度使いきればいいんだろう？ 「やらせてやるよ」 　バニーちゃんは安心して待ってなさい。と金眼の虎は不敵に笑った。 　地上の宝石と称えられるシュテルンビルドでの追跡劇はそうして始まった。 　バーナビーや警察官の「年齢」を吸い取ったあとに何人かもその吸収能力の犠牲にしたのかもしれない。逃げるスピードは恐ろしく早い。だがハンドレットパワーほどではないし、なにより付け焼刃状態の制御の甘い肉体能力など、能力を発動していなくともワイルドタイガーの敵ではなかった。 　虎というよりは街に棲む一匹の猫のよう。縄張りであるこの街を知り尽くした虎徹は、逃走しようという相手にとってとても相性が悪い。男が左に曲がれば細い横道から先回りし、脚力に物を言わせてフェンスを飛び越えればワイヤーで更に高いところへ飛び上がって、追い立てるようにすぐ側へ降りてくる。壁を蹴り、宙を舞って、商店の屋根に降り立って、相手に姿を見せつけ煽りながら、路地を駆ける男を追い詰める。　そんなつかず離れずの追いかけっこを続け、裏路地に干しっぱなしの洗濯物に顔を突っ込んだとたん目に見えてがくりとスピードが落ちたところで、男は緑に発光するワイヤーによって拘束された。 「はい、おしまい」 　膝をついて荒い息をつく男に、返してもらったぜと、虎徹はにこりと笑んだ。 　 「そうそう、例のＣＭの仕事ね」 　虎徹君も一枚噛むことになったから。 　すらりとした伸びやかな四肢、内面から微かに光るような透き通る白磁の肌を全く弱弱しく見せない鍛えあげられた長身の美しい青年に戻ったバーナビーは、ある日、呼び出されていたロイズの執務室でそう告げられた。 「現場でたまたまカメラマンが写したっていう写真が、元々使用するはずじゃなかったんだけどとても先方に気に入られてね」 　再度の急な変更、か。先方ってつまりファイヤーエンブレムではなかろうか。自分のセンスには絶対の自信をもって、臨機応変に意思を通すひとだ。 　まあ彼のことも使ってくれるっていうならこっちも是非もないからねえ、ああこれだよと渡された写真に、赤くなってしまったのは仕方ないだろう。 　幼いバーナビーを腕の中に受け入れる虎徹の姿がそこにあった。 　琥珀の瞳を甘く細め、優しい笑顔の男、安心しきった少年。人種もなにも違うのにその二人の間に通う信頼と情が透け見える、とても柔らかな画像がそこにあった。 　写真は特に修整を受けていないというが、本当だろうか。 　まるで二人のその周囲だけが空気が春の午後の光のように温まっているように見えてしまうのに。 　バーナビー、そしてタイガーの二人がタイアップすることになったブランドのＣＭ。どちらもそれは好評をもってシュテルンビルド市民に受け入れられた。 　正直、バーナビーはとてもいたたまれない。ＣＭなんて撮り慣れているはずで、デビューからこれまで、一時引退していた期間を除けばいつだってシュテルンビルド中に自分の姿は溢れている。だが、今回は。 　きっと自分があのいとけない姿でなければ人々もわかってしまったのではないだろうか、彼の腕に包まれて、嬉しい、と思っていたはずの感情のほんとうの生々しさを。 　いつもの姿より、…子供の姿より、なにより素の自分を切り取られたようなそれが街頭を飾るのを、バーナビーはなんだかとても恥ずかしい気持ちで眺めていることになる。 　頭脳は大人なバニーちゃんが、おじさんの愛情を受けながら春の午後のような光を振りまいてしまうお話。

おじさんにきゅんきゅんしているバニーちゃんと、バニーちゃんにきゃーきゃーいってるおじさんしかいません。ばにちゃんたちが踊っている某動画に滾り倒した挙句の100番煎じもいいとこの妄想をお話にしてみました。バニーちゃんが体は子供頭脳は大人の状態。兎虎も虎兎も詐欺レベルですすみません。二人はとても仲良しです。誤字脱字は心の目で対応をお願いいたします。//2011年11月30日付の小説DR76位に入れていただきました！わーい。ブクマ評価タグほんとうにありがとうございました。嬉しいです。

【ヒーロー復帰後】頭脳は大人なバニーちゃんがおじさんの愛情(ry

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＜ご注意＞ ・一松×カラ松♀（になる予定の話） ・カラ松女体化（じょし松さんではないです） ・転生もの、パラレル話 ・次回くらいからおそチョロ♀要素も入れたいです ・作中に出てくる各種職業について全く知識がないまま書いています。 ・ありがち展開とねつ造しかないです。 諸々ご注意いただいた上で、なんでも許してくださる方は次ページへお進みください。 [newpage] ――　原稿、取りに来るなら明日の午後１時くらいでよろしく。 一片の無駄も愛想もないＥメールがカラ松宛に届いたのは昨日の午後のこと。記名すらないその短いメールのアドレスを確認すれば、小説家「イチ」こと一松本人のものであった。その担当編集となったカラ松は人気作家様のご意向を無視できるはずもなく、本来の予定を変更して一松が済むマンションのエントランスに佇んでいた。 （フッ…デジャヴ、か…） 腕を組み、表面上だけは格好をつけてはいたが、震える指先だけはカラ松の心情を正直に表している。 突然担当者になるよう編集長から告げられた時は心底驚き、すぐさま辞退しようとしたのだけれども「イチ」こと一松先生直々の指名だから断れないと知った時はあまりの衝撃に気を失いかけた。 元々担当をしていた先輩は彼との付き合いに苦慮していたらしく憐れみを込めた視線をカラ松に送ってくれたけれど、他の実力ある編集者たちはなぜカラ松のような新米が指名されるのかと嫉妬のまなざしを向けつつも不思議がるばかり。 若い女だから気に入られたのではないか…という言葉まで聞こえ始めた人の輪の中で、カラ松は黙って俯くしかなかった。 なにせ人柄はどうあれ、相手は大人気作家様なのだ。編集者の中にもファンは多いし、自らの手で彼が書いたものを世に送り込みたいと願う者はごまんといる。 ただその時編集長が放った「指名した理由はただ一つ。気難しい飼い猫が彼女に懐いたからだそうだ」という言葉のおかげで、カラ松を含めた誰もが納得したのだが。 そんなこんなでカラ松は、前回とは違ったプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも一松とのセカンドコンタクトを迎えようとしていた。 ひと月前に見た一松の凄まじい殺気を帯びた形相を思い出して滅入りそうになる。そんなことではいけない、と顔を上げれば、今日もガラスに映った自身の姿が目に入る。 細いストライプの入った細身のダークグレイのパンツスーツにマリンブルーのシャツ。そしてパンツの裾からは８センチの高さを誇るピンヒールが覗く。そんな一番お気に入りのパーフェクト・ファッションを纏っているため気合いだけは十分だ。２つほどボタンを外したシャツの大きな襟をしっかりと立て、形のよい鎖骨が見栄えするよう肩口にかかった黒髪をかきあげてキメ顔を作る。 自分でも惚れ惚れするほど素晴らしいコーディネイトのおかげで元気を取り戻したカラ松が覚えやすい部屋番号をオートロックの機会に入力すると、すぐに先日と同じ落ち着いた声が聞こえてきた。 『――はい』 「あの…っ、」 『ああ、アンタか。……どーぞ』 こちらの顔を覚えてくれていたらしい一松が扉を開けてくれたおかげで、すんなりと建物内に入ることができた。その事に少しばかり浮かれたカラ松は先日よりも胸を張って歩き出せばあっという間に部屋の前へたどり着く。 前回は忙しさのあまりあのひどい形相をしていただけで、今日の一松は穏やかな表情を浮かべて迎えてくれ、会話も仕事もスムーズに行くかもしれない…そんな希望を胸に抱いたカラ松のことを一番に出迎えてくれたのは今回もあの黒猫であった。 ぴったり閉じられた玄関扉の前で丸まったまま眠るこの家の番人…ではなく番猫はカラ松の気配に気づいたらしく、閉じていた瞳を開くと挨拶するかのように小さく鳴いた。 『みゃう』 「こんにちは。今日もお邪魔するぞ？」 先日同様腰をかがめてその美しい漆黒の身体を撫でてやれば猫…ラーチもお返しとばかりにカラ松の細い指先にざらついた舌を這わせてきた。 「ふふっ、こそばゆいぞ？ラブリー・キャット」 『みぃ』 「ああ、すまない。ラーチという素敵な名前があったな。たしか落葉松の英語名らしいが、私もカラ松という名なんだ。奇遇だな。今後とも仲良くしてくれると嬉しい。実は今日も……」 「……今日はよく喋るね」 カラ松が呑気に猫と会話をしている最中、突然頭の上から地を這うような低い声が降ってきた。顔を上げれば、少しだけ開いた鉄扉の向こうから一月前と同じ…寧ろあの時よりも鋭い視線でもってカラ松を見下ろしている一松の姿があった。 「！！！あっ、こ、こここ、こんにちはっ！」 「外開きだからそこに居られると扉、開けらんないんだけど」 「っす、すみません！！」 今回こそはきちんとご挨拶をして…と意気込んでいたのにまたもや出鼻を挫かれた形になったカラ松は自分の要領の悪さを呪うも、今はただこれ以上一松の機嫌を悪くさせないために慌てて立ち上がる。 こんな調子では会話が成立するはずなんてない。今日も玄関先で原稿だけもらってさっさと帰ろう…などと考えているカラ松の目の前にある扉がゆっくりと開いた。 「…ん、どーぞ」 「えっ…あの」 扉を開けた途端奥に飛び込んでいった猫の姿を追って自らも室内へと戻ろうとする一松の背中に向かい慌てて声をかけると、今日も眠そうな目元をした男はあくびを噛み殺しながらこちらを流し見た。 「何してんの。さっさと入れば」 「え？」 「原稿、いらないの？」 「！！いる！要ります！お邪魔します！」 「うるさいんだけど。静かにして」 「！！！」 思わず大声を出してしまったことを反省したカラ松が反射的に口元を手で覆いながら頷くと、一松が少しだけ目元を緩めてくれた。どうやらこの行動は正解だったらしい。 紫色のパーカーを気だるげに着こなし、獣のように背中を丸めた一松を追って家の中へと入ればリビングと思しき広々とした部屋に通された。カウンター式のキッチンの前に小さなダイニングテーブルがあり、壁際にテレビとＬ字型の白いソファー。そして小さなローテーブルがあるだけという実にシンプルな室内。机の上に新聞や書籍が積みあがっているけれども男の一人暮らしにしては整理整頓が行き届いている。いや、物が少なすぎて生活感が全くないと言った方が正しいだろう。 「適当に座ってて」 そう告げられたものの初めて訪れた部屋でどのように過ごせばいいのか戸惑っているカラ松を助けてくれたのは、またもや一松の愛猫・ラーチであった。 『にゃー』 白いソファーに並べられた色とりどりのクッションの隙間から顔をのぞかせ、まるで「こちらに来い」とでも言わんばかりのラーチの元へ足を向けると、今度はその美しい毛並みのしっぽでソファーを叩いている。 （ここに座れ、ということなのだろうか） 途惑いつつも可愛い猫のお誘いを受けることにしたカラ松がソファーに腰かけると、すぐさまラーチがカラ松の膝に飛び乗ってきた。 「お招きありがとう」 そう小さな声で呟けば、ラーチは嬉しそうに喉を鳴らす。その姿があまりに愛らしいので、頭や喉、背中を思う存分撫でてやると、力を抜いてカラ松にされるがままになってしまった。 「フフッ…すっかりカラ松ガールズになってしまったようだな」 「そいつ、オスだよ」 「！！」 気配や足音を立てずに背後から近づいてきた一松の声に驚いて思わず体を震わせば、せっかく気を許してくれていたラーチが膝から飛び降りてしまった。その原因である一松は両手に持ったカップのうちのひとつをカラ松の前に置くと、自らはカラ松の左隣90度の位置にどっかりと座り込む。 「客なんてめったに来ないから、こんなのしかないけど」 「…いただき、ます」 カラ松の手には少し大きめの青いマグカップからは芳醇な香りが漂っている。恐る恐る中を覗けば、ふわふわとした泡が躍るカプチーノと思しき液体が並々と注がれていた。落とさないよう両手でカップを持ち、ふぅふぅと冷まし乍ら口をつけると、なんともいえないまろやかな甘さが口内に広がり、甘いもの好きなカラ松は思わず頬を緩める。 格好をつけているくせにブラックコーヒーが苦手なカラ松は一松と味覚が似ているかもしれないと思ったものの、その考えはすぐに打ち消されることになる。 一松が手にしている紫色のマグカップの中が真っ黒に染まっていたからだ。 ということは、だ。彼自身はブラックコーヒーが好きなのに、カラ松にだけわざわざ砂糖たっぷりの甘いカプチーノを淹れてくれたことになる。 一松の行動に内心首をかしげつつも、女性には甘いものを出すことに決めているのかもしれない…と自分なりの解釈を見出したところでカップから視線をあげる。すると、光のない鈍い眼差しと視線がかち合った。 「……」 「……」 「……」 「あ、おいしいです。とっても」 まるで珍しい生物を観察するかのようにまじまじとこちらを見つめている一松との無言の時間が息苦しくて率直な感想を口にしてみたところ、一松は虚を突かれたような表情を見せた後、再び自身のカップに口をつけ背中を丸めたままコーヒーを啜った。 飲み物の感想すらうまく言えない馬鹿女と呆れられたのか、それとも飲み干すまで黙っていなければならなかったのか等と脳内一人反省会を開催していると、一松はだるそうな瞳の黒目だけをこちらに向けて小さく呟いた。 「……なら、よかった」 一松の口から飛び出した穏やかな声色にカラ松の胸が高鳴る。 人嫌いの引きこもり。偏屈作家。 事前に聞かされていた彼の人柄を表す表現はあながち間違いではないけれど、まるきり正解というわけでもなさそうだ。 カラ松が実際に遭遇した「一松」という人間は確かに死んだ魚のような目で睨んでくるし、口数も少ないので非常にとっつきにくい。けれどカラ松を家に招き入れた上に彼なりにもてなしてくれたのだから、少なくとも「人間嫌い」ではないと言えるだろう。 気性の荒い野良猫が心を許してくれたような感覚に陥ったカラ松は、憂鬱と緊張に苛まれていた数分前の自分のことなど忘れて幸せな気分でカップの残りを飲み干す。 このまま彼と心の距離を縮められるかもしれない。そんな根拠のない自信を持ってしまったカラ松が一松を見つめたままぼんやりしていると、その相手は手元に置いてあった茶封筒をこちらに差し出してきた。 「……コレ。今月の原稿」 「あ、ありがとうございます。」 カラ松は恭しく原稿の入った封筒を受け取って丁寧に机の上に置くと、今度は自身の鞄を探る。その様子を見守る一松の視線に気づかないまま、忘れかけていた今日のもう一つの目的…その鍵となるクリアファイルに挟まれた書類の束を一松に差し出した。 「なに、ソレ」 「企画書、です」 途端に一松を取り巻く空気が重く、声も底冷えしそうなほど暗いものへと変貌する。 今ならこの話を切り出しても大丈夫だと判断したのだが、それが自分の勘違いであることに気づいても時すでに遅し。 ただカラ松も子供ではないので怖いからと言って逃げるわけにはいかない。しかもこれは編集長から託された大事な案件なのだ。 カラ松はキュっと下唇を噛みしめると意を決して悪の大魔王のようなオーラを纏う一松と改めて向き合う。 「何の？何も聞いてないけど」 「実は…先生が執筆してくださっているエッセイを纏めて書籍化をしないかという話が持ち上がりまして、その企画書をお持ちした次第です。はい」 ――エッセイ集出版の許可を取ってこい。本の出版についてえらくおよび腰になる人だから難しいだろうが、なんとかしてくれ。 新人には荷が重すぎる宿題を持たせてくれた編集長を心の底で呪いつつ、出来るだけ目の前にいる人物の機嫌を損ねないよう言葉を選んで用件を伝える。そんなカラ松の言葉を表情ひとつ変えることなく聞きながら黙って書類を受け取った一松は、ソファーの背もたれに身体を預けると、眉をひそめながらも企画書をパラパラとめくりながら見分している。 「読者からも書籍化についての要望もたくさんありまして、もし先生さえよければ……」 「ハッ、こんなゴミみたいな人間が書いたクソみたいなもんを読むためだけに金を出す人間がいるとは思えないけど。売れ残ったらどうすんの。恥かいて在庫抱えるだけだよ、きっと」 「そんなことは…デビュー作だって…」 「あれが売れたのは運がよかっただけ。元々出版するつもりで書いたわけじゃないし…書いた本人が一番よくわかってる」 ヒヒっ、と引き攣った笑いを浮かべ、吐き捨てるようにそう呟いた一松の横顔に嘘は見えない。カラ松に対し尊大とも言える態度をとっているわりに、どうやらえらく自虐的な思考の持ち主らしい。 「――先生の書いたものは素晴らしいです。このエッセイだって日常の何気ない物事を面白い視線から描いてあるし、時事ネタの解釈なんかも独特ですし…その、私は…好きです」 思ったことをそのまま唇にのせたカラ松がそこで言葉を切って一松に向き直すと、褒められることに慣れていないのか、戸惑うような表情を浮かべている。よく見れば頬も僅かに赤らんでいて、その顔にどこか懐かしさのようなものを感じたカラ松は、息を大きく吸い込むとはっきりとした口調でこう言い放った。 「読みたい人は大勢います。貴方の書く文章の力を……私は、信じてます」 だからこちらのことも信じて欲しい。 そう念じて告げたカラ松の言葉を受け取った一松は信じられないものでも見たかのように目を見開いてわずかに息を呑むと、口元を手で押さえたまま黙り込んでしまった。 静かになった室内で身動きをとることも、それ以上言葉を続けることもできなくなったカラ松が視線を彷徨わせれば、一松の足元でラーチが気持ちよさそうに微睡んでいる。 今までカラ松に力を貸してくれたスーパーキャットも今回はアテにならないらしい。 重い空気が一松の次の言葉を待つカラ松を襲う。 やはりだめなのだろうか、と半ばあきらめかけた刹那。カラ松の耳に飛び込んできたのは思いがけない言葉であった。 「……そこまで言うなら、いいよ。好きにしたら」 消え入りそうなほど小さな声ではあったが、その意味するところがわかったカラ松は嬉しさのあまり身を乗り出して一松に詰め寄る。 「いいんですか？」 「どうぞご勝手に。ゴミは動きませんから」 「それはどういう…」 「面倒なことはそっちで適当にやってってことだよ」 「もちろんです！では打ち合わせを……」 この機を逃すまいと次の予定をたてるべく手帳に手を伸ばしかけたカラ松であったが、すぐさま一松の鋭い言葉が飛んでくる。 「だからそういうが面倒なんだって。僕はチェックだけやる。あとは担当のアンタに全部お任せするから、せいぜいガンバッテネ」 話はこれで終わりだとでも言わんばかりに立ち上がった一松につられてカラ松も立ち上がる。 ＜全部任せる。頑張って。＞ 憧れの作家である一松からかけられたそれらの言葉が嬉しくて堪らなくなったカラ松は、満面の笑みを浮かべた。 「先生！わかりました！まかせてください！頑張ります！」 「……その先生ってのやめてくれない？キャラじゃないし…こんなクズ、もっと蔑んでもいいくらいで……。とくにかくアンタにそう呼ばれるのはヤだ」 気恥ずかしいのか、後ろを向いてしまった一松の丸まった背中に声をかければ、そんな可愛らしいお願いが聞こえてくる。カラ松は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながら優しい声色で声をかけた。 「じゃあ一松、さん」 「……まぁ、今はそれでいいや。これからもよろしく、カラ松…さん」 「はい！」 大きめの窓の隙間から吹き込んできた温かな風と春らしい花の香が二人をつつむ。 穏やかな日の光の中、一松のいくらか切れ上がった目を見つめれば、昔からその瞳を知っているような不思議な感覚に襲われる。 カラ松が自分の中に起きた変化に戸惑っている間に、何事か問いたげであった一松の視線が外された。 何かが芽生えたかのような胸の奥のざわめきに気付かないふりをしたカラ松は、自分の鞄を掴むと丁寧に挨拶をして、一松の家から辞した。 とてつもない緊張から解放されたところで自身の腕に巻かれた時計で時刻を確認すると、滞在時間が１時間にも満たなかったことに驚く。 （相変わらず何考えているかわからないし、顔も怖かった。でも出版の許可を貰えたし、名前も呼んでもらえた。仲良くやっていけそうだな） 今回の訪問で得た成果を噛みしめていたカラ松であったが、現実とは無常である。 マンションを出てひとつ角を曲がったところで肝心の原稿を一松の家に忘れてきたことに気付き、慌てて引き返すもカラ松を待っていたのは厭らしい笑みを浮かべた一松で。玄関の扉越しに散々焦らした挙句、泣きそうになっているカラ松を見下ろしながら一松はこう述べたのだった。 「肝心の原稿を忘れるなんてほんとクソ。クソ松…ヒヒっ」 以後、ことあるごとに「クソ松」と呼ばれるようになったことは言うに及ばず。またその時に見た一松の笑顔はしばらく夢に見たほど、この上なくゲスいものであった。 [newpage] * それからしばらくの間、カラ松は多忙を極めた。 普段の業務に加え、エッセイ集発行の担当編集者として東奔西走するはめになったからだ。 編集部内での各種会議をこなし、デザイナーとの装丁およびカバーデザインや文章レイアウト等の打ち合わせ。その合間に原稿選びと文字校正をしつつ企画部や営業部と部数や営業方針についての折衝。また、出版に伴う一松への取材依頼への対処など。それら激務をこなし終電で家に帰りついた途端、玄関先で寝落ちした日もある。 そんな満身創痍のカラ松を支えてくれたのは編集長をはじめとした偉大なる諸先輩方で。 協力、というよりもその人たちが物事を決めることが多かったのだが、自分の力量を考えれば当たり前のことだった。 筆者である一松とは月１～２回の頻度で顔を合わせた時に大体の進捗状況などを報告するだけではあったが、カラ松の拙い説明を時に鋭い突っ込みやジョークを交えつつも真摯に聞いてくれた。一松が表情を変えずに発する毒のある冗談は当初こそカラ松を驚かせたけれど、何度もやりとりする内にそれにも慣れ、今や適度に聞き流せるようにもなった。 最初の頃に比べ、一松と臆することなく会話できるようになったどころか、二人を包む空気もどこか和やかなものに変化しつつある。 そうした日々を送っているうちに季節は廻り、眩いばかりの日差しが照り付ける夏になっていた。 印刷部との打ち合わせや営業部との発行部数についての攻防などまだやり残している仕事はあるものの、なんとか完成させた表紙の見本と原稿のゲラ刷りを携えたカラ松は一松の家を訪れていた。 「今日はブラックでいいですか」 「いや、ミルクましまし、砂糖抜きで」 「わかりました。暑いからアイスにしますね」 「うん」 そんなやりとりをしながら腕まくりをしてキッチンに立っているのは家主の一松ではなく、客であるはずのカラ松だ。カラ松が家主の許可を得てキッチンへと入り込むようになったのはいつの頃からだっただろうか。 当初こそコーヒーを淹れて歓待してくれた一松であったが、『面倒だから自分で淹れて。ついでに僕のもお願い』と事も無げに告げられてから早数か月にはなるだろう。 キッチンに足を踏み入れると、ヤカンに火をかけ、慣れた手つきで戸棚からコーヒーとグラスを取り出す。サーバーの上にドリッパーを置き、粒子の細かいコーヒーの粉めがけて熱湯を注ぐと甘いフレーバーが鼻をくすぐる。このコーヒーはカラ松が勝手に持ちこんだ品なのだが、あまり味にこだわりがないのかはたまたこの味を気に入っているのか、咎められたことがないので無くなる度に買い足しては棚に常備している。冷凍庫から大き目の氷を取り出してグラスに３つ４つ放り込み、サーバーに溜まった濃い目のコーヒーと牛乳をたっぷり注げば出来上がりだ。 『にー』 可愛らしい鳴き声に気付いて足元を見れば、すっかりカラ松に懐いてしまったラーチがおねだりするように細い足首に黒い身体を摺り寄せてきていた。 「心配しなくてもお前のもあるぞ？…ほら、猫用ミルク。」 『にゃ！』 「フフッ…どういたしまして」 並々とミルクが入ったラーチ専用の皿とコーヒーが入ったグラス２つをお盆に乗せて一松のいるソファーへと急ぐ。大きいソファーの上で膝を抱えて座る一松の手元にあるのは、カラ松が持参した表紙案だ。光沢のある紙にグラデーションになった紫色が一面に広がり、その中心には＜イチの独り言＞という雑誌連載時からのタイトルロゴが白抜きされている。 「どう、でしょう」 邪魔にならないようグラスを差し出しながら、カラ松が問う。 「表紙？……別にいいんじゃない」 「よかった！実は色味が地味じゃないかって編集部で言われたんですけど、どうしても紫色にしたくって」 一松から反対意見が出なかったことに心から安堵したカラ松は、肩をなでおろした。 「なんで紫にこだわるの」 「だって、紫は一松の好きな色だろ？せっかくなら好きな色を取り入れた方がいいと……ってあれ、どうしました？」 「…っ」 息をのむ音が聞こえたのでそちらを見ると、一松が悲しいような、やるせないような表情を浮かべていた。声に出せない叫びを噛みしめるようにも見えるソレはこれまでも何度か目にしたことがあるのだが、何を意味するのかカラ松には一向に見当がつかない。 「……なんでもない」 しばらくの沈黙の後一松は何事もなかったかのように視線をおとすと、今度はテーブルに置かれている大量の紙の束に目を通し始めた。カラ松もいつもの定位置に座り、大人しく自分で淹れた冷たいコーヒーに口をつける。 空調のきいた室内には、一松の紙をめくる音とグラスに入った氷が放つ涼し気な音だけが響いている。いつになく真剣な表情で原稿と対峙している一松の横顔がやけに男くさくてしばし見とれてしまったカラ松であったが、他の用事を思い出したため、一松が原稿から目を離してその節くれだった手をグラスに伸ばした瞬間を狙い、声を発する。 「あの。エッセイの中にラーチがよく登場するので、読者からもどんな猫なんだろうと話題になっているらしいんです。もしよかったら、口絵のところにラーチの写真を掲載してもいいでしょうか？」 恐る恐るそう尋ねてみるも問われた一松は気だるげにグラスを煽るだけ。かわりに名前を呼ばれたことに気付いたらしいラーチがピン、としっぽを立ててこちらを見ている。 「やっぱり…ダメ…です、かね？」 「………コイツがイイっていうなら」 なんとも一松らしいはっきりしない返答ではあったが、幸いにもダメとは言われていない。一松の気が変わらないうちに、とカラ松は急いで鞄から小さなデジタルカメラを取り出すと、ミルクを飲み干して上機嫌なラーチの元へと歩み寄った。 「なぁ、ラーチ。写真を撮らせてもらってもいいだろうか」 『にゃ～』 「そうか、じゃあ早速撮らせてもらおう…どんなポーズがいい？フフッ、そうだな。その角度の方がお前の魅力を存分に引き立たせるな」 『にゃぅ！』 「いいぞ！そうだ……漆黒を纏ったお前にはその蒼い瞳がよく映えるぜ…BANG！」 カシャ、カシャ、とシャッターを切る度にモデルであるラーチに声をかけると、ラーチもカラ松の言葉がわかるのか、それとも単にカメラ好きなのかはわからないが、カメラ目線でポーズをとってくれた。時にしっぽを立ててクールに、または上目遣いでかわいらしくフレームに収まるラーチと二人でプチ撮影会を楽しんでいるとふいに背後から声がかかった。 「前から聞きたかったんだけど、アンタって素の時はいつもそういう言葉遣いなの？」 「……っ」 無意識に素を出していたことに気付いたカラ松は思わず赤面してしまう。 「す、すみません…」 「…別にダメって言ってないけど。いいんじゃない？変に畏まった言葉遣いよりアンタらしくて」 人嫌いの一松から飛び出した思いがけないフォローの言葉が嬉しくて、カラ松の頬が緩む。 「こう見えて中高一貫の女子校で演劇部に所属してまして。そこで男役ばかりしていたせいか普段から男っぽく振舞う癖と気障な台詞が口についてしまったんですよ」 「へぇ…演劇部」 「意外だって言われるんですけど、赤塚女学園のオスカル様なんてあだ名がついて、ファンクラブまであったんですよ？」 「アライグマ？」 「ちがっ」 「ふふっ…冗談だよ」 一松が珍しく声を上げて笑ったのを見て、カラ松もつられてほほ笑む。 会うたびに見る機会が増えてきた貴重な一松の笑顔（但し、ちょっとゲスい）が見られたということは、今日は機嫌がいいのかもしれない。 「で？オスカル様(笑)には、お相手のアンドレはいたの？」 「アンドレか～懐かしいな。いましたよ」 「……へぇ、どんなヤツ？彼氏？」 「いえ、いつも一緒にいた双子の妹です。妹からはいい迷惑だってよく怒られてましたね」 懐かしさにまかせて昔話をしていると、それまで穏やかであった一松の表情が一変し、まなざしも鋭いものになった。 「双子、の妹…？」 「はい。しかも一卵性だからそっくりで」 「名前は？」 「それが女なのにチョ……」 ＜ピンポーン＞ カラ松の話し声を遮るように、来客を知らせるインターフォンの音が鳴り響いた。 いつもなら面倒だと言わんばかりの態度をとりながらもすぐに腰を浮かして対応する一松だが、何故か今はカラ松を見据えたまま動かないでいる。 「……あの、誰か来たみたいですけど」 「気にしないで。たぶん新聞の勧誘だと思うから。それよりも…」 ＜ピンポーン＞ ＜ピンポーン＞ ＜ピンポーン＞ 間髪入れず何度も鳴らされる呼び出し音に我慢ができなくなったらしい一松は急いで立ち上がると、騒音の原因となる機械のもとへと向かった。そしてそのカメラ越しに相手を確認するや否や、機械の電源を落としてしまった。 室内には静けさが戻ったものの一松の顔色が悪い。どうやら彼にとってあまり良い客ではなさそうだ。しばし思案していた一松であったが、突然いつになく速いスピードでこちらへ歩み寄ってきたかと思えば、ソファーに座したままのカラ松の細腕を引っ張り上げた。 「悪いんだけど、今日はもう帰ってくれない？」 「え…？」 「原稿にはちゃんと目を通すし、修正があればまた連絡するから。ごめん」 「あ、はい。わかりました」 一松に命じられるまま帰り支度をしたカラ松であったが、何かを隠そうとしている一松の姿に何とも言えない寂しさを感じ、少しだけ胸が痛んだ。仕事相手なのだからプライベートに口出しすべきではないし、互いに言う必要もないはずなのだが、どこか自分は一松にとって「特別」なのだ、という思いあがった意識が働いていたのかもしれない。 もしかして、恋人なのだろうか。 そうであるなら、どういう人物なのか。 余計なことを考えてしまう頭を横に振ったカラ松が一松に先導され玄関につながる廊下へと足を踏み入れた途端、外界へとつながる鉄製の玄関扉が開いた。 生ぬるい外気とともに室内へと入り込んできたのは、太陽のような明るい表情を浮かべた、一松そっくりな男。 「おいおい、せっかく血を分けたお兄様が来たのに無視するなんてひどくな～い？もしかしてシコ松中だった～？ごぉめんぬねぇ～？……ってアレ？」 スーツを着崩し、赤いネクタイを緩めたその男と一松の肩越しに視線が交錯した。 一松と見紛うほど顔つきや体形は似ているが、目元はぱっちりと見開かれ、口元は穏やかな笑みを浮かべている。そして頭髪もきれいにセットされているところからして、外面はともかく内面はまったく違う人間なのだということがわかる。 「……こんにちは？」 前方にいる一松が固まったまま動かないでいるためその脇のあたりから顔をだして挨拶すると、兄、と名乗ったその男は何か面白いおもちゃでも見つけたこどものような笑みを浮かべながらこちらへと近づいてきた。 「どうも～！一松がお世話になっています、双子の兄のおそ松で～す！！おいおい、一松君、この子誰？もしかしてカノジョ？」 「……違う。仕事相手。つか、どうやって入ったの？」 「ジャジャーン！合鍵で～す！」 「渡してないんだけど」 「一松君がくれないから勝手に作っちゃった♡」 おそ松と名乗る人物のその言葉を聞いた途端、一松から凄まじい負のオーラが立ち上る。背後にいるだけで恐ろしさのあまり気を失いそうになったカラ松であったが、不機嫌丸出しの一松と対面しているはずの人物は恐れるどころか口角を上げて笑みを深めている。さすがは実の兄、といったところだろうか。 「…で？何しに来たの」 「いや～この近くで仕事してたんだけどさ～この暑さでしょ？汗かいちゃって、ここでシャワーでも借りようかと思ってさ~、で？そろそろこちらの人をお兄ちゃんに紹介してくれてもいいんじゃないかなぁ？」 そんな提案をされたものの、一松はカラ松を背にしたまま沈黙を守っている。肉親に仕事中の姿を見られたり、仕事仲間を紹介するというのはなんとも気恥ずかしいものだ。今の一松もそんな気持ちなのだろう。けれど一松越しにウインクを投げかけてくるおそ松の様子からして、このままでいても解放してくれなさそうだと判断したカラ松は、未だに身体をこわばらせたままである一松の体の横をすり抜けて前に出ると、おそ松に対して軽く頭を下げた。 「はじめまして、いつも一松さんにはお世話になっています。不二夫出版の松野カラ松と申します」 「……カラ、松？」 「？はい」 まるで、デジャヴだ。 初めて一松と出会ったときと同じようなリアクションをされ、双子とはこういうところも似るのか…とカラ松が変な所で感心していると、おそ松は一松とカラ松の二人を交互に眺めながらイヤらしい笑みを浮かべた。 「へ～、そっか～。カラ松、ちゃん。ね。ふ～ん。へ～ぇ」 「……何」 「いや、いいな～と思って。仕事とはいえ、こんなに可愛いカラ松ちゃんと二人っきりになれるなんてさ～おっぱい大きい…って、痛ってぇ～！何、いきなり殴ったよ、この人。何なの？？ひどくない？ねぇカラ松ちゃん？？」 「……シネ。100万回くらい地獄に落ちろ」 「こわっ！なにその呪い？」 実の兄を殴りつける弟一松と、それを受けながらも笑って躱そうとする兄おそ松の漫才のようなやりとりをしばし眺めていたカラ松であったが、その面白さに思わず吹き出してしまった。 するとその笑い声に気付いたそっくりすぎる兄弟二人が同時にカラ松へと視線を向ける。 「ふふっ、ごめんなさい。でも兄弟仲良くていいなぁと思って」 「え？そう見える？」 「…そう見えるなら、眼科行った方がいいよ」 そんな性格の違いが見える返答ですら可笑しく、そしてどこか懐かしさまで感じるのは、やはり自分とも共通点があるからだろうか。 「うちも双子なんでよくわかります。私もチョロ松といつも喧嘩…というか一方的に叱られてばかりなんですけど…」 「「チョロ松！？」」 声をシンクロさせた二人が、そっくりな顔でもってカラ松を凝視する。 「？もしかして、妹をご存知なんですか？」 「いや…まぁ…その…なぁ、一松？」 「……同じ名前の知り合いが昔いたから、ちょっと驚いただけ」 歯切れの悪い二人の態度に戸惑うも、双子妹の名前が「チョロ松」という変わったものであると告げればたいていの人間は同じような反応を示すため、そんなものか、と自分なりの考えでもって納得したカラ松の肩を突然一松が掴んだ。そしておそ松からその身を守るように肩を抱き寄せたまま玄関へとその身体を誘導する。 「……引き止めて悪かった。この人…兄さんと話しがあるから、今日は、ごめん」 「え～？俺もっとカラ松ちゃんとお話ししたいなぁ～っぐぇっ！痛い！また殴ったよ、この人～！！」 振り返ることすらせず、背後のおそ松に裏拳を浴びせた一松はカラ松に早く帰るようにと促す。今日のところはゲラ刷りを渡すことが目的であったため兄弟水入らずの邪魔にならないよう、カラ松はきれいに揃えておいたピンヒールに足を滑り込ませる。 「ありがとうございました。おそ松さんもまた今度ゆっくり…」 「余計なことは言わなくていいから、早く帰りなよ」 「マジで？やった～！じゃあさコレ俺の名刺。裏にＬＩＮＥのＩＤ書いとくからさ、いつでも連絡してね？」 「了解し…」 「オイ、クソ松。軽々しく返事するな」 「あ、俺のことはおそ松兄さんって呼んでくれたら、嬉しいなぁ」 地獄の番人のような顔をして二人の会話を阻もうとしている一松を軽くいなしつつ、カラ松に微笑みかけてくるおそ松の瞳の色はそのおどけた表情とは裏腹に何か深い想いを抱いているようにも見える。 何故かその瞳の力に抗えなくなったカラ松が黙って頷くと、おそ松は心底嬉しそうにほほ笑んだのだった。

小説家一松と編集カラ松♀のゆるい転生ものかもしれないありがち話その２。<br />カラ松が女体化しています。続きをというありがたいお言葉に甘えて続けてしまいました。ゆるゆるとお付き合いいただければ泣いて喜びます。<br />前作<strong><a href="https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=6375657">novel/6375657</a></strong><br />素晴らしい表紙はこちら<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/47117365">illust/47117365</a></strong><br /><br />■2/26追記■たくさんの閲覧、ブクマ、評価、タグコメントなどなどありがとうございます。またDRにもお邪魔させていただきました。感謝です。ゆっくり更新していきますので、よろしくお願い致します。<br />フッ…フラワーからの愛のタグ…確かに受け取ったぜ☆頑張ります。<br /><br />こっそりTwitter松用垢作りました@telamatsu1<br />アニメネタバレ、へそウオなどについてつぶやいています。松友ほちぃ…（低浮上）<br /><br />以下、どうでもいい話。<br />近頃カラ松♀ちゃんでマフィア妄想するのが楽しいんですが、ル○タンのハイヒールを履いてドヤ顔してほしい…ハイヒール履いたカラ松♀ちゃんと猫背スーツイッチのミスター＆ミセス松野的なイラストを見かけた方はご一報ください…（乞食）

伝えたいことばを、きみに２

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[chapter:プロローグ] 　人気のない崩れかかった街に砂埃が舞っている。星が見えない藍色の空から流れ星の様に弾トリガーが落ち、次々と地面を抉っていく。その中を出水公平は黒いコートを羽ばたかせながら宙を飛んでいた。 (やべ、追いつかれるかも) 後方に目を向けると、ちょうど弾トリガーでの攻撃が襲来していた。弾速が速い。もう真後ろに弾があった。しまった。走るのに集中していたせいで、シールドを張る意識が欠けていた。慌てて体を捻る。避けられたとしても、おそらく数弾は当たるだろう。今は出来ればトリオンを失いたくない状況だった。舌打ちをする。 「シールド」 　抑揚がない低い声が耳に入ってきたと同時にシールドが背中に現れた。シールドと弾が相殺し、散り散りになる。間髪いれずに、出水は両手にメテオラを創生し、後方へと撃つ。数秒して爆発音が鳴り響いた。 「危なかったな、出水」 「本当ですね。助かりました、太刀川さん」 　焦りのない言葉を隣を黒のコートを纏い駆け抜けている二刀の刀を腰に差した男に言うと「のんきだな」と苦笑される。「そうっすか」と抑揚ない声に自分自身でも出水は驚いた。幾多の遠征の経験から、たぶん心が冷静を意識しているのか。一瞬の気持ちの変化が命取りになるのか、気が付かない内に勝手に学習してしまっているのだろう。むなしい。初めの頃のドキドキ感が好きだったが、いつの間にか薄くなっていたらしい。 隣の男―太刀川慶に速度を落とさずに出水は顔を向ける。 「太刀川さん、あの事ちゃんと覚えてます？」 「あったりめーだろ。つか、よくこの状況で聞くなぁ」 「そりゃ、この状況でしか聞けないからですよ」 　もう「あとで」なんて状況が出水には使えない。太刀川は「そりゃ、そうだな」と口元を歪めた。 『こちら風間隊の風間。加古隊に次いで遠征艇に帰着』 『後は太刀川くんと公平くんだけよ。急ぎなさい』 　風間蒼也と加古望からの通信が耳に入る。殿を務めていた出水と太刀川以外の遠征メンバー全員が艇に無事着いた知らせだった。 　おそらくこの回線は遠征部隊全員に繋がっている。 　出水と太刀川は目を合わせて頷いた。 「七秒だ」 　艇までの距離をレーダーで確認した太刀川は出水に言葉を残し、颯爽とグラスホッパーを使い宙を走った。一方、出水は立ち止まり振り返り、心の中でカウントタウンを開始する。 『こちら太刀川隊、太刀川。いきなりだが急遽遠征部隊隊長として作戦を変更をする』 『太刀川？！』 　風間の驚く声を無視して太刀川は続ける。 『遠征艇には太刀川のみ戻る。それと同時に艇を飛ばしてくれ』 　加古の声が通信に入る。 『公平くんはどうするつもりなの』 『残す』 　ヒュウっと、誰かが息を飲む音が回線から漏れた。 いきなりの予定変更。ましてや、仲間を置いて玄界に出立するという命令に、遠征艇内での驚きとざわめきが通信を通じて出水にも伝わってきた。 　風間が一層低い声をして告げる。 『その命令は受けいれられない。遠征部隊のうちだれかが近界に残るなど禁止事項にはいる』 『だが、部隊全体が全滅する状況に陥る場合は別の話だろ』 『どういうことだ』 「おれがこっちに残らない限り部隊は全滅。および玄界がやばい状況になるらしいですよ。三門市が無くなるくらいに」 　太刀川の代わりに出水が答えると、唾を飲み込む音が聞こえた。いったい誰がしたのか知る由もない。 ため息と共に風間が言う。 『迅の入れ知恵か』 「ご名答です」 『今頃、迅のやつ城戸さんにぶたれてたりしてな』 　ははっと太刀川は乾いた笑い声を上げる。途端、出水、風間、太刀川とは別の人物の声が回線に割り込んだ。 『あら、勝手に話を終わらせないでくれる。公平くん、まだ通信切ってないわよね』 「ちゃんと繋がってますよ、加古さん」 　確認する口ぶりに、出水は困った様に笑った。 　目の前に現れてくるバムスター、モールモッドにメテオラをぶつける。次々とトリオン兵に穴が開いていく。楽しい。気持ちが高揚してくる。 「ま、そーゆうわけなんで、おれは大人しくこっちに残ります。それと、これはあくまでおれの希望で迅さんに責任はないんで。詳しくはそっちにいる柚宇さんか唯我に聞いといてください。こっち今トリオン兵多くて大変なんで」 　もうすぐ七秒だ。 　言い終えると同時に出水は通信を切ろうとした。しかし、加古の言葉が遮る。 『公平くん。一つだけ質問に答えてもらってもいいかしら？』 「…なんですか？」 『いつの間に、命賭けてまで近界に残りたいなんて思ってたの？』 　 　難しい質問だった。出水の頭の中で複数の答えが浮かび纏まらずに回路する。今すぐ出せる答えではないと出水は察した。 「それはおれがそっちに戻ってから答えていいですか」 『保留、って事かしら』 「ダメですか？」 『まさか。むしろ楽しみだわ』 「光栄です」 『――太刀川、遠征艇に帰着。直ちに…―』 　太刀川が艇に確認出来たのならば、もう通信を繋げている必要はない。 　太刀川の言葉を聞き終わらない内に出水は通信を完全に遮断した。 　微かなノイズの音も、遠征艇内の物音も、人の声も息も何も聞こえない。聞こえるのは、目の前に広がる爆音のみ。 遠目に煙の中からトリガー使いが近寄っているのを確認すると、出水は手をぶらりと下げ、棒立ちになった。 「さてと、降参するか」 [newpage] [chapter:予知] 「ぽんち揚げ食う？」 「―迅さん」 　秘密のかたまりが話を持ちかけたのは、師も走る十二月の中旬だった。 馴染みの八百屋で毎年恒例の十キロのみかん箱を購入し両手で持っていた出水は後方からの声に立ち止まる。振り返ると、ぼんち揚げを片手にした迅悠一が笑っているのかいないのか釈然としない表情で立っていた。 彼を確認した途端、まるで凶でも引いた気持ちに出水はなった。 「重そうだな。代わりに持とうか？」 「いや、大丈夫ですよ。そこの自転車の荷台に乗せるんで」 　出水はへらへらと笑みを浮かべ、公園の脇に留められた自転車に視線を送る。 　 「今日非番でする事ないし、おまけに明日土曜で休みなんで作戦室でみかん食いながらダラダラしようかと思いましてね」 　出水の言葉に迅は朗笑を浮かべた。 「成程ね。それにしても、ボロボロだなぁ、あの自転車」 「そりゃそうですよ。だってあれ、警戒区域に放棄してあったやつなんで」 「コラ、犯罪者」 「ばれなきゃいいんですって」 「ほぉ。じゃあもしおれが上に言ったらどうする？」 「それはなくないですか。だって、迅さんも上に言われたらまずい事話すんでしょ」 　 　面白い悪戯が思い浮かんだ子供のように出水が口角を上げると、迅は微苦笑した。 　二人はストッパーが壊れている自転車の元へと歩き出す。 「勘のいい子供は嫌いだな」 「京介が屋外で迅さんが一対一で人と話す時は大抵そうだって言ってましたもん」 「お前らなー、おれの事一体なんだと思ってる」 「ぼんち箱買いの実力派エリート、と京介が」 　出水が即答すると、迅は口を大きく開けて笑った。本人曰く「間違ってはいない」らしい。 　とばっちりで烏丸の家に数日後ぼんち揚げが大量に入ったダンボールが届く決定事項がなされた時、二人は自転車の元に辿り着いた。 　「よっこらっせ」と出水が10キロのダンボールを荷台に置く。そして慣れた手付きで紐を使い荷台とダンボールを巻き始める。 「慣れてるなー」 「中学の頃、チャリ通だったんで」 「あぁ、成程」 「…よし、出来た」 　紐で荷台に巻きつけられたダンボールに手を叩く。まったく揺れる気配がない事に迅は感心する。不具合無しを確認すると出水はハンドルを握った。ブレーキがちゃんと作動するか手元を確認する。よし、壊れていない。ちゃんと止まる。確認作業する出水に、おもむろに迅が口を開いた。 「そういえば、推薦受かったって？」 「え、あぁ、はい。十一月に結果来ました」 「そう。合格おめでとう」 「ありがとうございます。でもなんで知って」 「太刀川さんから聞いた」 　「あぁ、なるほど」と出水は納得した。もしかしたら彼のサイドエフェクトで出水が知る前から知っていたかもしれないが、それは事実にはなりえない。 　サイドエフェクト。その言葉を思い出して少し気が重くなった。彼は大学合格祝いを言いに会いに来たわけじゃない。なんとなく出水の勘がそう言っていた。 　しばらく沈黙が続いた間に、出水はストッパーを外し自転車を押し進めた。その後ろを迅はまるで親鳥につづくアヒルのようにひょこひょことくっついてくる。 　出水は彼を見ずに声を張り上げた。 「迅さん」 「なんだ、出水」 「なにが起きるんですか？」 「なにって？」 「視たからきたんですよね」 「…」 「おれはなにをすればいいんですか？」 「…」 「安心してくださいよ。おれ、口は堅いんで」 　 　振り向くと迅は笑みを貼り付けたまま、こちらをじっと見つめていた。 　沈みかけの陽の明かりに照らされて、彼の目は透き通ったように輝いている。人間の未来を見る目は何を映したのか。ただの人間に分かるはずがない。 　しかし、いつもの人を食ったような飄々とした態度ではなく、どこか愁いを帯びた雰囲気からして自分に関わる重要な案件だと悟った。いいよ。受け入れてやる。出水はえくぼを作る。 　やがて、ははっと笑い声を上げ自分自身をかわいがるように頭を掻くと、迅はスッキリした表情で口を開いた。 　 　もしかしたら、彼はこの未来も視えていたかもしれない。 　嘘ついてすみませんと無意味な謝罪を心の中でしながら、出水は迅の言葉を隊のメンバーに伝えていた。 「『遠征部隊全滅及びボーダー本部も倒壊寸前。三門市はほぼ崩壊。死者、行方不明者多数。第一次侵攻より被害は拡大。復興が出来るとかそうゆうレベルじゃない。生き残ったボーダー隊員もおそらく散り散りになるだろう』って」 　出水の横に座っていた唯我がおそるおそる尋ねる。 「…それが、出水先輩が向こうに残らなかった場合の未来ですか？」 「らしいね」 「『らしいね』じゃないですよ、出水先輩！どうするんですか、それ！？」 　へらりとした態度の出水に、唯我が焦る。一方、みかんの皮をむきながら、無表情のまま太刀川が言う。 「どうするもなにも、要は遠征のとき向こうに出水だけ残ってろということか」 　不機嫌そうな様子の太刀川に、隣で同じくみかんの皮を剥いていた国近が気付く。 「おや、不服かい、太刀川さん？」 「あぁ、不服だ、不服。せっかく楽しそうなのになんで出水だけなんだ。俺も残らせろ」 「だからなんでそんなに悠長なんですか？！」　 「やかましい」 　ついに立ち上がった唯我に出水が一蹴り入れる。蹴られた唯我は床に盛大に転がり、「痛い」と喚く。むろん唯我はトリオン体だ。痛くなんかない筈である。 　見慣れた景色を横目に国近が口を開いた。 「さっき太刀川さんが言っていた、いずみんだけじゃなくて他の人も一緒に残るのはダメなの？」 「それだと、おれと一緒に残った人全員死ぬらしいですよ」 「嫌な未来だな」 　太刀川が眉を顰める。「死ぬのはさすがに嫌だ」と次いで感想を漏らす。 　それに出水が目を丸くした。 「太刀川さんでも死ぬのは嫌なんですね」 「悪いかよ」 「いや全然。むしろ意外です」 「おいおい、どーゆう意味だ」 「死ぬまで戦っていそうだよね～、太刀川さんって。ここはおれに任せて先行け～って」 「知ってるぞ、それ。いわゆる死亡フラグって言うんだよな」 「それが今回おれになりそうなんですよ」 　脱線しそうになる話を出水がなんとか戻す。 「なりそうってほぼ確定になりそうな気配しかしないんだけど。つか、もし出水だけ向こうに残ったとして、その後三門はどうなるんだ」 「何もないらしい、ですよ」 「…は？」 　みかんを剥く手を止め、太刀川がポカンと口を開ける。同じく、みかんを食べていた国近も起き上がりソファの片隅に座っていた唯我も固まって目を丸くしていた。 　出水が言葉を続ける。 「何も起こらないらしいですよ。死者や行方不明者が出ないし、そもそも侵攻さえしてこない。いつも通りの平和な三門市が訪れるだけって」 「なんだそりゃ」 　太刀川はだらしなくソファに背を預ける。そしてみかんの粒のかたまりから二粒を取り出し口内に放り込んだ。 　慌しく手を動かしながら、唯我は話を纏める。 「つまりこうゆう事ですか。出水先輩がむこうに残って犠牲にならないと三門市が壊滅の危機にっ、しかもボーダー崩壊の可能性も大という事にっ…？！」 「間違ってねーけど勝手に先輩殺すな、唯我」 「ちょっ、出水先輩足蹴らないでください！折角ボクが話を纏めたのにひどい！」 　げしげしと出水が唯我の足を蹴り、唯我は嘆く。その様子に宥めるように国近が言葉を発した。 「まぁまぁ落ち着きたまえ。はやく話し終えて皆でゲームをしよう～」 「おっ、賛成だ」 「あ、じゃあおれも」 「だから暢気過ぎませんか？！」 　蹴るのを止め、出水はテーブルに置かれていたダンボールからみかんを取り出す。同時に楽しそうに笑みを浮かべながら太刀川は身を起き上がった。嬉しそうに国近が微笑む。 　あまりにも命のやり取りをしているとは思えないくらい穏やかな空気に唯我は困惑し、声を荒げた。 「大体出水先輩嫌じゃないんですか？！いくら三門市が救われるとはいえ命賭けなきゃいけないんですよ！」 「そりゃ、おれだって血生臭そうな近界に取り残されるのは流石に嫌だな」 　意外な答えに「えっ」と唯我をは驚く。それを気にせず出水は言葉を続けた。 「はっきり言ってまだ実感が全然わかない。おれ一人で街一つを救えるっていうのが特に。それに近界に残ったとしてもすぐに殺されるわけじゃないらしいし、きちんと降参の意思を示せば助かる可能性があるらしいし。ほら、おれ、トリオン量多いから」 「それは迅の予知からか？」 　顎を摩る太刀川に出水は苦笑した。 　あの人はいったいどれほどの未来が視えているのだろうか。 「半分ってとこですかね。迅さんにも複数視えてて、とりあえず艇が去った後おれが戦い続けてたら必ず死ぬらしいですよ。だから直ぐに降参した方がいいだろうって。まぁ、これ戦闘の基本なんで当たり前ですけど」 　――どうしても自分ひとりだけでは勝てず、仲間の援護が望めない場合は逃げられる状況の場合は逃げる事。逃げられない場合だったら直ぐに降参をする事。チャンスはその時だけではない。じっくり伺う事も重要だ。 　いつしかの教えを出水の頭をよぎった。誰からだったのか。ぼやぼやとしていて、もう思い出せそうにない。 「…それで、結局どうするんですか？」 「どうするって、なにが？」 「今度の遠征で近界に出水先輩が残るかどうかって」 　唯我の質問は太刀川と国近も気になってたらしく、三人は出水に顔を向け彼の言葉を待っていた。 　頭をかきながら出水は答える。 「あー、そりゃあ残るしかないよな。残らないとみんな殺されるし」 　 　約五年前のあの日は地獄だった。 　家も学校もいきつけのお惣菜屋もスーパーも公園も全て壊された。一面瓦礫の街になって、そこらじゅう死体が転がっていた。 　みんな逃げるのに必死で生きるのに必死で、あの当時は名前を知らなかったモールモッドがブレードで人を真っ二つにしていた。切られそうになった同級生が横を走っていた女子生徒を引っ張って身代わりにした光景を瓦礫に隠れながら目撃していた。勿論身代わりにされた女子生徒は腰から上を飛ばされて赤い液体を撒きながら地面に落ちた。身代わりにした同級生もブレードで首をはねられ、呆気なく死んだ。 　逃げ場などどこにもない。傲慢な生き地獄だった。 　世界の平和への犠牲となったこの街に、もう二度とあんな出来事を繰り返したくなかった。たとえ、人ひとりが消えようと。 　迅に宣告されたとき、出水は自分の気持ちに気付き愕然とした。自分は随分とお人よしだったらしい。 　だからこれくらいなんでもない。 けらりとする様子の出水に痺れを切らしたかのように唯我は両手で彼の襟首掴みかかった。襟首が首元を絞め、出水は息苦しくなる。かまわず唯我は怒り心頭に発し、声を荒上げた。 　 「なんでそんなに平然といられるんですか、出水先輩！あとっ、あと一週間もしない内にここから去るんですよ！ここにはもう居られないんですよ！本当にいいんですかっ、出水先輩！？もう、先輩が大好きなコロッケもみかんも、ゲームして遊ぶことも模擬戦もっ、一生できなくなるかもしれないんですよ！？出水先輩だけじゃないっ、隊長も国近先輩もボクもっ！もう二度と一緒に戦うことが出来なくなるんですよっ！やっとボクも横で戦えるようになってきたのにっ、もう一生戦えなくなるなんてっ、ボクは嫌ですっ、ボクはまだ、まだ一緒にっ」 「唯我、落ち着け。出水が息できなくなる」 　間に割り入り、止めに入った太刀川の言葉に、唯我は息苦しそうにしている相手に気付き手を離した。離された相手はソファに転がりげほげほと咳を繰り返す。国近が駆け寄り、「大丈夫？」と声をかける。コクコクと頷かれると、安心しきったように国近は微笑みを浮かべた。 　一方、先程の威勢はどこにいったのか、唯我は顔を伏せ「スミマセン」と謝った。感情が高まっていたのか、目に涙を浮かべている。 　掠れ声で出水は口に出す。 「いきなり怒ったり謝ったり、どっちなんだよ唯我」 「スミマセン。でも、ボクは」 「いや、わりぃ、わるかったのはおれの方だ。そうだ、これは軽い問題じゃなかった。人ひとりの命がかかっているんだった。けらけらしてたおれが悪い」 　 　正直激情した唯我に驚いていたが、確かに彼の言っている事は正論かもしれないと出水は思った。 　確かにこれは些細な問題なわけがなかったのだ。一人の人間の命がかかっている。二十八万人の命と街の平和のために生け贄になるのと同等のものだ。それはひどく理不尽だ。犯罪を起こしていないのに死刑判決をされるのと同じだ。 　それを出水は忘れていたかもしれない。理不尽な都合を必要なものだと錯覚していたかもしれない。ほぼ毎日死んでいるから、非日常を謳歌しているから、感覚が麻痺していたかもしれない。客観的に見たらおかしい。その事実を唯我はまだ覚えていた。 「…あぁ、そうだな。俺も悪かったかもしれない。悪かったな、唯我」　 　ぼりぼりと頭をかきながら太刀川は詫びの言葉を言った。唯我は驚き、目を白黒させる。間髪いれずに国近も「太刀川さんが謝るなら、わたしも謝らなきゃねー」と律儀に頭を下げて唯我に謝罪した。一方の唯我はたじろき、きょろきょろと見回している。おそらく唯我はしんみりとした空気に戸惑っているだろう。 　体が正常に戻り、ソファから起き上がった出水は「きょろきょろすんな」と唯我の足を蹴った。 とはいえ、実際出水自身もこの空気は苦手だった。 「どうしたんだ、唯我」 「いや、空気が重くて、ど、どうすればいいのか」 　うろたえる唯我に、太刀川は目を丸くしたあと、屈託のない笑みではっはっと笑い声を上げた。 「確かにウチにしんみりとした空気は似合わないな。唯我、おまえの親の会社、どーゆう系？」 「え、どーゆうって」 「ほら、ボウリングとか映画とか、スーパーとか、しょくしゅって言うの、あれ？」 「合ってますよ、太刀川さん」 　『職種』と言いたいのだろう。バイトや就活に普通に使われるところが結構重要なキーワードに違いないのに記憶があやふやで、今後彼の身が心配だ。 　出水の憂いをよそに、太刀川は言葉を続けた。 「そうだ、職種だ、職種。唯我んちの会社はなんだ？」 「職種と言われましても、ボクの家は系列グループで出来ていますからね。ひとつでは言い切れないです」 「けいれつぐるーぷ？」 「本部の連絡順路みたいなモンですよ、太刀川さん。基本は城戸さんで、その下に本部長やら支部長がきて、さらに下に隊員がいろいろ居るでしょ。つまり、いろいろ種類があるってわけです」 「へぇ、それはすごいな」 　本当にそう思っているのかいなや。太刀川は無表情のまま感心した。 　褒められて気持ちよくなったのか、さらに唯我は系列グループの会社の職種を次々と述べた。誰もが知る金融機関から書店、物流センター。いつも使っているスーパーや飲食店など、ＣＭで普通に流れている会社が続々と彼の口から出る。おまけに、新弓手町駅前の大型ショッピングモールセンターも系列グループに関係すると知り、思わず出水は感嘆し、あらためて彼が金持ちの坊ちゃんだと自覚した。だからといって、生意気な後輩だと思う気持ちは変わらないけども。　 　ふむと顎を摩る太刀川は胸を張っている唯我に手を差し伸べた。 「唯我、いま携帯はあるのか？」 「生身の方にありますけど」 「よし。じゃあトリガーオフしていますぐ渡せ」 「え、あっ、ハイ」 　 　まるでかつあげのような口調の命令で唯我はすぐにトリガーオフし、高そうな上着からスマートフォンを取り出し、太刀川に差し出す。 「スマホなのか」と呟きながら受け取ると、太刀川は部屋の隅っこに移動しスマートフォンを操作し、どこかへ電話をかけ始める。 　彼の行動の意図がわからず、出水、国近、唯我は首を傾げる。 　しばらくして電話し終わったらしい太刀川が彼らに向き、うきうきとした様子で告げた。 「これから遊ぶぞ」 　 　いつものようにテレビゲームをして遊ぶのかと思ったがそれはいつも国近からの発案だった。今回は珍しく太刀川が表立っている。だから違うと出水は直ぐに分かった。国近と唯我も分かったのだろう。視線が太刀川に集中していた。 　代表して出水が手を上げ質問をする。 「遊ぶって、主になにをするんですか？」 「そうだなぁ…、とりあえず、外を出よう」 「外に出たら？」 「出たら、駅前のでっかいデパートにいこう。たくさん買って遊ぼう」 「それって、ただのショッピングすよね」 「そうなのか？」 「そうっすよ。それにお金はどうするんですか？おれ、今金欠なんすけど」 「それなら大丈夫だ。貸切は無理だったが、カードは存分に使っていいらしい」 「だれのカードですか？」 「唯我に決まっているだろ」 「ボクのですか？！」 「あっ、分かった～、太刀川さん。電話してたの、唯我くんのお父さんでしょ～～～」 「おっ、正解だ、国近」 　 　声を上げ驚く唯我を気にせず、素直に喜ぶ国近と楽しそうな太刀川の様子にシュールだなと出水は思う。 　それにしても、外で遊ぶと太刀川の口から出るとは驚きと新鮮だった。そんな考えが彼の頭の中にあったのか。まるで知らない普段の顔を知った気分に出水は陥った。 「駅前で遊ぶなら早く動いた方がいいですね」 　テーブルからスマートフォンを取って時間を確認すると、もうすぐ午後六時になろうとしていた。おそらく外は既に日は沈み、空は藍色に染まっているだろう。 「それもそうだな」 　太刀川が頷くのと同時に。各自支度をし始めた。 　結局、太刀川隊は夜九時まで遊び回った。主に、駅前の大型モールで。 　最初は店をぐるぐる回ってみてたが、国近の強い希望により、カードが使えないゲームセンターにも立ち寄って、太鼓ゲーム、格闘ゲーム、ホッケー、クレーンゲーム、カーレース等をした。　そこでやはりというのか、国近が圧倒的強さをみせ、まるで歴戦の猛者のごとく次々と圧勝した。 　勝てないよと弱音を吐く出水に、んふふと特徴的な笑みをしながら国近は余裕を浮かべた。強いな、国近は。まるで子を自慢するように太刀川も笑った。強すぎですよ！嘆く唯我だったが、どこか楽しそうな様子だった。 　出水が巨大な某アニメのぬいぐるみを見つけて、躍起になってクレーンゲームにゼロが四個付く程のお金を使ってなんとか取れたのにもかかわらず、なんで取ったのか議論になったのも記憶に新しい。じゃんけんの結果、唯我が持ち帰る事になった。たった数時間前の出来事である。。 　最終的にフードチェーン店でしかカードを使用していない事を解散する時に太刀川隊は気付いて笑った。 　帰路に着きながら、せっかく美味しいものがタダで食べられるチャンスだったなと出水は後悔するが、それよりも楽しかったという思いが彼の心を支配する。 　思えば、太刀川隊全員で外で遊んだのはこれが初めてかもしれない。年齢も性格もバラバラ。繋がりはボーダーでしかなく、基本作戦室で遊ぶのが常であり、外で遊ぶなんて考えは微塵も浮かばなかった。 　発案者の太刀川は、以前から外で遊びたいと思っていたのだろうか。それとも、声を荒上げた唯我に感化されたのか。疑問が募る。 「――公平？」 　ふいに名前を呼ばれ顔を上げると、暗闇の路地の真ん中で、両手にスーパーの袋を持った母親は立っていた。長いコートを来て高いヒールを履いた母親は、「ちょうどよかったわ」と微笑んでスーパーの袋を持ち上げた。持って欲しいという合図だ。「了解」と出水はスーパーの袋を受け取り、両手に持った。 「ありがと。たすかったわ」 「べつにいいって。それと、わるいんだけど今日ごはんいらない。食べてきた」 「あら、そうなの。お金は？足りた？」 「足りた足りた。たでにボーダーやってないって」 「そういえばお金もらっているんだっけ。すごいわねぇ、ボーダーって」 「おれとしたら普通なんだけど」 「公平はそうかもしれないかもけど、周りから見たらしたらすごいことわよ。あんな得体の知れないのと毎日戦っているんだから」 「そうなのかな」 「そうよ」 　唯我に怒鳴られたときも思った事なのだが、自分自身にとって些細な事は周囲からしたら大きな事なのかもしれない。自分にとって普通の事が他人からしたら喉から手が出るほど望んでいる、羨ましい事なのかもしれない。母親の言うとおり、ボーダーと学校生活を呼吸のように行き来している生活をすごいと思っている人はおそらくいるのだろう。それを出水は実感せずにいる。 　やがて、公園の脇に十二階建てのマンションが現れた。そこの六階が出水の自宅である。 「ただいま」 　自宅の玄関に着くと、つい言ってしまう言葉が出水にはある。 　何故なら帰宅しその言葉を言うと、必ず「おかえり」と優しい言葉が待ってくれているのだ。声の主は出水のおばあちゃんで、足腰が悪いがいつもあたたかく迎えいれてくれ遊んでくれた。 　しかし五年前の侵攻で瓦礫となった自宅の下に生き埋めになり死んでしまった。 「かあさん、これどこに置いとく？」 「台所に閉まっといてくれる？それ、しばらくの間、公平のおかずね」 「わかった」 　 　ガサガサとスーパーの袋を開け、中身を冷蔵物は冷蔵庫に、それ以外は戸棚にしまう。 　出水の家は母親とふたり暮らしで、しょっちゅう母親は仕事で家を空けている。その為、ほぼ出水のひとり暮らし状態だった。しかし、出水は特にさみしい気持ちや不満など特に持っていなかった。ちゃんと生活費、お小遣いは貰えたし、自炊だって普通に出来る。洗濯だって出来た。ただ掃除が出来ない性分で、リビングはなんとか清潔といわれるだろう範囲は保っている筈だ。その代わり、出水の部屋は足の踏み入れ場がない位酷く汚れている。 　出水が作業をしていると、母親がボストンバッグを抱えて奥の部屋からリビングダイビングに現れた。 「かあさん、もう行くの？」 「えぇ、急用が出てきちゃって。しかも今回は遠いとこ」 「へぇ。どこ？」 「カナダ」 「カナダ？！」 　思わず声を張り上げると、母親はさみしそうに笑った。 　「ほんとうは明日から一週間休みの予定だったんだけど、水の泡になっちゃったのよね。世の中難しいわ」 　あまりにも悲しそうに言うので、出水はまるで自分のせいではと錯覚をしてしまった。 そんなことはない。気付けば口走ってており、母親は目を丸くしていた。 「え、あ、えーと」 「ありがと、公平」 　 　嬉しそうに母さんはにこりと微笑み、ポケットから財布を取り出していた。 「しばらく不在になっちゃうから、お金置いとくわね」 「かあさん」 「なに、公平」 「時間、ある？」 「二時間ぐらいならあるけれど、どうしたの？書かなきゃいけない書類でもあるのかしら？」 「いや、そうじゃなくて、大事な話があるんだ」 「･･･なにかしら、公平」 　真面目な表情をすると、怒っているみたいとよく周囲に言われる。頭の隅でそんな事を考えつつ、出水は母親が話を聞いてくれるか危惧したが、それは杞憂に終わった。 　「椅子に座りましょう」と母親の勧めで、物が散乱している食卓机を挟んで対になるように出水は座った。 　それから、出水は自身がしばらく行方不明になる事に加え、理由として記憶封印措置をされる可能性があるボーダー内部事情を隅々まで話した。重要規律違反を犯した。もしかしたら出水が近界に消えた後、ボーダーが母親が内部を知っている事を知り、記憶封印措置をするかもしれない。この記憶が無くなるかも知れない。それでも出水は構わなかった。彼の中で何も伝えずに居なくなるのは許さなかったからだ。どちらにしても親不孝者だが、出水はぽつりぽつりと口にした。母親の顔がしだいに歪むのを目にしながら、出水は止めなかった。 近界遠征三日前の出来事だった。

出水が遠征中に近界に留まってから数年後、遠征部隊となった修と他数人が遠征先の近界で出水と再会する話の始まりです。起承転結の「起」に値します。<br />結末までのプロットは立ててあるのですが、きたる３月４日以降どうなるのかが全くもって予測不能なので投下します。<br />■原作から一年後の設定にしてあります。

おかえり、宇宙飛行士

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〔ご注意〕 本作品は、川原由美子先生作『観用少女（プランツドール）』の世界観をお借りしたパラレルです。 オリキャラが苦手な方 直接ではありませんが、死んだ人の話 心の病を患った人の話 プランツドールをご存知で、その世界観を損ないたくない方（捏造が色々入っています 以上が苦手な方は、申し訳有りませんがブラウザバックでお願いします。 また、麻月は大変小心者ですので、クレームはご勘弁願いますm(_ _)m 以上を踏まえまして、なんでも来い！と言う方のみお願いいたします。 [newpage] [chapter:《彼女のこと　3》] 残された手塚は、と言うと。 柴崎を見て――郁を見て―天井を仰いで。 どっかりと、ソファーに腰を下ろした。 その間も、柴崎は郁をあやしている。まるで赤ん坊をあやすように、抱き締めて軽く揺すりながら。 それが安心できるのか、郁もされるがままだ。 その間も柴崎の口からは愚痴が止まらない。 郁は悪くない。ぜんぜん悪くない。 いくら照れ隠しでもあれは言い逃れの出来ない暴言だ。 乙女心をなんだと思っているの、あの朴念仁！ ふざけんじゃないわよ、そのうち郁に愛想尽かされるんだから！ そのときはあたしんところに来なさいね。大歓迎よ。 …先輩相手に言いたい放題だ。 郁も、些か落ち着いてきたのか、でもまだ感情の揺れが落ち着かないのか、表情がゆらゆらしている。 その表情は、怒りの物ではなく、悲しみの成分で満たされていて…そんな郁の感情を的確に捉えた柴崎は、まっすぐ郁の目を見て言った。 「大丈夫よ、堂上先輩はあんたのこと嫌いになんてならないから。 ううん、なれないのよ」 「…」 「嫌いになって追い出すつもりなら、こんなに軍資金置いていく訳ないじゃない」 そう言って柴崎が見せた中身は、かなりの額が入っていた。 それでもまだ不安げな郁に、柴崎は瞳で綺麗に笑うと。 「さて、出掛けましょうか。 先輩を見返してやるわよ！」 ほら、手塚も！ あたふたしている手塚の背中を押しながら、郁の手を取って。 「とびきりの美女二人をエスコートさせてあげるんだから、光栄に思いなさい」 「自分で美女言うなよ」 「あら、真実には違いないでしょ」 相変わらずのやりとりをする二人を、郁はクスクス笑いながら眺めやった。 そんな郁の表情を見て、手塚も柴崎も、ホッとしたのはお互いの内緒だ。 □■□ 結論から言えば、手塚は受難だった。 まずイメチェン！と言って柴崎が郁を連れて行ったのが柴崎行きつけの美容院だった。 「時間かかるからどこかで時間つぶしてきて」 と申し渡され、時間をつぶすこと一時間強。 再び呼びつけられ、その後は買い物の付き合い、もちろん荷物持ち。 一件行くごとに郁はあか抜けていき、柴崎のセンスと手腕が光る。 元々『少女(ﾌﾟﾗﾝﾂ)』の分、素地はいいのだ。どんどん磨かれ、その横にとびきりの美女がいるのだから、周囲の耳目を集めるのは当然で。 その都度、声をかけようとする輩が増えるため、手塚の気苦労は耐えない。 「金額気にせずに買い物出来るのって楽しいわぁ」 などと言う柴崎の言葉は聞かなかったことにして、その頃には手塚の両手にはショップバックが数個、ぶら下げられることに。 買い物における女性のバイタリティを目の当たりにしながら、手塚は仲良く歩く二人の後をついて回った。 そして、本日二度目の時間つぶしの命令。 「…今度はどこに行くんだよ」 「あんたが入りにくいお店。 一緒に行っても構わないけど、後で堂上先輩に殺されないようにね？」 「…なんだよ、それ」 「ん～？ランジェリーショップ。 有る意味ここが本日の本命なのよね。 さすがの先輩もこればっかりは行き辛いらしくて。 だから、あたしがご指名されたってわけ」 一緒に行く？ 可愛く上目遣いでお伺いを立てる恋人に、不覚にも顔を赤くしながら。 「送っていく。 買い物終わったらまた連絡しろ。店まで迎えにいくから」 「ありがと」 ほっぺにチュッとキスをされ――それを見て真っ赤になった郁と腕を組んで、何事もなかったかのように先導していく柴崎。 …まったく、どこまで行っても勝てないよなぁ。 苦笑いを浮かべて――でもそれがイヤじゃないんだから、どこまで溺れてるんだ、俺。 前を歩く二人のボディーガードを勤めるべく、歩調を合わせて歩き出した。 □■□ 買い物を満喫して、出かける前にあったもやもやした気持ちをどこかに払拭させた二人――少なくとも郁と柴崎はその様子だ――夕刻、堂上宅に帰ると、ドアを開けたそこには堂上その人が仁王立ちにで待っていた。 くっきりと眉間の皺、醸し出す雰囲気はおどろおどろしいもので、郁たちはもちろん、手塚まで一歩後ずさるほどの迫力だった。 「せ、先輩？」 決死の覚悟で、柴崎が出来るだけ可愛く声を掛ける。 こんな時、まず柴崎が先陣を切るのは、度胸からなのか経験値から来るものか。 「…」 堂上黙ったまま一同を見やると、勢いよく動いた。 とっさに郁をかばう柴崎と、柴崎をかばう手塚。 その二人をすり抜けて、堂上はまっすぐ郁の元へ向かった。 「郁」 「…」 黙ったまま見つめ合う二人。 柴崎たちは、固唾を飲んで見守る。 堂上は…両手を広げて、しっかりと郁を包み込んだ。 一瞬、身を竦めた郁だが、堂上の抱擁に戸惑い、柴崎を見て――静かに柴崎が肯いたのを合図に、そっとその広い背中に手を回す。 「俺が悪かった。 他の誰でもない、おまえが大切なんだ。 俺のそばにいてほしい」 「…」 言葉を出せない郁は、ただ肯いて、何度も何度も肯いて。 柴崎と手塚は、アイコンタクトを取ると…そっと部屋を後にした。

連載六話目です。<br /><br />前話のコメントで、麻子さんのところに居着いて堂上さんのところには帰らなくなったりして、という物をいただきまして（ありがとうございます）、そこから妙にイメージが膨らんでしまったお莫迦な麻月ですw<br />それはそれで面白そうだな～とか（苦笑）。<br />機会があったら書いてみたかったりして。<br />取りあえず、今回は帰るバージョンをお届けしますw<br /><br />少しでもあなたのお心に響きましたら…。<br /><br />それと、こっそりマイピクのお誘い。<br />現在連載中の「きみのとなりに」の幕間、幕裏話をマイピクさま用にリリースする予定です。<br />本文に入れるにはくどい？蛇足？的なお話を、自己補完的に書いた物なので、内容は的には読まれなくても進行には問題有りません。<br />話の裏側や隙間にこんな事があったよ、的なお話になります。<br />ブログの方でご覧になられた方（ありがとうございます）にも、一話目以外は未発表作なので、楽しんでいただけるかと…。<br />ご興味のある方は、よろしくお願いいたしますm(_ _)m<br />《詳しくは、プロフィールをご一読の上、お願いいたします》<br /><br />本作品は、川原由美子先生作『観用少女（プランツドール）』の世界観をお借りしたパラレルです。<br /><br />オリキャラが苦手な方<br />直接ではありませんが、死んだ人の話<br />心の病を患った人の話<br />プランツドールをご存知で、その世界観を損ないたくない方<br /><br />以上が駄目な方は、申し訳有りませんがプラウザバックでお願いします。<br /><br />また、麻月は大変小心者ですので、クレームはご勘弁願います(´･ω･`)<br /><br />以上を踏まえまして、なんでも来い！と言われる方のみお願いいたします。<br /><br />ご閲覧、ブクマ、コメント、フォロー、ありがとうございますo(^▽^)o<br />感謝の気持ちで一杯です。<br />この嬉しさを少しでも還元出来れば良いのですが、力量の足りなさを痛感しています。<br />心よりの感謝を込めて…。<br /><br />キャプション、改訂しました。

きみのとなりに　6　（お知らせあります）

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「翠くーん！今日は『流星隊』の活動日なんで帰らないでほしいっスよ！隊長命令っス！」 同じクラスの一員で、ユニットも一緒の南雲鉄虎くんがそう言って俺の右腕を思いっきり掴んだ。南雲くんが悪い人じゃないのは、去年からずっと同じクラスだから、解る。ただ、こういう時の彼の握力は尋常じゃない。手加減、ということを基本的にしない人なのだ。 「ううっ、別に帰らないし…？南雲くん、指めり込んでて、痛い…。離してくれると嬉しいんだけど…。」 「翠くん、最近はやけに素直っスね！つい１ヶ月前くらいまではユニット活動となるとそそくさと逃げ帰りたがってたのに。やっぱ隊長…守沢先輩がいない方が、翠くん的にはやりやすいっスか？」 守沢先輩。 南雲くんからその名前を聞いた俺は、心臓がちくりと針で刺されたみたいに痛んだ。 季節は、春。 俺が夢ノ咲に入学してから、2回目の春。 信じられないことに、俺は2年生になった。間違えてこの学園のアイドル科に入学。なるべく波風たてないでなるべく目立たないように三年間を過ごすしかないと日々憂鬱に生きてきたけれど、なんだかんだで去年一年はあっという間だったかも、と思える速さで過ぎていった。 それもこれも、俺のことをやたら構う…守沢先輩がいたからだ。 無理矢理バスケ部に入部させられ、先輩がリーダーを務める『流星隊』にまで所属させられ、ゴリ押しで一年間活動させられた。 俺が学校や練習をどんなにサボりたがっても家や教室にまで迎えに来るし、最後のほうなんかうちの家族にまで気に入られて普通に家に上がってくるようになり、俺としては迷惑極まりなかった。それでも、守沢先輩は三年生。どんなに長くても一年間の付き合いだから、と我慢は嫌いだけど我慢して、この間の卒業式をもってお別れした。 リーダーである『流星レッド』は、守沢先輩の見立てで南雲くんに引き継がれた。南雲くんが号泣しながら守沢先輩から赤のジャケットを手渡されたときも、俺自身はそこまで『卒業』ということがピンときていなかった。『流星隊』は、リーダーがこうやって入れ替わりながら歴史を繋いできた、成り立ちとしては古い歴史を持つユニットだというのは守沢先輩から何度も聞いている。レッドジャケットの引き継ぎはある種の恒例行事のようなものだ。 ちらりと横目で仙石くんを見ると、彼もまた大きな瞳にめいいっぱいの涙を揺らめかせていた。俺は、こういう時に自分がちょっと嫌になる。悲しいのはわかるけど、守沢先輩や深海先輩と永遠のお別れではないんだろうなぁと思うと、気持ち的にすぅっと冷めてしまうのだ。 その後、守沢先輩と深海先輩は、俺たちのことを一人一人抱きしめてくれた。守沢先輩が俺を抱き締めながら最後に俺にかけた言葉は、今でも俺の心にちゃんと引っかかってはいた。ちゃんと。 『高峯、お前はもう俺がいなくても、立派なヒーローなんだからな…☆』 「…りくん？みーどーりーくん！？」 「っ！！あ、ごめん南雲くん…ちょっと考え事してた。」 うっかり意識を思い出に飛ばして、現実世界の南雲くんの呼びかけを無視してしまっていた。 守沢先輩のことを思い出すと、最近少し上の空になってしまう。 「…うん。守沢先輩がいなくても、俺は…。」 「お、翠くんやる気っスね！俺も隊長と深海先輩がいないから、実はまだ心細いんだけど、翠くんがそう言ってくれると心強くなれるっス。っと、そろそろ時間時間！仙石くんが待ってると思うんで、行くっスよ～！！」 「う、うん…。」 鉄虎くんに手を引かれながら俺は思う。 これは、決して『やる気』なんていう前向きな感情じゃない。 むしろ、その、逆…。 「仙石くん、チィーッス！お待たせしちゃったっスね！」 「鉄虎くん、翠くん、本日も修行でござるよー！それに、拙者忍者であるからして、待つのは得意でござる！…ん、翠くん…？」 レッスン室に入るなり、多分バランス感覚を養う練習(？)をしていた仙石くんが、ギョッと目を見開いてこっちを見た。 「み、翠くん？何かあったでござるか？？え、えっと、もし体調不良であったら拙者の兵糧丸が効くかも…！？えっと、鉄虎くん？何があったか知ってるんでござるか？」 「ん？仙石くん何をそんなに慌ててるんスか？翠くんならさっきま…え？翠くん！？」 駆け寄ってきた仙石くんと、振り返ってきた南雲くんの慌てぶりに、俺はびっくりした。でも、それ以上に自分が一番びっくりしていた。 …涙が、止まらない。 それどころか、自分が一体何がどうしてここまで泣いているのか、自分でもよくわからなかった。 ただただ、ぽとぽとととめどなく溢れてくる。そして、それは止められそうにない。 …あーあ、とうとう、人前でこれをやってしまった。恥ずかしい。鬱だ。帰りたい… 守沢先輩がいなくなってから、こんな感じで自分の感情とは無関係の涙がよく出るようになってしまい、俺は心底困っているのだ。 一番最初は、一学期が始まって一番最初に学校に行きたくなくなった朝。クソ眠くて頭から布団を被ってあと5分だけ…ああでもそんなこと言ってると守沢先輩に何を言ってるんだ高峯！早起きはいいぞ！とかどやされるんだろうなぁ、鬱だ…と思ってるときに母親が発した一言が引き金だった。 『あんたのことを引きずってでも学校に連れてっとくれる先輩はもういないんだからね！？しゃんとしなさい、しゃんと！』 それを聞いた瞬間、ピストルか何かで心臓を撃ち抜かれた気分になった。 「…そっか、守沢先輩はもう、来ないのか。そっか。卒業したから…。」 それは当たり前のことだし、俺はそのことに関して特別何も感じてなかったはず。守沢先輩に邪魔をされない平穏な生活を望んでいた。それがやっと叶った。本当なら嬉しいことのはずだ。 それなのに、その時流れたのは、涙だった。 寝起きの目からこぼれ落ちるのとはわけが違う位の量が、次から次に湧いてくる上に、胸が締め付けられたように苦しい。 「っ…う…。なに、これ…？」 自分でもわけがわからなかった。なんで泣いてるんだ俺？と、こんなに泣いてるのにも関わらず思っていた。心と身体がバラバラになったみたいで、違和感を感じる。でも、何が原因なのかが全くわからない。 ただただ、苦しかった。つらかった。 そして、涙も止まりそうもなかった。 それから俺は、守沢先輩のことを思い出すと度々泣くようになってしまった。鬱病が悪化したのかもしれないと思ったけど、そもそも病院に行くほどでもないとは思ってたし、守沢先輩以外のことではここまで悲しくならない。 守沢先輩のことを思い出す度、生活の中から何かごっそりと抜け落ちてしまったみたいな気持ちになるのだ。部活をやってても、授業中でも、ユニット活動中でも、あの人の『影』はどこにだって現れる。そのくらい、あの人は日常生活に介入してきてたんだろうけど…。 いっそ、記憶から存在を抹消したかった。最初からなかったことになれば、こんなに苦しむことはない。でも、頭をぶんぶん振ろうが俺から守沢先輩の記憶が抜け出ていってくれるのかというとそんなことはなくて、消えないとわかるとまた悲しくなって涙が出てくる。ガキじゃねぇんだから泣きたくなんてないのに、守沢先輩のせいで涙が出てくる。 「ぐすっ……なにもかも…守沢先輩の、せいだ…。」 恥ずかしくて情けなくて、俺はその場にへたり込んで体育座りで顔を膝に埋めた。今回だって、さっき南雲くんと守沢先輩の話をしたからこんなに泣いてしまっているに違いない。人前で泣くのだけは我慢しようと思って俺なりに頑張ってたのに、ついに泣いてしまった。もうこうなってくると恥ずかしいのを通り越して死にたい。 「死にたい、守沢先輩のことをを抹消できないなら、俺は死ぬ……。」 「ちょ、翠くん泣きながら超物騒なこと口走ってるんスけど！？たいちょ…あっ違った、守沢先輩となんかあったんスか？」 「せ、拙者でよければ相談に乗るでござるよ？？隊長殿を闇討ちしてくれ、とか言われたら出来るかどうか怪しいところでごさるが…。」 南雲くんと仙石くんが俺のことを一生懸命に励ましてくれても、俺の涙は止まりそうにない。むしろ、その優しさと暖かさが逆に胸にグサグサ突き刺さってくる。今までそれを俺に与えてくれてたのは、他でもない守沢先輩で、その人がいないことで俺はここまで情緒不安定になっているわけで…。 「なんで一回も会いにきてくれないんですか…俺のこと散々振り回しておいて、ぐすっ、卒業したら連絡の一つもよこさないとか…酷すぎる…っ。」 嗚咽と共に自分の胸の内を吐き出す。もうそうしないと気が狂ってしまいそうだった。 ここで泣いて、南雲くんや仙石くんに迷惑をかけても仕方ないのだ。守沢先輩自身に、俺は責任をとってほしかった。そもそもこんなことになってるのは全部全部守沢先輩のせいなのだ。俺をバスケ部に誘ったのも、流星隊に誘ったのも守沢先輩のくせに、突然いなくなるから…。 身を固くしてうずくまって、レッスン室の入り口を塞いでることに関しても申し訳なさすぎて死にたくなる。多分南雲くんも仙石くんも困ってる。でも俺は動くことができなくて、ただぽたぽたと床を涙で濡らすしかできない。 「翠くん…。隊長殿に、会いたいのでござるね？」 「…仙石くん…。」 「あーもー…翠くん、俺もわかるっスよそれ。隊長もそうなんだけど、大将がいない部活に行くと、俺も思い出しちゃうんスよ。かといって、そんなに頻繁に連絡したりしても、泣くな男だろ！って言われちゃうから、男の中の男を目指すものとしては、辛いところっス…。」 「南雲くんも…。ごめん、二人とも…。」 ところが、二人とも、俺の言葉に同調してくれる。本当にやさしい人たちなのだ。その優しさに今度は感動してじわじわ涙が出てくる。恥ずかしいんだけど、止まらない。俺はいつぶりなんだろうって思うくらい、子供みたいに声も堪えず泣いてしまった。慰めてくれていた南雲くんや仙石くんも、途中から二人して鼻声になっていた。俺は顔を殆どあげてないからよくわからないけど、一緒に泣いてくれてるんだと思う。 「翠くん…隊長殿に連絡はとってないのでござるか…？」 「とってない…無視されたらって思うと、怖い…。」 「ううっ、拙者もそれすごいわかる…。」 「無視は堪えるっスよね…。俺も大将に連絡して、リアクションがなかったら多分死にたくなるっス、死なないけど…。」 「ハァ…だから、どうやって会ったらいいのか、わかんない…。」 俺たちだけであれこれ考えても、何もいい案が出てこない。そもそも、会ったところで何を話す気でいるんだろう、俺は。 立派に成長したつもりでいたけど、俺はまだまだ全然ヒーローになんてなれない。そもそも、ヒーローってなんなのか、よくわからない。名前が翠だから、流星グリーン。高峯翠ってなんだよ。これだって何も名乗りが思い付かない俺に、守沢先輩が考えてくれた案なのに。 家に帰ってからも、今日の悲しみを微妙に引きずったまま、俺は家の手伝いをしていた。結局、今日のユニット活動は俺のせいで休みになってしまった。南雲くんと仙石くんは優しいからお咎めなしで済んだけど、他のユニット…もし俺がKnightsとかにいたら永久追放だったかもしれない。そう考えるとなさけなくてため息しか出なかった。 「翠…珍しいじゃない、あんたが自ら進んで手伝うなんて。母さん嬉しいわぁ。」 「別に…なんかしてないと死にそうなときもたまにあるっていうか…。」 「そう。母さんこれから配達行くから、店番頼んだわよー。何かあったら連絡しなさい。」 母親にまで気味わるがられたけど、今は本当に何かしてるほうが気が紛れた。停滞していると、また守沢先輩にどうしたら会えるのか、そのことばかり考えて悲しくなってしまうから。野菜の陳列や常連客との何気ないやりとりをするのはそれなりに疲れるけど、気持ちが沈んで泣き続けるよりは、いくらかマシだった。 「毎度、ありがとうございました…。」 何人か客を捌いたあと、すこし暇になったので野菜の補充をするために表に出た。補充の手伝いはわりと昔からやらされていて、嫌だったんだけど一番慣れてるのもあって今に限ってはいい休憩になった。今日の特売品はほうれん草とナス。減りが早いのでちょっと他の品物よりは多めに積み込んでいく。 ナス、か。そういえば守沢先輩、ナスが嫌いだったっけ…。 よりによって野菜であの人のことを思い出してしまうのは辛いものがあるけど、あの人はことあるごとにナスが嫌だと口にしていたのでどうしても頭に浮かんでしまう。なんで何も怖いものなさそうな人が、よりによって俺とそれなりに深い関わりのある野菜なんかが弱点なんだろう。 「次もし俺の目の前に現れたら、思いっ切りこのナスでも投げつけてやりたい…。」 つやつやでまんまるく太ったナスを手に取りながら、俺は盛大にため息をつく。やっぱり、俺の思考は守沢先輩からは逃げられないのか。今は泣きたい気持ちにならないだけマシかと、立ち上がって大通りに視線を向けたその時だった。 「えっ、今のって…。」 見覚えのある髪型、背格好の後ろ姿が、俺の10メートル先くらいを通り過ぎていくのが見えた。 多分、守沢先輩。 そう思うや否や、俺は走り出していた。なんでここを歩いてるんだとか、それならどうして声をかけてくれなかったのかとか、そんなことを考える余裕もなかった。 「待ってください！守沢先輩！！」 すぐに手を捕まえてハッとした。 「ん…？誰、モリサワ…？」 違った。守沢先輩に似てるけど、全然別の人だった。先輩は身長がめちゃくちゃでかいわけでも、髪型や髪色が目立つわけでもないから、似た雰囲気の人なんてたくさんいる。よく見たら着ている服の系統とかも多分守沢先輩とは違うし、それ以前に近くで見れば見るほどに全然違う。 「あ…人違いです、スミマセン…。」 「はあ、それなら別にいいんだけど…それじゃ。」 手を離し、守沢先輩とは別の人が去っていく光景をじいっと見ているうちに、視界がぼやけて、ゆらゆらと揺れ始めた。 こんなの、堪えるほうが無理だ。 「う……っ…先輩…。」 今はっきりと思った。俺は、守沢先輩に会いたい。 文句を言ってやりたいとか、寂しいとか、そんなんじゃない。心から、会いたい。 右手にはナスを持ったまま、俺はその場に膝をついて、またしてもポロポロとみっともなく涙を流してしまっていた。心はズタズタだった。でも、そんなことよりも守沢先輩に会いたい気持ちが膨れ上がりすぎて、おかしくなってしまいそうだった。 勝手に期待して、検討が外れただけでここまで泣いてしまうなんてバカのやる事。頭ではわかってても、気持ちがもうついてこなかった。 「会いたい、先輩…会いたいです…。」 会って何をするか、何を話すかなんてどうでもいい。守沢先輩の姿が見えなくて、声が聞こえないと俺はダメになってしまいそうだった。いや、元々ダメだったのが守沢先輩がいたから人間らしくいれて、それを知ってしまってからはもうもとの自分一人に戻ってしまうなんてことができないだけなのかもしれない。とにかく会いたくて、でもどうやったら会えるのかがわからなくて、公道の真ん中であるのも忘れて、俺は顔をぐちゃぐちゃにしながら泣き続けてしまった。 永遠にも思える位の時間だった。 ふと、誰かが頭をぽんぽんと優しく撫でてくれていることに気付く。 「…みどり、どうしたんですか？ころんでけがでも、しましたか…？」 ふわふわとしたその口調は、俺のよく知ってる人のものだった。 「深海、先輩…？」 顔を上げると、卒業したはずの深海先輩がそこに立っていて、優しく俺のほうを見て微笑んでいた。 「さっき、たまたまてとらとしのぶにあいました…。ちあきをさがしてるけど、しらないか？って。あと、みどりがさみしそうにしていると…だから、あいにきました。みどり、だいじょうぶ、ですか？」 なるほど。南雲くんと仙石くんが、深海先輩に俺の様子を伝えたんだ。 深海先輩にたまたま会うというのもすごい話だけど、もしかすると南雲くんか仙石くんが直接かけあってくれたのかもしれない。つまり、あの二人も守沢先輩とは直接連絡がとれてないということでもある。 「深海先輩…ありがとうございます、その気持ちだけで嬉しいです。」 「ふふ、それならよかったです…☆」 やっぱり、先輩の顔が見れるとほっとして、俺の涙も多少はひっこんだ。忙しいだろうに、わざわざ俺のために予定を開けて会いにきてくれた深海先輩に、俺は頭を下げた。 「先輩のおかげで、少し落ち着きました。あの…俺、店番中だったんで、戻ります。先輩はどうしますか？」 そう聞くと、深海先輩はあたりをきょろきょろと見渡して、突然ため息をついた。 「ちあきは、ほんとうにみどりにあいにきてないんですか…？ちあきがいなくなったとたん、なきむしなみどりにもおどろいたのですが…ちあき…。」 「深海先輩、どうしたんですか？もしかして、ちょっと怒ってる…？それに、守沢先輩なら、ほんとうに一回も来てませんよ…。もう俺のことを構っていられる程、暇じゃないんですよ、きっと…。」 何がそんなに気になるのだろう、さっきからしきりに周囲を気にしている深海先輩が、とても気になった。商店街で深海先輩を見かけるのは、とても珍しい。彼もまた、商店街が珍しいのだろうか。そう思ってると、深海先輩はあさっての方向を向き、肩を竦めた。 「みどり、それはたぶんちがいます。みどりとちあきはよくにているから、ぼくにはわかるんです。ちあきも、『ぶきよう』なところがありますから…☆でも、だからこそ、みどりがおもってるいじょうに、ちあきにあうのは、むずかしいのかもしれません…。」 「深海先輩？それってどういう…？守沢先輩と俺は全然似てないっすよ、それに、守沢先輩が不器用って…むっ！？」 反論をまくしたてる俺の唇に、深海先輩がめっ！と叱るみたいに人差し指をあてるから、俺はそれ以上何も喋れなくなってしまった。 深海先輩はにっこりと笑って、言葉を続ける。 「みどりがちあきに『あいたい』なら、みどりがちあきをむかえにいってあげてください…。ちあきもたぶん、みどりに『あいたい』…けれど『あえない』んだとおもいます。ぼくは、ちあきがどこでどうしてるかはわからないですが、ちあきのかんがえてることなら、なんとなくわかります。ちあきは、みどりに『つよくなってほしい』んだとおもいます。でも、ちあきにはみまもるしかできなくて…きっと、ちあきもつらいはずです。ちあきは、みどりのことが『だいすき』なはずですから…☆」 「………。」 考えもしなかった。 守沢先輩もまた、会いたいなんて可能性。 守沢先輩は、別れのあの日、俺に対して『俺がいなくても』と言っていたけど、あれは俺のためじゃなくて、自分にけじめをつけるためだったとしたら…？ううん、あの人の性格ならば、むしろそう考えるほうが自然なはずだった。 「ちあきをさがしにいきますか？みどり。あぁ、でもおみせばんちゅう、でしたね…。おみせばん、ぼくがかわりにしておきます。ばいとだいは、めばちまぐろが、いいです…。」 深海先輩の申し出はありがたかったけど、さすがに家の手伝いを全くの外部の人に押し付けたら家族が怒りそうだ。こんな時に限って親も帰りが遅い。 「うぅ、さすがにそれは…。それにメバチマグロって結構高いですよね、そんなに俺、先輩にバイト代出せるかな…。」 「ぷか、ぷか…。ばいとだいはじょうだんです。いいんです、みどりのなっとくいくまで、さがしてきてください…。ぼくは、ここでふたりをまっています…☆」 俺は、こういう申し出を上手く断れない。後から大変なことになるのがわかっていても、どうしても断れない。バスケ部のときも、流星隊のときもそうだった。でも、それが今はありがたかった。 「深海先輩、あのこれ…何かあったときの俺とここの主人の連絡先です。値段とかわからなかったら、聞いてください。…本当にいいんですか…？」 「いいんです…みどり、がんばってくださいね…♪」 「…はい。それじゃ、よろしくお願いします！」 そう言って俺は、あてもない守沢先輩探しの旅に、夕方の街へと飛び出したのだ。 「おみせばん、おみせばん…☆ちあき、だめですよ、かくれてばかりじゃ…。」 「い、勢いで飛び出してきたけど、本当にどうしよう…。南雲くんと仙石くんには何故か連絡つかないし…？」 全速力で何百メートルも走ったせいで、俺は完全に息が上がっていた。勢いまかせに飛び出てきたから、八百屋高峯のエプロンはつけっぱなしだし、これじゃ夕日に向かってただただ走る熱血野郎だ。 「そもそも守沢先輩って普段何してるんだろう…家…場所知らないし…深海先輩なら知ってるかなぁ、でも俺、番号聞いてない…。」 それでも自分が止められなくて、息もきれぎれになりながら、ただひたすら走った。河川敷、土手、住宅街、繁華街、思い付く限り、先輩の痕跡を探した。俺がもっと守沢先輩のことを在学中に知っていたなら、すんなりと探せたのかもしれない。でも、今そんなことを考えても仕方ない。日本国内にいないとしても、探さなきゃ。 ふと、公園に目がとまる。たまに流星隊の練習でも使っていた、広場とステージがあるタイプの公園。もう５時になるという時間なのに、不思議と子供たちのはしゃぐ声が大きく響いていた。 俺は、ステージのほうをひょいと覗く。するとそこには、全身黒ずくめの怪人らしきものがいて、やんちゃな子供たちの餌食になっていた。 「いまだー！くらえかいじん！正義の味方ケンチャンマンの、ブレイブトルネード！」 「こっちもだ怪人！しょうくんの必殺拳！デュクシデュクシ！」 「…何だ、あれ…？」 思わず口に出てしまった。全身スーツに身を包んだ本格的な怪人は、仁王立ちのまま３人くらいの子供たちから全力の攻撃を受けていた。時々打ち所が悪かったのか、怪人が「グボォ…！」と呻くこともあったが、基本的には反撃もせず、ただ立っているだけ。 「…そういうプレイ？通報したほうがいいのかな…いやでもあんまり関わりたくない…。」 まずいものを見てしまったような気がするけど、不思議と目が離せない。なぜだろう。 「守沢先輩に、似てる…？いやいやでもあの人、正義の味方じゃないから嫌だって理由で辻斬り役断った位だし、怪人なんてやるはずが…。」 それに、さっき別の人を守沢先輩だと勘違いして引き止めてしまった件も微妙に引きずっている。また勘違いで足止めしてしまっては、いくら怪人だろうと迷惑だろう。 「違うとこ、探そうかな…。」 俺が踵を返したその瞬間だった。 鋭い悲鳴が聞こえた。もう一回振り向くと、さっきの怪人が、今度は反撃を開始し始めていた。とは言っても遊んでるようにも見えなくはないけど、ちょっと端から見ていても危険なオーラが漂っている。 どうしよう、これはどう判断したらいいのか。もし遊んでいるんだったらとても余計なお世話だし、でも何か重大な事件になってしまったら大変だ。でも、通報なんてしてしまったら大事になってしまう。 そんな時、ふと、守沢先輩の言葉が頭に響いた。 『お前はもう俺がいなくても、立派なヒーローなんだからな…☆ 』 「そうだ、俺は、ヒーロー…！」 沢山練習もした。やりたくもない稽古も、歌も、全部全部守沢先輩が助けてくれた。 守沢先輩の言うとおり、何かを守るときに使うのが力だというなら、俺のしょうもない力は、まさに今、この時に使うものかもしれない。事を荒立てないで、でもちゃんと誰かを守るための力。 俺がヒーローなら、怪人から子供を助けに行くのは、当然なんだ。 俺は、ステージ目掛けて全速力で走った。どうやら怪人と子供もこちらに気付いたようだ。それでいい。 「くらえ怪人、八百屋高峯謹製、えーっと、まだ技名決まってないけどとりあえず倒れてください！キック！」 その勢いのまま、ステージ奥に吹っ飛ばす気持ちで跳び蹴りを叩き込む。 「ぐぇえええぇぇえっ！！！？」 怪人も見事に３回転くらいしながらステージ後方へと吹っ飛んでいった。手慣れすぎている。たぶんこいつは本物の役者。とりあえずそれがわかっただけでも上出来だ。 「ふぅ…大丈夫？ケガはない？」 俺は、とりあえず子供の安否を確認する。どうやら全員ケガはないみたいだ。 「お兄さん、誰…？」 子供のうちの一人がおずおずと聞くので、俺は一回咳払いをして、こう名乗った。 「…み、緑の炎は慈愛の証。えっと、ゆるキャラとかで皆を癒す。名前が翠だから流星グリーン、高峯、翠…。」 すると、３人とも目を見合わせて、わっと驚いたように駆け寄ってくる。まるで、今まで会いたかったと言わんばかりの瞳で。 「流星グリーン！流星レッドのおともだち！？おともだちなの！？」 「レッドは良くグリーンのおはなしをしてた！グリーンもがんばってるから、お前たちもがんばれーって！」 ちょっと待て、なんでこの子供たちは流星隊のことを知ってるんだろう。面くらってると、一人が、さっき怪人の転がっていったほうを見てこっそりと教えてくれた。 「レッド、今日は怪人の気分なんだって。だから俺たちにやっつけられたくて、１日怪人に徹するんだ～って言ってた！やみおち、って言うんだろ？こういうの！」 まさか、と思って振り向くと、怪人マスクを遠くに吹っ飛ばされたそのアクターが、素顔でこちらを向いた。その顔は、ずっとずっと探していた、まさにあの人だった。 「高峯…乱入してきたときは驚いたぞ。しかも出会い頭に全力の跳び蹴り…いやでも、いいヒーローキックだった…☆」 守沢先輩が、ちょっと困った顔をして、こちらにはにかんでいた。 その笑顔を見たら、今度こそ溢れる涙を堪える事なんてできなかった。視界がぐしゃぐしゃのまま、何故かレッドからいきなり怪人に闇墜ちしてしまった人の元へと、駆け寄る。 抱きしめるその瞬間、世界が全部スローモーションに変わった。懐かしい汗の匂いがする、こちらが抱き止めるのと同じタイミングで、胸倉にぐっと引き寄せてくれる力強さと暖かさ。全部、俺のよく知ってる守沢先輩だった。 「守沢先輩、俺、あんたにずっと会いたかったんです……。大好きです。守沢先輩のことが、好きです…。」 口をついて出た言葉に、自分でもびっくりした。 好きだから、こんなに苦しかったんだ。 好きだから、いなくなったのが悲しくて、失ったさみしさを埋められなくて、溢れる涙を止められなかったんだ。 全部自分の中でひとつに繋がる。わけがわからないんじゃなくて、素直になれなかっただけ。俺は、守沢先輩のことが、ずっとずっと好きだったから、こんなに求めていたんだ…。 離したくなくて思いっきり抱きしめていると、守沢先輩は少し恥ずかしそうにこそっと呟く。 「高峯、その…子供たちがまだ見てるぞ？」 「男の熱い友情だってこんなもんじゃないですか？先輩だってところかまわず抱き締めてきたくせに。それとも俺の『好き』がそういう意味じゃないの、わかってくれたんですか？」 「うっ、まぁ、それはまた追々…。」 「嫌です。また逃げられたら俺、今度こそ立ち直れない…。」 わがままを言ってるのも、守沢先輩も子供たちも困ってるのも、全部わかっていたけど、もうこの人を離したくなくて仕方なかった。 「高峯…じゃあ、ちょっとだけ小芝居に付き合ってくれるか？俺もお前と、少し話がしたい…。そのためにまず、お芝居を終わらせないとな。…子供たちよ！こうして流星レッドはグリーンの助けにより、悪なる手中から逃れることができたのだった！めでたしめでたし！さぁ、もう帰る時間だぞ！はっはっは！じゃあな！」 そう口上を述べた後、小さく、(このまま俺を抱いて飛べ)と呟かれる。飛べってどこに！？と思ったけど、とりあえず守沢先輩をいわゆるお姫さまだっこで担ぎ上げ、俺はステージからひらりと飛び降りる。まさかこんな、公衆の面前でここまで恥ずかしい真似をするなんて思いもしなくて、俺は飛び降りたあと守沢先輩を連れてドーム型のすべりだいの中へとダッシュで逃げ隠れた。外では子供たちの歓声と、よーし！今日も面白かった！帰ろうぜといった声が聞こえ、５分もすると人っ子一人いなくなった。 「はぁ…はぁっ…恥ずかしくて死ぬかと思った、守沢先輩と一緒にいると、恥ずかしい思いばっかりして、鬱だ…。」 狭いドームの中、息も切れ切れに守沢先輩に文句を言いながら、俺は守沢先輩の肩口に顔を埋める。本当に恥ずかしかった。よくよく考えてみればここまでに至るすべてが恥ずかしい。商店街であられもなく泣き、深海先輩に店番を押し付け、怪人に戦いを挑み、守沢先輩には告白して…いつもの俺だったら、途中で自殺したかもしれない。でも、全部勢いでしてしまった。それもこれも、目の前にいる守沢千秋という…鬱陶しくも愛しい存在のせいだ。 「高峯…ごめんな。俺は多分、お前のことを振り回し、挙げ句突き放すような真似をしてしまった。お前たちがいつまでも俺達の影を追わぬよう、影から見守り、口は出さないように、堪えてはいたんだが…さすがに今日、店先で泣いてるお前を見た時は、俺も堪えた。本当に俺の自分勝手な行動で、お前を沢山傷つけてしまったな。こんな俺にヒーローを名乗る資格なんて、ないのかもしれない。」 「…待ってください守沢先輩。どうして今日のことを…？」 守沢先輩の独白に、俺は心底ぎょっとした。あれを、守沢先輩は見ていたというのか。でも、この人が言う通りなら、俺を強くするために敢えて口出しも手出しもしなかったんだろうけど…。深海先輩があのときキョロキョロしていたのは、どこかで守沢先輩の気配を察知していたのかもしれない。なんにせよ、不器用な先輩である。 「見ていた…とくに高峯、お前のことは心配だったから、折を見ては様子を窺っていた…。こういうところがよく気味悪がられるんだよな、俺というやつは。済まない…。」 「いえ、むしろそれ以外の所のほうが気持ち悪いと思うんで…。」 「なっ！高峯、お前にまで気持ち悪いと言われるとは…くっっ。」 泣き真似をする守沢先輩のことを、俺はもうちょっと抱き寄せる。ちょっとだけ傷ついたけど、あれがなければこんなに守沢先輩のことを好きだなんて自分でも気付かなかったかもしれないので、結果的によかったと今なら思える。 「…好きです、守沢先輩…。」 熱いため息を漏らしながら呟くと、守沢先輩はさっきのステージ上での態度と同じように、また身を固くして顔を赤らめる。 「…高峯…、その、好きだとさっきから何度も連呼しているのは、嘘ではないとは思うのだが、その。お前は恋愛感情として、俺に好意を持っているという解釈で間違ってないのか…。さすがにどう答えたらいいのか、判断に迷うな…。」 「先輩は俺のこと、好きかどうかはわかんない感じですかね。嫌ではないんですか？」 「嫌ではないが、緊張はするぞ…。」 ドームに丸く空いた小窓から、守沢先輩の恥ずかしがってる顔と、汗ばんだ首もとがちらちらと赤く照らされ、俺は息を呑んだ。もともとなんでも好きだと自覚すると後戻りできない位好きになっちゃうのに、そんな表情をされたら俺だって色々我慢できそうにない。年上の先輩に図らずも抱いてしまった、『可愛い』という気持ちは、俺を突き動かすのに十分だった。 「嫌なら、嫌って言ってくださいね。」 俺は汗で濡れた首筋のひとしずくを唇で掬い、首のうしろを撫でながら喉元に何度もキスを落とす。 「んっ、ぁ…高峯、そこは…。」 守沢先輩の呼吸が荒く乱れる。無自覚でしてるのだとしたら、この人は危険だ。改めて、誰かに汚される前に手に入れられてよかったと…心から思う。 「せんぱい…キスって、してもいいですか？俺、口でキスしたら、流石にもうタダで帰せる自信、ないですけど。あと、多分先輩も俺のこと好きだって思っちゃう…。」 こんなこと、自分で言ってても恥ずかしい。でも、確かめさせてほしかった。同じ気持ちで好きでいてくれるのかどうかを。 守沢先輩は、恥ずかしいのか左手をずっと顔に当てて、押し黙っている。この人がこんな顔して黙りこくるなんて、本当に予想外だった。どんな時でも明るくて積極的なタイプだと思ってたんだけど、本当は『こっち』が本当の先輩なのかもしれない。でも、拒否しないということは、多分迷ってる。そして、照れてる。 「…そんな顔してたら、背中、押しちゃいますよ…。」 俺のほうが我慢の限界だった。守沢先輩の頑なな左手を柔らかく包み、優しく握って下ろす。俯きながら照れる顔に優しく触れ、少し無理やりだけど唇を奪う。守沢先輩の遠慮がちな吐息と体温が心地よくて、軽いキスを何度も続けてしまう。 「ん、ん、はぁっ、先輩、好き、大好き…ん、ん…。」 「た、か、みね…ふ、う、んっ…。」 「先輩の心臓の音、聞こえる…すごくドキドキしてて、嬉しい…。いっぱい感じて下さい…沢山俺に、ドキドキして下さい…。」 多分もう、守沢先輩は嫌がってない。されるがままになっていた両手が、俺の首にかけられ、優しく引き寄せてくれる。 「何ですか…？ちゃんと言ってください。俺、まだ告白の返事、聞いてないんですけど…？」 すこしイジワルな聞き方をすると、守沢先輩は真っ赤になりながら観念したように、耳元でぽそりと呟いた。 「高峯、俺も…お前が好きだ。」 「はぁ、守沢先輩、本当に可愛かった…もうおれんちで一緒に住みましょう？帰したくない…。」 「高峯…お前は素直になるとそういう懐き方をするのだな、いや、転校生への態度を見てる限りではそんな感じではあったけど、まさか俺がそういう対象に見てもらえるとは…調子が狂うな…。」 あのあと、一時間くらい守沢先輩とあのままいちゃいちゃして、さすがにちょっと寒くなってきたのでそれ以上はまた今度、という感じで、名残惜しくも帰宅することになった。まだ５月の中旬、夜は少し冷える。照れたり恥ずかしがったりする守沢先輩とこのままどうにかなっちゃいたいという気持ちもあったけど、風邪を引くのはよろしくない。 そのかわり、帰り道は手を繋がせてほしいとお願いしたし、俺の家までついてきてほしいとも言った。できるだけ今日は離れたくなくて、沢山ワガママを言ってしまったが、守沢先輩は全部聞いてくれた。 「…高峯、そういえばお前、奏汰に店番をお願いして出てきたと言っていたな？俺が言うのも何だが、アイツは店番をできそうにない。本当に大丈夫だったのか…？」 そう、俺も少し気がかりなのはその点だ。深海先輩に勢いまかせに店番を押し付けてしまったが、本当にそれでよかったのか…？何故か深海先輩からも親からも連絡らしい連絡は一本も入ってきていない。逆に怖い。それなのに俺が守沢先輩と一緒に帰ってきて、本当に大丈夫なのか…それは心から心配だった。南雲くんと仙石くんからも折り返しの連絡もない。守沢先輩と上手くいった代償といえばそうなのかもしれないけど、何かタダでは済まなさそうな、そんな予感がした。 「大丈夫じゃ……ないと思う…鬱だ…死にたい…。」 考えるだけで怖い。でも、家まであと100メートルくらいのところに差し掛かったとき、守沢先輩がにかっと笑う。 「高峯…どうやらお前の予感は『はずれ』みたいだ。見てみろ、お前の家。」 「え、ん？あれ！？」 守沢先輩が指差した先で、とんでもない人だかりができている。あれは間違いなく、八百屋高峯の前だ。みんな目をキラキラさせながら、店の中を見てる…？ のぞき込むと、そこには店番を頼んだはずの深海先輩と、南雲くんと仙石くんがなにやら実演販売風のステージを組んで、パフォーマンスをくり広げていた。 「つぎは、しのぶがもってるきゃべつを、てとらがいっしゅんで、せんぎりにします…☆」 「こ、今晩のおかずの付け合わせに、最適でござるよ～！て、鉄虎くん！いざ尋常に！」 「押忍！任せるっス！千切りは得意分野！」 「な、何をやってるんですかね、あれ？うちの親も何で止めないの…？」 「流星隊は去年の活動で名前を挙げた。それはお前も知ってるだろう？今をときめくアイドルが本物の芸を見せているんだ、店の宣伝効果もあるみたいだな！あっ、高峯のお母さん！ご無沙汰してます、守沢です！」 俺の母親にざっと説明を聞くと、深海先輩はあのあとすぐに南雲くんと仙石くんを呼び出し、親が帰ってくるまでの間の忙しい時間を完璧に捌ききったばかりか、流星隊の八百屋１日体験と銘打って総菜用の野菜をパフォーマンス付きの実演販売でカットしてくれてるのだそうだ。衛生上の問題は全員ちゃんと親が監修したらしいし、お客さんも大喜び。そのうえ突然飛び出した俺に関してもフォローを入れてくれたおかげで、俺自身もそこまで怒られずに済んでしまった。 俺は思わず３人に駆け寄る。その後ろから、ちょっと済まなそうに守沢先輩も顔を出す。 「あ！ちあき！みどり、ちゃんとみつけられたんですね、えらいえらい…☆」 「隊長殿～！久方ぶりでござる！ってわあああぁ！？鉄虎くん、今は堪忍して！」 「どんな時でも男の包丁は唸るっス！押忍！先輩！翠くん、怒りの鉄拳はかませたんっスか？」 わいわいと声をかけてくれる３人に、俺たちは顔を見合わせて笑う。 「跳び蹴りかまして捕まえました。ちょっとスッとしたかも…。」 「すげー翠くん！かっけぇっス！」 「高峯の愛…痛い程に感じたぞ…☆」 駆け寄る際、繋いだ手はこっそり外したけど、何も気づかれてないだろうか。ちょっとドキドキしたけど、３人はそんなことより久々に揃った流星隊が嬉しいみたいで、すごくホッとした。 やっぱり俺、なんだかんだでこの居場所が好きみたい。もっと生きててもいいかなって思う。 守沢先輩にだけ聞こえるような声で、俺はこっそり囁く。 「守沢先輩。」 守沢先輩も気付いてくれて、いつものヒーロースマイルで答える。 「なんだ？高峯？」 「俺のこと、流星隊に入れてくれて、ありがとうございます…大好きです。」 季節は、夏のはじめ。 クソ暑くて、朝からこんなんだから昼からはもっと暑くなるんだろうと思うと鬱で仕方なくて俺は目覚まし時計が鳴るのも構わず布団をかぶる。でも布団をかぶると、暑い…。布団はやめて、枕元に置いてあるゆるキャラの人形にしがみつく。 その瞬間、まるで見張ってたみたいに俺の携帯が鳴る。着信相手は見なくてもわかる。この人の声が聞きたくて鬱も眠気も吹っ飛ぶんだから、恋は偉大かも…って最近は思う。 「もしもし…守沢せんぱい？」 「はっはっは！おはよう高峯！今日も元気か？」 「あんま元気じゃなかったけど、先輩のおかげで元気出ました…。」 「なによりだ！今日は迎えに行かなくても大丈夫そうだな？毎日行ってやりたいのは山々なんだが、今日は仕事だからな…。」 「たまには流星隊にも顔を出して下さいね。というか用がなくても俺には会いに来て下さい。またいちゃいちゃしたい…。」 すると、受話器の向こう側で盛大にむせる音が聞こえた。守沢先輩は少し甘えるとすぐ動揺する。そんなところもまた可愛いなと思うのだけど。 「たっ、高峯！今はまだ朝だぞ！」 「時間帯とか関係あるんですか？はぁ…付き合い始めてもう２ヵ月になるんだから、そろそろキス以外のことも許してくれてもいいと思うんですけど…？」 「ダメだ！それはその…高校卒業まで待ってくれ。」 電話越しでもわかる、守沢先輩の真っ赤な顔を思い浮かべると、そんな約束は果たせそうにないかなぁ…なんて思いつつも、今日のところはこの位で抑えておこうと思った。 「冗談っス。守沢先輩、俺そろそろ起きますね。今日も電話、ありがとうございます。」 「あ、あぁ…冗談か、そうか。うむ！今日も一日頑張るんだ、高峯！」 「はい。…先輩、大好きです。」 わざとたっぷり甘い声で囁いて、俺はそのまま電話を切る。この後守沢先輩はどうするんだろう。真っ赤になって動けなくなってればいいのに。いじめるのが楽しくなってきてる辺り、俺の性癖大丈夫なのかなぁと思うこともあるけど、あの守沢先輩のペースを俺だけが乱せると思うと、ちょっとした優越感も感じるのだ。 前よりも、少しだけ足取りが軽くなって。 前よりも、少しだけだけど生きてることが楽しくなって。 そして、前よりも少しだけ自分のことも嫌いじゃなくなってきた、ここ最近。 「会いたいです、守沢先輩…。」 もうそう思っても、悲しくなったりしない。 会って、伝えたいことが沢山あるんです。 …俺は、ちょっとだけ、強くなりました。 end

※３年生卒業後のねつ造ストーリー　守沢先輩がいなくなってはじめて自分の恋心に気づく翠の話です。ずっと高峯視点でお話が進んでいきます。守沢ロスでことあるごとに涙が止まらなくなる翠ってかわいいなぁという妄想から膨らんだ話なので、高峯が泣きっぱなしです。他、流星隊の面々と捏造高峯母が出てきます。なんというか、みどちあの皮を被った高峯の成長劇っぽい感じでラブストーリーとしてはそこまで甘くないですが少しでも楽しんで頂ければ幸いです…！あとゲーム自体も始めたばかりなのでいろいろ調べたり他の方の創作を読んで勉強してはみたものの色々まちがってたらすみません…　●2/25追記　小説ルーキーランキング50位ありがとうございます！本当に好き放題書いたので読んで頂けている事実だけで有り難いですが嬉しかったです。●3/5追記　ブクマコメありがとうございます( ;∀;)すごくうれしいです♡

【翠千】会いたくなる理由

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※注意：以下の内容を含みます。 ・主人公による殺人表現 ・主人公の死亡表現 ・微勘違い ・刀×オリ主表現 ・オリ主の一人称パートの読みづらさはわざと 上記注意とタグの確認をされぬまま読了された方の、不快感を覚えた等のご意見は受け付けかねます。 [newpage]　薬丸自現流は元々野太刀を振るうために生み出された一刀両断・攻撃こそ最大の防御だぜヒャッハー！　という実践的な流派だ。薬丸自現流でよく知られるのは「キエエエェェェ！」という鶏の悲鳴に似た喝と空をぶっ刺さんばかりに切っ先を掲げる構えだけど、実際のところ知名度はあんまりない。 　その薬丸自現流についてなんで私が知ってるかと言えば近所に道場があり、年に何度か藁人形とかを相手にバッサバッサやるイベントをしてて、それを見に行って覚えた豆知識って奴だ。ぶっちゃけ薬丸自現流なんてどうでも良いし知ってても無駄なばっかりの知識だけど、地域の治安維持に貢献してくれているという某道場の皆さんのやる気のためにとかなんとか母親に言われて毎度見に行かされている。ちなみにうちの母親は町内会長兼ＰＴＡ会長……。めっちゃ口うるさいしケバいし命令口調だしご飯不味いけど、色んな金出してもらってる身だし、そういったイベントの賑やかしには毎回参加してる。 　今回もまた寒い中門徒の皆さんが寒そうな格好で藁を巻いた木をバッサリ斬り落とすのを見て、こんな寒いのにご苦労様ですと労ってんのか呆れてんのか自分でも分からない感想を持って、指先を擦りながら家に帰った。 　門の前に黒いト○タのクラウンが停まって る。お客さんなら車ごと中に入ってもらうはずだし、近所迷惑してんじゃねーよどうしたんだ、と思いながら門を入った。 　と思ったらまさかの強盗とかマジか。オカン簀巻きじゃん。鴨居の野太刀――ご先祖様がなんとかっていう戦争のときになんか凄い剣豪と出会って見所があるとかなんとか褒められてコレやるよって言われたヤツ――をガッと取って強盗相手に構える。えーっとさっきの薬丸自現流ってこう真っ直ぐ天を突くように構えてたよな、確か。掃除のときに上げ下ろししてるから予想外の重さとかそんなのはない、けど、ここからどうすればええねん的な疑問がある。関西人じゃないけど。 　とりあえず左足を引いて敵に振り下ろせばいいはず。左足を引くのはほら、振り下ろしてそのまま自分の左足を切ったらただのバカっていう。 　強盗はオカンにナイフをピタピタやりながら「金庫の場所を教えろ、教えないとどうなっちゃっても知らないぞ」的な脅迫をしてて背中が無防備だ。背中から切ったら武士道がどうこうとかそんなの関係ねえ！　太平洋の平和のため、死に腐れ強盗！ 　足音殺して強盗の後ろに着き、そのまま振り下ろした。肩からばっさり。上がる血飛沫がなんかスプラッタ映画みたいで現実っぽくないし、やっぱ頭がカッカと燃えるようで画面越しみたいな感覚がする。 　あとから考えたらこの時全然正気じゃなかった。警察に通報しろよ、そのスマホはなんのためにあるのさ。それにうちセキュリティー会社と契約してるからすぐ筋肉ムキムキのお兄さんが来るはずだっただろとか、家捜ししてるだろう仲間がいるのを全く考えてなかったこととか。 　まあ鉄パイプで後ろから殴られたよね。当たりどころ悪かったのか頭割れるよね。振り返りながら太刀を掬い上げるように薙いで、そんで、そっから記憶はない。 　人というものは案外丈夫にできていると聞いたけどそんなのは嘘だ。今の私に胸がないのも服を脱げばシックスパックなのも身長が伸びたのも魔夜○央の漫画に出てくる美少年みたいな顔なのも髪型がマライヒなのも腰に大太刀を差してるのも全部ぜーんぶ人間の体が丈夫じゃなかったからだ。もしくは就職してないからだ。 　なんか引っ張られるような感覚がながながと三時間くらいしてやっと着地、目を開けたら目の前に着物を着た若いお兄さんがいて勝手に口が動いて「薬丸、と呼ばれています。薬丸自現流の者から地侍に下げ渡されたことから、地侍がその由来を忘れんがためそう名付けました。どうぞ薬丸とお呼びください」なんて言ってびびった。オカンの開く茶会とかの時でもないと使わないような、ゆったりして雅な感じの口調だ。つーかこの野太刀うちの家の鴨居に挟まれてたやつじゃね？ 　冷静になってみればアレは死んだよなって思うけどさ、実は生きてましたってドッキリくれよっていう。こんなの欲しかった驚きじゃない！　これってあれだ、とうらぶじゃん。 　とうらぶはアンソロジーとネットの二次創作と同人誌しか読んでないし、ゲーム環境ないしシステムとかさっぱり知らないんだけどコレ大丈夫なのか不安しかない。ってかさ、薬丸自現流とかさっぱりなのに戦場で体動くの？　こちとら素人も素人だし戦場に行ってもすぐ重傷、動画サイトで見たように刀剣破壊ですぐ様さようなら決定。 　って風に内心ウヘーってなってたら、ぼんやりと私……私(？)に見とれてた青年、きっと審神者がハッと目を見開いた。 「はじっめまして薬丸さん！　俺はこの本丸の主で、審神者名を稲屋(トウヤ)と言います！　これからよろしくお願いします！」 「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。戦場育ちの無作法者ではございますが、主様のお役に立てるよう精進して参ります所存」 　ゆるりと頭を下げる私というか薬丸。知識として頭に流れ込んでくる薬丸の容姿って、美少年から美青年になりかけの危うい童顔に引き締まった体の、なんていうか早い成長期がきちゃった十五歳っぽくてやばい。身長とか伸びたけど顔はまだ中性的でちょっと少年らしくて、みたいな。良い歳のオジサマが少年愛にコロッといきそうな感じで尻の危険がデンジャー、お止めになって！　アアッ！　みたいな。 　ところで稲屋ってうちの名字と一緒なんだけど、名前の縁とかそんなのなんかな、コレ。 　それから審神者の案内で鍛刀部屋を出て大広間に連れていかれる。どうやら鍛練刀部屋は本丸の普段の居住スペースとは繋がってないみたいで、入り口に回って靴を脱いだ。ざっと見た限りだけど、ここあちこちから生活臭がして良い感じ。 　玄関で靴を脱ぎながら今の私の格好を見下ろせば、左肩に鎧袖と両腕の籠手、軍服なのに色が薄紫っていう間違いなく戦闘向きじゃない色の上下にレースたっぷりのシャツ、ビロードみたいな質感の布を使ったらしき黒色の八センチヒール靴。こいつ戦う気あるのかって勢いで戦場向きじゃない。 　審神者の説明では遠征中の十振りを除く七振りが今本丸の中にいて、合計十七振りがいるんだけど、太刀以上の大きい刀はまだ誰もいないんだとか。鍛刀時間が三時間だし新しい仲間が来るだろうってことで、遠征部隊はデイリー任務とかの都合で遠征に行って、残る面々は広間に集まったらしい。みんな暇人なんだろうか。 　新しい子が来たよ、と障子を引いて審神者が広間に入っていくのを見送る。転校生って呼ばれてから入るものだし、私みたいなお耽美系美少年が審神者の後ろを着いてあるいてみろ、犯罪臭がぷんぷんするじゃん。 「薬丸、入って」 「はい」 　呼ばれて広間に入れば、えーっと平野に五虎退、薬研、前田、秋田、堀川国広、山姥切国広の七振り。入ってすぐのはしっこに腰を下ろして胡座をかき、拳を突いて頭を下げる。ドラマでこんな風に頭下げてる武士いたし。 「薬丸と呼ばれております。戦場育ちゆえ不調法あると存じますが、主様はじめ皆々様の一助となれるようこれから学んでゆきたいと思っております。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」 　六振りにさっと視線をやって、山姥切が体の向きを私の方にずらした。 「この場の刀剣男士を代表し、山姥切国広が返礼する。薬丸殿の参入、歓迎する。我らもまだ他刃を指導できるほどの身とは言い難いが、先に肉体を授かった者として薬丸殿の助けになれるだろう」 　スラスラと動く口に刀剣男士すげーって思ってたら、審神者が目を真ん丸に見開いてポカーンとしてた。え、なんかやった？ 「お、お前らなんでそんな改まった挨拶なんてしてんの!?」 「おかしかいでしょうか」 「いやいや薬丸はまだ来たばっかりで知らないかもしれないけどおかしいおかしくないじゃなくてさ、今までこんな風に挨拶交わしたことないじゃんっていう！」 　なんかこの審神者の言い回しに親近感湧くわー。私の脳内と似た口調だから？ 「主、この本丸には基本的に、初期刀や初鍛刀、初拾得刀に縁のある者ばかりがいる。例外は今剣と青江だが、今剣は二振り目の拾得刀だし青江は四度目の鍛刀で来ている古参だ。受け入れる母体が既にある状態で新たに参入する者とそうでない者では、はじめの挨拶も違ってくるものだ」 「これまでは粟田口が続いて出てきたので、粟田口の中で新刃の面倒を見る役目を負ってきました。しかし薬丸どのは今いるどの刀とも縁のない方ですので」 　山姥切と前田――この二振りが初期刀と初鍛刀かな――が口々に答えるけど、審神者はいまいち分かってない顔してる。 「恐れながら、わたくしからも説明いたします。本丸は長屋、現代で言いますとマンションにございます。大家である主様の紹介で長屋に入った山姥切国広殿と前田藤四郎殿が、お二振りの知己、ご友人や家族である方を連れてきて大家と契約を結びました。家族や友人ですから軽く『家族が増えました』という程度の挨拶で問題ありません。それがこれまでの状態です。 　しかし新たに見知らぬ者が引っ越してくるとなれば、その者は引っ越し蕎麦なり手拭いなりを手土産に挨拶をする必要があるでしょう。ゴミ出しの日はいつかとか、長屋の決まり事について教えていただくためです。 　わたくしはこの身一つで参りました身ゆえ、丁重に挨拶しますことで手土産のない無礼を誤魔化したということです」 「な、なるほど……？」 　だめだこいつ分かってない。私は現代人の常識と薬丸知識を総動員して説明しなおすことにした。 「わたくしは新入生、本丸は学舎です。新入生には在校生の弟が多くいますが、わたくしのように兄弟や知り合いの縁がない生徒も入学いたします。兄のいる者は兄や顔馴染みが面倒を見てくれますが、兄のおらぬわたくしは親切な誰かに学舎のあれこれについて教わる必要がございます。それゆえ、この場におられる先輩方に教導をお願い致しますと挨拶申し上げたのです」 「ははあ、そういうことか。薬丸は説明が上手いな」 「もったいないお言葉」 　ちなみに薬丸知識から『女しかいない家に隣村から若い奴が婿入りしてきて、この村には縁者が誰もいないんで村の男衆の決まりごとを教えてくれとその若いのが頭を下げに来たようなもん』と言うざっくりした説明もあったんだけど、現代人には分かりづらいから止めた。 　審神者はうむうむと一つ頷くと、薬研藤四郎の名を呼んだ。 「おう、なんだい大将」 「薬丸の世話役はお前に任せる。同じ戦場育ちだっていうし名前も薬研と薬丸で似てるし、見た目に反して頼れる男って感じもそっくりだ。親近感を持てる相手のが薬丸も気が楽だろうし、頼めるか？」 「任せてくれ。――薬丸の旦那も俺っちで構わねえな？」 「有り難く思いこそすれ断ろうはずもございません。薬研藤四郎殿、よろしくお願い申し上げます」 　とまあ、こうして私の本丸生活はスタートした。まだギリギリ午前中だったから最初に任された仕事はカップ麺の段ボールと電気ポットを厨から大広間に持っていくこと……って、おかしくね？　さっき本丸にいる刀剣男士の面々を聞いたけど歌仙兼定がいるって言ってたじゃん。なんでご飯作らないのさ。 　不思議に思って聞いてみたら、朝は昨晩の冷ごはんをお茶漬けにして済ませて、昼はインスタント麺とかレトルト、晩はご飯を炊いておかずの宅配と野菜の千切りサラダとかって食生活を送っているそうな。気を付けて野菜を摂ろうとしてるあたり不健康と切り捨てられない……でも寂しくね？　温かいおかず欲しいじゃん。 　ちな、遠征の子には仕出し弁当買ってるらしい。 　というわけで立ち上がったのは私だ。メシマズオカンの代わりに中学入学あたりから厨房に立ち、パンケーキ屋の厨房でバイトしててホットケーキの達人と呼ばれてもいる私の妙技、見るがいい！ 　中にキャベツとトマトとキュウリに卵とソーセージ挟むから砂糖はそんなに入れない。イングリッシュマフィンのパンケーキ版みたいなのを目指す。手間を考えると市販の食パンで作った方が早いことは知ってるけど、焼き立てふっくらなパンケーキのサンドイッチの方が嬉しいじゃん？ 　審神者にお願いしてフライパンとかフライ返しとか小麦粉とかベーキングパウダーとか色々と注文してもらう。二次創作ではよくサニゾンって呼ばれてるけど、実際は通信宅配サービスって名前から単に「宅配」って呼ばれてる夢のなさ。注文から五分後に玄関先に重そうな荷物を抱えた太郎太刀が現れてビビった。 「初めて見る方ですね。私は太郎太刀です」 「どうもご丁寧に、わたくし薬丸と申します。先ほど主様に顕現して頂きました」 　抱えた荷物を下ろそうとする太郎太刀に手を伸ばして荷物を受け取れば、太郎太刀は目を瞬かせて微笑んだ。うっわー美形うっわーパないマジでパないわ。今の自分の顔が赤い自覚ありまくりでちょっと萌えるから今すぐ鏡を見たい。恥じらう顔の薬丸を見たい。――と思ったら玄関に姿見あったわチラ見しよ。 　どこぞの大企業の社長とその愛人(♂)的な、妖しい雰囲気バリバリでヤバい。萌えすぎて見てられないし鼻血出そう。 「この本丸に荷を届ける担当が私で良かった」 「えっ」 「またお会いしましょう。では」 　爆弾発言残して颯爽と去っていった太郎太刀の背中を見送る。え、何？　脈あり？　マジで？　いやあの顔とか性格とか好きだけどさ。 　調理器具とか食料品とか入ってて重いそれを厨に持ってって、手伝ってくれるという前田たち短刀にキャベツを洗ったりパンケーキの生地を作ったりを頼む。包丁は持たせたら怖いし。猫の手を知ってるかどうかさえ分からん相手に一から指導するとかムリ。 　それから最初に出来たのを審神者にあげて、そして短刀に温かいうちに食べてこいと背中を押す。食べ終わった審神者が「作り立てのサンドイッチとか久しぶりに食べたァ！」って泣きながら報告しに来たのに超乙って労りながら山姥切と自分の分作って広間に向かった。 「お待たせいたしました」 「いや、そう待ってはいない」 　九人分だけど短刀が手伝ってくれたし、二十分も待たせてはない。でもまあ挨拶だよ挨拶。ちな、審神者は興奮してパンケーキサンドイッチを口に詰め込んで厨に走ってきたから早かったけど、最初にサンドイッチ持たせて厨を追い出した前田はまだ幸せそうにもぐもぐ食べてる。やっべ、超可愛いやっべ。 　遠征の連中よりいいメシ食ったとにんまりご機嫌な薬研に連れられて畑や厩を回り、馬のいない舎内に笑いながら「まだ一頭しか馬がいなくてな、王馬って馬なんだが。今は遠征の連中が使ってるんだ」「少なくとも戦国の記憶の攻略が始まるまでは内番をしてもらうことになるから、それぞれの場所を忘れないようにな」と言われて首を傾げる。 「この本丸、どこもかしこも新しいだろ？　まだ大将が着任してから四ヶ月しかしてないからみんな練度が低くてな、第一部隊を率いる山姥切の旦那でさえまだ練度が三十七なんだ。そして第一部隊の平均は二十八、これを四十にまで上げられたらこれからが楽になるはずだってんで出陣する面々を制限してるのさ。そして遠征先ごとに練度の合計に下限があってな、第一部隊は第二と第三部隊に分かれて遠征中だ」 「なるほど……」 　本丸に残ってるのが七振りだった理由がわかった。第一部隊が遠征のためにバラけている間、今本丸にいる山姥切以外の六振りが出陣して練度を上げてるんだろう。山姥切は普段どうしてるのかは知らないけど、今回は新刃が来そうだから本丸に残ってた、と。 「わたくし、皆様の今日のご予定を乱してしまったのですね。本来であれば薬研殿たちは出陣しておられたのでしょうに」 「別に薬丸の旦那のせいじゃないだろ。いつ鍛刀されるかは俺っちたちに左右できるものじゃないんだ、気に病むことはない」 　つ、柄まで通されたい！ 　ふっと口の端を上げて背中を叩いてくれた薬研の男らしい言葉にない胸がきゅんっとした。惚れてまうやろー！　なんなんだ、この胸のときめきは！　恋か!?　くそ、なんでここ厩なんだ、雰囲気がないじゃん。もっとムード感溢れる場所で口説いてくれたら恋のプロローグ的な物語が始まるのに。 　厩を離れてゲートって呼ぶより門って呼ぶ感じの正門に向かえば、突然扉が重そうに開いて五振りの刀剣男士が入って来た。仲良く馬に乗った乱と今剣、青江、鯰尾、鳴狐。馬の両脇には冷却材らしき水瓶が二つくくりつけてある。 「第二部隊のお帰りだな。薬丸はこの誰とも面識がないだろう？　挨拶に行くぞ」 「分かりました」 　もちろんアンソロジーとかのお陰で顔と名前は一致するけど面識があるわけじゃない。紹介してくれるというなら有り難くお世話になるとも。 「普段の第一部隊の刃員は山姥切に前田、今剣、小夜左文字、青江、骨喰の六振り。今帰って来たのはその中の二振りを含む五振りだ――俺っちと似た格好をした長髪の短刀が乱藤四郎、天狗のような格好のが今剣。この二振りは馬に乗ってるから分かりやすいな。手綱を引く背の高い長髪の脇差がにっかり青江、馬を挟んだ逆にいる白髪の脇差しが骨喰藤四郎、その隣の頬当を着けて狐のお伴がいる打刀が鳴狐だ」 「ご兄弟が多くいらっしゃるのですね」 「そうだな。お陰で夏の景趣では部屋が暑いのなんの」 「冬なら押しくらまんじゅうができますね」 　そんなことを話してたら、青江や鳴狐に馬から下ろされた乱と今剣がこちらに気付いて目を輝かせた。 「あなた、見たことのない刀ですね！　鍛刀時間三時間の新刃ですか？」 「はい、野太刀の薬丸と申します。これからどうぞよろしくお願いします」 「ぼくは今剣。こちらこそ同じ主に使えるもの同士、仲良くしてくださいね！」 「ええ、有り難うございます」 　今剣を終えれば乱、青江、骨喰、鳴狐の順に挨拶をしていった。青江には今の髪型が似てることからなんか親近感覚えるけど、あのスレスレな発言はちょっと苦手なんで近寄らなくて良いかな……。この五振りは三十分休んだらまた一時間の遠征に出るそうで、あと一時間半したら帰ってくる第三部隊――小夜、厚、鯰尾、宗三、歌仙の五振り――と本丸で合流して第一部隊を作り、午後の演練に参加する予定らしい。 　帰って来た第二部隊の刃員のために何かおやつは作れないか、と薬研に聞かれて悩む。ぶっちゃけ、先に言ってほしかったっていうか、お菓子だよって言ってねるねる○るねとか出したりしちゃダメなんだろーなぁとか。知育菓子だろ、あれで良いじゃん、もう。どうせ審神者以外みんな人体歴半年以下のベーベちゃんたちなんだしさあ。 「今すぐとなると難しいですが、そうですね――第二部隊と第三部隊が揃って帰ってくる頃でしたら用意ができます」 　これでもパンケーキを出す店の厨房で働いてたし、ジャムとか用意すればそれっぽいのを作ることは不可能じゃない。上に乗せるのはラズベリーとかブラックベリーとかのキイチゴとベリーソースに生クリームで良いだろうし、あとは道具を揃えればイケるだろ、きっと。 　そうと決まればまた審神者にアタックして宅配してもらおう。 　第三部隊の面々は本陣に帰還するや、先ず縁側に腰掛け砂埃を落とした。持ち帰った玉鋼と砥石は本丸に控えていた者たちが手分けして鍛刀・手入れ部屋のある離れに運び、第三部隊は先ほどまで背負子が食い込んでいた肩を撫でたり足を振ったりした。 「おかえりーみんな、お疲れ。今日のおやつは凄いよ」 「ただいま、主。前みたいに悪い方に凄いのは嫌だよ」 「んふっふっふ、今回は良い方に凄いから楽しみにしてくれ」 　歌仙のちくりとした一言も当然のことで、以前にこの審神者がやらかしたことは刀剣男士ら――特に歌仙にとって笑えないものだった。甘いシュークリームの中に、一つだけ激辛シュークリームを混ぜるという。パーティー用のお菓子だったらしいが、何の事前情報もなく激辛シュークリームを食べてしまった歌仙は畳の上を転がりまわり舌の痛みに悶えた。 　何も知らされていなかった他の刀剣男士らもまさかシュークリームに毒でも入っていたのかと混乱に陥り、大広間は悲鳴と怒号が溢れた。収拾がつくまでに数振りが軽傷、一振りが中傷、歌仙は重症――怪我ではない――となった。 　と、歌仙は審神者から香る、嗅ぎなれない甘い匂いに気が付いた。先日のシュークリーム騒ぎで嗅いだ匂いに似ているが、それとは少し違うように感じられる。 「甘い匂いがするね。今日のおやつという物の匂いかな」 「ん、本当だ……主、今日のおやつは何？」 　審神者からは歌仙の影になる位置に腰掛けていた小夜左文字も鼻をぴくぴくさせる。そのまた向こう側に座った宗三は私には関係ありません、どうでも良いとばかりに庭を見ているものの、この本丸で一番の甘味好きは彼であり、素直に気になると言えず耳をそばだてているようだ。 　厚らは同じ粟田口に新刃が誰なのか当ててみろと無理難題を言われている。最大のヒントは「前の主の時にも演練でも会ったことがないし刀帳にも載ってない」とはどういうことだ。それを当てられる者がいてたまるか。 「見てのお楽しみ。新しく来てくれた新刃さんが作ってくれてさ、あれはプロだわ。お昼ご飯も作ってくれたんだけどマジで美味かった。もうカップ麺に戻れないわアレ」 　晩飯も作ってくれるって言うから楽しみにしてるんだ、とにこにこ笑顔の審神者に彼らの期待も膨らむ。「そろそろ第二部隊が帰ってくるから迎えてくるわ」と審神者がその場を離れたのを機に、土汚れの目立つ靴を持ち草履で庭から玄関へ回る。ちょうど第二部隊が帰還したらしく正門あたりが騒がしいが、荷運びはまた本丸居残り組がするだろうから歌仙らが出ることはない。軽くはたいたとはいえ埃っぽいだろう外套を脱ぎ、それを下げるためのクロゼットにそれぞれ仕舞っていく。 　手洗いうがいののち大広間に向かえば強くなる甘い匂いに小夜がくぅと腹の虫を鳴らし、宗三は少しだけ歩く速度が上がり厚と鯰尾も競歩しだす。自然と歌仙が最後尾に着く順で大広間につけば、そこには儚い美貌の少年がいた。 　顔の右半分を覆う蜂蜜色の長髪は緩くうねり、髪より濃い色合いの眉は形よく上品なカーブを描く。睫毛は長く豊かに大きな双眸を縁取っており、彼の顔をより一層華やかにしている。すっと通った鼻に小さい口、背は大太刀にしては低いが打刀に埋もれない程度に長身であろう、長く伸びた四肢に座す姿勢も美しく……立ち居振舞いも美しいとくれば、雅を愛する歌仙が初見で彼を嫌おうはずもなかった。 　薬研が世話役として就いたのか、まだ顕現してから半日もしていないはずだというのに薬研へ気心の知れた者へのような視線を向けている。確かに演練でも刀帳でも見た覚えのない刀剣男士だが、載っていないことが不思議なほどの存在感がある。きっと彼は鍛えれば強い。大太刀は範囲攻撃の出来る刀種であることだし、もしやすると審神者は彼を第一部隊に組み込んで行くつもりかもしれない。 　彼の手には皿があり、その皿には淡黄色と狐色の焼き色が鮮やかな円柱状の何かが一枚。斜め前に置かれたホイップクリームをその何かの上に絞り、ボウルからベリーを摘まんでクリームに添える。 「では薬研殿、お願いいたします」 「おうよ」 　少年は三台ある足付きのホットプレートの前に座り、審神者の言っていた「おやつ」を作っているらしい。審神者は上座にて満面の笑みでおやつをパクついているし、近侍の山姥切も桜を降らせながら一口一口味わっている。どうやら出来立てで温かいうちに食べるもののようだ。順を待つ短刀たちの表情の切ないことよ。 　薬研が配膳役らしく膳を前にもぞもぞと待ちきれぬ様子の秋田の前に皿を置いた。満面の笑みで手を合わせ「頂きます！」と声を張り上げる秋田の姿に、厚と鯰尾がまだ順の来ぬらしい前田を捕まえ質問攻めにする。 　そして分かったのは、かの少年の名は薬丸ということ、昼食にと作ってくれたサンドイッチがとても美味であったこと、優しい刃であること、薬研が世話役に選ばれたこと。なんとあの様に貴種の子女を思わせる雰囲気と立ち居振舞いながら、薬丸は戦場育ちの無銘刀だという。 　こちらに気づいたらしい、薬丸が歌仙らに笑みかけた。 「第三部隊の皆さまですね、遠征任務でお疲れになりましたでしょう。順を待っていただきますが、おやつを作っておりますよ」 「よっしゃ！」 「やったー！」 　小夜左文字も気になって仕方ない様子で、兄の袈裟を握り挙動不審になる。 「厚藤四郎、鯰尾藤四郎――おやつの順を賭けてジャンケンしましょう。私たちが勝てば、小夜と私が先におやつを食べる。貴方たちが勝てば貴方たちが先に食べる。どうです？」 「おう、いいぜ」 「絶対に勝ってやりますよ！」 　小夜のためという体面を得た宗三は喜々として袖をまくる。歌仙は普段からこのような争いには参加せずに来たため当然のように除外され、四振りのジャンケンを見守った。鯰尾と小夜が勝ち、そして鯰尾が残った。 　宗三は「私が負けなければまだ可能性があったでしょうに、すみません、小夜……！」と顔を覆う。順は鯰尾、厚、小夜、宗三、歌仙に決まった。 　薬丸は三つのホットプレートで時間をずらし並行して焼いているらしい、思っていたより早く順が来そうだ。セルクルに生地を垂らす姿は熟練のそれで、薬丸の持ち主は現世で洋菓子職人だったのかもしれない。鯰尾の番が回って来よう頃に第二部隊の面々が大広間に現れ、乱と今剣がきゃらきゃら笑いながら薬丸にちょっかいをかけだす。 「このおやつはなんて言うの？」 「パンケーキと申します。とても甘くて柔らかくて、これだけ食べても十分に美味しゅうございます。でも、少し酸味のあるこれらのキイチゴやクリームと共に食べますとまた格別なのですよ」 「ぼくたちの順はあとどれくらいですか？」 「そうですね……。次は第三部隊の皆さまと決まっておりますので、あと十五分ほど待って頂くかと」 　本当に彼は戦場育ちなのだろうか？　ゆったりとした口調は嫌味がなく優しい。そして彼の作ったおやつも、酸味と甘みが手を取り合った複雑な味わいで優しかった。だが。 　大太刀は即戦力にはならぬが練度を上げれば大戦力となる。第一部隊に組み込むため、初めに揃った六振りの次、二組と呼ばれる歌仙たちと部隊を組んで維新の記憶・鳥羽へ。そこで彼らは目にすることになる――狂ったように笑いながら、鶏鳴を上げる薬丸の姿を。ああ、彼はまさに戦場で生まれ、戦場で育ったのだ……。 　戦場はめっちゃ怖くて、なんか怖さが突き抜けると逆に笑えんのね。笑いながら振り下ろしたり笑いながら斬り上げたりしたから、絶対に部隊のメンバーにドン引きされたな、アレ。 　でもばっさり敵を一刀両断にするのは超楽しかった。 次ページは設定。 [newpage]設定 薬丸 　ご先祖様が戦場で薬丸自現流の人に貰った野太刀（大太刀）。銘はない。先祖代々稲屋家の鴨居に飾られ、個人所有では刃を潰さねばならなくなってからも歴代当主らがわざと無視してギンギラ刃を維持していたのを、主人公が強盗を殺人するのに活用。でも主人公はパイプで殴られた当たりが悪く死亡。薬丸は警察に押収され刃を潰された。 　殺されたうちの子が可哀想なので平行世界に飛ばした。可愛い顔して物騒すぎる性格。 オリ主（♀） 　そこらへんの現代っ子に見えて中身はまあまあ物騒。でも薬丸ほどではない。掃除洗濯料理はまあまあ得意で、パンケーキに限ってプロレベル。祖父と両親に弟二人の家庭で、弟をタコ殴りにするのが得意だった。 審神者の稲屋と薬丸 　実は審神者は平行世界のオリ主のひ孫にあたる存在。まあまあ物騒な考え方をしているがオリ主よりはマシ。殺人事件が起きなかったためこの世界の薬丸は刃を潰されることなく、今も稲屋家の鴨居を占領している。そして平行世界から飛ばされてきたオリ主を審神者になったうちの子の本丸に投げ渡した。 　続くとすれば、引退した審神者の刀剣だった宅配の太郎さんとの恋物語が始まるかもしれない。

強盗殺人の被害者が刀剣男士にリリカル変身して戦場で鶏のように鳴く話。<br /><br />25日付DR97位、26日付DR30位／女子人気44位を頂きました。<br />コメントやタグをいつもありがとうございます。

鶏鳴の剣

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「高校一緒だったエミ子、今度結婚するんだって」 とある休日の昼下がり、ちょっと遠出をして 久しぶりに会う高校の同級生とのランチ。 この歳によくある、女子同士の会話。 「まじで⁉︎もしかして！高校のあの彼氏⁉︎」 「あ〜高瀬くんだっけ？『結婚する〜！』って言ってたもんね〜」 「それが！違うらしくて！なんでも職場の先輩らしいよ」 「え〜なーんだ。やっぱ、結局そうなっちゃうのかね」 「高校生の恋愛なんて、恋に恋してるだけだから。結局続かないもんだよね〜」 …そうだろうか。少なくとも、私が知っているあの二人は、そんなことなかったような気がする。 高校の時同じクラスだったあの二人は、本当に静かに、秘めるような恋をしていた。 ———————————————— 松野チョロ松 彼女は、真面目が服を着て歩いているような、そんな生徒。 松野おそ松 彼は、不良という言葉がぴったりな、やんちゃな生徒。 彼らは入学当初から名前が似ているという理由と、この学校には松野が四人いるという理由から有名だった。 俺のクラスには、俺の名前とそっくりな、それでいて正反対の奴がいる。入学初日からたくさんの人に囲まれている俺とは違い、ひとり一番前の席でぽつんと座っている。 (友達いねーのかな？) 第一印象ってほどでもない。本当にただそう思った。 「おーい！おそ松〜！」 クラスの奴に呼ばれた俺の意識は、既に彼女からは逸れていた。 この時俺はこんなにも誰かを好きになるなんて、思ってもみなかった。 君に想いが届くまで。 「おそ松〜！今日帰りカラオケ行かね？」 「おーいいぜー！」 入学して数ヶ月。既にグループが固定した頃、俺はいつもツルんでる奴らと、たったいま今日の放課後遊ぶこととなった。 「おそ松行くの〜？私も行こうかな〜」 「私も私も！」 俺の性格か、俺のツルむタイプからか、こういった派手な女が周りには多く、それでいて昔からこの手のタイプにモテる。それに対して特別思うことはなにもない。こうやって勝手に参加してくることにも、人数は多い方が楽しいから。と特に何も言わずにいれば勝手に話が進んでいく。俺はこうやって今日も、流されるまま生きている。 約束の放課後、仲間と廊下を歩いていると、前方に荷物を抱えた、松野チョロ松が歩いていた。重いのだろう、少しフラつきながらそれでも誰にも頼らない後ろ姿に、その時はなぜか、普段はなんともない良心が疼く。目が反らせないその姿に俺は、見えない思いに背中を押されるまま 「悪りぃ！急用ができた！今日はパス」 「ちょ！おい！おそ松⁉︎」 呼び止める声を無視し走り出した俺は、角に消えていった松野チョロ松を追う。ほんの数十秒で追いついた彼女に、俺は入学してから初めて声をかけた。 「重くねぇ？手伝うよ」 なんだか妙に気恥ずかしくて、返事も聞かぬまま荷物を奪い取る。いきなり現れた俺と、急に荷物を奪われたことに驚きながらも、彼女はしっかり俺の目を見て、 「ありがとう」 と、にっこり笑った。 初めて彼女と喋ったこの日、俺は初めての恋をした。 彼女を好きになったその日から、俺はよく彼女に話しかけるようになった。急に馴れ馴れしく話しかけてくる俺に警戒して、最初はろくに会話も続かず、それでもめげずに声をかけ続けた結果最近では、チョロ松と一番仲がいいのは俺だ。と自負できるくらいになった。 相変わらず背筋を伸ばしてしっかり授業を聞いている。 (ノート取らなくても頭いいとか、やっぱ元々の出来が違うもんなのかね？) そんなチョロ松の後ろ姿を見るためだけに、きちんと授業に出席するようになった。出席しているだけで、勉強している訳ではないけれど。 休み時間、自習時間、お昼時空いている時間があれば、俺が見たもの、体験したことの話をチョロ松に聞かせた。 「昨日の帰り道のことなんだけどさ！学校出てすぐのとこにドブ川あんじゃん？そこでさ〜ユニフォーム着てる奴がすげー勢いで泳いでて！俺二度見しちゃったよ！超びっくり！」 そんなくだらない話にも、楽しそうに笑ってくれるチョロ松は、今日も超絶かわいい。 「チョロ松、今日は放課後遊べる？」 「…ごめんね。今日も無理なの」 さっきの表情とは一変し、本当に申し訳なさそうに謝ってくる。 空いている時間— 放課後を何度誘っても、チョロ松は一度も首を縦に振ってくれたことがなくて。 「チョロ松姉さん、帰るよ」 「あ、一松！ちょっと待って！… ごめんね、おそ松くん。また明日」 そう言って双子の妹と帰っていくチョロ松を見送るのは何度目か…。 「今日もダメだったの〜？」 「ドンマイ！おそ松！」 机に潰れている俺に声をかける外野は、完全にこの状況を楽しんでいるらしい。 腹立つなこの野郎。 こうしてヤジを飛ばされるのももう何度目か。 だが、諦めない！また明日だ！ このセリフも断られた数だけ言っている。 ————————— 体育の授業、体育館をネットで仕切り、男子と女子は柔道と演劇に分かれる。 (かわいいチョロ松はなにをやるのかな？) 好きな人がネットを挟んだ向こう側にいるのだ。手と足はきちんと動かしつつも、意識は完全にネットの向こう側に向いている。ちょうど演劇の通しが始まったらしく、主要メンバーが演技を進めている。 「—どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに…… ごめん！なんだっけ？台詞忘れちゃった！松野さん！ちょっとそこにある台本の台詞読んでくれる？」 言われるまま台本を開いたチョロ松は、黙ったまま動かない。 「松野さん？どうかした？」 すると急に口元を押さえ俯く彼女に、体が自然と動き出す。 「チョロ松、大丈夫か？」 俺よりも先に駆け寄る人物がいた。 「カラ松先生、大丈夫です。ちょっと気持ち悪くなっただけなので」 そう、松野カラ松だ。この高校には四人の松野 松野おそ松 松野チョロ松 松野一松 そしてこの、松野カラ松。 こいつは、俺がチョロ松と仲良くなる前から、ずっと一人でいるチョロ松が妹以外で唯一、自分から話しかけに行く相手だ。 話している二人の間に、何度乱入したか分からない。 「俺はチョロ松を保健室に連れて行く。みんなは劇を続けてくれ」 そう言って、チョロ松を抱え上げ体育館を去っていく姿に、俺の胸はざわついた。 —ガラッ 「チョロ松〜だいじょぶか〜？あれ？先生いねーの？」 「あれ？おそ松くん？わざわざ来てくれたの？ありがとう。先生は会議に行ったよ」 「もう放課後だから、このまま帰るんだろ？送って行こうか？」 「ううん、悪いからいいよ。私の家遠いし。それに、カラ松先生が送ってくれるから」 また、カラ松先生。 体育館を去っていく光景を思い出し、頭に血がのぼっていく。最近ずっとカラ松とチョロ松について考えていた俺は、ついに我慢の限界に達し、チョロ松の腕を掴むと、勢いを殺さずにベッドに押し付けた。 「カラ松先生、カラ松先生って、なに？そんなにあいつのことが好きなの？俺には頼らないくせに、あいつには頼るんだ？でも残念、あいつ彼女いるらしいよ？だから好きになっても無駄。やめとけよ。……っそうだよ！やめとけ。俺の方が、俺の方がお前のこと大事にするし、お前のことだけ好きでいる自信があるよ」 チョロ松、お前が好きなんだ 言った、言ってしまった。 嫉妬している勢いのままの告白は、とても格好悪くて。あぁ、 沈黙が痛い。 「カラ松先生はね、私の従兄弟なの。ほら、苗字同じでしょう？それに、もちろん家族も知ってるわけだから、家も分かる。だから送ってもらうの。確かにカラ松先生は好きだけど、おそ松くんが言ってるような恋愛感情の好きではないよ」 沈黙を破るように届けられた言葉は、俺が考えてもみなかった関係で。そっか、従兄弟だったのね、良かった…。 安心した俺は掴んでいたチョロ松の腕を離して、引き起こす。けれどチョロ松は尚も続けた 「それと、あの、さっきの。…おそ松くんが、私のこと好きって言ってくれたのは凄く、嬉しい。けど、ごめんなさい。きっと、私はおそ松くんが思ってるような人ではないよ」 「そりゃあまだ俺たち会って一年も経ってないから、チョロ松の全部を知ってる訳じゃないし、思ってるのと違うところはあると思うよ？でも、そんなのはこれから知っていけばいいだろ？」 「そうだね。ごめんね、言い方が悪かったかな。…私が、おそ松くんにふさわしくないの。だから、ごめんなさい」 ふさわしくないってなに？俺がお前にふさわしくないって言うなら分かる。でも逆は考えられない。けどそれを聞く勇気はなくて。拒絶の言葉をこれ以上聞きたくなかった俺は、もう何も言えなかった。フられた。その事実に言葉が出ない。胸が苦しい。 「そっか。なんかごめんな？困らせるようなこと言って。じゃあ…えっと、気をつけて帰れよ？」 なんとか絞り出した声は、震えていた。この場から一刻も早く立ち去りたくて、そう告げるとすぐに保健室を出る。 その後ろで、彼女が泣きそうな顔をしていたなんて、気付きもしなかった。 そんな告白の後の日常は、今まで通り。 なんて事にはならなくて。 パタリとチョロ松に話しかけに行かなくなった俺に、周りは不思議そうにしながらも、飽きたのだと勝手に解釈し、何かを言ってくるようなことはなかった。そして俺の生活は、授業にはあまり出席せずたまに参加した日の休み時間は仲間と騒ぐ。そんな不良だった頃の生活に逆戻りしていた。 (フったやつに話しかけられるのも、嫌だろ？) そう心の中で自分を納得させる以外、俺には普通でいられる方法が分からない。 そんな状態がしばらく続いた頃 「松野おそ松って、いる？」 放課後。最近やる気がめっきり出ない俺は、机の上に突っ伏した顔をのっそり上げ、視線を呼ばれた方へと向ける。 (あ。) 知っている。話したことは一度もないが、ドアにもたれかかるように立っているあいつは、一松。そうチョロ松の妹、松野一松が俺を呼んでいた。 チラリとチョロ松の席を見るも、席を外しているのか、見当たらない。 そうしてまた、一松に視線を戻す。『廊下に出ろ』顎を使って言う彼女に、あいつは不良か。という思いを抱きつつ素直に後に続く。人気のない廊下の踊り場に着くと、一松は口を開いた。 「直接話すのは初めてだね、まぁ知ってんでしょ？私は松野チョロ松の双子の妹、一松。単刀直入に言うけどね、あんた、ここ最近姉さんに何か言ったよね？」 「… なんでお前がそんなこと聞くの？」 「私が聞いてるの。質問に答えて。」 「…… 好きだって、俺はチョロ松が好きだよって言った。それだけだ」 「それで？」 「え？」 「それで、フられたから、はい終了。散々自分から話しかけに行ってたくせに、気まずいからって今度は姉さんを無視。すごい自己中心的だね。その程度の気持ちで姉さんに告白したの？ …まあいいや。私が言いたいことは、今後一切姉さんに近づかないで。それだけ」 「なあ。お前にそんなこと言われる筋合い、ある？黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。その程度だと？んなわけねーだろ⁉︎ただ俺は、フったやつにシツコクされたら嫌だろうと思っ(………いや、違う。 チョロ松の為を思ってるつもりで、結局は自分が傷付くのが嫌なだけ。確かにこいつの言う通りだ。その程度と思われても仕方ないのかもしれない)…うん、そうだな」 「そう。分かったのならもうい「ありがとな！俺、目覚めたわ！一回くらいで諦めるなんて俺らしくない！まじサンキュー！」は？ちょ、ちょっと⁉︎」 こうしてはいられない！俺は教室まで廊下をダッシュする。なんだ、一松いい奴じゃん！俺の目を覚ましてくれるなんて！ 「チョロ松！」 戻った放課後の教室は、きっと一松を待っていたのだろうチョロ松一人で。 グッドタイミングだ！勢いのままに思ったことを告げる。 「散々こっちから話しかけてたのに、急に無視してごめん！でも俺、やっぱりチョロ松が好きなのはやめられない。けど、今まで通り俺と話をしてほしい！」 教室には入るやいなや、俺は叫ぶ。振り向いて聞いていたチョロ松は、泣きそうにも嬉しそうにも見える。 「… あんなこと言っといて、すごく図々しいと思われると思う。けど、私もおそ松くんと今まで通り喋りたいよ」 「ま、まじで⁉︎俺、お前に好きって言ってもらえるように頑張るから！あ、何も言わなくていいよ！俺が勝手に頑張るだけだから。…じゃあまたこれからも話しかけていいんだな？」 「ッうん」 ——————————————— (あ〜さみぃ！家帰りたくねぇ〜！！) 冬本番。雪でも降りそうな空を廊下の窓から見上げる。きっと外はここよりもずっと刺すような空気なのだろう。 下駄箱に向かいながら今日よりちょうど二週間前のことを思い出す。 あの日、俺は初めてチョロ松と放課後遊ぶ約束を取り付けた—— 『チョロ松ぅ〜今日も放課後遊べない？よな』 『……いいよ』 『ごめんごめん。分かってるって！気をつけてかえ…………え？ッ今、いいって言った⁉︎え？チョロ松いいって言った⁉︎』 『うん、言った。でも少しだけね』 『ッ全然！全然いいよ！少しでも！ まじか〜やべー超うれし〜！』 『え、じゃあどこ行く？カラオケとか？』 どうしよう！初めてオッケーもらえた！ 『…カラオケはちょっと…』 下がり気味の眉毛を更に下げ、口をへの字にし、チョロ松は泣きそうな顔をする。 (まただ) 最近気づいたけど、チョロ松はよくこういう顔をする。けど毎回、どうしてこんな顔をするのか、なにに対して悲しそうな顔をするのか、自分が言った言葉を思い返してみても、どうしても分からないのだ。 『そっか、別にカラオケじゃなくたっていいんだよ！ん〜そうだなぁ……あ！あそこがいいじゃん！』 「いらっしゃいませ〜」 俺が選んだのは、最近クラスの女子がよく話題にしているカフェ。甘いものが好きなチョロ松にぴったりだと思った。 メニューをチョロ松に渡すと、何故か恐る恐るを開く。 中身を確認すると、ホッとした顔をして、これがいいかな。と桃のタルトの写真を指差した。俺は甘いのがあまり得意ではないから、ガトーショコラを選択し店員を呼ぶ。 「一緒にお飲み物もいかがですか？ケーキとセットで頼むとお得ですよ。セットドリンクはこちらになります」 「だって、チョロ松。この中から選んで」 飲み物が書かれたページを開いて渡す。 するとまた、眉毛を下げる悲しそうなあの顔をした。 「え、えっと…あの、…「すいません！ストレートティーとアールグレイでお願いしまーす」 「かしこまりました〜」 「アールグレイでよかった？チョロ松いつも学校で飲んでるから、好きかなって思ったんだけど」 「う、うんそれで平気。その、ありがとう。」 「いいってことよ！………あのさ、前から聞きたかったんだけど。… チョロ松はさ、さっきメニュー表渡された時したみたいな悲しい顔を、時々するんだ。ねぇ、それってなんで？俺、何か傷つけるようなこと言った？」 「…えっ、と。…え〜？えへへ。なに言ってるの？そんなことないよ！ほら、私って困り眉じゃない？だからそう見えただけだと思うんだよね。よく言われるんだ〜」 「そっ…か。そうだな！ごめんごめん！俺の勘違い！変なこと聞いてごめんな〜。あ！それより昨日さ———」 結局あの後は、誤魔化すように話題を変えた。帰り際には『楽しかった！ありがとう！』と言ってもらえたものの、その後の放課後はまたあの顔をさせてしまうかもしれない、と思うとなかなか誘う勇気が出ないでいた。 (と言っても、話しかけることはやめないけど) 絶対勘違いなんかじゃないと思うんだよなぁ〜 でも話したくないみたいだし。このまま気付かないふりをしていたほうが良いのだろうか。 「あ〜！もう！ウジウジ悩むのは性に合わないんだよっ！」 八つ当たりするように、下駄箱を開ける。 (え。手紙？) — 今日の放課後1-5まで来てください。 教室に入る俺を待っていたのは、見たことない子だった。呼び出された理由は所謂告白で。 『ごめんね、知らないやつに急にこんなこと言われてびっくりしたと思う。おそ松くんが、松野さんのこと好きなのも知ってる。だから別に返事が欲しかった訳じゃない。ただ伝えたかっただけなの』 そう言って彼女が出て行った教室で、俺は一人考える。入学してからずっとチョロ松しか目に入っていなかった俺は、正直自分が告白される可能性があることを、すっかり忘れていた。 伝えたかっただけ。彼女はそう言っていたが、俺には到底できないことだと思った。チョロ松に伝えるだけでは満足できない。俺の事も好きになってもらいたい。自分が告白されたと言うのに、こんな時でもチョロ松のことを真っ先に考えてしまう俺は、もう末期だな。と笑ってしまうのだ。 そんなことがあった次の日。 いつも登校してくるはずの時間になっても、チョロ松の姿が見えない。 心配になり、チョロ松にメールを送る。 —どうした？体調悪いのか？— しばらく待っていても返事がこない。体調不良で寝てるのか？ソワソワして落ち着けない俺は真相を確かめるべく、一松の元へ行こうと廊下に出る。歩いていると丁度向こうから一松が走ってくるのが視界に入った。 「おい！いちま「ねぇ！あんた姉さんに何かしたの⁉︎」 走ってきた勢いのまま俺の胸ぐらを掴み、一松は続ける。 「姉さんが部屋に閉じこもったまま出てこないの！返事もしてくれないし、どうしよう！」 半狂乱になりながら、涙ながらに訴える一松に、今、俺が出来ることは。 「一松。お前の家、連れて行け」 (だいぶ時間かかったな) 結局二人して早退し、向かったチョロ松の家は、学校からかなり遠いところにあった。一松に続いて家の門をくぐり、チョロ松の部屋へ向かう。二階の一室の前に立つ。ここか。 「姉さん？大丈夫？」 一松がノックをするものの、チョロ松からの反応はない。 「チョロ松？おそ松だけど。ここ、開けて？話がしたい」 中にいるチョロ松に聞こえるように声を張る。 「ッ、帰って！」 やっと返ってきた返事は拒絶の言葉。 チョロ松に拒絶されたのに、帰ろうだなんて思えない。 …それはきっと、その声が震えているから。 「一松、ごめん！」 「え？…は？おまっ！え⁉︎まさか」 喋りかけた時には既に、俺は握りしめるドアノブに力を入れていた。 —バキッ 「チョロ松？」 積み上げられたCDを避け、布団を頭から被るようにして丸くなっているチョロ松に近寄る。 「なぁチョロ松。どうした？一松も心配してたぞ？」 しばらくそのまま様子をうかがう。すると、落ち着いてきたのか、観念したのか、被っている布団から顔を出すとベットの横に座っている俺と対面するようにこちらを向いた。 「チョロ松、俺はお前が好きだ。だから、こんなに泣くくらい悩みがあるなら、俺に話してほしい。もっと、俺を頼ってほしい。…お願いだから、一人で泣かないで」 目を潤ませ、悲しそうな顔をしたチョロ松は 「… 話したらきっと、おそ松くんは私から離れていっちゃう。ッ、きっともう、好きだって言ってもらえないっ」 そんなの、 「お前が一番わかってるだろ？俺がしつこいのなんて。離れられるのなら、フられたら時点でとっくに出来てる」 むしろ、日を追うごとにますます好きになっていくばかりだ。 流れる涙はそのままに、顔を下げたチョロ松は、静かな声で話し始めた。 「…。放課後、おそ松くんが誘ってくれても私、毎回断ってたでしょう？それはね、家に帰って、一松とカラ松先生に勉強を手伝ってもらってたから。その日にやった授業をね、もう一回全部読んでもらって、それを録音して、覚えるまで何回も聞くの。………わ、わたしはね、普通の人みたいに黒板をノートに写して、っ教科書を開いて、勉強することができないから。 字がね、………ッ読めないし書けないの。そういう障害で。ッッ話してる言葉はきちんと理解出来るのに！い、いくら読んでも書いてある文字が理解できない！毎日毎日カラ松と一松にも迷惑かけて、ッ…字が読めないのと書けないこと以外、思うことも話せることもみんなと変わらない！っけど！それができないから私は違うの！みんなとは、おそ松くんとはッ違う！！っっ私だって！誰かと一緒に勉強したり、恋だってしたいっ。 …でも、そんな私だからきっと、おそ松くんと付き合っても、迷惑をかけるだけなんだよッ」 どれほど悔しいのか、息を詰まらせながら言ったチョロ松の思いは、俺には分からない。きっと今までずっと辛い思いをしてきたのだろう。想像することしかできない。けど、 「字が読めない、字が書けない。それがどうして俺と付き合えない理由になるの？字が読めないのなら、お前の代わりに俺が読む。字が書けないなら俺がお前の分まで書けばいい！もし、俺に頼りきりになるのが悔しいなら、チョロ松が満足するまで、手伝うから…それに恋愛だって、したいのならすればいい！好きって気持ちは、やめたくてもやめられない。現に！何を聞いても言われても、お前を諦めきれないやつがここにいる！」 「っでも！！それでも！！この先、デートしても映画の字幕は読めないし、ッご飯を食べに行ってもメニューが読めない！それに、「なぁチョロ松。…確かに俺は今話を聞いただけで、お前の大変さを全然理解してあげられてない。だから、今俺が思ってる以上に、苦労することがあるんだと思う。傷つくことだって、傷つけることだってあると思う。でもそれってさ、普通の恋人だって変わらないんじゃないかな？自分の欠点を相手が補う。そんなの、理想の恋人じゃん。…ねぇチョロ松、お前の気持ちを理解したいなんてそんな大層なことは言えない。けど、チョロ松を幸せにしたい気持ちなら、誰にだって、お前にだって負けないよ。」俺の中で唯一誇れるものは、チョロ松への気持ちくらいだ。 「ッッ。…そ、んなの！っわ、わたしだって！ わたしの方が昨日の女の子より、前からずっとずっと！っ… 保健室で告白してくれたとき、すごく嬉しかった！ゆ、ゆめだって思うほどうれしくて、でも同時にこわくて。だから友達のままでいれば、ずっと仲良くできるって！でも！昨日告白されてるところを見ちゃってっ、おそ松くんが誰かのものになっちゃうって思ったら、私のわがままで振ったのに、誰のものにもならないでって、ッそんな、自分が、嫌で、でも、だから〜〜〜っ 私の方がッ！おそ松くんのこと、ッすきだもん〜〜っっ！」 いつも俺の話を聞いてるばかりで、自分のこととか、自分の気持ちをなかなか話してくれないチョロ松が、今こんなに全身で俺への気持ちを伝えてくれている。そんなの、幸せの言葉以外見つからない。 わんわん泣き始めてしまったチョロ松を、腕の中に抱きしめ、俺も一緒に涙を流した。 「チョロ松姉さん寝たの？」 泣き疲れて寝てしまったチョロ松を、ベッドに寝かせ廊下に出ると、一松が泣き腫らした目で座っていた。無事収まるところに収まりました。そう報告すると、そう。と平坦な声で返事をする一松は、その調子のまま続けた。 「昔、一人の女の子がいました。そんな彼女は中学生でその当時、とても仲のいいA子さんという人がいました。A子さんは優しくて、穏やかな人で彼女は学校ではA子さんとよく一緒にいました。 ある日、自分の障害を友達に打ち明ける。そんな事を彼女は言いだしました。『きっとA子は優しいから分かってくれると思うの。私も心からの友達がほしい。』彼女は普段、あまり自分からなにかを欲することがありません。だから、私は彼女を応援することにしました。 打ち明けられたA子は笑って、友達なことに変わりないよ。と言ってくれたそうです。その日から放課後や休日に、彼女は遊びに出掛けるようになりました。とても楽しそうに。 けど、それも長くは続きませんでした。だんだんと遊びに誘われなくなり、誘っても断られることが続いたある日、彼女は勇気を持ってA子さんに聞いてみました。 『えっと。だって、カラオケにも行けないし、ご飯だって、毎回いちいち写真付きのメニューのお店探すのも、大変っていうか。洋画だって観に行けないし。別にあなたのことが嫌いとかじゃなくてね？』——A子の言葉は彼女に刺さりました。やっぱり私は普通じゃなかった、と。 …、その日から彼女は友達を作らず一人でいることに決めました」 おしまい。 …これがいつも彼女、チョロ松姉さんが一人でいる理由。あの学校を選んだのも、万が一にも地元の人間と同じ高校にならないため。それと、あそこには理解者のカラ松がいるから。 きっと、初めて打ち明けた人に、結局は拒絶されたから余計に人に知られるのが、怖いんだと思う。 そう話し終えると、俺を睨み上げるように見つめてくる。 「なぁ一松。チョロ松はさ、頭いいだろ？んでもって、ちょー！かわいい。優しい、さらに気がきく。こんなにいいところだらけなんだ。 これってさ、どう考えても少しくらいのハンデがないと、俺が捨てられちゃうんじゃね？！」 おどけたように言う俺をどう思ったのか。一松はフッと小さく笑うと 「姉さんはきっと、おそ松のそういうところに、惚れたんだろうね」 それだけ言って、彼女は階段を降りていく。その途中で、クルリと振り返り 「そうそう。カラ松のことなんだけどね、なんかチョロ松姉さんとの仲、疑ってたみたいだし一応言っとくね。付き合ってるの私だから」 内緒ね。 トントンッと軽い足取りで降りていく。 固まること数秒 (え⁉︎えー⁉︎) 慌てて俺は一松の後を追った。 ————————————————— 一年生の頃、やんちゃで不良と有名だった彼は正直、二年生で始めて同じクラスになった私には想像できない噂だった。 いつも机に座り、居眠りすることもなく、一生懸命ノートをとっている彼。 そんな松野くんはある日突然授業中に、掌に乗るほどの機械を机の上に置くようになった。 その機械は、外観から年季が入っているものだと分かる。隣の席だった私は、授業のたびに置かれるそれが気になり、その機械がなんなのか、聞いてみたことがあった。 「ん〜？これ？カセットテープ。これで録音してんの」父さんのパクってきた。 そう言って、とても大事そうに撫でる彼。なんのために授業を録音してるかなんて、とても聞けるような雰囲気ではなかった。 その後も彼は授業中に機械を置き続け、そのうち彼の机に乗っている機械に、疑問を持つものはいなくなった。 (しまった。思ったよりも遅くなった) 冬も深まってきた今日この頃。 帰り道の途中、忘れ物をしたことに気づいた私は、急いで引き返して教室までの道を走っていた。 2-2 自分のクラス札が見えた。 ようやく着いた私は、荒れる息を整え教室のドアに手をかける。 (あれ？誰かいる？) ほんの少し漏れ聞こえる声に、ドアにかけた手が自然と止まる。ドアに付いてるガラスから教室内を覗くと、松野さんがイスに座りその机の横に松野くんが膝を立て、何かを話している。 悪いとは思いつつも、私の中の好奇心が顔を出し、聞き耳をたてる。おもむろに松野くんはあれからずっと使い続けている機械を取り出し、机の上に置いた。彼女はそれを手に取り、彼に笑いかける。そんな彼女を見て、…彼は笑い返した。 私は踵を返し、走る。 彼女は確かに、録音機を手に取り『ありがとう』と言っていた。どうしてお礼を言っていたのかは分からない。けどそんな松野さんを見て彼は、見たこともないような真剣な目をしていた。切ないような幸せなような。とにかく見てはいけないものを、見てしまったと思った。神聖な気がしたのだ、二人だけの空間。 だから慌てて折角戻ってきた道をこうしてまた戻っている。 もうすっかり忘れ物のことなんて頭から抜け落ちていた。 うっかり見てしまったあの衝撃的な日以降、私は彼と彼女を無意識に視線で追ってしまう日々を送っていた。今日もまた、いつもと変わらず一緒にいる。静かに落ち着いた恋をする彼ら。その目は高校生の恋愛とは思えないほど、なんと言ったら良いのだろうか。— 決意めいたものを感じる。 彼女は、特定の仲の良い友達を作らず。彼は、呼ばれればみんなとふざける事も、盛り上がることもしていた。けれど、やっぱりいつも戻っていくのは彼女の隣で。 別にクラスの人と仲が悪いとかじゃない。けれど二人の、二人だけの間に流れる優しい空気というのが常に、確かにあって。 三年生になってもそれは変わらず。 結局そのまま卒業し、私の友達の中で二人のその後を知るものはいない。 ——————————— (結構話してたなぁ〜) 「私も、素敵な結婚がしたい！」 そんな誰かの一言に賛同し、お開きとなった女子会は、思いの外盛り上がりを見せた。 冬も深まり、突き刺すような風に吹かれ帰り道を歩く。 冷蔵庫の中身を思い出すと、何もないことに気づいた私は丁度視界に入った、入店したことのないスーパーに流れ込む。 目ぼしいものをカゴに入れていくと背後から懐かしい声が聞こえた。 「あれ？井上？」 呼ばれて振り返った私の視界に入ったのは、 あの頃と変わらない二人。 「覚えてねぇ？俺！松野おそ松！二、三年の時一緒のクラスだった！」 「覚えてるよ。むしろ私のことよく分かったね？…それと、久しぶり松野さん」 「私のこと覚えててくれたの？」 「もちろん。むしろ松野さんが私を覚えててくれたことが嬉しい！」 「俺には何かねーの⁉︎」 久しぶりに会ったとは思えないほど会話が弾んでいる。特別仲がよかったわけではないし、話をしたのだって数えきれる程度だ。それなのにこの二人は私のことを覚えてくれていた。 しかも、私の記憶と違わず、二人を包む空気は優しい。不意に松野さんが髪を耳にかける仕草をしたその手には 「結婚したの？」 すると隣の松野くんが、握っていた松野さんの手を離し、自分の左手を掲げる。 「そう。俺たち結婚したの」 ッおめでとう！高校の時からお似合いだったもんね！ まるで自分のことのように嬉しくなった私は、興奮したまま祝いの言葉を口にした。 (そっか。そっか！結婚したのか！…よかった) あの頃の彼らは、甘く優しい空気の中に確かに少し切なく苦しい空気があったように思う。それが、今は本当にただただ幸せそうで。 なんだか泣きそうだ。 ありがとう。またね！ とてもいいものを見せてもらった。と自然と感謝の言葉が出てしまった別れ際、 「チョロ松、そっちよりこっちの方が数が多く入ってるって」 「あ、ほんと？ありがとう。おそ松」 後ろから、二人のそんな会話が耳に入る。 松野くんの声から、松野さんがとても大切だという気持ちが伝わってくる。それに返す松野さんの声も、同じ響きを含んでいる。 たったこれだけの会話で、幸せな気持ちにさせてくれる二人は、やっぱり私の憧れで。 『私も、素敵な結婚がしたい！』 うん、そうだね。 私もいつか、二人みたいになれる相手が、みつかるといいな。 (私の想いに気が付いて) (俺の想いを受け取って) 君に想いが届くまで。 おわり

※必読※<br /><br />直接名前を出してはいませんが、実際に存在する障害を含んでおります。<br />そういったものを含んだ内容に対し、不快に思われる方はお戻りください。<br /><br />他<br />・チョロ松と一松以外が他人<br />・上記二人が女体化<br />・学生松<br /><br />上記を含みます。<br /><br />先日、テレビでこの障害について目にしました。<br /><br />私は、偏見も差別の気持ちもありません。<br />本編は100%フィクションです。<br /><br />ちゃんとハッピーエンドです。<br /><br />自己責任でお読みください。

私の想いに気が付いて、俺の想いを受け取って

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西住みほは、一流の戦車乗りだ。 　状況を常に冷静に分析し、的確な指示を出す。言葉にするのはとても簡単なことだ。だが、実際はとんでもなく優れたことであり、それを彼女は当たり前のようにこなす。一流と表現したとしても何もおかしくはあるまい。 　しかし、だからといって日常生活でまで冷静であるとは限らない。実際、戦車から降りた彼女は少し、いやかなり、ふわふわした、危なっかしい性格といえるだろう。 　だからこそ、私、逸見エリカは彼女の支えとなる補佐に甘んじ、彼女が存分に戦えるようにするのが役割なのだ。それこそが、自らの使命なのだと。 　そう、思っていたのだ。 ◆◆◆ 「西住みほが、転校する……！？」 　私達黒森峰女学園が、大会優勝十連覇を逃してから、一ヶ月程たったころだろうか。訓練の後に西住まほ隊長に呼び出され、そう告げられた。 「ああ…おそらく、みほが戦車に乗ることも、もう無いだろう」 　一体どういうことだ、それは。確かに彼女は大会での一件以来、ほとんど授業にも出ず、訓練の参加にいたっては皆無だった。私も、彼女をよく知る友人として心を痛めていた。 　しかし、私は信じていたのだ。「彼女なら立ち直り、来年こそ、黒森峰を栄光へと導いてくれるはずだ」と。 　それなのに、転校する？しかも、もう戦車に乗ることはない、だって？そんなことを受け入れられるほど、私は物わかりも、諦めもよくない。 　 「お言葉ですが、決勝戦での一件についての処分だとするなら、余りにも過剰です！彼女なら来年こそは……！｣ 　声を荒げて隊長に反論する。平常なら絶対しないであろうが、今回ばかりは話が別である。 「いや、根本的な理由は、別にあるんだ、エリカ」 「別に…？」 　反射的に問い返す。彼女は優秀だ。そんな彼女に、なにか咎められるような点などあるはずがない。 「みほは…優しすぎる」 「優し、すぎる……？」 　どういう意味なのか。確かに彼女は甘いが、それも彼女の強さの一つであるはずだ。 「エリカ、西住流の戦い方は知っているな」 「は、はい、『撃てば必中、護りは硬く、進む姿は乱れなし』あらゆる犠牲を払ってでも、相手を蹂躙し、殲滅するのが西住流と……」 　淀みなく答える。これくらいは、当然の知識だ。 「そうだ、だが、みほはその『犠牲を払う』ということが出来ない。つまり、厳密には西住流ではない」 　そう言われると、頷くしかないが…だからといって、それだけで転校に繋がるとは思えない。 「もちろん、みほの戦車道だ、みほがどう戦おうとも、それはあの子の自由だと、私は考えている」 「だが、ここ黒森峰は、西住流のような戦術を絶対とする学園だ」 「みほは、自分がやりたい戦車道を、ここですることは出来ない」 「し、しかし、従来の戦術とみほの戦術、その二つを組み合わせることも可能なはずです！」 　そうだ。いくら伝統ある黒森峰女学園の戦術といえ、何の変化もないなんてことは無い。つまり、まだやりようはあるはず、転校する必要など無いはずなのだ。 「それは無理だ」 「何故ですか…！」 　隊長は即答する。 　そもそも、ここでできなくとも他校でまで出来ない理由とはなんなのか。 「それは、みほが『西住』だからだ」 「……西住流として、みほが邪道である戦術を続けることを認めることは、できないんだ」 「そんな……」 「もし、押し通すのであれば、おそらく家元も勘当せざるを得ないだろう」 「今までもその事は水面下で問題になっていたが、今回の一件が引きがねになってしまったのだろうな…」 　そうか、それで彼女は、戦車から離れる事を選んだという訳か。それならば、仕方ない、のかもしれない。彼女は、家族との関係の存続と戦車道、その二つを天秤にかけたのだ。 「エリカ、お前に頼みたい事がある」 　 「…なんでしょうか」 　なんだろうか、正直いくら隊長の頼みとはいえ、今はろくに考えが及びそうもない。 「……いや、なんでもない。ただ、よかったらみほのところに行ってやってくれ。『西住』の私では、話せない事もあるだろうからな……」 「わかり、ました…」 　その後どう動いたのかよく覚えていない。だが、気付いたら自室にいた私はそのままベッドへと倒れ込み、ふたたび意識を手放した。 [newpage] 　あれから、授業にも訓練にも、全くもって集中出来ない。先程など、通いなれているはずの帰り道でさえ間違えるところだったレベルだ。やはり、隊長から伺った話の衝撃は、大きすぎた。 なにが「西住みほの支えとなる」だ。彼女が悩んでいると気付かず、なんの相談に乗ってやることも出来なかった。一度たりとも、相談に…… 　　……待てよ、よくよく考えたら、私は一回たりとも彼女に何か相談されたことはなかった気がする。作戦を決定するにあたってのミーティングなどを行ったことはあったが、個人的な悩みに関しては無い。 　というよりも、彼女が誰かに重要な事を頼ろうとしている所を、見た事が無い。 　ということはなんだ。彼女は、逸見エリカでは相談相手足りえないとでも思っていたということか？全部独りで解決するべきだ、とでも？ 　 　「なによ…自分一人で全部抱え込んで……！」 　そう呟き、私は目的地を自室から変更する。なんだか道行く人から妙な視線を感じるが、そんなものを気にしている場合ではない。 　先程までの後悔の念はどこへやら、私の頭の中は憤りのよう感情で埋め尽くされていた。 「今から部屋に乗り込んでやる……覚悟してなさい！」 　忘れていたが、隊長からも会ってほしいと頼まれていたのだ。行かない理由の方が最早ないだろう。 　そうして私は、みほの部屋への突撃を決定した。 　 ◆◆◆ 　 　彼女の部屋は、私の暮らす寮とは少し離れた地点にあり、徒歩で十分ほどかかる。だが、所詮は十分だ。大した時間ではなく、あっという間に彼女の部屋に着いた。 　……さすがに押しかける身だ。途中、たまたま見つけた、洋菓子店で手土産くらいは用意したが。 「いるんでしょう？エリカよ。開けてくれない？」 　彼女の部屋のドアベルを鳴らし、問いかける。 「…………」 　まあ、すんなり開けてはくれないだろうことは、想定していた。 「……お願いだから開けてくれないかしら、話があるのよ」 「………………」 「……そう、あくまでも居留守をするつもりなのね。だったらこちらも強行策に…！ 「エリカさん、どうしたの？」…………え？」 　 　振り返ると、西住みほが立っていた。 　どういうことだ、彼女は今部屋の中で居留守を決めこんでいるはず、一瞬で背後に回ったとでも？？ 「どうしてあなたがそこにいるのよ……」 「いや、買い物から帰ってきたら、エリカさんが家の前にいたから声をかけたんだけど……」 　買い物帰りらしい。よく見れば、彼女はコンビニの袋をぶら下げている。 　つまり、私は一人で勝手に話してただけ……！？ 「……あなたに話があって来たの。あがらせてもらっても構わないかしら」 　急いでいつものペースを取り繕う。出鼻をくじかれはしたが、本当に今日は話があるのだ。ここで時間を取られるわけにはいかない。 「…うん、いいよ。あがって」 「ええ、おじゃまするわ」 ◆◆◆ 　彼女の部屋は小奇麗に片付けられていて、所々にファンシーな小物が置いてある、いわゆる「女子高生らしい部屋」だ。唯一違うのは、怪我をしたクマのぬいぐるみ（ボコというらしい）がやたら多いところか。 　そんな部屋の中心の丸テーブルの横に、いつものように座る。作戦会議などはよくここでしたから、慣れたものだ。 「ああ、これ、一応手土産よ」 　そう言って、菓子が入った袋を手渡す。 「わぁ、ありがとうエリカさん。マカロンだー」 　なんというか、思っていたよりも普通だ。てっきり目からハイライトが消え去る位のものは想像していたのだが…… 「それで、話っていうのはね……」 「……うん、わかってるよ、エリカさん。転校の事、だよね」 　私の発言を遮るかのように、彼女から言葉が発せられる。彼女の顔にも、突然、影が差す。 　どうやら、今までのは気丈に振舞っていただけのようらしい。 「本当に、ここを離れるの？」 「うん」 「……戦車道もやめるって聞いたのだけど」 「………うん」 「そう、なの……」 　沈黙が、場を支配する。 　一言どころか矢継ぎ早に文句を浴びせるくらいの気位で来たのだが、彼女からはっきりと答えられると、言葉が出なくなってしまった。 「……戦車道よりも、家族を優先した。誰も責められる事でもないし、むしろ当然の事だと思うわ」 「……ううん、違うの、エリカさん」 　彼女が、絞り出すように声を発する。違う、とはどういうことだろうか。 「違う？他に何か理由があるの？」 「…怖く、なっちゃったの……」 「……怖い？」 　私は聞いていなかった単語に、訝しげな声を返す。 「今回は誰も怪我人が出ずに済んだけれど、もし、私の立てた作戦のせいで、誰かが、これから怪我したり、もしかしたら、死んじゃったりしたら、って………思ったら…急に……怖く、なって………！」 　彼女はみるみる涙声になっていき、終いには言葉も出せなくなってしまった。 　……隊長が言っていた「優しすぎる」とは、このことか。 　戦車道は、戦車に乗って行う競技である。特殊なカーボンが有るとはいえ、怪我のおそれは完全には拭えない。 　彼女は走行不能に陥った戦車にも、状態確認よりも安全確認を真っ先に行っていた。そんな蓄積されていた不安が、今回の一件で爆発してしまった、というわけだろう。 　彼女は恐れてしまったのだ。戦車に乗るという事、それを指揮するという事を。 　それ程の不安を、たった一人でずっと抱え込んでいたというのか。 「そんなに悩んでるなら、なんで何も言ってくれないのよ……！」 「でも…」 　何やら彼女が言い訳しようとしているが、悪いが、聞く気は無い。それを遮って言葉を発する。 「なに？怖じ気付いた事、責められるとでも思った？だとしたら、私も随分と甘く見られたものね」 「あなたが戦車乗ってる時以外頼りないのなんて、十分、知ってるわよ」 「だからこそ、戦車の外での悩み事や不安な事は、人に頼って、協力して、取り組んでいくべきでしょう！」 「もっと、私を頼りなさいよ！」 　ここまで一気に捲し立ててしまったが、彼女は黙ったままだ。 　 　もしや、やってしまったかと、内心心配になっていると、彼女は突然こちらに近づいてきて、ポスッという音を立てて抱きついてきた。 「な、なに、どうしたのよ」 「………」 　こういう時のだんまりは本当にやめてほしい。 「……なんか、言いなさいよ」 「……お願い、もう少しだけ、このままでいさせて」 「……そう」 　何がなんだかわからなかったが、振りほどく気には、まったくならない。しばらくはされるがままにされてやろう。 ◆◆◆ 　二十分位たった頃だろうか、彼女はふいに体を少し離し、上目遣いにこちらを見ながら言った。 「……ごめんなさい、エリカさん。相談、出来なくて」 「……そうね、わかれば、いいわ」 　落ち着いたのか、彼女は元の体勢に戻り、佇まいを正す。 　完全に、決心はついたようだ。 「じゃあ、もう一回、改めて聞くけど、本当にやめるって、決めたのね？」 「うん」 「その決断に、迷いは無いのね？｣ 「……うん。もしかしたら、いつか後悔するかもしれない。でも、今迷いはしてない、それは、確かだよ」 「……なら、私からは何も言うことは無い、わね」 　彼女が自分を見据え、しっかりと考え抜いた答えだ。初めの問いかけの時のように、追い詰められたような心境でなく、私に全部ぶつけてから決めたのだ。一体、誰が邪魔できようか。 「…あーあ、来年は私一人で色々やらなきゃいけないのねー、大変だわー」 「ふふっ、お姉ちゃんは口下手だから」 「全体への指示出すのは私たちの役目だったからね……ここだけは部隊数多いのがイヤになるわ……」 「サンダース程じゃ、無いけどね」 「それもそうね」 　それからは、とりとめもない雑談を続けた。戦車のことから、スイーツの事まで、色々と。私が愚痴や軽口を言って、彼女がそれに返す。いつもの会話。そんな、いつも通りの日常を。 「あ、もうこんな時間……悪いけど、そろそろ私、帰らなくちゃ」 「うん……明日も早いもんね」 　名残惜しそうに言う彼女。…いや、それは自分も同じだろう。玄関先まで歩き、靴を履く。その動作でさえ、酷く緩慢な動きになってしまう。 「それじゃ、おやすみなさい」 「うん、おやすみ、エリカさん」 　そうして私は、帰り路への歩みを進めた。 [newpage] 　彼女との話し合いから数日が経ち、ついに、彼女がここを去る日付となった。 　今は隊長と一緒に、荷物を運搬するためのヘリ待ちだったのだが…… 「隊長、お聞きしたいことが有るのですが、よろしいですか」 「どうした、エリカ」 「何故、ヘリのパイロットが私に鍵を渡して、何処かへ行ってしまったのでしょうか」 「ん？言っていなかったか？運転するのはお前だ、エリカ」 　 　……は？ 「この間免許を取っていただろう。それなら丁度いいと思ってな、何か不満か？」 「いえ、そんなことは……」 　「よろしくね、エリカさん」 　嵌められた……姉妹そろってニコニコしているその様子を見ればすぐにそう分かってしまう。 　まあ、こうなっては、仕方あるまい。 「ほら、荷物乗せるから、かしなさい」 　そういって彼女へと手を差し出す。 　 「はい、エリカさん」 ◆◆◆ 「隊長、それでは行ってまいります」 　荷物の積み込みも終え、隊長に声をかける。 「ああ頼んだぞ、エリカ」 「……みほ！」 　 　出発が近づいた時、隊長が彼女へと呼びかける。 「自由に生きてこい！」 「……うん！」 　短いやりとりの後、隊長の姿も、段々と見えなくなっていった。 ◆◆◆ 　それから陸地への僅かな間、私たちは特に言葉を交わすことも無く、ただ静かに過ごした。 　だが、同じ沈黙でも、この間の彼女の部屋での時のようなものでは無い。 　お互いに、どこか満ち足りた気分を感じる、静寂だった。 ◆◆◆ 　何事もなく着陸も済み、彼女の荷物も降ろし終えても、しばらく私は彼女と並んで立っていた。 　そんな中、静寂を破ったのは、彼女だった。 「エリカさん、ありがとう」 「なにがよ」 「色々全部、かな」 「あっそ……どういたしまして」 「うん…それじゃあ、行くね」 「ええ」 　彼女は荷物を持ち、駅の方へと歩きだそうとする。 　……すべて言いたいことは言ったつもりでいたが、本当にそうだろうかという疑念が湧いてくる。何か言うべきことがあったのでは、と。 「……あなたがいなくても、別に何も支障はないから！」 「プラウダだって、私たちの力で叩き潰してやるし、優勝だって取り返す！せいぜい、決勝の中継を楽しみにしておくことね！」 「だから、あなたはなんにも心配しないで、のんきに女子高生してなさい！」 「ぜーんぶ、私が取って代わってやるからね！みほ！」 　 　ああ、私は何をこんな時にまで嫌な言い方をしているのか。まあ、私たちらしいといえば、そうかもしれないけれど。 　彼女は振り返ってから、一瞬驚いた顔をしていたけど、すぐにいつものふわふわした笑顔を浮かべて、 「…うん、ありがとう！エリカさん！」 そう言ってから、歩いていった。 「行った、のね………」 「さーてと！早く戻らないと！やらなきゃいけないことは沢山あるんだから！」 　そう呟いた後、操縦席へと乗り込み、エンジンに火を入れ、私は再び大空へと飛び立った。 「……これが今生の別れってわけでもないんだから」 「だから、別に、なんともないわよ……何も………」 「……別に、悲しく、なんて………！」 　 　滲む視界の中、しばらくの間、誰に対するわけでもない言い訳を、私は続けた。 ◆◆◆ 　ようやく平常へと戻ったころ、丁度ヘリも帰還するところだった。 「おかえり、エリカ。ご苦労だった」 　隊長が、私に労いの言葉をかける。……目元から筋のような痕が伸びている気がするが、気のせいだろう。 「隊長、お願いがあります」 「なんだ」 「私に、副隊長の任をおまかせいただけないでしょうか」 「……ふっ、元からそのつもりだ。頼むぞ、エリカ」 「はい！」 　さて、こうなれば時間が惜しい。何としてでも、優勝を取り戻さねばならないし、更には、『西住』の力無くとも、黒森峰女学園はやっていけると示せるように、あらゆる訓練をする必要がある。 「……そうでもしないと、心配されそうだものね」 「何か言ったか？エリカ」 「いえ、何でもないです、隊長」 　さあ、忙しくなりそうだ。 　

<br />西住みほが転校する時、逸見エリカは何を思ったのか<br /><br />逸見エリカと西住みほには仲良くあってほしいです。「みほ」と呼んで別れてほしい。<br /><br />*デイリーランキング男子の部、２９位ありがとうございます！

優しくて臆病なあなたのために

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！！注意！！ 捏造、ご都合主義注意！ キャラ崩壊、オリキャラ、創作審神者、刀剣の流血、刀剣破壊、鬱展開、成り代わり、ブラック本丸表現などがあるので苦手な方、地雷の気配を察知した方はブラウザバックをお願いします。 読んでからの苦情は一切受け付けません！ ヘイトのつもりはありませんが、そう感じたなら申し訳ありません(´・ω・`) 棲み分けタグについてはいろいろ調べたうえでつけてますが、間違っていたら指摘お願いします。 いろいろ総合して大丈夫そうだという方はお進みください [newpage] 「――、――は、私の隣にいてくれるよね」 懇願するような、縋り付くような声を上げているのは、誰だっただろうか。 「だって、だって――は私の弟だもん。兄弟は、仲がいいものでしょう？だから、――も、私のことを愛してくれるよね？」 誰が見ても美しいというであろう顔で、ゆがんだ笑みで、壊れた目で俺の体を締め上げるように腕を回したこの人を、俺は知っている。 心を占めるのは、嫌悪と、嫉妬、劣等感。ふつふつとわいてくるこの存在に対する拒絶するような感情。 この人さえいなければ、この人が、いたから。 理性が擦り切れそうなほどの負の感情がそれでもあふれずに済んでいるのは、俺とその感情は常に隣り合っていて、生きるためにすう空気のように当たり前に存在していたからだろう。 飼いならされた感情をただ心の奥に押し込め無心で目を伏せれば、柔らかい、吐き気がするほどにいい香りがする。姉の腕の中に閉じ込められて。 「私、私の弟、私の、世界でたった一人の、大切な、弟。ああ、うらやましい、妬ましい、私も、私もあなたのように――だったら、」 呪詛のように繰り返される愛と恨み言のささやきを知るのは、きっと、俺だけだった。 明るく天真爛漫なあの人が一度だけ見せたその執着を、俺は思い出したくないと記憶のふたをして、ずっと見てみぬふりを続けた。 天才の姉の気持ちなどわからない、しらない。知りたくもない。所詮はできそこないの凡才でしかなかった俺に、あの人の考えなんて気持ちなんて、理解できるはずがないだろう。 ただ、ずっと見てみぬふりを続けても耳にこびりついている音がある。 「あなただけは、絶対に誰にもあげない」 黒く澱んだその呪詛を、俺は、‘俺’は聞いたことがあった。 どこで？誰に？思い出そうとすればするほど、頭が痛くなる。 けれど、ただ一つわかることがある。 俺は、その呪詛を吐く姉を心の底から嫌いだった。 ‘俺’は、その呪詛を吐くその人を、本当は愛していた。 似ているのに、決定的に違う二つの思い。 ああ、でも、何故だろう。 「俺は、あんたのことを知ってるんだな」 目を開いた先、姉とは違う女が映る。 ‘俺’のほおを撫でながら、艶やかな笑みを浮かべたその人が誰かなど、判別はつかない。この人が、主だということはは分かる。熱くて、苦しい、切ないようで、悲しい、嘆きの声が、自分の中から溢れてくる。触れたその人の笑顔を、俺は守りたかった。だが、ダメだった。 懺悔と後悔が溢れる感情の隙間、冷静な自分が女を見つめた。 そうじゃない、俺はその声を知っている。俺は、この人を知っている、会ったことがある。いいや、もっと何か……?思い出せない。 けれど、その感覚こそが、俺が選ばれた理由なのだろう。俺はそれを、思い出さないといけない。 姉と、女。どちらのものともわからぬ腕に抱かれ、人形のように心を押し殺し、垣間見た‘外’は、俺をけしてみてくれることなどなかった人たちと、無数の、折れた刃に埋め尽くされている。 決して近寄ってくることないそれらは、ひどく冷たい目で、俺を、‘俺’を見ているような気がして、背が震える。それが自分の咎なのだとは知っているのだけれど、それが自分にとっては当たり前だとは知っているのだけど。 逃げるように、深く、深く、意識を沈めていった。 これは、俺の夢だ。 夢を見ながらにして、それを夢と認識できるこの現象を世間は明晰夢と呼ぶらしい。 ある程度夢の中の状況を自分の思い通りにすることのできるその夢を、俺は今までも何度か見てきた。 大抵は悪夢にうなされ飛び起きる俺にとっては、自分の思い通りに改変できるその空間は一種の救いだったように思える。 深く潜った意識の底、真っ暗なばかりの空間におかれた一振りの刀。 暗く澱んだ中で現れた異物。これは、山姥切国広の本体であり、本霊から貸し与えられている力の象徴か。 何気なしに触れ、鞘から引き抜いたその刀は、刀なんか握ったことのない俺の手によく馴染んでいる気がする。 じわじわ、与えられるピリピリとした力強い何かが、自分を食らおうとしているのを、本能が拒絶するが、手放そうとしても触れた手は意志とは逆にますます強くそれを握り締めてしまう。 ぴりぴり、じくじく。 指先から、手のひらから伝わってくる。浸食がすすめば進むほどに、指先から、服装から、体のつくりから、人間である俺が刀の付喪神である山姥切国広に染まって、変わろうとしていく。 徐々に、徐々に進むその浸食が終わってしまえば、俺は何になるのか。 だがしかし、それがはっきりとわかる前に急速にどこかへと引っ張られるような浮遊感を感じ、体が宙へ浮く。 あんなに放そうとしても言うことを聞いてくれなかった手はあっけなく開かれ、闇の中、刀だけが残る。 起きろ、そういわれているように強く引かれてしまえば、愚図で鈍間な俺は言うことを聞くしかない。果たして俺は、この夢を覚えていられるのだろうか。 [newpage] 「、」 身体が重くなったような、そんな感覚に目を覚ました。 何か夢を見ていたような気もするが、思い出せない。大切なことだった気もするが…？ 酷くけだるい体は動くことを拒否しているようだが、生憎と俺は周りの状況を把握したい。 身体の制止を振り切り、無理やり開こうともしない瞼を開いて、すぐに、閉じた。 まぶしい。 無意識に動かした手がつかんだのは、きれいに折りたたまれた布のようだ、 それを頭からかぶって、それから、ああ、これは自分のものだと漠然と思う。 かぶる際についでに起き上がった上体はそのまま、もう一度目を開けば布が光を遮ってくれてちょうどいい。 いつもかぶっている様に目深になるよう布を下に引っ張りつつ周りを見ていると、不意に隣に誰か寝ているのに気が付いた。 「…前田」 行儀よく、布団で眠る小さな姿は、いつも見ていたうなされるものではなく穏やかな表情だった。 何気なしに伸ばした手がその小さな頭を撫でようとしたのは俺に溶けた‘俺’がそうさせているのだろう。 胸にあふれる暖かなものの名前がわからずに首を傾げ、それから、自嘲する。 人間であるはずの俺は、刀の付喪神である‘俺’よりも人間としては失格なのか。 本当に、どうしようもない欠陥品だな、俺は。 伸ばした手で、その頭に触れる気は一気になくなり、その代わりに枕元に置かれた自分の本体を手にした。 「…手入れ、されたんだな」 顔が映るほどに磨かれた刀身は刃こぼれ歪み一つなく。収める鞘も、握った柄も、元通りになっている。 ふと見降ろした自分の体にも傷はなく、視界を覆う布は、そういえば何度も何度も破られ、血を浴び続け使い物にならなかったはずなのに、顕現当初のように、汚れてはいるが元通りだ。 そのことに気付くのが遅くなったほど、俺にたまった疲労というものは大きいのか。 ずっと感じていなかった疲労が今になって出ているのは、きっと中途半端に休憩したからなんだろう。 前に休んだのは確か、初めての池田屋出陣で重傷を負い手入れ部屋に入れられたときだったはず。これからも休む暇なく出陣は続くだろうに、なんていう体たらくだろうか。 だが、手入れ、か。 主は、レアと呼ばれる刀剣たちを大事にしまい込み、彼らと接触することを禁じている。だから、彼らが傷つくことはないが、刀としてのあいつらは殺されたようなものだと言っていたのは確か同田貫だったか。 それ以外の刀の中でも、古参だった俺を含めた数振りにだけは刀装や馬を与えられ、重症になれば手入れを施されはしたが、他の刀たちは消耗品だと、どんなに傷を負おうと、疲労が溜まろうと構わず出陣させ、上手く行かないと苛立ちに折ることすらあった。 その中で、俺たち古参だけは重傷を負えば本丸への帰還を命令され、代わりだと与えられた罰は、同じ仲間を折るよう命令されるという別の意味での苦痛を伴うものではあったが、他の刀剣たちのように苛立ちのまま折ろうとしなかった主の心中は俺にはわからない。 主の言い分では、練度をいちいち上げるのが面倒だからだと言っていたが、それなら、あいつも俺たち同様に手入れをされていたのはなぜなのか。古参と呼ばれた中でもあとで来たあいつの練度は50にも到達していなかったはずなのに。 苦痛に歯を食いしばる仲間たちの中、俺たちだけが無傷でいる。どんなに仲間の手入れを懇願しても、仲間たちの傷は癒してはくれなかったばかりか罵倒され、使えないなまくらだと、お前たちが無能だから仲間は折れていくのだとささやく声の中、嫌だ止めてくれと叫びながら、何度も何度も、慕ってくれた、背をあずけた仲間を手にかけたその感触を、俺たちは忘れることは一度だってなかった。 せめて、刀装をほかの練度の低いものにも与えてくれと追いすがれば、投げつけられる新しい出陣の命令。 出陣と出陣の合間を縫って、何度も何度も主のもとに陳情へ向かって、変わらない状況に何度絶望したことか。 ならばと、少しでも犠牲が減るようにと練度の低い者たちを庇いながらの出陣。自分たちだけならばたいして苦労もしなかった戦場は、守るものの多さに比例するように難易度を上げていって、一振り、二振り、徐々に減っていった仲間たち。 それにどう思ったのか、主は俺にだけお守りというものを握らせるようになった。 なぜ、こんなものを渡すのかと、他の奴に渡さないのかといった俺を、主は何の表情も浮かべずに見ていた。 そうして、どれだけの仲間を俺は見送っただろう。もう、覚えていない。 傷が癒えるたび、むなしさだけが残る。 すまないと頭を下げることしかできなかった俺を仲間たちは決して責めたりことはなかったが、燭台切が折れたばかりの頃、燭台切の代わりに食事を届けに行った離れの刀剣たちは、怒りと憎悪に濡れた目で俺を見ていたし、一期一振に関しては掴みかかってきた。でも、それは当然のことだろうと思う。むしろ、仲間たちがそうしないこと自体が俺にとっては不思議でならない。いっそ、責めてくれればよかったのに。 初期刀であり、彼女を最初から見てきた。なのに、彼女の異常に気付けなかった。ずっと変わることのない近侍としての立場ということも含め、彼女を引き留めることができたのはきっと俺だったのに。 そんな中、俺の傷を治す資材は、重症になった短刀たちや慕ってくれた奴ら、兄弟刀を刀解して出た資材なのだと知った時は、頭をガツンと殴られたような衝撃と、吐き気に襲われた。怒りや悲しみ、何よりも自分に対する怒りに何度も何度も吐きそうになっては、流れることない涙を目にためて。 俺がもっと強ければ、早く望まれる刀を見つけられていたら、主の心に、寄り添えたら…。後悔と自責の念が次々と浮かんでは、消えることなく、積み重なって、たまっていく。 そんな俺を見ながら、主はゆがんだ笑いを浮かべて俺にささやいた。 「全部、あなたのせいなのよ」 その言葉を聞いた瞬間に感じたのは、確かな、絶望。 目の前が真っ暗になるのを感じながら、どこか満足げな主の腕の中、折れていった、解けていった仲間たちに謝罪を繰り返すことしかできず、気づけば寝かされていた薄い布団の中、寝ても覚めても終わらない悪夢が心に精神に、重くのしかかった。 それからも、何が正解なのかわからないまま繰り返し出陣しては、仲間を庇い傷を負って。 そのたびに手入れをされ、やるせない思いばかりが積み重なっていく中で何度、いっそ折れてしまえたならと思ったことか。 夢の中、せせ笑う主の声を聞きながら、泣いている仲間を、死に体といった様子の仲間を手にかけていく。そうして手にかけた仲間が、救えなかった仲間が、閉じ込められた彼らの旧知の友たちが向ける憎悪の目と罵倒の中、何度悲鳴を上げて飛び起きたのだろう。 だから、手入れにいい思い出はない。手入れをされたという事実は、俺にとっては、また一つ、背負う罪が増えたという証だ。 今度は、誰が犠牲になったのか。 「…いかなければ」 重い体を引きずり、まだ覚醒しきっていない意識のままふすまに手をかける。 主の元へ、陳情に。今度こそ、他の者にも刀装を、手入れを。 無駄な事だと知っていても、待っているのが悲劇でしかないとわかっていても、仲間ひとり守ることすらままならない俺に出来るのは、そのくらいだから。 [newpage] 本体を片手に、曖昧で、ふとすれば途切れそうな意識をつなぎ合わせながらふすまに手をかけたところで、ふと、疑問に思う。 なぜ、こんなに明るいんだろうか。 それに、この部屋はどこの部屋なんだろうか。 俺の知っている本丸は、廃屋のような風貌に、仲間たちの血や刀傷にまみれたボロボロの部屋が大半。 レア連中が隔離されている離れは比較的ましではあったものの、その中に監禁されている刀剣たちの怨嗟に少なくとも休めるような場所ではなかったはずだ。 改めて冷静に周りを見渡して見れば、どこかで見たことがあるような、ないような、きれいに整った部屋だとわかる。 文机の上には何かを書いている途中らしい半紙や筆、名前は知らないが綺麗な花が生けられているし、並んだ書棚には本がぎっしりと詰まっていて、今にも重みで折れてしまいそうなほどに歪んでいる。 部屋の隅でたかれているのは…おそらくだが、香だろう。気付けば、鼻につかない程度のほのかな香りが部屋を満たしていて、どこか体の疲れが抜けていくようだ。 穢れが蔓延し、重い空気といつまでたっても分厚い雲が陽の光を覆い隠したあの場所とは違い、ふすまから差し込む光はまぶしいくらいに照り付けていて、空気も軽い。 耳をすませばずっと聞いていなかった鳥の囀る声や、川のせせらぎ、どこからか聞こえる、誰かの笑い声。 「…、」 俺は、夢でも見ているのか。 そんなことを思いながらふすまを恐る恐る開けば、まぶしい光が直接目に入り、思わず顔を背けた。 手でその光を遮りながらもう一度前を向けば、緑にあふれた庭が見え、遠くには走り回る…鬼事だろうか…短刀たちが目に入り、ついで、木陰で横になる大俱利加羅や、そのそばで読書をする燭台切、大俱利加羅にいたずらを仕掛けようと忍び寄る鶴丸を見つける。 口論しながらどこかへ向かう内番服の加州と大和守に、弟たちを優し気な目で見つめる一期一振や左文字の兄弟。 ずっと昔、主が狂ってしまう前に見た日々の中に戻ってきたかのような、いつかそうなるのだろうと思い描いた様な、明るく、暖かな空間。 いつか必ずあの優しい主に戻ってくれるはずだと信じていたあの頃、仲間たちと必ず取り戻そうと約束し、夢に描いた光景が、目の前に広がっていた。 信じられずに茫然と眺めていると、不意に、横から何かが近づいてくるのに気付いて反射的に身を引いた。 「ああ…驚かせてしまってすまないね」 「…歌仙？」 あんた、ずいぶん前に折れてそれから顕現していないはずじゃないのか。 そう言おうとして、ようやく、ピンと来た。 「…ほかの本丸の刀剣など、捨て置けばよかっただろう」 意識を失う前のことを思い出し、まどろむようなはっきりとしないでいた意識もはっきりとする。 一気に地獄に突き落とされたような気分を味わいながらも、口からこぼれた言葉に目の前の秀麗な姿の付喪神は眉を寄せた。 「どこの本丸の山姥切国広という刀はどうしてそんなに自分を大切にしないのか…まあ、無事に目を覚まして何よりだよ」 「あのまま朽ち果ててもよかったんだがな…手入れ、感謝する」 「困った時はお互い様さ。どこかまだ痛いところとかはあるかい？」 「手入れをされた以上、傷はない」 「傷は…ということは、疲労はとれていないようだね」 …。 ニコニコと笑ったままのその人を黙って見つめ、それから、首を振る。 「このくらいの疲労、どうということはない」 意識を失う前に見た、他の本丸の之定…目の前にいるこの刀がそうのはずだ。 そして、ここはこの刀の所属する本丸、俺のいた場所ではない、か。 つまり、俺は俺が寝ている間にも理不尽に折られている刀がいるかもしれないというのにのんきに惰眠をむさぼっていたということか… 「僕の知る限り、赤疲労というのはどうということはないなんて言えるようなものじゃなかったと記憶しているんだが君は違うのかな？」 笑顔に感じる脅迫じみたものは何なんだろうか。 にこりと笑顔で部屋を指さされ、それの意味することに思い当たり、首を振る。 「休む必要など」 「少なくとも疲労が取れるまでは絶対安静だ。それがこの本丸のルール。いくらほかの本丸の刀剣だろうと、ここにいる以上はそれに従ってもらうよ」 歌仙はこんなに強引な性格だっただろうか…個体差、というやつ、なんだろうか。 食い下がろうか、いや、俺なんかがこれ以上何か言ったとしてもどうせ聞いてなどくれないんだろう。 無言で部屋に戻れば、満足気にひとつ頷かれる。 「うん」 「、」 自然に伸ばされた腕。叩かれるのかと反射的に目をつぶったが、思っていた痛みはなく、かわりに、かぶっていた布がずらされ、髪の毛をかき回された。 うっすら目を開けて確認すれば、優しげに細められた目が見えて戸惑う。 「いい子、いい子」 子供扱い……なのか。 実の親にもほとんどしてもらったことのない優しい手つきでくしゃりと頭を撫でる手を払おうとして、出来なくて、かわりに布を引っ張って顔を隠そうとしたが、ずらされていたのを忘れていて、結局俯く。 俺なんかが、こんな優しさに触れていいわけがないのに。 なのに、目が熱くて、泣きそうに顔が熱くて、苦しくて、唇を噛む。 「……、いろいろ焦ることがあるんだろう。でも、今は休む時だ。君の為にも、君の仲間の為にも」 「……っ」 慈しむような声が頭上に降ってきて、ますます、苦しくなった。 何か言わなければ、絆されては…いろいろと考えは浮かぶのに、結局、口から言葉が出ることはなく、むしろ口を開けば胸の中に溢れた感情が爆発してしまいそうで、ただただなされるがままになるしかなくて。 「…お腹が減っただろう、なにか持ってくるからおとなしく待っておいで」 ぽんぽん、と、軽く頭をたたくと、布をもとの位置に戻して部屋を出る。その後ろ姿を見送り、それから、ぎゅ、と、布を引き下げる。 「……おかしな奴め」 得体も知れない俺なんか、放っておけばよかったのに。 どこかで、部隊の帰城を知らせる音がなった。 それに気づいた短刀たちや、脇差が方向を転換して走っていく。 きっと、兄弟刀や仲のいい者を迎えに行くんだろう。 かつては、俺達もそうだったから。 (――おかえりなさい、) 出陣から、遠征から帰るたび、迎えてくれた優しい声を思い出して、首を降る。 やめよう、そんなことを思い出しても虚しいだけだ。 帰還した部隊が、じきにこのあたりを通るのかもしれない。邪魔しないよう、大人しく歌仙を待っていよう。 優しい記憶に蓋をするように、襖を閉めた。 [newpage] 桜の花びらが舞っていた教室。 他の奴らが友人と一喜一憂したり、新しいクラスメートに話しかけている中、一人、本を読んでいた。 この町ではいい意味でも悪い意味でも有名な自分に話しかけるような奴はいない。 もう慣れきってしまった一人。いつも面倒な絡み方をしてくる奴らも、気遣って声をかけてくる奴らも今は自分の友人関係につきっきりで、この沈黙はむしろ、心地いいほどだ。 一ページ、また、一ページ。めくる指は止まらない。 本は好きだ。いつだって、夢を見させてくれる。俺の知らないものを教えてくれる。辛いばかりの現実を忘れさせてくれる。 がん、 「、」 「った」 突然、机に人が倒れこんできて、さすがに驚いて顔を上げる。 人の良さそうな、どこにでもいるような男子。こんなやついたかな…まあ、どうせ俺には関係ないことだ。 男子が呻きながら体勢を直したのを確認してから、机の位置を直す。 「わ、わるい！大丈夫？けがとかしてないか！？」 「…は？」 なんで、俺なんかに謝ってるんだ。あんたたちにとって、俺はただの目障りな姉に近づくためだけの…ああ、そうだよな、姉に近づきたいんだから、俺にも一応気を遣うよな。 慌てた様子で肩をつかんできた男子に瞠目したものの、すぐにその答えに至りげんなりする。 俺は別に姉と仲がいいわけでもなければ、姉のことを避けているって言うのに、なぜわからないのか。 「あ、あ！悪い、そんなに痛かった！？ごめんな、」 …何を言ってるんだ、こいつは。 別にぶつかってもいなければ怒るわけがないだろう、この程度で。こんなの日常茶飯事だ。 眉をひそめてそちらを見れば、さらに焦ったように言葉を重ねてくる。 あたふたと、いろいろと言葉を吐き出す姿をどこか茫然とした思いで見つめ、それから、首を振って口を開く。 「いい。別に、当たってない」 だから気にするな。 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でつぶやくように言って、紙面にまた視線を落とす、と、 「そっか、でもぶつかってごめんな。俺、隣の席の――だ。これからよろしくな」 「…？」 「自己紹介だって。俺、最近こっち越してきたばっかりだから友達いなくてさ…これも何かの縁だし、仲良くしようぜ」 まぶしいくらいの笑顔。 最近越してきた、か…だから、俺のことも知らないんだろう。 仲良くしよう、なんて言われたのは久しぶりだったから。 一瞬揺れ動いた心を静めて、口を開く。 「俺なんかと親しくしたって、いいことなんて何もない。仲間はずれが嫌なら、他をあたったほうがいい」 「え？」 俺の価値のなさは、自分が一番よくわかっている。 だからもうかまうな。 そう言ったのは、底辺の人間である俺でもできる簡単な親切というやつだ。 それに、もう、期待して裏切られるのは嫌だ。 差し出された手を取ることはせず、あとはいつもどおり文字列を追っていようとしたときだった。 「おい、」 本を取り上げられて、返してくれと声に険を混ぜて手を伸ばす。 その手を取られ、握手のように握られる。 やけに汗ばんだ手だ手は俺よりも大きくて、武骨で、暖かい。 「名前は？」 真っ直ぐに見つめてくる日本人らしい焦げ茶に、ほかの奴らのように馬鹿にするような、からかうような負の感情は感じられず、余計戸惑った。 「…だから」 「名前！」 少し怒ったような声で言われ、しぶしぶ、口を開いた。 「……—―――だ」 「っし、じゃあ――、改めて」 [newpage] 「――ぎり、山姥切国広」 …、 肩をゆすられ、目を開く。 俺は…寝てしまっていたのか。 ふかふかとした布団に戻る気にはなれず、壁に寄り掛かって歌仙を待っていたのは覚えているが…情けない。 「…すまない」 「眠るんだったら布団に入ること。こんなところで寝てはますます疲れがたまってしまうからね」 また、ぽんぽんと頭を頭を撫でる手。 なぜこいつはこんなに人の頭を撫でたがるのか。 「…子ども扱いするな」 さっきみたいになされるがままにになるなんてことはなく、すぐにその手を払えば少し驚いたような表情のあと、何か微笑ましいものでも見ているような眼差しを向けてきて居心地が悪い。 「…昔からの癖でね、気を悪くしたなら謝ろう」 そう言って離れていった手が名残惜しいなんていうのは、気のせいだ。 ちらり、降ろされた手を見ればくすくすと笑われ、若干むっとしつつ顔を背ければごめんごめんとおざなりに謝られる。 子供扱いするなともう一度いおうかとも思ったが、そもそも俺自身は高校生だったんだからまだ子供…というよりも、付喪神と比べたら赤子のようなものなのだと気づいて何も言えず、布に隠れた。 「さあ、手と顔を洗ってから食事にしよう」 「…食事」 「ああ。燭台切が丁度帰ってきていたから、簡単なものを作ってもらっていて遅くなったんだ。洗面場まで案内するからついてきてくれるかい？」 「汚れているくらいで」 「丁度よくない」 「断っても連れていくんだろう…わかってる」 「はは、何のことだろうね？」 さあ、行くよと立ち上がる歌仙についていくために自分も立ち上がろうとして、また、めまい。 ぐ、と奥歯をかみしめ倒れることだけは防いだが、歌仙には思い切りみられてしまっていた。 思わず、というように伸ばされた腕から身を遠ざけるも、一歩近づかれ顔をのぞき込まれた。 「…ただの立ちくらみだ」 とっさに目をそらしてそう言ってみても、心配を目に浮かべた歌仙は眉を下げて、俺の額に手をあてたり、首に触れたりとせわしない。 「嘘は言わなくていい。やっぱり君はここで休んでるんだ、今、何か拭くものを用意してくるよ」 「あんたのような名刀の手をこれ以上煩わせるわけには…」 「いいから」 …。 顔を洗いに行くことすらままならない役立たずだ、言われた通り待っているほうが迷惑をかけずに済むだろう。 居心地の悪さを感じながら、せめて何かできることはないのかと周りを見渡す。 端に寄せられた机の上には、湯気の立ち上る料理。気付くとうまそうな…腹がすくにおいが部屋を満たしているのに気付いて、ぐう、と、胃がものほしそうになく。 誰にも聞かれていなくてよかった…… 若干ほおに熱が集まるのを感じながら、ふ、と思い立って、まだ眠ったままの前田のそばに座る。 「前田」 前田も、おなかがすいているんじゃないだろうか。 ぐっすりと眠っているから一瞬迷ったが、軽く肩を揺らしてみた。 起きない… やめるべきだろうか、 「寝かせてやれ、あんたの看病でずっと起きていたんだ」 「、」 「…なんだその目は。確かに写しの俺なんかが様子を見に来るなど気を悪くするかもしれないが、あんたも同じ写しだろう」 自分と同じ声に顔を上げれば、桶とタオルをもった内番服の山姥切国広がいた。 自分と同じ姿……分霊なんだから当たり前だが、人間の俺からすれば薄気味悪いものだな。 それにしても…看病でずっと起きていた、か……前田には迷惑をかけたらしい。あとで謝ろう。 「別に、驚いただけだ」 「…歌仙が急に出陣になったから代わりに来た。さっさと顔を洗って食べて寝ろ」 言葉は乱暴だが、ものを扱う手は丁寧だ。 置かれた桶の近くに座り、タオルを受け取ろうと手を伸ばし、タオルを握ったままなにやらうずうずとした表情をしているのに気付く。 なんだ…？ 「ま、まだ体を動かすのはつらいだろう？だから、じっとしていろ」 「…は？」 「ほ、ほら」 がし、と腕をつかまれ下におろされる。 そのまま、濡らしたタオルで顔をぬぐわれたところでようやくこの山姥切国広が世話を焼きたがっていることに気付いた。 …まあ、俺なんかでよければ好きにさせてやろう。 「気持ち悪いところはないか？」 「…特にないな」 「そうか…」 「……せ、背中が、気持ち悪い、かもしれない…？」 「！！しょうがないやつだな！ほら、拭いてやるから後ろ向け」 この山姥切国広はおそらくほかの分霊より精神年齢が幼いんだろう…ずいぶんと昔、幼いころ、姉がお姉ちゃんだからと何かと俺の世話をしたがっていたのと同じことなんだろう。 特に気持ち悪いわけでもないが、背中を向ければ、まだしっかりと搾り切れてないらしいべちゃりとしたタオルでごしごしと…痛い、水が垂れてる。 少なくとも刀を握って戦う程度には力があることを自覚していないのだろうか。そんなに力を入れてこすらないで、ただ拭いてくれればいいんだが。 「どうだ？」 「…もう少し力を抜いてくれると助かる」 「！痛かったか、すまない…兄弟はこのくらいが気持ちいいといっていたんだが…」 山伏のほうの兄弟を基準にしてはいけないだろ… 「ほかは大丈夫か？」 「…ああ。わざわざすまない」 「俺なんかが力になれたなら構わないさ。食事は」 「自分で食べれる」 「…」 落ち込んだ顔をされても… 「あんたも、俺なんかに構っているよりもほかのことをしたほうがいいだろう」 「…内番は他の奴らだし、俺の練度上げはまだなんだ。兄弟も遠征だし、歌仙にあんたのことを任せられた。だから、ここにいる方がいい」 どうせ写しの俺なんか戦力にならないんだ…などとだんだん膝を抱え始めるのを見て、小さく息を吐く。 「仲間一人救えない俺にとったら、誰かの助けになろうとするあんたはまぶしいくらいだ」 「…何か言ったか？」 「別に」 小さな声でぼそりとつぶやいて、怪訝そうにする山姥切国広から顔を背け料理に向き合う。 「…食べないのか？」 「…食べるさ」 今も飢えて傷に苦しむあいつらのことを思うと、心苦しいが。 一匙、掬って口に入れれば、ほう、と、自然に息を吐き出していた。 温かくて、優しい、昔に食べた母の味と、よく似ている。 そして、まだ本丸にやってきたばかりの頃に主と二人で作った味に、よく似ていた。 [newpage] 「――1つ、聞きたいことがある」 消化のいいものを選んでくれたようで、少し時間がたって冷えてきていたのも幸いし、食事にさほど時間はかからなかった。 最初こそなかなか胃が受け付けてくれなかったものの、俺なんかのために用意してくれたものを残したり、吐いたりしてはいけないと、半ば無理やり胃に押し込んでいるうちに慣れてきた。 慣れてくれば欲が出るのか、男子高校生としても、付喪神としても到底満腹になれるような量があったわけでもないから、足りないと訴える胃を誤魔化そうとひたすら茶を煽る。 追加が欲しいなんて図々しい真似、俺なんかがしてはいけないだろう。 そんな俺をじっと見ていた山姥切国広から緊張した声を掛けられ、湯呑みを置く。 ちらり、視線を向ければ固く緊張した表情ながらもまっすぐにこちらを見ている目と目があい、反射的に反らしてしまう。 俺なんかがこんな行動をして、気を悪くしていないだろうか。 そう思いながらも、目をあわせたくなくてひたすら手元の湯呑みを睨む。 見るのも、見られるのも嫌いだ。 「俺の本丸のことか」 そういえば頷く気配がした。 本丸のこと…そろそろ聞いてくるんだろうとは思っていたが、答えるか、否か。 俺のような底辺にこんなに丁寧に接してくる様なお人好し集団のことだ、本当の事をいえば自分たちの身も顧みずすぐに通報やらなにやら手を貸してくれるのだろう。その位は、俺の凡庸で使いどころのない頭でも分かる。 本丸に残して来てしまったあいつらがこれ以上苦しむ前に保護するためにはそうした方がいいという事も、分かる。 だが……、それで一体誰が救われるんだろうか。 主が逮捕され、俺達が開放されたとしよう。だが、残ったあいつらの怒りや憎しみ、悲しみは無くなるわけじゃない。その矛先はどこへ向かう?おれにむかうのなら、俺はそれを甘んじて受けよう。でも、違うなら…? そもそも、主がいなくなった本丸の処遇がどうなるのか、俺はよく知らない。 よく聞くのは、刀解、新しい主の元への譲渡、全員で次の主を待つ、というのがよく聞く。 主殺しをしたなら強制的に刀解も行われるだろうし、本丸解体も聞くが、逮捕となれば違うだろう。 だが、刀解といっても、人への嫌悪が根深いであろうレア連中は、例え刀解を願っても受理されず、下手をすれば顕現を解かれ心無い役人が自分の私情で主のようにレアを欲しがっている審神者の元へ強制的に連れていかれ、闇落ちするケースもあるらしい。 それに、顕現したばかりのやつならともかく、レア連中や比較的長くいる刀剣たちは穢れが酷く、本霊に還ることは不可能だ。下手をすればそのまま依代もなく闇落ちか消滅を待つ羽目になるだろうし、それを危惧して他の奴らも心配して残るというのも多いだろう。 新たな主、本丸はおそらくだが誰も望まないし、拒絶する。昔の主を知っている俺ならまだしも、彼らは付喪神として降りてきて見てきたのは今の狂った主のみ。自分の使い手だった人間、その周囲を除いては人間……審神者は、嫌悪の対象にしかならない。 通報によって救われるやつだっているにはいるんだろう。だが、殆どの場合は表面上しか救われないのだろうし、人間へ憎しみを抱いたままになってしまう。かつて愛した人間を憎むなんて、人間に愛され生まれた筈の俺達には皮肉でしかない。 それ以前に、主には強固な後ろ盾がある。通報を受けてももみ消すことが出来るし、それをした相手への報復もするだろう。そうして、その原因となった俺達に対するあたりは今以上になるはずだ。 だから、今とるべきは話を濁して、関わってほしくないという意志を明確にすること。 …消えていったかつての仲間も、残してしまった仲間達に人間への憎しみを抱いたまま消えて欲しくはないと言っていた。人間の本当の姿を忘れないで欲しいと。主を、救ってくれとも。 '俺'自身、そう願っていた。 殺すだけなら、隙はあったし初期刀であり、あの人の秘密を知る俺には出来たはずだった。でも、そうしないでいたのはそんな願いがあったから。 でも……やむを得ない場合は。 「……言いたくないのなら、無理に言わなくてもいい」 黙り込んでいると、気を使った山姥切国広が再び口を開いた。 その言葉に甘んじて黙っているというのもあるんだろう。だが、事情を話すわけにはいかないにしても彼らには知る権利があるし、こちらも助けてもらったからには話す義務があるだろう。 でも、なんて伝えたらいいんだ? 異常にたまった疲労には気づかれているし、同じ戦場に出ているだけならまだしも戦場に見合わない練度の前田を連れていたことに違和感を感じているだろうし、おそらく、俺達の境遇はだいたい察しているはずだ。 本来ならば真っ先に来てもおかしくないここの審神者がいまだ姿を現さないのがいい証拠。いや……警戒されているだけかもしれないが、誤魔化すというのは、流石に無理がある。 「前田からは、なにか聞いたのか?」 そういえば、一緒に助けられた前田は俺の看病をしていたというくらいなんだから意識があったはず。なら、俺よりも聞くチャンス、話すチャンスはあったはずだ。 けれど、返されたのは困ったような表情が帰ってくる。 「聞こうとはしていたんだが……主が聞こうと声をかけたら悲鳴をあげられて逃げられてしまったし、ならば兄弟刀の方が話しやすいだろうと一期が志願して行ったんだが、どういう理由か泣き出してしまって話にならなかったそうだ。歌仙たちには比較的怯えたりはしなかったようなんだが…詳しい事は聞けなかったみたいだ。そんな酷なことは出来ないと歌仙も言っていたし。それに、俺が直接あんた達に会ったのはこれが初めてなんだ。今までは世話好きな奴が集まっていて、俺なんかが力になれるとは思わなかったし、邪魔になるだろう……？」 今日は手が空いてるのは俺くらいだったから。 そういう山姥切国広の目にはどっか諦めたような自嘲が浮かんでいて、眉を顰めた。 「…、少なくとも、俺の助けにはなっているだろ」 「?」 「歌仙に頼まれたとか、手が空いてたのがどうとか言っているが、俺が起きてから会ったのはあんたと歌仙だけだし、今こうして世話をしてくれているのはあんただ。寝ている間のことなんて俺には分からないし、こうやって助かったと思うのはあんた自身の行動があったからだろう。得体の知れない俺なんか放っておけばいい、頼まれたからと看病に来るなんてしなくてもいい筈だった。違うか?」 「…」 「それに、俺も、数ある名剣名刀の手を煩わせるよりも同じ分霊のあんたに世話をしてもらった方が落ち着くんだ。あんたも山姥切国広ならこの気持ち分かるだろう?少なくとも俺の助けにはなってくれているし邪魔とも思わない。あんたさえよければ、これからも世話係としてそばに居てくれると助かるんだがな」 もっとも、ただの人間でしかなかった俺からすれば、人に愛され、名将と名高い武人たちに求められていた様な刀の付喪神が世話をしてくれている、という事自体が恐れ多い。 まあ、この体は元々その付喪神の分霊のものだったと考えれば……?だめだ、自分の中の山姥切国広が認めてくれない。 そんなことを思いながらも口を閉じれば、山姥切国広は呆けた表情をして、それから、頬を赤く染め上げ、布を目深に引っ張ってうつむいてしまう。 なるほど、さっきの俺は傍から見るとこんな感じだったのか。 妙な納得をしつつ見守っていると、布の下からちらりとこちらを伺い、目が合うとすぐに顔を背けて目の前の付喪神は口を開いた。 「しょ、しょうがないから、これからも、あんたの世話は俺はやる。まったく、写に何を期待しているのやら…」 その表情は布に隠れて見えないが、多分、嬉しそうにしているのだろう。 わかりやすくそわそわとし始めた態度と、明るくなった声に口元が緩む。 「ああ、よろしく頼む」 ……と言っても、長居するつもりはないんだけどな。 本音は胸に留め、今は喜び、花弁を散らしている己と同じ分霊の姿に目を細めた。 [newpage] 「旦那は、まだなのか？」 薄暗い部屋の中、左足の傷を庇いながら薬研はまだ口のきける大俱利加羅のそばに寄る。 重傷の燭台切のそばで膝を抱えていた大俱利加羅は、億劫そうに、わずかに視線を向けると、黙って首を振る。 「そうか…」 歯痒そうに顔をゆがめ、薬研は自分の手に握ったものを見た。 「なんで…」 お守り、ほとんど見たこともない主の力の込められたそれは、この本丸の総隊長から薬研に秘密で渡されたものだ。 何でこれを、そう問いかけた薬研に答えることなく、彼は酷く落ち着いた目でただ、行ってくる、とだけ返して、戦場へ向かってしまった。 戦場に向かうはずの総隊長から、重症で動けない燭台切の代わりに厨房で働くよう言いつけられた、薬研へ。 去り際の彼は、薬研が今まで見送ってきた彼らと、同じ目をしていた。 折れる覚悟をしている目。薬研が、大俱利加羅が、ここにいる、ほとんどの者が見送ってきた彼らと、同じ目。 自分が折れることを予期している者たちと、同じ目で。彼は自分が折れるのだろうと、きっとそう確信していた。 なら、猶更薬研へ渡したそれを握るべきは彼だった。なのにそれは、薬研の手の中にある。 今残っている刀の中で、離れにいる会ったことすらない兄弟刀やほかの刀を除けば、いまだ帰らぬ総隊長の次に長く顕現しているのは薬研だ。 主が狂い始めたという2年前よりも前を知る1振り目たちの中で折れずに残っていたのは、一か月前まではまだ6振りいたが、一軍が出陣したまま帰らなくなった一週間前にはすでにこの本丸の最古参である初期刀で総隊長の山姥切国広だけになっていた。 その次に長いのが薬研で、薬研はおよそ1年前から顕現している。 練度の高い刀剣たちが時間が明けば手合わせをしてくれていたり、出陣先でも1振り目たちが、薬研に攻撃が届かないように敵を先に切り伏せてくれ、実戦の中にも関わらず薬研はほとんど傷を負うこともなく、高練度までかけ登れた。 勿論、守られるばかりを良しとなんてできない。 顕現したばかりの頃はまだ数人は休憩することができる時間があったのもあり、その間に、昔の自分が読んでいたという薬学や医学の書を読みふけったり、審神者の代わりに書類仕事をしていた長谷部や山姥切国広の手伝いをしたり、助けられた分、できることは何でもした。戦力になれないのなら、違うところで役に立ちたい。練度の低い頃の薬研はそればかり思っていて、そのための努力は欠かせなかった。 ほぼ同時期に顕現した仲間も同じようにしていたし、それにこたえようと一振り目の彼らは手を貸してくれていたし、自分たちの持てる知識を技を薬研たちに教えてくれていた。 それでも、それを教えてくれた彼らも、一緒に切磋琢磨した仲間も、今はもう、残っていない。 初太刀だったとい同田貫はこの本丸では短刀たちの兄貴分としてよく面倒を見てくれていたし、率先して手合わせをしたり、練度の低いものたちを庇うように先陣を切って敵に突っ込んでいく姿は薬研たちに勇気を与えくれた。まだ第二部隊までしか出ていない頃に来ていたという歌仙は精神的主柱で、薬研が顕現したばかりの頃はよく主に隠れては茶会を開いては、隠し持っていた菓子やお茶をふるまったり、昔読んだという物語を短刀たちに読み聞かせてくれたし、いつも明るく笑っていた陸奥守は、誰かが折れるたび、傷つくたびに次は自分かとおびえる刀たちに話しかけて、暗く沈んだ空気をやわらげてくれていた。 加州は、その手先の器用さを生かして、怪我を負った刀剣たちの世話をしてくれていた。手入れをされない限り、刀剣たちのけがは治らない。それでも、手当しないよりはましだからと、汚れるのも構わずに。 蜂須賀は本丸の中でもかなりの物知りだった。かつての平和だったという本丸では、いろいろな分野に興味を示しては、いろいろな資料を読んでいたというだけあって、薬研たちが知らないようなことを教えてくれて、薬研も呼んでいた文献でわからないことがあったらよく教えを請いに行っていた。 2か月前までは一軍で奮闘していた鯰尾、骨喰の二振りは特に短刀たちに気を配ってくれていた。薬研が顕現した時にはすでに短刀は離れにいるという厚、平野以外のすべてが折れてしまった後というのもあったんだろう。練度の低い短刀たちが難しい戦場に送られそうになるたび、必死に自分たちを出してくれと頭を下げていた。 山姥切を除けば最後まで残っていた一振り目の刀の大俱利加羅は、無理がたたって折れてしまった同田貫に変わるように、練度の低い者たちの前に立ち続けた。口では厳しいことを言って冷たく当たっていたが、その実、練度の低い者たちが少しでも折れずに残れるよう、自分を犠牲にしながら守ってくれて。 みんな、折れてしまった。 彼らはみんな、最後まで、主に対してどうして、と、悲痛な疑問の声を上げることはあっても恨み言を残すことはなかったと薬研は思う。 それは多分、薬研たちが知らない昔の主を、彼らが知っているからだ。 一振り目の彼らが、懐かしむように語った過去の本丸。本来あるべき姿だったんだろうその過去を、薬研たちは想像することもできなかったが、それはきっと幸せだったんだろうと、語る彼らの優し気な目は物語っていた。 なら、どうして今はこんな、地獄みたいになってしまったのかと聞いたのは誰だったか。それに答えてくれた刀はいなかったけれど。 でも、その過去を知るか知らないかが、薬研たちとの大きな違い。 一振り目の彼らを、主は酷使しながらもなぜか折らないようにとしていた。違う意味で一振り目の彼らは酷く傷つけられていたが、体の傷は少なくとも治されることはあったし、刀装や馬も与えられていた。 二振り目以降の薬研たちは使い捨て。薬研だって、よけきれなかった傷が重なって今ではすでに重傷に近い中傷といった姿だ。部屋にいる刀剣のほとんどは薬研と同じような姿だし、隅の方でまだ動ける刀剣が寄り添っている重傷者たちだってかなりの数だ。 場違いなほどきれいな姿をしているのは重症の燭台切のそばにいる大俱利加羅と、戸惑いながらも、必死に兄弟刀の世話をしている鯰尾、骨喰くらい。彼らは最近顕現したばかりで、いまだ出陣したことは数えるほどしかなく、練度も低い。 あえて言うのなら、彼らが無傷で今ここにいるのは同じ部隊で出撃した刀たちにかばわれたからだ。 大俱利加羅は、一振り目の大俱利加羅が折れる原因となった五虎退や乱が恩返しだと身代わりになって、中傷だった燭台切りが身を挺してかばい、首領の首を取って。鯰尾、骨喰は、同じ脇差の仲間であったにっかり青江、堀川、粟田口の鳴狐、秋田たちが。 全員、主からの悪意のこもった編成での、難しい戦場への出陣の命が下ったのが原因だった。 たまたま外に出ていた主が見かけた彼らが気に食わなかったのだと、主は言っていたそうだ。 必死に食い下がってくれていたんだろう、それを伝えた山姥切国広は悔しそうに、辛そうに歯をかみしめていて、誰も、何も言えなかった。 そう、そんな風に、一振り目の刀たちは主にはむかってもまだ、主が感情のままに折ろうとすることはなかった。けれど、二振り目の刀は、主の機嫌一つで、遊びのように折られてしまう。 だから、山姥切国広は薬研にそのお守りを渡した。 残った刀たちを守るためには、薬研はあまりにも弱すぎる。練度にしても、立場にしても。 主の怒りに触れれば、すぐに薬研は折られてしまう。だが、顕現した年数にしても、練度にしても、山姥切国広を除けばこの場をおさめることができるのは薬研しかいなかった。 ここ最近にやってきた刀たちは場の空気が影響したのか、まとめ役である山姥切国広がいないととても不安定になる。 同じ粟田口の弟分達は薬研が宥めれば少しは落ち着くが、それ以外の刀達は不安そうに身を縮め、それぞれの刀派ごとに固まって動かない。 同田貫や鳴狐、和泉守なんかの数振りは落ち着いていて、それでも時折ゲートの様子を見に行っては、落胆した様子で戻ってくる。 出陣は、四日前から止まっている。遠征もだ。 主は、帰らぬ自分の初期刀の事ばかりで、薬研たちの事など眼中に無いようだった。 それでも、最初の何日かは食事を運ぶ薬研に出陣、遠征の指示を書いた紙を寄越してきていたが今はそれもない。 それどころか、食事を運んでも食べようとせず、半狂乱で薬研に一軍はまだ帰ってこないのかと掴みかかってくるくらいで、他はぶつぶつと何か言っているばかりで何も言わず、最近では薬研が声をかけても反応がなくなった。 だから、薬研たちは出陣も遠征も無いかわりに、癒えない傷を抱えたままこの大広間に身を寄せあっていた。 「……もう、戻ってこないのでしょうね」 眠っている小夜をなでながら、宗三が呟く。 「縁起でもないこと、言うな」 ほかの刀が、不安がる。 薬研だって思っていた事だ。きっと、殆どのものがそう思っていながらも口に出さなかった言葉。 信じたくないから、自分の勘違いだと目をそらし続けた現実を嫌でも直視させようとするその言葉が恐ろしくて。 返した言葉は、予想以上に低くなってしまう。 「そうじゃなければなんだというのですか?彼はどんな時でも必ず戻ってきた。戻ってこないというのなら、そういう事なのでしょう」 その言葉を聞き、大倶利伽羅が険しい表情になって、口を開いた。 「あいつが、負けるわけないだろう」 「なぜそう言えるのですか?今まで僕らの前に立っていた刀たちの事をお忘れで?」 「、だが、あいつはここの隊長だ」 「そういえば、貴方はそこの燭台切と彼に姫君のように守られてなんとか帰ってきたクチでしたね。何を勘違いしているのかは知りませんが、彼だって同じ刀なんですから、いつかは折れるんですよ」 「ひ……、!?」 「宗三殿!不安なのは分かりますが、周りにあたるのはどうかと思いますぞ」 「……僕は本当の事を言ったまでです。いい加減に夢ばかり見ているのはおやめなさいな、女々しくてたまりません」 「なんだと……?」 「そうやってすぐに怒る。前の貴方は、もっと聡明な方でしたよ」 ツン、と顔を背ける宗三に、大倶利伽羅が青筋を立てるのを見て、薬研は慌てて止めに入った。 「お前らいい加減にしろ!……、俺達がいがみ合っても、旦那が帰ってくるわけじゃないんだから、それまでどうするかを」 「なら、薬研、てめえはどう思ってんだよ」 そんな薬研に、同田貫が剣呑な声で口を開いた。 「俺っちは…」 「折れたと思うのか、そうじゃないと思うのかどっちだってんだよ」 「……、んなもん、俺っちには分かんねーよ」 「聞いてんのは結果じゃなくてあんたの考えだ」 「、」 「……戦で折れるは刀の華。あいつの機嫌一つで折られる俺達と違って、あいつも、あいつの仲間も、俺達を守ろうとして折れた。誇りを持って折れてった。それじゃあダメなのかよ?どいつもこいつも、山姥切、山姥切……!!誰が一番辛いか何て考えなくても分かるだろうが!!薬研も知ってんだろ!ここは昔、他の本丸と変わらないくらい平和だったそうじゃねえか。あの鬼みてえな主だって、優しい奴だったらしいってよ。それを知ってる奴が、一番長く見てきたヤツがどうして一番辛い役割を押し付けられてんだよ」 誰も、何も言わなかった。いや、言えなかった。 かつての主を知る面々の中でも、一番、彼女のことを思っていたのは山姥切だ。 本人がそういったわけじゃないが、その目はとても雄弁だった。 誰が辛いか、全員辛い。けれど、一番苦しんでいるのは、1人、残されたあの刀だけ。 優劣をつけることじゃない、分かっている。 けれど、分かっていても、支えてやらなくてはいけなくとも、薬研たちには、何も出来ない。 再び、重苦しい沈黙が大広間を包む。 外の雨は、まだ、やんではくれなかった。

<span style="color:#fe3a20;">特殊設定注意！！<br />作品の性質上、成り代わり、グロ、暴力表現、刀剣破壊などが含まれます！<br />苦手な方はブラウザバックをお願いします(´・ω・`)<br />見てからの苦情、批判は無視します。対応しません。</span><br /><br />お久しぶりです( ˇωˇ )<br />本当は12月には完成していたんですが携帯壊れて全部書き直してたらこの時間…しかも先に書いていた内容と全く違う……<br />前回スタンプありがとうございました((((((*&#39;ω&#39;*≡*&#39;ω&#39;*≡*&#39;ω&#39;*)))))<br />今回は目が覚めたらそこは知らない本丸でした……<br />という感じですかね(*´σｰ｀)<br />これから多分男審神者とか役人とか色々出てきて原作にはないシステム乱舞になると思いますが暖かく見守ってください。<br /><br />どうでもいいですがうちの男主君の外見は黒髪黒目の山姥切国広って感じです。超美形。<br />でも自分の容姿が好きじゃないので鏡を見ることが少ない、だから自分が山姥切国広と似ているとは気づいていない、みたいな?<br /><br /><span style="color:#bfbfbf;">新しいイベント始まりましたね!!物吉君逃した身としては新しい子よりもそっち狙いです。あと贋作……!!<br />お正月は兄者来たのに弟を……ごめんね兄者(´・ω・｀)<br />あと先日じじいと狐が連続で鍛刀されました(*´﹀`*)1周年記念ですかね??</span>

卑屈な俺が卑屈な刀になりまして2

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お昼ごはんを生徒会室で食べよう！！ 職権乱用にも思える会長さんの提案に「悪い娘やな」なんて茶化すも、ウチは二つ返事をして二人きりで生徒会室に。「希ちゃんも悪だねえ」なんて嬉しそうに言う穂乃果ちゃん。 名目上は生徒会の仕事をちょっとしたい、でウチは(元副会長ではあるが)そのお手伝い…という事で先生から生徒会室の鍵を借りる。 職員室から出たウチと穂乃果ちゃんは悪戯っ子の顔をしながらお弁当を持って生徒会室へ向かう。 ガラッ、と生徒会室の扉を開けると穂乃果ちゃんはくるくるーっと回りながら生徒会長の席へ。 早く食べよ！そんなウキウキ気分の彼女がとても可愛くて、思わず顔がほころぶ。 穂乃果ちゃんと食べるお昼は本当に美味しくて幸せで、やっぱり恋人と食べるごはんは格別だと思った。特にぺちゃくちゃと喋るわけでもないけど、食事は誰と食べるかがとても大切なのだと。 昼食後、ウチは自分の膝の上に穂乃果ちゃんを乗せて、後ろからぎゅーって抱きしめた。 穂乃果ちゃんの体温を感じて落ち着くし、こうしていると心もぽかぽかする。 「あったかいなあ……」 しみじみそう漏らすと、穂乃果ちゃんは恥ずかしそうに身をよじらす。 「逃がさんよ」 穂乃果ちゃんの腰に廻した腕にちょっとだけ力を入れる。頭も穂乃果ちゃんの肩にもたれかからせて、彼女の体にウチをぴったりとくっつけさせる。今の彼女は、ウチだけのもの。 「逃げないよ、もう」 顔は見えないけど、優しい声が降ってくる。 ああ、穂乃果ちゃんは声まであったかいんやね。あったか過ぎてウチ溶けてしまいそう。 なんて馬鹿な事を考えてしまう辺り、大分穂乃果ちゃんにやられてしまってるのは否めない。 今更だけど昼休みの生徒会室を使って、恋人同士のひと時を過ごしているのもどうかとも思う。まあこれも青春の１ページ、良い子ちゃんで居るだけでは味わえない甘美な時間。 「ほんと、わるいこや」 「何か言った？」 「穂乃果ちゃんとこうしてるの良いなあって」 その後は密着したまま、何か話すということもなく時間が過ぎてゆく。穂乃果ちゃんのぬくもり、柔らかさ、香り、その全部を四肢で感じる。愛おしいなあ、可愛いなあ……大好き。 「お昼食べて眠くなってきたなあ……」 心の底からリラックスしてしまったのか、強烈に眠気が襲ってきた。あ、駄目だ、もう………… [newpage] 希ちゃんは私を膝で抱えつつ器用に寝息を立て始めた。今の私はさながら抱き枕である。 すよすよ……と、可愛らしい寝息が耳元で聞こえる。くすぐったい。 「あったかいのは希ちゃんもだよ」 背中からじんわりと感じる希ちゃんに安堵感を抱きつつ、すこーしドギマギもしてしまう。 希ちゃんはどうやら、私を抱き抱えるのが好きみたいで結構こういう体勢になる。 私もこうされるのはとても好きで、体を希ちゃんに全て委ねてしまう。今は逆に、希ちゃんが私にもたれかかっているのだが。 しかしながら、 「私はヒマだよ希ちゃんー」 希ちゃんが寝てしまったので私は何もすることがない。当然ここから動くわけにもいかない。 少しながらの抵抗として、足をバタバタと泳がして彼女に申し出るが、希ちゃんはスヤスヤと眠ったまま。……もちろんこんなにぐっすりと寝ている所を本気で起こすつもりはないが、これはこれで待ちぼうけだ。 首をひねって後ろを見ると、何とも気持ち良さそうな寝顔を浮かべている希ちゃんが私の肩にもたれかかっている。 それだけ、私といると安心してくれているのかな 好きな人にそこまで想ってもらえるのは恋人冥利に尽きる。心もかっかっと熱を持って熱い幸せを感じる。 「好きだよ希ちゃん。たまらないほど好きだよ」 我慢出来ずに漏れた愛の告白は、柔らかに部屋の中へ溶けていった。

遅くなりましたが、あったかい<span style="color:#febc15;">ほの</span><span style="color:#bf2d96;">のぞ</span>を。

ぬくもり

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　季節は巡り、高校三年生の夏が来た。 　時事列がよくわからないという読み手の皆に、語り手が語って見せようか。 [chapter:怪異その肆拾陸：松野カラ松時事列記録] 　高校一年生の春から語りを始めよう。 　最初の年にて、俺はとある人物と出会う。 　皆の記憶に残っているか些か不安なのだが、そいつの名前は「じぐ蔵」だ。 　ああ、ジグゾウだのジュウゾウだの、とにかく他人から名前を間違えられる上に、他人の名前をよく間違える奴だった。 　俺の高校一年生の最初の物語は彼との出会いから始まる――と、いつものまとめ語りならば長ったらしく彼の捕捉を加えるのだが、今回は時事列をまとめるだけの語りなので、以下を覚えてくれればよい。 　高校一年生の春に起こった出来事を順番通りに説明すると、こうだ。 　じぐ蔵に出会い、 　十四松と三途の川で散歩をして、 　懐かしの部長コンビと遊んだあと、部長と共に四辻に巻き込まれ、 　じぐ蔵と主役の座を巡って勝負をした上で見事勝利し、 　じぐ蔵が転校してしまい、 　姉さんという陰陽師に出会った。 　さてここで一区切り。 　春だけでここまで色々あったのだが、どれも懐かしい思い出である。 　ここまでが四月から六月半ばまでのおおよそ二ヶ月半ほどの出来事である。 　さて、では続けて六月半ば以降――つまりはおおよそ高校一年生の夏頃から話しは続く。 　一松、十四松、トド松がいじめにあっていたので、おそ松とチョロ松と共に主犯学生を叩きのめし、 　磯天狗と出会い、 　そしてデカパンと出会い、デカパンが博士になった。 　それから俺は、尾崎に出会い憧れを知り、とある舞台配役から新しい価値観を得て、 　七歩蛇と戦闘し、猛毒の怪異に対して概念で打ち勝った。 　ここまでで一区切り。 　これが六月半ばから九月手前までの出来事である。 　改めてみると中々色濃いのだが、実際はこれよりもっと多くの出来事が起こっている。 　だらだら語っていると長くなるので割愛。 　続けていこう。 　高校一年生の秋ごろから再開する。 　文化祭にて、兄弟らと「六人の妖精」という舞台を行い、その後姉さんと会い、そこで満松という怪異の変質性を聞く。 　ここで、物語は高校二年生へと移るのだが。 　捕捉しよう、高校一年生の冬頃は至って平凡に過ごせていた貴重な期間である。 　――まあ、毎年バレンタインとホワイトデーに怪異に巻き込まれているのが、それは置いておこう。 　高校二年生の――あれは五月ごろだったか、じゃあ春頃に、 　俺は橋本にゃーという少女とわんこという懐かしさを感じる怪異に出会い、 　ゴールデンウィークには海法師に出会い、 　海法師から小太刀を授かり、 　姉さんから小太刀の扱い方を習い、 　死期の近い化け猫を抱え込む一松の様子を気にしながらも夏を迎えた。 　ここで一区切り。 　小太刀につけた名前を覚えているだろうか？ 　【黒松】である。 　この黒松、今後使用頻度が多くなっているように見えるのだが、実際は割と腕力で解決している。 　まあ、閑話休題である。 　高校二年生の夏――まあその少し手前から再開しようか。 　小太刀の扱いに手慣れた頃、俺はにゃーこ……ええと橋本にゃーとカラオケに行った際に怪異に巻き込まれ、ほぼ不死身の怪異と相対し勝利する。 　それから進路希望調査にて悩みに悩みまくり、 　迎えた夏休みで、いつものメンバーである無人島に行く。 　また、その際阿狛と吽犬という姉さんの式神二体をお目にかかる。 　さて、大勢の食屍鬼と相対し、貧血になり倒れた俺が得た結末は、怪異により肉体の概念構築を強制変換された肉塊人間の死だった。 　俺はそこで、怪異を纏う陰陽師の存在について知る。 　――そして高校二年生の冬頃、俺は進路を決める。 　それが陰陽師にはならないが、フリーの怪異殺しになる、という前回の話になるわけだ。 　物語はここから佳境に入るのだが、 　――高校三年生の夏前、 　言霊の拡張に励んでいた俺は、謎の気配を意識するも、弟である一松を優先し、その後チョロ松とトド松のテスト勉強の手伝いでその事をすっぱり忘れてしまった。 　ここまでが高校生最終学年までのまとめである。 　さて、では進路はどうなったのかというと、俺と一松が就職、他四人は進学を選び、おそ松と十四松、チョロ松とトド松がそれぞれ同じ大学に進む事を決めていた。 　そう、決めていたのだが、俺らを遮るのはいつだって薄暗い怨念の塊なのだ。 　ここから先は、俺らの将来を壊さねばならなかった絶望の話であり、そして俺と兄弟達に大きな価値観の差を作ってしまった原因の一つである。 　……ちなみに、価値観の差に関しての最大原因は尾崎である。 [newpage] 　 　この世界は、比較的前世の世界にそって進んでいるが、まあ事が事であり、俺の性格は前世とはかなり違っているので、違ってしまっている部分がいくつもあるわけなのだが、その中で、俺は前世では体験し、今世では体験していないとある事柄があるわけだ。 　簡単かつ簡潔に言おう。 　――下宿人だ。 [chapter:怪異その肆拾漆：恐怖の] 　その下宿人の事を、俺は前世でおそ松から後日談を聞いていた。 　家に泊まりに来た下宿人、――一応言おう、今世でも俺は――俺らは彼に出会っていた。 　ただ、彼を警戒した俺が、彼を兄弟からはギリギリに離れた位置に保たせていたのだ。 　そうしているうちに、彼は捕まった。 　――殺人鬼の強盗の顔や名前を、兄弟達はテレビで見たし、新聞紙を読んだから知っているだろう。 　東郷。 　何も知らなければ良い名字だ。 　知ってしまえば酷い言霊だ。 　強盗を左右に位置変えしたものだ。 　名前通りに強盗に、さらに言えば人殺しになり果てた彼を、再度この目で見たのは、姉さんから手渡された書類だった。 　覚えているかい？　と尋ねられれば、覚えているともさ、と笑うしかない。 　そうだ、昔はこれに飴を貰ったことがある。 　人の好い顔をしているのに、その裏何人も殺していた。 「これが、怪異と何か関係があるのか？」 「切り裂き男――ジャック・ザ・リッパー。 　ここまで言えば聡い君ならわかるだろう？」 　ひゅっと飲み込めなかった息が音を立てた。 　殺人鬼にお似合いの殺人鬼ではないか。 　なんて、なんてひどいことを。 「……姉さん」 「ああ、なんだい」 「こいつを見つけたら、まず先に俺に教えてくれ」 　何がなんでも、これは排除しなければならない。 　これは、この世に居てはならない。 　――愛する兄弟達の居る世界に、こんな者は要らない。 「……そのつもりだけれど、あまり無茶しないでくれよ。 　なんせ、こいつはただの人間なんだからね」 　ああ、知っている、わかっているともさ。　 　東郷はただの人間だ。 　でも――今の俺の馬鹿力なら、倒せないこともないだろう。 　殺すのは駄目だ。 　人殺しは、東郷と同じ人種にまで成り下がってしまう。　だから。 「……生かして、捕まえて、二度と犯罪なんて起こす気になれないぐらいぶちのめす」 「応ともさ、」 　真剣な表情で相槌を打った彼女を前にして、東郷の写真が記載された書類をぐしゃりと握りつぶした。 　　　　○ 【拗らせてるねぇ】 　そう言って苦笑いしたのは満松だ。 　満松を見上げて、俺も苦笑する。 　ああ、確かにと。 　――河豚は別に、存在していてもいいと思えるんだけどな。 【それは私が元河豚だからかい？】 　かもな。 【……うん】 　なんでそこでしおらしくなるんだ。 【なんでここでしおらしくならないと思った？】 　似た言葉で返されても困るので一旦スルー、それから鏡を前に目を細める。 　東郷の事を覚えているか？ 【嗚呼、覚えているともさ。 　胡散臭い笑顔の男だったよねぇ】 　お前みたいな笑い方してたもんな。 【それ私の超良い笑顔が胡散臭いって事？　ねえ君、ねえねえ】 　五月蠅い。 　そこで一度話を区切って戻す。 　面倒な奴が、面倒なもん引っ付けて戻ってきやがったなぁ。 【っていうか、彼、終身刑じゃなかった？】 　不意にテレビをつけてニュースを見る。 　数秒だけ表示されたトピック一覧に「凶悪な殺人鬼、脱獄」という文字があるのを確認し。 【……これ確定だねぇ】 　確定だなぁ。 　ニュース番組から鏡に視線を戻し。 　――東郷が収監された場所から赤塚まで、かなり距離があるんだぞ。それなのにここに戻ってきたって事は。 【まあ、高確率で我が家目当てだろうねぇ……あの問答の後、東郷は強盗に入る家が見つからずに捕まってしまったんだから、それに――六つ子はかなり印象深いぞ？】 　だろうな。 　吐息を一つ、それから一つずつ丁寧に消化されていくトピックに視線を配ってから満松を見る。 【少なくとも、家の場所は教えてないし、東郷は撒いていたから直に家がバレる事は――無理か】 　ああ無理だ。 　何故なら、我が松野家は悪魔のような悪戯っ子のいる六つ子の家で有名なのだから。 　とはいえ、 　挙動の大きい行動はできないだろう。 　相手は指名手配間近の脱獄殺人鬼だ。 【だろうねぇ】 　そこをうまくついて、相手が行動を起こす前にシバく事ができればいいんだがね。 【そうだねぇ、あのさぁ君】 　ん？ 【鏡持つ手が震えてるっぽいけど、大丈夫？】 　――。 　大丈夫じゃ、ない。 【だろうねぇ、河豚毒以来じゃない？　家族全員が命の危機にさらされてるの】 　だ、ろうな。 　今までは個人単体だから助けやすかったんだがな。 【ねえ、君】 　ん。 【もしもの時、君が化け物扱いされたとしても全力を出すだろうから、だから私が言っておくけどさ】 　ああ。 【いつだって、君の傍に私はいるぜ】 【どうあっても、君の隣に私はいるぜ】 【なにやったって、君の向こうに私はいるぜ】 　だから、と満松が微笑んだ。 【怖がるな、[[rb:カラ松 > ヒーロー]]】 　こちらも、笑みで返した。 　ああともさ、[[rb:満松 > パートナー]] 　震えていた手は、ぴたりと止まっていた。 [newpage] 　東郷という男の事を、よく覚えていた。 　あの時目にしたあの男を、どれほど恐ろしいと思ったか。 　――それは幼い頃にさかのぼる。 [chapter:怪異その肆：恐怖のお兄さん] 　僕らが小学五年生だった頃。 　いつも通り皆で外に遊びに行った日、ある男に会った。 　とっても人の好い笑顔のお兄さんで、僕らの顔を見て驚くと、にこやかな笑顔で飴玉をくれた。 　たしか、いちご味で。 　おやつで大戦争を起こす僕らにとって、――少なくともカラ松以外の兄弟にとっては思ってもみないくらい素敵なプレゼントだった。 　飴玉を貰い、すぐに消費する兄弟達の中でカラ松だけ飴玉をポケットにしまいこみ、いつも人懐っこい笑みを浮かべているあいつが微妙な顔をしながら男の人を見上げていたのが妙に印象的だった。 　「下宿先を探しているんだ」とほがらかに笑った男に、おそ松兄さんが「じゃあ、俺らの家とかどう？」と飴玉を貰ったからか無邪気に告げると、カラ松が首を横に振る。 「駄目だ、母さん達の迷惑になる」 　俺らよりも、一歩前に出てそうつげたカラ松は、――今思えば、あれは警戒と言う名の拒絶だ。 　そっかぁ、と残念そうに笑う男に、カラ松に対して兄弟達がブーイングを起こしていたが、それでもカラ松は決して引かなかった。 　駄目だ、お父さんも困る。お母さんも八人分の食事を作るので大変なんだからこれ以上迷惑をかけちゃだめだ。子供が勝手な判断をしちゃいけない。お兄さんには申し訳ないけれど、断るしかない。 　確か、そんな事をつらつらと言っていた気がする。 　家に帰った後、カラ松が頻繁に戸締りの確認をしていたのも印象深い。 　なんでそこまで警戒するのかと思っていたが、理由はすぐに知れた。 　僕がそれを知ったのは、母さんが何気なくニュース番組にチャンネルをあわせた時だった。 「――え」 　その場に、トド松とカラ松と十四松も居て、カラ松はテレビに近づいて僕の隣に座ると、冷めきった目でニュースキャスターを眺めていた。 　トド松と十四松も、不安そうな顔をしながらテレビの画面をのぞき込む。 　そこにはつい数日前、飴玉をくれた人の好い笑みを浮かべていたお兄さんが殺人と強盗の罪で逮捕された、と真剣な顔で事実を述べる女のひとが居た。 　お兄さんが殺した人数を告げ、どれほどの財産を奪ったのかを淡々と述べる姿をまるで非現実かのように眺めていた女をながめていたカラ松が、そうっと目を細めて吐息を零した。 「いつから」 　わかっていたの、カラ松兄さん。 　震える声が、うまく零れ落ちなくて、けれども僕の声に反応したカラ松が目を細めた。 「知らない人に、飴玉もらったかって、ついていっちゃ駄目なんだぞ」 　ゆっくりと吐かれたその言葉に、その場に居た僕たち弟は泣きそうな目で頷くしかなかった。 　――ああそうだ、被害にはあっていない、けれども。一歩間違えば被害にあっていたかもしれない。 　あの時はカラ松によって救われた。 　あの男が外に出ているというならば――今度は俺が、カラ松の代わりに兄弟達を救う番だ。 　ぐっと、夜空の下を舞うように飛んだ。 　ぐるぐると体を回転させて、ビルの屋上に着地。 　立ち上がって、満月を見上げる。 　ぐっと、握りこぶしを作った。 　大丈夫、大丈夫。 　僕とて、あの兄達の弟なのだ。 　だから、僕でも、できる。 　皆を、守れる。 　まずはなにより、とにもかくにも力を上手くコントロールできるようにならなければ。 　飛び上がる。 　長い時間連続で憑依し続けるのは危険だと言われたので、それを守った上で、一時間十分休憩を一日三回。 　本日残り一時間三十分。 　その間にどれほど己の能力を高めることができるだろうか。　 　きっと、あの殺人鬼が我が家に狙いを定めるまでそう時間もないだろう。 　一分一秒でも時間が惜しい。 　目の前のビルに飛び移る。 　たんたんたん。 　警戒な音を立てて、空の気圧に乗るように飛び跳ねる。 　ふと感じた気配に息を潜めてその場に座り込む。 　反射的な動きだった。 　自分でも、自分が何をしたのか理解できなかったぐらいには。 　どこから、 　そんな気配がしたのかと思って辺りを見回してから、ふっとビルの屋上から下を眺めた。 　――まず、鼻についたのは血の匂いだ。 　次に、怪異から漂う悪臭。まるで血を鍋で煮込んだかのような鉄の香り。 　そして――視界に入ったのは、あの男だった。 　果物ナイフを片手に、ケラケラを笑いながらホームレスらしい老人を細かく、細かく、細かく刻んでいく男の姿を見て。 　――逃げ出した。 　僕の判断は、確かに間違ってなかった。 　あの濃厚で、残忍な怪異の気配に今の僕では勝てないと、そう思ったのだ。 　逃げて逃げて逃げて逃げて、 　神社にたどり着いて、どうみたって不精髭が生えただけのおっさんを見つけてとっつ構えて、――それから、大声で泣いた。 　おっさんは何も言わないで、ただ、兄のように僕の背中をトントンと叩いて「よく頑張ったな」と言葉を落としたのだった。 [newpage] [chapter:あとがき] 　どもども。空語はお久しぶりです。 　頭身シリーズの方、必死に書いてるんですが何故かなかなか書きあがらなくて、 　一体何の呪いがかかっているのか謎ですが、ともあれ高校生編ラストスパートきっていきます。 　多分、この後すぐってほどでもないですが、今日（02/24）か明日には悪魔唐マツの方新作でますので、 　そちらの方もよろしくお願いします。 ・次回予告 【未定】 [newpage] [chapter:重要人物一覧] 《人間》 【松野カラ松】まつの・―まつ 　〝もう一人の自分の怪異〟を得た少年。 　二度目の人生を得て、違った人生を謳歌している。 　怪異を寄せ集めるフェロモンを持ち、けれど怪異を確実に殺傷たら占める猛毒を持っている。 　〝合わせ怪異〟という満松とのみ使用可能の小さな怪異を持った。 【部長】ぶちょう 　演劇部三年生部長。 　名前はない。この物語では〝部長〟で通す。 　ホラーやオカルトが好きで、都市伝説漁りが趣味。 　本人は無自覚だが〝怪異ホイホイ〟で〝怪異殺し〟 【姉さん】ねえ― 　怪異限定陰陽師、どっちかっていうと怪異バスター。 　式神を使役しており、主な手持ちは「阿狛」「吽犬」と名付けた二体の狛犬。 【デカパン博士】―・はかせ 　姉さんに腕を見込まれて、怪異の研究を行っている。その片手間に変な薬を開発していたり等々。 【ダヨーン】― 　デカパンの助手 【橋本にゃー】はしもと・― 　怪異ホイホイというわけではないが、怪異に狙われやすい魂をしている。 　自分を助けてくれた〝名前の無い女の怪異〟に名前をつける。 　カラ松とは違って自分で怪異をどうこうすることはできない。 【松野一松】まつの・いちまつ 　化け猫に出会い、ふわっと陰陽師になることを決意した少年。 　現状は新しい出来事に適応する事で精いっぱい。 【おっさん】― 　怪異限定陰陽師。神社を持ち構えている。 　怪異を憑依するタイプの陰陽師で、気さく。 　見た目は青年だけど自称おっさん。 【東郷】とうごう 　強盗で殺人鬼。 　過去に六つ子と出会った後に逮捕されている。 　空語軸では終身刑となったが、のちに脱獄。 　現在何を持って行動しているか不明。 《怪異》 【松野満松】まつの・みつまつ 　元々は〝河豚〟の怪異。 　松野カラ松の名前を貰い、空っぽの名前で縛られる事でカラ松の怪異となる。 　姿はカラ松によく似ているが基本超笑顔。 　別称「もう一人の僕(俺・自分)」「七人目」「クソ松」等々 【赤ずきん】あか・― 　カラ松達の台本に込めた感情と思いに惹かれて産まれた怪異。【赤頭巾】という舞台の後、カラ松の演技に惹かれて、度々カラ松と一緒に〝演技〟する。 　部長が書いた台本が、女性に対する教訓を固めたものだったので、カラ松に憑いていると、カラ松の〝女性〟としての魅力・仕草を高めてしまう。 　カラ松にとっては不本意、赤ずきんにとっては無自覚。 【小玉鼠】こだまねずみ 　部長に憑りついている怪異。 　対象ごと自分を破裂させる。 　存在は小さいが、不死身の怪異であり、何度も己を自己修正して部長を守っている（らしい） 【海座頭】うみ・ざとう 　海に住む怪異。 　カラ松達に色々融通を図ってくれる老人。 　最近のマイブームはゲートボール。 【磯天狗】いそ・てんぐ 　海に住む怪異。 　赤ずきんの事が好きだけど赤ずきんセコム(本人にセコムのつもりはない)が強すぎて毎回「ちくしょー！」と叫んでる。 【わんこ】― 　元はチョロ松とカラ松が夏休み中に出会った女の怨念。チョロ松に対する思いが強かったために成仏しきれず、チョロ松を探して彷徨っていたところで猫の怪異に襲われているにゃーを助ける。 　その後、彼女に名前を貰い、彼女と「ずっと一緒に居てほしい」という言葉で繋がっている。 【海法師】うみ・ほうし 　海物屋の店主。老人姿で人の目に見れる程度には力のある怪異である。 　海に関連する話を語り継いでいるので、海の怪異に関してはスペシャリスト。 【阿狛】あこま 　姉さんの式神、黒く角の無い赤い瞳の狛犬。 【吽犬】うんけん 　姉さんの式神、白く角の有る青い瞳の狛犬。 【化け猫】ば―・ねこ 　死にかけの怪異。 　一松に己の怪異としての概念を明け渡し、死に至るまでを一松に寄り添って生きている。　 【切り裂き男】き―さ―・おとこ 　またの名を「ジャック・ザ・リッパー」 　東郷に憑りついている怪異のようだが、現状は不明。

空語シリーズは兄弟全員が超絶行き過ぎブラコン六人集の中でもカラ松が飛びぬけてサイコパスブラコンのイメージで書いてるので、ブラコン描写で異様に距離が近くてもホモではありませんホモにもなりません。<br /><br />※松のカラ松、空語シリーズは三次創作可<br />作者名・作品名のいずれかを明記お願いします。<br />なお、ヘイト作品でのご使用はおやめください。<br /><br />※誤字脱字報告はメッセージでお願いします。

松のカラ松、空語　１７

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「沙希さん…深夜帯のバイトしてるって本当ですか？」 「い、いきなりどうしたんだい？そんなこと聞いて」 一瞬目を横に逸らして、直ぐに元の表情に戻る。 「いや、耳にしてから何となく気になったもんですから」 「そんなことあるわけ無いじゃん。アハハ…」 嘘吐くの下手だな。 「ネタは上がってるんですよ？それでもまだ白状しないんですか？」 警察官みたいな感じで訊いてみる。 まぁ、知ってるっていうのは半分本当で半分虚勢（ブラフ）なんだが…。 「ぐっ…。そうだよ、バイトしてるよ」 「一体なn「兄貴は三年だから勉強に集中させてやりたいし妹だってお金が色々かかるし…。うちは自体大して裕福でもないから、私が予備校とか行く分の金が無いから自分で稼ぐしかないの」…はぁ、そんなことか」 若干、いや、かなり呆れる。 「そんなことって…っ！！」 こちらをギロリと睨みつける沙希さん。 怖い。私、涙が出ちゃう。 だが俺は、それにも挫けずに、道化を演じる。 「いや、そんなにつんけんしないで下さいよぉ。用意周到な沙希さんでもこういうことにはあんまり目がいかないんだなぁって思いまして…」 てか、もっと嫌な人間像になってきた。方向性変わっちゃってる。 若干だが目くじらを弱めた沙希さんに、あるものを見せつける。 「えっと…。どこだっけ…あ、あった。 　[chapter:デッデレー！！塾のパンフ～]（○ラえもん感）」 沙希さんはいきなりのドラえ○んに目を丸くしている。 このまま一気に畳み掛けようか。 「えっと、沙希さん通ってる塾って確か…「佐々木ゼミナール。あんたと同じ所」でしたよね～。…あ、これだ。」 俺は佐々木ゼミナールのパンフレットを取り出すと沙希さんにある部分を指し示す。 「ここ、この『スカラシップ』ってやつです。」 沙希さんの頭にクエスチョンマークが浮かんだようなので補足で説明する。 「えっと、このスカラシップは、成績優秀な塾生の費用を補助したり免除する制度なんです。俺も実際これを使って親父から金を貰ってます」 「へぇ、そうなんだ…。最後の方はあんたの姉さんに伝えておくからね」 「それだけはやめて！」 俺の資金が無くなっちゃう！ 「ふふっ、冗談だよ」 そう言って沙希さんは俺の頭をなで回す。 「ちょっ、くすぐったいですって。このっ…「！」」 ドサッ 仕返ししようとして一緒に倒れてしまった。てか押し倒した。 そして、沙希さんの上に俺が覆い被さるような格好になり、 互いの唇がくっついていた。 「…！」 俺が慌てて離れようとするが、沙希さんが抱きついてきて逃げられなくなった。 だから、敢えて俺は男としての意地を見せることにした。 [newpage] 数分後 沙希「…///」ﾌﾟｼｭｰ 顔から煙出るくらい恥ずかしいんならやんなきゃ良かったのに…。 結局、あの後数分の間、沙希さんと互いの唇を重ね合わせていた。 そして、授業のチャイムに驚いて、お互いに離れたら、沙希さんが顔を真っ赤にして女子座りしていた。 …はぁ、授業どうしよ。まあ、後で城廻にノート見せてもらうとしよう。 あれ、今の時間って…？ スマホを開いて今日の日程を確認すると、 △日(水) 四時限目　家庭科(鶴見Ｔ) 五時限目　現国(平塚Ｔ) 五時限目　[chapter:現国(平塚Ｔ)] 　　　　　　[chapter:(平塚Ｔ)] あっ…… 続く。

やはり俺の周りには変態が多すぎる…　０６

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　学校からの帰り道、アイチはあまり軽くはない足取りで一人とぼとぼと歩いていた。 　普段一緒に帰宅している森川と井崎は今、傍らにはいない。今日が提出期限だった課題のプリントを出さなかったために、教師に居残りを命じられてしまったのだ。 　正確に言えば命じられたのは森川だけで、井崎はその巻き添えを食った形になる。要するに無理矢理付き合わされたのだ。 　しかし基本的に人の良い彼は、白紙のプリントを前にしてぎゃーぎゃーと喚く元凶に苦笑を漏らしつつも仕方ないと言った風に一緒に居残ることを選んだ。そしてそんな二人の傍で事の成り行きを所在無さ気に見守っていたアイチにまでとばっちりが向かう前に、先に帰っていいぞと助け舟を出してくれたのだった。 　――――だが。 「これからどうしよう……」 　今月はもう殆ど手持ちが残っていない為にカードキャピタルに向かうのも何となく気が引け（行くと新しいパックを買いたくなってしまうからだ）、かと言って折角の井崎の厚意を無碍にして自分も残るとも言いだせず。結果としてアイチはこうしてぽつんと帰路に着く羽目になっていたのだった。 「このまま大人しく家で勉強するしかないかなぁ」 　曲がりなりにも中学三年、歴とした受験生だ。最近はすっかりカード漬けの毎日を送っていたが、すぐ間近まで迫っている進路と言う名の壁を乗り越える為にもここは学生の本分に立ち返るのが賢明だろう。　 　自分には、どうしても進学したい学校も理由もあるのだから。 　よし、と心を決め、先刻よりも幾らか力強く足を踏み出したアイチだったが――――十数メートルも進まないうちに、ふとその歩みを止めた。 「あ……」 　視界の前方に小さく見える公園。 　等間隔に植えられた低木で囲まれた、一見するとありふれた憩いの場所であるそこは、しかしアイチにとっては様々な意味での特別な場所であり、大切な思い出の場所であった。 （櫂くん……今日は居る、かな） 　アイチの想い人である櫂トシキは、よくこの公園のベンチで横になっていることが多かった。勿論毎日という訳ではないが、時折傍を通りかかった際、生垣の向こうに特徴的に跳ねた髪が揺れているのを目にすることがある。 　しかし櫂がそこに居たからといって、別段アイチが彼に声を掛けるのかと言えばそんなことはない。少し離れた所から彼の姿をちらりと一瞥して、緩む頬を抑えながらその場を後にする、ただそれだけだ。 　仮に話し掛けたところでいつぞやのように迷惑そうに顔を顰められるのは分かっていたし、そもそもほんの一瞬でも櫂の姿が視界に入るというだけで、アイチにとっては充分すぎる程に幸せだったから。 　あの薄鳶色の髪を、端正な顔を、湖の底のような深い双眸を。一目見るだけでアイチの胸の奥はまるで陽が射したように明るく、暖かくなるのだ。 　僅かな期待を胸に抱き、そっと梢の先を覗いてみる。心の中に思い描いた人の姿は、しかし今はそこには無かった。 「――――…………」 　そこには誰もいない青いベンチが、無機質にぽつんと佇んでいるだけだ。 　予想していたこととは言え、やはり多少は落胆する。真っ直ぐ自宅に帰ってしまったのか、或いはまだ学校に残っているのか、はたまた以前三和が言っていた“裏ファイト”なるものに向かったのか。 　何にせよ櫂はここには居ない。いつもならば溜め息をひとつ零してこのまま踵を返すところだが、今日は何となく――――本当に何となく、そのまま足を進めて公園の中へと入っていった。 　普段櫂が寝ているベンチの隅に、どことなくどぎまぎしながらちょこんと腰を下ろす。ほんの少しでも彼の人の温もりが残ってはいないものかとそっと手を伸ばすが、当然ながら掌に返るのはひやりとした硬い手触りだけだ。 「櫂くん……」 　僅かに顔を曇らせると、アイチは傍らに鞄を置いて息を吸い、辺りを見回した。 　草木の香りとそれに混じった土やアスファルトの匂い、頬を擽る風、柔らかに降り注ぐ陽光。子どもの喧騒と時折通る車の音、擦れる木の葉。　これらは全て櫂がここで見ているもの、聞いているもの、感じているものだ。そう思うだけでアイチはどうしようもなくくすぐったいような居た堪れないような、ひどく面映ゆい心地になる。こんなちっぽけなことで、と人によっては滑稽に見えるかもしれないが、アイチにはそれだけでも胸を詰まらせるには充分すぎる要因だ。決して大袈裟でなく、彼にとっては櫂と自分が同じ時を生きているということだけでこの上ない喜びに繋がるのだから。 　それ程までに、櫂という存在はアイチの憧れであり目標であり、何よりも大切な人だった。どんなに想っても想い足りない、アイチの心を占める太陽に等しい存在だった。 　――――眩し過ぎて、直視出来ない程に。 　こんなにも想う相手がいることが、嬉しいと同時に少し怖くなる。もし自分と彼との間に何かあったら、このお世辞にも強いと言えない心は簡単に壊れてしまうのではないだろうか。その「何か」が良い事でも、悪い事であっても。 　膝上に置いた手をぎゅっと握り締め、不意に高まった動悸を鎮めるように息を吐く。俯いた拍子に覗いた足元のコンクリート製の四角い舗装材の上を、小さな蟻が餌を求めて忙しなく過ぎっていった。 　その何でもない光景にふっと肩の力が抜け、知らず引き結んでいた口元も緩む。小春日和の暖かさの中、せかせかと動き回る小さないきものの姿を、アイチは柔らかな眼差しで眺めていた。 　と、そこでふっとアイチの視界に影が落ちる。 （…………？） 　今日は殆ど快晴に近い空模様だったので、雲がかかったとは考えにくい。周囲にそれ程背の高い木が生えている訳でもないので、つまりは誰かが丁度自分に影がかかるような位置に寄ってきたということだ。俯いたまま少しだけ視線を動かすと、焦茶色をした靴先が見えた。 （何だろう……、何か用があるのかな？ ……僕に？ でも全然話し掛けてこないし……） 　おまけにその影の主は、先刻からぴくりとも動かない。じっとこちらを向いて立っているようだ。 　早く顔を上げて相手を確認すれば良い話なのだが、生来が気の弱いアイチはどことなく決まりが悪くなってしまい、そのまま自分と相手のつま先を交互に見詰めていた。掌にじわりと汗が滲み、気まずい沈黙がその場を包み込む。 　しかしその停滞した空気は突然、聞き覚えのある声によって破られた。 「――――おい」 「ふえっ……、あ、櫂くん！？」 　弾けるようにして頭を上げたアイチの眼差しの先にあったのは、つい先刻まであれほどに思い描いていたふたつの翠。僅かに紫がかった青色の制服に身を包んだ、すらりとした長身痩躯。色素の薄い肌と整った顔立ち、まごう事無き櫂トシキがそこに立っていた。 　常人には耐え難い位の強い光を湛えた目が、真っ直ぐにアイチを見据えている。薄鳶の髪がさらりと風に揺れ、まるで深い湖水に浮かぶ羽根のように美しいコントラストを織り成していた。思わず言葉を忘れて魅入っていると、形の良い眉がぴく、と訝しげに顰められたので慌てて何でもない、とわたわた両手を振る。 「えっと、櫂くん、ここにお昼寝に来た……の？」 「……ああ」 「あ、あの、ごめんね。すぐ退くから」 「何故」 「へ？ なぜ、って……」 　鞄の取っ手を掴み、慌てて立ち上がろうとしたアイチを、櫂は視線とたった一言の言葉だけで制した。蒼い大きな瞳がきょとん、と瞬きひとつをして丸くなる。 「俺がここに来たことで、どうしてお前が退く必要がある」 「え、でも、ここは櫂くんの場所だし、僕が座ってたら邪魔になるし……」 「ここは公共の場で、そのベンチも公共物だ。俺に占有権がある訳ではない。だからお前が去る必要はない」 「ふえ……はわっ！？」 　言い捨てるなり、櫂は戸惑うアイチの隣にどさりと腰を下ろした。背の高い彼には座高の低いこのベンチは座るには少々そぐわないらしく、長い脚が窮屈そうに組まれている。その様子にアイチは一層居た堪れなくなり、両手で鞄を胸に抱いてきゅうっと身を縮こまらせた。 「あのっ、やっぱり僕……、」 「…………」 「なんでもない……です」 　勇気を振り絞った一言も、櫂が一瞥するだけでしおしおと萎んで引っ込んでしまう。 　それから暫し――アイチにしてみれば永遠とも思えるような長さで、互いに視線を合わせる訳でも言葉を交わす訳でもない、何とも微妙な時間だけが二人の間を鈍く過ぎ去っていった。折を見て櫂の様子をちらりと伺おうともしたが、ばちりと目が合ってしまったので慌てて逸らす。 　先程まであんなに輝いて見えた景色も音も匂いも、今は全く頭に入ってこない。鼓動だけがただひたすらに激しく脈打っていた。 （どうしよう、どうしよう、どうしよう……っ！） 　今、この二人きりの空間で、櫂が自分の隣に座っている。　これが普段のカードキャピタルや、ヴァンガード大会の控え室などでの状況だったならここまで緊張はしなかっただろう。しかしアイチはついさっきまでここで一人、深い回想に耽りながら櫂に思慕の情を募らせていたのだ。ほんの少し手を伸ばせば届くような、心臓の音まで聞かれてしまいそうな距離に当の本人がいることを、意識するなという方が無理な話というものだ。 「や、やっぱりあの、僕帰るねっ」 　とうとう混乱が限界に達したアイチは、今自分の頭から蒸気が吹き出していないことを奇跡に思いながらその場を走り去ろうとした。 　が、不意に伸ばされた大きな手が、年頃の少年にしては細いその手首をはっしと捉える。 「か、櫂くん！？」 「――――アイチ」 「はいっ」 「座れ」 「え」 「いいから。座れ」 「……はい」 　臨界点を越えてじわりと涙さえ滲ませているアイチを、櫂はごくごく短い単語で支配した。浮いた腰が再び下ろされたのを確認し、もう少し奥に行け、手をどけろと次々に指示が出される。アイチはただひたすらはい、はいと頷きながら言われた通りに動いていった。 （櫂くんは、僕専用のリモコンか何かを持ってるのかなあ） 　麻痺した頭で馬鹿なことを考える。それも仕方のないことで、今のアイチの姿といったらまるで壊れた人形のようだ。それでも人形と決定的に違うのは、否応無しに従っているわけではなく、櫂の声で告げられる言葉には自ら進んでそうしたい、と思ってしまうところだ。人形というよりは、躾けられた犬という喩えのほうが近いかも知れない。 　それに何より、櫂の口調はぶっきらぼうで冷たい印象があるものの、根底には人形や犬と思う相手に対して向けられるようなものでは決してない、確かな暖かさが感じられるのだ。 　そんなことを考えながら、知らずにふわりと口元を綻ばせたアイチの隣で櫂が一瞬だけ瞠目し――次の瞬間にはその薄鳶色の頭がとすん、と揃えられた膝の上に横たわった。 　両腿に感じる質量に、今度こそアイチの思考が弾け飛ぶ。 「かっ……かかか、櫂くんっ！！」 「五月蠅い。昼寝の邪魔だ」 「ひ、昼寝って……あの、この状態で……？」 「当たり前だろう」 「で、でも……っ」 「黙ってろ」 「……はい……」 　強い翠の光で見据えられると、アイチはそれ以上何も言えなくなってしまう。驚きと戸惑いと、泣き出したい程の幸福感が身の内を駆け巡って止まらない。この重さと制服越しの体温が、これが夢でもなんでもない確かな現実であることを伝えてくる。　上向いた櫂の陶器のように白く滑らかな貌に、長い睫毛が影を落としている。一つ一つのパーツは女性的な美しさなのに、それらを統括する輪郭や骨格は間違いなく男性のものだ。すらりとした鼻筋や顎のライン、自分とは全く違う確りとした首回り、緩く上下する喉仏。息を飲むくらいに整った容姿が、アイチの視線を容赦無く奪っていく。 　勿論外見だけではない。櫂のその他者を寄せ付けない圧倒的な強さ、堂々とした立ち振る舞い、強靭な意思、どんなときでも揺るがない心、……そして、その奥に流れる確かな優しさ。 　櫂トシキの何もかもが、先導アイチを魅了して止まないのだ。 「櫂くん、あの……」 「…………」 「ご、ごめんなさい邪魔して。でもあの、どうしてこんな」 　中学三年の男子の平均体重を余裕で下回っている痩せっぽちの自分の膝など、お世辞にも寝心地が良いとは言えないだろう。自宅に帰るなり別のベンチに移動するなり、もっと安眠できそうな方法はいくらでもある筈なのに。 　眉をハの字にして困惑するアイチを薄目を開けて暫し見た後、櫂は徐にその紅潮した頬へと手を伸ばした。突然触れた体温に、びくりと細い肩が跳ねる。 　そしてそんな様子などお構いなしといった風に、寡黙な薄い唇が開かれた。 「……先刻言った通り、このベンチは公共の物であって俺の私物ではない」 「うん」 「だから、俺の都合で好き放題に使用していいものではない」 「……うん」 　櫂の言わんとしていることをひとつも聞き逃さないよう、アイチは真剣な面持ちで頷き返す。 「だからだ」 「……えっ？」 「だから。――このベンチは俺の物ではないから俺の好きには出来ないが、俺の物だとはっきり分かっているものに関しては、俺がどうしようと俺の自由だ。枕にしようと、何にしようとな」 　それだけだ、と。 　そこまで言った所で櫂はゆるゆると頬を撫ぜていた手を離し、再び目を閉じてしまった。やがて幾らも経たないうちに微かな寝息が聞こえ始め、アイチは彼が本格的に寝入ってしまったことを悟る。 「ええと……」 　結局頭が混乱したままで、アイチは櫂が言っていたことを理解しきれていなかった。処理能力が追いついていない、と言った方が正しい。 「つまり櫂くんはベンチは駄目だけど、僕のことは好きにするってことなのかな……」 　口にした言葉は第三者が耳にしていた場合、多大なる誤解を与えかねないような内容であったが、幸いにしてこの場にいるのは当人とその膝上で寝こける男のみ。そして強ち誤解とも言い切れないのがまた問題であったが、今のアイチがそれに気付ける筈は到底なかった。 「……まあ、いいか」 　だって今、櫂くんがここに居てくれるのだから。 　さあ、と涼しげな風が二人の周りを流れていく。 　普段の気難しさを微塵も感じさせない、あどけない顔で眠る想い人の額にかかる前髪を払い、先導アイチはひどく幸せそうに微笑んだ。

何このジャイアン。

ドミニオンの行方

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=646304#1

「ここはどこだよ！」 　ウェイバーが叫ぶ。 　いつもならばデコピンの一つでもお見舞いで黙らせるライダーだったが、今回ばかりはその手を顎の下に持ってきている。ふさふさの髭を撫でながら、辺りを見回した。 　先ほどまで冬木の空を偵察代わりにゴルディアス・ホイールで疾駆していた筈なのだが。 　どう見てもここは冬木の地ではない。 　あのごみごみとした喧騒とは無縁な――平たく言うと森である。小鳥は囀り、生き物の気配があちこちに感じられた。 「ライダーお前、なんか変なことしたんじゃないだろうな！」 「いや、まったく身に覚えがない」 「だったらなんなんだってこんなところに僕らが移動させられてるんだよ！」 「余が知るか。しかしここの空気はまことに清浄であるな」 　きょろきょろと辺りを見回す。知らない土地ではあるが、どこか心が落ち着くのだ。 「…まあ、そうだよな。なんか…オドが充満してるし、なんだか懐かしい気もする…」 「うむ。余も絶好調だ。これから何度かアイオニオ・ヘタイロイも使えそうだな」 「使うなよ！　あれは切り札なんだからな！　一時のノリとテンションで使うなよ！」 「判っておるわ。うるさいのう」 「使いそうだから釘刺してんだよ…」 　がくっ、と肩を落としたときだった。 　周囲の気配がざわりとざわめいた。ライダーが長剣を抜き放つ。ウェイバーは素早くライダーの傍に寄った。 　茂みから出てきたのは見るからに野盗、といった風体の集団だった。 「へへ、あんたら、随分奇妙なもんに乗ってんじゃねえか」 「立派な戦車だ」 「牛までいるとはありがてぇ」 「命が惜しかったらそれ、置いていきな」 　正面に三人、後方に二人、少し離れた位置に弓兵が一人。ライダーの体格を見て怯まないところを見ると、彼らも何度か仕事をこなしてきているベテランであるらしい。 　しかし彼らの目はライダーが放つ覇気も、歴戦の雄の風格も感じ取れなかったらしい。 　彼が戦車から降りて一歩足を踏み出す。 「ライダー！」 「おぬしはそこにおれ。すぐ片付ける」 「へぇ、俺たちをすぐってか！」 「そりゃ頼もしい！」 　ゲラゲラと笑う野盗の剣が、征服王の一薙ぎで悉く折れる様を、ウェイバーの目は追えなかった。一瞬の出来事過ぎたのだ。 　それは野盗も同様だったらしい。頼みの綱であり商売道具でもある剣が一瞬で圧し折られ、彼らは狼狽した。 　だが慌てふためく時間も与えず、ライダーの剣の腹が彼らの脳天を襲う。それでも加減したのだろう、彼らはこの場で昏倒するのみだった。 　正面の三人を瞬く間に片付けたライダーは、茂みの向こうで光る鏃を睨みつける。 　そして手近にあった石――というより岩に近いそれを掴み上げて、弓兵に向かって投げつけた。枝の折れる音葉の散る音、そして人間の拉げる音が森に響いた。 　これで四人。 　これで逃げていてくれれば、と思った矢先、彼のマスターの悲鳴が上がった。 「ライダー！」 「…まったく、あの坊主は…」 　簡単に捕まって人質になっていたのだ。 　魔法の素養が少しでもあるのならば、防御結界ぐらい構築していても良さそうなものだが、思い至らないほど彼もこの状況になじめていないらしい。 　薄っぺらい肩を押さえつけられて、白い咽喉に突きつけられた刃。 「たっ、助けろよぉ…っ」 「そうあっさり捕まってくれるな」 「しっ、仕方ないだろお！　僕はこんな肉体労働なんて向いてないんだ！」 「まったく手間のかかる…」 「俺らを無視して会話すんじゃねえよ！　とりあえずそこのでっかいの、武器を捨てろ！」 「いいのか？」 「は？」 「余は武器なしでも充分貴様らの首級を上げることが出来るぞ」 　のう、とライダーは口の端を吊り上げて見せる。 　彼らは先ほどライダーが岩石をつかみ上げて遠くにぶん投げる様を目の当たりにしている。ウェイバーは男たちが唾を飲み込む音を聞いた。 （ビビッてんなら早く僕を解放しろお！） 　心の中で叫ぶ。なにせ今、咽喉の皮膚に鋭い刃が食い込んでいる。少しでも引かれれば避けてしまうほど肉薄しているのだ。 　ライダーが一歩踏み出す。 　男たちは怯んだようだが、まだウェイバーを解放しない。 　もう一歩踏み出そうとしたときだった。 　ウェイバーを捕えている男の後方で重い音がいた。なにかが倒れる音。気配もなにもなかったが、その物音で男が振り向く。 　そこには一人の青年が立っていた。 　彼の手には、短槍と長槍が握られている。男はあからさまに動揺した。 「おっ、おまえは…！」 「今すぐ武器を捨てて去るがいい。そうすれば今は見逃してやる」 　鋭い視線一つくれてやれば、男はナイフを放り投げて泡を食って逃げ出した。ナイフと一緒に放り出されたウェイバーは尻餅をつく。 　それより、二人は驚いていた。 　そこに立っている人物――彼を二人は知っていた。 　よく、というわけではない。ウェイバーにいたっては一度も言葉を交わしたことはない。だが彼の名前は知っていた。 「大丈夫か？」 　槍を左手で持ち、開いた右手を差し出してくる。泣き黒子が特徴的な青年の名は―― 「俺はフィオナ騎士団所属、ディルムッド・オディナと申す者。怖い思いをさせてしまったようだ」 「な、な、な――」 　あまりのことに言葉が出ないウェイバーに、ディルムッドは眉根を寄せた。よほど怖かったのだろう。 「本当に…恐ろしい思いをされたのだな。しかしもう大丈夫だ」 　ディルムッドの手をとって立ち上がったウェイバーは、頻りにライダーを振り返って自分の驚きを伝えてくる。ライダーも少しは面食らっていたが、マスターほどではなかった。むしろそこまで驚かれると、こっちが驚くのが馬鹿馬鹿しく思えるほどだ。 「貴殿はこの方の護衛か？」 「うむ、相違ない」 「見るからにこの辺りの御仁ではないな…。そこな二人を仕留められたのも貴殿か」 　ライダーの足元に転がっている二人を見て、ディルムッドはふ、と思う。 　剣が折れ、地に伏している彼らは頭に大きなたんこぶをこしらえるだけで助かっていた。 　殺すまでもなかったか、それともこの小さな主に血を見せたくなかったのか――どちらにせよ、この堂々たる体格の男が只者ではないことを悟った。 「どちらからお出でになられた？」 「う――えーと、その、遠く、かな？」 「遠方から？　それはさぞお疲れになったでしょう」 「ま、まあ？」 「ここであったのもなにかの縁だ。狭きところだが、我が家においでくださらんか」 　え、と言葉を詰まられたウェイバーと打って変わって、ライダーは、まことか、と乗ってきた。 「わっ、馬鹿、ライダー！」 「折角持て成してくれるというのに、応じぬわけにはいかんだろう」 「男の一人暮らしゆえ、使用人もそう多くはないので充分に持て成せるかも判らぬが、この辺りには宿も少ないゆえお困りになるだろう」 「うむ。かたじけない！」 「じゃないだろお！　ていうか…なんでそこまで…」 　躊躇いのまま見上げると、ディルムッドは優しく微笑んだ。 「困っている婦女子を助けぬわけにはいきませんから」 「――婦、女子…？」 　ウェイバーはライダーを振り向く。 　彼はゴルディアス・ホイールをさっさと消して、のしのしとこちらに歩いてきている。にやついているところを見ていると、しっかり聞こえていたのだろう。 　ライダーを婦女子と見るやつはどこにもいないだろう。というかいたらそいつは眼科か心療内科に行くべきだ、とウェイバーは混乱した頭で思う。 　ということは、消去法で、婦女子はウェイバーを指すこととなる。 　今までさんざひょろいだなんだと言われてきたが、女と間違われたことは一度たりとてない。 「ふざけるなよ、僕は――」 　男だ！　とディルムッドに食って掛かろうとするウェイバーをライダーの分厚い手が止める。もがもがと口を塞がれ肩を押さえられれば当然言いたいことも発せない。 「すまぬな。少々気が強くて」 「いや、先ほどまで命の危機にあったのだ。多少動揺していてもおかしくはない。それよりどこも怪我はしておられぬか」 「うむ、これだけ暴れられるのだ。問題なかろう」 「そうか。ではどうぞこちらへ。少し歩くが、わが家まで案内しよう」 　さあ、とディルムッドは先頭にたって歩きだした。ライダーはウェイバーをぶら提げたままその後を追う。 　口を覆う手を叩いて抗議したウェイバーに、ライダーはそうだった、と言って手を離す。 「どういうつもりだよ」 「なにがだ」 「ついてったり、僕を女だと思わせたり、だ！」 「どうせ行く当てもないのだ。ここは成り行きに任せるしかなかろう。おそらくここはランサーが生きていた時代に相違あるまい。ここですぐランサーめに出会ったということは、ここにきたきっかけが彼奴にあると断じて間違いないだろう」 「…ケルト神話だぞ、それ」 「おぬしもランサーについて、真名が判ってから調べてただろうが」 「そりゃまあ…」 　書店とインターネット程度だが彼の逸話――というより神話をいくつか読んだ。どれも悲劇の物語だった。 「それにフィオナ騎士団とやらは女子を丁重に扱う誓約があるらしいではないか」 「だからってなあ…」 「否定はしとらんだけで肯定もしとらんのだ。いざとなってもいくらだって誤魔化しようはある」 　だから気にするでない、とウェイバーを地面に下ろし、ライダーは快活に笑う。こんな状況になっても、この適応力Ａクラスは順応している。ウェイバーにはまったく真似できない芸当だった。 　森を抜け、道になっているところを歩く。 　当然ディルムッドの後ろを歩く辺りは浮いていた。一人は王様かと思う程立派なマントを羽織っている身の丈２メートルの巨漢であるし、その傍には奇怪な服を着た少女があちこち見回しながら歩いているのだから。 　だがディルムッドが先陣を切っているということで、誰も不思議には思えども不安には思わなかった。 「ここだ」 　小さいだろう、といわれた家は、それでも大きいなあ、とウェイバーは思った。マケドニア王にとっては小さいだろうが、ロンドンでの寮住まい経験者から見れば充分に広い。 「どうぞなかへ」 　うむ、と入っていくライダー。 　ウェイバーは辺りの風景に目を奪われていた。 　先ほどから感じていたオドの気配。神代の時代だからか、あちこちが輝いて見えるのだ。 　危害を加える人間がいないことで安心したのだろう、余裕が出てきたウェイバーは、ライダーが傍にいないことにも気付かず、家を取り巻く妖精の気配にうっとりしていた。今のロンドンでもこうはいかない。 「…どうなされた？」 「えっ、いや、なんでも…ここは、妖精の気配がたくさんあるなって…」 「あなたは妖精が見える人なのか？」 「見えるっていうか…感じるというか…」 　そうか、とディルムッドがふ、と微笑む。男から見ても彼の顔は整っていたので、ウェイバーはなんとなく気恥ずかしくなって目を逸らす。 「俺も感じる程度なのだが、やはり――妖精は我が家にも居るのだな」 「いい気配ばかりだよ。悪戯するやつもいるけど、そう酷いもんじゃないだろ」 「そうだな」 　とても嬉しそうだなあ、とウェイバーがディルムッドを覗き込む。その視線に気付いたのか、今度はディルムッドが恥ずかしそうに視線を外した。 「いや、すまない」 「どうしたのか、訊いていい？」 　うむ、と少し咳払いをして、ディルムッドは話しにくそうにぽつり、と漏らした。 「俺は、その、呪われた身でな」 「えっと…」 　その黒子だよね、という言葉は飲み込んだ。 「どうやら婦女子を惑わせてしまうらしいのだ。生まれながらのものだと育ての父は言っていたのだが――女子で、俺と普通に接してくれたのはあなたぐらいで、な。少し嬉しかったのだ。この呪いが効かぬものがいた、と」 　とても嬉しそうにはにかむ彼に向かって（そりゃ男だからな！）といえる勇気はさすがになかった。ここまで喜ばれるとネタバレし辛くなってしまう。というか、できない。 　中に入ろうか、と促されたときだった。 　彼を呼び止める、高い声が背後から掛かった。 　振り返るとそこには、一人の少女がいた。頬が上気しているのは、なにも走ってきただけではないだろう。 「グラニア、様――」 　先ほどまで喜色に輝いていたディルムッドの表情が瞬く間に曇った。それとは対極の顔をしたグラニアがディルムッドに駆け寄る。 　そこで初めて表情を曇らせた。ウェイバーに気がついたのだ。 「オディナ様、この方は――」 「あ、ああ…先ほど森で野盗に襲われているところをお助けした旅の方です。お困りのようですので、今夜我が家に泊まっていただこうと思いまして」 「泊まって！？」 　愕然としたグラニアは、あからさまな敵意をウェイバーにぶつけてきた。 　グラニア――ディルムッドが仕えるフィンの妻候補の娘。ある意味ではディルムッドの運命の女である。 　彼女のためにディルムッドは騎士団を離れ、結果命を落とすこととなる。 　諸説分かれるが、ウェイバーが見た資料の中では、彼女がディルムッドに婦女子の願いを叶えるという誓約の行使を迫ったため、彼は渋々彼女を連れて逃げ出したというものもあった。 　実際、こんな鋭い目で睨みつけてくる彼女を見ると、あながち間違いではないのではと疑ってしまう。ただ、それらは全て恋する乙女のものだった。 「男性の方の一人住まいに女性が一人、というのはいささか外聞が悪いのではございませんか？　いえ、オディナ様を疑っているわけではありませんが、その…」 　やっぱり誰から見ても僕は女扱いか、という言葉をぐっと呑む。 　ディルムッドは軽く頭を振って、グラニアに言った。 「いえ、従者の方もいらっしゃいますので、ご心配には及びません」 　それよりなにかございましたか、と尋ねれば、グラニアは「近くを通ったものですから」と頬を可愛らしく染めてはにかんだ。 　一歩離れて、なんの前知識もなく二人を見れば、どこにも問題はない男女である。 　だがこれから二人は道を踏み外し、ディルムッドは奈落へと落ちるのだ。 （僕はどうしてここに来たんだろう） 　まだ答えは出ていない。しかし屋敷からライダーの声が聞こえたので、ウェイバーはこれ幸いとその場を辞した。 （もしかして） 　古いがしっかりとした木材で作られた、魔除けの飾り彫りがされている扉を開けて、思う。 （僕らに、ランサーを救って神話を変えろとでもいうのか！？） おわり。

アニメ9話を見て書きたくなったもののカケラです。私はどうにかしてランサーをライダー組で幸せにしたいらしいです。2011　11/30小説DR 12 位　…(　ﾟдﾟ) ・・・ (つд⊂)ｺﾞｼｺﾞｼ　(；ﾟдﾟ) ・・・ (つд⊂)ｺﾞｼｺﾞｼｺﾞｼ 　（；ﾟ Дﾟ） …！？ 　あまりのブクマに心が大変なことになってしまいました。服を回収するべく、続き頑張ります！　ありがとうございます！　追記・コメントにお返事させていただきました！　ありがとうございます！

タイムスリップ！

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松野家に生まれし六つ子のうちの二番目、それが私だった。一番最初の女の子で、いわゆる長女というやつだ。私の他には無鉄砲な男兄弟が３人いて、かわいい妹がふたりもいてくれた。 みんなそれぞれ大好きで、大切な私の兄弟だったが、その中でも特別、憧れを持つ人がいた。 それが私たちの長男、松野おそ松。六つ子の絶対的なリーダーで、太陽みたいな人。突拍子も無いことを思いついて、兄弟たちを引っ張っていく背中はとても大きくて、幼い頃からほのかな憧れを抱いていた。 それぞれでふたり組を作るようになったのは、父さんと母さんが影響していたと思う。面倒が見やすいから、といった理由でよくふたりずつに分けられていて、それは案外私たちによく馴染んだ。次第に両親と共に行動しない時間は多くなっていったが、よく決まったふたり組でいることが普通になった。 私は長女で二番目だったから、長男で一番目のおそ松と行動することはよくあることだった。 その頃の私は、この兄の隣に立って、同じ目線に共に立ち、喜びや悲しみを共有できる唯一になりたいと願うようになっていて、口には出したことがなかったが、実は期待していた。 もしかすると私が描いていた通りになるんじゃないか。長男の隣に、唯一になれるのではないか、と。 しかしそんな都合のいい想像はすぐに覆されるた。答えだけを言ってしまえば兄が手を取ったのは私ではなく、妹のチョロ松だったのだ。 女の子という枠組みに縛られない自由奔放な性格。男勝りで、やんちゃで、いたずらに笑う顔が一番に似合うかわいい妹。おそ松が手を引いたあの日から、ずっと前からそうであったかのようにぴっちりはまったピースのように、彼女と彼は誰よりもお互いに近い存在になった。 おそ松とチョロ松のように、片方が選んでそうなったふたりもいれば、最初から自然と決まっていた兄弟もいた。それが末っ子ふたりの十四松とトド松だ。 あの子たちには、あの子たちしか分からないふたりだけの世界があった。いつもどこかしらを触れ合わせて、隣にいることが当たり前であるかのように振る舞う姿に、少し嫉妬をしたものだ。私にはそんなものがひとつもなかったから。 そうしてふたり組が決まっていった中、自然と弾き出されたのは、次男の一松だった。優しい弟と妹がもし自分と組んで、どちらかが余ってしまわないように、自ら望んでひとりになったのだ。そういう優しい心を持った、愛おしい弟だった。 「カラ松、遊ぼう！」 ふたり組で行動していたと言っても、十四松とトド松からよく懐かれていた一松は、片割れを必要とはしていなかった。だと言うのに、いつも私のそばにいてくれたのも、きっと私の様子を見かねてだったのだろう。 おそ松とチョロ松が遊びに行くのを見送った後、いつの間にかそばにいるのは決まって一松だった。袖をくいっと引っ張って、ただ一言遊ぼうと言ってくる弟は、私に姉としてしっかりしなくてはという意識を持たせてくれた。 私を頼ってくれて、甘えてくれる。それでいて私よりもよっぽど頼りになって、兄弟のためなら自分を犠牲にすることを厭わないという、少々危なっかしいところも併せ持っていたから、私が守ってあげなければと思った。 はしゃぎ過ぎる末っ子たちが転ばないように、兄と姉たちに変わって面倒を見る。怪我をした猫を連れて帰ってきては、いちいち手当てをする。そういった場面を一緒にいる間に幾度も見てきた。 私はきっとあの子にとって、手負いの猫と変わらなかったのだろう。一松は優しいから、勝手に兄に期待して勝手に傷ついた私を心配して、慰めてくれていたのだ。 そんな一松のそばは、とても居心地が良かった。きっとおそ松といたら味わえない穏やかさがそこにあって、その空気がとても私には合っていた。あの子の無防備な笑顔や、気の抜いた顔を見れたのは私だけ。同情からでもこれだけ気を許してくれてるのだと思えば、嬉しくないわけがなかった。 どんどん気持ちは一松のほうに傾いていったのに、どれだけの時間が経っても、結局目で追ってしまうのはおそ松とチョロ松の背中だった。ふたりの仲に焦がれる想いは小さくはなっても、形は無くならなかった。 一松もずっとそのことを知っていたのだと思う。だから悲しんでいた私を拾ってくれたあの子を、今度は私が捨てる時まで黙って側にいてくれたのだと。私はそんなことにさえ、今さらながら気づいて、自分に失望した。 チョロ松の不動の地位だった兄の隣。しかし高校に入ってからはなぜか私がそこに立っている。 ずっとチョロ松の場所だったそこが、唐突にぽっかりと空いたのだ。何の予兆も見せず、少しの名残も見せないでおそ松に背を向けた妹は、二度とこちらを振り返りもせず、そしておそ松もそんな妹に何も言わないでいたらしかった。あんなにもお互いを必要としていたはずのふたりは、生まれて初めて違う方向を見たのだ。 その夢にまで見た場所が唐突に空席になって、頭の隅で何かが囁く声がした。 「いまあそこへと飛び込まなければ、もう二度と機会なんて巡ってこない」 そんな言葉に惑わされ、恐る恐る兄の隣に立ってみてしまった。そこから見る景色は、まるで私が見てきたものとは違う気がして、心が興奮でざわざわとした。 これがおそ松が見続けていたもの。私もそれを見ているのか、と。 おそ松兄さんも、チョロ松も、それにずっと一緒にいた一松も、私の行動を肯定も否定もしなかった。それをいいことに、私は兄さんの隣に居座り続けた。 チョロ松はみるみるうちに、まともになっていった。あんなにも毎日おそ松と遊びまわっていた影は薄れて、嫌がっていた勉強にも精を出した。彼女の豹変っぷりは教師たちや両親を驚かせ、喜ばせた。 一松は次第に私と話さなくなっていった。それに気づいたのも最近だというのだから、なんと恩知らずなのだろうか。それほどまでに夢中でおそ松の背中を追って、失ったものが何か見えていなかった。昔のような無条件な信用をにじませた笑みは消えて、残ったのは私のことを憎々しげに睨む瞳だけだった。 兄さんとチョロ松の喧嘩があって、私と一松との衝突があった日から、私はやっと何もかもがおかしくなっていることに気づいたのだ。何よりも近くにいた六つ子の私たちが、ひどくバラけていることに。 私の知らない一松とチョロ松の姿。仲が良いのは知っていたけれど、それだけでは言い表せない仲。六つ子というだけではない他の深い繋がりが、固く結びつけているような。 だが私と兄さんはどうだ。確かに私はいま、憧れ続けた兄さんと同じ目線に立てている。ずっとそこに立ちたいと願っていて、念願は叶ったはずなのに、心は一向に満たす気配を見せない。 私が望んでいたものとは違う気がした。兄さんにどれだけ「かわいい妹だなあ」と甘やかされても、首を傾げてしまう。果たして私はこのままでいいのか、と考えたくなる。 普段からあまり深く事を考えるということをしなかったのだが、これだけは考えるのをやめてはいけないと何かがしきりに訴えてきた。そして考えれば考えるほどに、それははちきれんばかりの悩みに膨れ上がった。 一松を背に庇いながら、私のことを「おそ松兄さんの相棒」と呼んだチョロ松は、とても凛としていたが、同時に何かにひどく苦しんでいた。 チョロ松を頼る一松の姿は、昔私の袖を引いていた一松を思い出させた。そしてこの時やっと、この弟に頼られることがなくなっていることに気づかせた。 自分はもう、この子に頼ってもらえる姉ではなくなってしまったのかと、そう思ったら心がひどく痛くて苦しかった。 「全部を抱えるつもりもないくせに」 一松が私に放った言葉が、頭にこびりついて離れない。 「僕たちに構わないで」 見たことがない妹の剣幕で、そんな風に線引きされてしまえば、私もそれ以上足を踏み入れることもできなかった。この子たちを何がそんなに追い詰めているのか、理解できないことが苦しかった。姉である私にさえ言えないことなんて、何も想像がつかない自分が悔しくて、悔しくて。 一松はなぜ私のことを憎々しげに見るのか。チョロ松はなぜ私に踏み込ませなかったのか。ふたりはなぜ私とおそ松から離れようとするのか。 私はいつの間にか、何かひどい間違いを犯した気がしてならなかった。 ◆ ふと、大きな男の影が私の前に立ちはだかって、気づいた時にはもう腕が振り上げられた後。「ぼうっとする癖でもついてんじゃない？」とトド松についこの間指摘されたばかりだったのに、こんな危険な場面でもそれをやらかしてしまった。 自業自得であるし、吹っ飛ばされることを覚悟で受け身をとったが、私が殴られる前に赤の大きな背中が目の前に飛び込んでくる。がんっと顎を蹴り上げられ、後ろに倒れていく男を薄目で見遣る。 「おい、カラ松。あんま他所に気ぃ向けてっと怪我するぞ」 「あっ、ああ、すまない兄さん……」 おそ松と一緒にいるようになって、喧嘩にもよく巻き込まれるようになった。私も女ながらに松野家の壮大な兄弟喧嘩に鍛えられ、力がある方だと自負していたが、さすがに他人との喧嘩は兄弟喧嘩と同じとはいかない。 前におそ松にチョロ松といた頃からこんなに頻繁に喧嘩をしていたのかと聞いたことがあったが、今よりももっと多かったというのだから、あのふたりがどれだけ悪童だったか分かるというものだ。 喧嘩慣れしていない私と一緒にいるようになって、少し前からおそ松は私を庇いながら喧嘩をすると決めたらしく、私がどれだけ足を引っ張っていてもあの人は決して見捨てようとはしなかった。 「お前もう下がってろ」 ただその分私は心が冷える心地ではあったが。 ぺろりと乾いた唇を舐めた兄の、ひどく冷たい視線に背筋がぞくっとした。 そもそもこの喧嘩の発端はおそ松兄さんだった。普段と変わらない調子で私と話していた兄は、ふらっとどこかへ行ったかと思えば、見るからにガラの悪い他校の男たちに自分から突っ掛かっていたのだ。 気の立ったやつらを挑発して、わざと一発腹に食らったら、そこからはもうおそ松の独断場だ。止めるために名前を呼ぼうとしたが、その前におそ松が待ってましたとでも言うかのように、その男の横っ面を力加減無しでぶん殴った。「正当防衛だからね」なんて言ってはいたが、どう見てもやりすぎである。 いつもならもう少し興奮して、というか喧嘩というもの自体を楽しんでいる感じがするのだが、いまのおそ松はひどく冷めている様子しか感じられない。何の色も浮かべない表情で軽々と男たちをのして、終わった後のまるで死屍累々たちの荷物を探り金を抜き出すまでを、坦々と流れ作業のようにこなす。 「ちぇっ、全員でこれっぽっち？しけてんねえ」 ブランドものの財布ではあったが、中身は千円札がそれぞれ数枚ずつしか入ってなかったらしい。財布は持ち主に投げ返して、ぺろりと親指を舌で舐めると、もう一度札を勘定し始める。 「おそ松、……機嫌悪いのか」 私はこういう時のおそ松が少し怖い。怒気が垂れ流しで、まさか私にまで牙を剥くのではないかと、そんなありえないことまで不安になる。長男は自分の力の強さを理解しているから、妹である私たちにその力を見せつけたことはいまの一度もないというのに。兄弟想いの兄だと分かっていたが、この時だけは別だ。早く逃げなければならない、と本能が訴えてくる。 「そお？別に悪くないつもりだけど」 にっこり笑う兄さんは表面では普通を保っていたが、中身はきっと大荒れの心模様だ。だって少し離れて立っている私でも、そばに近寄ることを躊躇わせるのだから。 こういう時チョロ松ならどうしたのだろうか、と頭の片隅で考える。兄さんの相棒の彼女なら、この人の怒りを鎮められるのだろうか。 そうして結局考えつくのはいつも一緒のこと。 私なんて横に立ったという気分に過ぎない。この兄が本当に求めているのはチョロ松で、私はこの場所を降りるべきなのだ。 けれど自分から離れていった彼女にこの場所を返して、それで戻ってきてくれるのだろうか。あの子は何か途方もなく大きな悩みを抱えているふうなのに、おそ松のところへ戻ってきてやってくれと、頼むしかないのだろうか。私を「おそ松兄さんの相棒」と呼んだ、あのかわいい妹は。 「カラ松先帰ってて。俺ちょっと遊んでくるわ」 「わ、かった……」 ひょい、と倒れた男たちを跨いで、ポッケに手を突っ込んでふらふらと歩いていく背中を引き止めることもできず見送る。何度かこういうことはあったが、毎回どこへ行っているのかは知らない。 誰かと一緒にいることが多かった兄は、近頃特にひとりでいることが増えた。教室でも家でも、何かと話題の中心にいたのに、今ではずっと何かを考え込んでいる風で近寄りがたいのだ。 「……何でこうなったんだろう」 最近は何をするにも、つまらなさそうな兄が、なぜか苦しんでいたチョロ松と被ってしかたなかった。 [newpage] ◆ 僕にはふたりの兄と、三人の姉がいる。兄や姉と言っても僕らは六つ子の兄弟なので、年や学年はみんな一緒だ。その中でもとりわけ生まれたのが一番遅くて、末弟と呼ばれる位置が僕だというだけ。 そんな末っ子で甘えたな僕だったが、物心ついたときから特別な女の子がそばにいたから、それほど弱くはないつもりだ。 僕よりもひとつ先に生まれた、無邪気でかわいい十四松姉さんを守りたいがために、僕はただの弱虫ではいられなかったのだ。 誰よりも大切で、十四松姉さん以上に思える女の子なんて、僕の中には存在しなかった。いつもは姉だからと僕を守ってくれるこの人を、僕が守れるようになりたかった。 とどのつまり。僕は実の姉を、しかも六つ子というとても濃く繋がれた兄弟のひとりを、ずっと、姉ではなくて一人の女の子として大好きだったという話。 昔から僕と姉さんはふたりでひとりだった。僕の隣に十四松姉さんがいるのは当たり前で、十四松姉さんの隣に僕がいるのは当たり前。 そこへたまに一松兄さんを加えたりしながらも、ふたり一緒が常だった。単純に僕と姉さんはそういうものなのだと思っていた。 世間様にはよくバカな六つ子だと言われることが多い僕ら。悪さばかりして、普通を考えろ、常識を考えろと怒られて、それでも懲りずにまた悪さを仕掛ける。そりゃあバカだと言われるのも仕方ない。 しかし常識がなんだ。普通がなんだ。俺たちがやりたいようにやる。それが俺たちの常識で普通だと、そうやって前を歩いてくれる兄や姉たちがどこか誇らしくて、姉さんも僕も彼らの後ろをひたすら追いかけていた。 しかしそんな傍若無人な振る舞いをしていたって、やはり「姉に恋愛的な行為を持つ」だというのは、少し受け入れ難いものだった。 だってあまりにも異常すぎる。 実の兄弟で、同じ母さんの腹の中から生まれた、血を分けた姉を、そういう意味で好きになるというおかしさ。男女の差はあれど六つ子ゆえに、僕たち以外の人たちから見れば髪型まで同じにしてしまえば、みんな一緒の顔なのだ。 僕はこの想いを消してしまおうと思った。十四松姉さんの迷惑になってしまう。こんな異常な想いに、大切なあの人を巻き込むわけにはいかないと。 我慢して、我慢して。でもある時、ぷっつりとその我慢が消えてしまった。 同級生の男子と歩いていた十四松姉さんに、僕は恐怖を覚えたのだ。これから先起こる未来を、目の前で見させられた気がした。いつかそうやって僕の側から離れていく姉さんを黙って見送るのだ。 そしたらもう我慢なんて糞食らえだった。玉砕覚悟で気持ちを伝える方が何百倍もマシだと僕に思わせた。いっそ振られたほうが踏ん切りもつく、というところまで腹をくくってしまえばあとは早い。 十四松姉さんとふたりきりのときに、その想いをまっすぐに、余すことなく十四松姉さんに伝えた。 「僕は姉さんのこと、姉さんとしてだけじゃなくて、ひとりの女の子として、ずっと好きだったんだ」 長年積み重なった想いを、吐き出すようにして聞いてもらった。言葉なんかめちゃくちゃだ。何を言ったかさえあいまいなくらい。 それくらい必死に、言葉を尽くしても尽くし足りないくらい、これでもかというほどの盛大な告白をして、そして目に映ったのは真っ赤に染まった十四松姉さんの顔。 「私も！私もトド松のこと好きだよ！」 そう返してくれた姉さんの笑顔はとても眩しくて、腹の奥から胸のあたりに何か熱いものが昇ってくる心地。 拒絶されることを前提にした告白だったから、まさか受け入れられたなんて事態に思わずぼろぼろ泣いてしまって。 男なのに泣くな、と怒るチョロ松姉さんもいなく、泣き虫と小学生並みのからかいをしてくるおそ松兄さんもいなかったその時だけは、好きなだけわんわんと泣いて、そしてやはり十四松姉さんにたくさん慰められた。 僕らが想いを成就させた頃、上の四人に変化を起こしたのは、おそ松兄さんと並んで悪童と呼ばれていた次女のチョロ松姉さんだった。 中学に上がりそれぞれに男女の体格差が出始めて、見るからにチョロ松姉さんが焦りを感じ始めた。そんな彼女に最初に気づいたのはたぶん僕だ。 おそ松兄さんの次に喧嘩が強かった彼女を、僕がふとした小さな喧嘩で僕が押し込めてしまったのだ。チョロ松姉さんの体の軽さや力の無さに、この人はこんなに弱かっただろうかと驚いてしまったことが、ますます姉さんの自尊心を傷つけた。 姉たちの中で一番に男女の差というものに気づき、愕然としていたチョロ松姉さんを陰ながら見ていた。 彼女の焦りはひどくなる一方だった。おそ松兄さんはチョロ松姉さんが『女の子』になっていくのを一番近くで見ていたはずなのに、何も言わなかった。それが逆に姉さんを追い詰めた。 どれだけ足掻いても埋められない差と、どうすることもできない自分に失望していた。おそ松兄さんの唯一の相棒だった自分は結局女で、どうしても限界は来るのだと知って、要らないと言われることに怯えていた。 さらに最悪なことは、彼女は昔の僕と同じだったということ。十四松姉さんに告白してしまう前の僕とだ。 チョロ松姉さんは、「兄に恋心を抱いている自分」に気づき、その気持ちの重さに押しつぶされそうになっていた。 チョロ松姉さんが徹底的に普通を装っていたために、僕自身がその気持ちを知らなかったら、きっと何も知らないままだったろう。それほどまでにチョロ松姉さんは厳重に何十にも鎖をかけて、おそ松兄さんにバレないように心がけていた。 そして結局のところ、男女の差も、その恋心も、どうにもならないということを実感し、耐えられなくなったチョロ松姉さんはもう既にぼろぼろの状態で、ひっそりとおそ松兄さんから離れて行く準備をしていた。 僕はそれを止める術を持たず、チョロ松姉さんをきっかけに次第におかしくなっていく四人を、ただ見ているしかなかった。 チョロ松姉さんは苦しんで、苦しんで、そして同じ想いを抱えていた一松兄さんが姉さんを拾い上げた。自分の思いを知ってくれて、共感してくれる人がいるというのは、さぞ居心地が良いことだというのは容易に想像ができる。 ふたりはどんどんダメになっていった。兄と姉が離れていくほどに、互いが精神的な支えとなってしまっていた。 僕はチョロ松姉さんと一松兄さんが一緒にいるところを見るのが苦手なのだ。あまりに似ているふたりの姿に、心からぞっとする。 六つ子だからとか、血を分けた兄弟だからとか、それに限った話ではなく、あの人たちは根本的な部分が同じすぎた。 同じことを感じ、同じ考えを浮かび上がらせ、同じような行動をする。そんなふたりはそのままぐずぐずに溶けて、消えていってしまいそうで。 あのふたりは、ふたりだけにしてはだめだったのだ。どうしようもなく似すぎているから。ひとりが何か覚悟を決めると、引きずられるようにしてもう一方もそれについて行ってしまう。そうして状況は嫌な方向にしか進まないというのに。 ふたりはきっとその事実に気づいたとしても、その心地の良い空間から出ようとはしないのだろうなと僕は知ってしまっていた。 互いの存在を不可欠としていく過程を見届けてしまい、止められなかったことがひどく後悔としてのしかかる。いつかこの兄と姉がいなくなってしまうのではないかという恐怖が、僕を襲っていた。 ◆ おそ松兄さんとカラ松姉さん。このふたりはどうにも見込みがなさすぎる。カラ松姉さんが持つおそ松兄さんへの盲目的な憧れは、恋愛に近いけれど、あれはどこまで行っても兄への尊敬から逸脱はしないだろう。こう言ってはなんだが、彼女の乏しい頭では、まずそういった発想は絶対に浮かんでこないはずだ。 おそ松兄さんにさえそういった気持ちを抱かないのに、一松兄さんなんてそれはもう絶望的である。 おそ松兄さんも独占欲は見せるが、あれも兄弟という括りからは出ない、と僕はいまのところそう思っている。あの人のここ最近の荒れようは、子どもが気に入りのおもちゃを取られて拗ねているだけに見えていた。 四人の膠着した関係に一石投げ入れるなら、カラ松姉さんを突くのが一番だ。あの人のことを突けばこの事態も少しは動きを見せるだろうと踏んでいるが、しかし、根本的な問題はカラ松姉さんではない。 結局は真ん中ふたりが、あの持て余している気持ちをどう処理するかにかかっているのだ。 厄介な気持ちを抱え続ける選択をしたら、きっとチョロ松姉さんと一松兄さんは一生離れなくなってしまう。それが一番避けなければならない事態だろう。 だっていつの日か、仲良く心中自殺しよう、なんて一松兄さんのほうが言い出しかねない。一緒に闇まで抱えたくなるのは十分に理解しているが、このままではダメだ。 色々と策を考えてはいるが、僕はとにかく一松兄さんとチョロ松姉さんを引き剝がしたいという一心だった。このまま墓まで共にしそうなふたりを、どうにかしたかった。 それぞれが不器用すぎてこんがらがった今の松野家の関係図は、他人から見れば狂気の沙汰だろう。正直なところ、僕だってこんな面倒な事に首をつっこむのは嫌だったのだ。 だけど、兄弟がぎすぎすしていることに十四松姉さんが悲しむから。チョロ松姉さんとおそ松兄さんが剣呑な雰囲気に包まれ、僕の手をわずかに震えさせながら握ってきた僕の愛おしい姉を、もう見たくないから。それだけが僕の原動力だった。 家には珍しく僕ひとりしか居らず、悶々と兄弟たちのことを考えている間に時間は過ぎていく。普段ならもっと気の抜けた時間のはずなのに、バカ兄弟たちのせいでそれが潰れる憤りったらない。 「ああもう！なんでそんなところまで似ちゃうかなあ、僕たち」 兄に、姉に、恋心を持つなんて正気ではない。 それでいて相手も同じ想いを持っていて、円満に両想いになるなんて、ゼロに近い可能性だ。僕はたまたまその可能性の中に十四松姉さんが入ってくれていたから良かったものの、そうでなかった時のことを思うと悲惨な未来しか浮かばない。 わざわざ六分の四もの数を、そんな過酷な運命に突き落とさずとも良かっただろうに。 長針が十二を指して鳩時計がそれを知らせた直後に、玄関が開く音がする。ただいま、という声はカラ松姉さんで、早い帰宅に目をぱちくりとさせた。 いつも遅くまでおそ松兄さんに連れ回されているのに、こんな時間にどうしたのだろうか。と思っていたらそしたらそりゃあもう、あからさまに落ち込んでいるカラ松姉さんが居間に入ってきた。 最近何か考え込んでいる様子は見せていたが、いつになく深刻そうな面持ちだ。 「カラ松姉さん、おかえり。ひとりなの？」 声をかけてやっと僕がいることに気づいたらしく、びくりと体を震わせて慌てて顔を上げる。どこかくたびれた制服に、またどこかでおそ松兄さんに巻き込まれて喧嘩でもしてきたかと呆れる。 「ああ、さっきまでおそ松と一緒に居たんだが、ひとりになりたくなったらしい」 「へえ、そう」 どうせ喧嘩で調達した軍資金で、ストレス発散も兼ねてゲームセンターにでも行っているのだろう。チョロ松姉さんが自分のものじゃないと本格的に理解させられて、ずっといらいらしている調子だから、そのまま家に帰ってこられるよりずっとましだ。 あのバカ長男はとりあえず置いとくとして、その前にこの目の前の姉を何とかしなければならない。普通を装ってはいるが、何か悩みがあるのはすぐに分かってしまって、口元に不器用な笑顔を浮かべる面は不細工すぎて見ていられないのだ。 「無理に笑わなくていいから。っていうかこっちが見てて痛い」 「す、すまない、トド松の気分を悪くさせるつもりじゃ」 「ああ、もう、違うから。そういう痛いじゃなくて、あんたが下手くそな笑顔で誤魔化そうとするのが腹立つって言ってんの」 僕のたったそれだけの言葉。しかしよほど効いたのか、一瞬でがらがらと崩れ落ちる仮面の表情。その下に隠されていたのは、頼れるものがなくただ迷うばかりの小さな姉の姿だった。 悩みごとがあれば誰かに相談すればいいのに、なぜひとりで抱え込んでしまうのか。長女だという意識故かと思えば、姉という立場も困りものだなと眉を下げる。 「悩みごとはおそ松兄さんのこと？チョロ松姉さんのこと？」 「……トド松は、何でも知ってるんだな」 どこかで聞いたことのある返事をしだと思ったら、途端にくしゃりと顔が歪む。泣いてしまうかと思ったが、唇をぎゅっと噛んで我慢しているらしく、見ていられない。 カラ松姉さんが話し始めるのを待って、根気よく彼女を見守っていると、何度か空振りはしたが、それでも声を出し始めればすらすらとカラ松姉さんの想いは吐き出された。 「……私はおそ松に憧れていて、ずっと隣に立ってみたかったんだ。でもずっとチョロ松が、兄さんの相棒だった。どちらも大好きなふたりだったから、仲を壊そうなんて思ったことはないし、そもそもふたりの間に入る隙なんてなかっただろう？だからずっと諦めてたんだ。代わりに一松がいてくれたしな」 全部知っている話だ。僕と十四松姉さんは上四人の複雑な関係に一切関わってはいなかったが、それでも兄弟だから分かることもあった。それに加え僕はそういった空気を読むのに長けていたこともあって、何となくの兄弟関係は把握していた。 「でもチョロ松が兄さんから離れて、……正直チャンスだと思った。これを逃したらおそ松の隣に立てる機会なんてもうないと思ったからな。例えチョロ松が帰ってくるとしても、その間だけでもって。おそ松と一緒にいるのは楽しかったよ。ああ、もちろん今も。……だけど、兄さんはチョロ松じゃなきゃ、だめなんだってやっと気づいた。私じゃ代わりにもなれていなかった。兄さんはずっと、チョロ松の帰りを待ってたんだって」 少し、驚いたこともあった。カラ松姉さんといえば、一松兄さんと同じく兄弟に対しての自己犠牲がひどく、我を通そうとはしない人だ。しかしおそ松兄さんの相棒という立場への固執。それほどまでに幼い頃の刷り込みというのは強いものなのか、と目を細める。 対してカラ松姉さんは、話をしている間緩く微笑んだ形で表情を崩さず、それは歪むことも深まることもなかった。 「じゃあ、これからカラ松姉さんはどうするつもり？」 「私は、おそ松の隣をチョロ松に返したい」 想像通りの返答すぎて、逆に眉を寄せたくなった。確かにそういう結論にたどり着くだろうけど、でもそれはおそ松兄さんから言ってもらわないと意味がない。チョロ松姉さんが何よりも恐れたのは、おそ松兄さんに必要とされなくなることなのだから。 カラ松姉さんがそこを明け渡したって、何なら彼女からのお情けのように映ってしまうかもしれないし、おそ松兄さんが何も言わないのにそこへ戻ってくるはずもない。 しかしそこを深くまで掘ると、彼女の秘めている気持ちまで話さなければならなくなる。ああ、もう面倒だ！とは思いながらも、「とにかく一度チョロ松姉さんと向き合って話してみなよ。諸々のことは置いといてね」とだけ言っておく。戸惑いながらも頷いたカラ松姉さんを見て、とりあえず一息ついた。 上の四人に足りないのは、伝えようとする努力だ。自分の中で考えているだけでは、相手に伝わらないのは当たり前のことなのに。 「なあトド松」 「なあに。まだ悩みごと？」 「悩みごと、というよりかは、確認なんだが」 幾分かすっきりした表情ではあったけど、どこか翳りを感じて訝しむ。この人がここまで悲壮感を漂わすとは一体何事かと構えたが、出てきた言葉はまったく的外れなものだった。 「お前たちは一松とよく一緒にいただろう。だから何か聞いてるんじゃないかと思って」 「一松兄さんの話？」 「……一松は、私のことを嫌いになってしまったのだろうか」 「えっ？」 「あの子はいつも私のそばにいてくれたけど、私は何も返せないままおそ松のところに行ったから怒っているのか。いやでもそんなことで怒るような子じゃないよな……」 目を伏せて昔を思い出しでもしているのだろうか。何か大切な物を取りこぼしてしまったみたいであるにもかかわらず、静かにそれを受け止めようとしている。表情は変わらず穏やかではあったが、先ほどよりもよっぽど泣いてしまうんじゃないかと感じた。 「一松兄さんはね、」 あんたのことが好きで好きでしかたないんだよ。いまはその想いをこじらせすぎているだけ。自分を見てくれないカラ松姉さんをそれでも好きで、おそ松兄さんの隣で幸せそうにするのを見ているだけで満足している。 ただ、満足しているといったって、それは表面だけだ。本心ではずっと、姉さんのことを求め続けている。チョロ松姉さんと手を取りながらも、カラ松姉さんの後ろ姿を追いかける瞳が雄弁に、それを語っているのだから。 兄さんの気持ちを話さず、いかに一松兄さんがカラ松姉さんのことを好きかを説明するという大役。しかしながら少々荷が重すぎた。根元にある恋心がほとんどすべてだというのに、どうやって話せばと言葉に詰まっていると、このタイミングで玄関の戸が開く音がした。 「たっだいマッスルマッスル！ハッスルハッスル！」 「十四松、うるさいよ？」 聞こえてきたのは愛しの十四松姉さんの声。その後に続くように入ってきた足音はチョロ松姉さんのものだった。 ふたりが居間に入ってこないうちに、一松兄さんのことをそれとなく伝えてあげねばと振り向いたが、姉さんは既に諦めた様子で微笑んでいた。 「トド松、この話はまた今度にしようか」 「でも姉さん、」 「ふたりを出迎えに行ってやってくれ」 ぐいぐいと腕を押されて、仕方なく立ち上がる。今度なんていつになるんだ。あんたはおそ松兄さんと行動を共にしているし、僕もよっぽどのことがない限り十四松姉さんの近くにいる。それでいて六つ子なのだから、僕たちふたりだけの時間なんてそうそうやってくるものではないというのに。 やっと答え合わせをしてあげれたはずだったのに、と名残惜しく振り返ったが、カラ松姉さんはもう既に元通りの姉の姿になっていた。 そんな姉の姿を見て、唐突に気づく。ああ、怖気づいたんだと。一松兄さんがもし本当に自分のことを嫌っていたら、とでも思ったのだろうか。 もう話を聞く気もない様子に思わず苛立つが、意思疎通が出来てないのだから、この人が一松兄さんの気持ちを聞くことに恐怖を覚えるのも仕方ないのだと内心で自分を宥める。 「おかえり、十四松姉さん、チョロ松姉さん」 「……トド松怖い顔してる。どうしたの？」 そう言って近づいた僕の頬に、十四松姉さんが伸びたセーターの袖を沿わせてくれる。途方にくれたような顔でもしていたのだろうか。元気出して、と不器用に慰めてくれるこの人が、どうしようもなく好きだという気持ちに飲み込まれる。 十四松姉さんの唯一の弟で良かったと、こういう時心底思うのだ。こんなにも僕を心配してくれる姉であり、恋人なんて、幸せすぎだろうと。 「ふたりとも、僕は下にいるから二階使ったら」 僕が十四松姉さんに気を取られていると、横でチョロ松姉さんがひどく優しい顔を向けてそう伝えてくる。十四松姉さんとお付き合いをしていると伝えてからというもの、よく気を利かせてくれるチョロ松姉さんは、たまに気が利きすぎて背中がむず痒くなるほどで、今回もそれの類だ。 「ありがとう、姉さん」 「どういたしまして。お前の辛気臭いその雰囲気、どうにかしてもらいな」 「それ姉さんには言われたくないよ。……下はカラ松姉さんがいるから」 こんな時間にカラ松姉さんがいることに、チョロ松姉さんも驚いたのか、少し眉をひそめながらも穏やかな声でそう、と返事をする。靴を全員分きれいに揃えた姉さんは、いたって平然とした様子だった。 「カラ松も引き止めといてあげるから、早くいっておいで。うるさい奴が帰ってくる前に」 自分にないものを持っているカラ松姉さんが嫌いなくせに、自分にないものを持っているあの人のことを、チョロ松姉さんが大好きだから。 だから一松兄さんに縋り付かなければならないくらい傷ついたのかもしれない。 居間に入っていくチョロ松姉さんの背中を見送ると、十四松姉さんが僕の顔を覗き込む。 「トド松、いこ」 二階にたたっと駆け上がって、部屋に入ると伸びきった袖をぷらんとさせながら腕を広げて、僕をその中へと呼ぶ。途端に疲労感が全身を包んだかのように気怠くなって、ふらふらと近寄りそこへ収まると、背中に腕が回された。 「十四松姉さん、僕疲れちゃった」 「そっかあ。じゃあ姉さんが甘やかしてあげるっす！」 ぽんぽんと背中を叩かれて、穏やかな空気が流れる。十四松姉さんのそばは何よりも居心地が良くて、ふわふわとした気持ちになる。それはきっと恋人であり、姉さんだからこそだ。 「みんな仲直りしたらいいのにね！」 「……仲直りしたら前みたいになれるかなあ」 おそ松兄さんとチョロ松姉さんが隣同士で相棒を名乗って、その後ろでカラ松姉さんと一松兄さんが互いに支えあっているような。あのちぐはぐながらも僕ら六つ子らしい空間が、僕はとても好きだったのに。 「……だいじょうぶだよ、きっと。トド松が頑張ってるから」 姉さんの手が僕の頭を優しく撫でてくれるこの瞬間がとても幸せだ。好きを殺さずに、この人に伝えてしまってよかった。あの時の勇気を振り絞った僕を今でも褒め称えたい。ぎゅっと腰に腕を巻きつかせて、十四松姉さんの膝の上で目を伏せた。 [newpage] ◆ 家から少し離れた、子どもも遊ばないような寂れた公園。そこは誰も知らないとっておきの穴場スポット。野良の猫たちが溜まり場にしていて、おいでと呼びかけるとどこからともなく二、三匹の猫が出てくる場所なのだ。 最初は警戒されていて遠巻きに見ていた猫たちも、頻繁に通っていたおかげですっかり懐いてくれたのか、公園に足を踏み入れただけで足元にすり寄ってくる猫までいる。 今日もそうして駆け寄ってきた黒猫に目を細めて、しゃがみこみ頭をぐりぐりと撫でた。 「元気にしてたか？」 にゃおん。機嫌よく返事をする黒猫は、いつかのチョロ松に抱かれていた綺麗な青目の猫だ。野良の中でもとびきり美人なそいつは一等僕に懐いていて、いの一番に飛び出してくる。彼女以外にも三毛や、キジトラといった種類の猫たちが、草むらからのそのそと歩いてきては、喉をごろごろと鳴らしながら足元にじゃれついてきた。 鞄に入れていたにぼしの袋を開けて、一匹ずつに行き渡るよう手を介して与えるのがここでの僕の役目。かわいい野良猫たちを家では飼えない代わりに、死んでしまわないようたまに餌を置きに来るのだ。 残酷なことをしているのは承知だったが、こいつらもそこらへんは割とさっぱりしていて、手の中の餌が無くなったら礼を言うようにひとつ鳴いて、また行方をくらます。 そんな中で残るのはやはりあの黒猫。その大きな青の瞳に見つめられると、あの姉を思い出してしまうのに、僕はその猫を手放すことができなかった。 ごろごろと喉を鳴らすそいつと戯れていると、珍しく人の気配が近寄ってくる。ざりざり、と地面と擦れる音。 「よう、一松。お前こんなところにいたのかよ。そりゃあ探してもいないわけだ」 「…………おそ松兄さん」 兄さんの足を引きずる癖はまだ直っていないようで、砂と靴底で耳障りな音を立てながら近くに寄ってくる。どことなく気怠げで、また喧嘩でもしていたのかと呆れた。 「話があんだけど、人来なさそうだし、ここでいいよな」 「話って、そんな改まって話すことなんてあったっけ」 わざととぼけた口調で返事をしたら、物騒な笑みを宿して僕を瞳に捉える。だがそれもすぐに引っ込み、ん、と渡されたアルミ缶はあったかい微糖のコーヒーだった。 いつの間にか手の中でおとなしくしていた黒猫は逃げてしまっていた。元々警戒心の強い猫だったから、兄さんの足音に驚いてしまったのだろう。 「一松も俺に話、あるだろ？」 公園のベンチにどかりと座り、その鷹揚な態度が、さすが長男様と言うべきところなのだろうか。地面に膝をついている俺と、少し目線の高いところから僕を見下ろしているおそ松兄さん。この場はさながら死刑執行台のようだった。 「チョロ松どうするつもりなのか、一応聞いとこうかと思って」 訊かれたのはただそれだけ。声に抑揚はなく、内心を悟らせないようにしているのか、それとも無意識のうちにそうしているのか。 「どうするって、別にどうするつもりないけど」 「ふうん。……じゃあ何でチョロ松は俺から離れていこうとするんだろうな」 俺はチョロ松が泣かないように、側にいるだけだ。この言い草だと大方チョロ松が離れていった原因は俺だとでも言いたのだろうが、辿っていけばすべておそ松兄さんの自業自得なのだ。この人が本当にそれを理解していないのだとしたら、あの可哀想な姉を離れさせて正解だと思うばかりだが。 「俺以外の奴に頼らなくちゃならないことって何だよ。何でお前なわけ？そうやってお前が大人しく飼い猫やってんだからなんか知ってんだろ？」 この人は一度でもチョロ松のことを振り返ってやったのだろうか。 「知ってるけどあんたには言わない。聞きたいなら直接訊きなよ」 「あいつが何も言わねえからお前にわざわざ聞いてんだけど」 「じゃあ俺が教えるわけないだろ」 そこに浮かぶ紛れも無い嫉妬心。じりじりと焦げ付くような目で見てくるおそ松兄さんを、僕は初めて見た。チョロ松姉さんが離れて行った時には何も言わなかったのに、どうして今さら、しかも僕の前で言うのか。あの時に言っておけば、また変わっていたかもしれないのに。 「ずっと俺がチョロ松の一番でいたかったのに、そう決まってたのに、何で一松がそこに立ってんだよ……」 初めて兄さんの弱い声を聞いた気がした。 やっぱりこの人にとってのチョロ松姉さんというのは、大切な人に値するのだ。盗られそうになって、こんな弱音を弟の、しかも盗ろうとしている僕に吐いてしまうくらいに。 おそ松兄さん本人でさえ気づいていない気持ちがあるとしたら。そのもしも、を考えると確かにそれが正解のような気もして、心臓が早鐘を打つ。 僕はいま分岐点に立たされている。 ここですべての可能性を取り上げてしまうか、一石投じて可能性を与えるか。それを僕の行動次第で決めてしまえる。 頭によぎるのは泣き崩れたチョロ松と、この人の隣で嬉しげに笑うカラ松。どちらを選んでも僕に明るい未来はない。だが最後に浮かんだのは、僕の隣で穏やかに僕を一瞬でも見ていたカラ松だった。 息を飲んで、あの頃に戻れたらと心底願わずにはいられなかった。 「……兄さんは何でチョロ松が最初に離れた時に何も言ってやらなかったの？」 「……何でって」 「あの人には兄さんしかないと思ってた？あんたたちの絆は絶対だとでも思ってた？相棒だから何も言わなくてもいいとか？でもそれって全部兄さんからの押し付けだよね。何もチョロ松のこと考えてないとは思わなかったの」 これは賭けだ。勝手にこんなことをしてチョロ松には怒られるかもしれないけれど、言わなければバレないはず。しかも事はチョロ松のことだ。この兄さんだって、弟にこうまで言われっぱなしだったことを自ら吹聴することもないだろう。 「ぶっきらぼうで口より先に手が出るチョロ松と違って、素直に自分に尊敬と好意を向けてくれる妹はそりゃあ可愛かっただろうよ。優しさを隠さないカラ松は良かっただろうな。当てつけみたいにチョロ松姉さんの前でかわいいかわいいって、バカじゃないの。今時そんなの小学生男子でもやんないよ」 きっとこの人も知ってるはずなのに。チョロ松がどう可愛くて、どう優しいか。 「チョロ松はね、手を握ってくれるんだ。昔はあんなに大きいと思ってたのに、今じゃすっかり女の子の手。小さくて、俺が手を握り返すとすっぽり収まるくらいにね。俺のこと分かるよって、そう言ってくれるんだ」 「……それで、なに。俺のこと怒らせたいの？」 隠しもしなくなった怒気に一瞬怯んでしまうが、僕はそういう気持ちで言っているわけではないのだ。ただおそ松兄さんが気づけるようなヒントを与えてやっているだけ。これで気づかないなら、もう僕は後には引かない。 「怒らせたいわけじゃないけど、いい加減どうするか決めてもらわないと、俺もカラ松もチョロ松も困る」 「決める、って」 「俺だけがチョロ松を利用してるわけじゃない。あの人も俺を利用してる。利害が一致してるから一緒にいるんだ。だけど俺にとっては大切な姉だから、あの人がこのままでいたいって言うなら、墓まで一緒にいく覚悟はある」 一度乗りかかった船だ。あんなに孤独で、それゆえにおそ松兄さんの愛を欲しているのに、あんたの気ままに振り回されて必死で我慢して飢え死にそうになっている姉をひとりぼっちにしたくない。 その苦しみはまるで僕の移し身みたいに思える、愛おしい片割れ。どこまでもあんたの愛で苦しむあの人を助けたい。だって俺の大切な姉なのだから。 何よりも、僕の消えていくだけだった愛に共感してくれた、ただひとりなのだから。 「おそ松兄さんっていつも自分のことしか考えてないよね」 「…………」 「もっとチョロ松を見てやってよ。あんたの一方的な感情で縛りつけようとするんじゃなくて、向こうが何を望んでるか、知ろうとしてやって」 言葉にして伝えてやってよ。チョロ松は何も要らないふりをしてるけど、本当はおそ松兄さんの隣に戻りたいはずだ。例え密かに抱く恋心が叶わずとも、おそ松兄さんに必要とされたがっているチョロ松が、まだどこかにいるから。 「それでも気づかないなら、俺は本当にもらっちゃうから」 俺はツメが甘いと言われるのはこういうところからなのだろう。こうしておそ松がその気になるようなことを唆してしまうのだから。 カラ松が幸せそうにするなら、このままでもいいかなと思っていた。だけどもし、少しでも希望があるのなら、心の中で泣き続けているチョロ松姉さんを救ってやりたいと思ってしまったのだ。 ふたりが元に戻ったら、カラ松は僕のそばに戻ってきてくれるんじゃないかと、また、叶いもしない夢を見てしまったのだ。

0317 本当にお恥ずかしながら、題名が間違っていることに今更気づいてしまったので直しておきました…！ひええ恥ずかしい！<br /><br />≫カラ松、トド松、一松視点からお送りする自覚催促編です。<br />先天性女体化・共依存気味年中松中心・チョロ松愛され？<br />おそ←チョロ♀・一→カラ♀・トド十♀要素あり(※保留組が女体化)<br /><br />≫くん時代のにわか知識を取り入れながら、ところどころ捏造してます。女体化ってところで既に捏造甚だしいので、雰囲気で読んでいただけると幸いです。<br /><br />≫続き物にもかかわらず前作も多くの評価やブクマ、コメントをありがとうございました！この作品はどこのカップリング推しの方が読んでくださってるのかとても気になります……。<br />一話で１日進ませるのがやっとすぎて、話がなかなか進みません。ごめんなさい。プロットとか立てない(立ててもその通りに進まない)ので大雑把な始まりから終わりまでを頭の中で描いて書き出してます。そういう理由からあまり話に軸がない。のわりに長い。あと一話でとりあえず区切りです。<br /><br />表紙はこちら（<strong><a href="https://www.pixiv.net/artworks/50237875">illust/50237875</a></strong>）からお借りしております。いつもありがとうございます。<br /><br /><span style="color:#bfbfbf;">≫私の中のおそ松兄さんってすごい人なのはすごい人なんですけど、決して完璧じゃないんですよね。完全無欠なスーパー兄さんも大好きなんですけど！でもやっぱり弱いところもある兄さんが好きです。<br />0225 デイリーランキング29位・女子に人気ランキング18位・男子に人気ランキング83位ありがとうございます！<br />0226 デイリーランキング17位・女子に人気ランキング59位ありがとうございます！</span>

世界に絶望したふたり 3

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注意事項 　 　 　詳しくはキャプション見てください。　 　おそチョロ♀ですが、おそチョロ♀ほぼ描写していません。 　むしろおそ松はちょろっとしか出てきません。 　チョロ松♀が産んだ息子たち目線です。 　もう一回いいます。 　チョロ松♀が子供を産み育てています。 　息子たちです。 　この時点で無理だと思った方は、ブラウザバック推奨します。 　よろしくお願いします [newpage] 母さんと僕らの顔は瓜二つだ。 　不思議に思ったことは小さい時からあったが、男の子はお母さん似と近所のおばちゃん達に言われて「そんなものなのか」と思うようになった。なにより似てる似てないの話をするとき母さんは決まってへの字の口をキュッと閉め、悲しい顔をするのが見ていられない。 　周りのおばちゃん達は母さんの些細な変化には気付かず思ったことをべらべらと喋り倒すのだ。 　僕達はなぜそんな顔をするのか気にならない訳ではないが、母さんのへの字の口を反対にし、へにゃっと笑う顔が一番似合う。悲しい顔は絶対に似合わないし見たくない。 　なんせ、僕らは男の子の双子だ。 　しかも母さんはシングルマザーだ。 　母さんは僕らを1人で産み、1人で育ててくれた。もちろん父親のいない寂しさはあるけど僕たちは双子だ。寂しくなっても2人で寄り添えば我慢出来る。それに、母さんはよく「貴方達は2人で1人。1人は2人なのよ」と僕らの頭を撫でながら言ってくれる。 　怒る時は雷が落ちるんじゃないかってぐらいガミガミ怒るがその後、反省した？と優しく問いただし僕達をぎゅっと抱きしめてくれる。友達に父親が居ないと怒られなくていいなんて言われたことがあるが、母さんの雷を知らないからそんなことを言えるのだ。 　一回味わえばいい。 　朝食のいい匂いと母さんの声がアパートの狭い部屋に響く。 　「ほら！起きなさい！！マオ、チヨ」 　「ふぁぁ、おはよう母さん」 　「母さんおはようー」 　僕の双子の兄、松野 マオ。弟の僕はチヨ。小学2年生だ。 　顔を洗い着替えて食卓に着くと母さんが「せーの」の声に合わせ僕らも手を合わせて 　 　「「「いただきます」」」 　 　食べ始める時間は一緒だが食べ終わる時間は違い、母さんがせっせと食べあっという間に、お皿洗って鍵閉めていってねと仕事へ向かう。 　洗濯機が止まる音が聞こえて覗くと母さんが今朝干し忘れてものだと気づき、僕たちは二手に分かれ、洗濯物を干す担当と、洗濯物をベランダに運びお皿を洗う担当に分かれると遅刻ギリギリまでやっていた。 　学校に遅刻しまいと猛ダッシュで向かうのが僕たちの日常だ。 　学校に着けば、クラスが違うため放課後まであまり会うことがないが人口が少ない町のせいか一学年二クラスしかない。 　 　 　放課後になれば僕たちにはやるべきことがある。 「そっち毎回話長すぎ！」 　学級会が終わるとジャンプするたびに何も入って無さそうな音がするランドセルを担いだマオが先に僕の教室前に待機していた。 　「うん。担任の話長すぎて欠伸出てた」 　僕もランドセルを担ぎ、教室にいる友達に別れを告げ時計を確認すると「3時40分？！」と叫んでしまった。周りにいた奴らはなんだなんだと言う感じだったが当たり前だ。 　 　なんせこれから僕らが行く場所は小学生が放課後に行くような場所ではない。僕たちの自慢の母親はシングルマザーで今もせっせと僕たちの養育費を稼いでいてくれる。だから僕たちにできることは、なるべく僕たちに回してくれるようにお願いした。母さんは、子供なんだから外でやんちゃしてきなさいと言われたが、母さんの負担が増える中で遊ぶのなんて僕たちは全然楽しくない。母さんの手伝いをしたあとに遊びに行くからとはちゃめちゃなようなことを言い、母さんが仕事で行けなかった夕市のタイムセールと家に帰った後、学校に行く前に干しておいた洗濯物を取り込み、マオは風呂掃除と洗濯ものをたたみ、僕は夕市での戦利品で夕ご飯の準備をするのが日課になっていた。 　本当は母さんの作ったご飯が食べたいが、疲れて帰ってきたのに夕飯の準備までお願いはできないから、毎朝の朝ごはんと毎週日曜日の夕飯を母さんが作ってくれるだけで僕たちは幸せだ。 　そして、今は今日の夕飯をかけた夕市が4時から商店街のスーパーで開催されるのだが、走って家に帰って財布を取ってきても4時にスーパーに着くのは厳しい。 　お前の担任のせいで走る羽目になってるんだからなと横で文句を垂れるマオと一緒に昇降口へと向かい乱暴に上履きと靴を履き替え、僕が家まで帰るからスーパーに先に行っててと言おうとすると 　 　「あっそだ。俺さ今日の分の財布ランドセルの中に入れてきちゃった♡」 　「あんだけ学校に持っていくなって言われてたのにアホか！！でもナイス！今日は助かった。急いで戦争に行くぞ」 　「イエッサー！」 　 　前に、ランドセルでスーパーに行くなと母さんに怒られたばかりだがそんなこと言ってられない。 　なんせ今日は、タイムセールが卵と肉の日なのだ。今日を逃したら1週間野菜生活へと化す。そんなの育ち盛りな僕たちも嫌だし、母さんも負けちゃったか残念とハの字の眉をさらにハの字にするのを見るのも嫌だ。 　それに今日は無性に親子丼が食べたい。とろとろの卵と鶏肉をごはんの上に乗せたのを食べたい。 　全速疾走しているせいか二人してハァハァと息継ぎをしながら、親子丼食べたいと漏らせば俺もとニコっと笑うマオにつられて、がんばっちゃいますかと同じように笑い返す。 　なんとか時間にはギリギリ間に合い、二人して肩で息をしながら担当を僕は卵。マオは肉に分かれ主婦たちの波の中に突撃していく。 　格闘し続け数分でお目当てのものは完売し、僕の手の中には卵のパックが3パック。まさかこんなにゲットできるとは思いもしなかった。２パック狙いだったので、もし肉が手に入らなければ玉子丼でもいいかなんて考えていると後ろから買い物かごを持ったマオに声をかけられた。 　「チヨどうだった？えっ３パックも！？」 　「そっちこそ肉どうだったの？」 　「これを見よ」 　自信満々に掲げられた買い物かごの中身を見してもらうと豚肉と鶏肉がわんさかと入っていた。 　「すごい！！マオの方が大量だよ。母さん喜んでくれるかな」 　「喜ぶだろ。だって母さん肉好きだもん」 　「だよね！」 　 　会計を済ませマオの空っぽのランドセルの中に卵を詰め込み、レジ袋に肉を入れたのを僕が持ちスーパーを出る。 　時間もいい感じになってきているせいか帰宅ラッシュの人たちが、道に溢れかえり放課後にダッシュした商店街よりにぎわっていた。 　二人して夕飯の親子丼が楽しみのせいもあって人が多くいる中を小走りにしていたら当然人にもぶつかるわけで 「うわっごめんなさい」 「マオがぶつかってごめんなさい」 「いいっていいって。二人でお使いか？」 　 　心地のいい優しそうな声音の男性にぶつかった。 　男性の顔を見るために顔を上げると真っ赤なパーカーに母さんとよく似た顔だがどこか違う男。どんどん口の中が乾いていくのがわかる。早く男性の前から移動しなくてはいけないのにヘラヘラと陽気そうな顔から目が離せない。するとぎゅっと手をマオに強く握られ目が合う。この男は危険だとマオが訴えかけているようだった。 「二人でお使い！それじゃお兄さん」 　マオが勢いに任せて男に謝罪し急いで商店街の人の波にのまれる。あの男に僕たちの家をばらしてはいけない。本能がそう呼びかけているようだった。 　手を離さなずに、商店街から離れ急いで家の鍵穴に鍵を挿し込み回し、二人して駆け込むように玄関へとなだれ込んだ。 　嫌な汗と心臓がバクバクとし、マオの顔を見ると顔面を真っ青にしていたにも関わらず「チヨ平気か」なんて心配されると双子なのにお兄ちゃんだと実感させられる。 　 　「マオの方こそ大丈夫？」 　「うん…あの男さアルバムの男だよね？」 　あの赤いパーカーを着た人物を僕たち知っている。 　 　 　まだ僕らが五才の時だ、喉が渇いて母さんについてきてもらおうと思って隣の布団を見ると誰もいなかった。 　代わりに、隣の部屋から光が漏れ出しそっと襖から覗くと母さんが息を殺すように泣いていた。初めてみた母さんの泣き顔だった。僕の双子の兄を起こそうかと思ったが、明日の朝に報告すればいい。今は何故泣いているかを突き止めるのが採決だ。 　（あれはなんだ…） 　目を細めて母さんが手に持っているモノをよく見ると分厚い本のようなものを見ながら泣いていることがわかる。 　ページを行ったり来たりし、目当てのページが決まっているのか同じページにしか目を通していない。それから何分なのか何十分なのか心臓がバクバクとしすぎてわからないぐらいどうすればいいのだろうと考えていると母さんが洋服タンスの中にその分厚い本をしまい込みこっちに向かってくる。 　喉が渇いたことも忘れてマオの隣に潜り込み、母さんがそっと布団に入り僕たちの頭を優しく撫でてくれる。 　「こんな弱いお母さんでごめんなさい。おやすみ可愛い息子たち。」 　その声も泣くのを我慢したような苦しい声で、思わず声をかけそうになったが、母さんは大丈夫だよといつも強い面を保とうとする。もし、今その仮面を取ってしまえば母さんはさらに無理に頑張ってしまうのではないかと頭によぎり声をかけることもなく僕は睡魔にのまれていった。 　 　次の日、母さんが仕事に出かけてすぐにマオに昨日あったことを喋ると母さんの洋服タンスの底に手を伸ばす。 　僕もマオも真剣な顔つきでバクバクと心臓を鳴らし目当てのものを発見した。 　 　「あった…」 　分厚い本を息を飲みながらめくると卒業アルバムだった。 　軽くページをめくると昨日何度も往復していたページか、開きやすくなっていたページが開かれる。僕たちはそのページに乗っていた写真を見て思わず手を握り合い声にならない声を漏らす。 　そこに写っていたのは、母さんと同じ顔をした六人が仲睦まじい様子で写っていたのだ。よく見ると一人ひとり印象は違うが同じ顔に赤、青、緑、紫、黄、桃色の松パーカーに学生服。頭にはガンガンと警報が鳴っている。その先には気づいてはいけないと言われているかのように鳴り響き止まらない。 　「チヨ、俺らの母さんは自慢の母さんだよな」 　「もちろん。母さんは母さんだよマオ」 　僕たちは繋いでいた手を放しぎゅっと抱きしめ合い落ち着くまでその場でじっとしていた。 じっとし終えるとアルバムを閉じて、元あった母さんの洋服タンスへとしまい込む。 　その日以来、僕もマオもアルバムのことを口にすることは一度もなかった。 　先に口を開いたのはマオだった。 　「赤いパーカー…」 　「母さんに言ったらあの男が僕たちの…」 　「決めるのは母さんだ。もし本当に予想が当たっていたとしても母さんは何らかの理由で逃げたんだ。俺たちが守ればいい」 　「うん」 　 　買い物袋やランドセルの中に入っていた戦利品で親子丼を作らなくてはいけないのに身体の震えが収まらず、マオに抱きしめられていることしかできない。 　母さんが帰ってくるまでに夕飯を準備するためにマオから離れようとするとグラッと身体が傾き僕の記憶は途絶えた。 　 マオとチヨは一目散に男から離れたため、その男が発した言葉を僕たちは知る由もなかった。 　「みつけた」 [newpage] あとがき おそチョロいいっすねーー いいっすよね！！！！！！！ 可愛い最高 読んでいただきありがとうございます。 おそチョロ♀とかいいつつ息子たちばっかりでした。 この後、息子たちにチョロ松を鉄壁ガードされて、俺もチョロちゃん独り占めしたいーーーなんて言ってチョロ松にどやされればいいです。 双子の兄マオは、おそ松のオとマをもらい。 双子の弟チヨは、チョロ松のチとヨです。 みなさんの小学校は人数どにくらいでしたか？ 私のいたとこは小学校３クラス４２人構成なのに隣の学校が７クラス近くあって謎でした。 しかも、小6の時に１年生が３８人１０クラスへ変貌して怖すぎです。

僕はこの子達を産みたいと言ってお世話になった父さん、母さんにだけその旨を伝え、家を飛び出した。<br />見つかってはいけない。なんせ人としての禁忌を犯そうとしているからだ。<br />この町よりもっともっと遠い場所。<br />大事な僕の息子になる子達が幸せに暮らせるようにしなくてはいけない。<br />僕はこれから母親になります。<br />----------------------------------<br />チョロ松が双子の男の子を産み、シングルマザーとして育てています。<br />----------------------------------<br />うわあああああ<br />2月24日デイリーランキング 98 位ありがとうございます！！<br />㋁25日デイリーランキング　60　位ありがとうございます！！<br /><br />まさかこんなに評価をもらえるとは思っていなくてビックリです。<br />続きしばらく待っていてください。

【おそチョロ♀】僕ら松野チョロ松の息子１

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今回は普通の小説のような文体が入ってます でも半分くらいはちゃんねる風小説 3ページ目のちゃんねる風の所だけ読んでも多分話は通じる オリジナル審神者がいます、まともじゃないです 2ちゃんの知識は乏しいです かっこいい刀剣はいません、良いですか？ 鶯丸を筆頭に刀剣が大分偽物、口調間違ってたらすいません 筆者は獅子王も厚君も好きです、恨みとかはないです本当なんです…ごめんなさい 4ページ目は蛇足です 以上よろしければお進みください [newpage] 静まり返った建物の中に、四人分の足音が響く。 あいつらがいないとこんなに静かだったのか、と思った頃には自室の前にいた。 からりと襖があいて、中に押し込まれる。 この本丸を持ってから、幾度となく過ごした場所。そして、私の最期の場所。 「さぁ、どうぞ？」 差し出されたのは、よく使いこまれた包丁だ。光忠の使っていた包丁を切腹に使うのは、少し抵抗がある、が。 一つ息を吸い込んで、ゆっくりと手を伸ばす。 だが、私はこれで良いと思う。そう思いたい。 審神者になりたかった訳でもない、なのにどんどんと増えていく刀剣。 その視線が、心地よくもあり面倒くさかった。 主、と、こちらを見る瞳が、照れ臭くもあり、重たくもあった。 好かれているなんて、面倒くさいこと認めたくなかった。 居心地が良いと思う反面、私はここにいるべきではないと思う気持ちもあった。 色々と理由をつけたが、簡潔に一言で言えば、考えるのが面倒になった。 審神者をやめるのも、続けるのも、どちらも面倒くさかった。 見習いさんに乗っ取りを宣言され時、渡りに船だと思った。 この人なら、きっと刀剣の期待に沿う主になるだろう。こんな面倒くさがりやな私なんかよりも。 でも私の口から出てきたのは、別に良いけど手続きが面倒くさい、だった。 やめたくなかったのか、それとも本当に手続きが面倒くさいだけだったのか。 どこまでも面倒な自分だと、自分でも嗤った。 刀剣を自分から遠ざけてみたが、見習いさんの態度を見るに、彼女に惹かれはしなかったのだろう。 何もかもが間違いだったのかなと思う。 審神者になったのも、刀剣から慕われたのも、見習いさんにあの答えを返したのも。 「……………はは……。」 「………頭でもおかしくなった？」 「それは元からだと思うよ。」 見習いさんに揶揄されるが、それは肯定するしかない。 頭がおかしいくらいものぐさなのだ、本当に。 本当にどうしようもない。 「…な、なぁ、本当にこの人は悪い人なのか？」 「えぇ、そうよ。だから、死んでもらわなきゃいけないの。だってここの刀剣達は、みーんな虐められているから。その証拠に、私が全て世話をしているじゃない。」 わかるでしょう？と、獅子王という刀剣男子に、見習いさんが微笑む。 それは綺麗な綺麗な、背筋が凍るような笑みで、私には一生できそうもない。 とても綺麗な人だ、頑張り屋で、優しい人。 その横でどうすれば良いのかと狼狽える子を、可哀想だなと思う。我ながらクズな感想だ。 勝手に呼び出されて、勝手に使われて、こうして慌てふためく羽目になる。 横の短刀の子も、ゆらゆらと迷いに瞳が揺れている。 それは、きっと私のせいなのだろう。 だけど、私は何も出来ない。 私がその原因でも、できる選択肢は全て取りこぼしてしまった。 何も自分で選ばなかった結果がこれだ。 私の本質はクズで、ものぐさで、どうしようもない。 命が消える瀬戸際に来ても、それは変わらないようで。 ただこれを腹に刺して横に引いて、時間が経てばそれで終わり。少なくとも、私は終わる。 刀剣が悲しむ……だろうな。 見習いさんは取り返しのつかない事になる。 そして見習いさんの刀剣は…可哀想だな。 …あぁそうか、これは、誰も幸せにならない選択肢だったんだ、と今更な考えにたどり着いた。 手の中の包丁の刃に、間抜けな自分の顔が映る。 後悔があるとするなら…いや、考えるのはやめよう。 後悔なんて、面倒くさいじゃないか。そうだろう？ 死ねば面倒なこともない。そうじゃないか。 自分から死ぬのは面倒だが、死ねと言われて強要されたら別にやってもいいなと思う。私は、そういう人間だ。 自分で何も選択しない、無責任な私の話。 なら最初から、こうしていればよかったのに。 包丁の先を腹部に当て、一思いに力を込めた。 「……？！大将………！」 「……っ、主ごめん！」 「…きゃっ…何………？！」 覚悟を決め包丁を腹に突き立てる、その一歩前に、凄まじい音とともに土煙が上がった。 見習いさんを庇いながら刀剣たちが遠くに転がっていく。 私も驚いて尻餅をついた。 その拍子に、包丁が手から離れてしまう。 あれは光忠のだから、あとで探さなければ。 「……っ、何なのよ！誰？！！！」 誰が…なんて、決まってる。 ここに来れるやつなんて、一人だけだ。 土埃の中から現れた姿を見上げる。 「…包丁で切腹の真似事とはな。俺の主は困ったやつだ。」 「……お前もな。…あれ光忠のなんだけど。」 「……本当に切腹をしていたら、あいつは泣いていたな。」 花柑子にまたがる鶯がそこにいた。 私の近侍も、どうしようもないやつだ。 何度冷たい対応をしても離れず、それどころか私を探しに駆けずり回る。 当初私に興味がないその態度が良くて、近侍にしたっていうのに。 馬で轢いたのにその馬で追いかけてくるとか、その上襖と土壁の一部を破壊して飛び込んでくるとか、本当に予想外で。あと蹄の音しなかったんだけど、気付かなかっただけ？ あぁ、もう、とにかく、何もかも上手くいかない。 安価という形で、人に選択を任せたりもしたのに。そもそも、それも悪かったのかな。 変わらないと、いけないのかな。 土煙の向こう、むくりと起き上がる三人の人影が見えて少しだけ安堵する。 「………何よ、……何よ何よ何よ！！何であんたなんかが慕われてるのよ？！何で助けられるの？！ものぐさで！面倒くさがりで！！どうしようもないくせに！！！」 「大将、下がってくれ！」 「主ダメだ！俺の前から出るな！！」 叫ぶ見習いさんに、知ってる、と適当な言葉がでかかったが、失敗を踏まえてぐっと飲み込む。茶化すな茶化すな、真剣に会話をしよう。 「ほら、立てるか？」 鶯が馬から降りて、私の目の前に立つ。 差し出された手を取るべきか悩んだが、焦れたらしい鶯丸に手を掴まれて起こされた。 部屋が大惨事になっているのがよくわかる。 煙たい。 「…さて、中々大変な事になっているが。」 どうするんだと静かに問われた言葉に、わかってる、と頷きを返す。 面倒だと反射的にでかかった言葉を無理やり飲み込んだ。 「後処理の方法はきちんと考えるよ。」 「…面倒くさいと言われると思ったんだが…何か心境の変化でもあったのか。」 驚いた様子の鶯に少しだけ胸を張る。 本当に少しだけ。 だって、そう思ってくれるのは嬉しいから。 「………ちょっと？」 「……そうか。」 全く俺の主は予想外な事ばかりするやつだ、と言わんばかりの表情をされた。 ならもう放っておけばいいのにも、何度か思ったことはあるが一度も叶った事はない。 鶯が私の予想を裏切り始めたはいつの頃からかだったか。 お茶と大包平の話さえしてれば良いのに、私にも目を向け始めた。きっかけなんて私は知らない。…知った方がいいのだろうか。 「…そのままでも、見ていて危なっかしくて、目が離せなくていいと思うんだがな。変わらなくても構わないんだが。」 しかしどこか残念そうな響きを含んでいるのは何故だろう。 こんな面倒くさくて、面倒くさい以外に言葉の湧かない私に近付こうと何度となく試みて、面倒ごとをひっ被っていると言うのに。 本当にどうしようもないやつで、趣味が悪い。 「……そうか。悪趣味だね。」 …でも、近侍を命じてから一度も外さなかったということは……きっと私も、嫌いじゃないのだろう。悪趣味な近侍のことが。 「悪趣味だろうと、他人からどう思われようと、構わないさ。好きなものは好きなのだから仕方ないだろう。」 穏やかに言いながらも、緑の瞳は逸れずにあの三人を注視している。 あ、怒ってるなと、そこでやっと気がついた。遅い。 「……っ、約束を破るの？！」 金髪の子に姿を隠された見習いさんの声が聞こえる。 その声に何と答えようかと数秒迷って。 「ごめん…死ぬの面倒くさくなったからやめる！」 思わずそう声に出した私に、成長など微塵も無かった。 人の性格はそう変わらないのだろうかと心が折れかける。 少しだけ反省したことは評価…いや、ダメだ、もっと変わらなければならない。 変わらなきゃ、またこんな事が起きるだけだ。 「…あ、いや、あの……面倒くさいっていうか、単に死にたくないだけで…その、本丸も…譲るのも…えっと……。」 「……ふっ…はは……いや、お前はそのままでいい。」 取り繕う言葉を必死で探すが、上手い具合に言葉は出ない。 クックッと愉快そうに笑う目の前の背中を見つめる。 いつだって、どこにいたって、この背中を見ない日はなかった。 執務室で書類仕事をしている時も、鶯が出陣で敵と戦っている時も。 この背に、守られるに足る存在か。 その姿を後ろから見ていても良い主なのか。 今まで考えもしなかった事が頭に浮かぶ。 「そのままでいいが、…死ぬのだけは勘弁してくれよ。命は大事にしろ。」 「……ごめん。」 答えとしては、否だ。 私では相応しくない。 刀剣達の視線や好意を、重たいと、面倒くさいと、そう思う私ではダメだ。 刀剣達の事を受け止めて、それに足る主人であろうとするくらいでなければ。 そのままで良いと、そんな言葉に甘やかされるわけにはいかない。 そうでなければ、この背中に庇われる価値はない。 今からでも頑張れば、見合うだけの価値を手に入れられるだろうか。 「さて、こちらも悪いとは思うが…すまないな、主に傷をつけた事は許せそうにない。」 …決意したのは良いが……なんだか不穏な空気が漂い始める。 実はかなり怒っているのだろうか。 「い、いや傷って言っても本当にたいしたことない傷で。」 「その出血でたいした事がないと思ってるのか。…お前は本当に、どうしようもないな。」 あーダメだー怒ってるー。 何でなのか今一よくわからないけど激おこだ。こいつ今じゃうちで一番練度高いのに。 手入れの準備と、政府への報告書を書かないといけないだろうか。め………いや、書きます。ちゃんと書きます。見習いさんの刀剣の手入れもします。必要なことだ。何一つとして面倒なことなんかない。 見習いさんにも謝って……それと、刀剣達に今まで遠ざけていた事も謝って、みんなの事を知ろう。 こんな私にでも、まだ教えてくれるだろうか。 まだ、主だと言ってくれるだろうか。 …鶯にも見捨てられていなければ、良いな。 そのためにもまず鶯を止めないと。 「待った待った、鶯落ち着こう。私の性格がアレなら頑張って直す、直すから、その子達鍛刀で来たばっかりで練度もそんな高くないから。もうこんな事しないやめ、鶯ぅぅぅ！！破壊は良くない絶対ダメ！！ストップストップ！！」 [newpage] 1 :名無しの審神者さん 結局誰もカキコを控える事なく新たなスレが立ったんだが…… あ、もし前スレ1が書き込んでも、1って呼んでやってくれ 2 :名無しの審神者さん 990が一応誘導してるから大丈夫かな……？ 3 :名無しの審神者さん なんだあれ……1の追悼スレが始まったと思ったら最終的に乗っ取り見習いへの対策会議になってた… 4 :名無しの審神者さん 1の犠牲は、俺忘れないから…… 5 :名無しの審神者さん 1は…良いやつだったよ 6 :名無しの審神者さん 刀剣と見習いの衝突待った無しになりそう 7 :名無しの審神者さん 1は………何で腹切りしたのかな 8 :名無しの審神者さん お掃除家電の名前を大量に見ていた時にはこんな事になるとは思わなかった…… 9 :名無しの審神者さん 惜しいやつを亡くしたな………… 10 :名無しの審神者さん もつ結構時間が経ったのか……… 11 :名無しの審神者さん どうしてるのかな……… 12 :名無しの審神者さん もうあのおかしな本丸の話が聞けないとなると寂しいな 13 :名無しの審神者さん 1は刀剣で腹切りはしなそうだから…包丁とかでやったのかな… 14 :名無しの審神者さん 1のお腹が………… 15 :名無しの審神者さん >>13痛い……… 16 :名無しの審神者さん 俺、まだ1が生きてるって信じてるからな 17 :名無しの審神者さん >>13想像するだけで痛い 18 :名無しの審神者さん 鶯丸は間に合ったんだよ…今はちょっと休んでるだけだって…なぁ？ 19 :名無しの審神者さん 短い間だったのに、なんでもこんなに1の事が気にるんだろう 20 :名無しの審神者さん 1……………… 21 :前スレ1 おひさー 22 :名無しの審神者さん なんでこんなに1の事で気が落ち込まなければいけないんだ……… 23 :名無しの審神者さん 1にもっと詳細な刀剣と話を聞いておけばよかった 24 :名無しの審神者さん 1と演練したかった………… 25 :名無しの審神者さん とうとう1のレスの幻覚まで見え始めた……… 26 :名無しの審神者さん あれ、おかしいな、1がいる気がする 27 :名無しの審神者さん 私、こんなにあの1の事が気になってるんだ…… 28 :名無しの審神者さん >>21お前…1なのか……そんな訳ないのに、そう見えるなんて…… 29 :名無しの審神者さん え、ちょっとまって 30 :名無しの審神者さん 前田に殴られてみた、痛い 夢じゃ、ない？ 31 :名無しの審神者さん まんばの布を剥ぎ取ってみた、逃げられた これ現実か 32 :名無しの審神者さん 乱のスカートをめくってみた、一期にお覚悟された 夢じゃない！！ 33 :名無しの審神者さん 夢じゃない！幻覚でもない！！ 34 :名無しの審神者さん こいつ……1だ！！ 35 :名無しの審神者さん あ、あの1なのか……？！ 36 :名無しの審神者さん よ、よかった……1が生きてる！！ 37 :名無しの審神者さん うわぁぁぁぁぁ1がきたぁぁぁぁ！！！ 38 :名無しの審神者さん 今日は宴じゃぁぁぁ！！！ 39 :名無しの審神者さん やばい今から酒とご馳走買いに行かなきゃ！ 燭台切今日は宴会開いて！！ 40 :名無しの審神者さん 馬鹿お前ら、狂喜乱舞するのわかるが落ち着け！ 41 :名無しの審神者さん 1！その後を語るんださぁ！ 42 :名無しの審神者さん なんか一部変態がいるけどそんな事もういいや！！1お帰り！！ 43 :前スレ1 流石にここまで心配されてるとは思わなかったありがとう 色々ありすぎて何を書けば良いのかわからない 44 :名無しの審神者さん もう俺は1が生きてるだけで感動した 45 :名無しの審神者さん 1が死んでなくてよかった…本当によかった 46 :名無しの審神者さん 色々とはまた……… 47 :名無しの審神者さん 少しずつでいいんだ、ゆっくり書き込んでくれ 48 :名無しの審神者さん 一回出来事を要約してみたらどうかな 49 :名無しの審神者さん 取り敢えず切腹からの流れを…… 50 :名無しの審神者さん 鶯丸が間に合ったのか？ 51 :名無しの審神者さん 見習いはどうなったんだ？ちゃんと処罰したよな？ 52 :名無しの審神者さん お前ら落ち着けよ……俺は見習いさんの刀剣がどうなったか気になる 53 :名無しの審神者さん 腕の怪我は平気なのだろうか、見習いの刀剣も1の刀剣も無事なのだろうか 54 :前スレ1 頑張って要約してみた わかりにくいと思うごめん 腹切りをするために自室へ行った私 見習いさんとその刀剣2名に見守られながら、初めての腹切り上手くできるかな？を始める とっとと終わらせようとしたその時、馬に乗った鶯が襖と土壁の一部をぶち破ってダイナミックお邪魔します 乱闘が始まるも激おこぷんぷん鶯丸の独壇場 部屋の後片付けとか色々どうしようと考え、そして反省する私 他の刀剣も駆けつけなかなかに酷いことに 宥める私、ヒートアップする現場、喚く見習いさん、倒れてる見習いさんの刀剣、闇落ちしかける長谷部と安定、ひたすらに諌める私 事態が収束し、三日月が私にスライディング土下座を披露するのでそれを止める中見習いさんが別室へ連れて行かれる 刀剣も全部そっちに移動 かれこれ3時間ほど出てこない そして現在私は暇になり自分を見つめ直しながら政府への部屋が壊れた事の報告書と反省文書いてる 表向きは見習いさんと私のキャットファイトが発生し驚いた刀剣が破壊した事にした 55 :名無しの審神者さん 1の事だ、また緊張感の欠片もない書き込みになるんだろう 56 :名無しの審神者さん そしてやはりこの1であるw お前命大事にしろよwww 57 :名無しの審神者さん 緊張感とかお前にはないのかwwwと思ったら以外としおらしい1がいる(等比社) 58 :名無しの審神者さん 緊迫感は相変わらずないが、ちょっと反省したっぽいな、何があった 激おこぷんぷん鶯丸は評価する 59 :名無しの審神者さん わかりやすいけど1の言葉のチョイスのせいで緊迫感がゼロw え？反省してんの？何を反省してんの？ 60 :名無しの審神者さん これ見習い死亡じゃね？www 61 :名無しの審神者さん 三日月wwwアクティブwwm 62 :名無しの審神者さん 見習いザマァwww 63 :名無しの審神者さん ダイナミックお邪魔しますwww 64 :名無しの審神者さん 闇落ち長谷部と安定www 鶯丸の必死さ加減が素晴らしい 65 :名無しの審神者さん 馬大活躍じゃないか！人参あげとけよ！ キャットファイトwww 66 :名無しの審神者さん 1の反省と激おこぷんぷん鶯丸の詳細をだな…… 67 :名無しの審神者さん 毎日茶を飲んでるような鶯爺でも激おこぷんぷん鶯丸になれるのか… 68 :名無しの審神者さん 三日月さんがスライディング土下座とか腰が心配だわwww 闇落ちについて詳しく 69 :名無しの審神者さん どうやって事態が収束したんだこれ……… もっと良い言い訳はないのかwww 70 :名無しの審神者さん 状況がカオスだが、1から反省の言葉が出たことに驚いてる 71 :名無しの審神者さん いったい刀剣達は中で何を……… 72 :前スレ1 死の淵手前に立ちながら、これを引き起こしたのは私だと反省しました… いや薄々わかってたんだけど上手く心がどうにかならなかったというか、刀剣達の主としてこれでいいのかという葛藤があったというか、上手く言葉にできないっていうか言い訳ですごめんなさい もっと自立します 取り敢えず面倒くさいっていう考えから変えます…… 激おこぷんぷん鶯丸はどう表現すればいいのか 普段の言動が逆になったというか 殺すのは好きではないのでな。生き残れよ→生き残る事は許さない殺す 命は大事にしろよ→お前の命はここで終わる 逃げてくれればいいんだが→逃げられると思うのか？ こんな感じでやってる事は前とそんな変わらない 闇落ち長谷部と安定 長「主に傷を付けやがって殺す殺す殺す殺す殺す絶対殺すコロスコロス以下略」 安「愉快な事すんじゃねぇか子猫ちゃん？首を刈って八つ裂きでも足りねぇなぁ？あぁ？！！」 書いてみたら別に違和感なかった 特に安定 闇落ちじゃなかったのか 73 :名無しの審神者さん 俺今度から馬の世話やるわ ひぇっ 74 :名無しの審神者さん うわ 75 :名無しの審神者さん 1が反省してる事で全部持って行かれた 76 :名無しの審神者さん 1がしおらしい………… それ鶯丸も闇落ちしてるんじゃ……… 77 :名無しの審神者さん 何を反省してるのか今一よくわからん…が、1なりに考えることがあるんだな うちの鶯丸二度見したらお茶要求された 78 :名無しの審神者さん 鶯丸も長谷部も大和もブチ切れwww 79 :名無しの審神者さん 違和感ちゃんとあるからwその二人普段そんな事言ってな………あれ、段々違和感が…？ 80 :名無しの審神者さん 違和感あるだろwwwと想像したが別に普通に言いそうでよくわからなくなってきた 煽ってる事に気がついたのか…… 81 :名無しの審神者さん ほ、他の刀剣は闇落ちしてないのか……？ 82 :名無しの審神者さん 1の本丸床掃除隊とか普通に闇落ちしてそうなのに 83 :名無しの審神者さん もう闇落ちしてるのが1の本丸ではデフォルトなのかもしれない 84 :名無しの審神者さん 違和感が迷子 85 :名無しの審神者さん >>82それな 1はもっと反省しなさい 86 :名無しの審神者さん >>82普通にありえそうで困る 87 :名無しの審神者さん 最初は1か疑っていたが、これは紛れもなく1……かな？1というには少ししおらしすぎるような 88 :前スレ1 他の刀剣は終始無言だった、けど鼻息荒かった 床掃除してる奴らの手はカタカタ震えて瞳孔開きっぱなし 今短刀(乱と薬研を除く)が何故か部屋から追い出されたみたいでプリプリしながら私のところに来てる 取り敢えず久しぶりに会話をしてみよう、と思う前に会話が始まった 平野「まだ言いたい事があったのに、追い出されました。主君、お久しぶりです。」 五虎退「主さまぁ……お怪我は大丈夫ですか？」 私「怪我は平気だよ、ありがとう。…ところで、中で何やってるの？」 今剣「あるじさまのすばらしさについて、あのみならいにおしえてるところですよ！」 私「え？」 前田「主君の素晴らしさを説いているところです。まだ伝えきれていないのに…どうして僕たちは追い出されたのでしょう。」 小夜「……たぶん、ロクでもない話が始まるから、だと思う。」 私「うん？………取り敢えず団子食べる？」 困惑する事しかできなかった そういえば書き忘れてたけど、見習いさんの処罰は私のデコピン一発にしたから死ぬ事はないよ まぁあとちゃんと穏やかに研修を終わらせる事と、自分の刀剣を大事にしてちゃんと向き合う事、 私に会う時にはアポとる事とか色々条件もつけたけど 見習いさんの刀剣も破壊してないし、手入れもした しかし手入れをしたら太郎とか鯰尾とか田貫とかが俺たちだって最近主に手入れされてないのに！とか言ったので猛烈に反省してる >>85肝に命じます 最初は見習いさんと私がキャットファイトで審神者パワーというか女子力(物理)で襖とか壁が壊れた事にしようとしたのは内緒 89 :名無しの審神者さん 刀剣達は見習いにどんな拷問を…… 90 :名無しの審神者さん 91 :名無しの審神者さん 92 :名無しの審神者さん 1が書き込むと無言が続く だから突っ込みが追いつかないって言ってるだろ！ 93 :名無しの審神者さん 内緒にできてないw 94 :名無しの審神者さん 床掃除隊もブチ切れしてるwww 95 :名無しの審神者さん 怒る短刀達可愛いな………天使かな？(すっとぼけ) 96 :名無しの審神者さん よかった……見習いさんの刀剣は無事か… 97 :名無しの審神者さん デコピン1発で手打ちね！と1のブチ切れ刀剣達を納得させてるっぽいのがすごい 98 :名無しの審神者さん >>95何当たり前の事言ってんの？ 99 :名無しの審神者さん 審神者パワーってなんだよwww俺たちに壁を壊す力なんて普通ないわwww 100 :名無しの審神者さん 刀剣達の1のマンセーぶりはなんなの……？ >>95今頃気づいたの？バカなの？ 101 :名無しの審神者さん 嫉妬してるwww そして1が若干反省してる…… 102 :名無しの審神者さん みんな1の事大好きなんだなwww 103 :名無しの審神者さん 事態の収拾本当にどうやったんだwwwこんなの無理ゲーだろwww 104 :名無しの審神者さん 1が困惑したり、反省したりしてる…(困惑) と思ったら女子力(物理)www 105 :名無しの審神者さん 反省の姿勢はどことなく感じるが言葉のチョイスで全てが台無しwww 106 :前スレ1 短刀達に団子を出したら桜の花で食堂の床が埋まったもぉぉ……まぁ良いです、笑顔になってくれたので 事態の収拾は、ここの本丸の主は私だ！お前らが私を主だと思うなら決定に従え！思えなければ私も殺せ！さぁ一思いに首を落とせ！という超独裁を掲げる事で何とかなった……あの時はこれくらいしかやり過ごす言葉を思いつかなかったんだ 107 :名無しの審神者さん >>95そんな事もわからないとは審神者失格だぞ 108 :名無しの審神者さん それは刀剣は逆らえませんわ 109 :名無しの審神者さん そんな健気な刀剣達をあっさり譲ろうとしていた1………… 110 :名無しの審神者さん 1の性格が未だに掴めない……… 111 :名無しの審神者さん >>109一応反省してるっぽいから……許してやって… 112 :前スレ1 たった今刀剣達による見習いさんへの謎の私プッシュが終わったようなのだが 困った事に見習いさんに泣きつかれている あの見習いさんが………何なのだろう 見習いさんの刀剣も怯えたように、しかし何処と無く私を哀れんだ目をしている 中で何があったのだろうか 113 :名無しの審神者さん 面倒くさいって言葉が、未だに出てこない…だと？ 114 :名無しの審神者さん 中で何があったのかなんてこっちが聞きたい 115 :名無しの審神者さん ファッ？！ 116 :名無しの審神者さん とんでもない超展開 >>113まさかーと思ってレスを遡る 本当だった 117 :名無しの審神者さん 自分を殺そうとしたやつに泣きつかれても振りはらわない1はマジで器でかい 118 :名無しの審神者さん 取り敢えずよく話を聞いて俺たちに聞かせてくれ >>113事実……だと？ 119 :名無しの審神者さん って言うか、何で1は毎回リアルタイムの書き込みしてるの？www 120 :名無しの審神者さん 1、取り敢えず見習いさんから離れなさい 何をされるかわからんぞ 121 :名無しの審神者さん >>119誰かに相談したいんじゃないか？ 122 :前スレ1 何だかよくわからないが要約すると ごめんなさい、私勘違いをしてました 刀剣があんな………変態だとは思わなかった 乗っ取るなんて言ってごめんなさい、ここを管理できるのは貴方だけです 騒ぎに便乗して襲ってしまってごめんなさい もう手入れも世話もしたいといいません、研修を終えたらすぐに出ていきます 寛大な処置でありがとうございます 変態という心穏やかじゃない言葉が出てきたんだが、私は何も詳しく聞きたくない…いや聞かなきゃダメか 見習いさんの獅子王君に、お前も大変だなと呟かれ、厚(名前判明した)君という短刀にも辛くても頑張れよと応援された 私もごめんなさいと謝ろうと思ったらさっさと見習いさんの部屋に行かれた あとで落ち着いた頃に謝るその時に詳しく聞く しかしそれを後ろで聞いていた短刀達 前田「変態とは………鶴丸殿の事でしょうか？」 今剣「いいえ、いわとおしのことかもしれませんよ。」 五虎退「長谷部さんかもしれません…。」 平野「一兄という線もありますね。」 小夜「……候補が、沢山いるね………。」 今剣「あとほかには……。」 ちびっ子達はどうして変態にそんな心当たりがあるのかわからない 何か変態の意味を間違えてると思うんだけど 123 :名無しの審神者さん 俺も1の胸に飛び込んで………あっ何でもないです清光さんチィーッス 124 :名無しの審神者さん 秋田君に飛びかかって一兄にお覚悟された… 125 :名無しの審神者さん 大倶利伽羅に突進して避けられて冷めた目で見つめられたい 126 :名無しの審神者さん 変態が発生する中、1の超展開は進む 127 :名無しの審神者さん すごく……………意味がわかりません 128 :名無しの審神者さん やっと平和になると思ったら、新たな問題が浮上してきた件 129 :名無しの審神者さん へ、変態…………鶴丸あんなにピュアだっただろ？！！ 130 :名無しの審神者さん 1、ここはどうしてそう思うのか聞いてみるんだ 変態の前の………の間が気になる 131 :名無しの審神者さん 気になって五虎退の虎もふれないから早くkwskしてくれ1 132 :名無しの審神者さん このスレはどうして変態が発生しやすいんだ 133 :名無しの審神者さん 1の書き込みって基本意味わかんないのかぶっ飛んでるのか不穏なのしかないんだけど 134 :名無しの審神者さん >>132 1が変態だから 135 :名無しの審神者さん >>132 人間はみんな変態だから 136 :名無しの審神者さん >>132審神者はみんな変態だから >>133それこそが1だ 137 :名無しの審神者さん >>134 1はものぐさなだけだ 138 :名無しの審神者さん >>135-136それだ！ 139 :前スレ1 私は変態じゃない！私の刀剣も同じく変態じゃない…… 私「ど、どうして、変態だなって思うの？」 今剣「ずっとあるじさまをみて、ときどきこきゅうがあらいからです。」 前田「鶴丸殿が主君の部屋でこそこそとタンスを漁ってるのを見ました。」 五虎退「長谷部さん、いつも主さまの後ろを付けて回ってるんです……あの…知りませんでしたか？」 平野「一兄は……その…………しゅ、主君のことが好きなだけなんです……。」 小夜「……宗三兄様は、…………なんでもない。」 ………変態じゃない！ 一期と宗三の弟が言えないほどの事とは何なのだろうか絶対知りたくないが……ううん…聞いてみる………ちゃんと向き合うって決めたし… 140 :名無しの審神者さん きっと短刀が言葉を間違えて…ないwww wwwwww草www 141 :名無しの審神者さん 変態だwwww 別にそこは聞かなくて良いと思うが 142 :名無しの審神者さん 文字だけ見たらまごう事なき変態だwww 143 :名無しの審神者さん 一難去ったのに今度は刀剣の変態疑惑とか1可哀想www 144 :名無しの審神者さん 鶴丸のピュアさはやっぱ気のせいだったのかwww 145 :名無しの審神者さん なぁ、変わったのはいいが、世の中知らなくても良いこともあるんだぞ？ 向き合わなくても良いこともあるんだぞ？ 146 :前スレ1 いや、違うんだよ きっとちびっ子達の勘違いなんだよ 呼吸が荒いのは体調が悪いだけで、タンスを漁ってるのは探し物をしてるだけで後を付けてくるのは主命がほしいだけで、あとは何してるか知らないから知らない 147 :名無しの審神者さん 1wwwしっかりしろwww 148 :名無しの審神者さん 現実から目を背けるなよwww 149 :名無しの審神者さん どういう場面かにも確かによるけど、短刀に変態だと誤解されるとかよっぽどだぞ？ 150 :名無しの審神者さん まぁ長谷部は通常運転な気がするし、鶴丸も驚きを与える！とか考えてたのかもしれないな 岩融は身体を動かしたくて仕方なかったんだろ 151 :前スレ1 まぁそれは一旦横に置いて、私猛プッシュについて聞いてみた 私「……私について、見習いさんとか何か言ってたよね？」 前田「見習いがあんな女より私の方が審神者としても優秀で可愛いのに何で！と世迷言を言っていました。」 私「(世迷言じゃなくてそれは事実…)」 五虎退「鶯丸さんが、鼻で笑いました。」 今剣「ふざけるな！おれのあるじはてんしなんだ！と、はせべがいいかえしていました。」 小夜「…羽根生えてねぇけど、ってあの金髪の人が言ったら三日月が、俺の主は翼を殆どもがれた可哀想な天使ゆえ…とか返してたよ。」 私「………誰かそれについて反論してた？」 平野「主君が天使なのは誰も反論するわけがありません。」 私「……ものぐさとか、面倒くさがりとかは。」 五虎退「……えっと鶯丸さんが、あいつはそのままでいい、と。」 理解しようと頑張ってみたが意味がわからん頭痛い 私は人間だよ そのままで良いわけがないよ、私の決意を無に返さないで >>150そうだよね？！ 152 :名無しの審神者さん www >>150超好意的解釈 153 :名無しの審神者さん 草しか生えないよぉぉぉぉwwwwwww 154 :名無しの審神者さん 翼を殆どもがれた天使wwwww中途半端www 155 :名無しの審神者さん 三日月からそこはかとなく漂うどうしようもなさwww 156 :名無しの審神者さん 1よく頑張ったなw 1の頭痛が酷くなりそうだwww 157 :名無しの審神者さん 1の突っ込みじわるwww 158 :名無しの審神者さん 私はwww人間www 159 :名無しの審神者さん そうだねwww1は人間だねwww 160 :名無しの審神者さん 愛が重いwww 161 :名無しの審神者さん 1の本丸本当におかしいwww 162 :名無しの審神者さん 愛されてるwww……愛されてるのかな？ 163 :前スレ1 さて、こんな感じで乗っ取り宣言は撤回された あとで見習いさんの所に菓子折り持ってかなきゃ… 変態疑惑は気のせいとして片付けたい…がものぐさすぎたのを反省したのでもう少しみんなと関わってみる それから判断する 行動の意味とか発言の意味とかをちゃんと聞いてみる 164 :名無しの審神者さん 1の事崇拝してるのか刀剣…… 165 :名無しの審神者さん 反省を行動に移そうとしてる…あれ涙が… 166 :名無しの審神者さん 私だったら何でタンス漁ってたの？とか何で私を見て呼吸荒かったの？とか何で私の後ろいつもつけてるの？とか聞けない 167 :名無しの審神者さん なんか、レスを読み返していくと、俺刀剣に引っかかりを覚えるんだけど 168 :名無しの審神者さん 1の刀剣、大丈夫？ 169 :名無しの審神者さん 何だろう、背筋がゾワッとする 反省したのはいいけど、聞かなくていいこともあると思うぞ？ 170 :名無しの審神者さん 俺は1の鶯丸になんだか違和感を覚えるんだが 近侍で被害被ってるのに、1はこのままで良いとかお人好しにも程が… >>166ぐう正論 171 :名無しの審神者さん なぁ1、鶯丸について短刀達に聞いてみろ 172 :名無しの審神者さん 三日月の翼をもがれたってとこも気になるんだけど 173 :名無しの審神者さん ？、何故か落ち着かない気分になってきた >>166ある意味羞恥プレイwww 174 :前スレ1 みんな何を気にしてるのかわからないが 取り敢えず鶯丸について聞いてみた 私「あのさ、鶯って普段どんな感じ？」 前田「あの方は普段は……主君の傍でお茶を飲んでいます。」 小夜「………でも、最近少しおかしかった…。」 私「どんな風に？」 五虎退「主さまのところに、誰も行かせないようにしていました。」 平野「どんな時でも、主君は忙しいからと。」 私「え？」 今剣「ぼくたちがすこしだけでもあいたい、といっても、すがたさえみしてくれませんでした。」 私そんな事命じた覚えないんだけどな…？ 書類仕事してるだけで、そんなに忙しくもなかったんだけど 175 :名無しの審神者さん ガタッ 176 :名無しの審神者さん 177 :名無しの審神者さん 俺の部屋の電気が突然消えた 178 :名無しの審神者さん あの、えっと、……？ 179 :名無しの審神者さん これは 180 :名無しの審神者さん つまり…どうゆうことだってばよ 181 :名無しの審神者さん この1の書き込みを見て、170と172の書き込みを二度見した 182 :名無しの審神者さん だめだ、寒気はするのに何が原因なのかさっぱりわからない 183 :名無しの審神者さん なんだこの言いようのない悪い予感は… 184 :名無しの審神者さん わかる人教えてくれ、なんとなくでも良い 185 :名無しの審神者さん ？？？？？ 186 :名無しの審神者さん えーっと、推測というかゲスパーなんだけど 俺が気になる所は、短刀達の1の傍に誰も近づけようとしなかったって証言と、1が鶯丸以外の刀剣にろく合わなかったって事 見習いに世話全投げしても、普通ろくに合わないことなんてないだろ？ しかも、1の刀剣の主慕いっぷりからして、普通会いに行くだろ？ 187 :名無しの審神者さん 解説を誰か………… 188 :名無しの審神者さん >>186ほうほう 189 :名無しの審神者さん >>186なるほど 190 :名無しの審神者さん 突然始まる謎解きパートw 191 :名無しの審神者さん ま、待ってくれ186、これじゃまるで…… 192 :名無しの審神者さん >>186………つ、つまり？ 193 :名無しの審神者さん つまり、まるで鶯丸が1からわざわざ刀剣を遠ざけてるように見えるなと、186は言いたいんだろう 194 :名無しの審神者さん 刀剣なら、他の審神者のものになってるって自覚できるよな？自分の体のことだもんな？ 何で1の事大好きっぽいのに、1に誰も言わなかったんだろう？って考えたんだんだけど… >>193そう 195 :名無しの審神者さん ごくり 196 :名無しの審神者さん 続きを聞きたいような聞きたくないような… 解説をしてくれるなら、解説班とコテハンつけてくれると嬉しい 197 :名無しの審神者さん >>194つまり、その辺も鶯丸が邪魔した…？ 198 :名無しの審神者さん い、1がもし自分から刀剣に会いに行ったらそんなの意味ないじゃないか 鶯丸が見当たらないとか、出陣に行ってるとか 199 :名無しの審神者さん >>194というか、誰も言いに行かなくても、近侍なら普通忠告しないか？ 200 :名無しの審神者さん 何だか急に薄ら寒くなってきた……… 201 :名無しの審神者さん い、今まだホラーの時期じゃないよ？ 202 :名無しの審神者さん 何だか前スレの神隠しスレみたいな雰囲気になってきたな 203 :名無しの審神者さん ひぇっ 204 :名無しの審神者さん 鶯丸が黒幕説………？ 205 :解説班(186 ) >>198 1の性格を考えてみろ ものぐさで、刀剣が突然奇行をしても気にも留めないんだぞ？ 自分から会いに行くわけがないし、刀剣が会いに来なくても世話を見習いさんに任せてるから大丈夫だって思うだろ しかもだ、最近出陣とかもしたがらないって前に1が書き込んでたろ？ 206 :名無しの審神者さん 1！いるか？！鶯丸には気をつけろ！ 207 :名無しの審神者さん 1の性格を織り込み済みの作戦……？ 208 :名無しの審神者さん こ、怖くなってきた……… 209 :名無しの審神者さん ま、まさか、そんな事って 210 :前スレ1 いるよ えっと、まさかって今驚いてる 鶯がそんな事したって特にメリットもないし… 211 :名無しの審神者さん >>205ひ、否定できる材料がない… 212 :名無しの審神者さん ま、まさかそんな大掛かりな事を一人でやるわけがないだろ？ 213 :名無しの審神者さん そんなことしても、鶯丸に得ってあんのか…？ 214 :名無しの審神者さん >>212…たぶん、一人じゃないと思う 215 :名無しの審神者さん 得か……得…………あるかな…… 216 :名無しの審神者さん 鶯丸って、そんなことする奴じゃないと思ってたんだけど 217 :名無しの審神者さん >>214な、何でそう思うんだよ？！ 218 :名無しの審神者さん >>214不穏なこと言うなよ頼むから！ 219 :名無しの審神者さん もうやだ……このスレギャグかと思ったら唐突にシリアスに切り替わる…… 220 :解説班(214) >>217これ、完璧想像なんだけど 172の書き込みのように、三日月の、翼を殆ど「もがれた」って言葉が気になるんだ 「失くした」とかなら気にならないよ？でも「もがれた」って、受け身の言葉じゃん？ 三日月は1が「誰に」翼(何のことかは知らない)を「もがれた」のか知ってるのかなって あとあのセリフ、「殆ど」なんてつける必要あるか？翼をもがれた天使ゆえ…でいいじゃん まるで、すんでのところで全部もがれるのを免れた、みたいなニュアンスが…… あと鍛刀したの、買収されたとはいえ、三日月じゃん？ 221 :名無しの審神者さん 222 :名無しの審神者さん 223 :名無しの審神者さん 224 :名無しの審神者さん だめもう怖い 225 :名無しの審神者さん その翼ってさぁ………何ですかねぇ？ 226 :名無しの審神者さん お、俺明日早いから寝るわ 227 :名無しの審神者さん そうなると、鶯丸は見習いさんをもダシにしたという………こっわ 228 :名無しの審神者さん だ、だけど、そんな事をして何になるんだよ？は 229 :名無しの審神者さん >>226まだ昼だけどwww 230 :名無しの審神者さん >>226昼から寝るのかwちょっと和んだ 231 :名無しの審神者さん い、1や228の言うようにメリットは何だよ？ 鶯丸が1から他の刀剣遠ざけて、爺が共犯者だとして、利点なんてどこにも…… 232 :解説班(186) 利点ならあるだろ………他の刀剣を遠ざける事で、1の本丸では何が起こった？ >>204黒幕というか、事態を誘導するとかくらいはできそうだよな 233 :名無しの審神者さん ………っわかった、かも 234 :名無しの審神者さん なぁ、待ってくれ…… 235 :名無しの審神者さん ………つまり神隠しがしやすくなった、とか？ 236 :名無しの審神者さん >>186乗っ取りが起きかけたな 237 :名無しの審神者さん >>186鶯丸以外の刀剣が見習いさんのものになりかけて、1が死にかけた 238 :名無しの審神者さん >>235俺も、多分そう思う この鶯丸、1の事凄く好きそうだし 239 :解説班(214) >>186 1の刀剣の鶯丸以外が、見習いさんの刀剣になりかけて、「1の事を察知できなくなった」ってことだよね？ 　 240 :名無しの審神者さん あっ 241 :名無しの審神者さん うん 242 :名無しの審神者さん だ、暖房つけなきゃ……… 243 :名無しの審神者さん 昼間だけど電気つけよ 244 :解説班(186) >>214そういうこと つまり、235と238が思ったように、神隠しがしやすいよな だって、察知出来てないものが消えても、誰も気づかないんだから いないと気付いた時には、もう遅い 誰も止められない 名前の管理には気をつけろよ 245 :名無しの審神者さん ………………………… 246 :名無しの審神者さん そ、そんなのお前らの想像だろ……？ 247 :名無しの審神者さん おいおい、大体三日月の爺さんと鶯丸が共犯であったら、三日月の爺さんは何で見習いのもんになりかけなんだよ？おかしくね？ 248 :名無しの審神者さん ほ、他の刀剣が物凄い剣幕で1の所に来てたら計画パーだろ そんな危ない橋を渡るか……？ 249 :名無しの審神者さん 1がもし、安価で騒ぎを起こしてなかったら…？ 250 :名無しの審神者さん >>247鶯丸は近侍だからって言い訳できるけど、三日月は違うんだからそんなのずるいって話になるんだろ 251 :解説班(186) >>248近侍だぞ？俺は主の命を果たしているといえばとりあえず納得するしかないだろ…と言いたいが流石に納得はしないと思う 三日月が上手く丸め込んだのか、まぁ上手くやったんだろ推測だけど その部分は今までの書き込みからじゃわからない >>249見習いが騒ぎに便乗して襲ったって、1が書き込んでただろ？ つまり、もし騒ぎが起こってなかったら、本当に完全な意味での1の刀剣は鶯丸一人だけになってかもな 252 :名無しの審神者さん な、名前は…？名前がバレてなければ神隠しなんて起こらないだろ……？ 253 :名無しの審神者さん あいつら怖い……と思ったがチビ達が俺を囲んで回り始めた和んだ 254 :名無しの審神者さん 神隠しの条件は名前を掴まれてることだろ…？ 255 :名無しの審神者さん もう本当無理……でもレスを見ちゃうぅぅ… >>253和んだ、ありがとう 256 :名無しの審神者さん >>252名前がバレてないって保証がどこにあるんだ…？ それにバレてなくても…自分のものにするのに刀剣なら色々方法があるんじゃないか？末席とは言え神だぞ 257 :解説班(214) >>246確かに、全部推測だ 正解かはわからないけど、間違いかもわからないんだ そもそも、相手は神様だぞ？人間の思考で考えられる相手じゃない 258 :名無しの審神者さん 叫んだら長谷部が飛んできた……… >>253羨ましい…和んだ 259 :名無しの審神者さん 1はどう見るんだ？ 260 :名無しの審神者さん ……まぁ結局どうするかは1だからな 261 :名無しの審神者さん 鶯丸がそんな事を考えるなんて思いたくない…… 262 :名無しの審神者さん あの爺二人は確かに得体の知れないところあるけど、そんな怖い存在じゃないと思いたい…… 263 :解説班(186) 1……全部鵜呑みにはしないでくれ ただ、こんな可能性もあるって事を知っていてほしい 256や214の言うように相手は神様なんだ、用心したって足りないくらいなんだ 264 :名無しの審神者さん 186が文句なくイケメン……… 265 :名無しの審神者さん 186と214ありがとう 266 :名無しの審神者さん そうだよな…あいつら神様なんだよな…… ヒゲメガネでこりゃ驚きだ！とか言ってても神様なんだよな……… 267 :名無しの審神者さん 馬糞は嫌いな奴になげると言ってたり、毎日呑んだくれてたりしても神様… 268 :名無しの審神者さん 毎日外で遊び、構ってくれと私の周囲を囲み出し一期に怒られても、神なんだよね 269 :名無しの審神者さん 神々しさが足りない気がするんだが 270 :名無しの審神者さん >>266-268神様とはなんだろう 271 :名無しの審神者さん まぁ神なんて唐突に意味不明な行動で大地作り出したりすっから 272 :名無しの審神者さん >>186>>214ありがとう、スッキリしたけど背筋の震えが止まらない 273 :前スレ1 >>186>>214ありがとう なんか…よくわからなくなったけど これまで深く知ろうとしなかったから、もう少し関わってから判断を下そうと思う ずっと助けてもらったから、中々難しいな… 名前はたぶんバレてないと思う 取り敢えず、他の刀剣とかにもこの考えってバレない方がいいよね 274 :名無しの審神者さん これ本当ならヤバイよな 275 :名無しの審神者さん 審神者って神様と対峙してる職業なんだな…あらためて思い出したよ 276 :名無しの審神者さん 1が面倒くさいっていってない…… そうだね、このスレの事は刀剣には伏せておきな 277 :名無しの審神者さん 成長したなぁ…… 278 :名無しの審神者さん 神様って嫉妬深かったりするからもしも本当っぽかったらマジで気をつけて 279 :名無しの審神者さん ちゃんと1が真剣に考えようとしてる… 280 :名無しの審神者さん 明日は検非違使が降るな 281 :名無しの審神者さん 山の神様なんて気に入った男が女と一緒に山に入ると怒るとか言う話もあるしな 282 :名無しの審神者さん 解説班の二人乙でした！ 283 :名無しの審神者さん >>280だから阿鼻叫喚だっての 284 :前スレ1 取り敢えず、乗っ取りの件は解決したと思う みんなここまで付き合ってくれてありがとう あとは本丸譲渡の書類を自分から用意した事への説明と糾弾とお説教があるので、真面目に聞いて話してきます……ポイ捨てされた時に拾っとけばよかった……… 285 :名無しの審神者さん 186と214乙乙 286 :名無しの審神者さん 1wまぁ自業自得だ、面倒くさいとかは絶対に言うなよ 287:名無しの審神者さん 大変だなwww 288 :名無しの審神者さん こってりしぼられて来いwww 289 :名無しの審神者さん まぁ、なんだかんだ言って楽しかったぞ 290 :名無しの審神者さん またなんかあったらいつでも相談しにこいよな 291 :名無しの審神者さん 1元気でな 292 :名無しの審神者さん 今度は私の相談にも乗ってねー 293 :前スレ1 みんなありがとう……重度の面倒くさがりから私変わるよ これで本丸乗っ取りの話はおしまいです！ …ところで、鶯が入れてくれたお茶が仄かに鉄というか金属の味がするんだけど、そういうお茶ってあるのかな……ううん、やっぱいいや、残す ばいばーい 294 :名無しの審神者さん 1乙カレー！え 295 :名無しの審神者さん いい話だっ……………… 296:名無しの審神者さん だから何でお前は不穏なスレを残して消えるんだ！！！ 297 :名無しの審神者さん お茶が鉄の味とか聞いたことないけど……… 298 :名無しの審神者さん それ血液混入してる可能性あるから！ やめてぺっして、ぺっ！ 299 :名無しの審神者さん 刀剣の血液ってやばいの？ 300 :名無しの審神者さん き、きっと誤って手を切っちゃったんだよ 301 :名無しの審神者さん そんな、さっきの話が事実なら用意周到そうな鶯爺がそんなヘマ………焦ってんのかな？ 302 :名無しの審神者さん >>289刀剣のじゃなくても純粋に気持ち悪いだろ 303 :名無しの審神者さん >>289神様の血なんて人間が飲んだらマズくね？ 304 :名無しの審神者さん 思ったんだけど、1が成長しようとしてるって感動してたけど、鶯丸にとってそれって面白くないんじゃ……… 今まで通り動かない1じゃなくなりつつあるわけだし 305 :名無しの審神者さん >>299お前はヤバくなければ血液混入したお茶を飲むのか？ >>304 306 :名無しの審神者さん >>304 307 :名無しの審神者さん >>304 308 :名無しの審神者さん ねぇ神隠しって言った？神隠しの話する？ 309 :名無しの審神者さん うわぁぁぁぁぉぁ 310 :名無しの審神者さん >>308呼んでない、帰れさようなら 311 :名無しの審神者さん >>308自分の住むべき場所へお帰り 312 :名無しの審神者さん 神様の血液を自分の身体に受け入れるって、その神様にマーキングされているような感じが… 313 :名無しの審神者さん 俺審神者やってて大丈夫なのかな……… 314 :名無しの審神者さん 神隠し待ったなし………？ 315 :名無しの審神者さん ひぃぃぃぃぃぃ [newpage] 蛇足 夜更けの本丸の縁側に、一人腰掛けて湯のみを手にする。 思うのは、今日のことだ。 「………いや、惜しかったなぁ。」 のんびりと、呟いた独り言が夜の闇に溶けていく。 全く、突然審神者を止めると叫ぶなど突拍子もないことをする、と驚く気持ちもあり。 同時にだからこそ面白いと、ますます己の主を気に入る気持ちもある。 面倒だと言い壁を作り、自ら干渉も選択もしない主は、つまるところ自分の選んだ先の結果を怖がっている。 何も選ばない、しない、という事は『選ばない』『何もしない』という選択肢を選んだに過ぎないのに、それに気付かない愚かで愛しい俺の主。 最初は変なやつだ、という認識しかなかった。 数ある刀剣の中、俺より練度が高く近侍になりたいやつが殆どだというのに、呑気に茶を飲んでいた俺をいきなり指名した。 これに興味が湧かない方が、どうかしていると言うものだ。 その姿を目で追う内に、欲しいと思ったのが始まりだった。と思う。 主が、誰の好意にも気がつかないようにしようと、頑なに見ないふりをするあの娘がほしい。 ようは振り向かせたい。あの瞳に、自分の姿だけを映したい。 最初はこんな考えに戸惑いはしたが、俺は意外と好きなものには執着する性質なのだ。 茶しかり、大包平しかり。そこに主が加わっただけの事。 好きの種類が異なるだけ。 「…大包平なら、どうするかな………あいつは馬鹿をやっていそうだな…。」 そんな事を考えながら、お茶の入った湯のみを少し回す。 ちゃぷ、と微かな水音が心を少しだけ鎮めてくれた。 「どうしたもんかなぁ。」 いつまでも面倒くさがりで、自分から行動など起こさない性格が好都合だった。 だからこそ、なんの助言もしなかった。 事態が悪い方に転がっていくのを、ただ眺めていた。 あの騒ぎさえなければ、それに続く予想していないことがなければ、あと数日ほどだったというのに。 あと数日、あの状態が続けば 、他の刀剣に気づかれることなく攫えた…一人例外もいるが。 とにかく、攫って囲い、ゆっくりと俺のものにしていけば良いと思ったのだが、アテが外れた。 「……名前を探る事にするか…？」 もうこの計画は上手くいかないだろう。 主が何の心境の変化か、今日一日でだいぶ変わってしまったために。 誰かの事を知ろうとし、わかろうとする傾向が出てきてしまうなど、予想もしていなかった。 普通なら喜ぶところだが、生憎と俺は普通ではない。 「……面白くないな。」 ものぐさな主でなくなるのが嫌とか、そういうわけではない。 性格くらい、多少変わっても良い。 多少変わろうとも本質は、魂は変わらないのだから。 ただ、目の前に止まっていた蝶に突然飛び立たれたような気分になった。 あと少しで、捕まえられると思ったのに 「…おっと。」 一瞬湯のみが軋む音がして、慌てて手から力を抜く。 湯のみを握り潰すなど、不自然なことはすべきではない。 他の刀剣に何かと理由をつけ、主から遠ざけていたことに疑問をもっている者もいる。 それに、今日は主に出した茶に血を混ぜたことがバレかけたのだ。 焦ったところで良いことはない。 ゆっくりと次の機会を待つとしよう。 「おぉ、こんなところで一人月見か？」 「そんなところだ。」 行動が決まったところで、後ろから声をかけられる。 気配はさっきから感じていたので、特に驚くこともない。 「そんなに焦っても仕方がないだろう。」 三日月宗近、大包平が気にする称号である天下五剣のうちの一振り。 俺の思惑に真っ先に気がついた食えないやつ。 頼んだ覚えはないのだが、今の所協力関係の形になってしまっている。 三日月にどんな考えがあるのかはわからない。 もしかしたら、俺と同じなのだろうか。 「そうだな、今回は運がなかった。」 「俺たちの主は幸運の女神とやらに愛されているのかもしれんな。」 すっと三日月の湯のみを差し出されたので、ぽっと、というお湯を沸かすことの出来る筒から、急須へと湯を入れる。 そして、差し出された湯のみへと茶を注いだ。 「すまんなぁ。」 「気にするな。」 次いで自分の湯のみにも並々と茶を注ぐ。 淹れたてのお茶が湯気を立てているのは、いつだって心が、休まるものだ。 三日月は何も言わない。 俺も何も言わず、茶を飲みながら次の機会はいつ来るだろうかと考えを巡らせた。

私はこれを書きたいがために、前2つを書きました。どこか仄暗いのを書いてみたかった。ただそれだけなんだ……。<br />暇な内にこれは終わらせるんだと勢いで終わらせた感半端ない。展開が唐突。<br />とりあえず、これでおしまいです。<br /><br />今回は普通の小説も入ってます。<br />半分くらいは2ちゃん風小説です。<br />刀→主というか鶯丸→主です。風味は取れました。<br />オリジナル審神者です。<br /><br />前回もブクマコメ閲覧評価フォローなどなど、誠にありがとうございました。<br />真剣な感想に色々考えさせられました。

【やっと】本丸乗っ取り宣言された審神者の話する？3【終わり】

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　部品が流れて、それを処理する工員がいて、そのひとつひとつに誰も意味を感じてはいない。ただ流れてくるから処理する。 　全体像を把握して仕事をする必要はない。全体像を知る必要もない。そうやって考えることを免除される代わりに人として抜け落ちていく。 　その中では比較的まともに生きている自負はあった。本当にまともな人間であればこんなところは早々に抜け出すのだろうから、飽くまでも「比較的」の枠からは外れないのだが。 　自分の所属する班に関しては、一定の成果を上げて来た。班長職となってからは度々上司へ改善提案を提出して作業の効率化を図ってきた。それも全て、ノルマを手早くこなすためのものだったが、結果作業効率アップで就業時間が短くなることはなく、単に仕事量が増えただけだった。 　上の者からは気に入られたが、下の者の中には嫌う者もいたかもしれない。負担を増やしたわけではなく無駄を省いただけのことだが、変化を嫌う人間もいる。 「一松班長」 　休憩時間、手洗い場から戻ると班員に声をかけられた。 「なに」 「工場長から伝言です。『本社』から視察が来るので、各班長は13時までに事務所の応接室に来るように、とのことです」 　『本社』などという言い方をして一般の企業を装ってはいるが、その実態は後ろ暗い組織だ。従業員であれば誰もがわかっていることだが、それを口にしたところで何も変わらないので誰しもが教えられた通り『本社』を貫く。 「そう。わかった」 　伝令を伝えてくれた班員は、まともな男だ。伝言にも恐らく不備はない。だからこの男はその内にここを抜けていくだろう。様々な事情があって皆ここにいるが、ここでなければいけない理由はおそらくない。きっと彼は早くにそれに気づいて行動を起こせる人間だ。僕とは違う、と一松は自分を嘲った。 　腕時計を確認すると、12時42分。あと15分程度で13時になろうかとしている。一服したら、もう事務所に向かおうと、胸ポケットに入れた煙草を確認しつつ外へ出る。 　こんなブラック工場でも一応は分煙という形をとっていて、休憩所では制限されていないが、工場内での喫煙は禁止となっていた。休憩所に行けるような時間に余裕のある休憩は昼休憩以外にないので、合間の5分の休憩時間には喫煙所に行くことになるのだが、喫喫煙所は屋外にあるため実情は分煙などきちんと行われてはおらず、工場内で吸っている姿は散見された。 　しかし変に真面目根性を持った一松は、喫煙所に行くことを徹底していた。他人がどうしようと関係ないが、自分はそうしたいのだ。それに、敷地内とはいえ外の空気を吸えることに意味があった。 　昼休憩中ということもあり喫煙所には誰もおらず、一松は安らいだ。今日は天気も良く、真冬の寒さでも日差しのお陰で随分と気持ちが良かった。その日差しに誘われてか、野良猫が一匹、紛れ込んでいるのに気付いた。 　時折現れる猫で、向こうもそこにいる人間が一松だとわかっているようだった。 　しゃがみこんで、煙草の匂いがついていない左手で猫に触れる。ふわふわとした毛が心地良い。 　ふ、と背後から影が伸びてきて、後ろに誰か人が来たことに気付く。珍しい。冬の間、しかも昼休憩に外の喫煙所に来る奴なんていたのかと思ったが、取り立てて他人とコミュニケーションを取りたいわけでもないので振り返りもせず猫を撫で続けた。 　猫はふくふくとした腹毛を見せながら一松の手を抱え込むようにしてじゃれついている。時々爪が刺さって痛いけど、この可愛さには替えられない。 「すまない、火を貸してくれないか」 　突然、背後の影から声をかけられて、一松はわかりやすく体を強張らせた。声をかけられるとは思っていなかったこと、酷く柔和な物腰だったことが要因だ。 　この工場に働く者は多くが自分と同じように社会からあぶれた人間で、この生活の中で更にこじらせ口調は荒く、火を借りる際に「すまない」などとは言うはずもなかった。 　もちろん例外はいる。自分の班員であればもう少しまともな人間がいるのだ。しかし班員たちが、仮にも班長である自分に高圧的な態度で以て火を借りるということもまたあり得ないのだ。 　そう、背後の男は柔和な口調ではあるが、飽くまでも自分の方が上だというニュアンスで言葉を選んでいる。 「いいですよ。どうぞ」 　言いながら振り返る。丁寧な言葉を選んだのは相手の言葉のチョイスに合わせただけのこと。相手が上であるなら、自分は下の立場の人間だ。 　ポケットからライターを出すために下を向けていた視線を上げると、この場所に酷く不釣り合いな男が立っていて、息をのむ。 「悪いな」 　笑顔を浮かべて受け取る男は、作業着ではなくスーツを着ていた。工場長もスーツを着てはいるが、それとは比にならぬような仕立ての良いスーツだった。シングルの漆黒のスーツとベスト、その内に着たシャツは目の覚めるような青。タイはしておらず、シャツのボタンは二つほど外してある。 ―――組織の人間だ。 　あまり考えずともわかった。こんな場所にスーツ（しかも少々派手な装い）で立っているからというだけではない。この男の放つオーラが、絶対的な色を含んでいるからだ。午後から視察が来るとも聞いていれば、間違いなくその人間であろうと予測がつく。 「いえ」 　短く答えると、一松はそそくさと火を消してその場を立ち去ろうとわざとらしく時計を見やる。 「待て」 　努めて自然な風に足を一歩踏み出したところで呼び止められる。 「な…なんでしょうか」 「忘れ物だ」 　安っぽいライターを手渡される。貸したままだったそれは、別に態々返してもらう必要もないくらい替えが利くもので、しかしこの男には自分がその安っぽいライターでも必要だろうと思われたことが恥ずかしく思えた。 「ありがとうございます…」 　小さく頭を下げてから消え入りそうな声でそう答え、一松は今度こそ一歩踏み出し、三歩目で走り出してその場を去った。 [newpage] 「ああカラ松様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」 　出迎えた男はカラ松よりも大分年上の大柄な男だった。縦に、ではなく横に。 「こんなところへカラ松様に出向いていただくなんて」 　先程から取り繕った笑みを浮かべて何事かを語りかけてくる男は工場長で、その言葉の後ろには「どうして来たんだ」という本音が見えていた。 　それもそのはず。カラ松は組織のナンバー２として名を馳せており、通常であればこのような末端の工場に顔を出すような人間ではない。カラ松自身も面倒であるとは思っていた。しかしある情報を得ているので仕方がなかった。 　この工場は主に組織が使う武器の製造と保管をおこなっている。もちろん外注しているものもあるが、一定数必要量が決まっているものや、特殊な武器に関しては情報の漏洩を防ぐためにも直系の工場で作らせている。しかしその武器がどうも横流しされているようだ、という噂だ。 　まだ憶測の域を出ないが、先日街で小競り合いをしていたただのチンピラがここで作られた銃を持っていたことを端に、出入庫の記録をざっと調べたところいくつか不審な点があったため、「調査と脅しを含めてお前行ってこい」とボスに命ぜられたのだ。 　生産に影響があるとこちらも困るため、事実確認は慎重に。出来れば穏便に、とのことだ。穏便にとは言っても、それは無駄な殺生を避けることのみであって、主犯は突き止め次第始末せよ、ということなのだが。 「自分の扱う武器の生産を担っているところだからな。この目で確認しておきたかったんだ」 　と尤もらしい…否、半分は本当なのだが、建前というもので飾り付けた言葉で返す。それが本当の理由とはまあ相手も思ってはいないだろうが。 「各製造ラインの詳しい説明は各班長の方が理解がありますのでなにかあれば彼らに遠慮なく」 　そうだろうな、と思った。得てして現場のことは上の人間にはわからないことが多い。というか、知る必要がないとすら思っている節がある。自分も組織の上に立つ人間としてそういうことはままある。 　各班長、とひとまとめに紹介された彼らは全部で4人。その中に、先ほど喫煙所で猫を撫でていた男の顔があった。 　喫煙所に立ち寄ったのは、特に大した意味はなかった。少し早く着いてしまって、工場を外から見学していた時に、たまたま灰皿が設置されているのが目に入り、一服したい気持ちになったから。なんかしゃがみ込んでるのがいるなとは思ったが、その人物はこちらに背を向けてなにやら猫と戯れているようだったから、何も言わなければ余計な関わりを持たずに済むかと気にせず煙草を取り出したのだ。結局、ガス切れでいつものライターが使えずにその男に火を借りることになったのだが。 　憂鬱でしかなかったこの視察の中で、さっき会ったばかりとはいえ一度知った顔があることが何故かひどく嬉しくて、口元に小さく笑みを浮かべる。 「カラ松だ。皆仕事の手を止めさせてすまないが少し付き合ってくれ」 　目の前の4人の班長達はそれぞれに小さく「はい」と答えた。 　各現場を見て回るのは億劫な部分もあったが、調査には必要なものだった。また、名目上ただの視察である以上は、外すには不自然なものだった。 　工場の中は死んだ目をした工員たちがただただ作業に没頭していた。各所で気になったことを二、三質問したのだが、担当しているはずの班長からの回答は殆どが歯切れの悪いものだった。ただ一人、あの猫の男を除いて。 　猫の男はこちらの質問に対して、明確な答えを用意してくれた。こうすべきではないか、という提案にも、不可能な理由があればそれをはっきりと示し、可能なことは感心したように頷き、取り入れます、と受け入れた。 　ある程度、普通のことだ。しかしここにいる者の多くは社会からはじき出された人間だ。仕事に関して責任感もなければ理由も付加価値も考えてはいない。学生時代、のんべんだらりと授業を聞き流していた感覚と同じなのだ。 　その中に在ってこの対応は至極上出来と言えよう。横流しの件、探りを入れるならこの男が良いだろうかと考えた。 　もちろん、この男が関わっていないとは断定できないため、しばらく様子を見る必要はあるが。どのみち、今後もこの男には話を聞くことがあるだろう。いつまでも『猫の男』という認識では些か不便であると感じた。 「お前、名前は」 「い…一松、といいます」 「一松か。わかった」 　一瞬、一松がたじろいだように見えた。 「どうした？」 「いえ、なんでもありません…」 　今までになく歯切れの悪い物言いが気にはなったが、誰だって言いたくないことの一つや二つあるのだろう。全てを知る必要などない。そう思いなおして「そうか」と短く返す。 「今日のところは現場を見るのはこれで十分だ。皆、持ち場に戻ってくれ」 　班長達の顔を見れば、どこかホッとした様子で、恐らくさして好きでもない持ち場に戻れることを喜んでいるようだった。 「あ、悪いが一松」 「はいっ」 　他の班長達と同じく持ち場に向かっていた一松は、少しだけ丸まっていた背をピンと伸ばして答えた。そんなに怯えなくてもいいのに。 「応接室まで案内してくれ」 　場所は何となく把握していた。しかし一松に軽く探りを入れるために、案内を頼んだのだ。この男が信用できるかどうかを見極めたかった。 「ここはまだ無駄が多いな」 「お恥ずかしい限りです」 「いや、この環境では仕方ないところもあるだろう。それに俺はお前を評価している」 「いえ…」 「謙遜するな。お前の担当している班だけ、動きが違う。まだ改善の余地はあると思うが、それでも良く考えて決められた手順だな。以前の記録とは手順が違うようだから、お前が改善したんだろ？頑張ったな」 　すこしオーバーに褒めてやる。基本的に言葉は少なく、表情もあまり豊かではないようだが、どんな反応をするだろうか。己の手柄に自信満々の顔をするだろうか。いいえそんな、と謙遜するだろうか。まあ反応自体はいくらでも取り繕える。見るべきは、その時の表情、瞳の動き、仕草など。ほぼ無意識に作用するそれらを注意深く観察するのだ。 「あの…」 　しかし一松は、ある種拍子抜けするような表情で以てカラ松の思惑を打ち砕いた。 　青白かった頬を朱に染め上げて、薄く伏せた瞼から覗く瞳は所在無げに空を彷徨って、指先はもじもじとせわしなく動く。 　一松は、ただただ照れているようだった。 「ありがとう、ございます」 　あんまりにも素直に礼を言われてしまい、カラ松の思惑は失敗に終わったというのになぜだか可笑しかった。 　そして同時に、これがもし彼の思惑であれば恐ろしく敵に回したくない男だなと思った。 「カラ松、どうだった？」 　視察を終えて本部に戻り、今日の視察について自室で自分用の資料を作成していると、ドアをノックされる。 　こちらがノックに応じるよりも早く扉があき、その向こうにいた男が親しみやすく声をかけてくる。ボスの顔ではなく、兄としての顔で。 「おそ松か。今日はとりあえず様子見だ」 「ふうん」 　自分から聞いてきた割には薄い反応で、報告書を覗き込んでくる。 「だれ、このいちまつって」 「班長の内の一人だ。ちょっと面白い男だった」 「役に立ちそう？」 「まあ、あの中ではな」 「あんまり期待できなそうだな」 「明日また行って見極めるさ」 　カラ松の言葉に、おや、と意外そうな顔を見せた。 「なんだ」 「いんやぁ。あんなに渋ってた割には明日もちゃんと行ってくれるんだなと思って」 「仕事だろう。そもそもお前の命令だ」 「ま、そーなんだけどね？てっきり次は来週あたりかなって思ってたから」 　それに…と言葉を一旦切ったおそ松は、含み笑いで改めてカラ松に向き直る。 「なーんかお前、楽しそうだからさ」 　言われて、カラ松は怪訝な顔つきになる。そんなつもりはなかった。まあ、思ったよりは面白いことがあったとは思っていたが。 「ま、浮かれて変な失敗はすんなよ」 「気を付けるとしよう」 　そんじゃあね、と軽い調子で部屋を出ていく兄に、カラ松は一つ溜息を落とす。 　おそ松は組織のボスである。しかし実の兄でもある。仕事においては飽くまでもボスと部下の関係だが、切迫したことがなければ、先ほどのように兄と弟の面ももちろんある。しかし兄としてのおそ松を前にしてもなお、カラ松は緊張を解くことはできないのだ。 　おそ松は、カラ松自身が気付いていないカラ松の本音を見透かすことが多々あるのだ。何もかも彼の手の内で踊らされているようで、時折怖くなる。 「浮かれてる…か」 　確かに今日は思いがけない出会いに浮かれているのかもしれない。動かしていたペンをパタ、と置き、伸びをする。 　兄の言う通り浮かれているのだとすれば、沸き立った心のままに今日のことをまとめても偏りが出るだろう。 　冷静になってから改めてまとめるべきと決めてカラ松は席を立った。 [newpage] 　カラ松という、組織の人間に出会ってから三週間。一松はその間何度か視察に訪れたカラ松に案内を頼まれ、今日もいつもの通りカラ松に同行し、質問に答えていく。 　一松はカラ松の目的が分からずにいた。それは、この視察自体の目的もだが、毎回必ず一松を同行させることに関してもだ。 　三週間前の一松であれば、気にしても仕方のないこととして処理していただろう。しかし今は違った。 　認めたくはないのだが、一松はカラ松に対してある特殊な感情を抱いていた。それは恋心というものだ。 　男の自分が、男に対して。 　認めたくない、というよりは信じたくない想いだったが、カラ松が工場に顔を見せる度、カラ松が一松を呼ぶ度、きゅう、と締め付けられる胸の痛みは間違いなく恋情によるものだった。 　自覚した当初は静かな想いだったのだが、自覚してからあとは、どんどんと激しくなる想いに一松自身戸惑っていた。 　カラ松の一歩後ろに下がって歩いている今も、彼の伸びた背筋を、男らしい肩を、その向こうに覗く顔を見ては早くなる鼓動を感じているのだ。 　一松が恋情を自覚したのは先日のこと。この日もカラ松は視察に訪れていて、やはり一松はそれに同行していた。もはや常態化したそれを、工員も一松も一つの日課のように思っていた。 「保管や出庫に関することは、誰がやっているんだ？」 「僕が知る限りでは、工場長お一人です」 　製造だけでなく、完成品の保管や出庫などある程度倉庫の役割も兼ねている工場だったのだが、工員たちのほとんどが完成品の姿を見ることはない。一松が任されている班の人間が最終的な仕上げを任されているのだが、完成品は出来上がったものから順に一松が鍵付きの倉庫へと持っていく。その倉庫の鍵は普段は工場長が携帯しており、一松は始業と共にその鍵を借り、終業と共に返却していた。以前、鍵はこの一つしかないので決して失くす事のないようと念を押されたこともあり、また他にその倉庫に出入りしている人間は自分以外に工場長しか見たことがないのでやはり鍵はひとつきりなのだろうと推察される。 　そして倉庫に入れた完成品は、適当な時期にはその数が減り、出庫されているのだろうとわかった。完成品を入庫するたびに一松は出入庫管理表に日付と入庫数を記入するが、出庫に関してはいつも記載がなかった。飽くまでもそこにある管理表では入庫日と数量がわかればいいだけのものなのだろうと理解していた。 　その辺りのことを説明すると、カラ松はいつもの穏やかな声で「そうか」と言ったのだが、その顔は酷く不敵に歪んでいた。 　その表情に背が凍り付くような気配がして、一歩後ずさる。少しばかり慣れたような気になっていたが、この男は堅気の人間ではないのだ。これまでも、もしかしたら穏やかな声の裏で、こんな顔をしていたのかもしれないと思うと、急に目の前の男が信じられなくなった。 　……信じられなくなった？ 　そこではたと一松は引っかかった。信じられなくなったということは、自分はこの男を信じていたのだろうかと。 　自然と視線がカラ松を追い、不意に視線が絡み合う。 「どうした？」 　そう言った声は穏やかで、表情も先程までとは違い暖かい笑みを湛えていて、冷えていた心が少し温もりを取り戻す。 　違う。瞬時にそう思った。 　自分は、カラ松を信じていたのではない。慕っていたのだと。だから信じたかったのだ。この男は優しい人間だと。忘れたかったのだ。組織の人間だと言うことを。 　そしてこの想いは、所謂恋なのだと、突然腑に落ちた。とても静かに。 「一松、少し休憩しないか。外で子猫ちゃんと煙草を堪能しよう」 　妙な言い回しをするその顔は少年のように無邪気で、恐らく様子のおかしい一松が疲れているものと勘違いして、その上で休憩を提案し、一松の癒しである猫のことまで持ち出してきたのだ。 　この男はいい人ではないかもしれないが、人が良いのは確かだなと、一松は心の中で一人笑んだ。 「大丈夫です。ちょっと考え事をしていました」 「そうか」 　この人は人に必要以上に立ち入らない。優しさを与えはするものの、相手が求めないのであればすぐに引き下がる。それは、自分が踏み込んでいい領域が、相手の本心から随分と遠い部分までだと思っているからではないかと思う。だからいつも「そうか」と否定も肯定もしないのだ。そしてそれは、彼自身もそうして欲しい…いや、そこまでしか相手に許していない証だ。 　そこに、自分が踏み込めたらいいのに。そう思ったのだった。 ――――――… 「一松？どうした」 　回想に耽っていてカラ松の言葉を聞き逃していたらしい。返事をしない一松を不審に思ったカラ松が振り返り首を傾げた。 「すっ…すみません」 「顔が赤いな。熱でもあるのか？」 　一歩、距離を縮めて、カラ松は一松の額に自分の額を重ねる。 　カラ松は純粋に心配をしているだけ。そうはわかっていても、期待に高鳴る胸は抑えられない。 「だ…大丈夫…ですから…」 　だから、もうやめてくれ。そう心の中で懇願した。このままでは本当に熱でも出てしまいそうだった。熱を孕んだ瞳を、向けてしまいそうになる。 「そうか？大丈夫だと言うならいいんだが…」 　カラ松が困ったように笑いながら離れていくのを、惜しいと思いつつ安堵する。一松は、自分と戦っているのだった。 　男同士だからというだけではない。棲む世界の違うこの人に、叶わぬ恋をしているということが一松を苦しめた。想うだけなら許されるだろうかと今のところ自分を甘やかしてはいるのだが、早く捨て去らなければ自分はこの想いに殺されてしまうだろう。 　だって、こんなにもこの人が欲しい。この人の愛が欲しい。叶わないとわかっているから、このままの関係に溺れていたい。夢から覚めれば心は打ち砕かれてしまう。そんな風に相反する想いに苛まれ、思い詰めてしまっているのだから。 　カラ松が視察を終え工場を出た後、一松は工場長の執務室に呼び出されていた。先程までカラ松と打ち合わせをしていたのだろう。ティーセットが二つ、応接テーブルにまだ残っていた。 「ここのところ随分と視察が頻繁だが、お前何か知っているか」 　多少遠回しな言い方をされ、一松は首をひねる。しかし次の瞬間、この男の言いたいところを理解する。カラ松という本部の男が頻繁にやってきては一松を連れまわしている。あの男と何を話している、どういう目的であの男が来ているのか何か聞いてないか、何を嗅ぎまわっているのか、ということだろう。 　遠回しな言い方を選んだのは、一松とカラ松が内通していた場合に備えてのことだろう。飽くまでも「視察が多くて不思議だったから聞いてみました」で言い逃れできるように。 「僕にもわかりませんが…先日は効率化のための意見を求められましたので、体制の見直しかなにかするつもりではないでしょうか」 　実際カラ松の方はそういう建前を心に持って調査を進めていた。調査が長く続けば疑問を持つ者が出るだろう。その時の回答は、「体制見直しを検討している」というものだった。だから必要な調査以外にも体制見直しに関係のありそうな質問をはさむこともあった。 　一松はそのカラ松の心の内に用意した建前を目的と受け取り、知らず助け舟を出すことになった。尤も、工場長はそれに納得したわけではないようだったが。 「今日、お前は何を言った？」 「今日？」 「完成品の出入庫の記録を提出しろと言われた。それも今すぐにだ」 　一松は工場長の言うところが、今度は理解できなかった。はっきり言ってくれればいいのに。まわりくどい言い方して面倒くさい。心の中でごちた。 「保管出庫は俺の領分だ。お前が何か余計なことを言ったんだろう。今まで遠回しにしか探ってこなかったことを、今日は明確にそこだけを突いてきた。お前は何を言った」 　段々と熱を帯び、初めの面倒な言い回しの意味を欠いていくその男は、酷く焦っているように見えた。 「変なことは何も……ただ、質問に答え…！」 　言い終わる前に、男は一松の眉間に銃口を突き立てた。 「知っているんだろう。俺が完成品の横流しをしていることを。お前は頭のいいやつだからな。どこで嗅ぎ付けた？ あの男と懇ろになったのか？ 気に入られたくて体だけじゃなくて俺を売ったか」 　次々とぶつけられる言葉に、眉間につきたてられた銃口に、一松はただ閉口した。 　懇ろに…？ なれる筈がないじゃないか。アンタのやっていたことなんて知らない。気に入られたかったことは否定できないが、体もアンタも売ってはいないのに。彼は、そんなことはしない。 「答えろ」 　押し当てられた銃口が、ゴリ、と音を立ててさらに強い力で押し付けられる。 　もうだめかと目を閉じたその瞬間、騒々しい音を立てて部屋の扉が開いた。一松も男も、咄嗟にそちらを見やる。 　そこにいたのは、帰ったはずのカラ松だった。しかし、その目はいつものカラ松ではない。濃紺を湛えたような瞳だと一松は常日ごろ思っていたのだが、今そこにいるカラ松の瞳はただただ灰色の空洞だった。 「あ…か…カラま…」 　男は絶望と懇願を滲ませた瞳でカラ松の名を呼ぼうとしたが、カラ松はそれを無視した。 「やっぱりお前か」 　ガァン、と轟音が響いて一松は小さく悲鳴を漏らす。 　轟音の正体は銃声のようで、それはカラ松がもたらしたものらしい。放たれた弾丸は、工場長の左足を打ち抜き、悲痛な咆哮に一松は思わず耳をふさぐ。 　いつの間にやらカラ松の背後に控えていた黒服の男たちが、足を撃ち抜かれ痛みに暴れる男を抱えて部屋を出て行った。 「大丈夫か？」 　ガタガタと震えて耳をふさぐ一松に、カラ松が駆け寄る。 「一松？」 　腰が抜けたのだろう、ずるずると壁に背を凭れたまま座り込んでしまった一松に、目線を合わせるようにカラ松がしゃがみ込む。 　一松から見たカラ松の瞳はまたいつもの色を取り戻したように見え、その色をカラ松が再び失わないように縋りつきたい衝動に駆られたが、寸でのところでそれを抑えた。 　この人は―――やっぱり、愛するべき人じゃない。 　こわい。愛しいのに。自分が知っているのはこの人のほんの一部分にすぎない。それなのに、好きだなんて。馬鹿だ。 　ああでも、忘れられない。この人の笑顔が。優しい眼差しが。僕を認めてくれる、その広い心が。初めて名前を呼ばれた時のことを。 「驚かせてしまったな」 　優しく笑い頭を撫でようと近付いてくるカラ松の手を、一松は振り払った。

皆さんの素敵なマフィ班を見ていてもたってもいられず、<br />ついにやってしまいましたマフィ班！<br />でもまだ書きあがってません…己の遅筆が恨めしいです。<br />勢いとマフィ班愛で途中ですがとりあえず投稿。<br /><br />*注意事項*<br />・六つ子が六つ子じゃない（捏造過多）<br />・カラ松がイタくない<br />・一松の口調が丁寧<br />・マフィアってなに状態で書いてます<br />・①ではくっつきません<br /><br />安心してください、寛容ですよ！という方はどうぞ！<br /><br />■2/26追記■<br />閲覧・評価・ブクマ・タグ・コメントありがとうございます！！<br />お陰さまで24日デイリー54位いただけました。<br />頑張って続き書き上げますっ<br />誤字の訂正やコメントのお返事は続きをアップしたらさせていただきます。<br /><br />■3/3追記■<br />2月25日デイリー22位ありがとうございました！<br />続きアップしましたのでよろしければそちらもどうぞ。<br />誤字およびコメントのお返しはこれからぼちぼちやらせていただきます。

DＩＬＥＭＭＡ【マフィ班】①

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「では皆様、行って参ります。なるべく早く戻りますので」 「行って…来ます」 ローエンに急用が出来てしまい、用事が済むまでカラハ・シャールで待機することになった。 せっかくだからとエリーゼはドロッセルの元へ向かい、 残った四人−ジュード、ミラ、アルヴィン、レイアは中央広場でどうするか考えていた。 「戻って来るまでどーする？私たちもドロッセルさんのところ行けば良かったかなー？」 「ダメだよレイア。いつもお邪魔してばかりで迷惑でしょ」 「ホントおたくは優等生だよなぁ」 ジュードとしては正論を言ったつもりなのだが、アルヴィンにまた呆れられてしまう。 レイアもまた同じようにジュードはホントお人よしなんだからー、と呟いている。 じゃあみんなは迷惑だって思わないのかな。気を使わせたら申し訳ないし… 眉間に皺をよせ悶々と考え込んでいたら 「んなマジに考えんなよ優・等・生」 いつもの調子で一方的に肩を組まれ、ちらっと睨んでみたらわざとらしくニヤリと笑われた。 「そんでミラ様、マジでどーするよ」 「うむ…では久しぶりに依頼でもしてみてはどうだろうか」 「それいいかも！時間も潰せるしお金も稼げるし！」 レイアが名案だとばかりに賛同し、今にも一人で突っ走りそうになっている。 ジュードはそんなレイアが暴走する前にと会話に割って入った。 「じゃあ、依頼をこなすで決定だね」 「じゃー早速あそこに困ってる人がいるけど？」 アルヴィンが指差した宿屋の入口の前には、依頼を受けてくれる人物を求めている女性が立っていた。 一行は女性から依頼を受けることに決定し、声を掛けた。 「こんにちは。あの、どんな依頼ですか」 「はい。用事があって出掛けなくてはならないので、二時間程子供の面倒を見て欲しいのです」 「子守か…」 ポツリとミラが呟いた。 偉大なる精霊の主マクスウェル様は子守などしたことがないのだろう、とジュード達全員が思ったことだったが 「治療院に子供が来て、診察中あやしたりしてたから子守は得意だよ！」 他に依頼主も見当たらなかったことから、そんなレイアの言葉を頼りに依頼を受けることにした。 「戻るまでこの部屋を使って下さい。何か必要になったらこちらでお願いします」 そう言って宿屋の部屋の鍵と金銭を渡し、依頼主は身支度を整え出掛けて行ったのだった。 依頼された子守はまだ小さな赤ん坊の子守で、ベッドの上ですやすやと寝息を立てている。 「このまま寝ててくれたら楽勝じゃね？」 アルヴィンは悪戯にそう笑った。 しかし相手は赤ん坊。そう簡単にいかないだろうと予想したのが現実となってしまった。 眠りから目を覚ました赤ん坊が愚図り出したのだ。 「うわ、何か泣き出したぞ！おいレイア何で泣いてるんだ！？」 「ええっ、私！？私、遊ぶのは出来るけど何で泣いてるのかは分からないよ〜っ」 「はあ！？」 レイアの発言に全員の視線が彼女に集まる。 一斉に皆がこちらを見たことに驚き、レイアはあたふたしてえっと、その、と繰り返していた。 「おたくが大丈夫だって言うから引き受けた依頼だろー！」 「全部出来るなんて言ってないもん！！みんなが勘違いしたんでしょ！！」 「仕方ない、ここは私が四大を使って…！」 「赤ん坊殺す気か！！やめろ！！」 いつの間にか大騒ぎになっていて、自分では止められないと悟ったジュードは大きな溜め息をついた。 その間も泣き続けているのに放置状態の赤ん坊が不憫になり、抱き上げてよしよしと宥めてやる。 すると大泣きしていた赤ん坊が次第に泣き止み、騒ぎ続けていた仲間の視線が今度はジュードに集中する。 「ジュード…？」 「実家で診察中に子供を預かってたりしたし、僕の専攻は内科だから小児科の研修もしたことあって、そこで少しだけ子供の世話もしたんだ」 慣れた手つきで子供をあやす少年は誰よりも母親に近い雰囲気を持っていた。 泣き止んだ赤ん坊を見て微笑んだ姿にアルヴィンは思わず見とれてしまう。 「寝てたからオムツかな？ミラ、オムツ取って」 「む…これか？」 「うん、ありがとう」 赤ん坊をベッドに寝かせると、手際よく行動するジュードに皆見とれていた。 そんな中、アルヴィンはいつもの調子でからかう。 「ジュード君てば、脱がしちゃうなんて大胆ー」 「…アルヴィン？」 ジュードの顔が笑ってなかった。 このままじゃお得意のその拳で殴られる。 いや、下手に怒らせれば殺劇舞荒拳をお見舞いされるだろう。 「…すまん」 身の危険を感じたアルヴィンはそそくさと謝った。 ジュードはまったくもう、と呆れながら赤ん坊の世話に戻る。 ささっとオムツを交換し終えると、抱き上げて赤ん坊に微笑んだ。 「はい、出来た」 「ジュードすごーい」 「ああ、見事だった」 女性陣から拍手が送られ照れるジュードだったが アルヴィンがスッと割って入り 「ということでーお嬢さん方。赤ん坊のお世話はジュード君がしてくれるそうなので、買い物でもしてくるといいよ」 「えっ、ちょっとアルヴィン！？」 「いいからいいからー遠慮なさらずにー」 さあさあと有無を言わさず二人を部屋から追い出してしまうと、カチャリと鍵を掛けた。 ジュードはアルヴィンの行動に嫌そうな顔をしつつも赤ん坊を抱いているため見守るしか出来ない。 「…アルヴィン？」 「まーまー怒るなって。その…おたくがあまりにも可愛くて我慢の限界だったんだよ」 そう言って近付き、ジュードにひとつ口付けを落とした。 「無防備に笑う姿とかマジたまんないわ」 「う…」 返す言葉を失ったジュードは俯いてしまう。 だよなー？なんて赤ん坊に同意を求めてるアルヴィンもアルヴィンだ。 赤ん坊がアルヴィンの方へ手を伸ばしたのを見て、 ほら抱っこしてほしいってと仕返しにとばかりに赤ん坊を手渡してやった。 抱き方やあやし方が分からずあわてふためく姿を見てやろうと思ったのだが 「あれ…」 「へへーん、カッコイイ俺は何でも出来ちゃう訳よ」 そう言ってウインクしてきた。 ずるい。ずるい、ずるい。 そうやっていつも決めちゃって。 弱いところも見て来たけど、その弱さをかっこよさが上回るのだ。 「ん？どうした？」 「えっ、あ…何でもないよ」 つい黙ってしまった僕を心配した声が現実に戻す。 ふと顔をあげると、目の前に体格のいい男がか弱い赤ん坊を抱いている姿があって あまりのアンバランスさに吹き出してしまった。 「なんだよ。笑うなよ」 「アルヴィンが赤ちゃん抱いてるなんて、なんかイメージじゃないなあ」 ジュードはくすくすと笑いながら赤ん坊を再び抱くと、そっとベッドに寝かし付ける。 寝て起きたばかりで赤ん坊は寝る様子はなかったが、機嫌よくしているのでこのままでもよさそうだ。 「なあジュード君」 「何？」 「俺達の間に子供が生まれても大丈夫そうだな」 「…本気で言ってる？」 少し呆れた声でそう返すとママが酷いよーとふざけて赤ん坊に話し掛けるので、教育に悪いとばかりに引き離す。 そもそも自分達は男同士なのだから子供など生まれるはずはないのだ。 どんなに愛されても命を宿すことの出来ない自分を少し嫌悪する気持ちを隠していただけに、少し不機嫌になってしまった。 「そんな顔すんなよ。単に俺もおたくも子供慣れしてたから冗談言ってみただけだって。それに俺はジュード君を独り占め出来る方が嬉しいしな」 「…アルヴィンのたらし」 「褒め言葉として受け取っておくぜ」 *** 少し経った頃、半ば強制的に追い出したミラとレイアが帰宅し 時間通り二時間程経った頃依頼主が戻った。 赤ん坊を手渡し報酬を受け取る。 「本当にありがとうございました。それでは失礼します。ほら、バイバイだよ」 母親が赤ん坊にそう言うと、こちらを向いた赤ん坊がたどたどしくママなんて口にしたものだから ジュードとアルヴィンはかなり慌てた。 しかしそんな二人をよそに、母親は赤ん坊が言葉を話したことに驚喜し 何度も何度もお辞儀をすると帰って行った。 そろそろ良い頃合いだろうとドロッセルの屋敷に向かう途中、レイアが口を開いた。 「何でいきなりママなんて覚えたんだろー？」 「さあな。子供というのは未知数だ」 「そ、そうだね。子供はありとあらゆるものを吸収していくし、特別驚くことじゃないよ」 ジュードのフォローは少し無理矢理な気がしたが まさか自分達のあの会話で言葉を覚えた訳ではあるまいと、アルヴィンは特に気に留めることなく歩んでいた。 しかし、母親のように赤ん坊に接するジュードはたまらなく可愛かったなと思い出し少しにやけてしまう。 今度赤ちゃんプレイでもしてみようかとアルヴィンは思ったのだった。

■アルジュが子育てしてる姿を妄想し、とにかく「子供作ろうか」「は？」みたいな会話とミラ様が「四大で…！」になり「殺す気か！」ってやりとりがさせたくて勢いで書いてみました。序盤はみんなでワイワイ気味で中盤からアルジュっぽくなります。 ■すっかり私の中でジュードくん＝お母さんになりつつありますが間違ってないよね？ジュードくんはいいお母さんになるよ。むしろ嫁に来い！！　■11/30携帯からアップしたので文章の間隔や改行ミスなど修正しました。 ■ブクマありがとうございます！■2011年11月24日～2011年11月30日付の小説ルーキーランキング 55 位ありがとうございました！！

【アルジュ】SWEET BABY【腐向け】

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